1 :
ama:
ご期待に沿えるかどうか分かりませんが、何でも聞いてください。
2 :
大主:2010/10/30(土) 18:44:33 ID:7Pvhg3N7
3 :
神も仏も名無しさん:2010/10/30(土) 18:54:23 ID:3g0wJ7/4
4 :
ama:2010/10/30(土) 19:37:05 ID:8/hOKADV
ラーメン。
5 :
神も仏も名無しさん:2010/10/30(土) 19:46:20 ID:3g0wJ7/4
>>1 イスラエルのユダヤ・パレスチナ間の問題をどう解決すればいい?
ってか、解決してきて。
7 :
ama:2010/10/30(土) 22:15:29 ID:8/hOKADV
宗教がなくなれば解決するでしょうね。
私にそんな力はありませんです。
そか、ならいいわ。
9 :
神も仏も名無しさん:2010/11/13(土) 07:39:19 ID:Otbs+YXX
あげ
10 :
神も仏も名無しさん:2010/11/13(土) 12:40:40 ID:OUKyLEFo
11 :
神も仏も名無しさん:2010/11/27(土) 04:55:38 ID:aRhMOHF9
だが断る
12 :
神も仏も名無しさん:2010/12/02(木) 15:23:16 ID:M+d/c/P+
人の言う事とか些細な事がいちいち気になるのを辞めたいんだけど
どうすればいい?
悟りを開いたことあるヤツなら俺の言う事が理解できるはず。
それは、2000年から既に始まっていることだが この世界は徐々に次元上昇に向かって動き出している。
2010年〜2012年は、ちょうど太陽活動の活発に伴う波動の変化が見られており、
ごく一部の人間には意識レベルの変革と体調への変化が現れる。 例えば鬱であったり頭痛耳鳴り記憶障害など
それらは人間の進化に深く関係しており、やがて第6感が優れテレパシーなどの
超能力を開花させる結果となる。完全に今までのパラダイムが崩壊するのだ。
金による秩序安定などもっての他、そのうち世界はカネなんぞで成り立たなくなり
宇宙意識体へと変容せざるを得なくなる。 大自然の恩恵を受け、カネやモノの価値に振り回されることなく
生きていることに感謝する人間が増加し、世界悪は完全に滅びる。
要するに光の波動を受け既に変調を期待している人間とそうでない人間とでは
今後、生きるか死ぬかまた進化するか退化するか2つに1つと言うことになる。
優れた者に進化するには、それ相応の心の進化と意識の持ち方が非常に重要になってくる。
そして、そうやって生まれ変わった人間達の住む新しい地球こそが
理想のパラレルワールドであり、真の光明の世というわけだ。その世界では
あらゆる思いが具現化されありのままに表現される為、テレパシーなど容易いことであり
瞬間移動することも可能と言われている。思考が全て実現のものとなり
一部の人間は気候を操り 一部の人間は手で人を癒し 一部の人間は目で千里を見る
2012年からの未来は、それらの究極世界が実現されようとしている。
光明の世とは如何なるものか、神や霊は存在するのか。
しかし神や霊は客観的にこの世を視ているのだ。我々はこの世で
目に見えぬ者達と共存していると言っていい。
ある者には霊が見えある者には霊が語りかけているが、それを霊であると気づかぬ者もいる。
光明の世に近づくにつれ、地獄界・霊界といったマイナスエネルギーの媒体は
存在し得なくなると言われている。波動の上昇はそれだけマイナスエネルギーを浄化し
光の次元に導くプロセスになっているという事だ。これは、もはや数千年数万年
続いてきた人類が進化を遂げる時期に来ていることを意味する。その波に乗る為に
どうすべきかを考える時だがしかし、現代の人類はそう馬鹿ではない。
考える以前に純粋な精神と純真な願いによって波動を上げている人類が
この世に存在する。そういった一部の人類は発展した時代メディアなどに
流されることなく、確固たる信念を持ち生きている。こうした人類は既に
3次元世界に飽きている頃だ。メディアは只の情報屋テレビは只の民衆娯楽
これらが存在しなくても生活に支障は無いと考え、それらを馬鹿らしく思えるのだと言う。
そう、これらの人類こそ高次元の意識レベルに進化した人類なのだ。
高次元の意識レベルに進化した人類たちは
もはや、現世界で起こっている事柄に対し興味を無くしている為
住みにくい居心地が悪いと感じている。自分はもっと広大な世界で
生きるべき人間だと思い始めるのだ。その広大な世界は遥か次元を越えている為
現世界では実現されないことにも気づいている。余計に絶望するわけだ。
その結果、とんでもない病に陥る。
この世界に居場所が無いと思い込み人類は≪自殺≫を計るのだ。
光明世界への秒読みと同時に、この世では神によって人類が試されるのである。
振るいにかけられ落ちていく命があれば、救われる命もある。
要するに高次元への意識レベルへの変革はそれだけリスクを伴う現象なのだという事。
残念な事に、この≪自殺≫による死者の影響により波動は低下することになる。
光明を目指す現代にこの損失は大きすぎるのだ。
如何にプラス思考が重要になってくるか、という事がお分かり頂けると思うのだが
ますます世界は混乱に陥っている。国は衰退し、資源は失われ、温暖化は進み
滅亡への道を辿っているかのように思える。しかしそれを食い止めているのは
他でもない人類の精神と地球エネルギーの波動である。
心の在り方を重んじ、現代のあらゆる発達した文明品にとらわれることなく
宇宙・自然・水・太陽・食物の恵みに感謝し生きる人類達は、着実に波動を上げてきているのだ。
そういった人類の増加がなければ光明の世など有り得ない。
苦し紛れの地球上で今もそのような波動上昇と低下が繰り返されている。
昨日モコは久しぶりにガオラで栗原あゆみの試合を見た(*)((Φ))
栗原あゆみの新しい赤いコスチュームはなかなか良かった(*)((ο))
新コスチュームは 肌を露出してる部分が多かった (*)((ξ))
テカテカ光るモコのマ●コのように テカテカ光っていた(*)((σ))
光沢のある薄いビニール製の新コスチュームはテカテカ光っていた(*)
ケツには小さな黄色い星のマークがついていた((◎))(*)((φ))
ヒザのパッドにも小さな黄色い星のマークがついていた(*)((Φ))
アジャコングは前に「栗原あゆみは試合中にウンコを漏らした」(*)
と言ってたけど 自分だって小便を漏らしていたじゃないか!((ο))
アジャコングの股間は小便で びっしょり濡れていた(*)((ξ))
栗原あゆみも試合中にウンコを漏らしていたかもしれないが…*
ビニール製のコスチュームはウンコがにじまないのだ(*)((◎))
だから ウンコを漏らしても分からないのだ(*)((φ))
うまく考えたものだ(*)あれならウンコを漏らしてもバレない((Φ))
栗原あゆみは重いアジャコングを持ち上げて 投げていた!(*)((ο))
なかなか力が付いてきたなぁと思う(*)((ξ))
最後はアジャコングのバックドロップとトップロープからの
エルボードロップで 栗原あゆみからフォールを奪っていた(*)((◎))
栗原あゆみは試合中の表情が イイね(*)闘志を感じるヨ(*)((Φ))
こないだのトウスポで 風間ルミも(*)((ο))
「これからの女子プロレス界でスターになる素質のあるのは栗原あゆみだ」
って 言ってたネ(*)((◎))(*)((φ))(*)((ξ))
18 :
神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 05:52:48 ID:YGpQzF41
やめろ
次元上昇の考えは分からなくはないけど、
まだ時期が早いよ。
次がようやく3次元の段階だと思う。
20 :
神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 11:30:00 ID:ITj8oXjJ
ほらふき
21 :
神も仏も名無しさん:2010/12/25(土) 16:56:40 ID:+Jb/gg+g
最近悟りをひらいた人をよく見かけるね。町野さんとか、ミュージシャンの
なってたけ?
