仏教 議論スレッド 18

このエントリーをはてなブックマークに追加
952神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 01:55:51.16 ID:KvXG/XCC
>>951
行きずりに、路傍のお地蔵さんに手を手を合わせていて、気が狂う者はいないw。
953神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 01:59:46.20 ID:mYDGifmE
>>952
じゃあ、お地蔵さんが沢山ある地域では精神障害の人が少ないのかな?
データを採ってみる価値があるかもね。
  
954神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 02:13:35.08 ID:KvXG/XCC
>>953
道元の「只管打坐」「修証一等」「現成公案」や親鸞の「自然法爾」の本当の
意味を理解する必要があるのでは。
955神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 02:25:31.18 ID:YE0clYO5
>>949 日常のあらゆる思考の結びが念仏になった生活の、
妄想を離れる心地よさは、なかなかのもんです。
教学やら思想やらは、念仏だけでいいんだということにお墨付きを与える役目だけにすぎず、
念仏に落ち着いてしまったあとの生活には、思想は必要ではない。
念仏に伴う幸福感をつくりだせるようになると、
日常生活の中のあらゆる場面で瞬時に幸福感をつくりだせるようになる。
思想というより、肉体的なものかもしれない。
956神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 02:47:46.89 ID:twsq16XI
そういった理解でも良いんですかねぇ
自己を見つめ直すための念仏なら凡夫ですし、仕方ないのだと思いますが、教学だけなら念仏は気付くだけの行為ですしねぇ。
まあ確かにそういった念仏理解も面白いですよね。勉強になります。
957神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 04:42:58.86 ID:kvN/vZ0n
>>861-862 難しいけど、現代日本で仏教が乗り越えるべき核心的な問いだよね。流石です。オイラに答えられるか疑問だけど所見を述べますね。
恐らく現代日本では普遍妥当性とか検証可能性を持ってないと、認められないという人が少なからず居ると思われます。
そのため、それを持って仏教内の妥当性を提示できるものが有効なわけですね。それが他ならぬ文献学です。
ゲルクやテーラワーダもそれに準ずるものがあるけど、限界があると思います。

ただし、文献学の有効性の範囲というものに無自覚な学者が多いと思うわけです。どこまで有効性を認めるかで明かに温度差がありますね。
厳密な文献学:マテリアルな記号を対象とする方で、多くは言語学に傾斜する。辻直四郎先生や辛嶋静志先生などが代表で信頼性が高い。
穏健な文献学:上下の中間的立場で、思想史などの立ち位置をとる人が多い。山口益先生、水野弘元先生、梶山雄一先生などが代表。
解釈学的文献学:記号を読んで思想・哲学として提示する立場。津田真一先生、丘山新先生、石飛道子先生、和辻哲郎、松本史朗などが代表。
958神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 05:00:46.14 ID:kvN/vZ0n
上の三つのうち、厳密な文献学の妥当な成果は普遍妥当性と検証可能性の強く有し、従わざるえないものです。
その下に行けば行くほど解釈が介入するので、普遍妥当性と検証可能性は薄らいでいくように思えます。
特に和辻哲郎、松本史朗などの解釈は恣意的で新興宗教の解釈と大差ないように思えます。

それでもネットで仏教を論ずるなら、文献学でやるしかないと思います。
なぜかというと、検証可能性があるから、互いに主張の根拠を確認できる立場が確保できるから。
これがないと、単に互いに俺ちゃんが正しい、お前はアホだのループに入ってしまうでしょう。
959神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 05:13:02.25 ID:kvN/vZ0n
ですから、厳密な文献学の妥当な成果に基づいて、妥当な読みによって議論していくのが王道だと思うわけで、そうしてきたつもりです。
ですが、根拠をいくら示しても納得しないで、変な解釈に固執する人がいます。
その場合、読み、文献的根拠以外にも伝統仏教で、その読みをあらゆる地域、あらゆる時代が支持しているなら、支持されている方が妥当性が高いと思われるわけです。

