1 :
神も仏も名無しさん :
2010/11/05(金) 17:20:23 ID:VKrCwWGQ いろんな宗教があるけど、結局は霊験があるかどうかです 霊験あらたかなるは竜神様のみ 宗教板の智慧を結集して竜神様に少しでも近づきましょう
2GET
3 :
神も仏も名無しさん :2010/11/05(金) 17:43:14 ID:VKrCwWGQ
最初から変だったかも。 龍と竜の違いについては多めに見てください。 龍は神に近く、竜はキツネやタヌキの方に近いらしいですね。 竜ではなく、できるだけ龍に迫りましょう。
このスレでは、<龍>を幸いなる神の使いとし、 <竜>を災いなる神の使いとして区別したいと思います。 近づくべきなのは幸いなる龍神、 災いなる竜神に近づいてはアカンですね。最初から失敗しましたorz
5 :
神も仏も名無しさん :2010/11/05(金) 18:12:53 ID:sDBOvtFs
どっちでもいいよ 竜に怒られるよ
8 :
神も仏も名無しさん :2010/11/05(金) 19:40:24 ID:VKrCwWGQ
9 :
神も仏も名無しさん :2010/11/06(土) 01:16:45 ID:LP+AicBi
漢和辞典では ・・・ 「龍」は象形文字であり、 頭に角をもち、口を大きくあけた「りゅう」の形を表す。「竜」は俗字。 どちらの字を使ってもいいが、 神への敬意を表したいなら「龍」を使うべきなのだろう。
龍と竜との使い分けはもう少し複雑のようですね。 S24年制定の当用漢字表 瀧→滝に変わったが、龍はそのまま使われ竜がない。 これが龍・竜の二本立ての始まり。 S29年補正案 ここに龍→竜が提案され、竜を新聞などで使い始め、一般化する。 S56年常用漢字表 竜が常用漢字として採用され、龍は人名用漢字別表附則に移る。
当用漢字表・常用漢字表の流れから、龍と竜の二本立てがある。
また、竜を名前にしている人たちもいるわけだから、
龍・竜とを
>>4 のように区別することは誤りだったかもしれない。
竜神様に深謝して訂正いたします orz
12 :
天使 :2010/11/06(土) 07:10:02 ID:0Q3AYcdk
大地の神の本当の名は白神白龍ですよ。 人間のお姿の時は牛に乗っている大男ですよ。
13 :
神も仏も名無しさん :2010/11/06(土) 12:09:23 ID:FyB1wEq0
龍の色は白でしょうね。 ただ、神が龍であるかどうかは疑問です。 牛に乗っている大男とは何でしょうか。わかりません。 帝釈天なら白象に乗ってますが・・・
龍神の色については、 金龍、銀龍、白龍、青龍、赤龍、黒龍など、いろいろに言われている。 特に金龍は、龍の中の最高位にされるようである。 しかし金龍は、世俗の欲望としての黄金、のようにしか思えない。 青龍、赤龍、黒龍などは、白龍がいるなら、 こんな色の龍もいるかもしれない、という空想ではないだろうか。 ただし銀龍は別である。 光の加減で、白龍が銀龍のようにも見えるからである。
小桜姫物語46(龍神の生活)によれば、龍神の色はさまざまである。 龍神は、龍同士の結婚によって子供の龍が生まれ、 修行を経ることで次第に色が変わっていく。白龍が最高位である。 最初は茶色っぽい色 → だんだん黒くなる → 灰色になる → 青みが加わる→ 多くの龍神は青黒い → 薄い黄色 → 純白色
16 :
神も仏も名無しさん :2010/11/06(土) 20:24:06 ID:7HLUTDin
小桜姫物語にある「薄い黄色」は、もしかして金龍のことかもしれない。 聖書の黙示録には「赤いドラゴン」も登場する。 個人的には「白龍」しかいないと思うのだが、 白龍が金龍や青龍や黒龍などのように見せかけている可能性もある。 霊界の話は真偽の判別が困難です。そこで断定を避け保留しておきます。 そういった龍を見たことがない、と言うだけにとどめたい。
神の使いは白い色をしている、というイメージがある。 それからしても、神の使いと言うからには「白龍」が一番ふさわしい。
18 :
神も仏も名無しさん :2010/11/07(日) 07:01:00 ID:jnbAXnOR
つぎに龍神が神であるかどうかだが、 この世でもあの世でも神に形があってはならない。 形あるものは神ではない。ゆえに龍神は神ではないことになる。
19 :
神も仏も名無しさん :2010/11/07(日) 08:10:58 ID:8sjcACjJ
神に形がないのというのは霊性だからだよ 霊性はすべてのものに宿るよ
20 :
神も仏も名無しさん :2010/11/07(日) 12:16:28 ID:7QccFsHN
形のない霊 ・・・ 神 形のある霊 ・・・ 龍神、霊界の住人、この世の生き物(人間を含む) 神は形がなくても存在している。形があるのは限界があることであり、 限界がある神では神でないことになる、と思うのですね。
21 :
神も仏も名無しさん :2010/11/08(月) 03:54:50 ID:7UImWAF+
神と人間とはまったく異なる。 神は個体ではなく、形のない霊として完全に自由な存在である。 人間は霊でもあるが、個体として肉体に拘束されており、不自由である。 これは霊界においても同じである。霊体という形を持つからである。 個体、あるいは個を維持する限り、人間は神にはなれない。 神を霊の大海とすれば、人間はそれのほんの一滴である。
22 :
神も仏も名無しさん :2010/11/08(月) 12:57:03 ID:IZE51k2B
あとは心を沈めて修行あるのみ
最近は、修行と信仰、両方必要かもと思っている
24 :
神も仏も名無しさん :2010/11/09(火) 00:41:43 ID:/zreYIwX
神の色は? という疑問がある。 これについては、透明と白色の二つであると思っている。 神に色があるはずがない → 神は透明 → 透明では神を見ることは不可能 透明では神に出会えない → 神がいるなら純白色だろう → 赤や黒では変 これについてはいずれまたやりましょう。
25 :
神も仏も名無しさん :2010/11/10(水) 00:12:40 ID:7viaWzHQ
龍神信仰の難しさは龍神様との付き合い方にある。 霊験あらたかではあるが、その代わりのお試しを受けることになる。 恐ろしくなっても、途中から逃げ出すこともかなわない。 こんなことをスレの大きなテーマにすえたいと思います。 簡単ではないので、横道にそれながら、じっくりやっていきましょう。
26 :
天使 :2010/11/10(水) 17:21:03 ID:J50Y1W98
皆さんの知識の次元が少し低いのはとても残念です。もっと修行、無智、悟りに没頭してください。 その先には必ず光があります。宜しくお願いいたします。
>>26 どの辺まで到達しましたか。どうやってそのレベルに到達しましたか。
白龍は天使と同じなので、ぜひ教えてください。
28 :
神も仏も名無しさん :2010/11/11(木) 00:20:21 ID:KZltnWxU
龍神様の役割は二つある。 ひとつは神を守護する役割である。 もうひとつは人間を守護する役割である。 龍神様の厳しさや恐ろしさは、神を守護するという役割から生じている。 穢れたものを近づけない。近づこうとするものをはねつける。 これが龍神信仰の難しさではないかと思う。
この世とあの世の構造は、現界→霊界→神界になるのではないか。 現界は現実、この世のことである。霊界は死後の世界、あの世のことである。 神界は神のいる場所である。神そのものと言ってもいい。 現界と霊界の間に、幽界なるものがあるという話もある。 イメージとしては、肉体から離れた霊で、 まだ三途の川を渡っていない状態(幽体)のようである。→幽霊のことか。
30 :
神も仏も名無しさん :2010/11/12(金) 01:13:33 ID:Q2BX05zf
龍の役割のひとつが、神界を守護することである。 神界は、霊界と次元がことなり、両者の間は区別されている。 人間は、現界で肉体、幽界で幽体、霊界で霊体を持つが、 いづれにしてもそのままでは神界に入れない。 龍神様は、そういった霊が神界に入り込まないように守護している。 知らずに、神界に近づき、紛れ込もうとする霊がいるなら、 その霊を神界から遠ざける。そして龍神様も神界には入れない。
31 :
神も仏も名無しさん :2010/11/12(金) 04:25:06 ID:DZ8gtNXs
創世記・黙示録に出てくるケルビム、セラフィムは龍神様を思わせる。 かれらは神様のすぐそばにいて、聖三唱で神様に仕えている。 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、 全能者である神、主、 かっておられ、今おられ、やがて来られる方
32 :
神も仏も名無しさん :2010/11/13(土) 00:56:30 ID:cl3xDd83
ギリシャ神話では、ポセイドンの恋人、メドゥーサの切り取られた首から、 血が海に流れ落ち、天馬ペガサスが誕生する。 ポセイドンは海の神、メドゥーサは見たものを石に変えてしまう魔力がある。 その頭には無数の蛇がいる、血、海など。 天馬ペガサスは龍神様ではないかと思わせるような状況証拠である。 個人的には龍神様だろうと思う。
龍神様、いつもありがとうございます。 1さん乙です。
龍の形については諸説あるようである。 天馬ペガサス、黙示録のセラフィムには、鳥のような翼があり、 黙示録の赤いドラゴン、黒いサタンの類にはコウモリのような翼がある。 これに対してアジアの龍は基本的に翼を持たない。 ・・・アイヌでは翼のはえた大蛇「ラプシヌブルクル」が伝えられる。
35 :
神も仏も名無しさん :2010/11/14(日) 01:22:05 ID:20jbYeW/
翼のない龍であっても二種類ある。 蛇や大蛇を思わせるもの インドのナーガ、日本のオロチ、ミズチ、アヤカシ、ノズチ、ミズチなど 中国の王府が唱えた九似説 ・・・ 頭はラクダ、角は鹿、目は鬼、耳は牛、 腹は蜃、ウロコは魚、爪はタカ、手の平はトラ 蛇のような長い胴体に、四本の足を持ち、頭に角がある。 日本でのイメージは、神社や寺院にある彫像や絵画だろうと思う。 九似説などを参考に画家や石工などが想像したもである。
その他、中国の龍 応龍 ・・・ 三本指の四本足、コウモリのような翼 中国神話の帝王に直属していた。 黒龍 ・・・ 前足二本のみ、長さ3m以上、尾を引きずって歩く。
蛇以外にも、龍に擬せられる生き物もいる。 ワニ、竜宮の使い、竜の落とし子など。 アナコンダは蛇だが、大昔にはこれ以上の大蛇がいたかもしれない。
38 :
神も仏も名無しさん :2010/11/15(月) 00:43:21 ID:+Kc4kFBy
モコは前に「芸能界の厳しさ教えます!アブナイ有名人 大集合スペシャル!」 というテレビを見てました☆ 北斗晶が ドッキリのワナにハメられた! * 生意気なアイドル ナナちゃんが 司会進行をするウソの番組に 北斗晶が出ることになった☆ しかし そのナナちゃんは 遅れてきて あやまりもしなければ 本番中にトイレに行ったり トイレから出てきた後にタバコをすったりして 無礼の限りを尽くしたのです。 本番が終わると…北斗晶が そのナナちゃんに説教した* 「座れ!!! 今のうちに直しといたほうがいいから 言っておく!!!」 と…チヤホヤされて浮かれているアイドル ナナちゃんに 北斗晶が ビシッ!と芸能界の厳しさやルールを教え込んだのだ* これには こっちまで 背筋がピン!とする思いになりました。 このリアルな北斗晶の説教に テレビを見ているモコまでが ビックリしたのです☆ 見てるモコまでが 芸能界の厳しさを イヤというほど思い知らされました☆ そして これによって 北斗晶という人間の大きさと強さとが 浮き彫りにされたのです* あらためて 北斗晶はスゴイ!と感じました。 プロレスという厳しい世界を生き抜いてきた北斗晶だからこそ 芸能界の厳しさも知っているのです☆ 北斗晶には 何度も 何度も 修羅場を くぐり抜けて来た者にしか出せない 「凄み」がありました*
洋の東西を問わず、人々は龍神様に対して様々な想像をしており、 どれが本当の姿なのか迷うばかりである。そこで基準を設けて絞り込む。 ★ 龍神様は霊界の存在である。→ この地上の生き物ではない。
この基準によってオオナタを振るえば @ 竜神様は、蛇や大蛇などの、地上の生き物とは無関係である。 A 霊であれば、翼がなくても大空を泳げるのであり、翼は不要である。 B 同様に手足もいらない。長い胴体があれば十分である。
42 :
神も仏も名無しさん :2010/11/16(火) 00:58:51 ID:Aeg6VPdw
角があるのが雄だと言うが、雌雄の別については微妙である。 小桜姫物語では、雌雄があり、結婚し子供を作るとある。 しかし他方で、霊界の男女は結婚することはないとも書いている。 同じ霊界の話なのに一貫性がない。 マタイ福音書22.29以下では、イエスが次のように話している。 あなたがたは考えちがいをしている。聖書も神の力も知らないからだ。 復活のとき、人はめとることも、とつぐこともなく、 天の使いと同じようである。 (結論)竜神様は天使なのであり、雌雄の区別はないと思っている。
43 :
神も仏も名無しさん :2010/11/16(火) 02:39:38 ID:IiYLX82T
角のないのが多い気がする 性別はあります 蛇が龍になるかどうかですが龍の赤ちゃんや子供がいるんで蛇とは別のような スタイルは短いのも細長いのもいます 顔は龍で体が魚で逆立ち状態でいるのもいます 頭髪はオールバックばかりではありません 色も色々ですがプラズマ状態の姿もあり だからイカズチってのでしょうかね ヌーボー ゆるキャラ的なノホホン系もおり毎日なにしてるんでしょうかね 猛々しい龍ばかりではありません ひ弱と見受けられるのもいます 眼球が赤一色の状態の龍はなんか恐いです 龍はそうか知りませんが蛇は白色でもケースバイケースで金色に変色するのではないでしょうかね
基本的には、それぞれのイメージでいいのだろうと思います。 理由があればなおさらいい。実際に見たことがあれば言うことなし。 雌雄があるかどうかは、霊界で子孫を残す必要があるのかどうか、 ということに行き着きませんか。今のところ、霊界で生き通しの龍神様に、 子孫は不要ではないかと思っています。 以前、うっすら黄色い蛇が、縁起がいいと話題になったことがありました。 黄金色の蛇もどこかにいるかもしれませんね。
45 :
神も仏も名無しさん :2010/11/16(火) 23:13:50 ID:N46eG/J+
大中小と三回見てますが、白い竜神様から受けた印象はひどく無機質であり、 感情というものがまったくなく、何も伺うことができませんでした。 しかし顔は見てません。メドゥーサに睨まれると石になるそうですが、 たぶんそうなのであり、顔を見ないほうがいいのだと思います。 自分の敵、相手が見ればいいのです。
46 :
神も仏も名無しさん :2010/11/16(火) 23:41:06 ID:IiYLX82T
>>44 >>45 オスメスある
ウ―パールーパーみたいな色の蛇はいる
大きさは自在かも 飛んでる時はでかくとも至近距離に来たら小さくなるとか
ただしデカいままで傍に来るケースは戒めや警告モードかも
龍は目でものをいうタイプ
ウーパールーパーの意味は「愛の使者」だそうですね。 名前もいいし、ゆるキャラというか、ほのぼのしていて可愛らしい。 成長すると体長20センチですか。けっこう大きい。 ウーパールーパーならともかく、龍の顔を見たいなどとはまったく思わない。 まともに見たら恐怖で、石のように固まってしまいそうな気がする。 メドゥーサの頭は、アテーナーの盾につけられたらしい。
確かに、不安や恐怖は、戒めや警告を意味しているのでしょう。 目でものを言う → 見たくないなあ。 龍神様について、さらに書き込んでください。
49 :
神も仏も名無しさん :2010/11/17(水) 23:59:04 ID:+0GvZzWr
世界の龍をざっと眺めたけど、 天使と悪魔のような、二面性のようなものがありそうですね。 龍神様は常に変わらない。しかし、迷い、暗闇を歩いている人間にしたら、 ある時は天使、ある時は悪魔、のように感じるのかもしれない。 自分を中心に観測する天動説のようなものか。
50 :
神も仏も名無しさん :2010/11/18(木) 01:04:51 ID:j/Dho7lU
山椒魚のようなドボンとした体型で眼の小さい黒蛇さんとか実にゆるキャラも でも神仏の遣いなど、あどけないけど侮れない 目を見たら石になるとかぜんぜんピンとこないし 目だけで人を殺そうと思えば殺せるのは龍神様に限ったことじゃないかと 好感もってコンタクトしてくるのであって恐いとか思わないし でも稲妻だけはマジビビるからやめていただきたい
山椒魚は滝つぼの主のようで龍を思わせますね。 生きた化石と言われり、3000万年前からいるらしい。 鯉の滝登り、昇りきると龍になるとか。あんたは昇龍かと突っ込む。 これが5月5日の鯉のぼり。
52 :
神も仏も名無しさん :2010/11/18(木) 23:55:10 ID:6JPqsVqB
目だけで人を殺す? 悩殺ですか。 確かに、女性神の目は、龍神様の目に匹敵するかもしれない。 そういえばウサギの目は赤い。でも赤い目だから恐いわけでもない。 雷もそう。雷のときはいつもワクワクしている。 何が恐いかなあ? 甘いもの、特に饅頭が恐いかもしれない。
>51 ○ 生きた化石と言われ 山椒魚の最大は、体長150センチ、体重30キロという。 視力は弱いらしいが、けっこう恐ろしいですね。
54 :
神も仏も名無しさん :2010/11/19(金) 01:46:20 ID:bVTqbyud
ツチノコ型もいるよ〜
蛇型よりツチノコ型のほうが恐そうですね。蛇だけでも恐いのに、 それが何かを飲み込んでいるという二重の恐さがある。
イスラームの教祖ムハンマドも不思議なものを見ている。 岩波文庫『コーラン』(下) 八十一 巻きつける これ、お前がたの仲間は決してもの憑きなどではない。 たしかに、ありありと地平の彼方にお姿を彼は拝した。 彼は不思議を隠しだてする男ではない。 語っているのはアッラーだろうか 彼とかお前がたの仲間といわれているのはムハンマド お姿とはヒラー山で見たガブリエルの巨姿 ← 龍神様を思わせる これはヒラー山で瞑想しているムハンマドに訪れた最初の召命である。
57 :
神も仏も名無しさん :2010/11/20(土) 00:28:51 ID:RHgn7dN0
何か呑み込んでるというより そういう体質と見受けられる 頭の大きさにしては短かすぎるから ツチノコもシャチと同じく静止してる時は宙に逆立ち状態が別に普通の姿勢 恐いのは恐い 飛び掛かってくるかと思うほどの睨みつけ 実際 地をはってるわけでないから目撃談に飛ぶとあるのは正解
逆立ちして睨みつけるのですか。 恐いというより、「偉そうに」とか、バカにしてしまいそう(^^) 飛びかかられる前に、横一文字に試し切りをしてみたい。
ムハンマド(571−632)もヨブのように辛酸をなめている。 生まれた時には父がなく、母は6歳ごろに亡くなり、 祖父に引き取られるが、これまた三、四年で死に、次に叔父に引き取られる。 赤貧の育ちであり、そのため生涯、読み書きができなかった。 25歳の時、働いていた交易商社の女社長、45歳の未亡人ハディージャに 見込まれて結婚する。40歳ごろ、ヒラー山で瞑想、最初の召命体験をする。 周辺に宗教活動を始めるが、ハディージャが死に、 周囲との対立も深まり、622年メディナへと遷行する。回教暦元年。 その後、10年ほどでアラビア半島を統一する。61歳没。
召命、最初の言葉 『コーラン』(下) 第九十六章 凝血 誦め、「創造主なる主の御名において。 いとも小さい凝血から人間をば創りなし給う。」
61 :
神も仏も名無しさん :2010/11/20(土) 22:07:31 ID:wY4vkaPG
召命から10年目、妻ハディージャの亡くなった後に神秘体験をする。 世にいう「夜の旅」と「昇天」の奇蹟である。 伝承によれば、ある夜、ムハンマドのもとに天使が現れ、彼の頸を裂き、 心臓を取り出して洗った。再び心臓が体内に戻されたとき、彼の魂は 知恵で満たされたという。ムハンマドは天使ジブリール(=ガブリエル)に 連れられ、天馬ブーラークに乗ってエルサレムに向かう。 そこで行われたのは天界への巡礼であった。 天馬ブーラークはギリシャ神話の天馬ペガサスを思わせる。 そういえば黙示録でも「白い馬」が登場する。
61の続き 天使に連れられたムハンマドは、第一天でアダム、第二天でイエス ヨハネ、第三天でヨセフ、第四天でエノク、第五天でアロン、 第六天でモーセ、第七天でアブラハムに相見える。 ・・・(かれらと親しく挨拶をかわしながら) そして、さらに遠いはてに連れ去られ、天国の至福の象徴である 「シドラの木」のある場所で、主より日に50回の礼拝の義務を 言い渡される。・・・(その帰途、モーセの忠告を受け) 再び主の前に戻ると、主は礼拝の回数を5回に軽減することを 申し渡したのであった。 以上、興味深い内容に思えたのでエソテリカから引用。
伝承「夜の旅」の経過は正しそうに思われる。 精神的な死 → 汚れが消える → 知恵で満たされる → 天馬に乗る 天使ジブリールと天馬ブーラークは同一存在ではなかろうか。 その理由は、「昇天」では天馬だけであり、天使が消えてしまうから。
>63 その理由は、「昇天」では天馬だけであり、天使がきえてしまうから 天馬と天使が逆でしたね orz それにしても両者が同一のようにしか思えない。
伝承「昇天」は霊界の話のようである。 @ 第一天から第七天は霊界における層の違いではないか。 A ここでの順序はムハンマドによる格付けである。かれにとっては、 アブラハム→モーセ→アロン→エノク→ヨセフ→イエス・ヨハネ→アダム B 「シドラの木」はエデンの園にある「命の木」なのだろう。 C 霊界のはてに天国がある → 霊界には天国と地獄がある。 その意味では、霊界のはてに天国がある、ということになる。 D 神は神界にいる。天国にいるわけではない。 ムハンマドは神に出会っていないと思う。神の描写を欠いている。 神に出会ったとしたら「夜の旅」の方ではないだろうか。 E 日に50回の礼拝・・・神はそれほどに尊いという意味に読める。
ムハンマドの生い立ちを知れば、かれが孤児と寡婦にやさしい理由がわかる。 かれにとって未亡人ハディージャは母親のようだったのだろう。 <ムハンマドの何が優れていたのか> 読み書きができなかったから、周囲の話をできるだけたくさん聞き、 それらをひたすら記憶する以外になかった。 → 周囲の話を聞くという態度、聞いたことを記憶するという能力
<ムハンマドの何が優れていたのか> @ 交易商人だったのでアラビア半島の情勢に詳しかった。 A どこにどんな町があり、どんな人が住んでいるかなどを知っていた。 B ユダヤを知り、キリスト教にも詳しかった。 C 砂漠を渡って交易していたから盗賊とも戦っている。 D 辛酸をなめているので、過酷な状況にも耐えることができた。 E 思いつき、アイデアが意表をつき、奇抜である。
68 :
神も仏も名無しさん :2010/11/22(月) 00:07:48 ID:am77HD5p
ムハンマドはもういいから
同じく 言わせて貰うなら、ムハンマドはユダヤ教、キリスト教が荒廃したから 全知全能の神が最後に使わした預言者だが、そもそも神が全知全能なら なぜユダヤ教、キリスト教が荒廃したのか。 行き過ぎたムハンマドはこの辺で終わりにしてもらいたい。
>>68-69 別にイスラームを宣伝しようという意図ではなく、
霊験なるものがどのように現れるかを追求している。
イスラームにはまだ触れてなかったし、
ムハンマドは、霊験を現し、記録が残っている人物のひとりである。
まだ時期尚早でしたね。
今回はこのぐらいにし、機会があれば、またいずれ触れたいと思う。
71 :
神も仏も名無しさん :2010/11/22(月) 11:09:58 ID:wAaFzBuI
>>69 全知全能という言い方は誤解を招きやすい。
神は霊である。しかし、形を持たない霊であり、地上の物質でもない。
確かに神は全知なのだろう。
しかし、霊界、この地上に対しては、霊を通して働きかける。
神の霊から人の霊へ → これが霊の働きであり、
神と人との間に龍神様がいる。
>>まだ時期尚早でしたね なにこの上から目線
73 :
神も仏も名無しさん :2010/11/22(月) 23:56:40 ID:aBzm0MoO
て言うかイスラムってとても人間目線じゃね? イスラム教典なんぞ知らないがそう感じる、 自然界オンリー 都会の上を通過でも俗界に無関心で飛んる龍達もいる、 時々、その類の人を探知して寄ってくるって程度だったり。
そりゃイスラムは生きて行く上でのルールブックみたいなもんだから 豚は食うなとか
75 :
神も仏も名無しさん :2010/11/25(木) 03:08:35 ID:f0EpF0PM
イスラムはやめよう
もう今年も終わりだな お礼参りに行かなくちゃ。
戦争大好き邪神信者に豚を食べさせるとエコポイント進呈
☆ラブ フォーエバー 大切なモコに届け* 限りなく続く 地獄の苦しみに一人 もがき苦しむ熟女モコ* ウンコがあれ なんでも食える!(*)((ο))(*)((ξ)) ウンコがあれ ご飯は 何杯でも食える!(*)((Φ)) モコが歩けばウンコを落とす!(*)((ξ))(*)((Θ)) 地獄の苦しみに一人もだえる熟女モコ!(*)((◎)) 吸血的荒らし一族が 壁穴からモコを覗く!(*)((σ)) 「だから、改名しろ!」って言ってたんだヨ* 「山本小鉄」じゃ 姓名判断で 悪い結果が出てるじゃないか!☆ だから あれほど「『山モコ小鉄』に改名しろ!」って言ってたんだヨ* ☆『宇宙戦艦ヤマト』も『宇宙戦艦ヤマモコ』にすれば 必ずヒットする!☆ 今からでも 遅くはない!* ポスターも すべて 刷り変えろ!☆ 今なら まだ 間に合う!* (*)((ξ)) モコが会員のころの最寄の勤務地は、足立区、葛飾区、江戸川区だった* モコはあまりにも遅刻、欠勤が多いので、 周囲が「会館のあるの地域に住むべきだ」と言った☆ するとモコのやつが何と言ったか… (*)((ξ)) 「そんな下町なんかに住めるか! モコは六本木を動かないぞ!」* と怒鳴りつけたというんだ(*)((υ)) 何様のつもりよ! (*)((ξ)) (*)((ο)) その下町の会員の激務のお陰で、出世できたんじゃないの!* そんな下劣、卑劣なやつだから「学歴詐称」なんか、平気でできるんだ☆ 悪党は必ず化けの皮が剥がれる (*)((ξ)) いくら悪事をひた隠しにしても、いつかは必ず表に出るものだ * "欺瞞は、いつまでも続かない。ウソが逆効果になるような時が必ずくる" ドイツの女性哲学者ハンナ アーレントが喝破した通りだ☆ ランス の詩人 演劇家 アントナン アルトーも みごとに喝破している!* アイルトン セナだって もののみごとに喝破しているじゃないかッ!☆
とりあえず龍神信仰は上位下達が他の神より厳しい。 だからムカつくこともありはする。そこらへんが稲荷以上。 だが「絶対守護力」を持っている。
人間が転生して龍神になる場合もあり、その龍神が拝む人につくことも。 あまり高貴な巳様は祀りきれなくなるから注意。 いまいる守護霊や守護神をも吹き飛ばす力があるんで。
龍神様は仕事が速いと思う。 朝お願いして昼には解決なんてことがある。
清瀧権現さまは龍神の中でどんなお立場?
>>80 龍の事も、みい様と呼ぶのが普通ですか。
どうも、蛇が進化したものという人と、別物という人がいて、
よく分からないのですが、気になります。
あの胴体が不気味で困ります。
84 :
神も仏も名無しさん :2010/12/13(月) 01:38:21 ID:QcnpDRNq
高天原に坐し坐して天と地に御働きを現し給う龍王は 大宇宙根元の御祖の御使いにして一切を産み一切を育て 万物を御支配あらせ給う王神なれば
85 :
神も仏も名無しさん :2010/12/13(月) 20:55:42 ID:mqOBLGQQ
大阪の堺の妙國寺に鎮座する宇賀徳正龍神と 千葉中山法華経寺に鎮座する宇賀徳正神は御名前を拝すると龍の1文字があるかないかの違いですが 尊像の御姿に違いはありますか? 普通、弁財天信仰で宇賀神と申しますと蛇の身体に頭部だけが人の老翁のような形ですが 堺の妙國寺に坐します宇賀徳正龍神はどうでしょうか? 龍というので蛇ではないのかなとか思ったりしますが・・・
86 :
神も仏も名無しさん :2010/12/14(火) 01:59:57 ID:3+rANW45
蛇が龍に変化するとも言うが稚龍は初めから龍と思われる。 ぼ〜んやり白くて細長〜いのが動いていてはっきりわからないのが多く龍か蛇か識別できないのに龍として語られたりが多分にあるのでは、
>>85 頭だけが人間であるというのは、ほとんどありえないのではないでしょうか。
かりに変身するなら、全身が人間になっていると思います。
習合とか想像とかが重なり、いまの宇賀神信仰になったのではないでしょうか。
ただ、こういったことは信仰なので、これが絶対という話ではありません。
個人的には、龍神様が人間と合体することは絶対にないと思います。
88 :
神も仏も名無しさん :2010/12/15(水) 00:11:34 ID:u3QdUTrA
>>87 ありえーる と思いますよ、
頭が三ツの神仏も腕が沢山の仏もいるんだし、
蛇神が霊的進化したのも龍神になるし、蛇神のままのもいる。 水の精霊として進化したのも龍神となるしいろいろなんじゃよ龍神は ただいえることはフザケンナヨヴォケ!!
龍に生まれ変わりたい
91 :
神も仏も名無しさん :2010/12/16(木) 01:12:09 ID:QwDhaERu
頭と胴体の関係を考えたらいい。 龍にしろ蛇にしろ、頭は前方が見えるようについている。 宇賀神のように人間の頭がついていたら、 前方でなく下を見ながら這い回り、飛行することになる。 人間は垂直が自然であり、龍や蛇は水平が自然である。 体の構造がまったく異なり、ふたつを合体させることは不可能がある。 龍神様は霊界で生き通し、人間はこの世からあの世へと旅をする。 ふざけたことを想像していると、龍神様の怒りに触れるだろう。
91 不可能がある → ○ 無理がある
93 :
神も仏も名無しさん :2010/12/16(木) 19:23:41 ID:ELfyV9yN
宇賀神を検索して、画像で調べたらいい。 アナコンダのような大蛇に巻きつかれ、頭から飲み込まれそうな 宇賀神の姿がたくさんある。どれもこれもキモイな。 こんなものは気持ち悪いだけだw
94 :
神も仏も名無しさん :2010/12/27(月) 00:13:07 ID:lBQ3r1Lv
一二三四五六七八九十の 十種の御寶を己がすがたと変じ給いて 自在自由に天界地界人界を治め給う
95 :
神も仏も名無しさん :2011/01/02(日) 00:16:59 ID:6G5XZdOh
縁のある人は龍神様の夢を見るがいい 後味がいいのがホンモノだよ
96 :
神も仏も名無しさん :2011/01/02(日) 02:04:09 ID:3NP+SN/S
今宵がチャンスだね 正月は初詣に行かなくても神仏が来られるので動かないようにしてる。 信号をキャッチする為にパソコンも殆どしないようにしてる。 年々、頭が悪くなる そのことを憂うことすら忘れ日々生きてしまっている。 パワースポとか歴女とか山ガールとか、これからは精神を養うことを求める時代。 山が富士なら酒は白雪。
阿含宗桐山教祖の逮捕歴 昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕 警視庁西新井署 十二月手形詐欺容疑で逮捕 千葉県松戸署 二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕 警視庁防犯課 二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決 五月入所 十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
98 :
神も仏も名無しさん :2011/01/06(木) 16:50:18 ID:oJ21z53i
どうせ朝鮮だろ、
100 :
神も仏も名無しさん :2011/01/08(土) 22:42:02 ID:TSdGEgpv
龍王神なるを尊み敬いて 真の六根一筋に御仕え申すことの由を受け引き給いて 愚かなる心の数々を戒め給いて
101 :
神も仏も名無しさん :2011/01/15(土) 03:39:47 ID:eyMbVB2d
>>99 こんばんわ、
龍って鱗なんだけど触ってバタついたら何故か白い羽毛が散るんだよ、
煙みたいにすぐに消えるけどね、
102 :
神も仏も名無しさん :2011/01/16(日) 00:58:59 ID:ObrgkzYn
>>101 こんばんわ、
白い羽毛? それは見たことがないですね。
ほんとうに龍を見たことがあるなら具体的な話が聞きたいです。
どうやって龍と出会いましたか。夢?
その龍は何に似て、どれぐらいの大きさでしたか。
103 :
神も仏も名無しさん :2011/01/17(月) 15:45:47 ID:8z2MEIxx
このスレは龍神様の神社です。願い事も受けつけています。
105 :
神も仏も名無しさん :2011/01/25(火) 00:05:22 ID:ylikdepn
日本民族を祝福する者が祝福され、呪う者が呪われますように
106 :
神も仏も名無しさん :2011/02/03(木) 22:11:04 ID:VQJli6+/
一切衆生の罪穢れの衣を脱ぎさらしめ給いて 萬物の病災をも立所に祓い清め給い 萬世界も御親のもとに治めしせめ給へと
107 :
神も仏も名無しさん :2011/02/07(月) 15:17:11 ID:h731Z4+e
↑そういうの面倒臭いわ、龍を感じろ
俺の股間の龍よ、覚醒せよ!
須弥山の下に龍がいるってマジ?
