>>937 > 四方から恐怖が来るのです。
その恐怖の中に完全に入ってしまうことは難しいのでしょうか?
953 :
ろん:2012/04/01(日) 16:57:43.94 ID:/OjEYZWi
保守がてら書き込み・・・・・・
>>937 「恐れ」がどんな感じのモノなのか
書ける範囲で書いてもらわないと、どんな恐れか分からない。
恐れでも、怖いのか不安なのか焦りなのか迷いなのか
何に対してなのか、何がきっかけなのか、いろいろあるからね。
>>948 ハタヨガとアファメーションとかいうのをやってみよう。ありがとう。
>>949 薬飲んでもダメでしょう。一時的な対処療法にしかならないです。
>>952 >その恐怖の中に完全に入ってしまうことは難しいのでしょうか?
こういう表現は見たことがあります。〜の中に入ってしまうという・・・。
ただ、あまりピンとこないです・・・。すいません。
>>955 「恐れ」ですか。言葉ではうまく表現できない。
焦りではないな。不安かもしれないな。
何に対してかはわからない。きっかけもわからない。3、4歳くらいからその傾向がある。
>>955 なら、質問を変えよう。
その恐れは常にある? それとも、ときどき?
夢の中でも現れる?
ただし、ときどきその恐れが消え失せるときがありました。
アジナチャクラというのが眉間にあるらしいですが、
眉間よりもっと奥の脳の真ん中あたりに焦点を当て続けるような瞑想をしてたときです。
実際にはあり得ないことですが、目玉で目玉の後ろを見るような感じですか。
でもそれから思わぬ時に意識が一瞬消えてまた現れました。
それからは例の恐れは消えました。
今思えばあのまま瞑想を続けていればよかったと後悔しています・・・。
世の中には善人面をした悪人もいます。人を躓かせるために存在する様な連中です。
人を躓かせる者は不幸だ。というのはそういうことだとわかりましたが・・。
>>957 常に恐れはありません。午前中に多いです。大勢の人の前で注目を浴びるときや
いわゆる繁華街、人が多く行き交うところで起こることが多いです。
ただし緊張するのとは違います。
夕方以降は何ともないことが多いです。
夢についてですが。これは毎日のように悪夢を見ることが多いです。
ノンレム睡眠してないんじゃないかと思うくらい夢ばかりです・・・。それもほぼ悪夢。
でも、ここらで盛り返してみせる予定です・・・。
この間テレビで日本人の不安遺伝子の保有率98%とか言ってたけど本当だと思う。
正式名称はセロトニントランスポーターなんとかという名称だが。
>>946 詩篇はいい詩ですね。
ポケットタイプの新訳聖書でも、最後に旧訳の詩篇や箴言が付いているものが多いですし・・・。
詩篇23は有名ですね。
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしくわたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしてもあなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎわたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り生涯、そこにとどまるであろう。」
瞑想終了・・・。
とりあえず、ジッドゥ・クリシュナムルティでも読んでみます・・・。
苦手な人でしたが、覚者であると誉れ高く恐怖についての言及も豊富なようですから・・・。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます・・・・。
>>956 こちらこそ観念的ですみません。
恐れをひたすら感じてそれ一色になってしまうことです。
「なりきる」というやつです。
それだけになるのです。
世界にはそれしかありません。
それだけが人生の世界のすべてです。
それしかないのです。
それ以外の感覚はありません。
泣いて泣いて泣きつくすのです。
感じて感じて感じつくすのです。
そこから出ない。
そこにずっといるのです。