ですから、そう対応してきました。
それでも和辻や松本のような人は、仏教はずっと誤解されてきたのであって、俺ちゃんの解釈が正しいと言うわけです。
松本に至っては「ブッダでさえ仏教を知らない」というような名言を残しています。
このような人と議論してもしょうがないので、スル〜するしかないでしょう。偶に違うといってあげるのが他人のためになると思いますが。
960神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 05:26:01.71 ID:kvN/vZ0n
論理的整合性と業因果の問題ですが、これは難しい。
なぜかというと、因果は縁起によって世俗の習慣に合わせて仮設され、
仮設されたなかで因果を持つわけですが、業はその外にあるからです。

つまり、仮設され現れる以前の潜在的状態を業と呼んでいると思われるからです。
これについて、中観派以外では世俗的有無、論理領域内で整合性を持った説明しようと
部派仏教や唯識などがいろいろ理論を立てましたが、全て失敗に終わっているように思います。
だからこそ釈尊はこの問題を四不思議の一つとしたのでしょう。十/十四無記の問題と同じで、それを論理領域で説明しようとするのが本質的に無理だからではないでしょうか?
961神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 05:37:15.47 ID:kvN/vZ0n
>>875 大乗経典も広い意味でテルマだし、『中辺分別論』もそう。
その帰敬頌が説くのは、テルトンがグル・リンポチェから教えを受けたということと全く同じ。
初めに言っておきますが、この問題にはサマヤが関わるので答えられないことがほとんどなので、質問しないでください。
http://www.amazon.com/Hidden-Teachings-Tibet-Explanation-Tradition/dp/086171122X
上が英訳、それを読めば何が根本資料かということも分かるでしょう。

それから各テルトンの自伝や伝記も重要です。
962前世は一在家:2011/07/25(月) 05:48:33.69 ID:uY6K2oJ9
>十/十四無記の問題と同じで、それを論理領域で説明しようとするのが本質的に無理だからではないでしょうか?

私は龍樹は机上で空を証明した(机上空論)と仮説を立てておりました。

別世の仏教徒が「龍樹は空を証明できないことを証明した。釈尊の哲学化するな
という教えをよく守って。」と言ってました。
なるほどと腑に落ちましたので、最近は机上空論仮説はお休みにしております。
963前世は一在家:2011/07/25(月) 05:52:42.32 ID:uY6K2oJ9
>>962
換言しますと、一在家「八不の不去は机上空論」
別世の仏教徒「八不は証明できないことを証明した」

何れも、八不は証明できないという点では同じでしょうか。
964神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 07:22:55.79 ID:WE6q9tSb
>ID:kvN/vZ0n氏

文章が衒学的過ぎます。もっと誰にも理解できる平明な文章にしてください。
あなたが文献の内容と思想を本当に理解しているのなら、可能なはずです。
素朴な古代人が、あなたのような難しい理屈を考えるでしょうか。もっと
直感的、直接的、本質的、シンプルに考えるはずです。
文献学を強調されているが、いかなる文献も、特に古代の文献は、「解釈」
なしでは理解は不可能でしょう。普遍的妥当性や検証可能性は、文献学と解釈
によって突き詰められた、その中心思想について要求されるのです。
佛教とは、釈迦の没後多数の後世の人々によって築きげられた体系ですから、
釈迦が自分の没後の発展については知るわけがないでしょう。その意味では、
松本氏の言葉は名言です。
965神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 07:25:13.47 ID:WE6q9tSb
>>964の続き

