1 :
神も仏も名無しさん :
2012/03/14(水) 22:47:55.04 ID:CR+xzSIy わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。
わたしは、キリストと共に十字架につけられています。
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。
わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。
ガラテヤの信徒への手紙2:19-2:20
※前スレ
☆十字架☆イエス・キリスト☆復活27
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1330847877/
>>1 スレたてありがとうございます。主イエスキリストを賛美しよう
3 :
神も仏も名無しさん :2012/03/14(水) 23:56:53.04 ID:ciGKxuq6
3tory
4 :
みーーいーに :2012/03/14(水) 23:57:57.30 ID:1jOXKNfu
かえすうわおわおわおわお
5 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 00:10:27.64 ID:JNO8Lo2V
昨日、ベツレヘムの星をみたひといますか?
6 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 01:32:02.45 ID:KAFmJiHz
929 :神も仏も名無しさん:2012/03/14(水) 20:11:54.35 ID:zbjDFmM6
>>924 >>「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。 そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、
>人の霊は、神の真理を受ける器なのです。あべこべです。
ネヨさんの頭と心があべこべになっているのです。
>>「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。
その時イエスは言われた。「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:43)
「ステパノと議論したが、 彼は知恵と御霊とで語っていたので、 それに対抗できなかった。」
そのようなスレバノは、イエスの最期と大変似ていますね。
>主は、それぞれの行いに応じて、報いられると言われたのです。
>そんな主の教えも知らなかったのでしょうか?
イエスも「おゆるし下さい」と地で同じことを言っておられるのです。
あなたの言っている箇所は、行いに応じて、天の最終的な裁きの権威(=行いに応じて)の話しです。
頭と心を混乱させず、落ち着きなさい。
>第一、主イエスは、人類の罪を十字架ですべて背負われたのでしょう?
リンゴさんが貼って下さっている箇所を何度も読んで、おっちょこちょいと洗脳頑迷じいさんの憑依霊から
離れ、普通の読解力をつけてください。
7 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 01:33:40.34 ID:dV/yEqpk
8 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 01:34:59.69 ID:dV/yEqpk
9 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 01:41:59.95 ID:dV/yEqpk
10 :
もも :2012/03/15(木) 01:43:33.35 ID:qHD6pQWd
>>996 >イエスの贖いと十字架の流血と混同したのが誤りの始まりです。
>アダム原罪を救いの教義に組み入れたのが、誤りの始まりです。
>三位一体のペルソナの神による救いが誤りの始まりです。
これはキリスト教じゃないでしょうw そもそも
パウロがどうとか言う前に。パウロ自身は贖罪を前提として
信仰は悔い改めありきで矛盾してないことはわかると思います
11 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 01:48:09.96 ID:KAFmJiHz
>>6 の続きです。
↑
ステバノの話しの時は、
>>「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」に対して、
ネヨさん「>主は、それぞれの行いに応じて、報いられると言われたのです。
>そんな主の教えも知らなかったのでしょうか? 」
といいました。
「彼らをゆるしたまえ」とイエスも地で仰った。
なぜ、得意のいいがかりをステバノの話しに向けては言うのに、
ネオさんはイエスに向けては言わないのですか?
と言っているのです。
ただ、あなたがステバノもイエスの言葉も読解出来ないで、その時その時の自己都合で口に憑依霊が宿っており
吐き出しているからです。脳も分裂してバラバラでしょ。
と言っているのですが、タラコが焼けて固くなり硬直したあげくにバラバラなった惨状のように、
延々とわからないのでしょう。
12 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 01:54:48.25 ID:dV/yEqpk
>>10 イエスの贖いと十字架の流血の贖い
アダム原罪
三位一体の神
みな現代キリスト教の基幹ですよ。
パウロが悔い改めを説いていたとか、信仰より愛を優先していたとこを理解できていればいいのです。
それが理解できずに、パウロ→ルター →信仰のみを信じている人がいるから問題なのです。
それと、キリスト功徳の責任転移信仰(オカゲサマ)ね。
13 :
もも :2012/03/15(木) 01:58:16.04 ID:qHD6pQWd
>>12 言い方悪かったかも
三位一体とか否定するとキリスト教じゃないってことですね
エホバとか異端とかになりますね
>>7 頭がタラコだと他人がおかしく見えちゃうもんねー。タラコってつらいよねー。
ID:KAFmJiHzさんがせっかくタラコの教育してくれてるんだから
せめてメンタイコくらいにはならないとねー。
俺は寝るけど、ID:KAFmJiHzさんも、ももさんも、相手はタラコだからねー。
簡単なことも理解できないけど、タラコだからねー。
平気で失礼な言葉吐くけど、タラコだからねー。
15 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 02:03:01.14 ID:KAFmJiHz
>>12 いや、その話には申し訳ないですが私はのりません。
なら、ここではっきりスェデンボルグのパウロ解釈は間違っていたといいなさい。
これまでのあなたの言動と見ていますと、自分が答えられなくなるとそういうことを
言ってのけますが、数時間も経たぬうちに、パウロ批判とスェデンボルグですよ。
ご自分で自覚はないのでしょうか。
16 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 02:03:34.51 ID:dV/yEqpk
>>11 >なぜ、得意のいいがかりをステバノの話しに向けては言うのに、
>ネオさんはイエスに向けては言わないのですか?
イエスは全能の神だと言うことが理解できてますか?
赦すのはすべて神ですよ。全能の神はすべてお見通しなのです。
「彼らをゆるしたまえ」と言うのが赦されるのは、神ただお独りです。
17 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 02:05:32.34 ID:dV/yEqpk
>>15 それ、自分の言動じゃないの?
わけのわからない理屈ばかり並べれて言い逃れしているのは?
18 :
イスラム教徒 :2012/03/15(木) 02:07:21.57 ID:QCcdniEK
>イエスは全能の神だと言うことが理解できてますか? 妄想乙
19 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 02:10:28.65 ID:dV/yEqpk
ステファノはイエスが全能の神だと言うことを信じていたのかな? 自分が良い子になりたいだけだったんじゃないの?
20 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 02:12:24.89 ID:dV/yEqpk
21 :
イスラム教徒 :2012/03/15(木) 02:16:41.16 ID:QCcdniEK
>>20 イエスが神などと言うあなたは病人。
ジプレキサを一日10g服用することをお勧めするよ。
神はこの世の創造主であり唯一の存在、全知全能の他に神はいない。
アッラーのほかに神はいない。
22 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 02:22:44.29 ID:dV/yEqpk
>>21 新約旧約聖書では、イエスは唯一の神なのです。
あなたこそ病院逝ってくらさい。
イエスが言いたかったのは矛盾についていちいち質問する な!という事だと思う。人を試す人間は悪魔的なものだ。 人の反応や顔色ばかりを気にするのは異邦人のする事。 アジア人は人を試す人間が多すぎる。素直な人間しか神の国にはいけない
24 :
イスラム教徒 :2012/03/15(木) 02:23:37.93 ID:QCcdniEK
>>20 そもそもイエスが全能の神ならば、なぜ十字架から降りてこられない?
なぜ世界の人々をキリスト教徒にできない?
あなたの主張は論理破綻しています。
25 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 02:24:14.90 ID:KAFmJiHz
>>16 >「彼らをゆるしたまえ」
本当に赦されるかどうかは、天においですよ。
けれど、地にいて、そのようにありなさいと血がこぼれたのではありませんか。
行い、行いと、あなたは何を言葉だけ盗んでいるのですか。
26 :
もも :2012/03/15(木) 02:26:23.24 ID:qHD6pQWd
>>24 自由意志を神は与えました。
愛は強制ではないからです。
27 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 02:30:56.79 ID:dV/yEqpk
>>24 十字架で死んで初めて天の父と一致合体できるのです。
イエスの霊魂は天の父なのです。だから、アッバーと呼ばれたのです。
だから十字架を降りられなかったのです。
全能パワーを使えば簡単にできたでしょう。
しかし、信仰は強制するものではありませんし、強制によってなるものでもありません。
それが、神が人類を導くみ摂理です。人間を神のロボットにしてはならないのです。
28 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 02:32:30.92 ID:dV/yEqpk
29 :
イスラム教徒 :2012/03/15(木) 02:46:03.60 ID:QCcdniEK
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30 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 02:46:12.10 ID:dV/yEqpk
>>24 神には人間を強制的に信仰心を植え付けることはできるでしょう。
それには、いろいろな種類の方法があるでしょう。
恐怖、喜び、名誉など、人間を強制して神を承認させる方法は種々あるでしょう。
しかし、これらは内的に説得する手段ではないのです。
ただ引きつける手段でしかなく、かれらが別な状態に入って、そこに何か対立した
ことが起こると、ただちに元に戻って、神を承認しないばかりか、神を憎むように
なるのです。
信仰はその人のもっている(いのち)の状態なのです。
罪や悪の汚らわしさが真に承認されないうちは、祈りは名の効果も生まないのです。
31 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 02:48:44.67 ID:KAFmJiHz
>>28 ころころと話しを変えて誤魔化さないでね。
もうそのあなたの性質は有名になっているようですが。
それで、前スレの
>>947 はどうなりましたか。
数時間もしないうちに、パウロ批判とスェデンボルグ。
きっぱりとスェデンボルグのパウロ解釈は間違っていたといいなさい。
32 :
もも :2012/03/15(木) 02:51:28.41 ID:qHD6pQWd
パウロ解釈はネヨさんが誤解していたでFAでつ。
33 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 02:53:52.01 ID:dV/yEqpk
>>31 あのね、もうわけのわからないこと言ってからまないでくれますか。
かまってもらいたかったら、もっと論理だててきなさい。
もう、大変迷惑してますからね、あなたの屁理屈には。
>>30 イエスを受け入れない人がいるのは、イエスの教えに不備があるからです。
強制的に信仰心を植えつけるのは不可能でしょう。
しかし、全ての人が納得できる法を考案すれば、全ての人はその法を受け入れます。
全ての人が納得できる法を考案し制定する者こそ、世界の主になれます。
誰もが自分達の主だと認める存在が世界の主になれるのです。
命を最も重要視した法が完全な法じゃない。誰もが納得できる法が完全な法です。
35 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 02:55:03.04 ID:dV/yEqpk
36 :
もも :2012/03/15(木) 02:59:32.21 ID:qHD6pQWd
>この「福音」とは、悔い改めて、罪の浄化をし、再生された人になりなさいという教えです。 >パウロの「福音」は全然違います。 ↑パウロも同じってこと。 「悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと 宣べ伝えて来たのです」 って提示したれしょ。
37 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 02:59:41.75 ID:e9Nksb4K
神の存在に必然師があれば、何の強制も説得もいらない。 いないものを、異常者が無理矢理作った概念だから、信仰やその強制といった おかしなことになる。
38 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 03:02:52.84 ID:dV/yEqpk
>>34 いいえ、みことばを冒涜して滅びる人が出てくるのは、イエスの教えのセイでは
ありません。みことばを聞く人の責任なのです。
それは、「善悪の知識の木から食べ」、人知のうぬぼれに陥ったからです。
だから、イエスはその人たちには、たとえで話されたのです。
かれらが(みことば)の真理を冒涜して滅びてしまわないためです。
かれらに、永遠の命の話をしても、神の国の話をしても信じないからです。
39 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 03:08:05.83 ID:dV/yEqpk
>>36 パウロの言っている「神の福音」とは、「死者の中から復活したイエス」信仰による義認なのです。
40 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 03:08:05.95 ID:KAFmJiHz
>>38 だからこそ ネヨさんは
きっぱりとご自身のパウロ解釈は間違っていたといいなさい。
41 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 03:10:47.59 ID:dV/yEqpk
>>40 だからどこが間違っていたと言うのか、ちゃんと書かなきゃなぁ。
わけのわからないことばかり言ってないで。
ほんと疲れるわこの人。
>>21 を訂正
10g→10mg
10gは致死量に値するすまない
43 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 03:26:11.15 ID:dV/yEqpk
>>42 聖書やイエスの御言葉が理解できないのは、相応の知識がないからです。ではでわ^^
あと少しだな
>>40 進化論スレでの経験で言えば、ネヨじいさん、本当にわかってないことが多いです。
普通の人間には特に難しくないことでも、じいさんの場合は脳の解釈系が
スウェーデンボルグ霊界マニュアルで上書きされてるので理解できないみたいです。
あまりの理解力の無さに一時は人工無能と呼ばれてたくらいですから。
もっとも自分の間違いが明らかになった時でも決して認めないので同じことですがw
46 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 08:10:18.03 ID:dV/yEqpk
45 :神も仏も名無しさん:2012/03/15(木) 07:58:01.05 ID:G7l3/F0A ↑ 進化論スレでネヨに思いっきり論破された奴です。 自分の理解力の無さを棚に上げて相手のセイにするのが得意です。 だからいまだに信仰義認が理解できません。 ここでも同じようです。
47 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 08:24:23.16 ID:dV/yEqpk
45 :神も仏も名無しさん:2012/03/15(木) 07:58:01.05 ID:G7l3/F0A ↑ この人は、自分の言ったことに責任のとれない人間です。 ネヨにいろいろ書いてきますが、それに対し問い詰められても何一つまともな反論が出来ないのです。 すこし頭がよわいみたいです。 まぁ、見ててくださいね^^
スエさん、夜は眠らないと体に悪いよ
49 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 08:40:23.46 ID:dV/yEqpk
>進化論スレでの経験で言えば、ネヨじいさん、本当にわかってないことが多いです。 進化論スレ(過去スレも含めて)見てもらえば分かりますが、ほとんどネヨのリードでスレが成り立ってます。 進化論、宇宙論、脳科学、臨死体験、聖書、、どれもネヨの知識が凌駕していますね。 ネヨが」がいないと閑古鳥が鳴きます。ネヨなくして成り立たないのです。 こんな大根役者などいてもいなくても、スレに全く影響しません。
50 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 08:50:54.47 ID:dV/yEqpk
また後ほど
朝寝は堕落した人のすることだよ
父なる神と主イエスキリストに栄光が永遠にありますように。 おはよう。今日引用するみことばにサウロがでてきますが、 これはパウロのことです。サウロは後にキプロス宣教の途中からパウロと呼ばれるようになります。
「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、 使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った。 信仰深い人たちは ステパノを葬り、彼のために胸を打って、非常に悲しんだ。
ところが、サウロは家々に押し入って、男女を引きずり出し、次々に獄に渡して、 教会を荒し回った。 さて、散らされて行った人たちは、御言葉を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。 ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えはじめた。
群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、 こぞって彼の語ることに耳を傾けた。 けがれた霊につかれた多くの人々からは、 その霊が大声でわめきながら出て行き、 また多くの中風を患っている者や 足のきかない者がいやされたからである。 それでこの町では人々が大変に喜んでいた。
さて、この町に以前からシモンという人がいた。彼は魔術を行いサマリヤの人たちを驚かし、 自分をさも偉い者のように言いふらしていた。 それで、小さい者から大きい者にいたるまで皆、 彼について行き、「この人こそは『大能』と呼ばれる神の力である」と言っていた。
彼らがこの人についていったのは、 長い間その魔術に驚かされていたためであった。
ところが、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べ伝えるに及び、 男も女も信じて、ぞくぞくとバプテスマを受けた。 シモン自身も信じて、バプテスマを受け、それから、引きつづきピリポについて行った。 そして、数々のしるしやめざましい奇跡が行われるのを見て、驚いていた。
エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が、 神の御言葉を受け入れたと聞いて、 ぺテロとヨハネとをそこにつかわした。
ふたりはサマリヤに下って行って、みんなが聖霊を受けるようにと、彼らのために祈った。 それは、彼らはただ主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、 聖霊はまだだれにも下っていなかったからである。 そこで、ふたりが手を彼らの上においたところ、彼らは聖霊を受けた。
シモンは、使徒たちが手をおいたために、御霊が人々に授けられたのを見て、金をさし出し、 「わたしが手をおけばだれにでも聖霊が授けられるように、その力をわたしにも下さい」と言った。
白い集団=医師、看護婦の方々 黒い集団=悪魔(サタン)崇拝者たち、プロレスのMWO
そこでぺテロが彼に言った 「あなたの金は、あなたもろともにうせてしまえ」。 神の賜り物を金で得られると思っているのか。 あなたの心が神の御前に正しくないから、 あなたはとうてい、このことにあずかることはできない。 だから、この悪事の心を入れかえて、主に祈れ。 そうすれば、あるいは、そんな思いを心にいだいていることが、ゆるされるかもしれない。 あなたはまだ苦い胆汁があり、不義のなわ目がからみついている。 それが、わたしにわかっている」。
イスラム過激派の黒い集団は、強い憎しみから黒くなっているので悪魔崇拝者よりもまだ遥かにマシ。
シモンはこれを聞いて言った、「仰せのような事が、わたしの身に起らないように、 どうか、わたしのために主に祈って下さい」。 使徒たちは力強くあかしをなし、また主の御言葉を語った後、サマリヤ人の多くの村々に 福音を宣べ伝えて、エルサレムに帰った。
しかし、主の使いがピリポに向かって言った、 「立って南方に行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい」 (このガザは、今は荒れ果てている)。
そこで、彼は立って出かけた。すると、ちょうど、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、 女王の財宝を全てを管理していた宦官であるエチオピヤ人が、礼拝のためエルサレムに上り、 その帰途についていたところであった。彼は自分の馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
御霊がピリポに「進み寄って、あの馬車に並んで行きなさい」と言われた。 そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞えたので、 「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねた。 彼は「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えた。
そして、馬車に乗って一緒にすわるようにと、ピリポにすすめた。
彼が読んでいた聖書の箇所は、これであった、 「彼は、ほふり場に引かれて行く羊のように、また、黙々として、 毛を刈る者の前に立つ小羊のように、口を開かない。 彼は、いやしめられて、その裁きも行われなかった。だれが、彼の子孫のことを語ることができようか、 彼の命が地上から取り去られているからには」。
宦官はピリポにむかって言った、「お尋ねしますが、ここで預言者はだれのことを言っているのですか。 自分のことですか、それとも、だれかほかの人のことですか」。 そこでピリポは口を開き、この聖句から説きあかして、イエスのことであると伝えた。
道を進んで行くうちに、水のある所にきたので、宦官が言った、 「ここに水があります。わたしがバプテスマを受けるのに、なんのさしつかえがありますか」。 〔これに対して、ピリポは、「あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません」と言った。
すると彼は「わたしは、イエスキリストを神の子と信じます」と答えた。
そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、ふたりとも、水の中に降りて行き、 ピリポが宦官にバプテスマを授けた。 ふたりが水から上がると、主の霊がピリポをさらって行ったので、 宦官はもう彼を見ることができなかった。宦官はよろこびながら旅をつづけた。
その後、ピリポはアゾトに姿を現し、 町中を巡り歩き、いたるところで福音を伝え、 ついにカイザリヤに着いた。
さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息を荒くしながら、大祭司のところに行って、 ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、 エルサレムにひっぱって来るためであった。
すると答えられた。 「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 さぁ、立って、町に入って行きなさい。 そうすれば、そこで、あなたのなすべきことが告げらるでしょう」。
>>76 と
>>77 のまえに次のみことばがはいります。失礼しました。やり直します。
>>76 の続き。
「ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。
「彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。
すると答えられた。 「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さぁ、立って、町に入って行きなさい。 そうすれば、そこで、あなたのなすべきことが告げられるでしょう」。
サウロの同行者たちはものも言えず、立っていて、 声だけは聞こえたがだれも見えなかった。
サウロは地から起き上がり目を開いてみたが、何も見えなかった。 そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。彼は三日間、目が見えず、 また食べることも飲むこともしなかった。
さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。 この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。 彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。
そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、 ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っています。 彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、 幻で見せられました」。
アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、 多くの人たちから聞いています。 そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権限を、 祭司長たちから得てきているのです」。
しかし、主は仰せになった、 「さぁ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、 また、イスラエルの子たちにもわたしの名を伝える器として、わたしが選んだ人です。 わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないか、 彼に知らせよう」。
そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、 「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、 そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」
するとたちどころにサウロの目から、 うろこのようなものが落ちて、 元通り見えるようになった。 そこで、彼は立ってバプテスマを受け、 また、食事をとって元気を取り戻した。
続きは、食事休憩後。
サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間過ごし、 ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、 このイエスこそ神の子であると説きはじめた。
これを聞いた人たちはみな非常に驚いて言った、 「あれは、エルサレムでこの名をとなえる者たちを苦しめた男ではないか。その上ここにやってきたのも、 彼らを縛りあげて、祭司長たちのところへひっぱって行くためではなかったか」。
しかし、サウロはますます力が加わり、 このイエスがキリストであることを論証し、 ダマスコに住むユダヤ人たちを言い伏せた。
相当の日数がたったころ、ユダヤ人たちは サウロを殺す相談をした。
ところが、その陰謀が彼に知られた。彼らはサウロを殺そうとして、 夜昼、町の門を見守っていたからである。 そこで彼の弟子たちが、夜の間に彼をかごに乗せて、 町の城壁づたいにつりおろした。
サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に加わろうと努めたが、みんなの者は彼を弟子だとは信じないで、 恐れていた。ところが、バルナバは彼の世話をして使徒たちのところへ連れて行き、 途中で主が彼に現れて語りかけたことや、彼がダマスコでイエスの御名で大胆に宣べ伝えた次第を、 彼らに説明して聞かせた。
それ以来、彼は使徒たちの仲間に加わり、エルサレムに出入りし、主の御名によって大胆に語り、 ギリシヤ語を使うユダヤ人たちとしばしば語り合い、また論じ合った。
しかし、彼らは彼を殺そうとねらっていた。 兄弟たちはそれと知って、彼をカイザリヤに連れて下り、 タルソへ送り出した。
こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎が固まった。 そして、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増していったのである。
ぺテロは方々を巡り歩いた。 そしてルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。 そこで八年間も床についているアイネヤという人に会った。 この人は中風であった。
ペテロが彼に言った、「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さいます。起きなさい。 そして床を取りあげなさい」。すると、彼はただちに起きあがった。 ルダとサロンに住む人たちは、みなそれを見て、主に帰依した。
ヨッパにタビタ(これを訳すと、ドルカス、すなわちかもしか) という女弟子がいた。 数々のよい働きや施しをしていた婦人であった。 ところが、そのころ病気になり死んだので 人々はその体を洗い屋上の間に安置した。
ルダはヨッパに近かったので、弟子たちはペテロがルダにきていると聞き、 ふたりの者を彼のもとにやって、「どうぞ、早くこちらにおいで下さい」と頼んだ。 そこでペテロは立って、ふたりの者に連れられてきた。 彼が着くとすぐ、屋上の間に案内された。
すると、やめめたちがみんな彼のそばに寄って来て、 ドルカスが生前作った下着や上着の数々を 泣きながら見せるのであった。
ペテロはみんなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。それから死体の方に向いて、 「タビタよ、起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きあがった。 ペテロは彼女の手をとり立たせた。それから、聖徒たちや、やもめたちを呼び入れて、 彼女が生きかえっているのを見せた。
このことがヨッパ中に知れわたり、 多くの人々が主を信じた。 ぺテロは皮なめしシモンという人の家に泊まり、 しばらくの間ヨッパに滞在した。
さて、カイザリヤにコルネリオという名の人がいた。イタリヤ隊と呼ばれた部隊の百人隊長で、 信心深く、家族一同と共に神を敬い、民に数々の施しをなし、絶えず神に祈りをしていた。 ある日の午後三時ごろ、神の使いが彼のところにきて、「コルネリオよ」と呼ぶのを、幻ではっきり見た。
彼は御使いを見つめていたが、恐ろしくなり 「主よ、なんでございますか」と言った。
すると御使いが言った、「あなたの祈りや施しは神の御前にとどいて、おぼえられています。 ついては今、ヨッパに人をやって、ペテロと呼ばれるシモンという人を招きなさい。 この人は、海べに家をもつ皮なめしシモンという者の客となっています」。
このお告げをした御使いが立ち去ったのち、 コルネリオは、しもべふたりと、部下の中で信仰深い兵卒ひとりを呼び、 いっさいの出来事を説明して聞かせ、ヨッパへ送り出した。
翌日、この三人が旅をつづけて町の近くにきたころ、ペテロは祈りをするため屋上にのぼった。 時は昼の十二時ごろであった。 彼は空腹をおぼえて、何か食べたいと思った。 そして、人々が食事の用意をしている間に、夢心地になった。
すると、天が開き、大きな布のような入れ物が、 四すみをつるされ、地上に降りてくるのを見た。 その中には、地上の四つ足や這うもの、 また、空の鳥など、各種の生き物が入っていた。
そして御声が彼に聞えてきた、「ペテロよ。立って、それらをほふって食べなさい」。 ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、 汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。
すると、声が二度目にかかってきた。 「神が清めたものを清くないなどと言ってはならない」。 こんなことが三度あり、その入れ物はすぐに天に引き上げられた。 ぺテロが、いま見た幻はなんのことかと、 ひとり思案にくれていると、 ちょうど、その時に、コルネリオから送られた人たちが シモンの家を尋ね当てて、その門口に立っていた。 そして、声をかけ、 「ぺテロと呼ばれるシモンという人が、 こちらにお泊まりではありませんか」 と尋ねた。
ペテロはなおも幻について、思いめぐらしていると、御霊が言われた、 「ごらんなさい、三人の人たちが、あなたを尋ねてきています。 さあ、立って下に降り、 ためらわないで、彼らと一緒に出かけなさい。わたしが彼らをつかわしたのです」。
そこでぺテロは、その人たちのところに降りて行って言った。 「わたしがお尋ねのぺテロです。 どんなご用でおいでになられたのですか」。
彼らは答えた、「正しい人で、神を敬い、ユダヤの全国民に好感を持たれている 百卒長コルネリオが、あなたを家に招いてお話を伺うようにとのお告げを、 聖なる御使いから受けましたので、参りました」。 そこで、ペテロは、彼らを迎えて泊まらせた。
翌日、ペテロは立って、彼らを連れ出発した。ヨッパの兄弟たち数人も一緒に行った。 その次の日に、一行はカイザリヤに着いた。 コルネリオは親族や親しい友人たちを呼び集めて、待っていた。
ぺテロがいよいよ到着すると、コルネリオは出迎え、彼の足元にひれ伏し、礼拝した。 すると、ぺテロは彼を引き起こし、言った。 「立ってください。わたしも同じ人間です」。
それから共に話しながら、部屋にはいって行くと、そこには、すでに大ぜいの人が集まっていた。 ペテロは彼らに言った、「あなたがたが知っているとおり、ユダヤ人が他国の人と交際したり、 出入りしたりすることは、禁じられています。」
「ところが、神は、どんな人間をも清くないとか、 けがれているとか言ってはならないと、 わたしにお示しになりました。 お招きにあずかった時に、少しもためらわず、 参ったのはそのためです。 そこで伺いますが、どういうわけで、 わたしを招いてくださったのですか」。
これに対しコルネリオが答えた。 「四日前、ちょうどこの時刻に、わたしが 自宅で午後三時の祈りをしていると突然、 輝いた衣を着た人が前に立って申しました」 『コルネリオ、あなたの祈りは聞きいれられ、 あなたの施しは神の前におぼえられています。 そこで、ヨッパに人を送ってぺテロと呼ばれるシモンを招きなさい。 その人は皮なめしシモンの海辺の家に泊まっています。』」
それで、早速、あなたをお呼びしました。ようこそおいでくださいました。 今わたしたちは、主があなたにお告げになったことを 残らずお伺いしようとして、 みな神の御前に出て来ました。
そこでペテロは口を開いて言った、「神は人をかたよりみないかたで、 神を敬い義を行う人は どの国民でも受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。 あなたがたは、神がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、 イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、 ガリラヤから始まってユダヤ全土に広まった福音をのべたものです。 神はナザレのイエスに聖霊と力を注がれました。 このイエスは神が共におられるので、よい働きをしながら、 また悪魔に押さえつけられている人々を ことごといやしながら、 巡回されました。
「わたしたちは、イエスがこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。 人々はこのイエスを木にかけて殺したのです。 しかし神はイエスを三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人としてあらかじめ選ばれた者たちに 現れるようにして下さいました」。
「わたしたちはイエスが死人の中からよみがえり復活された後、 共に飲食しました。 それから、イエスご自身が生者と死者との審判者として 神に定められた方であることを人々に伝え、 また証するようにと、神はわたしたちにお命じになったのです。 預言者たちもみな、イエスを信じる者はことごとく その御名によって罪のゆるしが受けられると、証しています。」
ぺテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、 それを聞いていたみんなの人たちに聖霊がおくだりになった。
128 :
預言 :2012/03/15(木) 18:26:06.16 ID:dYzaYEz+
近未来、「ニセ予言者とニセ救世主」がヨーロッパにあらわれる。 ニセ予言者は、デタラメな予言を世にひろめる。 「アセンション」「人類が進化する」「高次元の存在」すべてデタラメ。 ニセ予言者は、救世主崇拝(すうはい)運動を、世界規模でおこす。 ニセ救世主は、「世界統一」「分かち合い」をとなえ、 「世界統一宗教」というカルト教を世にひろめる。 「世界統一宗教」は、世界のすべての人間を破滅させる邪教である。 オカルトとキリスト教とサタンの教えを融合させた「カルト教」である。 サタンの目的は、人類を堕落させて、 聖書に予言された戦争をひきおこし、世界を支配することである。 キリスト教徒全員に伝えてください。 「ニセ予言者とニセ救世主」が、近い未来ヨーロッパに現れる。 「ラ・サレットの告知」を読んでください。 ミカエル
割礼を受けている信者で、ペテロについてきた人たちは、異邦人たちにも聖霊の賜物が注がれたのを見て、驚いた。 それは、彼らが異言を語って神を賛美しているのを聞いたからである。 そこで、ペテロが言い出した、「この人たちがわたしたちと同じように聖霊を受けたからには、 彼らに水でバプテスマを授けるのを、だれが拒むことができようか」。
こう言って、ぺテロはその人々に命じて、イエスキリストの御名によってバプテスマを受けさせた。 それから、彼らは、ぺテロに願って、なお数日の間、滞在してもらった。
父なる神と主イエスキリストに栄光が永遠にありますように。 続きは、またあした。
>>46 そもそもネヨじいさんに論破された奴なんて見たことないんだが?w
例によってじいさんがスウェーデンボルグ霊界マニュアル垂れ流しで勝手に勝利宣言してるだけでw
>>47 > 問い詰められても何一つまともな反論が出来ないのです。
じいさんのことだねw
ももさんにもID:KAFmJiHzさんにも何一つ有効な反論ができずにいつも論点すり替えで逃げてばかり。
じいさんは自分のエゴを満足させることにしか興味がないから、どんな卑怯な手を使ってでも
自分の間違いを認めない。完全に追い詰められると罵倒してリセット。何度進化論スレで繰り返されてきたことかw
>>49 あれだけボロボロに論破されまくってるのに?w
進化論スレはじいさんがいなくなるとまともな議論になって
じいさんがやってくるとじいさんを弄って遊ぶスレになるのが伝統なんだが?w
自分がおもちゃ扱いされてるってまだ気付いてないの?w
133 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 22:35:54.40 ID:dV/yEqpk
ID:G7l3/F0A ↑ この人少しおかしんです。 信仰義認論争でも絶対自分の誤りを認めないでしょう。 万事がこんな調子ですから。
134 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 22:37:25.04 ID:dV/yEqpk
>あれだけボロボロに論破されまくってるのに?w 平気でこんなウソもつくしね
135 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 23:02:32.90 ID:dV/yEqpk
>進化論スレはじいさんがいなくなるとまともな議論になって
これもウソ
知ったかぶるwマーク
14 :神も仏も名無しさん:2012/03/14(水) 21:55:04.08 ID:p8hQi0nX
>>10 喩えというか、今まで宗教が「神」の一言で説明していたことを、神の代わりに科学的・論理的に説明できるという意味で、「神の粒子」と言ってるんじゃね?
「神なんざもうイラネw」と言う意味で皮肉ってつけたのかもなw
15 :神も仏も名無しさん:2012/03/14(水) 23:58:57.93 ID:LHCkFha3
またいい加減なこと言ってるべな
いつものwは^^
(問1) ヒッグス粒子が「神の粒子」と呼ばれる理由を説明しなさい。
答え
(問1)「この粒子なしに宇宙には星など何も存在しない、という理屈になるらしい
▼それゆえ『神の粒子』と呼ばれる」とある。ここで言う「神」とは万物の創造主としての神のことだろう。
そのよう神が存在しなければすべては無である。ヒッグス粒子がなければ星は存在せず今あるような物は存在しないこ
とから、その粒子を神になぞらえ「神の粒子」と名付けた。
136 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 23:09:34.11 ID:dV/yEqpk
132 :神も仏も名無しさん:2012/03/15(木) 22:08:02.09 ID:G7l3/F0A そもそもネヨじいさんに論破された奴なんて見たことないんだが?w 例によってじいさんがスウェーデンボルグ霊界マニュアル垂れ流しで勝手に勝利宣言してるだけでw ↑ あたしの関与したスレで、これほどの嘘つき人間はいませんね。
昼夜逆転生活ですか?
138 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 23:15:49.23 ID:dV/yEqpk
べつに
厨房間違いなしと、みたし(^^;)
140 :
もも :2012/03/15(木) 23:39:33.33 ID:qHD6pQWd
>>39 パウロは贖罪前提で悔い改めありきの信仰だと
言ったはず 悔い改めのない信仰って
変です 罪深い性質の人間が行いでは
救いに到達などできないことパウロは誰よりも
痛感していたのれすね
>>133 じゃあとっとと↓に有効な反論してみればぁ?w
全く矛盾の指摘になってないが?
ももさんも俺も信仰と善行を切り離したりはしていない。
信仰は善行を伴うと言ってるんだから。
信仰のみ(Sola Fide)が強調されるのは
信仰の伴わない形だけの善行が横行することに対する批判。
少なくとも信仰義認では、信仰は善行を伴うが、善行が信仰を伴うとは限らない。
論理式にして言えば「信仰」⇒「善行」は真だが、その逆は真ではない、ってこと。
よって形だけの善行に対する批判として「信仰のみ」が強調されるってこと。
理解できた?
>>135 その14は俺じゃないんだが?w
IDすらチェックできないのか?w
しかも14は揶揄で書いてるってことすら理解できてないしw
>>136 じいさんがどんなに泣き喚こうが、進化論スレでもこのスレでも
じいさんこそが嘘つきだってみんな了解してるしw
悔しくて泣き喚きながら連投する暇があったら、じいさんを支持してる人物でも連れてくればぁ?w
142 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 23:50:04.74 ID:dV/yEqpk
>>140 パウロの中心的教義は、アウグスブルグ信仰告白にもなっている下記のものです。
これがルター派教会の「信仰義認」の根拠にもなっているのです。
アウグスブルグ信仰告白
第四条 義とせられることについて
また、われらの諸教会はかく教える。人は自分の力、功績、或は、業によって神の前に義とせられることはできず、
キリストのゆえに、信仰によって、代償なく、神の恩恵により義とせられる。その時、人々は恩恵の中に受け入れられ、
その死によってわれらの罪のために贖いとなられたキリストのゆえに、その罪が赦されることを信ずる。
この信仰を神はみ前に義と認められるのである(ローマ3章、4章)。
ローマの信徒への手紙10.9
「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させたれたと信じるなら、
あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公にして救われるのです。」
この教義のどこに悔い改めがあるのですか?
143 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 23:56:34.91 ID:KAFmJiHz
>>995 (前スレの私に対するネオさんレス)
>バラバラじゃ内科^^
ステファノ(ステパノ)はイエスと同じ内容を口にしましたね。
にもかかわらずネオさんはそれをイエスと区別する。
同じ境遇の箇所であるにも関わらずです。
○その時イエスは言われた。【「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです。」】(ルカ23:43)
○人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」といった。
それからひざまずいて、【「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」】と大声で叫んだ。
ステファノはこう言って、眠りについた。(使徒言行録7:59−60)
ステファノが罪を彼らに負わせないようにと祈るのはおかしいという主張ですが、
イエスも【 】のように共通して同じ言葉を言っておられるのです。
アナタの考えでいくと、自分の行った罪や善に応じて結果を受けとるのだから、
とステファノの最期の言葉に対して以下のように言っています。
144 :
もも :2012/03/15(木) 23:57:08.05 ID:qHD6pQWd
>>142 >その死によって「われらの罪のために」贖いとなられたキリストのゆえに
↑これを信じるということは自分の罪深さの自覚を伴うわけです
逆に罪の自覚なしに、悔い改めずに、信じるっておかしいですね
145 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 23:57:43.97 ID:KAFmJiHz
>>924 (前スレネヨさんレス)
>「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。
>主は、それぞれの行いに応じて、報いられると言われたのです。
>そんな主の教えも知らなかったのでしょうか?
主の言葉を理解できないネヨさんに、「それぞれの行いに応じての報い」について説明し、
そのネヨさんのレスに対してステファノの言葉はイエスに背くものではない事を私は述べました。
行いに応じては、天の最終的な裁きの権威(=行いに応じての報い)の話しをされているのであって、
あなたが読解できていないだけだと。
人間の肉を持つステファノは地において無知な為に罪を犯す人々を隣人だと、大声で叫ばれたのであって、矛盾しない。
そして、イエスも又同じ最期であった、と私は言ったのです。
146 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 23:58:06.36 ID:dV/yEqpk
>>141 >ももさんも俺も信仰と善行を切り離したりはしていない。
信仰義認とは、義とされる時点で信仰から善行を切り離しているのだ。
なぜなら、信仰義認説では、善行は、救いには(あるいは義とされること)には、なにも寄与していないから。
だから、ルター派の「信仰義認説」を理解できてないことが、まだ理解できないのか?
