仏教 議論スレッド 18

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733宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
>>728
仏教の説く業論は、人間の行為による結果を重視するものであって、
すべては最初から決定しているに過ぎないとする、
いわゆる単なる宿業宿命論などではありません。

 『ブッダと同時代の自由思想家の中には、プーラナ・カッサパやアジタ・ケーサカンバリンのように、業の
因果応報を積極的に否定したものもあった。彼らは善悪の行為が後に安楽と苦しみの果報をもたらすこと
はないと考えた。またマッカリ・ゴーサーラのように運命論を説く人もいた。さらに、業の因果応報思想の中
には、前世での行為(業)を宿命のようにみなす決定論的な考えもあった。現世での行いは、善であれ、悪
であれ、すべて前世の業によって規定されているというのである。この説によれば、意志の自発による行
為は認められない。
 これらに対し、仏教やジャイナ教は、このような人間の行為の効力を認めない説を行為否定論(akiriyavA
da, akriyAvAda)と呼び、道徳を破壊する説として非難した。

 彼は唯物論を説き、業・輪廻の思想を否定した。善悪の行為の報いはなく、死後の生れ変りもない。人間
は地水火風の四要素からなるもので、死ねば、四要素に帰り消滅する。死後存続することはない。布施に
功徳があるとは愚者の考えたことであるとする。
 だから、宗教的な行為は無意味で、この世での生を最大限利用して楽しみ、そこから幸福を得るべきだと
いう。
 この思想は宗教や道徳の根本を破壊するものと恐れられ、他のインド思想諸派から激しく攻撃された。』
(インド思想史略説)