古代語についての文献学及び言語の表現能力には限界があることを忘れては
なりません。古代の文献の言葉の枝葉末節に、過度に執着することの愚を悟る
べきです。
言語学者でさえ、精一杯の解釈を交えなければ、その真意の把握など不可能です。
あなたが批判される学者の方々も、一応は文献学者によって解釈された文献に
基づく、現代人としての解釈なのではありませんか。
釈迦の無記は、人間が考えても無意味なことの列挙です。無記以外の部分は、
その普遍的妥当性と検証可能性についての批判にさらされるべきでしょう。
業因果が仮設されたものなら、「事実」ではないということですね。
966神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 07:28:39.98 ID:kvN/vZ0n
そうそう、『中辺分別論』の帰敬頌を文献学では、その明解な読みは読みとして、
トソツ天でミロクからアサンガが聞いたということを素朴実在論的に解釈する人が多いようです。
これなんか典型的に縁起に基づかずに、単に素朴実在論に立って仏教を解釈している典型でしょう。
それでは何も分からない。分かるのは釈尊が『梵網経』で嘆いたようにつまらない倫理的な面だけになってしまいます。
正にそれを仏教だとしたかったのが和辻で、釈尊の『梵網経』の歎きが正に体現されています。
まあ、和辻がいたら、『梵網経』は編纂されたものだというのでしょうが、聴聞者が形式を与えていない生の記録は一つもありません。
つまり、形式を与える時点、編纂した時点になんらかの解釈は介入せざるえないのは確かですが、だからといってそれだけでは切り捨てる理由にはなりません。
967神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 07:35:11.65 ID:kvN/vZ0n
>>963 いえ、だから『中論』は言語領域で何かを論証するものではなく、
相手の戯論を壊して、寂滅に導くものというのが中観です。
だから、自立論証の論理学を導入した清弁菩薩が中観からの逸脱であると月称菩薩が言ったわけです。
なぜなら、論証になると証明された主張、戯論が残って寂滅に導かないからです。
968神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 08:16:45.10 ID:mYDGifmE

>>958
>それでもネットで仏教を論ずるなら、文献学でやるしかないと思います。
>なぜかというと、検証可能性があるから、互いに主張の根拠を確認できる立場が確保できるから。
>これがないと、単に互いに俺ちゃんが正しい、お前はアホだのループに入ってしまうでしょう。

自らに 「さとり」 がないときに文献学が必要になるのです。
拠るべき根拠が自らの内に存在しないために、多くの先達の言っていることを根拠にしましょう、ということです。
修行の初期では大いに過去の文献を学ぶことが大切ですが、やがては完全に逆の方向が必要になります。
つまり、過去の文献の正否を自らの 「さとり」 によって検証するようになることなのです。

>単に互いに俺ちゃんが正しい、お前はアホだのループに入ってしまうでしょう。

そのような論争も実に興味深く、価値あるものですよ。それを見る第三者の修行者たちにも大変参考になるのです。

>>967

>だから『中論』は言語領域で何かを論証するものではなく、相手の戯論を壊して、寂滅に導くものというのが中観です。

↑これは全くその通りです。 しかし、このことも自らに宗教体験があって初めて真に納得できることのはずです。
    
969神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 09:11:14.89 ID:mYDGifmE

インドで20世紀の最大の神秘主義者と呼ばれていた故・バグワン・シュリ・ラジニーシは、
宗教の経典・解説書を彼岸に至るための舟に例えていました。そして、彼岸に行ってからも
その舟をみんなで大切に頭の上に持ち上げて生活する愚かさをジョークにしていましたね。
   
970神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 09:14:41.20 ID:kvN/vZ0n
>>過去の文献の正否を自らの 「さとり」 によって検証するようになることなのです。

これが全くの倒錯であることが分からない人ばっかりですね。

例えば、三昧を悟りと勘違いする人が多いのは言うまでもなく、凡夫の無明まみれの状態まで平気で悟っているという人までいます。
少なくともあなたがちょっとした悟りを得てるというなら、ちょっと私の前に出てきてくれますか。それぐらいの神通もないなら、全く悟りなんてほど遠いただの勘違いであることをよくよく自覚すべきです。

それとそういう人とは話し合いの余地がないということです。なぜなら、その人のいうことを信じるか信じないかしかなく。話しても無駄だからです。おわかりでなければ、私と話しても無駄でしょう。
971神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 09:29:14.76 ID:kvN/vZ0n
>>969 ああ、そういう系統の方ですか。ラジニーシの弟子という人には数十人ぐらい会ったことありますよ。
中には三昧体験があって他心通がある人もいました。ですが、それはオウムの弟子たちと全く同じ印象を受けました。
三昧は悟りの前提ですが、悟りではないので勘違いしないでくださいね。
あと、何度も言ってることですが、ラジニーシや松本チズオと仏教は全く違うものですから、一緒にしないでください。
それは例えば、中華食堂の料理を喰って、料亭の料理を一緒だろと得々と解説しているようなものですよ。
972神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 09:41:07.50 ID:mYDGifmE

>>970

あなたは学者さんですか?

