キリスト教@質問箱272

このエントリーをはてなブックマークに追加
874848:2014/04/09(水) 23:57:43.88 ID:apUTRly5
>>866

遡って、>>802から読むと‥‥

>>802>>804>>806>>809>>812>>821>>822-823>>840-844>>856-857
ですね。

途中でIDが違っているので、別人の投稿かもしれませんが、質問内容からすると、>>824も同一人物の可能性がありますね。
875神も仏も名無しさん:2014/04/10(木) 00:08:52.07 ID:yC0944In
>>870
イエス・キリストを求めていても、聖書が読めないから、クリスチャンに聞きにくるのではないですか。

だから良い知らせを伝える人はなんと美しいことか、とローマ10:15に書いてあります。

良い知らせを上手く伝えたいものですね。
876ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/10(木) 00:26:52.71 ID:lW43NH/+
>だから良い知らせを伝える人はなんと美しいことか、とローマ10:15に書いてあります。

それを言うなら、
「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」です。
マタイによる福音書 7:6には、次のようにあります。

「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。
それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」
877ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/10(木) 00:33:28.05 ID:lW43NH/+
>>875
>イエス・キリストを求めていても、聖書が読めないから、クリスチャンに聞きにくるのではないですか。

インターネットをやっている人なら、ネットで聖書が読めるはずです。
878神も仏も名無しさん:2014/04/10(木) 00:42:37.15 ID:yC0944In
ダニエルさんは、リンゴさんに似ていますね。
879ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/10(木) 00:50:28.76 ID:lW43NH/+
>ダニエルさんは、リンゴさんに似ていますね。

リンゴさんは知りません。
イエス・キリストを求めていながら聖書を読まない人がいるとは
どういうことを言っておられるのか意味がわからないので教えてください。
880神も仏も名無しさん:2014/04/10(木) 01:01:56.85 ID:yC0944In
>>879
読まないのではなく読めないのです。
聖書は神の立場から書かれたので、人間の立場からは理解しにくいです。
だから、伝道が必要です。
881ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/10(木) 01:10:18.00 ID:lW43NH/+
>>880
>読まないのではなく読めないのです。
>聖書は神の立場から書かれたので、人間の立場からは理解しにくいです。
>だから、伝道が必要です。

理論が破綻しています。
聖書が神の立場から書かれたので、人間の立場からは理解しにくいのはそのとおりです。
しかし「だから、伝道が必要です。」となるのは意味が通じません。
882848 1/2:2014/04/10(木) 01:12:53.23 ID:QA8B6Q2m
>>843

聖書の記述を見てみると、神様から造られた当時、アダムの心の中には「神と同等の存在になりたい」という「悪い考え」は、
一切なかったように思います。

二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
(新共同約聖書 創世記 3章7節)

上記は、蛇にそそのかされたイヴから「善悪の知識の実」をもらい、その実をアダムが食べた後に何が起きたか、ということを示す、
重要な箇所です。

神様は、アダムとイヴに「自由意志」を与えていました。
それは、神様の二人に対する「信頼の証し」でした。
ですから、当然、二人は「自由意志」によって、蛇の誘いを断ることもできました。
でも、蛇の誘惑に乗ってしまい、二人は「善悪の知識の実」を食べてしまいます。
ここには、私たち「人間の弱さ」がどういうものかが、巧みに表現されています。
ここを見て、私たちは改めて「自身の弱さ」を自覚しなければならないと思います。

先に別のレスで書きましたが、「自由意志」とは、全能の神様といえど、自由にはできない意志で、
アダムとイヴは自らの「自由意志」によって、神様から「食べてはいけない」と忠告されていた実を食べました。
二人のこの行為は、「神様の信頼」を裏切る行為であり、「神様のせい」ではありませんので、
彼らのしたことは、神様の責めに帰すべきことではないのです。

>>843さんは、アダムやイヴのことを「失敗作」とおっしゃっていますが、それをおっしゃったら、あなたも当然、
「自身は失敗作」だということを、御自身で認めなければならなくなりますよ。

