ここで言う「アイデンティティー」は「共同体への帰属意識」ということで、よく言えば「絆」、悪く言えば「寄らば大樹」や「虎の威を借る狐」ということだね。
近代までは共同体同士の優劣は数や力による部分が大きかったので、そういった要素を強化する効果のあるナショナリズムのような民族への帰属意識の高揚は有効だったといえるかもしれない。
でも今日では国家はお客様である国民へどういったサービスをどれくらいのコストで提供するかで争う時代になったのよ。
正確には国民ではなく企業だけど。
アメリカ人が国全体でアイデンティティを大事にしているってのはないな。
帰属意識が強い集団や弱い集団が混ざっている印象だね。
一ついえるのは多様性の尊重だよ。
日本みたいに横並びを強制する空気はない。
血でつながる云々を主張するなら、どの民族の先祖もミトコンドリア・イブとY染色体アダムだし。
共和制のアメ公にに負けて属国になった原因は民族のアイデンティティーに頼った末の暴走だったんでないの?
天皇制は属国を管理運営するのに都合がよかったから形を変えて利用されただけなのに、それをありがたがる信者は哀れよのう。