学者さんは、ただ理屈をこねて論文でも書いていれば生活費が得られますからね。
趣味が実益にもなるので、悠長なことを言っている人が多いですね。

あなたのような態度では仏道修行もできないでしょう! 禅道場の師匠も倒錯者扱いしてしまうでしょうからね。

>三昧を悟りと勘違いする人が多いのは言うまでもなく、凡夫の無明まみれの状態まで平気で悟っているという人
>までいます。

あなたは、一部の産地偽装のウナギを知って、すべてのウナギが産地偽装されていると思い込んでいる人と同じ
です。

>少なくともあなたがちょっとした悟りを得てるというなら、ちょっと私の前に出てきてくれますか。それぐらいの神通も
>ないなら、全く悟りなんてほど遠いただの勘違いであることをよくよく自覚すべきです。

必要ならいつでもお伺いしますよ。しかし、せっかく行っても今のあなたでは全く認識できないでしょう!
   
>>971
>ああ、そういう系統の方ですか。

違いますよ。インドに滞在中にラジニーシを知り、説法も聴いた経験があるのです。仏教学者の紀野一義氏なども
ラジニーシを非常に評価されています。ラジニーシという人はインドの大学で哲学の教授をしていましたが、宗教体験を
得てからは、大学を辞めて宗教活動を始めた人です。
ラジニーシと松本チズオを一緒にするような低能な学者さんなら、お話する意味はないですね!!
いや、あなたは学者さんですらないようですね。 あまりにも無知すぎますね!
  
973神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:00:24.81 ID:4zCEQmyB
仏教は一部のオタクの中でのみ楽しんでください
974神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:12:39.78 ID:3RwHuf3o
>>961
内容ならともかく、誰々が何々の方法で現世にもたらした、の
部分までサマヤに抵触する?
>>969
彼岸に言った人々が意味もなく愚かなことをするという形になっている時点で
破綻してるなと。
975神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:13:31.79 ID:dQ+Py9BG
>一代、長文レス乙www

大まかに言えば、了解だwwww
俺の言ってることの趣旨は、ざっくり言うと「普遍妥当性の軽視は、オレオレ仏教化につながり、
危険だよ」ってこと。ここが分かってない宗教は必ず、世間からも浮き上がり、
仏教という内部においても、「おエライ先達さんの言葉」を絶対化したり、
自己の神秘体験を過剰に評価して、「俺はわかってるぜ」となってしまう。
「正当性」の主張には必ず、(それが他者に対しては勿論、自己に対しても)
それを量るものさしが必要なわけで、それを「単なる自己の主観のみ」で行くアホが
多過ぎると思うわけだwww

もちろん
最終的には、『自己を自己に証する』のに、(←この言い回しはわかりにくいがww)
その生き方全て、存在そのもので体現していくしかないのでは?と思うがな。
でも、それはまだまだ先の話。少なくとも、このような掲示板で、自己の体験、主観のみを
根拠に「俺の言ってることは正しいぜ」とやる愚かさが、分からんボクちゃんには
関係ないことだ。
(もし本物の覚者さんというのがいて、この掲示板を見たら)
ただ静かに笑ってるだけでしょうwww
976神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:19:31.69 ID:mYDGifmE
>>974
>彼岸に言った人々が意味もなく愚かなことをするという形になっている時点で
>破綻してるなと。

↑ 理屈だけで物事を考える人間の言いそうなことだね。
実際の体験も何もないから、彼岸というのはただ一つあって、そこに行った人々は
みな叡智にあふれた聡明な人ばかり、と勝手に思い込んでいるのだね。
仏教の勉強をやり直なさい!!
  