110 :
神も仏も名無しさん :2011/02/14(月) 00:25:46 ID:v8V+cUMj
111 :
神も仏も名無しさん :2011/02/22(火) 23:28:12.60 ID:riiPfsL3
あとひとつ、犯人が捕まりますように
112 :
神も仏も名無しさん :2011/02/28(月) 00:06:01.57 ID:AnxfJBzT
祈願奉ることの由をきこしめして 六根の内に念じ申す大願を成就なさしめ給えと 恐み恐み白す (以上、龍神祝詞より。)
113 :
神も仏も名無しさん :2011/03/06(日) 23:10:35.81 ID:qLew1iJ6
貧しい人たちに 今日も 食べ物がありますように
宮沢賢治は 共産党員だ!☆ 栗原あゆみはリンダとアジャに勧誘されて もう少しで学会員だ!* モコは聖女! 聖なる乙女の反乱だぁ〜!☆ プオタのモコが最近気づいたこと!* 『武富士プロレス』を 旗揚げすれば イイんだヨ!☆ 武富士の前社長の息子が持っている資産は 2000億円!* メガネスーパーが持っていた資産は 20億円!* 『武富士プロレス』を 旗揚げすれば、 今度こそ プロレス界! 統一だ!☆ それから、 『おばあちゃんプロレス』を 旗揚げすれば イイんだヨ!☆ 商品価値の無くなった 無価値で無意味な おばあちゃんに プロレスをやらせるんだヨ!* 大ケガをしたら、そのまま 姥捨て山に直行!!☆ それまで おばあちゃんに費やしていた国の医療費と年金が浮くぞ!* これで 財源ができる!☆ 子ども手当ても 続行だ!!* 「おばあちゃんプロレスラー」といえば メイ ヤングだ!☆ 美闘(びとう)陽子は 尾藤(びとう)イサオの 姪だ!☆ 姪は ヤングだ!* メイ ヤングだ!!☆ それでは ここで質問ですッ!☆ 聖女モコが好きな人ぉ〜!?* 次は… 悪女モコが好きな人ぉ〜!?☆ *モコの コーヒートーク☆ラウド* だるま式 ウンコ* なだれ式 光速土下座☆
115 :
神も仏も名無しさん :2011/03/12(土) 23:36:22.13 ID:QVXWWo3j
きっと龍神様が怒っているのだろう。 いまの日本には、竜神様を信じてる人はほとんどいないから。
116 :
神も仏も名無しさん :2011/03/13(日) 20:49:49.03 ID:jy96ijTa
龍神様信じてる、自分の守護神であってHNも龍神様を使う、龍神様の目が 開いたから「まさか・・・」と思ってたが 本当に全開したとは・・・・・
117 :
神も仏も名無しさん :2011/03/14(月) 19:37:28.93 ID:sSGU/D3R
祈りが神に届くこともある。 その逆に、神の思いがこの世に届くこともある。 神と人とは双方向の関係にある。 唯物論者はこの大災害を偶然だと思いたいだろうが、そうはいかない。 龍神様が動いている。龍神様は日本人に警告している。 いまの日本人は、神を恐れ、神を崇拝する気持ちが失われている。
オンシャレイソレイソンデイソワカ 南無大聖準提佛母尊よ 日の本で暴れている地龍を鎮め 大慈悲にて日本国民を守護して頂きますよう お願い申し上げます。
119 :
神も仏も名無しさん :2011/03/17(木) 17:05:57.46 ID:mW/yw/lR
大地が鎮まり、関東大震災が起りませんように
120 :
神も仏も名無しさん :2011/03/18(金) 19:16:42.78 ID:UgfGOSZL
関東大地震が起りませんように 福島原発がこれ以上深刻になりませんように
121 :
神も仏も名無しさん :2011/03/18(金) 23:28:26.54 ID:UgfGOSZL
まじやばそうだぞ、みんな祈れ 福島原発がこれ以上深刻になりませんように 関東大震災が起りませんように
122 :
神も仏も名無しさん :2011/03/19(土) 00:09:52.82 ID:huaU1bJB
123 :
神も仏も名無しさん :2011/03/20(日) 10:54:37.21 ID:Os0ID54Z
福島原発がこれ以上深刻になりませんように 関東大震災が起りませんように 考えると、大地震が昼間起ったことは不幸中の幸いだった。 寝ている時間帯であれば、死傷者・行方不明者がもっと出たことだろう。 昼間だから、多くの子供たちが学校で助かってもいる。
124 :
神も仏も名無しさん :2011/03/20(日) 18:18:17.97 ID:UmbQN+/3
マタイ伝24.15−16 預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、 聖なる場所に立つのを見たら、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。 憎むべき破壊者とは、管や仙石や岡田のいる民死党である。
125 :
神も仏も名無しさん :2011/03/20(日) 22:04:51.80 ID:m7xl3xJk
龍に打ち勝ちしものを龍神と呼ぶ・・・
>>122 で紹介したサイトは内容が変更されているので、
興味があれば、動画の「広瀬隆」で検索してください。
127 :
神も仏も名無しさん :2011/03/20(日) 23:14:11.20 ID:EP91xwa6
>>125 そういった人間もいるのだろう。
たとえば、釈迦、イエス、ムハンマド、空海などか。
今日は満月だ。満月と言えば西行の歌。
願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ
グーグルの動画で「広瀬隆」を検索すると、グーグルの8番目にある 「福島原発事故メディア報道のあり方」1、2、3 で見ることができる。 URLをコピーすると音声がこだまのようにダブって聞こえ、 見ることができないようになっているようだ。
129 :
神も仏も名無しさん :2011/03/21(月) 10:42:02.51 ID:MjumtE+d
福島原発がこれ以上深刻になりませんように 関東大震災が起りませんように
130 :
神も仏も名無しさん :2011/03/24(木) 18:11:31.21 ID:NhHhwiZc
関東大震災がこれ以上深刻になりませんように 関東大震災が起りませんように 原発が安全だとマスゴミで繰り返していた東電は謝れ くそったれの東電はひたすら謝れ 関東大震災が起らないのはほんとうに奇跡だ! いつ起っても不思議ではない
130 の冒頭、関東大震災がこれ以上深刻 → ○ 福島原発が・・・ 体調が悪くてミスが増えてきた orz
132 :
神も仏も名無しさん :2011/03/24(木) 20:28:09.67 ID:NhHhwiZc
最近のテレビは気持ち悪いね。吐き気を催すようなCMを繰り返している。 そのなかでも、節電とかを訴えているのは東電がスポンサーなのか。 しかし東電は、最近まで原発安全をマスゴミで繰り返していたのでは? 原発事故の犯人は、ほっかぶりしているお前だろう。 東電に言いたい。放射能汚染を全部弁償しろ。
133 :
神も仏も名無しさん :2011/03/24(木) 23:56:18.99 ID:sIFMQlwh
>>132 馬鹿芸能人が出てる番組が少なくていいね
134 :
神も仏も名無しさん :2011/03/25(金) 23:52:05.10 ID:HErLWWCP
これを機に、政治もテレビも浄化されることを望む。 のどもと過ぎれば熱さ忘れ、元の木阿弥。 こういった思考力の欠如、想像力の欠如は、金輪際やめてほしい。 毎年3万人以上が自殺している → 毎年大災害が起きているようなもの。 今回の大災害で、日本の現実を真剣に受け止めよう。
135 :
神も仏も名無しさん :2011/03/26(土) 22:54:26.63 ID:33X5JbaR
まだ日常生活に戻るのは早すぎる。喪に服そう。 悲しいときは悲しい風景が心を慰める。
龍神さまの話しようよ
137 :
神も仏も名無しさん :2011/03/30(水) 18:19:50.43 ID:IfOsLRsn
関東大震災が起こりませんように
138 :
神も仏も名無しさん :2011/04/01(金) 19:42:59.40 ID:iB4V4nXW
自分の祈ったことが必ず実現するとは思えない。 しかし、幸運が幸運の連続であったことは、何となく理解できる。 運がある、ツキがあるとは、祈りの具体的な実現ではなく、 神の裁量のようなものではないだろうか。自分の思いや願いではない。 人間は受身であり、神に愛されるかどうかである。 神がいるのかどうか、これが問題だ。
139 :
神も仏も名無しさん :2011/04/01(金) 19:45:14.64 ID:F4nZR63u
すべてが丸く治まりますように。。。 人間もそうでないモノも、皆しあわせになりますように。。。 すべてが互いに、敬われる世界になりますように。。。 命が大事にされますように。。。 人が大事にされますように。。。 動物が大事にされますように。。。 植物が大事にされますように。。。 龍神が大事にされますように。。。 物が大事にされますように。。。 モノが大事にされますように。。。 地球が大事にされますように。。。 すべてが和しますように。。。
どう祈ったらいいのか。どう祈ったら祈りが神に届くのか。 人間は神を知ることで、あるいは神の力を求めて祈る。 神を知らなければ祈らないし、神の力を必要としなければ祈らない。 祈りにはふたつある。利己的で神に受け入れられないケースと、 神に受け入れられるようなケースである。神に受け入れるかどうかは、 神が決めるのであり、人間が決めるのではない。 もちろん神に祈るのだが、人間はその神を知っているのだろうか。 木や石の像、聖人の遺物、宗教画に祈っても効果はない。 それらは物質であり、神ではないからである。
141 :
神も仏も名無しさん :2011/04/04(月) 00:20:59.98 ID:Ly5iCXHh
では、どうしたら神を知ることができるのか。 神は物質ではないから、肉眼で見ることはできない。 心の目で見つける以外にない。そんなことが果たして可能だろうか。 ほとんど不可能だが、まったく不可能ではない。 運よく神に出会えたら、その神に向かって祈ることになる。 祈りは、神を知った時の、心の奥底に残る余韻、【神の波長】を静かに探し、 その波長を頼りに近づきつつ、そこに向けて祈る。 祈りは微妙なものであり、独りで自分の部屋で行う。 自分の部屋であっても、鎮守の森のような、清くて静かな雰囲気がほしい。
祈りが実現する時は、人間関係・社会現象・自然現象など何であれ、 想像もしてなかったような意外な方法で実現する。 余りにも意外だから、神の力が働いたことに何となく気づく。 神の影がスーと動いて行ったような印象を受ける。
143 :
神も仏も名無しさん :2011/04/04(月) 23:05:54.48 ID:KvjYhRDK
言うほど祈ることってないよね、もう神様おまかせコースです、
主の祈りはよくできていると思う。マタイ6章より。 天におられるわたしたちの父よ。御名が崇められますように。 御国がきますように。御心が行われますように。天におけるように地の上にも。 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。 わたしたちの負い目を赦してください。 わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。 わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。
145 :
神も仏も名無しさん :2011/04/06(水) 18:55:01.90 ID:SBN4m6bx
神への祈りは主の祈りで十分だろうと思う。 でも生きていると嫌なことが山ほどある。 カミソリのような嫌がらせに、心は無残に傷つき、血を流し始める。 心が血を流し、心が血にまみれる。心臓は赤く血に染まる。 真っ赤に染まった時に、神の力が通り過ぎていく。 だから、自分のことは祈らなくてもよい。
その経緯は、出エジプト記12章の「過越し」に似ているかも
過越しは、秘術、呪い返しとでも言うべきものか。 世の中には、最初から悪意をもって近づいてくる人間が必ずいる。 個人的な関係ならともかく、組織にいたら簡単に離れるわけにもいかない。 相手の嫌がらせを甘受せざるを得ないケースもある。 自分の行為が理不尽なら自分が呪われるだろう。 しかし、相手の行為が理不尽で、それを拒めないケースも多々ある。 そのため、心が傷つき、血を流し始めることがある。 霊魂は球体であるが、この霊魂の外側に心臓の血が降り注いでいく。 そういったイメージを無理矢理想像するのではなく、 それが自然に浮かんでくるのである。その後に、神が通り過ぎていく。
148 :
神も仏も名無しさん :2011/04/09(土) 00:32:18.38 ID:uBMyxIgR
相手の悪意、理不尽さに腹を立てて怒ったら、神の力は働かない。 単なる人間同士のやりとりになってしまう。 そうではなくて相手の悪意を飲み込むのである。 ぐにゅ、という感じで飲み込む。自分が潰れるときの感触かもしれない。 慣れてくると潰れやすくなる。 喜んで受け入れるのではない。神に委ねるということでもない。 このままでは死ぬという成り行きであり、それだけだ。 しかし、霊魂の死はありえないから、神が動き出し、通り過ぎていく。
149 :
神も仏も名無しさん :2011/04/09(土) 17:24:43.32 ID:fMUUUeUg
>>142 の神の影、
>>145 の神の力、
>>147-148 の神は、
その後、神ではなく、神の使いである龍神様のような気がしてならない。
神様ではなく、龍神様の仕事ではないだろうか。
出エジプト記ではモーセとアロンの杖、これが奇蹟を起こす道具なのだが、
この杖が「蛇」に姿を変え、龍神様を思わせるのだ。
モーセと龍神様の関係を何となく感じている。
神がこの世を支配しているなら、神に何を祈ったらいいのだろうか。 神の思い通りなら、人間の祈りにはいったいどんな意味があるのだろうか。 祈っても祈らなくても無関係に時間が流れて行く。 聖書の冒頭、天地を創造した神は、 この世界のすべてを御覧になって「極めて良い」と感じている。 創造が完璧なら、人間の祈りなど不要ではないのだろうか。
祈らないよりはいいが、祈りとはむしろ、 神に対する信頼を見失っているから生まれるのではないだろうか。 神との断絶を背景にした行為のように思える。 神の気持ちがわからないから、自分に対する好意を神に願う。それが祈り。 しかし、神を本当に信頼しているなら、運命を神に委ね、 神に何も願わないのではないだろうか。
152 :
つきピエンテオス :2011/04/12(火) 21:31:45.42 ID:F0ffqXfb
祈りもひとつのヨガである
旧約にあるヨブ記。ヨブは自分の運命を呪い、絶望し、 神の創造に深刻な疑問を投げかける。 しかしどうだろう。神に出会った瞬間に神を受け入れてしまう。 すべてを了解し、不幸のどん底にいたのに、 神を責めるのではなく、逆に自分の至らなさを反省している。 あなたのことを、耳にしてはおりました。 しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。 それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し 自分を退け、悔い改めます。(ヨブ記42章)
>>152 神に向き合う時間は必要だと思う。
毎日、心がけを自分に言い聞かせれば必ず効果がある。
願い事であっても、思いがけないアイデアが浮かぶこともある。
祈りを否定しているのではなく、真の祈りを探している。
心を鎮め、神に近づこうとする行為が祈りなのだろう。
ヨブは不幸のどん底で神を受け入れる。つまり不幸を受け入れる。 それどころか、神に文句を言っていたことを反省している。 家族を失った悲しみ、全財産を失った悲しみ、健康を失った悲しみ、 天罰だと非難する友人への怒り、その現実は何ひとつ解決されていないだが、 精神的には完全に癒されている。 ヨブはすでに癒されている。だから、何も願わないし何も祈らない。 すべて良し。これがその時のヨブの心境ではなかったろうか。 すべて良しなら、何も祈ることはない。 ヨブの心は、「極めて良い」という神の思いと同じであり、 神の思いで満たされている。
貧病争は宗教業界の有り難い田畑になっている。 祈っても効果がなければ、「信仰が不足しているからだ」と叱ればいい。 マルクスはこの悪循環を「宗教はアヘンである」と言っている。 ヨブも最初は貧病争に振り回されたが、 最終的にはこの貧病争から離れる。現実の貧病争はそのままに、 すべて良し、という心境に到達するのだ。
その呼吸は「過越し」とも共通するが、空也上人の歌とも共通すると思う。 山川の末に流るる橡殻も 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ つぎは地震被害にあった知人への良寛の手紙から。 災難に遭う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。 これはこれ災難をのがるる妙法にて候。
158 :
神も仏も名無しさん :2011/04/13(水) 23:37:20.43 ID:VIwew+eU
人間の本質は霊魂である。その霊魂が物質をまとって地上に現れる。 神 → 霊魂 → 霊魂+物質 → 人間として誕生する。 貧病争はどこからやって来るのか。霊魂+物質の、物質からやって来る。 しかし、この物質、このドロを自分だと思うわけにはいかない。 ここから湧き上がってくる思いを祈るわけにはいかない。 自分の貧病争は祈れない。自分を祈っても効果はない。 しかし「神様、助けてください」という気持ちもよくわかる。 心が破裂するほど、息ができなくなるほど、どうしようもなく苦しい。 それでも、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
ヨブは何を体験したのか。順を追って推測してみよう。 1 それまで幸福であったヨブは、自分の幸福に浸りきっていた。 2 しかし突然、恐ろしい不幸に出会う。ヨブは自分の不幸を嘆き悲しむ。 3 長い苦悶の末に、ヨブは【自力で】自分の誤りに気づく。 幸福であれば喜び、不幸であれば悲しむ。 そう思うのが当然だと思い、そう思いながら毎日を生きている。 しかしそれでは、徹頭徹尾、自分中心なだけだろう。 4 神とは無関係に、自分が自分中心であったことを深く【悔いる】 5 その瞬間、想定外のことが起きた。神の登場である。 6 これが聖霊体験だ。聖霊とは神の雫である。 7 ヨブの心は聖霊に癒される。この世は美しい。すべて良し。
ヨブは神と出会う。神との出会いは、ヨブの苦しみを一瞬で癒してしまう。 その時、ヨブには、この神なら、絶対に、決して悪いことにならないという、 岩のような信頼が生まれている。 どれほど苦しもうが、神はその苦しみを十分に購ってくれる。 貧病争という現実はそのままである。しかし貧病争にこだわらなくていい。 最終章結びで、神はヨブの貧病争を取り除く。 生きていれば、貧しくなることも、病気になることもある。 それが生きていることだ。その状態で死んでしまう場合もあるだろう。 しかし神は、必ず、生死を越える長い時間でバランスを取る。
161 :
神も仏も名無しさん :2011/04/14(木) 22:48:53.09 ID:0tAh1z7d
最終章結びで、ヨブは神によって再び以前の幸福を取り戻した。 ヨブが望んだのではない。神がヨブに与えたものである。 空也上人「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」 → 幸福を意識する臭みあり 良寛「災難をのがるる妙法にて候」 → やはり幸福を意識している ヨブの場合は少し違う。ヨブは自分から離れ、自力で我が身を捨てる。 そうすることで神に愛される。ヨブが得たものは真の幸運だ。 幸運にもふたつある。神が備える幸運と悪魔が備える誘惑。
キリスト教では、ヨブが洞察した自分中心の生き方を原罪と言う。 自分中心? 簡単なようだが、これがなかなかわからない。 他人なら見ることができる。他人が身勝手な存在であることを知っている。 しかし自分のことになれば、自分の何が身勝手なのかよくわからない。 自分で自分の姿を見れないからである。
生き物は本能で生きている。 1 人間は食欲と性欲という本能で生きている。 2 人間は食べ物と結婚相手を探し求める。しかしそれらは、 3 実際に不足しているか、欲望にきりがないため常に不足している。 4 その結果、人間同士の争いは絶えることがない。 5 ところで、食欲と性欲は自分のためにあるわけだから、 生きることは自分中心に生きることである。 本能は否定できないから、人間は本質的に自分中心である。
本能で生きている、自分中心に生きているという意味では、 人間も他の生き物も何ら変わりがない。 ブタと同じ? 他人の身勝手さは確かにブタをほうふつとさせるが、 まさか自分がブタだなんて夢にも思ってないから、 自分のことになると何がなんだか分からなくなるのかもしれない。 かりに気づいたとしても出口なしだ! 本能は否定できない。
出口を見つけるのは、ほとんど不可能だが、まったく不可能ではない。 自分の中に自分の欠点を探し、それを抉り出すのはきわめて難しい。 それより、他人の中に、人間の欠点を探した方がやさしい。 たとえば菅や仙石などを参考にしよう。 かれらはどんな人間なのか。聖人か、俗人か、自分中心の本能ブタか。 かりに自分中心の本能ブタが見えたとしよう。 かれらがブタなら、自分はそれ以上の本能ブタであると思っていい。 青ざめ、身震いして、自分自身を捨てなければならない。 出口は、生きながらに死ぬこと、精神的に死ぬことにある。
ヨブのように神に出会えるかどうかは、 自分にどれだけ気持ち悪さを感じられるか、これが分かれ目である。 気持ち悪いほど、思いっきり自分を捨てられるのだ。 自分中心だと理解するだけでは足りない。 それを映像として生々しく体験することが欠かせない。
ヨブ記冒頭にはさらに興味深い話が出てくる。 神のもとに、神の使いが集まり、その中にサタンがいるのである。 サタンも神の使いとして仕事をしているのだから、 その意味ではサタンも天使である。 しかし、神に近づく汚れた人間がいるなら、天使たちは二つの方法で阻む。 試練 ・・・ 汚れを浄化するために試練を与える。 誘惑 ・・・ 汚れを退けるために、逆に悪へと誘惑する。 試練も誘惑も、人間からはサタンの仕事にしか思えない。 自分の汚れに気がついていないからである。 サタンとは、自分勝手な人間の思いが作り上げる幻影かもしれない。 そこにいるのは、サタンではなく、天使ではないだろうか。
168 :
神も仏も名無しさん :2011/04/16(土) 00:03:34.07 ID:Z2+qM4aQ
不思議なのは、冒頭で現れたサタンがその後いなくなってしまう。 その代わりにレビヤタンが登場する。40〜41章(下記はその部分) これが龍神様を思わせるのだ。 彼は深い淵を煮えたぎる鍋のように沸き上がらせ 海をるつぼにする。 彼の進んだ跡には光が輝き 深遠は白髪をなびかせる。 この地上に、彼を支配する者はいない。 彼はおののきを知らぬものとして造られている。 驕り高ぶるものをすべて見下し 誇り高い獣すべての上に君臨している。
自分中心に生きる限り、人間はケモノを超えられない。 食欲と性欲だけの本能ブタか、 それを食おうと狙っているオオカミぐらいか。
神が造った龍神様がこれほどすごいなら、神はどれほどすごいのか。 想像もできないような存在ではないか。 その神がいる! 神の名は「わたしはある」である。 神がいるのかいないのか。神自身が「わたしはある」と言っている。
何だか誰かの激しい自己解釈と、話題がそれた感が否めない。 説明すればするほど、自己解釈の激しい泥沼に入りそうだ。
だれにせよ、自分が思っていることを言うだけである。
正しいこともあれば、間違っていることもある。
それが正しいかどうかは、それを体験する以外にないと思う。
たとえば龍神様を語るなら、神や天使やサタンや霊魂や人間などとの
関係で語らざるをえない。言葉とはそういったものだ。
蛇に似ているとか、こうしたら体験できるとか、すべて間接的である。
>>170 への追記。「わたしはある」は出エジプト記3章にある。
神がいるとすれば、その神は全宇宙を支配している。 ユダヤ教の神も、キリスト教の神も、イスラム教の神も、神道の神も同じ。 どの宗教もその核心においては同じ神を拝んでいる。 龍神様も同様である。神道で独占するわけにはいかない。 龍神様がいるなら、ユダヤ教にも、キリスト教にも、イスラム教にも、 まったく同じ龍神様がそこにいなければならない。
神とは何か。神とは命である。 神が命であるなら、神はあらゆる生き物の神でもある。 神の命は生き物に宿る。植物にも宿る。これが生き物の霊魂になる。 森は生き物の霊魂であふれている。 だから森は、神の霊に満たされた神聖な空間なのである。 他方、コンクリートで固められた都会は汚れている。
神が命だとすれば、いまの時代は命を余りにも粗末に扱っている。 人は命への敬意を忘れている。神を冒涜している。 毎年3万人以上の自殺者がいるのに、政治も社会も知らん振りをしている。 大震災で3万人の死者が出たのは悲しい話である。 しかし、3万人以上の自殺者はどうでもよく、大震災なら大騒ぎするのか。 政府やマスコミの、そういった騒ぎ方には汚れた偽善を感じてしまう。
命を粗末にするようになったのはバブルの頃か。 露骨に、命を金儲けの手段にしたのは、小泉・竹中の時代だろうか。 いまや社会全体が命への敬意を失っている。 マスコミは消費を煽り、消費者は平気で生き物を食い散らかしている。 生産者は生産者で、命を金儲けの手段としか考えていない。 日本人は神を冒涜しすぎていたのではないか。 神を冒涜すれば神の怒りを買う。
177 :
神も仏も名無しさん :2011/04/16(土) 18:39:15.14 ID:GOG5aMbj
生き物を大切にする心を養おう。 食事ごとに、「いただきます」「ごちそう様でした」と言おう。 食べることにもっともっと謙虚になろう。感謝しよう。 ウシやブタやニワトリなど、家畜なら食べていいという道理はない。 海の魚も、野菜や果物も同じである。 必要最小限にするべきであり、食い散らかしてはいけない。
「いただきます」 「ありがとうございます」もいいかもしれない。
昔の日本人は、命に対してもっともっと畏敬の念を抱いていたと思う。 ウシやブタはもちろん、魚だって無闇に食べなかった。 野菜や穀物にも、神に対して収穫の感謝を捧げた。 あらゆる生き物に対する畏敬の念と、 それを食することへの感謝と慰霊が欠かせない行為であった。 生き物の枠を超えて、日常用具(針塚など)への感謝までしていた。 しかし、いまの時代は、それらを迷信だと切り捨ててしまった。 私腹を肥やす政治家と、マスゴミ(テレビ・新聞・御用学者など)により、 金儲け万能の時代になっている。
このまま金儲け万能が続き、物質万能が続けば日本は滅びる。 人間がコントロールできない原発こそは、金儲け・物質万能の象徴である。 原発が残り、人類が滅びてもいいのだろうか。 無人の街に部屋の明かりが灯り、ネオンが灯り、信号が灯っている。 原発こそは禁断の木の実であった、としか言いようがない。 世界中の笑い者、他山の石となった日本。 あなたは、金に仕えるのか、神に仕えるか。
181 :
神も仏も名無しさん :2011/04/18(月) 00:05:38.81 ID:i052y4kU
生産者は、ウシやブタや魚や米や野菜を、ただ金儲けの手段だと割り切り、 生き物に対する畏敬の念や感謝の気持ちを忘れていないか。 他方で消費者は、お金を払っているのだからと、 生き物を単に、おいしいか、まずいかで、小さな舌で判断していないか。 生産者も消費者も、感謝と慰霊の気持ちを忘れていないか。 食などは、飢えを満たせればいい。 食と性は欠かせないが、最小限でいいのだろうと思う。
182 :
神も仏も名無しさん :2011/04/18(月) 00:45:35.08 ID:i052y4kU
龍神様は巨大な、ものすごい存在である。 ところが、その龍神様を支配しているのは、小さな小さな神である。 ほんのわずかな、一滴の雫のようなものである。 永遠の雫、これが神である。
だれも食べたこともないような木の実を食べた。 これをどうやって伝えるのか。 こんな感じだった、こんなものに似ていた、こうやったら体験できる。 これ以上には伝えられない。これが言葉の限界だ。 言葉を鵜呑みにすることは、正しいこともあれば、まちがっていることもある。 カケのようなものである。信仰では特に、そういった危なさを意識しよう。 神を体験する、これを目指そうではないか。
神は小さな雫である。これは真実である。 それと同時に、神は無限の広がりでもある。神には果てしがない。 (これはヨブの体験とは別のものである。) 神域は白い霧の世界である。清浄な無数の霧に満ちている。 霧の世界には柔らかな光が見える。
ブッダの 感興のことば 岩波文庫中村元訳 (26章24以下) 24 そこには、すでに有ったものが存在せず、虚空も無く、識別作用も無く、 太陽も存在せず、月も存在しないところの境地を、わたしはよく知っている。 25 来ることも無く、行くことも無く、生ずることも無く、没することも無い。 住してとどまることも無く、依拠することも無い。 ーー、それが苦しみの終滅であると説かれる。 26 水も無く、地も無く、火も風も進入しないところーー、 そこには白い光も輝かず、暗黒も存在しない。 27 そこでは月も照らさず、太陽も輝かない。聖者はその境地についての自己の 沈黙をみずから知るがままに、かたちからも、かたち無きものからも、 一切の苦しみから全く解脱する。
ヨハネ福音書 1章18節 いまだかって、神を見た者はいない。【父のふところにいる】独り子である神、 この方が神を示されたのである。 独り子である神とはイエスのことなのだろうが、 そこではなく、【父のふところにいる】の部分に注目したい。 ブッダの体験と似ているような気がする。
187 :
神も仏も名無しさん :2011/04/18(月) 22:27:20.03 ID:ByXsmnV/
出エジプト記13章21節 主は彼らに先立って進み、昼は【雲の柱】をもって導き、夜は火の柱をもって 彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。 ヨブ記22章13−14節 だからあなたは言う。 「神が何を知っておられるものか。 【雲】にさえぎられてみることもできず、 天の丸天井を行き来されるだけだ」と。 ヨブ記38章1節 主は【嵐の中から】ヨブに答えて仰せになった。
小さな雫にせよ、白い霧の世界にせよ、神が命なら 神は【人格神】である。 命から霊魂が生まれ、霊魂が物質に作用して生き物が生まれる。 その生き物に喜怒哀楽があり、心がある。 そうであれば、その心の起源は命にあり、心は命である神に由来している。 それゆえ神には、人間と同じような、喜怒哀楽がなくてはならない。 逆に、神など存在せず、物質から人間が誕生したとすれば、 物資に喜怒哀楽があることになる。 そんなことを信じたいなら勝手に信じればいい。反対はしない。
神が龍神様を支配し、龍神様は神域を守っている。 白い神域に合わせ、龍神様も白色である。 <この神に向き合う> 1 心がけ ・・・ 繰り返し自分に言い聞かせると効果がある。 2 願い事 ・・・ お伺いであり、良いアイデアが浮かぶこともある。 3 鎮魂帰神・・・心を鎮め、神に近づこうと集中する。瞑想。
龍神様は白っぽいのが正しいと思うのだが、 もしかすると赤いのも黒っぽいのもありえるかもしれない。 見る側、つまり人間の心が、怒りや憎しみに燃えていれば赤い龍、 黒く汚れていれば黒い龍になる可能性もありえる。 龍神様はひとつだが、見る側の心によって白龍、赤龍、黒龍などになる?
191 :
神も仏も名無しさん :2011/04/20(水) 18:45:42.53 ID:1gKRZmf/
今日は気分が良かったので近くの神社に行ってきた。 そこには龍神様もいるのでお参りした。 関東大震災が起こりませんように 福嶋原発がこれ以上深刻になりませんように ・・・ とはいえ、すでにレベル7だからねえ(^^;
福嶋は福島だったか! こんな初歩的なミスがでるようでは ・・・ (TT)
神社でもそうだったけど、どうも福島原発のことがスムーズに祈れない。 悪いことの兆しでなければいいのだが。
ブッダの『感興のことば』は、ブッダの体験を伝え聞いた弟子のだれかが
まとめたものだろう。
>>185 は、26章安らぎ(ニルヴァーナ)
ここに書かれていることは不明瞭であり、なんとも不思議な話であるが、
周囲の風景に限れば、白い霧に包まれた世界を想像すればいい。
これがブッダが到達した究極の境地である。
何だ、たいしたことないじゃないか、と思うことなかれ。
神を見ただけでなく、霊魂体験でもあるのだ。
だれかが白い霧の世界を見ている。それはブッダの霊魂である。
ブッダは神を見ており、霊魂(アートマン)体験もしたのではないか。
26章の内容を読めば、そうとしか思えないのだ。
竜樹に翻弄された、日本の大乗仏教が説くような「空」ではない。
この話と、黙示録21−22章にある話が似ている。まず21章より 22 わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と子羊とが 都の神殿だからである。 23 この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。 24 諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を 携えて、都に来る。 25 都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。 26 人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。 27 しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して 都に入れない。子羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。
196 :
神も仏も名無しさん :2011/04/22(金) 23:25:49.41 ID:gli8Fo02
黙示録22章より 3 もはや呪われているものは何一つない。神と子羊の玉座が都にあって、 神の僕たちは神を礼拝し、 4 御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。 5 もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光もいらない。神である主が 僕たちを照らし、彼らを世々限りなく統治するからである。 呪われているものは何一つない ・・・ ブッダで言えば「苦しみの終滅」 神の名 ・・・ 出エジプト記3章、神の名は「わたしはある」 命の書 ・・・ エレミヤ書31章を参照。 わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、 わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの 神となり、彼らはわたしの民になる。(→ これは聖霊体験だろう。)
白い霧の世界が<神>である。何だ霧かと<神>をなめるなよ。 そこは果てしない広がりであり、ひたすら清浄であり、底抜けに清浄であり、 恐ろしく清浄である。人間の汚れた肉体など問題外である。 では何が入り込めるのか。肉体ではなく霊魂だけだ。 白い霧の世界は【神域】である。神には限界が無い。無限の広がりである。 その【神域】が<神>である。そこに入れるのは霊魂だけ、肉体はダメ。 ブッダの霊魂は【神域】で<神>を見ている。 それが安らぎ(ニルヴァーナ)である。 黙示録を読めば、キリスト教にも同じような境地があるように思う。
広がりで見れば、神は無限の【神域】になる。 この【神域】を守っているのが龍神様。 黙示録4章では「聖三唱」として「天上の礼拝」が描写されている。 それは、イザヤ書6章では、セラフィムの呪文になっている。 セラフィムとは原語で飛びかかる蛇のことらしい。 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、 全能者である神、主。 かっておられ、今おられ、やがて来られる方。(黙示録4章)
この肉体を捨てて【神域】を体験できるのか。 そんなことをしたら死んでしまう。 この肉体を捨てて、三途の川を渡れば必ず死んでしまう。 ところがである。唯一、【神域】にたどり着ける方法がある。 渡るのではなく、三途の川に溺れ、横に流れて行く自分を眺めるのである。 そしてそれを見捨てる。流れて行く自分を見捨ててしまう。 まさに、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、である。そうすることで、 汚れた自分を見捨てることが可能になる。自己愛ではなく、 ゾッとし、寒気がするほどの自己嫌悪が必要なのだ。
200 :
神も仏も名無しさん :2011/04/23(土) 23:02:58.76 ID:EyKi4d1N
こういったことは書きにくい。 あまり詳しく書くと、神を知ろうと思っている人たちを邪魔するような 気がしないでもない。自分で壁や障害を乗り越えるところに 神秘体験があるからだ。そう思うから口が重くなる。 もうすでに、知人に話したことも書きにくい。かっては 意味がわからなかったから、けっこう話しちゃっているのだね(^^) それに、話すことを神に封じられているような気もしないではない。 まあできるだけ、話せそうなことは話したいと思う。 死んだら何もかも消えてしまうからね。
>>199 の補足
>ところがである。唯一、【神域】にたどり着ける方法がある。
>渡るのではなく、三途の川に溺れ、横に流れて行く自分を眺めるのである。
>そしてそれを見捨てる。流れて行く自分を見捨ててしまう。
瞑想中、三途の川に流れてくる自分をイメージするのではない。
突然流れてくるのだ。水面から10センチぐらい下を、
じっとして頭から流れて来るが、生きているような感じがあった。
このときの意識は、それを見ている自分にある。
>>198 の補足
民数記ではネハシム・セラフィム(燃える蛇たち)として登場し、
炎のごとき空を飛ぶ蛇の姿げあるらしい。
民数記21章4−9にはネフシュタン(青銅の蛇)が登場する。
列王記18章には、民がネフシュタンとアシュラ像に香をたいていたので、
ヒビキヤ王がこれらの像を破壊したとある。
創世記3章には、アダムとエバを誘惑する役割で蛇が登場する。
ヨハネ福音書3章13−14には、モーセが作った青銅の蛇を例にし、
イエスは「人の子も上げられなければならない。」と言う。
黙示録12章にも「赤い大きな竜」が登場する。
モーセの杖もそうだが、聖書には蛇がたびたび登場し、 重要な役割を演じている。ユダヤ教やキリスト教やイスラム教の中には、 蛇信仰のようなものが透けて見える。 生き物から特別に選び出し、神経症的に深層心理的に蛇を見つめている。 脱皮は【復活】の象徴であり、生命力は【癒し】の象徴である。 前述したように、イエスは自分を青銅の蛇にたとえている。
204 :
神も仏も名無しさん :2011/04/24(日) 18:19:40.59 ID:M9u6Y8P5
@神には人間では及ばない力がある A人間はその神に願をかける B神の力で願いが叶う C人間は自分の力だと思い込んでいる D神は鬼になる Eそれが蓄積されると天罰が下る
205 :
神も仏も名無しさん :2011/04/25(月) 00:08:14.00 ID:HoGqcp/B
神はわずかな賽銭にだまされるわけがない。 それに、人間の利己的な願い事に耳を傾けるような御方ではない。 やるべきことをやっているに過ぎない。とはいえ念のため、 願い事がかなったらお礼参りをした方がいい。 かなわなかったら自分を反省しよう。
神は命であり、その命で物質から生き物が誕生する。 つまり神の力が物質に及んでいるわけである。このことから、神の力が 社会現象・自然現象に及ぶことも十分考えられる。 悪政、戦争、貧困、道徳衰退、原発事故などなど。 地震、雷、火事、台風、津波、噴火などなど。
話題を変え、宗教的な資質について簡単に触れよう。 釈迦は生まれてすぐに実母を失っている。 イエスはマリアの子だが、マリアや他の兄弟との仲がよくない。 →ヨセフは養父であり、常識的にはマリアの不倫によって誕生している。 ムハンマドは孤児である。 法然も道元も、幼い頃に親を失い、寺の中で育っている。 これらを眺めれば、かれらが幼い頃に親を失っているか、 親との関係がうまくいってないことがわかる。 かれらは男性だから、どちらかといえば母親との関係が重要だろう。 → かれらには母親からの愛情が不足していた?
幼い頃に、母親の愛情が不足すると何が起こるのか。 愛に飢え、愛を探し始める人になる。これが宗教的な資質の原点だろう。 しかし、いくら探しても見つけ出すことはできない。 幼い頃は帰って来ないからである。 かれらはさびしい日々を過ごし、愛を探して限りなく放浪する。 そしてかれらは幸運にも愛を見つけた。 それが神である。神は愛であると言われている。
209 :
神も仏も名無しさん :2011/04/29(金) 00:57:48.79 ID:hmOsVENa
今回の震災で多くの孤児や父子家庭が生まれたのだろうが、 男の子にとって母親の不在は決定的だ。 神を見つけ出すまでは慰められない。しかし狭き門である。 こういったことが宗教的な資質であるなら、 幸せな子供時代を送った人々は、滅びに至る広い道を自然に歩んでいく。 周囲の評価を求め、神(愛)を求めないからである。
狭い門を歩む人々 ・・・ 自然界では、母親不在に直面すれば基本的に 育たない。ところが人間社会では、周囲の援助でなんとか育つことができる。 しかし問題がある。愛される体験が決定的に不足しているのだ。 人間は愛されて愛を知る。愛は先天的に備わっているものではない。 愛を理解する能力はあるが、愛は愛されてこそ理解できるのであり、 愛を成長させることもできる。愛されることがまず欠かせない。 幼い頃の愛情不足、その影響は深刻である。心の中に穴が開いており、 自分のアイデンティティーが得られない。ここから精神の分裂がスタートする。 精神の分裂、これが宗教的な資質の正体である。
精神の分裂とは、心の中に愛憎の区別ができるのではなく、 愛憎の区別ができないことを言う。善悪や正不正の区別も未熟である。 生まれたままの状態で長い年月が経過していく。 通常は、母親から愛されて、愛がおぼろげな姿を見せ始める。 愛は憎とペアであり、愛が姿を見せれば憎も姿を見せる。善悪も同じである。 この世を生きるためには、こういったことを区別しなければならない。 しかし、愛情不足で育つなら、愛憎などの区別が未熟である。 かれらは素朴で素直で純粋だが、この世を生きていく要領に欠けてしまう。 小学校、中学校、高校、社会人と進むにつれ、その差は大きくなる。
アイデンティティーがない、愛憎などを上手に区別できない。 それはこの競争社会で何を意味するのか。 周囲は周囲なりの【損得】から、愛憎、善悪、正不正などを押し付けてくる。 それに逆らえば、無視されたり、事あるごとに悪意のある攻撃を受ける。 その結果、心は傷つき、やがてボロボロになって行く。 限界を超えれば、自分をコントロールすることができなくなる。 そして、愛憎・善悪・正不正・美醜などの区別がさらにいっそう失われる。 しかしこれは、幼い頃の愛情不足から生じた区別のあいまいさが、 どうしても解決できずに持ち越されてきたものである。 愛憎などの区別が上手にできないという点で幼い頃から一貫している。
言葉の正しい使い方から言えば、これは精神の分裂ではなく、 分裂しない精神が迎えている局面である。この状態から脱するには、 神を体験しなければならない。神によって精神を分裂させ、 愛憎などの区別を明確にする必要がある。 幼い頃に幸福ならば、愛憎などを区別し、精神が徐々に分裂していく。 それによって広い門をくぐり、広い道を歩むことだろう。 しかし安心してはいけない。あなたたちの分裂はニセモノである。
精神が分裂し、愛憎などの区別ができるようになることを、聖書では 心の割礼(パウロ)、口の割礼(イザヤ)などと表現している。 アブラハムの肉の割礼は、精神の分裂を象徴しているのだと思われる。
愛(愛する→愛される)の流れを図式的に表現しよう。 人間は愛されてこそ愛することができる。愛を知らないと愛せない。 女性は肉体的に男性より劣り、子育てのハンディがあるので自己愛が強い。 これらを考慮すればつぎのようになる。 1 最初に愛を表現するのはダレか (愛する側) 神 → 父親 → 母親 → 子供 (愛される側) これが逆転することもあるが、愛を知らない者が愛するのは不自然である。 ここでは父親の位置づけに注目すべきだろう。 父親は母親を愛するのであり、愛される側ではない。肝に銘ずべし。 2 つぎに、最初の愛に答える流れが生じる (愛する側) 子供 → 母親 → 父親 → 神 (愛される側) 愛したほどには返って来ない。愛する側には常に期待はずれがある。 愛された側は肝に銘ずべし。
これらをベースに考えれば、幼い頃に不幸であり、神探しに入った人は、 神を探しあてるまでは結婚しない方がいい。 逆に、幼い頃に幸福であっても神を見失えば、その家系はしだいに衰え、 やがては滅びを迎えることになる。おごる平家は久しからず。 まぁー、どっちの家系がいいのか判断しにくいねぇ
幸福そうな人生と不幸そうな人生と、ふたつ並べて見せられたら、 いつでも幸福そうな人生を選びたい。それはだれも同じ。 だからだから、不幸は突然やって来る。 人間は不幸を通して神を知る。しかし、だれも不幸など望みはしない。 だからこそサタンが動き出すのだ。 人間は罪深い。試練はその罪を脱がせるためにやって来る。
219 :
神も仏も名無しさん :2011/04/29(金) 23:50:29.35 ID:M5nuS67f
政治家もマスコミも「フッコウ、フッコウ」とさえずっている。 しかし、以前のようにしたいだけなら、同じことの繰り返しになるだろう。 金儲けばかりではダメだ。また大津波がやって来る。 神探しをしている子供たちよ、学校は牢獄のようなものだw 気の毒に思う。しかしインターネットがある。 神を知ろう。新しい日本を築こう。
阿含宗桐山教祖の逮捕歴 昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕 警視庁西新井署 十二月手形詐欺容疑で逮捕 千葉県松戸署 二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕 警視庁防犯課 二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決 五月入所 十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
聖書は不思議な話で満ちている。そのひとつに、 出エジプト記4章6−8、モーセの手が皮膚病になる「しるし」がある。 主は更に、「あなたの手をふところに入れなさい」と言われた。 モーセは手をふところに入れ、それから出してみると、驚いたことには、 手は重い皮膚病にかかり、雪のように白くなっていた。
222 :
神も仏も名無しさん :2011/04/30(土) 23:04:40.97 ID:nPa2Yv5T
この「しるし」は、杖が蛇に変わる「しるし」とはかなり違う。 皮膚病の「しるし」を読み解ける方はいませんか。 杖の場合は、形が蛇に似ており、蛇信仰が背景になっている。 しかし皮膚病の「しるし」はナゾに満ちている。
そう言えば、モーセも幼い頃、ナイル川に捨てられ、 エジプトの王女に拾われ、実母が乳母になるという複雑な育ち方をしている。 幼い頃に愛情不足を体験したことが十分に想像される。
4章24−25にある話も興味深い。 途中、ある所に泊まったとき、主はモーセと出会い、彼を殺そうとされた。 ツィポラは、とっさに石刀を手にして息子の包皮を切り取り、 それをモーセの両足に付け、「わたしにとって、あなたは血の花婿です」 と叫んだので、主は彼を放された。 この部分だけでは、神がなぜモーセを殺そうとしたのか不明である。 息子の割礼で許されるのだから、息子の無割礼が原因だったのかもしれない。 それにしてもモーセの両足に付けるのはなぜ。包皮を切り取ったことより、 両足に付けられ、二つになったことが強調されているように思う。
さらに、モーセの妻ツィポラの「血の花婿」という言葉は、 包皮の話と合わせ、何となく二つになった花嫁の女性器を連想させる。 この話は唐突であり、別の資料が紛れ込んだものかと思ったが、 どうやらこれはモーセの聖霊体験のようである。信じられるだろうか。 神はモーセに対して怒りを発したのではない。 神に対しては、男性が女性のような立場に置かれる。 マタイ福音書25章にも、油=聖霊を用意しなかった乙女の話がある。 グノーシスにも祭礼儀式、「新婦の部屋」がある。 6章30で、モーセは自分を「唇に割礼のない者」だと言っている。
聖霊は神の雫であり、人間の心の中に落ちて来る。 だからそれは、男性(神)と女性(人間の心)が結婚することに譬えられる。 聖霊体験は悔いることによって始まる。 悔いるとは、生き方そのものの誤りに気づき、自己嫌悪をもよおすこと。 そうすれば即座に善がやって来る。これが聖霊体験。 同時に精神は、善悪、正不正などの二項に分裂する。これが精神の分裂。 聖書では割礼としてシンボル化されている。
また「皮膚病のしるし」に戻るけど、神がモーセに与えた「しるし」は、 @ 杖のしるし A 皮膚病のしるし B ナイルの水が血に変わるしるし これらの「しるし」を、神とエジプトのファラオとの関係で読むのか、 神とモーセとの関係で読むのかで意味が異なるようだ。 個人的には、神とモーセとの関係で読みたい。
228 :
神も仏も名無しさん :2011/05/02(月) 00:57:56.65 ID:+zg5RKOz
なぜなら「皮膚病のしるし」を見せられる側から言えば、 モーセへの警告としか思えないからである。 この「しるし」がモーセへの警告なら、 三つの「しるし」はすべてモーセに対するものになるのではないか。 すると、どう読み解いたらいいのだろう? @ 杖のしるし ・・・ モーセは蛇(龍神様)を自由に操れる。 A 皮膚病のしるし ・・・ しかしその力は、虐げられているイスラエルの ものである。それを嫌がるなら決して許さない。 モーセの手 = モーセの行いは罪であり、モーセの手は業病に覆われる。 B ナイル川が血に変わる ・・・ 水=永遠の命も失う。
このあたりの流れを、出エジプト記の項目によって確認しよう。 一 1章 エジプトでのイスラエル人 男児殺害の命令 二 2章 モーセの生い立ち エジプトからの逃亡 23節 イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを 求める彼らの叫び声は神に届いた。 三 3章 モーセの召命 四 4章 使命にともなうしるし モーセ、エジプトに戻る (24−26節 血の花婿の話) 五 5章 ファラオとの交渉
2章23節を見れば、イスラエル人による【助けを求める叫び声】が、 エジプト脱出の始まりである。祈りが神に届いたのか。そう書いてあるね。 またモーセは、神の命令を果たすためにエジプトに向かう。 モーセは喜んで神の命令を受け入れたのではない。繰り返し断っている。 神はそれをなだめ、モーセと共にいることを約束し、三つのしるしを与え、 雄弁なモーセの兄、アロンの同行を許した。 こういった流れの中で「三つのしるし」を考えなければならない。 出エジプト記のその後の展開では、皮膚病のしるしが出てこないし、 渇いた地面にナイル川の水をまけば血に変わるというしるしも出てこない。 7章14−24節 血の災いはモーセの杖でナイル川を打つ話である。 これは杖のしるしに属するのではなかろうか。
皮膚病のしるしは、モーセ自身が皮膚病になるしるしである。 素直に読めば、神の命令にそむいたら、こうなるという神の警告だろう。 モーセは神の命令を何度も断ろうとしている。モーセには最初から、 途中で逃げ出しそうな気配がうかがえるのだ。 神とすれば、モーセが逃げ出さないようにしなければならない。 その仕掛けが皮膚病のしるしではなかろうか。 モーセの行く手には助けを求める人々が無数にいる。 かれらは、モーセに助けを求め、必死に手を差し伸べている。 しかしどの手も、皮膚病に犯された罪人の手ではないか。 モーセはたじろぎ、自分の手をひっこめ、ふところに隠してしまう。 するとどうしたことか。自分の手が皮膚病になっているではないか。 モーセにとっては悪夢である。逃げたのに逃げられない。
こんな悪夢を見せられたら決して逃げられない。 そのうえ、渇いた地面にまかれたナイル川の水が血に変わるしるしまである。 これは命が渇いて死んでしまうイメージではないか。 第三のしるしは、ファラオへの警告と読めないこともない。 しかし、皮膚病のしるしと合わせて読めば、モーセへの警告だろうと思う。 途中で逃げたら、皮膚病どころではなく、命まで失うという意味だ。 それでもモーセは口が重く舌が重いと言って断ろうとしている。 神の命令がほんとうに嫌だったのだと同情する。 さすがに神は怒って、あなたには雄弁な兄アロンがいるではないかと言う。
233 :
神も仏も名無しさん :2011/05/03(火) 00:42:15.47 ID:Ax5i7GZz
口が重く、舌が重い。これは雄弁ではないことだが、 雄弁は愛憎・善悪・正不正・美醜などの区別が前提になっている。 周囲を説得するには、言葉を巧みに操る雄弁家でなくてはならない。 モーセは愛憎などの区別が曖昧であり、言葉を上手に操れない。 自分の【損得】で愛憎や善悪などを語れないから、言葉がもつれてしまう。 そういう状態で神の召命がやってきた。 だからこそ、その後に妻ツィポラも登場する聖霊体験がやってくる。 愛の流れ、神 → モーセ → ツィポラ → その息子 これがモーセの聖霊体験である。神を体験することで区別が明確になる。 6章でモーセが「わたしには唇に割礼がない」と語る時は余裕が感じられる。
言葉はその人の愛のあり方によってつむがれる。 その人の愛が、損得などの自己愛であれば、 その自己愛で統一され、整合性のある言葉が、かりにウソであっても、 カミソリのように、機関銃のように発射される。 しかしその愛に占領されていない場合、 あるいは疑問を感じている場合、なぜか言葉はもつれてしまう。 何を言いたいのかわからないから、周囲は怪しむ。 自分を思ったり、相手を思ったり、右往左往しているからだろう。
>>211-
何となく違和感のある解釈だと思う。
特に
>>212 の、
>愛は憎とペアであり、愛が姿を見せれば憎も姿を見せる。善悪も同じである。
愛と憎は対照だとは思えない。
何故なら、憎は自己へのこだわりから生ずるからだと思う。
もっとも顕著な例をあげると、極端な自己愛や独占欲のある人間が憎の感情を持ちやすいと思う。
人間には自己愛と他愛がある。
他愛とは、自己をかえりみない(見返りを期待しない)愛だと思う。
その説は、自己愛しか考えられない解釈だと思う。
故にそれ以後の解釈も偏りがあるように思えてならない。
236 :
神も仏も名無しさん :2011/05/03(火) 17:27:45.34 ID:3EPXygjT
愛の対照は無関心。
その場その場の思いつきで書いており、あまりまとまりがなく、 わかりにくかったかもしれない。確かに愛情がなければ無関心になり、 自己愛が強ければ憎悪の感情も強いことだろう。 愛を図式的に整理すれば、自己愛と他者愛の二種類があり、 心の中で、自己愛は周囲への無関心あるいは憎悪とペアで存在しており、 他者愛は自己への無関心あるいは憎悪とペアで存在している。 損得は自分の損得であり、自分の損得のもとに愛憎や善悪や正不正などを 判断するなら、これは自己愛で判断することとイコールだろう。 他方で、他者愛はアガペーであり、神の愛のようなものか。 自己愛のみ、他者愛のみは両極端であり、実際には両方が入り混じり、 さまざまなバリュエーションがあるのだろうと思う。
人間の成長は、自己愛から他者愛へと成長していくことにある。 これは簡単ではなく、損得を中心に愛憎を生きれば自己愛になり、 愛憎や善悪を中心に生きれば他者愛に近づいていく。 愛とは何か、善とは何か、正義とは何か。 世の中に妥協せず、答えのないテーマをえんえんと考えていく。 これが大切であり、運がよければ神に出会えるだろう。
個人的に、愛という概念は人間特有の物だと思うけど? この身体の中で生きていると、どうしてもこの身体が感じることが真実だと思う。 が、身体の敷居がなくなり、光の神霊的な感覚に委ねたなら、言葉の解釈の壁もなく心底解り合える(シンクロというか、個人的思惑がない状態)と思う。 それは心の裏表もなく丸ごと、自分と他人の区別なく我が事とし理解できる。満たされ開放された感覚は、人間でいうと愛に満たされた感覚に近いかもしれないが、 人間がいう愛とはかけ離れていると思う。
自己愛は、自我や我欲や執着が芽生えた時から始まると思うので、元々あると言えるかどうか疑問。 他愛と憎愛をセットに考えるのも疑問。 自己を中心とした見返りの愛は、他人を愛していると言っても自己愛だと言いたい。 実は他愛の解釈が違うのではと思ってしまう。
出エジプト記には、ファラオ相手にモーセの奇跡が数々書かれている。 これらが実際に起きたのかどうかはよくわからない。 しかし何か不思議なことが起きたことは事実なのだろう。 海が割れる奇跡は、津波の引き潮で海底が現れたようでもあり、 暗闇で三日間覆われたのは、火山の噴火で空が灰で覆われたようでもある。 アフリカでは大量のいなごが発生し襲うことがたびたびある。 こういったことが実際にあったのかもしれない。 旧約聖書は、バビロン捕囚後、BC500年ごろに資料をもとに書かれたと 言われている。モーセのエジプト脱出がBC1230年ごろだから、 その隔たりは約730年である。奈良時代に弥生時代を想像して書くような ものである。フィクションも相当あると思うべきだろう。
>>239-240 あなたの宗教的なセンスはいい。
わたしもどこかで同じようなことを考えていたような気がする。
ところで他者愛は恐ろしく厳しいものがある。
相手の運命と共に歩まなければならない。その相手が不治の病ならどうだろう。
自分を捨てないと付き合いきれない。気が狂うような忍耐になる。
3年で終わるのか、10年で終わるのか、20年で終わるのか、
モーセは40年、荒れ野をさまよった。これが生きることではないか。
逃げたいが、そのつらさを受け入れなければならない。
そのつらさを受け入れる中に、愛があり、アガペーがある。
他者愛とは、底抜けに忍耐することではないだろうか。
自分を捨てないとやれない。
>>242 私は考えたことを書いたわけではなく…そんな所に行ったことがあった。言葉では語り尽くせないけれど一部を書いてみた。
それと、242にある内容は義務と愛とを混同しているように思う。
どんな風にでも生きていて欲しいと願い献身できるのが愛で、介護する者が自分しかなく世間の目も気にし、自分の何かを犠牲にしていると思いながらするのが義務のように思う。
(義務の定義はそうとばかりも言えないかもしれない)
本当の自分とは、理想や空想の中には無く、大変な時に、どんな心根でどんな事が出来るのかしたのかだと思う。
神と約束した人生をまっとうできますよう 正しく御導きください ・・
245 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 20:23:46.71 ID:+MAc1MJj
この日本では自殺者が毎年3万人を超えている。 大震災で亡くなった方々だけでなく、 自殺して亡くなった方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
毎年3万人を超える自殺者や、その数もはっきりしないホームレスや、 1000万人を超えるワープアなどなど。 かれらの嘆きが、モーセの時代の如く、神様に届きますように。
ホームレス狩が進んでいるらしい 龍神達よ 私達の願いが届くなら 全ての人をあの方に導いてください
無農薬リンゴの木村さんが 龍に言伝をされたって言ってたなぁ 内容については話せないみたいだけど
人間は罪深い。生まれる前、母親のお腹にいるうちから罪にまみれている。 自分が快ければニコニコし、自分が不快であればギャアギャアと泣く。 赤子は自分中心、自己愛の塊りではないだろうか。
赤子がこの世に根付くために、神から与えられたオーラに包まれていることは 認めよう。しかし天使のように思えるのは、知識もなく力もなく性の目覚めもない からではないのか。天使のようではあるが天使ではない。
人間は、生まれてから死ぬまで、さまざまな経験をし、心を成長させて行く。 その中でも生まれてから三年間の重要性は言うまでもない。 この時期は主として母親との関係になる。 この世という舞台に登場した最初の時期に周囲から「愛される」ことが、 その後の人生の枠組み、自尊心・自己同一性・周囲への信頼感などを作り出す。 人間は愛されて愛を知る。最初から愛を知っている人間はいない。
生まれてから三年間、これが重要な理由はもうひとつある。 この時期の経験は記憶の底に沈みこみ、ほとんど思い出せないのである。 無意味だから思い出せないのではない。意味はおおありだが、 神の配慮なのか、無意識がその人間を操るために思い出させないのである。 そのため最初の三年間が、その後の人生に大きな影を落とすのだ。
この時期に十分に愛されないならトラウマを抱えることになる。 自信がない。自尊心が持てない。周囲への信頼感が湧いてこない。 自分は自分だけど、今の自分は何となく自分でないような気がする。 これを自己同一性(アイデンティティー)の欠如と言うらしい。
もちろん、それ以後の経験も人格形成に影響する。 しかしだいたい、十二歳ごろまでにはその人らしさが作られる。 社会が見え始め、同年代の異性に関心が向く頃である。 その頃、子供は母親や家族から離れ始める。 逆に言えば、基本的な人格形成が終わったということだ。
★ ここで愛と憎、あるいは善と悪との関係を整理しておこう。 1 愛(善) ・・・ 神だけが純粋な愛を表現できる。神は命である。 2 憎(悪) ・・・ 相手を物扱いすることが憎である。物質は死。 3 愛でもなく、憎でもない ・・・ 無、無関心。 4 愛であり、かつ憎でもある ・・・ 矛盾あるいは全領域 = 人間!
