国会では治まらん 中山みきの予言。

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58基本。
>>56-57
> 明治15年、中山みきは、明治政府に甘露台石の没収と言う弾圧を受けている。明治15年お筆先17号には、
> このはなしどふゆう事にをもうかな ふでのさきがなみへてきたなら 24
> お筆先でのみきの予言が見えて来た時が、おやさまの本来の道が見えてくるときと、理は知らされていた。
それでは、お筆先17号には、どのような予言がなされているか。神の残念の予言であり、26日と告げられていた。
 このはなしなんとをもうぞみなのもの 神のざんねんゑらい事やで 42
 いまゝでハどのよなみちもたん/\と とふりぬけてわきたるなれども 43
 もちいとのこくけんきたらんそれゆへに ちいとしていた事てあれとも 44
 けふの日ハもふぢうふんにつんてきた こくけんきたらすぐにかやすで 45
 この日ハないつの事やとをもている 廿六日がきたる事なら 46
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 教祖誕生は1798年、そに定命は115才、1913年。
そこから、26日の数理は26年、1939年。

 1939年. 9月1日, 第二次世界大戦開始。

「このはなしなんとをもうぞみなのもの 神のざんねんゑらい事やで」

まさに、皆の心通りに、第二次世界大戦が開始された。
中山みきは、こういう高山の闘いを治めるために、天理教を開始したのであった。