神様は、誰のことも「失敗作」だとは思っていません。
なぜなら、アダムやイヴのことも、一度は祝福されて、「極めて良し」と判断なさったからです。

(続く)
883848 2/2:2014/04/10(木) 01:13:41.66 ID:QA8B6Q2m
神様のほうから人間を裏切ったことは、一度もありませんよ。
「自由意志」も、神様が人間を愛するがゆえに与えたモノですが、それを用いて神様を裏切ったのは、実は人間側なのです。

また、仮に神様が「修正」を行ったとしたら‥‥、>>843さんの霊魂のみならず、私たちの存在はこの世から消えてしまうでしょう。
神様の行う「修正」とは、鉛筆で書いたものを消しゴムで消すレベルではなく、「霊魂の存在、そのものが消えてしまう」レベルでの
修正を示します。


あと、上記の聖書の言葉(新共同約聖書 創世記 3章7節)について、少々解説しますね。

「二人の目は開け」というのは、「善いことと悪いこととを知るようになった」という意味で、二人の目がもともと見えなかった、
ということを指しているわけではありません。

聖書が「霊的な書物」と言われるのは、この部分のように、「この世の常識が当てはまらない読み方」をする箇所が
多々あるためなのです。

「自分たちが裸であることを知り、(中略)腰を覆うものとした。」というのは、「ここで、二人に原罪が生じた」ということがわかる一文です。
二人に原罪がなかった時、二人はお互いに裸ではありましたが、「裸でいることは恥ずかしいことだ」ということを知りませんでした。
現世では、服を着ないで裸のままでいる人は、「おまわりさん!このイモです!!」と警察を呼ばれ、逮捕されてしまうのが常識ですが、
アダムとイヴのいた時代では、神様の御前では裸のままでいること、それがごく普通のことでした。

つまり、二人に芽生えた「羞恥心(恥ずかしさ)」も、もともとは「原罪」がなければ生じることはなかったのです。

(終)
884ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/10(木) 01:15:42.22 ID:lW43NH/+
まず聖書を自分で読まないことには何も始まりません。
これは、指導者はいらない、という意味ではありませんよ。

伝道されなければ聖書と出会えなかった大昔とは違い、
現代の日本では、誰でもその気になれば自分で聖書を読むことは可能です。

あなたの通っておられる教会の牧師が何と言っているのかまでは知りませんが
おかしな教会の伝道によって、人生を狂わされる人がとても多いのです。
885ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/10(木) 01:17:46.64 ID:lW43NH/+
>>880

誤:『聖書は神の立場から書かれたので、人間の立場からは理解しにくいです。
だから、伝道が必要です。』


正:『聖書は神の立場から書かれたので、人間の立場からは理解しにくいです。
ですから聖書を読む場合には、無垢な態度と祈りが必要です。』
886神も仏も名無しさん:2014/04/10(木) 01:31:39.68 ID:yC0944In
>>885
信仰は神のことばを聞くことから始まります。
887848 1/2:2014/04/10(木) 02:15:41.66 ID:QA8B6Q2m
>>843

Q.神様の愛に応えた人間しか天国に行かせてくれないの?

私がこれから語ることは、あなたが霊魂だけの存在(←私はこれを、「意識体」という造語で呼んでいます)になった時に知ることです。
また、本来、肉体を持っている状態の人間が知ることを赦されていない、現世には持ち込み禁止の霊的な知識です。
回答をするためには、避けては通れないことなので書きますが、それを信じるか信じないかは、あなたの霊魂にお任せします。

私たちは昔、悪いことをする度、親や周りの大人から「神様に地獄に落とされるよ」と言われて育ちました。
ですが‥‥実は、神様が地獄に落とすのではありません。
霊魂の存在となった時、私たち自身が「地獄を選ぶ」のです。

