まだ恐怖の大王の預言が外れたと決め付けるのは早い。その理由を以下に記すよ。
最後の審判の預言でもある?
10章72番
一九九九年と七の月 (時期は神が最初から外す意図があったと考えられる)
恐怖の大王が天(神)からおりてくるだろう (ブロワ城の問答では恐怖の大王は目には見えないものらしい)
アンゴルモアの大王を蘇らせるために (世界が幸福に支配されるために必要な法則)
その前後の期間、火星が幸福に支配するだろう (メシアが世界を幸福にしない限り神から恐怖の大王は下されない)
要するに、新たなるメシアが世界を幸福にしない限り神から恐怖の大王は下されないと解釈できます。
( )内は俺の解釈。
ノストラダムスの預言はメシアだけが解読できます。
というか預言は、メシアにこの世の行く末やメシアの使命を教えるためにもあるのです、と断定します。
ノストラダムスの預言集
http://www.ne.jp/asahi/mm/asakura/nostra/proph_text/proph_text.htm
”その前後の期間、火星が幸福に支配するだろう”の預言が重要
つまり、苦難のメシアが世界を幸福に変え、神から恐怖の大王が下され、のちにまた世界が幸福になると解釈できる。
これは新約では終わるの日と教えられているが、終わりではなく、本当はこれはノアの洪水の再来を意味し、神が世界がズタズタにされたのち、また世界は生まれ変わるという意味である。
ノアの洪水以降、世界が不本意に終わることがないよう神が歴史を決められている。
イザヤの預言54:9 これは、わたし(神)にとってノアの洪水に等しい。再び地上にノアの洪水を起こすことはないと/あのとき誓い/今またわたしは誓う/再びあなたを怒り、責めることはない、と。
10章72番の預言がないと俺は世界を救おうとはせず、むしろこの世が滅ぶことを切望していたはず。だから、この預言は重要。
そう言えば、新約聖書にも書いてあった「人々が平和だーと言ってるときに、とつぜん終わりの日がくる」とか。
新約聖書の預言テサロニケ5:1-9
人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかりま
す。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
まーこれも
>>238の"苦難のメシアが世界を幸福にしない限り神から恐怖の大王は下されない"を意味する預言だろう。