>>142 前半は
>>140 で論破済みだ、間抜け。
後半はパウロの一部だけを取り出してじいさんがギャーギャー言ってるだけw
パウロが悔い改めとキリストの受け入れによる新生を語ってるのはいつものようにガン無視かぁ?
148 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 00:00:00.14 ID:VysK9wPV
ネオ⇔ネヨ
>>146 はぁ?
もう一度「論理式にして言えば「信仰」⇒「善行」は真だが、その逆は真ではない、ってこと。」の意味を
タラコ頭でよく考えてみろ。
150 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 00:08:59.94 ID:W/SdszMT
>>143 ステファノと全能の主イエスを同格に見るのが、ナンセンンスなのだと言っている。
それと
【「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」】と大声で叫んだ。
ステファノは、イエスが何者にたいしても罪を問われるお方でないと言うことが全然、理解できていないということ。
はっきり言えば、ステファノには、主キリストにたいする信仰心が欠如していたのだ。。
151 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 00:10:47.15 ID:W/SdszMT
>>149 はぁ、まだ理解できないのか? 中学生にでも理解できるほどの論理だぞ。
152 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 00:19:29.80 ID:HH8XtKoq
>>150 >>143 >>ステファノと全能の主イエスを同格に見るのが、ナンセンンスなのだと言っている。
私は同格であるというような話しをしていませんよ。
同じ事を言われたと言っているのです。
>ステファノは、イエスが何者にたいしても罪を問われるお方でないと言うことが全然、理解できていないということ。
>はっきり言えば、ステファノには、主キリストにたいする信仰心が欠如していたのだ。。
いやいや、なぜそういう結論に導くのか説明しなさい。
153 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 00:20:57.55 ID:W/SdszMT
147
>前半は
>>140 で論破済みだ、間抜け。
何を言っているのだ。間抜け
>後半はパウロの一部だけを取り出してじいさんがギャーギャー言ってるだけw
パウロの一部ではなく、これがパウロ書簡のなか全部に流れている、パウロ独自の中心的教義だ。
パウロ書簡を全部読んでみろ。
>パウロが悔い改めとキリストの受け入れによる新生を語ってるのはいつものようにガン無視かぁ?
だから、パウロは言っていることがバラバラだと言われているのよ。
>>151 タラコじいさんは幼児に説明するように説明しないと何一つ理解出来ないのか?
善行はその裏に信仰の裏付けがある場合とない場合がある。
よって善行によってはなんら義とされる保証はない。
むしろ信仰の裏付けのない善行が蔓延った時代へのアンチテーゼとしてルターは信仰義認を提起したわけだろ?
だから信仰の裏付けのない善行に対する批判として、また人間はどんなに頑張ったって善行を貫徹することができない
という深い認識に立って、善行による義認を否定したんだろ?
それに対してルターの言う(そしてパウロの言う)信仰とはキリストを受け入れ自らのうちにキリストを形作ることによって
自然と善行も付随するようになるというもの。善行はたとえ為したとしても信仰の結果であって、
それ自体が義認に関与するわけではない、ってことだ。理解できたか?
>>153 > パウロの一部ではなく、これがパウロ書簡のなか全部に流れている、パウロ独自の中心的教義だ。
そりゃ、スウェーデンボルグ霊界マニュアルに書いてある模範解答ってだけだ、間抜け。
> だから、パウロは言っていることがバラバラだと言われているのよ。
タラコ頭じゃバラバラにしか見えんってだけのことだろw
156 :
もも :2012/03/16(金) 00:27:28.40 ID:vGLP9ZVW
>>146 パウロもルターも誤解してるのは貴方れす
>>144 と
>>154 さんの理解できるでしょ
信仰が善行を産んで何か不都合でも
あるんですか なぜ善行が救いに貢献しないと焦るの
157 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 00:35:11.43 ID:W/SdszMT
>>154 そんなのは全く理屈になってないんだよ。
信仰義認とは、信仰のみによって「義」とされるという教義だ。
だから、信仰義認の根拠となった、アウグスブルグ信仰告白にはこう記されている。
「また、われらの諸教会はかく教える。人は自分の力、功績、或は、業によって神の前に義とせられることはできず、」
つまり、善行が伴おうが伴わなからろうが、「義」とされるのには関係ないのだ。
>それに対してルターの言う(そしてパウロの言う)信仰とはキリストを受け入れ自らのうちにキリストを形作ることによって
>自然と善行も付随するようになるというもの。善行はたとえ為したとしても信仰の結果であって、
>それ自体が義認に関与するわけではない、ってことだ。理解できたか?
そんなものは「信仰義認説」とはまったく関係ない。
人間の行為は義としないから、「行為義認」を否定し、「信仰のみ」となったのだ。
第一、信仰がキリストを形づくるって、信仰義認説のどこにあるのだよ?
158 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 00:37:24.55 ID:W/SdszMT
>>156 ぜんぜん、論理的な説明にもなってないから。
159 :
もも :2012/03/16(金) 00:40:55.69 ID:vGLP9ZVW
>>158 >>154 が理解できないのは
国語の問題ですね
信仰に善行が貢献しなくても
結果として真の信仰があれば付随することが多いというだけの話なのに
何度言っても解らないのですね
>>157 何度同じこと繰り返すつもりだよw
これだからタラコ頭は…
だから善行は義認に関係ないの!書いてあるとおりなの!
ネヨじいさんが周りの人によく見られたくて施しをなしたとしても、そんなものは義とされないの!
> 第一、信仰がキリストを形づくるって、信仰義認説のどこにあるのだよ?
だからネヨじいさんの信仰理解はペラッペラだって言ったんだよw
信仰が悔い改め古い自分を捨てキリストを受け入れ、自分ではなくキリストが自分の中に生きている状態が
信仰の本質だっていうのは、信仰を語るときの前提となってるの!じゃなきゃ信仰になんの意味があるんだよw
つーかネヨじいさんは
>>152 にも答えろよ。都合が悪いレスはガン無視ですか?w
162 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 00:45:41.02 ID:W/SdszMT
>>156 誤解しているようだから言っておくけど、パウロの教義は「信仰のみ」と思っている
人は多いけど、こちらは、パウロがルーテル教会の「信仰義認説」だと言っているわけではない。
スェデンっボルグも、パウロは「信仰義認」ではないと言っている。
パウロの教義は、キリスト功徳の責任転移信仰(おかげさま)と言われるものだ。
163 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 00:46:15.01 ID:HH8XtKoq
>>157 >第一、信仰がキリストを形づくるって、信仰義認説のどこにあるのだよ?
そのように言われますか、では逃げずに答えてくださいよ。
そもそも信仰義認説なるものは、どこにあるのです。
それを言葉のトリックというのですよ、ないものをあるようにイメージさせ
、まあそれでも説として何かの目的の為に主張したい人がいるとしても、
それにおどらされてはいけませんよ。
164 :
もも :2012/03/16(金) 00:50:40.10 ID:vGLP9ZVW
>>162 ある意味おかげさま信仰ですよ。
神の恩寵まずありきですからね
パウロは罪深さを痛感していたのです
自力じゃ人間なんて救われません
165 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 01:00:32.11 ID:W/SdszMT
>>160 自分の言っていることが、全然説明にもなっていない屁理屈だってこと理解できてるか?
信仰義認は、「義」とされるのには、「信仰」以外の人の行為は何の寄与もしないんだよ。
イエスは、「信仰」のみによって、キリストの像が人に出来るなんてことは、どこにも言われていない。
キリストの像が人に出来るのは、イエスの教えを守り、ご命令を実践して、悔い改めによる罪の浄化、
再生によらなければ、達成できないことは福音書を読めば誰でも理解できる。
>だからネヨじいさんの信仰理解はペラッペラだって言ったんだよw
おまえさんの頭がペラペラなんだよ。
信仰義認には、信仰以外の人間の行為・協同は関係ないのよ。
「信仰」の意味が理解できているのか?
166 :
もも :2012/03/16(金) 01:06:01.02 ID:vGLP9ZVW
ちょっと電話来たのでそのまま落ちノシ おやすみんと。
167 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 01:10:25.84 ID:HH8XtKoq
>>165 いいえ、屁理屈ではなく説明されているではありませんか!
あなたは信仰義認説と同じで、先に言葉の○○説というモノが存在し、
それを絶対のように勘違いし、反対方向から解釈していくのです。
ネヨさん、その反対方向を依存といい、もうはまり込んでいる時洗脳状態だと言うのですよ。
>>165 じいさんさ、ももさんや俺がずっと繰り返してるロジックっていうのは
簡単にいえば「信仰」⇒「善行」は真だが、その逆は真ではない、ってことに集約されるの。
もちろんそれを具体的に語るときの語り方や説明の仕方は異なってくるけど
本筋、核の部分では同じなの。で、これは別にももさんや俺だけじゃなくて
ももさんが掲載したブログでもその他の説明でもほぼ似たり寄ったりの説明なの。
じいさんだけが理解できてないの。
> 信仰義認には、信仰以外の人間の行為・協同は関係ないのよ。
そうだよ?だからずーーーっとそう言ってるじゃん、みんな。
それからさ、ID:HH8XtKoqさんの
>>167 の
> あなたは信仰義認説と同じで、先に言葉の○○説というモノが存在し、
> それを絶対のように勘違いし、反対方向から解釈していくのです。
↑この意味をよ〜く噛みしめたほうがいいよ。まさに今じいさんが延々と繰り返してることがこれだから。
>>166 おやすみなさい。
169 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 01:24:53.96 ID:W/SdszMT
>>168 中学生にでも理解できるように、超分かりやすく解説しているのにまだ理解できないのかい?
>>169 じいさんのそのセリフはもう飽きたよw
じ い さ ん ひ と り だ け が理解できないときのじいさんの決め台詞だからねw
171 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 01:31:32.56 ID:W/SdszMT
>>168 いい加減なものが多いウィキペディアにも、ここではしっかり説明されているじゃないいか。
ルーテル教会 [編集]ルターは、アウグスティヌスの恩恵論を信仰義認によって表現される、
「教会が立つか、倒れるかの条項」(articulus stantis et cadentis ecclesiae)とみなした。[2]
信仰のみによる義認は、ルター神学の中軸をなす教理である。ルターは16世紀初頭当時の
カトリック教会の腐敗を、行為義認(善行によって神は人を義とする)説に由来するものと考え、
これに対して、人は善行ではなく信仰によってのみ義とされるとパウロ書簡によって説いた。
ルターの贖宥状批判はこの説に基づいている。
これが理解できていれば、自分たちの主張がいかに屁理屈か分かるだろう。
173 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 01:40:12.70 ID:reQJ9x8D
すべては神様の体で出来ている。 仏も神様の体で出来ている 悪魔も神様の体で出来ている。 悪魔は神様の中で悪魔の行いをしたものが悪魔なのである。 すべては元々は神様だけ。 すべてのものが神様なのである。
174 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 01:42:16.49 ID:W/SdszMT
>>168 >簡単にいえば「信仰」⇒「善行」は真だが、その逆は真ではない、ってことに集約されるの。
そんなものは、「信仰義認」には何の関係もないと言うことが理解できないのか。
第一、おまえさんたちの言っている「義認は信仰によってのみ得られるが、
善行は信仰のしるしだと確認している。」というのは、「義認の教理についての共同宣言」で、
カトリック教会側がルーテル世界連盟の「信仰義認説」に譲歩した形で、盛り込んだ条項にすきない。
176 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 01:45:45.10 ID:W/SdszMT
>>172 >善行はその裏に信仰の裏付けがある場合とない場合がある。
>よって善行によってはなんら義とされる保証はない。
こんなこと書くから、信仰義認が全然理解できてないと言われているのよ。
そんなこととはまったく関係ないのよ。信仰のみな。
177 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 01:46:49.84 ID:W/SdszMT
>>176 いやだからその「信仰のみ」を前スレからももさんや俺が延々と説明してるんだが?
>>177 あれ?今度は降参の決め台詞?w
179 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 01:53:17.26 ID:W/SdszMT
>>178 まだ理解できないのか?
そうとう重症だぞ。
>>179 前から言ってるけど煽るだけならもっと捻ってくれない?
眠いんだからいつものタラコ脳ワンパターン煽りじゃ、チャンネル変えちゃうよ?
181 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 02:03:22.45 ID:W/SdszMT
>>180 煽りだ?
こちらは手を変え品を変え、「信仰義認説」とは如何なるものかもう十二分に
説明してきた。そして、おまえさんが方がこの説が理解できていないことも説明してきた。
それでも、自分たちの言うことが正しく、こちらが間違った理解をしていると言い張るのなら
もう一度、確認しておきたい。
じゃね、おまえさんの言う「信仰義認説」とはどのようなものなのか、
よく理解できるように、確認のためここに書いてみてくれ。
>>181 また書くの?w とりあえずじいさんが混乱しないように主要なところをまとめてコピペしておいてあげるよ。
信仰のみ(Sola Fide)が強調されるのは
信仰の伴わない形だけの善行が横行することに対する批判。
少なくとも信仰義認では、信仰は善行を伴うが、善行が信仰を伴うとは限らない。
論理式にして言えば「信仰」⇒「善行」は真だが、その逆は真ではない、ってこと。
よって形だけの善行に対する批判として「信仰のみ」が強調されるってこと。
善行はその裏に信仰の裏付けがある場合とない場合がある。
よって善行によってはなんら義とされる保証はない。
むしろ信仰の裏付けのない善行が蔓延った時代へのアンチテーゼとしてルターは信仰義認を提起したわけだろ?
だから信仰の裏付けのない善行に対する批判として、また人間はどんなに頑張ったって善行を貫徹することができない
という深い認識に立って、善行による義認を否定したんだろ?
それに対してルターの言う(そしてパウロの言う)信仰とはキリストを受け入れ自らのうちにキリストを形作ることによって
自然と善行も付随するようになるというもの。善行はたとえ為したとしても信仰の結果であって、
それ自体が義認に関与するわけではない、ってことだ。
183 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 02:20:13.22 ID:W/SdszMT
>>182 あのね、こちらの言っているのは、「信仰義認説」の簡略な説明と、
その根拠となるものを確認したいから書いてほしいと言っているのよ。
こちらの言ったことの対する反論を書いてくれとは言ってないよ?
ほんとにおまえさんは、「信仰義認説」が理解できてからレスしているのか、
それともこれまでのサロメなどの尻馬に乗ってもの言いてるだけなのか?
>>183 だから簡略な説明だが?
根拠が欲しいならももさんが貼ったコピペでも読み返したら?
> ももさんが貼ったコピペ これ、例のブログの記事のことね。
186 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 02:24:15.29 ID:W/SdszMT
>>184 だからそんな執行義認説などないと言ってるのだが。
187 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 02:25:01.92 ID:W/SdszMT
あっれ だからそんな信仰義認説などないと言ってるのだが
188 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 02:32:41.96 ID:W/SdszMT
>>185 >これ、例のブログの記事のことね。
そのブログの人は、信仰義認が全然理解できていないと書いたはずだが。
結局ね、自分じゃなにも理解できてないくせに、他人の尻馬に乗って書いてるだけなんだろう?
>>187 ない、って言われたってあるんだからしょうがないじゃんw
>>188 別に?自分で考えていたことを他の人やそのブログ記事で読んで
あー同じこと言ってるんだなあと確認できただけだけど?
別に俺の言ってることが理解できないなら、そりゃじいさんの限界だからしょうがないけど。
他の人は理解してくれてるしね。
俺の書き込みじゃ納得できないならもう一度ブログを読み返せば?
普通に考えてみ?
頭にタラコの詰まったネヨじいさんと、きちんと書名を挙げて根拠まで詳しく説明してあるブログ記事じゃ
どちらが信用に価するか。
んじゃあ俺は寝るけど、じいさんはちゃんと
>>152 に答えておくように。逃げてばかりいないで。
191 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 02:52:47.30 ID:W/SdszMT
>>189 例のブログの記事の内容とはこれのことだろう。
信仰義認説とは「神を本当に信仰している人は、魂がアガペー(神の愛)で満たされるため、
善行を行うことが自分にとって喜びになり、自然に善行を行ってしまう」という考え方である。
これを「キリスト者の自由」といいます。これらのことはルターの主著『キリスト者の自由』で
言及されていることなのです。
(岩波文庫の石原謙/訳の『新訳 キリスト者の自由・聖書への序言』に収録の『キリスト者の自由について』第二十七節のP44〜45など参照。)
これはルーテル教会の言っている、「信仰義認説」でもなんでもないよ。
信仰義認説がそのようなものなら、カトリック教会とルーテル世界連盟の
「義認の教理についての共同宣言」の調印は意味をなさなくなる。
ルターは、信者は神の恵みの働きへの信頼のみによって義とされ(救われ)、
その後精神や道徳を向上させる必要があるが、それは2次的なものであり、
義認・救いには何の貢献もしない、と主張した。今回のカトリック教会と
ルーテル世界連盟の共同宣言では、共同宣言では、義認は信仰によってのみ得られるが、
善行は信仰のしるしだと確認している。
192 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 02:55:18.80 ID:W/SdszMT
>>189 おまえ自分じゃ何にも理解できてないじゃん
人の尻馬に乗ってもの言ってるだけ。
頑固だな
/⌒\ /\ /'⌒'ヽ \ /\ | (●.●) )/ |: | >冊/ ./ |: / /⌒ ミミ \ 〆 / / |::|λ| | |√7ミ |::| ト、 | |:/ V_ハ | /| i | ∧|∧ и .i N /⌒ ヽ) ←ネヨじいさん λヘ、| i .NV | | | V\W ( 、 ∪ || | ∪∪
194は冗句w
>>191 タラコってつらいよねー。
宗教改革は16世紀当時の教会の現状に対する批判として生まれたものだろ?
贖宥状等、信仰と行為が極端に分裂していた(とルターの目には映った)状況の中で
練り上げられたのが信仰義認説だろ?ルター自身の個人的な経験は置いておくとして。
その後カトリック教会の側の対抗宗教改革やらエキュメニカル運動やら第二ヴァチカンやらで
時代状況も大きく変わっただろ?だからこそ歩み寄りが可能になって共同宣言にまで漕ぎ着けたんだろ?
内容見てもわかるように義認の教理について
『キリスト者の自由』と共同宣言で何が本質的に変わってるんだよw
ルター(派)の義認の主張は基本においては一貫してて、義認は信仰のみ。
信仰は魂がアガペーで満たされること(俺が言った言い方だとキリストを受け入れ自らのうちにキリストを形作ること)。
義認・救いはこのことをもってして原理的に完了だが、その信仰の結果(しるし)として善行が伴う(自然と善行を行うようになる)。
その善行はあくまでも結果(しるし)だから義認・救いの条件ではない。つまりは義認・救いには何の貢献もしない。
ももさんやブログや俺やその他の人が今までずーーーっと言ってきたことそのままじゃないかw
素直になれよ、じいさんw
それからいい加減
>>152 にも答えろよ。いつもいつもいつも都合の悪いレスはガン無視しやがって。
197 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 08:38:24.05 ID:W/SdszMT
>>196 >信仰は魂がアガペーで満たされること(俺が言った言い方だとキリストを受け入れ自らのうちにキリストを形作ること)。
おバカなこと言わないのよ。
そんなものは信仰とは言わないし、信仰義認説ではない。
今日も朝寝ですか?
199 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 09:20:12.31 ID:W/SdszMT
>>197 「信仰義認(信仰のみ)」というのは、人に信仰が与えられ、その信仰が本人に認定され次第、
自動的に、悔い改め・罪の赦し・刷新・再生・聖化・救いがあるものと信じられている。
それには人間よりのものが混同されたり、結合したりしないことが条件なのだ。
信仰が与えられると、ベルトコンベァ式に救いまで達するということなのだな。
おそらく、信仰心でさえ、つまり意志でさえ人の自力を否定しているのかもしれない。
そんならくちんな信仰教義なのだ。
主イエスは、十字架を取って、わたしに従わない者はわたしにふさわしくないと言われている。
十字架を取るとは、試練を意味し、主イエスの全能性を信じ、主の戒めを守ることを意味して
いる。
そんな安っぽい「信仰のみ」の「義認」「救い」は、イエス・キリストの教えでもなんでもない。
200 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 09:25:35.41 ID:W/SdszMT
健全な理性と宗教があれば、今さら自由意思について、書く必要もないと思いますが、 キリスト教会が、その教義上の著書の中で、自由意志についてどう言っているか。 かれらは次のように自問自答します。 「霊的なことで、人に自由選択が可能なのは、だれもが知っている。牧師が説教するのは他でも ない。神を信じなさい。悔い改めなさい。(みことば)の命令にしたがって生活しなさい。 肉の欲に抵抗しなさい。新しく造られた者になりなさいなど、みんな自由選択の能力がある からだ」と。同じようなことがたくさんあります。 救われるかどうかで人に自由意志がないと言ったら、ナンセンスです。自由を否定することは、 社会通念にも反するから、机上の空論です。ところが、現代の教会はその反対のことを言っています。 自由意志は礼拝堂の外に投げすてています。これは「和協信条」という名で、福音主義の人たちが信奉して いる書物からはっきりします。
201 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 09:27:36.19 ID:W/SdszMT
これは1756年、ライプチヒで出版された「和協信条」というものからの抜粋です。 「アウグスブルグ信仰告白を作成した学識者たちは、次のように主張します。人間は、人祖の堕落 以来、徹底的に腐敗し、改心とか救いに関する霊的なことがらで、本来盲目です。 説教で神の(みことば)が語られても、分かりませんし、理解もできません。それを無意味だと 判断し、自分の力で神に近づくこともありません。人は神に敵対したままの状態です。 ただし説教で耳にした(みことば)を通し、聖霊のおん力と、ただ恵みだけで、人の協力が全然 ないまま、改心し、信仰が与えられ、再生し、新しくされます」(656ページ)
202 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 09:34:07.70 ID:W/SdszMT
「わたしたちは、次のように信じています。再生していない人は、理性・心・意志ともに、〔霊的なこと・神にかんすること〕で、 自然本来の力では、ぜんぜん何も分からないし、信じられません。信奉することも、思いめぐらすことも、欲することも、完成することも、 行為することも、働きかけることも、協力することもできません。 人間は、善にたいして完全に腐敗し、死んでいます。堕落のあと、再生のまえの本性の中には、霊的な残り火もありません。 人は神の恵みにたいしみずから備え、神からの示しを把握し、それに適応し、自分で対うする霊的力もありません。 自分の力にたよりつつ、ことがらの全部にしても、半分にしても、最小部分にしても、自分の改心に向けて、努め、行い、働きかけ、 協力することはできないし、自分から踏み出してみることもできません。 人間は罪の奴隷、サタンのとりこで、サタンに動かされています。 したがって、人間の自然本性がもつ自由意志は、その能力が腐敗し堕落しているため、神のお望みに反することや、神に反抗することに たいしては、活発で効果的に発揮します。」(656ページ)
203 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 09:46:36.75 ID:W/SdszMT
205 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 10:07:30.38 ID:W/SdszMT
>>204 それはおまえさんの妄想だろう。
根拠のない妄想を起こしているおまえさんこそ、一度心療内科で診察を受けたらいい。
206 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 10:13:16.42 ID:W/SdszMT
現代の教会の信仰は、一口で言うと、信仰義認です。そしてそれは、責任転移信仰(オカゲサマ)です。 すなわち、現在の教会では、信仰というと、責任転移(オカゲサマ)のことになっていて、同じこと なのです。 全キリスト教会に伝えられた教えがありますが、それは、父なる神はその御子キリストの十字架 上でなされた贖いの功績を転移させることによって、義をほどこし、人が救われるということ、 またその責任転移は、神がお望みの時と所で、しかも神の思し召し次第で行われるということ、 そして、キリストの功徳にあづかる者は、神の子の中に、養子として加えられるということです。 現代キリスト教会では、キリストの功績の移転があると教えますが、その移転は、信仰が与え られるとき起こります。この責任転移(オカゲサマ)は聖書に反します。 今のキリスト教の教えは、人間が切り株・石ころのようになっていて、そこにキリストの功績が あるとし、そのような信仰は、ほどこされるものと考えています。 しかも人は、霊的なことでは、全面的に無力です。 今の教会では、信仰にたいして、仁愛は付録のようなもので、救いのため必要でなく、キリスト教 とはそんなものだと教えます。 こんなもののどこが、イエス・キリストの教えなんでしょうか? これはまるで、パウロ教かルター教です。 こんな救いにならない教義を真顔で信じているから、「信仰のみ」は、黙示録に記されている 「獣」「竜」「バビロン」の腐敗した信仰だと言われているのです。
父なる神と主イエスキリストから恵みと平安と祝福とが、 主イエスキリストを信じる全ての人々にありますように。 では、みことばを続けます。
わたしはロリコンを信じます
さて、異邦人たちも神の御言葉を受けいれたということが、使徒たちやユダヤにいる兄弟たちに聞えてきた。 そこでペテロがエルサレムに上ったとき、割礼を重んじる者たちが彼をとがめて言った、 「あなたは、割礼のない人たちのところに行って、食事を共にしたということだが」。
210 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 10:24:06.15 ID:W/SdszMT
聖書(みことば)には、主イエスがおられます。 主は(みことば)そのもののお方だからです。 良い子のみなさんは、主の(みことば)だけを信じ守りましょう。 真の救いのために アーメン
そこでペテロは口を開いて、順序正しく説明して言った、 「わたしがヨッパの町で祈っていると、夢心地になって幻を見ました。 大きな布のような入れ物が、四すみをつるされて、天から降りてきて、わたしのところにとどいたのです。 注意して見つめていると、地上の四つ足、野の獣、這うもの、空の鳥などが、はいっていました」。
「それから、声がして、 『ぺテロよ、立って、ほふって食べなさい。』と、 わたしに言われるのが聞こえました。」
「わたしは言いました、『主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないものや汚れたものを 口に入れたことが一度もございません』。 すると、二度目に天から声がかかってきて、『神が清めたものを、清くないなどと言ってはならない』。 こんなことが三度もあってから、全部のものがまた天に引き上げられました」。
「ちょうどその時に、カイザリヤからつかわされた三人の人が、 わたしたちの泊まっていた家に着いたのです」。
215 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 10:35:37.80 ID:W/SdszMT
朝のお経の時間をジャしたらいけませんね でわでわ^^
「御霊がわたしに、ためらわずに彼らと共に行きなさいと言われたので、 ここにいる六人の兄弟たちも、わたしと一緒に出かけて行き、一同がその人の家にはいりました。 すると彼はわたしたちに、御使いが彼の家に現れ、『ヨッパに人をやって、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。
「この人は、あなたとあなたの全家族が救われる御言葉を語ってくださるでしょう』 と告げた次第を話してくれました。 そこで、わたしが語り出したところ、聖霊がちょうど、 最初わたしたちの上にくだられたのと同じように 彼らの上にもくだられたのです。
「その時わたしは、主が『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によって バプテスマを受けるであろう』と仰せになった御言葉を思い出しました。 このように、わたしたちが主イエス・キリストを信じた時に下さったのと同じ賜物を、 神が彼らにもお与えになったとすれば、わたしのような者が、どうして神を妨げることができましょうか」
人々はこれを聞いて黙ってしまった。 それから神を賛美し、 「それでは神は、異邦人にも命にいたるため 心を入れかえてくださったのだ」と言った。
さて、ステパノのことで起った迫害のため散らされた人々は、ピニケ、クプロ、アンテオケまで進んで行ったが、 ユダヤ人以外の者には、だれにも御言葉を語っていなかった。 ところが、その中に数人のクプロ人とクレネ人がいて、アンテオケに行ってからギリシヤ人にも呼びかけ、 主イエスを宣べ伝えていた。
そして、主のみ手が彼らと共にあったので、 信じて主に帰依する者の数が多くなった。
このうわさがエルサレムにある教会に伝わってきたので、教会はバルナバをアンテオケにつかわした。 彼は、そこに着いて、神の恵みを見て喜び、主に対する信仰を揺るがない心で持ちつづけるようにと、 みんなの者を励ました。彼は聖霊と信仰とに満ちた立派な人であったからである。
こうして主に加わる人々が、大ぜいになった。そこでバルナバはサウロを捜しにタルソへ出かけて行き、 彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、 大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。
そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケに下ってきた。
その中のひとりであるアガボという人が立って、世界中に大飢饉が起るだろうと、 御霊によって預言したところ、果してそれがクラウデオ帝の時に起った。 そこで弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに援助を送ることに決めた。
そして、それをバルナバとサウロの手に託し、 長老たちに送り届けた。
そのころ、ヘロデ王は教会のある者たちに圧迫の手をのばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で切り殺した。 そして、それがユダヤ人たちの意にかなったのを見て、さらにペテロをも捕えにかかった。 それは除酵祭の時のことであった。ヘロデはペテロを捕えて獄に投じ、四人一組の兵卒四組に引き渡して、 見張りをさせておいた。
過越祭の後で彼を民衆の前に引き出すつもりだったからである。 こうして、ぺテロは獄に入れられていた。 教会では彼のために熱心に祈りが捧げられていた。
ヘロデが彼を引き出そうとしていたその夜、ペテロは二重の鎖につながれ、ふたりの兵卒の間に置かれて眠っていた。 番兵たちは戸口で獄を見張っていた。 すると、突然、主の使いがそばに立ち、 光が獄内を照した。そして御使いはペテロのわき腹をつついて起し、「早く起きあがりなさい」と言った。 すると鎖が彼の両手から、はずれ落ちた。
御使いが「帯をしめ靴を履きなさい」と言ったので、 彼はそのとおりにした。
それから「上着を着て、ついてきなさい」と言われたので、ペテロはついて出て行った。 彼には御使いのしわざが現実のこととは考えられず、ただ幻を見ているように思われた。 彼らは第一、第二の衛所を通りすぎて、町に抜ける鉄門のところに来ると、それがひとりでに開いたので、 そこを出て一つの通路に進んだとたんに、御使いは彼を離れ去った。
その時ペテロはわれにかえり言った、「今はじめて、ほんとうのことがわかった。主が御使いをつかわして、 ヘロデの手から、またユダヤ人たちの待ちぶせていたあらゆる災から、わたしを救い出して下さったのだ」。 ペテロはこうとわかってから、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家に行った。 その家には大ぜいの人が集まって祈っていた。
彼が門の戸をたたいたところ、ロダという女中が取次ぎに出てきたが、ペテロの声だとわかると、 喜びのあまり、門をあけもしないで家に駆け込み、ペテロが門口に立っていると報告した。 人々は「あなたは気が狂っています」と言ったが、彼女は自分の言うことに間違いはないと、言い張った。 そこで彼らは「それでは、ペテロの御使いだろう」と言った。
しかし、ぺテロが門を叩き続けるので、 彼らが開けるとそこにぺテロがいたのを見て、驚いた。
235 :
204 :2012/03/16(金) 11:53:16.29 ID:Cql/0UaX
>>205 俺はこころの病ではない診断をもらってる。
スエさんは発達障害者かどうか診断してもらってないでしょ?