★ ついでに愛と憎に関連した言葉も整理しておこう 1 赤子 ・・・ 自分の「快さと不快さ」から判断している。受動。 2 幼少時 ・・・ 自分中心に「好きか嫌いか」で周囲を判断する。受動。 3 学童期 ・・・ 自分にとって「損か得か」「敵か味方か」を学び始める。
4 少年期、青年期 ・・・ これでいいのかと悩む時期もある。 幼い頃、家庭的に不幸だった人々はここで深く深く潜行する。 かれらは何をしているのか。失われた愛を探している。狭い道である。 そんなことは不可能だから、神を見出すまでは救われない。 5 社会人 ・・・ 大多数は損得社会に迎合して広い道を歩む。
258 :
神も仏も名無しさん :2011/05/16(月) 19:10:02.87 ID:uR/Enkie
損得と言えば二宮尊徳を思い出す。六歳ごろに両親を失い、 幼い弟妹を抱えて想像を絶する苦労をしている。尊徳と言う名は、 損得社会で生きても「徳を大切にしたい」という思いからか。
二宮尊徳の話はうろ覚えだったので訂正させてください。 両親が亡くなったのは15歳ごろであり、尊億は父方の二宮家へ、 弟二人は母方の川久保家に預けられたという。 さらに尊徳は、ソントクではなくタカノリと読むらしい。orz
尊徳が4歳ごろ、二宮家は酒匂川の氾濫で田地を失い、 その9年後に父が死に、その2年後には母が死ぬ。両親が亡くなったのは、 今なら中学生のころであり、その精神的ショックは大きかったと思う。 しかしここでのテーマ、幼児期の愛情不足とは異なる話であった。
ひと皆神の赤子
二宮尊徳の名言を解説する、石川佐智子の「日本の道徳力」に目を通した。 尊徳は1787年から1856年を生きた江戸末期の人である。69歳没。 どの名言にも味わいがあり、もっと知られるべき人物だと思った。 (ただしその解説には首をかしげる箇所がいくつかあったが)
尊徳の主張は、
>>258 でも書いたように、
損得社会でも徳を大切にして生きて行こう、ということだと思う。
一円融合、報徳思想、至誠、勤倹、分度、推譲などの言葉が出てくるが、
要するに、我欲を捨て、周囲のために尽くすことを説いている。
その理論的裏づけが神儒仏であり、一円融合などの言葉ではないだろうか。
尊徳の真骨頂は、自分の必要を超えた財産を、 災害時の備蓄(3年分)、自分の子孫のため、友人や周囲の人々のため、 社会のために無償で譲るところにある。それが自分のためなのだと知るには、 神儒仏などの教えに学びつつも、体得する以外にないと言う。
265 :
神も仏も名無しさん :2011/05/21(土) 23:38:44.90 ID:pLWNapmt
これは、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、という運命の逆転と似ている。 しかし尊徳の場合は、困ったから身を捨てるのではなく、日常的に、 何も困っていないのに身を捨てる。えっ? これはすごいことだ! 普通、追い詰められないと、なかなか捨て身になれないのに、 尊徳の場合は自分の意志で日常的にやってのける。
寺田一清編『二宮尊徳一日一言』もついでにざっと読み終えた。 尊徳翁、ひさびさのクリーンヒット。いいですね。 読む順番は、『日本の道徳力』→『二宮尊徳の一日一言』がいい。
尊徳翁は、生まれてから4歳ごろまでに幸福を体験しており、 この世の最初の舞台で成功し、歓迎されている。その後の艱難辛苦が、 尊徳翁を極上の人間に磨き上げたのだろうと思う。
人間には大別して二つのタイプがある。 A 愛情不足によって、人生の初舞台に失敗した人たち → 夢想家 B その逆に、両親から愛され、順調な滑り出しをした人たち → 現実派
尊徳翁はもちろんBの現実派になる。尊徳翁の眼前にあったのは自然、 天地であり自然である。自分を含めたら天地人になる。 これを円とみなし、ここに陰陽を見る。 これは道教の太極図であり、大乗仏教で言えば究極の「空」である。 これが尊徳翁の哲学であり、翁の長所も短所もここにある。
尊徳翁は、自分を捨てることを湯船の湯で喩える。 湯を手前にかき寄せたら、その湯はすぐに去っていく。これが我欲だ。 しかし、湯を向こう側に押したら、湯がこちら側に帰ってくる。 これが周囲に譲ることだと。
これが太極であり、たぶん大乗が説く「空の思想」なのだろう。 しかし、たとえ話で何となく、ごまかされたような気がしないでもない。 風呂桶の中で押しても引いても差し引きゼロだろうと思うのだ。 尊徳翁の限界がわかったのでほっとする。そうでないと夢想家の立場がない。
この世を肯定する人たちが多数派でなければ、この世が滅びてしまう。 だから、広い道を歩む人たちが、いつの世も多数派でなければならない。 しかし、狭い道を歩む少数派、この世を否定する無想家も欠かせない。 なぜなら神は、この汚れた世界にいないからである。 神を知るには、この世を否定するような精神も必要なのである。
273 :
神も仏も名無しさん :2011/05/24(火) 19:45:46.56 ID:91hlkchy
太極図も空の思想も悪くはない。ただ、そこが頂点ではなく、 その先にまだまだあるということだろうか。 かといって無想家がすごいわけではない。夢想そのものが いくらすごくても世間様はあまり評価しない。夢見てるだけじゃダメだよと。 真逆のタイプ、無想家と現実派がドッキングしなければならない。
スレタイに惹かれて覗いてみたけど、なんだかすごいことになってるねこのスレ。 なんだか一人で延々とセム系宗教のことを書き込んでる人がいる。 掲示板にもかかわらず、それほどまでに他者を気に止めないのなら、 いっそローカルのメモ帳にでも書いて自分のホームページでも立ち上げればいいのに
>>274 心配してくれてありがとう。
ここは過疎村だが、こんなスレはこの板に限らずいくらでもある。
繁華街では、話がループしたり、わけもなくののしりあったり、
内容が乏しくなるという欠点がある。
何か書き込んでくれても、頭の回転が遅いし、キーボードを打つのも遅いし、 PCと向き合っている時間もあまり多くない。 だから返レスは、早くても1日遅れぐらいになることを覚悟してほしい。 書き込むときは、主張だけでなく、その主張の理由を書いてほしい。 そうでないと、基本的に返レスのしようがない。
尊徳翁に話を戻せば、尊徳翁は自分の立場を神儒仏一粒丸にたとえる。 神道は日本開闢以来、日本の大道である。儒教は国を治める教えであり、 仏教は心を治める教えである。それらがひとつになったのが報徳教であると。 また言う。富士登山には入り口が複数ある。神道も儒教も道教も仏教も、 入り口の違いであり、目指すところは同じ、富士の頂上だと。
尊徳翁に言わせれば、神道もユダヤ教もキリスト教もイスラム教もない。 目指すところはどの宗教も同じである。 争論の生ずる、その居所を定めざるにあるなり。熱地におる者は清涼を喜ぶ。 これ清涼を好むにあらず。熱地におるがゆえなり。・・・ いやしくもその居所を定むれば、すなわち何の争論かあらん。語録三七四
石川佐智子『日本の道徳力』で気になったことのひとつはは、 尊徳翁の因果法を強調していることだ。 そうでないことは寺田一精『一日一言』を読めばわかる。 尊徳翁は、因果法だけでなく、万物の相互依存=相関関係を理解している。 空の思想は、因果関係(時間)+相関関係(空間)である。
>>279 × 気になったことのひとつはは → ひとつは
尊徳翁はいいな。仏教の「空」を理解している。
湯船で自分の方へ湯を寄せれば(我欲)、その湯は次の瞬間自分から去っていく。
逆に自分から遠ざければ(これが徳)、その湯が自分の下にやって来る。
自分を捨てる。これはとんでもなく難しい。 尊徳翁はこれを日常的にやっていた。なぜできたのだろう。空の思想である。 戦国時代に、この世は空だと思い込み、戦場で死ぬようなものだろう。 空の思想と、実際に命をかけることにはギャップがあると思う。 空だと思い込んで、エイッと死ぬのではないのだろうか。 そこで命を捨てることには何かしらの闇がある。
空=TRUST かもしれない
尊徳翁の場合は幸い、記録が残っているから明白である。 洪水や田地流出や両親の死、25歳ごろになってようやく二宮家を再興する。 その思いは何か。両親の仇討ちだったのではないだろうか。 人間は自然の中で生きている。しかしその自然が牙をむく時がある。 4歳ごろから25歳ごろまでの経験、それが尊徳翁の心理的ベースにある。 成功体験として刷り込まれたのではないか。後はその繰り返しである。
>>282 尊徳翁には天への信頼があると思う。その天は太極図として表現される。
その時代の言葉で表現するとそうなってしまうのだが、
しかし尊徳翁は、運不運という機微を体得していたのではないか。
空によって自分を整理しているが、その魂は空の思想を超えていると思う。
空海もそうだが、尊徳翁にも聖書(旧約)を読ませたかった。
「心貧しきものは幸い」=「心空である者は幸い」
尊徳翁の道歌 10月28日 神仏あるや無しや 無きといへば無きとや人の思ふらん 呼べばこたふる山彦の声
空をどう理解したらいいのか。 1 この現実には実体がないこと。空箱の中身のようなもの。カラッポ。 2 縁起していること→依存関係にあることを言う。(中論24章18節) 3 陰陽の太極図 ・・・ 尊徳翁の立場か 4 大自然の青空を言う ・・・ 空海の立場か
尊徳翁はこの世を陰陽の太極図として理解する。 この世をひとつの円(一円観)とみなし、その円の中で陰陽が向き合い、 対峙し、依存しあっている。竜樹の縁起・空と似ていないか。 太極図は道教だが、仏教の空を視覚化したもののように思える。 竜樹より、視覚化されているのでわかりやすい。
太極図の円は、この宇宙であり、天と地と人を表している。 これらは混沌としているが、やがて陰陽という区別をもって姿を現してくる。 全体としては空、しかしそこには陰と陽との依存関係がある。 これが尊徳翁の縁起・空の理解だったのではないだろうか。 この理解の仕方には100%同意したい。
尊徳翁は、この大自然を縁起(依存関係)している空と理解する。 これが現実派、現実を肯定する人たちの、現実を観察して得た最終的な結論 である。唯物論的、現実主義的には最高の思想だろうと思う。
ということは、愛を探して放浪している夢想家が 空の思想を洞察できるなら、現実派との共通項を持つことになる。 空の思想を洞察した瞬間、夢想家は現実に復帰するチャンスを得る。 この世は空、という理由でこの世を受け入れるのだ。不幸な幼少時代を受け入れ、 不幸な人生を受け入れ、現実派になるチャンスを手に入れる。
292 :
神も仏も名無しさん :2011/05/27(金) 00:58:53.22 ID:5ZWb9Nur
空の思想において、夢想家は現実派とドッキングする。 夢想家が空の思想を学ぶ意味はきわめて大きい。 そして学ぶべきは、尊徳翁のような太極図の空を洞察することである。 銀河の渦でもいい。そこには空間と時間が同時に見えている。 夢想家の目が覚める。夢想をやめる。
ややこしくなったので話を整理しよう。 1 不幸な育ち方をすれば、現実に否定的になり、愛を探す夢想家になる。 2 幸福な育ち方をすれば、現実を肯定し、実践的な現実派になる。 3 夢想家と現実派は、空の思想で出会い、ドッキングする。
なぜドッキングするかといえば、夢想家も現実派もこの大自然を、 この大宇宙を当たり前の前提に考えている。 前提が同じなら同じ答えが出る。その答えが空の思想である。
夢想家は不幸な過去が空の思想で癒される。人生は空だから。 幼少時に幸福でも、その後に不幸を体験した現実派も空の思想で癒される。 夢想家も現実派も空の思想で一致する。 これが、大自然、大宇宙を前提にした最終的な結論になる。
夢想家がなぜ現実に復帰できるのか。 大自然、大宇宙の奥義を洞察したからである。この世を知ったからである。 この現実がまったくの空であることを知ったからである。 幼い頃から悩んでいた大問題、愛とは何か、自分とは何かなどが 見事に解決したのである。その答えは空であった。
空の思想を知るには仏教書など読む必要はない。 それより、太極図を眺めたり、ものごとの作用反作用を考えたり、 弁証法の入門書を読んだりするほうがいい。 実体がない、空だから何もないと思ったらわからなくなる。 そうではなく、太極図のように陰陽が向き合って対峙しているのだ。 銀河のように渦を巻いている。それが空である。
個人的には、弁証法の入門書を読み、自分なりのイメージができたあと、 マルクスの経哲草稿などで言葉の渦巻きを追いかけていた。 ヘーゲルやマルクスの弁証法は、太極図や空の思想に近いのではないか。 空の思想が理解できたら、必ず実践して体得することが重要である。 尊徳翁も実践を強調している。身につける努力をすることだ。 弁証法的に考える。そして実行する。
縁起しているものは空だが、縁起とは経典で次のように定義される。 <これがあればかれがあり、これがなければかれがない。> <これが生ずればかれが生じ、これが滅すればかれが滅す。> この関係は、善悪、愛憎、美醜、正不正、快不快、好き嫌いなどである。 コインの裏表というイメージで把握するといいだろう。
空の思想を体得することがきわめて重要である。 じつはこれが、次のステップ、聖霊体験、霊魂体験に直結している。 空の思想はそのための入り口のようなものである。 少し考えればわかる。空の思想は言葉の世界を分割する。 もちろん事物を示す言葉は分割できない。そうではなくて事物と事物の関係、 特に善悪などの判断基準にメスを入れているのだ。→ 割礼の準備だ!
301 :
神も仏も名無しさん :2011/05/28(土) 23:26:52.26 ID:FN2fL6fG
この現実は、言葉によって写し取られ、頭の中に存在している。 その言葉の世界にメスを入れている。善悪、愛憎、美醜などが区別され、 陰陽の太極図が描かれていく。これが空の思想である。
わかりました・・・
そうですか・・・
韓国の国旗は太極図に似たデザインになっている。 円の中に赤と青が向き合い、周囲には八卦のうち天地と水火が斜に向き合う。 儒教を国家統合の土台にしたいという意思表示か。
太極図の起源は易経にあるという。道教も儒教も太極図を重視している。 儒教は四書五経(易経が含まれる)を経典にしている。 中国には儒仏道を統合化しようという流れもあるらしい。 尊徳翁の神儒仏一粒丸のようなものか。
自己愛に話を戻すが、自己愛が強いのは男性より女性だろうと思う。 その理由は、身体が劣るだけでなく、出産・子育てをする弱さが加わり、 自己愛が強くないと生きていけないからである。 同じ理由で、子供は大人より弱いから、大人より自己愛が強い。 幼児はさらに自己愛が強い。弱ければ弱いほど、 自己愛が強くないと生きていけない。これが神の配慮である。
道徳や宗教が女性を敬遠するのは、女性の自己愛の強さに理由がある。 道徳や宗教は、自己愛(我欲)から離れることを目的にしている。 しかし女性の場合は、自己愛から離れることが非常に困難なのである。 女性は本質的に大地の方を向いて生きている。神ではない。 女性が自己愛から解放されるチャンスは子供に向き合う時か。
男性社会も同じであり、弱い者ほど自己愛が強い。 保身のためにウソをついたり、仲間を作って群れたりするのは弱いからだ。 政治も同じであり、情報を隠すのは権力基盤が弱いからである。 人間の成長は、自己愛から次第に離れることの中にある。 これが非常に難しい。死ぬまで終わらないモグラ叩きのようなものだ。 なぜなら人間は、自己愛で生きているからである。
人間には自己愛、生きようという本能があるから、一時的にはともかく、 なかなか空の思想になりきることができない。 自己愛があれば当然、愛憎を生きるのであり、俗世間にまみれることになる。 愛だけの、善だけの聖人など、この世にいるのだろうか。
★ 愛憎・善悪の整理 1 愛(善) ・・・ 神だけが純粋な愛を表現できる。神は命である。 2 憎(悪) ・・・ 相手を物扱いすることが憎である。物質は死。 3 愛であり、かつ憎でもある ・・・ 矛盾あるいは全領域 = 人間! 4 愛でもなく、憎でもない ・・・ 無、無関心。
310は
>>255 の3と4の順序を変えた再掲だが、
これは竜樹の『中論』で多用されている四句分別で整理したものである。
四句分別といえば難しく聞こえるが、実際にはそれほど難しくない。
論議領域に漏れがないように、図形をイメージして分別している。
図形を書く力がないので言葉で説明したい。
ア まず大き目の四角形を描く → これが全論議領域
イ その四角形に、少し重なるようにして二つの円A・Bを描く。
ウ そうすると図形が四つできる。A、B、AかつB、非Aかつ非B
エ この四つが、
>>310 の1〜4に対応している。
313 :
神も仏も名無しさん :2011/05/29(日) 23:28:22.97 ID:JAs2agzD
これで何が言いたいかといえば、人間の愛憎・善悪だけ論じても、 全論議領域を語っていないということである。 空の思想によれば、愛憎・善悪は人間の心にペアで存在している。 であれば、愛そのもの、憎そのものがなくてはならない。 そういったものがなければ、愛かつ憎ということはありえないだろう。
最初から四句分別という結論があり、演繹的に考えていたわけではない。
>>235-236 >>239 ・・・ さんとの話で整理する気になった。
自分の考えをうまく整理できたと思っている。
四句分別で宇宙の成り立ちが概観できる。 まず全体の論議領域、四角形はまったくの虚無 → 神も物質も存在しない。 そこに二つの円、神(命)と物質(死)が登場する。これがビッグバン。 そして死の世界、荒涼たる地上に、神(命)が降りそそぎ生き物が登場する。
人間を含む生き物は、神と物質が重なり合う場所で生きている。 それが宇宙であり大自然である。ここでは、神と物質、命と死、愛と憎などが 重なっている。人間は愛憎、善悪という矛盾を生きている。
これで
>>286 で紹介した尊徳翁の道歌が理解できる。
神がいるかどうかは、人間はAかつBだから、どちらとも言えるのである。
無きといへば無きとや人の思ふらん 呼べばこたふる山彦の声
四句分別によって、言葉の重要性も理解できる。 なぜ人間と他の生き物は違うのか。その違いのひとつは言葉なのだが、 言葉は決定的な重要性を担っている。善悪などの言葉によって精神が分裂し、 心の割礼を可能にするからである。神に祈るのは人間だけである。
この世の奥義、宇宙の奥義と思えた太極図、空の思想、弁証法などでは 神にとどかない。その理由はこういった考え方の中に誤りがあるからだろう。 それはAかつBの範囲で考えていることである。 宇宙というドーム、出口なしで考えていないだろうか。
A(神)かつB(物質)だけでなく、 B=大地・自然・地球・太陽系・宇宙しか頭にないのではないか。 Bは、重なった部分、AかつBを含んだ円である。
円を究極の悟りだと思い、円を信仰している人は多いと思う。 陰陽の太極図、韓国の国旗、尊徳翁の円観、真言宗の月輪観、正反合の弁証法、 竜樹が説く空の思想などなど。幸いにも太陽も月も地球も丸いではない。 円、球体こそが究極なのか?
確かに円観には共感できるものがある。 しかし、この世が円、球体であり、この世は空であるとわかっても、 それでは納得できない人たちがいる。 かれらはこの世の不幸に圧倒され、 円観や太極図に、出口なしという息苦しさを感じてしまう。
>>321 の訂正 地球も丸いではない → ○ 地球も丸いではないか。
ひとつの円や球に息苦しさを感じる者はだれか。
この世を否定する夢想家である。この世の奥義が太極図にあると悟り、
そう生きようと努力しても、結局はうまくいかなのだ。
どうしてだろう? 究極的に出口なしではないか。
324 :
神も仏も名無しさん :2011/06/01(水) 21:10:14.63 ID:lWjiSgTy
現実派の尊徳翁は成功するのに夢想家は失敗する。 なぜだろう? 不幸がトラウマになっており、不幸を再現するからである。 しかし悪いことばかりではない。次のステップに進めるからである。 出口を見つけるのは夢想家である。
大地や自然や宇宙、そこに生きている自分をイメージしたとき、 円や球をイメージするのが合理的ではないだろうか。 しかしそれは、きわめて合理的なのだが、きわめて唯物的でもある。
別に神がいなくても空の思想は成り立つ。 AかつB、つまり生き物の領域、それも心の領域だけで論じればいい。 AとBの重なりを含めたBの円は物質の世界でもある。
どういうことかといえば、神を信じる人たちはどこまで行っても 神を信じている思い込みだと批判される余地がある。 神を見たことがないからである。 だから問題は、この円、この球をどうやって割るかという話になる。 これを割らない限り、出口なしである。
現実を否定する夢想家が卵の殻を破る。 しかし現実派は、この現実を肯定しているから、空の思想に到達しても それで終りになる。かれらは現実を決して手放さない。 手放さないことが現実派である所以なのだから。
どうしたら卵の殻が割れるのか。 まず、太極図や弁証法などにより、心を割る訓練をすることで機が熟する。 機が熟したら、生活上の、何かのきっかけでいっきに割れる。 必要なのは、にっちもさっちもいかない状況に追い込まれることである。 ここで周囲ではなく、自分の誤りに気づいて悔いることだ。 十分に熟していれば、自分という殻がいっきに割れ、聖霊を体験するだろう。
330 :
神も仏も名無しさん :2011/06/03(金) 20:32:23.26 ID:/FseXFJc
夢想家が幸いなのは、現実への適応力に乏しいから、 世間的に見ればそれほどでないのに、もろくも座礁することである。 そのため、気力が回復すれば再起も容易である。 現実派は逆に、適応力が強かっただけに、座礁すればぼっきりと折れる。 そういう意味では、夢想家も現実派も一長一短だろう。
韓国の国旗は清の属国旗
八卦や太極図は中国由来の文化だものね
太極図は、昼のドームと夜のドームを合わせて球形にし、 その球形で全体の空間をイメージし、 そこに昼と夜との時間的な推移をイメージしたのかもしれない。 目のようなもの → 昼は太陽、夜は月
横道にそれ、マタイ福音書5−3にある祝福、「心の貧しい人々は、
幸いである。天の国はその人たちのものである。」を取り上げよう。
>>285 心の貧しい人々がなぜ祝福されるのか、その理由が皆目わからないのだ!
