1 :
ama ◆BmUbLWewsM :
2 :
神も仏も名無しさん:2011/10/10(月) 21:18:48.71 ID:uIN6Spm8
4 :
神も仏も名無しさん:2011/10/10(月) 21:36:07.46 ID:cRjxlGZ4
>>1 amaさんスレたてありがとうございます。
私も一日でも早く悟りを開きたいです。
できれば年内にでも。
5 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/10(月) 21:36:20.18 ID:m3J7CC5t
6 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/10(月) 21:38:46.42 ID:m3J7CC5t
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1288429092/ の
>>979 > そこで、頻度について教えてください。
> 悟りは一度だけしかなれないものですか?
> それとも、行ったり戻ったりできるものですか?
私の申し上げている悟りは、あなたのおっしゃっている悟りとは違うかもしれません。
おっしゃっているのは
> 心がパカッと開かれている状態、
> 頭がスコーンと突き抜けている状態、
> ボーっとしていない状態、
> 色んな思考の動きが観えていて引っ張られていない(囚われていない)状態、
> 自分の中の恐怖がよく観える状態、
> 一切の前提無く観ている状態、
> 断言を持ったままではそこに至ることが出来ないそこの状態、
のことでしょうか?
それとも、何かの行為に没頭するなどして、
それとひとつになって自分が消えてしまっている状態のことでしょうか?
もしくは、私がいて同時にいない「体験」のことでしょうか?
もしくは、疑問がすべて消滅してしまった「体験」のことでしょうか?
あるいは、これらのどれでもないのでしょうか?
私の悟りは、日常茶飯事で、行ったり戻ったり出来るものです。
ただ、どうもそれは悟りとは言わないようです。
7 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/10(月) 21:40:54.89 ID:m3J7CC5t
8 :
神も仏も名無しさん:2011/10/10(月) 21:44:23.09 ID:jL5oRNGl
ということは、今日の晩御飯はすき焼きだったということでしょうか?
9 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/10(月) 21:47:23.59 ID:m3J7CC5t
12 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/10(月) 22:05:44.89 ID:m3J7CC5t
13 :
神も仏も名無しさん:2011/10/10(月) 22:13:11.10 ID:slUYg5lW
>>5-7 レスありがとうございました。また、Part2もありがとうございます。
悟りについて表現が異なるようですが、同じものを観ています。
全てが統一といったのは、私の場合、内側にも外側にも矛盾が
なく、一切が完璧で完全でなにも葛藤がない状態になったから
です。全てが止揚された状態です。
ただ、おそらくあなたのほうが、悟りの制御について、私よりずっと
長けています。私は一度開きましたが、再び自我から抜け、自在に
そこにいくことができません。過去の体験で話しています。
なので、また教えてください。なかなか「悟り後」の情報は少なくて、
どっちの方向に行ったらいいのかあんまり手がかりがないもので。
日常的に行ったり戻ったりするときは、どうされてますか?
息を整えて、悟りの状態を思い描けば行けるものですか?
自転車に乗るみたいにあんまり意識せずに行けるものですか?
また、amaさんのそれは十分に悟りかと思います。
悟りか否かを見るには、悟りを得たものが自らの内面に照らして、
同じようなものを持っているか否かを突き合せないと判別できない
でしょう。
これまでのレスを観ていて、私の体験と付き合わせても外れて
いないから大丈夫です。
14 :
U^ェ^U ワン!:2011/10/10(月) 22:24:20.69 ID:iJdPcmzO
15 :
神も仏も名無しさん:2011/10/10(月) 22:26:42.07 ID:SOLpJH2j
いろんな悟りを持った人がいて、とてもオモシロイですね。
私も過去に悟りを経験し今に到っているのですが
共通する所もあり、違っている所もあり
とても楽しませてもらっています。
amaさん、悟りはなかなか他人には伝わらないですが
無理せず、これからも頑張ってください。
16 :
神も仏も名無しさん:2011/10/10(月) 22:30:09.57 ID:orClSpYp
聖書から・・・
塩が塩気を失ったら、どうしますか?
「塩が塩気を失ったら、どうやって塩気を取り戻そうか。」←うろ覚え
17 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/10(月) 22:36:13.23 ID:m3J7CC5t
18 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/10(月) 22:37:42.01 ID:m3J7CC5t
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1288429092/ の
>>988 > 実は状態そのものを重視した覚者はあまりいません。
> それらの状態は私たちの日頃の執着や日頃の苦しみという背景があってこそそのコントラストとして
> 頭がスコーンと突き抜けている状態、
> ボーっとしていない状態、
> 色んな思考の動きが観えていて引っ張られていない(囚われていない)状態、
> 自分の中の恐怖がよく観える状態、
> 一切の前提無く観ている状態、
> 断言を持ったままではそこに至ることが出来ないそこの状態、
> があるのであり、状態自体はそれが苦しみでも快楽でも無でも幻想に変わりはありません。
つまり、病気があるから健康を感じる、ということですね。
そして、おっしゃっている悟りは、病気も健康もない、あるいは病気と健康が渾然一体となったそれそのもの、ということでよろしいでしょうか?
19 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/10(月) 23:40:04.34 ID:SdJ0FcHP
>>17 そもそも悟りという言葉自体がこういうものを見出したという人たちが使い、
またこういう人たちを指すものとして使われているので、悟りという言葉を使うなら
988を見出した人が使うのが自然な用法でしょう。
≫これらを受け入れた経緯
まず私は光明を得ていないので光明そのものについては語っていません。
でしからこれらを受け入れる必要もないですし、また反発する理由もないのです。
そして過去のブッダの生き方や語り方がまねできないという単純な事実により、
彼らはうまくやってるとか優れているとかではなく次元そのものが違うのであり、
それが何かは分からないですが根本的な認識やあり方が異なることは伺えます。
単純に病気や拷問をものともしなかったという言い伝え、(グルジェフ和尚ラーマクリシュナラマナマハリシなんかは近代のデータ)
からもうかがえますがその生き方と語り方、総合的な外面からもなにかうかがい知れないような秘密が内に隠されていることを想像させます。
よくわからないのです。
≫悟りが何か
悟りが何かは分かりませんが今自分が悟りへの障害として認識しているのが、
感覚への執着が痛みと快楽という区分を作るということです。
痛みに同化しないこと痛みにこだわらないことではなく、痛みと快楽の2元性を作り出す精神の働きに気づきます。
また他者を貶め自己の利益を図ることは、自分の体自分の心への執着そのものであり、利己的な行為の報いとは他者からもたらされるものではなく、
死する運命の自己に執着してしまう苦痛そのもののようなのです。
瞑想、覚醒は何々でないという表現しか不可能です。そして瞑想や覚醒が悟りへの扉なのだと思います。
扉をいかにしてということなく開いても、どうやったのかわからないですがまた自我が主導権を握っているという感じです。
20 :
神も仏も名無しさん:2011/10/11(火) 00:18:42.10 ID:0//i72+X
473
そういった状況に対し、差し当たりどのような対処をとられているのですか?
21 :
神も仏も名無しさん:2011/10/11(火) 20:42:30.47 ID:/vpqm+Bg
唯物論も唯識論にも捉われず、
彼岸も此岸も捨て、
肉体を得たことのありがたみをを悟らなければ、
一定のサイクルを終えることは出来ない、と聞いたことがある。
千葉ニートみたいなものだ
23 :
U^ェ^U ワン!:2011/10/12(水) 00:48:37.17 ID:IMmCivdi
24 :
神も仏も名無しさん:2011/10/12(水) 00:49:23.58 ID:HOnW0Cy0
苦しい・・・・・・・・・・
25 :
神も仏も名無しさん:2011/10/12(水) 00:57:41.07 ID:zfKW7/xt
悟りを開くも善し、開かぬも善し。
26 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/12(水) 07:06:07.69 ID:6RhmBXxt
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1288429092/ の 989
> しかし、肝心なのは、その瞑想的な状態その自由のような感じの前提としてある、我々の無意識の活動であり、
> また主体客体の2元性が作り出す不可避の悲喜劇の克服なのです。
> この次元にいる人もいる人で状態にかまうより他に見出すべきことが残っているように思います。
もちろん、状態に囚われる必要はないと思います。
あくまで、それは、自分の中にある恐怖と対面するための道具なのですから。
27 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/12(水) 07:07:38.94 ID:6RhmBXxt
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1288429092/ の 989
> ≫このような状態はなんと呼ぶのがふさわしいでしょうか?
> 瞑想体験であり、また体験は幻想であるからこだわらないようにと説きます。
> 日々気づきと意識を研ぎ澄まし起こったことはこだわらないようにと説きます。
これはよく分かります。
(瞑想と瞑想体験との違いは分かりませんが。)
瞑想体験とは、瞑想によって得られる特典のことをおっしゃっているのでしょうか?
> そして状態や体験を超えた記憶も表現もできない出来事の中心が起き、物事の認識や瞑想への在り方が全く変わったとき、
> それを瞑想するではなく瞑想が起きたといいますし、また瞑想するという言葉以上光明以下という文脈で覚醒という言葉も使います。
くどいようですが(苦笑)、これは、自ら確認されたことでしょうか?
28 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/12(水) 07:26:53.60 ID:6RhmBXxt
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1288429092/ の 989
> 悟ったという言葉は自分が仏陀やoshoと同格と宣言しているようなものであり言葉の用法として乱> 暴だし、どうにも謙虚さというか怖いもの知らずだ。
> 文体も語る内容も明らかに彼らよりスケールが小さい。
> とりあえず和尚グルジェフクリシュナムルティや他の宗教の文献をあさって、彼らには及ばない自> 分の位置を正確に言葉で表すにはどうすればいいか
> 研究しとくのが普通。
> そしてそうすることで自分の現在の位置も解り、旅を続けられる。
> もうここが終点だと思いたいかもしれないけれど。(でなければ悟ったとか言うかな)
私が、悟りという言葉を使った経緯は、不勉強もありますが、
もうひとつには、これ以上のものを望んでいないということがあります。
29 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/12(水) 07:28:16.09 ID:6RhmBXxt
>>28の続き
もちろん、根源的な恐怖は大きな壁として立ちはだかっていますが、
これは、あまりにも大きすぎて手に負えない。
まったく何とかできる気がしない。
そんな感じ。
30 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/12(水) 07:49:50.41 ID:6RhmBXxt
>>29の続き
とはいえ、避けて通るわけにもいかないので、まあボチボチ気長にといった感じです。
その先に究極はあるのかもしれませんが、今の私には、認識外であり、意味不明です。
その意味では、究極と言う言葉を使うなら、今、ここが究極なのです。
今、ここを離れて、私はどこにも行きません。
私は、今、ここで、私の出来ることをする、ただそれだけ。
だいたいそもそも私には悟りに関しては究極という概念がありません。(でした。)
完成も未完成もなく、悟りは悟り、まあこんなもんだろうくらいの認識です。
31 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/12(水) 07:50:58.20 ID:6RhmBXxt
>>30の続き
過去の覚者と直接会ったことがないので分かりませんが、強烈に頭のいい人なら、あれくらいのことは語れます。
あるいは、こうも言えます。
「世界には、私の知らない頭のいい人がまだまだたくさんいる。」
473さんも
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1288429092/ の 526 でおっしゃってるように、
釈迦がペテン師でないという保証はどこにもないわけです。
本当か嘘か分からないのです。
ですから、私は彼らが話す内容については、自ら確認するまでは保留するしかありません。
もちろん、彼らの書物を読むと圧倒されます。
でもやっぱりそれはそれなんですよね。
32 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/12(水) 07:52:22.70 ID:6RhmBXxt
>>2 > どんな修行で悟りを開いたですか?
自分の思考や感情やそれらが創り出すこの世界を観ることで悟り(究極ではない)を開きました。
観ることは、調べること、見破ることでもあるみたいです。
33 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/12(水) 08:11:52.17 ID:6RhmBXxt
34 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/12(水) 08:12:59.29 ID:6RhmBXxt
>>8 いえ、豆腐と納豆と野菜諸々でした。
あと、ポテチとビールも。
35 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/12(水) 08:14:04.50 ID:6RhmBXxt
>>11 お役に立てるかどうか分かりませんが・・・。(苦笑)
36 :
神も仏も名無しさん:2011/10/12(水) 11:26:57.35 ID:iWZGYkiy
>>29 根源的な恐怖って何?
世界が実在せず、自分が有るのか無いのか分からない状態で
恐怖そのものや恐怖を抱く対象、恐怖を感じる存在
どれも無いんじゃないの?
>>29 根源的な恐怖を一体誰が感じてるの?
恐怖の原因となる、対象と主体の関係はあなたの中でどうなっているの?
38 :
神も仏も名無しさん:2011/10/12(水) 12:48:44.48 ID:zfKW7/xt
悟りを開いた人を特別神聖視する必要は無いけど
ネットで覚者の話聞けるのは美味しいよ(^O^)
多分悟りを開いた人の99%は悟りを開いたと言わない
理由は
1.本人が悟りを開いたことに気づいてない
2.話す必要性を感じない
3.どうせ話しても理解されないから黙ってる
4.悟りがあまりに簡単なので世間の人達の幻想ゲームは個人的趣向と達観して邪魔しない
5.悟りについて話すと人が寄って来て煩わしい (中には嫉妬して論戦を挑む人もいる)
6.そもそも悟りは思考レベルの現象じゃ無いから議論するだけ無駄
7.人は時期がくればハシが転がっただけでも勝手に悟る
8.こっそり悟りの境地を味わうのが楽しい
と言ったところだろう
OSHOも覚者は稀だが教師になる覚者はさらに稀だと言ってたしね
39 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/12(水) 13:14:49.78 ID:hCyJfYLR
≫瞑想と瞑想体験
主体と客体があり体験があるならそれはすべて無意識のなす主観的幻想です。
体験が瞑想的なものでも日常的なものでも幻想であることに変わりはありません。
でも瞑想的幻想は瞑想に至るまでに避けられるものではないので瞑想的幻想と一応区別してはいます。
≫くどいようですが(苦笑)、これは、自ら確認されたことでしょうか?
もちろん。そうでなければ瞑想において主観的な幻想を見るごく一般の人と何の変わりもありません。
あなたもこれを理解していれば、私の到達の有無や、もしくは真理の理解の道のりのうちに、私の言っていることは
客観的真理の行程では起きえないものでありこれはわたしの主観的な幻想にすぎないと看過できるでしょう。
あなたも明らかな主観的な瞑想の幻影に酔っている人はそうと判別できるでしょう?
またそれに惑わされない人間はそのように話します。(段階もあり完成されるまでたびたび迷いで主観的幻想を話すこともあるでしょう)
40 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/12(水) 13:18:31.06 ID:hCyJfYLR
≫私が、悟りという言葉を使った経緯は、不勉強もありますが、
もうひとつには、これ以上のものを望んでいないということがあります。
しかし悟りという究極を示す言葉を使い、悟ったとここでいうのはそして今まで思ってきたのは、
自分の体験自分の認識への執着を示しているのではないでしょうか。
≫過去の覚者と直接会ったことがないので分かりませんが、強烈に頭のいい人なら、あれくらいのことは語れます。
自分の瞑想が進んでゆき、意識が成長してゆかなければ見えないことを彼らは先取りして書いてあります。
自分が成長してから読むと読み飛ばしてあったそれが真実であったと気づきます。
多分それはこれからも続くのだと思います。多分ね。
覚者の言葉はその組み合わせによる言葉と言葉の打消しあいであったり、論理的な思考や我々の親しんでいる自我の発想からでは
出でようのない響きがあります。その響きはその方の特有のサインであり余人がまねできるものではありません。
どんなに頭のいい人がまねしても、まず何か所かぼろが出ます。成長してゆけば頭のいい人のものまねは看過できるようになります。
≫保留
私が知っていると言えるのは何かが幻であったということだけです。
今私の体験、私が大事にしているものごと、自分の体感覚との同化、これらも覚者の言明と同じく嘘ではないと証明されたものではありません。
私は自己の悟り?を悟りと名前を付けてそれを信じたりはしません。
他人を信じることも自分を信じることも性質としてそう違いはないのではないですか。
41 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/12(水) 15:00:36.74 ID:hCyJfYLR
もちろん。
とはもちろんそうでなければ見えない無意識な囚われの指摘であったり、
また言葉と定義を柔軟に扱うことであったりします。
瞑想的な体験をもたらすその中心である無条件の覚醒というものは別にそう言ったものがあるわけではないのです。
ただ、主観的な幻想を幻想だと理解すればそこには幻想がないのであり、
また言い換えれば幻想を幻想だと見抜く光ともいえるのかもしれませんがでもやはりそういったものがあるわけではないのです。
あるものではないのでその存在を直接的に表現することは一つの冗談であるか、勘違いした自我の表明であるかです。
故に幻想を幻想だと看過してゆく働きの中にその存在を間接的に示唆してゆくほかありません。
しかし実体に対する幻想、実体に対する悟りという2元性こそが幻想です。
何かを幻想だという主体があるならばその主体こそ何かの観念に執着し何か物質的世俗的なものを否定しているにすぎず、
その主体も含めて幻想であるという観念も含めて幻想なのでしょう。
42 :
U^ェ^U ワン!:2011/10/12(水) 18:46:23.34 ID:RKi3gGii
43 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/13(木) 08:02:52.94 ID:Sx2zchP8
>>13 > 全てが統一といったのは、私の場合、内側にも外側にも矛盾が
> なく、一切が完璧で完全でなにも葛藤がない状態になったから
> です。全てが止揚された状態です。
よく分かります。
44 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/13(木) 08:04:32.34 ID:Sx2zchP8
>>13 > 日常的に行ったり戻ったりするときは、どうされてますか?
> 息を整えて、悟りの状態を思い描けば行けるものですか?
> 自転車に乗るみたいにあんまり意識せずに行けるものですか?
ただひたすらに自分の思考に気づく、観る、ということがすべてです。
そして、そのためには敏感さが必要です。
思考のちょっとした動きにも気づくように敏感でなければならないのです。
思考は鈍重なので、思考に引っ張られているときは、敏感でないことがよく分かります。
それは見方を変えると、今この瞬間を生きる、ということにもなります。
それは、断言や結論を持たずにそこに飛び込むことでもあります。
「これは何だろう?」というような姿勢です。
まさに、飛び込むといった表現がいいです。
飛び込むときに一瞬の恐怖を伴うことがありますので。
45 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/13(木) 08:39:06.61 ID:Sx2zchP8
>>44の続き
別の言い方をすると、結果に生きるのではなく、プロセスに生きる、と言ったところでしょうか。
あるいは、どんなことでも、何も期待せずに行為する、とも言えます。
掃除をするとき、掃除機を用意するその行為にすべてをそそぎこみます。
私はこのために生まれてきた、くらいの勢いで。(笑)
時には、掃除がなかなか始まらないことすらあります。(苦笑)
部屋をキレイにするという結果は望まず期待せず、ひたすら目の前の行為に全身全霊を注ぎ込みます。
(結果的にはとてもキレイになりますが。)
それによって、何かが起こることも期待せずに、です。
またこれが重要なのですが、このことのためにそれをやらないことです。
やってもいいのですが、それだと、「よし始めるぞ」「よし終わり」「今日はよくやれた」みたいになってしまいがちです。
始まりも終わりもなく、あくまで、日常の途中の行為を丁寧にやる、ということです。
ポテチの袋を開ける、その行為に神が宿る、くらいの姿勢です。
いつも、新しく行為するのです。
46 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/13(木) 08:41:00.24 ID:Sx2zchP8
自分をコントロールしてる自分が消えた状態ではなく、自分が止まってる状態、
自分をコントロールできるようになった段階だね
悟りの一段階目か二段階目だと思うよ
空を知ったら、空を知ったという自分を持ってるから、空を知った自分も空になるといいよ
48 :
神も仏も名無しさん:2011/10/13(木) 10:41:51.29 ID:77wqOGZR
>>45 悟ると自分で「○○をしよう」と思っただけで
自動的に全てが実行されていきませんか?
まあ、実際に行動してるのは自分なんですが・・・・
これって俺だけなのかな・・・・
49 :
神も仏も名無しさん:2011/10/13(木) 10:46:22.36 ID:77wqOGZR
>>47 悟りって何段階もあるんですか?
よかったら悟りの段階ごとの特徴を教えてもらえませんか?
最終的な悟りはひとつなんだろうし、悟りはひとつという言い方もあるけど、
それまでの特長を分ける言い方もいろいろあるみたいね。
それは宗派なり原典の解釈なりでけっこう違うけど、原始仏教の見方だとこことか見たらい
いんじゃないかなあ。
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html でも、その人にあらわれる状態もいろいろあるし、そもそも仏陀の悟りやキリストの悟りなど
分けてる見方もあるし、悟りや悟りの段階の定説と、自分の状態を比べて、判断するのがい
いんじゃないかなあ。
まあ悟れば悟りなんて気にしなくなるし、悟りはないって思うかもれないけど。
でも、悟ってるかどうかでいえば、それもまだ悟ってないのかもしれないしね。
他人があまりどうこう言うことでもないし、大切なのは自分がどうかじゃないかな。
自分が本当にそれでよければ、悟ってようが悟ってなかろうが段階だろうが間違っていよう
が、なんであろうがそれでいいんじゃない?
それがその人の今に見合った状態なんだろうし。
個人的には悟りはひとつでも様々な側面があると思うよ。
48の言うこともわかるよ。
自分は自分が動かさなくても自分で自然に勝手に動くし、全ては行われていくからね。
無念無想の状態って頭の中が真っ白になり、気が遠くなって何も考えられなくなる状態なんでしょうか?
それって気絶と同じ状態?座禅とか保っていられるのかなあ?
あと禅定って自己催眠や自律訓練法などと根は同じですか?
>>48 なんだろう?表層意識と無意識(副交感系?)の垣根がなくなった状態?
52 :
神も仏も名無しさん:2011/10/13(木) 12:57:51.97 ID:77wqOGZR
>>51 >無念無想の状態って頭の中が真っ白になり、
>気が遠くなって何も考えられなくなる状態なんでしょうか?
意識はしっかりあるけど、頭の中で声(雑念?)や思考が起こらなくなる感じ。
ただ静寂だけが残る、でも静寂だとは感じていない。
>なんだろう?表層意識と無意識(副交感系?)の垣根がなくなった状態?
正直、良く分からない。
>>52 なるほど。気絶やノンレム睡眠とは違うものなのですね。
脳波測定とかするとどこの部位も働いていないことになるのかな?
でも意識はちゃんとあるんだよなあ。
どうやってその状態から元に戻るの?
54 :
神も仏も名無しさん:2011/10/13(木) 13:25:50.39 ID:77wqOGZR
>>53 >どうやってその状態から元に戻るの?
元に戻ってない。ずっとそのまんま。
でも、不便な感じや困ったことは今のところ無い。
え?今は考えたりしてるよね?オンオフ自由ってこと?
思考は無いがそれを観察している自分はいる・・・不思議だな・・・
やはりこういうのは「その状態になってみないとわからない」のかな?
自転車に乗れない人が乗れる人の感覚がわからないのと一緒かな。
(例えがあまりにレベル低くてすみません。)
56 :
神も仏も名無しさん:2011/10/13(木) 14:46:34.58 ID:77wqOGZR
>>55 考えなきゃいけない事がないから基本考えてないし
もし考える場合でも言葉じゃ考えてない。
「もし○○なら、どうする?とか、どうなる?」
って考える場合でも、思えば答えが出てくる(ひらめく?)感じ。
だから自分の意識してないどこかで考えてるのかも?
だから、最初この感覚に慣れなくって「頭バカになってる」って思ったけど
慣れると割りと大丈夫みたい。
>>56 言語を経由しなくても考えられるって何かすごいな。
それじゃ最後に、どんなトレーニングをすればそうなれるの?
58 :
神も仏も名無しさん:2011/10/13(木) 15:06:26.24 ID:77wqOGZR
>>57 >それじゃ最後に、どんなトレーニングをすればそうなれるの?
それは俺が聞きたいくらい。
どうしてこうなったのか、さっぱり分からない。
1年くらい前から徐々に変化が始まって、今も変化が続いている。
方法が解れば、amaさんみたいにみんなに伝えられるのにね。
>>58 特別な事やきっかけも無し?
前世からの功徳の貯金?があったのかなあw
いろいろ参考になりました。ありがとう。
60 :
神も仏も名無しさん:2011/10/13(木) 15:23:36.65 ID:UA6jHXwv
悟りの人間のいう輪廻って、通常言われている輪廻と違うようだね
通常の輪廻は自我の輪廻だけど、悟りのは、全てが瞬間瞬間生まれ変わり続けているという意味での輪廻?
だから、木の皮が常に新しく生まれ変わり続けてるというのと同じだね
木(世界の全て)が常に生まれ変わり続けてる
だから前世といっても、一つの私(木、世界の全て)のうち、何年か前に剥がれ落ちた木の皮(私の一部)
それのことを前世なんていってたりしてるみたいな気がする
自我といえば自我なんだけど、全部自我なら自我ないし、全然自我の話になってないところが面白い
61 :
神も仏も名無しさん:2011/10/13(木) 15:24:34.98 ID:wh1/v444
悟りを開いたことあるけどまた閉じちゃったので2chにいるの?
>>1
62 :
神も仏も名無しさん:2011/10/13(木) 15:25:54.88 ID:77wqOGZR
>>59 自分でも良く分からない事が多くって・・・・
あんまり役に立てなくてゴメンネ。
>>62 いやいや。参考になりました。もっと進むといろいろわかるかもね。
64 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/13(木) 16:36:16.64 ID:nkV9z2b8
考えすぎてしまう人もいれば、感情で衝動的に行動する人もいれば、習慣などの影響を受けて考えられないで行動してしまう人もいる。
それぞれの偏りがありそれぞれの道があります。
大抵自分にできないことができる人は自分にとって当然のようにできることができなかったりします。
ものすごい人間がいるように思っても、案外それは自分が囚われていることにとらわれていないけど、
自分が囚われていないことにとらわれているだけだったりすることが殆どですので、他者は自分を目覚めさせる刺激として
大切なものですが、目指そうとしたり参考にしようとすれば一層の混乱を招くだけだけでしょう。
65 :
神も仏も名無しさん:2011/10/13(木) 18:08:06.68 ID:UA6jHXwv
>>1 原発事故に対してどう思いますか
またご本人はどのように対処されましたか
66 :
U^ェ^U ワン!:2011/10/13(木) 18:18:29.69 ID:ky8a7a1E
67 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/13(木) 19:01:51.47 ID:nkV9z2b8
> 全てが統一といったのは、私の場合、内側にも外側にも矛盾が
> なく、一切が完璧で完全でなにも葛藤がない状態になったから
> です。全てが止揚された状態です。
>よく分かります。
どんな存在の人が、どんな概念について語ったのかが大切なことであり、言葉を言葉のまま受け取ってはいけません。
言葉を言葉のまま受け取ってしまい、どんな人がどんなことについて述べているのかというその実体をとらえられず、字義だけを追ってしまうと、
真の教師と偽の教師を見極めることも困難ですし、頭のいい人ならブッダ達のように語れるとも思ってしまうかもしれません。
この方は前スレッドからいましたが、その語り方から、依存色が強く他者の言葉を真に受ける性質の人であることがうかがえます。
(わざとそういう演技でもしていたら別ですが)
彼は思考や他者の言葉という相対性の次元で、矛盾や葛藤に相対する一切葛藤のない次元というものを夢見ただけにすぎません。
それは夢見であり抑圧にすぎません。
それは別にいいのですが、そういった人のそういった言明をまともに取り合うのは彼の夢を強め、彼の迷いを深めることであり、
無視するより数段ひどいことであるといえます。
68 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/13(木) 19:06:30.66 ID:nkV9z2b8
止揚とは混雑に対する相対的な概念ではなく、概念から離れた絶対的なものです。
こういった絶対的なことは
相対性を離れられない言葉で直接的に表現するのではなく、
言葉の響きであったり、それを見出した人しか見えないことについて語ったり
なんにせよ婉曲にに表現すること、いや表現されてしまうことなのです。
69 :
神も仏も名無しさん:2011/10/13(木) 21:30:18.91 ID:zI1kX7j/
70 :
473:2011/10/13(木) 21:42:32.76 ID:nkV9z2b8
トリップは今回無し
>>57さん
それは直感であったり、時には愛であったり、また時にはただの短慮であるかもしれません。
基本的にはすばらしいことでそれは日々の留意からおきてくることでしょう。
もしそれに方法があればそれは思考であり、思考は思考と葛藤しても思考を統括することはできません。
どうやってということがあったらあなたは転落してしまうでしょう。
人に話すことでよい影響があるとすればそれはその人を客観的につかんで、その人と心理を妨げているものに気づかせるような
はたらきかけをすることです。
あなた個人の体験を伝えることに意味はありません。なぜならみなまったく別の夢を見ており、まったく別の体験を悟りに向けてして行くからです。
悟りを開いたという「宣言」ならできますが、それは説明とは違いますし認証を求めていません。
幻想は他の助けが無ければ保てません。
もし自分の悟りを説明したいわかってもらいたいと思えばそれは他の助けを借りてしか存続できない自我の夢です。
71 :
473:2011/10/13(木) 21:48:16.55 ID:nkV9z2b8
だから自他の迷いについて話せばいいのです。
そのとき他人のことはわからないし、自分のこともわからないと気づくのです。
悟りにかまけて、他人のことが客観的にわからないし、自分自身のことも同じようにわかっていないという事実を忘れてしまいがちなのです。
(自分のことが客観的に解るにつれ他者も客観しできて行きます)
(古いパソコンなのでいろいろ問題があって変換もできず失礼しました)
72 :
神も仏も名無しさん:2011/10/13(木) 22:10:48.36 ID:5UNP4kzP
神は罪を許すだろう
信仰は人を許すだろう
だが人は許しはしないだろう
何故なら人の在り方はすべてにおいて物理現象だから
73 :
ゲッパリラ王:2011/10/13(木) 22:20:49.62 ID:NAgkrnna
海と島の話をしよう
幸せの海を渡り、不幸せの島にたどり着いた人は言った
「ここは極楽だ」
不幸せの海を渡り、幸せの島にたどり着いた人は言った
「ここは地獄だ」
前スレから、縁がありました
>>13です。
>>43-45 私は悟りを一度得てから、ついぞこれといった人に会ったことがないのです。
しかし、いま会いました。
あなたの行いはあなたの言葉より重要です。
あなたの言葉を通して、私はあなたの行いを観るでしょう。
あなたの行いを通して、私はあなたを観るでしょう。
そして、あなたを通して、私は再び悟りの家に帰るでしょう。
どうか私の心の師となり、私に師と呼ばせてください。最大の感謝を込めて。
75 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 01:24:20.39 ID:dLZnmgFE
なるほどこれが師が残っちゃった例か
ほどくの大変そうだわ
76 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 01:27:46.25 ID:mQ7euL1L
77 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 01:53:39.80 ID:W6wFHLz4
思うに1さんの悟りって
悟りの過程に置いて起こるちょっとした気付きみたいなもので
どうも悟り切った訳ではないようにも思うんだよね
例えば釈迦は悟り体験に置いて自己が解体して
素粒子そのものに分解されている己自身を知覚するみたいなレベルだったようだけど
(釈迦はこの世で最小の物質は波のように振動していると現代の量子理論みたいなことを言っている。彼はしかも体感レベルでそれを知覚しているのである)
実際、そこまで悟り切ったと言えますか?
この世の一切が解体されてアブクのようになった宇宙を知覚するような域まで到達したでしょうか?
78 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 02:08:50.49 ID:g+ZsKeli
あのー、宇宙の大局構造は実際アブクなんですけどー。
悟った状態と悟ってない状態を分けてるから、まだ悟ってないでしょ。
もちろん言葉上便宜的に分けるのはいいけど、そういう感じでもないし。
悟りと悟りでない状態を心で分けてたら、
それは自我がちょっと落ちてその分智慧がちょっと出てきただけだろうねえ。
悟り開いたら近いうちに死ぬよ
81 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/14(金) 06:42:21.47 ID:UABawfn/
>>26 自由を感じるということは、自由ではないということですね。
自由も不自由も無い世界においてのみ、真の自由があるのでしょう。
82 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/14(金) 06:45:14.00 ID:UABawfn/
>>36 >>37 私がいないときは、もちろん恐怖もありませんが、いつもそこにいるわけではなく、
まあ、簡単に申し上げると、行ったり来たりしているということです。
うっかりしていると足元をすくわれます。
そっと忍び寄ってきていつの間にか主人になっています。
83 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/14(金) 06:47:54.22 ID:UABawfn/
>>40 > しかし悟りという究極を示す言葉を使い、悟ったとここでいうのはそして今まで思ってきたのは、
> 自分の体験自分の認識への執着を示しているのではないでしょうか。
というよりも、悟りが究極だと思っている人と話してみたいというのはありました。
84 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/14(金) 07:05:24.09 ID:UABawfn/
>>40 > ≫過去の覚者と直接会ったことがないので分かりませんが、強烈に頭のいい人なら、あれくらいのことは語れます。
> 自分の瞑想が進んでゆき、意識が成長してゆかなければ見えないことを彼らは先取りして書いてあります。
> 自分が成長してから読むと読み飛ばしてあったそれが真実であったと気づきます。
それは、ありますね。
85 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/14(金) 07:08:39.66 ID:UABawfn/
>>40 > 私が知っていると言えるのは何かが幻であったということだけです。
> 今私の体験、私が大事にしているものごと、自分の体感覚との同化、これらも覚者の言明と同じく> 嘘ではないと証明されたものではありません。
> 私は自己の悟り?を悟りと名前を付けてそれを信じたりはしません。
> 他人を信じることも自分を信じることも性質としてそう違いはないのではないですか。
なるほどまったくです。
86 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/14(金) 07:10:16.89 ID:UABawfn/
>>41 > 瞑想的な体験をもたらすその中心である無条件の覚醒というものは別にそう言ったものがあるわけ> ではないのです。
> ただ、主観的な幻想を幻想だと理解すればそこには幻想がないのであり、
> また言い換えれば幻想を幻想だと見抜く光ともいえるのかもしれませんがでもやはりそういったも> のがあるわけではないのです。
なるほど!
