311 :
神も仏も名無しさん :
2012/02/19(日) 02:07:20.40 ID:VTAonIZ6
312 :
神も仏も名無しさん :2012/02/19(日) 08:18:51.44 ID:WUl4OpNo
313 :
神も仏も名無しさん :2012/02/19(日) 08:33:23.84 ID:WUl4OpNo
結局
>>308 は言うことはエラソーだが、発言に見合うだけの信念も行動も伴わない腰抜け
こういう無責任野郎こそ時代が時代なら先頭を切って軍国主義を唱えてふんぞり返る
314 :
神も仏も名無しさん :2012/02/19(日) 16:57:19.04 ID:mYXxMw5I
>おまえは当時の状況下で命を賭して反戦を唱える勇気があるとでも言うのか? こんな無意味な質問して楽しいか? >こういう無責任野郎こそ時代が時代なら先頭を切って軍国主義を唱えてふんぞり返る 相変わらず藁人形攻撃が大好きなんだなwww >ただな、そこまでボロボロに非難するならおまえが相応の資格を持つかどうかも問われるんだよ そのまんまブーメランなんだが
児童などに対するカトリック神父らの性的虐待を巡り、ローマ法王ベネディクト16世の対応の甘さが 批判を浴びている。 「憎むべき罪」と非難しながらも、告訴といった司法介入などの具体的な措置に踏 み込まないためだ。 バチカンでは今月15〜16日にかけ、法王とアイルランドの司教24人が特別会合を開いた。アイルランド政府の調査委員会が昨年11月、国内の神父による児童などへの性的虐待を詳報したのを受けた 集まりだった。 報告によると、74年から04年に320人が教会付属の学校などで性的虐待を受け、教会はそれを黙認 してきたという。 会合後、法王は広報官を通じ「教会による指導、信頼を揺るがす重大な危機」「神に背く重罪であり人類 の威厳を傷つけた」と声明を発表したが、司教の免職や司法当局への報告には触れなかった。 カトリック神父らによる児童などに対する性的虐待は02年に米国で大問題となり、その後も各地で明らかになった。今年1月にはドイツで、3神父がベルリンのイエズス会系高校で70〜80年代にかけて多数の 生徒に性的虐待を加えていた事実が暴露された。 毎日新聞
「児童虐待で教会捜索、ローマ法王が批判 ベルギー 」 (CNN) 聖職者による児童虐待事件の捜査でベルギーの警察がカトリック教会の本部を家宅捜索したことについて、 ローマ法王ベネディクト16世は27日、「嘆かわしい」と遺憾の意を表明した。 ベネディクト16世はベルギーのカトリック司教会議にあてた書簡で「この悲しみの時における同情と団結」を表明し、 「驚くべき、そして嘆かわしいやり方で捜索が行われた」と批判した。 ベルギーの捜査当局は24日、家宅捜索で児童虐待の訴えに関連する文書を押収したことを明らかにした。 ローマ法王庁は翌日、捜索に衝撃を受けたと表明、メクリンの町にある枢機卿2人の墓まで調べたとされる捜索を批判している。 聖職者による児童虐待は、ベネディクト16世の出身国であるドイツやベルギー、アイルランド、オーストリア、オランダ、 米国など各国で問題になっている。
「ベルギーのカトリック教会での児童性的虐待の証人に対しての殺人予告で、ベルギー警察が調査を開始 」 ベルギーのカトリック教徒の教会での子供に対する性的虐待に関して、事務所、自宅、墓までも調査した ベルギー警察は、 現在この事件の証人と行政長官が脅されているという報告に関して調査している。 英国 BBC によると、何人かの証人と援助者たちが 正体不明の相手から殺人予告を受けているという。 この児童虐待事件そのものは何世代にも渡って続いていたと見られ、カトリックの教会で、小児性愛嗜好が浸透し、 子どもに対するレイプがカトリック教会の広範囲で行われていたこの事件もその一部と思われる。 調査の一部は秘密主義に覆われてきて、長年、多くの聖職者が、その秘密主義により保護されており、 幼児を虐待し続けることが可能だったという。ひとつのケースとしては、カトリックの学校において、オーストラリア人の小児性愛者の教師の例がある。 彼は長年、他の教員たちがこのことを知っている中で、何年にもわたり、5歳ほどの幼い子どもたちにレイプを繰り返してきた。
318 :
神も仏も名無しさん :2012/02/19(日) 22:19:35.37 ID:uAcQafiJ
319 :
神も仏も名無しさん :2012/02/20(月) 01:46:18.84 ID:qJVbZ6KO
「ユルゲン・バルチェ」 ユルゲン・バルチェは戦後間もない1946年11月6日、ドイツ西部の工業都市、エッセンで生まれた。私生児だった。 5ケ月後、母親が結核のために死亡した。孤児となったユルゲンは、やがてランゲンベルク在住の肉屋の家庭に養子として引き取られた。 ユルゲンの養母は強迫性障害を患っていた。その症状は不潔強迫というやつで、ヨルゲンが他の子供と遊ぶことを許さなかった。 汚れることを極度に嫌ったのだ。彼が19歳で逮捕されるその日まで、そのからだを養母が洗っていたという。如何にも異常な家庭である。 友達を持つことなく成長したユルゲンは、10歳の時にカトリックの厳格な寄宿学校に入学する。ところが、これがいけなかった。 寡黙で従順なユルゲンは、好色な司祭の格好の餌食となってしまったのである。そして、自らも男色に目覚め、年少者にちょっかいを出すようになっていた。 また、中世の残酷な物語を通じて、サディズムにも興味を抱き始めた。 寄宿学校を卒業後、家業を手伝っていたユルゲンは、その裏で年少者への淫行に励む毎日を送っていた。 寂れた防空壕に言葉巧みに連れ込むと、衣服を脱がせて、その小さな性器を弄ぶのだ。やがて欲求はエスカレートする。 「このおちんちんを切ってしまおう」 1962年 3月31日 クラウス・ユング(8) 1965年 8月 6日 ピーター・フックス(13) 1965年 8月14日 ウルリッヒ・カールウェイス(12) 1966年 5月 6日 マンフレッド・グラスマン(11) そして、1966年6月18日、5人目の犠牲者に逃げられたことで、遂に逮捕されるに至ったのである。 ユルゲンには一旦は終身刑判決が下されたが、1971年4月、犯行時に未成年であったこと、下級審では精神鑑定が無視されたことが斟酌されて、 精神医療施設で治療を受けることを条件に10年の刑に減刑された。 さっさと娑婆に出たかったユルゲンは、1976年4月28日、去勢手術を受けることに同意した。 ところが、これがいけなかった。医師が麻酔の量を間違えて、そのまま帰らぬ人となった。
諸行無常、自灯明、生老病死、これらの観察が邪教の根拠なの? 邪教というからには、キリスト教のように野蛮でなくてはならないのだよ? わかっているか?