それをどうこうしようと考えない、消そうとしない。
それをどうにかしたいという思いがあるならそれもひたすら感じる。
解説もしない。
理由とか原因とか考えない。
わけが分からないまま、です。
でも、「なぜ」があるなら、「なぜ」になりきる。
答える必要もなく、「なんで自分だけ」の問いをひたすら感じる。
感じてそれとひとつになる・・・。
なんであれ、それだけになる・・・。
お役に立てなかったらすみません、
私は、このようなやり方しか知らないのです。
>>961 そうですね
そして私達はいつでも いつまでも主(命の源 あらゆる現象の源 そしてあらゆる虹)と共にあるでしょう
全体は全体であり
実在は実在であり
一なるものは一なるものであり
真実は真実であり
神は神だからです
>>959 「恐れ」に対する対処の方法は主に2つ。
1つ目は、「恐れ」の起きる状況やきっかけを探り
極力そういう状況にならないように避けること。
2つ目は、「恐れ」がどこから起こっているかを観察し
「恐れ」そのものを理解すること。
どちらも一長一短あるので好きな方法で。
抑うつ神経症に似ていますね。
訳の分からない不安、自分で自分が頼りなくて
何かに頼っていないといられない。
私の場合は仕事で只管紛らわすだったんですけれど
でもそんな自分に罪悪感が付きまとう、みたいな。
許されていないような、神の顔色に怯えるみたいな。
やっぱり、こうであるべき、ああであるべき、いい人間であるべき
神に愛されるべき良い人間、私の場合はこれが強迫観念になっていたんですけれど。
今は原因が分かってリラックスできてます。
観察の結果ですね。
偉そうな言い方になりますが、amaさん、実にあっぱれです。本当に本当に素晴らしい。
俺は今まで貴方を少しこき下ろしてきたが、最近、貴方の言っていることが、
貴方の立ち位置が少し分かりかけてきた。いいかげん認めようと思います。
そして、その恐れとの向き合い方、そこに貴方の悟りの全てが込められているようだ。
その答えを導き出すまで、それは凄まじい道のりだったはずです。
感動しました。
俺も愛する安堂君へ、言葉を残しておこう。
貴方の状況に合った的確な話ではないかも知れない。
貴方の陥っている状況に便乗して、自分の言いたいことを言うだけに
なるかも知れない。でも、言っておこうと思います。
恐れこそ正常なのだ。
人はいつも真理を何やら静寂めいたものにしたがる。
これが宗教史上最大の躓きだろう。真理とは完全に動的だ。鼓動、躍動、脈動だ。
だから、揺らぎ続けろ、戯れ続けろ。迷え、恐れろ、悲しみに震え続けろ。
徹底的にバイブレーションし続けろ。呼吸し続けろ。
全力だ。命がけだ。一生、その痛みと苦しみと踊り続けろ。そこが悟りだ。
969 :
473:2012/04/02(月) 17:35:32.32 ID:el9z1Ykj
>>963 仰るとおり感情に逆らったり感情を分析してしまうよりは、それに乗ってしまった方が
ずっと混乱は少ないですね。
ただ、分析しようとする自我の誘惑に覚めていることと、感情が思考より強く恐怖やその他の感情に
圧倒されやすい性分であることはまた別のことなのでご注意を。
というのも「それ」が恐怖であるという確証はないのです。それになりきるというところに主観で物事を捻じ曲げる余地があるのです。
別のものかもしれませんしもっと多くのものが同時にそこにあるかもしれません。
逆らわないので余計な苦しみはありませんが、また同じことの繰り返しになるのではないでしょうか。
分析も降伏もたやすいですが、覚めることはすべてへの理解を必要とし、またもたらすかもしれません。
970 :
473:2012/04/02(月) 17:36:19.64 ID:el9z1Ykj
>>安藤さん
恐怖の原因。
出来合いの回答であれば探せばすぐに出てきます。
生への、感覚への、喜びへの執着が原因と言われます。
解決されるべきは恐怖ではなく、理解されるべき私をかたどる種々の執着。
本当に覚めていれば何が恐怖として反映されているのか各々の内に明らかにされてゆくのだと。
