895 :
オレって名無しかよ!?:2012/03/11(日) 17:00:25.92 ID:kfIB5rx/
>>875 バカ女さん、マヌケな事を言うようで恥ずかしいのですが私は「意識」を「存在」とは考えていません。
確かに「存在」とは繋がっていますが「意識」は自我と同じ現象だと捉えています。
ですからバカ女さんの言う「 ・ 」は私にとっての「意識」にあたり「存在」とは繋がっていない自我は全て消え去っても問題はありません。
(実際、全て消し去ることが可能です。)
ここからの部分は書こうかどうしようか迷ったのですが、
あえてバカ女さんの自我が否定するだろうと見越した上で書きます。
まず、自我は存在の根拠も持っていません。
自我は「存在」と繋がっておらず常に自我自身が存在しているという証拠を探しています。
人が富や名誉や崇拝などを欲しがるのはそのためです。
ですが、それらが手に入ってもそれ自体が自我の存在の根拠とならないため際限なく求め続けます。
仮に、自我が自身の存在の根拠となり得るものを獲得した場合、それに執着することになります。
この執着する対象を失った時に感じる喪失感は自我の喪失感そのものです。
これらの際限ない欲望と執着から逃れるためには
「自我そのものである私が、私である自我を消滅させるしかありません」
これが「悟り」の本質ですが、
これでは自分で自分を殺せと言ってるのに等しく自我の抵抗もあり非常に困難です。
その点、バカ女さんは自我そのものでありながら「 ・ 」まで縮小させたのですから大した物だと思います。
さぞや苦しかっただろうと想像できます。
話が逸れました。
そこで、自我を完全に消滅させるためにも「私は自我ではない」という事実に気づく必要があります。
ここまでが、私にとっての事実ですが
バカ女さんの自我がこの事実を受け入れることの難しさも知っています。
自我は自我自身の存在に疑問を持つことを許しません。
意識に干渉し思考をねじ曲げて来るでしょう。
バカ女さんに攻撃されることを覚悟してここまで書きました。
あとは、バカ女さん自身で判断して下さい。
896 :
備えあれば憂いなし:2012/03/11(日) 17:01:21.81 ID:2WBYZBpB
無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/19(日) 13:40:24.39 ID:9+bOODm7
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校で暴力やいじめを受け続けて、心も身体も
壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるかもしれ
へん。それで誰にも発見されへんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
>>739 なるほど。心酔する理由がわかるな。
実際に会っていないので分からないが至福の秘密を知っているようだ。
これを分かりやすく訂正する必要はないだろう。
>>741 > ・・・・
ま、妄想みたいなものだから。
要するに、生まれるものも、失われるものもなく、映し出されるものだけが変わりつづけてゆくってことかも。
>>803 >
>>735で Operation さんが、>意識を合わせるとこんな感じ「 ・ 」
自我なのでしょうか
>>846 > この数日の俺の書き込み、このスレ的に迷惑?
意外とシャイなやつだ
>>855 > 「般若心経」を重視しすぎているきらいがある。
経には詳しくないけれど、般若心経 に書かれている内容で、それだけで充分だと思うがなぁ
>>879 > 「存在していること」=「絶対無」と言われても、おそらく理解されないことでしょう。
絶対かどうか知りませんが、無=存在 は分かりますがね。
>>895 > 「 ・ 」は私にとっての「意識」にあたり「存在」とは繋がっていない自我は全て消え去っても問題はありません。
不思議なことにそれ「意識」の点なんだよね
>>859 悟り子からもお見舞い申し上げます
それにしてもタガの外れた自由主義経済による目先の利益に囚われた非正規雇用傾向の経済体制は
デフレの拡大 若者の減少 税収の減少 増税 企業の海外移転化等、負のスパイラルを生んでいるような気もします
よくあることだが、女性は「最近冷たくなったよね」のようなことを遠回しに言うことがある。
男性はそれを間に受けて、今までと変わらないのでそんな事ないと思う。
言説を生真面目に間に受ければコミュニケーションは成立しない。