321 :
神も仏も名無しさん :2012/02/20(月) 15:20:20.03 ID:F1Gvzo3x
322 :
神も仏も名無しさん :2012/02/20(月) 16:48:42.19 ID:UmvYQjnG
「木が良ければ、その実も良いとし」 「木が悪ければその実も悪いとしなさい」 「木のよしあしはその実によって知られるからです」 以上キリスト。キリストも、行い記事によって正邪を判断することを推奨してる。 何ら間違いではない。
【光母子殺害】「 被告の元少年は元々クリスチャン 時間があれば聖書を読んでいる」 18歳だった少年も30歳を迎えた。 歳月は「光市母子殺害事件」のF被告をどう変えたのか。弁護団関係者がいう。 「彼は拘置所の中では、筋トレに熱中していて、ひたすら体を鍛えている。体格は見違えるほどがっちりした。 あと時間があれば聖書を読んでいるよ。彼は元々クリスチャンですからね」 強姦目的で住居に侵入し母子ともに殺害したとされる残忍な犯行内容や、 妻子を奪われた遺族・本村洋さんの悲痛なる訴え、18歳の元少年に対する死刑への是非などから、 社会に大きな波紋をよんだ山口県光市母子殺害事件。 1月23日、殺人などの罪に問われたF被告の差し戻し上告審が結審した。 裁判では、少年法で死刑適用がなされる満18歳の約1か月後に犯行に及んだ 元少年に死刑判決が下るかどうかに注目が集まる。 「母への甘えの気持ちで抱きついただけ」「性行為は生き返らせるための復活の儀式」 ――差し戻し控訴審で展開された被告の主張と弁護団の法廷戦術は国民の反感を喚起したが、 今回の弁護側弁論でも「女性の口を塞ごうと右手で押さえつけたことが死亡に繋がった」 「殺意はなく傷害致死罪に留まる」と訴えた。
「(弥生を)死姦したのは死者に生をつぎ込んで 復活させる魔術というべき儀式で、 精子が死者を復活させると信じていた」 結局は、死刑廃止論者達の暴挙が 犯行当時・福田孝行、獄中で支援者と養子縁組し 大月姓に改名した被告に、残虐な犯行に対する 真の「償いの心を生む」最後の機会を阻害し 彼を死刑に追い込んだ。 女性支援者、大月純子とは 1970年神戸生まれ。日本基督教団牧師。 今回の最高裁判決前に、サヨクメディアは急に 元・福田孝行が「敬虔なキリスト信者」であると報道。 その実態は・・・9条の会やジェンダーの日本基督教団 女性牧師の養子になっただけ・・・
>310 >ただな、そこまでボロボロに非難するならおまえが相応の資格を持つかどうかも問われるんだよ おや〜?昔のスレでキリスト教の戦争協力について書いてた人いなかったかい? その時「相応の資格」を問いただそうなんてことは、誰も考えなかったろうに。 スレ違い(仏教スレでキリスト教のことをだらだら語る)ということで、 その書き込みは排斥されるべきではあったけれどもね。 >おまえは当時の状況下で命を賭して反戦を唱える勇気があるとでも言うのか? どうしても「反戦を唱える勇気」の問題に話をそらしたいのだねえ。 勝ち馬に(必要以上に卑しく)乗る際に、殺人肯定教義の地が出たって話だよね。 なにせ仏教では「殺人」も 「悪人が地獄に落ちる前に、慈悲の心をもって浄土に送ってあげた」 ことになったりするからね。 「方便」とか「一水四見」とか便利な言葉だよな。
327 :
神も仏も名無しさん :2012/02/21(火) 09:06:15.04 ID:klWYAR37
>>326 そうやって話をなんとか逸らそうと必死なのはおまえだろ
そんなにキリスト教の戦争責任を議論したいなら、後でたっぷりしてやる
まずはおまえの無責任発言について白黒はっきりさせるのが先だ
さっさとYESかNOか答えろ、簡単な質問だ
328 :
神も仏も名無しさん :2012/02/21(火) 09:49:18.42 ID:sIZU3nqP
329 :
神も仏も名無しさん :2012/02/21(火) 10:02:53.02 ID:VP2euBM3
仏教からキリスト教へ 僧侶から牧師に 私は非常に若い頃から、生きるという事は何なのかと考えていました。 それというのも生きるのがつらいことに思えたからです。 「こんな人生など終わってしまえばいい」といつも思っていましたが、 「人間は死んだらどうなるのだろう」という疑問をいつも抱いていました。 その解決を求め、仏教を信仰し始めました。 「善人は救われ悪人は地獄で苦しむ」との教えを仏教より学んでいたので、 常に善行に心掛けていました。 自分はよい人間なので極楽往生できると考えていましたが、実際のところ確信が持てませんでした。 いつも不安でした。 「そうだ、僧侶になろう。仏教を熱心に信仰しているお坊さんなら必ず救われるはずだ。」と考え、 遂にその道を極めようと決心しました。 決心した後訪れた近くの寺では、仏教大学の費用も出すからぜひ後を継いで欲しいと頼まれました。 12歳にして僧侶になるべく道を歩み、心から仏道を慕い自分で入手した仏像の前にいつも座り、 経を唱えていましたが、死のことを考えるとやはり自信がありませんでした。 そんな中である友人に誘われ教会に行ってみました。 一回だけと思って行った教会は、非常に雰囲気の良い所でした。 そしてそこで、力強い聖書の話を聞きました。「これだ、これに違いない。」 話を聞きながら思わず口走っていました。 そして私の罪のために身代わりとなってくださったイエス様を、信じる決心をしました。 「イエスさま、私のために死んでくださったことを信じます。私の罪をお赦しください。」と祈りました。 その瞬間から自分の人生は全く変わりました。死の恐怖がなくなり、救われているという確信が与えらたのです。 それからというもの、生きることは実はすばらしいことだと分かるようになりました。 イエス様がいつも自分とともにいてくださることは実にすばらしいことです。
330 :
神も仏も名無しさん :2012/02/21(火) 10:05:16.98 ID:VP2euBM3
それから後、私を罪と死の恐怖から解放してくださったイエス様のために、 全生涯を捧げようと思うようになりました。 大学卒業を前に、就職するのをやめ、宣教師になるべく訓練を受けようと、 キリスト教の盛んな国、ブラジルに渡ることにしました。 しかし旅費と滞在費がなかったのでアルバイトをしながら、日々祈っていました。 「神様、もしあなたがお許しになるのならブラジル行きの必要なお金が与えられますように。」 すると不思議な方法で神様は祈りに応えられました。 祈りをした後しばらくして別のいいアルバイトが与えられました。どんどんお金がたまっていきました。 また、ある教会の若者の集会で歌と説教をしに行った時のことです。 集会後ある婦人が頭痛のために祈ってほしいと言われました。 毎朝、頭痛で目を覚ましていたという彼女のためにお祈りをしました。すると翌日頭痛がなくなっていたそうです。 次の日も、その次の日も・・・。 一週間ぐらい経ってから、彼女から封筒が届きました。 ずいぶん厚みのあるもので開けてみると何とそこには万札がぎっしり入っていました。 同封の手紙には「ブラジル行きに役立ててください。」と書かれてありました。 その方と、そして神様に感謝しました。その他いろいろな方法で必要なお金は与えられ、 私は確信を持ってブラジルに旅立ちました。 ブラジルに着いていろいろ探した結果、ある田舎の神学校で学ぶことにしました。 そこで現在の妻エディに会いました。 エディもかつては、霊術信仰と共にカトリック教を熱心に信奉していましたが、若いうちにイエス様を信じ、 人生の変化を経験した一人でした。 私たち二人はブラジルでの訓練と学びを終えて日本に帰ってきました。 ブラジルのバプテスト教会とグレースコミュニティ教会より牧師として任命され、 自分の生れ故郷で教会を開きつつ、イエス様のことをのべ伝えています。 イエス様により人々が救われるのを見るときほどうれしいときはありません。 神様が私たちを救ってくださり、導いてくださっていることに感謝します。
>>329 >「善人は救われ悪人は地獄で苦しむ」との教えを仏教より学んでいたので、
常に善行に心掛けていました。
自分はよい人間なので極楽往生できると考えていましたが、実際のところ確信が持てませんでした。
これは法螺話だな。