しかし、本当の問題は私たちが一定しないことです。
皆さんが述べた恐怖についての対処はだれもがすべて持っており、その各方法論が絶えず内側で争っています。
恐怖にどう対処するのか決して一定しません。
恐怖と向き合うか、ただ恐怖に圧倒されるか、私という執着に向き合うか、お金をより稼げば絶対ベターこれしかないと(お金がないから怖いんだと)欲望に逃避するか、
恐怖を喚起する物事にあえて近づくか、避けるか、、、全部似たようなものです。
何を試みても思考は部分的であり私をばらばらにしますし、またほかの思考が反発するのです。
ひとつのやり方に固執するのをやめるのにも大いなる理解が必要ですが、次はあらゆる方法の誘惑が入れ代わり現れることになります。
その理解。理解がなければ死がいずれやってきます。それどころか食糧難やファシズムや戦争や一方的な弾圧が来るかもしれません。
あらゆる悲惨なことがおきえます。時間はないのです。死を受け入れられないということの理解へのタイムリミット。
ただ生を受け取り死へと手放さんことを。
972 :
神も仏も名無しさん:2012/04/02(月) 17:43:37.65 ID:el9z1Ykj
973 :
473:2012/04/02(月) 19:28:14.54 ID:el9z1Ykj
すでにある混乱を明確にし、それが静まってゆくのを許すとはどういうことなのかというお話になります。
必然として現状をすべて露にしなければいけないのでそれは大変な嵐を迎えることになります。
応急処置は痛みを少なくする分、根本的な解決からは遠ざかりますし、抑圧になりますので表面には出ないものの
実際には混乱はより増してゆく一方です。
でも、それもいいのです。あらゆる逃避、欲望という逃避を潜り抜けられる環境にあるなら先にくぐるのも一興です。
恐怖に対抗せず欲を否定せず、欲望の楽しみを通り抜けつつただ今だけは何も、と手渡しになれば
自分の中で息づく恐怖と欲のリアルタイムの関連が開示されるかと思います。
@私は絶対安全な生きる方法論があると思い込んでいます。
あると思うから何か予想外のことが起こるたびに、それはおかしいと憤慨し怖がります。
A私は世の中が自分の思うように回るべきだと頑なに信じています。
お金稼ぐことは誰にでもできるけど指定した方法でお金稼ぐのはどう考えても無理なんですけどねえ。
例を言うと、株が上がるか下がるか予想するのではなく自分の思い通りに動いてほしいと望むんだから処置なしです。
表面の人格がいかに物分りよくても、自我の中心はこういったあられもないものかもしれません。
根深い根深い、そして破滅的な思考の中心。馬鹿なのだけど深いところにあるので手が届かない。
>>973 いえいえ、そんな深い考察の話じゃなく
473さんの中の混乱を、他者にまで広げなくてもイイんじゃないかって話ですよ。
975 :
バカ女:2012/04/02(月) 20:09:13.10 ID:ia1VgJs0
>>894 >悟り子の言う「全てを受け入れる」はあるがままをあるがままに観るといった感じの意味合いです
>先入観無しに生を体験する感じと言っても良いかもしれません
悟り子さんの、その妙な考えが、どこから出てくるのか知りたいです。
「全てを受け入れる」も「あるがままをあるがままに観る」も、人間には不可能ですが?
前回、猫は猫の生の形式のままにしか生きられません、と書きましたよ?
砂漠で干上がっている猫と、築地で魚を狙っている猫と、自分をライオンだと思っている猫では、
どの猫が「あるがまま」に生きているのでしょうか?
猫に世界がどのように見えたら「あるがまま」なのでしょうか?
猫じゃないからわからないですか?
それでは、人間と猫ではどこがちがうのでしょうか?
もしちがうなら、人間の「あるがまま」がどのようなもので
それを「あるがままに観る」とはどのようなことでしょうか?
私が自分や他者や世界を見るのとはどこがどのようにちがうのでしょうか?
>そしてお散歩中に水溜まりに気づいたら避けて歩いたりするのです
水たまりに気づいて、水たまりを避けることが「あるがまま」なんですか?
