>>515 悟り=真理を知る智恵、と定義いたしますと、
悟りという智恵は能力ということになります。
能力とは、喩えるならば、道具みたいなものです。
道具そのものは手段的な過程にすぎません。
智恵(道具/能力)を利用して何かを目指すというならば、
その目指す何かが目的となるわけですが、
仏教の目的は、「悟り」なわけですから、
手段を目的として目指しているように見えるのです。
悟り=智恵を用いて何かをするわけではないのですよね?
悟りによって何かを目的とするのなら、
悟りそのものは手段であって、目的ではないはず。
悟りの先に目的があるならば、
その目的を教義の根本として説明を願います。