詳しくはないんだけど教科書にものっている「悪人正機説」ということで
とにかく浄土真宗でも浄土宗でもこんな考え方じゃないと思うぞ。
詳しい人解説してくれ。
332 :
神も仏も名無しさん :2012/02/21(火) 10:40:18.34 ID:VP2euBM3
東京の文京区の後楽園にも近い、浄土宗伝通院の境内に明治時代に 日本の女子教育の必要性を考えて、尼僧によって創建された女学校で6年間すごしました。 毎朝礼では賛仏歌と浄土宗祖の法然上人の遺訓「一枚起請文」と念仏を唱和していました。 教職に着いてからは賛仏歌を教え、聖歌隊を組織して、時には僧侶の読経と唱和していました。 教師は僧侶が中心ですが皆さん豊かなあたたかい人柄の先生方でした。 信仰は強制されません。記念日等の授業ではインドの釈迦の話と法然上人のことばかりでした。 では、何故に、私がキリスト教の救い等について知りたいと考えたのかお話させて下さい。 それは義父の葬儀の時の戒名の在り方とその後行われる法事の在り方に疑問をと又悲しみさえ 覚えたからです。仏教は世の中の平安と人々の救いのためにあるべきだと思っていましたのに 葬式仏教になっており、又宗教用語の経典の難解なこと、人々はただ僧侶の読経に頭をさげて、 内容は何も解らない。こちらが求めているお話、慰め、励ましもなく「ご供養ですから」 と云ってはお金の要求で失望したのです。 そこで世界のベストセラーの聖書を一度は読んでみようと思い、6年間一人でキリスト教と 仏教又世界の宗教を比較している時に伊丹教会の秋の特別伝道集会のチラシがポストに入り、 教会にはじめて出席しました。榊原康夫牧師の説教とお話し会でした。ここで私の迷いは 全く無くなり、受洗、現在に至っています。私のような貧しい者が聖書学院、神学校と 教派を超えてお仲間に入れていただき、沢山の恵みをいただいて感謝しております。 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 田村 弘子
>>330 >エディもかつては、霊術信仰と共にカトリック教を熱心に信奉していましたが、若いうちにイエス様を信じ、
人生の変化を経験した一人でした。
これは「カンドンブレ」というブラジルのブードゥ教
とにかく与太話ばっかり貼るな。
334 :
神も仏も名無しさん :2012/02/21(火) 10:43:20.52 ID:VP2euBM3
ところが、私の人生に大きな衝撃が走った出来事がありました。 それはgreat grandmother の死です。 彼女は毎日お経を唱え、 熱心に仏陀を信仰する仏教徒でした。しかし、彼女は病に倒れ、 死ぬまで絶望の日々を暮らしました。60年間毎日、お経を唱え、 熱心に信仰生活を送ったgreat grandmother が死ぬ間際は全く 希望と平安がなかったことは私の仏教徒としての信仰を大きく揺さぶりました。 私もその日から死の恐怖に怯えながら人生を歩むこととなったのです。 そして大学生のとき、その死の恐怖は現実のものとなりました。 体調を壊し、2週間寝込んだとき、もしかしたらこのまま死ぬのではないかという 言い知れぬ恐怖に教われました。何かにすがりたい、何かに助けを求めたいと 思っても私には信じるものがありませんでした。少し体調が回復し、スーパーに 買い物へ行くとき、遠くに赤い十字架が見えました。私は家に帰らないで不思議と その十字架に導かれて十字架のある建物へと入っていきました。その建物へ 入ってそこが教会だと知りました。そこで橋本昭夫牧師(現、神戸ルーテル神学校校長) 当時東垂水ルーテル教会牧師からキリストの十字架と復活、罪の話を聞きました。 私は橋本師から語られる聖書の話を聞いて、ひょっとすると私の抱えている問題に 解決を与えてくれるかもしれないと思いました。 大学を卒業し、故郷の鳥取県に帰って、米子ルーテル教会で、池上安牧師から 聖書の学びをしていただき、22歳のとき、イエス・キリスト様の前で罪を悔い改め、 復活を信じ、洗礼を受けました。私は22歳にしてやっと本当の生きる喜びを知ったのです。 (阿南ルーテル・キリスト教会の牧師高力義博先生のフィンランドツアーの証し 2007年5月)
335 :
神も仏も名無しさん :2012/02/21(火) 10:44:57.87 ID:VP2euBM3
家は浄土宗です。 親たちは若いころにカトリックで受洗し、わたしの名前も聖書からつけてくれたそうです。 しかし、わたしが物心ついたころには既に教会から離れており、7歳のときに亡くなった父親は仏式で葬儀をしました。 当時の菩提寺の住職は大変いいかたで、昼間は子どもだけになる我が家を気遣ってくださったりしたのですが・・・ 代替わりして現在の住職に代わってからは、市内の霊園にある墓地も、管理費は取られているのに放置されて荒れ放題です。 (先代住職は管理費なんて取りませんでした。だって、市の霊園の中にある一区画ですから) お寺は市の中心部から郊外に引っ越し、豪華になりましたが。 極めつけは、わたしの母が亡くなったときのことです。 住職が眠る母の前で短い読経(本当に短かった!)をし、くるりと振り返って葬儀の代金の話をし始めました。 この時に「ああ、わたしがきょう帰りに事故で死んでも、この人に葬式されたくない!」と思いました。 子どもの頃に家の近くのプロテスタントの教会学校に通っており、その後行かなくなってもずっと聖書を手許に置いて時々読んでいました。 また、母の入院中に病院の廊下の本棚に、無料配布の新約聖書が置いてあり、看護師さんが 「たくさんあるから持っていっていいよ」と下さったものを、意識のない母のそばで読んでいました。 「門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう」という一節がその時からずっと心にひっかかっており、 キリスト教会に行きたい、と思うようになりました。
336 :
神も仏も名無しさん :2012/02/21(火) 10:50:14.77 ID:VP2euBM3
尼僧からキリスト者ヘ 私は十四歳の時、近所の人の死に出会い、初めて人生の空しさを強く感じ、 それ以来、「生と死」という人生問題を考えるようになりました。そして 色々な本を読みあさるうちに、その解決は仏教の中に見出せるのではない かと考え、医学の勉強と並行して、仏教大学通信教育で仏教学も学びまし た。しかし、机の上の勉強だけでは何も分かってきません。そこで私は、 医学部卒業後二年半経った時、医学生の頃から度々出入りしていた京都の 尼僧道場を改めて訪ね、得度剃髪し、袈裟法衣を身に纏った尼僧になりました。 修行生活の果てに 私は日々、定められた戒律を守り、睡眠時間を極度に縮め、道場での修行と 仏教大学専攻科の勉強に励みました。やがて専攻科を卒業し、加行という 仕上げの行を終え(これを終えた者は宗門の正式な僧侶の資格が与えられ、 住職になったりすることができる)、後年、私はその尼僧道場の舎監兼教師に 任命されました。 それほどまでに真剣に厳しく勉学修行に励みましたが、私の求めたものは 仏教の中にはありませんでした。 そこにあったのは、人間の理性が到達し得る範囲内の悟り、真理であって、 理性を超え、宇宙を貫いて尚、存在する絶対的真理ではありませんでした。 また、阿弥陀仏などは人間の願望、頭が生み出した抽象的な観念仏に過ぎず、 何ら実質実体のないものであることが次第に明らかになってまいりました。 こうして、私が最初に求めた確かなもの、絶対のもの、永遠なるもの、 絶対聖なるものは仏教の中に見出せないで、大変な失意のうちに広島に帰り、 元の小児科医に復帰しました。
337 :
神も仏も名無しさん :2012/02/21(火) 10:51:06.13 ID:VP2euBM3