直立二足歩行する不自然な体をもち、水たまりを感覚し知覚し、水たまり以外と区別し、
水たまりの大きさや深さを理解し、白子みたいな脳みそから過去の経験を引っぱり出し
照らし合わせて ポチャン 冷たい ヤダァー の因果を思い出し、損得勘定し、決心し、
水たまりをよける。(学校に行きたくない日は、わざと濡れて休む理由にするのもOK)
いったいどこがどのように「あるがまま」なんでしょうか?
人間のまんまが「あるがまんま」ならわかりますが、それが「全てを受け入れる」なんですか?
さっぱりわかりませんので、くわしく解説してください。
977 :
バカ女:2012/04/02(月) 20:12:40.86 ID:ia1VgJs0
>>905 >問いがあるからでしょうね
問いの消滅は、しっかり考えぬいてからです。
オペさんは、考えることを怠けているから、的外れな返答しかできません。
どうして私(1)は私(2)なの? ← 私(1)と私(2)が同じ私じゃないから出てくる問いです。
どうして俺はオペなのか? ← 俺はオペじゃなくてペケでもよかったのに、なぜオペなんだ?
どのような事態かもわからないのに、問いがあるからでしょうね? 笑わせてくれる。
考えることをあきらめて怠けている状態を指して「不立文字の立場」と言います。
公案も似たようなもの。わからないからわけのわからないことを言ってるだけです。
不立文字の立場は、それが胡散臭い体験に裏づけられている証拠です。やり直し!
語れないはずの体験を不立文字などと言語化しているくせに、それにも気づかず、
足が腐っても座り続けるアホの立場なんて卒業しなさい!、ということ。
不立文字の立場なら、一切しゃべるな! 一切書き込むな!、ということ。
追加しておけば、菩提や常を求めたり問いを立てることに、そもそも根拠がない、
などというのも、因縁に由来する執着を拡大解釈しているからで、
この世界が、現象が、無根拠だと決めつけているところからくる錯覚にすぎません。
たしかに、この世界は、現象は、相対原理によって成立していますが、
この世界の、現象の、無根拠性は、現象が存在に根拠づけられなければ成立しないことに
気づかないからで、もしそれに気づくなら、無根拠性を突くナンセンスも自覚するでしょう。
俺はそんなこと一言も言ってない?
それなら、他に見ている人がいるかもしれませんから、その人向けで。
978 :
バカ女:2012/04/02(月) 20:16:37.28 ID:ia1VgJs0
>>905 >何だかよくわかりませんが、存在感、現実感がないってことですかね
世界にも、現象にも、私にも、あなたにも、実体がない、などと妄言を吐く人は、
きっと一度も必死になって生きたことがないのです。
明日は来ないかもしれない覚悟で、今日、今この瞬間を生きてみればわかります。
捨てるのではなく、ぜんぶ丸ごと背負って突っ走るんです、そうすればわかります。
>それ、悟りとはちょっと違うと思いますよ
私が批判している悟りと呼ばれる事態の簡単な仕組みの説明です。
ちがうなら、どこがどのようにちがうのか、くわしく説明してください。
>何か危険なことでもあるのでしょうか??
オペさんは悟れていないからいいけど、という意味です。
オペさんが悟っても無意味、むしろ害になる。何もわかっていないから。
それより、世のため人のために一生懸命に働きなさい、ということです。
すみません、オペさんにあまり興味がありません。
ビクビクしながら答えてもらっても、面白くありません。
979 :
バカ女:2012/04/02(月) 20:45:57.89 ID:ia1VgJs0
>>976 お気遣いありがとうぎざいます。
元気すぎるほど元気でした。
毎日いそがしくて、来られませんでした。
全力で生きているので、ここにくると退屈してしまう。
このスレには一生懸命に生きている人がいるのでしょうか?
せっかく生まれてきたのに座ってるばかりでしょうか?
悟りは悟りじゃないってどうしてわからないんだろう?
