名選手は必ずしも名監督ではない (「希望の法」P237)
昔から言われていることですが、名選手は必ずしも名監督ではありません。
プロ野球で言えば、長嶋茂雄氏は、監督を長く務めましたが、なかなか成功しませんでした。
王貞治(さだはる)氏も、監督としての才能がきらめくまでには、ずいぶん時間がかかりました。
【一方、自分自身がそれほど名選手ではなかった人で、管理野球をしたりして、監督をして
かなりうまくいった人もいます。】【【【要するに、、そういう人は、選手の悩みや苦しみがよく分かるのです】】】
個人の能力がありすぎる人は、他人に対して、どうしても厳しくなります。そして、すぐ、
「この人は駄目だ」と思ってしまうのです。
ホームランバッターだった人は、ヒットはよく打つけれども長打をあまり打てない選手に対して、
「なんだ、大したことがないな」と少し見下げるようなところがあります。
ホームランバッターだった人から見ると、たとえばイチロー選手は、「打率が高い、出塁率が高いなどといっても、
いつもゴロばかり打っている"ゴロの職人≠ナはないか。ホームランはめったに打たない。
[ポンとゴロを打ってバウンドさせ、ピッチャーの頭の上を抜くには、どうするか]ということばかり
考えている」というふうに見え、もどかしく思えるでしょう。
したがって、そういうゴロの職人≠ヘ、選手時代にホームランバッターだった監督に就かないほうがいいでしょう。
さもないと、潰されてしまいます。そういう監督に就くと、「もっと思いっきり引っ張れ」などと
指導され、だいたい打てなくなり、打率は下がっていきます。「ゴロでも何でもよいから、塁に出ればよい」と
いうことならば、自分は自分の道を行くのがよいと思います。