女性は「最近冷たくなったよね」という言説を通じて、男性にその言説とは関係のない不満を伝えようとしてるのだから。
それと同様にしばしば、感情の世界では非論理的なコミュニケーションが営まれる。
通常の生活だとそちらのほうが論理的なコミュニケーションより比重が重い。
あっけらかんとした人はそのような言説に関係のない言説を被せて意味のないものを意味のないママにしておく。
傷付けあってもしょうがない時はそのほうが良い。
901 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/03/11(日) 20:07:30.20 ID:d1F+RaAG
>>892 いや、どちらかというとこのそれにはこうでなくてはという思い込みと反面である疑いの抑圧
という典型的な状況に陥っている人より、
表層の思考の側面における見事な相対性を実現したものの現実の自分自身との接触を失っている人の方が多いように思います。
ああ、最近人は賢くなったなあと。
対話でなく述べたいことだけを述べ、聞き流してくださいというのは自分の殻に籠っているだけで実にもったいない。
賢明に語ることができ、自分に閉じこもっているということしかわかりません。
それも安易に自分が忠告できる対象を選んでほかの問題提起を回避している。
対話の内に自分が本当に何を理解しているのか、何にとらわれているか出てきます。
それが一方的な弁明でなく対話なら何を語っても自分の理解を語ることになりますし、何を語っても自分の執着をさらけ出すことになります。
相手の忠告を待つまでもなく自分を知る一助になります。
自分を知らなければ、無知の上にあらゆる行がのっかることになり事態は悪化します。
正しい一歩目。それはゴールを約束すると聞きます。
しかし何が正しい一歩目なのか。おそらくすべてを終えてやっとどこが正しい一歩目だったか解るでしょう。
>>892 必要な時に必要なものが、その人物の成長度合いに沿って贈りあたえられるのだと思う。
真剣に行に取り組んでおり、師を求めていても、中々巡り会えない。
なぜ、巡り会えないのだろう、こんなに求めているのにと首を傾げてみても、それは多分その人にはまだ必要ないからなんだと思う。
もしくは、夢の中ですでに出会っており
毎夜指導してもらってるのかも。
いずれにせよ、こんなに良く出来た世界なのだから、全てはあるようにあるし、なるようになる。
>>901 ほぉほぉ貴方はやはり面白いとこに目を付けますね
そうなんですよ、正直俺はどこか投げやりなんです
俺にも言いたいことはある、でも、それが必要でない人からしたら、
ただの雑音だし、余計なお世話だろうから、聞く耳を持つ人だけに
静かに届けばいいぐらいなんです
あるオモチャで遊んでる人に「そんなのは駄目だ。早くやめちまえ」
と言うよりは「こういうのもあるよ。一応言っておくね」で留めてしまう
辛らつに述べることで発展するであろう余計な言い合いを避けようとしている
それぞれ好きな道を選んで欲しい、でも、余計な忠告もしたい
まだまだ心を開いてないんだろうね、まだまだ恐れているんだろうね俺は
もう寝るんだけど、473は勿論、皆に投げかけたいことがあるので、書いておきます
人はいつも迷ったり、こちらから見るとずれた感じのことを言ったり、したり、
悩んでたり、色々してるけど、でも究極言えば、それぞれ本人の当たり前を
そのままを生き切ってもいるわけで、それを俺が「いや、それはおかしいよ」とか
「こう考えてもみてもいいんじゃない」とか言ってもいいのかな、とか最近思ったりします
勿論、そうやって俺が余計なちょっかいかけるのも、それで言い合いになるのも、
俺なりの当たり前を生きてるわけだから、別にいいのかなとも思いますが、
正直どうなんだろう、ってよく分からなくなってきました
色々通過して、あれこれと偉そうなことは随分と言えるようにはなったんですが、
実際、等身大の俺はまだまだ色んな苦手なこと、よく分かってないことで
いっぱいなんですね。人に何かを言う、伝えるということがどういうことなのか、
正直、本当によく分からなくなってきました
905 :
オレって名無しかよ!?:2012/03/11(日) 22:31:54.72 ID:kfIB5rx/
>>904 いろいろ伝えるってのはイイ事じゃないかな。
伝えないと自分の気持ちや思いって伝わらないし
伝えてもらえないと相手の気持ちや思いって分からないし・・・
でも、最終的には決めるのは相手なんだから
言い合いになるまで伝えたらダメだと思う。
>>904 あなたはどの段階にいるの?