偽善の罪の悩み そんな私のところに、イエス様は来てくださいました。 1979年4月、我が家の隣にキリスト教の教会堂が建てられ、私はその献堂式に招かれ、 翌年4月からバイブル・クラスや礼拝にも導かれるようになりました。更に一年後の4月、 私は不注意で足を骨折しましたが、神様はこの小さな出来事を通して、私たち夫婦の愛情問題、 お互いがいかに思いやりのない間柄であるかを明らかにしてくださいました。 私は夫の冷たさに失望し、他方で、体の弱い夫が何度目かの入院をし、 その看病に通いながらも、心の中では「いやだなあ、行きたくないなあ」と思ってしまう自分、 そのような自分が嫌で、その心が悲しくて……、でも自分ではどうすることもできないで 苦しんでいました。 神の招き この悩みのどん底の時、1982年4月、隣の教会の献堂三周年記念特別伝道集会が聞かれました。 私はもう行かないつもりでいましたのに、神様はそんな私をなお見捨てないで、顧みてくださり、 不思議な出会いを通して、二晩ともその集会に列ならせてくださいました。 二晩目、講師の先生が神様から全き平安を与えられた時のお証しを賛美を交えながら なさるのを聞いているうちに、私の心に「私もあの先生のように、神からの全き平安を いただく者になりたいなあ。イエス様を信じてそれが与えられるならば、私もイエス様 を信じたい!」という願いが強く湧き上がってきました。講師の先生は終わりに「今夜、 『イエス様を信じたい人は手を挙げて示してください』とお招きをなさいました。私は それを聞いた途端、頭の中に色色な心配事が充満してきて結局、手を挙げることができ ませんでした。ところが、帰ろうと思って席を立ち上がった時、急に「私もやっぱり手 を挙げよう。これらの心配事は今はあっちに置いて」という気持ちになって、牧師先生 に向かって手を挙げていました。これは私が挙げたというよりは、神様が、聖霊様が挙 げさせてくたさったのです。
338 :
神も仏も名無しさん :2012/02/21(火) 10:52:21.61 ID:VP2euBM3
キリストに出会って その翌日、入院中の夫のところへ出かけようと車に乗り込んだ時、 私は「あれえ」と思いました。「あれえ、私は今朝は一度もいやだなあと思っていないではないか」 と気がついたのです。あれほど努力をしても捨てることを変えることもできなかった心が、 一夜のうちに完全になくなっているのです。何の努力も修行もしないで!眠っているうちに! 私はそのことに気づいた時、えも言われぬ平安に身を包まれました。「ああ、神様、あなた様は やっぱりいてくださったのですね。『求めよ、さらば与えられん』というイエス様のお言葉は 少女の頃から何度目にし、耳にしたか知れませんが、それはこのことだったのですね。 本当だったのですね……」。私は心の中でその言葉を何度も繰り返しました。 神様が本当にいてくださることが分かった時、私の心からの願い、叫びに収えて助け出して くださったイエス様に出会った時、私の全身を大きな喜びが貫き、涙が静かに溢れてきました。 唯一の道、真理、命 偽善の罪の泥沼でもがき、自分ではどうすることもできず、「イエス様、助けてください。 私はあなたを信じたい!」と、まるで清水の舞台から飛び降りるようにして私は飛び降りました。 そこに、イエス様はいてくださいました!そして私をしっかり抱き留め、「わたしはここにいる」 (イザヤ書58:9)とご自身を明らかにしてくださいました。 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6)とイエス様は仰せになって いますが、私が若き日、尼僧となってまで探し求めていた道、真理、命はイエス様だったのです。 すべてはイエス・キリスト様の中にあったのです。 〔著書紹介〕 『輝く日を仰ぐとき』−仏教からキリスト教ヘー(定価1575円) 『用い給えわが主よ』−個人伝道の処方箋− (定価1365円) 『恵みの高き嶺』−小児科医の巡回伝道記− (定価1365円) 『夕べ雲焼くる空を見れば』−若き医師の人生の旅立ちー(定価1050円) 『悟りと救い』−求道の果てにー (定価1365円) 『母、その響きの中に』−アルツハイマー病とその介護−(定価1050円) いずれも一粒社(Tel.048-465-7496)発行 (広島県呉市 藤 井 圭 子先生の証し)
【8月27日 AFP】カトリック教会の「聖人」に限りなく近いとされるマザー・テレサ(Mother Teresa)がしたためた私的な手紙が、近日出版される書籍の文中で公表される。 この中でマザー・テレサは、自身の信仰の危機、および神の存在への疑念に悩まされていたことが明らかになった。 数ある手紙の中の一通は、1979年に親友のMichael Van Der Peet牧師にあてたもので、文中には、「あなたはイエスの愛を受けている。わたしはといえば、むなしさと沈黙にさいなまれている。 見ようとしても何も見えず、聞こうとしても何も聞こえない」と書かれている。 インドのコルカタ(Kolkata)で貧困層のために人生をささげたマザー・テレサは手紙の中で、自身を襲う「闇」や「孤独」、「苦しみ」について記し、神にあてたとされる日付のない手紙では、 「わたしの信仰はどこへ消えたのか。心の奥底には何もなく、むなしさと闇しか見あたらない。神よ、このえたいの知れない痛みがどれだけつらいことか」と問いかけている。 「貧民街の聖女」としても知られるマザー・テレサは、若年期にはイエス・キリストの啓示を受けていたとされるが、公の場での表情に反し、新たに明らかになった手紙の内容からは、彼女が亡くなるまでの50年以上を、 神の存在を確信できないまま過ごしていたことがわかる。また、ある手紙には「ほほえみは仮面」と書いたこともあり、、さらに1959年に書いた手紙には、「神が存在しないのであれば、魂の存在はあり得ない。 もし魂が真実でないとすれば、イエス、あなたも真実ではない」と記されている。(c)AFP
「私の心の中に恐ろしい闇があるために、まるですべてが死んでしまったかのようです。私がこの仕事を始めるようになって間もないときから、このような状態がずっと続いています。」 (1953年 テレサ43歳のとき ペリエール大司教への告白) 「私の魂の中には、あまりにも多くの矛盾があります。神への深い思慕の情――神との触れ合いを渇望するその思いが、繰り返し私に苦しみを与えるのです。私は神から求められてはいません。 神から拒絶され、虚しく、信仰もなく、愛もなく、熱意もありません。私の魂には何ひとつ魅力あるものがありません。天国は何の意味もありません。それは私には空虚な場所のようにしか感じられません。」 (1957年 テレサ47歳のとき ペリエール大司教への告白) 「主よ、あなたが見捨てなければならない私は、いったい誰なのでしょうか? あなたの愛する子供は今、最も嫌われ者になっています。あなたから求められず、 愛されず、私はあなたから捨てられてしまいました。 私はあなたを呼び求め、すがりつきますが、あなたは応えてくれません。闇はあまりにも暗く、私は孤独です。求められず、見捨てられて、私は独りぼっちです。 愛を求める心の寂しさに耐えられません。 (1959年 テレサ49歳のとき ピカシー神父への告白) テレサは、「私がこの仕事(インド貧民街での奉仕の仕事)を始めるようになって間もないときから、 このような状態がずっと続いています」と書いています
341 :
神も仏も名無しさん :2012/02/21(火) 11:55:00.91 ID:vy0hnLLe
やはり社会性とは程遠い宗教なのだろうな。。
【光母子殺害】「 被告の元少年は元々クリスチャン 時間があれば聖書を読んでいる」 18歳だった少年も30歳を迎えた。 歳月は「光市母子殺害事件」のF被告をどう変えたのか。弁護団関係者がいう。 「彼は拘置所の中では、筋トレに熱中していて、ひたすら体を鍛えている。体格は見違えるほどがっちりした。 あと時間があれば聖書を読んでいるよ。彼は元々クリスチャンですからね」 強姦目的で住居に侵入し母子ともに殺害したとされる残忍な犯行内容や、 妻子を奪われた遺族・本村洋さんの悲痛なる訴え、18歳の元少年に対する死刑への是非などから、 社会に大きな波紋をよんだ山口県光市母子殺害事件。 1月23日、殺人などの罪に問われたF被告の差し戻し上告審が結審した。 裁判では、少年法で死刑適用がなされる満18歳の約1か月後に犯行に及んだ 元少年に死刑判決が下るかどうかに注目が集まる。 「母への甘えの気持ちで抱きついただけ」「性行為は生き返らせるための復活の儀式」 ――差し戻し控訴審で展開された被告の主張と弁護団の法廷戦術は国民の反感を喚起したが、 今回の弁護側弁論でも「女性の口を塞ごうと右手で押さえつけたことが死亡に繋がった」 「殺意はなく傷害致死罪に留まる」と訴えた。
