・霊的世界を認めない、あるいは誤解している
悪魔は、苦しい地獄界しかわからない。よって、あの世の世界は話したがらない。
語ったとしても特に天上界の高次元世界についての確かな知識は持っていない。
すなわち、あの世を否定したり、めちゃくちゃな霊知識を言うのは邪教の証拠である。
・縁起の理法(因果関係)に則(のっと)っていない
縁起の理法とは大宇宙の法則そのものだ。ゆえに、原因・結果の整合性はなく、
論理的整合性のない教えは危険である。特に悪しき【因縁】を切るような縁起の理法に反する
ことを勧める教えは邪教に他ならない。
・不幸の原因を先祖や他人、環境に求める(自己責任の法則を否定)
真なる宗教は反省を説く。縁起の法(因果関係)から導かれる自己責任の原則を取り除き
不幸は全て自分以外のせいにするような、甘いえさで釣る教えが邪教の本質なのである。
・悟り=霊能力とする
悟りとは欲望から開放された境地を言う。霊的能力は悟りのきっかけに過ぎない。よって
霊的能力獲得のためのための苦行を行ったり、霊現象ばかり追求するのは正しい教えではない。
悪霊の憑依によって、霊的能力が生じているケースも多い。
・他の書籍を読ませないようにする宗教、知識学を否定する宗教
自分たちの悪いところがわかってしまうため、他の本を読ませないようにしたりしている宗教は
邪教に他ならない。真なる宗教は教学を重視するものである。霊能力系邪教や洗脳型邪教に多い。
他宗教はすべて間違いとする排他的教団
【【【教団の利益を守るための他宗批判や、感情的な他宗批判の姿勢は邪教団の特徴である。】】】
正しい宗教は、正しい論理で相手の非を正す。仏教でありながら、正語戒に反した罵詈雑言(ばりぞうごん)
や、折伏一辺倒の阿修羅(闘争的)伝道を行う教団は、邪教の最たるものである。
ここのアンチもしっかり当てはまるので要注意!
・恐怖心をあおり、騙し、脅しの勧誘活動(邪妙説法)
希望や愛を含んだ活動こそ、真なる宗教のあり方である。ゆえに、家族の因縁、先祖や水子の霊障、
方角、屋敷の凶相などで恐怖心をあおり、それにつけ込み多額の寄付金を強要する活動は邪教そのものである。
・反省や努力、修行を否定
真なる宗教は、反省や努力、修行を説く。反省や努力、修行を否定する宗教は邪教である
(悉皆「しっかい」成仏思想「修行しなくても仏になれる」の流れを持つ最澄「さいちょう」の天台宗、白光真宏会は邪教)
・教祖に奇行がある
邪教であるワールドメイトの教祖、深見東州にある「やきそばを意味不明にドカ食い(悪霊憑依で起こる霊現象)」
などの奇行、意味不明に信者に怒り出す教祖(悪霊現象でそうなる場合が多い)、
座禅を組んだままぴょんぴょん跳ねる(動物霊「悪霊」に憑依されて起こる霊現象)
セクハラをする教祖(教祖として万死に値する行為)、無理難題を押し付ける教祖、
こういうところの宗教団体は邪教と見てよい。
ただし、人のうわさの中にはウソ偽りで教祖、教団を誹謗中傷する場合(幸福の科学がこれに当たる)があるので
上記の8つの条件をクリアした後で、最後の条件をクリアしているか教祖を自分の目で確認するとよい。
2ちゃんねる幸福の科学スレの悪評はほぼ全部ウソであることに注意!!!!
※幸福の科学では、これらのグッズは恐怖や不安をあおってモノを購入させる行為、強制購入させる行為、
布施の強要は邪妙説法と言って幸福の科学では堅く禁止されている。
全て、【信者自らが自分の意思で購入しているものだ。】また、幸福の科学では【活動の強要は一切ない。】
強制購入、活動の義務は一切ないのが幸福の科学の特徴である。 ご安心を。
また、入退会は原則自由であり、やめたい人はいつでも退会できる。
教祖大川隆法氏の講演は必ず人があふれるほど満席になるし、支部でも人が混雑する。
拝聴料はさすがに有料である。3つの冊子月刊誌、ヘルメス・エンゼルス、ヤングブッタは
支部に行けば誰でもタダで手に入れることができる。
ヘルメス・エンゼルスは子供向けだがバカにはできない代物だ。
これが3つの冊子の中で一番優れているのである。
大人顔負けのすばらしいことが書かれまくっている。
子供の教育には超超最適である。
かといって他の冊子派大したことではないかといえばそうではない。これもかなりタメになることが
書かれているのである。支部に行ったら絶対3つの冊子は手に入れよう!!!!