でも冷めるんでしょ。そのうち。
悟りを開いて一番変わったのはなんですか?
悟りをひらくと悟られになってしまう都市伝説を流布しようとおもうのですが・・・、
其処んとこ悟りを開かれた貴方がたはどうお感じになられますか?
25 :
さんちゅ:2011/03/08(火) 13:46:52.77 ID:8pBB2TJQ
悟りという名の妖怪か?
26 :
ネ申:2011/03/09(水) 02:42:54.89 ID:9x4S0Fys
信念とは錆びるようなものだ。
悪魔に操られてるとも知らずにだ。
近藤修司って 一昨日まで仙台にいたんですよね!*
ほんと危機一髪って感じでしたね☆
東北地方太平洋沖地震をJR仙石線の車内で被災した
全日本プロレス・近藤修司が 取材に応じ、
当日の様子 そして 壮絶な避難生活について語ってくれました☆
こんな大変な時なのに…*
XJAPANのYOSHIKIが こう言った*
「地震で揺れてて気持ちいいね。ワイン飲み始めたし」と…☆
モコが「わたしが 近藤修司さんを助けるチンポ!」
と叫んで ひたむきに駆け出していった!*
だが、その途中で自動車にはねられて「ボ〜ン!」と 飛んで行ったのだ! ☆
モコは コーモンからウンコをボトボトと垂らしながら 飛んで行った*
飛んで行った先には その最強凶悪キチガイがいたのだ! *
凶悪最強キチガイは 飛んで来た モコの怖すぎる顔面を見て 気絶して 倒れた! ☆
金魚すくいのヤクザはモコのことが知恵遅れの女の子に見えたのネ(*)
そして モコのお父さんはモコを思いっきり ぶったの(*)((ξ))
それでモコは 怒って 墨汁とウンコを混ぜて 家中にバラまいてやったの(*)
それ以来 モコの両親は モコにはもう何も言わない方がいいってことになったの*
モコは夫が見ている目の前で 知らない男にケツ穴を犯されたの*
しかも モコはケツ穴で感じてしまったの* よがってしまったの☆
だから、もう 夫は許してはくれなかった*
でも、夫との退屈な正常位のSEXに 飽きていたところなのヨ☆
モコは罰として ケツ穴にビニールパイプを差し込まれ、
マ●コにアルミダクトパイプを差し込まれ、
尿道に細いゴムチューブを差し込まれ、それらのパイプが
ぜんぶ、口の中に 突っ込まれてしまったのヨ!*
体内から出てきた廃棄物が 自分の体内に戻っていくのヨ!☆
汚いものたちが 自分の体から出て また自分の体に戻っていくんだヨ!*
でも、それって 逆に イイですよね!* それって、永久機関やんか!!☆
自分の体から出た ウンコを食う!! なんや、素敵やなぁ!!*
これ、エエ話やで!!☆ 夢! あるやんか!* そう思いませんか?☆
28 :
神も仏も名無しさん:2011/03/16(水) 11:28:51.76 ID:vvejUQmy
真剣に悩んでいます。
電算機が解を出した時、それはさとりでしょうか?
そうなると世の中が、コンピュータに支配されそうなのですが。。。
>>28 原子力こそが神です 地獄の神プルートーが降臨しました
いまこそ悟った人が悟りパワーを結集して地獄の王を退治する必要があります。
31 :
谷口雅輝:2011/03/31(木) 19:17:58.54 ID:zOCp63qi
『わが生命の深層に、如来(にょらい)まします』
私たちの生命の最も深いところには、神の心が宿っていて、
“愛”と“真理”と“叡智(えいち)”に満たされているのである。
私たちの表面の心は、肉体の意識に属しているので
現象界の混乱に振り回されて悩み苦しむことがあるけれども、
“深層の心”は何事にもひっかからず常に歓喜に満たされているのである。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様有難うございます
守護神様有難うございます
天皇陛下有難うございます
ー生長の善ー
32 :
五井昌宏:2011/04/17(日) 14:20:25.79 ID:eItw2uKT
『無用のものは亡びる、有用な人となれ』
この世に必要な人間とはこの世の為になる人だ。
この世を愉快(ゆかい)にする人だ。この世を住みよくする人だ。
これこそ人間が神から与えられた天分であり、天職である。
天職を行うものは神から賞(ほ)められ喜ばれる。神から賞められる
とは出世をすることであり、神から喜ばれるとは達者になることである。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様有難うございます
守護神様有難うございます
天皇陛下有難うございます
ー白光新政会ー
33 :
さんちゅ:2011/04/25(月) 18:57:24.36 ID:6fcGn2fe
てすと
test
35 :
小林白蓮:2011/05/27(金) 20:49:03.08 ID:65SrC5Rx
>>13 :神も仏も名無しさん ID:3O74UTst
>悟りを開いたことあるヤツなら俺の言う事が理解できるはず。
※あなた様は悟りを開かれたということでありますが、それが事実なら素晴らしい
ことであります。
どのような悟りを開かれましたか?
