闘争歴史の根本にある父親と娘の関係
自分が何故生まれたのか、何故生きるのか、目的は何か、希望は何処にあるのか。
それを自身に問う時間,またそれらを全く考えない時間
思考と行動が回り回って、結局のところ建設的な会話、発展を望まないのは問題。
救いは女性が許すのではなく女性を許すことにあるのだと。
過去の宗教者はそれを理解しておきながら敢えて触れることはせず、ただ傍観しているだけだった。
彼らの存在はただの"重し"であり父の立場にはない。
"父"の役割を示すのは若者より高齢の者がより適任だが、全く話にならないな。
中韓国人、共産主義と統一主義の影にいる内に密かに消えてもらおうじゃないか。歴史には残らない
実の父親の苗字と名前を一言、口で、また心で語り,思い起こすだけで、十分だ。"闘争"は一切必要ない。
歴史と関係していないのならば自分が小・大問わず新しい歴史、民族を形成すればよし、
そうでなければ父以上、母以上を目指すため歴史を認識し過去を攻略する。そのどちらかだ。
思考停止や予期せぬ事故などまったく可能性に含めないね。一定の瞑想(沈黙)の時間を取ることで回避できる
私が二十数年で全体主義者と関わった回数は一般人男性の1/10以下だが
そのたった一度や二度で彼らが時代や、国の責任を背負って生きているということは
十分に理解できた。個人→家庭を省略しているからな。
最高でも±0,共有、最低でも闘争か目的不一致故に誤解が生じるかだったな。
彼らは日々自分が許せず,修羅の道を生きているのである。
以前マスコミに取り上げられた統一教会の合同結婚について、日本から韓国の家に嫁いていった日本人女性の体験談を
聞いたことがある。
なんでも夫と、夫の母は、彼女に対して非人道的な扱いをされるそうだ。
それが7年程続いて、途中心が砕け耐えられずに離婚するのが一般的観点でいう定石だろうに
彼女は二人が折れて、過去の自分に対する仕打ちを謝罪させる結果に至るまで耐え忍んだようだ。
それまでの7間年を思い起こすと良い思い出など一つもなく、ただ夜中泣き通した記憶しか残ってなかったと。
韓国人の日本人女性に対する"信仰心"の誤解は解け、むしろ感動させるほどだった。
信仰の祖、宗教大国と言われる国、韓国が、まったくその信仰の一つも示すこともできず、ただ日々"反日".
感情のままに恨み怒りをぶつけ、日本人女性を気の済むまで苛め,結果自ら日本人女性の踏み台となり、格下であることを証明しただけであった。
まあ論点はその反韓ではなく、8/2,6/4の後者,重箱の隅を突付く移民の"メリット"の方。日本人女性は社会で基本的人権の元,甘やかされているので
日本の現在と未来に多くの傷を残す。それで、少女が白旗を揚げるその日までできる限り"縁"を最小限に抑えようというんだ。
第二次世界大戦後国を支え、教育に責任を持ってきた世代、また責任者というより
自由人という言葉の方が似合う世代が"一世"とすると
その子供が二世、その二世の子供が三世だ。
三世,四世の世代,時代では、世界的常識、人道的常識が明確化することから
"国"の常識、過去の常識に捉われている環境は徐々に無くなる。
旧時代から新時代へ、この旧概念を如何に上手く消去・攻略できるかが鍵だ。
古い主義、古い人間も、いつまでも古い、「数十年後も古いままだ」「私達の世代は」
と言っていられない。
ここで第二の"反転"思想の法則、無責任者が責任を負い、責任者が責任を負わないという現実が実現する未来がある。
責任は「傷」という言葉でも置き換えられる。
まだ、責任と無責任の定義は曖昧でも構わない時代、また影で劣悪な行いが許される時代。
二世は蒔かれた種であり、将来への希望、彼らをどう保護し、育成し、三世への礎とするかといっても
肝心の神(親)が不在では全く意味が無い。
ただ"傷"を残し「〜だった」(無責任過去完了)で語られても、何の連帯意識も友好関係も感じられないし
特に大差も無いように思う。
それで韓国人以上の救い手が必要という結論になる。または、これまで通り「神は全く必要ない」