ちゃんと働いて楽しんで愛して泣いて怒って喜んでが悟りです。
学校や仕事が面白くない人は元気がない人です。
面白くないことを面白くしてしまう元気がないんです。
元気になるための方法がひとつだけあります。
前にも言ったけど、それは自分を忘れることです。
自分のために生きることを忘れることです。
自分以外のために生きることです。
そして全力で走ることです。
頑張れば頑張るほど元気はどんどんわいてきます。
なぜ生きているんだろうではなく、生きていることに感謝したくなります。
いつの間にか強くなって、辛いことも乗り越えられる自分に気づきます。
生まれてこれたことが、どんなにとんでもない奇跡なのかに気づきます。
そうなっているんです。
>>979 >毎日いそがしくて、来られませんでした。
それは何よりです。
>全力で生きているので、ここにくると退屈してしまう。
>このスレには一生懸命に生きている人がいるのでしょうか?
確かに最近盛り上がる話題も無いですから退屈かもしれませんね。
でも、みんな一生懸命生きていると思いますよ。
>せっかく生まれてきたのに座ってるばかりでしょうか?
>悟りは悟りじゃないってどうしてわからないんだろう?
>ちゃんと働いて楽しんで愛して泣いて怒って喜んでが悟りです
いつも座ってるばかりじゃないと思いますよ。
みんな、きちんと働いて楽しんで愛して泣いて怒って喜んでいると思いますよ。
でも、たまに疲れた時にここに来て書き込んで行くんでしょうね。
いろんな悟りがあって、みんな自分の好きな悟りについて考える
そういう時間があってもイイと思いますよ。
>自分のために生きることを忘れることです。
>自分以外のために生きることです。
>そして全力で走ることです。
全力で走って疲れたら、たまに休んでもイイですよね?
981 :
バカ女:2012/04/02(月) 21:20:41.87 ID:ia1VgJs0
>>977 私が自分の理論から離人症周縁(精神の可能性)と分析している別の例を紹介します。
以下、シャルロッテ・ビューラー『青年の精神生活』協同出版(絶版)から引用します。
私は自我意識が個人的にどのように始まったかを語りたい。
夏の盛りであった。
私はおよそ十二歳になっていた。
私は非常に早くめざめた。
たった一つの窓が庭に向かって開いている部屋。
私のベッドは部屋のいちばん後ろの隅に頭の方を窓に向けておいてあった。
私は起き上がり、ふり向いて膝をついたまま外の樹々の葉をじっと見た。
この瞬間に私は自我を体験した。
つづく
982 :
バカ女:2012/04/02(月) 21:22:26.89 ID:ia1VgJs0
つづき
すべてが私から離れ、私は突然孤独になったような感じがした。
妙な浮かんでいるような感じであった。
そして同時に自分自身に対する不思議な問い、お前はルディ・デリウスか、
お前はお前の友達がそう呼んでいるのと同じ人間か、
学校で一定の名前をもち一定の評価を受けるその同じ人間なのか、お前は同一人物か。
私に中の第二の私が、ここまでまったく客観的に名称としてはたらくこの別の私に向かい合った。
それは、今まで無意識的にそれと一体をなして生きてきた私の周囲の世界からの
ほとんど肉体的な分離のごときものであった。
私は突然自分を個体として、取り出されたものとして感じた。
私はそのとき、何か永遠に意味深いことが私の内部に起こったのをぼんやり予感した。
それゆえその部屋、ベッドにひざまずいたこと、ふり向いたこと、この瞬間がやはり鮮明に記憶に残った。
何か精神的閃光が突然私の中に射し込んだようだった。
(そして今なおたびたび繰り返されるこの体験からの結論は)
血縁関係をもった古い自然(父という概念、兄弟という概念)が突然何の意味も持たなくなってしまった。
そして強くしばりつける力をもった故郷も離れ落ちた。
それは剥ぎ取られた皮膚のように下に横たわった。
自我は自由となり、解放され、漂い、自分自身の中に憩い、そしてそれゆえ無責任で、独自で、価値があり、