それが分からないとなんともかんとも
それとここにはほんとの事を知りたい人間なんてひとりもいないよ
なのになんで真剣になってんのか全然分かんない
>ほんとの事を知りたい人間なんてひとりもいない
それはないな
他のスレならともかくな。
909 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/03/12(月) 00:04:54.85 ID:oq0M34oP
>>903 恐れているから投げやりになる。
そしてそれへの詳細な考察
実に結構です。これこそ自分の事実による受け答えです。
一つの回答としては、
他人について気になることは自分自身も無自覚に囚われているということです。
私は他者と議論するとき、自分自身が内部的にその人と同じペテンに魅了されているが故に
議論して真偽を見極めようとします。
もう一つの回答としては
その議論において受動的に答えを待っていれば、時として各々の主観を超えたその議論における
明確な処方箋が降臨することもあります。
その媒体となり、それを自負しなければその当人の成長になることはもちろん万人のためになります。
前者は実に自己中心的だし、後者は神頼み真理頼みであり自他全てへの助けを待つことです。
どこにも他人を助けようという観念はありません。
もちろんその通りであればの話で、自己逃避から他人を助けようとする欲求にはまることはままあります。
910 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/03/12(月) 00:10:54.47 ID:oq0M34oP
≫「こう考えてもみてもいいんじゃない」とか言ってもいいのかな、とか最近思ったりします
道徳というのは自分もよくその罠にはまります。
何が正しいかどうかは一概に言えないのです。
マスターのコミュニティーにいて、マスターを信頼しており、そのマスターに議論を控えなさい
といわれたということと、
私たちが今の状況でその言伝だけを真似するというのは実に大きな差があるように思うのです。
あなたが仰るのは、そして私も同じく悩むことはありますが、要は
議論したいし言いたいこと言いたいというのが実は本音なのに、
議論はダメだと言い争いはダメだと尊敬してる人が言ってたからどうしよう。
ということなだけかもしれません。
じゃあなんで言いたいのだろうと考察すると進みます。
911 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/03/12(月) 00:18:23.96 ID:oq0M34oP
実は仏教は本来悟りの宗教ではないのではないでしょうか。
ブッダはあまり悟りを語っていない。
彼は人間のありふれた欲求や感覚は実は存在しないという形で述べることが多かったし、
その前段階としてとらわれるなという表現も多かったように思います。
実にありふれた、金銭の欲求、感覚との同化、苦痛への怖れ、死への怖れ、名誉の欲求、隣人との比較、効率への執着
@そういった執着や欲望によって苦しんでいることを自覚して
Aそれと戦うことなくその不在性を見極めよ
というように提示していても、悟りを段階として、または突然に得るというニュアンスはほとんど見られないのです。
仏教は否定の宗教でした。
抽象的な概念や達成ではなく、実にありふれた欲求によって幸福になるのではなく不幸になっているのだと理解し、
そしてその不在を見極めるのだと。
逆にそれが不在でなかったらそれが真実でありそれを生きるほかない、、。
912 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/03/12(月) 00:28:04.22 ID:oq0M34oP
欲望を肯定もせず否定もしないという観ずるという働きを見出すには
宗教の助力を必要とします。
しかし、ありふれた欲求の上に上塗りされたより後天的な宗教の概念が、悟りの概念が、無批判の概念が、受容の概念が
より原初的な事実である実にありふれた自分の欲求と出会うことを妨げます。
実に魅力的な宗教の概念、そして受容の概念、相対性の美辞麗句。
それを語り、議論し、欺瞞指摘され、欺瞞と指摘する、そのやり取りの果てに、
ふと、
仏教は否定の宗教であったことを思い出す時がいつか来るでしょう。
それまで議論は自然な姿かもしれない。
913 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/03/12(月) 00:34:19.29 ID:oq0M34oP
≫それぞれ本人の当たり前を そのままを生き切ってもいるわけで、
これを本当に理解するということは、他者の働きに自我を見ないということで、
これは自我でない存在だけが見出し続けられることです。
この事実の片鱗と触れることぐらいは時々ありますが、基本的に私たちは平常において
不自由な自我でありながら自分に自由があると思い込み、
また不自由な他者に自由な意思決定をする自我があるのだと思い込んでいます。
そんな平常から解き放たれていれば、光明が花開いているかもしれませんし、
すくなくともこれについて迷ったりはしないでしょう。
独りでも、みんなでもどちらでもいいですが先に知的な結論や推論を出すのではなく、
自我を生き切ってみないことにはどうしようもなさそうです。
体験してみろって事か?