ようやく理解してきました。
要は、瞑想は体験であると見抜くことが本当の瞑想だということですね。
別の言い方をするなら、観ている存在を観て、さらにそれも観る、のような感じでしょうか・・・。
自分がいないという認識がある限り、それは、どこまでも体験であり、
その認識主体の正体を見破ることこそ瞑想といえるのかもしれません。
87 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/14(金) 07:41:22.43 ID:UABawfn/
>>41 > 何かを幻想だという主体があるならばその主体こそ何かの観念に執着し何か物質的世俗的なものを> 否定しているにすぎず、
> その主体も含めて幻想であるという観念も含めて幻想なのでしょう。
なるほど、とても瞑想的ですね。
88 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/14(金) 07:44:10.58 ID:UABawfn/
>>47 > 空を知ったら、空を知ったという自分を持ってるから、空を知った自分も空になるといいよ
なるほど、まったくですね。
89 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/14(金) 07:44:56.16 ID:UABawfn/
>>48 これは悟りとは関係なく、よくあることではないですか?
90 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/14(金) 07:57:08.04 ID:UABawfn/
>>61 2chが幻想であることを見破るためにやってきました。
過去最大の難関です。
91 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/14(金) 08:07:12.73 ID:azxCALCW
>>47 空を知ったら空を知ったという自分を持ってるから、空を知った自分も空になるといいよ
何で?何でそうしなければいけないのでしょうか。それに何の意味があるのですか?
どこかで聞いた言葉を喋っているだけに聞こえます。
空を知るということとは何か。それに付随する喜びとそれによって明らかになる苦しみがあり
そして一切からの解放があるということを語っていただかなければ何も明らかになりません。
≫これは悟りとは関係なく、よくあることではないですか?
ある人にはよくあり、ある人にはめったにないのだと思います。
神への愛、仕事への愛に満ち、いつも幸せそうに人一倍生き生きと動いている人がいました。
そういう人には良くありそうです。
しかし、瞑想に誘ったら、ものすごく眠そうで気の毒なぐらいでした。
これは一例ですが、人間何かに秀でていて何かは苦手なものです。
92 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/14(金) 08:07:29.48 ID:UABawfn/
>>65 > 原発事故に対してどう思いますか
> またご本人はどのように対処されましたか
人が自らの欲望(快楽の追求)によって自らを傷つける分かりやすい例だと思います。
できることとできないことを知るという単純なことがとても大切なのだと再認識しました。
私が出来たことは現場に励ましの手紙を送ることくらいでした。
あの現場の大変さは痛いくらいよく分かります。
93 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 09:03:00.41 ID:Jz8eSUg4
>>89 >これは悟りとは関係なく、よくあることではないですか?
よくある事だと思うけど、amaさんは
>掃除をするとき、掃除機を用意するその行為にすべてをそそぎこみます。
>私はこのために生まれてきた、くらいの勢いで。(笑)
>時には、掃除がなかなか始まらないことすらあります。(苦笑)
>部屋をキレイにするという結果は望まず期待せず、ひたすら目の前の行為に全身全霊を注ぎ込みます。
>(結果的にはとてもキレイになりますが。)
>それによって、何かが起こることも期待せずに、です。
って書いてたからね。
ここまで意識して行動しなくても自動的に全てが起こるんじゃないかって思ったの?
94 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 09:05:22.74 ID:Jz8eSUg4
>>93 ちょっと間違えた。
誤)ここまで意識して行動しなくても自動的に全てが起こるんじゃないかって思ったの?
正)ここまで意識して行動しなくても自動的に全てが起こるんじゃないかって思ったの。
95 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 09:08:00.90 ID:JzGwBgWT
悟りを開くと働かなくてもいいでしょうか?
もし働いている場合、上司や同僚へのムカツキはどう処理していますか?
また性欲はどのように処理していますか?
96 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 09:25:59.54 ID:QmZG2+9K
78
だから、それは君が頭の中で知った知識でしょ
そうではなく釈迦は体感としてそれを体験したの
瞑想を極めるとそう言う域まである意味誰でも行けるみたいだが
1さんの体験にそう言うものはあるのだろうか
悟るまでの段階とは各人共通で上座部だと細かく規定されてる
大きくわけて四段回、細かく言うともっと有るらしいが
正式な仏教の悟りからすると、貶める訳ではなくそれはそれで凄いが
一段回目とか良くて二段回目と言う可能性もあるんじゃね
それぞれはっきりとした体感があるらしく
正式な訓練を受けてない場合、あくまで中途経過を究極と思ってしまうのではなかろうか
97 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 09:28:01.02 ID:QmZG2+9K
段回<段階
98 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 09:33:43.63 ID:QmZG2+9K
ただ、1さんの話を聞いてると上座部仏教の瞑想の影響も受けているようなので
もしかしたら道場で修行されたことがあるのかも知れないけどね
釈迦の時代には天文学も素粒子物理学もないですからね〜
映画マトリクスの主人公のように世界を構成するコードを読めてしまった?
と、現代では仮想現実という空のモデルを一般の人でも体験できる環境があったりします。
(これが逆に世界は空であることをわかりにくくしている?)
悟りの初期段階だとしても未体験の者にとっては実体験談は興味深いです。
100 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 09:40:49.52 ID:QmZG2+9K
93
普通はコンプレクスなどの支配を受けているので思ったままに行動できると言うのは稀
何だよね。勿論普段習慣的にやっている事が習慣的にできると言うことでは無くてね
やりたいと思った事が何でもいとも簡単にやれると言う境地ね
日常生活でそれがいとも簡単にできるとしたら悟りの方向に進んでいるのは確かなのではないかな
独力では困難なことも、協力すれば達せられることも多くあります。
仕事でも学業でも、一人より二人のほうが多くを成すでしょう。
悟りの道は内面の道ゆえ、犀の角の如く一人進むこともできましょう。
されど、師を通して先に進むのもまた否定されるべきではありません。
経典にも仏陀を師と仰ぎ、目的を果たした者は大勢います。
師に頼るのではなく、師は道しるべなのです。
特に重要なのは体験です。
体験からくる言葉は真実ですが、体験に基づかない言葉は空疎です。
無我を体験していないのに悟りを推測しても、それは林檎を食べたことの
ないものが林檎の味を推測するようなものです。
102 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 10:29:25.75 ID:qjDet5o3
一般化されない体験は基地外と変わらない。
基地外と変わらなくてもいいんじゃない?
>>91 そうしなければならないなんて言ってないよ。
そう思うかどうかはあなたの自由なんだから好きにすればいいんじゃないかな?
あなたでない誰かが何と言ってようと、それが真実だろうと嘘だろうと、
あなたとは何の関係もないことだよね。
一切からの開放というなら、あなたはただいまそこで解放されてればいいだけだし、
それを望むのも望まないのも、そうするのもしないのも、ただあなたの自由だよね。
明らかにするのはあなたがあなた自身を、あるいはその人がその人自身をであって、
誰かが別の誰かを明らかにすることではないだろうね。
もし明らかにしたい、明らかにされたいなら、自分でそうしたらいいんじゃないかな。
あなたの自由なんだから。
105 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 11:19:41.20 ID:Jz8eSUg4
>>102 どんな体験も体験した人にとっては一般化できない特別なモノじゃないの?
まずは無念無想の訓練から始めようと思う。
無常無我の体感はそこからかなり先にあるような気がする。
とはいえ、普段無口な私は頭の中ではかなりおしゃべりさんなので
結構むずかしい。息を止めたりまばたきをがまんするのと同じぐらい難しい。
2chで長文で議論するのが好きな人やアスペの人なんかもっと難しいんだろうな。
せめて息を吐く間だけでも止めるようになりたいと思う。
107 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/14(金) 12:43:51.27 ID:azxCALCW
>>104 論点がずれています。
何故あなたはそれをベターだと思っているのですか。
その裏付けはなんですか。
108 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/14(金) 12:48:12.15 ID:azxCALCW
≫そうしなければならないなんて言ってないよ
日々の留意からくる理解からではなく何らかの観念で語っているのなら、
それは自他に対する強制でしかありえない。
観念というものは、思考というものはそういうものです。
そうしなければならないという強制のない理念や道徳はあり得ません。
このあたりのニュアンスを理解せずただ言葉面を捉えて言ったの言ってないのしても仕方ないでしょう。
109 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/14(金) 12:57:45.20 ID:azxCALCW
≫なるほど!
ようやく理解してきました。
要は、瞑想は体験であると見抜くことが本当の瞑想だということですね。
別の言い方をするなら、観ている存在を観て、さらにそれも観る、のような感じでしょうか・・・。
自分がいないという認識がある限り、それは、どこまでも体験であり、
その認識主体の正体を見破ることこそ瞑想といえるのかもしれません。
はい。おおむね合っております。
その理解は非常に正しい理解、つまり理解するもののない原初の自由に近づいているように感じますが、
いつ理解する主体のある理解、すなわち自我の作り出す相対性の罠にはまるかもしれないのでその点だけご注意を。
観る人を観ること、これは言葉を超えたことにおける言明ですのであまり何がどうと説明できるものでもありません。
自分にも他人にもあらゆる観念にしがみつかなければ、、、、。といったものです。
何かが終点だと思わなければ道の歩みの妨げもないかと思います。
前途に祝福あれ。
>>107 ベターだなんて思ってないよ
自分がいない状態をいいことのように言ってたから、
自分がいない状態がいいってこともなくならないと、
自分がいないことにはならないんじゃないかって意味で、
空を知った自分も空になるといいよって言っただけさ
それをどう思うか判断するかしないかはその人の自由だからどうでもいいんじゃない?
風が当たったら、風を当たったと感じなさいと強制されてるっていうのかな?
観念?思考?そんなものがどこにあるのだろう?
ニュアンス?理解?言葉面?そんなものがどこにあるのだろう
あると思う人にはあるし、あると思わない人にはないかもしれないね
とりあえず、あなたにとっては、あなたがそういう風に反応してるということだけが事実じゃ
ないかな
111 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/14(金) 15:21:39.20 ID:azxCALCW
≫自分がいない状態
amaさんのいう自分がいない状態をあなたは体験しましたか?
体験していないのに言っているのだとしたら一体何について語っているのですか?
その場合ただの想定的な言葉遊び、思考以外の何物でもないでしょう。
≫それをどう思うか判断するかしないかはその人の自由
自分がどういった印象を発しているかに完全に無自覚ですね。
私が構うか構わないかはともかく、それでは人々の中で災いを引き寄せるでしょう。
≫観念?思考?そんなものがどこにあるのだろう?
ニュアンス?理解?言葉面?そんなものがどこにあるのだろう
あなた自身に向き合えばあなたが発するそれが見えてくるでしょう。
見つめればそれもなかったのだと見抜くかもしれませんが、無自覚に同化した状態からは
まずそれを認知しなければはじまりません。
>>111 わたしが体験したと言えばあなたはどう思い、
わたしが体験してないと言えばあなたはどう思うのかな?
あなたは何を判断基準にしてるのだろう?何に反応してるのだろう?
例えばわたしが悟ったと言う事と悟ってないと言う事であなたの何が変わるのだろう?
仏陀が自分は悟っていると言えば悟っていて、自分は悟ってないと言えば悟ってないのだろ
うか?
あなたは何を信じているの?何を信じたり信じなかったり判断したりしてるのだろう?
何から何によってそれらを行っているのだろう?
誰がそれらを行っているのだろう?
言葉の印象?
一体誰が印象を感じているの?
自身に向き合うという話なら、あなたはあなた自身に向き合うのもいいかもしれないね。
もちろんどうするかはあなたの自由。
113 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/14(金) 16:49:14.96 ID:azxCALCW
>>112 あなたにはそうやって決して自分自身と向きわない権利がある。
どうぞお好きなように。
114 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/14(金) 17:02:59.83 ID:azxCALCW
決して自分と向き合わない。
全く良心の呵責を感じないで全く無感覚に他者に破壊的な影響を与え続けるサイコパスという人種がいる。
サイコパスでったりそれに近い人間の心の動きを客観的につかもうとしてもそれは私にはできない。
私自身の人生の経験の蓄積であったり、瞑想体験の蓄積であったり、文学作品や覚者の言葉であったり、
つまり私は完全な自由、体の執着から離れてこの宇宙を愛によって謳歌する意識そのものではなく、
自己や他者の言葉の経験の総体の影響を受け続けているのだ。
それ故に正直それらの道徳的なもの、もしくは自分を意識しなければならない、公正でなければならない
という観念は、同じ観念同士であったら仲良く暮らせることかもしれないが、
全く違う観念と出会うと理解できないし、まあ正直殺意を感じる。
道徳なんてそんなもの。
決して自分を見つめないように生きる冷笑的なサイコパスチックな作法というものがあり、
それはそれで理解してうまく対応しなければいけない。
もしくは人生の中で周りに合わせそういったふりをしたほうがいい場面があるかもしれない。
(ふりだって難しいのは自分の自我がそれに対立する観念を多く抱えているから)
私はある種類の人間は自分の主観で分析できても、それそのものの在り方を自分の内部で再現できない。
またそれと対立してしまう。(ぶつかるとわかれば外面は合わせられる)
それは不自由だ。自分を見る理由ができたことは嬉しい。
115 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/14(金) 17:31:52.39 ID:azxCALCW
>>95 @自分自身にくつろげない自我は他者の批判や批評で自己逃避をする必要に駆られます。
誰もが互いに犠牲者を求めあっています。
そして意識がない限り私もそうなのです。
私自身がこれから解放されればもう同じものを巡って争うこともないでしょう。
自分自身にこれを見ることができれば、他者は苦しみ故に仕方なくそれをやっていることが解り、
そこには理解が生まれてくると思います。
A意識や良心からくる観念は、それ同士対立することはありません。
しかし、それが通用しない相手に傷ついたり憤慨したりします。
そしていつでも通用しない相手がいます。人だけでなく天災や事故も含めれば絶対です。
@とAは別のものです。どちらも不自由なのは同じです。
性欲
留意が途切れればあらゆる欲望のとりこにされえます。
その中で特に性欲がよかったりわるかったりはしないと思います。
116 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 20:53:19.82 ID:0ZhRPHPM
働くで思い出したけど、前スレの仕事に関しての質問に対する回答に納得できてない
生活するにはある程度の金が要る
金を稼ぐには、当たり前だが所属している会社などに最も利益が受けられるように考えなければならない
自分の会社や自分を実体として認め、それらへ自己投影することなどが求められる
例えば、会社の利益=自分の利益などのように
働く以上どこも同じような仕組みだ
自分や自社の確立を前提に、いかにそれら以外を犠牲にして自己利益を上げられるか
そういった諸々の自己利潤追求が求められている
これらは今まで話されてきた悟りの内容と相反するものだ
1や473はこれらについてどう思う?
そして今現在あなた方はこういうことに関して現実にそれぞれどう対応している?
117 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 21:06:56.25 ID:0ZhRPHPM
1の回答
真の自己利益は、自由に葛藤無く生きることだ
それが必ずしも会社の方向性と違うとは限らない
職業は多くの選択肢があるから色々見て選ぶべし
自分は今、一生懸命会社の仕事をしており、会社の利益と一致している
一生懸命仕事をすることは、今を生きることであり、自分の歌を歌うことだ
会社の利潤追求には目標があるが、あっても無くても目の前に集中すれば完成度の高い仕事が出来る
かもしれないが、質問は、1の会社においてのその葛藤のなさが、
一つの私のなかで傷つけあう構造を加速させるかも知れない可能性があることに対してどう思うか、ということです
「自由に葛藤無く生き、完成度の高い仕事をしたいがどうしたらいいか」ではなく
理解して何も問題がないことが分かり、安心して、
さて、と踏み出した一歩が即、理解の内容と相反する、思考の強化と戦闘の促進などならば
その点に関してどう思われますか、ということです
葛藤がないことが分かれば、葛藤無く生きるには、とは考えないし
その人は、特に完成度の高い仕事をしたいという願望も持っていない
その場合、世間一般で言う仕事に対してはどう向き合うものなのだろうか、という質問です
118 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/14(金) 21:22:38.47 ID:azxCALCW
(人類の一員としてでなく独リアルということ)
目が覚めると様々なことが見えてきます。
自己逃避のための贅沢にあまりに多くのエネルギーが無駄にされ、あらゆる無駄なものが作られる。
人はそれに逃避し快楽を得るが、人間の意識の成長という観点からはマイナスの存在で
そういったものや食べ物をつくることと自分の利害が一致したことなどないです。
純粋に生計を立てるために仕事をすればいいかもしれません。
仏教であれば自分一人しかいない感覚で、異邦人の感覚で淡々と生計を立てるために仕事をすればよいでしょうし、
それはヴァガバットギーターでクリシュナがアルジュナに戦争の中でもひとは究極に達すると導いた道にもつながるでしょう。
もしくは淡々と自らの愛情を仕事に注げるのでしたらただ愛が道です。
いかに仕事に愛情を注げるか、家族に愛情を注げるかだけしか目に入らないような方でしたらただその導きに従えば
最終的に自分の仕事の影響や社会の産業の実態を客観的に見つつそれと葛藤しないで付き合えるという次元に到達するでしょう。
家族を捨てて農産物を作っても、その仕事をやろうと思ってた誰かを世俗の仕事に追いやって自分がその仕事をするだけの事です。
労働力は余っており、そもそも無駄なものばかり作る世の中ですから、生活保護を受ける人の方が働く人より人間社会全体には貢献しています。
生活必需品を作るための労働力が不足すればその限りではありませんが、それに必要な労働力は非常に限られています。
正直、自分の労働もしくは非労働において人間社会がどうなろうと関係の無いことです。
彼らは彼らの論理でただ破滅にひた走ります。
我々は地球とかかわりを持つべきですが、人類とまともに付き合うべきではありません。
ほっておけばよいのです。
119 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/14(金) 21:24:22.10 ID:azxCALCW
(ハート、理性、思考、常識、体、社会の現実は互いに葛藤する。
問題はまさに根本からしか解決できない。もしくは都合の悪いことは見ないで眠り続け、
安定と引き換えに真理を失うか)
生きなければいけないから、死ぬのは苦痛だから仕事をするのは仕方ない。
いかに仕事をするかが大切だ。
という前提を私も持ちがちではありました。
死ぬのは痛いというのも無条件の前提ではなく思考にすぎないのです。
これを単純に思考としてみなければ人は体への執着、飢えへの恐怖から逃れるべく何らかの目的に
逃避せざるを得ないでしょう。
体への執着があるということは、人間社会に貢献したいという理性や正義や愛という執着も同時に無意識に抱えることになります。
するとお金稼ぎと真の意味での社会的道義は必ず対立します。
対立しない人間は社会に流通している考え方に染まっておりその点無意識であるというだけの事です。
意識的であれば社会で正しいといわれるあらゆる考え方が人類にとって破壊的であることに気づかないことは不可能です。
それは物質的資源的にも精神的にも全くもってそうなのです。
120 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/14(金) 21:26:46.75 ID:azxCALCW
故に体への執着痛みへの恐怖を前提としてしまったところからの思考は社会の通念と本人の意識、良心などの執着も同時に
抱えざるを得ず必然的にそれ同士の葛藤を避けられないのです。
社会で葛藤なく生きる方法は2つしかなく、
無意識に世の中の考え方に染まるか、(自分の仕事が物質的に精神的に人間にどんな影響があるかは直視しないしできない)
覚醒して社会の通念も体への執着も意識と良心からくる事実に即した真の社会的道義すらも
まとめて捨ててしまうかしかありません。
また覚醒は捨てる思考を選べません。覚えてしまったこと見てしまったことは部分的に忘れることは不可能なのです。
部分的に忘れるためにはそれを選択するマインドが必要なのですが、マインドはマインドと対立するだけで消すことはできません。
故に無選択、無差別に全ての執着を消し去るか、全く無意識に個々の観念に同化するかどちらかしかないのです。
そして中間的段階として意識的に自己内部の矛盾を見るという悟っても光明を得ていない人間の段階があるのです。
(個人差はあるがこれは非常にしんどい。故に世俗での欲望が燃え尽きていないのに宗教に入ることはできないし、
下手に深入りすると進むことも戻ることもできなくなる。)
故に仕事や仕事と対立する良心ではなく、問題の根本である死という思考からだという思考を見守ることが始まりとして必要なのです。
121 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 21:28:15.70 ID:0ZhRPHPM
473の回答
自己逃避のためのあらゆる無駄なものをつくることと自分の利害が一致したことなどない
純粋に生計を立てるために自分一人しかいない感覚で淡々と生計を立てるために仕事をすればよい
戦争の中でもひとは究極に達する
(では極端な話、職業が、純粋に生計を立てるために淡々と殺戮を繰り返す傭兵だとしても
何も問題ないということでしょうか)
最終的に自分の仕事の影響や社会の産業の実態を客観的に見つつそれと葛藤しないで付き合えるという次元に到達する
(それは葛藤がなくなったのではなく、ただ鈍感になっただけなのではないでしょうか)
自分の労働もしくは非労働において人間社会がどうなろうと関係の無いこと
彼らは彼らの論理でただ破滅にひた走るので、我々は地球とかかわりを持つべきだが、人類とまともに付き合うべきではない
ほっておくべし(うーん・・・)
社会で葛藤なく生きる方法は2つ
@無意識に世の中の考え方に染まる(自分の仕事が物質的に精神的に人間にどんな影響があるかは直視しないしできない)
A覚醒して社会の通念も体への執着も意識と良心からくる真のの社会的道義すらもまとめて捨てる(@は1で、Aは473のスタンス?)
生命を持つものの全ての行いは根源的にはただ生きようとしているだけ
表面的にどのように見えようと、ただみな必死に生きているだけ
ならば、自分のできることは根源的にはその営みを称えるだけである
そして表面的にはそのときその状況に応じた反応を示せばいい
自分を自分だと錯覚してるので悩んでしまう
自分もまたただ生きようとしているだけ
自分という他人に対しても根源的にはその営みを称えるだけ
何をしてようと、ただ生きようとしているだけなのだから
そして表面的には自分を自分として扱えばいい
自分に与えられた状況に反応すればいい
あらゆる全ては全く同じであるということと、個別に反応する状況をごっちゃにしてしまう
根源的には、生命はどの生命においても全く同じことしかしていないということと、
個として表面的に反応していくという全く別のようなことが、
あらゆる全ての存在に同時に起こっているのだとわかるといいかもしれない
123 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 22:03:07.09 ID:mQ7euL1L
なんか難しく考え過ぎじゃない。
もっとシンプルになろうよ。
124 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/14(金) 22:10:22.40 ID:azxCALCW
理想があるということは、理想を共有する存在が周りにいてそれを共に追及していってほしいという
欲望があることを意味します。
そして私の理想と人類の動向は決して一致しないしそもそも一致する根拠がない。
「人類」、「みんなで」とは客観的な言明ではなく、
みな各々の理想各々の夢を共有し強化しあう他者を夢想しているにすぎません。
他者が、人類がいるときそれは自分の主観的な妄想なのです。
そして無意識な人々はその主観的妄想が似通っているので人類という夢を疑いもなく見続けられますが、
個性があり意識があり良心がある少数の人々はどうもしっくりこなくなってゆくでしょう。
私という主観がいなくなり、他人という夢を見なくなれば私はたった独りの存在であり、人類に何の期待も持たずただその有様を客観的に見るでしょう。
人類に何の期待もないので何の絶望もない。
そういった人は平静であり、ゆとりがあり、エネルギーに満ちています。
この人類から外れた幸福な存在が一体どうして人類に仇をなすでしょうか?
125 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/14(金) 22:11:05.48 ID:azxCALCW
≫121
戦争についてはバガバットギーターをご参照ください。
(アルジュナにはアルジュナの引くに引けない理由、彼の道があったのです)
≫122
しかし、人はどうやら生きるためだけの存在ではないらしい。
だからこそ自分の生死を意識できる。
だからこそ実利では考えられない愛があり、その退化した形でたわいもない幻想を好む。
人は生死に左右される部分は確実にありそれを意識することは素晴らしいことです。
しかし問題は人間は生死を無視するような感情的理性的傾向が大分にあるということなのです。
そしてそれは多分我々が人間存在ではなく全体的な存在であるという内在性を示しているのかもしれません。
少なくとも人間が人間のままこの矛盾を解決した例を知りません。
2頭の馬に同時に乗ることは不可能だ イエスキリスト
解決方法はない。問題のまさに根本から目覚めるしかない 和尚
シンプルに言えば、
何をしても何を選んでもみんな同じことしかしてない(できない)のだから、
みんなただ生をたのしめばいい
悩んだり悲しんだり苦しんだりたのしんだりを、そのままたのしんでやればいい
127 :
神も仏も名無しさん:2011/10/14(金) 23:07:41.60 ID:0ZhRPHPM
仕事に関してですが、まだ分かりません
根本から解決、または安定と引き換えに真理を失う
この二択だけとも言えない気がするからです
要するに、真理を失わない形での仕事や社会生活があるのか知りたいです
いずれ考えずに済むようになる、では全く納得できません
何かありませんか
在家は在家なりの真理への道があると思うのだけど・・・どうなんでしょうね。
129 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/14(金) 23:52:06.94 ID:azxCALCW
根本から解決することと、外面的な仕事の選択はまた別の事かと思います。
(ただその根本の解決に向かうような仕事の選び方という流れはあり職業選択が微妙に変わるかもしれません。)
人類の一員であるという幻想が真理から外れているので「何か」については無いというしかないところです。
別に仕事をやめるわけではないし、仕事をしながら他者や仕事の存在を抑圧して消し去ってしまうということでもないのです。
私が仕事も人類もないと思ったとしたらそういう夢を見ていたら、あると思っている人の中でドキドキですが、
ただあると思いがないだけなら特に問題はありません。
周りもそんなに変だと思わないか全く気付かないような完全な演技が可能でしょう。
というより真に受けていないならやることなすこと演技以外の何物にもならないかもしれません。
月並みですが、今の日常での日々の留意。そして何か転機がありそれへの準備ができているならそれに飛び乗る。
それだけのことだと思います。
130 :
神も仏も名無しさん:2011/10/15(土) 00:12:23.67 ID:0Ul+1Dtk
フジテレビデモ花王デモ要チェック
131 :
U^ェ^U ワン!:2011/10/15(土) 02:01:08.75 ID:TEZkNLSP
132 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/15(土) 06:35:32.52 ID:iifHCpTU
>>74 お答えできることにはお答えしますが、それはそれとして受け止めてください。
つまり、丸呑みするのではなく、実際に本当のところはどうなのか、ご自分で確認されることをお勧めします。
すると、私が、間違っていたら、あなたには分かるのです。
あなたの師はあなた自身であることにあなたが気づくなら、私も少しは役に立つのかもしれません。
133 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/15(土) 06:41:48.16 ID:iifHCpTU
>>77 > 実際、そこまで悟り切ったと言えますか?
> この世の一切が解体されてアブクのようになった宇宙を知覚するような域まで到達したでしょうか?
私のは悟り体験であり、瞑想体験です。
アブクのようになった宇宙を知覚したことはありませんが、それが幻想であることは分かります。
134 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/15(土) 06:51:09.96 ID:iifHCpTU
>>93 > ここまで意識して行動しなくても自動的に全てが起こるんじゃないかって思ったの。
もちろん、体は意識しなくても自動的に動いてくれますが、それをあえて意識的にやってみましょう、というお話です。
眠りながらやるのではなく、目を覚ましてやってみましょう、ということです。
135 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/15(土) 07:12:09.77 ID:iifHCpTU
>>95 > 悟りを開くと働かなくてもいいでしょうか?
生きるためには、食べる必要があり、食べるためには、自給自足するか、お金が必要です。
(食べないで生きている人もいますが・・・)
が、悟ったらどうなるかは、それが私たちの知らないものである限り、悟ってみないと分からないでしょう。
> もし働いている場合、上司や同僚へのムカツキはどう処理していますか?
好機を得たと考えます。
自分の中の恐怖と向き合えるいい機会です。
ひとりでじっとしていると出てこないものが出てきます。
どう行動するかはあまり重要ではありません。
手を止めて考えるのをやめて、じっと見つめます。
これはいったいなんなのだろう?
そんな姿勢で観ます。
その感情を感じ、その根となる思考を見つけます。
思いもよらなかったものが見つかったりします。
> また性欲はどのように処理していますか?
基本的にどの欲求も同じで、行為するだけです。
ただ、性欲だけは、自分の価値判断に気づく良い機会だったりします。
136 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/15(土) 08:33:40.56 ID:iifHCpTU
>>117 > 葛藤がないことが分かれば、葛藤無く生きるには、とは考えないし
> その人は、特に完成度の高い仕事をしたいという願望も持っていない
> その場合、世間一般で言う仕事に対してはどう向き合うものなのだろうか、という質問です
私の申し上げる、完成度の高い仕事とは、あくまで、今を生きることで起こった結果です。
完成度を高めることを目的としていません。
完成度が低くてもいいのです。
完成度を問題にしていません。
なぜ、今を生きるかは、どこまでも自分のためです。
私は、経営者ではありませんので、会社がどこに行くのかに興味がありません。
自分のため(幻想世界/自我を見破るため)に会社を利用しているだけです。
もう少し具体的な状況を言っていただけると、私ならこうするこう考える、のようなお答えが出来るかもしれません。
具体的な状況の違いで、私ならこうするこう考えるが違ってくるの?
食事の時、ごはんと箸とフォークとスプーンが目の前に並んでいたとして
悟った人なら必ず箸を使うわけではあるまい
139 :
神も仏も名無しさん:2011/10/15(土) 10:15:37.10 ID:8vk/u5NE
1さんは体験したことが無いのに幻想だと決めつけている
それこそが幻想であり、正確には私には分かりませんというべきだよ
嘘を言う人が悟っているとは思えないな
私ならこうするこう考えるみたいな答えを、他者に伝えてどうするのかな
私ならこうするこう考えるみたいな答えなんてものが、果たして必要かどうかの方が問題じゃなかろうか
142 :
神も仏も名無しさん:2011/10/15(土) 15:37:15.65 ID:6KEDRE97
>>138 悟った釈迦はインドの人だから、
食べるときは素手だよね。
143 :
神も仏も名無しさん:2011/10/15(土) 15:43:26.36 ID:6KEDRE97
>>134 >もちろん、体は意識しなくても自動的に動いてくれますが、それをあえて意識的にやってみましょう、というお話です。
>眠りながらやるのではなく、目を覚ましてやってみましょう、ということです。
それって自我の働きだよね。
144 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/15(土) 15:46:02.71 ID:AGUrChcg
>>139 全てがそうというわけではないですが、単純に世界が幻影だと看過することと、
「この悟りが真実だから他は幻影であるという2元性の決めつけ、抑圧」は全く別の事です。
そういう2元性がある場合はその悟りこそ元の世界の幻影の上に重ねられた
2重の幻影というものであり、それはむしろ悪化してしまってると言えます。
が、多かれ少なかれ瞑想においてこれは避けられません。
>>140 現状を詳しく話していただければ、
あなたの囚われを看過し、あなたの中の真実を見出す助けができるかもしれません
というのならそれは助けですが、
誰かほかの人の答えなど役に立つものではありません。
>>132 レスありがとうございます。
自らを灯明とせねばならないのはその通りです。
例え仏陀を師と仰ごうとも、彼の人の影の中に入っては意味がないです。
影に入らず、ただ傍にいさせてください。
そうすることで、自らを照らしやすくなるのです。
「実際に本当のところ」を生きることは難しいことです(少なくとも私には)。
悟りを開いた人は少ないですがいます。2ちゃんねるでも見かけました。
しかし、悟りを生きている人は、それよりももっと少ないです。
そこで、師よ、ひとつ教えてください。
一度目に無我を体験した後、二度目はどのような経過で無我を体験され
ましたか?瞑想などで意図的に行われましたか?
>>139 世界とその認識に関することは、たくさんの解釈や見方があるため、以下は
その一例ぐらいに捉えてください。
私達は世界を部分的にしか把握していません。
全てのものの見方が一面的で部分的です。
世界を把握したり説明するときに、「あれかこれか」に分ける二分法を用います。
悟りと迷い、真実と虚偽、表と裏、、正と邪・・・
そうすることで、世界から「何か」を切り取って、形を与えて使っています。
しかし、世界は決して私達のその物差しである二分法では割り切れません。
それでもなお私達の認識の働きとしては、割り切られているように見えてしまい、
それに拠って世界観や自我を構築します。
私は私の体験上、それらが幻想と呼ばれるものと思います。
148 :
神も仏も名無しさん:2011/10/15(土) 20:35:34.52 ID:6KEDRE97
>>147 真理を知らぬ人には
馬鹿な会話に見えるんだな。
幻想と幻想でないものを分けてしまう自分が幻想じゃないかね
意識はそこに留まり、身体のみが幻想と幻想でないものを分けてるならそれでもいいが
151 :
神も仏も名無しさん:2011/10/15(土) 22:43:27.41 ID:6KEDRE97
152 :
U^ェ^U ワン!:2011/10/15(土) 22:48:50.19 ID:eNDt9fYV
悟った人が言わないことってあるの?
へえー、もしそういうものがあって、それがわかるってことは、
あなたももう悟ってるってことになるね
157 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/16(日) 13:55:43.56 ID:yj/KQzzo
>>127 ただ、生きるのでは、真理を失うことになるのでしょうか?
具体的には何が問題なのでしょう?
何か特殊な真理をお持ちなのでしょうか?
158 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/16(日) 14:02:32.90 ID:yj/KQzzo
>>137 何を問題としていらっしゃるのか分からないもので・・・。
159 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/16(日) 14:04:48.97 ID:yj/KQzzo
>>139 すみません、分かりません。
おっしゃるとおり、その断言は私の幻想です。
160 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/16(日) 14:07:43.79 ID:yj/KQzzo
161 :
神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 14:12:03.46 ID:fNy64KVJ
え、貴方は害虫なんですか?
意味もなく卑屈な人が悟ってるとは思えんな
162 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/16(日) 14:17:33.50 ID:yj/KQzzo
>>142 私も、箸を覚えるまでは悟っていたのですが・・・
163 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/16(日) 14:20:36.65 ID:yj/KQzzo
>>143 なんであれなかなか良いものです。
おためしあれ。
164 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/16(日) 14:30:51.58 ID:yj/KQzzo
165 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/16(日) 14:37:02.71 ID:yj/KQzzo
>>145 > 一度目に無我を体験した後、二度目はどのような経過で無我を体験され
> ましたか?瞑想などで意図的に行われましたか?
