果たしてオウム・Aleph・ひかりは完璧か?213

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195神も仏も名無しさん
オウムの性質として、批判に耳を貸さず、閉じていく性質があった。その根拠とし
て、自分たちが間違っているのではない。間違っているのはあちらがわであるとする先験
的思考が介在していた。しかし、オウムを批判する側にも同じ先験性と閉鎖性はあるので、
似たもの同士のつばぜり合いともいえる。麻原の教義には、真理の本質を覆蔵され、指し
向ける歴史におくハイデガーに共通するものがあり、それは20世紀思想の到達点を表し、
また、伝統的な業思想を継承しているともいえる。そこで時間と有の関係を突き詰めると
ころが真性の解析の仕方として正統的だと思う。言い換えれば、何が真か、という問には、
覆蔵され〈私〉に担われた、自己史=経歴が根底から拘束するもので、よって、麻原にしても
、そこでの因果を内省せよ、と説法していたのである。それは自己の解放の考え方として
理に叶っている。ただ、グルや成就者が支配構造を作り上げる必然が教義にあったとすれ
ば、改良すべきだし、そうしないかぎりこの教義が生き残る道はないと思う。