悟りの具体的内容を開陳していただけますでしょうか?
>それは、2000年から既に始まっていることだが この世界は徐々に次元上昇に向かって動き出している。
>2010年〜2012年は、ちょうど太陽活動の活発に伴う波動の変化が見られており、
>ごく一部の人間には意識レベルの変革と体調への変化が現れる。
> 例えば鬱であったり頭痛耳鳴り記憶障害など
※霊障の症状に似ていますね。
>それらは人間の進化に深く関係しており、やがて第6感が優れテレパシーなどの
>超能力を開花させる結果となる。完全に今までのパラダイムが崩壊するのだ。
※パラダイムシフトですね。
日本に大川隆法総裁先生として大悟してお釈迦様の本体である本仏が再誕して
います。
大川隆法著で700冊以上刊行しています。
救世の三部作は「太陽の法」「黄金の法「永遠の法」の経典書籍があります。
世界人類の魂の救済を目指しています。
「幸福の科学」は世界宗教を目指しています。
36 :
小林白蓮:2011/05/27(金) 20:51:16.40 ID:65SrC5Rx
>>35 :神も仏も名無しさん ID:3O74UTst
>金による秩序安定などもっての他、そのうち世界はカネなんぞで成り立たなくなり
>宇宙意識体へと変容せざるを得なくなる。
※「宇宙人リーディング」とか「宇宙からの使者」の経典書籍もあります。
宇宙人との交流も今後盛んになって宇宙時代の幕開けになるといわれています。
>大自然の恩恵を受け、カネやモノの価値に振り回されることなく
>生きていることに感謝する人間が増加し、世界悪は完全に滅びる。
※あの世の地獄霊の悪想念のマイナスエネルギーを供給源にして
いるので、感謝する人たちが世界に溢れたら、人間の出す悪想念
のマイナスエネルギーの供給量が足りなくなって、地獄界の黒い
悪想念の雲が薄くなり、雲間から神仏の光が射してくるようにな
れば地獄霊も反省を通して地獄界の浅いところから地獄界で無く
なって行くと思います。
>要するに光の波動を受け既に変調を期待している人間とそうでない人間とでは
>今後、生きるか死ぬかまた進化するか退化するか2つに1つと言うことになる。
>優れた者に進化するには、それ相応の心の進化と意識の持ち方が非常に重要になってくる。
>そして、そうやって生まれ変わった人間達の住む新しい地球こそが
>理想のパラレルワールドであり、真の光明の世というわけだ。その世界では
>あらゆる思いが具現化されありのままに表現される為、テレパシーなど容易
>いことであり瞬間移動することも可能と言われている。思考が全て実現のも
>のとなり一部の人間は気候を操り 一部の人間は手で人を癒し 一部の人間
>は目で千里を見る
>2012年からの未来は、それらの究極世界が実現されようとしている。
※興味深い内容ですね。
無責任で地に足の着かない浮ついた言葉の往来する2chで
引き合いに出す事はあまりにも恐れ多く次元が違いすぎますが
比叡山の常行三昧、千日回峯行というとてつもない苦行で心から
人は「仏に至れない」ことを自覚できるのだろうと思う。
まさに菩薩なる阿闍梨は「生きることが行」とおっしゃる。
自分などとてもお恥かしい身でありますが、
まことに尊いお言葉であると思う。
38 :
小林白蓮:2011/06/05(日) 23:13:58.51 ID:Cc1tKOFX
>>37 :神も仏も名無しさん ID:ybQ6zKV5
>無責任で地に足の着かない浮ついた言葉の往来する2chで
>引き合いに出す事はあまりにも恐れ多く次元が違いすぎますが
>比叡山の常行三昧、千日回峯行というとてつもない苦行で心から
>人は「仏に至れない」ことを自覚できるのだろうと思う。
※約二千五百年前くらいインド時代のお釈迦様は、息を止める苦行等
あばら骨が浮き出て、仏として悟る前に死んでしまうことを知り、
苦行では悟れない以上、苦行を捨てることになり、スジャータの村娘
からいただいたミルク粥を食べて、力がみなぎって来ることを知り、
ゼロからの健康な身体づくりに心掛け、瞑想禅定をして水鏡のような
透明な平静なる心を継続して、降魔成道をして大悟して仏陀になった
のであります。
千日回峯行もお釈迦様在世時は、交通機関がなかったので、遠い道のり
弟子と一緒に歩いていた名残で、千日回峯行はまったく悟りとは関係が
ありません。
しかし、精神力が強くなるのと、肉体が丈夫になることにつながるとは
思います。
>まさに菩薩なる阿闍梨は「生きることが行」とおっしゃる。
※「生きることが行」と述べられること自体が悟りの言葉ではありません。
>自分などとてもお恥かしい身でありますが、
>まことに尊いお言葉であると思う。
※悟りの言葉でないにしても、一転語として生きる指針をいただいたら、
その人にとって尊いお言葉なのかもしれません。
再誕の仏陀は日本に、幸福の科学の大川隆法総裁先生として、直説金口
の仏法真理の知識を学ばれることで、尊い悟りの言葉にたくさん出会う
ことになります。
>>35 悟りの具体的な内容については、文章にするのがかなり難しいんだが端折って書いてみる。
先に言っておくと自分は糖質患者で異常行動によって警察沙汰になったことがある。入院は過去3回。
すべて低級霊の仕業にしているが、その中にも守護霊的存在がいたのも事実だ。だから今自殺せずに生きている。
異常現象が最初に起こったのは今から6年前だが、2010年不眠症に悩まされた俺は、地震の錯覚と
かなりの人間が死ぬ妄想に苦しめられパニックを起こした。ここでは言わないが(あまり言いたくない)前世をみた。
歴史上の人物で悲惨な目にあい死んだやつだ。後で調べてわかった話、発作が起き病院搬送を食らうハメになった日は
ちょうどそいつの命日の月日と一致した。
だが、その経験を経て自分の正体を知りなにもかも吹っ切れたんだ。病気を苦に思うこともなくなった。命に感謝するようになった。
そうだな、1年前の発作でみた妄想がまさか東北大震災という形で現実に見るとは思いもしなかった。
というやらせ臭い内容でいったん終わっとくが、これは確かに自称だがその辺の似非霊能者よりマシな話だと思って聞いて欲しい。馬鹿にはしないでくれ。
40 :
a.k:2011/06/26(日) 19:08:29.23 ID:M9FusP1W
バカにはしてませんが、また預言者気取りかと思って読んでました。
すみません。
私は霊感も予知夢とかも見ることが無い0能の人間ですが、
私が尊敬している方も、よく悪い夢を見られるそうです。
体験したことはないので分からないですが、
多くの人が死ぬのを何度も夢で見るなんて辛いだろうなぁと思います。
それが現実になるなら、尚更お辛いでしょうね。
あなたが自殺なさらなくて良かったです。
41 :
神も仏も名無しさん:2011/07/14(木) 21:37:13.90 ID:bQDrfjLh
主まだいる?