「(弥生を)死姦したのは死者に生をつぎ込んで 復活させる魔術というべき儀式で、 精子が死者を復活させると信じていた」 結局は、死刑廃止論者達の暴挙が 犯行当時・福田孝行、獄中で支援者と養子縁組し 大月姓に改名した被告に、残虐な犯行に対する 真の「償いの心を生む」最後の機会を阻害し 彼を死刑に追い込んだ。 女性支援者、大月純子とは 1970年神戸生まれ。日本基督教団牧師。 今回の最高裁判決前に、サヨクメディアは急に 元・福田孝行が「敬虔なキリスト信者」であると報道。 その実態は・・・9条の会やジェンダーの日本基督教団 女性牧師の養子になっただけ・・・
344 :
神も仏も名無しさん :2012/02/21(火) 17:45:56.87 ID:fGChoIhl
何だ、押尾と同じじゃねーか
押尾学被告、クリスチャンであることを告白。 「キリスト教徒告白 押尾被告 マリヤ様お許しを」東京中日スポーツ 押尾学被告がカトリック教徒であることを告白。拘置所では毎日、イエス様とマリヤ様に懺悔をしていたと証言。 田中さんのご冥福をお祈りしているとの押尾被告の発言を受けて弁護人が質問「どのように祈っていますか」。それに対する押尾被告の返答は以下の通り。 押尾被告「わたしはキリスト教なので、イエスさまとマリアさまに犯した過ちや今までやってきたバカなことのお許しを求めたり、田中さんのことを悔いたりしています」 こちらの記事によれば、「宗教上、薬物は許されるのか?」と問われ、「許されないっすね」とタメ語で返答。懺悔とタメ語のどっちが本当かと突っ込まれています。 どうも、この信仰告白は、傍聴席の失笑をかってしまったもよう。残念ながら、この男は自己保身のためなら、神様でもマリヤ様でもキリスト教信仰でさえも利用するまでの自己愛の塊だと観察している方は少なくないでしょう。 しかし、それでも神に不可能はありません。彼が、今後の裁判や贖罪の歩みの中で、真実な悔改めに導かれ、本物のクリスチャンとして歩むことを祈り願いたいです。
>>344 裁判対策じゃなくて元々カトリックですね
スイスのジュネーブで一人のローマ・カトリック神父が11日、自殺した。現地メディアが報じた。 同神父は今月初め、2件の未成年者への性犯罪容疑を受けていた。 未成年者への性的虐待は許されない罪である。同時に、命を自ら絶つことも大きな罪だ。 それより以上に哀しいことは、神父は未成年者への性的行為が罪であることを誰よりも良く知っていたこと、 そして自殺が神の悲しみとなることも分かっていたことだ。 その意味で、スイスの神父の自殺は二重の痛みだ。 アイルランドのローマ・カトリック教会で聖職者の性犯罪が暴露されて以来、ドイツ、ベルギー、オーストリア、スイスなど 欧州各地のカトリック教会で聖職者による性犯罪が次から次と明らかになっていった。多くのケースは時効のため、 性犯罪を犯した聖職者は教会内の聖職を失うだけで法的な処罰を受けたケースはこれまでほぼ皆無だった。2011年02月15日
ベルギーのカトリック司祭であるロジャー・ファンヘルーヴェ(Vangheluwe)が性的虐待を行ったと見られる被害者の侍祭(司祭の助手)が自殺していたことが判明した。 1960年代、当時少年だった被害者は司教による虐待を受けており、数年後自殺をはかった。ベルギーの新聞Morgen紙によれば、当時2人の侍祭が、ファンヘルーヴェ司祭とジョセフ・ラガスト司祭によって虐待を受けていた。 ブラッセル警察は当時司教とキャンプに行き被害を受けた人から事情聴取している。 ヴァンヘルーヴェ司教は昨年、未成年の甥への性的虐待を認めブルージュの司教職を退いている。司教は最近テレビのインタビューでも性的虐待事実を認めているが、刑事責任は問われていない。
349 :
神も仏も名無しさん :2012/02/22(水) 06:03:59.84 ID:g3QcI4wQ
住所 〒7070417 岡山県美作市下町131 電話 0868-78-2630 の仏様の弟子は「ワクワクメール」という出会い系で浮気しまくりの「デニーロ」です。
別に仏教は一夫一婦制ではないんだよ。浮気がいけないというのはキリスト教による強制だから。
351 :
神も仏も名無しさん :2012/02/23(木) 01:43:36.97 ID:l4wRs/CY
3 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/01/12(木) 18:00:19.11 ID:UAAUNutj 仏教者というのはまことに理屈が通じない人間です。 もはや末期症状と言って差し支えありません。 すこしでも「ぼくのだいすきな仏教」を批判されると、決まってキリスト教の悪行を並べ立てるのです。 曰く、キリスト教はこんなにも悪事を働いてきた、キリスト教は邪悪な宗教である、と。 ああ、そうですね。なんだか戦争ばかりしてますね。 で、それが仏教と何の関係があるのでしょう。 全く関係ありませんね。 まるで速度超過で捕まった人が、「あいつのほうがスピード出してるじゃないか!」というのと同レベルで、 幼稚極まりない反論にもならない寝言なのです。 仏教者の小さな小さな脳味噌の中では、 仏教=善、平和、この世の真理 キリスト教=邪悪、戦争、諸悪の根源 という、少年漫画的な単純な勧善懲悪思考に囚われているのです。 ですから、「ぼくのだいすきな仏教」を少しでも批判されると、全く無関係なキリスト教の 悪口を言い始めるんですね。見ていて非常に恥ずかしいですね。 「悪いの僕だけじゃないもん! あいつのほうが悪いんだもん!」ということを 延々と主張しているわけです。 馬鹿の相手は疲れます。そして馬鹿は周りの人間をも不幸にします。 疲れるだけですので、仏教者のたわごとはほっときましょう。馬鹿がうつります。
(CNN) 南米ブラジルで82歳の神父が19歳男性とセックスしている ビデオが報道されたことを受け、アラゴアス州の警察が18日、 性的暴行の恐れがあるとして捜査に着手したと発表した。 ビデオは主要テレビ局SBTが3月中旬に放映したもの。 同局によると、ビデオに映っている神父に性的虐待を 受けたと主張する21歳男性が隠し撮りしたものだという。 神父はアラゴアス州アラピラカの教会に所属。 地元メディアによると同地区を管轄する司祭は、 問題の神父の身分はく奪を命じたという。
統一教会の信者は荒らすな。帰れ馬鹿。
354 :
神も仏も名無しさん :2012/02/23(木) 02:00:03.88 ID:fKvAw853
>>351 >全く無関係なキリスト教
はい嘘バレバレw
このスレ立てた
>>1 は露骨にキリスト教徒
>仏教者のたわごとはほっときましょう。
だったら一々反応せずにスルーしろって何回言わせんだよw
355 :
神も仏も名無しさん :2012/02/23(木) 08:53:21.76 ID:VgCV/qiv
スレが見にくくなって迷惑だろうが。
それなら >仏教者のたわごとはほっときましょう。 なんて言わなきゃいいだろw
>>351 「あいつのほうが」っていう五十歩百歩の悪さじゃなくて、
とんでもなく悪いから、自覚してもらわないと。
358 :
神も仏も名無しさん :2012/02/23(木) 18:33:21.90 ID:VgCV/qiv
脳内敵との格闘をこのスレを使ってするな このスレにキリスト教のことを書き込むな 仏教との比較の引き合いに出すのならかまわんが。
>>354 唯一神がどうのと言っているが、ムスリムとかユダヤ教徒かも知れないだろ
いるわけない。数が1000倍違う。
自分の発したものは自分に帰ってくるんだよ。 だから、嫌ならこういう他人を自分の物差しで計る批判スレを建てれければいい。 立てれば必ず計り返される。仏教の教えとしては正しい。
362 :
神も仏も名無しさん :2012/02/23(木) 20:18:44.30 ID:fKvAw853
誕生日って何がめでたいの? って、仏教的に考えると全然めでたくないよね。 人生は罰ゲームにすぎないのだから。 むしろ死ぬときこそがめでたいのでしょう。
>誕生日って何がめでたいの? >って、仏教的に考えると全然めでたくないよね。 灌仏会を祝う仏教徒を馬鹿にしているのですね? わかります!