天国は‥‥現世の太陽よりも、明るく、まぶしい世界です。
その明るさは、少しでも穢れた霊魂には恐れ多くて、近づき難い明るさなのです。
なぜ近づき難いかというと、その光の源が神様だからです。
(意識体になると、以前からそのことを知っていたかのように、ごく自然に、そのことを知っていることに気づかされることでしょう。)

あなたは亡くなって、意識体となった時、現世で得た善悪の知識に加えて、更に多くの善悪の知識を得ます。
そのことによって、あなたの霊魂は更にきめ細やかな善悪の判断をすることができるようになります。
その時、あなたは現世での自身の行いをもう一度、振り返ります。
あなたは現世での行いに応じて、自身の霊魂の善悪を吟味することができます。
そして、自身の霊魂が天国に行けるかどうかを、自身で推し量ることになります。

天国に行くには、本当にきれいな霊魂でなければならないのです。
(神様を愛する霊魂しか、天国には入れないのです。)

(続く)
888848 2/2:2014/04/10(木) 02:18:08.73 ID:QA8B6Q2m
もし、あなたが今のまま、神様の愛を知らず、その愛に応えず、現世で霊魂を磨くこともないまま、亡くなってしまったとしたら‥‥。
あなたは意識体になった時、自身の霊魂の黒さを垣間見るでしょう。

天国から漏れるまぶしい光と、自身の霊魂の黒さを見比べるあなた‥‥。
その時のあなたには、自身が天国に入れる霊魂かどうか、すでに答えは出てしまっています。

「この霊魂の黒さじゃ、天国には入れない‥‥。」
「現世では何度も、神様の愛を知る機会があったのに‥‥何で、素直になれなかったんだ‥‥!!」
そうして、後悔の念とともに、あなたの霊魂は地獄に行くしかないことを悟り、「地獄へ行くことを選ぶ」のです。

そうです、神様が天国に行かせないわけではありません、自身が天国に行くにふさわしくない霊魂であることを悟るのです。

ですが、神様が私にこれを語らせたということは、まだ神様はあきらめてはいらっしゃらないようですよ。
あなたの霊魂が、望んで天国に来てくれることを‥‥。

神様の御旨は、あなたが「天国に行きたい」と強く望み、「地獄には行かない!!」と決心してくれることなのですよ。
また、天国に入りたい人は、自身の霊魂を「神様を愛する霊魂」としなければなりません。
そうしないと、天国の光には到底耐えられないからです。

(終)
889ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/10(木) 13:56:20.81 ID:lW43NH/+
>>886
>信仰は神のことばを聞くことから始まります。

もし反論を書きたいのであれば、上記のような言い切りではなく、
きちんと意味が伝わるように書いてください。

聖書を自分で読んで、それにより信仰に目覚めたという人を僕は知っていますよ。

そもそも誰から神の言葉が聞けるのですか? 聖書からではないですか。
890神も仏も名無しさん:2014/04/10(木) 14:32:12.92 ID:MaUi8e6z
脳内に降りていらっしゃるんだよw
891神も仏も名無しさん:2014/04/10(木) 14:57:53.79 ID:MaUi8e6z
完全な神は敢えて人間を完全には作らず、なおかつそこに不安定な自由意志を与え、
こっそりと蛇を野放しにされた。
無論、それがどんな結果を導くか、完全な神は最初からすべてご存知だった。
892神も仏も名無しさん:2014/04/10(木) 15:08:50.81 ID:MaUi8e6z
>耳では聞いていても聞いておらず、悟ろうとしても悟ることのできない人間が、
>この世にはいるからです。

何故でしょうか?
神がそうなるように人間をお作りになったからです。
完全にして万能なる神がミスを犯すことはありません。
神がそうなるように仕組まれたのです。
893神も仏も名無しさん:2014/04/10(木) 18:55:05.52 ID:yC0944In
>>889
†実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。ローマ10:17