かなりお得だぞ!!!!
【子供にとって大切なこと】は特に子供向けの教育には最適。
これも、子供向けだからと言って甘く見ていると痛い目にあうゾ。
大人でさえ、耳に痛いことが書かれまくっているし、かなり勉強させられまくるぞ!!
苦しいことや困ったことがあればどうすればいいのかな?(ヘルメス・エンゼルズ2008年NO143)
一番目に、「悪魔は、正直でうそをつかない人を嫌う。」とお話したね。二番目に、「悪魔は、
勤勉な人、こつこつと努力する人を嫌う。」とお話したよね。
では、悪魔が嫌う人の3番目はどういう人かというと、明るく積極的な考えをする人、どんな苦難や
困難の中にあっても、自分のできることを見つけ出そうとする人だ。そういう心の傾向性を持ってる人、
常にそういう考え方をする人を、悪魔は嫌うんだ。
悪魔は、暗くて、じめじめした人が好きなんだ。悲観的で、「自分はダメなんだ。
自分の未来は真っ暗で、自分にはもう可能性がないんだ。」とぐちを言う人、そういう人と
仲間になりたいと思っているんだよ。雨の日や嵐の日、風の吹く日も、晴れの日と同じような
心を持って生きようとしている人は、悪魔にとって苦手な人なんだ。
雨が降れば、それを言い訳にしてサボりたくなる人。あるいは、自分にとって都合の悪いことや
逆風になること、勉強や仕事のやる気をなくさせるようなことが目の前に現れたら、
「待ってました。」とばかりに、すぐに、それを人生を暗くする材料に使う人。こういう人が、
悪魔にとっては仲間にしやすい手ごろな人なんだね。
ところが、【どんなに苦しくても、その中から可能性を見つけ出して、明るく積極的に生きていこうと
している人は、悪魔にとっては非常に付き合いにくい人なんだ。】
たとえば、「お金がない。」と言う場合を考えてみよう。
そのとき、「お金がないために、自分は不幸なんだ。」と考えたなら、不幸の内容は
いくらでも作ることはできる。
「お金がないためにおいしいものが食べられない。」「お金がないために遊べない。」
「お金がないために、よい学校や塾に行けない。」「お金がないために結婚相手に恵まれない。」
「お金がないために車が手に入らない。」「お金がないために、よい家に住めない。」など、
いくらでもでてくるね。
「お金がないために、できないことがある。」というのは、そのとおりだろう。どんな人も
お金を無限に持っているわけではないからね。お金というものはよい仕事をして、人に認められたら
それにつりあった分が入ってくるものなんだ。
「お金がないために、自分は不幸なんだ。」と考える人は、「お金がないのだから、自分が不幸なのは、
仕方がないんだ。当然なんだ。」と考えてるわけだ。要するに、貧乏であることを恨んでいるんだね。
また、人間関係でうまくいかない。」と言う場合もあるね。
たとえば、「友達ができない。」「親が自分に対してつらく当たる。」「先生からひどい扱いを
受ける。」「会社の上司が自分をいじめる。」「会社の友人たちが自分を仲間はずれにする。」
「会社の後輩が自分をバカにする。」などということがある。
そのように、「人間関係でうまくいかない。」ということで、人生を恨んだり呪ったりすることだって
できるだろう。あるいは、「夫婦の仲が悪い。」と言う場合に、「夫のせいでじぶんはうまくいかない。」
「妻のせいで自分はうまくいかない。」と言う言い方もできるかも知れない。
うまく行かないことの理由はいくらでも作り出せるんだけど、そのなかで、
【いま自分は何ができるか。】と言うことを、明るく考えてみることが大切なんだ。
【与えられた材料、いまある材料のなかで、何ができるか。どう戦えるか。】ということを
考えて欲しいんだ。
そして、わずかな可能性の中からでも、自分の生き筋、人生の筋道というものを
見つけ出していくことが大事だね。
人生をムダにしない生き方、どんなふうに生きることなのかな?(ヘルメス・エンゼルズ2008年NO144)
「悪魔の嫌うこと」という題でお話ししてきたけれども、今回が最終回だ。
前号では、「苦難や困難の中にあっても、明るく積極的な生き方をする人を悪魔は嫌う。」という話をしたね。