私の無我体験は日常茶飯事です。
瞑想であったり、歩いていたり、食事や入浴中であったり、まあいろいろです。
ただ、あくまで体験ですので、「私の無我」もしくは「無我のようなもの」であり、ニカサ・アアさんにとっての無我体験とは異なるかもしれません。
166 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/16(日) 14:42:10.13 ID:yj/KQzzo
>>161 害虫かどうかはさておき、卑屈にはなっておりません。
文字だけなので分かりづらいですね。
167 :
神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 16:04:29.50 ID:2ti6Yxzg
>>157 ただ生きる、完全にそれができているとき真理そのものですから、基本的には私もそれだけで良いと思っています
ですから何が問題なのかといいますと、
世の中の仕事、ビジネスというものは、その殆どがまずはじめに自他の分別を置き経済活動をしています
ビジネスの性質として根本的に自他の分別がありますので、それが起点になっている道の先で生きることは、
いくらその道先で真理そのものになりましても、根本的に自他の分別の中にいることに変わりはないのではないだろうか
結局その自他の分別の肯定の中であれこれをしているに過ぎないのではないでしょうか、ということです
いうならば、自我や自己投影したものを侮辱したという理由での戦争やレイプ、殺人も、
暴行中や戦車や戦闘機の運転、地雷の設置作業に没頭滅私しておればそれは真理そのものです
なぜならその瞬間には侮辱されたとしていた自我がないほど遺体の解体そのものになっているからです
そこで、仕事とはそれと何の違いがあるのか、ということなのです
168 :
神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 17:42:21.01 ID:giPEGSr2
>1
悟ってない人が例えば無我夢中に仕事や遊びに没頭してることと、amaさんの日常茶飯事の無我体験とは
違うんですか?
さらさらと流れるように、濁ることなく回答するあたりは流石です。
個々の内容というよりも、その流れそのものが私にとっての回答です。
>>165 師よ、おそらくは指紋や背格好が一人一人違うように、
無我への入り方とその表現は個々人によって違うものかと思います。
そうなると、論理的に矛盾する言葉ですが、「私の無我」となりますよね。
ちょっと安心しました。
ただ、内容ですが、生活の色々なシーンで、無我体験はくしゃみや
あくびが出るように、意図せず訪れるものですか?
それとも呼吸のように普段は適当に行ったり来たりしているけど、
止めることもできるし、深く吸い込むこともできますか?
要はくしゃみと呼吸ではどちらが今の状態に近いですか?
170 :
神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 20:38:09.66 ID:fNy64KVJ
師よw
愉しい人が多いね
さすが宗教板だわ
171 :
神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 22:58:47.04 ID:YQuOmGwM
風も雨も日照りもアラシも師だよ
172 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/17(月) 06:43:07.73 ID:voKxw8pv
>>167 自分と他人とを分けて生きることが、どのように悟りと相反するのか、今ひとつピンと来ません。
悟りとは、自由に楽に生きることであり、世捨て人になることではありません。
(仮に世捨て人になることであったとしても、それは、それが起こったときにのみ私にとっての現実となります。)
悟ると具体的に仕事のどのようなシーンで困るのでしょう?
おっしゃっている真理とは具体的にはどのようなものなのでしょうか?
会社から人殺しをしろといわれてもやる必要は無いと思いますが、お答えになっているでしょうか?
173 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/17(月) 06:45:17.51 ID:voKxw8pv
>>168 それを体験するには条件が必要という意味では本質的に同じだと思います。
174 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/17(月) 06:58:28.55 ID:voKxw8pv
>>169 > 要はくしゃみと呼吸ではどちらが今の状態に近いですか?
その中間くらい、もしくは、ちょっとくしゃみに近いかもしれません。
考えが自動的にぐるぐる回っていることに気づいたとき、
感情の反応が起こったとき、
歩いているとき、
などです。
あと忙しいときは難しいですね。
意図するかしないかで言えば、意図するときになります。
自分とは一体何だろう?
肉体が所詮は縁による、この世界での単なる物質の寄せ集め、借り物でしかないのはわかる。
では魂はどうか?輪廻があるのなら魂は肉体以前から存在するという事になる。
しかし生まれ変わる際に前世の記憶はまっさらにされる。
自分が何者であったかどうかなど、わかる人間はほとんどいない。
生まれ変わる前の自分を本当に自分だと呼べるのか?
結局は肉体が滅した瞬間に今生の自分もいなくなるのではないか?
こう考えていくと自分と呼べるものはどこにも無い、無我なのだと思える。
176 :
神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 16:48:54.66 ID:hem+Heze
この宇宙に聴覚が存在しなくても、音は存在すると言えるのか?
と真剣に悩んだことがある。
177 :
神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 16:53:01.14 ID:YA4uuuZ4
178 :
U^ェ^U ワン!:2011/10/17(月) 17:34:56.72 ID:n+RR9Eek
そもそも存在とは何かって話ですね。
自分が存在していなければ世界も存在してるのか?
自己が存在しなくなった後の世界など、「ただ、あるだけ。」
ターミネーターやマトリクスなど、人工知能が自我に目覚め人類を排斥しようとする話は枚挙
にいとまが無いですが、やはり西洋人は唯物論的、人類よりもはるかに演算能力が優れた
コンピュータならば、自我に目覚めた瞬間、悟りも開いてしまうかもしれません。
「自分って何なの?」って問いをすぐ解いてしまう。人類なんかほっといてね。
鉄腕アトムも悩まないと思います。全然物語として成り立ちませんねw
180 :
神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 20:53:58.38 ID:hem+Heze
>>177 「我々が認識している音とゆう存在はない」と結論した
聴覚と音とゆう存在は分けられない。
我々は存在自体を知ることは出来ない
視覚 聴覚 臭覚 味覚 触覚による知覚は存在を感覚器官が我々が認識しているように
変換しているだけで存在それ自体ではない
我々が花を見ている時も我々は花とゆう存在自体を見てはいない
それは我々の感覚器官の変換した情報を知覚しているだけだ
そして我々が見ている花なら花は哲学的な意味ではなく科学的な意味で
自分自身とゆうことになる
我々の知覚の外に存在はあると推察はできる
しかし我々が知覚するのはそれが「自己に変換された」ものだ
我々は自己以外知りえない
想像や推察はできるが
しかしその想像や推察も自己だ
181 :
神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 21:11:44.79 ID:zgo1bUSl
>>179 コンピューターやロボットには「仏性」がないので
悟れないと思います。
182 :
神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 21:55:37.53 ID:W2kSGFuH
175
>自分が何者であったかどうかなど、わかる人間はほとんどいない。
そのまえに、自分というものがそもそもどこからどこまでを指すのか
それがもう既にお分かりであるように語られておられますが、それはどれのことですか?
>こう考えていくと自分と呼べるものはどこにも無い、無我なのだと思える。
無我になった、という「自分」というのが、どこからどこまでのものなのか
そしてそれが本当にその通り、その区切りでもって「自分」なのか
これが本当かどうか確実に分かっていないと、何が無我になったともどうともいえないのではないですか
この前、悟ったんだけどさッ
悟った後の人生どうやって生きていこうか〜悩んでんだ俺w
自己を失うことは潜在的な恐怖心を覚える。しかしこの恐怖心そのものが苦しみの原因なのだと思う。
しかし現実社会を生きる我々は自己を顕示し、顔を、名前を、力を誇示し、
他者よりも優位に立とうとする全く逆の行動をとってしまう。
本当に、仏の悟りを得ることが重要だと想う。
185 :
神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 23:31:20.76 ID:hem+Heze
>>175 >自分とは一体何だろう?
一般的には戸籍があり、固有の肉体と精神と記憶を有する個人。
このスレ的には知覚するものであり、されるもの。
かつて経験したものであり今在るものであり、これからもあるもの。
アルファでありオメガ
始まりと終わり
最初のものであり最後のもの
自他の境界線はエゴの見ている夢であり
その夢から覚めることが悟りだと言える
あっ、ちなみに私は悟って無いです(笑)
早く悟りたいお(泣)
肉体だと神経が通ってる所までが自己だろうか。抜け落ちた毛や切った爪は自分という感じは無い。
自我の芽生えは一般的には幼児期からというが赤子には自我は無いのだろうか?
では赤子は悟っているのだろうか?
>>175 この「自分とは一体何だろう? 」はとてもとても良い質問だと思います。
ご参考になるかわかりませんが、この質問に関する私の無我体験を語ります。
私もかつて同じように問いを発しました。
「人生とは何か?」
「認識とは何か?」
「意味とは何か?」
(略)
「主体とは何か?」
(略)
「何かとは何か?」
たくさん考え、調べ、もがいても、得られるものの無い困難な道のりでした。
何をするのにも骨が折れる割には何もわかりません。
あるとき、報われないことに疲れて果て「もう辞める」辞めました。
しかし、辞めたのは考えることだけではなかったのです。
ついでに自分も辞めていたのです。意図せずに。全く意図せずに。
考えることが私の全てになっていたので、考えることを辞めたときに、
ついでに「私」も辞めてしまいました。全くのついでです。
そのとき、自らの問いの無意味さに気づきました。
全ての問いは、実はこうでした。
「(私の)人生とは何か?」
「(私の)認識とは何か?」
「(私の)意味とは何か?」
(略)
「(私の)主体とは何か?」
(略)
「(私の)何かとは何か?」
しかし、この暗黙的な「私の」という前提自体が間違いだったら?
前提が間違っているのに答えがでるでしょうか?
いいえ、出ません。誤った問いに正答を求めたのが誤りでした。
「私」が間違いだ。「私」はいない。
これに気が付いたとき、無我が訪れました。
洪水か津波のような幸福感が内面の奥深いところから溢れ出てきました。
>>175さんの悩みと私の体験は違うかもしれませんが、答えを求める問いの方に
誤りがあったという一つの例としてご参考になれば。
189 :
神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 00:30:40.90 ID:6UQDqhvW
>>185 >自分とは一体何だろう?
自分とは自我の別名、実際は存在しないモノです。
190 :
神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 00:34:14.78 ID:S3j0cGJn
ではガムとはなんだろうか
>>174 レスありがとうございます。禅定、そんな言葉が浮かびました。
自分がどの程度悟ってるかは、公案で見当つくかもね
隻手の音声の公案がわかれば悟りの1段階か2段階は終わってるはず
わからないなら1段階かまだその手前だろうね
その答えが出てるかどうかで無我の程度がわかるんじゃないかな
公案・隻手の音声
両手で拍手を打てば音が出る。では片手で拍手したときどんな音が出てるか。
193 :
神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 09:02:46.92 ID:I3HBhh96
>>192 公案は悟りの目安にはならないよ。
公案はあくまで訓練だからね。
目安になると思うよ
公案の問いに対する弟子の答えを聞いて、師が弟子を悟ってるかどうかの判断の目安にす
るんだから
訓練というのは体験しなくても理論的な思考で公案の答えを出せるということかな?
そういう部分はあるけれど、もしそれで師を騙せたとしても、自分は騙せない
一切の疑問がない答えが出たかどうかで、自分が公案に答えられたかわかるよね
公案の問いと答えに少しでも疑問があるうちは答えられてない
195 :
神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 10:13:26.83 ID:I3HBhh96
>>194 >訓練というのは体験しなくても理論的な思考で公案の答えを出せるということかな?
逆だよ、論理を超えていて言語化してはいけない「悟り」を
答えで判断する所に無理があると思う。
それに弟子が悟ったかどうかを確認するには
師匠も悟っていないと無理だし
「悟り」は同一のモノでも現れ方は人によって違うよ。
まあ、一理あるね
ただ公案は言語を使うけど言語的ではないと思うけど
どちらにせよ、自分で公案の答えが出ない内は悟りが開かれてないと思うよ
答えが出ても間違っているということはあるだろうけどね
自分で答えが出ない、問いへの疑問が残ってるのに悟ってる人はほとんどいないだろうね
197 :
神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 12:16:59.56 ID:uUd3Dbet
>公案・隻手の音声
両手で拍手を打てば音が出る。では片手で拍手したときどんな音が出てるか。
素直に答えると無音
禅的に推察すると、音は二つの物体がぶつかって生まれる
そこから類推して、認識は対比(二元性)から生まれる
(無音と音 白とそれ以外の色、私と私以外、見るものと見られるもの、思考も二つ以上の対比なしには出来ない)
ではその対比(二元性を作りだす思考の働き)をやめたらどうなるのか、二元性は消え失せ葛藤は不可能になる
では両手で拍手をしていたのはだれか、私だ。
一見自動的に起きているように見える柏手は
よく観ると自分がやっている
苦悩すらも、苦悩以外の何かとの対比によって力を持ち得る
退屈 悲しみ 寂しさ 怒り 不安
それらが力を持続させるには(短時間の怒り等は苦悩には成らない、覚者も怒る時がある)
必ず、それらを何かと比較対象してエネルギーを与えなければならない
でなければ、それら長期にわたって続けば苦悩の材料になる感情は消えうせる
そうか、私が苦悩を作り出していた訳だ、となる。
198 :
神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 12:49:19.07 ID:I3HBhh96
>>197 >そうか、私が苦悩を作り出していた訳だ、となる。
これでは「無我」が分かっていないと言われても仕方が無いよ。
199 :
197:2011/10/18(火) 16:05:40.63 ID:uUd3Dbet
>>198 >そうか、私が苦悩を作り出していた訳だ、となる。
これでは「無我」が分かっていないと言われても仕方が無いよ。
おっしゃる通り
私には無我が分かっていない。
>公案は悟りの目安にはならないよ。
公案はあくまで訓練だからね。
同意。
200 :
神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 21:45:26.75 ID:cmX6Gr5e
はじめまして。
誘導されてきました。
この板に来るの初めてです。
ちょっと質問があるのですが、この前なんですがお隣さんの家の四隅に、炭+米+多分塩か砂糖のような白い粉末が置いてあったんですが・・・
たぶんなにかの宗教的なお供えとかだと思うのですが、どういったものでしょうか?
何年か前にも同じようなものをみました。
どこに質問していいのかわからず、とりあえずここに質問しました。
写真です。
http://www9.uploda.tv/v/uptv0000228.jpg スレチだと思うのですがよろしくお願いします。
201 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/10/18(火) 23:36:22.52 ID:0lJhRbjm
202 :
神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 19:50:46.70 ID:ddnbDH53
前スレで入門してないけど釈迦に会えたって発言したものです
助言をいただいたようにお寺に行ってきました
自分がみていたものは正しくありませんでした
あなたのおかげで助かりました
ありがとうございます
助言は私じゃないけど、よかったですね
>>188 その問いしてるのは誰?
無我が問いかけてる? では無我が無我に対し問いを掛けるのか。
溢れ出るのは勘違いの産物ですよ。
どこまでいっても自分しかいない
そして同時に自分ではない
自分なんてない”
なにがあるのか
206 :
神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 22:59:26.46 ID:SFHmc10i
むしろ自分でないものがあるのか?
体が自分なのか。
心(魂)が自分なのか。見えない形の無いものが自分なのか。
どこまでが自分なのか。
認識することが自分なんじゃろ。
認識しなければ自己も消失する。
無我を称するなら自己もないから植物人間と変わらない。
無我を認識する時点で無我ではない。
悟りを深めていくとどうなるのかわからないですが、
無我を認識する自意識はあるが、
その自意識は我という幻想から開放されているのでは
ないでしょうか。
ただ、お恥ずかしい話、昔一度体験したきりで、
二度目以降はまだなので、もっと進んだ人からみれば、
まだまだ浅いのかもしれません。
>>204 >>208 ご自身の無我の体験はどのようなものですか?
自意識がある。
自意識は我ではない。
ではこの自意識は何なのか?
幸福は気がつくと溢れるのか?
気がついたのは誰なのか?
「(私の)人生とは何か?」
「(私の)認識とは何か?」
「(私の)意味とは何か?」
(略)
「(私の)主体とは何か?」
(略)
「(私の)何かとは何か?」
空
因って 私はいない
ん?あんだって?
213 :
神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:32:47.29 ID:c5GylUtf
>>212 >因って 私はいない
ここに書き込んでいる、あなたは誰?
>>213 お釈迦さまや悟った人が無我とかわたしはいないって言ったときも、同じように
「そう言ってるあなたは誰?」って聞くんですか?
215 :
井戸魔神F ◆Tny1JrNujM :2011/10/25(火) 18:06:00.38 ID:Y1KedSBZ
悟りの熟練度8、
アノクタラサンミャクサンボダイまでは行ってないんだろ?
216 :
213:2011/10/25(火) 19:58:16.40 ID:F2I7HSA4
>>214 うん、聞く。
聞かない理由が無いもんね。
>>216 誰にでも聞くんだ
それはそれは
でも聞く理由はあるの?
聞いてどうするの?
218 :
213:2011/10/25(火) 20:08:48.04 ID:F2I7HSA4
>>217 まずは、それを聞いて相手が本当に悟っているかどうか確認するの。
>>218 確認できるの?
相手が本当に悟ってるか悟ってないかは、自分も悟ってないとわからないと思うけど
あなたは悟った人なの?
220 :
神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 22:11:56.42 ID:F2I7HSA4
>>219 てへっ、ちょっとだけ。
でも、みんなにはナイショだよ。
>>220 そっか〜、じゃあみんなにはナイショにしとくよ
ちょっとじゃなくいっぱい悟れるといいね
考えるな。感じろ。
223 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/10/26(水) 00:01:07.89 ID:gL/EEQ7p
224 :
井戸魔神F ◆Tny1JrNujM :2011/10/26(水) 00:08:21.56 ID:ZXokRLAt
>>213 213が認識すれば存在であるが
213が認識しなければ存在ではない。
宇宙人と認識すれば宇宙人だし、生命体なのかもしれないし
細胞の塊かもしれないし、類人猿なのかもしれし、日本に住んでる人なのかもしれん。
納税者なのかもしれんし、食物連鎖のパーツなのかもしれん
3年後に読んだ人なら故人なのかもしれんし、3000年後に発見されたら古代人かもしれん
213が突然死してるのなら謎の人物で終わったかもしれん。
226 :
213:2011/10/26(水) 00:31:33.62 ID:kPJHXgYl
私は本当の自分を見つけるために、
玉葱の皮を剥くように私のまわりの余計な物を一つずつ剥いでいった。
そして後には何も残らなかった。
私はついに本当の自分を見つけた。
残ってるじゃん
229 :
神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 01:14:49.23 ID:kPJHXgYl
>>227 「自分を見つけた」って言ってるようじゃダメだろ。
>>229 じゃあ、何て言ったらいいの?
何て言ってもダメなの?
>>226 では、おまえさんにとっては「ナンノコッチャ」って人。
232 :
神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 01:53:14.83 ID:kPJHXgYl
>>230 正解は特にないけど、
言葉で言い表せないのモノを伝えようとする感じが出てればイイよ。
234 :
神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 10:01:39.33 ID:jOE1iE14
235 :
a:2011/10/26(水) 10:08:12.95 ID:7MzzU+zy
阿含経の止息法と「深秘法」 北澤米吉著と
金剛頂ユガ中略出念誦経第三 一切成就三摩耶契
この3つと金剛杵と四神足法は同じである.
「振動は形状と機能の関数」である。
深秘法 からいあく、4字合成の風ふけば、迷いも晴れて
弥陀も・・・・
金剛頂経、自心の中に於いて、四面に金剛杵ありと思うべし、
蓮華と金剛杵の観想
236 :
神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 16:57:39.38 ID:GpQ2CWTm
>>234 >それは言葉では言い表せないものだった
正確には言葉で言うことは出来るが
言葉にすると変質してしまうモノってことだよ。
237 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/10/27(木) 00:18:41.51 ID:hWZ1K/R/
そもそも悟りに限らず、言葉で言い表せられるものなんて何一つないんだけどねー
それがほんとにわかってるなら言葉で表そうとしてもいいし、
それがほんとにわかってないなら言葉で表せないとか言ってもしょうがない
そもそも表せるとか表せないとかも言葉だしー
考えるなとか、感じろといいうのも、それがどういうことなのかほんとにわかって言う場合と
何もわからず言ってる人では全く別のことになるねー
239 :
神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 00:37:24.84 ID:3bhZ+pGZ
>>238 >そもそも悟りに限らず、言葉で言い表せられるものなんて何一つないんだけどねー
そりゃそうなんだけど、ソレ言っちゃうとここで何も書けなくなるからね〜〜
何かを伝えようとするなら、文章を書くより直接会ったほうがイイと思うんだよね〜
( ´・ω・)(・ω・` )ネ-
241 :
神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 03:18:05.72 ID:HE8CwuC8
みんなゲームを続けたいんだな
OK 悟りは観念的で難しいってことに、しとこうぜ!
観念遊戯をやめるなよ
いいか?絶対だぞ!
絶対に観念遊戯をやめるなよ!
絶対に観念を手放すなよ!
さもないと... ...
242 :
神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 09:23:50.55 ID:/mVOOUMk
阿羅は常人以上に悟れていた。
しかし数が限られていた。
数が限られている原因は何だ。
思索と破壊を繰り返しせずに
普遍の解を求められるのか。
244 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/10/27(木) 22:48:15.40 ID:di5TDE8s
きみはどうしてyoutube動画をはるんだい?
246 :
神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 02:50:40.88 ID:3P54Vauu
>>245 まあ、いいじゃないですか
私はワンちゃんに癒さてますよ
ウフフフ...
申し訳ないんですが既出の質問を繰り返させてください
悟りを開くためにはなにをすればいいんでしょうか?
言葉で説明するのが難しい類のことなのかもしれませんが、もう少しだけ具体的にお願いできませんか?
このスレや前スレに書いてあることを私がやっても、
「本当にこれであってるだろうか?スレに書かれていたのとは全然違うことをやってるんじゃないだろうか?」
という疑いを抱いてしまいます
自分がなぜ疑いを持つのか、疑いは何故何からどのように生じるのか、疑いを持つ自分とは
なんなのか、それを洞察してみたらいいのではないでしょうか
悟りを開きたいなら、どうして悟りを開きたいのか、なぜ自分はそのように思うのか、なぜ今
のままではなく悟りを開くことを欲してしまうのか、それを洞察してみたらいいのではないで
しょうか
己事究明は私もお勧めします。
その洞察についての「具体的に何をすれば?」については、
「悟りの方法」(永野武著)が合うかもしれません。
"私とは何か"から出発して"私"を発見する方法やノウハウといった
「具体的な何を」が著者の「体験」を通して述べられています。
四諦・八正道・十二縁起といったことも、体系的に繋がり良く解説され、
悟りまでのプロセス全体が俯瞰できるかと思います。
既に絶版となった著作ですが、Amazonなどでは中古品が出ることが
あるので、まだ手に入れられるかと思います。
>>248 岩波文庫 井筒俊彦著
意識と本質
を読まれては如何でしょうか。
別の角度から疑問に答えてくれるでしょう。
余談こんなことは無いと思いますが
人と違う超越的な力を得たいなどと考えてるのならお門違いです。
いくら追求しても到達しません。
得るのではなく、むしろ捨てる方ですからね。
捨てて知覚する世界。
>>248 品川の東照寺にいってみることをお勧めします
255 :
基地外:2011/10/29(土) 03:03:45.58 ID:QDhLaIe4
現世利益を求めるなら、悪魔と契約すれば良いですよ。
本物の仏教を学び出せば悪魔は、貴方の枕元に現れて利益誘導を始めますよ。悪魔にとって困る事は貴方が
悟りを開いて、彼岸に渡る事だけですからね。仮に天輪王に任じても一代限りですからね。(^人^)
>>248 1.呼吸を数える
2.歩きながら歩数を数える
3.下腹部を意識する
4.朝起きた時の意識を長引かせる
5.自分の思考 感情 行動を見張る
6.心臓を意識する
7.すべての行為を味わいながらやる
8.音を意識する
9.視覚を意識する
10.時計を見る
11.夜寝る瞬間を意識する(金縛りの危険もあるけど、幽体離脱も起こるかも?)
まあ工夫次第でいろいろあるよ、自分で技法を編み出すのも楽しいよ
257 :
256:2011/10/29(土) 03:23:44.68 ID:ANY4owsl
今思いついたのでは休みの日(連休が理想)に寝るのを我慢するのもいいかも?
安全な場所(自宅の部屋とか)でやってね、運が良ければ覚醒するかも?
思いつきw
259 :
基地外:2011/10/29(土) 12:12:52.00 ID:QDhLaIe4
悟りと狂気は紙の裏表だお!南無(^人^)
260 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/10/29(土) 17:39:35.11 ID:SOkLVOYX
261 :
ろん:2011/10/30(日) 00:10:57.99 ID:XOhTx08u
>>248 >>249が一番正しいこと言ってるかもね。。
それで解決するならそれでいいんだけど、解決しないなら、
瞑想やら観察ならなんやらの「修行」なんちゃらをやらなきゃあかんと言う。。
・・あーおれが言っても信頼度ないんかなー・・いや、荒らす気は毛頭ない・・amaさんの帰還を待つのみだよ。。
262 :
神も仏も名無しさん:2011/10/30(日) 00:36:59.52 ID:5jTN8qir
ろんもamaも同じくらいだろう
ちょっと心身が脱落した程度で、徹底してないよね
264 :
ろん:2011/10/30(日) 01:22:10.48 ID:XOhTx08u
>>262 わからんけど、ざっと見てそんなおかしなことは言ってないよ。。
いいんじゃないの、たぶん。。
265 :
ろん:2011/10/30(日) 01:23:12.80 ID:XOhTx08u
>>262 そうじゃなくて、悟ったら、はじめから身心なしってこと。。
誰でもそうなんだよ。。
266 :
ろん:2011/10/30(日) 01:23:56.40 ID:XOhTx08u
267 :
ろん:2011/10/30(日) 01:25:09.67 ID:XOhTx08u
徹底してない=おれから見て仏らしくないだったら、お笑いだわ。。
そういう人は仏像でも拝んでればいい。。
はじめから心身なし
そりゃそうさ
でもはじめから心身ないなら、はじめから心身なしって言わないよね
まあ、言ってもいいけど
言いたいなら言えばいいし、笑いたいなら笑えばいい
んで、誰が言いたくなってるの?笑いたくなってるの?業?
業を認める自分が残ってるんだろうね
はじめから心身なし
amaは無我ってものを持ってるし、
ろんは心身なしってものを持ってるよ
わざとそういうふうに演技してるのなら知らんけど〜
270 :
基地外:2011/10/30(日) 01:39:13.35 ID:GXmqlnmt
退かぬ!
媚びぬ!
顧みぬ!
狂信者
南無(^人^)
271 :
神も仏も名無しさん:2011/10/30(日) 01:58:16.97 ID:5jTN8qir
amaさんは陰謀論を語らないから
ろんより優秀だと思うよ。
272 :
ろん:2011/10/30(日) 02:58:18.41 ID:XOhTx08u
>>271 陰謀論を全否定するやつは、世の中の政治経済がわかってないだけの話。。
全否定とか極論に走る大人ってどうかと思うの。
悟りに陰謀とか持ち出す人って・・・
ろんて人初めて見たけど有名なコテさん?
だとしたらどこのスレにいる人?
275 :
神も仏も名無しさん:2011/10/30(日) 10:06:09.87 ID:5jTN8qir
>>274 「悟りを開いた人のスレ」
頭のオカシイ人のスレって感じだから人を選ぶよ。
ありがとう
みてくる
ろんって昔からいるよな
5年以上前からみてるような 前は龍だかRONだっけか?
昔はmixiでもよく書き込んでたし
面白かった
1とろんで語ってみてくれたら面白いと思う
まあ面白がってても仕方ないけどw
279 :
基地外:2011/10/30(日) 13:37:06.26 ID:MKJyfg0n
\(^o^)/チャップイ♪チャップイ♪
280 :
神も仏も名無しさん:2011/10/30(日) 15:13:35.86 ID:5jTN8qir
>>278 どうだろ、
ろんは知識はあるけど悟ってないから
悟った人相手だと途中でオカシクなるからな。
281 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/30(日) 15:40:33.82 ID:oIxlHlFj
>>248 今日は雨ですね。
休日の雨はお好きでしょうか?
282 :
ろん:2011/10/30(日) 15:43:36.76 ID:XOhTx08u
雨を見たことがあるかい?
なんて歌があったな。。
283 :
神も仏も名無しさん:2011/10/30(日) 17:40:13.43 ID:pcUbiYYR
雨を見てるのもいい
雨も風も日照りも嵐も詩だよ
美しい
284 :
基地外:2011/10/30(日) 18:18:25.70 ID:MKJyfg0n
天然自然なすがまま。
南無(^人^)
シャカが花を見て弟子らにそれを向けたら「?」だったのに
悟ってたやつだけは微笑み返したみたいな話あったけど
悟りの人同士に語ることなんて何もないのかもしれないな
>>281 悟りを得ていない者は、どのように生きると良いと思いますか?
悟りを得るのが最上のことだというのなら悟りを目指すのでしょうが
悟れるかどうかはわからない
それならばどのように生きるのがベターなのでしょう。
287 :
基地外:2011/10/30(日) 23:52:07.20 ID:MKJyfg0n
288 :
248:2011/10/31(月) 00:07:40.96 ID:E3CwqD3t
皆さんレスありがとうございました
>>281 平日休日にかかわらず、雨は嫌いです
289 :
神も仏も名無しさん:2011/10/31(月) 00:42:17.36 ID:abx9JNZM
>>286 悟りに興味を持ったということは、すでに種は蒔かれているということです。
ただ、この種は栽培方法も開花時期もはっきりしていません。
はっきりしているのは水やりを欠かさなければ
いつかは花が咲くということだけです。
気楽にやりましょう。
290 :
ろん:2011/10/31(月) 01:25:34.16 ID:UNDlnKv9
小雨に打たれてちょい風邪を引いたみたいだ。。
日本酒で飛ばして寝るか。。
僕はここでamaさんと問答したりする気はないので、ロムに戻りますね。。
それじゃーバイちゃ。。
291 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/31(月) 06:53:01.37 ID:BfzAGP4X
>>286 不安、イライラ、怒り、などなど、望まない感情を起こすことはもうやめて、
リラックスして楽に生きることをお勧めします。
292 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/31(月) 07:28:57.67 ID:BfzAGP4X
>>288 そうでしたか・・・。
私だけかもしれませんが、休日に雨が降って今日は出かけなくていいと思うと、
ちょっと安心することがあります。
今日は家にずっといて何もしなくていいと思えるので、休日の雨はちょっと好きだったりします。
で、そんな自分の感情をみて、ああ、ちょっと悟りと似てるなあ、と思いました。
たった今、この瞬間に、248さんは悟っているのですが、そこから離れてしまいます。
ですから、悟るための全ての方法は、この今という瞬間に戻るための方法だと言えます。
しなければならないことや積み上げなければならないことがあるわけではなく、
ただただシンプルにこの今という瞬間を全く新しく生きる、そこにい続ける、私はそれが全てだと思います。
ご参考までに。
>>286 大切な人のために大切な時間を分かち合えばよろしい。
出来うることなら大切な何かを創り上げればなおよろしい。
大切なものが輝いてる限り貴方も輝き続けられるから。
大切なものが光り輝くまで磨き続けなければならないけれど。
貴方が雑巾となり磨き続けられるかに掛かっています。
295 :
神も仏も名無しさん:2011/10/31(月) 10:55:29.57 ID:U+XYX9B+
>>294 俺もろんは嫌いじゃないよ。
悟りについての知識も十分あるしね。
ただ、悟りそのものの話になると
他の悟った人の言葉の引用に終始してしまうのがちょっと・・・・・
分からないなら分からないって素直に言えればイイのに。
296 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/10/31(月) 17:27:25.31 ID:yDKg9ZXY
>>292 ですが、例外的に楽しい瞬間を除いて、日常生活の多くの時間は味気ないですよね
そこで自分を楽しませるための思考や空想をして、今から離れる人が多いのだと思います
今にとどまる秘訣、今を輝かせる秘訣はないのでしょうか?
>>291 感情を起こすのをやめる、というのがチョー難しい。
せめてリラックスして楽に生きることに頑張ります。
味気なく感じるのは慣れ、鈍化
味気なくなっているのではなく、自分が味気なく感じる自分に変化している
その変化に気づけてない
おいしいものを食べるとき、一口目よりは二口目、二口目よりは十口目のほうが新鮮味がな
くなる
一口目のような鋭敏な感覚で食べ続けていないことがわかる
どうして一口目の鋭敏さのまま最後まで食べられないか
それを洞察してみたらいい
今にとどまるということは、自らの身体が接する全てのことにおいて、意識が始めての事と
して鋭敏にそのまま知覚するということ
比較をしないこと、ありのままそのままを知覚すること
慣れ、鈍化している知覚、そういう知覚をしている自分が錯覚だと気づくこと
自己というのは生きていくための方便なのだろう。
お金というものは万人の人にお金という価値を認めるからこそお金でいられる。
そうでなければただの印刷された紙に過ぎない。
人は他の人に人であると認識されるからこそ人としていられる。
何のそれがしという名前があり、顔その他の特徴があり、他の人に何のそれがしである、
と認識されるからこそ何のそれがしでいられる。
欲望の目で見ればお金は欲望の対象となる。
ありのままの目でみればお金は印刷された紙となる。
お金の概念の無い未開人ならそれが何かもわからない。
学校そのほかでは考える訓練は教えるが、考えない訓練は教えない。
仮定された事項については教えるが、ありのまま見る方法は教えない。
私は私をどのくらい理解しているのだろうか?
301 :
神も仏も名無しさん:2011/10/31(月) 22:37:23.50 ID:abx9JNZM
>>300 そんなに難しく考えなくてもイイよ。
>お金というものは万人の人にお金という価値を認めるからこそお金でいられる。
>そうでなければただの印刷された紙に過ぎない。
お金は「お金」と呼ぶから「お金」と認識されるんであって
価値があるかどうかは、また別の話。
「人」も「私」も同じ理屈。
302 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/01(火) 00:30:03.46 ID:Z29X3s2Z
303 :
神も仏も名無しさん:2011/11/01(火) 00:49:44.56 ID:5iGLfi34
最後のマインドはとても見え難い
それは言葉も話さない
イメージも描かない
無色透明で静かなマインドだ
あたかも探求者は今この瞬間に在るように見える
だがそのマインドはやはりマインドだ
それは非言語的に
「私は今この瞬間にある」
と話し続けている
あるいは、自分はなんのイメージも描いていないとゆうイメージを描いている
私は在ろうとするのをやめた
ただ私は在る
とゆう主張を密かに繰り返し
今とゆう瞬間から私を隔離し続ける
ちょっと何言ってっか分かんねっす
305 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/01(火) 07:02:38.76 ID:YOJzCzx0
>>297 最大の秘訣は、その時間を味気なくしているのが思考だということに気づくことだと思います。
「私」がまったく静かになったとき、その時間は味気ないでしょうか?