†神は、定められた時に、宣教を通して御言葉を明らかにされました。
私たちの救い主である神の命令によって、わたしはその宣教をゆだねられたのです。テトス1:3

イエス・キリストからいただいた愛で、神の言葉を伝えるほうが良いと思います。

たっぷりとイエス様の愛が伝わるはずです。
894ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/10(木) 20:50:50.86 ID:SLGblaZX
>>893
>イエス・キリストからいただいた愛で、神の言葉を伝えるほうが良いと思います。
>たっぷりとイエス様の愛が伝わるはずです。

ふ〜ん。なるほど。

あなたはたっぷりとイエス様の愛を伝えて
実際、何人救ったんでしょうか。
895インギ改:2014/04/10(木) 20:52:20.14 ID:gpDBsZE4
ダニエル氏。
896氏がなにか間違ったことを言いましたか?
896神も仏も名無しさん:2014/04/10(木) 21:11:22.35 ID:yC0944In
>>894
数え切れないぐらいの人を救いました。
何度も何度も御言葉を分かりやすく伝えたり、自分の頭の中で整理したりしながら、伝えてきました。
これは、伝える人と聞く人に益になっています。

†御言葉を宣べ伝えなさい。
折りが良くても悪くても励みなさい。
第二テモテ4:2
897ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/10(木) 21:25:23.58 ID:SLGblaZX
>>896
>数え切れないぐらいの人を救いました。

ふ〜ん。それなら説得力がありますね。
898ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/10(木) 21:27:38.07 ID:SLGblaZX
じゃあ、これからも聖書を読むことを勧めるのではなく
あなたの伝道で数えきれないほどの人を救ってあげてください。
899神も仏も名無しさん:2014/04/10(木) 21:50:32.48 ID:yC0944In
>>898
私たちは御言葉で救われるのですから、御言葉に住むようになります。

†そして、御言葉を行う人になりなさい、とヤコブ1:22のように、

御言葉は聖書を読まなければ、行うことができません。
クリスチャンになれば、たくさん聖書をよむようになるでしょう。
900ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/10(木) 21:56:26.27 ID:s259mJ7g
>>899
たくさん聖書を読んでおられる>>899さんに質問します。

>私たちは御言葉で救われるのです

それは聖書のどこに書いてある言葉ですか?
901神も仏も名無しさん:2014/04/10(木) 21:56:40.63 ID:mXeTGC+h
>御言葉に住むようになります。

精神異常者だw
902神も仏も名無しさん:2014/04/10(木) 23:12:08.19 ID:yC0944In
>>900
「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」
これは、私たちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。
口でイエスは主であると公に言い表し、
心で神がイエスをは死者の中から復活させられたと信じるなら、
あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。
ローマ10:8−10
903ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/10(木) 23:15:20.31 ID:s259mJ7g
>>802

あれ?
『御言葉で救われる』 とは聖書のどこに書いてあるのですか?
と聞いたのですが。

まさかごまかそうとしてないですよね?
904ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/10(木) 23:18:16.70 ID:s259mJ7g
まあ、いいです。
もうわかりましたから。
905神も仏も名無しさん:2014/04/10(木) 23:21:26.77 ID:QA8B6Q2m
>>901

あなたがキリスト者か否かは存知上げませんが、他人の言葉のあやを責めるのは、
たとえ、それが冗談であったとても、端から見ていて、気分の良いものではありませんね。

神様は、あなたがどういうおつもりでレスをなさったのかを、
すべて御存知でいらっしゃいますよ。

あなたは人間として、恥ずかしいことをしておいでですよ。
恥を知ることと、誠意ある猛省を、あなたに期待します。
906神も仏も名無しさん:2014/04/11(金) 00:00:45.45 ID:QA8B6Q2m
>>899さんが「御言葉に住むようになります」とおっしゃっていることで、

「何だよ、その御言葉は? 一体、聖書のどこに載ってンの? お前、本当に聖書読んだことあんのかよ?」

と、「私はあなたより、聖書の御言葉を知っています」と言わんばかりの、傲慢で、上から目線のレスがいくつか入り‥‥、
私は大変、気分が悪うございますので、援護射撃というわけではありませんが、
何も存ぜぬ殿方に一言、物申したいと思います。

「御言葉の内に住むようになります」

>>899さんは、本当はこのように申し上げたかったのだと思いますよ。

この言葉は、真のキリスト者なら普通に聞いたり、口にする言い回しだと思いますが、
傲慢で、上から目線の殿方が御存知ないのであれば、その殿方は当然「モグリ」だとしか思えません。
この言葉を知らないとは、本当にキリスト者ですか、あなた方は?!

