仏教 議論スレッド 8

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517神も仏も名無しさん
>>515
悟り=真理を知る智恵、と定義いたしますと、
悟りという智恵は能力ということになります。
能力とは、喩えるならば、道具みたいなものです。

道具そのものは手段的な過程にすぎません。

智恵(道具/能力)を利用して何かを目指すというならば、
その目指す何かが目的となるわけですが、
仏教の目的は、「悟り」なわけですから、
手段を目的として目指しているように見えるのです。

悟り=智恵を用いて何かをするわけではないのですよね?
悟りによって何かを目的とするのなら、
悟りそのものは手段であって、目的ではないはず。

悟りの先に目的があるならば、
その目的を教義の根本として説明を願います。