>>1 白隠禅師なんか一生涯のうちに大悟したことだけで18回もあったんだってさ。
43 :
神も仏も名無しさん:2011/07/19(火) 18:23:57.94 ID:vBpwT1bJ
>>42 それは勘違いが多かっただけだろ!!
弟子に悟ったと言ったものの実は悟ってなかったって後で気付くが
弟子に悟ったといった手前、引くに引けず嘘に嘘を重ねたのでしょう。
44 :
神も仏も名無しさん:2011/08/04(木) 07:12:24.61 ID:cvpB4GIf
あ
>>43 弟子に云々も何も、
「悟りました、これは悟りじゃないですか?師匠!」
と師匠に伝えに言ったら
罵詈雑言を浴びせられたり鉄拳制裁を食らわされたりした。
これを何回か繰り返し、悟れないと悩んでいたある日、
托鉢中に殴られて気を失い、目を覚ましたら悟っていた。
師匠に確かめたら、やっと悟りを開いた状態だと認められた。
というのは知っているが、18回も大悟したのは知らない。
>>45 殴られて悟ったってそれ脳みそ壊れたとか言わね?
現代医学だったらヘタしたら「脳波にてんかんの波が出ています」って医者に言われるとか
とにかく健康な人の状況じゃないんじゃね?
47 :
ama:2011/09/05(月) 13:06:57.95 ID:PoXcmxpO
>>12 > 人の言う事とか些細な事がいちいち気になるのを辞めたいんだけど
> どうすればいい?
もし非難されているように感じるのなら、
自分に自信を持つことで解決すると思います。
意識を外ではなく、自分の内に向けることでも解決します。
もし、世界に自分しか存在しなかったら、
人のことは気になりませんよね。
そんな感じです。
48 :
ama:2011/09/05(月) 13:09:26.08 ID:PoXcmxpO
49 :
ama:2011/09/05(月) 13:14:30.47 ID:PoXcmxpO
>>14 目に見えないものはたくさんありますが、
霊は存在しません。
生物は死んだらそれで終わりです。
50 :
ama:2011/09/05(月) 13:17:26.98 ID:PoXcmxpO
>>15 神は人間の創ったものです。
ですので、神から人間が試されることはありません。
51 :
ama:2011/09/05(月) 13:21:17.17 ID:PoXcmxpO
>>19 悟りは個々に行われるものですので、
全体の動きとは必ずしもリンクしません。
52 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 13:22:46.58 ID:ZhJgbSGF
今、四次元の世界を体験出来ています
五次元の世界を見るためには
なにをすればいいですか
53 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 13:39:02.28 ID:T0/dGQHS
LSDを服用すればいいんじゃね?
54 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 14:10:53.92 ID:ZhJgbSGF
解決しました
ありがとうございます
55 :
ama:2011/09/05(月) 15:30:45.84 ID:PoXcmxpO
>>21 冷めるというより、覚めるといった感じでしょうか。
悟自体、あまりにもあっけないものなので、
一生懸命悟りを追い求めていた自分のことが笑えてしまいます。
56 :
ama:2011/09/05(月) 15:34:01.65 ID:PoXcmxpO
>>21 一番変わったことは、すべてのことがどうでもよくなり、
同時に、すべてがいとおしくなります。
悟りなどと言うものもどうでもよくなります。
ただ、ただ、生きるだけです。
かといって虚無感や無力感にさいなまれると言うわけでもなく、
普通に、喜び、悲しみ、怒り、楽しみます。
その意味では、悟っても何も変わらないのですが、
悟っていない人は、この普通に生きるということが
なかなか難しかったりします。
普通に生きることが、とても素晴らしいことなのです。
57 :
ama:2011/09/05(月) 15:46:03.95 ID:PoXcmxpO
>>52 私には分かりませんが、体験した人に聞けば、
何らかのヒントは得られるでしょう。
58 :
ama:2011/09/05(月) 16:17:25.30 ID:PoXcmxpO
59 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 16:37:27.34 ID:f6Y5mjLG
>>56 「普通に生きる」という思い込みに、まだ囚われていますよ。
悟りを開くと2ちゃんをやるんですか?
61 :
ama:2011/09/05(月) 17:44:12.15 ID:PoXcmxpO
>>28 電算機が解を出してもそれは悟りではありません。
悟りというものは人間だけに起こります。
62 :
ama:2011/09/05(月) 17:54:59.02 ID:PoXcmxpO
>>41 います。
大変あいだが空いてしまいましたが・・・(苦笑)
63 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 17:56:32.59 ID:F0iGZ6Il
風邪を引いたんですが
悟りの境地からするとどうなりますか?
64 :
ama:2011/09/05(月) 17:58:55.18 ID:PoXcmxpO
>>59 普通に生きなければならないとは思っていません。
その意味で囚われてはいませんよ。
65 :
ama:2011/09/05(月) 18:01:07.68 ID:PoXcmxpO
66 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 18:03:09.27 ID:F0iGZ6Il
ちなみに何をきっかけに悟られたのですか?