「御言葉の内に住むようになります」

という言葉は、「御言葉=神様」ということですから、言い換えれば、「神様の内に住むようになる」という意味です。
その言葉の、どこがおかしいのでしょうか?
私も普通に、「御言葉の内に住むようになる」という言葉を用いますよ?
これをおかしいとおっしゃるなら、「霊的な読み方」ではなく「肉的な読み方」をしていらっしゃるとしか思えません。

他人のことを小馬鹿にする前に、己の無知と傲慢さを恥じて、謙虚になってみてはいかがかしら?
907神も仏も名無しさん:2014/04/11(金) 00:30:30.20 ID:yiWSOykB
補足ですが‥‥

「主の御言葉が内に住むようになった」

という言葉なら、皆さんは御存知であったかもしれませんね。
908神も仏も名無しさん:2014/04/11(金) 04:29:10.86 ID:i3+xzenZ
>>900
御ことばはイエス・キリストですから、御ことばで救われる、と書きました。

御ことばに住むというのは、イエスのまことのぶどうの木につながっていれば、豊かな実を結ぶと同じ意味です。
私の愛にとどまりなさいということで、
ヨハネ15章に書いてあることを伝えました。
909ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/11(金) 16:02:18.95 ID:pVOh5hq8
>>906さん  >>908さん
捏造という言葉を知っていますよね?
聖書に書かれていない言葉を自分で作り、それをもっともらしく
語るのは、よろしくないことです。

このような聖書に敬意を払わない人たちが、自分の言葉で語り、
聖書の言葉を勝手に水増しして膨らましていることが、
大変よろしくないことです。
910ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/11(金) 16:06:28.91 ID:pVOh5hq8
自分の言葉を語る本人は、それを少しも悪いと思っていないようですが、
このようにして誤謬が蔓延し、ついに聖書の言葉を無力化します。

従って、このように無責任な人の発する言葉には、十分な警戒が必要です。

彼らは聖書に根拠のないことを、勝手に自分で考えて語り、
そのうえ、それを恥じることがないのです。
911神も仏も名無しさん:2014/04/11(金) 19:30:32.09 ID:i3+xzenZ
>>910
あなたには理解できないようですね。
私はいつも御言葉に従っていますので、イエス様は私と共にいてくださいます。
では、ごきげんよう。
912「822-823」改め「横レス」:2014/04/11(金) 21:11:11.34 ID:Zy+8+Euu
レスが遅くなって申し訳ありません。

私のレスが紛らわしくて混乱を招いたようなので、皆さんの呼び方に合わせて改名しておきます。

おっしゃる通り、私は「平等さん」とは別人です。
ここまでで私のレスは、>>822-823>>840-844>>856-857だけです。
ですので、>>874さんも誤解無きようお願いします。

皆さんは私がどんな意図をもって質問しているのか、イエスに何を求めているのかを気にされているようなので、
以下に私のスタンスを書いておきます。

まず、私は現状ではイエスに何も求めていません。
私はいまだ、イエスが何者なのか測りかねていますから。
あなた方キリスト教徒はイエスには救いを求めているでしょうが、それ以外の誰にでも救いを求めたりしませんよね?
なぜならあなた方にとって、イエスは救い主であり、それ以外の人間は救い主ではないからです。
それと同様に、私にとってイエスとは救い主ではなく、二千年前にユダヤ教の改革を試みた、ただの人間でしかないので、
そんな人に何かを求めたりはしません。