心が貧しい、という日本語の意味は、心がさもしい、心が曲がっている、 心ががつがつしているなどである。悪いイメージである。 (さもしい → ものほしそうでいやしい。浅ましい。) 心が豊かならわかる。しかし、心の貧しい者が天国に行けるはずがない。
その証拠に並行箇所、ルカ福音書6−20では、「貧しい人々は、 幸いである。神の国はあなたがたのものである。」とある。
これならi意味が明瞭だ。お腹を空かしてぞろぞろ着いて来る人々に、 疲れきった人々に、それも学問もない人々に、イエスが「心の貧しい人々よ」 などと呼びかけるはずがない。そう言ったとしたらイエスを軽蔑したい。 ここはどうしても「貧しい人々よ」でなければならない。
心が豊かな人々よ、であればまだ理解できる。 心が豊かであるとは、たとえばマルコ福音書12−41〜44に出てくる やもめの献金だろうか。心が豊かだから生活費全部を献金できる。 イエスはその行為を褒めている。
ルカ福音書18−9〜14にある「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえは、 もっと鮮明に貧しさと豊かさを教えている。日本語の使い方として、 高慢なファリサイ派の人が「心の貧しい人」であり、 謙虚な徴税人が「心の豊かな人」である。心に余裕がないと謙虚になれない。
こうやって見てくれば、マタイ福音書の「心の貧しい人々」は 誤訳か改ざんとしか思えないのである。→ ということは、 聖書に書かれたことをそのまま素直に、ストレートに信じてはならない。 心の貧しい人々が幸いだって? 100%ウソだろう。
341 :
神も仏も名無しさん :2011/06/05(日) 00:34:31.58 ID:GomiNJws
心の貧しい人々は幸いである、がこんな箇所がマタイ福音書にあるから、 悪人誇りをするようなキリスト教信者が出てくる。 かれらは、心が歪んだ、心のいびつな者が天国に行けるのだと思っている。 聖書の改ざんや誤訳の罪は重い。
341の訂正 がこんな箇所が → ○ こんな箇所が 聖書の中には数多くの誤りが存在していると思っていい。 イエスは自分のことを神だなどと言っていない。 パウロが、イエスを神のような存在に祭り上げているだけである。
日本語訳に囚われすぎ
なんにしても、日本人だから日本語で読みたいね。 意味がわからない文章は → 自分で考える、ネットで調べる。 基本的に、研究者や翻訳者を信頼している。
ラテン語やギリシャ語などを学んでも、専門家にかなうわけではなく、 だいたい、もともとの文書に誤りがあったら徒労だろう。 それより、たとえば新共同訳などを読み、 これは変な話だと直感する方が何倍も大切なのではないだろうか。
変だな、意味が通らないと思えば、調べ、考える作業が始まる。 翻訳に問題があるかも、と思うのは、その原因のひとつに過ぎないだろう。 しかし、原典の最初から間違っていたら話にならない。 翻訳に関しては専門家にまかせ、それでも気になるなら英語聖書にあたる のもいいだろう。しかしその程度にした方がいい。人生は短い。
今は昔と違って翻訳技術が格段に進歩している。 そういった恩恵にあずかろうではないか。浮いた時間は別の方向に使おう。 ギリシャ語がどうの、ラテン語がどうのと拘っているのはつまらない。
ついでにキリスト教にも触れておこう。 これについては信者・非信者それぞれにそれぞれのイメージがあると思う。 だから、ここに書くことは個人的な感想に過ぎない。 ★ イエスは神? → この世で飲み食いした人間が神であるわけがない。 イエスは自分が神であるとは言ってない。せいぜいモーセやエリヤと同程度。 パウロが、神のごとくの存在として、イエスを祭り上げたに過ぎない。
★ それではメシア? → これも果てしなく怪しい。 なぜならメシアはダビデの血筋から出るはずなのに、ダビデの血筋である ヨセフとは無関係に、聖霊によって誕生するからである。 んっ? 聖霊によって誕生するとはいったい何のことだ? こんなバカな話はない。これこそが聖霊を冒涜することではないのか。
マリアが聖霊で身ごもったと記述するマタイ福音書、ルカ福音書は 最初から怪しいのであり、ということは最後まで怪しい。 そこにはウソも方便という不誠実な姿勢がある。 聖霊を崇める福音書それ自体が聖霊を冒涜しているのではないか。 こういったことは翻訳に拘っていては見えてこない。
ギリシャ語の語感、元のアラム語の語感を完全に日本語化するのには 無理があるだろう。 無理があると感じたのであれば、その元の言葉の語感をつかむ。 そうでないと、イエスの本当の言葉は掴めないだろう。
イエスの話した言葉を非常に忠実に日本語化した聖書は、ある。
飲み食いしたイエスが神? そんなわけはないだろう! 人間イエスを神にしたら、まさに偶像崇拝だ。 それなのにキリスト教は「イエスを主と告白しなさい」と繰り返している。 この場合、主とは神の意味らしいのだが、推理小説の基本パターン、 読者の目の前に犯人をぶら下げておくヤツだね。 その山さえ越えれば、あとは自由自在に読者を操れるというわけだ。
354 :
神も仏も名無しさん :2011/06/09(木) 21:03:52.57 ID:ddv9Ysjo
新約にも旧約にも、聖書は学ぶべきで満ちている。それは認める。 しかしキリスト教は、人間イエスを神だと思い、刑具である十字架を心の 底から崇拝している。でもね、周囲から見ればグロテスクなだけ。 キリスト教信者はそれにまったく気がつかない。 もちろん他の宗教も似たようなものだ。→ いわしの頭も信心から
>>354 聖書は学ぶべきで → ○ 聖書は学ぶべきことで
キリスト教は、偶像崇拝だけでなく、イエスを神にした神殺しでもある。
こういう宗教が現代まで生き延びたのは、ローマ帝国以来、
真理だからではなく、権力の道具としての利用価値があったからだろう。
どういった利用価値があるのか。 欧米の植民地主義の先兵としての役割を果たしたではないか。 住民を<洗脳>して従順にする効果があるのだ。 福音もパウロも権力への従順を説いている。
ヨーロッパでは十字架をデザインした国旗が目立つ。 キリスト教が国教になっているのだろう。 しかしキリスト教がわかるにつれ、こういった国に生まれなかったことを 心から幸せに思う。人間を神にし、刑具の十字架を崇拝するなんて悪い冗談だ。 オレオレ詐欺のように、人間が簡単にだまされてしまう典型例である。
人間を神のような存在にし、刑具である十字架を崇拝している。 これだけで赤や黄色の警戒色なのだが、実際にかなり危険な宗教だと思う。 基本的に、キリスト教を信じない者は人間扱いされない。 異邦人はどうせ地獄に落ちるのだからと、かれらを殺しても罪の意識を感じない。 天国はキリスト教が独占している。キリスト教は本質的に差別主義である。
韓国の国旗、ヨーロッパの国旗が出てきたから、日本の国旗にも触れよう。 日本の国旗は太陽をシンボル化したものだが、子供の絵のようであり、 現実主義であり、太極図や十字架に比べ精神性が欠けている。 そう思ってネットで調べていたら、皇室に日月紋(じつげつもん)という 古い紋章があることを知った。横に細長い布に二つの円を離して描き、 ひとつを金色(太陽)、ひとつを銀色(月)に塗る。
日月紋は古い皇室の陰陽思想を推測させるが、 日の丸より精神性を感じさせるデザインではないだろうか。 こういう紋章があるなら、二つの円を少し重ね、四句分別でイメージした デザインがおもしろいと思う。呼び方は、日月、天地人、 あるいは神旗、聖霊旗などか。他に適当な呼び方があったら教えてほしい。
ブータンは龍をデザインしている。長方形に右上から左下に斜線が入り、 上の三角形は黄色、下の三角形は赤く塗られている。 その真ん中に、四足に宝珠を握った龍がいる。 日本の場合、龍神様をデザインした国旗には抵抗あるだろうね。 龍神様は信仰の対象なのだろう。少し重い。
362 :
神も仏も名無しさん :2011/06/11(土) 13:55:07.73 ID:gJ4OR8a+
新しい国旗のイメージがだんだんできてきた。 横長の白地に、旗竿の近くに金色の円、次に銀色の円を配置し、 円の重なった部分を白抜きにする。 〜 旗の名前は「日旗月旗」(にっきがっき)
金色の円 → この世の太陽であり、昼の世界であり、昼の思想だ。 現実あるいは現実肯定主義。まず最初に旗竿から金色の円が登場するのは、 この世は基本的に、物質やカネが必要であることを意味している。
銀色の円 → この世の月であり、夜の世界であり、夜の思想だ。 霊や霊界、龍神や霊魂、聖霊や【神】を意味している。 物欲や金銭欲で支配された人間にとって、極北の世界である。北極星。 この世を否定することで見えてくる。
365 :
神も仏も名無しさん :2011/06/12(日) 19:41:19.59 ID:bwF0Hsj5
ふたつの円が重なった、白抜きの部分(AかつB)→ 神と物質、生と死、 善と悪、愛と憎など、矛盾するものが同時に成立している世界だ。 これが生き物である。生き物は最初から矛盾する存在として登場する。 ここでは、神がいるようにも思え、いないようにも思える。
★ 仮称、日旗月旗は候補のひとつに格下げした。 実際に絵を描き、色を塗ってみると、どうもピンとこないのだ。四句分別や、 宇宙の成立、精神の成長を表現したつもりだったが気に入らない。
これだったら、皇室の日月(じつげつ)紋の方がよさそうだ。 日月紋では、金色の円と、銀色の円が離れている。品があり、バランスがいい。 皇室の古い紋章を国旗にすることは可能か。天皇は国家統合の象徴であり、 皇室はもとより、国民大多数の合意が得られるのではなかろうか。
この紋章が実際にどのような使われ方をしたかはわからないが、 かりに日月紋を描いた旗の下に国家統一が進められ、日本が成立したとすれば、 日本のロマン感じさせる、ありがたいデザインではなかろうか。 金銀で太陽と月が描かれており、そこには不思議な静けさがある。 陰陽思想であり、太陽=この世、月=あの世というイメージなのだろう。 この旗は、見る者の精神を高揚させ、日本への共感を抱かせる。
369 :
神も仏も名無しさん :2011/06/14(火) 00:35:53.79 ID:P4zFp7+Y
国歌は君が代、国旗は【日月旗】 → これがいい。 日月の読み方は、「じつげつ」ではなく、「にちげつ」に統一すべきである。 呼び方を間違えられないように、わかりやすい方がいい。
日月旗の呼び方は何が妥当なのか。
1 日月を(じつげつ)と読む ・・・ 過日は日を(じつ)と読ませる。
2(にちげつ)という読み方は普通であり、一般的だろうと思う。
3 日月神示は(ひつき、ひつく)と読ませる。
(じつげつ)も慣れたらしっくりするかもしれない。
>>369 を訂正する。
横に細長い旗だけでなく、縦に細長い旗もいいかもしれない。 この場合は、上に太陽、下に月を配置する。 地が白でなく、濃い青なら太陽と月が目立つだろう。 地が白、地が濃紺、二種類の国旗があってもいい。
太陽と月が分離 ・・・ もともとは陰陽思想なのだろう。 しかし、太陽を物質(死)、月を神(命)とし、生物(人間)が持っている、 生と死という二重性、矛盾を解決した境地をそこにイメージしている、 と設定することもできる。そう設定すれば、日月旗は究極の境地を表現する。
★ 日本の新しい国旗 ・・・ 話が左右したのでまとめたい。 1 皇室の古い紋章である日月旗を参考に新しくデザインする。 2 旗の呼称は、じつげつ、にちげつなど複数にし、あえて統一しない。
374 :
神も仏も名無しさん :2011/06/16(木) 19:48:49.62 ID:uHJpSone
3 横長の旗 → 旗竿の近くに金色の太陽、次に銀色の満月を配置する。 4 縦長の旗 → 上に太陽、下に満月を配置する。 5 旗の地色 → 白か濃紺の二種類にする。 6 横長、縦長、旗の地色はTPOで使い分ける。ex)ハレとケなど 7 現行の(日の丸)は経過措置として認められる。
普通、金色が上位であり、銀色が下位であると思われている。 精神が未熟なうちは、銀色の重要性が見えてこない。 しかし成熟すれば、命を表現する銀色の重要性を知ることになる。
世界の国旗192のうち、70以上が太陽、月、星、地球を描いている。 日本の国旗に太陽と満月を描くことは不自然ではない。 ふたつの円は奇抜であり、そこに陰陽を感じさせようという意図がある。
★ 陰陽思想とは何か もともとは中国の古い思想(伏義が考案? 5000年前?)であり、 これを周王朝の文王・その子周王がまとめたもの。 → 『周易』 さらに孔子が解説をつけ、儒教の経典になる。 → 『易経』
以上は『易経』成立の伝説であり、実際にどうだったかは不明である。 太古の天子・伏義などは、上半身は人間、下半身は邪身であったとか。 まあ、それくらい古くからある思想だということなのだろう。 だから、この陰陽思想の原作者がどこのだれかはわからない。 中国人、漢民族が考案したかどうかもはっきりしない。 中国の思想だと主張しているだけ。
中国には長江文明(BC14000年〜BC1000年)があった。 この文明は最近の発掘で、ジャポニカ米の水稲耕作をしていたことがわかった。 そこでこの周辺がジャポニカ米の発祥ではないかと推測されている。 日本ではBC6000年前のジャポニカ米のプラントオパールが確認されている。 韓国では、BC2000年前の「畑作米」しか確認されていない。 したがって、日本の水稲耕作は韓国経由ではない。
日本最古の水田稲作遺跡はBC3000年〜BC2800年である。 他方、朝鮮半島では「AD」1500年前しか遡れない。 中国の史書によれば、長江流域に倭人の王国が複数あったらしい。 長江文明は黄河流域にいた漢民族の南下によって滅びるが、 そこから日本への移住が生じた可能性が推測できる。
何が言いたいかといえば、日本の陰陽思想は相当古いものであり、 もしかすると日本人こそ陰陽思想の考案者なのかもしれない、ということ。 たぶん、中国人や朝鮮人は気を悪くするだろう。 しかし可能性としてはありえる。 記紀によれば、日本の神話時代、天照大神はすでに稲作を行っている。 そして神武天皇以下、日月旗で日本統一を進めたのではないか。
話を戻せば、孔子が晩年、『易経』に没頭したことが特に興味深い。 理を語るには、理の土台を明らかにしなければならない。 この世は混沌ではなく、正しい道理があることを示さなければならない。 その究極の土台、孔子はそれを『易経』に求めている。 これで孔子、孟子、儒教、朱子学が見える。限界も見える。 孔子が神を語らないこともわかる。
周易 ≒ 易経 の基本は、太極(混沌)は陰陽を生じ、 陰陽は四象を生じ、四象は八卦を生じ、八卦は六十四卦を生じる、にある。 (老子は太極の前に無極を設定するらしい。) この「考え方」は、正反合の弁証法と瓜二つ、 変化をとらえようという思考である。弁証法と陰陽思想とは最初は同じ、 しかしその後の展開が異なる。一方は科学、一方は占い。
正反合の弁証法はせいぜい、太極、陰陽、四象までだろう。 四象とは、陽→老陽・少陰、陰→老陰・少陽である。 易はその先まで読もうとする。八卦、六十四卦など。 しかしこの世の森羅万象を数え上げることは永遠に不可能である。 さらに筮竹を選ぶ作業は偶然ではないか。 だから、あたるも八卦、あたらぬも八卦になるのだと思う。
385 :
神も仏も名無しさん :2011/06/18(土) 23:27:58.41 ID:HazMybix
晩年の孔子がこういう易に没頭した! ここに孔子の限界を見る。 孔子は聖人だ。孔子を尊敬している。しかし知識と行いには距離がある。 易に没頭する孔子に、知識における孔子の限界を見る。
>>378 の訂正 下半身は邪身 → ○ 下半身は蛇身
人間には、究極的なものが必要なのだと思う。
なぜ伏義の上半身が人間であり、下半身が蛇身なのか。 神話にはそういったイメージがたくさんある。 人間は、生と死、命と死、霊魂と物質など、矛盾した存在だからだろう。 そういうメッセージなのだと思う。神話はそれを暗示している。
>>379-378 には年代の誤りがあった。→ @以下で訂正する。
@ 長江文明 ・・・ BC14000〜BC1000
長江中流域を中心とし、ジャポニカ米の発祥地と推測されている。
A 最古の米 日本 ・・・ 6000年前の、稲のプラントオパールが発見されている。 朝鮮 ・・・ 4000年前の、炭化米が最古。陸稲である。 B 最古の水田遺跡 日本 ・・・ 2800〜3000年前 朝鮮 ・・・ 1500年前
C ジャポニカ米の遺伝子分析 朝鮮、中国東北部の稲は、ジャポニカ米の一部遺伝子を欠いている。 D 水稲のルーツ = 弥生系日本人のルーツ 日本の水稲は、朝鮮経由ではなく、大陸からの直接伝来であり、 江南→北九州ルートが推測されている。
391 :
神も仏も名無しさん :2011/06/29(水) 18:53:29.21 ID:M7hN16da
日本民族が順調でありますように 日本民族を祝福する者が祝福され、呪う者が呪われますように
392 :
神も仏も名無しさん :2011/07/09(土) 13:24:34.68 ID:BZXBP12v
なんで朝鮮人って狡いんだろうね、
元あっちの住人はここ来ようぜ 向こうは粘着居座りすぎて話にならん
394 :
神も仏も名無しさん :2011/07/26(火) 17:51:08.93 ID:Xz2H17Kx
朝鮮は第二次大戦を日本と共に戦ったはずである。 それなのに戦後は、まるで被害者、戦勝国のような顔をしている。 しかし憐れなことに、緊急時には米軍の指揮下に入る協定をしており、 独立国家としての面目を失っている。
395 :
神も仏も名無しさん :2011/07/31(日) 19:45:28.36 ID:ITm6xpHe
今年は自然災害が多すぎる。悪政のせいなのか。
396 :
七面大明神 :2011/08/01(月) 02:06:00.73 ID:bz9Aj7qk
それは間違い。 日章旗のルーツは清和源氏甲斐源氏
397 :
七面大明神 :2011/08/01(月) 02:07:41.80 ID:bz9Aj7qk
>>395 なんでも悪政のせいにするが大衆社会の堕落は罰の対象にならないのか?
ちょっとお聞きしたいのですが、 返礼に持って行く清酒は開けなくても龍神様は飲めるのでしょうか? また、小さい神社なので頃合いを見計らって引き下げた方がよろしいのでしょうか? あと、末代までお祀りする事が出来ない(無責任になれない)ので、家に神棚を置けないのですが、それでもたまに会いに行ったりしても良いのでしょうか? ちょっと信じられない事が続いていて、携帯からのカキコミで読みにくいかもしれませんが、どなたか返答頂けると幸いです。
399 :
神も仏も名無しさん :2011/08/01(月) 19:21:34.77 ID:R73FAVSx
>>398 龍神様は霊界で生き通しです。
実際に酒を飲むわけではないので、缶のふたを開ける必要はありません。
お供えは管理者がいずれ片付けると思います。
龍神様への思いを表現したいからお酒を供えるのだと思いますが、
わたしは自分なりの小さな祭壇を用意し、毎日お水をお供えしています。
信仰は気持ちです。自分が納得できればそれでいいと思います。
400 :
神も仏も名無しさん :2011/08/01(月) 19:31:31.76 ID:R73FAVSx
国家のリーダーとして財政に力をいれる者は、必ずつまらない人物を手先に 使うものである。彼はこの人物を有能だと考えているが、つまらない人物に 国家を治めさせると、天災や人災がしきりに起こる。 たとえすぐれた人物がいたところで、もはや手の施しようもなくなるのである。 「国にとっては財物を得る利益は本当の利益ではなく、道義を守ることこそ 本当の利益だ」というのはこのことである。・・・『大学』6章より
401 :
398 :2011/08/02(火) 07:03:10.02 ID:fy4cRWF6
>>400 箱根の龍神様をいいように使った西武国土開発がいい例だね。
あれだけ熱烈に信仰してたのに後継者が龍神様のお屋城の周りをリゾート開発してしまった。まもなく国土開発は大きく傾いた。
私が始めて訪れた時に、湖に面したお屋城の石垣に蛇が顔を出してくれた。
お姿をお示しになってくださった。
しかし七面山も抑えが効かず箱根山も周辺が穏やかではなくなった。
諏訪も沈黙を保ったままで何もお示しにならない。
日本はどうなってしまうのだろう。
403 :
神も仏も名無しさん :2011/08/13(土) 18:12:52.69 ID:cnC/ZqLC
冷夏よりいいけど、このところやたら暑い。 ぐったりしてアイスノンを枕に寝ていたら、セミの声で目が覚めた。 どこで鳴いてるだろう、などと思っていたら、部屋の中で鳴いていた。 アブラゼミがレースのカーテンとガラス窓の間にいる。 カーテンをずらしながらそっと逃がしてやった。
404 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 18:17:22.73 ID:XLp1Gin1
心の貧しい者について・・・ それは、暗に地球から出て行け!と言われているのでは・・・?と最近思った。 天に行く→自分ですべて生み出していく→地球の豊かさを思い知る・・・みたいな。 だって、聖書ではお金を稼ぎなさい、みたいな箇所あるし。。。
昨日の朝、ベランダにチョウがひっくり返っていた。まったく動かないので、 死んでいるのだろうと思った。しかし、少し経ってから見ると、 自分で起き上がっているではないか。なんだ、生きていたのかとホッとし、 そばにほんの少しの水を置いてやった。しかしその後、再び動かない。 起き上がってから死んだのだ! 何となく厳粛なものを感じてしまった。
406 :
神も仏も名無しさん :2011/08/25(木) 20:44:49.97 ID:zc2iFMC/
それと、心が貧しい者は、心が貧しいので何も生み出せない。 それを、地球の神様が慈悲で、生かしてあげていると思う。 ・・・でも、餓鬼(子供欲しがるのが)が増えすぎて、地球をむさぼり始めた。 だから、それは整理されるべきだと思う。
>>404 >>406 話が抽象的でコメントできない。
何か悩みがあるなら、もう少し具体的に書いた方がいいよ。
408 :
神も仏も名無しさん :2011/09/08(木) 22:55:38.95 ID:DLz6nXvS
吉野裕子著『蛇』講談社学術文庫を読了。 鏡は蛇だとか、鏡餅は蛇のトグロだとか、独創的な話が山盛りである。 夜の虹は龍神らしい。秋の夜長にどうぞ。
吉野氏によれば、「人間は本来蛇であるゆえに・・・ その生誕は蛇から人への変身であり、死は人から蛇への変身である。」 だそうである。いくら蛇が好きでも、そこまで行くか?
陰陽五行の人か 龍の記述も多いよね
411 :
神も仏も名無しさん :2011/09/20(火) 18:10:14.66 ID:haBVQa/g
牽強付会な印象もあるが、アイデアがユニークでけっこう読ませる。 古代日本の蛇巫には感動した。頭に蛇を巻きつけるなんて想像もできない。 大昔は蛇蛇蛇ですね。ひらひらとマムシ操る巫女の指。 そういえば今年は、水神様が大暴れしている。
412 :
神も仏も名無しさん :2011/10/13(木) 18:22:57.79 ID:mbXJWFzc
タイでも水害、日本企業を直撃。もう偶然ではない。
413 :
神も仏も名無しさん :2011/10/30(日) 08:46:24.41 ID:B4nfcZPf
TPPへの参加、消費税の増税をやめますように
414 :
神も仏も名無しさん :2011/10/31(月) 00:45:25.37 ID:7IlSfCUb
東京スカイツリーの影響
>>414 来年の5月頃に営業を開始するらしいね。
ここも洗脳デンパか。
消費税ちゅうのは、ホームレスからも税金を取ろうとする税金だな。 貧しい者ほど痛みが大きくなるように仕組まれている。 人頭税に似た、犯罪的な税金だよね。
417 :
神も仏も名無しさん :2011/11/04(金) 17:51:04.31 ID:4uGsz+44
TPPなんぞに参加したら、いざという時に何人餓死者が出るのやら。 野田を始め、いったいどこの国の政治家なのか。 まさか在日じゃないだろな。
俺の背骨にはくすんだ元気のない龍が住んでる。 こないだ一瞬だけ見えたえ
山川の末を流るる橡殻も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ 空也上人 生きよう生きようと思えば、 逆に追い込まれていくような状況もあるかと思います。 そんな時は、生きようという思いを捨て、精神的に死んでみるのもありかと。 今まで気づかなかった、意外な活路が見えてくることもあります。
自分の命を優先すると、その誤りを気づかせるためなのか、 新しい試練が次々に襲いかかるような気がします。 常に死ぬ覚悟をしていないと、龍神様の気に入らないような感じです。 当たり前なのですが、自分のために生きるのではなく、 周囲(生き物全体)のために生きよと。 そう思えば、自分の苦しさを忘れ、逆に気が楽になるよさもあります。
421 :
神も仏も名無しさん :2011/11/10(木) 12:59:40.57 ID:aBcCf8aE
TPPへの参加をやめますように 大規模店の地方進出を許し、地方都市はシャッター通りと化した。 TPPに参加すれば、日本の田畑は荒地と化し、今度は農村が破壊される。 政治家どもは気が狂ったのか? お前たちは日本を壊したいのか! 日本は瑞穂の国ではないか。それを壊してどうする。
TPPに参加しようとしている、 野田と菅と鳩山、民死党が呪われますように
424 :
神も仏も名無しさん :2011/11/20(日) 18:11:55.73 ID:ezoyx/lQ
TPPへの参加をやめますように TPPを推進している民死党が呪われますように
425 :
神も仏も名無しさん :2011/11/28(月) 18:25:09.27 ID:XjU5tjQZ
426 :
神も仏も名無しさん :2011/12/06(火) 23:04:18.11 ID:9uq2Zrsg
TPP賛成派 @ 民主党・・・菅直人、野田芳彦、岡田克也、松原仁、藤井裕久など A 自民党・・・安部晋三、石波茂、中川秀直、小泉進次郎、河野太郎など B みんなの党・・・渡辺喜美、江田憲司など TPP反対派 @ 民主党・・・小沢一郎、鳩山由紀夫、山田正彦、長尾たかし、鹿野道彦など A 自民党・・・西田昌司、稲田朋美、小野寺五典、加藤紘一など B 共産党・・・党として反対 C 国民新党・・・亀井静香など D 新党日本・・・田中康夫 E たちあがれ日本・・・平沼赳夫、藤井孝男など F 無所属・・・城内実など
TPP賛成派には、 親米派(日米安保の重視)と新自由主義論者が混在している。 TPP反対派には、 親中派(東アジア共同体の重視)と民族派(自主防衛)が混在している。
428 :
神も仏も名無しさん :2011/12/07(水) 08:11:56.96 ID:bGRbYPw3
今時右とか左で区別するよりも、「構造改革か国体護持か?」で区別した方がいいかもしれない。共産党は愛国心や尊皇心は無いけど、郷土を守るパトリオティズムはあるかもしれない。 逆に保守派と呼ばれる人達は、愛国心はあるはずなんだけど、郷土を守る感覚が欠如していたり、政府や財界に目が眩んで郷土や家族を破壊するイデオロギーに加担しているかもしれない。 左翼は、「天皇や軍隊は軍国主義に繋がる!愛国心はいけない!資本主義は貧富の格差を拡大するからいけない!」って考えるし、右翼は、「中国や北朝鮮は危険だ!日米同盟を強化しろ!社会主義はダメだ!市場経済万歳!」って考えるのは、もう通用しないと思う。 国家(皇室の将来を安泰にする、自主防衛の強化)と故郷(地域の文化保護・伝統の継承、家族や住民の生活を担保)の両輪が正確に稼動できないといけない。そういう為政者が必要だと思う。
429 :
神も仏も名無しさん :2011/12/07(水) 18:34:40.31 ID:NoE+BD2E
愛国心(外交)と郷土愛(内政)は車の両輪ですね。 中国人は中国の国益で判断し、アメリカ人はアメリカの国益で判断する。 かれらと同じように、日本人は日本の国益で判断する。 中国人や韓国人やアメリカ人なら仕方ないだろうが、 日本人で日本の国家利益を害する政治家は売国奴以外の何者でもない。 よくよく話せば、日本人同士、わかりあえると思いたいですね。
今はもう、右翼(ウヨ)とか左翼(サヨ)とか、 おたがいがレッテルを貼っている時代ではないと思いますね。 国が亡くなったらウヨもサヨもないだろうに。 国を亡くした民族がどれほどの悲惨を味わうことになるのか。 ユダヤ人の歴史がそれを教えてくれる。
431 :
神も仏も名無しさん :2011/12/19(月) 17:55:49.67 ID:WTw9iKvH
新自由主義者(構造改革論者)って売国奴だよね。 小泉・竹中を筆頭に、この手合いが自民党にも民主党にもごろごろいる。
日本を敵視し、反日教育をしている韓国人が呪われますように
434 :
神も仏も名無しさん :2011/12/20(火) 17:32:41.65 ID:qOUfSX0A
435 :
神も仏も名無しさん :2012/01/01(日) 08:37:33.17 ID:Yk0T1AVN
龍神様が今年の干支だね。何だかワクワクする。
436 :
神も仏も名無しさん :2012/01/01(日) 08:43:04.21 ID:V4sTFFtK
>>435 イヤーオブザドラゴン
昇龍は同時に激動をもたらすだろうね
時代の開花期は古い価値観との戦いの時でもあるから気を引き締めよう
437 :
神も仏も名無しさん :2012/01/13(金) 18:00:53.11 ID:qXnaYkUM
民主党政権が崩壊しますように
消費税の増税をやめますように TPPへの参加をやめますように
売国奴民主党、ウソつき民主党にはもはや権力の正統性が失われた。 今年前半に、衆議院の解散総選挙がありますように
440 :
神も仏も名無しさん :2012/01/14(土) 18:25:22.64 ID:fF9hFv0C
昔、河で泳いでた白蛇をみつけた 石を投げたら命中しちゃってしずんでそれからしばらく見てたけど 浮かんでこなかったこここなこなかった 終わったなと思った 綺麗だったからそんお白蛇が遠くに行っちゃうのを 阻止したかっただけなんだけどね 沖縄に移住計画をたてているので ハブにかまれて逝ってきますwwwwwwww あのときの白蛇さんごめんね 痛かったしびっくりしたよね ごめんね
みんな子供のころ、それが良いか悪いかを知らずに、 小さな生き物を無意味に殺したことがあるのではないだろうか。 今になって思えば、悪いことをしたことに心痛むのだが、 もう取り返しがつかない。割れた皿は元に戻らない。 ごめんねと心の中でつぶやくしかない。
でも「ごめんね」と謝ればそれで許されると思う。 許してくれるのは神、無意味に殺してしまった生き物ではない。 この地上では、殺したり殺されたりして生きている。 戦争もそうだし、食べることもそうだし、靴に踏まれたアリもそうだろう。 放射能を浴び、やがて無意味に殺されるかもしれない。
それよりも何よりも、龍神様は地上の蛇とは違う。 龍神様は霊界に住んでいる。龍神様は夢の中に現れることがある。 これを恐れ、敬うべきではないだろうか。
夢の中では、ひたすらやさしくしなければならない。 人に対しても、小さな生き物に対しても、ひたすらやさしくしよう。 やさしくしないと、敵意をむき出しにして襲いかかってくる。 かれらはきわめてストレートに動いている。 やさしくすればやさしく応じ、乱暴に扱えば乱暴に扱われる。
たとえば、家の中にゴマ粒ほどの昆虫が二、三匹いたとしよう。 普通は紙でつまみゴミ箱に捨てる。そうしようとしたら、 なぜかうまく捨てられない。ティッシュから垂れ下がって逃げられた。 それどころか数が増え、廊下中に広がり、殺虫剤を使っても駆除できない。 その上、腰を下ろしたヒグマがいるではないか。危険すぎる。
夢って、こういった展開をするんだよね。 当たり前の思い、当たり前の行動、それが問われている。 最後はヒグマだものね。家族を避難させようと、ヒグマを刺激しないように ゆっくり後ずさりしたよ。冷静なんだけど目が覚めてしまった。 ゴマ粒のような昆虫君、ごめんね。
民主党政権は崩壊してしまえ! 解散総選挙だ!
相手が人間なら失礼がないようにと気を使う。だから何事もなく終わる。 目覚めてから、よく無事だったと我ながら感心する。 ところが小さい生き物は難しい。屋外ならほとんど気にしないが、 問題は屋内にある。クモとかいたら、捕まえて屋外に捨てるようにしている。 しかし、蚊やゴキブリは問答無用、殺してしまう。
蚊やゴキブリは問答無用、この精神状態が問題なのかもしれない。 悪いことをやっているという意識もなく、蚊やゴキブリを殺してしまう。 それが当たり前だと思っている。その容赦ない思いが、 ゴマ粒のような昆虫に対しても向けられ、同じ生き物だとは思わない。 家の中にいてほしくない。それだけで殺してしまう。
家の中に小さな生き物がたくさんいたら、 食物連鎖をイメージし、次々に大型の生き物が現れるのではないか。 そう思って容赦なく殺虫剤を使うことだろう。 ふだん、そんな風に思って生活しているから、そういう夢を見る。 たぶんホームレスなら、小さな生き物とも仲良くできる。
ゴマ粒のような昆虫がヒグマの仮の姿だったとしても、 それを知らないのだから、やはり紙でふき取ってゴミ箱に捨てるだろう。 その精神状態を壊すには、家を捨てホームレスになり、 屋内・屋外という境界をなくさなければならないのかもしれない。 家があるのにホームレス。この心境かな。
家の中の蚊やゴキブリを認めるか。あーだめだ。絶対認められない。 やっぱし容赦なく殺してしまうよ。ごめんなさい。
夢の中で、ひたすらやさしくする。 この考え方は、ジャイナ教の不殺生、無害の教えに近いかもしれない。 かれらは蚊もゴギブリも殺さないのだろうね。
結論としては、小さな生き物を含め、無益な殺生をやってはいけない。 傷つけてもいけないし、その心を傷つけてもいけない。 食は腹八分目とし、たらふく食べてはいけない。 食前食後に謝罪し、感謝の祈りを捧げる。食は厳粛である。
小さな生き物を誤って殺したり、傷つけたりしたら、即座に謝ろう。 蚊やゴキブリは例外であり、敵対的な生き物には反撃もやむをえない。 しかし、殺してしまったら「ごめんね」と素直に謝ろう。 敵の遺体を前にしたら、その兵士のために、神に祈りを捧げよう。
ジャイナ教では、あらゆる殺生を否定する傾向がある。 生命を絶対視、それこそ何も食べないで死ぬことが理想らしい。 しかしこの考え方はまちがっている。 生きることが大事なのであり、生きるために必要な食事は肯定され、 人間を含む、敵対的な生き物に反撃することは許されている。
無用な殺生はよせ。精神的にも肉体的にも、相手に危害を加えるな。 嫌いだからと、相手の心を傷つけてはならない。 人であれ虫であれ、受け太刀で応じることが肝心!
458 :
神も仏も名無しさん :2012/01/18(水) 23:00:13.58 ID:Z7hy6J1p
へびがこっちきた
実際の話か、夢の話かわからないのだけど、 夢の話だとしたら、夢の後味がポイントになるだろうと思うよ。 楽しい、安らかな気分などはいい夢。恐ろしい、気が滅入るなどは悪い夢。 悪い夢なら、夢を思い出して、どこが悪かったのかを考えるといい。
釈迦は地面のアリを踏み潰さないように歩いたという。 ジャイナ教は微小な生き物であっても傷つけないように生活する。 どちらも生命を神のごとくに大切にする。
461 :
神も仏も名無しさん :2012/01/23(月) 22:13:25.92 ID:gDC6/9kV
だからこういうことでしょう 「あなたは私であり、私はあなたである」 みんながそれに気がつく前に死んじゃうから いつまでたってもなくならないんだ おまえは小さな魚に生まれ変わって海へ戻る でも他のものにもなるんだよって 袖擦り付けあうのも多生のうぇんなんだZEーーーーッ
結論は同じだが、その理由は二通り考えられる。 @ 人を含め、生き物は輪廻転生する。→ この世の話 A 死んだら霊界に行き、霊界には生き物の霊が住んでいる。→ 霊界の話 仏教、ジャイナ教は、@の立場なのだろう。 わたしはAの立場であり、@に関しては保留している。
仏教、ジャイナ教の生命観は、生命を大切にしようとするのだが、 そのために殺生をしなければ生きられない現実を否定し、 この世からの脱出、解脱を最終目標にする。厭世的な世界観とも言える。 キリスト教も似ている。キリスト教の理想、神の国は霊界にある。 これらの宗教は、現実を否定するところに共通点がある。
これらとは逆に、この現実を肯定する立場もあると思う。 生命は生命だけでは虚無であり、生命が物質と出会うことで生物が誕生する。 生命は、この地上で意味を持つのであり、この地上を目指している。 であれば、この現実、生物の営みは、基本的に肯定されるべきではないのか。 神道、ユダヤ教などはこういった宗教ではないだろうか。
弱肉強食の現実を肯定する? しかし何をやっても赦されるわけではない。 この世には神が君臨しているのであり、やってはいけないことがある。 やってはいけないことを学ぶ。これが重要なのだと思う。 たとえば旧約にある十戒もそのひとつだろう。しかしこれだけでは足りない。 一寸の虫にも五分の魂、これを学ばなくてはならない。
466 :
神も仏も名無しさん :2012/01/24(火) 00:19:17.81 ID:SYsi9VbM
昨夜は旧暦の1月1日、少し雪が降っていてよい元日でした。 旧を意識すると、正月が二度やってきますね(^^) 今年は小さな虫も意識したい。 恐竜に踏み潰される人間のことをイメージしたいと思う。
467 :
神も仏も名無しさん :2012/01/24(火) 06:41:53.36 ID:+I39QM1U
キャバ状やってるけど腹黒いニンゲン多すぎワロスw 色々勉強になるけど吸い込んで溜め込まないようになぁ〜 受動喫煙と同じだべ さっさと去るのが賢い女 去らない私は引きずり女 ダレガウマイコトwwwwwwww 神棚、ちゃんとあるとこは 空気が違う それはわかったったwwwwwwwwww
468 :
神も仏も名無しさん :2012/01/24(火) 06:43:21.72 ID:+I39QM1U
469 :
神も仏も名無しさん :2012/01/24(火) 10:23:59.99 ID:GHPoSClZ
小さな虫を踏まず焼き肉屋に行け
焼肉? 嫌いなんだよ。食べたいとは思わない。
>>467 どんな場所でも、人間を相手にしていると疲れるよ。
周囲から変人だと思われても、人付き合いが悪いと思われても、
神様や自然を相手にしていると安らかになる。
旧暦の1月1日は朔、新月にあたる。 月が消えた夜に、神様をお迎えしてもてなし、生命の復活をお願いする。 そういった意味が新月にあるなら、旧暦の毎月1日は新月だから、 その日に神様をお迎えし、毎月の節目として大事にしたい。 棚から牡丹餅、いいことに気がついた(^^)
民主党が倒れ、解散総選挙が行われますように
消費税増税が粉砕されますように
TPPへの参加が粉砕されますように
476 :
神も仏も名無しさん :2012/02/05(日) 18:14:35.05 ID:ceVzprUo
小窓にゴマ粒ほどの虫がいる。夢のこともあって爪楊枝で逃がしたやった。 最初は爪楊枝をよけていたが、二、三回目にやっと外へ飛んで行った。 別にどうということもないのだが、翌日、その翌日と幸せな気分に包まれた。 何でだろうと不思議に思ったが、思い当たる節はこれしかない。 夢 → 現実 という順番がよかったよ(^^)
運の良し悪しの秘密は順番にもある。 順番を支配しているのは人間ではない。神だろうと思う。 時の支配者・神が、ものごとの順番も支配している。
小さな虫も殺さないジャイナ教や、アリも踏まないように歩いた釈迦の 心境に近づけたことが嬉しかったのかもしれない。 信仰を深めることができた。キリスト教はここまで徹底していないよね。
479 :
神も仏も名無しさん :2012/02/06(月) 19:51:43.00 ID:L2QIosLs
http://blog.livedoor.jp/tarabasitaraba302/ 「わたしは、100m走ではジャマイカのウサイン・ボルトの9秒58より早く走ることができます。
日本の代表に選らばれていないし、どこかの公式大会で走ったこともありません。
また、人前でそのような速さで走ったこともありません。でも9秒58よりは早く走れます。
ただ本気で走っていないだけなのです。
わたしを本気にさせる人がいれば、本気で走ってもかまいませんが、わたしを本気にさせる人がいませんから。」
・・・
と、誰かに言われたらどうしますか?
普通は笑うか怒るかバカにするでしょう。
とにかく信じないでしょう。
・・・
ところが、こういった話を信じる人は世の中に存在します。
ただし、信じようが信じまいがその人の勝手です。
さて全く話は変わりますが、僕が以前所属していた教団では、2005年につぎのような宣言がなされました。
「当教団の九頭龍師が九頭龍に真剣に祈るならば、今後30年間、台風による死者を0人にしてあげよう・・・」
これには、信者たちも拍手喝采でした。
しかし残念なことに、以下のようになってしまいました。
480 :
神も仏も名無しさん :2012/02/06(月) 19:54:17.59 ID:L2QIosLs
「11年版 理科年表」より 近年の主な台風 06年 9月 13号 死者不明 11人 07年 7月 4号 死者不明 7人 09年 8月 9号 死者不明 28人 10月 18号 死者不明 6人 2011年9月20日 毎日新聞より 11年 9月 12号 死者 70人 不明 26人 (11年9月20日現在) 2011年9月22日 毎日新聞より 11年 9月 15号 死者 6人 不明 5人 ***************** お亡くなりになられた方のご冥福を、お祈りいたします。 ところで、○龍は何をしているのでしょう。 毎度のごとく九頭龍は、こう言います。 「わたしを本気にさせる祈りをしないならば救わない」 ・・と。 ホントですか? 僕が見ている限り、多くの信者、特に九頭龍師の人たちは本気で祈っていましたけれど・・・ それでもそんなあまのじゃくな、いえ不謹慎なことを言う龍ってなんなのですか? ・・・ しかし残念ながら、九頭龍の言葉を真剣に受け止め、反省する人は案外多いものです。 信じようが信じまいがその人の勝手ですが・・・不思議な宗教ってたくさんあるんですね、不思議な話を信用するひとってたくさんいるんですね。
人間は、人→神の視点で整理すれば、次の三つに区別される。 @ 神に出会ったことがある。神は存在する。神はいる。 A 神に出会ったことはないが、神を信じている。いわゆる信仰者である。 B 神を信じない人々。
@とAの人々の祈りが、すべて受け入れられるわけではない。 神→人の視点に立てば、受け入れられる人と、受け入れられない人がいる。 どんなに熱心に祈っても、人間は神を左右できない。 人間にできることは、神にお伺いをすることではないだろうか。 神に受け入れられたように見えても、それが神の意思ではなかったのか。
@の祈りは、神に受け入れられやすいと思う。 なぜなら、苦しむことで自我が破壊され、それによって神に出会ったから。 かれは神に出会ったから、神に近づくこともできる。 その人の自我は祈りの邪魔になる。
484 :
神も仏も名無しさん :2012/02/07(火) 21:41:02.03 ID:2VG1/LUX
Aの祈りは、うまくいく場合もあるし、いかない場合もある。 神を知らないから、神に近づく方法も漠然としている。 マタイ福音書4章に「あなたの神である主を試してはならない」とある。 砂の上に家を建てたら、その責任は建てた人にある。 倒れないように祈ってもムダだと思う。
神にお伺いすることが祈りなら、祈りには予言としての機能がある。 それは、古事記などに登場する占いであり、未来に関する第六感でもある。 こうなるかもしれないという思いが心をよぎり、実際そうなるとしたら、 万難を排し、自分自身を信じて行動し、準備すべきではないのか。 祈っても、半信半疑では後悔するかもしれない。
486 :
神も仏も名無しさん :2012/02/08(水) 00:36:10.07 ID:2koNmPN6
話が混乱する原因は、Aの人が@の人であるかのように発言し、 振舞うからではないだろうか。えらそうに発言してる99.99%が、 神に出会ったことがない人だということ、これが問題なのだ。 かれらはお金のために演技している。探している人は自分の周囲にいない、 と思った方が正しいだろう。
487 :
神も仏も名無しさん :2012/02/08(水) 17:34:48.03 ID:kG5HG013
陽天神機 白白萬福 一斛万水 湖風水明 輪輪覚明 萬化益々 鎮化伏静 縁生蓄財 朝日杲杲 運天回理 聴聞神声 萬事神言 一聴萬覚 覚覚神性 天性蔽遮 神守即戒 得々了解 神徳赫赫 復礼帰中 開玄開理 天徳飛来 具足圓満 不二神龍 即神即人 (九頭龍秘文 ) 超逸清々 九頭龍神出 一切功徳 萬々実成 (ちよーいつしんしんくずりゅーしんしゅついっさいくーどくばんばんじっせー ) (神化咒) トラトラ ジオンジオン チトフルモ トチャソウトチャソウ ホンミアン ジオン プラトアミアミ ミトラホン ホントラツ トオライ タチプララソト チタチトアミホン (九頭龍神歌 ) くりかえす祈りの言葉に命あり 誠と道のありて奇けき ずいぶんと磨けた如く思えども 足りぬ至らぬものが人なり りくつより直の心の人達の 誠表す行いぞ善き ゆれうごく心あれども信じたる 強きもののふ魂にわれ生る うみ山もいとわずゆくはわが心 動かす誠のある人願い じん生に挫折あらざり九頭龍に ともなわれたる日々送る人 ん命を呪いたまうな今日こそは 生まれ変わりの日々と思ひつ
保守
祈りとは、神にお伺いすることである。 自分を祈ることと、神にお伺いすることには、天地の開きがある。
民主党政権が倒れますように
保守
民主党政権が倒れますように
493 :
神も仏も名無しさん :2012/03/06(火) 17:05:01.65 ID:O4j2UBC2
日本民族を導きお守りください
東日本の水源は壊滅的に汚染されてしまった。 龍神さま、水神さまもたいそう悲しまれていることだろう。
495 :
神も仏も名無しさん :2012/05/31(木) 21:55:13.95 ID:TRj7GpGN
庚申会龍神総宮社へ行って、奇跡がおきなかった人はいませんか?
496 :
神も仏も名無しさん :2012/06/16(土) 15:38:39.87 ID:H0sdNRbZ
497 :
神も仏も名無しさん :2012/06/17(日) 00:52:18.40 ID:3o5E4cND
弁証法を理解し、限界?を突破すると、霊感を得られるのだろうか…?
tpp参加決定 大陸に食いまくられる エヴァか
創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね
阿含宗桐山教祖の逮捕歴 昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕 警視庁西新井署 十二月手形詐欺容疑で逮捕 千葉県松戸署 二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕 警視庁防犯課 二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決 五月入所 十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
501 :
神も仏も名無しさん :2012/12/05(水) 06:51:06.56 ID:oo4SqsRb
来年は巳年だね
502 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 19:04:28.24 ID:qTgCWNS5
蛇と言えば百歩蛇。 台湾にいる毒蛇で、百歩で死んでしまうほどの猛毒らしい。 連続する三角形の模様がこの蛇の目印になっている。 今年、衣装の柄でしかないが夢で見たよ(^^)
>>502 へぇ〜。
しかし、台湾でもっも危険な蛇といえば、『雨傘蛇(あまがさへび)』らしいね。
コンビニで『本当にいる世界の「超危険生物」』(寅吉達郎著、笠倉出版社)を買って読んだら、出ていた。
この蛇の厄介な所は、暖を求めて“人家に侵入してきたりする”事だという。
ちなみに、毒はちょっと特殊でペプチド毒らしい。
雨傘蛇は名前からして危険だね。 ありふれた日常語だと、新種を思わせて背筋がぞくぞくする。 コンビニ蛇がいたらどうしよう。恐ろしや。
505 :
質問 :2012/12/28(金) 22:35:17.90 ID:44SkQNM4
西洋のドラゴンと東洋の龍神様は実際のところ関係あるんでしょうか?
龍神とドラゴンはもともと同じだが、その役割によって見え方が違う のではないだろうか。龍神は神の使いであり、下界の正義を神の代わりに 実現する。他方ドラゴンは、神界を守る役割であり、神界に潜り込もう とする人間をチェックし、奈落へとUターンさせる。 両者の関係は、創世記のエデンの園に描かれているように思う。 アダムとエバがエデンから追放されるきっかけを作ったのは蛇であり、 そのエデンを守る番人も蛇である。
507 :
505 :2012/12/29(土) 19:57:25.41 ID:Nn3+Aq14
508 :
神も仏も名無しさん :2012/12/29(土) 22:12:52.02 ID:1Zmk3LUp
>>495 先代が生きてた頃は良かったけど、今はダメポ(´・ω・`)
>>503 タイワンハブなんかだって相当に危険だと聞いたことがある。
(ヒャッポダなんかはまだ動きが鈍いけれど、タイワンハブのほうは動きが非常に敏捷!)
※こちらは血管毒系統のクサリヘビ目なようで。
ちなみにアマガサヘビの仲間の中でもキイロアマガサとタイワンアマガサでは、どちらがより危険なんだろう?