915 :
バカ女:2012/03/12(月) 00:45:05.70 ID:iy4VfCPT
>>890 >バカ女さんに見栄を張ろうと背伸びして難しい表現を使おうとしたのが仇になりました。
私が自分の体験や経験に縛られているものですから、素直に理解できないのだと思います。
>ですが「存在」を通して見ると、私の世界には私しか存在しておらず
>私の世界にいる他者は私の存在の1部として存在しているのです。
>ちなみに、私は「生命=存在」と考えてはいません。
>(無生物も私の世界では私の存在の1部として存在しているので)
生物の定義を「生成消滅」と考えることで、生成消滅するモノ=あらゆる現象になります。
対応する生命の定義は、生成消滅しないコト=存在していること、すなわち存在です。
ゆえに、生命=存在。
要するに、宇宙から素粒子まで、生成消滅するものなら、すべて生物という定義です。
「生物と生命」の定義を、「存在者(現象)と存在」の定義に等しくして、
「存在者と存在」で考えて行こうということです。
存在しているということ(生きているということ)のような表現が冗長なので統一!
それだけの意図です。
現象と存在、私と瞬間について、参考(1)(2)(3)までに書きました。
916 :
バカ女:2012/03/12(月) 00:46:37.08 ID:iy4VfCPT
参考(1)
ヘラクレイトス
【生成】
われわれは「同じ河に二度と入ってゆくことはできない」(断片九十一)
という名高い比喩を知っているが、ある弟子(クラテュロス)は、
われわれは「一度でさえだんじて同じ河には入らない」と言いきって、
競上げをすらおこなったものである。
【ヘラクレイトス学説の運命】
引証するのがふさわしいと思われるのは、だれよりもヘーゲルでありニーチェである。
〜〜〜永劫回帰の理論がぴたりとそれを説明しているように、ヘラクレイトスの生成は
「存在の生成ではなく、まさしく存在のうちでの生成」なのであって〜〜〜
パルメニデス
【存在と非存在】
パルメニデスは、存在があり非存在がないことを述べかつ宣言したために、
有名である。〜〜〜
存在はあり、不生であり、不滅であって、終わりがなく「かつてあったこともないし、
あるであろうこともない。というのも、いま全体がひとまとめに/一つのものとして、
連続するものとして、あるからである」(断片[・5[-6])
以上の引用は、『ソクラテス以前の哲学者』文庫クセジュ 白水社 より
917 :
バカ女:2012/03/12(月) 00:48:22.80 ID:iy4VfCPT
参考(2)
私は多摩川沿いのジョギングコースを走っている。
今この目から見えている多摩川は本当に存在するのだろうか。
本当に存在しているのか仮初に存在しているのかはわからない。
けれど現に流れる川が表象されていることを疑うのはむずかしい。
ヘラクレイトスは「同じ河に二度と入ってゆくことはできない」と言った。
今、今、今・・・私に表象されている多摩川の景色が刻々と移り変わるように
あらゆる現象が変化し続けていることを万物流転(パンタ・レイ)と呼ぶ。
だけどもし本当に万物が留まることを知らずに流転しているだとすれば、
どうして「同じ河」に入ることができるだろうか。
クラテュロスが指摘したように「一度でさえだんじて同じ河には入らない」
はじめから「同じ河」など一度も存在したことがないのだから。
もし表象が脳内に保存されることを認めたとしても、生成変化する表象を
どのように分節してくのか、例えばそれは「一瞬」という単位なのか。
そうだとしても「一瞬」で分節される表象の同一性をどうやって保証するのか。
それ以前に、どうして「一瞬」が可能なのか、一瞬が可能なら「同じ河」も
はじめから可能だったのではないだろうか。
仮に「一瞬」を認めたとしても、それではどうして別々の河の表象が
「同じ河」の別の表象とわかるのか、単に別々の河なのではないのか。
それなのに「同じ一つの河」として捉えられるのはどうしてなのか。
理屈としては、別々の川が「同じ川」の変化として捉えられている
すなわち、別々の川が「同じ川」の同一性の中で差異化されている
ということになるけれど、まだ「同じ河」は一度も成立したことがない。
918 :
バカ女:2012/03/12(月) 00:50:36.31 ID:iy4VfCPT
参考(3)
まとめると「同じ川」が成立するためには、2つの条件が必要に思えます。
1.別々の河の表象が、例えば脳内の常に同じ場所に帰属する必要があります。
そうでなければ「同じ河」からの変化が知り得ない → 単なる表象の混沌。
2.万物流転が徹底されれば「同じ河」が成立しない(現象が成立しない)
「同じ河」が成立するためには、流転しないという根拠が必要である。