世界にとって到達しがたく、破壊しがたいものとなった。
自我体験は第二の誕生のごときものである。
精神的な臍の緒が切れる。
われわれはもう環境という母胎の血にぼんやりと養われるのではない。
血の循環はいまや自分自身の中だけで行われなければならない。
自立して鼓動する心臓が生まれる。
983 :
473:2012/04/02(月) 21:25:08.27 ID:tvIPhsZ4
他人がが病なのだと思うのは自分の病から逃げ出すのによく使われるトリックです。
自分にしてもそれを言ったり言われたりむきになるのは、結局自分自身に向き合うことあら逃避したいがゆえです。
私たちは互いに影響を与え合っておりその思考の蓄積は膨大であり、
また個人個人のライフスタイルや物事への愛着の蓄積も恐怖を誘発します。
個人的なものについては差異はありますが(過去生も含めれば膨大なのは誰もが同じ)、自我の原型と社会的無意識は誰のうちにもあり、
それが恐怖と混乱を作り出します。
混乱の種はなくなるということはありません。誰もが同じようなものを抱えており、違いはそれへの刻々の理解だけではないでしょうか。
それに覚め続けることはできますが根絶はできません。
覚め続けねば自分の経験や愛着は直ちに執着になり、また人々の発する思考と同化してしまい同じような執着と恐怖を抱えることになります。
その後で表面的にどのように取り繕うか、(内部的には同質なのだが表面的に違うふりをする。)
また他者に投影して健康なふりをするか。結局は同じことです。
>>983 473さんは、もう物事に対する分析を終えてもイイ頃じゃありませんか?
そろそろ分析に頼らず、「私」に対峙する時なのではありませんか?
985 :
バカ女:2012/04/02(月) 21:42:00.47 ID:ia1VgJs0
>>980 >でも、みんな一生懸命生きていると思いますよ。
そうかな? そんな風には感じられませんね。
その人なりに一生懸命なのはわかりますよ、プーでもヒキコでも。
エールを送っているんですよ、私なりに。
>いつも座ってるばかりじゃないと思いますよ。
足が腐ってしまいますから、ときどき立って背伸びしないとね。
>みんな、きちんと働いて楽しんで愛して泣いて怒って喜んでいると思いますよ。
私は言葉から伝わってくるもの、感じられるものを信じますけどね。
私は鏡ように反応するので、元気な人ばかりなら何も言いませんよ。
>でも、たまに疲れた時にここに来て書き込んで行くんでしょうね。
私はほとんど使命感で書いていますけどね。
2chにはお世話になったので、バカ女の恩返しです。
>いろんな悟りがあって、みんな自分の好きな悟りについて考える
>そういう時間があってもイイと思いますよ。
自分の好きな悟りでいいんですか? 悟りじゃないのに?
このスレに一人も悟った人がいないのは、そういうわけだったんですか。
中にはまじめに知りたい人もいるんじゃないかな?
公案みたいなどうでもいい答えじゃなくて、どうしてそう言えるのか、
そのキッチリした説明を聞きたい人もいるでしょうに・・・と思います。
>全力で走って疲れたら、たまに休んでもイイですよね?
もちろん。
>>985 >エールを送っているんですよ、私なりに。
分かってますよ。バカ女さんは口は悪いがイイ人ですから。
>私は鏡ように反応するので、元気な人ばかりなら何も言いませんよ。
いろいろあって、今は疲れてるんでしょう。
休んで元気になれば元に戻るでしょう。
>自分の好きな悟りでいいんですか? 悟りじゃないのに?
>このスレに一人も悟った人がいないのは、そういうわけだったんですか。
「悟り」はあくまで中間地点でゴールじゃありませんから。
ひとつの山に登るのに無数の登山ルートがあれば、どのルートを選んでもイイんですよ。
自分に合ったルートを自分のペースで進めばイイんです。
どのルートを選んでもゴールはひとつですから前に進んでされいれば、いずれ辿り着きますよ。
>中にはまじめに知りたい人もいるんじゃないかな?
どうでしょうか?
