水野訳:
877
彼等(諸見者)を依著者なり【と知り】、かの現慧ある牟尼は依著【を知り】、
「慧者は《種々の有》に戻り来たらず」【と知りて】、解脱者は諍論に至らず。
877(884)
ete ca 【JatvA】 upanissitAti, 【JatvA】 munI nissaye so vimaMsI ,
【JatvA】 vimutto na vivAdameti, 《bhavAbhavAya》 na sameti dhIro ti.
※墨括弧、二重山括弧は引用者が付加。
やはり中村訳「変化的存在」は、bhava(有、生存、存在)だったか・・。
(862(869)から、少なくとも875(882)から連続した偈と見るべきだし)
各語にしても語順・構文にしても、水野訳の正確さはさすがだ・・。
中村訳からの卒業は急務かもしれん・・・。
水野訳こそ、文庫レベルで出るべきだと思う今日この頃w (片山訳も高額になるだろうしなぁ・・ orz)