また悟った人はその証にこの世のありとあらゆる事に明快な解決法を示せるはずです
さもないとそれは悟った気分に過ぎなく
悟りそのものとは言えません。
67 :
ama:2011/09/05(月) 18:05:44.43 ID:PoXcmxpO
>>63 出来るだけ食べないでゆっくり休んだ方がいいと思います。
68 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 18:08:14.35 ID:6H4K3+ZI
妻絞殺の82歳、嘱託殺人罪で起訴へ 妻が依頼と判断
愛知県豊田市で8月、
体が不自由な妻(77)を絞殺したとして殺人容疑で逮捕された無職山本光司容疑者(82)について、名古屋地検岡崎支部は、
妻に頼まれたとして量刑の軽い嘱託殺人の罪に切り替えて5日に起訴する方針を固めた。
山本容疑者は8月12日ごろ、同市三箇町(さんがちょう)に止めた軽乗用車の中で、
妻の美津枝さんの首をロープで絞めて殺したとして15日に逮捕された。
山本容疑者は自殺を図ったが失敗し、意識がもうろうとした状態で運転して現場近くの山林で誤って横転させた。
家族からの捜索願を受けて、県警豊田署員が近くにいた山本容疑者を見つけた。
捜査関係者によると、
夫婦が家を出た前日に、2人が「一緒に死のう」と話し合っているのを親族が聞いていたことや、連名で遺書を書いていたこと、美津枝さんに抵抗した様子がなかったことが判明。
地検は、山本容疑者が将来を悲観した妻から頼まれたと判断した。
69 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 18:09:38.03 ID:F0iGZ6Il
それってGoogleで検索すると一番始めに書いてある養生法だよねw
ちなみに何故そう思うんですか?
70 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 18:17:03.67 ID:F0iGZ6Il
風邪で検索すると「水分を多く飲んで寝て下さい」と書いてあるページが無数に出て来ますが
彼らはみんな悟っているのでしょうか
悟っている人とそうでない人を区別する基準は何でしょうか
71 :
ama:2011/09/05(月) 18:35:59.10 ID:PoXcmxpO
>>66 もう10年ほど前のことです。
私は道を歩いているときに悟りました。
それは突然でした。
きっかけは、ただ、観た、ことでした。
考えるのをやめ、ただ観たとき、
私の知りたかった色んな疑問が一気に解決しました。
それは目の前にありました。
72 :
ama:2011/09/05(月) 18:38:37.62 ID:PoXcmxpO
>>66 私は仕事で色々な問題を抱えることがありますが、
常に明確な解決方法を見つけるとは限りません。
それでも、自分が悟りを開いたことは分かります。
それは、気分といったようなあやふやなものではないからです。
悟りは、疑いようのない、圧倒的な体験として訪れます。
73 :
ama:2011/09/05(月) 18:40:55.51 ID:PoXcmxpO
>>69 そうでしたか・・・。
野生の動物は病気になると食べないでじっとしているからです。
74 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 18:46:11.47 ID:F0iGZ6Il
その圧倒的な体験とはどういう体験でしょうか?
そして何故それが訪れたんでしょうか
75 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 18:49:36.60 ID:F0iGZ6Il
仏教修行には歩行禅というのがありますが
元々悟りというものを意識されていたのでしょうか
それとも全く偶然でしょうか
水が何の理由もなしに沸騰しないように
何の理由も無しに突然悟るというのは考えにくいですが
フェラと本番どっちが好きですか?
77 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 18:55:29.77 ID:F0iGZ6Il
ちなみに貴方の知りたかった色んな疑問とは何ですか?
そしてそれにどのような解答を得たのですか?
78 :
ama:2011/09/05(月) 18:59:54.62 ID:PoXcmxpO
>>70 風邪の対処方法を知っているからといって悟っているとは限らないと思います。
外見で、その人が悟っているかどうかは、分かりません。
悟りはどこまでも個人的な体験ですので、
第3者がそれを区別するのは難しいと思います。
話をしてみて分かることもありますが、
分からないこともあります。
その人が、自分が悟ったという事実を、
つつみ隠さず相手に伝えようとしている場合は、
分かります。
また、悟りという言葉を使わない人もいますので、
そうなると更に難しいですね。
79 :
ama:2011/09/05(月) 19:14:59.85 ID:PoXcmxpO
>>74 理屈ではなく、ただ分かってしまう体験です。
たとえば、色即是空であり、空即是色であることが、
知識でもなく、理屈でもなく、ただ分かってしまいます。
「なんでこんなに当たり前のことが今まで分からなかったんだろう?」
と自分で自分が驚きです。
何故、訪れたのか・・・
そこに理由は無いのだと思います。
きっかけはあったとしても・・・
80 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 19:18:17.44 ID:YMG09SnU
81 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 19:19:51.64 ID:F0iGZ6Il
貴方は「私は昔から悟りを求めていた」と書いてますよ。
則ちある種の修行みたいなことはやっておられたのでしょう
つまり偶然ではなく必然ですね
色即是空というのはそういうことだと思いますが
82 :
ama:2011/09/05(月) 19:35:35.04 ID:PoXcmxpO
>>75 大いに意識していました。(苦笑)
悟りたいと思っていましたし、
どうすれば悟れるのだろうと思っていましたし、
悟るとどうなるのだろうと思っていました。
83 :
ama:2011/09/05(月) 19:46:26.46 ID:PoXcmxpO
>>75 「なぜ」水は沸騰するのか?
といった疑問に対する答えとして、一般的には、
水が沸騰するためのプロセスを引き合いに出しますよね。
でも、厳密にはそれは、「なぜ」ではなく、
「どのようにして」に対する答えでしかありません。
その意味で「なぜ」に対する答えというのはそもそも存在しません。
私はこのことに気づくことはとても大切なことだと考えています。
84 :
ama:2011/09/05(月) 19:48:31.33 ID:PoXcmxpO
>>75 私が悟ったプロセスは、既にお話したように、
ただ、観る、ということがきっかけになりました。
それは、一切の考えを一旦脇に置いておいて、
一切の当たり前とか一切の前提とかを一旦無しにして、
(神とか、前世とか、霊とか、とかとか・・・)
「本当はどうなんだろう?」のような姿勢で、
ただ、観る、ことです。
85 :
ama:2011/09/05(月) 19:50:32.78 ID:PoXcmxpO
86 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 19:53:53.94 ID:ZzqjhqLI
84
それをビパッサナ瞑想と言いますが、即ち貴方は意識的無意識的かどうかはさておき
それを実践していたという事になりますね
87 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 19:58:15.76 ID:ZzqjhqLI
つまり瞑想修行によって悟ったという事ですね
よくわかりました。ありがとうございます。
88 :
ama:2011/09/05(月) 20:14:35.58 ID:PoXcmxpO
>>77 なぜ、自分は存在しているのか?
人生の意味は?
世界はなぜ存在するのか?