領主への敵対という世俗的行為を宗教的悪業へと転化させ、 反逆者は神仏の怨敵として現当二世にわたる仮借ない仏罰神罰を受けることになる。 しかも下知に従わない者への呪詛すら行われている。 だからといって、こうした行為が仏教の慈悲の精神と矛盾するわけではない。 なぜなら宗教領主にとって、寺敵を呪詛・調伏して寿命を奪うのは、 我欲にかられた寺敵の煩悩を砕いて菩提へと導くための方便だからである。 彼らはまさに慈悲の精神にのっとって寺敵を呪詛し、 神仏を恐れぬ愚かな民衆の罪業を制止したのである。 平雅行「日本中世の社会と仏教」より
非人は、前世で誹謗大乗の罪を犯したために盲聾疥癩の現報を受けた、 貪欲で不浄な宗教的悪の極限的存在として位置づけられている。 非人たちは慚愧の涙を流しておのれの罪を悔い、 その贖罪と非人からの来世的救済を願って、 あらためて神仏(宗教的領主)への奉仕へと邁進し、犯罪人の処刑など、 宗教領主の最末端の暴力装置としての職掌に悲しいまでに励んでゆくのである。 平雅行「日本中世の社会と仏教」より
金剛手よ、もしこの真理の道を聞いて記憶にとどめ読誦するなどの行為をなすならば、 そのひとは、たとえ三界の生きとし生けるものをことごとく殺し尽くしたとしても、 地獄には堕ちない。なぜならば、そのひとの行為は、 ありとあらゆる煩悩を調伏(ちょうぶく)するための実践にほかならず、 それゆえにかえって境地を高める良い行為となって、 速やかに無上の悟りを獲得することができるからである。 「理趣経」より
彼(ドルジェタク)は自分に敵対する者を、仏教における智恵の神、 文殊菩薩の化身にして冥界の王たるヴァジュラバイラヴァ(ヤマーンタカ)を 主尊とする密教修法によって、つぎつぎに葬り去っていったのである。 彼が用いた秘儀を「度脱」という。 度脱は、ある特定の人物を、それ以上の悪事を重ねる前にヴァジュラバイラヴァの秘法を駆使して呪殺し、 ヴァジュラバイラヴァの本体とされる文殊菩薩が主宰する浄土へ送り届けるというものである。 ドルジェタクは、おのれの行為を慈悲の実践にほかならないと主張した 正木晃「性と呪殺の密教」より
度脱、すなわち呪殺の行為は、利他行である。 救済しがたい粗野な衆生を利益する、まさに仏の大慈悲である。 勝義においては、殺すということもなければ、殺されるということもない。 幻化による幻化の殺はありえないのと同じである。 性的ヨーガと度脱の実践なしに、密教はありえない 正木晃「性と呪殺の密教」より
大王よ、如来は人々の利益のために〈かれらを〉打ち、 人々の利益のために〈かれらを〉落とし、 人々の利益のために〈かれらを〉殺すこともするのです。 「ミリンダ王の問い」より
呪殺祈祷は慈悲行であると確信している。 冷笑的批判を加える者こそ、非仏教的であり、 『抜苦与楽』を意味する慈悲の精神から、はずれた存在であり、 要するに救済の対象であると、ボクは思っている 梅原正紀の発言より
ルワンダ・ジェノサイド 極悪カトリック教会による「ハム仮説」とは何か? 1994年、ルワンダ大統領を乗せた飛行機が、ミサイルにより「撃墜」される。 この一事を嚆矢として、20世紀最大のジェノサイド(大量虐殺)が始まり、100日間で100万人の命が失われたのである(10秒に一人以上、しかも24時間休まず殺害を継続しなければ、これほどの数字は出てこない)。 対立した勢力は、「ツチ」と「フツ」である。両者とも、古くからルワンダに住む「原住民族」である。両者の区別は曖昧かつ 流動的であったが 1930年代、ルワンダを支配する「ベルギー」は、「人種IDカード」を発行する。これが決定打となる。 そのIDカードには、「ツチ」か「フツ」かがハッキリと明記され、ここに両者の区別は、完全に「固定化」されることとなった。 ルワンダ人自身もが首をかしげる両者の違いを、「ベルギー人」はどうやって区分したのか?それは、あまりにも単純で適当なものであった。
「ノッポで鼻が高い」人々を「ツチ」、「ズングリと背が低い」人々を「フツ」とした。黒人の中には、「白人由来の優れた黒人もいる」としたのである。 その詭弁を裏付けるのに利用されたのが、旧約聖書の「ハム」、そして「カナン」である。「ハム」は、「ノア」の裸体を覗き見た罪で、息子の「カナン」が呪いをかけられる。 その呪われた「カナン」の末裔がアフリカに逃れ、「黒人」となる。 これが「ハム仮説」であり、奴隷制を正当化する論拠である。黒人は呪われているゆえに、「不幸な状態(奴隷)」にあるのである。 しかし、呪われた黒人の中には、元は「ハム」につらなる民族もいる。 その民族に限っては、「ハム」に無縁の黒人たちよりは優れていて当然だということになる。 ルワンダに話を戻せば、その優れた黒人が「ツチ」であり、劣った黒人が「フツ」ということになる。 優れた黒人は、当然、「白人に似た所」があって然るべきである。そこで、「背が高い」「鼻が高い」「肌の色が薄い」などの特徴をもつ人々を、「ツチ」として認定したのである。 白人が考え出した「ハム仮説」は、カトリック教会の熱心さもあり、徐々にルワンダ人の間にも浸透していく。 そして、いつの間にか、「ツチ」は「外部から侵入した民族だ」となった。なぜなら、「カナン」の末裔は、呪われた結果、アフリカに来たことになっているからだ。 当然、そんなことはない。ツチ・フツともに原住の民族である。DNAまで調べなければ、その差異は判別できないほどに、近縁の民族である。 「旧約聖書の神話」の拡大解釈が、半ば同一の民族を2つに裂き、「ベルギーの人種IDカード」が、両者の違いを決定化した。そして、力をもった「カトリック教会」が、その分断を完全に固定化してしまった。 元々は優れた黒人である「ツチ」に肩入れしていたはずのカトリック教会は、権力者の推移とともに、いつの間にか「ツチの虐殺は、神の意思に沿うものである」として、「ツチ虐殺」に加担したのである。
「1990年9月に教皇ヨハネパウロ二世はルワンダを訪問し、100年ほどのルワンダにおける宣教活動の成功を誉め称えた。」 ヒューマン・ライツ・ウオッチは、ルワンダの宗教的権威者、特にローマカトリックの聖職者は、ジェノサイド行為に対する非難を怠ったと報告し、 ローマカトリック教会は「ルワンダでは大量虐殺が行われたが、これら虐殺行為への参加に関して教会は許可を与えていない」と主張している。 また、1996年にローマ法王であったヨハネ・パウロ2世は、カトリック教会としてのジェノサイドへの責任を否定している。
