悟りを開いたことあるけど何か質問ある?7

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>>284
それは大きな読み違いをしています。
私が知性というときは知性=私という文脈であり、
また興味について知的先行についていうときはそれ=あなたという文脈です。

ですから私が知性というときそれは私と言っているのと同じことなのです。
それに知性も本性の戯れとして見るという働きはなんでしょうか。
それこそ知性によって世界を描くという知性先行の現実との対立ではないでしょうか。
「これは知性だ」というのは2重の知性です。
それ故に私は知性でしかない。昔解放されたことはあるが、今は私は性欲でしかない。
と対象として見るのではなく主体として事実を受け入れます。(それが起こるときは。)

≫好き
好きというのも困ったことなのです。
私を嫌う人も私を好く人も、それは私への欲求を含んでおり、また何かを好きになることは何かを嫌いになることであり、
世界というのはいつでも全体として存在するのでひとはそれと葛藤してしまいます。
その好き嫌いの苦しみを解明しようとしています。
私のある部分が好きである部分が嫌いというのは実に正直だと思います。
普通の人は片方にしか気づきません。私を嫌いな人は私のことが本当に好きなのであり、強く嫌う人は私のことを好きだという自分の部分に抵抗しているだけです。
ですが、私をえり好みせずその全体として受け入れてゆく働きはあるのではないでしょうか。
愛の働きです。