などなど・・・
まあ、誰でも(?)思うことです。
89 :
ama:2011/09/05(月) 20:16:42.11 ID:PoXcmxpO
>>77 解答は、すべては幻想である、ということです。
すべては私の創作物だったんですね。
疑問自体、私が創り出したものですから答えはありません。
答えがあるというのは私の思い込みであり決め付けでした。
疑問を創り出すことをやめれば、答えも必要ありません。
そもそも「自分」という概念自体、
「存在する」という概念自体が、
私が創り出しているものです。
そうやって、私達は、さまざまな概念を創り出して、
一人相撲をやってるのですね。
90 :
ama:2011/09/05(月) 20:18:48.27 ID:PoXcmxpO
91 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 20:22:40.26 ID:ZzqjhqLI
そうですね。
しかしそう言う概念の世界とうまく付き合って行かなくてはならないとも思います。
契約など幻想だと言ってもその幻想によって社会が成立している面もありますからね
トランスパーソナル心理学で(昔読んだものだから、うろ覚えだけど)
悟りの過程でオカルト的な体験をするとあり、
それは悟りへの道から外れるから無視して良い、くらいの扱いでした。
そういった体験はされました?
93 :
ama:2011/09/05(月) 20:29:19.87 ID:PoXcmxpO
>>91 まったくおっしゃるとおりです。
幻想は同時に現実なのですね。
幻想だからといって、それを嫌ったり、見てみぬふりをしたり、
というのもおかしな話なんですよね。
続けてすみません。あと2つほど気になることがありまして。
悟られた時は、断食のようなことはしていました?(空腹でしたか?)
そして、食べ物つながりですが、
一般人と変わりなく、肉や魚は食べますか?
また、殺生についての意識は変わりました?
霊やあの世はないようなことを書かれていましたが、
それは悟った際に、そういった情報を得たということですか?
95 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 20:35:09.88 ID:ZzqjhqLI
しかし貴方が見たのは幻想ではないんですね
それも幻想ですか?
96 :
ama:2011/09/05(月) 20:36:56.88 ID:PoXcmxpO
>>92 オカルト的かどうか分かりませんが、
自分が消えるという体験はしました。
・・・というか、そもそも、はじめからいなかったことに気づいた、
というか・・・そんな感じです。
>>96 ありがとうございます。
瞑想での体験と言った感じですかね。
それと、
>>94で終わりのように書きましたが、追加で以下もお願いします。
すみません。
「死んだら終わり」ということですが、
悟りの境地からみると、「自殺」についての倫理観はどうなのでしょうか?
「しても良いよ、それで終わりだから」ということでしょうか。
何を気にしているかと言うと、社会を構成するうえで
「自殺はだめだよ」「他人の基本的人権を侵害しちゃだめだよ」
ということは必要になると思いますが、
それすら気にすることではないのでしょうか。
そうだとして「死んだら終わり」といった考えが蔓延すると、
人間が駄目になりそうな気がするので…。
98 :
ama:2011/09/05(月) 20:49:11.98 ID:PoXcmxpO
>>94 食事は特に変わったことは無く普通に3食食べていました。
当時は肉も魚も食べていました。
(最近はほとんど食べませんが。(歳のせいでしょうか))
殺生についての意識は特に変わりません。
果実以外の植物を食べることも殺生ですし・・・
殺さないと生きていけないのが人間(動物)だと思っています。
情報を得たというより、分かってしまった、
といった方が正確かもしれません。
味覚が幻想でも実体験できるのと同様に、
霊やあの世も実体験できるのですね。
99 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 20:50:49.99 ID:ZzqjhqLI
田中一郎と言うのは概念ですからね
方便と言うか。
止観に徹すればそのようなものはなくなりますよね
理屈からしても
すると宇宙の巨大な縁起の総体のようなものが現出してくるのでしょうか
100 :
ama:2011/09/05(月) 20:55:27.78 ID:PoXcmxpO
>>95 私の悟り体験は、何かが見えたり聞こえたりといったものではありません。
気づいた、もしくは、分かった、といった体験です。
101 :
ama:2011/09/05(月) 20:58:18.66 ID:PoXcmxpO
>>95 もちろん、気づいたり分かったりといった体験をしている「私」は幻想です。
102 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 21:00:41.35 ID:F0iGZ6Il
それは貴方も私もない世界ですよね
携帯電話と自分の区別もない世界
そう言うありのままの世界の本質を知る事はどのような意義があるように思われますか?
103 :
ama:2011/09/05(月) 21:14:38.29 ID:PoXcmxpO
>>97 「死んだら終わり」だから、虚無に生きる人もいれば、
「死んだら終わり」だから、一生懸命に生きる人もいますよね。
「死んだら終わり」であることと、自分の人生をどう生きるかとういうこととは、
別ものだと思いますよ。
104 :
ama:2011/09/05(月) 21:17:14.26 ID:PoXcmxpO
>>97 私は大した倫理観を持っていません。
単純に、死ぬことは痛いし、怖いし、悲しいから嫌です。
死を嫌うのは、動物としての本能ですよね。
どのような生命も生きようとします。
その意味で法律は役に立っていると思います。
少なくとも私は「死んだら終わり」だと知っていますが、
人生は、楽しいし、美しいです。
おそらく「死んだら終わり」=「人生は無駄」という考えの方は、
この2つのあいだに、別の思考がへばりついているのでしょう。
105 :
ama:2011/09/05(月) 21:32:51.40 ID:PoXcmxpO
>>102 意味とか意義というほどのものではないですが、
単純に楽しいです。
>>103-104 確かにおっしゃるとおりです。
「死んだら終わり」
→「悪いことをしようが死ねば終わり」と思う奴が多くなるのでは。
と考えるのは、私に違う思考が貼りついているからでした。
すみません、まだ質問させてください。
釈尊(ブッダ)は「人生は苦」と言われましたが、
あなたは「人生は楽しいし、美しい」とおっしゃいます。
この違いは、それぞれの人の環境や価値観によるものでしょうか。
それと、くどいようですが、死んだら全くすべてが終わってしまうのでしょうか。
「死んだら自他の区別がなくなる」ような世界に行くのでもなく。
ホログラフィー宇宙も輪廻転生もウソ?
「悟りの境地で宇宙と一体になる」といったようなことを聞きます。
自分と宇宙がつながるようになって、
なんか、そんな能力まで備わっていて、死んだら終わりというのが
凡夫である私にはちと悲しく感じてしまうのです…。
107 :
ama:2011/09/05(月) 21:58:01.31 ID:PoXcmxpO
>>106 確かに「苦」とも言っていますが、「美しい」とも言ってませんでした?