私も、長い間、空白の時間は味気ないと思っていました。
空白の時間は、自分では特に何も考えていないつもりでしたが、
気づかない思考がうごめいていたのです。
私たちは、そのとても微細な思考に気づかなければならないと思います。
でないと、うるさい何かで自分を満たさざるを得なくなります。
微細な思考に気づくためには、開かれた心、開かれた頭が必要です。
パカッと頭の中心が開かれていて、真っ白で、敏感に、
言葉になる前のイメージにもならないほどの微細な思考にたえず気づいていられるなら、
全ての時間は深く静かな満足に満ちます。
目を閉じて鼻腔を通る吸気に意識を集中すると頭の中が真っ白になります。
これがお役に立てるかもしれません。
306 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/01(火) 07:06:49.35 ID:YOJzCzx0
>>298 「私」が静かなときが一番リラックスできるんですよね。
307 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/01(火) 07:08:14.00 ID:YOJzCzx0
>>300 そう、そして理解とは私が静まることなんですよね。
308 :
神も仏も名無しさん:2011/11/01(火) 07:08:59.84 ID:85RWGKCc
じゃあいつもリラックスしてれば悟りに近いということですかね
309 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/01(火) 07:10:43.05 ID:YOJzCzx0
310 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/01(火) 07:12:17.53 ID:YOJzCzx0
311 :
神も仏も名無しさん:2011/11/01(火) 07:18:01.89 ID:85RWGKCc
じゃあ簡単じゃないですが。リラックスなら得意ですよ。
私は今から365日リラックスしてますけど
これでいいの?
312 :
神も仏も名無しさん:2011/11/01(火) 07:19:59.14 ID:85RWGKCc
でもリラックスしてると色々過去の事を思い出したり妄想したりするよね
リラックスしても現在にいるとは限らない。
むしろ妄想が多い時間帯ですよ
リラックスタイムは
313 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/01(火) 07:22:14.20 ID:YOJzCzx0
>>311 はい、悟りはとても簡単なことです。
あなたは既に悟っています。
314 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/01(火) 07:24:39.55 ID:YOJzCzx0
>>312 なるほど、では、私の申し上げているリラックスとは違うみたいです。
315 :
神も仏も名無しさん:2011/11/01(火) 07:28:27.14 ID:85RWGKCc
違うんかい!
一般的にリラックスしてるときって無意識が活発化して昔の思い出が蘇って来たり、色々思い付いたりするじゃん
そうじゃないの?
リラックスはリラックスで人に違いはないと思うが
316 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/01(火) 07:32:23.69 ID:YOJzCzx0
>>303 観ようとしている自分がいるのかもしれませんし、期待があるのかもしれませんね。
イメージがあるのか、私はただ在るのか、など、何かを調べようとしているのかもしれません。
317 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/01(火) 08:07:41.45 ID:YOJzCzx0
>>315 >一般的にリラックスしてるときって無意識が活発化して昔の思い出が蘇って来たり、色々思い付いたりするじゃん
そうじゃないの?
空白の時間ってそうですよね。
いろいろ思い巡らします。
そのとき、「私」はうるさくないですか?
いろいろと忙しくはないですか?
喜んだり悲しんだり、ちょっとセンチになったり、などなど・・・。
楽しい思い出ばかりならいいのですが・・・。
楽しい思い出も「私」がうるさいだけでしょ
リラックスして悟ったって何じゃらほい。
煩悩の色メガネが剥がれ、世界が変わって見えてくる
パソコンのOSをよりシンプルに組み替えるようなもんじゃろ。
無駄な機能をそぎ落とすほど軽快になっていく
トラブルも減っていく、問題究明も容易くなっていく
あぁパソコンなんて電気信号のONとOFFだ ONとOFFが構築する世界
ONとOFFと知れば見え方も違ってくる
それが悟りであろう。
ONとOFFの側からプログラムコードになり、機能になっていく。
機能視点から悩んでも見えない問題が読み解けるんじゃなかろうかね。
それが智慧であろう。
思想や脳の中、シンプルの名の手を突っ込んで世界や価値観を塗変えていく作業じゃろ。
見えているものは、思考の色眼鏡を通過して感情に変化しているのだから。
320 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/11/01(火) 11:40:52.27 ID:IN/yYuLA
>>315 >一般的にリラックスしてるときって無意識が活発化して昔の思い出が蘇って来たり、色々思い付いたりするじゃん
リラックスは悟りそのものなんじゃないでしょうか。
ですが、リラックス、悟りに近づいてゆくにあたって
今まで抑えてきたものが活性化してきて
>>無意識が活発化して昔の思い出が蘇って来たり、色々思い付いたり
しますよね。
つまりリラックスが問題なのではなくリラックスで問題が明らかになるのです。
後は出てくるものに対してもリラックスし続け
(意識的であるということと言葉は逆でも全く同じことを指します)
囚われなければそこにはリラックスしか残らないでしょう。
それは我々と全く違った認識の世界です。
321 :
303:2011/11/01(火) 12:11:20.08 ID:5iGLfi34
>>316 >観ようとしている自分がいるのかもしれませんし、期待があるのかもしれませんね。
おっしゃる通り
やはり観ようとしている私がいる
そこには今に在ることへの期待がある
それが今を押し退けるのです
でも、その観ようとするのを何とかしようとすると?(笑)
>たぶんそれがボスなのでしょうね。
同意
322 :
神も仏も名無しさん:2011/11/01(火) 14:35:01.34 ID:FrPsuPL9
>>305 >鼻腔を通る吸気に意識を集中すると頭の中が真っ白になります。
上座部仏教パオ式の瞑想法なんですが、その修行経験があるんですか?
323 :
神も仏も名無しさん:2011/11/01(火) 14:50:10.21 ID:LKtGFLx/
最近のamaさんは答えが適当だよね。
そろそろ厭きてきたのかな。
飽きるために必要な要素とは何か
パオ式って鼻腔っていうより鼻先なんじゃなかったっけ?
まあ、呼吸を意識するのはパオ式に限らずいろいろあるよね
光を見るのも
>>324 単純に嫌になればいいんじゃないかなあ
一切皆苦
好きになってるから飽きてないだけだし
飽きるために必要な要素 既知のものであること
327 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/02(水) 00:31:20.07 ID:z5AkIbmZ
>>251 横レスですが、『別の角度』というのに興味を惹かれ「意識と本質」を
取り寄せて読んでいます。
まだまだ初めのほうですが、真摯に研究されている良い本ですね。
>>305 この「うるさい何かで自分を満たさざるを・・・」は本当にそうですね。
ただ、そのあとの「微細な思考」がよくわかりません。
1+1=2と計算するときの思考とは異なるものかと思いますが、
どういった性質のものですか?
330 :
基地外:2011/11/02(水) 01:32:13.99 ID:l/tW/3oE
331 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/02(水) 07:10:26.53 ID:4itYh784
332 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/02(水) 07:21:14.70 ID:4itYh784
>>324 既に知っているということでしょうね。
そこには断言があるようです。
つまり今という瞬間から離れた状態です。
333 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/02(水) 07:48:39.91 ID:4itYh784
>>329 言葉やイメージになる前の思考であり、
ボーっとしていたり、忙しく考えているときは、
ほとんどみえない、気づかない思考です。
深い瞑想で、チラッチラッと明滅するのがみえます。
みえていないときは、まず間違いなくそれと同化しています。
ですから、日常の多くの時間において、私を支配している思考であるとも言えます。
>>324 満ちること
喉の乾きと同じ、
または手が届かぬものとして諦めること。
喉を癒すものが水からジュースに置き換わるだけの話。
渇望と充足
335 :
神も仏も名無しさん:2011/11/02(水) 09:17:34.00 ID:Dr+eyNsr
>>333 微細な思考って感じないんだけど
これって悟った人特有の現象?
それとも自己と同化した自我みたいなモノ?
自己と同化した自我なら感じるよ。
336 :
335:2011/11/02(水) 09:19:39.90 ID:Dr+eyNsr
>自己と同化した自我なら感じるよ。
すいません「意識と同化した自我」の間違いでした。
>>333 微細な思考とはどういうものですか?
言葉にならないかもしれませんが、もう少しこういうものだと別の言葉で聞きたいです。
例えや印象やイメージ的でもいいので。
338 :
神も仏も名無しさん:2011/11/02(水) 10:15:36.37 ID:Ekuk8uuF
瞑想しても普通の人は今には入れないけど
ただ思考やイメージがいかに騒がしいかは解る。
それを理解するためにも瞑想する価値はある
ほとんどの人は思考やイメージの騒がしさにも気づいていない
そして、日々見えない思考とやらを積み上げ強化していく
悟った人は多分自分の感情や 思考がどうゆう仕組みで動くのか見えていて
自分の行為も何故それを行うのか知っているのだろう、 多分。
339 :
神も仏も名無しさん:2011/11/02(水) 10:54:17.45 ID:Dr+eyNsr
>>338 >悟った人は多分自分の感情や 思考がどうゆう仕組みで動くのか見えていて
>自分の行為も何故それを行うのか知っているのだろう、 多分。
悟ると意識の中に感情や思考は現れなくなるよ。
多分、感情や思考を引き起こす対象が無くなるからだと思う。
悟っても、自分の行為が何故起こるのかは分からないよ。
意識の中に感情は無くても他人を怒るときは自然に怒るよ。
どうしてなんだろ?
>>339 >悟ると意識の中に感情や思考は現れなくなるよ。
多分、感情や思考を引き起こす対象が無くなるからだと思う。
それは素直にうらやましい
私達非覚者がたまの休みに旅行にでも行った時の気分を毎日味わってる感じですか?
良いなあ(´・ω・`)
341 :
神も仏も名無しさん:2011/11/02(水) 12:59:24.66 ID:Dr+eyNsr
>>340 >私達非覚者がたまの休みに旅行にでも行った時の気分を毎日味わってる感じですか?
どうだろう、それが日常なんで特にどうって感じは無いよ。
いたって普通、毎日そんな感じ。
342 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/02(水) 16:15:59.88 ID:VSrz1lcw
343 :
基地外:2011/11/02(水) 22:28:19.94 ID:TBX5i7I/
何であれ鵜呑みにすれば消化不良
南無(^人^)
意識の下を探るとザラリとした異世界、狂気に襲われると
思うんだが・・・
平静を保てるとは凄いもんだな。
理性で無理やり抑制してる箍を外して獣の野を彷徨うんだぜ。
345 :
341:2011/11/03(木) 03:24:44.66 ID:ixyBWkjD
>>344 悟った人で書いてる人が少ないから、あえて書くけど
変化が始まってから約1年間はとても苦しかった。
目に見える世界が実在しないと知っているのに
心や意識や感情が、世界が実在してると訴えかけてくるし
自分の信じていた現実がホントなのかウソなのか分からなくなり
最後には自分という存在が有るのか無いのか、
このまま死ぬんじゃないかとも思いました。
でも1年くらい経つと落ち着きを取り戻して
今ここに至るという感じです。
だから、異世界や狂気に襲われることはありません。
だって、それらは存在しないんですから。
へんなの
347 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/03(木) 08:16:31.46 ID:63wNw0dQ
>>335 >>337 真っ白な中に、チラッと動くものです。
何もしていないとき、それでも気分がありますよね。
何もしていない、何も考えていないのに、気分があります。
それは、ほとんど透明な思考が作っている気分です。
その、ほとんど透明な思考のことです。
私たちは、いつも言葉で考えて行動しているわけではありませんよね。
缶コーヒーのコーヒーを飲もうとするとき、いちいち、缶を手にとってプルタブを開けて口を付けてなどとは考えません。
そのように言葉で考えなくても自動的に体が動きます。
では思考が全くないかというとそうではなく、ほとんど透明な思考が体を動かしています。
それは過去に繰り返された経験がしみこんでいるわけですが、やっぱり脳が働いて指令を出しているのは間違いないわけです。
そのような指令はほとんどみえずとても微細です。
体を動かすことだけではなく、考えることもそうです。
普段、認識できる、「考え」は、言葉であったりイメージであったりします。
猿のことを考えるとき、「サル」という言葉を頭の中で話したり、猿を思い出し(描い)たりします。
でも、言葉になる前、思い出す(描く)前にも、頭の中に猿はいます。
そうでないと、思い出す(描く)ことも言葉にすることもできません。
真っ白でかつ敏感でいると、思い出す(描く)前、言葉になる前の、その発生の瞬間がみえます。
それはとても微細な思考です。
348 :
神も仏も名無しさん:2011/11/03(木) 09:10:21.68 ID:neYA8/PN
>>344 >>345 OSHOも悟りが落ち着く1年間は大変とか言ってたな
人によって心の堆積物には差があるのかもね
仏教で煩悩を捨てなさいとか肉食をやめなさいとか言うのも
抑圧された思考が解放された時の衝撃に対処しやすくする為かもね
私も前、寝る前に瞑想してた時
寝入りばなに身体が消えた感じがしたり身体が浮いた感じがしたり
人の息づかいが聴こえたり
身体が振動したり 目を閉じてても部屋の風景が見えたり
恐ろしい気配を感じたりしてた
幻想なんだろけど、本人には凄くリアルでうっとうしいは怖いわ大変。
瞑想は寝る前にやるものじゃないと反省した
>>333 >>347 深く感謝。求める者の皆が微細で透明な思考に気づけますように。
師よ、もうひとつ教えてください。
体験として、最初に『微細で透明な思考』に気づかれたときはどんな
経過を辿りましたか?
また、気づいたときの状態は無我とはどのような関係がありますか?
狂気とか魔境とかは自我自体が消えてくことに抵抗してる証拠なんだよ
ようするに無を見てるけど無を否定したい、自分は無ではないという自我がまだ残ってる証
拠
完全に自我が抜けきるまで苦しい状態がいろいろ起こるけど、結局それは自我が消えてい
っている証拠だし、やがて自我もろとも無くなるもんだよ
んで自我が相当消えて無我みたいなものに慣れてきたのがこのスレで書き込んでるひとの
多くの状態
そっから今度は無我ってことも無になって有と無の区別を完全になくしていかないと本当の
無我じゃないんだよ
無我とか言ってるのは、世俗の人間が自分が在ると言ってるのとかわりないんだから
自分で気づいてないけど無我が在るといってるだけだからね
351 :
神も仏も名無しさん:2011/11/03(木) 15:51:43.28 ID:ixyBWkjD
>>350 >そっから今度は無我ってことも無になって有と無の区別を完全になくしていかないと本当の
>無我じゃないんだよ
>無我とか言ってるのは、世俗の人間が自分が在ると言ってるのとかわりないんだから
>自分で気づいてないけど無我が在るといってるだけだからね
う〜ん、体験ではなく知識で書いてますね。
352 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/03(木) 16:16:21.72 ID:TpZZz9lH
世界人口が70億に達したそうですね。
無明な魂がこの地球上に70億ですよ。
世界が沈まないか心配です。
ですがこれはチャンスでもあるわけで、もし現代に仏陀が出現すれば、
一気に70億の魂が救われるかもしれないのです。
情報化社会ですからね。
みなさん、精進しましょう。
>>351 そう?体験のほうがいいのかな?
だったらあなたは体験で書いたらいいと思う?
知識も体験もどっちがどうとかないけどね
体験って一体どこにあるのかね
生まれて知識を得て喜んで、こんどは知識を手放して体験を得て喜んで
変わらないんじゃないかな
知識に飽きるように体験に飽きたら次はさてどうなるんだろう
両方大事なんじゃないの?
両方大事か、両方大事じゃないか、どっちかだろうね
どっちかよりどっちかが大事とか大事でないとか、それはそう思いたい人が思うだけのはなし
358 :
神も仏も名無しさん:2011/11/03(木) 17:19:20.61 ID:ixyBWkjD
>>354 すいません、ちょっと誤解されるような書き方でしたね。
別に、体験のほうが知識より上って言ってる訳じゃないんです。
>そっから今度は無我ってことも無になって有と無の区別を完全になくしていかないと本当の
>無我じゃないんだよ
って書いてあったから。
実際は「有る」も無ければ「無い」も無く、
「無我」も無いのに「本当の無我」が有るかのように書いてあったので
「う〜ん、体験ではなく知識で書いてますね。」って書いただけなんです。
だって「本当の無我」なんて無いですから。
それ言ったら「無い」なんて無いわけだから
『「本当の無我」なんて無い』なんて無いけど
まあそれもまた無いといえば無いし、しょせん言葉だから、言葉として語ったり語らなかっ
たりすればいいと思うけどな
360 :
神も仏も名無しさん:2011/11/03(木) 22:32:46.31 ID:neYA8/PN
本当のことは書けないし言い得ない
それがが伝えられると思った時点で不実だ
本当の恋が人を沈黙させるように(恋バナは汚らわしい)
それにたいしては哲学も論理も下品で不快だ
誰も神の顔を覚えておくことは出来ない
それは秘め事だ
唯一つの祈りだ
362 :
基地外:2011/11/04(金) 05:27:21.10 ID:X9EgbvfK
仏教僧は祈らない
364 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/04(金) 07:11:02.68 ID:SKkkuCXR
>>349 > 体験として、最初に『微細で透明な思考』に気づかれたときはどんな
> 経過を辿りましたか?
最初はどうだったかはっきりと思い出せませんが、
たしか、これといった経過はなかったと思います。
目を開けて瞑想しているときに、ふと気づきました。
> また、気づいたときの状態は無我とはどのような関係がありますか?
無我を確かめようとしていましたが、確かめられませんでした。(笑)
365 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/04(金) 07:58:09.00 ID:SKkkuCXR
>>303 > 私は在ろうとするのをやめた
> ただ私は在る
>
> とゆう主張を密かに繰り返し
(爆笑)
>>321 > でも、その観ようとするのを何とかしようとすると?(笑)
なんとかしようとするのではなく、ただ気づくと、それは消えませんでしょうか?
つまり、ただ、意識的である時、です。
調べるために今にいるときではなく、ただ、今にいるとき、です。
在ろうとする者に気づくと、在ろうとする者は、消えませんでしょうか?
主張している者に気づくと、それは消えませんでしょうか?
在ろうとしないと、在らないでしょうか?
意識自体、存在自体は、「私」が○○しようとする前から在りませんでしょうか?
それは、消すことは出来るでしょうか?
366 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/04(金) 08:10:16.65 ID:SKkkuCXR
このリアリティー自体、です。
367 :
キャラメ:2011/11/04(金) 08:12:50.90 ID:ASoF4uZz
368 :
基地外:2011/11/04(金) 08:41:50.64 ID:DlbBxbLZ
369 :
基地外:2011/11/04(金) 08:42:56.76 ID:DlbBxbLZ
>>369 イッタレ、イッタレ気にすんな。基地に\(-_-)一本
「空に雲ひとつなし
水に波ひとつなし
吹く風の音もなし
鳥の鳴く音もなし
生なし・・・・
死なし・・・・
我なし・・・・」
無に対し潜在的恐怖があったがそれこそが様々の不安、恐怖の源なのでしょうか。
悟りや無をよくわからず素晴らしいことのように思ってる人も多いけど、一般人の自我から
すると恐怖そのものだよ
だってとりあえず何も無いんだからね
生とか気持ちとか価値とか思い出とか自分らしさとか自分そのものとか、守るものがあれば
それだけ怖い
全て失っていいなら怖くない
無を体験するってことは、生きながら一回完全に死ぬってことだからそりゃ怖いよね
一回死んで生まれ変わったらもう怖くもなんともないしただ素晴らしいだけ
でも守るものをひとつでも持ってればそれだけ怖いよね
死と時間の進みだけは生命において平等に訪れる。
産まれた瞬間から平等に死と対峙している。
あなたが今、手にしている食物は「死」そのものだ。
「死」喰らい「生」を繋いでいる。
数多の恐怖を喰らい生きているとも言える。
無とは何か? 死を通過することで何を見いだせるのか
慈悲とはなんたるかを知る機会ではなかろうか。
374 :
神も仏も名無しさん:2011/11/04(金) 12:53:33.41 ID:IZ4KCyMo
>>372 元から無いんだけど、「有る」と思い込んでるからねえ。
思い込みって凄いね。
376 :
神も仏も名無しさん:2011/11/04(金) 13:35:35.06 ID:IZ4KCyMo
私がいないんだったら今まで私が主人公だと思ってたのはなんだったんだ?
金返してくれよ
だれに?
379 :
神も仏も名無しさん:2011/11/04(金) 20:53:51.58 ID:lsZaUr9F
>>377 ホントに私がいないのか、どうなのかは、
その状態になってみないと分からない。
金を返してもらうのはそれからでしょ。
限りなくゼロに近い刹那の現在。
そして無限に連なる過去そして未来。
無限のゼロ。ゼロの連続。
381 :
mam:2011/11/04(金) 23:46:25.48 ID:/qU4sqT+
今とゆう瞬間に何度でも帰って来るために
ひとは世界を巡り
宇宙を探求し
知識と経験を蓄え
何かを目指し
何かを求め
何かを成し遂げようとあがく
学び 探求し 知と経験の高みを求め
いつの日にか
今とゆうこの瞬間に行き着くことを夢見て
382 :
基地外:2011/11/05(土) 05:53:49.37 ID:QYffAAty
>>381 ポエムでつか?σ(^_^;)?
南無(^人^)
383 :
303:2011/11/05(土) 08:50:09.45 ID:1sN5zb4N
>>364 >なんとかしようとするのではなく、ただ気づくと、それは消えませんでしょうか?
つまり、ただ、意識的である時、です。
同意します、が、そもそも気づきにある人、意識的である人は悟った人、覚者です。
つまりamaさんのご指摘は悟り(気づき 意識的であること)を求める人にたいして
悟り(気づき 意識的であること)を得る為には悟っていれば(気づき、意識的であれば)良いのではないですか
と言ってる訳です、で、探求者はジレンマにはまります。
多分人は知性を発達させることと引き換えに気づきを無くしたのです
人はなんとかしようという病に犯されています
知恵の実を食べて楽園(生のリアリティ)を追い出されたアダムとイヴみたいなものですね
そこで方便(技法)が必要になる訳です
384 :
303:2011/11/05(土) 09:04:13.40 ID:1sN5zb4N
ゴメン間違っちゃった(^。^;)
383は
>>365 にたいするレスです
方便(技法)って?
真に本当に求めていればその人は悟ってるだろうけどね
求めてて悟れてないってことは、求め方が中途半端だったり、求めてる気になってるだけだ
ったり、自分勝手な求め方をしてるだけなんでしょ
技法も方便もなくてもいいよね
あったっていいけど
自分は本当に求めているのか、何を求めているのか、求めるということはどういうことなのか、
洞察してみるのがいいんじゃないかな
387 :
基地外:2011/11/05(土) 23:16:23.64 ID:nUZXfCHL
>>385 嘘 偽りの事。
怒っちゃや〜よ!m(__)m
南無(^人^)
388 :
神も仏も名無しさん:2011/11/06(日) 01:36:40.08 ID:mZe0OO4e
>>386 悟りって求めるモノじゃなくて、
もともと持ってるってことに気付いたり
いらないモノを捨てたら、現れてくるモノじゃないかと思うんだよね。
389 :
神も仏も名無しさん:2011/11/06(日) 01:41:00.28 ID:xNutQxnX
日本テレビのドラマ『妖怪人間ベム』は見ましたか?
ベムたちはあなたたちよりも人間はどうあるべきかを知っています。
>>388 それも含めての求め方かな
捨てることも気付くことも求めとも言えると思うし
正しい求め方は求めないことって言い方もあるだろうし
391 :
神も仏も名無しさん:2011/11/06(日) 03:15:35.09 ID:hlzR9Y5p
>>385 マインドを騙して沈黙させる為のトリックです
代表的な技法にはマントラ(同じ言葉をひたすら繰り返し唱える)
とか、歩行禅(ただ歩く)
とか、呼吸を意識するとかがあります
あくまでトリックなので特定の技法にこだわらずに、一つの技法を
2〜3週間やって、効果が無いなら別の技法に変えて、自分に向いてる技法をさがすのが良いでしょう
例えばテトリスをやって意識的になれるなら、その人にはテトリスが向いてる技法ですね
無論、技法は絶対に必要なものとゆうわけではなく
常に意識的でいられるのなら、それで上がりです
常に意識的でいられるのならといいますが
つまり、常に意識的でいるものがそこにいるのですか?
>常に意識的でいられるのなら、それで上がりです
そうなの?
「常に意識的でいられる」って、
十牛図で言えばいわゆる牛を飼いならした状態でしょ?
手綱もなく、牧童が牛にまたがってお気楽に笛なんか吹いてる図。
その先の、牛も、牧童もいなくならないと上がりじゃないんじゃない?
パラドックス的だけど、上がる「人(個人)」はいないということなんじゃないかな。
× >上がる「人(個人)」
○ 上がる「人(主体)」
395 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/06(日) 09:03:27.59 ID:+i2M3906
>>383 > 人はなんとかしようという病に犯されています
まったくです。
頭の中を空っぽに出来ないのは、この病が原因なのでしょうね。
「さあ、瞑想しよう」、
「さあ、空になるぞ」
「意識を集中して見逃さないぞ」
「注意深く、鋭敏に」
「あ、見えた」
「なんだこれは!?」
なんとうるさいことでしょう。(爆)
そういえば、教室でも、
「静かにしろ!」
と叫んでいる先生が一番うるさかったりします。(笑)
> そこで方便(技法)が必要になる訳です
まったくです。
気づくことは、気づき自体であることに気づくための方便と言えるのでしょう。
最後は手放すにしても、それは確かに必要です。
気づいていないときは気づこうとする必要がありますが、
気づいているとき、気づき自体であるとき、その必要はないですもんね。
396 :
神も仏も名無しさん:2011/11/06(日) 11:12:12.61 ID:mZe0OO4e
>>395 >気づいていないときは気づこうとする必要がありますが、
>気づいているとき、気づき自体であるとき、その必要はないですもんね。
「気づき」は一度気付いたら後はいらないんじゃないでしょうか?
「気づいているとき、気づき自体であるとき」って書き方をするのは方便ですか?
397 :
391:2011/11/06(日) 13:32:15.21 ID:hlzR9Y5p
>>393 >「常に意識的でいられる」って、
十牛図で言えばいわゆる牛を飼いならした状態でしょ?
手綱もなく、牧童が牛にまたがってお気楽に笛なんか吹いてる図。
その先の、牛も、牧童もいなくならないと上がりじゃないんじゃない?
そうですね、悟りを
得る者(主体)は居ない。
ご指摘の通りです、確か、それが十牛図の第八図だったと記憶しています
主体も客体も無い、禅で言うところの上がりです
ただその先の第十図で人は酒瓶を携えて市場に還ってくるわけです
amaさんが今そうしているように、かつて、多くの覚者がそうしたように。
自分は我が家に帰りついた、今度は他の人を旅に誘おう、て感じですかね。
愛かもしれません。
そして十牛図は完成するそうですよ。(確かOSHOが、そんなこと言ってた気がします)
その市場で遊ぶ時に常に意識的であれば酔っ払いとしては充分じゃないでしょうか。
398 :
神も仏も名無しさん:2011/11/06(日) 19:36:10.19 ID:mZe0OO4e
>>397 意識してるって感じも無くなるから元に戻るんですよ。
内にも外にも何も無い、
まあ、もともと内も外も無いんですが、
何にも無いから元通り。
しかしそうだとすると、それでもこの瞬間瞬間に生きているものとはなんだろう
400 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/06(日) 20:55:30.03 ID:+i2M3906
>>396 > 「気づき」は一度気付いたら後はいらないんじゃないでしょうか?
気づき自体であるなら、今という瞬間にい続けるなら、いらないと思います。
あるいは、問題を作り続けることをやめるなら、いらないでしょう。
> 「気づいているとき、気づき自体であるとき」って書き方をするのは方便ですか?
方便です。(←これも含めて)
ホーベンボンダイニ
402 :
神も仏も名無しさん:2011/11/06(日) 21:48:31.88 ID:mZe0OO4e
>>400 >気づき自体であるなら、今という瞬間にい続けるなら、いらないと思います。
今以外に、どこにい続けられるの?
瞬間と言わず刹那と呼ぼうとも、い続けられるのは今しかないんじゃないの?
403 :
神も仏も名無しさん:2011/11/06(日) 22:19:15.07 ID:Hyn5W/kd
よく観察すると、自我をもってしまって、つまり過去に生きてたりしますよね
404 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/07(月) 07:18:30.16 ID:4DPn71bT
>>402 考えるということは、知っていること(過去の記憶)を持ち出してきて、
それを働かせているということですよね。
ですから、「私」が思考と同化しているときは今にいないのです。
「私」が知らないものが働くときだけ、今にいます。
405 :
神も仏も名無しさん:2011/11/07(月) 11:13:19.65 ID:hC0Jf8Jz
このスレの皆さんは何か技法やってますか?
あるいは過去にやった技法で効果のあった技法とかありますか?
406 :
神も仏も名無しさん:2011/11/07(月) 13:06:24.73 ID:+5yufVYB
>>404 >考えるということは、知っていること(過去の記憶)を持ち出してきて、
>それを働かせているということですよね。
私にとって考えるとは、対象を抽象的な概念(観念)に置き換え、
その概念をいじり倒して、自分にとって納得のいく答えを導き出すことです。
もちろん、対象を概念化する際に対象そのものとは全く違うモノになってしまうし
出てきた答が正しいと証明する事はできません。
ただ、出てきた答えは自分の中では矛盾がありませんから安心できるといった感じでしょうか。
407 :
406:2011/11/07(月) 14:50:46.77 ID:+5yufVYB
でも、その「考える」はどこかに行ってしまいました。
408 :
神も仏も名無しさん:2011/11/07(月) 19:45:33.64 ID:hC0Jf8Jz
考えることの本質は気づきにあると思う。
情報を気づきの中に置く時、答えは自動的に出て来るのではないか。
ただ多くの人は過去や未来や欲望や不安や後悔に思いを巡らせ煩悶している時間が多くあり。
amaさんを、そういう心理作用を考えるとゆう意味で使っている気がする。
真の思考は気づきと共にある。
愛とはなんぞや?
410 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/07(月) 23:38:37.19 ID:DPJeb7kM
>>409 > 愛とはなんぞや?
愛は渇愛。
水中にいて、水を求める。
まずオメーのさとりを云え。
エロスかアガペかと言われれば仏教の慈悲はアガペなんだろうな。
苦の元となっているのはエロス。
オメーのさとり…
413 :
神も仏も名無しさん:2011/11/08(火) 00:33:39.91 ID:UfbzVJaZ
おれの悟り、あなたの悟り、彼女の悟り、、、はて
414 :
神も仏も名無しさん:2011/11/08(火) 00:51:10.79 ID:ITCfY5+/
415 :
神も仏も名無しさん:2011/11/08(火) 01:13:24.95 ID:DZZGrwSN
武士道とは死ぬことでしょうか?
年を重ねれば、悲しい思い出が増えますね
どうしてですか
比べるものが増えたからだろう
420 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/08(火) 07:14:48.27 ID:SqYQM779
>>405 私の場合は、鼻くうを通る吸気に意識を集中する呼吸法、
生活の行為ひとつひとつに集中すること、
頭の中心をパカッと開いて真っ白になること、
同じところを見ないでキョロキョロすること、
などです。
どれも意識を「今」に集中するための方便として私には有効です。
421 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/08(火) 07:18:06.50 ID:SqYQM779
>>409 すべてを許すこと、受け入れること、認めること、判断しないこと、見つめることでしょう。
422 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/08(火) 07:21:04.91 ID:SqYQM779
423 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/08(火) 07:29:04.84 ID:SqYQM779
424 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/08(火) 07:35:28.70 ID:SqYQM779
>>417 私たちは悲しみたいし怒りたいのです。
悲しみと怒りの根っこは同じものですが、そこに恐怖をみるでしょうか・・・。
426 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/08(火) 09:15:01.83 ID:JZUKQk0Y
>>425 究極の悟り(どのような状況下でも感情を選択できる)だけが悟りであるという主張もあれば、
悟りにはいろいろな段階(局面)があってそれぞれ悟りであるという主張もあるようです。
前者の意味では、私は悟っていません。
死よりももっと恐ろしいのは愛するもの(家族など)を最も残虐な形で奪われたりすることですが、
このとき、私は発狂するか、完全(究極)に悟るかのいづれかの選択しかないと思われます。
>>409 愛とは照明のようなもの。
明るくて心地よかったり、眩しくうざかったり、明るすぎて目を背ける
そんなもの。
そして必ず影を落とす。
強い照明ほど、濃い暗い影を落とす。
誰かに照明を当てた分だけ、後ろが暗くなるんだよ。
時には影が心地よかったり、影で涼む方が心地良かったりもするし
影を知らない者は照明の有り難さを理解も出来ない。
貴方が照明を付けたり、消したりすることで有り難さが分かるように
点灯しぱなしや消灯しぱなしも良くない。
人生舞台のスポットライト、ちゃんと当てないと大根役者になっちゃうよ
いくら照明で満たしても影は必ず発生するし、影があってこそ有難い照明、そんな程度の代物ですよ。
だから自分で気づき、自分で悟れと先人は説く。
428 :
405:2011/11/08(火) 11:03:19.23 ID:ITCfY5+/
>>420 回答ありがとうございます
>1.鼻くうを通る吸気に意識を集中する呼吸法、
2.生活の行為ひとつひとつに集中すること、
3.頭の中心をパカッと開いて真っ白になること、
4.同じところを見ないでキョロキョロすること、
などです。
さっそく試してみます、いきなり究極の悟りは無理なので最初は各技法1日1回1分間くらいづつやります。
どれも面白そうな技法ばかりで今からワクワクします。
とくに4.は斬新でした、想像するだけでも楽しそうですね、4.を知っただけで新しい世界が開けました。
仮に悟りを啓けなくとも4.を知っているだけで、もうこの先の人生退屈することは無いでしょう。
例え一日一分でも覚醒出来たら、そんな日々を想像するだけで...もう、うっとりしてしまいます。
ではさっそくキョロキョロして来ます
amaさんに感謝しながらキョロキョロして来ます
では良い旅を
>>420 どれもヴィパッサナー瞑想っぽいけどヴィパッサナー瞑想やってたの?
たしかパオ式はやってないとか書いてあったけど
それとも誰かに教わったとか本に書いてあったとか?amaさんのオリジナル?
