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>>725のつづき
イエスの絶大な力を信じるユダは、イエスが意図も容易く逃げてくれるものと楽観的でしたか
ら。しかし結果は、なんとそのまま拷問の末に処刑されてしまったので、あまりの結末に驚いて
しまい、自分のしたことの重荷に耐えかねて自殺してしまったのです。
このユダが勇気在る貴重な大役を引き受けた名誉在る弟子という見方ができるです。
(しかし、キリスト教というのは無知なので、ユダをただの裏切り者として忌み嫌いますが・・・)
この場合の仏教との類似性でいえば、実にゴータマを死に追いやった信者チュンダの食事の
意味にもこれは当て嵌ります。ゴータマはチュンダを責めることを禁じて、彼が最も重要な役割
を果たした者であり、その食事が素晴らしい供養であったと彼を称賛しているのと同様です。
これは完成者というものは自分で死を決めるからであって、自分の死とその経緯を事前にす
べて知っているどころか、このような死へ経緯へと運ぶのは完成者自身による意思決定による
ものです。
従って、完成者には事故死というものはないということ。
---余談---これでお・わ・り