両方ありますよね。
私は「苦」に真正面から向き合った釈尊の「美しい」の言葉は重いと感じています。
108 :
ama:2011/09/05(月) 22:00:31.50 ID:PoXcmxpO
>>106 自他の区別が無くなる、宇宙と一体になる、ということは、
「私」という個体が消えるということですよね。
つまり、死ぬということです。
「私」という現象が終わるということです。
「私」が宇宙全体に広がってしまったらぜんぶが「私」です。
すると、それはもはや「私」と呼べません。
「私」は、「私以外」があってはじめて「私」なのですから。
109 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 22:12:10.56 ID:ZzqjhqLI
今もそう言う意識は維持しているのですか?
110 :
ama:2011/09/05(月) 22:16:22.50 ID:PoXcmxpO
>>106 輪廻転生にせよなんにせよ、その人が体験したことはウソではありません。
幻想はウソとは違うのです。
幻想は現実であり、現実は幻想です。
これらは同じものです。
世界がこのように見えているのは、人間の目が、
このように見える機能を持っているからです。
人間の目がまた別の機能を持っていれば世界は全く別のものになります。
見えるものが幻想であるとはそういう意味です。
そしてこれは、五感すべてに言えることです。
111 :
偽イルミナティ:2011/09/05(月) 22:18:27.73 ID:CQ/8H78z
どうして人間ベースなの?
112 :
ama:2011/09/05(月) 22:21:32.16 ID:PoXcmxpO
113 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 22:23:29.67 ID:ZzqjhqLI
悟りのメリットはなんでしょうか
114 :
ama:2011/09/05(月) 22:26:58.35 ID:PoXcmxpO
>>111 質問の意味がちょっとよく分からなかったのですが、
人間が疑問を感じているからです。と、
とりあえず答えておきます。
115 :
偽イルミナティ:2011/09/05(月) 22:32:40.25 ID:CQ/8H78z
116 :
ama:2011/09/05(月) 22:33:01.39 ID:PoXcmxpO
>>107 「美しい」はちょっと覚えがありません。(単に私が知らないだけです。)
人の価値観のあり方から言って、楽しいと思うこと自体、苦しみにつながる、
ということで、「苦しい」ということは「楽しい」ということと同じと言っていたような。
と、ここまで書いて気づきました。私の思慮が足りませんでした。
自己完結のようなレスですみません。
>>108と
>>110 「幻想」というのが、私のイメージしている「幻想」を超えているように思えます。
(嫌味で言っているのではなく、自分の足りなさを自覚して書いています。)
「私」が輪廻転生を体験するとしたら、
「私」が幻想=現実世界で死に、
「私がなくなる世界」に行ってしまった後に、
「私」が幻想=現実に生まれ変わり
「私」を幻想=現実世界で「私」として認識することになるのですよね。
こんなことで悩めてくるのも「私」という意識が強いまま
私がレスしているから、というような気がしてきました。
突然、色々と質問してしまい、すみません。
また、お時間をいただきまして、ありがとうございました。
118 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 22:44:36.22 ID:ZzqjhqLI
では、もっとも大事な質問ですが
どうやったら悟れますか?
>>117 馬鹿丁寧な受け答えでしたね、感心ですよ人間よく出来ている。
寺や神社にお参りに行くことはありますか?
行くとするならその時何を相手にお祈りしていますか?
そこに神仏がお祀りされているとするならそれはなんですか?なにから生まれたものですか?
神や仏がいると思ってお参りできるなら答えはおのずと分かりますよね。
お疲れさま。
120 :
ama:2011/09/05(月) 23:13:48.93 ID:PoXcmxpO
>>118 一切の前提(思い込み)をいったん脇に置いておく事です。
そのためには、自分の中にある前提にひとつひとつ気づいていくことが必要です。
最も根深い前提は、最も透明になっていているのでなかなか見えません。
121 :
ama:2011/09/05(月) 23:16:28.83 ID:PoXcmxpO
>>118 特に、悟るためには悟りのイメージが邪魔になったりします。
「悟りとはこのようなものであるに違いない」
という前提が悟りを遠ざけます。
正確には、自分から遠ざかります。
目の前に悟りがあっても、それを「こんなものは悟りじゃない」
と思っていますので、それに接近することをしません。
これが、一番の障壁だと私は思っています。
122 :
偽イルミナティ:2011/09/05(月) 23:18:50.00 ID:CQ/8H78z
主語を抜いた(あなたを抜いた)状態で悟りはどうですか?
悟りがあったりなかったりできるというのが信じられません
どういう状況なんですか、それ?
123 :
ama:2011/09/05(月) 23:19:35.49 ID:PoXcmxpO
そろそろ寝ます。
ではでは。
124 :
ゲッパリラ王:2011/09/05(月) 23:40:29.48 ID:e+LxxvmO
単純に考えて、「悟る」=「気付く」ってこと
気付くには感覚を使わなければならない
世間一般的に言う「悟る」っていうのは、「全神経を感覚に集中させること」なんだろうね
125 :
偽イルミナティ:2011/09/05(月) 23:46:45.45 ID:CQ/8H78z
人間が確認する為だけの真理って事ですか、なるほど
始めの方で低い悟りはそうかもしれない
でもそれは出だしね。小悟という部類かなぁ
127 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 23:56:42.46 ID:ZzqjhqLI
オカルト仏教やキリスト教は間に合ってます
悟りたいというなら仏教の寺で坊さんがしてる修業や、キリスト教でなら
教会で神父がやってる行為と同じ事をするしか無いんじゃないの?
ネットで悟ろうとしてもそんなのうまくいく訳ないじゃん。笑止。
130 :
偽イルミナティ:2011/09/06(火) 00:19:01.14 ID:GEJdfr5O
ぶっちゃけ悟りを得た状況で体だけ残ってる人が精神病院に沢山いると思うんだけど
それでも生きている状態での悟りに救いを見るのかな
131 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 00:24:21.68 ID:MYXWZM14
それは悟りじゃなくて精神病だろ
132 :
ゲッパリラ王:2011/09/06(火) 00:26:50.14 ID:CiAqtrEb
知性は野性に帰る
133 :
偽イルミナティ:2011/09/06(火) 00:27:47.65 ID:GEJdfr5O
ああメンヘラレベルじゃないよ
人語介さないレベルの人ね
135 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 00:32:45.17 ID:MYXWZM14
悟りって身体を忘れてぶっ飛んでるのとは違うと思うぞ
釈迦の修行法を見ると身体が存在していることに気がつきなさいと
しょっちゅう「現実」に引き戻すものになってる
136 :
偽イルミナティ:2011/09/06(火) 00:33:17.54 ID:GEJdfr5O
宇宙の全てやら時間の全てやら真理やら何やらかにやらと
一体化した状態は正気じゃないから
137 :
ゲッパリラ王:2011/09/06(火) 00:36:51.75 ID:CiAqtrEb
一つになることは二つになることと同じである
おそらく1は本当に悟った人
ブッダもこのオッサンと同じようにただのあっさりとした人だったと思う
後からあれこれ付け足されたり小難しい話にされただけなんだろうよ
139 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 06:24:33.37 ID:MYXWZM14
1さんは特定の寺に入門して悟ったのでしょうか
それとも在家で悟りましたか?