どちらも夜行性らしいから、ますますおっかない。
※こちらのほうはといえば神経毒のコブラ目か。
>>507 >平たくは人間側から見て不都合だった蛇の行動が
>悪魔的な西洋ドラゴンの姿として描かれるきっかけになった・・・
そうだと思います。その典型が黙示録のドラゴン。
尻尾を巻いているのは恭順の意志表示ではないでしょうか。
ロンドンの守り神ですね。
>>1 あ、そうそう。
昔からよく「井戸を潰せば祟られる」と言い古されてきているのは周知の事実として
この祟り主の正体もまさに龍神様らしい。
ちなみに井戸のほかにも、お池なんかも龍神様によって鎮護されているらしい。
ゆえに、然るべき儀式なしに池を潰したりしても衰運の憂き目を見ることがあるようで。
たとえば目白の豪邸に居を構えていた元総理の誰かさんなんかの場合、
1尾数百万円の錦鯉を沢山、豪邸の庭にある池に入れて泳がせていたのをマスゴミに批判されたことが元で
それらの錦鯉を転売したり、もしかすれば塩焼きにでもして食べちゃったりしたようだけれど
まあ錦鯉をどける分については問題がないにしても、豪邸にある池を潰したのが実にまずかった!!
目白の豪邸にある池を守っていた龍神様を激怒させてしまったことこそが。
この元総理、ご自分の選挙区では養鯉業が盛んであるがゆえに票固めにまつわる義理もあってこそ、目白の豪邸でも
自分で購入した錦鯉を池に放っていたというのが真相であったことながら。
あ〜あ。
もしもこれらの錦鯉、タダでこのテメーに譲ってくれるんだったとすれば
そのうち10尾ぐらいならば貰い受けて、テメーの貧乏所帯の狭いあばら家にある市販の人工池に放ってやるところだったのにぃ〜ww
※錦鯉が出払った後の目白の豪邸池では代わりに、ドジョウでもフナでも金魚でも泳がせておけば、
彼の衰運はなくて、まだ当面は「今太閤」の名をほしいままにしていたことであろうほどに。
ネットで調べたら、タイワンハブは沖縄に帰化したとある。 龍神様には礼を尽くし、蛇には絶対近づかないように注意しよう。 幼いころ尻尾を持って振り回した茶色の蛇。 今思うとマムシだったかもしれない。バカをしたと反省している。
でも振り回したまま雑木林に放り投げた。生きてたと思うな。 蛇さん、あの時はごめんね。深く反省してます。
515 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 08:14:53.01 ID:OiCWozXT
神さま龍神さま 日本民族を導きたまえ守りたまえ 英霊たちを癒したまえ
516 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 12:44:26.45 ID:OiCWozXT
ミカンを輪切りにし、みそ汁少々、柔らかご飯を野鳥にプレゼント どこかの田舎に「寒布施」という言葉があったと記憶している 寒布施だってさ、しゃれた感じがいいね
やぁ、皆さん(^-^)ノ。 俺は今は本当に『普通の人』。 だけど、龍はいくつか見た事がある。 白龍と黒龍と青龍もしくは灰色の龍。 妖精も見た事があって、小さい頃に同級生の肩に留まっているのを目撃した事がある。赤い服を着たピノキオみたいな感じだった [遠足帰りで、運動場に座っていた時だったので、俺と同級生との間に距離があってハッキリした姿が見れなかった。 最初はなんで赤い人形が肩にくっついているのかと不思議に思った。 で、見つめていたら、顔がグリンとこちらを振り向いて、その後飛び下りてどこかへ消えてしまった。]
ごく最近でも、目の前を銀色の光がキラキラとよぎった事がある。しかも、それが小さな女性の姿をしていた。つまり、銀色の女性。 目の錯覚かもしれないと少し焦った。 で、じつは本当に言いたいのはここから。 俺の庭に柿の木が生えている。 で、何年か前、『柿の実をちぎるのは面倒くさいなぁ、柿の木自体も少し邪魔だし・・・』とか考えていた。つまり、心の中で柿の木にいろいろ愚痴を言っていた。 そうしたら、一昨年は、ほとんどに3本線の黒いひっかき傷がある柿の実が出来た。しかも、柿の実の量も少なかった。
>>518 それを見て、焦った。
まるで、俺の愚痴に反応したような感じだったから。
で、心の中で『悪かった。本当に悪かった。』と、柿の木に謝った。この謝罪はたまに行う事にした。
ついでに、『来年は健康な実をつけて欲しい』とも頼んだ。
そうしたら、去年(次の年)は、めっちゃめちゃ沢山の柿の実が成った。1本の木で100個以上成った。ダンボール箱3つでも足りなかった。
もちろん、健康な実だった。ただし、20〜30個はちょっとした痛みがあったが。
で、俺は柿の木が自分の心の声を聞き取っている感じがした。
人間と植物は心の交流ができる存在なんじゃないかと。
上の記述は、正確には一昨年=2010年で、去年=2011年。 今日が1月5日で、年が変わっていた事を忘れていたι。
あげ↑。 まぁ、天候による偶然なのかもしれないが。[俺的にはそうは思えなかった。特に3本線の黒いひっかき傷みたいなのはちょっと・・・。とても偶然には思えなかった。悲しい気分になったし。]
522 :
風の旅人 ◆aOLjRoi1zs :2013/01/05(土) 02:11:00.61 ID:fmrmeoNQ
あげ↑。
523 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 02:17:42.16 ID:7b7yg/aM
何か見えるって人は魔境に引き込まれないようにしないと駄目だって ブッタが言ってたんじゃないの?
>>523 ああ。
でも、ごくたまにしか見えないよ。
525 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 09:18:51.04 ID:Rc7bJ/8X
>>517 龍や妖精を見るのは特殊能力だよ。
色以外に、どんな状況で見たのか、どんな龍だったのかに興味がある。
その時、どんな感じがしたかも重要だと思う。
526 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 09:34:19.54 ID:Rc7bJ/8X
>>523 釈迦はそんなこと言ってないよ。
言ったとすれば、中国天台宗の智という坊さんだったと思う。
魔境だからと言って恐れる必要はない。
夢もそうだが、後味のいいものと悪いものがある。
後味が悪い場合は、その人の心に何か問題があることを教えている。
それがわかれば、風の旅人さんがした柿の話のようになる。
>>519 犬猫の動物は言葉をしゃべらないけど、
かれらが心を開けば、ある程度の意志疎通が可能になる。
植物もそうなのかもしれない。
人間の身勝手さに、動物や植物は傷ついているのだろう。
日本列島の形を龍とみたとき、北海道が頭、沖縄が尾、東京が腹、大阪が恥部になりますけど、 大阪はよく下品だとかまた大阪かとか言われているのは、つまりはそういうことなんでしょうか。 個人的には、生物にとってこの部位が示す性質は、よくも悪くも俗的で感情的だという事だと思いますが。 東京が首都になったのも「急所である腹に位置するから」ではないでしょうか。
529 :
神も仏も名無しさん :2013/01/19(土) 16:48:26.23 ID:2cjrx8OD
龍けっこういると思うよ 龍ってほんといろいろなタイプがいるみたい でもピノキオみたいな妖精は見たことがないと思う 登山した時に子供が喜んで自分の周囲をついて回るとか 仙人、天女なら見たことあるけど羽の生えた妖精とか見たことない
>>528 「フォッサマグナ」こそが、日本における最大級の龍神なのではあるまいか?
…他でもなく、昔の人は肌でそのことをよく知っていたがために、
フォッサマグナに沿って流れる河川の名を「天竜川」と命名したように思えてならなくって。
531 :
神も仏も名無しさん :2013/01/22(火) 01:45:16.27 ID:5OUiPrHh
フォッサマグナには意思がないんだよバカ。 ホッサマグナが雨を降らしたりするんか ホッサマグナがとぐろを巻いたら津波で韓国もハワイも終わるんだよ
>>531 フォッサマグナという、まあ本来は自然の産物に龍神のほうが”便乗”するような場合だってあるんだぞ?
533 :
神も仏も名無しさん :2013/01/23(水) 14:12:03.60 ID:fRNO+ZYW
534 :
神も仏も名無しさん :2013/01/23(水) 17:34:28.82 ID:VvKMi7dg
このスレ、夜中に上がってると恐いね 特に午前2時ごろ
535 :
神も仏も名無しさん :2013/01/24(木) 19:47:11.89 ID:w8XGD078
536 :
神も仏も名無しさん :2013/01/24(木) 20:15:32.08 ID:X3PEIJMm
地は白、背中にうす青の、宝石のような子猫。 両手に乗るぐらいの大きさ。ああ、可愛い。もうメロメロ。 エサだ、エサ。しかしなぜか、エサが見つからない。 変だ、おかしい、あったはずなのに。
537 :
神も仏も名無しさん :2013/01/25(金) 01:36:33.63 ID:+ZAKeYmY
ホッサマグナに龍神さまが入ってますってか とてつもない馬鹿だな こいつ
539 :
神も仏も名無しさん :2013/01/25(金) 08:52:33.78 ID:O/AniJAj
>>538 竜好きな夜中の2時男
神=竜 2時男は浅野和三郎の人類龍神遠祖説の信者
540 :
神も仏も名無しさん :2013/01/26(土) 13:11:10.00 ID:qaf7eYy9
龍波を出してる人っているよ なんか文句ある?
日本中に龍神(蛇?)信仰があることに驚いて 今、日本中の龍神信仰(やその痕跡)をめぐる旅に出たいと思っています
『霊界通信 小桜姫物語』(浅野和三郎著、潮文社)より。 問:「浄化したものと、浄化しないのとの区別は、どうして見分けられますか? やはり色でございますか?」 答:「左様。色で一番よく判る。 最初生まれたての龍神はみな茶っぽい色をしている。 その次は黒、その黒味が次第に薄れて消し炭色になり、そして蒼味が加わってくる。 そなたも知る通り、多く見受ける龍神はたいてい蒼黒い色をしておるであろうが・・・。 それが一段向上すると浅黄色になり、更にまた向上すると、あらゆる色が薄らいでしまって、何ともいえぬ神々しい純白色になって来る。 白龍になるのは大変な修行、大変な年代を重ねゝばならぬ・・・。」
>>517 の白龍は、17歳の時に白い球体で現れた。(意識の中で、なぜか白龍だと感じた。)その数日後に心霊写真を撮ることになった。それは写真の右下にたくさんの◇(菱形)が並んだ形で、そういうものが斜めによぎっている形をしていた。
しかし、背びれがなかったため、巨大な白蛇だったかもしれないと考えている。
黒龍は20歳ぐらいの時に上空を見上げた時におぼろげに見た存在。雨を止めてくれるように頼んだら「わかった」と野太い声で答えて止めてくれた。
青龍もしくは灰色の龍は、19歳の時に夢の中で見た存在。きちんと背びれはあったように思う。
それは『小桜姫物語』の消し炭色〜蒼黒い色の龍にあたると思う。
>>529 龍はいろんなタイプがいるらしい。
それだけじゃなく、人間に生まれ変わってきているタイプもいる。
じつは
>>543 の夢は同じ夢を見た女性がいたんだけど、本人は気づいていなかったけど、龍の生まれ変わりだったらしい。[俺が龍たちと話していたら、そういう事を言っていたから。]
それから、ピノキオは喩えで、距離があってハッキリ顔を見れなかった。
それでも、人形みたいな感じだったことは確か・・・。
神はだいたいがお爺さんの姿
>>543 一番下。
青龍と灰色の龍ではだいぶ違うじゃないかとツッコミが来そうなのでσ(^-^;)。
理由:
まず、夢が全体的に暗かった。月の下のような感じで。
だから、色がハッキリしなかった。
それと、かなり昔のために、記憶が曖昧になってしまっているので。
ちなみに、龍は2匹いた。
>>542-544 夢にしろ、蛇や龍を見る人は少ないと思う。
ピノキオのような人形も気になるね。
恐怖などはなかった?
野鳥にミカンを輪切りにして寒布施 糞は迷惑、鳥インフルも恐いが、もう少し続けようと思っている。 他のものも試したが、ミカンが好きみたい。
>>547 恐怖はなかったよ。
自分に危害を与えようとしていない事がわかっていたから。
(他の場合、たとえば、自殺者の霊に背中にのしかかられた時とかは、多少は恐怖を感じたけどね。)
霊感があるの。すごい。
>>550 今はあんまりι。
それはともかく、自殺者にのしかかられた話をもう少し詳しく語っておくよ。
俺が小学3年生の時で、友達のKの家族が岐阜の高山の親戚の所に行く時に、「一緒に来い」と言われたのでついて行った。
そうしたら、途中ですごく体調が悪くなった。
しかも、Kの家族はまっすぐに高山に行かずに、途中で車を止めて山の中を歩いた。
だから、一緒に歩いたんだけど、その時、背中に何かが乗っている事がわかった。
どうしても前かがみになってしまうし。
しかも、『死にたい、死にたい』という念が伝わってきた。
さらに、山の崖っぷちの方に連れていこうとするから、ちょっと焦った。
まぁ、そんな感じで、高山に着いた時は、グッスリ眠ることで体調を回復した。
一度、吐いたけど。
で、じつはKとKの兄と[起きた後・・夕方]谷に降りた時に、恨めしげな女の人の姿がパッパッという感じで見えていた。
最初は「うわっ」と思ったし、あまり見ないようにしていたけど。
[体から離れたけど、まだ周りをうろついている感じがあった。]
>>551 【補足】
出発したのは朝早くからだった。
それから、山を歩いたのは、1度だけじゃなくて、2度か3度あった。
(→もはや、かなり昔の事でよく覚えていないけど、体調が悪くなったのは、最初に山歩きした時からだったような気がしている。
つまり、車の中で憑かれたのではなく、山歩きで拾ってしまったのではないかと。)
なんか、龍の話からズレてしまったので、出口王仁三郎の『龍宮物語』(みいづ舎)から興味深い話を転載する↓。
問い:「竜というのはやはり肉体を持っているのですか」 出口:「ウナギは河の竜なり、馬は地の竜であり、クジラは海の竜である。 こういうものを総合してその各々の特徴を集めて想像して書いたものが今の抽象的な絵画の竜やけれども、 本当の竜というものはあんなに長い胴体を持っているものやない。 今のイモリのようなものであのもっと大きい奴や。 昔は全世界におった、今でもたまに巨竜の骨というのが出てくるやろう。 おったさかいや。 もっと大きなものがおったのや、ほんまは。 今はおろんのや、そして、それ等はみなノアの洪水で死んでしまった(ん)や。」
出口王仁三郎は、恐竜のことを《龍》だとみなしていたらしい。 ただし、霊界物語では“胴体が長い”霊的な《龍》のこともたくさん語っていた感じがする。
>>551-552 幽霊はいるんだね。うらめしや〜
霊を体験できたのは、霊感が強かったからじゃないの。
霊感が強かったから寄って来たんだと思う。
恐山の霊能者木村藤子さんも見えるんだろうね。
逃げた大蛇の居場所を当てたり、飯島愛の不幸をテレビで予見したり。
>>553-555 出口の話は読んだことが無いのでおもしろかった。
でも『小桜姫物語』の方が好きだな。
わたしは、瞑想中に銀色の龍、夢で白い蛇を見ている。
龍の背中は鋼鉄のように無機質、無表情だった。
>>556 例の日は、もう一体幽霊を見たよ。
辺りが暗くなってきた頃、500メートルぐらい先のトンネルにカブトムシを取りに行くことになった。
しかし、トンネルの手前の道路に白い着物を着た女の人が立って、何かを探している姿がハッキリ見えた。(顔はけっこう穏やかな感じだった。)
で、KとKの兄に「なんであんな所に女の人がいるんだろう?」と尋ねたら、2人に「怖いこと言うなよ」と言われた。それで、「は?」と思って、もう1度見直したら、消えていたι。
その後、俺の発言が原因でカブトムシを取りに行くのは中止になった。
[ちなみに、この話はずっと昔、どこかのスレで書いたことがある。]
携帯の機種を変えたばかりなので、書き込みづらい。 ちなみに、前の機種は5年使っていてボロボロだった。
ttp://sirohebi2012.blog.fc2.com/ 皆さん方に、この途方もない真実を解き明かす礎になってもらいたい。
【大本神諭】蛇神ミシャグジーの探求【MoE】
オンラインゲームという異空間の中に、蛇神様がおりました。
まず誰も信じてくれない、見向きもされない事柄でしょうから、ここにおわす皆さん方に
この謎を解き明かす、礎になってほしい。できればこのことを広めてほしい。
かなしいかな、我が身恋しさなのでしょうか、どうにもこうにも自分では直接人に伝えることができません。
私がここにきたこの因縁を、どうか察してほしく想います。
唐突に、失礼しました。
しかし、こんなところで同じく大本神諭を読んでいる人に出くわすとは、やはり因縁ですね。 一期一会、一つ一つの出逢いは大切に・・・。 蛇神ミシャグジーと申しますは、諏訪大社におわすらしいミシャグジ神と不思議なほどに 整合性のとれた結びつきがあるのです。 いや〜、まともに人と接するのは久々なもので、私がうきうきしてきましたよ。 午前2時とは、また奇遇な。その時間帯がいちばん、私が活動的になれる時間帯らしいんですわ。 蛇の中の蛇、さすがに白蛇だけあって、蛇神を名乗るだけのことはある。 龍神様を蛇っていう時点で、罰当たりなんでしょうがね。 龍は蛇に化け、蛇は人に化けるのでしょうか。
訂正します。唐突に、誠に失礼なことを致しました。いきなりやってきて、いきなり言いたいこと言って、 いきなり去るなんて、無礼千万ですよね。 Master of Epic(略称、MoE)というオンラインゲーム、またはMMORPGに不思議なキャラクターがいまして。 MMORPGというのは、いわば、異世界に生きるキャラクターを創り、そのキャラクターの意識となって、その世界で生活していく、 といったゲームなんです。ただ、日本においてはそのMMORPGのゲームのプレイ方法が浸透してなくて。 異世界に溶け込むというより、現実世界でやれなかったことがやれるという、半ばおままごと的な楽しみかたが浸透してるんです。 でもやはり、きちんと本来の正しいプレイ方法で異世界に生きている人もいるもんで。 しかし、いるとはいってもやはり数が少ない。まともにMMORPGをプレイしている人はほんの一握り。 で、なぜ、そのゲーム世界と現実世界を結びつけるかというと、ゲーム世界といえども、まがりなりにも世界の創造だからです。 所詮は人が作った世界ですけれど、本当にその世界は人の手だけで創られたものなんでしょうか。 神社とかと一緒ですよ。神社とて所詮は、人が創ったもんですけど、やっぱり何か感じるじゃないですか。 それに、その人だってどうして物を創造できるんか、って話になります。 神様でもないのに、どこからともなく着想を得て、形にする。その時点で、神秘的だと想うんです、想いを形にして具現化するわけですから。
で、ここからが本題です。その異世界に蛇神ミシャグジーというキャラクター、GMがいまして。 GMというのは、ゲーム世界を創造維持する運営会社が、ゲーム世界内に直接送り込むゲーム管理者なんです。 このゲームのGMの場合、ゲーム世界を盛り上げる意味も兼ねてまして。普通のキャラクターと同じようにその世界に生きてるんです。 本来のGMというのは、ただ単純にゲーム管理者です。警察みたいなもんですね。プレイヤーがゲーム世界内で不正を働いてないか、監視するんです。 ここから食い込みますよ。 このままだとへー、そうなんだ、って何の変哲もない話になるんですが。 異世界で生きるGM蛇神ミシャグジーというその異常性に着目すると、また違うんですよ。 GMってのはつまり、監視者を意味します。レプティリアンの監視者とかどっかできいたことないですか。 蛇の痕跡とかね。GMはゲーム管理者ですから、MMORPGのプレイ方法を熟知し、本来のプレイ方法をしている、一握りのうちの一人なんです。 所詮、異世界のこととはいえ、そんな立場にいる人間が、みずから神を気取り、神を名乗るキャラクターを操作するなんて、おかしくないですか? 蛇神ミシャグジー、おまけにどういうわけだか蛇神なんですよ。 異世界にあくまでプレイヤー達が乗り込む、という形を取るのがMMORPGですから、プレイヤーキャラクターとは別に、ゲーム設定やゲームストーリーがあるんです。 そんな立場にいる人間なら、ゲーム設定と折り合い重ねてプレイしなければならないのに、神を気取っているんですよ? おまけに、その蛇神という設定に何の脈略もない。何の設定づけがされてないんですよ。 みずから勝手に蛇神を名乗ってるくせに、それが不思議なことにプレイヤー達に浸透している。 で、いろいろ気になって蛇神ミシャグジーは実は現実世界となんらかの結びつきが・・・と想ってネットサーフィンしてみたんです。 そしたらね、日本史に辿り着きまして。 ゲーム世界のキャラクターと日本史が結びつくなんて、何か感じませんか。 正確には、蛇神ミシャグジーというキャラクターを追っていったら、ミシャグジ神という日本の神様に行き着いたんです。
蛇神ミシャグジーは普段は女性の姿をしていますが、時々白蛇に化けます。
またなぜか、白蛇なんです。何の設定もない。白蛇だから白蛇。
蛇神ミシャグジーは2012年にゲームを去りました。2013年が来る前にね。
蛇神ミシャグジーは数年間ゲーム世界に滞在し、絶大な人気を誇りました。
プレイヤー間からミシャ様と崇められたものです。蛇神ミシャグジーのまわりはいつも人でいっぱい。
そして蛇神ミシャグジーは、ゲームを去るとき、このような手紙を残していきました。
「 Master of Epic 」運営ブログ : 手紙
ttp://blog.livedoor.jp/moepic_ru/archives/1717772.html Master of Epicというゲーム自体、数奇な運命をたどるゲームなんですよ。
幾度も運営会社が変わり、それと同時にゲーム世界、ゲームストーリーも変遷を遂げてきました。
10年近く続いてるんですよ、このゲーム。
おまけにゲームストーリーが過去・現在・未来の時空を行き来するストーリーってことになってましてね。
あまつさえ、MMORPGというものはそのゲームストーリーに終わりがないものですから、まだそのゲームストーリー、完結してないんですよ。
いろいろちぐはぐになっちゃいましたけど、なんといっても蛇神ミシャグジーとミシャグジ神の結びつきです。
何か因縁を感じませんか。
それで、私自身は結局何を言いたかったのか、と申しますと、 これに協力していただけませんか? 蛇神ミシャグジーを追うと、隠された日本史がわかる。と、今の私は想います。 それでそんなことが何を成すのかというと、大本神諭ですよ。 大本神諭と結びつければこそ、この話、世に明るみに出さねば、と想うのです。 どうです?まさに冒険ですよ?異世界に生きる現実世界とは違う自分を作り出せますし。
>>566 なるほど。
では、さっそく情報を(‘o‘)ノ。
坂本政道の『伊勢神宮に秘められた謎』(ハート出版)の《第7章 諏訪大社と祭神の謎》にミシャグジ神のことがけっこう詳しく書いてあるよ。
ちなみに、ミシャグジ神は男性神で、ソソウ神という伴侶の女性神が存在するらしい。
そして、ミシャグジ神もソソウ神も蛇神らしい。
おそらく、蛇神ミシャグジー(=白蛇)は、正確には蛇神ソソウ(=白蛇)。 ちなみに、坂本政道は龍のことを『龍型シリウス人』などと言っている(^w^)。
結構、あっさりしてるんですね。そんなもんですかね、実際。 とりあえずその本を買うことにしますが、ゲームから始まった話なだけに、ちょっと幻滅した感があります。 別にゲームと現実世界、アニメと現実世界を結びつけたりするのは当たり前のことですし、エヴァとか特にそうなんでしょうけど、 なんとも。 私が期待していたようなことは起こりませんか、やっぱりw ブログを作るほど書くことがあるわけじゃないですし、精通しているわけでもないですし。 慣れないブログは取り下げて、細々と一人で探求することにします。 私はただ単に、夢に夢を重ねたかっただけなのかもしれない。
>>569 いや、とりあえず出してみた情報だから。
軽いジャブみたいなもの。
《白蛇》っていうのがちょっと興味を引いたよ。
俺も一時期《白蛇》に関わりあったことがあるから。
とはいえ、白龍≒白蛇については、あまりよく知らない。
ブログ主は名無しさんですから、誰の目にも止まらんでしょう。 ただ、もしかすると、善い方向へこの話が導かれていくかもしれない。 蛇神ミシャグジーを追い求めるにあたり、「蛇は再び立ち上がる」という本を参考にしたんですが、 なにぶんヒトラー予言の話になりますから、なんとも。 今現在の日本に実はヒトラーが潜伏していて、そのヒトラーと聖書について語り合ったという、物語の形を成している、 奇妙な本です。蛇は再び立ち上がるという本は、ヒトラーそのものの人間性に迫っていく物語でしたから、そこがおもしろかったのですが。 光は言うことを聞かせるためのもの、光は支配と被支配の関係で成り立っている、 人類の幸福な平和は、徹底的に差別化を図り、階級制度を敷くことによって実現する、 蛇であり竜であり鳥である彼らは、かつて単為生殖でみずからの子を成した・・・とか、 まー結局、私はヒトラーそのものを大本神諭と魔逆の存在、悪神の遣いとして否定しましたし、本に書いてあること自体、わかったようでわからなかったんですが。 それにそうしたことは、いまどき誰でも知ってる常識でしょうし。
最後の最後は、命のやり取りになる。 神霊の龍に勝つわけがない。必ず人間が龍に負ける。 どうしたらいい? 自分から負けたらいい。 これで勝つことができる。 勝てば龍の背中に乗れる。大きな背中だよ。 不思議なことに、銀龍にしても白龍にしても顔は見ていない。 見たいとも思わないが・・・
龍との戦いは奇妙だった。 それはほんとうに弱い、ちっぽけな存在として登場した。 つまんで捨てられるぐらいの大きさ。 それが食らいついてくる。 あなただったらどうする? 食わせるか、それとも払いのけるか。
蛇神ミシャグジーとミシャグジ神の関係は明確ではあるが、ミシャグジ神は世に知られていても 蛇神ミシャグジーのほうは世に知られていない。 MoEは幾度も運営の変遷と共に世界が破滅してきた。運営、つまりは神界が変わることにより世界が破滅し、 新たに世界が創造されてきた。蛇神ミシャグジーは今、人々から忘れ去られつつある。 人々の心の中に蛇神ミシャグジーが在り続けたならば、信身強く在り続けたならば、今度の世界の破滅は避けられるかもしれない。 破滅した世界、新たに創造された世界を巡って、時空を超えて物語は展開される。世界を破滅から救うために。 プレイヤーキャラクター達は、それがためにダイアロス島に呼び集められる。 だが、MoEプレイヤー達はMoEをゲームとしてしかみていない。まだ物語は完結していないのに。 このままだとまた、破滅する。プレイヤー達が我善しの精神で動き続けたならば、必ず世界は破滅する。 だが、プレイヤー達は未来を変えるべくして、ダイアロス島に集められた。
脈略がない話な上、こじつけが強引に過ぎる。 だが、物語はまだ完結しておらず、プレイヤー達の身魂次第によってバッドエンドにもハッピーエンドにも、 どちらにも傾くのは事実だ。時空の垣根を、世界の垣根を超えて、祈りを一つにすれば、きっと、変えられる。 だが、あまりにも突飛な話であるため、まず誰にも、まともに受け止めてもらえない。 受け止めてもらえたとしても、所詮は異世界、ましてやたかだかゲーム世界、 ゲームにうつつをぬかしていられるほど暇じゃない、というオチになる。 所詮はゲームか? それとも。
>>569 坂本政道の本を読む必要はないよ。
それほど深い情報は載っていないから。
それよりも、せっかく貴重な時間を使って読むなら、田村珠芳の『大宇宙連合からの啓示』(徳間書店)をお薦めする。
題名とは違って、ほとんど宇宙人の話が書かれていないけど。
しかも、間違っている部分がある(→どれだけあるかは不明)と思うけど。
俺は、さっき読み終えたんだけど、面白かった。
世が終末に向かっているというわりには、2012年を超えて以来、善い傾向が現出しつつあるように思えます。 ユダヤは悪の御用でしょうか。いくら日本が神国とはいえ、これから日本が単独で大東亜共栄圏を作るとは到底思えません。 ナチスがユダヤを倒すことによって、地球支配権を完全に獲得する。 なんだか世の流れが戦国時代みたいですね、ごちゃごちゃしてて。 戦国時代から関ヶ原で終わるのがこれからの雛形、とか言われてますけどそうなるんですかね。 ミシャグジーやMoEを強調したところで致し方ありませんから、人に知れないところで善を成そうと想います。 まだ2012年を超えたばかりだからでしょうか、まだ早すぎると。 それとも人の目につく善であったから、なのでしょうか。
もう読んだかもしれないが、 ミシャグチ神なら講談社学術文庫、吉野裕子著『蛇』に詳しい。
>>573-574 蛇信仰と龍神信仰が見えてきたように思う。
諏訪大社は昔、守屋(モリヤ)山で子供(一年神官)を神に捧げていた。
これとよく似た話が創世記21章22節にもある。
アブラハムはモリヤの地で息子イサクを神に奉献しようとする。
これらは、小さな命を捧げようとする人間の思いを「神」が受け入れ、
今度は逆に「神」がその人間を守ってくれるという神事である。
これによって人間は、「神」に対する深い愛情や従順さを示そうとする。
そうすれば「神」が味方してくれると信じている。
蛇信仰の正体は、「神」の如き働きをする龍神信仰にある。
信仰の対象は本来、龍であり蛇ではない。人間は蛇を龍だと思ってないし、
蛇を「神」だとも思ってない。蛇はただ、龍の代用品に過ぎない。
このことを踏まえれば、瞑想中における蛇らしきもの、夢の中における
蛇らしきものは、その大小にかかわらず龍神である可能性が高い。
宗教や物語に登場する蛇も、龍神であると考えた方がいい。
ではいったい龍神信仰とは何か。
>>580 で書いた如くである。
ただし、子供を身代わりにするのはまったくの誤り、
自分自身を直接、龍神に捧げるぐらいの愛情が要求されている。
瞑想中に見た銀龍は巨大、100メートルぐらいありそう。 白蛇は、もう一度龍に会いたいと熱心に思っていたら、夢に現れた。 これは直径10センチぐらい、長さは2〜3メートルか。 龍神は霊的な生き物であり、霊的な世界に住んでいる。 だから夢や瞑想の中に登場する。ここではウソはつけない。 人の思いがストレートに表現される。 そういう世界で、蛇や龍神を愛せるかどうか、それが試される。 今なら自信を持って言える。夢で見た白蛇は龍神だったと。 それから龍神に背びれはない。龍神は恐竜ではない。
>>583 怖〜 タイミングが良すぎるね
>>579 吉野裕子氏は、ミシャグチを「赤蛇」と解している。
ミ→接頭語 シャグ→赤口 チ→蛇
諏訪には、赤ジムグリという蛇(無毒)がいるらしい。
・・・ネットで検索したら、けっこう赤い。
赤蛇なのは、赤が血を思わせ、生命力を感じさせるからか。 → 旧約聖書でも、神に会う準備として、生贄の血を祭壇に振りかける。 神社の鳥居の赤も、血の赤を意味していないか。 → 出エジプト記12章(主の過越)7節、「その血を取って、 小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨井に塗る。」
龍神信仰はもともと、龍神と人間との信頼関係を前提にして成立する。 その信頼関係から、龍神によって人間に幸運がもたらされる。 これが原型だが、やがて形の類似性から蛇信仰が生まれ、信仰が劣化する。 あるいは、龍神の並々ならぬ生命力から、 旺盛な子作りがイメージされ、龍神信仰が性器崇拝に変質する。 たぶん、龍神信仰は男性シャーマンから始まり、 蛇信仰や性器崇拝は女性シャーマンが密接に関与している。
>>587 インドのナーガはどう解釈すればいいのでしょうか?
龍神さんにも雌雄の区別があって、小作りはするみたいな話は聞きましたが。
>>588 インドの場合は、蛇の種類もその量も多いから、
その分、蛇信仰や性器崇拝にシフトしているのではないでしょうか。
でも根底に流れているのは龍神信仰のような。
小桜姫物語では雌雄があり子作りするとありますが、
これは100%疑問です。そういった情をまったく感じなかった。
龍神様は、鋼鉄であり無機質であり無表情です。
ただし素人の勝手な想像に過ぎません・・・
ウロボロスの意味は、無あるいは虚無じゃないだろうか。 ウロボロスが世界の境界になっている、ということは、 世界が無あるいは虚無である、という「主張」ではないだろうか。 しかし、そう「主張」する根拠が何も示されていないのだから、 特に気にする必要もないだろう。
ミシャグチ神を祀ってある場所は、縄文中期(4500年前)の遺跡と、 弥生(2500年前)の水稲耕作地に多く見られる。吉野裕子著『蛇』より。 蛇信仰は大昔から行われている。→ これから想像すれば、 龍神信仰と蛇信仰・性器崇拝は同時に同心円状に存在していたのかも。 核心は龍神信仰にあるが、龍神信仰を民衆レベルに普及するため、 蛇信仰・性器崇拝が利用されたとか。 諏訪大社の子殺しも、支配者による演出・演劇化が背景にあったのかも。 それによって支配を正当化し、自分たちを畏怖させるために。
はいはい、真夜中の2時男の登場ですよ〜w 大本教系の人から、こういった話を耳にしたことがある。 「坂本龍馬も龍神系ならば、伴侶となったお龍(りょう)さんもこれまた龍神系。 それでもって龍神系の魂は男よりも女のほうがより強烈であるのが通り相場」なんだとか。 …双方とも龍神系だったればこそ、名付けに際して「龍」の一字をどうしても入れたくなる衝動を受けさせる法則性があるのではないか? 龍馬が生まれるときの場合、2番目の姉にあたる”乙女姉やん”が、屋根の上から夜空を見上げていたときに 天空を龍と馬が並び立って駆け抜ける幻影を見たがゆえに、次男として生まれてくる新生児の名前を「龍馬」としようと強く進言したという記録が 今に残る。 ,.、ゝ 〜-≦仁 、f巛彡vy ヾ /^ ⌒ゝ巛彡 ヽ 〃 イ巛彡 > / _ _,,,,,,_ ソ巛彡 彡 .|!_ニ_ ".━- 》巛彡 < | ∫从Y 彡 ', 、_,,_ ∬_ノ 〆 ', _ _ ミ三从 < ほんに、ほんに。 げに、まっこと ' ご”'' ィ彡 |≪ ヽ ,;彡' |三ヽ ,ィヘ'''''''' ´ /三三ニ、 _,.イ三|!ミ /三三三三ヽ イ三三/!| /三三三三三三≧、 /三三三| |` イ/三三三三三三三三≧、 /三三三三.! \ / /三三三三三三三三三三ト, /三/∧三三ソ / /三三三三三三三三三三三ト, ノ 三V/ 三三|/ /〃三三三三/⌒|三三三三三|
>>592 乙女とか龍馬とか、坂本家の趣味も反映していそう。
龍馬の妻がお龍さんか。龍が重なった。
名前だけのバランスなら、龍馬と乙女だろう。
>>559 風の旅人さんへ
どうしたら霊が見えるようになれますか
@ そのための訓練などありますか
A どんな心理状態になると霊が見えますか
B 霊を帰す方法はありますか
>>594 それは『現役の霊能者』に聞いた方がいい。(例えば、『HONKOWA』という漫画雑誌で活躍している寺尾玲子さんなどに。)
また、ずっと昔、知り合いが「友達の彼女が幽霊を見れる体質で、町を歩いていると、幽霊がガンガンぶつかってくるそうだ」と言っていた。そういうタイプの人がいるらしい。
とはいえ、俺もかつての事を振り返ってある程度は答えられる。
>>595 【続き】
まず、
>>559 の時、額に光が当たっているように感じた。だから、アジナー・チャクラ(第3の目)が開いていたんだと思う。
それから、当時は空手(武道)を習っていた。つまり、身体の健康も大切な要素なんじゃないかと思う。
それから、性欲というものがあまりなかった。(思春期を過ぎた辺りからは激しい性欲が生じてきたけど。
当時は異性に興味があったし、誰それが好きという感情はあったけど、性欲自体はあまりなかった。ただ下腹部にポワポワするような奇妙な感覚を感じたことはある。)
>>596 【続き】
以上を踏まえると、
@心身の健康、特に、体の周りの気(オーラ)が健康になるように心掛けること。
(⇒で、チャクラを開いていく。おそらく、心身の健康を心掛けていると、ごく自然に開いていく。)
Aあまり欲を持たないこと。
できるだけ清い心を持つようにすること。
B霊といっても、人間と似ている。
だから、基本的には順々と教え諭して離れてもらい、聞き分けが悪い相手にはキッパリと拒絶の態度をとって離れていってもらうこと。
⇒ちなみに、昔は知らなかったが、
シツコイ霊を追い払う場合には、『天津祝詞』や『大祓詞』などを何度も唱えることが効果がありそうだと思う。
>>597 【付け足し】
Bは、[霊が見えなくても、]迷っている霊には、その霊が死んでいることを教え諭して、天国に行くように促すことが大切だと思う。
天国というのは、上空に存在しているんだけど、イメージで語ればいいと思う。
>>551-552 のように、自殺者の霊は自分が死んだことがわかっていない(もしくは、うっすらとしかわかっていない)ようだから。
自殺がよくないのは、この世に対する未練を簡単には断ち切れないためだと思う。
もし、そういうジメジメした思いが無いなら、自殺しても天国に行けるだろうと思う。
いろいろ書いたけど、あくまで俺の意見。 世の中には、幽霊の目撃情報がたくさんあって、それによると様々な人が目撃しているらしいことがわかる。 おそらく、幽霊と《波長》が合った時は誰でも目撃する可能性がある。 しかし、俺が語ったことは、幽霊以外にも霊的存在を見ることが出来るようになる方法。 だから、[単に幽霊を目撃するタイプのものとは]少し違うと言える。
>>596-599 ありがとう。いろいろ勉強になりました。
一度でも意識的に体験できれば納得できると思う。
あとちょっとのような感触はある。
どういたしまして。
龍神信仰が、信仰の原型のような気がしてきたよ。 これが信仰の原型なら、龍神信仰を多く残している日本こそ、 神の国ではないだろうか。神国日本を再発見したかも。
命のやり取りをする龍神信仰に比べたら、 キリスト教もイスラム教も、それ以外の凡百の宗教も、 気の抜けたビールのようなもの。
害国の場合、戒律を作って宗教を作らないと誰も神様を信じない。 日本は神様を意識せずとも神様と共にあるところがよかった。 でもそれも過去のもの。 今の日本も害国同様、神様がいるという明確な証拠がないと誰も神様を信じない。 龍神様のご神体に根づいた土着信仰にこそ、意義があるというのに。 土着信仰を捨てた日本人は龍神様の御用を放棄しているわけだから、そのうち龍神様の怒りに触れる。 日本人がそれぞれ龍神様のことを想い、龍神様のために御用を働くようになれば、神力は増大し、世界を救える。 龍神様のお土をそこらじゅうコンクリートでベトンベトンに固めて、罰が当たらないわけがない。
>>602 西洋は物質世界、東洋は精神世界に特化しているからそりゃあそうです。
>>604 もう怒りに触れてると思いますよ。その証拠が原発だったり今回の大気汚染の被害だったりするんでしょう。
でも今の世の中そういう真理を口で呼びかけたところで寒い目で見られるのも事実。
焦らずさりげなく、言葉以外の方法で仕向けていくしかありません。
>風の旅人さん 自分もチャクラを清く保つ方法を未熟ながら会得していますが、 霊感や宇宙意識をつかさどるのはアジーナチャクラではなく第7(頭頂部)のサハスラーラチャクラではないのでしょうか? たとえば映像記憶など頭の回転の速い東大生などは間違いなく第6チャクラが開いているはずですが、 それだと頭の良い人は霊感持ちが多いという事になってしまいませんか。 あと、善良な霊が見える人と悪霊が見えやすい人は生まれつきの魂の素質が違うためか、 あるいは体に溜まった邪気が影響しているのか、どちらの解釈が正しいと思いますか? そもそも邪気が多く溜まっていると第6、7チャクラはまともに開かないと思うのですが。
>>604-605 戦後は経済優先主義に偏り過ぎたと思う。
しかしたった70年弱に過ぎない。日本人の過去はそれこそ何万年とある。
まだ間に合う。日本人は龍神信仰を遺伝子に刻んでいる。
>>606 うーん。
俺はチャクラに詳しいわけではないからよくわからない。しかし、
>>596 で書いたように、幽霊を見る直前に《額に光が当たっている感じがあった》から、アジナー・チャクラが関係しているはずだと思う。
だから、アジナーに加えて、“サハスラーラ・チャクラを開いておく必要がある”と言えるかもしれない。
>善良な霊が見える人と悪霊が見えやすい人は生まれつきの魂の素質が違うためか、・・・
たぶん、魂の性質だと思う。
類友の法則―――似たものが引き寄せられてきやすいということで。
609 :
606 :2013/02/08(金) 01:37:23.13 ID:AhlPWubS
>>608 納得です。自分もそうじゃないかと察しておりました。
ありがとうございます。
610 :
神も仏も名無しさん :2013/02/08(金) 12:34:57.19 ID:YIvJTXJh
お前らは理屈ばっかり 読んでも面白くない 著名人の言文からの先入観もよくないよ 小桜とか大本とか、そういうの無視していい これはこういうものだ的な事柄も間違ってるし メジャーな神さんは超ロングな龍神で胴の細っそいのもいるよ 色も蛇だって白が金のなったり目が赤くなったり 全身がプラズマ状態の時もある
おもしろさなら、オカルト板や神社仏閣板じゃないか。 このスレは、体験あり理論ありの、体験プラス理論なのかもしれないよ。 でも確かに、おもしろさもほしい〜 だれか〜
>>610 >メジャーな神さんは超ロングな龍神で胴の細っそいのもいるよ
>色も蛇だって白が金のなったり目が赤くなったり
>全身がプラズマ状態の時もある
これをさ、もう少し具体的に聞きたな
霊は見えるべきか、という視点からも検討する必要がある。 邪霊や悪霊に会うのはかなり危険だと思う。地上に強い未練がある霊にも 会わない方がいい。冷静に考えれば、生きている人間の周囲にいるのは、 邪霊、悪霊、執着霊など、会うべきでない霊がほとんどだろう。 人間に幸福をもたらすような、よい霊ならぜひとも会いたいものである。 しかしこういった霊に会うのは至難の技のように思う。 霊にとっては何の利益もないから。
会いたい霊には会えず、会いたくない霊にばかり会う。 これでは最悪。霊能力などない方がベター それから、霊がかりに存在するにしても、 人間にはそういった存在を識別する能力を通常、先天的に持ってない。 これはそれなりの事情がそこにあると理解すべきではないのか。 日常的に邪霊や悪霊を見ていたら生活できなくなる。 よい霊にだけ会い、悪い霊には合わない。これならいい。 風の旅人さんが言うように「類は友を呼ぶ」のだったら、霊に会う前に、 自分をまず清め、高めなければならない。
霊と人間との関係は、夢のことを思えばいい。 夢は、人間の意識的なものではなく、だれかによって見せられている。 これと同じように、人間は受け身で、霊を選ぶ権利を持ってない。 夢の場合もそうだが、人間にできるのは、清らかな生活をし、自分を高め、 よい霊に出会うことを願うだけなのかもしれない。 霊能者が嵌りやすい、邪霊でも悪霊でもなんでもござれ、という姿勢は、 相当危険であり、向こう見ずとしか言いようがない。 神に守られなければ、人間は霊的存在に勝てない。
>>615 まあ、「霊夢」というのは、他愛のない夢なんかとは違って
夢から覚めてのちも、夢の内容をはっきりと覚えているという一大特徴を有するもんなんだから。
>夢の場合もそうだが、人間にできるのは、清らかな生活をし、自分を高め、
>よい霊に出会うことを願うだけなのかもしれない。
大川隆法の奴がこれを、「波長同通の法則」という言葉で自分のところの信者さんらに言い表わす。
>霊能者が嵌りやすい、邪霊でも悪霊でもなんでもござれ、という姿勢は、
>相当危険であり、向こう見ずとしか言いようがない。
悲しい哉、大川隆法の場合もしっかりと、この罠にも嵌ってしまっている…
>神に守られなければ、人間は霊的存在に勝てない。
んだ、んだ。
617 :
神も仏も名無しさん :2013/02/09(土) 14:50:13.96 ID:jCvz4840
おもしろくない 釈迦の生まれ変わりの大川某とかどうでもいい
ミシャグチ神は男性、ソソウ神(白蛇)は女性であり、 この二人が境内に作られた竪穴住居に籠ってまぐはふ(御室神事) という話もネットにある。これなら、意味不明な「ソソウ」は、誘うとか、 そそる(その気にさせる)とかになるかもしれない。 竪穴住居なら相当古い神事だろうし、祭神が雌雄の蛇なら、 そこにいるのは男性シャーマンと女性シャーマンということになる。 そうすると性器崇拝は龍神信仰と同じぐらい古いかもしれない。 単なる性器崇拝ではなく、それは豊穣を意味していた。
龍神信仰がその形から蛇信仰に変わるのは用意に推測できる。 しかし、性器崇拝がどこから出てくるのか疑問だったが、 村の「豊穣」に関係するとすればこれも納得できる。 昔は、人口の多さと、土地の産物がそのまま豊かさだった。 現代の感覚で性器崇拝を考えてはいけないのだろう。 御室神事が男性二人に変わるのは、諏訪地方が5世紀後半、出雲系の 建御名方命(たけるみなかたのみこと)に服属してから。 出雲系の支配者が大祝(依代)、先住民の守屋氏が神長官(神降ろし役)
>>615 実際に霊感がある人間との言い分とはだいぶ違うな。
人間も肉体をまとった霊という認識が正しいそうなんだよ。
つまり人間側の行為によって霊を追い払ったり、あるいは殴り合ったという人間の話も聞いている。
見た時にヤバイかヤバクナイかで邪霊かそうでないかの判断にはなるが
神や霊に本質的な善悪の概念はないらしい、
ただはっきりしているのは「類は友を呼ぶ」の通り基本的に波長の合う霊のみが見えるとのこと。
会いたくない、怖いという恐怖の感情が募ると
かえってそういった対象を呼び寄せやすいので注意。
なんでもござれという姿勢も恐らく、都合の悪い事から逃げたい気持ちがある限り
真の意味で清いとは言えないと知っての事だろう。
はいはい、またしても”2時から男”の登場と相成りましたねーw
>>617 まさに「竜頭蛇尾」で終わってしまったorz
地上では、人間と幽霊は次元が異なり、幽霊に刀を振り回しても無意味。 常識的に考えれば、幽霊に太刀打ちできるはずがない。 また悪夢というものもある。悪夢があるように邪霊や悪霊も存在する。 その人間に不幸をもたらすのが悪霊や邪霊。 こういったことは、個人的な体験でしか話せないから、 それぞれが自分の信じる道を歩む以外にない。
参考 〜 旧約聖書レビ記には次のように書かれている。 19章31節 「霊媒を訪れたり、口寄せを尋ねたりして、 汚れを受けてはならない。わたしはあなたの神、主である。」 20章27節 「男であれ、女であれ、口寄せや霊媒は必ず 死刑に処せられる。彼らを石で打ち殺せ。彼らの行為は死罪にあたる。」
参考 〜 レビ記は子殺しも禁止している。 子殺しも口寄せも霊媒も、当時のイスラエルで実際に行われたからこそ 禁止された。こういったことには世界的な広がりがあったかも。 20章2節「イスラエルの人々であれ、イスラエルに寄留する者であれ、 そのうちのだれであっても、自分の子をモレク神にささげる者は必ず死刑に 処せられる。国の民は彼を石で打ち殺す。わたしは、その者に わたしの顔を向け、民の中から断つ。自分の子をモレク神にささげ、 わたしの聖所を汚し、わたしの聖なる名を冒涜したからである。」
参考 〜 申命記でも禁止されている。 18章11〜12節 「あなたの間に、自分の息子、娘に 火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、呪文を唱える者、 口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。」
日本には、東北のイタコ、沖縄や奄美のユタ、 小川隆法、野原啓之など、多くの自称霊能者が口寄せや霊媒を行っている。 イスラエルなら石で打ち殺されてしまう。 口寄せや霊媒の何が悪いのか。これがわかっていないのだろう。 しかし何が悪いのだろう?
