悟りを開いたことあるけど何か質問ある?5

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≫言葉の世界にとじこもることについて
自分=他人=言葉というような世界に閉じこもっていれば、自分の言葉も他人の言葉も言葉をその人として世界として
受け取ってしまい、文脈やニュアンスやそれを発する自分自身や相手自身のことは単純に認知されないでしょう。
言葉と同化し、そして外にある言葉と戦います。
その閉鎖した世界は一種の不自然なのですが、あまりに感情が傷ついており悲しみと怒りに満ちている場合、
それを言葉だけの世界に生きることで忘れることができるので、自己直面、他者評価回避のための強固なプログラムとして
言葉だけに生きる人格が働き始めたのかもしれません。
(他者からの評価から自由になるには、自由な自己というものが必須です。自分の行動パターンが固定化している限り、他者からの評価も固定されます。
自分を変えるには自分に直面しなければならないのですが、自己否定と他者からの評価の客観視は耐え難いということで前述の回避プログラムが働いているので
状況は変わらず繰り返します。)
回避プログラムははたからみると理不尽でも、それが「仕事」なので回避を「きっちりと」こなすようです。

さて、自己の実体から回避しなくても知性になんだかんだ言って希望を持つような人は、これらの言葉だけの人と対立しがちであります。
自分自身が言葉の魔力から自由になれば、上記のことを直観として事実として理解できるかと思います。
自分の主観にとらわれているので(わたしにとっての悟っていない者の定義)、他者が理解できず
自分の認識パターンを押し付けようとしてしまいます。
争いは同じレベル、ではないかもしれないが少なくとも次元しか発生しない。人のせいにするのは知恵を求める人にはお勧めしない。自分を見る機会。
782473:2012/02/29(水) 10:54:14.54 ID:eQS3GorC
≫amaさん
混雑してますねー。630のレス頂戴。
≫草の人
先ほどは笑ってもらってどうもです。まあ自分自身で戒めの自己レス3回やっときましたけどねwww
ただ、情けないも何も最後ちょっと巻き込まれたのが実際の私自身ですよ。