【初心者】キリスト教@談話室603【歓迎♪】

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483一在家
偏向される前の原始キリスト教、本来のイエスの教えを紐解くには、焚書された原始文献群を調べる必要があると思います。
主流にとって「不都合な真実(イエスの教え)」が存在する可能性が高いからです。
救い主様の「原始キリスト教を調べる必要がある。」とのみ言葉を明かりとして。

事例としましては、死海文書を調べますと、エッセネ派は神様に動物を生贄に供えることはしませんでした。
その代わりに言葉(祈りの言霊)を神様に供えました。
よってエッセネ派神学で見ますと、イエスが十字架で「過ぎ越しの子羊」のように人類の為に生贄になることは不自然です。
実際に三共観福音書では、イエスはゲッセマネにて「この杯は取り除いて下さい。」と父神に懇願されておられます。
この「杯」とは「十字架での処刑」ですね。

別の事例としましては、死海文書を調べますと、「全ての人は光の霊と闇の霊とを宿し、聖人にも罪人にもなり得る」とあります。
パウロ神学の「原罪」とは似て非なることが分かります。
死海文書、エッセネ派の神学はマリアの福音書の「人は心魂と欲心を宿す。」と似ているかと存じます。