けれども、「こんなひどい状況の中で、どうして心が明るくなれるのか。どうして積極的になれるのか。
暗く消極的になって当たり前じゃないか。」と言う人も多いだろう。
でも、「そういう人は、凡人じゃないのかな。」と私は思う。
「暗く消極的になって当たり前。」と言うことは、ちょうど、「川の水は上流から下流に流れているんだから、
川の中にいたら、下流に流されるに決まってるじゃないか。」と言ってるのと同じなんだ。
でもね、川の魚は、上流から下流に向かって泳いでいるだけではないよね。同じ所で泳ぐこともあれば、
上流に向かって泳いでいることもある。川の魚は、流れに逆らって上流に泳いでいくこともできるんだ。
そのように、「たとえ、川の流れは、上流から下流に向かってしか流れていなくても、そこにいる魚は、
ただ流れに流されるのではなく、上流にも泳いでいけるし、その場で泳ぐこともできるし、下流にも泳いでいける。」
という自由を持っている。だから、川の魚には彼らなりの幸福があると言えるんだ。
もし、「川の魚は、流れの通りに川下にしか泳いではいけない。」と言うのなら、川には魚は一匹もいなくなるだろう。
なぜなら、最後はみんな、海に流し込まれてしまうことになるんだから。
それは、、結局、川のなかには生き物がいられなくなることを意味してるんだよ。
人の人生においても、これと同じことが言えるんだ。人生には、苦難や困難、都合の悪いことはたくさんある。
でも、それを言いわけにして、「だから、自分はダメなんだ。ダメで当然なんだ。」と思ったならば
、人生を生きる人はいなくなってしまうだろうね。
「人は、生まれてきたら、みんな流されてしまい、人生は失敗になり、地獄に落ちる。」ということであれば
この世に生まれてくること自体に、もはや何の値打ちもなくなってしまうと言えるんだ。
どうか自分を鍛えて下さい。苦しいときや悲しいとき、つらいときに、踏みとどまって、勇気を奮い起こし、
もう一歩、前向きに歩いてみることです。
「疲れた。」と思ったときに、【もう一度努力できないか。】と言うことを考えて欲しい。
「自分には、この問題は解けない。」と思ったときに、【もう一ねばりしてみるんだ。】
「自分には、これ以上の努力は無理だ。」と思っても、【もう一回、チャレンジしてみよう。】
「あらゆる方法をためし、もう手立てがない。」と思ったときに、
【でも、まだ何かヒントがあるかも知れない。】と考えてみよう。
【簡単にあきらめてしまわないことが大事だよ。】
悪魔が嫌うこと、つまり、悪魔の仲間にならないための方法は、
【明るく積極的な心の持ち方を大切にする。】ということだ。そして、
【どのような立場にあっても可能性を見い出していく。】ということだね。
インドの釈尊も、そのように教えている。「ゴミ捨て場のような所や、泥沼のような所に、
きれいな蓮(はす)の花が咲くであろう。」と釈尊は説いたんだ。
汚い泥の中に、そこにある材料からはとても考えられないような、みごとな蓮(はす)の花が
咲き乱れて、【天国のような景色ができてくる。】不思議だね。
【【【蓮の花のように、どのような材料のなか、どのような環境のなかにあっても、きらりと光る人生を
生きることが、とてもとても大事なんだ。】】】そういうことを考えて欲しいと思う。
「悪魔の嫌うこと」と言う題で、三つの考え方についてお話してきたね。これ以外にもたくさんの
考え方があるけれども、あまりいろいろなことを言っても難しくなるだろう。
最後に、もう一度、まとめ直してみよう。
一番目は、【うそをつかない正直な生き方をしよう。】ということ、
二番目は、【こつこつと努力する、勤勉な生活をしよう。】ということ、
三番目は、【どのような立場にあっても、最後まで希望を捨てずに、明るく積極的な生き方をしよう。】
ということだ。
こういうことを心がけて欲しいと思う。そうすれば、悪魔は君たちから遠ざかり、天使が君たちに
ほほ笑みかけることになるだろう。
人生はこの世だけではない。死んだあとも、この世を去った世界で、魂の生活は続いているんだ。
その死後の生活のためにも、今世(こんぜ)の人生をムダにしないことが大事だね。
今世(こんぜ)の人生を大切に大切に使い、ムダにしないで欲しい。両親からいただいた体を