本気で悟りたいのなら知識は何の役にも立ちませんよ。
いくら知識で「悟り」を知った気になっても最終的には「私」と直接向き合わなきゃなりません。
「私」が一番見たくないもの、それが「私」です。
「私」の前では知識や思考は役に立ちません、ありのままの無防備な「私」でただ観るしかないんです。
説明するのは構いませんが、「私」に向きあう覚悟と恐怖に打ち勝つ心が無いと難しいと思います。
987 :
473:2012/04/02(月) 22:33:10.81 ID:tvIPhsZ4
他者への批評はつまるところ他者に社会にこうあってほしいという欲望を意味しています。
それはかなわぬ欲望です。馬鹿げたことです。
しかしそれをされるとなぜか心乱れます。
それもそのはず、言われる側の私たち自身が他者に社会にこうあってほしいという欲望そのものなのです。
他者から同種のそれを突きつけられたとき平静でいられる道理がないのです。
自分自身のそれらの欲望のばかばかしさ、自我の最深の構造を理解しえたなら、他者のそれも馬鹿馬鹿しく見え、
馬鹿馬鹿しく見えるがゆえに他者の気持ちを害さないように振舞うゆとりも生まれるでしょう。
というように、分析によらず私自身の不快に直面すると、このような自分自身についての思っても見なかったような考察が生まれてきます。
小さな小さな悟りです。
これを言語化するのは、そのきっかけをあなたにいただいたからです。
>>984 こういったことはあなたがあなた自身と向き合うことによってのみその意を伝えることができます。
あなたはいつも何かの考えを披露しますが、自分自身の実体をさらけ出すことをしません。
あなたがここで提示したのは自分から回避して他者に求めるということではないでしょうか。
これを無意識に受け取ると、「他者の「私」との対峙を助ける」という自己回避の方法を受け取ることになりはしないでしょうか。
みんな同じことを言い出したらどうなるでしょうか。
みんなで他者を助けて回ったら残るのは全く変わらない自分たちです。
988 :
バカ女:2012/04/02(月) 22:55:34.37 ID:ia1VgJs0
>>986 >分かってますよ。バカ女さんは口は悪いがイイ人ですから。
あらまあ。
>休んで元気になれば元に戻るでしょう。
それならいいんですが、思考や感情の脱落とかやってると道を誤ります。
私たちに与えられた生の形式を、もっと肯定して愛して欲しいです。
ときには脱落させて、いつもは捨象されてしまうものを観照するのもいいですが、
ふけっていると確実に行動力に影響します、つまり役立たずになってしまいます。
自分一人が役立たずならいいけど、その自分は他者を助けることもできるんです。
自分のためにではなく、親しい人のためだけでもいいから、幸せを届けてほしい。
そのためには(全てとは言わないけど)悟りがジャマになることも多いと思います。
無差別(愛)方向ではなく、差別(現象)方向の超越は、いいことがありません。
本人のみが満足なんてとんでもない自己中じゃないですか?
>どのルートを選んでもゴールはひとつですから前に進んでされいれば、いずれ辿り着きますよ。
今、上でも言いましたが、愛方向でお願いしたいです。超人はいりません。
>本気で悟りたいのなら知識は何の役にも立ちませんよ。
私の理論は、今さっき言ったような無差別方向かそうでないかとかが見分けられますので
上手に利用してもらえば、道をまちがわない羅針盤のようなつもりで作った理論です。
まだ表現等が未熟で力を発揮できるレベルにはないようですが、いずれ出版しますよ?
>説明するのは構いませんが、「私」に向きあう覚悟と恐怖に打ち勝つ心が無いと難しいと思います。
ずっと話してきたように、もともと向き合うべき「私」が根本から脆弱なことが、
つまり、私の病気は遺伝らしいので、何らかの遺伝子レベルでの要因が大きいと思いますが、
簡単に言ってしまえば、もともと生への意志がないことが、私が超えなければならない問題でしたが、
そこは通りすぎて、私の関心は、もう私自身にはありません。
989 :
バカ女:2012/04/02(月) 23:07:16.20 ID:ia1VgJs0
オレムさんへのレスは書いてあるので、レスしたほうがいいですか?