>372-374 スレ違い、ここは仏教スレです。 最低でも、なんらかの形で仏教に関連させましょう。 (例:キリスト教って仏教みたいに野蛮だね♪)
376 :
神も仏も名無しさん :2012/02/24(金) 22:02:56.12 ID:tUq/WHUK
比較宗教学だろ
>>365-371 のコピペの比較対象としてキリスト教の虐殺行為を挙げているのであれば
特にスレ違いとは言えないわな
377 :
神も仏も名無しさん :2012/02/24(金) 22:28:47.83 ID:tUq/WHUK
仏教→自衛手段としての呪術を肯定する人物が一部存在したとの伝説がある キリスト教→歴史的事実として積極的に異教徒を大量虐殺してきた ってことなのかな
>>375 仏教の批判は別にいいんだけどね・・
合間にキリスト教の宣伝するからなあw
どっちかというとキリスト教の宣伝の方がスレ違いだね
キリスト教は危険なカルトだということをもっと師って欲しい
>378 >仏教の批判は別にいいんだけどね・・ 「別にいい」ではないですよ。ここはもともと仏教批判スレです。 仏教批判の書き込みが本来の書き込み。 関係ないキリスト教の書き込みを垂れ流す、一部の馬鹿が増長しているだけです。 黙って見ていると、障害者差別を始めたりします。実に度し難い連中ですよ。 >合間にキリスト教の宣伝するからなあw >どっちかというとキリスト教の宣伝の方がスレ違いだね ?意味不明。 >キリスト教は危険なカルトだということをもっと師って欲しい それはキリスト教スレで宣伝しましょう。
381 :
神も仏も名無しさん :2012/02/24(金) 22:46:53.59 ID:tUq/WHUK
>関係ないキリスト教の書き込みを垂れ流す このスレを立てたのがキリスト教徒なんだから関係なくはないだろ てか一々反応せずにスルーしろ
>>379 過疎板でチャットみたいなものだから
毎回几帳面に読んで反応してるの君ぐらいなもんだよw
>377 :神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 22:28:47.83 ID:tUq/WHUK >仏教→自衛手段としての呪術を肯定する人物が一部存在したとの伝説がある 「自衛手段としての呪術」というのは、甘く見過ぎです。 365の書き込みだけでは読みとりがたいですが、年貢を納められない貧民を、 年四度、大掛かりに呪っています。仏教的世界観による洗脳を受けた弱者が、 どんな精神的重圧を受けたかは想像できますね。 もちろん、そういったことに屈しない者には、物理的な実力(僧兵等)で 応対するでしょう。血ぬられた歴史は日本史をほじくると大量に出てきます。 (インド史、中国史、東南アジア史も大変参考になります)
368-369で紹介しているドルジェタクは、自身が権力を握ってからも、 悪口を言ったとかいうくだらない理由で人を殺しています。 時には「観音菩薩が殺せって言うから殺したんだ」とか他者のせいにしたりもします。 371は実際に20世紀の発言です。「伝説」ではなく「歴史的な事実」 367、370は仏教の殺人肯定論理の一例でして、こういった理屈のもとに、 先の大戦でも、仏教坊主たちは戦争に協力しました。 それも、嫌々では無く、進んで権力に媚びへつらいました。 >キリスト教→歴史的事実として積極的に異教徒を大量虐殺してきた 恐ろしい……まるで仏教徒のようですね。 でもまあ、キリスト教の悪事についてはキリスト教スレで語るのが妥当です。
>382 :神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 22:51:54.28 ID:Z+lzVcIa
>
>>379 >過疎板でチャットみたいなものだから
>毎回几帳面に読んで反応してるの君ぐらいなもんだよw
いや、それは無いですね。明らかに複数の人間が書き込みをしています。
ただ、なぜか特定個人の書き込みと勘違いして、別人に回答を強要し、
答えてもらえないと勝手にカリカリしている、可哀そうな人は見かけますけれど。
>>384 はあ・・君はキリスト教徒でも仏教徒でもないんだな
俺と同じだなw
これからも貼るからよろしくね
387 :
神も仏も名無しさん :2012/02/24(金) 23:14:48.84 ID:tUq/WHUK
>いや、それは無いですね。明らかに複数の人間が書き込みをしています。 そう思って欲しいなら少しは工夫して自演しろよID:OAPzVHzxさんよw 仏教の殺人肯定論理とか言ってんのもコピペに過剰に反応してんのもおまえだけなんだよw
>そう思って欲しいなら少しは工夫して自演しろよID:OAPzVHzxさんよw 自演などしたことはないですよ。 >仏教の殺人肯定論理とか言ってんのも 仏教は(自派にとって都合の良い)殺人を肯定しています。 そのくせ、カマトトぶって他派や他宗教の殺人を非難します。 実に面の皮の厚い度し難い連中です。 「殺人刀は、すなわち活人刀であり、反戦論は担板漢的愚論である。」 「この不殺生戒は剣を揮う。この不殺生戒は爆弾を投げる。」 これが本音。 >コピペに過剰に反応してんのもおまえだけなんだよw 普通の反応ですよ? 過剰な反応とは過去スレに出てきた(ひょっとして今もいる)、 元オウムのような反応のことです。 「くだらないもの日本ではやらせないで 日本は仏教国でありさえすればいいんだよ」 「貴様なんか処刑してやる」(仏教は邪教!3より) こういった奴が権力を握ると365のようなことをしでかすのです。 仏教権力に鉄槌を下して、日本国での横暴を許さなくした織田信長は、 英雄と言えましょう(ネガキャンによって血に飢えた魔王扱いされてますが)。
389 :
神も仏も名無しさん :2012/02/25(土) 10:44:49.67 ID:dKiVy51k
>仏教は(自派にとって都合の良い)殺人を肯定しています。 ほほう、要するに 「仏教では一般的に殺人を肯定している」 がおまえの論旨ということでいいんだな?
