>>680 >何を「正しい」と信じるか、それが信仰なのです。
正しいか正しく無いかは、事実が証明してくれるけどね。
>ですので、その信仰が正しければ、正見ができますし、間違った信仰(たとえば、数の理論)を信仰すれば、正見はできません。
「正見」をするためには、正しい知識と情報が必要。間違った知識を持っていると、正見の邪魔になるだけ。
そもそも、数に対して信仰するということは無い。数は数でしかない。
その数がどのような意味を持つかを正しく判断できるかどうかが、正見の意義。
いずれにしても、事実を正確に知ることができなければ、間違った判断を下すのは当然。
事実として実在しないものを信仰すれば、悲惨な結果を招く。それが、原因と結果の法則。