ついでだから聖書を簡単に要約しておこう。 旧約のテーマ曲は神ヤハウェ、BGMは蛇〜ラハブ、レビヤタン(ヨブ記) 新約のテーマ曲は神の子キリスト、BGMは蛇〜ドラゴン(黙示録) 聖書にも龍神信仰と蛇信仰が垣間見える。
628 :
神も仏も名無しさん :2013/02/11(月) 03:05:12.22 ID:dEeGyCj5
おもんないです
口寄せや霊能力が本当なのかウソなのか。それは本人にしかわからない。 かりに本当だとしても、それらが死罪にあたる理由は何か。 神によって見せられるなら問題がない。なぜなら、それは神の導きであり、 神の導きである以上、神の守りも当然あるはず。〜これはOK 問題は、自称霊能者が「自分の意志」で死者の霊と接触すること。 → この行為には「神を否定する思い」が隠されているのかもしれない。 かりにそうだとすれば、神の立場からすれば死罪にあたる。
大昔から、死者と生者の住む場所は違うことになっている。 その境界はたとえば三途の川であり、境界の向こう側が死者の国である。 生者は死者の霊と一緒に住めない、これが神の決まりである。 口寄せや霊媒はこの決まりを破ろうとする。→ これが神の否定になる。 しかし神の決まりを破ることはできない。 では霊能力者が出会う霊はいったい何だろうか。地上に強い未練があり、 三途の川を渡ろうとしない霊、成仏できない霊などではないのか。 かれらはたぶん、こういう霊と出会うことになる。
口寄せや霊媒が、依頼者に応じて自在に死者の霊を呼び出せるのは、 成仏しようとしない邪霊、悪霊、浮遊霊などを見ているか、 そういった不浄霊や、キツネやタヌキの霊に憑依されているか、 依頼者の心を読みながら適当にウソを言っているか・・・ こういった行為は、それを信じる依頼者をだますだけでなく、 自称霊能者の精神も徐々に破壊してしまう。 自力にせよ他力ににせよ降霊実験など危険過ぎる。 → 人間は霊に勝てない。これを肝に銘じるべきではないか。
今日は建国記念日、神武天皇は紀元前660年のこの日に即位した。 神武天皇の系譜 ・・・ 天照大神から @ その子、天忍穂耳尊(あめのおしほみみ) → 天孫、邇邇芸尊(ににぎ) A 邇邇芸尊と木花開耶姫(このはなさくや) → 海幸彦、山幸彦 B 山幸彦と【海神】の娘・豊玉姫命 → うがやふきあえずの命 C うがやふきあえずの命と豊玉姫の妹・玉依姫 → 【神武天皇】 この系譜によれば、天皇家には【龍神】の血が入っているではないか。 日本は「龍神信仰」によって成り立っていたことになる。
中国の創世神話に洪水伝説がある。大洪水で人々が滅びた後、 生き残った伏義(ふくぎ)と女媧(じょか)によって中国が再び復活する。 この二人の下半身は龍あるいは蛇の形をしている。 南方部族(たとえば苗族)に洪水伝説が残り、蛇、龍、苗、洪水などが 相互に関係していることを窺わせる。 BC14000年〜BC1000年頃にかけ、中国には長江文明があり、 高床式の建物が作られ、稲作が行われていたことが判明している。 この文明は黄河流域の漢民族侵入によって滅びるが、 この長江文明が日本人のルーツではないかという説が急浮上している。
インドの龍神信仰はどうなっているのか。 シヴァ系の信仰には蛇信仰と性器崇拝があるから、 龍神信仰があっていいのに見えてこない。 シヴァ系の信仰は古く、インダス文明まで遡れるらしい。 BC1500年頃からのアーリア人のインド侵入で、 龍神信仰が滅びたのかもしれない。 もしかしてアーリア人(白人)には龍神信仰がないのか。 黒人にもなさそうな気がする。
日本と長江文明のつながり 〜 長江文明はBC1000年頃に滅びる。 そのころに長江文明の担い手が集団で日本に避難したとすれば、 BC660年に即位した神武天皇につながる可能性が濃厚。 記紀を読めば、イザナギ、イザナミによって国造りがスタートする。 これは、この二人が日本に最初にやって来たことを意味するだろうから、 BC1000年頃になる。そうすると、ここから神武天皇までの間が 300〜400年ということになる。 イザナギ、天照大神から神武天皇まで、 六世代が経過しているからだいたい年数的に符合している。
揚子江中流域はジャポニカ米の発祥地であり、 天津系の人々が武力だけでなく、稲作技術を伝えることで支配を拡大した ことも、日本人が長江文明の担い手だったことの証拠になるだろう。 中国人の始祖、陰陽説を唱えた伏義は、揚子江周辺にいたらしいから、 日本人と伏義の陰陽説は深い関係にあるかもしれない。 天皇家には陰陽を思わせる「日月旗」がある。 長江文明が滅びたのは、たぶん大洪水が起きたのであり、 国内が壊滅的な状態になって、漢民族に抵抗できなかったのだろう。
ジャポニカ米は水稲であり、これは日本から朝鮮半島に伝わっている。 朝鮮は陸稲であり、水稲はなかったのだ。 遺伝子レベルでも、日本人とチベット人は近く、朝鮮人や漢民族とは遠い。 漢民族の侵入で、東(日本人)と南(チベット人)に追われたのか。 いずれにしろ、日本人の有力なルーツが長江文明にあることは確かだろう。 であれば、少なくても天皇家周辺は文字文化を持っていた可能性が高い。 卑弥呼以前に中国と交流していたのだから、当然と言えば当然だが。
BC1500年頃にインダス文明が滅びる。 しかしこれもどうやら、インダス川の大氾濫によって壊滅的打撃を受け、 アーリア人の侵略に抵抗できなかったのが真相ではないか。 このときインド人は、龍神信仰を見失い、蛇信仰や性器崇拝へと傾く。 洪水で大打撃を受け、そのうえさらにアーリア人によって奴隷にされたら、 アーリア人の信じるヴェーダーを受け入れることだろう。 → 日本の支配者として登場した天皇家とは違う。 それにしても龍神信仰は、水や川や大洪水と縁が深い。 大河が流れる様は、大蛇のうねりのようであり、蛇行と言われている。
いまはまだ、中国、インド、メソポタミヤ。ユダヤなどの龍神信仰を 読み解く十分な知識を持ってない。ただしゴールは、 龍神様は生と死の境界「三途の川」に住んでいる、ということだけ。 蛇に似ているが蛇ではない。水に関係しているが水ではない。 性交に関係しているが性交ではない。 川や洪水に関係しているが、川や洪水でもない。 龍神様は「三途の川」にいる霊的存在であり、 「神の使い」なのだと思う。
本日は2時前にここに来てちまったい! (笑)
>>622 >常識的に考えれば、幽霊に太刀打ちできるはずがない。
一つだけ、有用な方法がある。
浮遊霊の場合なんかだったならば、総じて気が弱いものであるがために、
犬や猫に吼えられると一目散に逃げ出してしまうのが通り相場。
…人間の眼には見えなくとも、犬猫の眼には幽霊が見えていたりするわけで
幽霊が近づいてきても犬猫には見える幽霊に吼えかかる。身構える。
さすれば、気の弱い大多数の幽霊(浮遊霊に限って)なんかは逃げ出してしまう道理。
ちなみに、日本の幽霊にもしっかりと足もある!!
どうやら円山応挙の幽霊の絵が有名になり過ぎたから、
日本では幽霊には足がないように思われるようになっていったらしい。
>>640 訂正。
× 本日は2時前にここに来てちまったい! (笑)
○ 本日は2時前にここに来てしまったい! (笑)
◎ 本日は2時前にここに来ちまったい! (笑)
642 :
神も仏も名無しさん :2013/02/13(水) 04:10:05.09 ID:PVegbk4s
足が見えない幽霊多いよ スーと平行移動なんで足でトコトコ歩かないからね
幽霊を見たことがある。幽霊は「五体満足」でちゃんと足がある。 ただ、ビックリして顔に神経が集中し、幽霊がスーと移動することから、 足があることに気がつかない。 そういうことだから、総長も応挙も正しいと言えば正しい。
神様も龍神様も幽霊も人間も動物も、 その顔(特に目)が問題になのは、その顔を見れば、 それが何であり、何を言いたいのかがすぐにわかるから。 だから神様も龍神様も高級霊も決して顔を見せない。 イスラム世界でムハンマドの顔がのっぺりして何も描かれないのは、 実際、高級霊の顔はそのようになっているから。 高級霊を見たが、顔だけがのっぺりしていて何もない。 神様は甘露だけで姿を見せないし、龍神様も決して顔を見せない。 たぶんその顔を見たら殺される。
645 :
神も仏も名無しさん :2013/02/13(水) 18:05:38.66 ID:OeXnm+XR
おれ生きてるんだけどな 和風 ハーフ風 長い 短い お星さまキラキラ 他色々
キラキラ星はいい。モーツアルトのキラキラ星、毎日聴いている。 悟りってそんな感じだよ。生きてるだけで幸せ。
647 :
神も仏も名無しさん :2013/02/13(水) 21:27:49.44 ID:WFORjHR3
お雛さん風女神でも背後にキラキラ星 エスニックな女神でも背後にキラキラ星 これってなんなんだろうね どちらもラッキースターには違いない セブンかどうかは定かではないが 金龍に関しては宇宙からのテレパシー送信なんじゃないかな
彼女たちの内側から輝くのか、 それとも見る側の憧れが見させるものなのか。 それは天使的なものか、それとも悪魔的なものか。 興味深いテーマだが、よくわからない。 どうなんだろう? 金龍については下記を検索してください。 永井朋子 「中国古代の聖獣信仰 ー 龍思想に関する研究」
ざっと読んだが、世界各地の蛇信仰、龍神信仰がわかる。 どうなっているのかと思っていたから、グッドタイミングだった。 それほど長くないのでぜひ一読をすすめたい。 リグヴェーダでは、竜を悪と見、インドラ神が竜を退治している。 インドはアーリア人に侵略されたために、龍神信仰が失われたようだ。 西洋では一般に、ドラゴンを悪と見、ドラゴン退治に向かう。 記紀にも、スサノヲの大蛇退治がある。
龍神信仰は、河川の近くで、灌漑農業や漁撈を営んでいる人々に見られる。 BC13〜12世紀には、揚子江の上流にある漢水には、龍蛇を信仰する 伏義族(苗族か?)がいたという。かれらは陰陽説の伏義に由来する。 ドラゴン退治は、平原で、天水農業や牧畜を営んでいる人々に見られる。 龍を悪役にするのだが、この立場は龍を信仰する人々との抗争が背景にある のではないか。まず先に龍を信仰する人々が存在している。 そういう人々と抗争しているから、ドラゴン退治という神話になる。
単なる悪役なら龍である必然性がない。 蛇ならわかるが、現実に存在しない龍である必然性がまったくない。 だから悪役ドラゴンは、借り物のイメージだと思う。 では、龍を信じる人々は、龍のイメージをどこから得たのか。 瞑想から。瞑想に龍が登場する。そうでもなければイメージできない。 かれらは瞑想中に、龍を実際に見るからこそ信仰する。 そうすると龍神を信仰する人々は、河川の近くで灌漑農業や漁撈を営み、 瞑想をする人々の間から始まったと推測できる。的が絞れてきた。
瞑想の方から逆に見たらもっとはっきりする。 暑すぎたら瞑想できない → 熱帯には龍神信仰がない 寒すぎたら瞑想できない → シベリアには龍神信仰がない 多少の経済的余裕が必要 → その余裕を灌漑農業や漁撈が作ったのだが 余裕ができるなら天水農業や牧畜でもかまわない 昔は短命だし、法治国家ではないから、全身全霊で真理を探した。 いつ死ぬかわからないし、いつ殺されるかわからないから。 今は暮らしやすくなったが、精神的には昔の方が深かったかもしれない。
龍を夢に見ることはありえる。 龍の神話を読み、龍のマンガやイラストを目にしたら見るかもしれない。 しかしそれだけだと見るだけで終わる。 見るだけならまだいいが、龍ににらまれたら命が縮むだろう。 とぐろ巻く巨大な蛇腹がどっくんどっくんと波打ち、すべてを拒絶する ような凍りついた目。龍を見たいと思ったことを必ず後悔する。 不用意に近づいた者にとっては、ギリシャ神話のメドゥーサに他ならない。 アーリア人にとっては、龍はメドゥーサなのかもしれない。
シヴァ神が首に巻きつけているコプラ エジプトで神聖視されるコプラ これらは喉のふくらみが顔を強調しているようだから、 龍神信仰が破壊された後の蛇信仰だろうと思う。 龍神信仰なら神社の大きな注連縄になる。そこには顔がない。
アブラハムは「信仰の父」と言われている。 しかし、アブラハムのどこがそう呼ばれているのかと不思議だった。 でも最近わかってきた。イサク奉献の個所だ。 それは龍神信仰の核心を伝えている。 まず最初に自分の命を龍神様に捧げる必要がある。それが要求されている。 自分の命を捧げる瞬間、神が動く。山が動く。これが「神風」だ。 主の山に備えあり。 神と人間との命のやり取りが奇跡を生む。これが龍神信仰。 信仰の真髄ではないだろうか。
アブラハムの話では、イサク奉献の直後に、神が彼に豊穣を約束している。 創世記22章17節 「あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星の ように、海辺の砂のように増やそう。」 この部分は豊穣を願う性器崇拝を 思わせる。これもこの話が龍神信仰に関係している証拠だろう。 アブラハムは、ユーフラテスの下流、現在のイラク、ウル出身である。 シュメール人がいたメソポタミヤ文明の時代に、イスラエルのカナンの地に 移住する。これからも、龍神信仰を知っていた可能性は非常に高い。 旧約の白眉は、アブラハムの話 > ヤコブの話 > ヨブ記
聖書における蛇や竜のイメージ変化 〜 悪、悪魔 それらを悪と見る、バビロニア帝国の影響があったのではないだろうか。 @ 列王記下18章 ・・・ ユダの王、ヒビキヤ、 イスラエル王国の滅亡を契機にした宗教改革、モーセの青銅の蛇を砕く。 A ヒビキヤの時代(BC8世紀)を生きたイザヤの預言〜27章 その日、主は 厳しく、大きく、強い剣をもって 逃げる蛇レビヤタン 曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し また海にいる竜を殺される B 黙示録の赤いドラゴン
創世記4章、カインとアベルの話は謎めいている。 兄のカインは、耕作者であり、土の実りを神に捧げる。 弟のアベルは、羊飼いであり、羊の肥えた初子を神に捧げる。 神は、アベルの捧げ物に目を留めるが、カインの捧げ物を無視する。 その結果、カインは激しく怒り、アベルを殺してしまう。 ここで問題は、神がアベルの捧げ物に目を留めた理由だ。 神は羊飼いが好きなのか。それとも肉食なのか。そんなことはないだろう。 しかし龍神信仰で見れば謎が解ける。神との関係は命のやり取り。 土の実りでは命のやり取りにならないからだ。
人間と神、龍との関係は「命のやり取り」にある。 この思いは、生贄文化として聖書の根底に一貫して流れている。 イエスは人類の生贄だろう。日本にも人柱文化がある。 どれも龍神信仰に由来するが、では「命のやり取り」とは具体的に何か。 生贄や人柱に目を留めるだろうが、神はそれらを喜ばないと思う。 もっともっと自分自身に引き付けないといけない。 無機質で無表情な龍が、なぜ神に仕えているのか。 神が底抜けに龍を愛するからだろう。人間に要求されているのは、 龍に対する神の如き愛ではないだろうか。君にできるか?
唐突に失礼。「逆転の序曲 龍神伝説編」を読んでいてちょっと。 蛇はウロボロスの円環を成し、死と再生を意味する。 白蛇、蛇神ミシャグジーは2012年にゲーム内で死んだ。生と死の逆転である。 白蛇はネアンデルタール人である。 そのネアンデルタール人が死んだということは何を意味するのか。 彼女がなぜ蛇神なのか。それは彼女のまわりにいる人間達が蛇だからである。 彼女が蛇神であるならば、現実界の蛇信仰、龍神信仰をそのまま取り入れることができる。 蛇神ミシャグジーは、どういうわけだか自身の死に際を誰にもみせたがらなかった。 龍神の死、蛇の死は何を意味するのか?龍神が死ぬことなんてあるのだろうか? 蛇というものは死ぬものではなく脱皮するものではなかろうか?
いや、龍神である以前に、神が死んだんだ。 神様の死だ。人々から崇められていた、神様の死だ。 そもそも、神様というものは生きているのか? なぜ神様に生死というものがあるのか?
神が死ぬことはありえない。神は「永遠の命であり、 黙示録4章に「かっておられ、今おられ、やがて来られる方」とある。 神が死ぬとしたら、この宇宙が滅びる時ではないだろうか。 神は死んだと言うのは、人間がそう言うだけであって、 神への信仰を見失ったとか、神への信仰を見捨てたという内容ではないか。 言葉のインパクトを計算した巧妙な言い方だと思う。 欧米の物質文明が世界を支配し、無信仰者が増えてきたのは事実。 しかし世界の大多数は、多かれ少なかれ、神を信じながら生きている。 こんな時代に、神を信じている方がむしろ不思議なくらい。
神がいるのだから龍神もいる。 人間の勝手な思いが、神や龍神を生かしたり殺したりもする。 イエスをキリストに祭り上げるパウロ教は、神殺しが隠されたテーマ ではないかと疑っている。信者は磔刑具を拝んでいるし、 信者たちへの仕組まれた呪いを直感する。 ここで「信仰」そのものを問題にしたい。 あなたがたが信じている事柄は、あなたがたが体験して確認したのか。 だれかの言うがままに、頭から信じているだけなのか。 後者ならそれは、「洗脳」に過ぎない。
たとえば支配者が、龍神を実際に見たら、 それを民衆に理解させようとして、龍に似た蛇を示すかもしれない。 そうすると龍神信仰と蛇信仰は別の信仰になるだろう。 龍神信仰 ・・・ 体験に基づいた事実 蛇信仰 ・・・ 支配者を信じただけの「洗脳」に過ぎない この違いにもっと注目すべきかもしれない。 龍神信仰の支配者はいいが、見た目の蛇信仰に流れる民衆は愚民化する。 その結果、蛇信仰という「洗脳」によって現実が見えなくなる。 パウロ教で磔刑具を拝むのと似たような構図だ。
信仰という行為は大別して二種類ある。 @ 体験信仰 ・・・ 自分の体験に基づく信仰であり、 宗教の開祖(釈迦、アブラハム、パウロ、ムハンマドなど)がこれにあたる。 既成の宗教を参考にしても、その骨格は自分の体験である。 A 洗脳信仰 ・・・ 既成の宗教、他人の教えに基づく信仰であり、 その真偽を体験によって十分に確かめていない。思い込み。 宗教の弊害は洗脳宗教に由来している。
洗脳信仰はもう終わりにしよう。 洗脳信仰は、停滞と退廃の原因ではないだろうか。 中国やイスラムやインドの停滞や退廃には洗脳信仰が関係している。 西洋でも、洗脳信仰による暗黒の中世が存在する。 磔刑具をうっとり拝む信者に、支配者の笑いが止まらない。 蛇や性器を拝む信者に、支配者の笑いが止まらない。 人間はあまりにだまされやすい。これは悲劇ではないのか。 イエスはキリストではない。蛇や性器は龍神ではない。 人間はこんなこともわからなくなる。
洗脳信仰の場合は、それが洗脳だと気がつけば、洗脳から解放される。 それは簡単ではないが、そのチャンスがないわけではない。 キリスト教の場合は、15世紀のルネサンス、16世紀の宗教改革で 地ならしがされ、ニーチェ(1844〜1900)が「神の死」を宣言する。 これが無視できない潮流になるのは、第一次、第二次の大戦を経た 1960年代からだろう。 この潮流は、政治権力と癒着した、キリスト教という強力な洗脳から 解放されただけである。神が実際に死んだわけではない。
これに対して体験信仰は、何らかの神秘体験が信仰の原点にある。 そのため、周囲に左右されないし、確かな信念によって裏打ちされている。 その信念は、より深い神秘体験をしない限り変わらないだろう。 無神論者、現実主義者は、神秘体験をするまで決して信仰しない。 信仰や宗教においては、これが正しい態度だと思う。 ヨハネ福音書20章29節 〜 イエスはトマスに言われた。 「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである。」 → これは洗脳信仰のススメ。だまされてはいけない。
体験信仰 ・・・ 精神の飛躍と高揚 洗脳信仰 ・・・ 精神の停滞と衰退
世界各地で、龍神信仰が失われた理由がわかったぞ。 中央アジアにいたアーリア人が、インド、メソポタミア、エジプト へと進出することで失われて行く。なぜならアーリア人は、 神も龍神も知らないからであり、龍神信仰を理解できないからだ。 それは現代も同じ。白人系人種は神にも龍神にも縁がない。 キリスト教は、旧約聖書を土台に成立している。、 しかしそれは、ローマに強制されただけの、洗脳信仰でしかない。 洗脳から解放されたら、弱肉強食の無神論に戻るしかない。 それが白人系人種のメンタリティーなのだ。
白人系人種は、翼がないのに、空を飛行する龍がイメージできない。 その代わり、翼のある鳥や馬や、翼のある天使をイメージする。 かれらは基本的に現実主義者なのだろう。 イザヤは6章で、神の座の周囲に6つの翼を持つセラフィムを見る。 しかし27章で、神はレビヤタンを罰し、海の竜を殺すとも言っている。 これらから、神の周囲にいるのは、竜あるいはレビヤタンではなく、 翼のあるセラフィムであることがわかる。しかしセラフィムは もともと蛇を意味するから、竜やレビヤタンを完全な悪役にはしていない。 翼のあるセラフィムは、ユダヤ系とアーリア系の妥協なのかもしれない。
ヒンズー教のヴィシュヌ信仰がこれとよく似ている。 ヴィシュヌは大蛇の上に横たわり、ガルダ(金翅鳥)に乗って空を飛行する。 このガルダは、足で頭と尻尾を押さえ、クチバシで蛇や竜を食いちぎる。 ガルダによって、ヴィシュヌでは蛇信仰や性器崇拝が影をひそめる。 翼のあるセラフィムとドラゴン、ガルダと大蛇などは、 先住民に対するアーリア人のイメージ戦略だったのかもしれない。 支配と被支配の関係を背景に、それが功を奏している。 龍神信仰などがいかに破壊されたのかがよくわかる。
シヴァ系で性器崇拝が生き残っているのは、 カースト制度の、ヴァルナ(職業の世襲)やジャーティ(内婚集団)による 差別の細分化が関係しているのかもしれない。 自分たちの仲間を増やすことが自分たちの繁栄につながる。 インド全体では人口を抑制すべきだが、細分化されたカーストの中では 産めよ増やせよが常識になる。その常識が性器崇拝を支持する。 シヴァ系は中下層が多いという。 インドの人口増加はまだまだ続くことだろう。
ウロボロス 自分の尻尾を飲み込む蛇がいるかどうかは疑問だが、 自分の尻尾を追いかける犬がいるから、まったくないとも言い切れない。 蛇の場合、いったん飲み込んだら吐き出せない。〜 牙が邪魔する。 ウロボロスは死ぬ運命にある。 ウロボロスをどう解釈するかは、その立場によって異なると思う。 どれが正しくて、どれが間違っているというわけではない。 個人的にはそれを、無とか虚無に感じる。
死と復活には二義ある @ ひとつは、人間が神を見失い、神を見捨てるケースであり、 その人間にとっては神と龍神がいなくなる。永遠に死ぬ。 これがウロボロスであり、世界は沈黙し、世界は無と虚無に服する。 神と龍神がいなければ復活もありえない。 A もうひとつは、神から人間を見る立場であり、 人間が「精神的に死ぬ」ことで、その人間は神と龍神に出会い復活する。 復活があるのは、このケースではないだろうか。 神や龍神がいるから復活する。
ややこしいのは、@を通過しないと、Aに至れないことだろう。 人間は火と水の試練を受けなければならない。 それまでは食欲と性欲の獣であり、露骨に表現すれば蛇じゃないかと。 これが蛇信仰の本当の意味なのかもしれない。 いったんどん底に落ち、死んでしまうぐらい打ちのめされないと 目が覚めない。復活しない。
信じれば救われると言うが、これは落とし穴のようなもの。 既成の宗教を信じたら、その宗教に洗脳され、復活の門は閉ざされる。 救われたような気分だけで、せっかくの人生を夢にしてしまう。 既成の宗教を信じているなら、まずその信仰を捨てなければならない。 そして@ウロボロスのようになる。これが正しい出発点であり、 あきらめずに求め続けたら、A復活の門が開かれる。 こういうことは実際に体験しないとわからない。 その点、無や空を信じる仏教徒は有利。実際の生活で菩薩道を歩み、 無や空を確認するだけだ。ただし自己責任でお願いします。
漢民族にも龍神信仰(道教)がある。しかし蛇信仰は聞かない。 その理由 ・・・ 龍という言葉がない時代に龍を見たなら、 蛇のような生き物だったと表現するしかない。それを聞いて信じる場合、 龍神信仰と蛇信仰が同時に生じるのが自然だろう。 それなのに、龍神信仰だけで、蛇信仰が欠けている。 これは龍が漢民族のオリジナルでなかったから。 たぶん、長江流域にいた苗族の龍イメージがベースにある。 漢民族は、龍という言葉を発明することで、龍と蛇を区別した。 それによって蛇信仰を排除することができたのだと思う。
日本人の場合、漢民族の龍をイメージするだろう。 漫画や動画でいつも、漢民族の龍を見せられているから。 角があり、耳があり、目は恐ろしく、ヒゲがあり、胴体は蛇・・・ 残念だが、このイメージは間違っている。 龍の顔を見ることはできないし、胴体は蛇のようだが蛇ではない。 なめらかな鋼鉄のようであり、無機質、無表情であり、 ぬくもりというものがまったくない。足も鱗も背びれもない。 大きさは自在に変化し、翼がないのに空を飛ぶ。 龍を顔を見せない。たぶん龍の顔を見てはいけないのだろう。 イザヤ6章のセラフィムもその翼で顔を隠している。
漢民族の龍神信仰には、命のやり取りのような切迫感がなく、 形だけのニセモノだと言っていいだろう。強そうだろ、ありがたそうだろ、 拝めば御利益があるよ、という信仰は全部ニセモノ。 漢民族と白人系種族の共通点は、現実主義者ということだろうか。 かれらは神様や龍神様を知らない。知ることができない。
日本人は蛇を気味悪がって基本的に食べない。 その思いには、蛇を他の生物と区別する感情が隠されている。 無意識に蛇の祟りを恐れている。これが蛇信仰の名残り。 食材として蛇を食べるなら、そこにはたぶん蛇信仰がない。 漢民族がその典型的な事例だろう。 日本人もマムシ酒を飲む? しかしこれは、精力絶倫への憧れであり、 蛇信仰に重なる性器崇拝のテリトリーではないか。
日本人の蛇信仰には稲作が深く関係している。 稲作にとってネズミは敵だが、蛇はこのネズミをエサにする。 稲作は湿地帯で行われるから周囲に蛇がいる。 そのため、蛇を有り難く感じ、大切にしたのではないだろうか。 普通、蛇に近づき過ぎなければ、蛇の方から人間を襲うことはない。 敬して遠ざけるが、蛇との関係だったと思われる。 昔はネコがいなかったし、蛇はネコよりも有能なハンターだろう。 それ以外にも、蛇の生態には数々の驚くべき事実がある。 日本人は蛇に対し、恐怖感と同時に、神秘的な思いも抱いて来た。
もうひとつは、蛇が強さのシンボルになったことか。 シヴァの首にいるコプラは、シヴァの強さを表現している。 しかし、稲作における共存、強さのシンボルだけではまだ信仰にならない。 蛇を信仰するには、蛇を信仰すれば御利益があるという関係、 蛇と人間との間に「契約」がなければならない。 蛇崇拝を信仰に高めたのが、龍神様の登場だろうと思う。
龍神信仰の核心はアブラハムのイサク奉献にある。 神様、龍神様に近づくには、自分の命を捨てなければならない。 死装束をつけ、精神的に死んでいる必要がある。 シェマ 申命記6章4〜5節 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。 あなたは心を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。 アブラハムの心は、息子イサクの側にあり、精神的に死んでいる。 御利益も見返りもないのに自分から命を捧げる。 これが真の信仰として数えられる。
主の山に備えあり(創世記22章14節) 自分の命を捧げるような信仰があれば、 神が即座に介入してくる。ご利益、見返りという現象が起こる。 これが神の「契約」だと言っていい。 まず最初に死を受け入れる。そして命を捧げるほど神を愛する。 そうすれば神があなたに必要なものを備えてくれる。 必要なもの 〜 これを備えてくれる。あなたは復活できる。 真の信仰があれば、奇跡は今も起こる。
龍神信仰で注意すること @ ご利益→信仰は × 御利益信仰はニセモノであって有害 A 自分の命を捧げる→○ 他人の命や動物の命→× イサク奉献にも原因があるが、自分の命にしないと真の信仰にならない。 実際、生贄や人柱という悪魔的なものに転倒してしまった。 B 龍神信仰には安易に手を出さない 命のやり取りをする龍神信仰はきつい。その前に死ぬことを学ぶ。
神が龍を愛するから、龍は神に仕えている。 龍の背中は、無機質であり無表情であり鋼鉄のようである。 その龍が神の愛に答える。 しかし人間が近づいても、どんなに拝もうが無慈悲に無視され、 咬みつかれ、絞められ、やがて呑み込まれてしまう。 なぜだ? 人間の愛にはエゴが残っているから。 このエゴを完全に捨てないと不可能。神の愛が要求されているのだ。 神様が自慢しているよ。龍(レビヤタン)は神の傑作だと。 神界は、神の傑作・龍によって守られている。
ではどうしたらいい? → エゴを捨てたらいい。 しかしそれができないし、かりにできたとしても、エゴを捨てられたか どうかもわからない。打つ手がないではないか。 心配無用。そういった状態にあれば、龍の方からやって来る。 その人間が本物かどうか、その人間を驚かさないように気を使いながら そぉーと試みる。龍神様をだますことはできない。 龍は最初から姿を見せない。最後の最後で姿を見せる。 だから人間も、最初から龍神様に手をださないように気をつけよう。 うっかり手を出すと咬みつかれるぞ。
龍ってどうぶつですか?
>>689 龍は霊的な生き物で、地上に生まれることはなく、霊界生き通しです。
顔はわかりませんが、胴体は蛇に似ています。ぬくもりがなく、
何を考えているかわからない点も蛇に似てますね。
龍は、変身の術や分身の術を使いながら、瞑想や夢の中に登場します。
せんくす 人間より上ですか?霊的とは言え動物だと下かな?と思うので。 >何を考えているかわからない点 余計な考えがないでのでしょうね
龍は三途の川に住んでいる 龍に出会うには「精神的に死ぬ」必要がある。 このことから龍は、生死の境界にいることが想像できる。 生死の境界とは三途の川である。 龍は神界を守っている。であれば神界は三途の川の近くにある。 たぶん三途の川の上空に神界がある。
>>691 人間が精神的に死に、神のような愛で龍に接したら、龍は人間に仕えます。
その意味では人間より下になります。しかし人間にエゴがあるなら、
人間を地獄へと導くサタンのように思えるかもしれない。
この場合、人間はサタンの手下になります。
そのように思えてしまうって事は 人間より洞察力はなさそうですね。下に見えてたらそのような存在に導かれるはずないから。 たぶん…
そういえばヨブのように、 サタンの手下になることを拒み、ボロボロになった人もいますね。 サタンの手下になってはだめだった。最後まで頑張ろう。 自分のエゴに気がつかどうかが分かれ道になる。
ヨブがいつサタンの手下になるならないを迫られたのか。 ヨブ記の何章?
>>696 それがヨブ記のテーマなんだが、別に強制しない。
キミが信じたいように信じればいい。
龍のイメージはどこから来たのだろう? 個人的には夢か瞑想だと思ったが、実際には大麻などが関係しているかも。 伊勢のお守りは神宮「大麻」になってるね。 夢なら一富士・二鷹・三茄子などと言うが、どれも見たことがない。 ましてや蛇の夢など。それに蛇の夢など見たくもない。 それが瞑想で龍神を見てから、蛇(龍神?)の夢を見るようになったよ。 夢や瞑想だと龍に出会うのはきわめて困難だが、 もしかすると大麻などの薬物で、龍神を容易に見るのではないかと。 夢や瞑想のほかに、もうひとつ薬物の道がありそうだね。
7歳の時龍に乗った夢を見たな
>>697 強制も何も、そんな浅い表面的解釈してるのは世界で君だけだw
大麻などの薬物 ・・・ これが蛇信仰や龍神信仰のベース?