ムダにしないでほしいんだ。
そして、【世間の多くの人々が自分を生かしてくれていることに対して、感謝の気持ちを持とう。】
また、【仏(ほとけ)や神がこのような大切な修行の機会を与えてくれた。】ということの喜び、
【今世、この時代に生まれて、人間として生きられる。】と言うことの喜びを深く知ってほしい。
それが、【君たちが美しい人生を生きるための秘訣でもある。】(終わり)
「頭がよいから成功する」とは言えない。「幸福の法」P163ページ
それでは、その高学歴の人のなかでも成績がよければ幸福かというと、そうでもありません。今度は
「成績がよいのに、なぜ自分は出世しないのか」「成績がよいのに、なぜ自分に対する評価が悪いのか」
「成績がよいのに、なぜ自分はお金が儲からないのか」などという悩みがあります。
この悩みは、かなり大きいのです。
これは、よくある普遍的な悩みであり、「勉強ができればできるほど、お金がたまらない」と言うのは
一つの法則です。勉強がよくできる人は、たいていは、お金が儲からないのです。
逆に、勉強をあまりせず、上手に遊んで人生経験を積んだ人のほうが、学校を卒業してから、
お金が儲かるようになります。
不思議なもので、勉強については、ほどほどに手を抜いて、クラブ活動ばかりしていた人や
アルバイトばかりしていた人、海外旅行ばかりしていた人などが、社会に出てから、なぜか、
うまく出世したり、横歩き≠オたりしながら収入を上げていくのです。
ところが、一生懸命勉強した人ほど、学者になったり公務員になったりして、
収入が先細りになっていきます。
たとえば、公務員になったら、国民の税金で給料をもらっているので、それほど
収入が高いわけではありません。公務員の収入が民間より高ければ、国民に重税感が
出るので、公務員の収入は、民間より低いことを前提にしています。そのため、
収入が民間より低いということで、悩みがあるのです。
大学の先生でも、日本では、十年間、論文一つも書かなくても、もつのです。
私の大学の旧師にも、17年に一冊しか本を書かないと言う人がいました。
なかには、「抗議録のノートを本にしてしまったら、抗議をすることができなくなるので
、定年退官のときに初めてそれを活字にする」という人もいました。
それまではノートのかたちで隠しておかないと、毎年の抗議ができないのです。
本にして出したら最後、新しいことを言わなければいけなくなるので、そうはせずに30年間、
同じ講義をし、定年退官のときに、やっと本にして出すのです。
このような人は、はっきりいって怠け者です。こういう怠け者の給料は上がるわけはないのです。
一方、給料が高い民間会社ではどうかというと、実際に、切磋琢磨し、日進月歩で研究開発をしています。
したがって、「頭が悪いから失敗する。」「頭がいいから成功する」ということは、
必ずしも一律にいえるものではないのです。
現代においては、学歴ピラミッドができているので、数としてみたら、勝者よりは敗者のほうが、
率は圧倒的に多くなります。ただ単に学歴や試験の勝敗だけでいけば、大抵の場合、7,8割の人は
敗者に入るのです。そのため、それだけで人生の幸・不幸というものを考えたら、不幸な人ばかりに
なります。しかし、それは現実には正しい判断ではありません。
学歴や試験での勝利は一つの手掛かりではあるのです。その自分が得たきっかけを手掛かりにして、
さらに努力していけば、成功への道になります。しかし、そこであぐらをかいたら、それで終わりであり、
大したことはないのです。やはり、汗水垂らして働く人のほうが、その後、成功していくのです。
そういうものなので、学歴評価的なもの、あるいは学力評価的なものを絶対視してはいけません。実際、
それで勝者になった人でも、その後は苦しんでいることがあるということは、
知っておいたほうがいいでしょう。それを知ったほうが、敗者になった人も、たぶん心は安らぐと思います。
学生時代に勉強しすぎた人の場合は、「学生時代に遊んでばかりいた人が、社会に出てから、なぜ、
あれほど出世したり、お金が儲かったりするのか」ということが不思議でならず、それが苦しみのもとに
