文鮮明氏が望んだ「国境を越えた関係」「多国籍同士の結婚」「子孫を通して"闘争"そのものを世界から根絶する」
"国"を捨て,『統一』する思想の結果。
当然のことながら日本の政治家は彼に献身的姿勢だ。
>>640の理由もある.
これに対する具体的な手はただ一つ、(本当は八手十手は欲しいところだが)日本人と日本人の血統、
日本人と外国人の血統と、交わった結果である子孫の能力を比較し、どちらが優れているかを証明する。
無論、競走や争い、差別化を目的としたものではない、それは自然的に行われるので、誰も傷つけることはない。
"優れている"定義の基準はまたの機会に存分に語るとして。
国を捨てるということは、"所属が無い"ということ、所属が無いというのは
個人-家庭-社会-県市-国に属している実感を一部曖昧にさせる。それをデメリットではなくメリットとするのが
今後時が過ぎると共に容赦なく迫り来る"統一"の思想の許容の力。
個人から国、全ての範囲を『人間』という一概念で括り、全てを"リセット"する。
寝て朝起きたら悪いことは忘れているその"リセット"とは比較にならないほど強大なもので
過去・現在・未来全てに影響を及ぼすという、最悪の思想だよ。
自身日本人としてのプライドを捨て、同じ人間として世界人と関り関係を広げていく人種と、プライドを捨てきれずに国を愛し守り,闘う人種と二極に分かれる。
移民受け入れで日本は多国籍国家となるな
最終的に竹田氏が仰っていた通り「誰が日本人か分からない」ようになる未来も事実現実に
想定できるようになったわけだ。そろそろ二手,三手を考えておくかね。
"統一"の思想に対し、受け入れるかor受け入れないかという程度の考え方では、それを攻略し達成することは難しい。
私はこの10年、統一の思想を肯定も否定もせずただ影から観察してきた。
統一の思想には穴がある。世の中完全なものは存在しない。思想に関してもそうだと言える。
裏/表即ちメリットとデメリットが必ず存在しているのだ。
差別化が行われない、誰が何処の国の人間かは分からない、それでも自由であり、許されている。
そんな平和な世界が実現するまでには、幾度の努力と、計画と、試練と、放棄があった。
その"放棄"に着目する。
ゴミでも再利用すれば何かに使い道はある。統一の思想が完成するに際し、完全な自由社会が実現、
しかし、本当に"自由"であると言い切れるのだろうか。所属が無いこと、全てを分かち合える(共有できる)こと、許されているということ
いや、一つ負債(代償)がある。それ一点故に自由ではないな。
それをただ、知って頭に留めておき、行動するだけで100年(自分)はおろか200年(子供)300年(孫)と、永久的に勝ち続けられる
最終的な加害者/被害者の関係性
特に凶器や拳など振るわなくても、適度に法に触れない範囲で人を傷付けることは容易にできる。
日本が女性国家、平和主義国だからといって、格差や家庭問題など解決されていない事情が稀にある故に
とても許しだ愛だとか、法の元秩序が乱されず平和であり治安も良いとはとても言い切れない状態の街だってある。
その個人と個人の無責任と無責任が引き合わせた因縁を解くためには、在日韓中人の存在はメリットになるケースが多いと見た。
日本には"日本人を殺す日本人","日本人ではない日本人"が多すぎる。彼らが失脚するまで待つのが一の得策だが、
ここ数年の若者の反応を見ると、「我慢しろ、できないなら去れ」から「我慢する必要は無いのではないか、もし我慢の必要が無い社会があるとすれば」,と随分変化してきている.
