あの世では、導きの仕事をするために、数多くの人がいます。その実態を見れば見るほど、
「人間は一人ひとりが非常に大事にされているのだな」と思います。
地上には六十億以上の人がいて、毎日、誰かが事故で死んだり病気で死んだりしますが、
そのことがきちんと霊界に伝わっていて、その人の関係者が来てくれるのです。
ありがたいことに、友達や親類縁者も来てくれますし、さらには、
宗教系統のお手伝いの人たちまで来てくれます。ある人の死を、
あの世の多くの人たちが知っているのです。
これを見ると、「一人ひとりが非常に大事にされている」と感じます。
そのための仕事をする人が数多くいるはずです。
大川隆法著『信仰のすすめ』第2章より
そして、死は、ある日突然にやってきます。
人間は平均的には八十歳前後の年齢で死ぬことになっていますが、
個人差はさまざまにあるので、小さいうちに死ぬ人、小学生で死ぬ人もいれば、
中学生、高校生で死ぬ人もいるし、年を取り、八十歳を過ぎてから
死ぬ人もいて、いろいろです。ただ、死は、ある日突然にやってくるのです。
(中略)
大勢の人々の、死後の姿を見るにつけても、「ああ、ほんとうに、
心の準備ができていなかったのだな」ということを、つくづくと思います。
そもそも、死後の世界があること自体を知らない人、認めない人が大多数ですから、
まったく準備のしようもありませんが、死は突然に来るのです。
そのときに、地上に執着し、自分の家に執着し、会社に執着し、家族に執着しても、
もう、どうにもなりません。
死んで霊となった以上は、悲しいことに、この世の人に自分の声が聞こえないのです。
いくら話しても聞こえないし、前日までは触ることのできた家族の体も、触ることはできないのです。
想像してみてください。これは、ある意味では辛いことです。「自分の声が相手に聞こえない。
話しても、相手は聞いてくれない。相手の手を握ろうとしても、握れない。
相手を抱き締めようとしても、体を通り抜けてしまう」ということです。
こういう世界なのです。これが、現実として、やってくる世界なのです。
大川隆法著『永遠の生命の世界』第1章より
死別の時
死はとても悲しいものだ。
そして、切ないものだ。
生ある限り、
生物は生き続けたいものだ。
人間とて同じ。
生き続けんとして、
いつしか、病か老衰につかまり、
死の使者に連れ去られる。
死は、夫婦の仲を引き裂き、
親子を会えなくしてしまう。
愛別離苦の苦しみを、
頭では理解していても、
やはり、ハラハラ、バラバラと、
涙は、とめどなく流れ落ちる。
身内への愛は、
ほとんどが執着であると教わっても、
仏陀の言葉さえ、非情に響く。
この世の命が尽き、
愛する人と別れるのは、
苦しくも、切なく、哀しい。
わかっている。
そうであろう。
だが、人は死の下に平等なのだ。
来世での再会を、
心の支えとせよ。
大川隆法著 『心の指針』「死別の時」
人間には無限の力がある
ほんとうは、ここで力が尽き果てたと思うときにも、心の底からふつふつと湧いてくる力があるのです。
そのようなものが地下水となってみなさんの身体のなかに流れているのです。
みなさんは、刀折れ矢尽きたと思うかもしれないけれども、まだその底に力が残っているということです。
地上からは水は涸れたように見えても、実は地下においては伏流水となって流れている。
このような地下の湧水があるということを知らねばなりません。
そうであるならば、いま困難のなかにある人も、力尽きたと思ったときにも、
自分の底の底にはまだまだ力があるのだということを、そして、これを汲み出す必要があるということに
気づかなくてはいけないと思います。
人間の力はそんなに有限なものではないのです。
人間の生命力の奥には、さらに本源の神へとつながる大きなパイプがあるのです。
そこから流れてきている力があるのです。
これは押しとどめることができない力なのです。必ず何らかのかたちで出てきます。
これがあるということを知ることが、勇気ある人生のひとつの出発点であると思います。
大川隆法著『光ある時を生きよ』第4章
勇気さえ持てば運命はどうにでもなる。
勇気があれば何だってできる。
言い訳を排し、勇気を元手にして戦うことだ。
勇気があれば、その一言が出る。
勇気があれば、手を差し伸べられる。
勇気があれば、立ち上がれる。
勇気があれば、ほかの人の命を救うこともできる。
自分の運命だって変えられるし、
人の運命も変えることができる。
それが勇気だ。
ユートピアの創造は勇気から始まる。
勇気を持った人が出てこなければ、
ユートピアなんてできない。
後の人々のために身を挺して戦う人が要る。
自分自身で刈り取ろうと思わないで、
自分自身が果実を手に入れようとしないで、
後の人々のために尽くす人が要る。
その人に必要なものが勇気なのだ。
大川隆法著『勇気の法』より
信仰を生きる糧、光とする
現在、困窮のなかにある方、苦労しておられる方、非常に大変であろうと思います。
今後も様々な試練は続きますが、いろんな試練のなかで、どうか強く信仰を持っていただき、
それを未来に生きる糧、光としていただきたいと思います。
海外からも多くの人たちが日本の復興を願う祈りをしてくださっていると思います。
どうか、世界をその光で一つにつないでいくような努力をしていただきたいと思います。
無常の風に吹かれて、この世においては何一つ確かなるものはありませんが、
その無常の風のなかで吹き飛ばされる砂塵のような存在である現代文明も、
その中に一条の真理の光が通った時に、存在の価値が明らかに現れてくると思います。
大川隆法法話「諸行無常の風に吹かれて――インドと日本」(2011年3月12日)
正しい信仰心があれば、震災被害者も天上界に還る
東日本で多くの被害がでて、行方不明の方もまだいて、ご心配されている方も
ずいぶん多いでしょうけれども、(その方々は)亡くなられたとしても、
実在界に還られます。
正しい信仰が彼らのうちに立っていたならば、何も心配することはありません。
この世よりもはるかによい世界に還っています。この世に生き残っている方は、
体育館で震えながら配給を待っていますが、亡くなられた方は常夏のハワイのような
ところにいます。正しい信仰心を持っていたならば、そうなっています。
(中略)
必ず、みんな天上界に上がっています。当然、供養は必要ですが、
そんなに嘆き悲しみ続ける必要はありません。彼らは必ず正しい世界に
還って、天使ないしは天使の予備軍として、後に続く我々を指導する側に
変わる人々であると、固く信じてやみません。
大川隆法法話「不滅の信仰」(2011年3月20日)
前向きで未来型・危機対応型の再建をする
私はむしろ、日本全国の皆さんがマイナス志向に陥ったり、萎縮したりすることの方を恐れています。
いま、関西にまで避難場所を作るなどやっていますが、ちょっと大げさなので、
ほどほどになさった方がよいと思います。早く正常なかたちに戻していかねばなりません。
買占め等で物が一時的になくなり、パニックを起こしていますが、
人為的なパニックはやはり無駄で、その後、やがて物が余って困るようになります。
それほど神経質にならないように気をつけた方がよいでしょう。
(中略)
震災に関しては、あとは復旧作業あるのみです。通常の活動を止めずに、
被害があったところについては、もっと前向きな、未来型・危機対応型の
再建をされるように強く訴えかけていきたいと思います。
大川隆法法話「不滅の信仰」(2011年3月20日)