なっています。しかし、【その遊んでばかりいた人は、試験に出ない範囲のところで仕事をし、
試験に出ない範囲の能力が評価されているので、それは仕方がないことなのです。】
そういう意味で点は公平であり、ある人に対して、何かの才能を与えたら、ほかの才能は与えないものです。
そのため、「自分には、この才能はない」という場合、
【【【その人には何かほかの才能があることがよくあるのです。】】】
したがって、【【【才能というものは、どこに埋もれているか分からないけれども、
いろいろな人が、それぞれ才能を持っているのだ】】】ということを知らなければいけません。(終わり)
今日を生き抜け(月刊誌より抜粋) ※1番から全て幸福の科学の教えです
悩みの中にある時、
過去のことを思いわずらうのは、もう止めにしよう。
過去は過去。もう過ぎ去ったのだ。
大切なことは、その思いわずらいによって、
今日を生きるエネルギーをすり減らさないことだ。
【過去の失敗や、判断の誤りが一体どうしたというのだ。】
【他人からいろいろと酷評されたからといって、それがどうしたというのだ。】
あなたは今日も生きている。
あなたは昨日(きのう)の時間を使うことも、明日の時間を使うこともできない。
あなたが手にしているのは、今日の二十四時間だけだ。
【あなたに必要なのは、今日の糧(かて)。】【あなたに必要なのは、今日の仕事。】
【ならば、今日一日を生ききれ。未来など何だ。】
【明日の仕事は明日やればよい。】【今日を全力で生き抜くのだ。】
浮上する心 ※1番から全て幸福の科学の教えです。
事実だけを見つめたら、実人生が、とても重く、暗く、感じることがあるだろう。
自分自身が情けなく、恥ずかしく、
塩を振られたナメクジのように、消えてしまいたいこともあるだろう。
実際、何人かに一人は、自殺したい衝動にかられたこともあるだろう。
だが、ここに、一つの技術がある。
【自分の心を励ますのだ。】【心を浮上させるのだ。】
では、どうやって、と、あなたは問うであろう。
【想念(おもい)こそ、魂の活動そのものだと知って、
善きことを、想い(おもい)、想い(おもい)、念じ続けるのだ。】
【自分は、素晴らしくなりつつある。未来は、明るくなりつつある。】と、
【繰り返し、心に刻みつつ、悲観的な言葉や感情は、受け入れないことだ。】
【持続的な想念(そうねん)は、必ず現実化すると、信じきることだ。】
※自分の思っていること、考えてることは物理的力があり、自分がかわいそうな人間だと思い続けると
本当にかわいそうな人間になり、自分は不幸な人間だと思い続けると、本当に不幸な人間になる。
逆に自分は素晴らしい人間だと思い続けると本当に素晴らしい人間になり、
自分は幸せな人間だと思い続けると本当に幸せな人間になる。
未来の「成長した自分」を思い描き、ウツを乗り越えよう
世の中においては、恥をかくようなことはたくさんあります。ただ、それでいちいち傷ついていたら、
何度自殺してもきりがないでしょう。ある意味で、人生は恥のかきとおしであり、恥の上塗りばかりなのです。
しかし、やがて四十歳を過ぎると、かつての自分と同じようなことをする人間を見るようになります。
二十代や三十代前半ぐらいの人で、愚かに見える人が次から次へと出てくるわけです。
若い人たちを指導できるようになると、何か自分が成長したような気持ちになります。
これが人生の楽しみの一つなのです。
三十代でウツになっている人に対して、すでにそれを乗り越えた四十代や五十代の人は、
生き方を指導することができるのです。これは楽しいことであり、だからこそ人生はやめられないのです。
したがって、ウツぐらいで参っていてはいけません。いろいろな新しい環境や立場において、
失敗は経験するでしょうし、恥もかくでしょう。
【【「穴があったら入りたい」という気持ちになることは、百回や二百回はあって普通です。】】
一回もなかったという人は少しおかしいのであって、自分を理想化して完璧な人間のように
思っているのでしょうが、そういう人は、ほかの人の気持ちがまったく分からない人である可能性が高いのです。
その意味で、「穴があったら入りたい」と思っている人は、