977神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:22:30.41 ID:mYDGifmE
>>975
>その生き方全て、存在そのもので体現していくしかないのでは?と思うがな。
でも、それはまだまだ先の話。

↑ そう、あなたにとっては先の先の先の話です!
  
978神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:22:40.47 ID:dQ+Py9BG
>>972 本当に何度言ってもわからんな、「幽体離脱バカ」wwwww

お前の批判は全て、「あんたは仏教の「ぶ」の字も分かってない」とか
「勉強してこい」だの、具体的瑕疵の指摘は一切なく、「総論的罵倒」のみなんだよ。
それじゃあ、小学生の「ば〜か、ば〜か」となんら変わるところがないと言ったろうが?
いい加減に「学習」しろやwwww
979神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:23:32.48 ID:mYDGifmE
>>978

ここは子供ちゃんの来るところではありませんよ!!
 
980神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:24:03.00 ID:/UFAeApG
>>968
まるっと同意。
その通りだと思う。(原仏スレの在り方の中では、決して出てこなかったろう名文だw)


で、“一代説”のもう一つの(というか別側面の)難点は、
民俗学的或いは考古学的考究との間に軋みを生じるということだ。

たとえば、エビス、マレビトという言葉及び概念がある。
これを、異邦人(エイリアン)、渡来人、(或いは漂着した死体)から派生発展してきた概念と見た時、
所謂恵比寿様信仰との折り合い・整合性をどうつけるか。或いは、(ちょうどお盆の時期でもあるがw)、こんな論考がある。
ttp://www.journalarchive.jst.go.jp/japanese/jnlabstract_ja.php?cdjournal=jorient1962&cdvol=9&noissue=1&startpage=41
あちこちに、「それは違うでしょw」という部分もあるが、
もともと死者及び祖霊信仰がベースにあり、プラス仏教的功徳の推奨、儒教的功徳の推奨が加わっている点は認めねばならない。
「死者儀礼」「祖霊信仰」と「餓鬼身からの救済」と「僧伽への布施・功徳、効能」と
「あの世観、来世観」と「血縁者への孝順・報恩」と「自他含め、善き後生の依願」とが、
様々なタイミングで絡み合い、変遷を経てきたのが今の盆であり、その典拠とされている幾つかの経も、
そうした変遷のうちの或る一瞬が形となっているものだ。
中国日本のそれが、祖霊信仰、親族・先祖への孝順報恩を主軸に変更されたものとしても、
漢訳以前の各写本の段階で、既に祖霊信仰が混入していることも可能性として捨てきれない。
『仏教的理由が後追いであるケース』も多多ある、ということだ。
981神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:25:16.11 ID:/UFAeApG


民俗学が、『解釈の集大成』という批判を免れ得ないとしても、(柳田國男の功罪への凝視が必要なこととしても)、
そこには、ヒトという生物の、血の通った、生の・心の歴史がある。
結果論的に(悟りの視線で)「こうだ」とすることは吝かでないにしても、【それも解釈の一つにしか過ぎない】。
浄土思想の発端に、オアシス的安住の地の希求が働いていないとどうして言えるのか。
仏舎利信仰を排除できなかったのはなぜか?ストゥーパ建立に功徳を見出さざるを得なかったのはなぜか?
結果論的に、これらを「世俗の諸相」と一括りにすることも、「仏教的理由、意義付け」を見ること可能だが、
それで抜け落ちる部分は本当に抜け落ちていい部分かということだ。
理由・意義付けが後追いであるにも関わらず、あたかもそれを、《最初から“それ”が意図されていた》と騙るには、
かなりの勇気と自信がいる。よっぽど“できた”人でないと・・・。
純粋に信仰の範囲内であれば構わない。
まさに「鰯の頭も信心から」だから・・・。