でも、現に、万物は流転している。多摩川は流れている。(現象が成立している)
景色は移り変わり水の流れも止まらないけど、私が見ているのは同じ多摩川です。
多摩川は、私に見えている、それは幻かもしれない、夢を見ているのかもしれない
それでも私に見えている、私が多摩川と思うこの思われは確実ではないでしょうか。
別に脳内の同じ場所になくてもいいけど、ただ何であれ、そう「私が思う」のでなければ、
別々の河の表象が「同じ河」の変化とは認識されないので、多摩川そのものが成立しない。
これが1.に相当します。
でも1.は本質的ではありません。私が思うということが、すでに現象だからです。
もし万物流転が徹底されるなら「同じ河」が成立しないということは、
何であれ何ものかが姿を表す契機が万物流転にはない、ということです。
では、今まさに何ものかが姿を表す瞬間に立ち会ってみましょう。
どうですか? そう、今この瞬間こそ、何ものかが姿を表すための契機なのです。
パルメニデスが言ったように「不生であり、不滅であって、終わりがなく、
かつてあったこともないし、あるであろうこともない」存在こそ、今この瞬間です。
何ものかが姿を表すのは、常に今この瞬間であり、かつて現前したことも、
これから現前することもありません。これが2.です。
919 :
オレって名無しかよ!?:2012/03/12(月) 01:01:59.81 ID:0FoB9Sgv
>>915 なるほど、生成消滅するものなら、すべて生物という定義ですか。
という事は、個別の物体それぞれに個別の「存在」があり、
個別の「存在」があるが故に個別の物体が別個に存在しているということでイイですか?
ところで、バカ女さんには自分以外の物体の「存在」はどのように見えていますか?
24時間受付中のはずのe-Taxで送信ボタンを押したらメンテナンス中とメッセージが出てきた。
どこが24時間受付中なんだよ
そうそう、会社支給のクレジットカードの謎がわかった
以前、○○市で職員向けのクレジットカードを手続きしている窓口があって
よく見たら同じカードだったので、ネットで調べてみたら、コーポレートカード年1万とでてたから
さすが○○市は福利厚生が出来てるなぁ
でもうちの会社でどうしてそんなことするのか分からなかったのだけど
もっとよーく調べてみたら、うちの会社はやっぱり無料だった
同じカードなのに
どうしてかとさらに調べてみると
会社の名前が全く違うにもかかわらずカード会社と繋がってた
知らなかった
ちなみに、e-Taxって結構簡単だった
よく出来てる
最初、カードのエラーが原因不明で出たことと
24時間稼動中なのにメンテナンス中
なことを除いてだけど
伝えるということについて、色々とお返事貰ったみたいで、ありがとうございました。
特に473ですが、余りにも誠実というか、そこまで自分を厳しく内省できる人は
正直見たことないですね。驚嘆とともに不気味さも感じています。スカイプid交換
したいぐらいです。
悟りだなんだの知識にかぶれるとどうしても、ありとあらゆることを「儚い」
などと否定しつつも、そう冷静に否定できる自分だけは少なくとも正しく、
その境地に安住していいのだ、という甘えをついつい許してしまいがちです。
実に巧妙に自分だけは可愛がってしまう。そして、囚われないということに囚われてしまう。
周りには「儚さ」を押し付けるが、自分にだけは実は「儚さ」を許せていない。
そして、何と許したふりもできてしまう。最近ずっと感じてた違和感です。
正直、本当によく分からなくなってきました。不自由さも当たり前さだろうけど、
それを本当に楽しめているわけではない。楽しめないことも当たり前さなのだとか
言い出したら、きりがない。実に巧妙な抑圧です。もう本当に分からなくなってきた。
観念遊びは飽和したとしても、他の等身大の感情面などではまだまだ決着が
付いてないなのだと思います。体験や感覚を通過することで、色んな思い込み、
そしてそれに伴う苦が以前に比べ劇的に消えたので、何かに達した気になってますが、
まだ退屈だとか寂しいとか、できれば嫌われたくないとか、そうした素朴な苦があります。
生きる上で最低限必要なギミックなんでしょうが。まだ遊び足りないのだけは確かですね。
多分、俺個人の中で完結する悟りでいいんなら、それは達しているのかも知れない。
以前なら山のようにあった、どうにもならない苦というものはもう殆ど無くなった。
大した贅沢もせず、多くを持たず求めず、それでも満ち足りたまま死んでいくことはできるだろう。
恐らくamaさんを筆頭にここである程度悟りを自称してきた人達も実際そうだと思う
でも、そこから一歩踏み込んで、人を導くだとか、当たり前の自分を更に解放していく