だとすれば、こういった信仰が大昔に大流行した謎が解けるかもしれない。
夢や瞑想では至難の業、これだけで大流行するはずがない。
では夢や瞑想と、大麻などの違いは何か。
夢や瞑想では、龍を見下ろし、龍の顔を見ない。これに対し
大麻などの場合は、たぶん龍を見上げ、龍の顔を見るのではないか。
どっちにしても、地を這わないのが龍のしるし。
龍に乗るのがベストだが
>>699 7歳頃なら、アニメ日本昔話の影響かもしれないね。
>>700 読みが浅い。ヨブ記の作者は龍(レビヤタン)を信仰している。
そうだねwwヨブ記の作者は龍(レビヤタン)を信仰しているねw
中国の苗(ミャオ)族はいったい何なん? 納豆、味噌、醤油、餅つき、稲作、棚田、高床式の住居、歌垣などなど 日本人そっくりじゃないか。顔までそっくり。 やっぱり長江文明の担い手は日本人だったね。 日本人のルーツは中国大陸にある。 揚子江流域、あの土地は日本人が支配していた土地だったんだね。 それに苗族は精霊信仰だと。日本人もそうだよ。 やっと腑に落ちた。久しぶりだね、祖先と父母と兄弟姉妹たち(^^) 懐かしいなあ。しばらくは同胞との再会を味わいたい。
>>701 699だけどそんなアニメチックなのじゃなくて、
7歳までにリアルな龍の姿自体見た覚えがないのにかかわらず
現実そのものの鱗の質感まで味わった
背の真ん中あたりで飛行中だから雲やら風やらで顔は視認できなかったけどすぐに状況はわかった
最後に振り落されて落下中一瞬死ぬと思ったが普通に着地して、見上げたら引っ越ししてきた家の前だった
>>705 具体的に聞けば、その龍はたぶん本物だろうと思う。
普通は龍の背に乗る夢など見ないし、見れない。
なぜそんな夢を見たのだろうか。
落ちた場所に引っ越しした家があったと言うのはヒント。
引っ越しは子供心に死を意味したのかも。それで龍に出会ってしまうが、
龍神様はまだ死んではいかん、と言う意味で落としたのかも。
あなたは龍神様に守られていると思う。
いい話をありがとう。
中島みゆきの 「銀の龍の背に乗って」をどうぞ(^^)
わたしの場合は、30歳ごろの瞑想で龍を見たよ。 龍の背中、その真ん中あたりに乗っているが、龍の頭がまるで見えない。 空は透き通るような青空なのに。 龍は三途の川の上で、川に沿った形で動かなくなった。 わたしは・・・なんで向こう岸に行かない、行け行けと龍に言ってる。 それなのに龍は空中で停止。そのじれったさで瞑想が終了。 龍に乗ったままで瞑想が終わってしまった。 わたしはひたすら向こう岸を見ていたせいか、龍の背中をよく見ていない。 龍の背中に鱗があったかどうかについては自信がない。
今日はいいことがあった。 死んだと思っていたノラ猫と1か月ぶりに再会したよ。 エサやり。いろんなドラマがあるけど全部省略。 1月1日から始めた小鳥への寒布施も2か月が経過した。 毎朝ミカンの輪切りだが、覚えてきたせいか遅いとすぐに飛んで来る。 あまり観察しないが、2〜3羽の常連がいるようだ。 ノラ猫にしても小鳥にしても、よく生きているなと感心する。
中国には三停九似説があるという。 「九似説」は後漢(AD22〜220頃)の王符が唱えた。 九似説 ・・・ 角は鹿に似、頭は駝(ラクダ)に似、眼は兔に似、 項(ウナジ)は蛇に似、腹は蜃(ハマグリ)に似、鱗は魚に似、爪は鷹に似、 掌(タナゴコロ)は虎に似、耳は牛に似る。 「三停説」・・・ 宋(AD960〜1122)の羅願曾が唱えた。 頭から前足、前足から後ろ足、後ろ足から尻尾までが等しい。三分割する。
そのほかの龍の特徴は 背中に81枚の鱗(鯉の鱗。9×9=81だが、ほんの少ししかない!) 口のそばにはヒゲがある。ノドの下に逆鱗がある。 その声は銅製のタライを打った時の音。アゴの下に輝く珠がある。 → 巨大な龍なのに鱗が81枚だと。たぶん10センチ四方だよね。 それより広いとしても、これじゃ鱗に気がつかない。 三停九似説もそうだが、実際の龍とはまるで違う。 似ている個所も少しあるが、龍の顔を見ている時点で作り話だとわかる。 → 中国の龍は作り話であり、まったくのウソ。
朝鮮人には龍神信仰がもともと存在しない。 朝鮮には「檀君神話」なるものがあり、朝鮮人は熊の子孫らしい。 漢人も朝鮮人も、龍の後裔・日本人とはわけが違う。 日本人でよかった(^^)
国では皇帝のシンボルが龍だったという。 その龍は5本指であり、5本指は皇帝にしか許されない。 朝鮮は4本指であり、日本は3本指らしい。 だれの説か知らないが、指の数で、1番中国、2番朝鮮 3番日本という イメージ操作がしたかったのだろう。 しかし、龍に足があったら蛇足ならぬ龍足になる。龍に足などない。 龍の顔もそうだが、龍に足があったら、その時点でアウト。 中国の龍(三停九似説)は百%ニセモノだと思っていい。 顔を見せない、足がないのが正しい。
こういった誤りは、龍が漢民族のオリジナルでないからだろう。 龍神信仰はもともと長江文明から生まれたのであり、 それを漢民族が盗作したのだ。 龍神信仰の周囲には、蛇信仰や性器崇拝が同時に存在している。 あるいは蛇の敵である鳥信仰である可能性もある。 こういったものがなく、龍神信仰だけというのは不自然過ぎる。 漢民族は蛇を食べる。これも漢民族の龍がニセモノである証拠になる。
民族と民族は常に敵対している。 そのため、歴史の改ざんや、事実の抹殺や、でっちあげ、 イメージ操作などが、日常茶飯事のように世界中で行われている。 漢民族による長江文明の抹殺もそのひとつであり、抹殺するだけでなく、 長江文明からの盗作もやっている。龍だけでなく、 漢民族の開祖という伏義とその妻の伝説も長江文明からの盗作だろう。 BC1000年頃、漢民族の南下で長江文明が滅びるが、 その担い手が中国から直接、船で日本にやって来た。朝鮮経由ではない。 なぜなら、漢民族が北にいるから、南下するか船しかない。
最近見つけたサイトに「日本人の起源」というのがある。 かなり分量があるので少しづつ読んでいるが、 民間の研究者なので読みやすく、そのうえ内容が非常にすぐれている。、 テーマ自体が興味深いだけでなく、龍神信仰の由来にも関係する。 サイトを見ればわかる。伊藤俊幸氏はすごい方です。
少し紹介しよう BC4000年頃・・・気候温暖期で縄文前期 BC2000年頃・・・冷涼化で縄文後期 BC1000年頃・・・寒冷化、乾燥化で縄文晩期 長江文明はBC1000年ごろに滅びる。 その原因には寒冷化という気候変動があり、そのため漢民族が南下。 石器の長江文明は、馬と青銅器の漢民族によって滅ぶと。 個人的な補足。長江文明は寒冷化で稲の不作が続いていた。そのうえ 上流の山々の森林が消え、「大洪水」が発生して壊滅的な打撃を受けたの ではないだろうか。寒冷化で温暖帯系の落葉広葉樹林が消えたのだ。
718 :
神も仏も名無しさん :2013/03/05(火) 15:41:43.17 ID:s5f6iDE1
龍は今日も誕生してるみたいですよ
719 :
神も仏も名無しさん :2013/03/06(水) 05:33:04.64 ID:JxtwVjPb
龍神は金運と関係があるな
>>711 ちなみに、このテメーも熊襲人(もしくは薩摩隼人)の系統だ。
四国の出身なんだけれど、ルーツは鹿児島。
ま、熊襲人なんかだったら「火神(ひぬかん)」の信仰に重点を置いていたようで、
これとて龍神信仰ともどこかに接点があるような気がしてならないんだけど、いかに?
日本人の起源は、縄文人と弥生人の二重構造論が通説になっている。 母親系統を明らかにするmtDNA分析(Gm)によれば、 日本人の大多数は「北方系」であり、日本が大陸と陸続きだった氷河期に シベリアからやって来たことを意味する。これが縄文人である。 しかし、父親系統を明らかにするヤップ遺伝子によれば、 日本人の場合、D系統と、南方系のO系統に著しい特徴がある。 これは、D系統を持った縄文人と、O系統を持った弥生人が 日本国内で混血したことを意味する。→ 遺伝子レベルの二重構造論
母親系統の「北方系」だけでは、朝鮮からの渡来を否定できない。 しかし父親系統で見れば、朝鮮にはD遺伝子がないから、朝鮮からの渡来は 完全に否定される。日本人と朝鮮人は違う民族である。 では「南方系」のO遺伝子はどこから来たのか。 BC1000年ごろから、稲作技術と高床式住居を持った長江文明から、 船に乗って直接日本に「計画的」に渡来した。 水田や稲作技術は日本人が朝鮮に伝えたものである。 その名残りが「任那」であり、日本人は古くから朝鮮半島に強い権益を 持っていたことがわかる。それは「記紀」にも書かれている。
もちろん例外はある。少数だが南方系の縄文人もいたことだろう。 朝鮮から渡ってきた人もいたことだろう。 しかし基本的に、日本人と朝鮮人は違う民族である。 「檀君神話」は中国との国境にある「白頭山」を舞台にしている。 これからもわかるように、朝鮮人は北方系だが、山や陸地の民である。 だからこそ熊の子孫にもなるのだろう。 日本人は大昔から「海の民」である。基本的に、 日本から朝鮮に行くことはあっても、朝鮮から日本に来ることはない。 なぜなら、朝鮮から日本に来る必要性もないし、航海技術もない。
>>720 伊藤俊幸氏のサイト「日本人の起源」によれば、
BC1000年ごろの気候寒冷化のときに、関東東北の縄文人が西日本に
南下した可能性を指摘している。鹿児島、沖縄諸島にも。
そうだとすれば、アイヌ人(たぶん縄文人の末裔)も熊を大事にするから、
九州で熊が地名になったりしていることも理解できる。
イザナミは火神を生んで死に、木花咲耶姫は火中で子供を産んでいる。
その子が海幸彦と山幸彦であり、山幸彦は海神の娘と結婚し、
山幸彦が天皇の家系だから、火神信仰と龍神信仰とは関係してそうですね。
桜島や阿蘇や富士山の噴火にも関係?
日本の人口推移 縄文中期BC6000年ごろ、2万人 縄文前期BC3000年ごろ、10万人 <中>BC2300年ごろ、26万人 <後>BC1300年ごろ、16万人 縄文晩期BC900年ごろ、7万5千人 弥生時代AD200年ごろ、60万人へと急増 ← 稲作のお蔭 士師時代AD750年ごろ 540万人
726 :
神も仏も名無しさん :2013/03/06(水) 14:29:37.45 ID:mPG9vp1F
すれ違いだね
人口推移を見れば、縄文時代に「性器崇拝」が行われた理由もわかる。 早死、食料事情などで、人口がほとんど増加しなかったからだ。 生活スタイルも異なり、縄文人と弥生人は平和に共存することができた。 この事情は朝鮮半島も同じ。半島にも人間がほとんどいなかった。 危険を冒してまで日本に来る必要性がまったくない。 だからこそ、日本人は半島に進出し、「任那」を自分の土地にできた。 この時代から「竹島」は、海洋民族・日本の領土であることもわかる。
朝鮮は昔、唐軍の力を借りて日本軍を破り、 半島の日本領土「任那」を奪った。これがAD663年、白村江の戦いだ。 そして今また、中国共産党と手を組み、竹島を奪おうとしている。 尖閣問題を計算しているのだろう。 そのうえ、竹島だけでなく、対馬も自分たちのものだと言い出している。 対馬まで取られてしまうぞ。韓国人は日本人をなめきっている。
なぜこんなことになったのか。 日本は戦後、共産党・日教組の影響下、小中高では日本の近現代史を 省略する方針を採用しているのではないか。 教科書にのっているのに、授業は大正時代ごろで時間切れになる。 歴史は西欧中心、朝鮮や中国との関係など超特急で終了。 古事記、日本書紀などまったく無視されている。 今の日本人は、龍神信仰の肝心な部分、古代史と近現代史を知らない。 日本人は歴史を奪われ、日本人としての誇りを奪われている。
韓国人が大騒ぎしている「従軍慰安婦」もそのひとつ。 日本は朝鮮人を日本国民として扱い、朝鮮人の将校も警察官もいたのに、 若い女性を強制連行できるわけがない。暴動が起こるだろう。 そうじゃなくて、親が娘を、売春宿を経営する朝鮮人に売ったのが真相。 親は娘にそんな話ができるわけがない。娘は何も知らないで連行される。 ここから強制連行という慰安婦の主張が生まれる。 でもそんな事実はないない。そんな証拠は何もない。慰安婦は売春婦なの。 日本的な温情で慰安婦と表現したのに、かえって仇になったね。
日本でも身売りがあったんだよ。それが当時の常識。 それに1962年の「日韓基本条約」で戦後補償は完全に終わっている。 補償してほしいなら、韓国政府に請求するのがスジ。 1910年の「日韓併合条約」も意図的に歪めている。 これは当時としては画期的なものであり、今で言えばECのようなもの。 日本人も韓国人も台湾人も平等、同じ日本国民だった。合併だよ。 それなのに韓国人は植民地にされたと恨んでる。 身分差別が解消し、学校や工場を作ってもらい、短期間に経済成長し、 人口が急増したのに恩知らずな人たち。
朝鮮にとって、第二次大戦後の重大な挫折は「朝鮮戦争」ではないか。 共産主義者・金日成のせいで、同じ民族同士が争ったのだ。 韓国人はその不幸を日本のせいにしてないか。 かりに日本との合併がなければ、いまの北朝鮮が韓国の姿になる。 共産主義者・金一家の独裁と飢餓と収容所ではないか。 それでも韓国は、同じ民族・北朝鮮への思いを捨てられないのか。 その思いはわかるが、朝鮮戦争の不幸を日本のせいにしないでほしい。 そうしたいなら金一家の支配に入ればいい。民族の不幸を共有したらいい。 いくら言っても理解できないだろうけど言っておく。
日本がいくら貢献しても、韓国が中国やロシアへとなびくのは、 その地理的位置と、同じ大陸という民族的な親近感があるのかもしれない。 かりに日本につけば、最前線で中国、ロシアと向き合って戦うことになる。 中国やロシアにつけば、最前線は海を隔てた遠い向こうになる。 これがたぶん、朝鮮人の思いの底によどんでいる。 だとすると、日本が朝鮮半島に向かうのは方向違いであり、 ましてや漢民族、中国共産党と手を結ぼうとするのは亡国の選択になる。 長江文明が滅びた二の舞。日本は「英米」と結ぶしかない。
秀吉の朝鮮出兵は誤りだった。そのため豊臣は滅んた。 しかし、モンゴルによる、朝鮮人先導の日本攻略も誤りだった。 そのせいで鎌倉幕府が滅んだが、この二つはお互い様か。
>>720 >>724 イザナミは出産、海神の娘・豊玉姫も出産 〜 血
木花咲耶姫も出産、昔は産屋を出産後に燃やしたという 〜 血と火
火山の噴火 〜 火
諏訪大社のミシャグチ神 〜 赤蛇、龍神信仰
これらから火神信仰と龍神信仰の関係が推測される。
「日の丸」の赤も不思議。太陽なら黄色が正しいはずなのだが。
出産の「血」 輝く「太陽」 調理の「火」 火神とか赤蛇とかはこれらのシンボルであり、 古代人はこれらのありがたさを素直に崇拝したのかもしれない。 ただし二面性があり、血は生死、太陽は寒暖、火は調理と噴火(火災) ゾロアスター教では火を崇拝する。ヒンズー教でも火神アグニがいる。 水(龍神)は陰、火(火神)は陽で、陰陽の関係なのかもしれない。
日本の人口推移(
>>725 )から、文字が発達しなかった事情も見えてくる。
家族や小集団で暮らしたので、文字の必要性がなかったからだ。
言葉にしても伝統にしても親から子へと直接伝えていた。
そのため日本語は、接触した人たちの単語を取り込みながら成長した。
日本語に、ツングース語・アイヌ語・中国語・韓国語・東南アジア系言語・
ユダヤ語などの影響があるのはその結果であろう。
そんなわけで、言葉から日本人のルーツを探るのはかなり難しい。
ごく大まかに言えば、文法は北方系、単語は南方系らしい。
・・・ 熊襲人は、熊を襲って、熊を食べる人(アイヌ人)のことかも
人口推移(
>>725 )がわかると、龍や蛇の信者数がイメージできる。
総人口の半分としても、その実数はたいしたものではない。
ここまでの問題点を考えてみよう。
@ 水田稲作の前、縄文時代に龍や蛇の信仰が存在したのはなぜか。
蛇の飾りがついた縄文土器もあり、諏訪大社のミシャグチは縄文に遡る。
A 龍神信仰は、蛇信仰や性器崇拝に由来するものなのか。
それとも、まったく異なる別個の信仰なのか。
縄文前期BC6000年ごろ、2万人
縄文中期BC3000年ごろ、10万人
(
>>725 前期と中期が間違っていたので訂正しておく)
陸稲だが、縄文時代のプラントオパールが見つかっている。
稲の原産地は長江流域だから、その当時、その地域から日本にやって来た
人たちがいたことを物語っている。
かれらは、陸稲だけでなく、蛇や龍の信仰を伝えた可能性もある。
蛇や龍の信仰は、北方系の縄文人にとって衝撃的だったかもしれない。
しかし縄文人の一部は、陸稲も信仰も受けいれた。
蛇とネズミの関係から見ても合理的である。水田稲作をやってなくても、 食料(ドングリなど)を土器に保存していればネズミが出没する。 蛇はネズミ対策にありがたい存在だった。 長江から来た人たちは、陸稲と蛇信仰だけでなく、刺青も伝えている。 刺青は、長江近辺にいた呉人や越人の風習だったらしい。 日本には、縄文弥生の時代から現代に至るまで、刺青文化が存在する。 刺青には、飾りだけでなく、個人の識別という意味があったと思う。 敵味方を見分ける、消すことのできない「しるし」になる。
龍神信仰の由来 蛇信仰と性器崇拝はそれだけで成立する可能性が高い。 縄文の人口がまったく増加しないことを知れば、食料の確保と人口増加が 人々の痛切な願いだったのだろう。であれば成立する。 では、龍神のイメージはどこから出てきたのか。 やはり蛇をベースにした想像、あるいは大麻などの幻覚ではなかろうか。 夢や瞑想によるものではないと思う。
そうすると龍神信仰の由来は三つあることになる。 A 蛇信仰と性器崇拝 → 龍を想像 → 龍神信仰・・・ニセモノ B 大麻などの薬物 → 龍を体験 → 龍神信仰・・・??? C 夢や瞑想 → 龍を体験 → 龍神信仰・・・ホンモノ Aの場合は、龍に顔や翼や手足がある。ドラゴンや三停九似説もこれ。 Bの場合は、下から龍を見上げているか、恐ろしい思いをする。 Cの場合は、常に上から龍を見ている。龍の頭も顔も翼も手足も見ない。
さて、また周辺国との関係に話を戻そうか。 朝鮮人はもう終わったから、今度は親日的な台湾人にしよう。 台湾人はなぜ親日的なのか、それはすぐに理解できる。 日本との合併が台湾人を幸福にしたから → 朝鮮人は恨んでいるのにね 戦後の蒋介石に対する憤り → これでは日本のがよかった 地理的に日本と利害を共にする → 共通の敵は共産党独裁・中国 台湾人にも複雑な思いがあるだろう。しかし、日本と共同戦線をはることで 台湾の将来がある。日本も同じ。中国、北朝鮮、韓国を切り捨て、 台湾と運命を共にすることで日本の将来がある。
(
>>725 は見出しが間違っていた。下記に訂正〜関連
>>737-739 )
日本の人口推移
縄文早期BC6000年ごろ、2万人
縄文前期BC3000年ごろ、10万人
縄文中期BC2300年ごろ、26万人
縄文後期BC1300年ごろ、16万人
縄文晩期BC900年ごろ、7万5千人
弥生時代AD200年ごろ、60万人へと急増 ← 稲作のお蔭
奈良時代AD750年ごろ 540万人
>>740 の補足
刺青は明治政府が禁止するまで、アイヌも沖縄もやっていたという。
最近は白人もファッション感覚でやるが、
もともとはアジア各地で行われていた可能性もある。黒人は無理。
船乗りは海で死んでもわかるようにやったとか。
この説には妙に納得した。
日本の彫り師は腕だけでなくデザイン的にも評判がいいらしい。
龍を彫れるのは日本の彫り師だけだろう。
746 :
神も仏も名無しさん :2013/03/16(土) 13:07:12.17 ID:trWzTVAE
天皇家の起源については、騎馬民族征服王朝説というのがあったね。 騎馬民族征服王朝説とは、朝鮮から日本にやってきた夫余系騎馬民族が、 4C末から5C前半に日本を征服した、という仮説である。 これは江上波夫(1906〜2002)が1948年に唱えたが、 かれの仮説を裏付ける証拠が何もなく、いまや完全に見捨てられている。 騎馬民族うんぬんは、かれの脳内妄想でしかなかった。
水田稲作は日本から朝鮮に伝わったと思うが、 サイト「日本人の起源」〜伊藤俊幸氏は、朝鮮の、日本への影響を重視、 水田稲作は朝鮮から日本へ伝わったと考えているようである。 基本的にだが、縄文人が朝鮮半島に渡ろうとしなかったように、 朝鮮人も日本列島に渡ろうとしなかったのではないか。 なぜなら、土地が十分にあり、海を渡る必要性がないからである。 弥生人が特殊であり、弥生人は海を恐れない民なんだよね。 古代、船を造り、海を航行するのはきわめて難しい。 船や海に関する相当の知識や技術が要求される。
>>746 騎馬民族云々ではなくて、朝鮮の海賊が天皇家の起源であったのかもね。
レプティリアンは四次元(幽界)のトカゲ人、ドラゴンは五次元(霊界)の有翼二足歩行生物 と聞いたのですがそのような理解でよろしいのでしょうかね? 今自分が知りたいのは、翼をもつほうのドラゴンに善い竜は存在するのかしないのかという事なんですが。
>>748 天皇のすごさは仁徳天皇を調べたらわかる。
国民のことを心配する権力者など、世界中で日本の天皇しかいない。
天皇の支配する日本はプラトンの言う「哲人国家」だった。
>>749 西洋の合理主義は、空を飛ぶなら翼が必要だろうと考える。
その結果、ドラゴンや天使の背中に翼が描かれる。
しかし東洋では、霊的な存在なら翼などいらないと考える。
その結果、東洋の龍には翼がない。
翼の有無だけで、善あるいは悪だと判断できるわけではない。
個人的な体験から言えば、龍に翼などない。
753 :
神も仏も名無しさん :2013/03/18(月) 21:32:05.48 ID:qP68TYBa
遺跡の発掘などで、天皇家のルーツを調査することは タブーにしてほしい。わかったところでどうなるものでもない。 日本の国体は、象徴天皇制と国民主権にある。 ユダヤ人ではないかと言われている秦氏も同じ。かりにユダヤの血が 流れていても、ユダヤに帰れ、と言われたら不快だろう。 世の中にはそういうバカが必ずいる。
天台宗・最澄(AD767〜822年、55歳没)の先祖は、 後漢(AD25〜220)の時代に渡来した帰化人だと言われている。 真言宗・空海(AD773〜835年、62歳没)の先祖は、 父方は蝦夷(縄文人)、母方も帰化人(中国系?)だと言われている。
日本には、縄文系(琉球・アイヌ)や弥生系(長江文明の継承者)だけでなく、 中国系もいればユダヤ系もいれば朝鮮系もいるのだろう。 日本人はそういった人々が混血することで誕生したのだと思う。 自分たちのルーツは何かという関心ならいいだろう。 しかしそれが、今現在の差別につながってはならないと思う。 → あまり詮索しないのが暗黙のルールかもしれない。
>>754 の訂正
最澄の先祖は、後漢の時代に渡来したという話ではなく、
ウソかホントかわからないが、後漢の孝献帝(献帝、後漢最後の皇帝、
AD189〜220年)の子孫であるという話でした。
いつごろ日本に渡来したかは不明。orz
ここまで来て気がついたことがある。 このスレで、高級霊には顔が無く、のっぺらぼうだと書いたが、 龍神様が顔を見せないのも同じ理由かもしれない。 メドゥーサのような恐ろしい顔など見たくもないが、 しかしどうして見せないのかと不思議だった。 高級霊だから顔を見せないのだ。
758 :
神も仏も名無しさん :2013/03/19(火) 19:03:42.46 ID:hmHcklLc
もうひとつの謎は、 なぜ龍神様が最後の最後に登場するのかということだった。 このスレには幸い龍の背に乗った方がもう一人いる。 その方の話でわかった。龍の背は「死ぬな」というメッセージなのだ。 これが釈迦の話にある「梵天勧請」ではないだろうか。 中村元訳「悪魔との対話」サンユッタニカーヤU 岩波文庫 第Y篇 梵天に関する集成 第1章第1節 懇請
龍神様じきじきで三途の川を渡らせないのだから、 死ぬな、というメッセージ以外にない。 そうすると龍神様は、仏教の梵天に等しいではないか。 梵天はブラフマン(宇宙真理)の人格化らしい。 しかし龍神様から見れば、梵天のうわさ話がブラフマンになる。 だから、龍神様=梵天 ・・・ > ブラフマン
(補足) ブラフマンの人格化がブラフーマーであり、その漢訳が梵天。 耳かきのふわふしている部分も梵天という。その由来は、修験者が着用する 梵天袈裟の左右についている、二つの綿帽子状のものに似ているからとか。 しかし、梵天袈裟になぜそんなものがついているのか不明。
街角を右に折れるとそこに大きな川があった。なぜだかわからないが、 その人は歩いて向こう岸に渡れそうな場所を探し、川に沿って歩いている。 しかし川はどんどん深くなるばかりだった。心細くなってきた矢先、 川にかかる橋を見つけた。ああよかったと橋に近寄り、さあ渡ろうと橋の 行く手を見た。すると二人連れがこちらに歩いて来るではないか。 橋のたもとで立ち止まり、二人に目を凝らしていると、 二人の顔がわかるぐらいの距離になった。
ひとりは最近死んだ身内であり、その怒ったような顔を見た瞬間、 こっちに来るなという強いメッセージが伝わってきた。 もうひとりは不思議な人だった。なんとも気高い雰囲気に包まれている。 そのうえその姿が濃くなったり薄くなったりしている。 身内と比較して段違いなのが一目でわかった。 しかも顔があるのに目や鼻や口が見えない。いったいだれなんだろう。 その人のことが気になり、向こう岸に渡ることなど、 もはやどうでもよくなっていた。
生きている人間には四柱の守護霊がいるらしい。 梵天袈裟についている左右に二つ、合計四つの丸い球は、 もしかすると四柱の守護霊を意味しているかも? 一般的な組み合わせなら、神様・龍神様・父親・母親だろうか。 両親が健在なら、その家系の先祖などが守護霊になる。
764 :
神も仏も名無しさん :2013/03/21(木) 07:51:40.01 ID:b1YtkJuB
お彼岸にちなんでもうひとつ。 後に残された者が、亡くなった者を悲しむのは当然だが、 その悲しみが強すぎてはならない。なぜなら、強すぎる思いは、 亡くなった者の成仏を妨げてしまうからだ。 ほどほどにして亡くなった者を自由にした方がいい。 こういった理由で、口寄せや降霊実験(リーディング)は排斥される。 依代にとっても死者にとっても危険である。
過去レス見ないので既出かもしれないが 龍が表現された初まりは中国大陸の夏(か)王朝が権力を象徴するもので エメラルドを使ったモザイク画だよね?
>>765 それは知らなかったです。そのモザイク画を見てみたい。
中国の古代史は日本人のルーツにダブり、おもしろそうな世界ですね。
田んぼのど真ん中で小鳥が1メートル近くの防護柵手すりに止まった。 えっと思ったが、すぐにどこかへ飛んで行った。 そばで野良猫が食事中だったんだよね。そりゃ逃げる。 小鳥の寒布施は食べに来なかった3月上旬を境にやめた。 暖かくなってきたし、いつやめようかと思っていたのでいい機会だった。 しかし姿を見なければ生きているのかと心配になる。 生きていてよかった。傷だらけの野良猫も。
768 :
705 :2013/04/23(火) 22:30:22.06 ID:D7zVThjS
>>758 705だけど、あんまり話すべきじゃない気がするけど他にも色々とスピリチュアル体質を自覚している
このスレ有意義な情報多くて面白いね
もうひとつ、最近の出来事で疑問があるんだけど、仮に龍神様が喋るなら二人称は「お主」でいいのだろうか?
眠りから醒めたと同時に年配者の声でメッセージ(幻聴、霊聴)が聞こえた
龍神様が人間の言葉で、人の人生の今後に対してアドバイスするなんて事がありえるかな
先祖とか守護霊のほうと解釈するのが普通?
最近霊能者の方に「あなたには龍神様が後ろに見える」と言われました。 確かに我が家では龍神様を祀っていたり、ここ数年私自身が龍神様を祀っている神社に参拝していたりと、 言い当てられて驚いたのですが。 そこで「龍神様がついた人はあえて苦行を与える」というようなことを言われました。 質問なんですが、苦行を乗り越えた先には何があるのでしょうか? お願い事などをしてもよろしいのでしょうか? 大儀を与えられたような気がしてうれしい反面、気も重いのです。
770 :
神も仏も名無しさん :2013/05/03(金) 04:10:56.11 ID:7VDGsbHB
>>769 竜神様にご加護されてる方いくらでもいるんですよ
さっきまで一緒にいてた人も白い猛々しい龍王が守護してる
その人のご先祖が神社の修築んい貢献されたみたいです
寺社で拝んだり寄付したりすれば良いってもんじゃない
関心なくてもその人の感性が優れていたり変な電波発していたりで気に入られたり
とりあえず呼んだら超マッハで駆けつけてくれるような神様は2、3作っとけ
>>768 龍神様は鋼鉄のようであり、龍神様が言葉をしゃべることはないだろう。
話しかけたが答えはなかった。行動で反応した。
断定はしないが、龍神様は何も話さないように思っている。
かりに言葉を発したら龍神様以外かと。
>>769 生死の境界にいるのが龍神様ですかね。
その龍神様が守っているなら、どんな苦労があっても大丈夫ですよ。
感謝しながら、龍神様に願うことはかまわないと思う。
残念だが、人間は苦労しないと精神的に成長しない。
苦労を恐れてはいけない。若いうちの苦労は買ってでもしろと言う。
苦労すれば他人の気持ちがわかるようになる。
苦労した先には幸運がある。
心を澄ませば、先のことをぼんやりと感じるようになる。
774 :
769 :2013/05/04(土) 14:24:35.23 ID:FpKICe/W
>>772 レスありがとうございます。
若いうちの苦労は〜って言われますが、もはやそんなに若くはないんですよね(笑)
あまりにも健康面や仕事面、そして恋愛面が上手くいかなくて八方塞がり状態で
たまたま鑑定してもらったら「龍神様が〜」って話になったんです。
それでもこうして何とか生きていけてるのも、龍神様のご加護なんでしょうね。
775 :
神も仏も名無しさん :2013/05/15(水) 17:11:29.96 ID:eVjVQU93
龍神と稲荷は役目とかは違うのか? どちらも屋敷神の定番だと思うけど。 またこの二神を同時に拝んだり、他の神仏と一緒に拝むのも構わないのか?
>>774 わたしも不運が重なり、心が折れそうになったことがあります。
今でも偉そうなことは言えませんが、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、
を心がけています。うまくできれば運がよくなるようです。
あとは少し立ち止まり、心を澄ませ、自分の奥底に意識を沈ませて行き、
そこで感じた心の動きに速攻で従うことでしょうか。嫌な感じとか、
こうすべきとか、分かれ道では何かしらを感じ取れます。
会ったことがないので稲荷とか天狗とかはわかりません。 かりにそういった存在があるとすれば、 死者の浮遊霊に取り憑かれた現象なのかもしれません。 個人的には、龍神様と稲荷や天狗を同時に拝むことは 避けるべきだろうと思います。 神の使いが龍神なので、神様と龍神様を拝むことはOKでしょう。
778 :
神も仏も名無しさん :2013/05/16(木) 23:59:00.96 ID:LePcbi47
>>777 は何を根拠にアドバイスしてんだよ
稲荷も龍神も同類なんですけど
>かりにそういった存在があるとすれば、
>死者の浮遊霊に取り憑かれた現象なのかもしれません。
ぜんぜん的外れ、神霊なめんな、
お邪魔します。
言い得て妙、だと思うよ。
>かりにそういった存在があるとすれば、
>死者の浮遊霊に取り憑かれた現象なのかもしれません。
>>777 氏の仰る通り、
“狐憑き”なんてのは、そもそも、
「大概が畜生霊」「低級霊」
と言われていたりもする訳で。
その通りだと、感じざるを得ない。
それを、やれ神霊!?だの、何かアリガタイ霊だのと、思い込んでしまう人間の、多いこと…。
それと、何でもかんでも“神様”にしてまうでしょう。
こういった人達は。
少々飛躍的だが、神道(人の中にあるものとしての)に、限界を感じてしまったりもする。
神は神。
人は人。
780 :
神も仏も名無しさん :2013/05/17(金) 06:35:14.39 ID:N90ZOJTt
>稲荷も龍神も同類なんですけど そういう、安易な決定は、神様に失礼です。 あと、危険です。とても。 >神霊なめんな 神道は、人が神と馴れ合う為のツールではありません。 私が、今一つ神道に安心出来ないのは、 こうして、人間の意志が介入し過ぎている点に原因があったりします。 聖と俗の区別がついていない人間が多すぎる。 これは、非常に傲慢な事です。 言っていい事、悪い事。 触れていい領域。 立ち入ってはいけない領域。 というのは、あるのです。 これが理解出来ないまま、無暗に神(領域)に、近付こうとするのでは、畜生と同じです。 あまりにも、初歩的な話ですが…。
781 :
神も仏も名無しさん :2013/05/17(金) 11:53:13.81 ID:Zl0DtcC/
782 :
神も仏も名無しさん :2013/05/17(金) 12:15:09.08 ID:Zl0DtcC/
昨今の日本のオタクっぽいエンタメなんて まさにあなたのいう堕落の象徴だと思うんだが ネットの素人芸に対し「神降臨」だの「神曲」だの、もうそれだけでどういう認識でいるのかは判る 戦前と戦後では全く別の国の精神性だしね 現在神道や宗教を運営している年配者の方々と、若い世代との価値観メンタルがまるで別物なので そういった世代間の意識的な対立という意味でもすでに人間の意志が根強く働いているともいえるが
>>779-782 同感です。自分中心の信仰ではなく、
神様や龍神様を中心にした信仰であるべきだと思います。
人間は重なる不幸に負けて心が折れそうになることがあります。
しかしその心は結局、わが身可愛さではないか。
わたしの場合は、それに気がついて、折れそうな心を自分から折った。
これが神様と出会い、龍神様と出会う秘密です。
その人がどれぐらい追い込まれているか。
それがきわめて重要です。
>>778 あなたは、稲荷や天狗に出会ったことがありますか。
出会ったことがあるなら、それを具体的に書いたらどうでしょうか。
それが最も説得力があると思います。
体験もないのに稲荷信仰では、単なる思い込み、脳内妄想ですね。
785 :
神も仏も名無しさん :2013/05/19(日) 01:32:43.17 ID:QNZ+v0n6
>>783 >折れそうな心を自分から折った
これはどういうことですか?
就職活動で連敗続きで心がすでに折れています。
確かにいいこと書いてるんだが、もっと具体的にはっきり書いて欲しいよな。
自我を剋すってことでしょ。武士道精神だよ。
今の若者は精神の操り方を知らない。石原慎太郎あたりの世代が声高に何を唱えているのかの意味が理解できない。 かわりに技術・理論が浸透したので人間としてのアナログな力をそこまで必要としなくなった。 しかし紛れもなく龍神様はこのアナログな世界の深淵におわしますのだ。
789 :
神も仏も名無しさん :2013/05/19(日) 23:35:20.26 ID:pt0YDDrX
>>784 天狗は知らんな、河童も知らん、麒麟とかまずない。
変わった珍しいとこでは、
シャチ ツチノコ 鳳凰ぽいの 耳ダブルな人 のっぺら女 ガマ蛙
あと思い出しておくわ、龍はメジャーな霊獣だと思うんだけどな
>>785 失恋にしても就職失敗にしても、
そういったことで追い詰められた自分自身がそこにあり、
その自分自身が弱り切ってますよね。
自分を折るきっかけは、どこまで行っても自分が自分中心でしかないから
弱り切っている、ということに気がつくことでしょうか。
それに気がつき、あまりの自己嫌悪で吐き気がし、
その勢いで自分自身を捨ててしまう。
言い換えれば、自分を折るとは精神的に死ぬことだと思います。
どのくらい死ねばいいのか。
わたしの場合は瞬間的にですが、目を開いたまま目が見えなくなり、
人間とはこういう存在なのだという図形のような幻を見せられています。
その直後に、雫のようなものが頭の中に落ちました。
>>787-788 同感です。武士道は死ぬこと也と見つけたり。
恋の至極は忍ぶ恋 → 実際にやってみよう。忍ぶ恋には甘い味がある。
>>789 わたしは神様と龍神様しか知りません。
見たから信じるのであって、ほかの人が何を信じてもかまいません。
わたしが見た龍神様は、蛇でもなく獣(=毛物)でもなく、
銀色の鋼鉄のようでした。
793 :
785 :2013/05/22(水) 00:20:33.35 ID:Mu460j4a
>>791 甘い味ですか?
私は思春期の頃から恋愛感情を忍び過ぎて40歳を過ぎてもろくな恋愛経験もつめず、
未だ独身です。
この先に何があるのでしょうか?
今の苦しさ、もがいてる状態を耐え忍ぶと、死んで来世(あの世)で報われるということなのでしょうか?
恋愛面でも、生活面でも生きている喜びが見つからないのです。
今は、もう死んでしまいたいくらいなんです。
すいません。
自分を折るとか、自分を捨てるとか言っても、 それは自分自身で気がつき、それを自分自身で体験しないとわからない。 わたしにできることは、不幸のどん底にチャンスがあり、 人生は奥深いから絶対にあきらめるな、というアドバイスだけです。 機が熟してないなら、その先の奥義へと進むことはできない。 それがその人の運命であり、苦労のし損、骨折り損のくたびれもうけ。 苦労に負けてへこたれたら終わり。そうならないように、 自分の頭でしつこく考え、自分で自分自身に気がついてください。
あなたのやってきたこと、言ってきたことを、 どこでどう切ってもたぶん、金太郎飴のようにあなたの顔が出てくる。 周囲の人間にしてみればそれがうっとうしい。 自分のことしか考えないような人間は危険なのです。 その点はみんな同じなんだけど、他の人は要領がよくてずるいから、 それを上手に隠して生きている。しかしあなたは正直だから、 周囲の人間にその危険性を見抜かれてしまう。 周囲から警戒され、危険視されるだけで苦労します。
単純化すれば、人間は食欲と性欲で生きています。 この食欲と性欲は、自分の欲望であって他人の欲望ではなく、 だから人間(生き物)は本質的に自分中心なのです。 家を出れば七人の敵どころか、自分以外は全員敵、それがこの世だ ということです。あなたが苦労しているのは、あなたがそれを知らない 大バカでマヌケだからということになります。 いま、あなたの前に二つの道があります。 ひとつは、あなたも周囲のように、要領よく、偽善的に生きるか もうひとつは、神と出会い、神と共に人生を歩むか
797 :
神も仏も名無しさん :2013/05/23(木) 00:24:55.35 ID:5JDUZytx
鬱陶しくて読む気がしない
良薬、口に苦し
799 :
神も仏も名無しさん :2013/05/24(金) 00:56:45.09 ID:K6pX0dWI
あほか >いま、あなたの前に二つの道があります。 >ひとつは、あなたも周囲のように、要領よく、偽善的に生きるか >もうひとつは、神と出会い、神と共に人生を歩むか
>>793 >私は思春期の頃から恋愛感情を忍び過ぎて40歳を過ぎてもろくな恋愛経験もつめず、
>未だ独身です。
>この先に何があるのでしょうか?
…今からでも遅くはないですから、とにかく”心の窓の鉄格子”を外してみましょうよ!
>恋愛面でも、生活面でも生きている喜びが見つからないのです。
じゃ、あなた様が幼少期や学童期において体験したであろう”楽しい想い出のリバイバル”を試みるなんてのが妙手かも。
>今は、もう死んでしまいたいくらいなんです。
…あくまでも肉体を持ったままで自由になってみせなければ、死後において
自由も喜びも獲得することなどは不可能ですよ?
まして自殺なんかしようもんなら”地縛霊”という、まあ不自由の極みの境遇となって
今よりも遥かに苦しいことになってしまいますよ?
まずは、自らに「自由民権運動」を起こしてみてくださいよ。
「”心の右傾化”なんてまっぴらじゃ!」とばかりに。
右翼的なものはサイフだけで充分。 心は左にサイフは右に。
…って、まるでフランス人みたいだww
注:「サイフは右」とは、ケチと言われるぐらいでもいいからサイフの紐だけはキッチリと締めておけ、の意。
>>796 >単純化すれば、人間は食欲と性欲で生きています。
>この食欲と性欲は、自分の欲望であって他人の欲望ではなく、
>だから人間(生き物)は本質的に自分中心なのです。
ただ、これらの煩悩をコントロールする”自我”を持ち合わせているのも人間の特権なんだから。
かのフロイトが「自我が発達しているを以って大人と言える」と主張したのはダテじゃあない。
>家を出れば七人の敵どころか、自分以外は全員敵
なかなかもって!