430 :
基地外:2011/11/08(火) 11:33:39.42 ID:Jx01TgeC
怠け禅、楽になるよ!o(^o^)o
南無(⌒人⌒)
>>430、
私も以前徹底的に怠ける怠け禅(それは自分が邪魔するのか、難しい)を思い立ったことがあります。
近いやり方のように思えますが、
>>430さんの方法をご指南いただけると有り難いです。
432 :
基地外:2011/11/08(火) 22:29:04.33 ID:Jx01TgeC
>>431 承りました。詳細は「座禅・立禅・歩行禅prat 3」に
進行形で書き込んでおります。そちらをお読み下さい。
南無(⌒人⌒)
433 :
ろん:2011/11/08(火) 23:18:08.19 ID:pxi93bzm
坐禅は休むんだよ、土日くらいは、一人でポケっと休む。。
それでおいらは結構調子が整うけどなー。。
434 :
ろん:2011/11/08(火) 23:30:36.24 ID:pxi93bzm
休むというのは、なるべくテレビも見ず、新聞も読まず、陰謀論情報も見ず、感情、思考にエネルギーを費やさない。。
意識だけは鋭敏にして、部屋だけ片づけるとかさ、そんな感じかな。。
車乗るときでも、ラジオも音楽も聞かない、とかね。。
いや、音楽もテレビも嫌いじゃないんだけど。。
435 :
431:2011/11/09(水) 00:07:38.57 ID:MlV4ksRy
>>432 ありがとうございます。拝見させていただきます。
436 :
391:2011/11/09(水) 00:19:01.94 ID:t74e1U3q
>>392 >常に意識的でいるものがそこにいるのですか?
在るでしょう、観察されることのない観察者が
それに関しては私達にできることはなにもありません
ただ私達のマインドが沈黙する時、それが現れて来ます
それは意識的でいるものとゆうより意識そのものであり世界に唯一つの私です
私(マインドとしての私)も貴方(マインドとしての貴方も)本当は、その私です
「私は私である」は事実です
437 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/09(水) 00:23:34.00 ID:Bz1yOeoi
438 :
ろん:2011/11/09(水) 02:10:16.22 ID:KSSfknJS
439 :
神も仏も名無しさん:2011/11/09(水) 02:43:36.12 ID:MP6MZKDa
禅友に贈る書 おもしろかったなあ
440 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/09(水) 03:01:42.96 ID:0VoXdqNx
441 :
神も仏も名無しさん:2011/11/09(水) 13:39:01.28 ID:Ez6iCTAq
>>438 禅友に贈る書を読みました。
これって書かれてる内容が本人の思い込みに過ぎない可能性もある以上
興味深いって感じに留まりそうです。
442 :
神も仏も名無しさん:2011/11/09(水) 13:43:01.44 ID:Ez6iCTAq
>>436 意識は自分の事を「私」と呼んだりはしません。
「私」の指し示す対象は「自我」です。
自分から自我を排除すれば自分を「私」とは呼ばないが、
自我も自我でないものも自分であるなら、それを「私」と呼ぼうが「私」と呼ぶまいが同じことだろう
自我を排除しているとき自分とは何なのか
自我も自我でないものもそこに分別はない
444 :
神も仏も名無しさん:2011/11/09(水) 15:21:49.70 ID:Ez6iCTAq
>>443 >自我も自我でないものも自分であるなら
自我も自我でないものも、本当に自分なのだろうか?
>自我を排除しているとき自分とは何なのか
一体何なのだろう?良く解らないモノとしか言いようがない。
445 :
431:2011/11/09(水) 17:04:11.92 ID:MlV4ksRy
>>432 他スレの怠け禅を拝見しております。
怠け環境を整えるのがたいへんのようですが、禅ですから仕方ないことかもしれませんね。
初心者ですが頑張ってみようと思います。
446 :
神も仏も名無しさん:2011/11/09(水) 17:30:42.55 ID:OoJ/xm0f
西成で生活保護しながらドライオーガズムですか
それは悟りでも何でもないですね
>>437 おっぱいが宇宙の中心を表していることを悟りました
448 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/09(水) 19:00:29.70 ID:Ha+ZjniI
449 :
神も仏も名無しさん:2011/11/10(木) 01:04:11.95 ID:wN1m2Fhk
>>424 >私たちは悲しみたいし怒りたいのです。
それはある(笑)
451 :
基地外:2011/11/10(木) 01:13:01.73 ID:qzu1tNow
>>446 悟り?σ(^_^;)?
絵に描いた餅の事かの?wwwww
南無(⌒人⌒)
>>426 執着があるんですね。
自分や愛するものを特別視して、
思い通りにしたいと言う執着という欲望が。
時間という妄想をやめ、
自分という妄想をやめ、
悟りという妄想をやめたら、
何があるかね?
純粋な生
ただ在る。
なんか群雄割拠というか玉石混淆というか・・・・もうわけわからんな。
amaさんは南伝系で473さんはosho色が強いですなあ。
ロン様までいるし、ポッたんの別コテ、その他名無し諸賢・・・。
何なんだよー。仲良くするのがそんなに難しいのか?
私の力不足で人間どもが至る所でこんなになってしまったたとは!
私はこの責任を糾弾される。このままだと「どうもこうもなりませんでしたー」
っていう報告書になってまう・・。
457 :
神も仏も名無しさん:2011/11/10(木) 03:15:36.57 ID:wN1m2Fhk
>>452 キリストもゲッセマネの園で血を流して祈った
仏陀に「貴方は悟ったから私から離れて法を説きなさい」
と言われた弟子は「貴方から離れたくありません」
と言って泣いた
仏陀にも執着があった
肉体は肉体としてある
悟りとは葛藤の終わりであり愛の体験の終わりでは無い
貴方が悟りを開いても
存在の詩は続く
>>456 エベレストへの登山ルートが一本しか無いと?
一本しか無いと考える幻想は捨てよう、ある者はザイルを担いで、ある者は徒手空拳で、またあるのものはパラシュートで。
富士百景
山梨から見る富士、長野から見る富士、東京から見る富士
富士は一つでも見え方は千差万別。
千差万別だから富士なんて無いんだ!とはならない。
ただ、富士ではなく霧ヶ峰を差して、あれは富士だと呼称してるかもしれないけれど・・・
459 :
基地外:2011/11/10(木) 04:36:38.17 ID:qzu1tNow
>>458 それが多様性じゃ!(゜ロ゜)
南無(⌒人⌒)
460 :
神も仏も名無しさん:2011/11/10(木) 05:36:33.68 ID:iKmMX95w
>>459 君は実際の現実と向き合うのはつらいので
思考の作り上げたファンタジーに現実逃避しているだけ
461 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/10(木) 06:55:37.07 ID:TPnQ3hAS
>>428 >>429 いえ、ヴィパッサナー瞑想というのを知りません。
1と2は、「神との対話」と「気楽なさとり方」のいずれかもしくは両方に書かれていたように記憶しています。(あやしい記憶ですが・・・)
2は、津留晃一という人の少林窟という禅の道場での体験記にも書かれていたと思います。
3と4は、鋭敏に気づこう気づこうとしていたら、知らないうちにそんなことをしていました。
ちなみに3と4は、たいてい同時にやっています。
私は、3をやるとどうしても目が大きく開いてしまいます。
そして、4をやっていることが多いです。
思うに、4は3から派生的に出てくる行動のようです。
462 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/10(木) 07:11:17.82 ID:TPnQ3hAS
>>444 > 一体何なのだろう?良く解らないモノとしか言いようがない。
まったくです。
463 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/10(木) 07:19:09.72 ID:TPnQ3hAS
>>452 おっしゃる通り自分の子供には執着があります。
464 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/10(木) 07:26:36.62 ID:TPnQ3hAS
>>457 >キリストもゲッセマネの園で血を流して祈った
「神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか」も有名ですね。
465 :
基地外:2011/11/10(木) 07:31:22.43 ID:qzu1tNow
>>460 拈華微笑 (⌒‐⌒)/
南無(⌒人⌒)
466 :
神も仏も名無しさん:2011/11/10(木) 08:17:10.73 ID:iKmMX95w
>>465 安定の象徴として固定化された言葉にしがみついても
あなたの実際の状況は解決しないし満たされない気持ちもそのままだ
意味がない
早くそれを見抜いたほうがいいと思う
そういう風にして生きることはつらいことだろうし
つらいというのも、世間から見てどうなのかというつらさのことではなくて
あなた自身で深く自分を見つめて見出す方の意味でね
467 :
神も仏も名無しさん:2011/11/10(木) 08:42:19.00 ID:OYqLwND6
>>453 >何があるかね?
「何か有る」もしくは「何も無い」という妄想が残る。
468 :
ろん:2011/11/10(木) 10:55:09.63 ID:pD1vKp4U
>>463 本で読んだ話ですが、
チベット仏教の師が、弟子に一切は幻想であると教えていた。
ある時その師の息子が死んで、師は号泣して悲しんだ。。
弟子は師に尋ねた。すべては幻であると言っていたのに、どうしてそんなに悲しむのですか?
師は答えた。私の息子の死は、超幻想である。。
469 :
ろん:2011/11/10(木) 11:04:15.91 ID:pD1vKp4U
無我とか空と言われるものは、実体の無いものが実体として感じられること、それに執着してしまうことも空と知る、
執着する自己をも無我として知る。
その中で体験する喜怒哀楽も空として執着しない。
だから、息子の死に際して号泣したその感情はそのままで何も問題がないわけです。。
さらに、瞑想等によって、意識がクリアーになって、抑圧や分裂が亡くなれば、感情はストレートに発散されるようになるように感じます。
空や無我を知れば、ものを実体として認識する認識もそのままで問題ないものになると思います。
そうした認識やそれに伴う喜怒哀楽も、何ら否定されるべきものでなく、邪魔になるものではなくなるのでしょう。
470 :
ろん:2011/11/10(木) 11:11:07.06 ID:pD1vKp4U
>>443 自我や自分や私を問題化しているものが自我です。。
私に実体がなければ、問題にならない。。
実体がない、無我であるという認識もなくなって、自己に拘らなければ、無我を実証したということになるでしょう。
>>444 真我とか意識とか気づきが私であると言っても、そこに中心を見出せば、まだ私が残ります。
中心のない、様々な機能の集まりを仮に自己と名付けてわかったように思っているのが我々です。。
471 :
ろん:2011/11/10(木) 11:17:57.42 ID:pD1vKp4U
>>456 混沌が2ちゃんの特質だからねー。。
おいらはアラシてる気はないのに、よくアラシ扱いされる。。ww
おもしろい議論だと思って参加しちまったまで。。
アクエリアス・エイジだから、いろんな交流があるってことよ。。
>>464 「神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか」
この言葉を本当にキリストが言ったと思いますか?
473 :
基地外:2011/11/10(木) 12:05:07.99 ID:qzu1tNow
>>466 日々是好日 他人を思いやる気持ち美しいですね!
南無(⌒人⌒)
474 :
神も仏も名無しさん:2011/11/10(木) 15:04:43.68 ID:OYqLwND6
ろんは知識を深めても悟りには至らないって実感させてくれる
いいサンプルだとマジで思う。
475 :
基地外:2011/11/10(木) 15:18:07.51 ID:qzu1tNow
>>474 仏教の全てを学び知識第一と言われた仏弟子が
地獄に落ちた何て話が有りましたな。(-。-)y-~
南無(⌒人⌒)
477 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/10(木) 16:47:19.81 ID:n3hhePNT
478 :
ろん:2011/11/10(木) 19:25:46.19 ID:pD1vKp4U
>>474 悟ったとか悟らないとかどうでもいい、そういうこと言ってんのが迷いなんじゃないか?
479 :
ろん:2011/11/10(木) 19:30:02.75 ID:pD1vKp4U
悟ってない人はいません。。迷っている人もいません。。
迷いとか悟りとか、そう思ってる人が要るだけなんだよ。。
480 :
ろん:2011/11/10(木) 19:35:29.08 ID:pD1vKp4U
自身を明らめれば全てがわかる。。
すべて平等にして空平なることを。。
なんかあると言ったら、因果の法くらいのもんだ。。
481 :
ろん:2011/11/10(木) 19:36:11.02 ID:pD1vKp4U
自身は自心と書きたかった。。
ま、どっちでも大差ないけど。。
482 :
神も仏も名無しさん:2011/11/10(木) 20:38:29.31 ID:+cizGyld
>>478 >悟ったとか悟らないとかどうでもいい、そういうこと言ってんのが迷いなんじゃないか?
迷い?どこにあるんだ、そんなモノ?
483 :
神も仏も名無しさん:2011/11/10(木) 20:41:28.76 ID:+cizGyld
>>480 >すべて平等にして空平なることを。。
この場合の平等とは何を指すの?
>なんかあると言ったら、因果の法くらいのもんだ。。
因果の法が本当にあると思ってる?
484 :
神も仏も名無しさん:2011/11/10(木) 21:07:42.76 ID:KLnaKJBJ
ろん悟ってるじゃんか
分からないのか?
無功徳!
486 :
神も仏も名無しさん:2011/11/10(木) 21:22:26.51 ID:+cizGyld
>>484 ろんは悟っているのか?
分からないなあ。
もし悟った事があるのなら、悟りが定着しなかったんだな。
初関は通ってるだろう
でもそこで自分は悟ったって思っちゃったんだろうね
悟ったとか悟らないとかどうでもいいって思っちゃったんだろうね
どうでもいいって何だろうね
488 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/10(木) 23:38:17.67 ID:55MKm4LY
489 :
神も仏も名無しさん:2011/11/10(木) 23:44:15.11 ID:KLnaKJBJ
>どうでもいいって何だろうね
執着の構造を理解してるってこと
490 :
ろん:2011/11/10(木) 23:59:25.21 ID:pD1vKp4U
>>483 >平等とは何を指すの?
自分で考えてください。。
>因果の法が本当にあると思ってる?
あると言ったらって、仮定の話をしてるだろ、日本語ちゃんと読解してから言ってくれ。。
>>486 定着しなくとも、いったん悟って、そこから外れて、また戻ってって繰り返してれば、馬鹿でもどうやったら外れるか、どうやったら戻れるかわかるじゃないか。。
みんなそうやって修行していくんでないのかね?
カルマに恵まれたものは、一気に逝って帰ってこないのかもだけれど。。
491 :
神も仏も名無しさん:2011/11/11(金) 00:16:28.94 ID:OZcSpke3
唯、観る
すると驚いたことには
私はCDジャケットサイズの人の顔の写真すら、正確には観れ無いことに気づいた
492 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/11(金) 00:33:56.64 ID:JxR+b7pM
493 :
ろん:2011/11/11(金) 00:40:29.82 ID:3PRwlcVZ
平等と言ったら、迷悟すら平等で、迷悟なんてあるわけない。。
法の下での平等というけど、迷悟と言う差別をどううまく使うかは、その人の力量次第だな。。
道がわかった人にとって、他人の迷悟をあげつらうのは、はしたないこと、道から外れることだ。。
せったんみたいに本名から寺の名前まで出して、堂々と師家ですってやってる人はいいが、名無しは信頼できんし、ヘタレにしか思えん。。
自分が悟ったと思うなら、あるいは他を導けると思うなら、堂々とコテでやればいい。。
ステハン名無しはお化け・・フルフェイスヘルメットの怪しい客人みたいなもんだ。。
494 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/11(金) 00:41:23.35 ID:JxR+b7pM
495 :
神も仏も名無しさん:2011/11/11(金) 00:43:15.81 ID:MqEoRjnW
>>490 >あると言ったらって、仮定の話をしてるだろ、日本語ちゃんと読解してから言ってくれ。。
仮定の話だと分かった上で、ろんが本当に因果の法があると思っているかどうか聞いたんだよ。
仮定の話でも、どう思ってるかは答えられるよね。
496 :
ろん:2011/11/11(金) 00:45:24.92 ID:3PRwlcVZ
>>495 あるけど実体はない。。
自己責任も本当はないということだ。。
名無しに答える義務なんてないと思うけど、答えてやった。。
497 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/11(金) 00:48:22.18 ID:JxR+b7pM
498 :
ろん:2011/11/11(金) 00:49:20.76 ID:3PRwlcVZ
ワンコがいっぱいションベンして困るなー。。
499 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/11(金) 00:51:25.67 ID:JxR+b7pM
500 :
神も仏も名無しさん:2011/11/11(金) 00:54:37.67 ID:MqEoRjnW
>>496 俺もろんにそこまで聞く必要もなかったけど
「日本語ちゃんと読解してから言ってくれ。。」って言われたんで聞いてみた。
まあ、そんな答だろうなって答えだった。ろんらしいね。
501 :
jk:2011/11/11(金) 01:30:20.23 ID:adfHpked
彼氏のあれをフェラチオするとき、精液は飲んだ方がいいでしょうか?
502 :
神も仏も名無しさん:2011/11/11(金) 01:49:39.62 ID:0on79iKJ
>>501 内部被曝が心配なんですね?
一度専門の検査機関に事情を説明してサンプルを検査してもらいましょう
放射精物質が検出されるかもしれませんからね
503 :
ろん:2011/11/11(金) 02:07:28.06 ID:3PRwlcVZ
>>500 寝言言ってんじゃねーよ、バカやろが。。
504 :
ろん:2011/11/11(金) 02:10:12.27 ID:3PRwlcVZ
錯を以って、錯につくだっけか、碧巌録。。
敢えて迷いに堕ちる、輪廻に堕ちても平気のろん様。。
かかってきやがれ名無しのカスども。。
え?お呼びでない?
そりゃー失礼いたしました。。ww
505 :
基地子♀:2011/11/11(金) 02:20:58.16 ID:0BBLSFgt
>>504 ろん様、遊びましょう!(⌒0⌒)/~~
506 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/11(金) 02:35:09.60 ID:JxR+b7pM
507 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/11(金) 02:36:20.07 ID:JxR+b7pM
>>504 カッコイイー!
迷悟にもとらわれれない。
輪廻解脱にもとらわれない。
あらゆる相対的現象は生滅なきものと見極めたろん様に敬礼 (`・ω・́)ゝ
509 :
基地子♀:2011/11/11(金) 02:43:47.97 ID:0BBLSFgt
>>504 ろん様、童貞かしら?包茎なんて気に病まないでね。
恥ずかし柄ずにいらっしゃいな!可愛がってあげますよ。d=(^o^)=b
気持ち悪い
511 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/11(金) 07:30:35.46 ID:h8DlrsBv
>>469 自分が執着している、ということに対しても執着すべきではない、
つまり、執着している自分を認めて受け入れた方が良いということですね。
512 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/11(金) 07:31:57.73 ID:h8DlrsBv
513 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/11(金) 07:37:17.23 ID:h8DlrsBv
514 :
基地子♀:2011/11/11(金) 11:07:50.54 ID:9wKUrEr7
>>510 もしかして、ろん様かしら?ワクワク!o(^o^)o
515 :
ろん:2011/11/11(金) 16:19:56.80 ID:3PRwlcVZ
>>511 そうです。
自己の在り方にこだわる必要はないということです。。
516 :
ろん:2011/11/11(金) 16:25:05.50 ID:3PRwlcVZ
>>508 なんも見極めてないぞー。。
>>509 お相手してくれるんか、うれしいね。。
行くでー、待ち合わせしよう。。
今日明日は予定入ってるけど。。
517 :
基地子♀:2011/11/11(金) 17:03:33.51 ID:9wKUrEr7
>>516 私大阪だけど、ろん様東京かしら?σ(^_^;)?
518 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/11(金) 22:28:01.56 ID:+oP2S0VC
≪お題≫
動機なしに気づくと何が起こるでしょうか?
519 :
神も仏も名無しさん:2011/11/11(金) 22:54:33.98 ID:MqEoRjnW
>>518 動機なしに気づくとは?
すいません、意味が良く分からない。
気づきに動機なんてないし元々何も起こってない
元々何も起こっていない様で、
全てが起こり続けていることがわかる。
そして、それと自分は、分離していない。
522 :
神も仏も名無しさん:2011/11/12(土) 00:01:18.58 ID:OZcSpke3
>>518 あるでしょうね
確か仏陀が悟ったのは、なにをやっても悟れず
悟りをあきらめてただ在った時だったと聞いてます
ただこれは幸運な例外を除いて探求した後じゃないと起こら無い
時々気づきは非探求者にも起こりますが、非探求者は気づきの価値を知らないので
ただなんとなく幸せを感じたなくらいで、たいていマインドゲームに戻りますね
ただまあ、要するに私も含めて探求者が気づけ無いのは注意深さが足らないからですね(笑)
523 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/12(土) 00:17:25.93 ID:PP3vJ6j2
524 :
522:2011/11/12(土) 00:19:33.65 ID:VSIE+H08
ごめんなさい、
>≪お題≫
動機なしに気づくと何が起こるでしょうか?
を
動機なしに気づきは起こるでしょうか
と読み間違ってました
≪お題≫の答えは「静寂が起こる」ですか?
自信は無いです(笑)
難しく考えすぎだよ。
自分が動機を持たずにも、起こっていることを、考えでみなよ。
シンプルでいいんだよ。
526 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/11/12(土) 00:43:30.62 ID:aKpKqG5h
物事は起こり続ける。要点は我々の態度だ。
起こることに頓着しなくなることが解放ではないだろうか。
起こるという認知者はすなわち選好であり、それは執着であり逃避でもある。
それは絶えず事実と葛藤する。
527 :
ろん:2011/11/12(土) 00:45:05.89 ID:4DZNpkwt
>>517 うん、東京近郊。。
愛し合おうぜー。。
何も起きない 静寂 気づきが在る
530 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/12(土) 01:17:43.95 ID:PP3vJ6j2
動機とは何だろうね。
動機と自分は、別のものかな?
自分が何かをしようとする時、自分と動機は別のものかな?
532 :
基地子♀:2011/11/12(土) 01:57:49.17 ID:j6ADv1Ie
>>527 来月東京都に出張するから、その時
に逢い引きしましょうね。o(^o^)o
そういう事はホモ板でやれ
あるかどうかは知らんが
534 :
基地子♀:2011/11/12(土) 02:39:04.04 ID:j6ADv1Ie
>>533 基地子♀は変性女子だから、無問題ですよ!(^3^)/
535 :
535:2011/11/12(土) 03:28:26.75 ID:b+3oBnD0
>>417 >年を重ねれば、悲しい思い出が増えますね
>どうしてですか
歳と共に人の傾向は累積して大きくなるから。
それが、あなたの思考パターンだから。
何かあった。それが過去に起こったもので他人の責任なら怒り、自責なら悲しみ、未来に向ければ不安や恐怖に変わり、
受け入れれば喜びに変わり、1つの事象で色々な思いに変わるもの。もとは同じものだから、パターンが変われば世界も変わるだろうと思う。
>>424 >私たちは悲しみたいし怒りたいのです。
>悲しみと怒りの根っこは同じものですが、そこに恐怖をみるでしょうか・・・。
それは気がつかなかった。
恐怖からの逃避だったか。
>>518 >≪お題≫
>動機なしに気づくと何が起こるでしょうか?
知らん
最も大きな騒音は何処から来ているのでしょうか?
>>535 横レス失礼です、
自分が悟りたいと思う理由の一つに恐怖を癒したいという願望があるのですが、
一連のレスで恐怖を昇華するためにどうこうするより
ただ恐怖を恐怖として見つめた方がなんだか悟りには近いような思いがしました。
537 :
ろん:2011/11/12(土) 07:40:12.95 ID:4DZNpkwt
>>518 動機があって、求めて気付くのが小悟、
動機もなくていきなり気付くのが大悟みたいなイメージがあります。
もしかして気付きの瞬間、自分を認識していなかった時間、
その時間がより長くなる…は違いますか?
それとも、ただ知るという体験で終わってしまったりするでしょうか?
539 :
基地子♀:2011/11/12(土) 08:18:08.92 ID:j6ADv1Ie
>>537 性差を超えた存在ですよ。ろん様が女だと思えば♀だし
男だと思えば♂に見えるでしょうね。人によっては悪霊
と呼ぶ事も有りますよ。東原亜希みたいな存在かしら?
なんちゃって!o(^o^)o
>>536 恐怖ってのは記憶の産物。
記憶喪失になってしまえば怖くない。
怖いと記憶したから怖いのであって、その記憶が無ければ怖くない。
自分を作り替えるつもり修行してみたらどうかな。
全てが無であるなら、無からもう一度貴方は誕生できる。
新しい貴方を創造すると心に決めてはどうしょう。
生理的な恐怖は別だけど。
541 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/12(土) 10:15:24.86 ID:Yf92n8ab
>>519 何かを得ようとか、調べようとか、何かになりたいとか、期待するとか、とかとか・・・、
何かのために気づこうとするのではなく、ただ気づくことです。
原因もなく理由もなく気づくこと、ただ、気づき自体でいることです。
もし仮に一発目は動機があってもそのあとはどうでしょう。
542 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/12(土) 10:41:24.50 ID:Yf92n8ab
>>524 > 動機なしに気づきは起こるでしょうか
> と読み間違ってました
それはそれで興味深い問いですね。
> ≪お題≫の答えは「静寂が起こる」ですか?
確かに静寂は起こります。
あるいは何も起こりません。
何も起こらないことがこれまた素晴らしいですね。
ただ、私の答えは、まあどうでもよくて、問い自体が重要だと思います。
「私」自身が「動機なしに気づく」ということに注目し、調べてみることが大切だと思うんですね。
調べようとするとどうなるのか?
調べようとしないでいることは出来るのか?
調べないではいられないのか?
などなど・・・
答えを出すことに意味がないかもしれません。
私があまり解説するとこれまた意味がないかもしれません。(苦笑)
543 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/12(土) 10:43:57.32 ID:Yf92n8ab
>>526 > 起こることに頓着しなくなることが解放ではないだろうか。
まったくです。
> 起こるという認知者はすなわち選好であり、それは執着であり逃避でもある。
つまりそこに期待があるということでしょうか?
> それは絶えず事実と葛藤する。
同感です。
544 :
535:2011/11/12(土) 10:48:13.25 ID:b+3oBnD0
>>536 何によって思考から解放されるのでしょうね
545 :
535:2011/11/12(土) 10:55:57.46 ID:b+3oBnD0
心の騒音というのは非常に大きい
ずっと動き回っていて騒音を出しつづける
少し休めてあげないと
使えるときに使い休める時に休む
そのように使えば、すごく良く働くものに変わるだろう
546 :
535:2011/11/12(土) 11:27:52.38 ID:b+3oBnD0
>>522 ニコチン中毒やアルコール依存から抜け出すのは幸運によるものだろうか
中毒を絶ったからだろうか
>>542 >ただ、私の答えは、まあどうでもよくて、問い自体が重要だと思います。
困ったときは大体、問いのほうに課題があることが多いですね。
何が動機なしに気づくのか?
動機なしに何を気づくのか?
動機なしに気づくのは何か?
何が起きるのか?
起きるとは何か?
何かとは何か?
ただ、そうはいっても「何が起きるのか」の回答をすると、
何も判断せず、何も求めず、何も真似ず、ただあるがままに観る世界
そういったものが諦らかになると思います。
そして喜びや静寂はその伴奏みたいなものかと思います。
548 :
522:2011/11/12(土) 12:23:48.53 ID:VSIE+H08
>>546 両方のケースがあるでしょうね、在るいは複合型もあるでしょう
1. 薬物の害を理性で理解して意志の力でやめる
2. 薬物の無意味さに気づいて薬物を欲しなくなる
3.1をしているうちに偶然2が起こる
ただ意志の力で薬物を止めるのは気づいて止めるのに比べ凄くきついと聞きます
549 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/11/12(土) 12:59:14.89 ID:aKpKqG5h
≫起こるという認知者
瞑想のことだけではなく、聖と俗の区別、生と死の区別、男と女の区別。
その区別をする主体です。
≫動機無き気づき
自分の中に複数の思考が執着がありそれが争っていることを認知できているとき、
単純な事実を認知できているときそこに動機はあり得ません。
動機は一つの思考であり執着にすぎないので複数のそれが争っていることを認知できない。
矛盾という地獄は決して変えることはできない。
地獄は単純な事実であり、それに頓着しなければそれに巻き込まれずににいられるかもしれません。
満たされない欲望の不満を超えれば異なる欲望の衝突である葛藤が見えてくる。それを魂の闇夜といったか。
それをも飄々と受け入れられればあるいは。
>>536 恐怖って結構面白いテーマで、その恐怖自体が本当にあるのかとか
じゃあ恐怖を感じてるもの自体がそもそも本当にあるのかとかね
恐怖に出会ったら、それはとてもいい切欠になることがあると思う
無闇にただ消し去ろうとせずにお客さんとして丁重に扱うのがいいかもしれない
しばらく一緒にいて、河川敷で気の会う友達と無言で過ごすかのように
相手が語りだすまで寄り添って気長に待ってあげてはどうでしょうか
551 :
ろん:2011/11/12(土) 13:37:10.72 ID:4DZNpkwt
>>539 ふーん、面白いね。。
会ってみたいかもww
552 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/11/12(土) 15:27:46.58 ID:aKpKqG5h
自己の中に渦巻く
2つの動機
3つの動機ともいい
7つの動機ともいわれ
48の動機ともいわれる
その動機に気づけるとすればそれは動機によってではないでしょう。
そもそもが我々の中には複数の動機が動きせめぎ合っているのです。
その騒音に気づくのに動機がいるでしょうか。
自分が動機に支配されているとき自分の動機の目的とそれに対立する何かしか見えなくなり
それ以外は静寂なのだ無なのだと勘違いしがちですが、
いやいや私は複数の騒音以外の何物でもない。
ある強い動機はその混乱と葛藤の地獄から目をつむるために役立つ。
動機がなければいやがおうにも自分の中にある動機たちの騒音が葛藤が聞こえてくるでしょう。
553 :
基地子♀:2011/11/12(土) 16:09:00.56 ID:j6ADv1Ie
>>551 何処でお会いしましょうか?帝国ホテルにしますか?
それとも新宿二丁目?鶯谷でも構いませんよ。
良ければ山谷でも良いですよ(笑)
東京都内なら詳しいですよ!o(^o^)o
554 :
535:2011/11/12(土) 16:11:19.38 ID:z4x41dQh
>>548 タバコの場合、ニコチン依存は1週間程で消えるから、
この影響をクリアできるのはそれほど難しくは無いです。
難しいのはその後、ニコチン以外の影響で、タバコの場合は喫煙欲がなくなるまで1〜2年かかります。
ちなみに1年後の禁煙成功率は6%で禁酒の場合は3年後3〜13%らしい。
さてこの影響とは何でしょう
555 :
535:2011/11/12(土) 16:28:17.79 ID:z4x41dQh
>>522 >確か仏陀が悟ったのは、なにをやっても悟れず
>悟りをあきらめてただ在った時だったと聞いてます
仏陀の話は昔の話なので作り話かも知れないし、本当のところは解からないだろうし、
仏陀がどういう道を辿ったにせよ、悟りには影響しないと思うのでエピソードぐらいの気持ちで読んだことあります。
556 :
535:2011/11/12(土) 16:29:21.12 ID:z4x41dQh
確か、出家理由は不明で解かっていなかったと思う。
その後、(おそらくバラモンの悟った)師について学んで、師と同じところに達したけれども、
まだ到達していないと感じて別の師について・・・を繰り返して6人の師について、最後に苦行をした。
苦行を止めた理由は、(おそらく瀕死だったからと予想していた。)よく解からないらしいが、
557 :
535:2011/11/12(土) 16:33:42.43 ID:z4x41dQh
スジャータから乳粥をもらって食べた。おかげで元気を取り戻したが、苦行仲間から修行を放棄したと非難された。(らしい)
その後、菩提樹に座って、悟るまでは2度と立ち上がらないことを決め、1週間後の明けの明星のとき悟った。とこのような内容だったと思う。
作者(学者)の思いがいくぶん創作されていると思うが、おそらく当たらずとも遠からずだと思う。
なぜなら、このぐらいの過程を経なければ、思考依存からの脱却は難しいと思えるからです。
思いだからどうにでもなる と思ってみてもそうはいかないのですから。
558 :
522:2011/11/12(土) 18:42:36.33 ID:VSIE+H08
>>554 難しいのはその後、ニコチン以外の影響で、タバコの場合は喫煙欲がなくなるまで1〜2年かかります。
ちなみに1年後の禁煙成功率は6%で禁酒の場合は3年後3〜13%らしい。
さてこの影響とは何でしょう
心理的依存でしょう、子供が離乳しても無意識に指をくわえるようなものかと
気づいて止めた人は止めた瞬間に心理的依存は消えてますが
思考の判断で止めた人は、自分は健康や経済的利益を得る為に
酒やタバコの楽しみを犠牲にした、とゆう欠落感があり
それが何かの機会に噴射するのかと思われます
559 :
535:2011/11/12(土) 22:11:34.45 ID:z4x41dQh
>>558 心理的な依存なんでしょうね
特に理由があるわけでもなく習慣になっているから、つい手がでてしまう。
思考への依存も止めようと思っても、心理的な依存でつい手が出てしまう。ということですね。
560 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/12(土) 22:32:30.16 ID:EXLvMQDz
561 :
ろん:2011/11/12(土) 22:53:38.28 ID:4DZNpkwt
>>553 あっはっは、会うって言って、直行でホテルインするのーww
まあとりあえずお茶だな。。
上野とかだと待ち合わせしやすいかもね、西郷さん前とか。。
562 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/12(土) 23:34:28.57 ID:EXLvMQDz
563 :
基地子♀:2011/11/13(日) 01:05:22.95 ID:Sflqg7w8
>>561 了解しました!上野ですね。早速日程調整しますね。
嬉しい!ワクワク、ワクワク o(^o^)o
564 :
522:2011/11/13(日) 02:26:26.92 ID:9Ete7NEJ
>>518 >≪お題≫
動機なしに気づくと何が起こるでしょうか?
補足説明
気づきは気づきなので動機が在っても無くても起こること(何も起こらないも含め)は同じですね
ただ
>>522 でも書いたように、動機無しだとマインドゲームに戻りやすいでしょう
565 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/13(日) 11:07:19.39 ID:bKlr58Ze
>>520 確かに気づきに動機はありませんし、もともと何も起こっていません。
まったくおっしゃるとおりです。
ただ、そのときのことが「私」に記憶として残りませんか?
もし、それを表現するとしたらどうのような表現になるでしょうか?
566 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/13(日) 11:09:00.82 ID:bKlr58Ze
567 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/13(日) 11:09:55.69 ID:bKlr58Ze
>>535 > 最も大きな騒音は何処から来ているのでしょうか?
大きなものも小さなものもおそらく恐怖からでしょう。
568 :
536:2011/11/13(日) 11:19:34.30 ID:l2jATRoP
>>540 ありがとうございます、記憶喪失になってしまえば怖くない、
というのは新しい発見でした、とても面白いです。
自分を無にすることはまだ難しくても、
悟る前でも努めて自分を作り替えることはできるんですよね。
>>544 思考しない事…でしょうかね?