【ほかの人の視線や言葉などをよく感じ取っている、意外に素晴らしい人なのかも知れません。】
したがって、どうか、考え方を変えてください。「自分はいま、経験を積んでいるのだ。やがて、
いまの自分と同じような人たちを指導できるときが来るのだ」と言うことです。
時間に耐え、粘り抜いたら、やがて、そういう身分になれるのです。あきらめてはいけません。
【【【恥かいたとしても、すぐに忘れることです。忘れるということは、ありがたいことです。
人間は、次々に新しい経験をして、古いことを忘れていきます。
そういう意味で、忘却ほど素晴らしいことはありません。】】】
【【【悪いことは、すぐに忘れましょう。できるだけ早く忘れる人は、優秀な人です。
悪いことを長く覚えている人は、愚かな人です。】】】
【【【そして、たまにあったよいこと、ほめられたことなどは、長く記憶するようにしましょう。
それが優秀な人です】】】
【【【ほめられたら、長く記憶し、怒られたら早く忘れましょう。
これが、人生を明るく生き、長生きするための秘訣なのです。】】】 (終わり)
※ウツになってくると、「自分は欠点だらけで、長所など一つもない」と思い込むようになります。
そんなときは、週に一回ぐらい、「自分のいいところを見つける時間」をとってみましょう。
優れているところ、頑張っているところ、恵まれているところなど、見落としている「よい面」は
たくさんあるはずです。少なくとも、「過去の自分」より向上している部分は必ずあります。
「自分をほめる」という考え方は、「希望の法」第一章にも説かれています。
名選手は必ずしも名監督ではない (「希望の法」P237)
昔から言われていることですが、名選手は必ずしも名監督ではありません。
プロ野球で言えば、長嶋茂雄氏は、監督を長く務めましたが、なかなか成功しませんでした。
王貞治(さだはる)氏も、監督としての才能がきらめくまでには、ずいぶん時間がかかりました。
【一方、自分自身がそれほど名選手ではなかった人で、管理野球をしたりして、監督をして
かなりうまくいった人もいます。】【【【要するに、、そういう人は、選手の悩みや苦しみがよく分かるのです】】】
個人の能力がありすぎる人は、他人に対して、どうしても厳しくなります。そして、すぐ、
「この人は駄目だ」と思ってしまうのです。
ホームランバッターだった人は、ヒットはよく打つけれども長打をあまり打てない選手に対して、
「なんだ、大したことがないな」と少し見下げるようなところがあります。
ホームランバッターだった人から見ると、たとえばイチロー選手は、「打率が高い、出塁率が高いなどといっても、
いつもゴロばかり打っている"ゴロの職人≠ナはないか。ホームランはめったに打たない。
[ポンとゴロを打ってバウンドさせ、ピッチャーの頭の上を抜くには、どうするか]ということばかり
考えている」というふうに見え、もどかしく思えるでしょう。
したがって、そういうゴロの職人≠ヘ、選手時代にホームランバッターだった監督に就かないほうがいいでしょう。
さもないと、潰されてしまいます。そういう監督に就くと、「もっと思いっきり引っ張れ」などと
指導され、だいたい打てなくなり、打率は下がっていきます。「ゴロでも何でもよいから、塁に出ればよい」と
いうことならば、自分は自分の道を行くのがよいと思います。
【このように、才能ある人は、人を導く立場で成功するとは限らないのです。】
【逆に、選手として芽が出なかった人でも、自分がいろいろと苦労したり工夫したりした経験があると、
【【【選手の気持ちや悩んでいるところがよく分かるため、うまく導いていける場合があります】】】
選手と監督とでは、見ている目が少し違うのです。
【【【大勢の人を率いて成功していくためには、ある程度の悲しみや苦しみを経験することが必要であり、
それを経験していないと分からないものがあります。】】】
【【【「人の気持ちが分かるかどうか」ということが、「どれだけ人を引っ張っていけるか」
ということと関係してきます。】】】
【やることが、あまりにも、ドンぴしゃりと当たりすぎた人は、えてして冷たいことが多く、
人がついてこないことがあるのです。】 (終わり)
