>>195 >>198 "Churches teach you many times that you are a sinner so "repent",but there are no original sins".
(教会は繰り返し、「あなたがたは罪人であるから、悔い改めなさい」と教え込んできたが、
しかし、人間に「原罪」などというものはないのです。)
"So the teachings of the church are mistakes. They are different teachings."
(だから、教会の教えには間違いがある。それは違う「教え」なのだ。)
教会は人々に「罪びとである」(原罪論)と教え、それを根拠に、人々を「戒律」で縛ってきま
した。この「ヘラトリトピックス」は、極めて一般性の高いメデイアなので、以下のような、やや
内部表現的な言い回しをすることは恐縮ですが、今回だけは、「分かりやすさ」を優先して、
そのまま引用すると、このような「キリスト教の<レプタリアン宗教化>」、「キリスト教の文殊
教化」(いずれも韓信)が、歴史の中で多くの人々を苦しめ、「間違いを含んでいた」のは、
もはや隠しようがないと思われます。そして、「このような"教会のキリスト教"をつくってきたの
が、一体誰であったのか]ということが、今回、段々と明らかになってきたのだと思います(だ
から妨害は、絶対に許さない)。
念力の戦いにおいては、「力比べ」だけするのは、必ずしも賢明な策ではありません。「考え
方」において、相手を破折(はしゃく)すること、そして、それを自分の中でしっかりと腑に落とし
ておくことが、とても大切です。
(注)『死んでから困らない生き方』(大川隆法/幸福の科学出版)P148〜