私は言葉になる前のわやわやした感情の状態が一番扱いに困ってしまって、
言葉として説明できるようになると逆に落ち着いてしまったりするので、
結局思考に頼りすぎてしまいます…
きっと、そこを意識して上手に使えると良いんでしょうね。
>>550 正直な話、恐怖とじっくり向き合ってみたいんです。
矛盾するようだけれど、自分を殺すかもしれないような恐怖と共存して理解して、
そしてできたら癒しによって恐怖自体を別のものに変化させてみたかったんです。
でも結局は恐怖をそのまま受け入れてる訳じゃなく、変えたいんですよね。
相手が語りだすまで寄り添って気長に待つという方法は、とても興味深い方法に思えます。
どこまで耐えられるか判りませんが出来るかぎりそうしてみたいです、ありがとうございました。
クリシュナムルティの「恐怖なしに生きる」を読んだら?
クリシュナムルティの中でも読みやすい本だし悟りにストレートな内容だし
こちらからのあらゆるアプローチに永遠に出番はこないのであった
571 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/13(日) 12:40:02.17 ID:bKlr58Ze
>>521 まったくです。
その分離のない世界における主体でも客体でもない「私」の行為については、
もはや解説する意味を持たないのでしょうね。
すると≪お題≫は、こうなります。
「「私」は分離のない世界をずっと起こし続ける必要があるでしょうか?」
いかがでしょう?
572 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/13(日) 12:48:08.80 ID:bKlr58Ze
>>538 > 動機があって、求めて気付くのが小悟、
> 動機もなくていきなり気付くのが大悟みたいなイメージがあります。
確かに追いかけると逃げていきます。(苦笑)
> もしかして気付きの瞬間、自分を認識していなかった時間、
> その時間がより長くなる…は違いますか?
確かに長くなるのかもしれません。
長い方が良いと思われますか?
> それとも、ただ知るという体験で終わってしまったりするでしょうか?
ここでおっしゃっている「知る」とはどのことでしょうか?
>>568 リアルと仮想の境目とは何でしょうか?
現実とホラー映画の境目は何でしょうか?
記憶と映画の境目は何でしょうか?
リアルと仮想を何をもって区別しているのでしょうか
リアルと悪夢を何をもって区別してるのでしょうか
記憶をしまうポケットの違いですよね?
ポケットの場所が違えば恐怖が恐怖ではなくなるでしょうか?
記憶の位置だけで感じ方が変わってしまうのは何故でしょう
リアルを仮想ステージに移し替えられたらどうなるでしょうか
さて恐怖とは何でしょうか? 防衛本能です。
防衛本能と語らってみてはどうでしょう。
574 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/13(日) 13:17:26.61 ID:bKlr58Ze
>>545 > 使えるときに使い休める時に休む
> そのように使えば、すごく良く働くものに変わるだろう
いやまったくですね。
空白のときの方がいいアイデアが浮かぶことはよくあることですね。
575 :
568:2011/11/13(日) 14:16:04.36 ID:l2jATRoP
>>569 ありがとう、さっそく注文してみました。
>>570 なんだか深いです…私が見たいものしか見ていないことを
言われているような気がします。
>>572 長い方が良いかはわかりませんが、体験してみたいです。
その方が、「自分は存在しない」と云われていることがより実感できそうな気がします。
「知る」は、気付きが悟ることまでいかずに、
知識として体験しただけで素通りしてしまうようなイメージで使いました。
>>573 確かに、物語上の恐怖と自分の身に起こっている恐怖への認識の仕方は全く違いますね。
もしもこれが仮想の出来事だと認識できたら、接し方はもっと自由で臨機応変なものになり、
少しは余裕をもって味わうこともできそうな気がします。
防衛本能が恐怖の正体ですか。自分の中から主役が引きずり出されたような思いがします。
何かを聞き出せるか、向き合って頑張ってみます、ありがとうございました。
>>575 失うものが少ないほど恐怖は少ないはずです。
執着が恐怖ともいえますね。
さてあなたは何に執着し、何を守ろうとしてるのでしょうか。
煩悩とは何でしょうか。
577 :
ろん:2011/11/13(日) 17:59:45.10 ID:I1sxW+DX
迷悟も手放し、自己も手放し、気づきが来る来ないなんてのも手放すしかない。。
悟り?気づき?
何を言ってるかわかりません、みたいな。。w
578 :
ろん:2011/11/13(日) 18:01:06.85 ID:I1sxW+DX
動機とはすなわち、自分こうありたいという願い、欲でしょ。。
それを手放していくのが修行であって、求めたら逆に手に入らない。。
捨てる心。
吸う息より吐く方の息に重点を置くのもそのせいでしょうか。
座禅で息を吐く時に心に溜まったものを何もかも捨てる気持ちで吐いてます。
580 :
535:2011/11/13(日) 18:26:37.83 ID:qrXbZSQl
>>567 > 大きなものも小さなものもおそらく恐怖からでしょう。
そうですね。
私は常に流れてくる思考の雲と思っています。
>>574 > 空白のときの方がいいアイデアが浮かぶことはよくあることですね。
私をいつも振り回すので、どうしたらよいのかと思ってしまう輩、つまり私の悪い主人だったのが
必要な時にだけ現れて、良く働いてくれる有り難いやつに変わるってことです。
犬の教育を間違えると、犬が人間の主人だと思って同じようなことになるようです。
581 :
神も仏も名無しさん:2011/11/13(日) 21:03:26.17 ID:9Ete7NEJ
油断大敵
582 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/13(日) 21:49:46.68 ID:bKlr58Ze
>>552 たしかに「私」が静まれば静まるほど騒音がよくみえます。
「私」は騒音以外の何者でもないかもしれません。
問題は、騒音でいるか、騒音に気づいているか、ですね。
他にできることはありません。
583 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/13(日) 22:21:33.17 ID:bKlr58Ze
>>564 > 気づきは気づきなので動機が在っても無くても起こること(何も起こらないも含め)は同じですね
おっしゃるとおり気づきは気づきです。
実は、動機があるときは気づいているのではなく考えているのですね。
つまり、気づきと気づきもどきの違いなのでしょう。
本当の気づきは、動機がない、つまり探求がない、つまり静かなので、
気づこうともしておらず、何もなく空っぽで、ただ意識だけがあるため、
そこに「私」はおらず分離もないのですが、
気づきもどきは、「気づきとは」「悟りとは」「無我とは」「分離があるか」など、
なにかを探しているつまり考えているので、とてもうるさく、
気づこうとしながら実際には気づいておらず、
一向に気づけないということが起こります。
考えることと実際にそうであることはまったく別のことなんですね。
>
>>522 > でも書いたように、動機無しだとマインドゲームに戻りやすいでしょう
確かに気づきに近づくには動機が必要です。
探求しない人は、近づくことすらしませんもんね。
垣間見ることはあっても。
垣間見たよ、垣間見ただけ。
585 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/13(日) 22:32:43.29 ID:bKlr58Ze
>> 575
> 「知る」は、気付きが悟ることまでいかずに、
> 知識として体験しただけで素通りしてしまうようなイメージで使いました。
真に気づきだけでいられれば、それは単なる知識ではありえません。
586 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/13(日) 22:36:07.02 ID:bKlr58Ze
587 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/13(日) 22:42:28.36 ID:bKlr58Ze
>>580 > 私をいつも振り回すので、どうしたらよいのかと思ってしまう輩、つまり私の悪い主人だったのが
> 必要な時にだけ現れて、良く働いてくれる有り難いやつに変わるってことです。
理想的な思考ですね。
というか、それが本来の姿なのかもしれません。
どこで間違ってしまったのでしょう・・・。
588 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/13(日) 22:46:24.34 ID:bKlr58Ze
なんだろうな、見たんじゃなくて感じたのかな。近ずこうとしない人なんで垣間感じたのかな。
590 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/13(日) 23:06:16.79 ID:bKlr58Ze
591 :
神も仏も名無しさん:2011/11/13(日) 23:26:10.20 ID:m10igDv3
1さんは原発問題についてはどう考えますか?
現実問題とリンクしていかないところが最近興味深い
593 :
基地外:2011/11/14(月) 00:49:53.34 ID:HXGEjsd/
夜は長いですぞ!(´Д`)/~
南無(⌒人⌒)
594 :
神も仏も名無しさん:2011/11/14(月) 01:23:38.17 ID:qqYM1G9G
このスレの一連の流れを見て気になったんだけど
「気づき」ってそんなに大事なのかな?
595 :
神も仏も名無しさん:2011/11/14(月) 01:27:59.33 ID:RIqy+jOK
お風呂に入ったとき、オシッコがしたくなるのはなぜですか?
(。・ω・。)
596 :
535:2011/11/14(月) 02:01:49.30 ID:llYkMsHi
>>570 > こちらからのあらゆるアプローチに永遠に出番はこないのであった
見返りのないアプローチは届くかも。
全力のアプローチは招待される祝福をもって。
>>590 > 明け渡すしかないんですよね。
家だったら、まだいいのでしょうが
私の全てを捧げる
このアプローチしかないのでしょう
597 :
535:2011/11/14(月) 02:10:29.11 ID:llYkMsHi
>>587 > どこで間違ってしまったのでしょう・・・。
犬を溺愛すると、犬は自分がリーダになって人間をひっぱっていかなきゃと思うようになると、犬の訓練士は言っておりました。
心も溺愛すると同じことが起こるみたいです。
出てくる思考は自分のものだと思っていると、思考が引っ張っていくようになるようです。
>>595 > お風呂に入ったとき、オシッコがしたくなるのはなぜですか?
条件反射でしょ
>>594 > 「気づき」ってそんなに大事なのかな?
目隠しをして歩くより、目隠しを外して歩いた方が歩きやすい。
>>592 > 現実問題とリンクしていかないところが最近興味深い
意外なことに、唯一の現実と向き合うことだけど
>>589 > なんだろうな、見たんじゃなくて感じたのかな。近ずこうとしない人なんで垣間感じたのかな。
誰も近づいていけない。拒まなければ来るもの。
602 :
535:2011/11/14(月) 02:21:09.46 ID:llYkMsHi
毎回、名前入れてたら、名前忘れてた。
603 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/11/14(月) 02:23:24.80 ID:6ai2GqPY
>>582 動機あっての気づきの積み重ねとその究極的な挫折のみが、
動機無き気づきに導きます。
私は騒音や飼いならされていない思考と別のものではなく、まさにそのひとかけらにすぎない、
もしくはそのかけら同士の葛藤そのものであるという事実。
ある時は私は体の都合であり感情的執着を疎ましく思う。
しかしいったん無意識になり時間がたつと今度は全く持って感情的な夢想におぼれている。
この両者は別の存在であり、実はこの2つの間で死が起こっている。
これを意識的に行えるならあらゆる区別とあらゆる束縛から自由である。
しかし、動機がある意識によってはそれは起こりえず、むしろ無意識になったすきに主人が入れ替わる。
神のせいだ、神が救わない、祈りが足りない
からだと丸投げしないものね
神の御心に丸投げする姿勢は現実的ではない。
本来の仏教徒は探求者で、自己との対話者であったはず。
605 :
基地外:2011/11/14(月) 03:55:46.43 ID:HXGEjsd/
お早う御座います!o(^o^)o
南無(⌒人⌒)
606 :
キャラメル:2011/11/14(月) 06:19:57.35 ID:csy2puD9
おはようございます
(癶人癶)カントリー南ー無
607 :
神も仏も名無しさん:2011/11/14(月) 10:52:54.06 ID:XxWAHZll
>>599 >目隠しをして歩くより、目隠しを外して歩いた方が歩きやすい。
その例えだと「気づき」って一時的に目隠しが外れた状態なんじゃないの?
目隠し外すには気づきだけじゃ足りないんじゃないの?
608 :
基地子♀:2011/11/14(月) 12:07:50.91 ID:HXGEjsd/
609 :
偽イルミナティ:2011/11/14(月) 12:19:07.55 ID:cnqKWsp9
だから、嘘つくなっての
完璧に相手に理解させる様な説明は不可能でも
視たら、説明できるでしょ?不完全な言語なりにでも。
それを避けるのは観てないからでしょ?
クリュシュムナリティは本質に近い事を理解していると思うけど
絶対に体験を伴う悟りは経験していないっての
自身の世界観の確証が持てない、もしくは上手く説明出来ないから
悟りという体験を全面に出そうという感覚は褒められた物じゃないね
610 :
偽イルミナティ:2011/11/14(月) 12:19:51.97 ID:cnqKWsp9
だから、嘘つくなっての
完璧に相手に理解させる様な説明は不可能でも
視たら、説明できるでしょ?不完全な言語なりにでも。
それを避けるのは観てないからでしょ?
クリュシュムナリティは本質に近い事を理解していると思うけど
絶対に体験を伴う悟りは経験していないっての
自身の世界観の確証が持てない、もしくは上手く説明出来ないから
悟りという体験を全面に出そうという感覚は褒められた物じゃないね
二度も言うなよ。
クリームシチューが、売れてるからって僻むなよ。上田なんて煩悩の塊なんだぞたく
613 :
偽イルミナティ:2011/11/14(月) 14:17:57.50 ID:cnqKWsp9
ここにイル ミナティ
全ての馬鹿に言ってんだよ
614 :
神も仏も名無しさん:2011/11/14(月) 14:25:28.61 ID:XxWAHZll
>>613 「我こそは偉大な全能の神なり」って事ですか?
偽ミナティさんの言うことも一理あるが、二理はない
なぜなら、目覚めた人には、目覚めた人がわかる
あんたの心配することではないよ
616 :
偽イルミナティ:2011/11/14(月) 14:56:42.07 ID:cnqKWsp9
うぅぬ
ラブリーな略し方を、、、
ミキティには反省してもらいたいです
618 :
基地子♀:2011/11/14(月) 16:45:51.04 ID:HXGEjsd/
お友達のコフィ−に頼んで、上田をけしかけるわよ!
\(*q^)/
ミナティ(人癶ω癶)ラブリー
620 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/14(月) 21:43:50.38 ID:zwhyr4aJ
クリシュナムルティが悟ってなかったなら、それを認めてたマハルシもマハラジも和尚も
みんな悟ってなかったんだろうな
仏教の悟りと彼らの言う悟りが同じかは置いといてね
問い 悟りとは?
623 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/14(月) 23:33:13.85 ID:zwhyr4aJ
>>622 > 問い 悟りとは?
まず名無し さんのさとりを聞こうじゃないか。
公案っていうか問いかけは悟りが上の人からじゃないと意味ないよね。
625 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/14(月) 23:39:36.29 ID:zwhyr4aJ
>>624 > 公案っていうか問いかけは悟りが上の人からじゃないと意味ないよね。
公案は、
師が問い、修行僧が答える。
あるいは
修行僧が問い、師が答える
と言う会話の形式。
そして、
問いがそのまんま答えになっている。
それを公案と言う。
公安の手口か
627 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/14(月) 23:48:04.27 ID:zwhyr4aJ
>>626 > 公安の手口か
それ、饅頭、くろあんとかしろあんとかの
悟りとは、何かって?
悟りとは、悟りだよ
では、聞こう
りんごとは?
りんごなんて知らん
りんご知らんなんて、何処の田舎もんだよ
田舎もんなんて知らん
言葉は、言葉だ
言葉に囚われすぎるなら、真実を見落としてしまうだろう
真実は、言葉の手前にある
最近、精子が出なくなったんですけど悟ったんでしょうか
オナニーは時々します
>>629 はい、はい\(^_^)追分 追分!!違う?あれ?じゃあ、ハイヒール!?え… 椎名?
あ〜っう!りんごぅ♪チャウ マンボゥ…
636 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/15(火) 06:45:41.97 ID:QRrmQ05U
>>591 出来ることと出来ないことがあるという当たり前のことを
ただシンプルに受け入れることが、私たちは難しいのですね。
637 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/15(火) 06:47:17.25 ID:QRrmQ05U
>>594 他に問題を解決するすべがあるのでしょうか?
638 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/15(火) 06:50:38.14 ID:QRrmQ05U
>>595 オシッコも開放されたいのです。
分離のない世界に。
639 :
基地外:2011/11/15(火) 07:31:03.16 ID:73ZFN7Y9
>>634 お早うござる。御主、亜鉛不足じゃ無いかしら?σ(^_^;)?
南無(⌒人⌒)
640 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 07:52:20.07 ID:IDk/E8Ur
>>637 >他に問題を解決するすべがあるのでしょうか?
解決しなきゃならない問題って何でしょう?
どこかに存在していますか?
641 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/15(火) 08:23:54.65 ID:QRrmQ05U
>>603 > 動機あっての気づきの積み重ねとその究極的な挫折のみが、
> 動機無き気づきに導きます。
目の前にあるものが見えないのは、動機があるから。
それは、たった今、ここにある。
それを探すことで、それは逃げる。
「私」は見ることより、考えることを選ぶ。
どこだろう、どれだろう、これだろうか、こうしてみよう、ああしてみよう・・・。
探しているものが一向に見つからないので、とうとう「私」はギブアップする。
すると、その瞬間に見えたりする。
「あ、今の、これって・・・」
「私」は歓喜し、その経験のとりこになる。
あの、経験をもう一度、と考える。
あのとき、どうやって見えたのだろうか、ギブアップしてみよう、と再び「私」はうるさくなる。
いったんその経験が記憶されると、今度は、その経験を基準に、
これはどうだろうか、これは違う、ではこれは、とその経験との比較が始まる。
知っているものと「今」との比較が始まる。
そうやって、次に見つけるまでが長くなる。
「私」は何も分からない、「私」が知っていることは何もない。
無我も、一体感も、気づきも、何もかも、過去の記憶であり、
それを「今」に投影しようとしているだけであって、
「今」において「私」は無知である。
「私」が知っているものと「今」とを比較することは出来ない。
「誰でも幼子のようにならなければ天の国に入ることは出来ない」(イエス)
642 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/15(火) 08:28:56.99 ID:QRrmQ05U
>>610 > クリュシュムナリティは本質に近い事を理解していると思うけど
> 絶対に体験を伴う悟りは経験していないっての
悟りとは体験なのですか?
643 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/15(火) 08:47:24.27 ID:QRrmQ05U
>>640 問題のないところから問題をつくってしまう「私」が問題です。
644 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 09:07:14.48 ID:IDk/E8Ur
>>643 もともと「私」は存在していません。
習慣として存在してると思い込んでるだけなので
事実を知れば自然に消えるでしょう。
645 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 09:20:26.38 ID:l4iggBTX
636
シンプルに受け取るだけなら単に洗脳されているだけの人と変わらないよ。
1さんの悟りの境地によって原発問題に新な地平を切り開く見解を示して下さい。
646 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 09:40:07.27 ID:l4iggBTX
しかし「事実」というのも消えて行くんじゃないですか?
川の流れの如く
今を捉えたつもりでもそれはすぐに過去になる
脳が物事を知覚するのに千分の一秒かかるらしいですから
我々は原理的に今の今を捉える事は出来ない。
今を捉えたと思ったらそれはもう過去なのです
ところで、今を捉えようと思っても
今などという現象は体感上しか存在しない
剣道をしている人は相手が面を打ってくる瞬間への対応が「今」なのであって
剣道をしていない人にその今はない訳です
今というのは千差万別な訳です
客観的な今というのはない
脳が勝手に仮定するものな訳です
【今というのは人間が創造するものである】
例えばプロポーズをするときの「今だ!」
針にかかった魚を吊り上げる瞬間の「今だ!」
株の売り逃げ時期「今だ!」
全て人間が何かを能動的に成し遂げようとした時に始めて認識される
つまり今というのは未来の縁起として存在する
何かを成し遂げようとしなければ今(チャンス)というのも存在しないのである
自らの暖を取るために焚き火をした。
その焚き火の不始末で木を焦がし、森を焼き、暖をとる場所も奪ってしまった。
大きすぎる焚き火は大きすぎる災害を招く。
大きすぎる欲望は同じように大きな災害をも招き寄せる。
ただそれだけのことだよ。
648 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 09:50:32.30 ID:l4iggBTX
一方で何かを成し遂げようとしなければチャンス(今)を逃すということもない訳である
今もなく過去もなく未来もないと言う境地である
後悔もないし渇望もない
ただひたすら平安である
これを涅槃という訳だが
現代社会に置いては何の役にも立たない引きこもりか病人にすぎなかろう
達磨太師などは精神病院しか受け入れ先があるまい。
確かに何も企画しなければ平安なのである
思想が役に立たぬと考えるのであれば
剣道における思想もまた役立たずであろう。
650 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 09:54:37.63 ID:l4iggBTX
しかし小さすぎる焚火では身を暖める事も出来ない。他人の焚火をお借りするような情けない事態にもなるだろう
タバコ一本の火で家が焼ける事もある
要は火の大きさではなく
管理能力なのであるし
極端な話火を使わなければ火事もない
自己を百パーセント防ぐには火を起こさないことである
最も寒さで凍え死ぬかもしれんがねw
651 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 09:56:44.87 ID:IDk/E8Ur
>>645 横レスでゴメンナサイ。
ID:l4iggBTXさんにとっての「原発問題」って具体的に何を指すんですか?
652 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 09:58:07.11 ID:l4iggBTX
自己を→事故を
剣道の勝ち負けを決めるのは思考ではなく
執念であろう
執念のないものはそもそも剣道をやらない
業が深いものが剣の道を制する。
悟りへの執念が強いものが悟る
それだけのこと
653 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 09:59:45.92 ID:l4iggBTX
具体的に指したら悟りを得た人の天才的な発想を潰しかねないので
あえてざっくりと「原発問題」として提起した。
人間は不完全な生き物だ
間違える生き物であることを忘れるやすい。
間違える生き物が大きな焚き火を用いれば、必ず災いを招き寄せるでしょう。
当たり前に発生した現象ではないかね?
655 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 10:01:21.60 ID:IDk/E8Ur
いくら論理的に思考を進めても
「事実では無い」という1点において全ては否定される。
656 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 10:08:31.74 ID:l4iggBTX
宮本武蔵も伊藤一刀斉も若年の頃から「天下無双」を目指して修行に励んでいたと言われる。
「百姓やって幸せに暮らそう」と思っていたら「天下無双」はない訳である。
天下無双という業が吉岡一門との対決という「今」を作りだし、巌流島の対決という「今」を作りだした。
つまり我々が今何をやっているかということは「業」によってきまるのである
名実ともに天下無双になった武蔵は業が消え、悟りを目指すという新しい業が生まれ、彫刻などを作ったりして余生を暮らした訳である。
たまたま剣術家の家に生まれたので「天下無双」という業が生まれたのかもしれんが
彫刻家の家に生まれてたら運慶快慶を越えようという別の業が生まれていたのかもしれない
657 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 10:13:58.98 ID:l4iggBTX
ちなみに私の祖父は哲学者だった。
そのせいか哲学に対する業というものがあり
別に好きでもないが何となく自然に哲学書などを読み、知らず知らずに哲学を極めてしまった。
これなぞまさしく業であろう
業は意識ではコントロール出来ない面もあるのである。
武蔵も自分の剣術に対する業を呪ったことがあるのではないか
百姓だと悟れないのかしらね、彫刻家なら悟れないのかしら。
どう思われますか?
659 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 10:43:03.15 ID:l4iggBTX
悟れるんじゃないですか
身分が何だろうと悟りたいと言う執念がつよければ悟れるでしょう
その執念が剣術よりも可愛い嫁さんよりも黄金に対するよりも強ければですが
悟りを求めるのは僧侶で、豊作を求めるのが百姓で 彫刻家は彫って作り出す事を求めるんでしょう。
悟りを求めて小説家にならなくね?
661 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 10:58:27.79 ID:l4iggBTX
武蔵は僧侶ではなく在家信者ですからね。仏像を掘りながら
仏の心に少しでも近付こうと思ったのでしょう
>>661 求めた先に悟りがあったって事ですね。
求めた業の先にあるって事ですかね?
あのね
誰でも悟りを求めてるから
求め方の違いなだけで
人はみなただ悟りの状態に戻ろうとしてるだけだから
時間の観念を通してるからそう見えないだけでね
永遠の未来には誰でも悟ってるでしょ
だからいまもう悟ってるでしょ
みな同じように悟りを求めているしもうすでに悟ってるでしょ
>>663 え!! 求めて無いし、押し付けてきてるし!! 何け
何け×何?〇
あなたたちの大きな間違いは、じっとしていたら、何も起きないと思っていること
それは、大きな勘違い
この世界は、常に動き続けているだろう?
何故自分一人が動かないだけで、何も起きないと思うのだね?
世界は常に起こっている
それを、自分が起こしていると思っているんだろう?
だから、求め続けるんだろう?
しかし、その行為は、今という全ての全てが現前する瞬間を見逃す行為だ
今を見逃すとは、人生を見逃すということ
人生に今以外の時間を生きる時はない
今というのは、永遠に今だから
今が自分を創り出しているんだよ
668 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 12:40:41.08 ID:l4iggBTX
それは間違いだな。
今というのは人間の主観でしかない。
何かを成し遂げようとしたときに時間は生まれる。
宿題をやろうと思うから時間の存在に気が付くのである。
何も求めない人間には時間そのものが経過しないのである
時間が経過しないとは、不思議なことをいう
では、あなたは、寝ている間は、時間が経過しないと言うのかね?
それとも、寝ている間も何かを求めているのかね?
あなたの言う主観は、一体何を指して主観と呼んでいるのかね?
たぶん、時とは認識だと主張したいんじゃなかろうか。
手元に時計が無かったら、その時を認識できるのだろうか。
もし日が暮れず、暗い洞窟にいたら時の進みを感じ得るであろう。
変化を知覚しなければ時が変化したと感じ得るであろうか。
それほど危ういものだと。
>>666 あなた達はどなた達?届かないよ!
>>668 極端すぎですよー経過しない時間は創造力の中にしか無いですよー
>>670 しかし、日は昇り、日は暮れるんだよ
そるは、単なる人間の認識かね?
>>671 届く人全てだ
>>672 自己は認識と知覚だよ。
認識における時間はひとそれぞれ。
イチローと674がバッターボックスに立ったと仮定したら
たぶん「認識」する経過時間が違うとおもうよ。
>>675 日が昇り、日が暮れるのは、人間の認識かと聞いているのだよ
呼吸が続くのは、人間の認識かね?
心臓が鼓動を続けるのは、人間の認識かね?
全てを人間の認識と想像することは可能だ
しかし、それは、目覚めとは逆の道
無明への道
日が登り日が暮れるのも人間の認識だよ
蟻やミミズにはお日様の認識などない
あんまり低レベルな事言うな
>>677 要するに、それが自我だってことに、気が付かないのか?
時間というのは自我の中にあるの。
自我が無ければ動物と同じ。
洞窟に篭って座っていれば自我はないが
もはや人間ですらない
単なるデク
>>679 人間が自分の身体を失う事を想像できない様に、
自我もまた、自我を失う事は想像できない
恐れることなかれ、人間は自我だけの存在ではないぞよ
>>672 届かない人も見てるんだから「届くあなた達」にしてほしいなぁ。眼中ないかぁ
>>679 時の進みを感じないだけで
自我はあるよ
時の進みを感じ無かったら取引先との契約も出来ねーだろよ
馬鹿な事ばかり言ってんじゃない
社会人には時間感覚、時間厳守が大事なんだよ
>>681 それも、縁だよ
わたしは、届くあなたに、伝えてるんだよ
よし、君の意識と入れ代わろう。
なんじゃこりゃ!
君の見てる赤色は、私の見てる青じゃないか!だから、君とは色のセンスが合わないんだ!
やめさせてもらうわ!!
みたいな…
感覚で言わせてもらうと
何かこうグワッて来た!!と思うとホワァンとしちゃうんだよね。
お互いのホワァンとしたとこガッツンガッツン攻めてるからなんにもならなくない?
>>684( ̄▽ ̄;)!
あ、だから俺食い付いてるんだ!
ご縁に感謝♪
687 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 16:00:13.72 ID:IDk/E8Ur
「自我」というのは便利な言葉
都合が悪いことは全部自我のせいにすればイイ
だって誰も「自我」が何かは知らないもんね
>>687 いやいや、使ってんだから知ってるって
都合が悪いって決めつけちゃ(乂д´)
解らない僕たち私たちの置いてけぼり感で彼岸じゃ駄目だよ。モトイ僻んじゃ駄目だよ。
>>683 洞窟の中だとどうして自我がないのですか。
自我がない自我がない自我がない…時間がない時間がない時間がないから?
なんちって
691 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 17:04:10.05 ID:IDk/E8Ur
>>688 >いやいや、使ってんだから知ってるって
じゃ、念のために聞くけど「自我」って何?
はっきり掴んでる?
692 :
基地外:2011/11/15(火) 17:10:43.71 ID:73ZFN7Y9
皆の衆、其々の因果が異なるのに対話が成り立つと
言う思い込みは何処から来るのじゃな?σ(^_^;)?
南無(⌒人⌒)
>>687 都合が悪いことは、全部自我のせいにしたなら、全ては解決するかね?
余計に都合が悪いのではないかね?
694 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 17:17:14.06 ID:IDk/E8Ur
>>693 解決はしないけど解決した気にはなれそう。
このスレの前のスレ見てて思ったんだけど、
自我が原因と判った途端そこで終わる人が多いみたいだから。
>>694 なるほど
それは、自我が無いという、自我を作り出してしまったのかもしれないね
自我が無いというのは、自我という独立した存在が無いということ
今という瞬間に、世界全てがあり、そこには自我もまたあるということ
しかし、人の認識では、今を捉えることができないから、自我は無いという
では、自我とは一体何か?
大切なのは、自我を無くすことではなく、自我を理解すること
>>691 えッ?(・ω・;)
僕たちの僕たちなんだけど…
雰囲気だけど、考えを見る自分?感情が爆発してムキーッてなってる自分を見る自分?そいつ?
>>694 終わったって何んでわかるの?自我なんて解らないから自我って便利なんて言ったらいけない!!って思ったから
>>688を言ったらはっきり掴んでるだもんなぁ〜。
掴んでそう?俺?
訂正:>
>>688を言ったら「はっきり掴んでる」だもんなぁ〜。
699 :
694:2011/11/15(火) 19:16:14.72 ID:+jfGmDBy
>>697 言葉のチョイスが悪かったみたい。
誤)自我が原因と判った途端そこで終わる人が多いみたいだから。
正)自我が原因と判った途端そこで追求が終わる人が多いみたいだから。
700 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 19:22:31.47 ID:l4iggBTX
自我とは自分に対するイメージや定義の事だよ
>>700 その定義は、一定の変わらないものかね?
それとも、変化するものかね?
自我とは、掴めるものかね?
それとも、掴めないものかね?
702 :
ろん:2011/11/15(火) 19:44:51.55 ID:DFBexjJk
禅には平常心是道と言う言葉があります。
「びょうじょうしん」と読むのですが、われわれがよく使う「へいじょうしん」と取ってもそんなに間違いはないと思います。。
落ち着いていて、ものがよく見える、問題があっても何が原因かわかっている、求めるものがあっても、囚われていない、目指すものがあっても、今には満足しているということです。。
僕は会社員とかやったことがないのですが、バイトでも慣れてくれば、落ち着いて、何でも首尾よくこなせるようになりますよね。。
そうした状態にどんどん落ち着いて行った時、今と言うものが、はっきりと感じられるようになるのではないでしょうか?
悟りとか迷いとか言う対立が無くなった人の言葉です。。
この言葉を聞いた弟子は、本当にそれを得るまでに、何十年を費やしたと言っています。。
見性した後に何十年です。
掴もうとして変化しそう。
掴めなくて変化してなさそう。
結論
イメージした欲解らない自分
704 :
ろん:2011/11/15(火) 19:47:07.89 ID:DFBexjJk
自我を滅するとか煩悩を無くすとか、時間を超えるとか大仰なことは必要ないでしょう。。
時間の中で生活するわれわれの日常の隙間、ふとした瞬間にそれが訪れるものだと思います。
それまでに自分の心の問題や、人間関係等、すっきりと整理して、問題のない人になっていくことが先決なのかもしれません。。
705 :
神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 19:48:48.13 ID:l4iggBTX
変化すると見るのが悟り
変化しないと見るのが偏見
707 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/15(火) 22:36:26.80 ID:vm+z1FOJ
>>702 突っ込みどころ満載のしったか ばかろんばか さん
道徳にしちゃってるよ。。。やっぱ、ばかでしょ。
分別しない、だよ。。。・・・・・……( ̄ε ̄;) ボソッ
ところでこのスレで悟ってる側?からものを言ってる人たちは
いったい何でそんなことしてるの?
>>708 してるように見えるだけでみんなと同じ何もしてない
>>708 では、なんで仏教やキリスト教などの宗教が2000年以上も続いていると思うのですか?
たまたまですかね?
713 :
神も仏も名無しさん:2011/11/16(水) 00:25:17.52 ID:j5BRmkB2
>>711 継続はないという理解への恐怖があるんじゃないですかね
おはようございます。
寒くなってまいりました!!
風邪引かないように
716 :
基地子♀:2011/11/16(水) 06:16:30.06 ID:HQLseGTo
お早う御座います!\(^o^)/仲良くしてね♪
718 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/16(水) 06:49:15.36 ID:CaL1rUxs
>>644 その事実を確かめるにはどうしたらよいでしょうか?
719 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/16(水) 06:52:08.16 ID:CaL1rUxs
>>645 悟るとそのようなことが出来るようになるのですか?