かの宮本武蔵なんかに至っては「出逢う者どもは元より天地自然の悉く我が師なり」と喝破しているぐらいなんだから。
>あなたも周囲のように、要領よく、偽善的に生きるか
>もうひとつは、神と出会い、神と共に人生を歩むか
「中曽根康弘ばりに面の皮が厚い野郎だな」って罵られたことさえもある
このテメーに至っては
「誠の心で神と共に歩みつつ、周囲の人々とも和する生き方」を常に模索していたりする。
計算高さや要領の良さなんかにしても処を得た用い方をする限りにおいては美徳であるものと認識していたりもする。
…現に計算高いことなどはイスラム世界においては「アッラーにおかれる99の美点」のうちの1つと見なされているぐらいなのだから。
802 :
793 :2013/05/24(金) 21:09:22.96 ID:8FH2sPBt
>>800 アドバイスありがとうございました。
“死んでしまいたい”と書き込みましたが、死ぬ勇気もないんですよね。
知人が自殺した時、「○○(私のこと)の方がいつ自殺してもおかしくないよなw」
と変に慰めのような賞賛のような言われ方をしました。
何とか暮らしてこれたのも龍神様や神様、そしてご先祖様のおかげなんでしょうね。
>>802 >死ぬ勇気もないんですよね
こんな勇気、無くてもいいんですwwww
そりゃ、時と場合によっては「清水の舞台から飛び降りる覚悟で」の決断を迫られたりすることもあるのでしょうが、
ともかく自分で死ぬ勇気なんてものは持たなくていいと思います。
…あ、そうそう。
>>800 で「自由民権運動」云々のレスをさせていただきましたが、これとて幕末から明治維新にかけての土佐藩を中心にした
龍神様による働きだったようなのです。
もちろん坂本龍馬なんかは完璧に龍神系!
彼は生まれたときから背中に鬣(たてがみ)状の産毛がワンサカと生えていたそうですよ。
…でもって、(郷士でしかない)彼や中岡慎太郎が狙撃されて暗殺されてからも(山内藩士である)板垣退助らによって
きわめて過激で左翼的、尖鋭的な政治運動が活発化したのですが、これとて他でもなく龍神の為せる技だと認識している次第であります。
国家単位ではなくて、まずは個人単位における自由民権運動!!
この動きに龍神様が感応しないはずはないと思いますよ。
804 :
神も仏も名無しさん :2013/05/25(土) 06:10:44.10 ID:bbgX3u0d
わたしの場合は、瞑想中に現れた龍神様がベースです。 その龍神様から、ヨブ記に登場するレビヤタンの描写(41章)や、 物語全体における位置づけなどに同意してます。 レビヤタンは龍神様のことだろう、というとらえ方です。 ケツァルコアトル、ククルカンについては、それらが登場する神話を 知らないのでわかりません。レプティリアン(爬虫類型人間)については、 そういった生物が宇宙のどこかにいても不思議ではないでしょう。 しかし、人間と龍神様の合体はありえないと思います。
個人的な思い付きですが・・・ レビヤタンの嫉妬 男性は、龍神様を知れば知るほど龍神様に夢中になってしまう。 だからそれを女性が嫉妬する。 ドラゴンの憤怒 龍神様は神域を、我欲に汚れた人間から守っている。 だからその怒りは、我欲に汚れた人間に向けられている。 我欲に汚れた人間はその怒りを、神に向けられたものだと転倒妄想する。
自分を折る、自分を捨てるの意味は、 夏目漱石の「則天去私」になるかもしれない。漱石の『心』はいい。 山本常朝の『葉隠』もいい。 旧約聖書もけっこう参考になる。『ヨブ記』や『コレヘトの言葉』
808 :
神も仏も名無しさん :2013/05/25(土) 23:09:22.82 ID:EOuDGDWq
>>805-806 なるほど、ありがとうございます。
ただ周知のように、龍神様も爬虫類的な鱗をそなえた蛇のような姿をもって描かれる事から、
イコールではない(イコールはむしろ失礼)にしろ、全く関係性がないとは個人的には思いづらいのです。
ドラコニアンvsレプティリアンとか、霊界物語の「竜」と「爬虫類人」みたいな書籍も出版されていますしね。
810 :
神も仏も名無しさん :2013/05/28(火) 00:52:27.52 ID:pOcKU1O8
龍でも長いの短いの色々いるんだよね 鱗って言うけど放電龍はたまたま放電してるのかな、
大金を手に入れたり、世界的な女優と結婚したり、歴史に名を残すような偉業を達成したりと、 別にそのようなことを求めて生きてきたワケじゃなく、 ほどほどに生活出来て、自分が愛した人から愛されて、普通に小さな幸せを積み重ねて暮らして生きたいだけなのに。 普通の暮らし、幸せを望んじゃダメなのかな? 大志とか野望を持って生きていかなきゃならんのですか?
812 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 08:45:27.68 ID:0Yy7NmB+
>>811 大金や美女などの、個人的な願望や欲望は究極の目標にならない。
自分を捨て、神とともに歩む努力をすることが肝心。
写真が残されているから、サムライたちの面構えを見たらいい。
かれらを見るだけで、命より大切なものを教えられる。
日本人ならサムライになろうではないか。
→ ヨウツベで検索「幕末・写真」
ここを見ておられる方々はみんな同じ考えなのでしょうか? 自己犠牲のために龍神様への信仰をしているのですか?
814 :
811 :2013/06/05(水) 15:23:55.20 ID:oX0as3YF
>>812 大金が欲しいとも美女をはばらしたいとも書いてませんよ。
自分の小さな幸せも手に入れられない小さな人間が、
この国ニッポンの明日の憂いを案ずるなんておこがましいと思いませんか?
はたしてサムライ達は幸せ死んでいったと思いますか?
何かにつけてサムライ・サムライといいますが、それこそサムライの方々に失礼ではないでしょうか?
全ては龍神様を盾にしたアナタの理想論じゃないですか?
私は人並みの幸せが欲しいのです。
815 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 15:46:42.48 ID:lv28CcWo
「幸せ」。 まだまだ言葉の目が粗いな。 「幸せ」とは、なんなのか。 もう少し、ほぐして。 解して、砕いてみるといい。微細に。 話はそれからだ。 こちらにおわす、龍神の方の考察、思想の体系は、 そうそう簡単に、踏破できるものではないだろう。
>>814 自分を上手に捨てられたら、神が必要なものをすべて備えてくれます。
不思議だけど、仕事もお金も女性も向こうからやってきます。
どんな境遇でも、どんなに小さな仕事でも、
誠実に、ていねいにやることを心がけてください。小事が大事です。
>>815 ありがとう(^^) でもまだまだ修行中で苦労の連続ですね。
817 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 17:58:20.15 ID:oFgiagC8
龍神様は、十二支(動物)の中にカテゴライズされていたり、一般的には「神獣」などという認識におさまっていますが、 そういった扱いは失礼にはならないのでしょうか? 霊的にみて動物と明らかな差がありますよね?知性が人間並みかそれ以上というのも本当ですか?
818 :
811 :2013/06/06(木) 23:53:07.90 ID:VEQa8eTp
819 :
神も仏も名無しさん :2013/06/07(金) 10:24:32.94 ID:JZfUCDJs
私のレスに礼を言われるとは、思っていませんでした。
驚きました。どうも。
>>816 いえいえ。
レス、ありがとうございます。
貴方ほどに、修練を重ねておられても、
“まだまだ”なのですね…。
私は
>>779-780 なのですが、
各レスを放置気味になっていて、すまんです。
実際、放置している訳ではないのですが、
中々チャンネルが合わなくて。
じっと、眺めさせて貰っている状態です。
また、「合ったら」、レスしたいと思います。
その時は、よろしくお願いします、です。
畏れ入ります。
820 :
811 :2013/06/07(金) 18:17:40.12 ID:l3q0iPlY
>>819 最近龍神様に守られていると言われ、どのような心がけで接すればいいのか分からないので、
どのようなレスでもうれしいです。
私をみてくれた方も龍神様がついてるとか、私にその方を紹介してくれた方も龍神様を信仰なさってるとかで、
後々に「龍神様のお導きで今回全部つながってるんですよ」とも言われました。
今は毎朝神棚に感謝の言葉と手を合わせて龍神祝詞をあげさせていただいてます。
その時にお願いごとをしてもいいのですか?
例えば「伴侶となる方とのご縁を導いて下さい」とか
「健康を回復してください」など。
個人的なお願いってダメなんでしょうか?
初歩的な疑問で申し訳ありません。
821 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 02:49:16.43 ID:CSJa037n
お前まず頭の悪いの治せ 龍神とか巳さんってのはメジャーな人の姿の神さんもいるんだよ 単独龍だけでなく色々と神々は出てくるもんだよ だからそいつの話は嘘と思えよ 観音さんも不動さんと仲間だし毘沙門さんも仲間だし 俺なんか神霊エネルギーをキャッチされて行く先々で神やら龍やらがって感じかな
>>821 あなたが出会った神や龍に固有の性格を感じ取れましたか?
823 :
神も仏も名無しさん :2013/06/10(月) 00:56:03.17 ID:3MkRHJTh
>>822 性格ていうか精神性は高いんじゃないかな、
龍でもひ弱なのは笑えるほどひ弱だし、恐い蛇は凄く恐いし、
幼龍ちゃんもいれば爺龍、宇宙からのテレパ龍と様々、
住んでる世界も様々、渓谷 空 白黒の世界 水墨画風の世界 宇宙 黒い世界 明るい世界
幸い御加護いただいてるし友好的だから
824 :
822 :2013/06/10(月) 03:31:51.69 ID:/aLzrIiB
>>823 いいですね。私は前提としてそういった感触までは持てないのである種の警戒心がぬぐえないのですが、
馴れ馴れしく接することは立場的に失礼にはならないのでしょうか?
具体的な姿かたちの差異と、できましたら地上の蛇との関連性についても教えてください。
それから、臆病な私が今抱えている最大の悩みがあるのですが、ひとつ相談してもよろしいでしょうか。
考えたくないこと、人間として決して思ってはいけないような事をよく恐怖の感情が思い起こさせてしまい、悩んでいるのですが、
万が一、仮にそのようなネガティブ・エネルギーを、あなたの仰るような神霊の方々にたまたま向けてしまうような事があったなら、とイメージすると、
私自身崩壊しそうな不安に駆られてしまうのです。
人間同士だと、心の中で相手を否定することは日常的によくあることですよね。
しかし、動物や神霊には筒抜けだと理解しておりますので、とにもかくにも怖いのです。自分のクズさを呪いたくなる程に。
このような醜態を完全に克服できないうちは、あなたの見ている世界を見られないと思うし、決して見たくないと願っていますが、
あなたはどう思われるかお聞かせいただきたい。
ちなみに私は横やりですので、811と名乗る方とは別人です。よろしくお願いします。
825 :
811 :2013/06/10(月) 09:37:25.69 ID:U+rBfP1y
811です。 頭悪くてすいません。
826 :
神も仏も名無しさん :2013/06/12(水) 04:32:45.02 ID:Tj8HSJL4
>>824 は重苦しい、ややこしいんで読む気しないです、
アイツがどうこうとかいちいち考えないようにするのがいいんじゃないでしょうかね、
余計なこと考えてたら顔の相も悪くなろうし印象も悪くて福徳もめぐって来ないでしょうし、
無駄にどうでもいい事どうこう考えない訓練っていうか習慣というかそのようにすればいいと思う、
むかつく奴のことなんて考えないのがいいですよね、
自分は友達いないし、気弱いけど自慢しいで法螺吹きイイ格好しい、
すぐ人を馬鹿にし見下げるけどそれも前世が偉いさんだったからだろうと勝手に自惚れてる、
霊能力なんてほんとないし、一瞬なんか見えたり聞こえたりするだけ、
ただ神さんが自分にわからす為にこうしたんだなとかそういう思考力はあると思う、
ご加護頂いてても自覚できない人が殆どだろし、
自分は剣や輪や珠などプレゼントも色々貰ってる、
薬でないと治らないとされる菌も天女に触れられて治ってたりでやっぱりついてると思う、
ただしエロい事を企むと軍資金入れた財布落としたりギックリ腰になったり、
不正にカネを得ると損失も出るし、
ドイツでギックリ腰のこと「魔女の一撃」って言うのもまんざらではないね、
でも手が伸びてきて高速ワンタッチでギックリ腰を治してくれる観音様やら、
色々と見せてもらってるかな、でもその一瞬を見えるか見えないかだけのこと、
デブデブの神さんも動きは超マッハだったり、やっぱり自分にはそれ見える勘があるのかな、
827 :
822 :2013/06/12(水) 08:29:26.42 ID:g1z1Bj1V
>>826 すみません、ご負担のところ目を通していただきありがとうございました。
本当に八百万の神が色んな所におられるのですね。私のありとあらゆる醜態もすべて監視されているのでしょう。。
お察しのとおり、神経病みで考えないようにする技術が全然整っていないので、積極的に取り入れていきたいと思います。
周りの空気にすぐ飲まれてしまう身からすると、あなたのようにぶっきらぼうに生きられる性格が羨ましくもあります。
極端な話、神仏を蔑ろにしておきながら50年生きた織田信長のような人物を想うたび
根本的に別の感性なんだなと思い知るんですね。
彼も、あなたも、普通の観点でいうと傲慢な所があるのかもしれませんが、
内面でドロドロした事を本意でないとはいえ一瞬でもイメージできてしまう私のような潔癖者は、
ある意味でそれ以上に罪深いのかもしれない。。それが怖いのです。
どうもお世話になりました。
828 :
811 :2013/06/12(水) 12:50:08.30 ID:04wF8O0b
とどのつまり、 「ゴチャゴチャ考えないで徳を積め」 ということなんでしょうか。
829 :
神も仏も名無しさん :2013/06/13(木) 03:36:12.75 ID:QEdb6frk
>>827 みたいなのが生霊とか念とか飛ばすんじゃないですかね、
自分のとこに夜中に湿った顔で出てきたり、目を剥いて歯を剥いて訪れる人なんかいるけど、
自分もそうしないように気をつけてます、
ぶっきらぼうというか考えるのが面倒な怠者なだけですから、
正直でバカでマヌケで世渡りの下手な人 こういう人は大好きだよ。大器晩成、こういう人こそ大化けすると思う。 あなたに必要なことはもうすでに書いている。 葉隠を繰り返し読んだらどうですか。
831 :
神も仏も名無しさん :2013/06/15(土) 23:46:44.01 ID:VLWAdyxW
>>830 は上から目線なんだけど、何様なんですか?何様なんすか?何様なんですか?
元気そうなのでよかった(^^) 今日はね、もうひとつよかったことがあった。 死んだと思っていたノラちゃんと3か月ぶりで再会できたよ。 病み上がりっぽい感じだったけど生きててよかった。 たっぷりエサやりをした。
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834 :
神も仏も名無しさん :2013/07/23(火) NY:AN:NY.AN ID:Cb2dgfDC
龍を見たりした何人いるの? 自分の知人では二人だけだし
835 :
神も仏も名無しさん :2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ID:ndKQE0HE
どこかに申告するわけじゃないから不明。 あえて言えば、いま現在の地球上に数える程度であり、 人類の歴史を遡ってもそれほどいないと思われる。 龍のような形をした雲は雲であり、龍ではないので除く。 龍はいる。しかしキツネや天狗の霊はいない。 キツネは稲荷神社、天狗は山伏に刺激された空想の産物に過ぎない。 キツネや天狗の霊に出会ったら浄霊した方がいい。
836 :
神も仏も名無しさん :2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ID:pEZO3hJ1
天狗 河童 麒麟は見たことがないね 龍は沢山いるよ 今日でも稚龍は生まれてる 某大社には数十匹が和んでたし 運転中に車に乗り込んでくることもたびたびある 狐の霊でなく霊体の動きが狐のぴょんぴょん跳ねる動きに似てるんだよね 細長かったり尾があるや クルクル回転してるのが巴であって三つ巴も二つ巴も見たことあるよ 木曽の某場所の巴御前は義仲とクルクル二つ巴だよ、なーんてね!
あーごめん。龍の背中に乗った人かと思ったよ。 大中小いろいろだから、見ただけならけっこういるかもしれない。 龍じゃなくて蛇だったというのもあるだろうしね。
838 :
神も仏も名無しさん :2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ID:UnwWj7OC
龍の背に乗ったっていう人いたよ 白山に行ったときに白龍が山々を上空から見せてくれたって 馬乗りでなく背の上に立った状態 自分は白山に遊びに行った時、 白山姫神社の駐車場に停車したと同時に龍に太もも噛まれたし
山行けば天狗が高笑いすることあるじゃん あれが天狗の声なのか知らないけど!
840 :
神も仏も名無しさん :2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:rqdt+WvH
ないない 毘沙門天は堅物 笑わないから
龍神
お仕えするのに人間の一生じゃ余りに短いもんだね
843 :
神も仏も名無しさん :2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:OA/Q4ODr
不道徳なことを決して考えてはならないという強迫観念が強すぎて、かえって思いがちになる体質のため 神社や仏閣など高尚な場所に怖くて行けないんですが、どうすればいいですか? 病的に猜疑心が強く対人恐怖症気味でもあります。龍神様は私のような人間を嫌うでしょうか?
844 :
神も仏も名無しさん :2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:OA/Q4ODr
それから、ネット上で散見した情報の中に、龍の象意には性的な意味も多くはらんでいるとあったので、 それ以来どこか色眼鏡で考えてしまうようなところもあります。 龍に限らず、神話に出てくる神々の中には俗的なキャラクターをしているのも普通にあったりするので、 それらの知識が神仏に対する畏敬の念を濁らせているといいますか。。。 龍神信仰はかなり厳格だとも聞いていますので、こういう心情のまま拝むとそれこそ逆鱗に触れるのでは、と不安になりました。
>>843-844 あなたは天邪鬼ですね。まずそれを乗り越える必要があるでしょう。
もともと斎戒沐浴してから神に近づくのが礼儀です。
社会 ← 個体 ← 本能 ← 龍神 ← 分霊 ← 神(生命)
これは生命エネルギーの流れです。人間は本能(食欲・性欲)だけでなく、
記憶力(知識)や思考力(反省・推理)などにも依存しています。
そういった能力が矢印の方向で働けば、社会への適応はより円滑になり、
そうでなければ次第に社会から落ちこぼれて行きます。
神や龍神に近づくことは、社会や権力に逆らい、本能に逆らうことであり、
それは死を意味していることも知っておいてください。
846 :
神も仏も名無しさん :2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:auejlj6d
軽く“通す”体質なのでしょうねぇw >不道徳なことを決して考えてはならないという強迫観念が強すぎて、かえって思いがちになる体質のため不道徳なことを決して考えてはならないという強迫観念が強すぎて、かえって思いがちになる体質のため >神社や仏閣など高尚な場所に怖くて行けないんですが (しってるしってるこれwクフフw) >それから、ネット上で散見した情報の中に、龍の象意には性的な意味も多くはらんでいるとあったので、 >それ以来どこか色眼鏡で考えてしまうようなところもあります。 たかがネットの一雑音ごときに、 大切な龍神様の印象を、渡してしまうのですか?w
847 :
神も仏も名無しさん :2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:auejlj6d
>龍に限らず、神話に出てくる神々の中には俗的なキャラクターをしているのも普通にあったりするので、 >それらの知識が神仏に対する畏敬の念を濁らせているといいますか。。 あなたが、龍神様の御姿を、一心で感じ取るのではなく、 雑体にこれこれこうあったから、こんなカタチに、こう書いてあったから、 と、書いてあるまま受け売りをするのですか? それは、あなたが自ら考えた事なのですか? 何者かによる軽薄な風説はソレでしかなく、 「あなたの感じたこと」ではないですよね。 誰かがそう言った、という内容は、道に落ちた空き缶のようなもの。 あなたの声じゃない。
>>845-847 身に沁みるご説教をありがとうございます。
お察し通り社会には全くなじめておらず、長らく精神を病んでいる甘え根性のニートです。
生来、自己愛とプライドの塊で、少しでも自分に対して否定が入ると我慢ならず感情を剥き出しになり、
学生時代、ここ匿名掲示板でも幾度となく暴れ散らした経験があり、
そのくせ、自分の感性に自信がまったくもてず、自分だけは徹底的に傷つきたくなくて、
他人の意見にふらふらと同調しては、責任転嫁するというパターンを繰り返してきたという、醜態を絵に描いた性分です。
当然、感謝も口先だけで、真の意味で他者と心を通い合わせるという経験に極めて乏しいです。
言われて納得したのですが、自分は天邪鬼であり、女の腐った男なんですね。
変性女子という考え方がありますが、これも確証こそないものの、たぶんそうなんじゃないかと勝手に感じています。
それでいて私、
>>705 の龍の背に乗った張本人なのですが、今年に入ってから本格的に建て直しを図ろうと
我流で精神統一的なことをやっておりまして、それも今仰られた話と照らし合わせてみると、あまり好ましくはないのかなと。
ベクトルが精神に傾き過ぎていて現実面とのバランスが全く取れていない。
肥大化した空虚なプライドが崩れてしまわないように、無意識的にかばい続けた結果というやつでしょう。
ええ、夢はでかいですよ。それこそ究極に。俺は龍神様に乗った男だぞ!!と無限の万能感に浸ってきましたので。
ガキの頃からドラゴンは大好き、ドラゴンの絵ばかり描いて、ドラゴンに嫌われたくない!と一人で妄想に耽ってきましたが、
最近になって、その本末転倒ぶりが自覚できてきたところなのです。
自分は血筋だけで見ればかなりいいとこの家系の子で、明治時代に没落していなければ典型的なボンボンです。 才能と知性と人徳に恵まれたという選民意識に裏付けられ、 自分が否定されるなんてありえない、自分は常に愛され崇められるべき人間であるという慢心に満ちあふれていました。 そのまま匿名掲示板で煽られ罵られ、学生生活で一切の充実感を得ることなく、発狂して腐っていき、 今はこの有り様で、なんという絶望感と虚無感・・・自分はこんなはずじゃなかった、のお見本になりました。 それでもなおどこかで、そんな自分も含めて茶化す形で自己肯定できるメンタル。 いかにしてこの罪深さを浄化することができようか。相当の覚悟が迫られている気がしてならないのです。 俺は精神病じゃない・・・、何かとんでもないものを背負わされているという確信に近いものを感じられる。 今はそんな状況なんです。マジですよ?
多少の自省を重ねたおかげか、やっと自分自身をありのままに説明できる能力だけは身についてきたようです。
吐き捨ててスッキリ、これもワガママですが、どうも失礼しました。
自分は
>>675 の@〜Aのプロセスを体現したいので、
とりあえず、当分は神仏的なものから離れ、社会にならう方向で自分を磨いていくことにいたします。
現時点での所感でいいますと、巷に広がっているドラゴンの爬虫類的なデザインは
元を辿れば龍神様を貶めたイメージであるはずですが、
自分が夢の中で見た龍も爬虫類的な鱗と触感だったので、もしや「我欲が強く残っている状態では獣や爬虫類のように見える」というだけの話なんでしょうか。
↓この855の書き込みは自分のもので、誰かにピックアップされたようですが。
なぜドラゴンは「神“獣”」である必要性があったのか?
http://d.hatena.ne.jp/kajika_eps/20130630/p1
851 :
神も仏も名無しさん :2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:d+PcH/Oi
本能から離れることで、人間の記憶力や思考力が成立する。 これは自分の意志で自分の生き方を選べるということではないだろうか。 人間には善を選ぶか悪を選ぶかの自由が残されている。 ところが神と龍神の関係は違う。 龍神は神が絶対だから絶対に服従するという選択肢しかない。 自由意志がない。だから神獣なのです。
本能の支配が弱まることで記憶力や思考力を獲得するが、逆に、 自分の思いや言動の善悪を考えなければならない。 これ自体は当たり前であり別に悪くない。 しかし、それを考えると生命の流れに逆らい、 人間関係がぎくしゃくし、社会の動きに対応できなくなることもある。 ひどい時には、精神を病み、閉じこもりがちになる。 青虫はサナギになり蝶になるけど、サナギのような状態になる。 相当苦しいので、精神を崩壊させない工夫が欠かせない。 芸術や息抜きや自己分析などですかね。
853 :
神も仏も名無しさん :2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:d+PcH/Oi
もちろん本能レベルの男女差が前提だが、男女の違いは その役割の違いから推測できるだろう。女の役割は出産と子育てであり、 男の役割は女房子供のために働くことである。 この役割の違いが、男をより反省的にし、女をより現実的にしている。 本能で見れば、男の方が本能から遊離し、女の方が本能に密着している。 たとえば、食欲や性欲にこだわるのはむしろ女ではないか。 本能から離れた男には、本能を透過し、神に出会うチャンスが生じる。 しかし女の場合は、本能が邪魔をし、神に出会う前に発狂するか自殺する。 男は神探しをし、女は信仰するようにできている。
人間は、唯一この世にある中で未完成な生命体ということですね。
大変納得いたしました。
逆らう姿勢と逆らわない姿勢のバランス感覚を大事にしてみます。
別に修行僧のように完全に世俗をシャットアウトする予定は今のところないので・・・
ただ、ひとつ疑問が。
獣と名のつくものは、前提として本能のみで生きていると認識しておりますが、
龍の自由意志の有無とは、
>>845 の図式から考えてもまた別の話にはならないのでしょうか。
本能より上の次元で生きているのですよね?
むしろ自由意志が備わった上で理性的に神に仕えているというのは、人間的な解釈でしょうか。
哺乳類のような感情もないようですし、そのことから爬虫類的なイメージがついたのだと思いますが、
個体によって性格や性別が異なる見方もある以上、服従というほど単純なものとは考えにくいんですよ。
堕落して暴れるような龍も少なくないようですし。
四十六.龍神の生活
http://www.paperbirch.com/sakura/sakura46.html
>本能より上の次元で生きているのですよね? >むしろ自由意志が備わった上で理性的に神に仕えているというのは、 >人間的な解釈でしょうか。 本能や、善か悪かはこの地上で意味を持つのではないでしょうか。 霊界の、幻のような世界では、善も悪も行ったり来たりで明確にならない。 ある意味、それは幻だからどうにでもなるのですね。 龍神からすれば、お前がそう思ったからそうなるんじゃ! ですね。 霊界生き通しの龍神は、この地上の苦労をまったく知らないのだから、 神以外に選ぶ余地がない。選択肢がなければ自由意志もない。
>個体によって性格や性別が異なる見方もある以上、服従というほど >単純なものとは考えにくいんですよ。 >堕落して暴れるような龍も少なくないようですし。 その人が体験したことは、その人にとっては真実だろうと思います。 ただ問題なのは、霊界は夢や幻のような世界であり、その夢や幻のうち、 何がこの世の現実に匹敵するような「事実」なのかは不明です。 個人的には、あらゆる生き物にはそれぞれの龍神がついていると思う。 これは龍神が霊界の生き物だからこそ可能になるのです。 それゆえ、各々が自分自身の龍神を崇めることには全面的に同意します。
子供は純真だから、本能を通過して龍神の背に乗ることもあるだろう。 しかし大人であれば簡単にはいかない。 どれぐらい難しいかは旧約聖書のヨブ記を読めばわかる。 今あなたは、あなたの前に立ちはだかっている龍神様と戦っている。 まともに対決すれば、あなたは回転する刃にズタズタにされる。 あなたはそれにやられて頭がおかしくなり、ついには倒れる。 龍神様はあなた自身になっている。自分を敵に回して勝てるわけがない。 それが龍神様の戦術であり、そうやって神界を守っているのだね。 だから自分を斬らないと神に出会えない。
久しぶりにきてみればデタラメ言う人いるんだねぇ 自己の体験だけ信じてればいいよ
859 :
神も仏も名無しさん :2013/09/01(日) 09:29:58.39 ID:AYjNgqCQ
頭おかしいね こんな更正の見込みなしな奴は神仏も拒否する
860 :
神も仏も名無しさん :2013/09/01(日) 11:21:34.49 ID:qph4EXib
>だから自分を斬らないと神に出会えない。 なにか凄く、ハッとしたよ。 真理を感じた。
861 :
843 :2013/09/02(月) 02:14:10.17 ID:Y4ieNYPk
>>855-857 大変よくわかりました。自由意志というのはそういう意味なんですね。
善悪や本能も一様に還元される。
とりあえず、自分は昔からスネ夫気質でして、強いもの(龍神様を筆頭に)には媚び、気に入られようとニヤニヤ愛想笑いをし、
弱そうな相手や自分に刃向わない母親などには強気に振る舞う利己心が根強くあったので、それを完全に除去しないとお話にならないですね。
長旅になると覚悟はしてます。
おそらくはドラゴン(=最も強い存在)好きの根源も、それが大いに作用したものでしょうし、
これでは愛憎表裏一体というように真に龍神様を愛するどころか、龍神様をジャイアンと見立てて
ご機嫌取りしたい(自己愛)だけの構図になってしまうので、論外ですね。
本当にやばい。自分だけは特別にドラゴンを愛せていると思い込んでいた分、それだけ多く龍神様を恨んでいた事ということにも…いと罪深きこの身よ…
実に、この世における「親愛」や「信仰」という概念は、単なる自己愛の裏返しでしか無いのですね…。
もっとも、龍神様ははなから承知の上でしょうが…そこに甘んじたい感情がさらに自分を苦しめるようです。
世界で唯一、切腹文化が存在するこの日本国に生まれ落ちた意味の深さを、今更にしてしみじみ実感しております。
外国人はドラゴンを倒すことしか頭にない中で、冷静に真理を見つめられる民族でよかった。
862 :
843 :2013/09/02(月) 02:18:38.20 ID:Y4ieNYPk
あ、御礼を忘れておりました。。丁寧にご指南頂き冥利に尽きる思いです。ありがとうございます。
さて、そろそろ迷惑なので締めに入りたいと思いますが、
自分は漫画家を目指しておりまして、作中のメインキャラクターとして絶対ドラゴンを起用しようと考えていたものの、
今の自分のメンタルで身勝手にドラゴンを活躍させ、仮にその漫画が世間でヒットした場合、これも失礼にあたる気がして怖いです。
もっと精神性を磨き、せめてスネ夫からは脱却してからでないと、自己愛を基盤にした卑しい作品でしかないと思うわけです。
高尚な生き物や設定を扱う場合は、できるかぎり洗練された姿勢で臨まなければならないというのが
持論にありますので、これが現在自身の欲望と対立を起こしており、前に進むのを躊躇っています。
ここまで意識しておきながら、万が一ドラゴンに対する誤ったイメージを世間に浸透させてしまうのはあまりにも冒涜的である。
ただ、
>>768 にもある通り、今年2月頃に眠りから飛び起きた瞬間、空中で体が硬直し、その状態で「お主は、漫画家が…(聞き取れない)…か?」と
全身に響く(耳で聞いているのではなく、骨で直接鳴っている感覚)声でたずねられたもので…。
ちょっと声について研究をしていることもあったので、倍音成分まで意識して聞けたのですが、すごく繊細な倍音で構成されていて、
かつ少ししゃがれていて、深い所で苦労を重ねてきた感じのするような威厳と含蓄に満ちた趣のするお声でした。
決して断定口調ではなく、半分委ねる形で私に薦められてきたのですね。
その一言で通信が途絶えると同時に、空中で静止した体が布団に倒れ、夢と現実の狭間でしばらくボーッと考えていましたが、すごく感動していて、
これは本物だと思いました。ネットで低級霊のささやきに注意とかなんとか書かれてましたが、
これはそんな類ではない、偉大なご助言だと確信したのです。それを境にいろいろ葛藤も強くなったものですが、なんだかんだで運気は好転し始めている感じもあって。
夢も含めて霊感の一種なのかは知りませんが、運命の導きに従わざるをえない、そんな人生になる気配はしています。
差支えないようでしたら、ぜひ最後に、これについてのアドバイスを回答いただけないでしょうか。
よろしくお願いします。現状ではこういう所でしか訊けないもので。
>>863 >全身に響く(耳で聞いているのではなく、骨で直接鳴っている・・・
龍神様の声は聞いたことがないですが、
クルアーンはムハンマドが聞いたジブリール(たぶん龍神様)の声ですよね。
もしかしたら龍神様が実際に話すこともあるのかもしれないです。
それにマンガで表現するなら、龍神様の思いを言葉で表現しないと、
作者の思いが読者に伝わらない場面もあるでしょう。
マンガや小説なら、作者の創意工夫も許されるのではないですか。
読者の方もその辺をわきまえて楽しみますよ。
865 :
神も仏も名無しさん :2013/09/03(火) 06:55:21.52 ID:VdTCn4/I
要するに、同じ夢を見たことがないのでコメント不可能です。orz これはあなた自身が判断すべきことだろうと思います。 ただ、自分の体験を見渡せば次の二つに似ているような・・・ 就寝中、夢の中での判断が正しかったのか、心が清浄な思いに浸され、 頭が冴えわたって目が覚めてしまった。その感動はしばらく続き、 清浄さに酔いながら、何が起きたのかと夢の内容を思い出そうとした。 もうひとつは瞑想中、骨に響くような自分の声を聞いたことがある。 これは自分の声を、他人として聞くという不思議な体験だった。 いずれにしろ、夢に何らかの意味があることは間違いないでしょう。
866 :
神も仏も名無しさん :2013/09/03(火) 19:28:22.40 ID:EYkQ5819
話が混乱するので、龍神体験の流れを参考までに整理しました。 第一段階 【目を開けたまま】神に出会う 空は頭で洞察し、その後に神と出会う。神は聖霊であり甘露です。 第二段階 【坐禅によって】自分自身に出会う 満月とか明星とかはこの段階の話です。いわゆる「成道」ですね。 第三段階 【坐禅によって】龍神に出会う 龍神は最後の最後に姿を見せる。龍神の存在は奥義中の奥義です。
867 :
843 :2013/09/10(火) 16:26:23.70 ID:dJLHmxRu
868 :
神も仏も名無しさん :2013/09/16(月) 07:06:28.97 ID:FVOQI147
理屈屋うざいぞ、 お前には神仏の御加護はないな
869 :
神も仏も名無しさん :2013/09/30(月) 20:57:19.64 ID:er/99n6H
神様
870 :
神も仏も名無しさん :2013/12/06(金) 17:35:06.03 ID:36+1cQfx
来年はうま年なのかぁ 辰年も巳年もさようなら。うまさん、こんにちわです。
あの傷ついたノラ君と11月に再会した。 いつもの道ではないところを、自転車で通り過ぎようとした時、 「にゃん」と鳴いて挨拶した。 だれかに保護されたのか、すっかり傷がいえ、丸々太っていた。 もちろんノラ君と再会を喜んだよ。
善人は自分に素直。悪人は自分を誤魔化し自分に嘘をつく。善人でも悪人でもない 普通の人々は普通の幸せを求める。愚かな人は心が空っぽで日々自分に嘘をつき、嘘で自分を取り繕う。 2018年に蛇神ミシャグジーのことは無悩衆がクリアする。自分ひとりでは決してクリアできない、 Master of Epicという偉大な日本産の、ダイアロス島というジパングを舞台にしたゲームをクリアする。 普通のゲームは自分ひとりでクリアできる。 しかしMaster of Epicは決して自分ひとりではクリアできない。 そして誰も、その物語の行く末を知っちゃいない。
いまMaster of Epicをやったところで、つまらない。つまらない人間は何をやっても、 何をやってみても、何をやらせてみてもつまらない、嘘つきだ。 そんなつまらない人間のいうことは、全部、嘘だ。大嘘だ。 蛇神ミシャグジーはこの目で見たこともない。直接会ったこともない。 蛇神ミシャグジーという神様を見たというのは嘘だ。 歪んだ妄想を抱えて生きる人間が、これから増える。
874 :
神も仏も名無しさん :2013/12/09(月) 18:47:19.47 ID:DInn0m+S
今年の収穫は、古事記、日本書紀を読んだことかな。 イザベラ・バードの朝鮮紀行もやっとのことで読み終えたよ(^^) けっこうな量なのでどれもこれも忍耐忍耐だった。 聖書もクルアーンも竜樹も世親も法華経もすでに読んでいる。 さて来年は何を読もうか。
そのころ坐禅に興味を持ち、毎日一時間ほど坐っていた。 気がつくと石牢の中で坐っていた。50センチ四方の石が部屋全体に 敷き詰められている。明かりのためか、小さな窓が右上方にあった。 左手の中指に痛みが走ったので見ると、白くて細長い虫がぶら下がっている。 こんなところだから食べるものもないのだろう。食べていいよ、と思ったら、 その瞬間、竜に乗って空を飛んでいた。 雲一つない青空だった。
竜が川に向かっているときは竜と一心同体のようだった。 川に着いたとき、透明なバリアーのようなものに邪魔されたようだった。 急ブレーキがかかり、川に沿う形で竜が固まった。 下の方には大きな川があった。 川の向こうには丘がいくつか見え、緑の草原が続いている。 澄み切った青空なのに太陽が見えない。 なぜか、どうしても向こう側に行きたかった。 行け行け、心の中で竜に呼びかけたが、竜はピクリともしない。 なんで行かない、じれったさがつのり、禅定が急速に緩み、 竜に乗った状態で坐禅が終了してしまった。 後から思ったことだが、その川は三途の川だったかもしれない。
877 :
神も仏も名無しさん :2013/12/12(木) 17:21:11.19 ID:ulvXwPb1
今日は朝から富士山が見える。ほんとにいいなあ〜 夕方にはうすオレンジをバックに、うす紫色の綺麗な影富士だよ〜ん 秋になってから、一杯やりながらけっこう楽しんでいる♪ 偶然そうなったのではない。富士山富士山と願って今の住まいを確保した。 でもすぐそばの小さな木が少し邪魔だった。 そしたら台風の時、その木が根元からポッキリ折れて枯れてしまった。 福音書にある、イチジクの木を思い出した(^^)
878 :
神も仏も名無しさん :2013/12/14(土) 08:32:31.41 ID:bssh5cjY
富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる
879 :
神も仏も名無しさん :2014/03/10(月) 03:03:56.71 ID:MGAyTGRH
龍神さまって子作りはされないんですか?
>>879 龍神様には生物としての喜怒哀楽をまったく感じなかった。
銀色の、鋼鉄のような体であり、雌雄のない中性的な存在のように思えた。
雌雄がなければ子供を作らない。変身の術、分身の術はあるかも。
龍神様に好かれると女性運が無くなると言われている。しかしこれは、
神界を守ることに起因し、生物が生物的な欲望を抱えたままで神界に近づく
ことを拒否するからではないだろうか。
身心を浄めることが重要であり、龍神様に現世利益を願うのはお門違い。
逆に怒りを買い、願望の真逆に墜落するかもしれない。
881 :
神も仏も名無しさん :2014/03/15(土) 17:38:16.85 ID:JY2wvsfQ
>>880 好かれるって事は快・不快くらいはあるんですかね
世界中での根強い男尊女卑はそこがベースになっていたりするのかな
龍神様自身は男女平等に接されるんですか?
882 :
神も仏も名無しさん :2014/03/15(土) 17:50:35.43 ID:JY2wvsfQ
あと、西洋占星術でドラゴンヘッド&ドラゴンテールっていうのがありますよね ヘッドとテイルがそれぞれ司る象意がまったく逆で ヘッドの方が飽くなき欲望、物質執着、バイタリティを意味するのに対し テイルは全てを捨て去りたい、純粋性の追求ってあるんですけど このうち性欲が含まれるようなので龍もエッチする前提なのかと思いました
龍神様が何を思い何を考えているかは全然わからなかった。 無機質であり、何の感情も読み取れなかった。 言えることは、アガペーに反応する霊的存在らしいということだけだ まだよくわからない。ヨブ記に登場する悪魔に近いかも。 魔境の「石牢」はこの身体、肉体という牢獄を意味していそうだ。 明り取りの「小窓」は、肉体に残された天への抜け道のようにも思える。 食らいついた「虫」を振り払えば、無数の虫が石牢に現れたかも。 いわゆる「梵天」とは、たぶん龍神様のことではないかと思い始めている。
男性と女性は役割が違うのだと思う。 男性は精神的に閉じているので、神を知って割礼される必要がある。 これに対し女性は、出産することで肉体的に割礼される。 男性は女性を愛し、女性はその愛で愛を知って子供を愛する。 これが神が決めた男女の関係であり、男女の役割分担ではないかと。 女性は男性よりも、この地上により適応している。 エデンの園は、蛇の誘惑→エバの誘惑→アダムの原罪へと話が広がる。 しかし、性欲を含めた欲望がないと人類は滅びてしまう。かりに解脱しても、 再びこの世に戻って、この世を肯定する必要がある。
わたしが見た魔境は象徴であり、わたしはその試みを偶然にも通過した。 それによって立場が逆転、小さな虫が巨大な龍神様になり、 その背中に乗ってしまった。100メートルぐらいはあったかもね。 その背中に乗ったままで禅定が終了したが、 これもねえ、その後の体験で何度も思い当たることがあった。 龍神様の守護を身近に感じている。
886 :
神も仏も名無しさん :
2014/06/27(金) 08:23:10.14 ID:vqzrBM45 あげ