>>66 困っていますさん
「しかるに大徳は、ある人々のためには詳しく法を説かれるが、 またある人々にたいしては
あまり詳しくは説かれません。 それはいったい何故でありましょうか。」
そこで、釈尊は、村長にこう問い返した。
「村の長よ、そなたは、こんな場合にはどう思うか。 ここに一人の農夫があって、
彼は三つの田をもっていたとする。 その一つはすぐれた美田である。他の一つは中等の田である。
そして、もう一つの田は悪質の砂地であって、塩分をふくんでいるとする。
それらの田に種子を蒔こうとする場合、その農夫はいったい、いずれの田からはじめるであろうか。」
質問者は農村の者であるから、その問いには容易に答えることができた。
「大徳よ、彼はむろん、すぐれた美田に種子をおろします。
それがすむと、つぎには中等の田に種子をおろします。
砂地の田には、最後に種をまくか、あるいは、放っておきます。」
彼は、そのように答えることによって、いつのまにか、
彼自身が釈尊に呈した問いに答えてしまっている。
>>66 困っていますさん
「村長よ、優れた美田に譬えられるのは、出家修行者たちである。
彼らに対して私は、初めも良く、中ごろも良く、 終わりも良く、意味も言葉も整った、
完全で清浄な法を説くのである。彼らは私を燈明とし、私を拠り所としているからである。
中等の田とは、私の在俗信者たちのことである。
私は彼らに対しても、初めも良く、中ごろも良く、終わりも良く、 意味も言葉も整った、
完全で清浄な法を説くのである。彼らもまた、私を燈明とし、私を拠り所としているからである。
悪質な砂地の田に譬えたのは、外道や婆羅門たちである。
私は彼らのためにも、初めも良く、中ごろも良く、終わりも良く、 意味と言葉の整った、
完全で清浄な法を説くであろう。彼らも或いはその中の一句でも理解せば、
彼らにとって永く利益となろう、との思いからである。
----------------------------------------------------------------
人間は、「目的」と「使命」を持って生まれてきます。
----------------------------------------------------------------
佛教之王堂の拝観は無料で、『 誰でも 』仏さまのお話を聞くことができます。
駐車場には様々な地域のナンバープレートのお車が多数止められているのが確認できます。
佛教の中心となるこの王堂に、ご家族で、お友達同士で、会社の同僚たちと共に
足を運ばれた多くの方が感動され、感謝の心、 慈しみの心を学んでいらっしゃるようです。
初めも良く、中ごろも良く、終わりも良いのが佛教の教えです。