>>537 続きます。
※毒矢のたとえは、毒矢の種類や毒矢の飛んできた方向とか、倒れた人がどこの
宗派であるかを問う前に、毒矢が刺さって倒れた人をまず先に救急的に命を救う
ことが先決であるいう教えであり、質問者の質問に窮した場合に便利に使えるの
が毒矢のたとえであります。
※それは毒矢のたとえではなく、中道の教えの欠片であります。
形而下のこの世は仮の世として幻として軽んじ、ニヒリズム的に霊的認識で
あの世の実在の悟りの世界の形而上に執着していては、形而下のこの世の仮
の世界に生きて世間解の智恵を身につけることも大切であるし、ひとりでは
生きて行けるものでもありません。
この世も仏の創られた世界ですから、この世で生きる意味を見出して、周りの
方々と調和をはかりより良いものを産み出して行くことです。
この世の気づきの悟りの発見の宝物を沢山積み重ねることです。この世もまた、
仏の世界を垣間見ることになるでしょう。
形而下のこの世の物に執着して、形而上の神仏やあの世や霊の実在を軽んじて
はなりません。
形而上と形而下のどちらにも偏ることなく、霊的人生観をベースにした形而上と
形而下を離れた中道を心掛けることであります。