自分に障害がないと思いたい気持ちはわかるけどとりあえず専門の医者に診断してもらいなよ。
ペテロは手を振って彼らを静め、主が獄から彼を連れ出して下さった次第を説明し、 「このことを、ヤコブやほかの兄弟たちに伝えて下さい」と言い残して、どこかほかの所へ出て行った。 夜が明けると、兵卒たちの間に、ペテロはいったいどうなったのだろうと、大騒ぎが起った。
ヘロデはぺテロを捜したが見つからないので、番兵たちを取り調べ、彼らを死刑に処すように命令した。 そして、ユダヤからカイザリヤに下って行き、そこに滞在した。 さて、ツロとシドンの人々は、ヘロデの怒りに触れたので、一同そろって王を訪問し、 王の侍従官ブラストにとりいって和解を依頼した。王の国から食糧を得ていたからである。
定められた日に、ヘロデは王服をまとって王座にすわり、彼らにむかって演説をした。 集まった人々は、「これは神の声だ、人間の声ではない」と叫びつづけた。 するとたちまち、主の使が彼を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。 彼は虫にかまれて息が絶えてしまった。 こうして、主の御言葉はますます盛んにひろまって行った。
バルナバとサウロは、その任務を果たした後、 マルコと呼ばれていたヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。
では休憩します。またあとで
241 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 12:23:09.21 ID:HH8XtKoq
私は
>>152 です。
>>206 ID:W/SdszMT
>現代の教会の信仰は、一口で言うと、信仰義認です。そしてそれは、責任転移信仰(オカゲサマ)です。
>すなわち、現在の教会では、信仰というと、責任転移(オカゲサマ)のことになっていて、同じこと
>なのです。
そうですか、う〜んでは、少し違う角度から話します。
私は所謂ところの教会で洗礼を受けたクリスチャンではありませんから、ネヨさんのその辺りのあせりを感じるような訴えが分からないのかもしれませんね。
でも、クリスチャンの方々も日本人(日本語を話す)でしょ。
私は日本人であるなら、そうもう一歩思慮深く、明朗であれば統合できるのではないかと思っているのです。
242 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 12:24:12.77 ID:HH8XtKoq
私は、たまに誰もいない(毎日一般人にも解放されている)教会へ行きます。誰もいない一人なのですが、清らかなものを感じ、清々しい流れを頂くことができます。
教会があってよかったな、ありがたいなと思います。
禅寺のお庭を観ても、すごいな〜素敵だな〜と、こうしてひそやかな伝統の連綿とした精神が形に成って残っている事に
たいへん喜びと有難さを感じます。
頭と心を少し整理致しませんか。
>>164 さんで仰っている「おかげ」とはどういう事だかわかりますか。
日本語で「いただきます」といいますね。英語は、その言葉がないのです。異文化に直接触れると驚くことがよくあります。
敢えて言うならば、「Let's eat」なのです。全然違いますよね。
その代わりに、聖書がありますよ。
形式だけを踏めばよいと言うのではなく、優れた家庭では、「いただきます」と日本人が端的に一言で現わす代わりに、聖句を読んでイエスキリスト、確かにそうです
「アーメン」と愛の恵みにいるその瞬間を、祝福してパパやママの柔らかな光で包まれる食卓を囲むのです。
おかげというのは、消極性ではなく互いの思いやる積極性や自然の命=積極性からもたらされた
恵みの光を喜ぶ感性のことです。
ですから、おかげに責任転移があるのではなく、おかげがわからない、すでに感性が摩耗しているので
逆におかげ信仰(単なる取引)とでもいわれるような、同じ言葉でも意味が正反対である事が持ちこまれているのではないのですか。
ネヨさんは、正反対のそちらの話しをしているのですね。
243 :
イスラム教徒 :2012/03/16(金) 13:21:25.81 ID:wndEHhaU
244 :
イスラム教徒 :2012/03/16(金) 13:22:29.40 ID:wndEHhaU
日本の法律は人間が考案し制定した法で不完全。
245 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 13:37:28.14 ID:W/SdszMT
>頭と心を少し整理致しませんか。
>>164 さんで仰っている「おかげ」とはどういう事だかわかりますか。
>ですから、おかげに責任転移があるのではなく、おかげがわからない、すでに感性が摩耗しているので
あのね、あなたは、ここでいっている(おかげさま)という意味が、まったく理解できてないのです。
おかげさま信仰の(おかげさま)は、キリストの功績の責任転移のことを言っているのですよ。
これは、現代キリスト教会の基本的信仰である、三位一体の神信仰からつくられました。
そのストーリはとはこうです。
すなわち、父なる神はアダムの犯した罪のために怒り、罪の宣告をし、その慈しみを閉じられ、
人間はみな呪われたものとして断罪されたわけですが、ご自分の御子がその刑罰を身に受ける
ことを父なる神は望まれました。御子はそれを承諾され、そのためこの世に下り、人間性を身に
つけ、十字架につけられ、人類の刑罰をご自分の身に移されました。
このようにして、御子は仲介ととりなしによって、おん父をなだめられました。
おん父は御子への愛のためと、十字架につけられた御子を見て、あわれみに心を動かされ、
人間を許そうと決められました。ただしそれも、おん父が御子の義を転嫁できる人にかぎります。
かれらは、怒りと呪いの子から、恵みと祝福の子になり、おん父はかれらを義とされ、救われる
のです。その他の者は、以前から定められているように、罪ある人としてとどまります。
現在の教会では、贖い主であるキリストの功績を、恵みによって信仰を得た人につけ加えようとします。
かれらの教義を見れば分かりますが、この考えが中心になっています。こらは、ローマ・カトリック教会でも、
プロテスタント諸教会でも、その教会の各位聖職者たちも平信徒も、こぞって言っていることです。
246 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 13:41:26.41 ID:W/SdszMT
>>244 それじゃ、日本は住みにくいでしょう。
イスラム教の国に移住でもしたらいいのにね。
>>246 だから、新たなるメシアの来臨が必要なわけ。
248 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 13:47:03.34 ID:W/SdszMT
249 :
イスラム教徒 :2012/03/16(金) 13:47:43.81 ID:wndEHhaU
さんくす
250 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 14:07:59.71 ID:W/SdszMT
「群衆の中にはイエスを信じる者が大勢いて、『メシアが来られても、この人よりも多くのしるしをなさるだろうか』と言った。」マルコ7 ここでのユダヤ国民はもっぱら奇跡のために「メシア」を信じたため、ここに意味されているものは明らかに奇跡的な信仰を求めているのであって、 イエスの教えるような、救う信仰ではないと言われています。 なぜかといえば、かれらは外なる人間であり、外なる人間は、強制的に心を打つ奇跡のように、単に外なる事柄によってのみ神礼拝へ心を動かされるからであり、 この奇跡的な信仰は、その間に新しい教会が設立されることになっている者たちのもとでは、最初の信仰であったのであり、こうした信仰はまた現在のキイスト教世界に おけるすべての者においても最初のものであり、このことが主キリストにより行われた奇跡の意義であり、今も説かれている理由となっているのだと、スェデンボルグは 言っております。
>>250 >>204 リンク先の問い合わせ時間は17時位までだろうからそれまでに連絡しなよ。
相談日を決めるだけだと思うから電話すぐ終わるよ。
252 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 14:50:29.83 ID:W/SdszMT
253 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 15:06:47.70 ID:HH8XtKoq
>>245 こぞっていっているのですか。
私は先にも言いましたが、所謂ところのクリスチャンではありませんが、
私の学歴の中にキリストを基本精神とする学校にいた事があります。
両親は無宗教ですが、その学校の先生方が優れているのいうので、両親がすすめて下さったのです。
日本では大変古く、由緒ある学校でそのチャペルは文化遺産に登録されるほどの伝統があります。
子供の私は聖書を読みませんでしたし、聖書の時間はありましたが、聖句を読むのではなく
一か所に集中して、愛や命についての社会問題を取り上げ、生徒たちはグループに分かれ話しあい、
レポートを提出すると言うものでした。
私が自分で聖書を開け出会ったたのは別の色々な経過があるのですが、成人してからです。
そして、なぜ先生が聖書を読まずに、あのような授業をなさっていたのかも、今はとても理解できます。
あなたは、こぞってといいますが、それは印象ではなく具体の体験なのでしょうか。
私はネットで多少クリスチャンにも出会いましたが、非常に省みる力や洞察する力を持っておられ
なるほどキリスト精神というのは、これほど霊的に豊かなのだと感心致しました。
しかし、たまたまクリスチャンで大変残念ながら精神病を患っている方もおられ、一見してなら知識や美意識に劣ると言う事は分からないのですが、
その方は恐ろしいまでに分裂しており、自我が極端に砕け逸脱していました。
たまたま、と言いますのは、クリスチャンの前に、まあどんな宗教に関わっていたとしても、
その前に、その人の人格があり、宗教云々ではなくその人格の問題であると理解していると言う意味です。
あなたの、具体のキリスト経歴を話して下さい。
そこにこぞってがあったのでしょうか。
254 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 15:31:33.56 ID:W/SdszMT
>>253 クリスチャンには、あなたのように感覚や経験で、信仰を語る人がいかに多いかと言うことです。
まず、キリスト教(伝統教会のことではなく)、すなわち主イエスの教えには何ゆえ、永遠の生命に導く
信仰原理があるのか、その論拠をしっかり学んでおくことです。
では、みことばを続けます。
さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、 およびサウロなどの預言者や教師がいた。 一同が主に礼拝を捧げ、断食をしていると、 聖霊が「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と告げられた。
そこで、一同は断食と祈りをして、手をふたりの上においた後、出発させた。
258 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 15:48:05.34 ID:HH8XtKoq
>>254 いいえ、私の問いに答えてからですよ。
あなたは、どのような具体、そうです感覚、経験と言葉を今、入れ替えるとまた横に逸れていきますから、
そのような逃避、言葉のトリックは置いておきましょう。
あなたの具体 それを聞いています。信仰原理も含めてあなたの具体です。
ふたりは聖霊に送り出されて、セルキヤにくだり、そこから舟でクプロに渡った。 そしてサラミスに着くと、 ユダヤ人の諸会堂で神の御言葉を宣べはじめた。彼らはヨハネを助け手として連れていた。 島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、そこでユダヤ人の魔術師、バルイエスとい偽預言者に出会った。
彼は地方総督セルギオ・パウロのところに出入りをしていた。 この総督は賢明な人でバルナバとサウロを招いて神の御言葉を聞こうとした。
ところが、魔術師エルマ(彼の名は「魔術師」という意味)は、 総督を信仰からそらそうとして、しきりにふたりの邪魔をした。
サウロ、またの名はパウロ、は聖霊に満たされ、彼をにらみつけて言った、 「ああ、あらゆる偽りと邪悪とでかたまっている悪魔の子よ、すべて正しいものの敵よ。主のまっすぐな道を 曲げることを止めないのか。 見よ、主の御手がおまえの上に及んでいる。おまえは盲になって、 当分、日の光が見えなくなる」。
するとたちまち、かすみと闇が彼にかかったため、彼は手さぐりしながら、手を引いてくれる人を捜しまわった。 総督はこの出来事を見て、主の教えにすっかり驚いた。そして信じることにした。
パウロとその一行は、パポスから船出し、パンフリヤのペルガに渡った。 ここで、ヨハネは一行から身を引いて、エルサレムに帰った。
しかしふたりは、ペルガからさらに進み、ピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。 律法と預言書の朗読があったのち、会堂司たちが彼らのところに人をつかわして、 「兄弟たちよ、もしあなたがたのうち、どなたか、この人々に何か奨励の御言葉がありましたら、どうぞお話し下さい」と言わせた。
そこで、パウロが立ち上がり、手を振りながら言った。
「イスラエルの人たち、ならびに神を敬うかたがたよ、お聞きください。 この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び、 エジプトの地に滞在中、この民を大いなるものとされ、 御腕を高くさし上げて彼らをその地から導き出されました。」
「そして約四十年にわたり、荒野で彼らをはぐくみ、カナンの地では七つの異民族を打ち滅ぼし、その地を彼らに譲り与えられました。 それらのことが約四百五十年の年月にわたったのです。その後、神は裁き人たちをおつかわしになり、預言者サムエルの時に及びました。」
「その時、人々が王を要求したので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間、彼らにおつかわしになりました。 それから神はサウロを退け、ダビデを立てて王とされましたが、彼についてあかしをして、『わたしはエッサイの子ダビデを見つけた。 彼はわたしの心にかなった人で、わたしの思うところを、ことごとく実行してくれるであろう』と言われたのです」。
「神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救い主イエスをイスラエルに送られましたが、 その来臨の前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に心を入れかえさせるためのバプテスマを、 あらかじめ宣べ伝えていました。」
ヨハネは一生の行程を終えようとするにあたって言いました。
「『わたしは、あなたがたが考えているような者ではない。しかし、わたしのあとから来るかたがおられる。 わたしはそのくつを脱がせてあげる値うちもありません』。 兄弟たち、アブラハムの子孫のかたがた、ならびに皆さんの中の神を敬う人たちよ。 この救いの御言葉はわたしたちに送られたのです」。
エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めず死刑に処し、 それによって安息日ごとに読む預言者の御言葉が成就しました。
「また、なんら死に当る理由が見いだせなかったのに、ピラトに強要してイエスを殺してしまいました。 そして、イエスについて書いてあることを、皆なし遂げてから、人々はイエスを木から取りおろして墓に葬りました。 しかし、神はイエスを死人の中から、よみがえらせてくださったのです。」
イエスは、ガリラヤからエルサレムへ一緒に上った人たちに、 幾日もの間、現れてくださり、そして、彼らは今や人々に対して証人となっています。
>>275 訂正
誤>彼らは今や人々に対して証人となっています。
正>彼らは今や人々に対してイエスの証人となっています。
「わたしたちは、神が先祖たちに対してなされた約束を、ここに宣べ伝えているのです。 神は、イエスをよみがえらせて、わたしたち子孫にこの約束を、お果しになりました。それは詩篇の第二篇にも、 『あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ』と書いてあるとおりです」。
また、神がイエスを死人の中からよみがえらせ、 いつまでも朽ち果てることのないものとされたことについては、 『わたしは、ダビデに約束した確かな聖なる祝福を、あなたがたに授けよう』 と言われたのです。
「だから、ほかの箇所でもこう言っておられます、『あなたの聖者が朽ち果てるようなことは、お許しにならないであろう』。 事実、ダビデは、その時代の人々に神のみ旨にしたがって仕えましたが、やがて眠りにつき、先祖たちの中に加えられて、 ついに朽ち果ててしまいました。 しかし、神がよみがえらせたかたは、朽ち果てることがなかったのです」。
>>252 俺はもう診断して貰ったって。
連絡しなかったでしょ、スエさん。
そろそろと思い、名前欄を青にしましたよ(笑) ネヨさん、あなたは統一教会と関係する工作員ですね。 統一教会は、例えばスェデンボルグや日本人では丹波哲郎などを窓口(利用して)にして 最終的にはアンチキリスト、地獄に誘導していきます。 その利用の仕方は、本質的(=悪利用するという意味で、)な著作権侵害なのですが、この世の法律のぎりぎりの著作権侵害に相当しないように 利用します。 簡単な事です、あなたは一見正義にあるように見せかけていますが、 霊的に真っ直ぐな道理を逸脱し、じわじわと人を腐敗させているからです。 キリスト者は、明朗で生き生きしています。 あなたはキリスト者ではない、腐敗を流し込む工作員です。 ズバリでしょ(笑)
「だから、兄弟たちよ、このことを承知しておきなさい。 すなわち、このイエスによる罪のゆるしの福音が、今や、あなたがたに伝えられています。 そして、モーセの律法では義とされることのできなかった全てのことについても、 信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのです。」
283 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 17:29:19.06 ID:W/SdszMT
「だから預言者たちの書にかいてある次のようなことが、あなたがたの身に起らないように気をつけなさい。 『見よ、侮る者たちよ。驚け、そして滅び去れ。わたしは、あなたがたの時代に一つの事をする。 それは、人がどんなに説明して聞かせても、あなたがたのとうてい信じないような事である』」。
ふたりが会堂を出る時に、人々は次の安息日も、 これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願った。
286 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 17:35:37.32 ID:W/SdszMT
イエスの十字架の贖いを信じただけでどうして、人間の罪が取り除かれるのでしょうかねぇ? これ、とりようによってはものすごい妄想信仰になりますよ。
そして集会が終ってからも、大ぜいのユダヤ人や信心深い改宗者たちが、パウロとバルナバとについてきたので、 ふたりは、彼らが引きつづき神の恵みにとどまっているようにと、説きすすめた。 次の安息日には、ほとんど全市をあげて、神の御言葉を聞きに集まってきた。 するとユダヤ人たちは、 その群衆を見てねたましく思い、パウロの語ることに口汚く反対した。
パウロとバルナバとは大胆に語った、「神の御言葉は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。 しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしくない者にしてしまった。 さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行く。」
>>283 俺はスエさんに発達障害者支援センターに相談するように勧めてる。
スエさんもっと危機感持ったほうがいいよ。
ちゃんと社会と折り合い付けて生活して行きましょうよ。
290 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 17:49:03.74 ID:W/SdszMT
「主はわたしたちに、こう命じておられる。 『わたしは、あなたをたてて異邦人の光とした。 あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである』。 異邦人たちは、これを聞いて喜び、主の御言葉を褒め称えてやまなかった。 そして、永遠の命にあずかるように定められていた者は、みな信じた。」
>>283 妄想に取りつかれていると言えば、妄想に取りつかれているのではないのです。
それはただの印象操作、感情弱者を誘導する、印象操作ですよ。
これはカルトが用いる手段です。
今までなぜ、ネヨさんは・・・と思って来た人がいるはずです。
それは全てカルトのノウハウに基づいて、ネヨは、カルトマニュアルで返答しているのですよ。
時には、弱者や同意に近い事も言ってみせます。
これほど、道理が通っていなくても、上書き出来るのはカルトノウハウなのです。
こうして、主の御言葉はこの地方全体にひろまって行った。 ところが、ユダヤ人たちは、信心深い貴婦人たちや 町の有力者たちを煽動して、パウロとバルナバを迫害させ、ふたりをその地方から追い出させた。 ふたりは、彼らに向けて足のちりを払い落して、イコニオムへ行った。 弟子たちは、ますます喜びと聖霊とに満たされていた。
294 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 17:54:37.05 ID:W/SdszMT
「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させたれたと信じるなら、 あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公にして救われるのです。」ローマの信徒への手紙10.9 キリスト教って超簡単ジャン イエスの教えなんかいらないじゃん
今日はここまで、続きはまたあした。 父なる神と主イエスキリストに栄光が永遠にありますように。
ネヨ!! あなたが妄想者です。あなたが気違いで、洗脳カルトです。 諸星さんという方が、警告を発しておられて、前スレにも貼っておられる方がいましたが、 そうです、甘いですよ、やさしいみなさん。 インターネットは、現在カルトの大変重要な精神汚濁拡大に利用されています。 そのようなことは、私が言わなくても、心ある人ならピンと来るはずです。 逆にそれに対抗して対抗して、大変な努力を聖霊とともに動いている方もインターネットでもおられます。 ネヨさんは、憑依されていますよ。 みな、見分けよ!!
297 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 18:03:47.48 ID:W/SdszMT
「父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。 世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたの栄光を。」ヨハネ これはいったい、どのような意味なんでしょうか?
298 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 18:06:51.40 ID:W/SdszMT
299 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 18:09:32.34 ID:W/SdszMT
進化論スレでも万事がこんな感じだったからね^^ さすがに疲れるわ
300 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 18:15:00.11 ID:W/SdszMT
>>296 一度、病院で診察受けられた方がいいと思いますよ。
譫妄状態の兆候が見受けられます。
>>299 いや、普通の事をまず普通に、
その次に、経験と知性と理性と健康な直感力で、
それで、真っ直ぐであれば、見抜くことができるのですよ。
あなたの邪霊を。
さすがに邪霊も疲れているようですね(笑)
302 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 18:19:36.61 ID:W/SdszMT
>>301 やっぱり一度病院で診てもらわれた方がいいですはんそん
303 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 18:21:29.63 ID:fcefTx8C
キリスト教がカルトそのものだな
>>302 ネヨ、そのような事を人に言う前に、答えたらどうです。
逃げまくって、それで人に一度病院ですって!
ネヨは、精神科の入院病棟からかきこんでいるのですか。
少しよくなったら、カルト教に入れ込むを繰り返しているのですね。
305 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 18:34:28.79 ID:W/SdszMT
>>304 あなたは譫妄状態の中にある自分に、気づいていないのです。
それは、事実と全く違うことを繰り返していることから、こちらの事実と食い違っている
あたしにはよく分かるのです。
ほんと、マジで病院に行かれた方がいいですよ。今はいいお薬がありますまらね。
ああ、それとだかれか、家族の方と同伴で行かれた方がいいと思います。
いやいや、これは本当なのですよ、霊界についてみなさん知りたいと思っておられるのは 特別なことではありません。 統一教会は、その人の普通の気持ちを利用します。 スェデンボルグや丹波哲郎といった人を入り口にして とんでもないところへ、洗脳誘導していきます。 みな、信者は自覚なくまじめです。 けれど工作員レベルになると、そのようなまじめに騙された人ではありません。 精神病患者を利用するというのは、諸星さんが言う様な精神病患者を装うと言うよりも、 つまり精神病患者でなければ工作員として使えないのです。 病人といのは、体の場合も治す事に、自分の治療に集中しますね、これはエゴではありませんが、 ショックによる不安定(誰でもみまわれるような鬱も含む)ではなく 精神病疾患者の場合、自分の治療に一時的に集中するというよりも、自分に集中し自分のエゴに生き続けるのです。 これは、よく心得ていてほしい事なのです。
307 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 18:52:06.60 ID:W/SdszMT
>>306 ほほう、統一教会は、スェデンボルグを霊界の入り口に利用するのですか。
初めて知りました。
でも、パウロは第三の天にまで言った人のことを知ってるんだから、霊界事情に詳しんでしょうね。
他人事みたいに書いているけど、該当する人が思い当たらないから、あれは本人の体験なんでしょうね?
で、どうして統一教会は、パウロの霊界報告を入り口にしないんでしょうか?
>>307 >ほほう、統一教会は、スェデンボルグを霊界の入り口に利用するのですか。
>初めて知りました。
利用すると言う事をあなたがはじめて知ったとしても(笑)、あなたが知っているかどうかではなくそれは事実です。
>でも、パウロは第三の天にまで言った人のことを知ってるんだから、霊界事情に詳しんでしょうね。
>他人事みたいに書いているけど、該当する人が思い当たらないから、あれは本人の体験なんでしょうね?
聖書箇所で示して下さい。
あなたが洗脳されている教会の教えー言葉を使わないで、普通に話して下さい(笑)
>どうして統一教会は、パウロの霊界報告を入り口にしないんでしょうか?
あらあら、あなたは精神病工作員ですから、ご自分で気付かないのでしょうけれど、
この質問はもう自分は統一教会員であると言っているのです。
309 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 19:07:28.12 ID:W/SdszMT
>>308 スェデンボルグが生涯に著した著作は、約15000ページとも言われています。
あたしの感じでは、そのうち霊界報告に関係のあるものは、何千ページにもなるのではないかと思います。
第三の天にまで引きあがれらたパウロの霊界報告は、いったい何ページあるのでしょうか?
あたしの知っているのは、Uコリントの手紙に、10ページほど書いてあることしか知りません。
他にもあるのでしょうかねぇ?
310 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 19:09:21.74 ID:W/SdszMT
×あたしの知っているのは、Uコリントの手紙に、10ページほど書いてあることしか知りません。 ○あたしの知っているのは、Uコリントの手紙に、10行ほど書いてあることしか知りません。 でした(ごめんね)
311 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 19:10:57.03 ID:W/SdszMT
×スェデンボルグが生涯に著した著作は、約15000ページとも言われています。 ○スェデンボルグが生涯に著した神学著作は、約15000ページとも言われています。 たびたびごめんね
>>309 霊界報告をするのがパウロの役目ですか。
話しを逸らさないように。
福音記者によるイエスの言行は、大変貴重なものですが、ほんのわずかですよね。
そしてイエスはご自分で書かれていませんよね。
その内容は霊界報告でしたか(笑)
この統一教会精神病工作員、ネヨいいかげんにしなさい(笑)
313 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 19:18:38.89 ID:W/SdszMT
>>312 うん、自分の作文つくってキリスト教を広めるのがパウロの役目だったんでしょうね。
>>313 ネヨ、霊界報告するのがパウロの役目だったのか、
同じく、霊界報告するのがイエスの役目だったのか
と聞いたのですよ。
なぜ勝手に話しをすり替えていく、統一教会ネヨ!
315 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 19:30:14.39 ID:W/SdszMT
>>312 ふむ、主なるイエスはこう言われていますな。
「わたしの国は、この世には属していない。」
「わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話した
ところで、そうして信じるだろう。天から降ってきた者、すなわち人の子の
ほかには、天に上った者はだれもいない。」
「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには
許されていないからである。」
神なる主は、ご自分以外天に上った者はだれもいないと言われているが、
パウロは本当に第三の天に上ったのだろうか。
人の子とはイエスキリストです。 キリストは人の子以外天に上った者はいないと言われました。 これはパウロやエリヤの天に引き上げられたとは違う原語が使われてます。 すなわち、人の子は神の力であり、自分の力で天に上ったと訳されますが、 エリヤやパウロの天に引き上げられたとは自力ではなく、 強制的に奪い去られるという意味の原語が使われています。 ですから人の子以外天に上った者はいないのです。
スエーくん、君は統一の工作員との噂が今日流れたが本当にか
ID:HH8XtKoqさんの懸念もよく分かるけど、そんなに心配する必要はないと思うよ。 理由は簡単で、ID:HH8XtKoqさんもよく分かってるようにネヨじいさんは知性においても感性においても経験においても あまりにも未発達だから。だからネヨじいさんの言ってることに納得する人は今まで一人も現れていないわけ。 進化論スレではネヨじいさんのことを「精神未熟児」って呼んでる人もいたな。俺はこれが一番近いと思うけどね。 成長してない未熟な精神に霊界マニュアルを上書きインストールしたのがネヨじいさん。 だからたとえば信仰と言ったときに、じいさんは、クリスチャンが想定する全人格的なコミットメントが想像もできない。 理解がペラッペラ以前に人間がペラッペラだからね。 で、結局霊界マニュアルを使って字面の帳尻合わせする以外の解釈ができないわけ。 > なぜ勝手に話しをすり替えていく、統一教会ネヨ! このあたりの卑劣さも精神未熟児ならでは、だよ。エゴの満足が第一だからね、こういう精神未熟児は。 都合の悪い質問に答えないのも同様。やってることがすべて幼児の行動なんだよね。 だからじいさんが統一教会だろうがそうでなかろうが実質的に効果は同じ。 多少やり取りした人なら誰でも、「あ、この人おかしい」って気づくからね。それほど未熟なんだよ、じいさんは。すべてにおいて。
新約聖書テサロニケ人への手紙の空中携挙の預言の 引き上げられる箇所も「強制的に奪い去られる」という意味を持つのです。 ですから、空中携挙は自分の力で天に上るのではなく、 クリスチャンたちは黙示録の大艱難時代からキリストによって守られるために 神の力で強制的に地上から奪い去られることになります。
320 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 21:16:26.72 ID:W/SdszMT
テサロニケ4.16に記されている「携挙」などありません。 みことばの内的意味の分からないパウロの妄想です。
>>320 書いてあります。君が、にっぽんごを理解してないだけだ。
引き上げられるは携挙と同じ意味です。
スエーくんは、黄色い帽子かぶって一年生からやり直しなさい。
さぁ、どうぞ
322 :
もも :2012/03/16(金) 21:27:17.43 ID:vGLP9ZVW
>>203 ネヨさん自身が提示したルターの信仰義認説の根拠リンクにも善行について
書いてあるじゃないの
>更に、われわれは教える。善きわざをすることは必要である。
>そのことはそれによってわれらが、恩恵に値すると期待するためでなく、
>神のみこころのゆえにである。信仰によってのみ、罪の赦しと恩恵とが得られる。
323 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 21:27:39.36 ID:W/SdszMT
324 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 21:36:00.03 ID:W/SdszMT
こんなものもありました。
12、「携挙」
Q 携挙とは、何のことですか?
そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
マタイ24:40〜41
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、
まず初めによみがえり、次に生き残っている私たちが、たちまち彼らと一緒に雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。
Tテサロニケ4:16〜17
聖書には、終末に超自然的な形で、クリスチャンたちが、突如天に挙げられることが書かれています。これが「携挙」と呼ばれていることです。
反キリストが支配する患難時代や、その前にもクリスチャンに対する迫害が厳しくなると聖書にあります。多くのクリスチャンが殉教するでしょう。
しかし、神は「携挙」という実に不思議な方法でクリスチャンを迫害の世から天に救いだすとあります。
http://users.astone.co.jp/ohsakazion/kirisutokyou-n-12.html さぁ、みんさん「携挙」とは何のことだと思われますか?
どうやら、「天」や「雲」が関係しているようです。
325 :
もも :2012/03/16(金) 21:40:06.40 ID:vGLP9ZVW
都合の悪いことはスルーネヨさん笑 さんざんみんなが説明するまでもなかったし あほらすぃ。
一応念のため注意しておくと ネヨじいさんにはループ・ド・リセット・ネヨというあだ名も付いてましたなw 都合が悪くなるとリセットして別の質問を投げかける。 もちろんじいさんの頭の中には霊界マニュアルの模範解答が仕込まれてるから 質問で誠実な人を引っ掛けて誘い出し、最後は霊界マニュアルに従って相手をこき下ろし勝利宣言。 いつものパターンですw
327 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 21:48:39.69 ID:W/SdszMT
>>325 すべて説明してきたはずです。
理解できないのはこちらのセイではありません。
で、「携挙」って何のことだと思われますか? ももさん
スエちんがクリスチャンになるのを心から願っています。 君がクリスチャンになればどんなに素晴らしいことか ももさんや多くのクリスチャンもそう思っておられることでしょう。
329 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 21:52:52.58 ID:W/SdszMT
人の子が来る 「その苦難の日々の後、たちまち太陽は暗くなり、 月は聞かりを放たず、星は空から落ち、 天体は揺り動かされる。 そのとき、人の子の徴が天に現われる。そしてそのとき、地上のすべての民族は悲しみ、 人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗ってくるのを見る。 人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは天の果てから 果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。マタイ24.29-31 テサロニケに書かれていることから、携挙は、このみことばに関係がありそうですね!?
330 :
リンゴクリスチャン :2012/03/16(金) 22:01:51.25 ID:UwT4CM0j
>>323 それ、全くベストアンサーになってないから。
それに聖書を理解してない人がひとり答えてるだけですから。
331 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 22:05:02.57 ID:W/SdszMT
>>330 では、携挙とはどのような意味なんでしょうか、リンゴ先生
まさか文字通り信じているのではないでしょう?
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、
まず初めによみがえり、次に生き残っている私たちが、たちまち彼らと一緒に雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。
Tテサロニケ4:16〜17
>>331 携挙とは肉体が空中に浮き上がることでしょうか。
いいえ、全く違います。携挙とは、イエスキリストの預言どおり
クリスチャンたちの死ぬべき肉体が「栄光の体」
すなわち、決して朽ち果てることのない不死の体に変えられ
天に引き上げられることなのです。
333 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 22:16:39.30 ID:W/SdszMT
イエスの姿が変わる 「イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が 彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕もおよばぬほど 白くなった。エリヤがモーセと共に現われて、イエスと語り合っていた。ペテロが口をはさんで イエスに言った。『先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ 建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。』 ペテロは、どう言えばよいか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたからである。 すると、雲が現われて彼らを覆い、雲の中から声がした。『これはわたしの愛する子。 これに聞け。』弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが 彼らと一緒におられた。」マルコ8 ここにも「雲」が出て来ますね。 みことばにはよく「雲」が出てきますね。 でも主の(みことば)なんのことか理解できません。
334 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 22:24:37.00 ID:W/SdszMT
>>332 ええつ、本当にそんなことが起こると信じているのですか^^
335 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 22:26:50.79 ID:W/SdszMT
ここにも「人の子」や「天の雲」が出て来ますね。 夜の幻をなお見ていると、見よ「人の子」のような者が天の雲に乗り 「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み 権威、威光、王権を受けた。 諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え 彼の支配はとこしえに続き その統治は滅びることがない。ダニエル7.13-14 これは、主キリストの再臨ことだとはだれにも分かりますね。
336 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 22:33:26.01 ID:W/SdszMT
彼の支配はとこしえに続き その統治は滅びることがない。ダニエル7 はっきり言っておく。すべてのことが、実現し天地が消え失せるまで、 律法の一点一画も消え失せることはない。マタイ5 実は、「天の雲」とは、(みことば)のことなのです。
>>334 信じてます。一粒の小さな種が、美しい花を咲かせます。
その種からは想像できない美しい花が咲くのです。
神の力は偉大です。
クリスチャンたちがキリストの栄光の体に変えられる奇跡も
聖書の預言どおり一粒の種が美しい花を咲かせるように成就するでしょう。
ひとつだけ種とキリストの栄光の体が違うところは
花は枯れますが、キリストによって変えられるクリスチャンたちの栄光の体は
永遠に朽ちることはないのです。
あっ、洗濯しなきゃ、じぁ今夜はこのへんで
339 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 22:37:33.23 ID:W/SdszMT
>>337 まぁ、いいでしょう
何を信じるも個人の自由ですから
340 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 23:22:32.65 ID:W/SdszMT
人の子が来る 「その苦難の日々の後、たちまち太陽は暗くなり、 月は光を放たず、星は空から落ち、 天体は揺り動かされる。 そのとき、人の子の徴が天に現われる。そしてそのとき、地上のすべての民族は悲しみ、 人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗ってくるのを見る。 人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは天の果てから 果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。マタイ24.29-31 「日は暗くなり、月はその光明を放たず」とは、「太陽」である主イエスへの愛と、 「月」である隣人への仁愛を意味します。「暗くなる」または「光明を放たない」とは、日や 月が現われないこと、消えていくことを言います。「日」は愛の天的なものであり、「月」 は愛の霊的なものです。つまり、「日」は主への愛であり、月は信仰を意味する隣人への 仁愛です。「星は天から落ち」とは、善と真理の認識が失われていくことです。 「天体は揺り動かされる」とは、星々が落ちれば、教会の土台が「動揺し、翻弄され」る ことを指します。地上における教会は、天界の土台です。なぜなら善と真理の流入は、 主から天界を通って注がれ、教会に属する人びとに備わる諸善と諸真理の中で、末端 として結末をつけているからです。 したがって教会の属する人びとがこのような倒錯状態になって、善と真理との流入を、 もうこれ以上受け付けなければ、「諸天界の能力」が「動揺する」と言われます。 そのため主は、何らかの教会が残存するよう、つねに摂理的配慮をなさいます。つまり 古い教会が滅びるとき、新しい教会が設立されます。
341 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 23:24:34.99 ID:W/SdszMT
「そのとき、人の子の徴が天に現われる」とは、そのときになって、神的真理が現われる ことを意味します。「徴」とは出現です。「人の子」とは、神的真理の面から見た主を指します。 「人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る」とは、主は内的意味の なかにましまし、その内的意味の面からみた(みことば)がそのとき啓示されることを意味します。 「人の子」とは、そこに内在する神的真理を指します。「雲」とは、文字上の意味です。 「力」とは「能力」を意味し、そこにある善を修飾し、「栄光」とは、そこにある真理を修飾します。 「人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす」とは、見える天使によるものでも、 ましてや喇叭や高らかな声でもありません。主が天使たちを通して、聖なる善と聖なる真理の 流入を注がれると言う意味です。したがって、(みことば)での「天使たち」とは、主にある何か を指します。ここでは主から発するもの、主に関するものです。「ラッパの音を合図に」とは、 (みことば)のどこかにあるように、福音伝道を指します。 「天使たちは天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」とは、 新しい教会の設立を「選ばれた者」とは、愛と信仰の善のうちにある人を、「四方から」集められる とは、善と真理のあらゆる状態を、「天の果てから果てまで」とは、教会の内部のものと外部のものとを指します。 以上は、スェデンボルグの「天界の秘義」からの提供でした。
342 :
神も仏も名無しさん :2012/03/16(金) 23:41:00.56 ID:W/SdszMT
「そしてそのとき、地上のすべての民族は悲しみ」が抜けてましたね。 これは、愛と善と信仰の真理の中にある人は、みな悲痛に見舞われると言う意味です。 「悲しみ」「嘆く」についてはゼカリヤ12.10-14を参照してください。 「民族」とは、善と真理、愛と信仰のすべてを意味し、その善と真理を宿している 人を指します。「地の民族」とは、教会内の人々を指します。 「地」は教会を指しています。
343 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 00:21:07.92 ID:Wk6grHOc
>>332 霊魂は、自分の肉体がなかったら存在しません。肉体も自分の霊魂がなかったら存在しません。
神人(イエス)の場合の「神的霊魂」は、「神的存在」を表わし、「神的肉体」とは、「神的実在」
を表わします。人の霊魂は、肉体がなくとも、実在できるし、肉体がなくとも、考えたり英知を
味わったできると考えるのは、幻想からきた誤りです。人の霊魂は、この世で身にまとっていた
物質的な肉体から脱皮したあと、霊的肉体を見に帯びます。
以上は、スェデンボルグの「神の愛と知恵」に書かれていることです。
このことについて、興味深いのはパウロも同じようなことをコリント人への手紙のなかで書いて
いることです。
復活の体
「死者の復活の時もこれと同じです。蒔かれる時は朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、
蒔かれるときには弱い者でも、力強いものに復活するのです。つまり、自然の命の体が蒔かれて、
霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるのです。」(コリントの信徒への手紙T15.42-44)
でもこれは、Tテサロニケ4:16〜17に記されている「携挙 :Rapture」とは関係ありません。
345 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 00:47:05.34 ID:Wk6grHOc
人間の霊とは、みな同じような形があり、肉体を去っても、肉体にあったときのような器官や感覚をそなえています。 したがって、肉体を去って、この世にはなく、霊の世界にあるときも、霊は生前と同じように、見たり、聞いたり、感じたりしています。 (いのち)は、全部人間のものであっても、肉体に由来するものは何もなく、感覚器官に行き渡っている霊に由来します。 肉体にあったときには、霊は自然的に感じとていましたが、これは物質を通して、霊につけ加えられたものでしたから、そのときでさえ、 考えたり、欲求したりして、霊的に感じとっていたのです。 信じられないかも知れませんが、これは事実です。
346 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 01:05:48.46 ID:Wk6grHOc
人間の霊とは、人間の「心 mens」のことです。(みことば)に何回か出てくる「霊の状態にある」とは、肉体から切り離された状態の心のことです。 預言者たちは、このような状態で、霊界に存在するものを見ました。それを「神の幻示」と呼びます。これは、霊界の霊や、天界の天使たちと同じような 状態だったわけです。 人は、霊の状態にあるとき、心の目で見ているように、自分の肉体はそのままで、ある場所からある場所へと移されることができます。 エゼキエルもゼカリヤも、ダニエルも。黙示録を書いたヨハネも、その状態におかれましたが、それは次の引用からも、分かります。 「霊はまた、わたしを引き上げ、主の神殿の東に面する東の門へ運んで行った。霊はわたしを引き上げ、カルディアの方に運び、 わたしを幻のうちに、神の霊によって、捕囚の民の下へ連れていった。・・・わたしは、主が示されたすべてのことを、捕囚の 民に語り聞かせた。」(エゼキエル11.1、24)
>>344 > 信仰義認だとか、信仰原理だとか言葉選びが、ほとんど(笑)
そうなんですよ。さっきも言ったけど、やってることは霊界マニュアル片手に字面の帳尻合わせ。
しかも突っ込まれて帳尻が合わなくなってくると「お前は理解できてない!」「バカ丸出し!」とワンパターンの罵倒に逃避。
かと言って、霊界マニュアルを離れて自分の言葉で語れるかというと、それもできない。
>>344 さんの言われる実存と自分の言葉がリンクしてないから、薄っぺらい教義遊びに退行するしかない。
> もはやスェデンボルグも統一教会もご迷惑って感じですかしらね(笑)
迷惑ですね。別にスウェーデンボルグ信者でも統一教会でもいいんですが
対話によって何かを見出そうとか理解を深めようとかいう意志が全くありませんから。
ネヨじいさんがやってることは、実社会において果たせない自己実現を
ネットにおいて「論破した」という架空の勝利で代替してるにすぎません。
実に未熟なんです。
> このかばんは、喩えるのなら(笑)スェデン風霊界マニュアル
これならまだ可愛いですけどねw
ネヨじいさんの場合はかばんを取り上げたら残るのはエゴ剥き出しの醜悪な姿だけですから。
> しかも笑わせて下さって(笑)
ということでこの迷惑じいさんは、悔い改めて成長しない限り
弄って遊ぶ以外に利用価値がないわけですw
348 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 01:28:56.62 ID:Wk6grHOc
人間の心が、ただ頭部だけにあると信じるのは誤りで、頭部には、人が理性をつかって考え、 意志をつかって行動するとき、そのすべてが出はじめる始源の状態が存在するにすぎません。 心自身は、肉体の中で、感じたり行動したりするために形成された派生的なものに包まれて います。 内部はしっかり肉にくっついていて、感覚作用や運動作用をもたらし、あたかも肉体が、 自分で考え行動しているかにように、感知力を高める作用をします。しかし肉体自身が考えると いうのはウソで、知者ならだれでも知っています。 そして、人の霊は、理性で考え意志で行いますから、肉体はみずからの力ではなく、霊の力で働いています。 したがって人間の霊とは、人間の理知のこと、愛がもつ情愛のことで、すべてはそこから出て、そこから作用します。 人間の霊が、以上のような心のもつ特性を示すことは、(みことば)からたくさん引用できます。 「わたしはユダ族のフルの孫、ウリの子ベツァルエルを名指しで呼び、彼に神の霊を満たし、 どのような工芸にも知恵と英知と知識をもたせた」(出エジプト記31.2) 「ネブカドネツエルは、ダニエルがすぐれた霊、知識、分別、英知の霊をもっていることを知った。」(ダニエル5) 「ヨシュアは知恵の霊に満ちた人であった。」(申命記34.9)他多数
349 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 01:34:13.51 ID:Wk6grHOc
>>347 ボクのほうが物知りで学があって思慮ぶかくて、偉いんだぞですか hoho-^^
こんな、ミエとうぬぼればかりで何も論理的な話が出来ない人にかぎって、常識人めいたことを言います。
350 :
もも :2012/03/17(土) 01:36:57.11 ID:EFqLQXKX