ただし、それは現時点での私の解釈です。
私は聖書こそろくに読んでいませんが、キリスト教について宗教学的観点からは、独学ながら少しは勉強しています。
そして現在のところ、「イエスはただの人」という解釈に至っていますが、それは稚拙な独学によるものですし、
最終結論ではなく、あくまで途中経過に過ぎません。
ですので、キリスト教徒の皆さんの解釈を伺うと同時に、私の考えをぶつけてみたいと思った次第です。
913「822-823」改め「横レス」:2014/04/11(金) 21:12:53.21 ID:Zy+8+Euu
皆さんにしても、同じ考えを持った人間同士で肯定し合うだけでは、その考えを真に正しいと信じる事はできないでしょう。
異なる考えを持った人間と意見をぶつけ合い、批判に耐え抜いた説こそが、真に正しい説であると言えますし、
それを避けて、自分の考えを否定されるのを恐れ耳を塞ぐのではカルトでしかありませんから。
ですので、反論されたら素直に納得しろ、教義を否定するのは冒涜だ、といった考え方は、この際控えていただけると幸いです。

もちろんその質疑応答の過程で皆さんの考えが私の批判に耐え抜き、正しいと論証されれば、私はイエスを救い主と信じますし
勧められずとも、自らイエスに救いを求めるでしょう。
それは私にとって悔しい結果ではなく、喜ばしい事です。
神が実在し、その愛に応える事で自分が救われる事を知るのですから。
そしてそれは皆さんのような宗教者にとっても有意義な布教活動なのではないでしょうか。

ただし、喜ばしい事だからといって頭からそれこそが真理だと思い込む、理想を切望するあまりに現実と混同する、
といったカルトのような事は絶対にする気はありません。

とはいえ、前述の通り稚拙な独学の途中経過が絶対に正しいなどとは思っていません。
現状としては、キリスト教に否定的な解釈に至っていますし、キリスト教の是非について信者の皆さんと質疑応答するにあたり
反対側の席に着く立場なので否定的なスタンスをとっているという事です。
914「822-823」改め「横レス」:2014/04/11(金) 21:15:34.50 ID:Zy+8+Euu
ダニエルさんのおっしゃる通り、私はキリスト教の神が「機会の平等」ではなく「結果の平等」、すなわち
完全な平等だと思っていました。
しかしその点については、>>822で初めてレスする前に、皆さんの「平等さん」に対する回答を読んだ時点で認識を改めています。
そしてその上で疑問を持ったので、さらに質問させていただいている次第です。

例えばダニエルさんは「機会の平等」を、年金に例えておられます。
これは「その見返りにふさわしい行いをした者だけが見返りを得られる」という当然の理屈ですよね。

しかしダニエルさん含め、皆さんのお話を読むと、神の教えを理解して救いを得るより以前に、
その初歩を知るためにさえも聖書を一通り読まなければならないとの事です。
そこで、キリスト教の神は「キリスト教の教えをよく知らないのに聖書を一通り読む、極めて限られた変わった人」
だけを救う、という結論に至った次第です。

この結論について注意していただきたい事が二点あります。
一点目は、それが皆さんのお話を取りまとめた結果であり、それについて私に苦情を言われても
私としてはどうしようもないという事です。

二点目は、それが「結果の平等」だけではなく、「機会の平等」からもかけ離れているのではないかという事です。
>>868を見ると、ダニエルさんはどちらの意味での「平等」なのかを明確にせず、私が「結果の平等」にこだわっていると
暗に主張されているように思われますが、それは曲解です。
915ここ壊れてます:2014/04/11(金) 21:22:58.74 ID:8BAEsJMB
新約聖書の編者は、イエスとは別人のメシアが現れる事を預言している。
ナザレ村のアンチャンをメシアなどと言ってる馬鹿は
キリスト教徒位の物で、聖書のメシアも当たり前に
違っていただろうと思っていました。