720 :
基地子♀:2011/11/16(水) 08:10:00.30 ID:mS1eVQvn
>>719 達磨大師を調べてみたら?(笑)\(^o^)/
721 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/16(水) 08:31:00.50 ID:CaL1rUxs
>>708 私の場合は、はじめは興味本位でした。
今は、「私」のいろいろな反応やそれを引き起こす思考をみるのに役立っています。
722 :
神も仏も名無しさん:2011/11/16(水) 08:58:13.68 ID:gRiblLul
719
勿論出来ますよ。
頭がクリアーになって囚われのない境地にいる訳ですから
お釈迦さんも国王の相談役になっていたでしょ
723 :
神も仏も名無しさん:2011/11/16(水) 09:27:15.50 ID:XK2BAV/j
>>718 そこが難しいんですよね。
突然そうなったから、自分でもどうしてそうなったか説明出来ないんで
人に伝えられないんですよね。
でも、知覚できる意識上の変化は何もありませんでしたから、
無意識か深層意識かの知覚できない意識の変化が起こったものと推測します。
724 :
基地子♀:2011/11/16(水) 09:58:04.69 ID:mS1eVQvn
>>722 達磨大師は国王を虚仮(馬鹿)にしてますよ!(^з^)-☆
725 :
神も仏も名無しさん:2011/11/16(水) 10:01:01.06 ID:gRiblLul
現代の一般大衆も天皇や大臣を馬鹿にしてるよ
726 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/11/16(水) 10:07:35.09 ID:3jWnQrqN
言葉では伝えられない。
言葉を聞いた側はその言葉によって、言葉という対立軸で表現する道具を使って、
普段の自分を基底としたその反対側であるイメージの聖や静寂をイメージする。
それは結局その人の俗の影であり、切り離せないその人の夢の構造であるにすぎない。
それは引き起こす要因なく引き起こされる。
もしあなたが覚醒の一瞥を体験しており、またそれを自我が自分のものだと思い込むわなから抜け出していれば、
言葉によってそれを伝えようとするような的外れなことはなさらないでしょう。
要は相手を無思考にすれば同じことが起こります。
無我の一瞥を伝えるというのはそういうことです。
言葉で伝えたいことがあるということはそれは主観的なビジョン、夢にしがみついており、
夢であるがゆえに他者の認証によって強化し永続させたがる心理が自然と働きます。
起こることに意味はない。苦しみも喜びも、俗も悟りも。
その区別から解放されてゆくことこそが変化であり成長だ。
しかし、あらゆる起こることを否定してはならない。
ある起こることを否定するのは別の起こることについての執着がそうする。
それをやりだすと果てのない内戦になる。いやなっているのだ。
あらゆることを起こらしめ、それに執着せず手放す。
2つの3つの7つの48の力を解放し、調和させ行く。
死があるからこそ生きられる。死ぬために生きる時こそ、死と生を同時に意識してこそ生の何たるかを知ることができる。
727 :
基地子♀:2011/11/16(水) 10:09:18.40 ID:mS1eVQvn
>>725 実際は口とは裏腹な行動するんですけどね♪\(^-^)/
728 :
基地外:2011/11/16(水) 10:12:39.63 ID:mS1eVQvn
>>726 ならば何故、長文を書き連ねるのじゃ?σ(^_^;)?
南無(⌒人⌒)
729 :
神も仏も名無しさん:2011/11/16(水) 10:14:14.69 ID:YpFlWTKL
達磨がどうだろうと、肝要なのは己自身の悟り。
だるまを崇拝してもなんの功徳もないぞw
無功徳!
731 :
神も仏も名無しさん:2011/11/16(水) 10:18:03.75 ID:YpFlWTKL
悟りの条件って、要は毎日リラックスして生きればいいわけでしょ。
何が起きてもリラックスしていればいいわけだ。
何かが起きて動揺すると不安が生じ、不安からおろかな行動が生まれ
おろかな行動から苦楽が生じ、どつぼにはまると言う構造があるわけだ。
ちなみに脳科学の知見によると「リラックス=IQが上がる」なので、やばいときほどリラックスした方がいいわけである。
>2つの3つの7つの48の力を解放し、調和させ行く。
これはどういう意味ですか?
733 :
神も仏も名無しさん:2011/11/16(水) 10:22:00.71 ID:XK2BAV/j
>>731 >悟りの条件って、要は毎日リラックスして生きればいいわけでしょ。
そうかな? ちょっと違うと思う・・・・・
こんな時はダマルかな
735 :
神も仏も名無しさん:2011/11/16(水) 10:33:11.78 ID:gRiblLul
733
いや物凄く単純化すればそういうことだと思うよ
細かく言うとリラックスして観察するということになるけどね
736 :
基地外:2011/11/16(水) 10:37:16.43 ID:mS1eVQvn
>>729 達磨は単なる色物じゃよ!www 仏教界の江頭2・50みたいな者ですなぁ〜。(^。^)y-~
南無(⌒人⌒)
737 :
神も仏も名無しさん:2011/11/16(水) 10:51:19.29 ID:gRiblLul
随分な評価だね。
仏教もセクトによって様々
評価も様々
人も様々
様々ならいんでない?
739 :
基地外:2011/11/16(水) 11:06:00.24 ID:mS1eVQvn
>>736 僕(やつがれ)には、背景は無い!な〜んちゃってwww
分かるかな?σ(^_^;)?
南無(⌒人⌒)
>>739 拝啓 基地外さん分かりません(;ω人)
741 :
神も仏も名無しさん:2011/11/16(水) 11:43:54.24 ID:XK2BAV/j
>>735 意識の変貌(変化・変容)が起こらないと悟りと呼べないと思うよ。
742 :
基地外:2011/11/16(水) 13:48:48.17 ID:mS1eVQvn
>>740 たまには漫画本を読むのも、目先が変わって面白いよ!
お勧めは「銀と金」、カイジで売れた福本伸行の作品じゃよ。漫画喫茶に置いて有るから、買うより安上がり
じゃな。(^。^)y-~
南無(⌒人⌒)
>>726 言葉で伝えられないのなら、どうやって2000年以上もの長い年月を、ひとつのことが伝わってきたと思うのかね?
否定してはならないと言いながら、言葉を否定し、言葉を書き連ねているのは、誰じゃ?
数秘術に捉われる前に、自己矛盾と向き合うべきでは無いかね?
言葉で伝わらないのは、自己自身からの心の声では無いのかね?
>>742 ありがとうございます。
漫画読みますよ。
最近のは、竹光侍・宇宙兄弟 ・キングダム辺りが好きです。
「背景がない」というのは、過去からの連なりを今に持ち越してないってこと
よく悩む事がありんす。
ここでもあちらでも、自分の考えを正しいと主張したいのか…正しいと思っう事を伝えたいのか?
ぅ〜ん、Σ*゚Д゚*ボカ~ン
脳が拒否しています。
脳が拒否しています。
あどねぇ〜表情がねぇ〜最初の表現なの…だからねぇ〜えーと文章むずしいのピヨピヨ
749 :
神も仏も名無しさん:2011/11/16(水) 18:54:17.48 ID:94bosQdF
このスレでamaさんの話とか聞いてると
「悟り楽勝〜〜〜!!」
て気持ちになるけど
娑婆に戻れば5分で夢の中
まあ、そんなもんよ
750 :
神も仏も名無しさん:2011/11/16(水) 19:29:59.52 ID:94bosQdF
>>708 私は悟ってないけど
レスを読みレスをする際に普段言語化していない思考を引っ張り出す必要がある場合があり
その際一瞬、言語的思考が止まるのが気持ち良い
あと普段、言語化されて無い思考を言語化するのが楽しい
「なるほど、私は普段無意識に、こんなこと考えてたのか」
と、自分の(このレスも含めて)非言語的思考が言語化されたレスを見て、一人で爆笑している。
笑えるならいいことだね
笑えるときはだいたい言語に対しての執着がなくなってる
執着を起こす対象が、必ずしも言語に絡むものだともいえないよ
そんなことは言ってないけど概念化が執着の主な原因だし、
概念化と言語は密接だよね
言語の前に、何かがあるのか?
言語の前には、何もないのか?
755 :
基地外:2011/11/16(水) 22:40:21.18 ID:mS1eVQvn
破顔一笑 粘華微笑じゃよ!\(⌒0⌒)/
南無(⌒人⌒)
756 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/17(木) 07:34:46.89 ID:hUbEKnUz
>>722 > 勿論出来ますよ。
> 頭がクリアーになって囚われのない境地にいる訳ですから
それは素晴らしい!
ただ原発問題についての見解を出すためには、少なくとも原発問題について調べないといけませんよね。
悟ると原発問題を調べるようになるのでしょうか?
> お釈迦さんも国王の相談役になっていたでしょ
それは知りませんでした。
757 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/17(木) 08:01:33.67 ID:hUbEKnUz
>>723 なるほど。
だから、「気づき」を大切にする人が不思議なんですね。
実は、突然そうなっていない人が、私がいないという事実を見出し、
本来存在しないはずの問題を解決するためには、
「気づき」に近づこう、「気づき」であろうとする思考の動きが、
とりあえずは必要になってくるのです。
そうなっていないところから始めるとき、他に方法があると思いますか?
ところで原発問題について、なにか見解をお持ちでしょうか?
758 :
神も仏も名無しさん:2011/11/17(木) 08:15:28.59 ID:RB3kVlA4
悟ると原発問題について調べますね
衆生の命に関わる事ですから。
759 :
ろん:2011/11/17(木) 08:18:05.18 ID:lu2KRozr
>>757 自分が本当の自己ではない気がする、何かおかしい、囚われている、踊らされている、こんな自分じゃなかったはずだとか、そういう気付きからかなー、求道に目覚めるのは。。
そういう気付きなしにたんに悟りと言う素晴らしいものが欲しいという人が本当に得られるかどうか。。
偽りの自分を捨てたい、本当の自分が欲しい、そういう実存的な希求があれば、嘘の自分が落ちていく契機になるかもしれない。。
よくあるのは、仏教とか精神世界本とかを読んで、本当の自分じゃなくて、あたらいい嘘を身に着けてしまうことだと思うです。。
760 :
ろん:2011/11/17(木) 08:28:13.81 ID:lu2KRozr
amaさんは形ある世界の有為変転についてどう感じますか?
原発事故もそうですが、現実であると同時に、夢である。。
僕はTPPとか日本政府のていたらくに、哀嘆すると同時に、全て夢なんだと感じる瞬間もある。。
ホントに日々の生活の中の一瞬なんですけどね、夢だと感じるのは。。
761 :
723:2011/11/17(木) 09:23:53.78 ID:10UgQhW8
>>757 「気づき」が大切だと私も思いますが、
「気づき」以上に気付いた後の意識の変化が重要だと思っています。
気付いた時点で悟りへの探求が終わり、意識の変化が起こらないまま
そこに留まる人が多いように感じるからです。
原発問題については長くなりそうなので、改めて書きます。
763 :
723:2011/11/17(木) 09:59:10.96 ID:10UgQhW8
>>757 私の中には「原発問題」というモノは存在しません。
こう書くと誤解されそうなのですが・・・・・
原発事故で発生した問題は、放射能による人体への被曝、
事故により移転をしいられている人への補償、
農作物への影響、風評被害など多岐に渡ります。
これらの様々な問題をまとめて「原発問題」と名前を付け
「抽象的なひとつの概念」として扱うのは思考実験を行う上ではイイのでしょうが、
「原発問題」と呼んだ時点で「原発事故を原因とする様々な個別の問題」が意識から消え、
「原発問題」という新しい対象に置き換わってしまう事が問題だと思っています。
抽象的な概念である「原発問題」について、いくら思考を働かせても具体的な解決策は出てきません。
もし、解決策を望むなら原発事故による個別の問題をひとつずつ取り上げ
解決策を探るしかないと思っています。
常に全て夢なんだと感じてないと〜
全て夢なんだと感じると同時に対象をありのままに感じてないと〜
別々のものを同時に別々に感じてないと〜
意識の知覚と業からなる身体の反応がごっちゃになっとるでよ
ブータンのような国家を目指すなら原発などいらない。
消費により心の豊かさを求めるか
精神により心の豊かさを求めるかの違いでしかない。
消費の豊かさには限度がない
どこかで無理がくる、その無理を受け入れるのか、ねじ伏せるのかの違いでしかない。
自分の感情でさえ制御出来ない生き物がさらに制御不能な事象作り出そう迷路に迷い込んで
いるのでなかろうか。
欲を諦め制御できるかどうかの問題でしかない。
興味深いね766
海底2万マイルだね
769 :
575:2011/11/17(木) 12:44:16.69 ID:pAp81Otd
>>576 遅くなりましたが、書かせてください。
執着の対象も守りたいものも、煩悩も全て慣れ親しんだ自己への愛着からきているように思います。
かつて感じた安心や快感を再現しようとしたり、さらにそれを継続しようと願ったりしています。
心地よい理想の自己像を時間をかけて作り上げて、それを壊しかねないことに恐れを抱くようです。
根源的な恐怖は死ぬこと、命を失うことですが、自己像が損なわれることにすら恐怖を抱くのは不思議です。
恐怖とは、愛着の対象を失いかねない変化への抵抗なのでしょうか。
自己への愛着を断ち切り変化を受け入れられれば、恐怖は消えるのでしょうか。
もし、全ては空であり変化する、諸行無常であると考え見続けることができるならば、
失うものは初めからなにもなく、好ましい出来事にはただ感謝するだけというように変われるのでしょうか。
そう理解しようとし続けることで、いつかは実感を伴った悟りの体験に変わる時がくるのでしょうか。
770 :
神も仏も名無しさん:2011/11/17(木) 12:52:52.11 ID:10UgQhW8
>>769 >慣れ親しんだ自己への愛着
これって自我じゃね。
771 :
575:2011/11/17(木) 13:05:55.84 ID:pAp81Otd
>>770 これが自我なんですかね。
認識しようとしても衝動の方が大きくて、
愛着という行為の方が主体に見えてしまってます。
自分というキャラを作れば作るほど、
人は脆く、弱くなるもの。
しかし、その行為は、自分を守る為に行っている。
自分を守る為に、自分を脆くしているのだよ。
それでも、自分を中心とした思考を作り続けるんだろう?
773 :
ろん:2011/11/17(木) 13:45:49.13 ID:lu2KRozr
>>762 五感に感じられるものすべて。。
自分と言う思い込みが消えたときに見えるもの、感じられるもの。。
774 :
ろん:2011/11/17(木) 13:46:42.06 ID:lu2KRozr
わたしはわたしではない、だからわたしはわたしでオーケーなのだ。。
オーケーと言う意識もないそのままだ。。
775 :
575:2011/11/17(木) 13:47:01.95 ID:pAp81Otd
>>772 なんだか、本末転倒ですね。
もし、何も作ろうとせずに自然の姿でいられるなら、
今ほど守ろうとせずにすむのかも知れませんね。
自分を中心とした思考は、どうやら苦しいものだと気付き始めている所です。
あるがままに観れるようになりたいです。
776 :
ろん:2011/11/17(木) 13:51:32.50 ID:lu2KRozr
悟りと言うメダルが欲しいですか?
それは今のままの平々凡々、何のとりえもない、バカな自分そのもの。。
くよくよしてる自己をそのまま放り投げてみなさい、光さす外の世界、輝ける虚空へと。。
777 :
ろん:2011/11/17(木) 13:54:40.50 ID:lu2KRozr
そうそう散歩に出るっていいよね、今日の日差しは暖かい。。
シーツの洗濯すればよかった。。
778 :
575:2011/11/17(木) 14:14:55.43 ID:pAp81Otd
>>776 「私」が思い込みである、という体験を私はまだしたことがありません。
そんな体験をしたら自己への執着も迷いもなくなるのだろうなと、憧れます。
確かに、悟って自由に見ることができるようになったら、
自分の欠点も誤魔化しようが無くなってしまいますね。
そのまま放り投げてみたいです、光を信頼して飛び込んでみたいです。
散歩良いですね、私も一歩ずつなら進めそうです。
>>777 スティーブジョブスも、大切なことを決める時は、散歩して決めてたっていうからね。
>>773 本当の自分なんてもの樹木かもしれないし、砂上の楼閣かもしれん、川を流れる石ころかもしれん。
全てが本当の自分であって、本当の自分ではない。
あるとするなら生と死のみが決まって訪れるだけ。
死に向かって日々行進してるだけ。
棺桶に入るまでの入れ物でしかない。
773は目指すべき道しるべ
782 :
神も仏も名無しさん:2011/11/17(木) 16:15:16.76 ID:10UgQhW8
>>774 >わたしはわたしではない、だからわたしはわたしでオーケーなのだ。。
>オーケーと言う意識もないそのままだ。。
ちょっと違う、
「わたし」は今まで「わたし」と呼んでいた対象ではない、だから「わたし」は存在しない
でも、以前からずっと存在してる・・・・呼び名は無い。
って感じ。
783 :
基地外:2011/11/17(木) 16:19:35.70 ID:WeX89upI
最上位に位置するのは遺伝子じゃよ。肉体も意識も無意識すら僕(シモベ)に過ぎぬよ!\(^o^)/
南無(⌒人⌒)
784 :
ろん:2011/11/17(木) 16:21:09.68 ID:lu2KRozr
>>782 いや、以前と変わらない私だよ。。
でなければおかしなものになっている。。
785 :
ろん:2011/11/17(木) 16:21:41.17 ID:lu2KRozr
元の木阿弥に戻ると言うだけ。。
786 :
神も仏も名無しさん:2011/11/17(木) 16:24:45.20 ID:10UgQhW8
>>776 >悟りと言うメダルが欲しいですか?
>それは今のままの平々凡々、何のとりえもない、バカな自分そのもの。。
悟ると比較の対象も無くなるから
「平々凡々」も「何のとりえもない」も「バカな」も無くなるよ。
だからこの文章だと「今のままの自分そのもの。。」になるね。
787 :
ろん:2011/11/17(木) 16:27:27.88 ID:lu2KRozr
>>764 そうじゃあ、自由でないんでないかい?
こうあらねばならないと言うのが残っている、自由に迷うことが出来ない。
身体の業や心の業を否定したら、変なものになる、仏さまみたいなものであらねばというのはウソっぱちだよ。。
業はあってもなくても関係ない、迷いも同じだ、平等にして空平。。
788 :
ろん:2011/11/17(木) 16:30:39.20 ID:lu2KRozr
>>786 はじめから迷ってないと言うことを了解するのだから、悟ったら、「悟るとこうなる」は出て来ない。
迷悟あるうちは本当に悟っていないということ。
禅では迷悟中の人というね、まだ本当にわかっていない人たち。。
789 :
ろん:2011/11/17(木) 16:32:20.84 ID:lu2KRozr
悟っても人間なのだから、比較も分別もあります、ただそれが邪魔にならないと言うだけ。。
比較がなくなるとか、無選択とかたわごとだよ、ありえないことだ。
言い換えれば、そうなっちまったらただの病気。。
790 :
神も仏も名無しさん:2011/11/17(木) 16:43:45.30 ID:10UgQhW8
>>789 ちょっと言葉が足りなくてゴメンネ。
確かに悟っても「ろんは他の人より怒りっぽい」とか「器が小さいとか」
そういう意味での比較はあるよ。
でも、自分の事に対しては比較の対象となる他者が存在しないので
比較は起こらないよ。
791 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/17(木) 17:10:05.69 ID:TVRZ5I/7
個人から見れば、選択や比較をしていなくても、
大きな目で観るならば、選択や比較はあるだろう。
それで、いいんだよ。
793 :
ろん:2011/11/17(木) 17:23:50.54 ID:lu2KRozr
>>778 体験じゃなくても話を聞いて理解すればいい。。
「私とは〜だ」という思考、認識、感覚なしに我と言うものはあり得ない。。
坐って無心になった時、無我になった時、それが心底わかる、と言うのはあるのかもしれないけれど。。
794 :
ろん:2011/11/17(木) 17:29:27.07 ID:lu2KRozr
>>790 自分だけが悟ってるんだね、君は。。
「自分には比較がない」と言う、それがあなたの自慢であり、勘違いだ。。
まだまだ道がわかっていない、よくいる悟ったさん、困ったさんのひとりだな。。
795 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/17(木) 17:29:51.01 ID:TVRZ5I/7
796 :
ろん:2011/11/17(木) 17:30:43.59 ID:lu2KRozr
ホントに比較が無かったら「比較が無い」もないんだよ。。
何かしらあるうちはダメだ、ぜんぜん道の人になっていない。。
797 :
ろん:2011/11/17(木) 17:31:51.45 ID:lu2KRozr
何を言っても、そうじゃない、言葉が足りなかった、ホントは悟ってるんだよって言う。。
あっはっは、いくらでもいるんだよ、そんなやつは。。
798 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/17(木) 17:38:01.39 ID:TVRZ5I/7
ん?全員悟ってるならおれはいったい何について考えてるんだろう
800 :
ろん:2011/11/17(木) 18:01:38.36 ID:lu2KRozr
>>799 全員悟ってるよ、あっはっは、考えてるからわからない。。
>>787 そりゃ言葉のあややね
787の内容だってこうあらねばならないってことが書いてあるようにも読み取れる
「業はあってもなくても関係ない、迷いも同じだ、平等にして空平」であらねばならないの
か?自由でないんでないかい?って言われたら終わりやね〜
ろんがいま完全に自由ならそれでええんちゃう?
ろんが自分自身でしかわからんことやね〜
802 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/17(木) 18:24:06.35 ID:TVRZ5I/7
803 :
ろん:2011/11/17(木) 18:39:34.09 ID:lu2KRozr
>>801 空と言うのは事実だからね・・悟りと迷いとか業のあるなしを分けて是非をつければ、事実に反する。。
事実は、迷悟なく業もないのだから。。
事実のままにあるのが自由か、事実に是非を付け加えて見ているのが自由か、ということじゃない?
迷いが不自由で、悟りが自由ですらない・・悟りを立てて見るから世界が分裂するんだってこと。。
804 :
神も仏も名無しさん:2011/11/17(木) 18:43:57.03 ID:YW24fG5z
ろんが多弁になる時は迷いがある時だな
805 :
ろん:2011/11/17(木) 18:54:47.10 ID:lu2KRozr
多弁になる時は多弁になる時。。
806 :
神も仏も名無しさん:2011/11/17(木) 18:55:40.20 ID:YW24fG5z
>>794 >「自分には比較がない」と言う、それがあなたの自慢であり、勘違いだ。。
「自分には比較がない」とは書いてないよ、
「自分の事」に対しては「比較は起こらない」って書いたんだよ。
「自分には比較がない」って読むと全く別の意味になるよ。
807 :
ろん:2011/11/17(木) 18:59:26.77 ID:lu2KRozr
欲があるとき業があるとき、素直にそれに従って行動できるようになったのは禅のおかげかもね。。
安心して慌てられる、安心して焦ることが出来る、安心してがんばることが出来る。。
そんなもんだわさ。。
808 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/17(木) 19:00:01.30 ID:TVRZ5I/7
809 :
ろん:2011/11/17(木) 19:00:25.89 ID:lu2KRozr
>>806 どうでもいいよ・・・自分の説明、いい訳ばっかりやな。。
810 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/17(木) 19:00:48.67 ID:TVRZ5I/7
>>803 ろんがよければそれでいんじゃない?
迷いとか不自由とか分裂とか、そんなもんがどこにあるのか知らんけど〜
812 :
ろん:2011/11/17(木) 19:13:28.62 ID:lu2KRozr
>>811 ww
オレがよければいいのかい?
だったら、
>>764みたいなこと始めから言わなければいい。。
まあ君がいいならどうでもいいけど〜〜
813 :
ろん:2011/11/17(木) 19:18:03.36 ID:lu2KRozr
ないといったら何にもないんだけどさ、抑圧や分裂があって苦しんでる人は現におるのよ。。
規矩を律するなかれって、お経にもあるじゃないか、自分で自分を縛っている人がほとんどだと思うがな・・まあそれも自由と言えば自由だが。。
ろん\(-_-)一本
815 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/17(木) 19:20:46.23 ID:TVRZ5I/7
816 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/17(木) 19:21:50.67 ID:TVRZ5I/7
>>812 いや、ろんがよくないのかと思ってね
いいと思って気がしてるだけで本当はよくないのかと思ってさ
おれはろんじゃないから、ろんがどういう意味でその言葉を言ってるのか知らんわからん
だから思ったこと言っただけで、それでろんがいいって言うならそりゃいいさ
ろんのことだから
暑いかなと思ってお茶飲んだら?って聞くけど、
喉が渇いてないって言われりゃそれまでだからね〜
819 :
ろん:2011/11/17(木) 20:20:12.50 ID:lu2KRozr
>>817 今ある自己、どうあろうといいとか悪いとか思うこと自体無意味でないか?
今は捉えられず、今ある自己も一瞬で移り変わる、是非することなど出来ないし、していない。。
僕は名無しは基本的には信頼しない。。
理解が中途半端でもコテなら、一定の信頼を置く。。
お茶をやるとか言われても、あなたに法があるとははじめから思っていないんだよ。。
まともに対話したいなら、コテをつけて欲しいな、話はそれからだ。。
820 :
ろん:2011/11/17(木) 20:24:35.76 ID:lu2KRozr
>>816 恥じらいの無いケツは嫌いなんだ・・フリでも悩ましくすればいいものを。。
821 :
ろん:2011/11/17(木) 20:27:51.33 ID:lu2KRozr
僕は父親譲りのお茶のみだけど、味好みは結構うるさい。。
コーヒーならどうでもいんだけどね、お茶はまずいの飲みたくないから、ちゃんとしたやつを通販で買ったりしてるわ。。
大して金ないくせにそこだけ贅沢だな。。
>>819 俺はまともに対話とかコテがついてれば信頼とか意味がわからんし別にいいよ
というか、スルーしてくれていいんだぜ
スルーしてくれてもかまってくれてもまともに対話してくれても、ろんちゃんの好きなようにしてくれればいいのだよ
823 :
ろん:2011/11/17(木) 20:46:16.28 ID:lu2KRozr
>>822 じゃあ職業か年齢か住所かどれか一つ教えてちょ。。
なんだそりゃw
都内に住んでるけどね〜
ろんってMW?
ちがうか、ところで
>>807いいね
いいビンタきた
826 :
基地子♀:2011/11/17(木) 21:07:43.30 ID:PfpklrT9
ろん様に賢者モードをプレゼントしようかしら?(^人^)
827 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/17(木) 21:19:36.96 ID:AmkO1NBa
あぼーんする作業が面倒だなぁ
829 :
ろん:2011/11/17(木) 21:24:31.39 ID:lu2KRozr
>>824 じゃあコテは「某都民」で決定ね。。
椎名林檎の歌にあるからなー、、石原都知事を皮肉ってる歌だけど、そんなの関係ねー。。ww
暴徒民もいいけど、ちと物騒だ。。
ってことでコテ決定ね。。w
>>825 いいだろ、いいだろ、もっとホメてくれ〜〜。。
MWってなによ、手塚治のマンガか?
830 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/17(木) 21:27:25.21 ID:AmkO1NBa
831 :
ろん:2011/11/17(木) 21:27:26.20 ID:lu2KRozr
>>826 そうそう性欲が満たされると、賢者になれるのじゃ。。
おいらにすべてを捧げなさいww
832 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/17(木) 21:36:54.94 ID:AmkO1NBa
ローマに大宇宙の歯車に切り刻まれて
喉仏に歯車が通り5秒ほど息ができなくなり
DNAを操作された錯覚に陥り
御霊を回収されて何ら無力になり
伊丹空港の航空機が近未来の旅客機になり
車が透明になって歩いている人の頭が
宇宙の惑星みたいな天体図の起動を描き
通行人に話しかけてみるとわざと地球に来たような話をするような話になったりして
地球は大丈夫ですかとみち行く人々に話しかけてもむしされましたwww
そして部屋に戻るとずっと暦がひょこの音で鳴り続けていてて散々です
きょうは御社神道との対決でねられませんが、かなり弱い宗教ですねwww
すべて防衛戦です
おっさんサンサイが地球のコアを守ってくれていたのが唯一の味方でしたw
835 :
基地子♀:2011/11/17(木) 21:50:04.93 ID:PfpklrT9
パラレルワールドなんでしょうね
もどってきましたがwww
俺は仏教の檀家であり御霊もキリストも信じていません!
837 :
ろん:2011/11/17(木) 21:52:21.76 ID:lu2KRozr
>>835 ただじゃー返さないぞ・・メチャメチャにしたる。。ww
838 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/17(木) 21:53:53.82 ID:AmkO1NBa
鏡あるけども
あれは危険なんでしょうね
鷹の目に入れられて鳥目になり
目をつぶっても何か映像が浮かびます
それを打ち払おうと努力したんですが
三菱と宮内庁に散々いたぶられました
やめろと思いガラス玉の構えをとったら
映像が透けてきたんですね
それがだいごさん
ガラス玉の構えだとコロコロ転がり続ける悪夢を見て
変えたんです
水槽の水の構えを取ったんですね
そしたら収まったんですが、今度は紫になったんです
テレビが3Dになったりして悩みましたが
念である宗教の水晶に念を送ったら収まりました
失明の危険でした
今ではメガネでブロックしています
ええ、かの有名な俺です
仏教は信じるものじゃないぞ
探求するものやで
ええ、天台宗ではありません
浄土真宗です
なので結構です
探求した結果
俺の黄泉がえりは川の魚だと思うようになった
輪廻転生なんですね
脊椎動物以外ないんでしょうが
現世の後のあの世は全くわかりません
燃やされて灰になり
灰が風にながされ土になり川の魚になった
その魚が死に腐り、何かの養分となり貴方になったとすればありえるでしょうね。
843 :
基地外:2011/11/17(木) 22:22:31.87 ID:PfpklrT9
>>837 嬉し〜いわよ!責め道具、鞄に詰めて置きますね。(^q^)¶
宮内庁と京都の舞子さんは互角でしょうね
どっちも俺に標的されました
舞子さんはどっちかというと有効的ですが
何もしていないからでしょう
寝ているときに、何か食べさせられる仕草をされて食べようとしたら夢だというオチです
もうやめてくださいねww
宮内庁は俺のことを噛みます
なので反対です
極道の妻みたいなかたもいるけれども、操られたことはない
声は聞こえて映像が浮かぶ程度ですwww
どの方々も、怖いですからもうやめてくださいwww
やめてくださいと言ってもやめてくれないんですね
「そうでっしゃろか、やめてくれるとおもったらおかねはらわないとやめてくれないんやないやろか」
と今言われました
休戦条約でしょうね
25万円しかないから無理だから耐えるだけですwww
一切無視して生きますwww
こっちかあっちかこっちか
というのは、ユダヤなんですね
むかつくので一切無視www
847 :
神も仏も名無しさん:2011/11/17(木) 22:43:57.74 ID:lRbQPFNI
>>819 >僕は名無しは基本的には信頼しない。。
「気づき」に名前があるだろうか
大切なのは誰が言ったかではなく何が言われているかではないだろうか
無論「気づき」も「神」も「無我」も「意識」も本来名前など存在しない
名前は私達がそれについて話すときにそれを指し示す言葉が無いと不便だから便宜上付けているだけだ
しかし言葉はそれ自体が言葉の解釈を巡って議論を呼び起こす
そして人は言葉の解釈を巡って延々と議論を続け、それを取り逃がし続ける
甚だしくは言葉一つで人は憎み合い殺しあいまでする
いずれも「気づき」とも「神」とも「無我」とも「意識」とも関係無い
人は指に囚われ月を見ない
それがゲームとして楽しいのなら、それも良い
だが本当にそれを求めるのなら
言葉や概念等への執着は脇に置かなければなら無い
ただ「観て」ごらん
そこにはなにも無い
その時はこの誰が書いたかわからない名無しのレスのことなど気にする「貴方」もいない
まだこのレスを読んで反論したいのなら、反論したい「貴方」がいるのだ
ええ、
今日の夕方は水子の匂いがしたが一切無視
俺には防衛しか手はない
一切浄化できない
3000人いたのが2000人くらいになっているんです
無責任な産みの母親が殺したんです
俺の精子を使って日本国家が産ませたようです
で、帳尻合わせで御札を使って供養だそうでwww
一切責任感がない精子泥棒の母親には運は回ってきませんwww
優しさが足りない
俺に向けて技をしても
迷惑どころかただの嫌がらせなんだなこれが
ローマは関係ない
今日はなんか桁外れの方がおりますな
853 :
ろん:2011/11/17(木) 23:26:08.34 ID:lu2KRozr
>>847 名前を付けた方が便利だってことも、言葉も概念も月そのものだ。。
それがわからないなら、月そのものを知らないのだ、いや月そのものになっていないのだ。。
自分が月そのものと知ったら、月はなくなるのだから。。
854 :
ろん:2011/11/17(木) 23:27:59.73 ID:lu2KRozr
>>843 エロは道具にあるんじゃないで〜。。
あなたの心と体・・おいらの心と言葉と剛直と・・うっふっふ、道具の問題じゃないのだ。。
ポエムでバトる季節、冬ですね
856 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/17(木) 23:29:19.45 ID:AmkO1NBa
857 :
ろん:2011/11/17(木) 23:30:58.41 ID:lu2KRozr
>>852 おいらのせいじゃないぜ〜。。
アラシを呼ぶ男じゃないぜ〜。。
858 :
ろん:2011/11/17(木) 23:32:55.23 ID:lu2KRozr
すべてが月そのものと知ったら、何にも言うことはなくなる。。
859 :
ろん:2011/11/17(木) 23:41:02.97 ID:lu2KRozr
また、何とでも言えるようになる。。
860 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/17(木) 23:42:09.92 ID:AmkO1NBa
861 :
ろん:2011/11/18(金) 00:14:42.51 ID:U2TCwglC
862 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/18(金) 00:14:42.78 ID:C8ZrJynk
863 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/18(金) 00:15:56.72 ID:C8ZrJynk
864 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/18(金) 07:24:53.15 ID:LraLlFAV
>>646 おっしゃる通り今は捉えることが出来ません。
「私」が捉えることのできる今は、人によって違う今であり、まあいわば「今もどき」です。
本当の今に「私」がいることはできないのですね。
かといって、今が存在しないわけではなく、やっぱり存在しているようです。
そこには「私」の知らないものがあるわけですから、当然解説も出来ないし、そもそも断言ができない。
これはいったいどういうことなのでしょう?
865 :
基地外:2011/11/18(金) 07:32:07.74 ID:mIxDe/+4
お早うさん!皆の衆 (´Д`)/~~
867 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/18(金) 07:52:17.59 ID:LraLlFAV
>>748 > 自分の考えを正しいと主張したいのか…正しいと思っう事を伝えたいのか?
私たちは、正しいもの、優れたもの、に近づきたいし、そうありたいのですね。
これは、どうしてなのでしょう?
868 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/18(金) 07:55:56.77 ID:LraLlFAV
869 :
神も仏も名無しさん:2011/11/18(金) 08:12:57.58 ID:kvILRvPo
>>864 あまり難しく考えなくても
自分が存在する一瞬一瞬が「今」って感じの捉え方でイイんじゃないですか。
いつも「今」を気にして生活してる訳じゃないですし。
870 :
778:2011/11/18(金) 09:44:11.33 ID:nByXtr+b
>>793 「私」という意識は、脳が作った癖にすぎない、
私が思考しているときにしか私は存在しない、
「我思う、故に我有り」、(ちょっと違いますか?)