感性を磨き、「人の心を捉える力」を高める(希望の法P245)
予備校の人気講師には、受験時代に勉強がよくできた人よりも、むしろ、そうではない人が多いのです。
頭が少し悪く、苦しんで苦しんで、自分なりに勉強法を編み出したような人が
だいたい、トップの講師になっています。
「教科書や参考書は、多くの人が使ってるのと同じものを一冊だけ使い、それで、よい点を取り、
楽に受かった」というような人が講師になっても、その人の生徒は入試に受かりはしないのです。
そういう人に教えさせても、「みなさん、読んだら分かりましたよね」と言って終わりです。
「どうして、これがわからないのですか。さっき言ったでしょう」「それは2ヶ月前に言ったでしょう」
などという感じで、「なぜ、これが分からないか」ということが、その講師には分かりません。
名選手が監督になった場合と同じことが起きてしまうのです。
予備校に人気講師になっている人は、むしろ、「何年も浪人して苦しみ、その結果、頭の悪さを克服して、
元のレベル以上の学校に入った」というような人が多いのです。そのときに苦しんで苦しんで編み出した方法を、
自分だけのものにせず、今度は他の人に教えるわけですが、「さらに改良できないか」ということで、
その後、改良に改良を重ね、それで講師として人気を博しているのです。
そして、五千万や六千万もの年収を稼ぐようになります。東大の総長であっても、おそらく年収二千数百万円程度でしょうが
蝶ネクタイをし、金ピカの服を着て、予備校の教壇に立ち、一億円近いお金を稼ぐ人もいるわけです。
そういう人は、元はそれほど頭はよくないはずです。
【不思議ですが、頭のよい人のほうが収入が減っていき、頭の悪い人のほうが収入が上がっていくことがあるのです。】
なぜ収入が上がるかというと、結局、人気があるからです。【人気の元は何かと言うと、『感性』です】
【【【「どれだけ人の共感を呼ぶか。どれだけ人の気持ちを捉えるか」という、感性の部分が、
商売などでも成功する能力なのです。】】】
この感性の部分は、残念ながら、学校のテストでははかることができません。もちろん、デザイナーの学校や
音楽家の学校では、そういう方面の感性を測ることもできるでしょうが、それを別にすれば、企画や営業、
マーケティングなどの一般的な感性については点数で測れないのです。
これは実績で見る以外に方法はありません。点数で測れない、感性の力があるのです。
【【【頭がよいと思われていなかったのに、実社会を出てから成功していく人は、
人の心を捉える力が高いのだと思います。】】】
この「人の心を捉える力」というものは、どこから生まれるのでしょうか。自分自身の悩みや苦しみは
当然あるわけですが、まず、それについて考え抜き、煮詰めて煮詰めて、真珠のような宝石を
作っていく必要があります。それはアコヤ貝が、砂やガラスの破片などを粘液で巻き、
真珠を作っていくようなものです。【【【そうやって、自分を磨いて磨いて玉を作っていくのです。】】】
自分がただ苦しんだだけではダメなのです。自分が苦しんだ話だけをしても、ほかの人たちが逃げていくので、
それだけではいけません。「私は、これで失敗をしました」ということだけでは普通の話であり、
それ以上ではないので、誰も話を聞いてくれません。
苦しんだり失敗したりするのはかまわないのですが、その中から何かを掴み取り、何か非凡なものを
抽出していかなければならないのです。【【【自分がつかみ取ったものが、どれだけ人を動かしていけるか。
どれだけ人の心をつかんでいけるか。どれだけ人を引っ張っていけるか】】】ということが大事です。
これによって値打ちが出てくるのです。
したがって、「自分は知性や理性が、そう大したことがない」と思う人は、感性の部分を磨いていくべきでしょう。
【【【感性の部分には大きな力があり、大勢の人をつかまえる能力があります。】】】
今はやりの商品系統でヒットを出す方法などは、感性の能力を抜きにしては語れないでしょう。
いくら理詰めで行っても、売れないものは売れないのです。
【感性にも、磨き方によって実力の差がある】ということを知らなければいけません。 (終わり)