私は下記のヨハネ福音書の16章を読んで判りました。
私が去った後に人を遣わすと言ってるんですよ。
それでその人は
「罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを
明らかにする。」と預言されている。すなわちこの人はメシア
ですよ。
これって、ユダヤ教のメシアと同じじゃないですか。

16:5 今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。
16:6 むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。
16:7 しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。
16:8 その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。
16:9 罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、
16:10 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、
16:11 また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。
16:12 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。
16:13 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
16:14 その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。
916「822-823」改め「横レス」:2014/04/11(金) 21:27:32.97 ID:Zy+8+Euu
すみません、まとめて連投するつもりが連投規制食らってました。
>>914の続きです。

さらに付け加えると、皆さん、特にダニエルさんのお話では「聖書に出会えない時代、地域の人は救われない」いう事になります。
つまりキリスト教の神は「『二千年前から数百年前のローマ帝国領の住人並びに、それ以降の文明社会に暮らす人間』のうち、
『キリスト教の教えをよく知らないのに聖書を一通り読む、極めて限られた変わった人』」以外には
救われる機会さえ与えないという事になります。
それらの限定条件は、年金の例えのように、天国行きというとてつもなく大きな見返りを得るにふさわしい立派な行いなのでしょうか?
私にはもはや神が何をしたいのかさっぱり分からないのですが。
917ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/11(金) 21:28:31.50 ID:hRagc0+9
>>914
>しかしダニエルさん含め、皆さんのお話を読むと、神の教えを理解して救いを得るより以前に、
>その初歩を知るためにさえも聖書を一通り読まなければならないとの事です。

聖書を読まれればわかることなのですが、
救われるためには洗礼を受けることが必要です。

あなたに聖書を読むように勧める理由は、こうしたことを
理解していただくためです。

あなたのように理詰めで考える方は、人から説得されるよりも
ご自身で確認された方が良いように思いました。
918「822-823」改め「横レス」:2014/04/11(金) 21:28:42.89 ID:Zy+8+Euu
>>882-883>>887-888
ご回答ありがとうございます。感謝致します。

>>882
まず、「自由意志」についてですが、人間の心が、蛇にそそのかされただけで悪に転じるようなものであれば、
それは神があらかじめ人間の中に善と悪の心のいわば原型を作り、そのどちらを選ぶかを「自由意志」に任せたという事になりますね。
そして、蛇にそそのかされただけで悪に転じるような「自由意志」も神が作ったものです。
また、人間をそそのかすような蛇も、神が作ったものですよね。
すなわち「悪の心」、「自由意志」、「蛇」、人間に原罪を与えるに至ったすべての要因は神が作ったものです。
つまり、神が本当に全知全能なら、原罪とは神が意図的に仕向けた事、神の自作自演、という事になるのではないでしょうか。

>>883
神が本当に全知全能で、人間を愛しているのなら、存在そのものを消さずに悪い所だけを修正するのではないですか?

それと「二人の目は開け」というのは、日本語でも「○○に開眼する」というように単なるメタファーでしょう。
メタファーをもって「霊的な書物」というのであれば、そこら中に「霊的な書物」が転がっている事になりますよ。

>>887-888
重大な秘密を教えて下さってありがとうございます。

一つ気になったのですが、神が自らの光を弱めればすべて解決するのではないでしょうか。
神が全知全能なら、何の弊害も無く光を弱めるぐらいたやすい事でしょうし、黒い霊魂にも天国に来て欲しいと思っているなら
そうするはずだと思うのですが。

ちなみにあなたはその重大な秘密をいかにして知り、確信するに至ったのか教えていただけないでしょうか?
919ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/11(金) 21:35:39.99 ID:hRagc0+9
>批判に耐え抜いた説こそが、真に正しい説であると言えますし、
>それを避けて、自分の考えを否定されるのを恐れ耳を塞ぐのではカルトでしかありませんから。