空気を読むこと、全体主義者と交わることが、本当に数十年後、個人として悔いの無い人生を送れたという結論を出せると言い切れるのだろうか?と疑問を持ち始めた。
無論、10年前から分かりきっているが、全体主義者は個人主義者の一切に"責任"を持たない。
それは偽りの自由であり偽りの笑顔。偽りをストレスとして心に溜め込むのですれ違いが、結果差別が生まれる。
日本を建て直す愛国者、擦り寄る韓国人を論し正し納得させる個が優れた個人主義者が必要だ。
全体の一部として組み込まれる犠牲者から、個人が頭となって全体を変えていく主体者へと、一人の在り方、価値観は変わらなければならないな。
横・左右間の争い
2004年は無駄な血が流れた。というより無意味な時間の浪費が目立ったので
思想面で無視させてもらった。確か「不毛な議論」、「責任の擦り付け」か
それで、その年その日その時間を根(恨)とした人間は後,解決に時間をかける。
格差,格位の問題認識を蔑ろにし、定義を崩そうとするのは男性よりむしろ女性側に多い。
それで自身、また他者が納得する、という結論が中々出難い状況に直面し、不快感を露にする。
横・左右、とはいうものの、その対象はどうしてか異性,高齢者,後輩と間違った方向へ向けられている
全体主義者の不器用な点の一つ、同級生や同じ境遇、悩みを抱えた者同士の共有や解決はあまり見られない傾向にある。
彼らの悩みは"所属の無い"韓国人のそれに似ている。
"所属"の無い人間は焦りと不安から自身の存在に疑心と負の念を抱き、それを国にぶつけることができずに結果
社会で横の関係を通して解決しようとするもの。
それは以前、家庭・個人を根本としている。それが解らない。
他人の家庭、個人事情など解るはずもないので、付かず離れずで適度な距離を取る。つまりは2004年と同程度の対応で十分となる
所属の無い者同士の闘争
統一教会、長きに渡る活動の歴史にオチが付いていないという理由で一応警戒していたが
まさか日本の首相と接触し内政干渉実現まで動いていたとは。
思想も建設も教育も早く動いた者勝ち。長いフェードインフェードアウトが結果"形"となる
2004年一番の盲点だったな。まあそれは他の年にも言えることだが。やはりというか人の人生はインスタントではなかった。
後は日本人女性がどのような価値観を形成(結論付け)するのか、これには全く期待していないけどね。
そして中国人、韓国人もそうだが日本の環境は彼らにとってオアシスのようなもの
一度住み慣れたらもう帰国の可能性は限りなく低い。
日・中・韓・の境界線は無くなり、[アジア人]、最終的には世界人となる。そうなる未来を許容するのか否か。
"国"という所属意識があるからこそ、人は相容れず憎みあい傷付け合い奪い、戦争が起こるのだという見方もありだが
私的に納得のいかないのは統一までの"経過"だ。あまりにも強引で早急。そして中韓には、"花"が無い
勝利者,経験者としての過程がなく、また捨てきれたと思っているが実は捨てきれていない"縦"の関係など、数ある穴の存在が日本人と彼らとの技術的差を開く。
そして今ある二手,三手を実現するところまでを保険に含めれば、移民後の中韓人,特に警戒する程のものではないかもしれないな。
文鮮明氏の思想を受け継ぎ、今も尚志を保ったまま"世界平和(統一)"実現に向けて
今日も努力の一歩一歩を歩み続けている統一教会信者が数名いるようだ。
これに対抗するか同調するかはともかく、
中韓国人が、"統一"の思想を含め文鮮明氏の生み出した、また定義付けた他の"新たなる思想"を応用し
日本人を対象に攻めてくる可能性はあると4年前から推測していた。
これが実際に本国で行われる日は近いと見る。随分長期の間参照していないので、欠落気味だが
例えば「打たれて勝利する」"反転"の思想、「真の集団(全体)主義」を推した"個"の思想、"内外安定した環境を維持"するための"奉仕"の思想
など。
これらの他にも多々あったと記憶している。
日本人女性、高齢者にとって厄介となるのは、上記の様々な思想に対抗する具体的手段を持ち得ないこと。たった一つでもだ
ただ以前も申したように彼らの移民によってメリットとなる一点は「真・偽の明確化」。
格差の崩壊により男女・富貧の誤った価値観、役割を担っていた指導者一人を日本歴史から抹消させられる。
一人、一家庭、一社会、一県の小さな出来事さえもたった一人の責任者を介し"歴史の過ち"として一言で片付けられる。
ただその"一人の責任者"に関係、所属しない一秒、一日を生きてさえいれば今後不安も恐怖も一切感じることがない
両親、ルーツ(根本)、責任
2004年は"混沌"を望む思想が多かったのでそれに対し無視を決めた。
自立、結果、自由それらを具体的に手中に収めることができない人間は
格位・格差問題を蔑ろにすることで自らを痛めつけ、考えることを放棄し