オレムさんの道程を想像してしまうと、辛くて書きたくない気持ちになりました。
だから、たぶんろくなレスができないし、すれ違うと思いますが、それでよければ。
あいかわらず悪態しかついていませんが。(^_^;)
お風呂の準備ができたようなので、ちょっと席を外します。
役に立たないってなんだろ〜?
ぼくらは、呼吸をして、二酸化炭素を供給してるし生命を循環もさせてる。
なんの役に立ってないのだろね〜?
>>989 >オレムさんへのレスは書いてあるので、レスしたほうがいいですか?
いいえ、必要無いですよ。
あれは、バカ女さんの要望に応えて
「悟り」っていう観念の世界について語ったものですから。
あれはあれで嘘のない私の過去の体験なのですが、
「悟った」っていう観念が抜け落ちた今の状態から見れば、
かなり偏っていたと思いますね。
今の私は「悟り」から遠い良くも悪くも普通の人です。
一周回って元に戻ってしまったかのようですね。
バカ女さんとはケンカしたくないので、ほどほどの距離感で付き合いたいと思います。
自己流ですが「悟り」について聞きたいことがあれば何でも聞いてください。
>>990 役に立ってるんじゃないですか。
生物的に俺らの仕事はご飯を食べてウンコする事だから
それがきちんと出来てれば十分役に立ってますよね。
>>988 >思考や感情の脱落とかやってると道を誤ります。
個人的には、誤りの中でしか学べない事も多いですからたくさん誤って方がイイと思っています。
大事なのは誤ったと感じた時に全てを捨てて元に戻れる勇気でしょう。
>本人のみが満足なんてとんでもない自己中じゃないですか?
日本では自分だけじゃなく他者を助けるために「悟りたい」って思ってる人が多いんですよ。
大乗仏教の影響ですかね。
このスレなんかでも他人を救うために「悟りたい」って書いてる人多いですよ。
>今、上でも言いましたが、愛方向でお願いしたいです。超人はいりません。
ゴールでは普通の人になるだけで、超人にはなりませんよ。
>上手に利用してもらえば、道をまちがわない羅針盤のようなつもりで作った理論です。
もう少しバカでも分かる文章でお願いします。
>私の関心は、もう私自身にはありません。
バカ女さんは「悟り」を目指してる訳じゃないから「私」と向き合う必要は無いんじゃないかな。
そそ。
真実の言葉は、、、
おっぱい、おっぱい\(^o^)/
>>987 >あなたはいつも何かの考えを披露しますが、自分自身の実体をさらけ出すことをしません。
いつもウソや偽りなく書き込んでいるんですけど、上手く伝えられてないですね。
私は「存在」について語ることは出来ますが「実体」については正直良く分かりません。
実体って何でしょうね?
473さんの最近の書き込みを見てると「自分と向き合う」って表現を良く使ってますよね。
でも、そうは書きこんであっても473さん本人は自分と向き合っている様子がないんで
理屈や分析に逃げずに自分に向き合ったらどうですか?と書いてみた訳です。
自分に向き合うことの重要性は分かってるんでしょう。
実体のある嫁が欲しい
もてないのが辛い
このまま棺おけなのか
>>977 > オペさんは、考えることを怠けているから、的外れな返答しかできません。
少しは伝わったようです
結局、あなたがあなたに為していることの原因は考えすぎるってことかな。
>>978 > オペさんが悟っても無意味、むしろ害になる。何もわかっていないから。
そこは正しいこと書いています。
無意味を悟るのですよ
そして何も分かっていないことを悟る
的外れだと思うことでしょう
結局悟りとは的に当たることではなく、的を外すことなんですよね
>>926 > 一定の周期で切り替わるようです。
自己レス
実のところ、一定の周期で切り替わるのは、意識がそこから離れるタイミングがあるからなんですよね
1000げっと。
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。