ネヨさんは十字架の贖罪を否定するから信仰理解が違うんです 噛み合わないわけれす^^
351 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 01:43:38.97 ID:Wk6grHOc
>>344 > 信仰義認だとか、信仰原理だとか言葉選びが、ほとんど(笑)
この人もまったく同じ頭の構造をしているようです。
あれだけ、親切・丁寧・やさしく具体的な説明をしても、ただの言葉遊びとしてしか理解できません。
進化論スレもこんな人ばかりだから、やりきれなくなる時がよくあります。
この人たちは、何の知識のないのにやたらむやみに反発するだけで、要は、ただミエとうぬぼれだけに生きているのです。
352 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 01:48:25.46 ID:Wk6grHOc
>>350 十字架の贖罪は、教会がつくった信仰です。
イエスの十字架の死の意味が理解できなかったのです。
良いこのみなさんは、イエスの十字架のおん苦るしみの死と、イエスのなされた
(贖い)は、まったく別々のことなので、絶対に混同しないでください。
353 :
もも :2012/03/17(土) 01:52:47.28 ID:EFqLQXKX
>>352 「多くの人のための、 贖いの代価として、自分のいのちを与える ため」
イエスの言葉
354 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 02:11:30.09 ID:Wk6grHOc
>>353 また杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。
これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血です。」マタイ
「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の
命を献げるために来たのと同じように。」マタイ
「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」ヨハネ
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」ヨハネ
「病に苦しむこの人たちを打ち砕こうと主は望まれ彼は自らの償いの献げものとした。」イザヤ
イエス十字架の贖罪はみな、このような(みことば)の文字の意味から、イエスの十字架の死と結び付けられ作られました。
しかし、この(みことば)は、本来、内的意味により解釈されなねければその真意が分からないものばかりなのです。
355 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 02:13:47.12 ID:Wk6grHOc
>>353 それと、イエスの十字架の贖罪では、みことばの数々の箇所で矛盾を生じてきます。
356 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 02:15:42.18 ID:Wk6grHOc
訂正 「病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ彼は自らの償いの献げものとした。」イザヤ
357 :
もも :2012/03/17(土) 02:23:22.73 ID:EFqLQXKX
358 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 02:39:35.69 ID:Wk6grHOc
>>357 愛とは人の霊的な(いのち)のことなのです。
人間にはおおむね、三種類の愛があります。
それは、「天界への愛」で、主にたいする愛と隣人にたいする愛です。
「天界への愛」は、主からしか来ません。
それから、「世間愛」と「自己愛」です。
これは、地獄の愛から流入してくる愛です。
この三種の愛が、人の命になっているのです。
>>344 > 信仰義認だとか、信仰原理だとか【言葉選びが、】ほとんど(笑)
>>351 ネヨさん
>あれだけ、親切・丁寧・やさしく具体的な説明をしても、ただの【言葉遊び】としてしか理解できません。
いつものことながら、ここでも微妙に言葉を変えていますでしょ。
微妙なのですが実は、私が言った言葉選びは、洗脳カルト用語の事を指摘したのです。
それをずらしているのですよ、ネヨさんは(笑)
360 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 02:50:40.20 ID:Wk6grHOc
>>357 まぁ、愛についても、いろいろな考えがあるようですね。
>キリストの愛
>聖書は、キリストは永遠において神から生まれた神の御子であり、父なる神と一体のお方である、と述べています(ヨハネの福音書一〇・三〇、一四・九)。
>彼は、神を私たちに身近なかたとするために、神から来られたのです。
永遠のむかしから生まれた神の御子というのは、まったくのウソです。
福音書を読めば誰にでも分かることです。
361 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 02:53:51.46 ID:Wk6grHOc
>>359 君たちは相手にしても仕方ない人たちですから
妄想のなかに生きていてくらさい。
>>361 相手にするもなにも、返答できないだけですよね。
ネヨさん、あなたはそういう言葉をずらしては誤魔化して
流すことをいつからされているのですか。
この手法は、カルト脳工作員の典型なのですが。
論理的で無いと指摘されれば、印象操作として同様の「論理的で無い」という言葉だけを
話術の中に取り入れて流します。
感情弱者に対しての心理を利用して、トリックを用います。
同じ言葉を返すのですが、内実が全く違う、トリック話法を用います。
>>362 あーなるほど。それで統一教会工作員と判断したわけですね。
ネヨじいさんが統一教会工作員である可能性を否定はしませんが
じいさんの煽りや罵倒を見てもらえば分かるように、極めて稚拙なんです。
煽るのにも罵倒するのにもそれなりの知性が要求されますが
じいさんの場合は幼稚園児か小学生のような拙い煽りや罵倒になってしまうんです。
> 論理的で無いと指摘されれば、印象操作として同様の「論理的で無い」という言葉だけを
> 話術の中に取り入れて流します。
これも知性の欠如で一応説明がつきますね。
罵倒として有効な手段を自分で考案することができないので
相手に指摘されて自分がダメージを受けた言葉をそのまま相手に使っている、という気がします。
ただし印象操作をしている、というのはそのとおりで、例えば典型的な例がじいさんがよく使う「だからバカだと言われてるのよ。」
というやつです。そう言っているのはじいさんだけなのにそれを「言われている」と一般化することで
自分の主張があたかも他人にも共有されているかのように印象操作する手法です。お粗末極まりない手法ですがw
実はじいさんがこのスレで、俺が以前進化論スレでじいさんに対して使ったのと全く同じセリフを
他人にぶつけてるのを見たことがあります。思わず吹き出してしまいました。
ですから俺のトータルな印象としては、じいさんは意図してそのカルト手法を使用しているというより
知性の欠如からくる必然的な反応のように思えるのです。
ただID:VjIpZOS0さんのように感情的な強さがあればいいのですが、そうでない人もいるので
>>362 のような指摘を続けていくことは大切な事なんでしょうね。
個人的には俺に対するじいさんの罵倒は全く気にならないので、そういったところまでは気が回りませんでした。
不満があるとすれば、せめて会話が続く程度の気の利いた煽りをして欲しいと思うくらいだったのでw
364 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 08:59:34.83 ID:Wk6grHOc
↑ ねぇ、何を言ってもこれですから、相手にするだけバカなのですね。 あたしゃ、わけのわからない人たちに出会うと扁桃腺が腫れるのです。
365 :
イザヤの預言 :2012/03/17(土) 09:23:38.55 ID:rGqFgu9U
イザヤ書
http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/58izaya.html苦難の僕の挽歌 (52・13〜53・12)
52:13 見よ、わたしの僕は栄える。はるかに高く上げられ、あがめられる。(全世界の頂点に立ち世界の主になるという意味)
52:14 かつて多くの人をおののかせたあなたの姿のように/彼の姿は損なわれ、人とは見えず/もはや人の子の面影はない。(人間とは思えないくらい偉大になるという意味)
52:15 それほどに、彼は多くの民を驚かせる。彼を見て、王たちも口を閉ざす。だれも物語らなかったことを見/一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。(苦難のしもべは普通の人が絶対考えきれないことを山程考えきれる)
53:1 わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。(神の知恵は誰に与えられたのかの意味)
366 :
リンゴ :2012/03/17(土) 09:33:32.58 ID:rGqFgu9U
..⌒ヽ ' ⌒ヽ /.|:::::::::::| 乂乂|| |乂乂|| | |:::::::::::| 乂乂|| |乂乂|| | |:::::::::::| 乂乂|| |乂乂|| ___|_|:::::::::::|____ 乂乂|| |乂乂|| /|::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|  ̄ ̄  ̄ ̄ i |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| _____ .|/ ̄ ̄ ̄../|:::::::::::| ̄ ̄ ̄/ ||L L | L L ||  ̄ ̄ ̄ ̄| |:::::::::::| ̄ ̄ ̄ ||L L | L L || | |:::::::::::| ||L L | L L ||_________ .| |:::::::::::| ===========l| L L l================= i |:::::::::::|
367 :
リンゴ :2012/03/17(土) 09:38:05.15 ID:rGqFgu9U
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ((( )))_______| |:::::::::::|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|......( ´Д`)_______| |:::::::::::|__ ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: | / (S)::::::i\ ....| |:::::::::::| \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .\ ....\|:::::::::::| \ ____/|____ .| .\  ̄ ̄ / | アーメン、ソーメン、みそラーメ〜ン♪ \_______________
368 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 09:40:26.88 ID:Wk6grHOc
53:1 わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。(神の知恵は誰に与えられたのかの意味) エホバの御腕とは、人間性をとられた主の全能のこと、すなわち、イエス・キリストのことですね。 そのことはイザヤ書40.10-11を読めば明らかです。 永遠のむかしから父の神から生まれた子の神は、教会のつくったもので(みことば)に照らされれば消えていきます。
父なる神と主イエスキリストから恵みと平安が、主イエスを信じる
すべての人々にありますように。ではみことば続けます。
>>365 >>366 なりすましリンゴくん、おはよう♪君はシオンだ。
>>369 おはw
>>368 それは、あなたの妄想だと思うが、一応イザヤ書40.10-11を読んでみます。
ふたりは、イコニオムでも同じようにユダヤ人の会堂にはいって語った結果、ユダヤ人やギリシヤ人が大ぜい信じた。 ところが、信じなかったユダヤ人たちは異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対して悪意をいだかせた。 それにもかかわらず、 ふたりは長い期間をそこで過ごして、大胆に主のことを語った。
主は、彼らの手によってしるしと奇跡を行わせ、 その恵みの御言葉を証された。
373 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 09:55:45.63 ID:Wk6grHOc
旧約の神エホバご自身がこの世に下られるのは、次の(みことば)からも明らかです。 「呼びかける声がある。 エホバのために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。 エホバの栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る。」イザヤ40.3、5 「荒れ野」「荒れ地」は、教会のないところを指します。 エホバは主イエスの霊魂としてこの世に下られました。 それはイザヤ書から明らかです。 「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで その根からひとつの若枝が育ち その上にエホバの霊がとどまる。知恵と識別の霊 思慮と勇気の霊 エホバを知り それ敬う霊。 彼はエホばを畏れ敬う霊に満たされる。(11.1-3) 「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。 だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」ルカ1.35 永遠のむかしから父の神から生まれた子の神は幻想です。
374 :
公明の氣志團 :2012/03/17(土) 09:57:05.55 ID:Gk68xov+
摂津水都信金の元支店長が顧客預金着服=213万円、懲戒解雇―大阪 8月26日(金)19時04分配信時事通信 摂津水都信用金庫は26日、元本部副部長(58)が、島本支店(大阪府三島郡)の支店長当時、1人の顧客の預金と支店内会費、合わせて213万5000円を着服していたことがわかったと発表した。
そこで町の人々が二派に分裂し、ある人たちはユダヤ人の側につき、ある人たちは使徒の側についた。 その時、異邦人やユダヤ人が役人たちと一緒になって反対運動を起し、使徒たちをはずかしめ、 石で打とうとしたので、ふたりはそれと気づいて、ルカオニヤの町々、ルステラ、デルベおよびその附近の地へのがれ、 そこで引きつづき福音を伝えた。
ところが、ルステラに足のきかない人が座っていた。 彼は生まれながらの足なえで歩いた経験が全くなかった。
この人がパウロの語るのを聞いていた。パウロは彼をじっと見て、いやされるほどの信仰が彼にあるのを認め、 大声で「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。すると彼は踊り上がり歩き出した。 群衆はパウロのしたことを見て、声を張りあげ、 ルカオニヤの地方語で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお下りになったのだ」と叫んだ。
彼らはバルナバをゼウスと呼び、 パウロはおもに語る人なので、ヘルメスと呼んだ。
そして、郊外にあるゼウス神殿の祭司が、群衆と共に、ふたりに犠牲をささげようと思って、 雄牛数頭と花輪とを門前に持ってきた。 ふたりの使徒バルナバとパウロとは、これを聞いて自分の上着を引き裂き、 群衆の中に飛び込んで行き、叫んで言った、「皆さん、なぜこんな事をするのか。わたしたちとても、 あなたがたと同じような人間です。」
「そして、あなたがたがこのような愚にもつかないものを捨て、 天と地と海と、その中に住む全てのものを創造された 生ける神に立ち返るようにと福音を説いている者です。」
「神は過ぎ去った時代に、すべての国々の人が、それぞれの道を行くままにしておかれましたが、それでも、 ご自分のことをあかししないでおられたわけではありません。すなわち、あなたがたのために天から雨を降らせ、 実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たすなど、いろいろの恵みをお与えになっているのです」。
こう言ってから、ふたりは、ようやく 群衆が自分たちに犠牲を捧げるのを思い止まらせた。
ところが、あるユダヤ人たちはアンテオケやイコニオムから押しかけてきて、群衆を仲間に引き入れたうえ、 パウロを石で打ち叩いた。それで死んでしまったと思って、彼を町の外に引きずり出した。 しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいる間に、彼は起きあがって町にはいって行った。 そして翌日には、バルナバと一緒にデルベにむかって出かけた。
最後の審判の預言でもある? 10章72番 一九九九年と七の月 (時期は神が最初から外す意図があったと考えられる) 恐怖の大王が天(神)からおりてくるだろう (ブロワ城の問答では恐怖の大王は目には見えないものらしい) アンゴルモアの大王を蘇らせるために (世界が幸福に支配されるために必要な法則) その前後の期間、火星が幸福に支配するだろう (メシアが世界を幸福にしない限り神から恐怖の大王は下されない)
その町で福音を伝えて、大ぜいの人を弟子とした後、ルステラ、イコニオム、アンテオケの町々に帰って行き、 弟子たちを力づけ、 信仰を持ちつづけるようにと奨励し、「わたしたちが神の御国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語った。 また教会ごとに彼らのために長老たちを任命し、断食をして祈り、彼らをその信じている主にゆだねた。
それからふたりはピシデヤを通過して パンフリヤに来たが、ペルガで御言葉を語った後、 アタリヤに下り、そこから船で、アンテオケに帰った。
彼らが今なし終った働きのために、神の祝福を受けて送り出されたのは、このアンテオケからであった。彼らは到着して早々、教会の人々を呼び集め、 神が彼らと共にいてして下さった数々のこと、また信仰の門を異邦人に開いて下さったことなどを、報告した。 そして、ふたりはしばらくの間、弟子たちと一緒に過ごした。
後、数年後「終わりの日、最後の審判、恐怖の大王」に該当するものがくる。
http://www.watchtower.org/j/20060915/article_02.htm 終わりの日の前兆は、
世界で地震が多発する。
世界で疫病が多発する。
世界で飢えて死ぬ人が多くなる。
世界で戦争が起きる。
そのほかに以下の人間が増悪する。
自分を愛する。―テモテ第二 3:2。
金を愛する。―テモテ第二 3:2。
ごう慢。―テモテ第二 3:2。
親に不従順。―テモテ第二 3:2。
感謝しない。―テモテ第二 3:2。
忠節でない。―テモテ第二 3:2。
自然の情愛を持たない。―テモテ第二 3:3。
自制心がない。―テモテ第二 3:3。
粗暴。―テモテ第二 3:3。
快楽を愛する。―テモテ第二 3:4。
宗教面で偽善的。―テモテ第二 3:5。
さて、ある人たちがユダヤから下って来て、兄弟たちに 「あなたがたも、モーセの慣習に従って 割礼を受けなければ、救われない」と説いていた。
そこで、パウロやバルナバと彼らとの間に、少なからぬ紛糾と争論とが生じたので、パウロ、バルナバそのほか数人の者がエルサレムに上り、 使徒たちや長老たちと、この問題について協議することになった。 彼らは教会の人々に見送られ、ピニケ、サマリヤをとおって、道すがら、 異邦人たちの改宗の模様を詳しく説明し、すべての兄弟たちを大いに喜ばせた。
393 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 10:45:37.08 ID:Wk6grHOc
あの有名な預言解釈がはずれまくったノストラダムスの諸世紀を、まだ信じている人がいるんだね。 あたしゃ、ごとうべんさんの本いっぱい買ってきて読んでソンしますた。 もうノストラダムスは1999年7月に終わりました。過去の遺物です。
394 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 10:48:56.03 ID:Wk6grHOc
>>390 はい、全くのカルト信仰です。
聖書に記されている「世の終わり」は「代の終り」のことで、これは教会の話なのです。
最後も審判とは、現教会に下される最後の審判です。
エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たち、長老たちに迎えられて、神が彼らと共にいてなされたことを、 ことごとく報告した。ところが、ファリサイ派から信仰にはいってきた人たちが立って、 「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」と主張した。
そこで使徒たちや長老たちが、 この問題について審議するために集まった。
>>393 まだ、そう決めつけるのは早いです。
>>386 の”その前後の期間、火星が幸福に支配するだろう”をよく考慮してください。
(メシアが世界を幸福にしない限り神から恐怖の大王は下されない)と解釈できます。
激しい争論があった後、ペテロが立って言った、「兄弟たちよ、ご承知のとおり、異邦人がわたしの口から 福音の御言葉を聞いて信じるようにと、神は初めのころに、諸君の中からわたしをお選びになったのです。 そして、人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに 賜わったと同様に彼らにも賜わって、彼らに対してあかしをなされました」。
>>394 >最後も審判とは、現教会に下される最後の審判です。
それは違う。あなたの妄想です。
全知である神が最も正当な裁きができる。
全知である神が最も正確な善悪の判断ができる。
最後の審判がなければ、この世の不公平さに悲しむ人々が多いのです!
400 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 10:57:29.36 ID:Wk6grHOc
>>397 すきにしなさい
でも、カルトで宗教を語ってはないないのですよ。これ鉄則ね
401 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 10:59:10.01 ID:Wk6grHOc
>>399 ??? それこそ聖書的な根拠のない妄想です^^
「また、その信仰によって彼らの心を清め、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさらなかったのです。 しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、 神を試みるのですか。 確かに、主イエスの恵みによって、われわれは救われると信じますが、彼らとても同様です」。
すると全会衆は黙ってしまった。 それから、 バルナバとパウロとが彼らを通して、 異邦人の間に神が行われた数々のしるしと奇跡のことを 説明するのを聞いた。
405 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 11:05:12.40 ID:Wk6grHOc
>>399 ダニエル書や黙示録、マタイ24章には、世の終わりのことが記されています。
でも、これがすべて現教会の終焉に関する預言です。
相応の原理で記されていますから、相応の知識のない者にはまったくそのことが分かりません。
文字上の意味から類推していると、とんでもないところ連れて行かれます。
ふたりが語り終えた後、ヤコブはそれに応じて述べた、「兄弟たちよ、わたしの意見を聞いていただきたい。 神が初めに異邦人たちを顧みて、その中から御名を負う民を選び出された次第は、シメオンがすでに説明しました。 預言者たちの御言葉も、それと一致しています」。
「すなわち、こう書いてあります、『その後、わたしは帰ってきて、倒れたダビデの幕屋を建てかえ、 くずれた箇所を修理し、それを立て直そう。残っている人々も、わたしの名を唱えているすべての異邦人も、 主を尋ね求めるようになるためである。世の初めからこれらの事を知らせておられる主が、こう仰せになった』」。
「そこで、わたしの意見では、異邦人の中から神に帰依している人たちに、わずらいをかけてはいけない。 ただ、偶像に供えてある汚れた物と、不品行と、絞め殺したものと、血とを、避けるようにと、彼らに書き送ることにしたい。 古い時代から、どの町にもモーセの律法を宣べ伝える者がいて、安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしになっているからです」。
そこで、使徒たちや長老たちは、全教会と協議した末、 お互いの中から、人々を選んで、パウロやバルナバと共に アンテオケに派遣することに決めた。
選ばれたのはバルサバというユダとシラスとであったが、 いずれも兄弟たちの間で重んじられていた人たちであった。
この人たちに託された書面はこうでです。「あなたがたの兄弟である使徒および長老たちから、アンテオケ、シリヤ、 キリキヤにいる異邦人の兄弟がたに、あいさつを送ります。 こちらから行ったある者たちが、わたしたちからの指示もないのに、 いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ、あなたがたの心を乱したと伝え聞きました 」。
「そこで、わたしたちは人々を選んで、愛するバルナバおよびパウロと共に、あなたがたのもとに派遣することに、衆議一決しました。 このふたりは、われらの主イエス・キリストの御名のために、その命を投げ出した人々ですが、 彼らと共に、ユダとシラスとを派遣する次第です。 この人たちは、あなたがたに、同じ趣旨のことを、口頭でも伝えるでしょう」。
すなわち、聖霊とわたしたちは、次の必要事項の他は、 どんな負担もあなたがたに負わせないことに決めました。 それは、偶然に供えたものと、血と、絞め殺したものと、 不品行とを避けるということです。 これらのものから遠ざかっていればそれでいいです。以上。」
さて、一行は人々に見送られて、アンテオケに下って行き、 会衆を集めて、その書面を手渡した。
人々はそれを読んで、その勧めの御言葉をよろこんだ。 ユダとシラスとは共に預言者であったので、多くの御言葉をもって 兄弟たちを励まし、また力づけた。ふたりは、しばらくの時を、そこで過ごした後、兄弟たちから、旅の平安を祈られて、見送りを受け、 自分らを派遣した人々のところに帰って行った。〔 しかし、シラスだけは、引きつづきとどまることにした。〕
パウロとバルナバはアンテオケに滞在を続け、 他の多くの人たちと共に、主の御言葉を教え、かつ宣べ伝えた。
幾日かの後、パウロはバルナバに言った、 「さぁ、前に主の御言葉を伝えた全ての町中にいる兄弟たちをまた、訪問し、 みんながどうしているかを見よう」。
そこで、バルナバはマルコというヨハネも一緒に連れて行くつもりでいた。 しかし、パウロは、 前にパンフリヤで一行から離れて、働きを共にしなかったような者は、連れて行かないがよいと考えた。 こうして激論が起り、その結果ふたりは互いに別れ別れになった。
バルナバはマルコを連れてクプロに渡って行き、 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。 そして、パウロはシリヤ、キリキヤの地方をとおり諸教会を力づけた。
つづきは、またあとで
421 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 12:56:11.97 ID:YW+JIZ5F
リンゴさん、イエスのは、貴い、奇跡が起きるスーパー、イエスのは、教会で販売しているか!?
新約聖書では「終わりの日」と解釈されているが、俺は終わりの日とは解釈していない。
諸世紀10章72番
>>386 の”その前後の期間、火星が幸福に支配するだろう”の一文を考慮してものちに世界は幸福になるだろうと解釈できる。
要するに、終わりの日というか、世界がズタズタにされ、そして世界が生まれ変わる日だと俺は解釈している。
423 :
イスラム教徒 :2012/03/17(土) 13:39:39.83 ID:rGqFgu9U
ちなみに預言というものは、歴史を変えてはならないから暗示という形で記されている。 歴史というものは、神が人々の平等願望、様々な心理などを熟慮してつくられている。 ノアの洪水以降、世界が不本意に終わることがないよう神が歴史を決められている。
424 :
イザヤの預言 :2012/03/17(土) 13:41:38.38 ID:rGqFgu9U
.
425 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 13:46:35.11 ID:Wk6grHOc
426 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 13:52:21.48 ID:Wk6grHOc
マタイ24章には「終末の徴」には何が起こるのか、イエスは弟子たちに語られています。 しかし、相応の知識で記されているので、文字どおり読んでも何のことかわかりません。
>>419 それから、彼はデルベに行き、次にルステラに行った。そこにテモテという名の弟子がいた。
信者のユダヤ婦人を母とし、ギリシヤ人を父としており、 ルステラとイコニオムの兄弟たちの間で、
評判のよい人物であった。
パウロはこのテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前もあり、まず彼に割礼を受けさせた。 彼の父がギリシヤ人であることは、みんな知っていたからである。 それから彼らは通る町々で、エルサレムの使徒たちや長老たちの取り決めた事項を守るようにと、人々にそれを渡した。
こうして、諸教会はその信仰を強められ日ごとに数を増していった。 それから、彼らはアジヤで御言葉を語ることを聖霊に禁じられたので フルギヤ・ガラテヤ地方を通って行った。
そして、ムシヤのあたりにきてから、ビテニヤに進んで行こうとしたところ、イエスの御霊がこれを許さなかった。 それで、ムシヤを通過して、トロアスに下って行った。 ここで夜、パウロは一つの幻を見た。 ひとりのマケドニヤ人が立って、「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」と、彼に懇願するのであった。
パウロがこの幻を見た時に、これは彼らに福音を伝えるために、 神がわたしたちをお招きになったと確信し、 わたしたちは、ただちにマケドニアに渡って行くことにした。
そこで、わたしたちはトロアスから船出をし、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。 そこからピリピへ行った。これはマケドニヤ地方第一の町で、植民都市であった。わたしたちは、この町に数日間滞在した。 ある安息日に、わたしたちは町の門を出て、祈り場があると思って、川のほとりに行った。
そして、そこにすわり、集まって来た婦人たちに話をした。 ところが、テアテラ市の紫布の商人で 神を敬うルデヤという婦人が聞いていた。
主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに耳を傾けさせた。 そして、この婦人もその家族も、 共にバプテスマを受けた。その時、彼女は「もし、わたしを主を信じる者とお思いでしたら、 どうぞ、わたしの家にきて泊まって下さい」と懇望し、しいてわたしたちをつれて行った。
ある時、わたしたちが祈り場に行く途中、 占いの霊につかれた女奴隷に出会った。 彼女は占いをして、その主人たちに多くの利益を得させていた者である。
この女が、パウロやわたしたちのあとを追ってきては、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、 あなたがたに救いの道を伝えるかただ」と、叫び出すのであった。そして、そんなことを幾日間もつづけていた。 パウロは困り果てて、その霊にむかい「イエス・キリストの御名によって命じる。その女から出て行け」と言った。
すると、その瞬間に霊が女から出ていった。
彼女の主人たちは、自分らの利益を得る望みが絶たれたのを見て、パウロとシラスとを捕え、役人に引き渡すため広場に引きずって行った。 それから、ふたりを長官たちの前に引き出して訴えた、「この人たちはユダヤ人で、わたしたちの町をかき乱し、 わたしたちローマ人が、採用も実行もしてはならない風習を宣伝しているのです」。
群衆もいっせいに立って、ふたりを責めたてたので、 長官たちはふたりの上着をはぎ取り、むち打つことを命令した。
それで、ふたりに何度もむちを加えさせたのち、獄に入れ、獄吏にしっかり番をするようにと命令した。 獄吏はこの厳しい命令を受けたので、ふたりを奥の獄屋に入れ、その足に足かせをしっかとかけておいた。 真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、賛美を歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。 16
ところが突然、大地震が起こって、獄の土台が揺れ動き、 戸は全部たちまち開き、みんなの鎖が解けてしまった。
442 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 16:19:04.69 ID:ho6BqSAZ
ここは基地外の集まりだなw
獄吏は目をさまし、獄の戸が開いてしまっているのを見て、囚人たちが逃げ出したものと思い、 つるぎを抜いて自殺しかけた。 そこでパウロは大声をはりあげて言った、「自害してはいけない。 われわれは皆ひとり残らず、ここにいます」。すると、獄吏は、あかりを手に入れた上、獄に駆け込んできて、 おののきながらパウロとシラスの前にひれ伏した。
それから、ふたりを外に連れ出し言った。 「先生がた、わたしは救われるために何をすべきでしょうか」。
ふたりが言った。 「主イエスを信じなさい。 そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」。
それから、彼とその家族一同とに、神の御言葉を語って聞かせた。彼は真夜中にもかかわらず、ふたりを引き取って、 その打ち傷を洗ってやった。そして、その場で自分も家族も、ひとり残らずバプテスマを受け、 さらに、ふたりを 自分の家に案内して食事のもてなしをし、神を信じる者となったことを、全家族と共に心から喜んだ。
447 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 16:33:27.58 ID:ho6BqSAZ
かなりキモイですw 洗脳丸出しだなw
夜が明けると、長官たちは警備をする者たちをつかわし、 「あの人たちを釈放せよ」と言わせた。
そこで、獄吏はこの言葉をパウロに伝えて言った、「長官たちが、あなたがたを釈放させるようにと、使いをよこしました。 さあ、出てきて、無事にお帰りなさい」。ところが、パウロは警吏らに言った、「彼らは、ローマ人であるわれわれを、 裁判にかけもせずに、公衆の前でむち打ったあげく、獄に入れてしまった」。
「しかるに今になって、ひそかに、われわれを出そうとするのですか。それは、いけない。彼ら自身がここにきて、 われわれを連れ出すべきです」。警吏らはこの言葉を長官たちに報告した。すると長官たちは、ふたりがローマ人だと聞いて恐れ、 自分でやってきてわびた上、ふたりを獄から連れ出し、町から立ち去るようにと頼んだ。
ふたりは獄を出てルデヤの家に行った。 そして、兄弟たちに会って勧めをなし、 それから出かけた。
一行はアムピポリスとアポロニヤとを通ってテサロニケに行った。 ここにはユダヤ人の会堂があった。
パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、 キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、 また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明し論証した。
ある人たちは納得しパウロとシラスに従った。 その中には信仰深いギリシャ人が多数あり、 貴婦人たちも少なくなかった。
ところが、ユダヤ人たちは、それをねたんで、町をぶらついているならず者らを集めて暴動を起し、町を騒がせた。 それからヤソンの家を襲い、ふたりを民衆の前にひっぱり出そうと、しきりに捜した。しかし、ふたりが見つからないので、 ヤソンと兄弟たち数人を、市の当局者のところに引きずって行き、叫んで言った、
「天下をかき回して来たこの人たちが、ここにも入りこんでいます。 その人たちをヤソンが自分の家に迎え入れました。 この連中は、みなカイザルの命令に背いて行動し、 イエスというべつの王がいるなどと言っています」。
これを聞いて、群衆と市の当局者は不安に感じ、ヤソンやほかの者たちから、保証金を取った上、 彼らを釈放した。 そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した。 ふたりはベレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。
ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教えを受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、 日々聖書を調べていた。そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった。 また、ギリシヤの貴婦人や男子で信じた者も、少なくなかった。
テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神の御言葉を伝えていると知り、 そこへも押しかけて群衆を煽動し、騒がせた。 そこで、兄弟たちはただちにパウロを送り出し海辺まで行かせ、 シラスとテモテとはベレヤに残った。
パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行き、テモテとシラスとになるべく早く来るようにとのパウロの伝言を受けて帰った。 さて、パウロはアテネで彼らを待っている間に、市内に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じた。 そこで彼は、会堂ではユダヤ人や信心深い人たちと論じ、広場では毎日そこで出会う人々を相手に論じた。
また、エピクロス派やストア派の哲学者数人も、パウロと議論を戦わせていたが、その中のある者たちが言った、 「このおしゃべりは、いったい、何を言おうとしているのか」。また、ほかの者たちは、「あれは、異国の神々を 伝えようとしているらしい」と言った。パウロが、イエスの復活を、宣べ伝えていたからであった。
そこで、彼らはパウロをアレオパゴスの評議所に連れて行って、「君の語っている新しい教えがどんなものか、 知らせてもらえないだろうか。君がなんだか珍らしいことをわれわれに聞かせているので、 それがなんの事なのか知りたいと思うのだ」と言った。
おおよそのアテネ人やそこに滞在している外国人もみな、 何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることのみに時を過ごしていたのである。 そこでパウロはアレオパゴスの評議所の真ん中に立って言った。
「アテネの人たちよ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたしは見ている。 実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、 『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。」
「この世界と、その中にある万物とを創造された神は、 天地の主ですから手で作った宮などにはお住みになりません」。
「また、何か不足でもしているかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。神は、すべての人々に 命と息と万物とを与え、また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、 国土の境界を定めて下さったのです」。
こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、 神を見いだせるようにしてくださいました。 事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではありません。 われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからです。
「あなたがたのある詩人たちも言ったように、『われわれも、確かにその子孫である』。 このように、われわれは神の子孫なのであるから、神たるお方を、人間の技巧や空想で金や銀や石などに 彫り付けたものと同じと、見なすべきではありません」。
「神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていましたが、今はどこにいる人でも、 みな心をいれかえなければならないことを命じておられます。神は、義をもってこの世界を裁くため その日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされているのです」。
「すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ その確証を全ての人に示されたのです」。
471 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 18:02:38.50 ID:SEWYnWx9
りんごちゃんへ 神の子孫なら、イコール子孫も神と同じ能力があってよいものだと思うけど、 そうならないのは何故でしょうか? 途中で、遺伝子組み換えでもしたのですか?
472 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 18:04:13.87 ID:Wk6grHOc
>>465 と言うことは、天地創造の主イエスは、人の手で建造された建物に住まわれなかったということね?
これ、矛盾してないかい?
473 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 18:07:03.47 ID:Wk6grHOc
>>471 人は、神の子孫ではないよ。
神は創造主、人は神の被賍造物なのよ。
死人のよみがえりと聞くと、ある者たちはあざ笑い、 またある者たちは 「このことについては、いずれまた聞くことにしよう」と言った。
475 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 18:08:37.10 ID:b0xYVzw7
8:イザヤ書 / 55章 8節 わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり/わたしの道はあなたたちの道と異なると/主は言われる。 9:イザヤ書 / 55章 9節 天が地を高く超えているように/わたしの道は、あなたたちの道を/わたしの思いは/あなたたちの思いを、高く超えている。 あくまで形而上で神の意志を感じ取るのがキリスト教です
こうして、パウロは彼らの中から出て行った。しかし、彼にしたがって信じた者も、幾人かあった。 その中には、アレオパゴスの裁判人デオヌシオとダマリスという女、また、その他の人々もいた。
今日はここまで。つづきは明日の夕方からはじめます。
>>47 イエスキリストを信じる者は、よみがえりの栄光体になってから、
神と同じ「全てを知る者」となります。
478 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 18:13:13.61 ID:Wk6grHOc
>あくまで形而上で神の意志を感じ取るのがキリスト教です 相応の知識がないからそんな話に持っていくしかないのよ。 イエス・キリスト教は、「然り、然り、否、否」ですよ。
アンカーまちがえた
>>471 イエスキリストを信じる者は、よみがえりの栄光体になってから、
神と同じ「全てを知る者」となります。
480 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 18:15:24.08 ID:Wk6grHOc
>>477 悪いリンゴを食ったら神のようなり目が開けます
481 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 18:16:56.67 ID:b0xYVzw7
よこせ
482 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 18:19:22.93 ID:Wk6grHOc
すでに食ってるじゃないか^^
483 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 18:24:16.55 ID:Wk6grHOc
>あくまで形而上で神の意志を感じ取るのがキリスト教です こんな人がいかに多いかと言うことです。 これは分からないと言うことの代名詞でしかありません。
484 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 18:28:02.37 ID:SEWYnWx9
りんごちゃんへ 答えてくれてありがとう。 栄光対って初めて聞く言葉ですが、よく使う言葉なのですか?
485 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 18:29:40.13 ID:Wk6grHOc
リンゴは栄光の意味が分かっていません
486 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 18:32:09.87 ID:Wk6grHOc
栄光については、ヨハネ13.31から記されていますからよく読みなさい。
487 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 18:44:20.17 ID:Wk6grHOc
父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。 世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を。ヨハネ これが、イエスが十字架につけられた目的ということが、理解できません。 なぜなら、十字架の流血の死は、贖いの目的のためのみわざという信仰が植えつけられたからです。
>>150 >
>>143 > ステファノと全能の主イエスを同格に見るのが、ナンセンンスなのだと言っている。
> それと
> 【「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」】と大声で叫んだ。
> ステファノは、イエスが何者にたいしても罪を問われるお方でないと言うことが全然、理解できていないということ。
> はっきり言えば、ステファノには、主キリストにたいする信仰心が欠如していたのだ。。
【「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」】が
イエスと同格を意味したり、罪を問われることを意味するハズがないでしょ?
信仰心の欠如? もっと想像力と知性を働かしてください。
あなたが、死ぬほどのひどい拷問を受け、そのまま息を引き取る場面ですよ。
>>484 栄光体とはキリストを信じる人々に与えられる体です。
決して朽ち果てることも死ぬこともない体で、光よりまぶしいでしょう。
あなたもイエスキリストを信じるだけで栄光体が与えられ、
神の国で楽しく過ごせるようになります。
スウェデンボルグの老眼鏡をかけるから何も読めなくなるのです。言い換えれば、 @その老眼鏡なしでは、どうしようもなかった。 Aあいるいは、はじめて聖書に出会った時に、老眼鏡をかけさせられて学んだ。 私はネヨさんだけでなく、Aの人は案外いるのではないかと思います。 イエスについてのイメージなどで知っている気分が、そわそわとあっても、 世界のベストセラーである聖書をご自分の本棚に置いて読み進めていくと言った 時間の使い方や基本姿勢が養われていないのではないかと思います。 答え、答え、それだけがほしいのハウツー生活習慣が、身についてしまっていると考えられます。 人は教義がなければ御言葉が読めないのでなくて、 単にアナタのスウェデン読む以前の姿が、通俗並の読解力もなかったということでしょ。 他者に対して、見境なくアホな自分重ね合わせてるだけでしょ。 凡百の魯鈍な大衆すらもっと読解力はあるから、 スウェver.聖書の布教をする必要などありません。 もしその時、読解出来ないとしても、理解したいと言う清い手で伸ばした先には 毎日の社会生活を丁寧におくりながらの経験も付随して 落ち着いて明朗に聖書に接していくならば、ある時自律的に開ける時が訪れます。 それは、そわそわしなければ何事もそうですよ、特に聖書は聖ですから霊的に開ける霊力があります。
>>484 栄光体とはキリストを信じる人々に与えられる体です。
決して朽ち果てることも死ぬこともない体で、光よりまぶしいでしょう。
あなたもイエスキリストを信じるだけで栄光体が与えられ、
神の国で楽しく過ごせるようになります。
これは聖書に書いてあることですから確信出来ます。
今すぐイエスキリストをあなたの救い主として受けいれてください。
492 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 22:07:41.84 ID:Wk6grHOc
>栄光体とはキリストを信じる人々に与えられる体です。 その聖書的根拠は?
493 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 22:11:48.52 ID:Wk6grHOc
494 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 22:27:06.33 ID:Wk6grHOc
天界と地獄はすべて人類からなっています。 人は死ねば、精霊界に行き一定期間過ごします。 そして最後の審判を受け、天界か地獄のいずれかの社会に行きます。 栄光体というものはありませんが、いづれも死後は不死の霊の体を身に着けます。 天界の霊たちは天使になります。 地獄の霊は悪鬼や悪霊になります。
>>492 新約聖書ピリピ人への手紙3ー20・21をここに引用してみなさい。
496 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 22:38:01.75 ID:Wk6grHOc
>>495 使徒たちの手紙ではなく、イエスの(みことば)ないのかい。
使徒の手紙はあてにならない。
497 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 22:44:58.70 ID:Wk6grHOc
>>495 こちらは、主イエスの(みことば)の根拠があります。
マタイ22.29-30
ヨハネ5.29
黙示録20.11-15
>>496 使徒の手紙はイエスキリストの啓示だ。
キリストは天にのぼられてからご自分の意思を使徒たちに託された。
キリストの弟子たちの手紙を拒否する者や曲げて伝える者は
永遠に呪われることになる。
もう一度警告しておく。キリストの弟子たちの手紙を曲げて伝える者や 拒否する者たちは神の怒りを免れることはない。
500 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 22:57:28.16 ID:Wk6grHOc
>>498 霊界日記6062
しかれは以下のことを示された、すなわち、主は、まさしく予言者たちにより話されたように、いくたの相応したものにより、
神的な知恵そのものから話されたのであり、従って、主御自身の神的なもの[神性]から話されたのであり、
パウロはインスピレーション[霊感]を受けて話したことは事実ではあるが、予言者たちと同じようには話さなかったのであり、
予言者たちは一つ一つの言葉もことごとく口授されたのである、しかしパウロのインスピレーション[霊感]は、かれが己が
もとにあるいくたのものに従って、流入してくるものを受けたということであって、それは全く異なったインスピレーションであり、
相応したものによる天界との連結を全くもっていないものである、と。
スェデンボルグによればパウロの評価はこんなものなのです。
501 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 23:00:59.46 ID:Wk6grHOc
>>499 そんなものはなんの脅威にもなりませんな^^
502 :
もも :2012/03/17(土) 23:01:01.51 ID:EFqLQXKX
なんで怪しげなオカルトスェデンボルグが絶対なのよw
スエデンボルクは偽りの父、悪魔の子だから、 彼のいうことも偽りです。
504 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 23:04:34.11 ID:Wk6grHOc
>>499 第一、その警告はキリストの(みことば)と思いっきり矛盾してますしね。
マタイ伝12.31-32には何と書いてありますか?