とかになると、まだまだ乗り越えるべき山があるんだと思う。
そして、473はずっとそこを射程に入れた次元で語っていた気がする。
何かそんな感じがする。多分そうなんだろう。
ごめんなさいm(_ _)m
ERROR:Lvが足りなくてスレッド立て(ら)れません。
ホストwb75proxy10.ezweb.ne.jp
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?7
名前: 悟り子◆AAyxyMDKw6
悟り子駄目な子・・・
931 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 08:42:44.82 ID:hCtRsUQS
覚者と会いました
話をしたいと感じました
話す必要の無いことを
知られる必要も無く
そして知られることもなく、ただ生きるしかないであろうことを
つまり語り得ないことをを語りたいと感じました
ただ薔薇が薔薇であることを・
>>202 >あらためまして、このスレの主は、amaです
あらためまして、居候の悟り子ですm(_ _)m
>あるがまま、そのまんま
宇宙とか太陽とか地球とか 知覚とか記憶とか感情とか想念とか
葛藤とか受容とか今日の新聞記事とか
あるがままですね・
...その、悟り子のレベルが足り無いのも...
(それにしてもレベルとは何でしょう?謎です)
935 :
オレって名無しかよ!?:2012/03/12(月) 09:32:44.46 ID:0FoB9Sgv
>>934 ほぼ毎日投稿してる悟り子さんでも
レベルが足りないって言うのは不思議な気がしますね。
936 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/03/12(月) 09:39:12.00 ID:oq0M34oP
>>924 いろいろ考えさせられます。
自分と似た人間、同質のものを探すのは当然のことで、それらしいものがあったらそう期待するのですが、
大抵ただの買い被りだったということで失望して終わります。
(多分あなたも同じことをしたかするでしょう。あなたから見て尊敬に値する人がそうそういたとしたら驚きです。
多分多くの場合あなたはその人がその人自身を騙しているようにその人に騙されています。)
自分の質の根本とはなんだったかな。
ポーズじゃなくて、本当にわからないでいること、本当に混乱していることなのかとあなたを見ていると思い起こされます。
925は本当にわからないで混乱しているということをただ表しています。
わからないと気取って、わからないというふりをして安息しているのと対極です。
(知ることへの疑いというステージを超えて無知での安息にくつろいでいれば話は別ですが。
何一つ知りえないという声明はこの混乱の後で意味を持つものでしょう。)
わからないでいれば、わからないというふりもしなければ、
それは伝播する。そして人はそれを避ける。
全く鈍感な人なら気にしないのですが、なまじ内部的に死んでいない人ほどその影響から身を守ろうとする。
それはそれでいいのです。ものには適切な時期、順序がありますから。
ヾ(・ω・`)ノ ハロー♪
いい天気だし、
ティンカーベルは妖精だから、レベルなんてラベルだよ♪
能天気だよねキャラメルって♪
938 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/03/12(月) 09:51:45.19 ID:oq0M34oP
本当のことは危険ですのでピースをいくつか提示しておきます。
といっても前スレと合わせて私の書き込みを組み合わせればあるとてつもないことが浮かび上がってきます。
≫色んな思い込み、 そしてそれに伴う苦
種々の2次的3次的な欲望に振り回されなくなったということですね。
今でもそれに乗っ取られて快楽を楽しむことはありますが、それに対して深刻にはならない。
しかし、そもそもこの2時的3次的な欲はより原初的な恐怖や葛藤から逃れるためのものでもありました。
これらの欲望から解放されるということはこれらの欲望に頼らなくても、自己逃避しなくてもある程度自分の側にとどまっていられるということです。
だが、代替として劇的に消えたので、何かに達した気
という一種の自我が痛み止めの代役をしているかもしれません。
あなたは混乱に相対していますが、924や他のレスであまりにうまく語る。
あまりに安定している。安定しているが光明の香り、目まぐるしい生の流転は感じない。
安定しているというのは安定させたい何かがあるからかもしれない。
あなたは混乱と安定と、良いペースで歩んでいます。
あまり性急になると困難を背負い込むことになります。
