★★『幸福の科学』統合スレッドpart434★★

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391大川隆法が7月7日生まれなんて全部ウソ 信じないように
したらばより

153 :アルゴラブ:2010/09/24(金) 23:26:23
ウキペディアを見ていて、ちょっと思い出したことがありますので記録します。
くだらないことではありますが、よく考えると色々興味深いかも知れないですょ。
中川隆クンの誕生日は1956年7月7日となっていますね(さらに確か7時7分7秒とか言ってましたが)。
誕生日のことなどたいして気にせず、意外とさらっと流して聞いている方がほとんどだと思いますが
実はこれ誕生日ではありません。単なる登録日なんです。

彼は川島町の中川家にて産婆さんの手によって取り上げられています。
病院ではないので、正確な時刻など記録されていませんし、
それどころか役所への届け出も親の都合の良いタイミングで行くわけですので、
日付も好き勝手できたそうです。
現在の常識的には考えにくいことですが、当時の田舎町にしてみたら特別不思議のないことだったようです。
ちなみに父親の善川も同様に産婆さんによって取り上げられたので同じ状況であり、
そうした点からも不正という意識ではないのです。

では、いつ生まれたのか?はっきりした日時は不明ということになります(6月下旬だったらしい)。
これは父の善川と、母の君子の会話によります。善川は少しバツが悪そうな表情でしたが、君子女史は無邪気に語っていました。
当時の地元の会員は苦笑いで聞いていましたね。
392大川隆法が7月7日生まれなんて全部ウソ 信じないように:2011/01/25(火) 13:41:39 ID:STd/0RtQ
つづき

155 :アルゴラブ:2010/09/25(土) 17:14:17
お腹を痛めた実の親の話ですから本当の事でしょう。
君子女史は秘書長という肩書はあったものの、教団にはほとんど関与しておらず、
大川のことは、あくまで息子であり、仏陀として崇拝している様子はありません。

そもそも大川にとってはマイナスに作用するこうした事を、
不特定多数の会員を前にケロッと言ってしまうわけですから、
ご本人には不正をしているとか、大川への影響といったことに対する意識が薄いだけ、
逆に真実味がありますね。

地方の村町における戸籍事務がアバウトだった当時らしい話ということです。
393大川隆法が7月7日生まれなんて全部ウソ 信じないように:2011/01/25(火) 13:44:52 ID:STd/0RtQ
つづき

157 :アルゴラブ:2010/09/25(土) 18:43:42
玄道 様、初めまして。おっしゃる通り、出生日の自己申告など、当時はごく当たり前のことだったのですね。
管理上の問題さえクリアにできれば、そう重大な利益不利益があるわけではないですから。

秘書長先生と呼ばれていた君子女史が、このことを語った流れは、大川の誕生の時の話を聞かれ、
自分が自宅出産でいかに苦労したかを話す過程で漏らしたことです。
川島町に住む小柄で細身の女性会員で、お腹の大きい方がお産を控えて、苦心や不安を抱えていることを聞いて、
自分の頃はこうだった、だから今の人は恵まれているのだから頑張れと、そういった状況での暴露です。
君子女史は表面的には、人の好き嫌いは見極めにくい人でしたが、
気に入った者は、とても可愛がる情に厚い面があり、また大変なおしゃべり好きでした。

というわけで、語りだすとセーブが効きません。あらいざらい語ってしまいます。
中川家の中では、一番正直な人間だったのかも知れません。
394大川隆法が7月7日生まれなんて全部ウソ 信じないように:2011/01/25(火) 13:47:05 ID:STd/0RtQ
ラスト

172 :アルゴラブ:2010/09/27(月) 19:04:44
思いのほか反響が大きい情報だったですね!?
当時の地元の会員や君子女史周辺に関わりのあった人など、聞いた者は少なくないです。
(その方々の多くが首尾よくHSを脱出し、幸せな人生を築きなおして下さっていることを祈っていますが)

(中略)

おまけに余談です。
善川自身も誕生日と登録日が異なるそうですが、こちらは1〜2カ月くらい違うということでした。
とめどなく言葉があふれる君子女史に対して、この時はいいかげん善川も堪りかね、
顔を赤らめて激しく中断させようとしましたが
マシンガンの如くに言葉を浴びせられ、二の句を継げられずに善川撃沈・・・

まっ、普通の夫婦ゲンカなら微笑ましいですが、目の前の我々お構いなしのバトルに目がテンでした。
どうやら奥さんに弱いのは血筋ですねぇ〜。