505 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 23:08:26.13 ID:Wk6grHOc
内的意義 聖書の文字の意義という書かれたままの意味の奥に内在する、高次な、霊的な意味のこと。 スェデンボルグは、「福音書」や「黙示録」と異なって、使徒たちの書簡類にはこの内的意義を 認めていない。これらはただ「宗教的に有益な文書にすぎず、「聖言」ではないとされる。 (霊界日記訳注)
聖書のみことばはひとつの箇所から教理を導いて判断してはならない。 旧約聖書と新約聖書を全て文字通り信じてはじめて、 神のみこころとご計画が理解出来るのです。
507 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 23:11:56.86 ID:Wk6grHOc
>>503 いつわりなら聖書(みことば)と整合しないはずだが。
スェデンボルグの解釈は、主キリストからのものだから聖書と矛盾しているところがない。
508 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 23:14:54.04 ID:Wk6grHOc
>>506 いくらやってもね、聖書は相応で書かれているから、相応の知識がないと分からないのよ。
旧約はとくに相応の知識で書かれているから、文字の意味から真意が分かることはない。
もう一度警告しておく。キリストの弟子たちの手紙を曲げて伝える者たちや 拒否する者たちは神の刑罰を免れることはない。 神の子キリストを袋叩きにし殺した復讐がもうすぐはじまるだろう。
510 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 23:18:25.96 ID:Wk6grHOc
イザヤ53.10、11 「病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ、 彼は自らを償いの献じも物とした。 彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは、 彼の手によって成し遂げられる。 彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。 わたしの僕は、多くの人が正しい 者とされる者とされるために彼らの罪を自ら負った。」 たとえば、これを文字の意味のままとると、十字架の贖いに結びつけてしまうことになる。 しかし、ここで言われていることは全然違うことなのだよ。
511 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 23:19:49.06 ID:Wk6grHOc
>>509 ワラカス^^
マタイ伝12.31-32には何と書いてありますか?
512 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 23:21:48.98 ID:Wk6grHOc
リンゴのような変質教が、イエスの教えを広めようとするからおかしな人が出来るんだろうな。
聖書のみことばを相応で書かれているという者たちは 聖書に書いてある恐ろしい預言を受け入れたくないという「逃げ」の精神が根底にある。 すなわち、ネヨのような異端カルトは逃げてばかりのヘタレです。
514 :
もも :2012/03/17(土) 23:24:51.59 ID:EFqLQXKX
ネヨさんもドライブでも行ったりして頭リフレッシュしてはいかが
スェデンオカルトでキリスト教ねーよねーよ言っててもねぃ
>>510 それのスェデンの解釈がなぜ正しいと言い切れるの
キリスト教神学のが歴史あるでしょうに
515 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 23:25:41.78 ID:Wk6grHOc
まだそんなこと言ってるのかい。 聖書が相応で書かれていることが分からないから、イエスの言われたことが何のことか分からないんですよ。
聖書は旧約と新約聖書を文字通り 全て信じて神のみこころの全体が理解出来ます。 ネヨのようなひとつの箇所から教理を導く者は 視野が狭いかサタンである。
517 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 23:31:51.85 ID:Wk6grHOc
>>514 スェデンボルグ神学の正しさは、主イエスの(みことば)と整合していることで証明できます。
その点、パウロの手紙は、主の(みことば)と整合していません。
>キリスト教神学のが歴史あるでしょうに
いくらあっても聖書に符合しない基本教義ばかりです。
アダム人祖・原罪説
三位一体の神
信仰義認
キリスト功績の責任転移信仰(おかげさま)
マリア・聖人崇敬
われわれクリスチャンとネヨとはなんの共通点もない。 聖なる者と俗になんの関わりがありますか。 なんの共通点もない。いやひとつだけあった。 わたしとスエーくんの共通点。 それはたまに可愛い顔文字を使う点だ。 (-_-;)
519 :
もも :2012/03/17(土) 23:37:28.45 ID:EFqLQXKX
>>517 >聖書に符合しない基本教義ばかりです
それはスエデン教祖とネヨさんが言ってるだけでしょ
>>518 www リンゴ氏ってたまに面白いよね(ゝω・)v
聖書が相応で書かれているなどとのたまうのは、 聖書の預言が恐ろしいゆえにそこから逃げたいという精神がもろにわかる。 相応、それは単なる「逃げ」でしかない。 聖書を文字通り信じる者はイエスキリストの身丈に成長していくだろう。
521 :
もも :2012/03/17(土) 23:42:48.89 ID:EFqLQXKX
>その点、パウロの手紙は、主の(みことば)と整合していません。 イエス自身が贖いの代価として来たと言ってる箇所があるのだから ネヨさんの嫌いなパウロ関係なくね
>>519 だってそうでしよう。ももさんとはイエスキリストにある家族、兄弟です。姉妹です。
スエとはなんの関わりもないよーん。
( ^∀^)
523 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 23:48:22.26 ID:Wk6grHOc
>>521 イエスの贖いを否定しているのではないんですよ。
十字架の死は贖いのみわざではないと言う話です。
リンゴに聞いてもしからないから、ももさんに聞きますが、
マタイ伝24章や黙示録は何のことについて書いてあると思いますか?
まあ精神未熟児の霊界マニュアル垂れ流しにばかり付き合ってもしょうがないので
ひとつネタの提供。
パウロ書簡で使われる PISTEOS IESOU CHRISTOU について。
対格的属格と取るか主格的属格と取るかで、意見が分かれるものですが
一般には「イエス・キリストに対する信仰(faith IN Jesus Christ)」と解されており、ほとんどの聖書訳は
対格的属格として解釈しています。
しかし近年特に主格的属格として解釈するほうが正しいと主張する学者が増えており
その場合には「イエス・キリストの信仰(忠実さ)(faith[faithfulness] OF Jesus Christ)」と解することになります。
なにぶんにも俺はギリシャ語がわからないし、細かい神学的解釈も知らないので
確信があるわけでもなんでもないですが、最近は後者の解釈のほうがしっくり来るんじゃないかという思いが強くなってます。
この話題に関する分かりやすい解説として以下を参考までに(英語文献)
(後半のルター神学との関連は俺にはほとんど理解できないです。)
興味のある方はどうぞ。
http://www.ctsfw.net/media/pdfs/justfaithofchrist.pdf
525 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 00:01:45.66 ID:Wk6grHOc
>>521 (あがなう)とは、罪の判決から救い出すこと、永遠の死から解放すること、悪魔の手中に
とらわれた人たちを取り返すことです。
これが、キリストのなされた(あがない)です。
このことは聖書からも証明できます。
キリストが人類の罪を背負われ、十字架のおん苦と死によって、罪を贖われたなどという
ものは、教会つくった信仰でしかありません。聖書的な根拠はどこにもありません。
>>524 うざいだけ
>>523 出ました!異端カルトの得意技。
ももさん、これに引っかからないほうがいいよ。
当然、ワンパターンマニュアルどおりに相手の答えを巧みに曲げて
異端カルトの教義を引用するのミエミエだから
>>525 別にじいさんを相手にしてるわけじゃないから無視すればぁ?
528 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 00:07:26.05 ID:pqXm2ZSO
>>526 内的意味のあるマタイ24章や黙示録に記されていることが何のことやら分からないので、
内的意味のない使徒たちの手紙ばかり読んでいるんだよ、リンゴは。
使徒たちの手紙なら、ほとんど文字の意味だけで理解できるからね。
新約聖書 「イエスキリストのことをいつも思っていなさい。」
聖書のみことばを内的意味で理解しようとする者たちは アンチキリストであり、サタンに属する者たちである。
531 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 00:15:54.52 ID:pqXm2ZSO
父なる神はアダムの犯した罪のために怒り、罪の宣告をし、その慈しみを閉じられ、 人間はみな呪われたものとして断罪されたわけですが、ご自分の御子がその刑罰を身に受ける ことを父なる神は望まれました。御子はそれを承諾され、そのためこの世に下り、人間性を身に つけ、十字架につけられ、人類の刑罰をご自分の身に移されました。 このようにして、御子は仲介ととりなしによって、おん父をなだめられました。 おん父は御子への愛のためと、十字架につけられた御子を見て、あわれみに心を動かされ、 人間を許そうと決められました。ただしそれも、おん父が御子の義を転嫁できる人にかぎります。 かれらは、怒りと呪いの子から、恵みと祝福の子になり、おん父はかれらを義とされ、救われるのです。 その他の者は、以前から定められているように、罪ある人としてとどまります。 このキリスト贖罪物語は、旧約聖書を根拠にしているのは、まちがいありません。 とくに創世記のアダム原罪やイザヤ書53章が根拠になっています。
>>493 たわごとですか。
では
>>373 >旧約の神エホバご自身がこの世に下られるのは、次の(みことば)からも明らかです。
ネヨさん、ここから始まるあなたの考えであるエホバご自身がは、
そのあなたのみことば引用箇所(>>373内)のどこに書いてありますか。
それと、あなたが結論に結んでいる
>永遠のむかしから父の神から生まれた子の神は幻想です。
も、同様にあなたの引用箇所のどこに書かれていますか。
書いてないのですが。
533 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 00:18:13.01 ID:pqXm2ZSO
>>530 内的意味で理解できなければ、ヨハネの黙示録などまったく書いてある意味が分からないじゃyないか。
リンゴこそ、アンチキリストであり、サタンに属する者である。
聖書を内的意味で理解しようとするネヨのような者たちは、 アンチキリストであり、サタンに属する者たちです。 彼らは聖書預言が自分たちに降りかかるのが怖いので、 それを認めたくないゆえに内的意味でごまかし逃げているだけなのです。 しかし、聖書預言どおり彼らに恐ろしい裁きが下ります。
535 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 00:25:37.92 ID:pqXm2ZSO
>>532 これまで何度もイザヤ書とルカ伝から引用して、エホバご自身が人間性をとられ
この世に下られたことを証明しているのに理解できないとはなぁ。
イザヤ11.1-3 40.10-11 53.1-2 1.35 を、もう一度よく読んできなさい
536 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 00:28:01.87 ID:pqXm2ZSO
>>534 聖書の内的意味が理解できないから、みことばの文字上の意味からとんでもないところへ
連れていかれるのですよ、リンゴは。
537 :
もも :2012/03/18(日) 00:35:03.99 ID:NgutbdXC
聖書を内的意味で理解しようとする者たちは ネヨのようにとんでもないサタンの教義へ連れて行かれるのです。 「相応」や「内的意味」という怪しい言葉を
聖書を内的意味で理解しようとする者たちは ネヨのようにとんでもないサタンの教義へ連れて行かれるのです。 「相応」や「内的意味」という怪しい言葉が出てきたら 悪魔のささやきと思って間違いありません。
>>373 は、以下ですよネヨさん。
「呼びかける声がある。
エホバのために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
【エホバの栄光がこうして現れる】のを、肉なる者は共に見る。」イザヤ40.3、5
「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで 【その根からひとつの若枝が育ち】
その上に【エホバの霊がとどまる。】知恵と識別の霊 思慮と勇気の霊 【エホバを知り
それ敬う霊。】
彼は【エホバを畏れ敬う霊に】満たされる。(11.1-3)
「【聖霊が】あなたに降り、いと高き方の力が【あなたを包む。】
だから、生まれる子は聖なる者、【神の子】と呼ばれる。」ルカ1.35
どこに書かれているのか答えなさい。
あなたが言っている事は、書かれていません。
541 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 00:55:19.96 ID:pqXm2ZSO
>>539 意味が理解できなかったようだから、もう一度書いておく。
「だから、言っておく。人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが霊≠ノ対する冒涜は
赦されない。人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも
後の世でも赦されることがない。」(マタイ12.31-32)
これは何を言っているかと言えば、「人の子に言い逆らう者」とは、聖書(みことば)の文字の
意味である自然的な意味を外観によって解釈することを意味している。
これは聖書を文字のまま解釈してその内容を冒涜しても赦されるということを言っているのだ。
なぜかと言えば、(みことば)の文字上の意味からは、みことばの真意を知ることができないから、
冒涜することができないからだ。
福音書で、「雲」に隠れて見えなくなったとはその意味であり、主イエスも、かれらには悟ること
ができないように、たとえで話されたと書かれている、(マタイ13.10-15)
しかし「聖霊に言い逆らう者」とは、(みことば)の神的真理を知り、これを否定したり、、みことばの本質的な諸善を不善化し偽りを教える者のことを言っているのだ。だから、かれらは現世でも
来世でも赦されることがないと書かれている。
これらの者のことを、マタイ伝では、偽メシヤ、偽預言者と言われ、大きなしるしや不思議なわざ
を行い、選ばれた人たちまで惑わそうとすると記されている。(マタイ24.24)
ヨハネの黙示録では、「獣」「竜」「バビロンの大淫婦」として描かれている。
542 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 01:01:35.53 ID:pqXm2ZSO
>>540 エホバの霊が、キリストの魂となられたと書かれてあるではないか。
それと、エホバの御腕は人間性をとられたキリストを表している。
永遠のむかしから父から生まれた子の神などどこにもいやしない。
エホバの霊がキリストの霊魂となり、エホバご自身が受肉しキリストとなられたのだ。
これでこそ本当の一神一主教となる。
543 :
もも :2012/03/18(日) 01:12:34.87 ID:NgutbdXC
>永遠のむかしから父から生まれた子の神などどこにもいやしない。 イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』」
544 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 01:24:59.78 ID:pqXm2ZSO
>>543 もちろん、キリストは永遠のむかしからおられます。
エホバご自身なのですから。
しかし、永遠のむかしから父から生まれた神の子などいません。
聖書と矛盾しますからね。
545 :
もも :2012/03/18(日) 01:28:05.42 ID:NgutbdXC
>>544 三位一体は別に矛盾しないですよ
ネヨさんは使徒引用は受け付けないから面倒です
ネヨさん自身が信頼するのはスエデンボルクという霊界人間解釈なのに
546 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 01:32:50.98 ID:pqXm2ZSO
>>543 「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、、、その上にエホバの霊がとどまる。
、、、彼はエホバを畏れ敬う霊に満たされる。」イザヤ11.1、3
「エッサイ」とはキリストの系図(マタイ1.5、6)
「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生れる子は聖なる者、
神の子と呼ばれる。」ルカ1.35
「いと高き方の力」とは、エホバの霊のこと。イエスはエホバの霊魂によって、マリアに身ごもったのです。
「見よ、あなたたちの神 見よ、エホバなる神。彼は力を帯びて来られ、御腕をもって統治される。
エホバは羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め小羊をふところに抱き、その母を導いて
行かれる。」イザヤ40.10、11
「御腕」は、人間性をとられた神の全能のこと。「母」は教会。
「わたしこそエホバ、わたしの前に神は造られずわたしの後にも存在しないことを。
わたし、わたしがエホバ、わたしのほかに救い主はいない。」イザヤ43.10、11
永遠のむかしからつくられた子の神の否定です。
救い主がエホばで、キリストがエホバの御腕で表される全能でなければ、矛盾します。
神はおひとりなのです。
「しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る。」ルカ22.69
これは、父の神の右に座すということではありません。
父と栄光を受け一体となった人の子が、すべて人間性を神化され、もとのエホバの御腕に
戻られることを意味します。「右に座す」とは、御腕で表される神の全能のことです。
>>542 >エホバの霊が、キリストの魂となられたと書かれてあるではないか。
【その根からひとつの若枝が育ち】彼は【エホバを畏れ敬う霊に】満たされる。
【聖霊が】【あなたを包む。】 だから、生まれる子は聖なる者、【神の子】と呼ばれる。
と書かれています。
549 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 01:44:21.49 ID:pqXm2ZSO
>>545 初期のキリスト教会、使徒教会のころには、三位一体のペルソナの神信仰はなかったのです。
それは「使徒信条」というものからはっきり分かります。
三位一体の神信仰は、ニケア公会議以降です。
これは本質的に、三神三主信仰ですから、旧約の一神一主信仰に矛盾します。
「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」出エジプト記20.3 申命記5.7
他イザヤ43.10、11、12 44.6 45.14、15
550 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 01:47:03.47 ID:pqXm2ZSO
>>548 肉体は霊魂によってつくられるのです。
イエスの霊魂がエホバの霊でなかったら、誰からのものだと言うのだい?
母マリアからといえば笑われますよ。
551 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 01:50:17.45 ID:boJheqsu
立証無しファンタジー
552 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 01:51:27.93 ID:pqXm2ZSO
【その根からひとつの若枝が育ち】彼は【エホバを畏れ敬う霊に】満たされる。 【聖霊が】【あなたを包む。】 だから、生まれる子は聖なる者、【神の子】と呼ばれる。 >と書かれています。 なんで、「いと高き方の力があなたを包む。」を抜かすのですか? 「いと高き方の力」とは何か分かっていますか? 「聖霊」が、イエスになられたのなら、三位一体の神は完全に矛盾しますね。 永遠から存在する子の神など不要です。
553 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 01:52:44.56 ID:pqXm2ZSO
>>551 これだけはっきり、聖書に書かれているじゃないか。
>>549 しっかし、ネヨさんはスーパーミラクル面倒ですね。
あのね、父とは天でしょ、子は地ですよ。
それで、私たちは今どこにいますか、地でしょう。
イエスも地で御生れになられた。
父と子と聖霊とは、その事が表現されているのです。
555 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 02:01:40.38 ID:pqXm2ZSO
>>554 なに言ってるの? 解釈がもうめちゃくちゃです
556 :
もも :2012/03/18(日) 02:01:47.43 ID:NgutbdXC
>>549 旧約は絶対でパウロはインチキって変でし
聖書は旧約新約合わせて神の霊感によって
書かれたものとして読むとリンゴ氏も言ってたでしょう
旧約で神はヘブライ語でエロヒムという複数形使ってるということでとか言うと
それは威厳のためとかうんたら言われるんでしょうね面倒れす
557 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 02:03:41.80 ID:pqXm2ZSO
>>556 スェデンボルグは、パウロは主キリストからではなく、すべてを自分自身から
とり上げて教義を作ったと言ってますしね、パウロの手紙は、主の(みことば)ではないのですよ。
558 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 02:05:01.48 ID:9xI/ztbd
ファンタジー本にはっきり書かれているのはファンタジー。
559 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 02:12:55.10 ID:pqXm2ZSO
>>556 三位一体の、父の神、子の神、聖霊の神は「位格 ペルソナ」なんですね。
人間で言えば「人格」のことです。
このような「ペルソナ」がどうしてマリアに宿れるのというのでしょうか?
「人格」が「お腹に身ごもった」とは滑稽です。
もし、父神、子の神、聖霊の神のペルソナに共通な本質が身ごもったというのなら、
それではもう子の神とは特定できません。自存の独立を表す「位格」の定義も崩壊します。
>旧約で神はヘブライ語でエロヒムという複数形使ってるということでとか言うと
神をエロヒムと複数形にするときには、天使や人も含めるのです。(ヨハネ10.35)
しかし他の神々はむなしいと書かれています。イザヤ45.14
>>552 抜かしていませんよ。
「【聖霊が】あなたに降り、いと高き方の力が【あなたを包む。】
だから、生まれる子は聖なる者、【神の子】と呼ばれる。」ルカ1.35
では、普通に読解。
いと高き方の力が聖霊によってあなたに降り、あなたを包む
で、次。
だから、生まれてくる子はそのいと高き方の力に包まれた聖なる神の子と呼ばれる。
(ちなみにこれは、マリアと天使の会話です)
561 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 02:14:34.18 ID:pqXm2ZSO
>>560 まぁ、あなたくらい鈍感だと聖書の判読は無理のようです。
562 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 02:17:02.61 ID:pqXm2ZSO
>>558 愚鈍な人間には、聖書はファンタジー本としか思えないのですよ^^
だから、犬や豚に与えるなと書かれている。
犬並み
563 :
もも :2012/03/18(日) 02:21:07.56 ID:NgutbdXC
>スェデンボルグは、パウロは主キリストからではなく、すべてを自分自身から >とり上げて教義を作ったと言ってますしね、パウロの手紙は、主の(みことば)ではないのですよ。 スェデンボルグの言ってることが信用に値すると判断したのはネヨさんくらい です パウロを否定するならスェデンボルグの正当性を 相手に納得されないと無理れすね、はい
>>561 いつも、逃げる。
そして
>まぁ、あなたくらい鈍感だと聖書の判読は無理のようです。
と、自分の事を相手に被せるネヨさん。
565 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 02:26:26.06 ID:pqXm2ZSO
>>563 だから、スェデンボルグ神学にもとづいている聖書の解釈が間違っている
と言われるのなら、ちゃんとその根拠を示して反論されればいいのです。
だーれかさんのやっている、誹謗・中傷からではなくね。
ここで、リンゴのように、パウロが正しいスェが間違っていると決めつけても仕方ないでしょう。
566 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 02:27:58.29 ID:pqXm2ZSO
>>564 おまいさんには何を言っても無駄なようです。
567 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 02:32:42.87 ID:pqXm2ZSO
>>563 ももさん、キリストの十字架の贖いは、この聖句からきていることは認めますか?
イザヤ53.10、11
「病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ、
彼は自らを償いの献じも物とした。
彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは、
彼の手によって成し遂げられる。
彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。
わたしの僕は、多くの人が正しい
者とされる者とされるために彼らの罪を自ら負った。」
568 :
もも :2012/03/18(日) 02:36:34.04 ID:NgutbdXC
>>565 いや スェデンボルグ神学には興味がないですもん
ただパウロが間違ってるという根拠がスエデンがそう言ってるからなら
スエデンの正しさを示しさないと根拠にならないと言ってるの
569 :
イスラム教徒 :2012/03/18(日) 02:39:21.91 ID:ziIg0OAd
570 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 02:43:01.64 ID:pqXm2ZSO
>>565 スェ神学の正さは聖書の内的意味を明らかにし、(みことば)を神の書としての
権威ある内容のものとして十分通用することで証明されます。
(みことば)を文字のまま読んでも、ただの書としてしか思えません。
で、
>>567 の問いについてはどう思われますか?
571 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 02:45:11.21 ID:pqXm2ZSO
>>569 イザヤ53章はイエスに関する記述です。
病を患っていないならどう解釈するのですか。
572 :
イスラム教徒 :2012/03/18(日) 02:59:46.02 ID:ziIg0OAd
アンチキリストがサタンだとは限らない。 アンチキリストとは、ユダヤ教徒、イスラム教徒、仏教の方々などである。 極希に悪魔(サタン)崇拝者がアンチキリストとしている。
>>567 イザヤ53.10、11
「病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ、
彼は自らを償いの献じも物とした。
彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは、
彼の手によって成し遂げられる。
彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。
わたしの僕は、多くの人が正しい
者とされる者とされるために彼らの罪を自ら負った。」
>・・・・キリストの十字架の贖いは、この聖句からきていることは認めますか?
認める認めないの前に、ネヨさん、自分でこれを読解し書いてみてください。
自分の霊力にあって(愛し)、自分の霊力をまず高めていくことによって、奉仕するためです。
574 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 03:01:47.48 ID:pqXm2ZSO
イザヤ53.10、11 スェデンボルグの解釈ではこうなります。 これはイエスについて言われており、イエスの試練は、それは諸々の地獄に反抗するものでありましたが、 極めて苛烈なものでした。それは、「病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ」により記されています。 なぜなら、試練により自分自身のものを求める愛は打ち砕かれ、身体は傷つけられ、弱められるからです。 「彼は自らを償いの献じも物とした」とは、もし彼が試練に耐え、死にすら至ったなら、を意味しているのです。 これは、イエスが母マリアから受けた人間性をすべて栄化し、神化して、母から来た人間的なものがすべて死な なければならないことを書いているのです。これが最後に与えられたキリストの試練だったのです。人間的なもの が死ななければ、イエスのおん体は神化できないのです。これが十字架につけられ死なれたという意義なのです。 だから、人間の罪を背負われて十字架の贖いのみ業をされたなどという意味ではないのです。 第一どうやって、人間の罪を背負われ、十字架の流血の死でぬぐうことができるというのですか。 そんなものは、オカルト信仰です。
575 :
イスラム教徒 :2012/03/18(日) 03:02:16.65 ID:ziIg0OAd
>>571 イエスが病を患っていないということは、
イエスの預言はイザヤ53章じゃない可能性があるということです。
576 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 03:06:19.96 ID:pqXm2ZSO
>>575 おバカなことは言わないのよ。
病とは、母からきている人間的な不浄なものを譬えているのよ。
577 :
イスラム教徒 :2012/03/18(日) 03:07:49.48 ID:ziIg0OAd
578 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 03:14:13.09 ID:pqXm2ZSO
>>577 イザヤ書53章は、全章にわたりイエスのご受難があつかわれている。
イエスが、みずから預言者として、(みことば)によって、ユダヤ教会の状態を
表しているのは、イエスの苦しみのひとつひとつから、知らされる。
フンw
579 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 03:26:29.13 ID:pqXm2ZSO
キリストは、ユダによって裏切られ、祭司長や長老たちによって捕えられ、罪の宣告をうけ、 殴打され、よしの棒でなぐられ、茨の冠をかむせられました。またキリストの衣服はバラバラ に分けられ、上衣はくじにされ、体は十字架につけられました。酸いぶどう酒を飲ませられ 脇腹を槍で突かれ、墓に葬られ、そして、三日目に復活なさったのです。 ここもみな相応の知識で知れされています。 解明はまたね でわでわ おますみん
やはりネヨさん自身の霊力ではないようですが、取りあえず返答致します。
>>574 イザヤ53.10、11
>スェデンボルグの解釈ではこうなります。
>これはイエスについて言われており、イエスの試練は、それは諸々の地獄に反抗するものでありましたが、
>極めて苛烈なものでした。それは、「病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ」により記されています。
ここで、注意しなければならない語句は、この人という言葉です。病に苦しむこの人、ここでは、誰それと指定されていない配慮をそのまま受け取る必要があります。
>なぜなら、試練により自分自身のものを求める愛は打ち砕かれ、身体は傷つけられ、弱められるからです。
>「彼は自らを償いの献じも物とした」とは、もし彼が試練に耐え、死にすら至ったなら、を意味しているのです。
ここで、なぜならとスェデンボルグは来ますが、病に苦しむこの人を打ち砕こうは、肉の重みに耐えかねてよからぬ方向に逸れていく
陰を背負う人々の暗さです。
イエスがわざわざ肉体を持たれたのは、イエスが病にいるというのではなく、
同じ重みを背負う、我々と同じ地平に立って下さった。
そして、霊に生き、愛に生きようとすれば
自分が(イエス)これから示すように、古い時代は、このように肉体を捨てると言う大変過酷なことになる。
どうだ君たち、これから新しい時代だ、 考え方を変えてみないか、肉体を持ちながらも愛し合うということはできないものかね。 その為に自分の血をふりしぼろう、私の贖いは取引としての捧げものやおかげの無明世界ではないのだ。 肉を持ってもそれに圧倒されず、支配されず、互いに愛し合って手を取り合って 生きる事を宣言しようではないか。肉体の処刑は不安、信じない、恐れに対するものだ。 私は肉体から来るものを木っ端みじんにして、そのような肉体の持つ性質に自分を支配させないで 喜びと幸せの内に生きようとする大転換の目からうろこがはがれるような意識の転換を死と復活で見せよう。 (霊主体従) >これは、イエスが母マリアから受けた人間性をすべて栄化し、神化して、母から来た人間的なものがすべて死な >なければならないことを書いているのです。これが最後に与えられたキリストの試練だったのです。人間的なもの >が死ななければ、イエスのおん体は神化できないのです。これが十字架につけられ死なれたという意義なのです。 イエスがというよりも、肉体を持ちそれにリードさせてしまう無明(体主霊従・力主霊従)盲目を処刑しているのであって、 人間的なものを処刑しているのではありません。
>だから、人間の罪を背負われて十字架の贖いのみ業をされたなどという意味ではないのです。 だから、人間の肉体の重さから来る病の奴隷状態にある者が、イエスを十字架にかけ、 イエスがそれを逃げずに受ける事によって病と奴隷状態から解放するという、他者や動物に被せ犠牲にして 取引をするのではなく、自分自身が真っ直ぐに被って(愛して)、言葉のトリックの無い真の贖いの御業をなされたのです。 >第一どうやって、人間の罪を背負われ、十字架の流血の死でぬぐうことができるというのですか。 >そんなものは、オカルト信仰です。 それで、全人類が、罪が無くなったというような話しを誰もしていませんが。 キリストイエスと手を繋ぐということです。その御業を自分の命として輝かし イエスと共に生きる、歩むということです。 私は自分の体験が先にあり、聖書と出会ったのですが、命が生きづく、常に神性、新生の瞬間をもたらす 聖霊の御働きのある間違いの無い、聖なる書だという確信があります。
ま〜たじいさんが鼻であしらうのは目に見えてるから、先んじて釘を差しておこうw ID:1uNSPAR4さんの読み方は伝統的なクリスチャンの読み方とは違うかもしれないが 少なくとも聖書を自身の実存で引き受けて、そこから言葉を紡ぎ出しているのは、はっきりとわかる。 だがじいさんはこれを「感情論」「精神論」というレッテルの下に一蹴して 霊界マニュアルの模範解答で塗り潰す、でしょ?やろうとしたのはw 教義や神学を否定するつもりは全くないが、自分の実存に引き合わせて聖書を読むことが先行しないのであれば 聖書なんてよくてせいぜい古文書。悪けりゃ単なる昔のおとぎ話で終わってしまう。 教義や神学が個人にとって意味を持ち始めるのは実存と聖書の往復運動に深い確信か新たな視角を与える時だけ。 それでも教義や神学を語るのであれば、初期の教会の中で一体の信仰として編纂された正典群から 自分の解釈にとって都合の悪い書物は差し引いて、残りを勝手に霊界仕様の相応とやらで辻褄合わせをするような 詐欺行為は内容以前にそもそも検討にすら値しない。 とまあ言ったところでタラコの詰まった頭じゃ理解できないんだな、これがw
584 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 08:38:39.48 ID:pqXm2ZSO
自分がタラコあたましていることも分からないんだよこの人は。 凡夫のチェで聖書の内容を調べようとするからこうなるのよ。幼稚杉の一言
586 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 09:18:56.28 ID:pqXm2ZSO
聖書を文字の意味に固執すると、途方もない幻想の世界に連れて行かれます。 ネフィリムを巨人と思います。(民数記13.32-33) でも霊的解釈によれば、ネフィリムとは、自分の偉大さと優越性に自己過信した 結果、聖なるものや真理のすべてを無価値なものにした人たちのことなのです。
>>584 まあまあじいさん、そうむくれるなってw
月人がゲップで会話するとかそういう高度な霊界教義は凡夫の俺にはなかなか理解できないんだよw
霊界マニュアルはちょっと脇に置いておいて自分の経験に照らして自分の言葉で語ってみ?
そしたら聖書無知で幼稚杉の俺だって真面目に聞くからさ。いや本当に。
>>586 なんかもう何でもいいから食いついて霊界マニュアル垂れ流そうとしてるでしょ?w
父なる神と主イエスキリストに賛美、栄光、知恵、誉、尊厳、勢い、愛、そして全てのよきものが永遠にありますように。 また、主イエスキリストを信じる全ての人たちに神の愛と祝福が永遠にありますように。
みことばの続きは夕方からはじめます。
590 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 09:34:22.15 ID:pqXm2ZSO
ネフィリムは、神の子らが人の娘たちのところへ入って産ませた者とあります。(創世記6.4) 「神の息子たち」とは、信仰の教義内容を意味し、「人の娘たち」とは、欲望を意味します。 その出産の結果として、信仰の聖なるものを無価値にして冒涜してしまったということです。 ネフィリムの子孫はアナクおよびレパイムと言われています。 レパイムについては、イザヤ書に記されています。 「地下では、陰府が騒ぎが起こす お前が来るのを迎えて。そして、亡霊たちを 呼び覚ます。」(イザヤ14.9) 「あなたの送られる露は光の露。あなたは死霊の地にそれを降らせます。」(イザヤ26.19) 「死霊の地」「レパイムの地」とは、「地獄」のことです。
591 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 09:35:19.66 ID:pqXm2ZSO
>月人がゲップで会話するとかそういう高度な霊界教義は凡夫の俺にはなかなか理解できないんだよw そんなことどこに書いてるんだアホタレ
>>591 あれ?ゲップで会話するのは金星人だっけ?
散々講釈垂れてたじゃん、進化論スレでw
593 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 09:43:03.94 ID:pqXm2ZSO
>>592 まったくウィキレベルの知識しかないから、いつまでたってもそんなことしか書けないのだ。
スェデンボルグの、「宇宙の諸天体」を読んだこともないのだろう。
ここは聖書無知がくるところではない。進化論スレに帰れバカモン
>>593 > スェデンボルグの、「宇宙の諸天体」を読んだこともないのだろう。
SF小説はあまり興味ないもんでw
帰れって言われたって一応ネヨじいさんの教育係だからなあ。途中でお仕事投げ出すわけにもいかないしなあ。
595 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 09:50:06.18 ID:pqXm2ZSO
>>594 なにが教育だ。無知無能のくせに きちがい
596 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 09:51:59.40 ID:pqXm2ZSO
宇宙の諸天体がSF小説だって また無知さらしている。
>>595 その無知無能に教育されなきゃならないネヨじいさんってw
>>596 じいさん、せめてジョークにはジョークで返そうよ…
599 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 09:54:53.43 ID:pqXm2ZSO
>>597 無知無能の人間が他人を教育できるかアホタレ
釈迦に説法や まだ尻の青いガキのくせして
>>599 ねえねえ、そのセリフこの前も使ったよ?
601 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 10:00:29.71 ID:pqXm2ZSO
>>600 対等な立場で話がしたかったら、もっと聖書の勉強をしてこい。
おまえは無知杉でうざいだけな。
粘着するなきちがい
>>601 じいさん、対等の立場じゃないよ。一応俺、じいさんの教育係だからw
それに日曜の朝からそんなに癇癪起こしてると体に悪いよ。もういい年なんだから。
603 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 10:03:25.18 ID:pqXm2ZSO
>>602 おまえみたいなのを厚顔無恥というのだ。
>>603 でも面の皮の厚さならじいさんも負けてないよ?
あれ?おじいちゃん、フテ寝しちゃった? じゃあまた来るからね。寂しがらないでね。
606 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 10:13:11.82 ID:pqXm2ZSO
604 :神も仏も名無しさん:2012/03/18(日) 10:05:27.15 ID:GkFDZPT8 ↑ みなさん、進化論スレからずっとこの調子なのです、この男は。 何も合理的なレスができないで、ただ他人に粘着して煽りといやがらせをしているだけの人間です。 それで、自分がまっとうな人間だと思っている異常者です。 もうこれが何年も続いているのです。 こんなことされれば、大抵の人間は頭にくると思いませんか? とり合うとかさにかかってレスしてくる異常性格者なのです。 なんとかしてくらさい。
>>606 あれ?じいさん、起きてたんじゃん。
> なんとかしてくらさい。
なんとかしてあげようか?簡単なことだよ。
1.スウェーデンボルグとは関係の無いスレで霊界マニュアルを延々と垂れ流さないこと。
どうしても垂れ流したくなったら専用スレを作ってそこでやること。
2.専用スレ以外では一方的な説教ではなく相手の話も真摯に聞くこと。霊界マニュアル垂れ流しに利用出来るレスだけ
利用して、都合の悪いレスをガン無視し続けるようなことはしないこと。特に相手が真剣に信仰や心情を吐露したり
善意から丁寧にレスしてきたときには決して足蹴にするような真似はしないこと(←これやったら絶対に許さないから)。
3.間違ったなら罵倒や誤魔化しでリセットするのではなく素直に認めるよう努力すること。
そして自分が悪かった場合は素直に謝ること。
この3つができたらすぐになんとかなっちゃうよ?
じゃあまたあとで来るからね。
608 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 12:14:19.55 ID:pqXm2ZSO
609 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 12:21:08.15 ID:pqXm2ZSO
>>607 小人閑居して不善をなす
おまえのような幼稚なガキはもう来なくていいよ。
じぶんの酢あたまから腐ったウンコ垂れ流さないように、おしめして家でおとなしくしてなさい。
>>567 そのようなみことばはイザヤの預言には書いてない。勝手に聖書のみことばを捏造してはならない。
それは異端カルトのスエデン訳か。
主が病を患ったと書いて聖書の箇所は皆無だ。
神である主イエスが 病を患われることはない。
その聖書はどこの訳なのか
612 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 12:35:36.68 ID:pqXm2ZSO
2.専用スレ以外では一方的な説教ではなく相手の話も真摯に聞くこと。霊界マニュアル垂れ流しに利用出来るレスだけ 利用して、都合の悪いレスをガン無視し続けるようなことはしないこと。特に相手が真剣に信仰や心情を吐露したり 善意から丁寧にレスしてきたときには決して足蹴にするような真似はしないこと(←これやったら絶対に許さないから)。 許すも許さないもあるものか。 その人たちは、勝手に自分の思うところを信仰していればいいんだ。 それを自分たちの信仰が正しく、こちらの言っていることが誤りだと決めつけるから 心ならずも、聖書的根拠からその誤りを指摘しているのだ。
613 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 12:44:19.69 ID:pqXm2ZSO
>>611 新共同訳聖書
イザヤ53.10
「病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ、
彼は自らを償いの献げ物とした。
「この人」とは、イエスキリストのこと。「主」はエホバのこと。
614 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 12:44:55.85 ID:hch0iCRx
>>611 35:マタイによる福音書 / 25章 35節
お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
18:ヨハネによる福音書 / 21章 18節
はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」
そのレスちょっと待った
>>613 そのみことばの箇所は聖書学者の間では誤訳とされてます。
カトリックとプロテスタント共同作の新共同訳は誤訳が多い。
なお、誤訳の最たるものは「悔い改め」という言葉です。 これは罪を悔いるという意味ではありません。原語から忠実に訳すと 「悔い改め」ではなく、「心をいれかえる」となります。 また、「考えをかえる」とも訳されます。
617 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 13:05:04.94 ID:pqXm2ZSO
>>615 自分の都合に合わせたそんな勝手解釈は許されない。
それっでは、キミの使っている聖書ではいったいどう記されているというのだ?