正しく見る。あるがままに見る。言うは易し、行うは難し。
何故なら、それは行動ではないから。
偏りなく見るのではなく、見ようとして見ないのでもなく、
あるがままに見ようとするでもない。
ただ、余計な事をしない。心に余計な口を挟ませない。
正見とは、する事ではなく、しない事。
正見も邪見も使いこなせる自在観。
これが出来て、やっと半人前。
940 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/03/12(月) 10:16:51.11 ID:oq0M34oP
>>924 なまじ私に驚き尊敬する人ほど一時的に近寄ってすぐ逃げてゆきます。
慰めではない本当に解放され本当に苦しみと直面する示唆を与えるから。
なのに連絡も取りたいと。(ちょっと待っててください)
むしろこちらが押されてしまうなあ。
なんとなく、いままで私に頼られた人間は今私が感じているような一種のバツの悪さを感じていたのかと
思うと感慨深い。
その時私がいかに未熟な自我であろうともその潜在性は変わらなかったから。
瞑想1年目で右も左もわからない中雲の上のお偉いさんに意味不明な褒め言葉をもらったもので、
それは面倒見きれないからだれにも頼るなという意味だったのかと今では納得しています。
この誠実な探究者に果たしてこたえられるかと私は怯えます。
あまり怠けている余裕のある状況でないからこそ自己に誠実であらざるをえないのですが、
あなたのような存在があると余計怠けられませんね。
(このセリフもよく言われたなあ。言った人はいまたくさん仕事して怠けてるけどw)
941 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/03/12(月) 10:48:02.48 ID:oq0M34oP
劇的に消えたので、何かに達した気
より統合された自我ができたので(この文脈は褒め言葉)
相対的に弱くなった過去の欲望が抑圧されているとも取れます。
というのも、消えたこと、通過したことをことさら喧伝しすぎるからです。
23回は多い。というか最初の1回目のタイミングが早いし、誰も頼んでいない。
みんながあなたに期待や希望を寄せており、あなたは何者なのか教えてくださいというリクエストがあればいいのですが、
さもなくば老子の言うところの余計なふるまいになります。
そういうことは別に自分から言わなくても、それが理解できる人は理解できます。
その言葉を聞かないと有無が分からないような人はもとからそれを理解はできない。
信じることならできても。
かくいう私の調子に乗りっぷりはあなたの比ではなく、実に多くの人を怒らせたものです。
実体として認識されなければ意味がないのに、自我は人から良いラベルを張られることを好むのですね。
そしてそれは優劣を決める相対的な敵対的なゲームにしかなりえません。
また統一された自我の絶頂も奈落に落ちたものでした。
結局それは、統一された自我の自己満足ではなく、愛、世界とのつながりへのあこがれがあり
それがかなえられなかったからなのかもしれません。
その憧れが無ければ自己満足がかなうここで旅を終える人は多いのです。
潜在性がある人は、もう前世でここに飽き飽きしたんですか?
ここでやめることができません。堕落してみたいなあ。堕落ってどうやってやるの。
942 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/03/12(月) 10:53:10.78 ID:oq0M34oP
より少ない次元で平面的に生きる。
修業で自己を統合した後で再度自我に乗っ取られ無意識に落ちる?
推論はできるけど実体はつかめない。
解るのはこれらの人は閉鎖的であり、その客観性は非常に精度の高い推論でしかなく、
本当の意味での共感が普通の人よりかけているということ。
>>942 おもしろいなぁ、やはり貴方はおもしろい人ですね。
おそらく貴方は本来であれば、自称していいほどに、達した人なんでしょう。
それでも貴方はそこに留まることなく、本当の儚さ、危うさ、不確かさの中に
いつまでも自分を投げ込もうとしているのでしょう。そんな気がします。
その者が抱える矛盾、欺瞞を決して見過ごせない。崩せる足場は崩してしまう。
言葉や観念ではない本当の無常に自らをそして周りをも最後まで付き合わせようとしている。
恐ろしい人だ。恐ろしいが、非常に魅力的な道にも見えます。本当に本当にゴールを
許してくれない吊り橋のようだ。
もしスカイプでお話させて貰えるのだとしたら、聞きたいこと、ぶつけてみたいことを
ある程度まとめておいた方が良さそうですね。これは危険な邂逅になりそうだ。
amaさんに質問です身体から分離することが悟るということでしょうか?