ヨーロッパの使者達は宗教だけを持ち込んだのではなかった。 その動物的な行動様式までもが、一緒に流れ込んだのだ。 ポルトガル人の一部が日本女性を奴隷としてインドに輸出している事などが公になったり、キリシタンになった日本人信徒が、神社仏閣を破壊し僧侶を迫害し始めた。 記録に残っている焼き打ちの事実を挙げてみよう。 正覚寺 真宗 1607年放火により全焼 深崇寺 浄土真宗 キリシタン宗徒の迫害により廃寺に追い込まれる 斉道寺 天台宗 最盛期は支院36坊があったが、 すべてキリシタンのために全滅した。 神宮寺 天台宗 支院30坊余がすべて破壊される。 鎮道寺 天台宗 破壊される。 神通寺 真言宗 1574年破壊される。 万福寺 神宮寺の末寺を破壊される。 伊勢宮神社 破壊される。 渕神社 神宮寺の末寺を破壊される。 桜馬場天満宮 何度か破壊される。 簡単に調べただけでもこれだけある。 長崎の地は、デウスの神を叫ぶ異教徒たちによる破壊の嵐が吹き荒れていた。 僧侶、神主たちは、戦々恐々とし、出歩くのをためらわれるほどであった。
「キリシタンになり申さぬ者は、日本国中の者ども、デウ ス様(神)より左の御足にてインヘルノ(地獄)へ、御踏 みこみなされ候間、その心得あるべく候。」天草四郎 そもそも島原の地の旧主・有馬晴信がキリシタンに改宗した のは、現実的な理由であった。近隣を支配する強大な龍造寺隆 信に対抗するために、キリシタン大名の大友純忠と同盟する事 を決意し、そのために改宗を願い出た、とルイス・フロイスは 『日本史』に記している。 洗礼の意思はイエズス会から派遣されていた巡察使ヴァリニャ ーノに伝えられ、晴信は領内の寺社を破壊し、領民を改宗させ るという約束の上で、洗礼を受けた。ヴァリニャーノは晴信に 兵糧と鉛、硝石などの軍事物資を提供して、支援を行った。 晴信は約束通り、領民たちに宣教師の説教を聞くことを要求 し、どうしてもデウスの教えを理解しようとしない者は領国か ら出て行くように命じた。 晴信の庇護のもとで、宣教師たちは日本の寺院の仏像を破壊 し、仏教徒の目の前で放火したりした。またキリシタンと僧侶 の間に争いが起きると、晴信は僧侶を処刑すると脅し、財産を 没収した。領民はこれを聞いて震え上がり、たちまち千人を超 える人々が改宗したという。 晴信は宣教師の求めに応じて、領民から少年少女を取り上げ、 インド副王に奴隷として送る、ということまでしている 日本の在来信仰では、領主が権力や武力を用いて、特定の信 仰を領民に強制するようなことはなかった。最初に来日したイ エズス会宣教師フランシスコ・ザビエルは、いちはやくこの点 に注目し、日本では男女共に「各人が自分の意思に従って」宗 派を選ぶのであり、「誰に対してもある宗派から他の宗派に改 宗するように強要することはしません」と報告している。
ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は2000年3月12日、バチカンのサンピエトロ広場で ミサを行い過去2000年間に キリスト教会が犯した過ちを認め謝罪されたことは、 あまりにも有名で多くの方に驚きと、ある種の感動さえ広がりました。 年月日は忘れたのですが確か韓国の放送局の方が長崎県に取材に来られました。その時の模様をニュースで見ましたが、 概要「長崎県内で起こったキリシタンへの迫害・殉教の歴史、26聖人などを取材されました」との内容でした。 私が学生の頃、地域の年配の何人かに、この種のことが話題になった時、(大村弁で) 「あん人たちは昔んキリシタンが全部、殉教や聖人のごと言わす。そん前に何んばやったか一言もいわっさんとバイ」と聞いたことが何回かありました。 しかし、その当時、私は郷土史に興味などないため関心はありませんでしたが、同じ福重地区でしたので、ずっと引っかかる言葉でもありました。
「十字架こそ、侵略のシンボルだ」
酒井信彦ブログ(元東京大学教授)
http://sakainobuhiko.com/2004/12/post-13.html#extended 本年(平成16年)3月14日付の『カトリック新聞』では、カトリック学校での日の丸・君が代の扱い方の現状について、1面トップで報じている。
ここに表れているのは世界歴史に対する完璧な無知であり、欧米白人キリスト教徒への極度の奴隷根性と、自国・自民族への凄まじい偏見・差別意識である。
同胞を貶めることで、自分を良心的な人間と錯覚して悦に入っているのであり、それは醜悪極まりない精神構造であると言わざるを得ない。
このような根源的偽善者かつ卑劣漢が、善人面をしてあらゆる分野で大手を振るってまかり通っている事実こそ、現在の日本はすでに精神的亡国状態にあることの、
何よりの証拠である。
394 :
神も仏も名無しさん :2012/02/27(月) 12:56:26.56 ID:3arjEBUK
十字軍の呼びかけにこたえた騎士たちは途上、虐殺、レイプ、略奪を行いながらエルサレムを目指した。 イスラム教徒はこの集団が宗教的背景を持った侵略者だと気付かず、 野蛮な西欧の強盗団が強大になったものだと考えていた。 一説によるとこのとき十字軍は、イスラム教圏で老若男女問わず一方的に7万人以上も虐殺をしたともいわれる。 (Wikipediaより)
395 :
神も仏も名無しさん :2012/02/27(月) 22:19:44.54 ID:3arjEBUK
大航海時代が訪れると、キリスト教の司祭達は、 アフリカやアジア、アメリカ大陸、オーストラリアなどに軍事力を伴った宣教を開始した。 またこれと平行して略奪や虐殺、インディオ女性への強姦も盛んに行われた。 (Wikipediaより)
396 :
神も仏も名無しさん :2012/02/27(月) 22:21:50.27 ID:3arjEBUK
北アメリカでも、アメリカ合衆国やカナダの政府が盛んにインディアンやエスキモー、アレウト、 またハワイや米領サモアなど太平洋諸島民に対するキリスト教への強制改宗を行った。 またこれと平行して略奪や虐殺、女性への強姦も盛んに行われた。 (Wikipediaより)
397 :
神も仏も名無しさん :2012/02/27(月) 22:24:20.28 ID:3arjEBUK
聖地エルサレムをイスラーム教徒の手から奪回するために十字軍が派遣されたが、 第1回十字軍の際には十字軍戦士はイスラーム教徒への大量虐殺、強制改宗、略奪にふけり、 またイスラーム教女性へのレイプなども行われた。 当時の記録によれば、エルサレム攻囲戦のときの惨劇で エルサレムは膝まで浸かるほどの血の海になったという記録が残されている。
398 :
神も仏も名無しさん :2012/02/27(月) 22:36:05.79 ID:3arjEBUK
コンキスタドールは金銀を求めてアメリカ大陸を探索し、アメリカ大陸の固有文明を破壊し、黄金を略奪した。 またインディオの生命財産を脅かし、異教徒の女性に対し強姦・暴行を行った者も多数存在する。 (Wikipediaより)
なるほど
400 :
神も仏も名無しさん :2012/02/28(火) 08:41:40.43 ID:KIcpxoj9
401 :
神も仏も名無しさん :2012/02/28(火) 11:46:52.80 ID:KIcpxoj9
402 :
神も仏も名無しさん :2012/02/28(火) 11:57:29.59 ID:KIcpxoj9
403 :
神も仏も名無しさん :2012/02/28(火) 12:04:20.03 ID:KIcpxoj9
http://kyoto.gp1st.com/300/ent127.html > 金閣寺放火事件(事実)
> 放火日
> 1950年7月2日未明
> 被害内容
> 金閣寺舎利殿(国宝)全焼
> 足利義満の木像(当時国宝)焼失
> 観音菩薩像、阿弥陀如来像、仏教経巻などの文化財6点 焼失
> 犯人
> 金閣寺の修行僧(当時21歳)
> 犯人の行動
> 金閣(舎利殿)への放火の後、裏山(左大文字)でカルモチン(催眠剤)を
> 飲み小刀で割腹自殺を図るが、救命措置により一命をとりとめる。
>>402 くだらん。
民族対立の根本的原因であるイギリスの分断統治について全く書いていないだろ。
405 :
神も仏も名無しさん :2012/02/28(火) 22:15:47.00 ID:KIcpxoj9
>>404 分断統治 ―@→ 民族対立 ―A→ 虐殺
@もAも日本やドイツなら激烈なのは起こらないだろうな
民度の下劣さか原因か、はびこっている糞宗教が原因かはハッキリしないが、
悲惨さ不幸さはハッキリしてるよな
>>405 >民度の下劣さ
スリランカ人のことを言っているとしか読めないが、間違いないな?
自分の発言に責任持てよ。
407 :
神も仏も名無しさん :2012/02/29(水) 08:13:59.55 ID:q0wNx6hx
>>406 なぜそんなことを確かめるんだ?
仏教徒らしく言質でも取って対抗ひはんするためのカードにしたいのか?
外国に分断統治されるという環境的要因で国内で争いと虐殺が起こるということは、
自己コントロールができず平和をつくれない下劣な人民だろうに。
しかし、内戦の資金がどこから出てるかというと一神教からなんだよ。 しかも一方に有利に計らい、もう一方に不満を持たせたり、テロを指導したり、 全部一神教が手引きしてること。いつもそうじゃん。
409 :
神も仏も名無しさん :2012/02/29(水) 11:40:57.06 ID:JXoGZOo9
キリスト教は、この世を支配しているのはサタンとも言ってる 結局自分達のことだろうが…………
日本での自殺者の数、年間三万人以上 わずか3-4年でスリランカ内戦の犠牲者の数を上回る
411 :
神も仏も名無しさん :2012/02/29(水) 14:14:36.21 ID:q0wNx6hx