どこの聖書訳かいってごらん。
>>616 >「悔い改め」ではなく、「心をいれかえる」となります。
当たり前だ。
悔い改めるから、心を入れかえるとか、再生されるとか、新しく生まれからると言うのだ。
618 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 13:12:33.99 ID:pqXm2ZSO
リンゴは、キリストが、神エホバと人間の母の間にお生まれになった「神人」だと言うことが、 理解できていないようです。 アタナシウス信条にもこう書かれてありますね。 キリストは完全な神であり、完全な人であって、理性的な魂と人間の肉をとっていて、 神性にしたがえば父と等しく、人性にしたがえば父より小さい。
スエさん、「私の聖書解釈が間違ってた時の全責任を私が負います」と神様に誓ってよ。
>>617 異端カルトのおまいも不信仰の「心をいれかえ」イエスキリストを信じなさい。
話はそれからだ。このままではおまいに旧約聖書の預言どおりの恐ろしい裁きが下ります。
621 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 13:16:43.53 ID:pqXm2ZSO
リンゴの信奉しているパウロの手紙にもこう記されている。 「キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、 見える形をとって宿っており、あなたがたは、キリストに おいて満たされているのです。」と コロサイ2.9
622 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 13:18:59.61 ID:pqXm2ZSO
>>620 そんな呪いの言葉はいいから、ちゃんと合理的な論理のもとに反論すること。
呪いの言葉を吐くのはサタンしかいない。
623 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 13:21:00.77 ID:pqXm2ZSO
リンゴおまえこそ、パウロの作文など信奉しないで「心をいれかえ」イエス・キリストの(みことば)だけ信じなさい。
624 :
イスラム教徒 :2012/03/18(日) 13:22:00.31 ID:ziIg0OAd
>>611 リンゴへ
>神である主イエスが 病を患われることはない。
>その聖書はどこの訳なのか
イザヤ、苦難の僕の挽歌(52・13〜53・12)―
http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/58izaya.html 53:3 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
53:4 彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。
53:10 病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ/彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは/彼の手によって成し遂げられる。
53:11 彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために/彼らの罪を自ら負った。
>>623 キリストは人となられた神であり、神の子である。
>>621 キリストは人となられた神であり、神の子である。
ID:pqXm2ZSO=ネヨ あほちゃいまっか(笑) だから人間の肉体の重さを背負う地平に降りて下さったというのは、 その重さの為に病的にあらぬ方向に行くネヨさんに対して、 ネヨさんを愛して(引き受けて)、その病を処刑して下さったのであり、 イエスは肉がしでかしてしまう苦痛や人によってはそのことで詐欺的なことをしてしまう、ウソをいきてしまう、 そのような、同じ人間としての試練がある我々の場所に、同じ地平に降りてこられ、同じ地平であるのにネヨさんのようではなく、 イエスは同じ環境にあって尚、病にあるネヨさんとは違い、負けられなかったのですよ。 ネヨさんのように病気じゃないの。 なぜそんな事がわからない?
>>622 そんなことはない。旧約聖書でも新約聖書でも
神のみことばに逆らう者たちは呪われるとある。
パウロも「われわれの伝えた福音と違うことを教える者は神に呪われよ」と書いている。
ネヨのような異端カルトは神に呪われるがいい。
神と子羊キリストの御前で永遠に苦しみの刑罰を受けるのです。
これは聖書に書いてあることだから必ず成就するでしょう。
ネヨ、「心をいれかえなさい」。そして、イエスキリストを信じなさい。
629 :
イスラム教徒 :2012/03/18(日) 13:40:32.61 ID:ziIg0OAd
>>628 >神と子羊キリストの御前で永遠に苦しみの刑罰を受けるのです。
神はどんな悪人にも”永遠の苦しみ”という刑罰を与えません。
なぜなら悪人、病気、災害などを創造されているのも神だからである。
神はこの世の全ての創造主である。
神が望まれる刑罰とは、神が考案したシャリーアを考慮してもわかる通り同害報復刑法(キーサス刑であり平等の意)である。
630 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 13:40:44.56 ID:pqXm2ZSO
>>628 神は呪われないんだよ。それは神のご本質から不可能なのだ。
聖書に神が怒り、いきどおり、責任を問い、罰をあて、復讐され、
地獄に投げ入れると書いてあるが、それは見かけ真理の外観に過ぎない。
聖書を文字の意味だけでしか読まない人間のたわごとなのだ。
神をそのようなお方だと思う人間こそ、神を冒涜していることに気づかない。
>>624 だから、それ誤訳。 主イエスキリストは「病を患っていた」のではなく、
「病を知っていた」と訳すのが正しい。
この「知っていた」は原語で「関わっていた」という意味です。
すなわち、主イエスキリストは病人に関わっていたとなります。
事実、主イエスキリストは多くの病人に関わり、
その全ての人の病をいやされたことが聖書に書いてあります。
632 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 13:45:26.45 ID:pqXm2ZSO
>>629 >神はどんな悪人にも”永遠の苦しみ”という刑罰を与えません。
またウソ吐いてる。地獄を否定するのか。
>なぜなら悪人、病気、災害などを創造されているのも神だからである。
悪人は人が自由意志を使って自ら精神を転倒させることから起こる。
病気や災害は、神のみ摂理の最外殻に存在している。
633 :
イスラム教徒 :2012/03/18(日) 13:50:29.84 ID:ziIg0OAd
>>632 そもそも”永遠の苦しみを与える”なんてムチャクチャな話であり、無責任極まりないとは思わないのかい?
そんな苦しみを与えられる可能性があるなら、人類はこの世に生まれたくないだろう。
悪人に関しては、少なくとも言えることは神は悪人の加害行動を止められていない。
そして、この世の歴史は決まっている。つまり悪人の人生も最初から決められているのであり、神が悪人を創造されていると言っても過言じゃない。
634 :
イスラム教徒 :2012/03/18(日) 13:54:43.57 ID:ziIg0OAd
地獄は否定しない。最後の審判は俺は信じているし。 ただ永遠の苦しみを神が与えられるわけがない。
635 :
イスラム教徒 :2012/03/18(日) 13:56:16.20 ID:ziIg0OAd
>>631 そうですか・・・不に落ちないですけど・・・
636 :
イスラム教徒 :2012/03/18(日) 14:03:02.73 ID:ziIg0OAd
635を訂正 不→腑
>>629 >>630 主イエスキリストを信じない者たちは神の呪いを受けます。
これは神の恵みから永遠に離され、神の裁きを受けることを意味します。
一杯の食べ物で長子の権利を売ったエサウは神に呪われ
神の祝福が受けられなくなったことが聖書に書いてあります。
638 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 14:04:18.48 ID:pqXm2ZSO
>>633 天界の天使たちから見れば、地獄の永遠の苦しみも、地獄の霊たちにとっては、
無上の歓びとなるのだ。法も束縛も何もない世界だから、思いっきり悪いことが
出来るからかれらにとっては、地獄も楽園となるのだ。
反対に、地獄の霊たちが天界に入ろうとすれば、火にあぶられたように身もだえして
苦しむのだそうだ。かれらの精神は完全に転倒し気が狂っている。
639 :
イスラム教徒 :2012/03/18(日) 14:06:26.06 ID:ziIg0OAd
殺人が快楽に感じるようにされているのも神なんじゃないかな・・・これは推測にすぎず絶対そうだと判断はできないが・・・
640 :
イスラム教徒 :2012/03/18(日) 14:08:03.74 ID:ziIg0OAd
641 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 14:11:10.06 ID:pqXm2ZSO
>>631 >だから、それ誤訳。 主イエスキリストは「病を患っていた」のではなく、
>「病を知っていた」と訳すのが正しい。
>すなわち、主イエスキリストは病人に関わっていたとなります。
それはどこの聖書訳からだよ?
まず、どこの聖書訳か行ってみろ。
つじつまを合わせようとして、何故そのようなウソを書くのだ。
「病を知っていた」では、イザヤ書のその部分の文章の前後がつながらなくなるだろう。
神のみことばを曲げて伝える異端カルトは神に呪われ、 永遠の刑罰を受け、神と子羊キリストの御前で 永遠の苦しみを受けることが聖書に書いてあります。 しかし、キリストを信じる人々には神の祝福と恵みが永遠に与えられ、 天のエルサレムで父なる神とキリストを褒め称えるのです。
>>641 「知る」が「関わる」を意味することは過去スレでギリシャ原語で答えている。
それよりネヨのような異端カルトは神と子羊キリストの御前で永遠に苦しみを受けます。
心をいれかえなさい。
644 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 14:17:17.60 ID:pqXm2ZSO
>>639 神から与えられた、自由意志を悪用して、自己愛のエゴに堕ちて逝く
ことは、「善悪と知識の木から食べた」という、話で記されている。
神は善そのもの、英知そのもの、愛そのもの、真理そのもののお方が。
神の善を悪に、神の真理を虚偽に反転していく人間の側にすべて責任がある。
645 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 14:19:50.78 ID:pqXm2ZSO
>>643 キミはまったく表面的な言葉信仰しかないから、キリストが神人であること、
キリストが行われた(あがない)、キリストが十字架でなされたみわざの意味が
まったく理解できてないだけなのだよ、リンゴ。
646 :
イスラム教徒 :2012/03/18(日) 14:20:16.63 ID:ziIg0OAd
>>642 新約聖書は正しい部分も多いですが、間違っている部分もあるというのが俺の見解です。
”永遠の刑罰を受け”なんていう教えも間違っていると判断しています。
神がそんなムチャクチャな刑罰を人に科すわけがありません。
ただし、新約聖書の言葉を信じ、その教えを全うすることは今後の人生において良い方向に向かうと思います。最後の審判もありますしね。
聖書のみことばを曲げて伝える異端カルトは永遠に神から離され、 悪魔と共に恐ろしい裁きを受けます。 しかし、主イエスキリストを信じる人々には神の祝福が永遠に与えられ、 天のエルサレムで神と子羊の光に照らされ、 喜び踊る者とされます。
俺様は神様をも消滅させる!?♪。
649 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 14:25:20.07 ID:pqXm2ZSO
>>647 (みことば)をひん曲げて解釈しているのは、リンゴキミのほうだ。
650 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 14:26:34.28 ID:pqXm2ZSO
>>647 意味も分からないことを盲信しないこと。
キリストを信じないネヨのような異端カルトは、 恐ろしい神の裁きを受けるでしょう。
652 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 14:31:16.70 ID:pqXm2ZSO
キリストは、神のみ子とか、人の子とか、マリアの子と呼ばれているが、「神の子」とは、 そのイエスの人間性のうちに宿られた神エホバのこと、「人の子」とは、(みことば)の面での イエスのこと、「マリヤの子」とは、みずから身に帯びられた人間性そのものを指す。 「マリヤの子」とは、たんなる人間性そのもので、それは出産がおん父に由来する霊魂と、 母に由来する肉体をもつ人間性の出産だったことからも明らかなのだ。 イエスは、地上の人間と同じように母親の胎にみごまれ、誕生し、人間と同じものを食べられ、 幼児の時は幼児のようであり、少年のときは少年のようであり、それ以降の同じであった。 ただちがう点は、ほかの人間よりずっと早く、しかも完全に、進歩と成長の道を歩まれたと いうことだ。 したがって、「マリヤの子」としての、イエスの人間性にある遺伝悪が病んでいたのだ。 この病が十字架の最後の試練で、取り除かれイエスはおん父と完全に合体されたのだ。 父から栄光を受けることから、これを「栄化」または「神化」と呼ばれている。 だから、無原罪のマリヤや、無原罪のイエスなどあり得ないのだ。 主イエスもみずからこう言われている。 「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。」マルコ10.18 「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとに上っていないのだから。」ヨハネ20.17 イエスは、母由来の人性の上で人間と同じように病におかれていたので、数々の誘惑と試練を 受けられ、最後に十字架のおん苦と死により、人間性をすべて脱がれたということなのだ。 そうして、三日の後、元の神エホバとしてよみがえられたのです。
653 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 14:32:48.60 ID:pqXm2ZSO
>>651 だからね、自分が一番キリストが分かってないんだよ。
分かっていないから、言葉信仰しかできないんだよ。
654 :
イスラム教徒 :2012/03/18(日) 14:33:48.12 ID:ziIg0OAd
655 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 14:34:32.79 ID:pqXm2ZSO
まったくリンゴは、キリストを褒め殺しにしているパウロと変わりません。 お粗末なキリスト信仰です。
スエさん、「私の聖書解釈が間違ってた時の全責任を私が負います」と神様に誓ってよ。
>>633 >悪人に関しては、少なくとも言えることは神は悪人の加害行動を止められていない。
>そして、この世の歴史は決まっている。つまり悪人の人生も最初から決められているのであり、神が悪人を創造されていると言っても過言じゃない。
悪人というのは、自分が悪を選択したという結果を現わすものですよ。
神というと難しいかもしれませんので、まず人間の社会で考えてみるというのはいかがでしょう。
人が、あなたがこの世に産まれてから、今日まで生きてこれた、よくよく観察すると、人が手を差し伸べたりあなたを保護しよう(愛)があったはずです。
少なくとも今何かを食べて衣食住をなんとか維持できているのは、視えなくとも手を差し伸べている具体の上に自分がいるのです。
その視えないものを、自分が見ないも含めた、何を自分が視るのかの選択のチャンスはあっても、自分がそれを振り払い振り払いしてきた
その視野を選択したその選んだ結果が、悪人ですよ。自分で選んで悪人になったのです。
人が手を差し伸べている、その手は霊として流れ来る心の生命線です。
その生命線の源が神です。
>>643 そうですね。
「かれらは自分が何をしているのかわからない、知らない」とイエスは仰います。
イエスは知らない病を生きる病人ではなく、病を知る人だった。
>心をいれかえなさい。
そうですね、心をいれかえるとは、心の生命線を自ら断ち切っている事に気付き、
生命線を回復する事だと私も思います。
659 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 15:15:35.24 ID:pqXm2ZSO
パウロ書簡を読めば分かることだが、パウロは復活された後の、すなわち「栄化」あるいは 「神化」され、よみがえられたキリストしか語られていない。 それは、そのはずなのだ。パウロは早い時期の書簡でこう言っている。 「それで、わたしたちは、今後はだれも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリスト を知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。」コリントU5.16 「肉に従って知ろうとはしない」とは、生前のイエスを知ろうとしないという意味である。 もうこんなことを言っているのだ。本来なら、主キリストの生前の言行を中心に布教すべき ことなのだ。それがパウロは必要ないと言いきっている。 「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト 以外、何も知るまいと心に決めていたからです。」コリントT2.2 いくら自分で心に決めていたことだからと言っても、これがキリストのご命令だとも思えない。 なぜなら、イエスは直弟子たちにはこう言われているからだ。 「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の 名によって洗礼(バフテスマ)を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」マタイ28.19、20 こう書くと必ず、パウロは、異邦人たちのために特別な使命を帯びて、キリストに選ばれたので、いわゆる旧約の「選民」と、 「異邦人たち」の教えがちがっていて当然だという反論が過去スレでもあった。 しかし、キリストは「すべての民をわたしの民にして、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」 と言われているのだから、これは明らかに矛盾している。
660 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 15:17:46.19 ID:pqXm2ZSO
661 :
イスラム教徒 :2012/03/18(日) 15:28:52.27 ID:ziIg0OAd
>>657 この世は全て運命なのです。
悪人も運命に流されてしまったなどで”哀れむ存在”。
悪条件がそろってしまったがゆえに殺人などの加害行動をしてしまうという避けられない心理があります。
自殺した人が考え直せなかったのも運命と同様な心理。
だから被害者の気持ち加害者の気持ちを考慮すれば、同害報復刑法(平等の意)が適している。
それから、この世の歴史は決まっている。つまり悪人の人生も最初から決められているのであり、神が悪人を創造されていると言っても過言じゃないのです。
ノアの洪水以降、世界が不本意に終わることがないよう神が歴史を決められています。
歴史というものは、神が人々の平等願望、様々な心理などを熟慮してつくられています。
預言というものは、歴史を変えてはならないから暗示という形で記されています。
662 :
イスラム教徒 :2012/03/18(日) 15:32:35.25 ID:ziIg0OAd
もう寝るよ
>>658 「時が満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と聖書に書いてありますが、
この「悔い改める」は動詞でギリシャ語の「メタノエオー」。「悔い改め」は名詞で「メタノイア」です。
これを最も忠実に訳すと「心をいれかえる」「考えを変える」になります。
では昨日のみことばの続きをやります。
その後、パウロはアテネを去ってコリントに行った。
666 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 15:41:54.83 ID:pqXm2ZSO
人は、新しく生まれ変わらなければ、神の国に入ることができないことは、ヨハネによる 福音書にちゃんと記されている。 「イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を 見ることはできない。』ニコデモは言った。『年をとった者が、どうして生まれることができましょう。』 もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。』 イエスは、お答えになった。 『はっきり言っておく。だれでも水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない。 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。』」と(ヨハネ3.3-6) 新しく生まれからるとは、霊的に再生するということである。 「水と霊によって生まれる」とは、(信仰の真理)および(その真理にもとづく生活)によって 生まれ変わることを言っている。ただ、キリストを信じたから生まれ変わるとか、十字架の贖い を信じたから新しくつくりかえられるというような、た安易に得られるものではない。 「水」とは、真理のこと、「霊」は、神の真理に基づく生活のことで、これはイエスの教えを守り ご命令を実践することでしか得られない。
そこで、アクラというポント生れのユダヤ人と、その妻プリスキラとに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人を ローマから退去させるよう命令したため、彼らは近ごろイタリヤから出てきたのである。パウロは彼らのところに行ったが、 お互い同業者であったので、その家に住み込んで、一緒に仕事をした。テント造りがその職業であった。 1
パウロは安息日ごとに会堂で論じては、ユダヤ人やギリシャ人の説得に努めた。
669 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 15:48:14.56 ID:pqXm2ZSO
(みことば)で言っている、「悔い改め」とは、神に反抗する罪となる悪を欲しないこと、 またそれを行わないと決意することだ。 人が悔い改めるほど、罪がとり除かれ、罪がとり除かれれば、とり除かれるほど、 罪が赦されると、イエスは教えられている。
シラスとテモテがマケドニアから下ってきてからは、 パウロは御言葉を伝えることに専念し イエスがキリストであることをユダヤ人たちに力強くあかしした。
671 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 15:52:20.19 ID:pqXm2ZSO
>>661 >それから、この世の歴史は決まっている。つまり悪人の人生も最初から決められているのであり、神が悪人を創造されていると言っても過言じゃないのです。
それをね、キリスト教では「予定説」といって、蛇蝎のごとく忌み嫌われています。
そのような神は神ではなく、ただのバカです。
しかし、彼らがこれに反抗してののしり続けたので、パウロは自分の上着を振りはらって、彼らに言った、 「あなたがたの血は、あなたがた自身にかえれ。わたしには責任がない。今からわたしは異邦人の方に行く」。 こう言って、彼はそこを去り、テテオ・ユストという神を敬う人の家に行った。その家は会堂と隣り合っていた。
会堂司クリスポは、その家族一同と共に主を信じた。 また、多くのコリント人も、パウロの話を聞いて信じ、ぞくぞくとバプテスマを受けた。
すると、ある夜、幻のうちに主がパウロに言われた、「恐れるな。語りつづけなさい、黙っていてはいけない。 あなたには、わたしがついています。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる」。 パウロは一年六か月の間ここに腰をすえて、神の御言葉を彼らの間に教えつづけた。
ところが、ガリオがアカヤの総督であった時、ユダヤ人たちは一緒になってパウロを襲い、彼を法廷にひっぱって行って訴えた、 「この人は、律法にそむいて神を拝むように、人々をそそのかしています」。
パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人たちに言った、「ユダヤ人諸君、何か不法行為とか、悪質の犯罪とかのことなら、 わたしは当然、諸君の訴えを取り上げもしようが、これは諸君の言葉や名称や律法に関する問題なのだから、 諸君みずから始末するほうがいい。わたしはそんな事の裁判人にはなりたくない」。
こう言って、彼らを法廷から追い払った。そこで、みんなの者は 会堂司ソステネを引きとらえ、法廷の前でうちたたいた。 ガリオはそれに対して、素知らぬ顔をしていた。
さてパウロは、なお幾日ものあいだ滞在した後、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向け出帆した。プリスキラとアクラも同行した。 パウロは、かねてから、ある誓願を立てていたので、ケンクレヤで頭をそった。 一行がエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残しておき、 自分だけ会堂にはいって、ユダヤ人たちと論じた。
人々は、パウロにもっと長いあいだ滞在するように願ったが、彼は聞きいれないで、 「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰ってこよう」と言って、別れを告げ、エペソから船出した。 それから、カイザリヤで上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてから、アンテオケに下って行った。
そこにしばらくいてから、彼はまた出かけ、ガラテヤおよび フルギヤの地方を歴訪して、全ての弟子たちを力づけた。
681 :
もも :2012/03/18(日) 16:29:44.28 ID:NgutbdXC
さて、アレキサンデリヤ生れで、聖書に精通し、しかも、雄弁なアポロというユダヤ人が、エペソにきた。 この人は主の道に通じており、また、霊に燃えてイエスのことを詳しく語ったり教えたりしていたが、 ただヨハネのバプテスマしか知っていなかった。 彼は会堂で大胆に語り始めた。
それをプリスキラとアクラとが聞いて、彼を招きいれ、 さらに詳しく神の道を解き聞かせた。
それから、アポロがアカヤに渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、先方の弟子たちに、彼をよく迎えるようにと、 手紙を書き送った。彼は到着して、すでに恵みによって信者になっていた人たちに、大いに力になった。 彼はイエスがキリストであることを、聖書に基いて示し、公然と、ユダヤ人たちを激しい語調で論破したからである。
アポロがコリントにいた時に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。
そして、ある弟子たちに出会って、彼らに「あなたがたは、信仰にはいった時に、聖霊を受けたのですか」と尋ねたところ、 「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えた。 「では、だれの名によってバプテスマを受けたのですか」と彼がきくと 彼らは「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」と答えた。
そこで、パウロが言った、「ヨハネは心をいれかえさせるためのバプテスマを授けたが、それによって、自分のあとに来るかた、 すなわち、イエスを信じるように、人々に勧めたのです」。 人々はこれを聞いて、主イエスの御名によるバプテスマを受けた。 そして、パウロが彼らの上に手をおくと、聖霊が彼らにおくだりになった。
それから、彼らは異言を語ったり、預言をしたりし出した。 その人たちはみんなで十二人ほどであった。
689 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 16:52:52.37 ID:pqXm2ZSO
>>681 スェデンボルグと統一教会とは何の関係もありませんし、
あたしも統一教会とは何に関係も持っていません。
統一教会にスェデンボルグの教義があるというのなら、
ここにそれを示してください。
>>281 は妄想垂れ流しているだけです。
それから、パウロは会堂にはいって、三か月のあいだ、大胆に神の御国について論じ、また勧めをした。 ところが、ある人たちは心をかたくなにして、信じようとせず、会衆の前でこの道を悪く言ったので、彼は弟子たちを引き連れて、 その人たちから離れ、ツラノの講堂で毎日論じた。
それが二年間も続いたので、アジヤに住んでいる者は、 ユダヤ人もギリシャ人もみな、主の御言葉を聞いた。
神は、パウロの手で異常な力あるわざを次々になされた。
たとえば、人々が、彼の身につけている手ぬぐいや前掛けを取って病人にあてると、 その病気が除かれ、悪霊が出て行くのであった。 そこで、ユダヤ人のまじない師で、遍歴している者たちが、悪霊につかれている者にむかって、 主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって命じる。出て行け」と、ためしに言ってみた。
ユダヤの祭司長スケワという者の七人のむすこたちも、 そんなことをしていた。
すると悪霊がこれに対して言った、「イエスなら自分は知っている。パウロもわかっている。だが、おまえたちは、いったい何者だ」。 そして、悪霊につかれている人が、彼らに飛びかかり、みんなを押えつけて負かしたので、彼らは傷を負ったまま裸になって、その家を逃げ出した。 このことがエペソに住むすべてのユダヤ人やギリシヤ人に知れわたった。
そして、みんなの者が恐怖に襲われ、主イエスの御名があがめられた。 また、信者になった者が大勢来て自分の行為をうちあけ告白した。
それから、魔術を行っていた多くの者が、魔術の本を持ち出してきては、みんなの前で焼き捨てた。その値段を総計したところ、 銀五万にも上ることがわかった。このようにして、主の御言葉はますます盛んにひろまり、また力を増し加えていった。
これらのことがあった後、パウロは御霊に感じマケドニア、アカヤを通って、 エルサレムへ行く決心をした。 そして、言った。「わたしは、そこに行った後、ぜひ、ローマを見なければならない」。
699 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 17:25:23.49 ID:pqXm2ZSO
そこで、自分に仕えている者の中から、テモテとエラストとのふたりを、まずマケドニヤに送り出し、パウロ自身は、 なおしばらくアジヤにとどまった。 そのころ、この道について容易ならぬ騒動が起った。 そのいきさつは、こうである。
デメテリオという銀細工人が銀でアルテミス神殿の模型を造って、 職人たちに少なからぬ利益を得させていた。
この男がその職人たちや、同類の仕事をしていた者たちを集めて言った、「諸君、われわれがこの仕事で、金もうけをしていることは、ご承知のとおりだ。 しかるに、諸君の見聞きしているように、あのパウロが、手で造られたものは神様ではないなどと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、 大ぜいの人々を説きつけて誤らせた」。
「これでは、お互いの仕事に悪評が立つおそれがあるばかりか、 大女神アルテミスの宮も軽んじられ、ひいては全アジヤ、 いや、全世界が拝んでいるこの大女神のご威光も消えてしまいそうです」。
これを聞くと、人々は怒りに燃えあがり、大声で「大いなるかな、エペソ人のアルテミス」と叫びつづけた。 そして、町中が大混乱に陥り、 人々はパウロの道連れであるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコとを捕えて、いっせいに劇場へなだれ込んだ。
パウロは群衆の中に入って行こうとしたが、 弟子たちがそれをさせなかった。
アジヤ州の議員で、パウロの友人であった人たちも、彼に使いをよこして、劇場にはいって行かないようにと、しきりに頼んだ。 中では、集会が混乱に陥ってしまって、ある者はこのことを、ほかの者はあのことを、どなりつづけていたので、大多数の者は、 なんのために集まったのかも、わからないでいた。
そこで、ユダヤ人たちが、前に押し出したアレキサンデルなる者を、 群衆の中のある人たちが促したため、 彼は手を振って、人々に弁明を試みようとした。 ところが、彼がユダヤ人とわかると、みんなの者がいっせいに 「大いなるかな、エペソ人のアルテミス」と二時間ばかり叫び続けた。
708 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 17:52:37.18 ID:pqXm2ZSO
ももさん、こんなことが書いてありました。
「その後、さらに四日間泊まって、先に原理のみ言を聞いた方たちの証を聞き、そしてさらに貴重なことは、
文牧師が、歩んでこられた御自身の生涯に対するお話をしてくださったのです。
原理の説明は主に、故劉孝元協会長がされ、文牧師はいつも側に座って補充説明をされました。
創造原理を容易に理解することができたのは、それがスウェーデンボルグの教説と似ていたからです。
しかし、天使長の堕落説を聞いた時には、初め驚愕し反発を感じました。というのは、天使にどうして
そのようなことができるのかという疑いからでした。統一原理のキリスト論もすぐには受け入れ難いものでした。」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~yi1800/akasi/008.html >天使長の堕落説を聞いた時には、初め驚愕し反発を感じました。
スェデンボルグは、天使長?の堕落などどこにも書いていません。
ミカエル、ラファエル、ガブリエルは、天使の個人名ではなく、
その天使社会の総称だと書いてあることからも分かります。
天界の天使たちが堕落することなどありません。
>スウェーデンボルグのキリスト論は、ヨハネ福音の思想に依拠したものであり、
>それは復活後に人性を脱いで栄光化されたイエスの神性を霊界で何度か見て説明した
>理論であったので、私はそれを受け入れていました。
これも全くのウソ偽りです。
スェデンボルグ神学は、福音書、黙示録、創世記、の他新旧聖書全体に依拠しています。
ついに、市の書記役が群衆を押し静めて言った、「エペソの諸君、エペソ市が大女神アルテミスと、天くだったご神体との守護役であることを知らない者が、 ひとりでもいるだろうか。これは否定のできない事実であるから、諸君はよろしく静かにしているべきで、乱暴な行動は、いっさいしてはならない」。
「諸君はこの人たちをここへひっぱってきたが、彼らは宮を荒らす者でも、 われわれの女神をそしる者でもない」。
711 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 17:57:30.94 ID:vvohFZXt
ここはリンゴのオナニーの発表するスレだなwww 間違いなく!リンゴは神から見捨てられている!
712 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 17:58:51.92 ID:pqXm2ZSO
宗教盲信は麻薬に似ていると言われる所以です。
713 :
もも :2012/03/18(日) 17:59:34.20 ID:NgutbdXC
>>699 まぁ関係者じゃないなら信じる 工作員なら無駄だからもうレスしない
でも一つ聞きたいのだけどどうやって出会っての?
私知らなかったもの マイナーでしょスェデンボルグ
たまたまスェデンボルグ手にとって読んでみて真理だと感じたの?
だから、もしデメテリオなりその職人仲間なりが、だれかに対して訴え事があるなら、裁判の日はあるし、 総督もいるのだから、それぞれ訴え出なさい。 しかし、何かもっと要求したい事があれば、 それは正式の議会で解決してもらうべきです。
「今日の事件について、この騒ぎを弁護できるような理由が全くないのだから、 われわれは治安を乱す罪に問われるおそれがある」。 こう言ってこの集会を解散させた。
騒ぎがやんだ後、パウロは弟子たちを呼び集めて激励を与えた上、別れのあいさつを述べ、マケドニヤへ向かって出発した。 そして、その地方をとおり、多くの言葉で人々を励ましたのち、ギリシヤにきた。 彼はそこで三か月を過ごした。
今日はここまで。続きはまた明日。 父なる神と主イエスキリストに栄光が永遠にありますように。
718 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 18:10:04.72 ID:pqXm2ZSO
>>713 あたしもスェデンボルグの神学を知る前は、創世記は現代科学に反する脳内ポエム・よくてお伽噺、
黙示録は、精神異常者の書いた外国語、イエスの教えは、屁理屈の実行不可能な空理空論だと
思っていました。聖書をなんど読んでも、ただ退屈なだけで、なんでこんな書物に神の書と
しての価値があるのかまったくいぶかっていました。
でもね、それを一変させたのは、スェデンボルグの聖書解説です。
あたしゃ、こでこそ聖書は神の書だと心底から思いましたよ。
719 :
もも :2012/03/18(日) 18:14:38.68 ID:NgutbdXC
>>718 そうなの。わかった。でも三位一体否定は受け付けないから笑
愛って対象があってこそでしょ
そして神はαでありΩであり、属性は愛
神自身の内に、父と子と聖霊の交わりが最初からあって愛が永遠に存在してる
途中から、人類造ってから、神は愛となるって変でしょ
三位格あって別に問題ないです 神の愛は自己愛じゃない
720 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 18:23:17.19 ID:pqXm2ZSO
>>519 父・子・聖霊の、神の三一性はスェデンボルグは否定していません。
否定しているのは、ニケア公会議でつくられた、「三位一体の(ペルソナ)の神」信仰です。
これは、実質的に三神三主信仰だから、天界では受け入れられないと言っています。
こんな神は頭が三つある怪物の神です。
神の本質は、全能・全知・無限・無辺・永遠・遍在、それと威光の平等性です。
神のご本質は、分割できないものなのです。
その神が三人おられると言ったら、他の一神信仰の宗教では笑われるだけです。
721 :
もも :2012/03/18(日) 18:27:49.00 ID:NgutbdXC
>>720 三神ではないです。人格が三つ、本体は一です
722 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 18:34:13.69 ID:pqXm2ZSO
>>721 独り神の中にある「位格(ペルソナ)」が三つと言いながら、
その三つの「位格(ペルソナ)」が一人一人の神になっているので、
実質的には、三神三主信仰です。
だから、キリスト教徒は、心で信じても、公に口に出してはいけないと戒められています。
723 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 18:35:14.37 ID:Kg38S5Iz
統合失調? 乖離性障害?
724 :
もも :2012/03/18(日) 18:35:45.40 ID:NgutbdXC
>>722 父と子と聖霊の御名によって 御名は英語でもギリシャ語でも単数形
三で一なのです
725 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 18:39:00.03 ID:pqXm2ZSO
>>724 だから、父と子と聖霊は、一人神にある神の三一性であって、
父の神、子の神、聖霊の神の、三つの神のことではないのです。
726 :
もも :2012/03/18(日) 18:50:09.63 ID:NgutbdXC
>>725 なんでペルソナが三つで三神に勝手にするの
>実質的には、三神三主信仰です。
727 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 19:01:45.17 ID:pqXm2ZSO
728 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 19:04:48.74 ID:pqXm2ZSO
15.このように、父(ちち)は神(かみ)、子(こ)も神(かみ)、聖霊(せいれい)も神(かみ)。 16.しかも、神(かみ)は三(さん)ではなく一(いつ)。 17.このように、父(ちち)は主(しゅ)、子(こ)も主(しゅ)、聖霊(せいれい)も主(しゅ)。 ちゃんと記されているでしょう。
729 :
もも :2012/03/18(日) 19:11:23.70 ID:NgutbdXC
15.このように、父(ちち)は神(かみ)、子(こ)も神(かみ)、聖霊(せいれい)も神(かみ)。 16.しかも、神(かみ)は三(さん)ではなく一(いつ)。 だから本質は同一なんでしょ 16にあるじゃない
730 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 19:14:05.60 ID:pqXm2ZSO
731 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 19:17:45.84 ID:pqXm2ZSO
>>729 神の本質は一つと言いながら、位格のそれぞれが三つの神三つの主になっているのですよ。
これじゃ、神は四つあることになるんじゃないですか?
こんな独り神があり得ますか?
732 :
もも :2012/03/18(日) 19:19:34.80 ID:NgutbdXC
>>731 位格は人格です 三つの人格がありながら 同じ性質と属性を備えてるの
三位一体を単純に三神だの理解するならそれはそれで
いいんじゃないれすか
ご飯落ちノシ
733 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 19:33:17.57 ID:pqXm2ZSO
>>732 >位格は人格です 三つの人格がありながら 同じ性質と属性を備えてるの
三つの人格がそれぞれ同じ性質と属性をもって神を構成しているなら、それは一神ではなく、
神を三分割した三神だと言われているのだが。
734 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 20:21:12.02 ID:pqXm2ZSO
現代キリスト教の基本教義は、三人の人格があって、それぞれが神であり、主であるという 信仰です。しかもキリスト教の真理に照らして、それぞれが個別の人格として、神であり主で あると認め、宣言しなくてはなりません。それにもかかわらず、三人の神または主がましますと、 口にしてはならないのです。 ですから、真理と宗教、あるいは真理と信仰が一つのものではなく、二つの相反するものに なってしまいますが、この信仰を認めないと、キリスト教徒としては認められません。
>この信仰を認めないと、キリスト教徒としては認められません。 ☆うそをいってはならない。三位一体を教義としない教会はいくらでもある。 三位一体など聖書に書いてない異端教義だ。これも過去に論破したとおり
※創世記1章1節には、主語は三つ以上の複数形なのに、動詞“バラー”(1,21,27)は 単数形が用いられています。この御言葉の原語で、「神」主語は三つ以上は複数形で、「創造した」動詞 “バラー”(1,21,27)は単数形です。 これは万物は父なる神から出て、御子キリストによって創造されたことになります
737 :
もも :2012/03/18(日) 21:00:40.12 ID:NgutbdXC
えぇ リンゴ氏は三位一体信じてないんですか キリスト教では 三位一体否定こそ 異端れすけど
御子キリストによって創造されたことになるゆえ、「創造した」動詞“バラー”(1,21,27)は単数形になっているのです。 もし父、子、聖霊が創造されたのなら、「創造した」動詞が複数形になってなければならない。 つまりカトリック、プロテスタントの使徒信条は間違いです。もちろん使徒信条など聖書にはありません。
739 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 21:05:52.94 ID:pqXm2ZSO
>>735 三位一体の神は、現代キリスト教会の基本信仰ですよ。
三位一体の神を認めない信仰はすべて、異端の名で呼ばれています。
さきほど言いましたように※創世記1章1節には、主語は三つ以上の複数形なのに動詞“バラー”(1,21,27)は 単数形が用いられてる。 これは三位一体を表すのではなく、その数は三つ以上の複数形なのであり、 その数(神の子供の数)は未知数です。
741 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 21:10:32.86 ID:pqXm2ZSO
>>738 使徒信条に、キリストの生き様がすっぽり抜けているのは、パウロの影響だと言われている。
なぜなら「われわれはひとつ」であると言われた全能の神である主イエスは、旧約、新約において神の子供の数(クリスチャンの数)を啓示されてないからです。 聖書のあらゆる方向から見て父、子、聖霊がひとつでありわれわれ主イエスを信じるクリスチャンも 一つであるゆえ、創世記1章1節のエロヒム(Elohim)という言葉(ヘブライ語の神)は尊敬の複数形となるのです。
743 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 21:15:24.74 ID:pqXm2ZSO
>>740 「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」と複数形になっているのは、
神だけじゃなく、天使たちも含めた言い方になっているのですよ。
当然、聖書には三位一体は書いてありません。 キリストは父なる神と御子がひとつと言われましたが、 キリストを信じるものも「完全にひとつ」と言われました。主イエスが弟子たちに「われわれはひとつ」と言われました。 すなわちキリストのみことばと三位一体は対立する教義となります。
745 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 21:17:44.67 ID:pqXm2ZSO
>>742 パウロはキリストと神は、別々の存在としてるのはなぜ?