私は、大乗諸経・諸思想は特に、そうした発生時の混淆したベクトルを無視できないと思うし、
そうした視点を、《「現代常識による読み込み不足による断罪」と評する》のは、流石にどうなの?
と感じるから、時折横レスを入れているw

硬い言い方をすれば、『「成立過程の精査」と「結果論的遡及」の間に生じる緊張感』とでも言えるか・・。
どちらかに偏れば、この間隙は断絶する。 しかし、断絶してしまっては「相互の検証(≒>>968)」すら成立しない。
「文字及び世俗煩悩の様相、多数派の圧力」と「独善・妄想、個人的主観」とでの、決着のつかない戦いになるw


他おまけw:
ttp://www.journalarchive.jst.go.jp/japanese/jnlabstract_ja.php?cdjournal=ibk1952&cdvol=50&noissue=2&startpage=676
ttp://www.journalarchive.jst.go.jp/japanese/jnlabstract_ja.php?cdjournal=ibk1952&cdvol=15&noissue=2&startpage=574
982神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:25:43.12 ID:3RwHuf3o
>>976
そういう反論のされ方をするとは思わんかった。

一つかどうかはわからないが、愚かさを残していても彼岸に渡ってる、って言えるの?
ハードル低すぎじゃね?

それとも彼岸って単に別世界という意味で、行法だけやってそこに行って帰るだけでもいいの?
983神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:29:35.51 ID:dQ+Py9BG
>>977 「ボクちゃんは『しゅうきょうたいけん』したからエライんだ」
いい加減にそのバカ話やめたら?wwww

その宗教体験とやらが、
@どのようなものであって
Aそれがどのように自分の言説の正当性を担保するのか

を述べない限り、「私の言うことは全て正しい。なぜならば、それは
私が直接、神から聞いたことだから。」と言ってる精神異常者となんら
変わるところがない。
お前は、それさえも分からんアホなわけだwwwwww
984神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:32:10.85 ID:mYDGifmE
>>982
親鸞聖人のご本でも読まれてはどうでしょうかな?!

>>983

だから、ここは子供ちゃんが来るところではないのです!
  
985神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:42:06.21 ID:dQ+Py9BG
>私は、大乗諸経・諸思想は特に、そうした発生時の混淆したベクトルを無視できないと思うし、
>そうした視点を、《「現代常識による読み込み不足による断罪」と評する》のは、流石にどうなの?

一代に言わせれば、それは「縁起によってそうなった」というのかな?w
一代は、基本「テルマ、テルトン」を支持する立場だから、
『感得』によってそのようになったと言うのかもw
俺は、後世の混入、増稿、支持だがなwww
(しかし、ニンマも「感得」なのか?「埋蔵発掘」なのか?wwよくわからんw)
986神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:43:51.04 ID:dQ+Py9BG
>だから、ここは子供ちゃんが来るところではないのです!

もうそれしか言えないのか?幽体離脱バカwwww
987神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:45:25.77 ID:3RwHuf3o
親鸞聖人の教えから彼岸にいった人が意味もなく愚かなことをする
という発想を導き出すことができない。

具体的にどの書のどの箇所を自分はどう解釈しているかを
説明すべきでしょ。
988神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:52:39.13 ID:mYDGifmE
>>987

親鸞聖人のことを全くご存知ないのですね。一番基礎的な 「歎異抄」 が分かり易いと思います。

浄土真宗には妙好人と呼ばれる深い信仰を得た人が沢山います。鈴木大拙博士は妙好人の境地を
祖師方と同じかそれ以上だと絶賛されました。その妙好人の人達やそれに近い人々の語録などを
読まれてもよいでしょう。
  
989神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:54:00.43 ID:/UFAeApG
この場合の「愚か」は、
世間的に「反社会的、反道徳的」或いは「ぐーたらで、気が利かず」
或いは「無批判無自覚な我欲の追求、自分本位」etc.etc.といったことでなく、
『真摯に努めているけれども、“至らない・・”“できてない・・”という、自省の「愚かさ」』でしょう?
990神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 10:56:13.23 ID:3RwHuf3o
技術でチョチョイと彼岸まで行って経典はもういらね、っていうのとは
対極の人だろ。親鸞聖人は。
>>988
自身の至らなさ、無力さを深く自覚して、一心に阿弥陀を念仏する態度
をどうやったら、てきとうな彼岸観に読み替えられるというのか。
隠居並みのフィルター機能をお持ちですね。
991神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 11:02:21.28 ID:mYDGifmE
>>990
あなたは解説書で得た知識しか持っていないんじゃね。 まあ、これからの精進じゃね!
では、今日はこれで!
  