結果混乱(混沌)することで落ちる。
故に全体主義者などは横に当たるのだが、根底に両親、ルーツ(根本)、責任を無視した過程がある故に
結果も必然的に破滅行動へと向かいがち。
縦関係と自己存在(足場)、完全性(法)への認識が欠落しているからだ。
両親、ルーツ(根本)、責任この三点を一時的に語り、扱うことは転嫁でも逃避でもない
それを理由に非を認めないのは問題だがね、せめて一度だけでよいので"通過"はしておかなければならない。
真の自立、真の結果、真の自由を一個人が勝ち取るためには、
中韓国人の一手二手が必要だ。
戦う相手は自分自身、しかし他者に理想を押し付ける人間はこちらが戦う意志をもたなくとも、結果敵になる。
その"敵"という定義の排除された所にこそ本当に平和な世界がある。中韓国人には是非きっかけとなってもらおう
闘争歴史の根本にある父親と娘の関係
自分が何故生まれたのか、何故生きるのか、目的は何か、希望は何処にあるのか。
それを自身に問う時間,またそれらを全く考えない時間
思考と行動が回り回って、結局のところ建設的な会話、発展を望まないのは問題。
救いは女性が許すのではなく女性を許すことにあるのだと。
過去の宗教者はそれを理解しておきながら敢えて触れることはせず、ただ傍観しているだけだった。
彼らの存在はただの"重し"であり父の立場にはない。
"父"の役割を示すのは若者より高齢の者がより適任だが、全く話にならないな。
中韓国人、共産主義と統一主義の影にいる内に密かに消えてもらおうじゃないか。歴史には残らない
実の父親の苗字と名前を一言、口で、また心で語り,思い起こすだけで、十分だ。"闘争"は一切必要ない。
歴史と関係していないのならば自分が小・大問わず新しい歴史、民族を形成すればよし、
そうでなければ父以上、母以上を目指すため歴史を認識し過去を攻略する。そのどちらかだ。
思考停止や予期せぬ事故などまったく可能性に含めないね。一定の瞑想(沈黙)の時間を取ることで回避できる
私が二十数年で全体主義者と関わった回数は一般人男性の1/10以下だが
そのたった一度や二度で彼らが時代や、国の責任を背負って生きているということは
十分に理解できた。個人→家庭を省略しているからな。
最高でも±0,共有、最低でも闘争か目的不一致故に誤解が生じるかだったな。
彼らは日々自分が許せず,修羅の道を生きているのである。
以前マスコミに取り上げられた統一教会の合同結婚について、日本から韓国の家に嫁いていった日本人女性の体験談を
聞いたことがある。
なんでも夫と、夫の母は、彼女に対して非人道的な扱いをされるそうだ。
それが7年程続いて、途中心が砕け耐えられずに離婚するのが一般的観点でいう定石だろうに
彼女は二人が折れて、過去の自分に対する仕打ちを謝罪させる結果に至るまで耐え忍んだようだ。
それまでの7間年を思い起こすと良い思い出など一つもなく、ただ夜中泣き通した記憶しか残ってなかったと。
韓国人の日本人女性に対する"信仰心"の誤解は解け、むしろ感動させるほどだった。
信仰の祖、宗教大国と言われる国、韓国が、まったくその信仰の一つも示すこともできず、ただ日々"反日".
感情のままに恨み怒りをぶつけ、日本人女性を気の済むまで苛め,結果自ら日本人女性の踏み台となり、格下であることを証明しただけであった。
まあ論点はその反韓ではなく、8/2,6/4の後者,重箱の隅を突付く移民の"メリット"の方。日本人女性は社会で基本的人権の元,甘やかされているので
日本の現在と未来に多くの傷を残す。それで、少女が白旗を揚げるその日までできる限り"縁"を最小限に抑えようというんだ。
第二次世界大戦後国を支え、教育に責任を持ってきた世代、また責任者というより
自由人という言葉の方が似合う世代が"一世"とすると
その子供が二世、その二世の子供が三世だ。
三世,四世の世代,時代では、世界的常識、人道的常識が明確化することから
"国"の常識、過去の常識に捉われている環境は徐々に無くなる。
旧時代から新時代へ、この旧概念を如何に上手く消去・攻略できるかが鍵だ。
古い主義、古い人間も、いつまでも古い、「数十年後も古いままだ」「私達の世代は」
と言っていられない。
ここで第二の"反転"思想の法則、無責任者が責任を負い、責任者が責任を負わないという現実が実現する未来がある。
責任は「傷」という言葉でも置き換えられる。
まだ、責任と無責任の定義は曖昧でも構わない時代、また影で劣悪な行いが許される時代。
二世は蒔かれた種であり、将来への希望、彼らをどう保護し、育成し、三世への礎とするかといっても
肝心の神(親)が不在では全く意味が無い。
ただ"傷"を残し「〜だった」(無責任過去完了)で語られても、何の連帯意識も友好関係も感じられないし
特に大差も無いように思う。
それで韓国人以上の救い手が必要という結論になる。または、これまで通り「神は全く必要ない」