746 :
もも :2012/03/18(日) 21:17:57.13 ID:NgutbdXC
リンゴ氏はてっきり原理というかプロの正統系かと思ってた。。
747 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 21:19:49.39 ID:pqXm2ZSO
リンゴはパウロ教です。
>>746 ももさんも教会の言うことをすべて信じてはいけません。
聖書は何が正しいかを教えてくれます。
このスレは神のみことばで教えられてますから、ももさんのような常識は通用しません。
750 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 21:30:08.62 ID:pqXm2ZSO
>>749 ローマの信徒への手紙10.9
「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させたれたと信じるなら、
あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公にして救われるのです。」
>>741 またでたらめを言う。使徒信条のような異端教義をパウロが認めるわけないだろう。
使徒信条はパウロが書いたものではない。
752 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 21:33:35.92 ID:pqXm2ZSO
>>750 別々と書いてないではないか。言葉を変えるな。
>>752 聖書のどこに使徒信条が書いてあるんだ?どこにも書いてない
三位一体や使徒信条を教会で教えてると知ればパウロは激怒するだろう。 弟子たちの手紙と違うことを教える教師、牧師、神父たちは 「格別厳しい裁きにあうであろう」。聖書にそう書いてあるから。
755 :
もも :2012/03/18(日) 21:53:55.37 ID:NgutbdXC
キリスト教は三位一体が主流です そしたら今の教会ほとんど 異端ってことになる リンゴ氏はキリスト教なら教派はなんなのれす?
756 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 21:54:55.09 ID:pqXm2ZSO
>>753 別々でないなら、どう解釈するというのだ?
>>753 使徒信条は聖書にはない。しかし、初期の教会の信条であることには疑いはない。
この信条には、「公同の教会」という言葉が出てくる。これはギリシア語の「カトリーカ」で、
「普遍的な」という意味であり、「カトリック教会」は「普遍的教会」という意味になった。
その使徒信条には、処女マリヤから生まれ、いきなりポンティ・ピラトのもとに苦しみを受けたと
だけ記されている。つまりイエスの生前の言行については何も記されていない。
パウロは生前のキリストには何も関心はなく、ただ十字架につけられたキリストと、
その後、復活したキリストにしか知ろうとしないと、告白していることから、パウロの影響が出ている
ことは容易に想像できる。
757 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 21:58:07.97 ID:pqXm2ZSO
758 :
もも :2012/03/18(日) 22:00:22.10 ID:NgutbdXC
>>757 スエデンボルクはわかったから。w
キリスト教の人が否定しているのが意外なの。
というかリンゴ氏がね
>>755 わたしはカトリックもプロテスタントも学んだ者です。
洗礼はプロテスタントです。そこでは三位一体も使徒信条も信じてます。
しかし、それらは聖書に書いてない異端教義であることを
神のみことばにより啓示されました。
ももさんも聖書のみことばに照らされ賢くなってください。
760 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 22:07:27.52 ID:pqXm2ZSO
>>758 そうだろうね、三位一体は現代キリスト教会の基本教義だからね。
この教義があるから、キリストの十字架上での人類贖罪説が成り立っているのだからね。
三位一体の教義が否定されると、キリスト教の教義はドミノ倒しのように
つぎからつぎへと崩壊していく。支えていた足場が崩れ落ちていく。
761 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 22:10:28.84 ID:pqXm2ZSO
リンゴが使徒信条をどうして否定のか、その理由がわからん? 使徒信条を否定する人こそ、ノンクリスチャンと言われるよ。
762 :
もも :2012/03/18(日) 22:11:42.00 ID:NgutbdXC
>>759 そうなのれすか。三位一体を否定すると
>>760 のように
なって 贖罪否定にもなりませんか
十字架の神の愛も誤りだと?
プロテスタントの多くの教会では、 洗礼式の前に教憲教規を誓わされ、カトリックはカテキズムを誓わされます。 これこそサタンの教えです。
>>760 キリストの贖罪と三位一体はなんの関わりもない。
765 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 22:20:22.18 ID:pqXm2ZSO
>>764 現代キリスト教は、三位一体がなければ、キリストの十字架の贖いは成り立たないことも知らないの?
>>762 キリストの贖罪否定にはならないです。
キリストの贖罪は聖書に書いてあることで、これを否定しては異端となります。
重要なのは聖書に書いてあるかどうかで判断してください。
>>765 ネヨは何もわかってないんだから口出しするな。
768 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 22:28:36.93 ID:pqXm2ZSO
>>766 だれもキリストの贖罪そのものは否定はしていない。
三位一体の神がなければ、十字架のあがない信仰が成り立たたないと言っているだけ。
769 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 22:29:37.03 ID:pqXm2ZSO
770 :
もも :2012/03/18(日) 22:38:20.21 ID:NgutbdXC
>>766 ごめんなさい 私も三位一体の上で贖罪を理解していたので
否定しても 成り立つというのはどういうことですか
罪のない神にしか人類の贖罪はできないので
イエスが神であるのはリンゴ氏も否定しないんですよね
キリストはクリスチャンに対しても「われわれはひとつ」と言われました。 すなわち、三位一体はキリストとクリスチャンがひとつであることを否定する サタンの教えとなります。 三位一体だと父、子、聖霊だけがひとつで、 クリスチャンたちは「ひとつ」でないということになり キリストが弟子たちに言われた「われわれは完全にひとつ」というみことばと対立することになります。 つまり三位一体はキリストのみことばを否定する異端教義なのです。
772 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 22:41:07.84 ID:pqXm2ZSO
リンゴはちゃんと、キリストの贖罪を聖書から説明しないといけないな。 どうせパウロ教だけどさ。
773 :
もも :2012/03/18(日) 22:42:23.25 ID:NgutbdXC
>>771 それだと、神イエスは礼拝される対象なのに
礼拝する側の私達と違いがなくなってしまいませんか
これでキリストとクリスチャンたちを分裂させる教義が 三位一体だということがおわかりいただけたでしよう。 三位一体を取り入れることでキリストとクリスチャンたちの 「完全にひとつ」であることをサタンは、分裂させたかったのです。
775 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 22:46:29.44 ID:pqXm2ZSO
>>771 父と子と聖霊は、ひとり神のもつ三一性ですよ。
クリスチャンは、その神の被造物なのだから、神と三位一体になれるわけがない。
なにわけのわからないこと言ってるの? だいじょうぶですか?
神は造られないお方、人間はその神によってつくられた存在。
>>770 主イエスキリストが神であることは、もちろん否定するわけないでしょう。
聖書の多くの箇所のみことばに「キリストは神」と書いてあのですから。
>>773 >>775 キリストはクリスチャンたちに対して
「われわれは完全にひとつとなるためです」と言われました。
そのみことばを信じなさい。
778 :
もも :2012/03/18(日) 22:54:03.91 ID:NgutbdXC
私達と神が交わりの中で一つでも 「私はアブラハムの前からある」存在と 一体とかは明らかに違うと思います
779 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 22:54:03.92 ID:pqXm2ZSO
>これでキリストとクリスチャンたちを分裂させる教義が >三位一体だということがおわかりいただけたでしよう。 リンゴはまったく、現代キリスト教会の基本教義である「三位一体説」が理解できてないかったのです。
780 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 22:56:46.68 ID:pqXm2ZSO
>キリストはクリスチャンたちに対して >「われわれは完全にひとつとなるためです」と言われました。 どこで言ってるのだ?
781 :
もも :2012/03/18(日) 23:03:03.45 ID:NgutbdXC
>>778 クリスチャンたちは「世のはじまる前から選ばれた」と書いてあります。
>>780 キリストを信じないネヨはひとつになれない。
知りたければヨハネの福音書を読みなさい。
783 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 23:09:25.46 ID:pqXm2ZSO
>>781 ああそれのこと。
でも、それは、キリスト教会の三位一体の神とは全然関係ありません。
父と子と聖霊の三位一体とも全く関係ありません。
おや、意外な展開にw
>>774 キリストとクリスチャンが「一体」という場合の「一体」と
三位「一体」という場合の「一体」では意味が異なるのでは?
キリストとクリスチャンが「一体」というのはクリスチャンがキリストを受け入れキリストに倣うことで
新たに生まれ変わる様を表したものであるのに対し
三位一体の「一体」は神の本質・属性が三つの位格で同一という意味、じゃないの?
だから仮に三位一体を認めたとしても、別にキリストとクリスチャンの「一体」を否定してるわけじゃないから
リンゴさんの言うようなキリストとクリスチャンを分裂させる教義とはならないんじゃない?
785 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 23:15:45.46 ID:pqXm2ZSO
>>781 リンゴはずるいのか出典箇所を明記しないからね、ありがと。
>>784 キリストとクリスチャンたちを分裂させる教義です三位一体は。
聖書に書いてない時点で異端ですけどね。
787 :
もも :2012/03/18(日) 23:26:46.13 ID:NgutbdXC
>>784 そう思うんですけどね
(三位一体の)神と、人間が交わりの中で一つになる
別に問題ないかと
>>786 聖書に書いてない時点で異端、という論法はわからないでもないけど
分裂させる、というのはどうもしっくりこないなあ。
まあリンゴさんの聖書理解と受け取っておきます。
>>787 そうそう。まあ三位一体を否定する人がいるのは事実だし
それが認められないと思う気持ちもわからないではないけど
かと言ってその教義が分裂を誘うようなものとは思えないですからね。
790 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 23:31:56.85 ID:pqXm2ZSO
>>786 新約聖書には、父・子・聖霊が記されているのです。
この関係を説明するものが、キリスト教会の基本教義である、三位一体の神信仰なんですよ。
三位一体が聖書に書いてないとか関係ないのよ。
>>787 聖書に書いてないというだけで大問題ですよ。 ももさんもよけいな裁きを受けないためにも
今後は三位一体肯定は口走りしないがいい。
聖書のみことばから伝えるわたしのいうことを信じなさい。
イエスキリストのみことば 「あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。 わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです」。
793 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 23:41:47.70 ID:pqXm2ZSO
ほんとにリンゴは、キリスト教会の基本教義が全く理解できていないね。 その三位一体説を否定するかと思うと、ヨハネ17章の21が本当の 三位一体だと言いだす始末だから、ワラカス。 だから、まったく頓珍漢な会話になるんだよね。
「わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。 こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、 世が知るようになります」。
795 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 23:43:23.35 ID:pqXm2ZSO
>>792 出典明記しなさいよ 人にだけ出せって言ってずるい。
796 :
もも :2012/03/18(日) 23:44:21.75 ID:NgutbdXC
>>791 だってそしたら今のキリスト教の人みんな裁かれることになっちゃう(´・ω・`)w
三位一体を信じてる人のが断然多いというかそれが基本で
三位一体は別に神との交わりを否定する躓きにはならないです
797 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 23:45:47.86 ID:pqXm2ZSO
ヨハネ17.21-からか
798 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 23:47:19.18 ID:pqXm2ZSO
>>796 三位一体の神は三神三主信仰だから、天界へは入れません。
799 :
もも :2012/03/18(日) 23:52:22.80 ID:NgutbdXC
>>798 スエデン見地からの否定はわかってるって。w
ネヨさんへの反論は今する気ない
>>796 ももさん、この世の教会教義の常識を信じてはいけません。
神の御言葉に照らしてください。わたしも以前は教会のいうことをすべて信じてました。
しかし、少しずつ聖書理解が深まると、神とサタンの言葉の違いがわかるようになります
801 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 23:59:26.62 ID:pqXm2ZSO
神の三位一体論とは、新約に記されている「父と子と聖霊」についての解釈論なんだよね。 キリスト教会は、ニケア公会議以来、これをひとり神にある三つの位格にし、基本教義にしてしまった。 もちらん、この信仰教義を否定すれば異端の名を与えられる。 しかし、こんな神は人間の理性には定着しない神なんですね。 リンゴの言っている三位一体論とは、まったく別のもだからかみ合わないはず。
だからと言って教会に行くなとは言いません。クリスチャンの交流は大切です。 また、牧師をいろんな面で助けるのも神のみこころです。 ですが、教会にこそサタンは働いていることを知ってください。
803 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 00:01:20.12 ID:DyOnvPC0
リンゴ教は今のキリスト教会と同じようなもんです。 矛盾だらけです。
わたしは旧約と新約聖書をすべて文字通り信じている者です。 スエー件のような矛盾した信仰ではありません。
805 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 00:08:16.60 ID:DyOnvPC0
>>804 あんたの信仰はめちゃくちゃ
新旧聖書を文字通り信じているから、おかしくなるんですよ。
スェデンボルグ派は、父・子・聖霊の関係をこのように説明します。
ヨハネによる福音書1.18には、いまだかって、神は見た者はいない。
父のふところにいる独り子である神、この方が神を示した、と記されています。
つまり、生ける神イエス・キリストだけが神を示されたということです。
では、キリストを構成しているものとは何でしょうか。
キリストには、霊魂があり、肉体があり、その両者の働きがあります。
つまり、霊魂・肉体・その活動が、キリストにある三一性なのです。
父・子・聖霊の関係が、人間の霊魂・肉体・活動のあいだの関係のように、
独り神にある三つの本質的なものと言えば、分かりやすいでしょう。
これを、三つの人格のように、考えるからおかしくなるのです。
父の神性が霊魂、子の神性が肉体、聖霊の神性が発出する神性の活動、で、
この三つが、ひとり神イエスの本質的なものであると言えばよく理解できます。
>>805 ネヨの信仰こそがはめちゃくちゃではないか。
新旧聖書を文字通り信じていない、おかしくなるんですよ。
807 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 00:11:15.44 ID:DyOnvPC0
>わたしは旧約と新約聖書をすべて文字通り信じている者です。 あんた、頭おかしいよ
808 :
もも :2012/03/19(月) 00:11:30.33 ID:bxC6fkn3
>>800 リンゴ氏の言葉信じて
逆に三位一体がやっぱり正しかったら?
毒林檎だったら なんて
809 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 00:15:17.43 ID:DyOnvPC0
>>808 三位一体の神は、新約聖書を文字通りにしか理解できなかった人たちが、つくった信仰なんだよね。
>>807 自分のことを人ごとのように言ってはいけません。
>>808 大丈夫です。安心してください。
811 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 00:17:57.71 ID:DyOnvPC0
>>808 はっきり言って、教会の三位一体の神を受け入れられる人の理性は、壊れているか機能していないかのどちらかです。
812 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 00:21:48.50 ID:DyOnvPC0
>>810 聖書を文字通りどうして信じられるのか、気がしれません。
聖書が相応の知識で書かれていることも、気づかないんですよ。
キリストが、天の雲に乗って来られると文字通り信じている人はバカです。
天の雲とは、聖書(みことば)のことなんですよ。
>>811 >>812 はっきり言ってスエー県を受け入れられる人の理性は、壊れているか機能していないかのどちらかです。
814 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 00:26:41.67 ID:DyOnvPC0
腐ったリンゴの頭が壊れてるんだよほんとバカ丸出しだもんな^^
>>814 自分のことを人ごとのように言ってはいけません^^
816 :
もも :2012/03/19(月) 00:28:48.39 ID:bxC6fkn3
>>811 それはスエデン教も言えるでしょ
>>591 >月人がゲップで会話するとかそういう高度な霊界教義
でちょっと吹いたし
817 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 00:29:53.73 ID:DyOnvPC0
818 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 01:13:25.32 ID:DyOnvPC0
聖書はすべて相応の知識で書かれてあるのです。 しかし使徒の書簡類にはそれがありません。 聖書を読んでいても何の変哲もないことろでさえ相応で記されています。 たとえば、ルカ伝にはイエスの死について記されています。 「既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時ごろまで続いた。 太陽は光を失っていた、」 聖書を読んでいてここが相応の知識で書かれていることに気づく人は滅多にいません。 太陽が光を失っていた。全地が暗くなったとは、日食でもあったのかとさえ思います。 しかし、「太陽が光を失い、全地が暗くなった」とは、主イエスに対する、愛も信仰も なくなったことを表わしているのです。三時は完成数(完全数)です。 何が言いたいのかと言えば、相応の知識があれば、みことばの他の個所でもそれが 当てはまるということなのです。 マタイ24章には終末になると、太陽は暗くなり、月は光を放たないとあります。 つまりこれは、自然現象のことを言っているのではなく、世の終わりには信仰や愛が 無くなったことを意味しているのです。 このようにして聖書は意味のあるものとして解読されていくのです。 リンゴのように文字通り聖書を読まなければならないなんて、バカの骨頂です。
819 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 01:18:58.48 ID:BYn2IbFp
相応ってのは、テキトーな屁理屈こじつけて、言葉の意味を摺り替えルコとか。
>>818 ネヨさん、違うのよ、@自然現象とそれがA現わしている意味があるとして、
この@とAは横並びではないの、
ましてやネヨさんが言う様に
>自然現象のことを言っているのではなく
とAが@に先行してるというような逆はないのですよ。
解釈よりも自然現象の方が先に在るという事を逆転させないで認識して下さい。
つまり間違いがおこるとすれば、自然現象のほうではなく、解釈の方なのです。
先にあるもの>解釈 (この>は大なりと読んで下さい)
自然現象も聖書も、ネヨさんの解釈よりも先にあって、それがなければ解釈できないのですから
圧倒的な差があるのですよ。
自然や聖書が豊かなのは、その差なのです。
解釈してはいけないのではなくて、基本的な心得ですよ。
>>821 女はなしで男はありってありきたりでつまらん結果みたいだぞ
ネヨじいさんが可哀想だなあと思うのは、もう何年も無駄な努力をしてるってこと。 ネヨじいさんが毎日大量に書き込んでも 今 ま で た だ の 一 人 に も 賛同を得られなかったのはどうしてだか分かる? それは別にネヨじいさん(あるいはスウェーデンボルグ)の解釈が聖句を上手く説明してないからとか、そういう理由じゃないよ。 前にも書いたように不都合な書(使徒行伝やパウロ書簡など)を切り捨てて都合のいいものだけで なんの根拠もない相応という恣意的な変換で辻褄を合わせている、ってことが、読む人みんなに伝わっちゃってるから。 どんなものでも恣意的に変換すれば辻褄は合う。 と言うと、ネヨじいさんは恣意的ではない、って反論して霊界マニュアル解釈でその合理性を示そうとするんだけど その合理性は相応という恣意的な変換に支えられてるから絶対に納得は得られない。 とすると結局その変換が恣意的ではないことは解釈の合理性外に求めなければならず それは結局スウェーデンボルグの霊界体験に求めざるを得ない。で、その霊界体験は真実であるという根拠がない。 こう言われると今度は聖書を読めばスウェーデンボルグの解釈が恣意的ではないことが誰でも分かると言って いつもの霊界マニュアル解釈に戻るんだけど、これは堂々巡り。 さっきも言ったように恣意的な変換をすればなんだって辻褄が合ってしまうから。 結局その変換自体の由来、つまりスウェの霊界体験に差し戻されてしまうわけ。 ということでじいさんの主張は、相応解釈の正しさの根拠がスウェの霊界体験であり、 逆にスウェの霊界体験の真実性の根拠は相応解釈の正しさ、という循環論法になってしまうわけ。 繰り返すけど、解釈の合理性は相応という恣意的変換を用いている限り根拠にならないわけ。 つまりね、ネヨじいさんがどんなに正当性を主張したって 相応、って言った途端に終了しちゃってるわけ。可哀想だけど。 この循環から逃れられない限り、他の人はいつまで経っても納得しないわけ。可哀想だけど。 だから根拠なしにスウェの言ってることは真実、と信じられる人以外には全く意味をなさないってことなの。可哀想だけど。
824 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 09:29:49.29 ID:DyOnvPC0
大別すると、聖書を読んでよく分かるという人と、いや、よく分からないという人に 分けられます。前者にはクリスチャンと呼ばれる人たちが多く、後者はノンクリスチャン と呼ばれる人たちです。 何故そのような結果になるのか、考えてみたら単純な理由からなのです。 クリスチャンは、自分たちには信仰があるから、聖書がよく理解できると思い込んでいるのです。 聖書に書かれてある内容なんかどうでもいいのです。 結局、かれらは何も分からなく、教会の教えていることを鵜呑みにするしかありません。 それが、唯一正しいキリスト教だと信じているのです。
父なる神と主イエスキリストに栄光が永遠にありますように。 ではみことば続けます。新約聖書、使徒行伝
826 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 10:13:14.13 ID:DyOnvPC0
リンゴクリスチャンさんは、自分には信仰があるから、聖書はただ読めばいいというタイプですね。 この人も聖書の内容なんかどうでもいいんです。
それからシリヤへ向かって、船出しようとしていた矢先、彼に対するユダヤ人の陰謀が起ったので、マケドニヤを経由して 帰ることに決した。 プロの子であるエペソ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、それからテモテ、 またアジヤ人テキコとトロピモがパウロの同行者であった。
こんなこと書いても「病院行け」だの「頭おかしい」程度の感想を述べただけの罵倒が返ってくるだけで言うだけ無駄だろうけど、 聖書に詳しくない人が泥酔状態でたくさんの聖書箇所(キリスト教系の学校に通ってたので聖書は持ってた)をつなげて、俺が話してもいない俺の現状と 俺自身ではどうすることも出来なかったどん底の状況を解決した未来を伝えられて、現にその通りになった。 そんな変な体験をした時はクリスチャンでは無かったのだが、その時に聖書は何やら特殊なものなのだなあとは思った。 その泥酔した人談で脳裏に焼き付いような文字を読んだだけと聖書箇所で語った時の話を聞いて、 聖書が書かれた当時も言語は違えど似たような感じで記されていったのかなと推測して、俺は聖書の文言、一字一句に重きを置いてる。 で、上とは別件でイエスの名前で神様に祈ると、自分ではどうすることも出来なかった問題が解決される体験を積み重ねて イエスも何か特殊な存在なのだと知って、聖書、イエスを知りたいと教会に通ってる。 教会の人の行動にも聖書の説明にも聖書からの根拠を牧師や教会の人に尋ねて、都度納得の行く聖書箇所と説明をしてもらえてる。 スエさんは教会に通う人を十把一絡げにしすぎだと思う。一人一人違った理由、目的がある。
この人たちは先発して、トロアスでわたしたちを待っていた。 わたしたちは、除酵祭が終ったのちに、ピリピから出帆し、 五日間かかってトロアスに到着して、彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。
週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、 しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた。わたしたちが集まっていた屋上の間には、 あかりがたくさんともしてあった。
ユテコという若者が窓に腰をかけていたところ、 パウロの話が長々と続くので、ひどく眠気がさして、 とうとうぐっすり眠ってしまい、三階から下まで落ちてしまった。 抱き起こして見たら、すでに死んでいた。
そこでパウロは降りて、若者の上に身をかがめ、彼を抱きあげ、「騒ぐことはありません。まだ命があります」と言った。 そして、また上がって行って、パンをさいて食べてから、明けがたまで長いあいだ人々と語り合って、ついに出発した。 人々は生きかえった若者を連れかえり、ひとかたならず慰められた。
さて、わたしたちは、先に船に乗り込みアソスへ向かって出港した。
そこからパウロを舟に乗せて行くことにしていた。彼だけは陸路をとることに決めていたからである。パウロがアソスで、 わたしたちと落ち合った時、わたしたちは彼を舟に乗せてミテレネに行った。 そこから出帆して、翌日キヨスの沖合にいたり、 次の日にサモスに寄り、その翌日ミレトに着いた。
それは、パウロがアジヤで時間をとられないように、エペソには寄らないで続航することに決めていたからである。 彼は、できればペンテコステの日には、エルサレムに着いていたかったので、旅を急いだのである。
そこでパウロは、ミレトからエペソに使いをやって、 教会の長老たちを呼び寄せた。
そして、彼のところに寄り集まってきた時、彼らに言った。「わたしが、アジヤの地に足を踏み入れた最初の日以来、 いつもあなたがたとどんなふうに過ごしてきたか、よくご存じでしょう。すなわち、謙遜の限りをつくし、涙を流し、 ユダヤ人の陰謀によってわたしの身に及んだ数々の試練の中にあって、主に仕えてきました」。
838 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 10:50:34.87 ID:DyOnvPC0
>>828 信心深い人たちは、不信な者たちと同じくらい、あるいはそれ以上に
不運をこうむるっているのです。それがこの世での事実です。
教会に通って、イエスの名で神に祈れば問題が次々と解決したとしても、
それは、自分の信仰のおかげだと思わないことです。
それが高じると盲信におちいることになりますから、ご用心、ご用心。
「また、あなたがたの益になることは、公衆の前でも、また家々でも、すべてあますところなく話して聞かせ、また教え、 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する心のいれかえと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、強く勧めてきたのです」。
「そして今、わたしは御霊に迫られてエルサレムに行きます。 あの都で、どんなことがわたしの身に降りかかって来るか、 わたしにはわからない」。
「ただ、聖霊が至るところの町々で、わたしにはっきり告げておられることは、投獄と患難とが、わたしを待ちうけているということです。 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神の恵みの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、 このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思いません」。
「わたしはいま、確信しています、あなたがたの間を歩き回って御国を宣べ伝えたこのわたしの顔を、みんなが 今後二度と見ることはないでしょう。 だから、きょう、この日にあなたがたに断言しておきます。わたしは、すべての人の血について、 なんら責任はありません」。
「神のみこころを皆あますところなく、 あなたがたに伝えておいたからです」。
844 :
828 :2012/03/19(月) 11:10:13.82 ID:ov6+8YFM
>>838 お前に俺の何がわかる?
俺はお前が思ってる以上にどうしようもない奴だ。俺に出来ることなんてほとんど無いことは自分が一番良く知ってる。
ご用心とか余計なお世話だよ。
「どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血で あがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのです」。
「わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れを荒すようになることを、 わたしは知っています。 また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、 ひっぱり込もうとする者たちが起るでしょう」。
「だから、目をさましていなさい。そして、わたしが三年間、夜も昼も涙を流しながら、 あなたがたひとりびとりを絶えずさとして来たことを、忘れないでください」。
「今わたしは、主とその恵みの御言葉に、あなたがたをゆだねます。御言葉には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、 御国をつがせる力があります。 わたしは、人の金や銀や衣服をほしがったことはありません」。
「あなたがた自身ご存じのように、わたしのこの両手は、 自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いて来ました」。
「わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と 言われた主イエスの御言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのです」。
851 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 11:38:10.72 ID:GwKG7SAq
リンゴこそ、アンチキリストであり、サタンに属する者である。
こう言ってからパウロは一同と共にひざまずいて祈った。みんなの者は、激しく泣き悲しみ、パウロの首を抱いて、幾度も接吻し、 もう二度と自分の顔を見ることはないと彼が言ったので、特に心を痛めた。それから彼を舟まで見送った。
853 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 11:46:04.64 ID:DyOnvPC0
>>844 教会とは、真摯に祈れば、問題や悩みが解決したり、願いが叶えられたりする場所だと考えて
入信したり、通ったりしている人が、いかに多いかということだな。
はっきり言って、この種の人間は、主イエスの教えがまるで理解できていないのだ。
イエスの教えは、永遠の命を得るためのものであって、この世の処世術を施すことではない。
むしろ人は、試練の中に入れられなければ、自己改革も始まらないし、再生もしない。
この試練を、祈りで逃れられると思えば、信仰は逆効果を生む結果としかならない。
だからイエスもこう言われている。
「十字架を取って、わたしに従ってこない者は、わたしにふさわしくない」と
十字架は「試練」を意味し、「イエスに従う」とは、イエスを全能の神と認め、
イエスの教えられたことを守ることなのだ。
新しく造りかえられなければ、人は依然悪と罪の中にとどまり、そのままの状態で霊界に
行くことになる。祈って現世的な願いが叶えられるだけの宗教なら、キリスト教はただの
カルト信仰になってしまうだけ。
さて、わたしたちは人々と別れて船出してから、コスに直航し、次の日はロドスに、そこからパタラに着いた。 ここでピニケ行きの舟を見つけたので、それに乗り込んで出帆した。 やがてクプロが見えてきたが、それを左手にして通りすぎ、 シリヤへ航行をつづけ、ツロに入港した。
ここで積み荷が陸上げされることになっていたからである。
856 :
828 :2012/03/19(月) 11:50:25.55 ID:EM6JqLFT
わたしたちは、弟子たちを捜し出して、そこに七日間泊まった。 ところが彼らは御霊の示しを受け、エルサレムには上って行かないように、しきりにパウロに注意した。
しかし、滞在期間が終った時、わたしたちはまた旅立つことにし、みんなは、妻子を引き連れて、 町はずれまで、わたしたちを見送りにきてくれた。そこで、共に海岸にひざまずいて祈り、お互いに別れを告げた。 それから、わたしたちは舟に乗り込み、彼らはそれぞれ自分の家に帰った。
わたしたちは、ツロからの航行を終ってトレマイに着き、そこの兄弟たちにあいさつをし、彼らのところに一日滞在した。 翌日そこをたって、カイザリヤに着き、かの七人のひとりである伝道者ピリポの家に行き、そこに泊まった。 この人に四人の娘があったが、いずれも処女であって、預言をしていた。
幾日か滞在している間に、アガボという預言者がユダヤから下って来た。
そして、わたしたちのところにきて、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った、 「聖霊がこうお告げになっています、『この帯の持ち主を、ユダヤ人たちがエルサレムでこのように縛って、異邦人の手に渡すでしょう』」。 わたしたちはこれを聞いて、土地の人たちと一緒になって、エルサレムには上って行かないようにと、パウロに願い続けた。
その時パウロは答えた、「あなたがたは、泣いたり、わたしの心をくじいたりして、いったい、どうしようとするのですか。 わたしは、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことをも覚悟しているのです」。
こうして、パウロが勧告を聞きいれてくれないので、わたしたちは 「主のみこころが行われますように」と言っただけで、それ以上何も言わなかった。
つづきはあとで
865 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 12:49:46.33 ID:GwKG7SAq
パウロの出鱈目を有り難がる馬鹿だなw
867 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 15:12:43.76 ID:DyOnvPC0
自分たちは殉教者であり、殉教という王冠で飾られているために、ほかの人々よりも 特別の恩恵に値してよい、と言い張る者たちがいる。しかし、殉教に功績をおくことに よって、天界で特別の恩恵を望む者は真の殉教者ではない。 なぜなら、そうしたことは天界にも真の信仰にも属していないからである。 異端はことごとくそれ自身の殉教をもちうるもであり、みずから確信している者たちは、 何であれみずから確信した〔幻想〕ためにすすんで死を引き受けようとする。いや、それを 熱望さえするのである。(スェデンボルグ)
>>867 ネヨさん!!耳があるなら、心の耳があるなら聴け!