992神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 11:08:10.45 ID:3RwHuf3o
他の経典・聖道門では、成仏できない、という理由と
俺はもう彼岸にいるので必要ない、という理由は
全く違う。それ以前に念仏も経典で説かれた教えだよ。
最初っから破綻している。
>>991
他の誰もやらない珍奇なだけの新解釈を、本質を見抜いたものと
みなすのもまるで隠居だな。
993神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 11:16:11.83 ID:mYDGifmE
>>971  

>>969 の補足: 

ラジニーシ師は、彼岸に行ったら、もう経典は要らないから捨ててしまえ!と説いたのではありません。
その本質が身に付いている訳です。細かい字句にこだわる必要などなく、彼岸の立場から自由に
使いこなすことを説いていたのです。 また、彼岸に行っても人間はしょっちゅう間違いをするものです。
妙好人の人々の語録には、そのような懺悔の言葉がたくさん出ていますね。 
とにかく、もっと精進して下さい。 では、また!
   
994神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 11:18:07.17 ID:mYDGifmE
↑ アンカー番号が違った!
   
>>971  ・・・ ×

>>992  ・・・ ○
995神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 11:24:35.26 ID:3RwHuf3o
妙好人が「私は彼岸にいる」と言った例があったら教えてくれ。
それとも勝手にそうカテゴリしてあげているだけか。

ラジニーシにおける「彼岸」の意味こそ補足すべきでしょ。
996神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 12:31:59.27 ID:BNuBLmh4

アホダラ氏が「それ見たことか」とワラッているような気がする
997神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 12:54:40.58 ID:kvN/vZ0n
>>974 方法を具体的に説明するということは要するに密教の見解を説明することになるから

>>975 要するに自分のための論理・信仰と、他人のための論理・説明を自覚しろってことだよね

>>980 どこらへが良いのか分からないな? オイラは『勝義空性経』の此縁性に従って、
習慣に添って記号化・言語化されると考えてるので、何も問題ないと思うけど。
要するに習慣・ラングは恣意的な無常なものだから、そりゃ変わるでしょう。
テルトンがインド人ならインドの、チベット人ならチベットの、
日本人なら日本のその時代のその人の習慣、つまり、言葉が反映されて記号化されるだけのこと。
998神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 13:01:28.32 ID:kvN/vZ0n
>>985 上の通りそういうこと。テルトンが感得する方法もいろいろ。
チベット人学者によって分類もちがいます。

>>995 ラジニーシなんて根拠にしてる時点で終わってると思う。
相手にしなければいいだけ。生命教、ゴキ五郎、宝珠などと同じで話が成立しない人でしょう。
999神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 13:02:28.39 ID:3RwHuf3o
>方法を具体的に説明するということは要するに密教の見解を説明することになるから

南天鉄塔の話も本来は余人が知るべきではなかった?
それともエピソード単体ならよくて、「いかに」感得したかの説明だけが
いけないのだろうか。

>日本人なら日本のその時代のその人の習慣、つまり、言葉が反映されて記号化されるだけのこと。

十一面観音経や毘沙門天王功徳経はいいけど、
延命地蔵菩薩経や聖無動尊秘密陀羅尼経や弁天五部経
みたいに無理のある「訳者名」がついているのは、どうなの?
1000宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/07/25(月) 13:25:32.15 ID:ByRaiEkv
>>964-965
(゚∀゚ノノ゙パチパチパチパチ
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。