でも理解だけならなんとかできます。
何かをきっかけにいつか実感にまで深めたいですね。
夢とは何を見ているのかしら。
何も見ておらず、何も聞いておらず、何も動いてない。
記憶を眺め、感情を聴きつなぎ、意識が駆けまわる。
記憶や感情や意識とはなんぞや。
\ /
\ 丶 i. | / ./ /
\ ヽ i. .| / / /
\ ヽ i | / / /
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ー
__ わ た し で す --
二 / ̄\ = 二
 ̄. | ^o^ |  ̄
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/ ヽ \
/ 丶 \
/ / / | i, 丶 \
/ / / | i, 丶 \
873 :
基地外:2011/11/18(金) 15:37:42.63 ID:mIxDe/+4
ソーセージを1kg完食したら気持ちが悪いのう!(T дT )y-~ 南無(⌒人⌒)
それらが、統合されるとき智慧が現れる。
統合と言っても、中心を作るのではないよ。
中心のない統合じゃよ。
877 :
ろん:2011/11/18(金) 21:35:42.81 ID:U2TCwglC
>>870 思考している時に我があるとは限りません。
例えば、数学の問題を解いている時、僕は数学と嫌いだからとかわかんなくてムカつくとか言う余計な思考が無ければ、
そこにあるのは思考だけで、思考する私はないでしょう。。
しかし、テストが帰ってきて、何点だった、平均点より高かったとか友達と比べてどうだったとか思えば、私と言うものを意識せざるを得ません。。
私なしに思考し、現実判断することは可能です。。
思考の中に私が存在するのはなぜか?
いつどのようにしてそれが生じたのか考えてみる、瞑想してみるのもいいかもしれません。。
あとは、自分についてなんとも思っていない時、無心で自己を忘じている時と、自分を抱え込んで、それに振り回されている時のギャップでしょうかね?
無心になっときに、どのようにしてまた我が生じるのか、理解できるかもしれません。。
878 :
ろん:2011/11/18(金) 21:41:44.05 ID:U2TCwglC
こうやって書き込みをしているのは誰か?
私だと思うことがなければ、私が書いたのだという思いが無ければ、なんでもありません。。
インテリ覚者のスーパーろん様ですwwとか、思わなければねww
縁あってそういう現象が生じているのみ・・何らかのものとして捉える認識、それに欺かれるのでしょうね。。
879 :
ろん:2011/11/18(金) 21:45:15.47 ID:U2TCwglC
肉体があり、意識があり、五感があり、思考、想念があり、それを私として認識する自我がある。。
最後のものを捨て去る必要はないのかもしれませんが、あくまで社会で生きていくための仮のものかなーと思っています。。
自我と言ったって、自分でコントロールしているわけじゃないですし。。
880 :
ろん:2011/11/18(金) 22:29:46.73 ID:U2TCwglC
こうやって書いているもの、思考しているもの、行為しているものは何かって考えても、結局わからないんですね。。
あっはっは、なんだかわからないものが、こんなことしてる。。
なんだこりゃって話。。
達磨さんは、中国の皇帝におまえは誰だって聞かれて、「知らず」と答えました。。
わかりっこない、自己なんて、わからないようにできているんですね。。
わかったら嘘・・悟っているとか迷っているとかも含めて。。
881 :
ろん:2011/11/18(金) 22:36:59.22 ID:U2TCwglC
自分がわからなけりゃ他人もわからん・・こうだという認識なんて、思い込み、思考パターンによる誤解みたいなもんでしょう、全部。。
だけど、何でも見えるし聞こえるし、考えられる、判断できる、これを仏性と言うんです。。
もともと備わった、認識作用、知恵ですね。。
882 :
U^ェ^U ワン! ◆./Rita//Qs :2011/11/18(金) 23:06:42.29 ID:FkhzjICd
883 :
神も仏も名無しさん:2011/11/19(土) 01:57:40.50 ID:Sm6uCzK5
ドラゴンボールの神様とキリスト教の神様、どちらが偉いですか?
(。・ω・。)
884 :
キャラメル:2011/11/19(土) 05:59:02.45 ID:FZuYrDJ9
神様の場所によって変わるんじゃないかな?
885 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/19(土) 10:28:56.34 ID:5mK2qQhk
>>759 > よくあるのは、仏教とか精神世界本とかを読んで、本当の自分じゃなくて、あたらいい嘘を身に着けてしまうことだと思うです。。
これは私にも起こったことですが、必要なことだとも思うのです。
世界や自分に関するいろんな疑問を明確に解説してくれる本や人の話に出会うと
これは傾倒せざるを得ないと思うんですね。
それまで悶々としていた自分から解放されるわけですから。
それを受け入れ、それだけで悟った気になれます。
思索をめぐらし理解を得ます。
それは嘘かもしれませんが、「私」が静まるのであれば、これも方便として有効だと思います。
886 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/19(土) 10:30:20.96 ID:5mK2qQhk
>>885の続き
しばらくはそこにいて遊ぶのですが、自分の問題は依然として残っており、
いづれは、それと真正面から向き合わざるを得なくなります。
(一生逃げ続ける人生もありますが。)
また、考えを詰め込むだけでは、今度はその考えが諸刃の剣となって、
新たな葛藤を生み出したりもしますよね。
なによりうるさいです。
いづれは、そこから更に踏み出さざるを得ませんが、
それまでは、そこにいて思う存分遊べばいいと思います。
どんなことも必要だと思うのです。
887 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/19(土) 10:31:00.45 ID:5mK2qQhk
>>886の続き
さて、このようなプロセスの中で、理解とはいったいなんだろう?という疑問(お題)が浮上します。
理解すると、「私」は静かになりますよね。
これが気持ちいいのです。
ひょっとして「私」を静かにするために、「私」は知識を仕入れ、
へとへとになるほど思索をめぐらし、理解したのではないか?
これに気づくと、また新しい世界が開けるようです。
今書いたことも、これまた一つの嘘なのですが、
方向性を定め、事実に近づくためには、役に立ったりします。
888 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/19(土) 11:29:39.81 ID:5mK2qQhk
>>760 社会は1人の人間の集まりですから、一人一人が自分の問題に向かうなら、
社会で起こっているありとあらゆる問題は解決するでしょうね。
つまり、世界で起こっているすべての問題は「私」の問題なわけです。
私も夢だと感じることがありますが、
夢だと感じる自分がいるということが夢なのかもしれませんね。
889 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/19(土) 11:40:54.56 ID:5mK2qQhk
>>761 > 「気づき」以上に気付いた後の意識の変化が重要だと思っています。
具体的にはどのような意識の変化が起こるのでしょう?
> 気付いた時点で悟りへの探求が終わり、意識の変化が起こらないまま
> そこに留まる人が多いように感じるからです。
ただ気づき自体であるとき、そこに何か足りないものがあるのでしょうか?
890 :
神も仏も名無しさん:2011/11/19(土) 11:41:17.03 ID:FIfreX/n
>何でも見えるし聞こえるし、考えられる、判断できる、
と思い込んでる統合失調
891 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/19(土) 11:47:55.45 ID:5mK2qQhk
>>763 私達はどうして原発を必要としたのだと思われますか?
892 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/19(土) 11:50:00.06 ID:5mK2qQhk
>>765 > 消費の豊かさには限度がない
いやまったくです。
享受してる奴らが言っても説得力ねー
894 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/19(土) 12:00:40.53 ID:5mK2qQhk
>>769 > そう理解しようとし続けることで、いつかは実感を伴った悟りの体験に変わる時がくるのでしょうか。
「理解」自体はどのようなものだと思われますか?
「理解」自体でいることは可能でしょうか?
つまりそこにたどり着くために必ず何らかのプロセスが必要だと思われますか?
895 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/11/19(土) 12:43:53.41 ID:FaRT4aA7
>>891 精神分裂の苦しみから逃げるために絶えず人は本質的に不必要なものを欲し、希望し、
それらから逃避する。
意識的に人が原発を作ったりその他いろいろをすることはないでしょう。
>>887 静まろう、静めようする主体がそのまま騒音であるかもしれない。
静かさを求めるこころは騒音という現実を受け入れることを拒み、夢の世界へ逃避してしまうかもしれない。
自我を超えるということは、自我、精神分裂の苦しみを苦しみとしてではなく全く意味のない事実として、
静寂と区別すらせずただそれに目覚めていることかもしれない。
しかし、その過程で、混乱を嫌い静寂を好む私たちの思考は、混乱と対峙するすることを好まず、混乱に対し無用にわざわざ苦しみ、
それを抑圧しようと静寂の夢を見ようとしてしまい、それを無意味なものとして超越することの妨害を行うでしょう。
896 :
ろん:2011/11/19(土) 13:04:24.07 ID:QzdLLNT1
>>887 禅では無理会のところへ向かって探求し尽くし、探求し終わりなさいと言われます。。
無理会とは、人の理解の及ばないところと言う意味です。。
頭で理解することも問題を整理して頭をスッキリさせるには役立ちます。。
しかし、無我とはこうですよとか空とはこうですよって頭でわかっても、解決しないものがあるわけです。。
本当は解決しているわけですが、そこへ行くまではわからない。。
まあ学習して理解して、それでも解決していないことに気づいて、理解の向こうへダイヴする、と言う感じかなぁ。。
897 :
ろん:2011/11/19(土) 13:14:38.79 ID:QzdLLNT1
>>888 自分の問題に向き合えない、問題があることにすら気づかない人々が大半でしょう。。
だから、僕はそれとは別の、社会正義の浸透によって、世界が変わることを願ってしまう。。
ニューヨーク発のデモなんかもそうですが、僕は世界経済の不均衡、不平等が何とかならないかと言う思いあって、
システムを何とか作り変えられないかと思っているのです。。
まあ英米日以外の国々は、今とは違うシステムを模索しているようですが、それが実現する日が近いのかどうか。。
898 :
神も仏も名無しさん:2011/11/19(土) 13:20:58.71 ID:cn+PFELg
ちなみに、「私」というのはいちゃいけませんかね?
「私」が無ければ、単なる置物みたいなものじゃありませんか?
899 :
ろん:2011/11/19(土) 13:25:06.45 ID:QzdLLNT1
坐禅の時は置物になった方がいい。。
首のもげた地蔵の如く坐れって言われた。。
900 :
神も仏も名無しさん:2011/11/19(土) 13:25:16.91 ID:cn+PFELg
>>891 十分なエネルギー供給のためです。
原発の燃料となるウラン元素は化石燃料の何万倍と言う物凄いエネルギーを持っている
夢のエネルギーだ!ということを政府が宣伝したのです。
ちなみに、宣伝に関わっていたの日本テレビの創設者Sですが、原発大国アメリカとの裏取引があったようですね。
ようするに利権です。実際は、原発はコストばかりかかって効率が悪いと言う意見もあります。
依存度も全体の電力の3割弱です。また、ウラン元素も数十年内に枯渇が言われています。
901 :
神も仏も名無しさん:2011/11/19(土) 13:34:25.74 ID:cn+PFELg
情報量という観点からすると、無我の境地で、一切の観察に徹している状態のほうが
情報量は多い。しかし「私」はその状態をイライラするんだよな。
全部が見えていると、脳の情報処理の負担が大きいからと言うのがその理由らしいが。
>>895 静寂はあります。
心のおしゃべりを止めると、雨がしとしと降っている音が聞こえるでしょう?
他には何が聞こえるでしょうか?
心がしゃべり続けているとき、それらは聞こえない。
心が止まると聞こえる。
しかし、心は自動的にしゃべり続ける。
何故しゃべり続けるのか?
それが私だと思いこんでいるから。
それは、理解されることで止みます。
>>901 その情報量を思考でコントロールしようとすることが間違いです。
それを、そのままにしてごらんなさい。
>>898 なぜ、置物になるのを恐れるのでしょう?
あなたは、寝ている時、置物の様ではないでしょうか?
毎日、その様な状態になっているのに、何を今更恐れる必要があるのでしょうか?
905 :
神も仏も名無しさん:2011/11/19(土) 15:09:31.91 ID:cn+PFELg
>>903 「そのまま」というのが曖昧でよくわかりませんが
906 :
神も仏も名無しさん:2011/11/19(土) 15:10:44.06 ID:cn+PFELg
別に、恐れてないですが。置物だと日常生活が成り立ちませんよw
>>906 そうですねw
しかし、思考が静まったとしても、置物にはならない。
実際には、逆のことが起こるのです。
実は、思考に囚われている人ほど置物の様なものなんですよ。
だって、考えてるだけで動かないでしょw
動きと共にあるなら、置物にはなり得ない。
>>905 その感覚を掴むには、瞑想は有効だと思います。
ただ観るということです。
909 :
神も仏も名無しさん:2011/11/19(土) 15:42:36.71 ID:dJ/WZ3N+
目的がなければ動きがあっても動きに巻き込まれてるだけでは?
>>909 人間は、生まれ落ちた瞬間から、時間という動きに、巻き込まれ続けています。
目的というのは、巻き込まれている自分に対する言い訳の様なもの。
自分というものがわかれば、言い訳は必要なくなる。
目的なく、様々な事を成していくのです。
911 :
神も仏も名無しさん:2011/11/19(土) 15:57:36.03 ID:dJ/WZ3N+
じゃあ駄目じゃん環境に流されるだけの人になってしまう
912 :
神も仏も名無しさん:2011/11/19(土) 15:58:26.39 ID:dJ/WZ3N+
その自分と言うのはどうやったらわかるんですか?
全ての人間は、環境に流されて生きています。
というより、環境と共に生きているのです。
要するに、その環境によって、自我が作られるのです。
だから、環境に身を任せようが、反発しようが、結局のところ環境と関係していることには、変わりないのです。
自分というものは、なかなかわかりにくいものです。
なぜなら、それを見ているのもまた自分ですからね。
やはり、瞑想というのは、技法としては、間違いないのではないでしょうか。
914 :
神も仏も名無しさん:2011/11/19(土) 16:12:05.27 ID:dJ/WZ3N+
まあそういうことはよく瞑想の本に書いてあるんだけど、貴方の体験としてはどうなの?
まあ、わたしの例でいうと、たまたまクンダリニーが上がって自我が破壊されたので、禅とかは、実はよくわかりません。
全くの無宗教でしたし、本当にたまたまでした。
まあ、自我が落ちてから、ちょろっと瞑想するようになったぐらいです。
だから、本当に自分をわかろうと思うなら、そういう体験が必要なのかも知れないし、そうでないかも知れない、私にはわからない。
これも、瞑想の本に書いてあるかもしれませんが、クンダリニーは危険を伴う可能性があるかもしれません。
それも、わたしにはわかりませんが。
まあ、確かに自我が落ちるのだから、自分が誰だかわからなくなるw
確かに危険な行為です。
だから、まあ、禅で行くほうがいいのではないかとは思うのです。
まだ、わたしも道の入り口を見た程度ですので、上手く説明ができず、申し訳ないです。
わたしがここに述べる全ては、体験から書いていますので、あしからず。
917 :
神も仏も名無しさん:2011/11/19(土) 17:04:03.59 ID:dJ/WZ3N+
なんとかく君の禅はオウム風味がするからよしとく
>>917 まあ、確かにオウムはそれだわなw
だから、誰でも彼でも上げりゃいいってもんではないわな。
人にはカルマってのが、それぞれ違うからね。
スーパーマンになった気になったりw
だから、人に上げ方を教えていいのかは、わからない。
ただ、ひとつの技法であることは、確かだと思うよ。
919 :
キャラメル:2011/11/19(土) 17:20:43.64 ID:FZuYrDJ9
腸内環境、悪玉菌と善玉菌 菌からしたら善悪無いよなぁ〜人間の都合だね。
都合だよね、都合を無くして見方を変えると味方は……
都合良くいかないなぁ。
トゥー、見方の味方キャラメルマン
(/。-_-。)ノ 参上。
まあ、現代なら、ちょこっと検索すればなんぼでも方法は見つけられるので、わたしが語るまでもないことだと思っています。
わたし自身もインターネットで見つけてやって見たら、本当に上がっちゃったwみたいなもんですから。
921 :
キャラメル:2011/11/19(土) 17:39:28.62 ID:FZuYrDJ9
上がったって(≧з≦)整理(≧艸≦*)
>>920 例えばどんな方法をやってみたのですか?
上がったきっかけは何かあったのですか?
>>923 まあ、普通のヨガですね。瞑想と呼吸法。
でも、独学なので、なぜ上がったのかは、わかりませんw
上がっちゃうと、人生を左右してしまうので、真剣さは必要かと思います。
まあ、わたしの場合は好奇心でやったら上がっちゃったみたいな感じなので、真剣とは言えませんがw
上がってからは、色々と勉強もしましたし、真剣さは身についてきました。
瞑想出来たら上がるとか無いから。
わたしのわかる範囲で、もう少し書くと、それは、尾てい骨あたりにあるエネルギーがそれ自体意識があり、目を覚ますと背骨を昇り、脳の中の第三の目を開きます。
そして、そのエネルギーは、また、下へと流れます。小周天と呼ばれるものでしょうかね。
それを続けると、意識がクリアーになります。
あと、最近気付いたのですが、そのエネルギーとわたしという意識が同じものだということですかね。
最初は、別のものだと思ってました。
928 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/11/19(土) 21:14:14.78 ID:FaRT4aA7
>>902 静寂があるというのならそれは見る人自身が騒音であるからそのコントラストとして静寂を対象として見出すということです。
静寂であるということが解放でありそれは対象として静寂を見出すこととまったく別のことではないでしょうか。
人はどんな夢でも見ることができます。
心の力というのはすさまじい。
それが日本人としての人間の夢であろうと悟りの頂上体験の夢であろうと、
宇宙の創造と破壊の流れ(生と死の流れ)、そして自分自身の本質である愛と創造の流れに対立するものであり
苦しみを併発させます。
>>926 瞑想だけでは、上がらないでしょう。
ポイントは呼吸法です。
上がった後はどうなのですか?
今もその状態のままなのですか?
上がる以前に戻ったりまた上がったりとかですか?
>>928 おっしゃっていることが、よくわからないのですが、わたしの言う静寂とは、思考の雑音がない状態です。
その様な状態になると、他人の雑音がわかったりします。
内容はわからないですけどねw
だから、静寂になったとしても、雑音のある状態もわかるのです。
人が見る夢は、わたしが見ているのでしょうか?それとも、わたしを超えた意識が見せているのでしょうか?
呼吸法?
真理と智慧を見いだせるかだよ。
健康体操と違うっての。
>>930 上がる前の状態には、戻らないでしょう。
しかし、本質的なこと言うと、全ての状態は元には戻らない。
それらは、記憶ですからね。
まあ、今でも上がります。
ただ、最初の頃は暴走しているような感じでしたが、最近は、意識を同化させることで、コントロールできることがわかりました。
>>932 ヨガが健康体操という常識は、いつ頃生まれたんでしょうね。
元々は、智慧を得る為の技法です。
そこらへんは、様々な文献もありますので、チェックしてみてください。
人間の呼吸は、精神と深い関係性にあります。
ドキドキしたら、深呼吸をするでしょう?
どんな真理と智慧を見出したかが大事なのであって
瞑想だけじゃ悟りにいかんよ。
>>935 それならば、今日わたしの書いた文章を読んでみてください。
他にも色々書いてるが、基本名無しなもんで。
わたしは自分が悟っているかは、わかりません。
というか、どっちでも良い。
まあ、瞑想は、いったん空っぽにするようなもんで、そこから、この世界の仕組みなんかが観えてくる。
それを智慧や真理と呼ぶのならそうかも知れません。
でもそれは、とても現実的で実用的なものである様に感じます。
937 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/11/19(土) 22:04:29.88 ID:FaRT4aA7
単に瞑想だけではいろいろとはおこりませんが、呼吸法を混ぜるといろいろ起こりましたね。
そりゃあ凄いことが起こりました。
体験という意味ではこれ以上ない絶頂だった。
そして、結局何も変わらないということ、自分で起こしているというだけだということがわかり体験への興味はなくなりました。
何が起きるにしても、それは宇宙のリズムまた宇宙の一部としての自分のリズムから外れているということです。
クンダリーニが真に起きた時は何も起きていないこととしてただそこにあることでしょう。
呼吸法とある種の精神状態によってで脊椎からエネルギーを昇らせることはできますが、それはそれだけで意味のあることには思えません。
その現象が自分のすべての思考や感情と調和していればいいのですが、実際には、
自分の俗な部分のエネルギー運用とクンダリーニのエネルギー運用とで精神分裂を加速させるのが落ちです。
939 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/11/19(土) 22:11:36.00 ID:FaRT4aA7
>思考の雑音がない状態
表層で一つの思考が主権を握っている状態からの脱却ですね。
ここから私自身が無数の思考の集合体でありその矛盾であるという事実を言い出す旅が始まります。
だが、表層で一つの思考が主権を握っている状態からの意識的な超越すら滅多に起こることではありません。
人は何度も自分が静寂であるという夢を上塗りします。
そしてそれを乗り越えて表層の一つの思考の支配から抜け出た人間は、その2つをきちんと区別して表現するように努めるものです。
しかし、そこからが大変です。客体としての探求ではなく主体そのものの理解の道なき道が始まります。
思考の本当の問題はそれが対象としてあることではなく主体そのものであるということです。
>>937 確かにそうだと思います。
ただ、クンダリニーが上がるだけなら、気持ちいいだけだからw
まあ、あなたの言うこともわかる。
オウムの様になる可能性があることもわかります。
しかし、その様な仕組みが人間に備わっていることは、実感した人なら、否定できないでしょう。
それが、妄想だというなら、呼吸をしていることすら妄想ですよ。
結局何も変わらないというのは、違いますね。
結局何も全て変わり続けているのですから。
変わらないと思っている自分がいるだけですよ。
>>938 感情とは感情です。
自分の感情を観察してみてください。
>>939 あなたは、少し言葉に捉われ過ぎている様に感じます。
自分を観察するには、言葉は必要ではありません。
何故なら、言葉は思考ですからね。
思考で思考を観察するという堂々巡りを避けるには、言葉から少し離れてみると良いかも知れません。
>>942 なんでしょうねw
あなたの知ってる通りのものじゃないですか?
恐れとは
喪失です、消えることが怖いのですよ。
949 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/11/19(土) 22:51:03.88 ID:FaRT4aA7
>>943 おかしいですね。私は自己の観察の仕方など述べてはおりません。
正にあなたのおっしゃる通りの状態になれば見出しうる事実関係について語っただけです。
いったい何を読んで何に回答なさったのですか。
その現象が自分のすべての思考や感情と調和していればいいのですが、実際には、
自分の俗な部分のエネルギー運用とクンダリーニのエネルギー運用とで精神分裂を加速させるのが落ちです。
あなたの一連の書き込みは上記の状態から起きていると推察されます。
あなたの書き込みがこれにあたるのでないならどんな書き込みがこれにあたるのでしょう。
言っている内容と言っている人格に妙な不一致を感じるのです。
クンダリーニによって本当の変革が起きるということは中心が頭ではなく、ハラに、宇宙の中心にシフトするということです。
それが身について来れば自己表現の方法は自然と変わってゆくものです。
あなたのなさってる自己表現は幼い自己顕示欲が行うものとよく似ています。
非常にあなたの一連の書き込みはエゴイスティックな印象を与える。
私は、あなたは
という2元性の強化をもたらす書き込みになっています。
クンダリーニは悟っている人に起こるかもしれませんが、起きれば悟るというものではありません。
クンダリーニを起こしてしまうと人の自我を変な風に強化してしまいます。
>>947 それは、人が記憶に依存して生きているからです。
記憶という思考を自分だと思って生きてる。
だから、それが静まると自分が無くなると思ってしまうのです。
しかし、そうではない。
思考が静まっても、問題はない。
むしろ、問題は思考が起こしていたことがわかります。
思考なしには、恐れはないでしょう?
>>950 その回答であれば悟りも記憶、智慧も記憶、快楽も、感情も
人間の行動の大半が記憶になりますよね?
>>949 それは、あなたの事だよ。
あなたは、自分の持つ問題をわたしに見ているのですよ。
自分の感情を良く観察してみてください。
残り50切りましたよ。
954 :
18:2011/11/19(土) 23:02:50.89 ID:b01JFDhy
悟った人はたまに見受けられるが、悟った後の人生が人それぞれ独特で面白いなと思う。
このスレで悟った人は今どのような過ごされ方をしていますか?今後してみたいこと、しようと思っていることなどありますか?
もちろん「今」しかないと言われるかもしれませんが・・
>>951 そうです。全ては記憶。
自分というものが記憶です。
記憶は記憶で良いのですが、記憶と自分が同化すると様々な問題が発生するのです。
956 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/11/19(土) 23:06:45.44 ID:FaRT4aA7
>>952 943−949でまさにそれを指摘されておきながら一切の自己への考察なく、
誰でもいえるつまらない返答をしてもね。
さて真面目に回答すると我々は本質的に似た部分があるので私としてもあなたに反応したり投影したりする部分はあります。
ですが私はあなたのように体験に得意になったり、完全には理解していないことを憶測の形ではなく知識として言い切ったりしたり、
上から目線でとうとうと語ったりをしたりはしません。
しかし私の深層心理はこれをやりたいのでしょうね。
これをやらせるほどに私は無意識ではないですが、それを理解して克服しきっているわけではないようです。
>>955 その回答では
なぜ貴方は病気になったのですか?の答えが
この病源菌ですと答えすに、地球が悪いんですと答えるのと同じですよ。
>>956 うーん。まあ、そう捉えるのなら仕方がないですね。
わたしには、あなたの答えは知りえません。
しかし、あなたの答えとわたしの言う事が違うからと言って、問題はないんじゃないでしょうかね。
問題は、あなた自身ではないですかね?
>>957 なぜ、悪いと置き換えるのですか?
病気になった理由は、地球に含まれていませんか?
問題ひとつひとつは、様々な理由があります。
しかし、その大元を辿ると、記憶や思考に関連している事は同じ事ではないでしょうか?
>>959 原因が分かってこその地球ですよ。
お分かり頂けないようなのでお暇しますね。
地球が悪いでは原因が特定できません。
961 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/11/19(土) 23:24:24.44 ID:FaRT4aA7
>>958 会話になっていないように思いますが。
>あなたの答えとわたしの言う事が違うからと言って、問題はないんじゃないでしょうかね。
もちろん。また違和感があればそれについて話し合うことも問題ありますまい。
>問題は、あなた自身ではないですかね?
いつでもそうです。そしてその構造を見出すために人との出会いがあります。
それはお互いに同じことです。
>>このスレで悟った人は今どのような過ごされ方をしていますか?今後してみたいこと、しようと思っていることなどありますか?
今、エヴァのSS書いてます、スーパーシンジもの、LRS、今後は生死を超越したスーパーマンになりたいです
あなた方は、他人を否定する事で自分を正当化しているのですよ。
それに気付いてください。
もし、この様な道を知らなければそれでもいいかも知れませんが、あなた方はそうではない。
自分を持たずに言葉のみを読み取ってくださいね。
病気が悪いというのは、イメージですよ。
良いも悪いもない、病気は病気です。
>>963 あ、ID変わりましたが上のもんです。
生意気言ってすいません。
自分の知っていることを持ってしまっている人がいるようだ
自分の知っていることを、自分が知っているということを、持ってしまっている
持っているものはいつでも自由に手放せないと自由じゃないね
966 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/11/19(土) 23:58:00.78 ID:FaRT4aA7
自分の書き込みは自分を含むすべての人を無心に導くための一時的な方便であり、
言葉そのものはすべてたわごとであるということを忘れていたようです。(自分で過去レスで言っておいて)
それを忘れると固定化した考え方との同化になり、口論の世界に足を踏み入れることになってしまいます。
思考の集合を見るか、思考を見るか、感情を見るか、クンダリーニを見るか。
見る対象、克服する対象があらかじめ決まっているとまさにそれをみてそれと格闘し続ける。
何が出てくるか何が起こるかわからない。見る対象も克服する対象もない。
そんなときに
次スレまだかいな
968 :
神も仏も名無しさん:2011/11/20(日) 00:35:11.47 ID:PahJzYEv
>>889 >具体的にはどのような意識の変化が起こるのでしょう?
意識の中の領域できない部分で変化が起こるので何とは答えられませんが
知覚出来る意識の領域では違和感となって現れます。
>ただ気づき自体であるとき、そこに何か足りないものがあるのでしょうか?
足りないものはありませんが、余計な物が残っている気がします。
969 :
神も仏も名無しさん:2011/11/20(日) 00:41:22.38 ID:PahJzYEv
>>891 >私達はどうして原発を必要としたのだと思われますか?
私は原発を必要としたことがありません。
お恥ずかしい話ですが、私は今回の原発事故が発生するまで
原発を気にすることがありませんでした。
ですから、原発は知らないうちに使っていたので
特に必要だと感じたこともありませんし、
どうして必要としたのかについて答えようがありません。
970 :
神も仏も名無しさん:2011/11/20(日) 00:44:49.95 ID:N/Ck9o2r
今瞑想していた。
スッキリしたところで寝ます。
皆様が悟っている存在であることに気づかれますように。。おやすみなさいzz
971 :
神も仏も名無しさん:2011/11/20(日) 00:47:46.02 ID:PahJzYEv
>>963 自我がなくなったそうですが
そうなると今書き込んでいるあなたは誰ですか?
972 :
963:2011/11/20(日) 00:58:43.60 ID:kTuMJDsC
>>971 自我がなくなるという表現は、あまり良いとは思えません。
思考のある一部分を自分と呼び、
それ以外を自分じゃないものとわけている。
ただ、それだけです。
元々、それらは、一個の思考であり、その境目が無くなったとしても、思考全体としては、同じですし、自分という部分を使う事も可能ですね。
973 :
971:2011/11/20(日) 01:31:00.65 ID:PahJzYEv
>>973 瞑想状態が涅槃に入ると涅槃しか知覚せず呼吸も止まっていると言いますが
それについてどう思いますか?
その状態を知っていますか?
>>972 >思考のある一部分を自分と呼び、
それ以外を自分じゃないものとわけている。
思考のじゃなくて、意識のじゃおまへんか
意識の中に思考もあれば、無思考もあり、それを思考は自分じゃ無い、無思考は自分、あるいはその逆とか言ってる
で、貴方は思考も無思考(気づき)も自分だろうがと
言いたいことは解ります ただね、
貴方は多分思考に巻き込まれて無いんでしょうが
凡人は半自動的な思考の流れが止まら無いと
例えば特定の歌が頭の中で流れ続けて、止めたくても止まら無いみたいな(笑)
976 :
971:2011/11/20(日) 02:05:31.39 ID:PahJzYEv
>>974 瞑想したこと無いんで良く分かりません。
977 :
963:2011/11/20(日) 02:12:15.42 ID:kTuMJDsC
>>975 なるほど。
おっしゃる通りです。
ありがとうございます。
978 :
基地子♀:2011/11/20(日) 02:20:20.80 ID:J4E1wO59
皆さん、お休みなさい。(-.-)Zzz・・・・
間違えた。ごめんなさい。
もう一度。
>>963 瞑想状態が涅槃に入ると涅槃しか知覚せず呼吸も止まっていると言いますが
それについてどう思いますか?
その状態を知っていますか?
980 :
963:2011/11/20(日) 02:28:11.62 ID:kTuMJDsC
>>979 その様な状態があるのかも知れませんが、わたしは知りません。
>>980 そうですか。
ありがとうございました。
982 :
基地子♀:2011/11/20(日) 07:25:13.29 ID:3mB89qek
お早う御座います!\(^o^)/
983 :
キャラメル:2011/11/20(日) 08:01:22.28 ID:zV7TDlXQ
おはーo(・∀・)―o)
984 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/20(日) 08:49:16.34 ID:zKG8YwTB
985 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/20(日) 08:52:54.54 ID:zKG8YwTB
>>869 > あまり難しく考えなくても
難しく考えているわけではないのです。
> 自分が存在する一瞬一瞬が「今」って感じの捉え方でイイんじゃないですか。
> いつも「今」を気にして生活してる訳じゃないですし。
できるだけ「今」という瞬間を新しく生きていたいと思いません?
「悟り」じゃなくて「ヨガと呼吸法で変な世界見えた」スレの方がいんじゃね?
987 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/20(日) 09:03:56.45 ID:zKG8YwTB
>>883 たぶんどっちも偉いです。
もっと偉いのもいますが・・・。
988 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/20(日) 09:26:02.19 ID:zKG8YwTB
>>893 豊かな生活が出来るから際限のなさを実感できるのかもしれません。
選択の余地の無い生活を強いられている人たちはそれどころではないのでしょうね。
989 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/20(日) 09:49:16.21 ID:zKG8YwTB
>>896 > 禅では無理会のところへ向かって探求し尽くし、探求し終わりなさいと言われます。。
それは興味深いですね。
理解と無理解、実は同じものなのかもしれません。
990 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/20(日) 09:55:45.78 ID:zKG8YwTB
>>898 何かに没頭しているときは「私」はおらず置物でもないですよね。
991 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/20(日) 09:57:24.43 ID:zKG8YwTB
992 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/20(日) 09:59:54.51 ID:zKG8YwTB
993 :
870.769:2011/11/20(日) 10:45:28.86 ID:JXxMhthm
>>877 瞑想だけじゃなくて、
純粋に問題を解いている状態も
ある意味自我は消えているんですね。
じっとしてよりも、何かに打ち込んで無心になる方が
せっかちな自分には近道かもしれないと思いました。
>>894 それが真実だという実感に一時でも到達できるのが「理解」で、
「理解自体」でいるためには、一度体験すれば身に付くのか、
いつでも実感を引き出せる状態でいることが必要なのかはわかりません。
もしかしたら、努力して理解し続けている必要があるのでしょうか。
皆さんの話を聞いていると、ある日パッと思考回路がつながって
それが当たり前になる、というような印象を受けたので、
何らかのプロセスが働くこともあるのかなと思いました。
私はまだ「理解」もおぼろげで「知識への信仰」レベルなので、
そんなプロセスに夢を見てしまいます。
994 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/20(日) 11:50:30.80 ID:zKG8YwTB
>>954 平々凡々とすごしています。
やりたいことは特にありません。
995 :
キャラメル:2011/11/20(日) 11:53:51.64 ID:zV7TDlXQ
平々凡々これ口実?好日?
996 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/20(日) 11:54:53.73 ID:zKG8YwTB
>>968 > 足りないものはありませんが、余計な物が残っている気がします。
その余計なものというのは、余計な思考なのでしょうか?
997 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/20(日) 11:55:27.25 ID:zKG8YwTB
>>986 変な世界はじきに消えるので、やっぱり同じスレ名にしました。
998 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/11/20(日) 11:58:59.24 ID:zKG8YwTB
999 :
キャラメル:2011/11/20(日) 13:09:08.06 ID:zV7TDlXQ
あ、失礼しました。
平凡が口実なのかな?いやいや平凡な日々が好日なのさ。
平々凡々コレ好日
1000 :
ろん:2011/11/20(日) 13:14:58.80 ID:ZLJmriph
日々是好日は雲門禅師の言葉なり。。
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。