>自分たちは殉教者であり、殉教という王冠で飾られているために、ほかの人々よりも
特別の恩恵に値してよい、と言い張る者たちがいる。
なんて汚らしい解釈をするのでしょう。
人が生きると言うのは机上の発明のあれこれではないのですよ。
ネヨさんが実際に具体の愛に生きて殉教などできますか。
私は震え上がるのですよ。そのキリスト者の愛に。
26聖人をご存じでしょうか。日常で徹底した奉仕に生き、そして処刑です。
あなたは頭の中だけですね。
実存から話しすれば、誰であれどれほど表面で稚拙にみえても、イエスと共に歩む真っ直ぐな道にあるのです。
しかし、殉教に功績をおくことに
よって、天界で特別の恩恵を望む者は真の殉教者ではない。
なぜなら、そうしたことは天界にも真の信仰にも属していないからである。
>しかし、殉教に功績をおくことに >よって、天界で特別の恩恵を望む者は真の殉教者ではない。 >なぜなら、そうしたことは天界にも真の信仰にも属していないからである。 まったくなんと言葉を弄び、信仰原理だとかいい、人を罠に導くことをしているのですか。
ではみことばを続けます
殉教に功績をおく、といいますが、 それは殉教という具体を分からない観念分離にあるものが、 嫉妬にかられて邪霊にチエを借りた悪魔からの言葉ですよ。 よくよく机上発明ではなく、具体で捉えて下さい。 自分が日々、愛し(奉仕)にあって、結果 処刑される。 殉教すれば功績になるというような、うがった姿勢で実行できるような事ではないのですよ。
数日後、わたしたちは旅装を整えてエルサレムへ上って行った。カイザリヤの弟子たちも数人、わたしたちと同行して、 古くからの弟子であるクプロ人マナソンの家に案内してくれた。わたしたちはその家に泊まることになっていたのである。 わたしたちがエルサレムに到着すると、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。
翌日パウロはわたしたちを連れて、ヤコブを訪問しに行った。そこに長老たちがみな集まっていた。パウロは彼らにあいさつをした後、 神が自分の働きをとおして、異邦人の間になさった事などをひとつひとつ説明した。
一同はこれを聞いて神を褒め称え、そして彼に言った、
「兄弟よ、ご承知のように、ユダヤ人の中で信者になった者が、数万にものぼっているが、みんな律法に熱心な人たちです。 ところが、彼らが伝え聞いているところによれば、あなたは異邦人の中にいるユダヤ人一同に対して、子供に割礼を施すな、 またユダヤの慣例にしたがうなと言って、モーセにそむくことを教えている、ということです」。
「どうしたらよいですか。あなたがここに来ていることは、 彼らもきっと聞きこむに違いありません。 ついては、今、わたしたちのいうとおりにしてください。 わたしたちの中に誓願を立てている者が四人います」。
「この人たちを連れて行って、彼らと共に清めを行い、また彼らの頭をそる費用を引き受けてやりなさい。そうすれば、 あなたについて、うわさされていることは、根も葉もないことで、あなたは律法を守って、正しい生活をしていることが、 みんなにわかるでしょう」。
「異邦人で信者になった人たちには、すでに手紙で、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、慎むようにとの決議が、 わたしたちから知らせてあります」。 そこでパウロは、その次の日に四人の者を連れて、彼らと共に清めを受けてから宮にはいった。 そして清めの期間が終って、ひとりびとりのために供え物をささげる時を報告しておいた。
七日の期間が終わろうとしていた時に、アジヤから来たユダヤ人たちが、 宮の中でパウロを見かけ、群衆全体を煽動しはじめ、 パウロに手をかけて叫び立てた。
「イスラエルの人々よ、加勢にきてくれ。この人は、いたるところで民と律法とこの場所にそむくことを、みんなに教えています。 その上に、ギリシヤ人を宮の内に連れ込んで、この神聖な場所を汚したのです」。
彼らは前にエペソ人トロピモがパウロと一緒に町を歩いていたのを見かけ、 その人をパウロが宮の中に連れ込んだと思ったのである。
882 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 16:40:29.26 ID:DyOnvPC0
さらに、ほかの殉教者は、みずから確信している幻想のため死以上にどんなものも熱望しない。 それは戦闘でみずからの栄光のために討ち死にするのを望む者たちに似ているが、彼らも またみずから確信している幻想的な栄光のためにすすんで打ち死にしようとするのである。 こうした幻想は他生では女性たちによって表象だれうる。こうした性格をもった者には、彼の 幻想がいわば、、彼が最深の愛でもって愛したひとりの女性として表象される。 しかし彼女は、何ものもそれ以上には醜悪でないほど、きわめて醜悪であった。(スェデンボルグ)
そこで、市全体が騒ぎ出し、民衆が駆け集まってきて、パウロを捕え、宮の外に引きずり出した。 そして、すぐそのあとに宮の門が閉ざされた。彼らがパウロを殺そうとしていた時に、エルサレム全体が 混乱状態に陥っているとの情報が、守備隊の千卒長にとどいた。
そこで、彼はさっそく、兵卒や百人隊長たちを率いて、 その場に駆けつけた。
人々は千卒長や兵卒たちを見て、パウロを打ちたたくのをやめた。千卒長は近寄ってきてパウロを捕え、彼を二重の鎖で縛って おくように命じた上、パウロは何者か、また何をしたのか、と尋ねた。 しかし、群衆がそれぞれ違ったことを叫びつづけるため、騒がしくて、 確かなことがわからないので、彼はパウロを兵営に連れて行くように命じた。
パウロが階段にさしかかった時には、群衆の暴行を避けるため、 兵卒たちに担がれて行く始末であった。 大勢の民衆が「あいつをやっつけてしまえ」と叫びながらついてきたからである。
パウロが兵営の中に連れて行かれようとした時、千卒長に、「ひと言あなたにお話してもよろしいですか」と尋ねると、 千卒長が言った、「おまえはギリシヤ語が話せるのか。では、もしかおまえは、先ごろ反乱を起した後、四千人の刺客を引き連れて 荒野へ逃げて行ったあのエジプト人ではないのか」。
パウロは答えた、「わたしはタルソ生まれのユダヤ人で、 キリキヤのれっきとした都市の市民です。 お願いですから、民衆に話をさせてください。」
千卒長が許してくれたので、パウロは階段の上に立ち、民衆にむかって手を振った。 すると、一同がすっかり静粛になったので、パウロはヘブル語で話し出した。
>>867 >異端はことごとくそれ自身の殉教をもちうるもであり、みずから確信している者たちは、
>何であれみずから確信した〔幻想〕ためにすすんで死を引き受けようとする。
ネヨさん、ではイエスが死を引き受けたことを冒涜するのですね。
その話しは印象操作として、イエスを冒涜するトリックになっている事に気付かないのか。
霊的な世界は余程誘惑に注意しなければならないのです。
それに負けると、どれほど立派な発明を一時的にもたらしたとしても、
それだからこそ世において悪魔に使われることになるのです。
答えてくださいよ、逃げてばかりいないでネヨさん。
「兄弟たち、父たちよ、今、申し上げるわたしの弁明を聞いていただきたい」。
パウロが、ヘブル語でこう語りかけるのを聞いて、人々はますます静粛になった。そこで彼は言葉をついで言った、 「わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人ですが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、 厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者でした」。
「そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた。 このことは、大祭司も長老たち一同も、 証明するところです。さらにわたしは、この人たちからダマスコの同志たちへあてた手紙をもらって、その地にいる者たちを縛りあげ、 エルサレムにひっぱってきて、処罰するため、出かけて行きました」。
「旅を続けてダマスコの近くにきた時、真昼頃、突然、 強い光が天からわたしを巡り照らしまし」た。
「わたしは地に倒れました。そして、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と、呼びかける声を聞いたのです。 これに対してわたしは、『主よ、あなたはどなたですか』と言いました。すると、その声が、 『わたしは、あなたが迫害しているナザレ人イエスである』と答えられたのです」。
わたしと一緒にいた者たちは、その光は見たが、わたしに語りかけたかたの声は聞きませんでした。 わたしが『主よ、わたしは何をしたらよいでしょうか』と尋ねたところ、主は言われた、『起きあがってダマスコに行きなさい。 そうすれば、あなたがするように決めてある事が、すべてそこで告げられるであろう』」。
「わたしは光の輝きで目がくらみ、何も見えなくなっていたので、 連れの者たちに手を引かれながらダマスコに行きました」。
898 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 17:24:12.68 ID:DyOnvPC0
>>890 イエスはおん父と合体を完成されるため、つまり、ご自分の人間性を栄化・神化される
目的のため、みずからご自分の肉体的生命を捨てられたのですよ。(ヨハネ10.18)
殉教がみずから命を絶つ目的とはまったくちがったものです。
あんまりおバカなことは言わないこと。
「すると、律法に忠実で、ダマスコ在住のユダヤ人全体に評判のよいアナニヤという人が、 わたしのところにきて、そばに立ち、 『兄弟サウロよ、見えるようになりなさい』と言いました。するとその瞬間に、わたしの目が開いて、彼の姿が見えました。彼は言いました、 『わたしたちの先祖の神が、あなたを選んでみ旨を知らせ、かの義人を見させ、その口から声をお聞かせになったのです」。
「それはあなたが、その見聞きした事につき、すべての人に対して、彼の証人になるためです。 そこで今、なんのためらうことがあろうか。 すぐ立って、御名をとなえてバプテスマを受け、あなたの罪を洗い落しなさい』」。
「それから、わたしはエルサレムに帰って宮で祈っているうちに夢うつつになりました」。
「主にまみえたが、主は言われました、『急いで、すぐにエルサレムを出て行きなさい。わたしについてのあなたのあかしを、 人々が受けいれないからだ』。そこで、わたしが言いました、『主よ、彼らは、わたしがいたるところの会堂で、 あなたを信じる人々を獄に投じたり、むち打ったりしていたことを、知っています。』」。
「また、あなたの証人ステパノの血が流された時も、わたしは立ち合っていてそれに賛成し、 また彼を殺した人たちの上着の番をしていたのです』。 すると、主がわたしに言われました、 『行きなさい。わたしが、あなたを遠く異邦の民へつかわすのだ』」。
彼の言葉をここまで聞いていた人たちはこの時、声を張り上げ、言った。 「こんな男は地上から取り除いてしまえ。生かしておくべきではない」。
人々がこうわめき立てて、空中に上着を投げ、ちりをまき散らす始末であったので、 千卒長はパウロを兵営に引き入れるように命じ、 どういうわけで、彼に対してこんなにわめき立てているのかを確かめるため、彼をむちの拷問にかけて、取り調べるように言いわたした。
彼らがむちをあてるため、彼を縛りつけていた時、 パウロはそばに立っていた百卒長に言った、 「ローマ市民たる者を裁判にかけないでむち打ってよいのですか」。
百卒長はこれを聞いて千卒長のところに行って報告し、そして言った、 「どうなさいますか、あの人はローマ市民です。」 そこで、千卒長がパウロのところに来て言った、「わたしに言っくれ、あなたはローマ市民なのか」 パウロは「そうです」と答えた。 これに対し、千卒長が言った、「わたしはこの市民権を多額のお金で買い取ったのだ」。 するとパウロは言った、「わたしは生まれながらの市民です」。
そこで、パウロを取り調べようとしていた人たちは、ただちに彼から身を引いた。千卒長も、パウロがローマの市民であること、 また、そういう人を縛っていたことがわかって、恐れた。翌日、彼は、ユダヤ人がなぜパウロを訴え出たのか、 その真相を知ろうと思って彼を解いてやり、同時に祭司長たちと全議会とを召集させ、そこに彼を引き出して、彼らの前に立たせた。
パウロは議会を見つめ言った、 「兄弟たちよ、わたしは今日まで、神の御前に ひたすら明らかな良心に従って行動して来ました」。
すると、大祭司アナニヤが、パウロのそばに立っている者たちに、彼の口を打てと命じた。 そのとき、パウロはアナニヤにむかって言った、 「白く塗られた壁よ、神があなたを打つであろう。あなたは、律法にしたがって、わたしをさばくために座についているのに、 律法にそむいて、わたしを打つことを命じるのか」。
すると、そばに立っている者たちが言った、「神の大祭司に対して無礼をいうのか」。 パウロは言った、「兄弟たちよ、彼が大祭司とは知らなかった。 聖書に『民のかしらを悪く言ってはいけない』と書いてある」。
パウロは、議員の一部がサドカイ人であり、一部はファリサイ人であるのを見て、議会の中で声を高めて言った、 「兄弟たちよ、わたしはファリサイ人であり、ファリサイ人の子です。わたしは、死人の復活の望みをいだいていることで、 裁判を受けているのです」。 彼がこう言ったところ、ファリサイ人とサドカイ人との間に争論が生じ、会衆が分裂した。
元来、サドカイ人は復活とか天使とか霊はいっさい存在しないと言い、 ファリサイ人はそれらはみな存在すると主張している。
そこで、大騒ぎとなり、ファリサイ派のある律法学者たちが立って、強く主張して言った、「われわれは、この人には何も悪いことがないと思う。 あるいは、霊か天使かが、彼に告げたのかも知れない」。 こうして、争論が激しくなったので、千卒長は、パウロが彼らに引き裂かれるのを気づかった。
そして兵卒たちに降りて、行ってパウロを彼らの中から力づくで引き出し、 兵営に連れてくるように命じた。 その夜、主がパウロに臨まれ仰せられた、 「しっかりしなさい。あなたはエルサレムでわたしのことをあかししたように、 ローマでもあかしをしなければならない。」
続きはまた明日。 父なる神と主イエスキリストに栄光が永遠にありますように。
917 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 18:57:28.60 ID:DyOnvPC0
|ヽ n _| | _n と  ̄`  ̄ ̄ ⊃ ∪ 7 __/ ̄∪ / ̄|____| _) (_イ , -- 、 くL_∩ | { ・ } ∩ |__ つ . _」 `'‐‐(ニlニ) L_ U 彡∴_ ――‐┬‐‐∴ミ  ̄|_| └┬「 ̄ | | (^Y^) |│ と 二二二二二つ | 〈 と つ U
918 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 20:43:32.15 ID:DyOnvPC0
その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。 わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 あたしを離れては、あなたたがたは何もできないのです。 父なる神に祈るのは異端ですよ、リンゴ。
919 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 20:50:29.55 ID:DyOnvPC0
人は両親から生来の悪、つまり遺伝悪をうけ継いでいることは、周知のとおりです。 ただし、そのような悪がそのような面で充満して住みついているか、知っている人は少数です。 その悪は、(あらゆる善を所有したい愛)のうち、(支配したい愛)のうちに住みついています。 支配したい愛というと、一度手綱をゆるめると、すべての人を自分の支配下におきたい欲望 で燃え上がり、神として呼ばれ、拝まれたいと思うまでになります。 ヘビとは、その愛のことです。ヘビとは、その愛のことです。ヘビはエバとアダムをだましました。 女にむかって言いました。 「この木の実をとって食べた日には、あなたの目がひらけて、神のようになることを、神は知って いるのです」(創世記3.4、5) ですから、この愛に向かって、手綱をゆるめ、身をゆだねるがはやいか、人は自分に向かって 行き、自分の崇拝者になります。自己愛から熱烈に神のみ名を口にすることはあっても、神を 軽んじた、つめたい心をしています。手段として、教会の神聖な業に参加することはあっても、 目的は支配権をうることです。このような人が高い名誉職にあげられても、自分の肩に地球を かついでいるアトラスになったと想像しているだけです。あるいは、馬に太陽を引かせて 地球を回っているフォイボスです。
920 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 20:54:32.88 ID:DyOnvPC0
人は、遺伝的に以上のような状態にあります。したがって、教皇の公布で自分が列聖された と信じている人たちは、霊界では他の人の目から切り離され、隠され、かれらを聖人とあがめる 人たちとの交流が断たれます。それは、悪の根源でもあるその欲が増長し、悪霊(デモン)が もっている白昼夢的妄想に入り込まないためです。この世にいて、死後「聖人」と呼ばれたいと しきりにあこがれている人は、このような妄想に落ちいっています。
女のくせに間男みたいだな
922 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 20:59:07.49 ID:DyOnvPC0
教皇派の人たち、とくに修道者は、霊界位に着くと、聖人たちはどこにいるか、とりわけ自分の 属していた修道会の聖人はどこかとさがし、見つからないとフシギそうにします。 そのあと、かれらの聖人は天界にもいるし、地獄にもいると聞かされます。かれらは自分の名を 呼ばれたりする信心には、縁もゆかりもない状態だと教わるのです。そんな信心に縁をもち、 聖人として祈られたいと思う人は、幻覚に落ち込み、バカ気たことを口にします。 天界では、聖人崇拝など、耳にするだけで身震いするほど嫌われています。 ある人を信仰すればするほど、主への崇拝から心を引き離すからです。 主だけへの礼拝ではなくなります。主だけが礼拝の対象でない場合、ここに分離が行われ、 交流がたたれ、その交流からあふれる生命の幸福感も減ります。
>>898 まったく答えになっていないのですよネヨさん。
>殉教がみずから命を絶つ目的とはまったくちがったものです。
日本で今、教会があったり、イエスの事をインターネットで述べたりすることができます。
ネヨさん、それを口に出した途端、逮捕されて拷問を受け処刑される。
具体的に考え抜きなさい!
何の罪もなく貧しい病人たちのお世話をした、キリスト精神で手を取り合った日本26聖人
私は具体的ですから、ネヨさんみたいな机上で聖書を弄び、悪用する邪霊にははっきり言います。
26聖人が、貧しく病に苦しむ人たちを助けた場所(京都市)の跡地は病院になっていますが、
今でも京都市民にもあまり知られない様な、それほどの恐怖の弾圧が加えられたのです。
恐れてみな口を閉じる。
顔の一部を削ぎ落され、町中を引きずりまわされ、そのあげくに長崎にまでそのまま連れゆかれ
十字架にはりつけられて処刑ですよ。
なにが、殉教が目的ですか!
謝罪せよ。立派な先輩たちに謝罪せよ。
結果ですよ。優しく美しい人々がキリストに結ばれて、この世に天国をつくろうとした、
それが目的であり、引き下がらない覚悟した愛、その結果が殉教ですよ。
そして、キリスト者であるなら覚悟した愛を、「口で言い表す」として今日まで心の奥底で通じているのです。
みな真実の口を閉じたのですよ。
ネヨさんような邪霊の口は大きく開かれ、この世に汚濁を流していく、
それに対抗しているのが、
<すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し> の具体なのですよ。
ネヨさん今すぐ謝罪しなさい。
924 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 21:32:43.36 ID:DyOnvPC0
教皇派の聖人とはどんな人なのか、わたしにはそれが分かりました。自分が列聖されたいと 思っている人が、百人ほど他界から現われたのです。 少数のものは、顔を前にして現われましたが、みんな背後からのぼってきました。その中の 一人とコトバをかわしましたが、人々はかれをザビエルだと言っていました。わたしはかれと 話しましたが、気が抜けたような感じです。自分が他の者といしょに閉じ込められている ところでは、そんなに愚かではないけれど、自分が聖人だとか、聖人と呼ばれたいと思う度に 愚かになると言って、話してくれました。背後からのぼってきた人たちからも、おなじような つぶやきが聞こえてきました。 地上で聖人と呼ばれていた人でも、天界では別です。地上でどんなに言われているかなど、 全く何も知りません。それに、このような迷信にかぶれている教皇派の人と、コトバを交わす チャンスもありません。そんな考えが入ってこないためです。
925 :
もも :2012/03/19(月) 21:33:16.55 ID:vvZ8/OSi
>イエスはおん父と合体を完成されるため、つまり、ご自分の人間性を栄化・神化される 目的のため、 スエデン教は父との合体のためだけに十字架に架かるんですね 人類を贖うためでなく。 それならもともと人性を帯びる必要もないのでは 神側だけで変身!合体!と一人遊びしてるように見えるんですけど スエデン教の贖いって十字架でなく神は具体的に何をしたの
926 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 21:39:17.16 ID:DyOnvPC0
以上のような状態を見て、だれもが結論として分かってくるでしょう。かれらの名を唱えても、 それは空文句に過ぎません。わたしは、はっきりと断言することができますが、地上でかれらの 名を口にしても、道端の像や礼拝堂内の壁画に耳がないのと同じです。塔に巣づくりするトリ に祈っているのと同じです。 この世で、そのような聖人に仕える人たちが、かれらの聖人は主イエス・キリストとともに 天界で支配権をもつと言っていますが、それは作り話です。国王の馬の番人が、国王と 同じように支配するはずはありませんし、貴族の館の門番が貴族と同じではないし、長官の 伝令が、長官と同じではありません。 洗礼者ヨハネも、主について。 「わたしは、その方の靴のヒモをとく値打もない」(マルコ1.7 ヨハネ1.27) と言いました。もしそうであれば、以上のの人たちは、なおさらです。
>>924 ネヨさん、死後聖人と呼ばれるかどうかなどどうでもよいのですよ。
あなたは、仁愛と言葉だけ弄びますが、あなたがどうであるかだけでしょ。
実際に日本26聖人、パウロのツメの垢にも相当しない机上の空論など
恥だと思いなさい。
ネヨさん、謝罪し生まれかわりましょう。
928 :
もも :2012/03/19(月) 21:40:47.12 ID:vvZ8/OSi
>>924 聖人と思われたくて殉教出来る人なんて
そうそう居ないって。w ネヨさんはスエデンのために命捨てられるの
信仰も殉教もネヨさんは軽く見てるから
そんな風に言うのれす
929 :
もも :2012/03/19(月) 21:46:38.83 ID:vvZ8/OSi
>さきほど言いましたように※創世記1章1節には、主語は三つ以上の複数形なのに 動詞"バラー"(1,21,27)は 単数形が用いられてる。 これは三位一体を表すのではなく、 その数は三つ以上の複数形なのであり、 その数(神の子供の数)は未知数です。 昨日言ってたリンゴ氏のこれ 三つ以上なら三も含むから 三位一体ともとれるというか、たぶんそう捉えるんじゃないかなキリスト教は
930 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 21:51:18.28 ID:DyOnvPC0
>>925 「はっきり言っておく。一粒の小麦は、地に落ちて死ななければ、
一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」と(ヨハネ12.24)
人間は死後よみがえるため、それで主キリストは死を引き受け、第三日目によみがえら
れたが、そのことはキリストが母マリアから得た人間的なあらゆるものを脱ぎ去り、
神的な人間的なもの(神の人間性)を着けられるの目的のためでした。
なぜなら、イエスは母から得られた人間的なあらゆるものを、試練により、最後には
死により退けられたからであり、キリストの中にあった神的なもの、そのものから
発している人間的なものを着けることにより、ご自身を栄化され、その人間的なものを
神的なものとされたのあり、それで天の国においては、イエスの死と埋葬は死と埋葬を
意味しないで、主の人間的なものを清めること(栄化・神化)を意味したのです。
同じことが、マグダラのマリアに言われたことのなかに含まれています。
「わたしにさわってはならない。わたしは未だ父のもとへ上っていないのだから」
(ヨハネ20.17)
「父のみもとに上る」とは、母からきている人間的なものが完全に退かれて、
主の神的なものと主の人間的なものとは合一することを意味しているのです。
はっきり言わないと伝わりません。
>>828 不思議な出会いだね。そういう話を聞くとちょっと羨ましくなっちゃうな。
俺は聖書に関してそういう劇的な体験が皆無なんだよね。
その体験をした当時はクリスチャンじゃなかったってことだから
信じるあまりに体験を都合よく信仰と結びつけたわけじゃないしね。
俺の場合は前に書いた吐瀉物処理した女の子みたいな日常的でささいな経験から
信仰とかそういったものの意味を考えたりするくらいで、ダイレクトに聖書に結びつく体験がないんだよなあ。
933 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 22:03:53.09 ID:DyOnvPC0
>>925 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。・・・
わたしは羊のために命を捨てる。・・・わたしは命を、再び受けるために、捨てる。
それゆえ父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。
わたしはそれを自分で捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受ける
こともできる。これは、わたしが父から受けた掟である。
「羊飼い」とは、主キリストのこと、「羊」は主の信徒の譬であることに異論のある人はいません。
キリスト教は、この(みことば)をもって、主キリストは十字架でのおん苦しみと流血の死によって、
人類の罪をすべて背負われあがないのみわざを成就なされたのだと信じられているのです。
ここに書かれている言葉の中にかくれている秘義を、人間が再生する手段である試練の何であるかを知らないかぎり、
ここに記されている意味はわかりません。
キリストはご自分の自由から戦われて、ついにはその霊魂を捨てられたのですが、そのことは、キリストは主ご自身の力から、
すなわち御自身の力からその人間的なものから発するあらゆる地獄に反抗して戦われたのであり、キリストはご自身の力から
その人間的なものを栄化されたのでした。
すなわち、キリストはご自分のなかの自然的人間なものを、父に由来する神的なものに結合されたと言うことなのです。
>>838 >>853 ネヨじいさん、ひとつ俺が間違ってたことがある。謝罪して訂正する。ごめん。
俺はじいさんの「教育」係じゃなくて「しつけ」係だね。
教育っていうのはある程度知能も人格も育った上でのことだからね。
俺が
>>607 で
> 特に相手が真剣に信仰や心情を吐露したり
> 善意から丁寧にレスしてきたときには決して足蹴にするような真似はしないこと(←これやったら絶対に許さないから)。
って言ったのはこういうレス。じいさんには悪気はなかったのかもしれないけど
自分のエゴの正当性を主張することしか頭にないから、こんな無神経なレスしちゃうんだよ。
長い付き合いになりそうだねー。よかったねー、じいさん。
935 :
もも :2012/03/19(月) 22:11:15.43 ID:vvZ8/OSi
>>933 つまり人類の罪を贖うのは間違いで
神に近づくための試練との闘い、見本としてイエスは死なれたってことね
>>918 主イエスキリストの御名で父なる神に祈るのですよ。
知らなかったのか、ネヨは。それに
>>916 は祈りではなく賛美といっただろう。
祈りはこういう人前ではしてならいというのが神の教え。これは賛美だ。
937 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 22:20:20.66 ID:DyOnvPC0
>>935 御名答^^
それがイエスが御身をもって示されたことなのです。
キリストが十字架の上で死なれたから、人類の罪がすべて清められ許されたなんて、
超オカルト信仰とは思われませんか。
そのようなことがあろうはずもありません。
主イエスも御父との合体を完成させる目的がありました。
>> ももさん、確かにそう捉え人間の解釈をしているのがこの世のキリスト教です。 しかし数を断定してはいけません。天地万物が存在する前からクリスチャンは 選ばれていたことが書いてあります。もちろん、われわれは父と主にに栄光を帰さなけれいけません。
939 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 22:25:05.93 ID:DyOnvPC0
>>935 キリストがなされた(あがない)とは、罪の判決から救い出すこと、永遠の死から解放すること、地獄から人を奪い返すこと、
悪魔の手中からとらわれた人たちを取り返すことです。
それをなさったのは主キリストですが、それによって主は、地獄を征服し、新しい天界をお建てになりました。
主キリストが、地獄を滅ぼされたことは、聖書の随所の個所に記されています。
「今は、この世が裁かれる時である。今こそ、この世の君は追い出されるであろう。」(ヨハネ12.11)
「わたしはサタンが、電光のように天から落ちるのを見た」(ルカ10.18)
「しかし勇気を出しなさい。わたしは世に勝った」(ヨハネ16.33)
「この世」とか、「この世に君」とか、「サタン」とか、「悪魔」などは、地獄のことです。
その他、(イザヤ63.1-9、詩編45.3-7 イザヤ42.13 9.6 他)
このようになってこそ、初めて人間が救われるわけですが、それというのも、霊界と自然界は、
分離しがたいほど、しっかり結びついているからです。
この結びつきは、とりわけ、霊魂とか精神とか呼ばれているものの内部で行われていて、善人の場合、
その霊魂は天使の精神と、悪人の場合、その霊魂は地獄霊の精神とむすびついているからです。
人間の霊魂を地獄から遠ざけるためには、全能の主のみ力によるしかありません。
>>938 誤>われわれは父と主にに栄光を帰さなけれいけません。
正>われわれは父と主に栄光を帰さなければいけません。
941 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 22:27:42.99 ID:DyOnvPC0
>>938 >天地万物が存在する前からクリスチャンは
>選ばれていたことが書いてあります。
そのような予定説みたいなものありません。
新約聖書エペソ人への手紙 「私たちは、神様のひとり子にあって、御子キリストの血による贖い、 すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです」。
943 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 22:31:58.21 ID:DyOnvPC0
映画「パッション」の中で、残虐極まりない拷問の繰り返しがあり、観客を戦慄させますが、 なぜキリストは、それほどまで苦しめられねばなたなかったかと質問が発せられます。 これは当時のユダヤ人たちの残虐性に帰することも可能ですが、キリスト教的解釈からすると、 人間の罪深さにたいする仲介者キリストの償いであるとか、父なる神の怒りをなだめるため謝罪 (人類の代わりに受けてくださった)であったとか、旧約聖書にあるスケープゴート(レビ16.20-22) に因んだ解釈など、いろいろあります。 しかし、著作(スェデンボルグ 天界の秘義)による全般的解釈では、キリストの一生にわたる 試練・誘惑の究極を示すもので、肉体だけではなく、主の精神も究極まで苦しみを甘受しました。 「わが神、わが神、なぜわたしを捨てられたのですか」(マタイ27.45)は、精神的暗黒の極みを示すものです。 地獄の力による悪にたいしては、悪で報いず、むしろ赦しと慈悲で報いることころ善の勝利となります。 その結果、主が肉の母から継承した古い人間性は、地獄の勢い、悪霊・悪魔から、完全に解き放たれ、 手艇的に神化され、栄化される結果になりました。 人の救いは、主の勝利への参加です。主が解放された人間性、神化された人間性から、悪に対抗する力、 地獄に屈しないエネルギー、新しい人間性の情愛として、愛、恵み、感謝、謙遜、祈り、服従、堅忍の 恵みをいただきます。
新約聖書ヨハネ第一の手紙 「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、 私たちはお互いに交わりを保ち、 御子イエスの血はすべての罪から私たちを清めます」。
945 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 22:33:14.43 ID:DyOnvPC0
>>942 そんなパウロの作文より、主イエス(みことば)を信じなさい。
946 :
もも :2012/03/19(月) 22:35:00.04 ID:vvZ8/OSi
>>938 予定説はこれと矛盾しませんか
「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおらます」テモテ
947 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 22:36:12.01 ID:DyOnvPC0
>>944 イエスの血で清められるためには、イエスの教えを守り実行することです。
言葉信仰じゃ意味なしません。
新約聖書エペソ人への手紙 「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、 汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」。
>>946 クリスチャンは信仰で救われますが、そうでない人は白い御座の裁きで
命にあずかるか滅びるか決められます。ですから予定説とテモテへの手紙は矛盾しません。
この命は「命の書」書かれ、クリスチャンの永遠の命は「子羊の命の書」に書かれます。
950 :
もも :2012/03/19(月) 22:46:40.13 ID:vvZ8/OSi
>>949 全ての人が救われるのを望みながら
救う人を創造前から定めているというのが
腑に落ちないのです
951 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 22:50:25.83 ID:DyOnvPC0
>>946 「偽メシアや預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、
選ばれた人たちおも惑わそうとする。」マタイ24.24
「人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。
天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から
呼び集める。」マタイ24.31
ここに記されている「選ばれた人(選民)」とは、クリスチャンを指すのではありません。
選民とは、善と真理の(いのち)の内にいる人たちを指します。
もし、クリスチャンだけなら、それ以外の人たちは救われないことになります。
愛そのもの善そのもの主が、そのような愚かなことをなされるわけありません。
むしろ、クリスチャンでも信仰のみの人は選民にはなれません。
>>950 救う人を創造前から定めておられいるというのは「子羊の命の書」に書いてあるクリスチャンのことです。
ノンクリスチャンは白い御座の裁きで「滅びる」か「命の書」に書かれるか決められます。
全ての人が救われるのを望まれるのはノンクリの「命の書」と考えれば いいでしょう。
953 :
もも :2012/03/19(月) 22:57:04.43 ID:vvZ8/OSi
新約聖書ヨハネによる福音書 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さいました。 それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためです」。
955 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 23:02:11.20 ID:DyOnvPC0
>>952 クリスチャンだけが「命の書」に書かれているわけありません。
それじゃ、キリスト教以外の人はみんな救われないことになります。
そんな勝手でたらめな解釈をしてはいけません。
そんな阿呆な神はもう神ではありません。
>>953 騙されないでね。
956 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 23:05:57.24 ID:DyOnvPC0
>>954 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さいました。
それじゃ、たった一人の罪のためにどうして人類全体を断に帰せ、断罪されたのですか。
>>955 クリスチャンたちだけが「子羊の命の書」に書かれます。
キリスト教以外の人はみんな白い御座の裁きの後、救われるか、滅びるか決められます。
ネヨのような勝手でたらめな解釈ではなく、聖書に書いてあることです。
958 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 23:07:27.58 ID:DyOnvPC0
訂正 それじゃ、たった一人の罪のためにどうして人類全体を罪を科せ、断罪されたのですか。
イエスキリストのみことば 「わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、 永遠の命を受け、また裁かれることがなく、死から命に移っています。」
960 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 23:13:39.42 ID:DyOnvPC0
>>957 そんな出鱈目解釈してはいかん
主はすべての人を、その人のもっている(いのち)の性質によって審判される。
善と真理の(いのち)の中にいる者は選ばれ、悪と偽りの(いのち)の中にいる者は選ばれない。
「命の書」に記されている者とは、前者のことなのだ。
人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。
そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分ける
ように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。」マタイ25.31-33
961 :
もも :2012/03/19(月) 23:14:01.83 ID:vvZ8/OSi
>>955 リンゴ氏のはクリスチャンは創造前から予め選ばれていて
ノンクリスチャンに関しては特に決めていないので
その人自身にかかっている?ということになるのかな
他力クリスチャンと半自力ノンクリスチャンというか…
ローマ人への手紙3章 「神様は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、 キリストの血と私たちの信仰とをお用いになりました」
963 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 23:17:01.82 ID:DyOnvPC0
>>959 だから、言葉信仰だと言っているのだ。
そんなものいくら唱えても、何にもならない。
義とされ、救われるためには、主キリストの教えを守り、実行しなければ何もならない。
信仰のみでは、だれも救われない。
>>961 クリスチャンたちは創造前から選ばれてるのは聖書に書いてますからね。
>>950 天地創造の前、イエスは「言葉、真理として父と共にいた」わけですので、究極的には、真理を認め愛し人に善を行う人々は神側にいることになると考えられます
966 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 23:18:44.20 ID:DyOnvPC0
>>962 そんなもの百万回唱えても何の効力もない。
キリストの血という神の代価が支払われました。神の子の血によるあがないで、 何の働きのない者でも信仰だけで救われます。神の義はキリストの血によって完成されたからです。 クリスチャンの信仰は「神の命」という測り知れないの高価な代価ゆえなのです。
968 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 23:21:29.32 ID:DyOnvPC0
>>965 「天地創造」とは、世界の初めという意味ではない。
「天」とは内部人間のこと、「地」とは外部人間のこと。
イエスキリストのみことば 「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためです。 わたしはよい羊飼いです。 よい羊飼いは、羊のために命を捨てるのです。」
970 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 23:25:03.41 ID:DyOnvPC0
>>969 だからね、命を捨てると言う意味が分かってないと言うことですよ。
971 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 23:26:48.27 ID:DyOnvPC0
ほんとリンゴのような言葉信仰の人の頭の構造って、どうなってるのかと思います
新約聖書ヘブル人への手紙「あなたがたが近づいているのは、シオンの山、いける神の都、天のエルサレム、 無数の天使たちの祝いの集まり、天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、 完全な者とされた正しい人たちの霊、新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です」。
973 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 23:27:52.84 ID:DyOnvPC0
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白 「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、神様はイエス・キリストを死人の中から 復活させてくださったと信じるなら、 あなたは救われます。人は、心で信じることによって、 神様から正しい者と認められ、 その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
新約聖書ガラテヤへの手紙 「イエスキリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリストイエスを信じました」。
976 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 23:37:52.63 ID:DyOnvPC0
だから、そのようものは、救いにもならない「獣」「竜」「バビロン」の教義だと言われているのですよ。 「神がその期間を縮めてくだされなければ、だれ一人救われない。 しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう」マタイ24 「信仰のみ」の教義が終わらないと、だれ一人救われないということ。 だから、神がその偽りの教義の期間を縮めてくださるということ。 選ばれた人たち、とは、善と真理の(いのち)の中にある人たちのことです。
977 :
リンゴクリスチャン :2012/03/19(月) 23:39:05.51 ID:iyQARMe5
どなたか次スレたてお願いします。みことばはおまかせしますが、
できれば
>>974 もしくは
>>975 のみことばを使用してください。
978 :
もも :2012/03/19(月) 23:42:35.99 ID:vvZ8/OSi
新約聖書ヘブル人への手紙「あなたがたが近づいているのは、シオンの山、いける神の都、天のエルサレム、 無数の天使たちの祝いの集まり、天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、 完全な者とされた正しい人たちの霊、新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です」。
>>950 ももさんそれはこう言う意味です。
全然矛盾しないのです。
例えばあなたが学校の先生だとします、ある生徒が「先コウ、オレにも解るように説明しろや」
と授業を中断させるような事を言ったとします。
これは、他の生徒たちが先生解らないので、ここを教えて下さいと言うのと顕かに違う事は分かりますか。
ももさんここまではよろしいでしょうか。
>>968 理解のレベルについて
幼い子供でも素直に学んだことを受け入れ、成長と共に理解もあらゆる面から深まることを示唆しています
ペテロ一2:2
エフェソス3:18、19
>>978 ももさん、スレたてありがとうございます。主イエスキリストのための働きをしたクリスチャンは
父なる神が天で報いてくださいます。
983 :
もも :2012/03/19(月) 23:48:26.34 ID:vvZ8/OSi
984 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 23:51:00.91 ID:DyOnvPC0
\_ももさんここまではよろしいでしょうか__/ ∨ ___ _ / ____ヽ /  ̄  ̄ \ | | /, −、, -、l /、 ヽ きみ頭だいじょうぶ? | _| -|○ | ○|| |・ |―-、 | , ―-、 (6 _ー っ-´、} q -´ 二 ヽ | | -⊂) \ ヽ_  ̄ ̄ノノ ノ_ ー | | | ̄ ̄|/ (_ ∪ ̄ / 、 \ \. ̄` | / ヽ ` ,.|  ̄ | | O===== | `− ´ | | _| / |
986 :
神も仏も名無しさん :2012/03/19(月) 23:54:21.05 ID:DyOnvPC0
またほとんどリンゴの張り紙で埋るんだろうな^^
>>983 では何が違うのかです。
先生はどの子も同じなので、みんなに手を差し伸べます。
このクラスをはじめて受け持った時、全ての子供たちが理解できるように手を差し伸べようと
先生は一生懸命です。
そもそも理解できるようにというのは、人間の特殊事情、他の生物とは違う幅や自由領域を持って
自分が獲得していくという自立性の性質を説明しています。
戻りますと、
そして課外授業をするのでみんな来てねって先生は仰います。
でも、来る子と来ない子がいるのですよ。
来ない子は、はじめから学ぶ姿勢などないのです。
私のこのたとえ話は、つまりこのようなのです。
@先こう、教えろ。
A先生、自分でも勉強してみたのですが分からないところがあります、教えて下さい。
この@はいちゃもんをつけているだけですから、Aと表面で同じで中身が違います。
神の子供としては、自由がありその中で獲得していく。創造は差別ではないが、
創造の時より、自ら成るものは成り、成らぬものは成らない、然り然り、否否。
いつも親は手を伸ばしていても。
988 :
もも :2012/03/20(火) 00:21:25.01 ID:7iu5kGCP
>>988 はい、ももさん、ありがとう。
説明が下手でごめんなさいね。
そう無条件に定めていると言うのは、そうなのです、
けれど予定説はエゴによる曲解が混じっているのです。
誰にも条件無で放たれた、ひとりひとりです。
しかし、自分で条件をつけていくという意味なのです。
はじめから、そうなるであろうという呪いではなく、自由、自立に伴う
無条件における条件を言いあらわしがたく、述べておられます。
神の目的は果たされますが、神に仕えるかどうかは各自が選択します イザヤ55:11 ヨハネ3:16 フィリピ2:12
991 :
神も仏も名無しさん :2012/03/20(火) 00:45:29.38 ID:3hzNT2Fm
「地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小羊の命に書にその名が記されていない 者たちは皆、この獣を拝むであろう。」黙示録13.8) 「小羊の命に書にその名が記されていない者たちは皆」は、主により再生を通して霊的な ものとなっていないすべての者により、を意味している。「名」の意義はかれらの性質で ある。「小羊の命に書にその名が記されている」の意義は、主における愛と信仰との中に いることであり、主による再生を通して霊的なものなることである。 「天地創造の時から、屠られた」は、主の人間的なものにおける主の神的なものはこの 教会の最初の創設から承認されなかった、を意味する。 「屠られた、または殺された小羊」の意義は承認されないことであり、ここでは主の人間的 なものにおける主の神的なものは、かれらには承認されなかったということである。 「天地創造」の意義は、教会の最初の設立である。「地」は、教会を意味している。
992 :
もも :2012/03/20(火) 00:51:34.03 ID:7iu5kGCP
>>989 カルヴァンの創造以前からの無条件的選択があまり好きではなくて
アルミニウスの
>天地創造以前の救いに至る特定の個人に関する神の選びは、
>神の招きに対する彼らの応答を神が予見されるという事に基づいたのである。
>神は、彼らの自由意志によって福音を信ずるであろうと予知した者のみを選ばれたのである。
の方がまだ納得できるというか
究極的には真理についての人々の態度が分かれ目になってくると思いますが 『贖い』に信仰を抱きますかどうか ローマ5:14 マタイ20:28 コリント一15:21、22、45 テモテ一2:5、6
994 :
もも :2012/03/20(火) 01:06:32.93 ID:7iu5kGCP
>>990 各自が選択してるつもりが
予定説だと実は神の選びで決まっていただけのこと
ということになるかと
予定説は私は支持しないですけどね
995 :
神も仏も名無しさん :2012/03/20(火) 01:15:16.16 ID:3hzNT2Fm
「予定説」は、人類のなかのある人々は、予定によって断罪されますから、 これほどひどいことは考えられないし、これほど残酷な神はいないことになります。 主は全人類の創造主であり、救い主です。人間を予定で断罪されることはありません。 全ての民を救われようと働きかけられるのが、神のみ摂理です。 善人にも悪人にも日を照らせ、雨を降らせてくださるのです。
996 :
イスラム教徒 :2012/03/20(火) 01:17:50.07 ID:inEvAG4a
| ̄ ̄| |∧∧| 【父よ彼らをゆるしてネ♪】 __(;゚Д゚)___ | ⊂ ⊃ |  ̄ ̄|.|. .|| ̄ ̄ |.|=.=.|| |∪∪| | | | | ~~~~~~~~
997 :
神も仏も名無しさん :2012/03/20(火) 01:21:44.85 ID:3hzNT2Fm
キリストを磔にして殺したとことは、(みことば)を冒涜したと言うことです。 「人の子」とは、(みことば)から見た、主イエスのことです。 「人の子に言い逆らう者は赦される」
998 :
828 :2012/03/20(火) 01:27:34.50 ID:ss1vNPPW
>>932 フォローありがとうございます。私になぜ
>>828 のようなことが起こったのかは起こした方に尋ねなければわかりませんが、
イエスを救い主と信じて間違いはないと体験的に思います。
999 :
神も仏も名無しさん :2012/03/20(火) 01:32:49.65 ID:3hzNT2Fm
妄想です
1000 :
828 :2012/03/20(火) 01:36:00.98 ID:ss1vNPPW
そう片付けるのが思考停止できて楽でしょうね。
1001 :
1001 :
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