ここであなたが書いているやり方は「科学における事実の検証」において有効だと思います。
しかし、そのような考え方でイエスを受け入れることはかなり難しいと思います。

少なくとも人生について真剣に悩むことがなければ、イエスを信じるに至らないのではないかと思うのです。
聖書を読み、そこでイエスの言葉に触れて、それが真実であるとご自身で思わない限り、このような議論は
あまり意味を持たないと思います。
920ダニエル ◆o31oshrvYE :2014/04/11(金) 21:40:33.44 ID:hRagc0+9
>>914
>キリスト教の神は「キリスト教の教えをよく知らないのに聖書を一通り読む、極めて限られた変わった人」
>だけを救う、という結論に至った次第です

それは残念ながら、日本においてのことに過ぎないのです。
カトリック教国であれば、多くの人は幼児洗礼ですので、聖書を読まなくとも
物心つく前から洗礼を受けているのです。
そういう意味では、日本人は不幸です。
921848:2014/04/11(金) 22:56:57.62 ID:yiWSOykB
>>843

Q.なぜ神様は、「神様の愛に応える事は、天国行きというとてつもなく大きな見返りが与えられるほど尊い行為であり、
  神様もそれを望んでいる」ということを、人間に広く教えないのですか?

神様自身が直接、そのことを人間に述べ伝えられないのは、霊的な存在であり、物質的な肉体を持たないからです。
ですが、現在、神様の教えに触れた人たちが神様に代わって、いろいろな地域を巡り、いろいろな人たちにそのこと(福音)を
述べ伝えています。

福音を広く述べ伝えても、信じる人と信じない人が存在するのは、神様が人間に「自由意志」を与えられた時から、
「信じる自由」と「信じない自由」の選択を、人間自身に許し、委ねておられるからです。

神様があなたを選ばれ、神様からの救いの手(愛)は、すでにあなたに対して伸ばされています。
ですから、その手を握り返すか否かは、すべて「あなた次第」なのです。
つまり、天国に行けるかどうかも、あなた自身がカギを握っている、と言えます。
922848:2014/04/11(金) 22:57:43.32 ID:yiWSOykB
>>843

Q.人間の前に姿を現して、「私は実在する。そしてあなた達を愛している」と表明すべきではないですか?

まず、私たちの肉眼は、あなたの霊魂のように、形のない物を確認(ロック・オン)できるようには造られていないのです。
この世の物質的な物は見えますが、神様が仮に姿を現して下さったとしても、肉眼では確認できないでしょう。
また、神様の御霊は太陽以上にまぶしい意識体なので、仮に私たちの肉眼でその御姿を捉えることができたとしても、
十中八九、失明しますが、それでもあなたは肉眼で、神様の御姿を御覧になりたいですか?

神様が無暗に人間の前に姿を現さないのは、神様が霊的な存在で、私たちの肉眼では見えない、ということの他にも
「重要な意味」があるからです。

イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
(新共同訳 ヨハネによる福音書 20章29節)

この御言葉は、「物質的な見方」よりも「霊的な見方」のほうが、より優れた見方であることを物語っています。

私たちはこの御言葉のように、神様の御姿を肉眼で見ることがなくても、神様がすぐ近くに居られること(臨在)を
信じ、感じられるようにならなければいけないのです。

例えば、あなたがある場所に立っていたとしましょう。 あなたは、「自分の存在を誰でもいいから信じて欲しい」と願っています。
そこへ、あなたの姿が見えたから、あなたの存在を信じた人と、あなたの姿が見えなくても、あなたの存在を信じた人が
現われたとしたら、あなたはどちらを「祝福したい」と思いますか?
私なら、間違いなく後者ですね。
「物質的」に私の姿を捉えた人よりも、「霊的」に私の姿を捉えた人のほうが、私から見た場合、「より信頼するに値する」からです。
つまり、あの御言葉は「そういうこと」を言っているのです。

あと、聖書によると、神様の御声は「雷のよう」だそうですので‥‥霊魂にならない限り、その御声をはっきりと聞き取るのは
難しいでしょうね。
923神も仏も名無しさん
>>921
同意です。