140 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 09:51:35.52 ID:FEljOESx
>>138 上手に表現してるけど、
ここまでの書き込み読む限り
悟ってるって断定するのはちょっと早いと思うよ。
もう少しいろいろ聞いてから判断したら。
141 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 10:14:13.60 ID:tckGRe2s
俺は頭いいから、創価学会、エホバの証人、エスペラントカトリック
三つ学び、三宗派限定資本の会社を作る準備中で、
悟りを開いたなら、
さーん!てアホになるくらい悟りを開いたんだろ。
142 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 15:14:21.59 ID:pylwjUjY
>>1さん
例えば、缶ジュースのビンをずーと見続けると言うのも修行になりますか?
はじめは概念的に認識しますよね。「缶ジュースのビン」と言うように。
この概念を取っ払っても「アルミ」と言う概念で認識してしまう。
この概念を取っ払っても「存在」と言う概念で認識してしまう。
存在と言う概念すら取っ払ったら、缶ジュースのビンの本当の姿が見えてくると言うことでしょうか
つまり、一念三千と言いますか、缶ジュースのビンがそこにあるための無数の因縁が見えると。
と言うのはまさに>>1さんが言う「悟りと言う既成概念」によるものかもしれません。
すなわち空の思想ですよね。私は空の思想を概念としては理解していますが、このことは、悟りの世界を体験する妨げになるでしょうか。
教科書で勉強した水泳の知識と実際の水泳の違いのようなものでしょうか。
実際、お坊さんは「空」を概念的に勉強してから、瞑想などをするわけで、あながち、「空」の知識が不要と言うわけでもないとも思うのですが。
確かに、知識として知っていると、実践を馬鹿にしてしまう傾向があるかもしれない。
「あー知ってるよ」と言うように。そうならないように注意する必要があるな。
143 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 15:21:07.57 ID:pylwjUjY
>>1さんが、悟りの知識が悟る為の一番の障害になると言われるのはわかる気がするのですが
もし、>>1さんに悟りの知識が無かった、本当に悟れたのかと言う問題もあると思う。
人間は知らないものを認識することが出来ない。
おそらく、
>>1さんは昔から悟りについて考えていたと言っている訳ですから、仏教の知識なども膨大にあったのではないかなと思う。
悟りの知識が悟る為の障害になると言うのは、いうなれば、一流の棋士が、既存の定石の知識が将棋の最前線で戦うためには邪魔になると言っているようなもので
膨大な知識がありながら、それを捨てなくては新しい戦い方見えないと言う意味で「邪魔になる」と言うのではないかな。
もし、「悟り」に関する知識がゼロだったら、悟りと言う状態すら認知できないと思うんだな。
認知できないのだからもちろん体験も出来ない。
>>120 > 最も根深い前提は、最も透明になっていているのでなかなか見えません。
この「最も根深い前提」と言うのは何ですか?
145 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 18:46:31.32 ID:MYXWZM14
「事物が存在する」という信仰の事じゃないかな
146 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 20:44:21.88 ID:3nsJ+6Zo
「自分が存在する」という信仰の事だと思うよ。
147 :
138:2011/09/06(火) 21:46:35.45 ID:2MTozgc+
148 :
偽イルミナティ:2011/09/06(火) 22:39:05.81 ID:GEJdfr5O
明確な体験が伴わない人のいう真理は
真理抜きに真理体験を語るからおかしくなる
大凡の宗教のそれと同じだよ
149 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 22:55:37.13 ID:MYXWZM14
そう。私は明確な体験はない。堂々と言えます。
それは偉いとか偉くない問題ではない。
仏教で言うなら声聞じゃないですかね
150 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 22:59:59.86 ID:3nsJ+6Zo
>>148 真理体験じゃなく真理そのものを語って欲しいわけですよ。
151 :
偽イルミナティ:2011/09/06(火) 23:06:18.81 ID:GEJdfr5O
818 : 偽イルミナティ [sage] 2011/09/02(金) 23:44:18.47 ID:XsTKW2wY
この世界の秘密をしってるよ
君は死ぬとき0になる
過去の記憶、今ある記憶、そして未来の記憶
これらも全て0になる
君というアイデンティティ(君の人生の全ての記憶)は保たれない
あってないに等しい存在なんだよ
目の前に広がる世界は幻と同様で色即是空なんだ
ビッグバンから始まるすべては最初から無なんだよ
なぜなら全て無へと変換され、この星の存在さえも消えて無くなる
夜眠る時に見るビジョンは暗闇ではなく
極限量の強い光の為、精神の許容量をオーバーして認識できないだけだよ
この世界は光の中にあるんだよ
152 :
偽イルミナティ:2011/09/06(火) 23:07:29.08 ID:GEJdfr5O
821 : 偽イルミナティ [sage] 2011/09/03(土) 00:00:54.82 ID:XsTKW2wY
悟りという概念さえも
全て0に等しいんだよ
この世界の全てを知る行為は
この世界の全てが0で構成されている事を体験する事だよ
153 :
偽イルミナティ:2011/09/06(火) 23:08:18.84 ID:GEJdfr5O
942 : 偽イルミナティ [sage] 2011/09/03(土) 22:26:45.54 ID:YHywnt+Q
その全ての理を逸脱した存在って
宇宙の始まる前と宇宙の終わりの間でも消えない存在の事だよ
でもそこにあるのは0じゃない単純に光だよ
ただそれはこの世の全てと同じそんざいで
それがこの世界を構築してる
色即是空の概念を超越した所にある創造主というか
生き物の概念や霊体の様なキャラクターの概念を逸脱した光だよ
その光によって自身や宇宙も構築されていて
光もまた自身や宇宙で構築されている一つの物である事を体験する事が悟りだよ
それは臨死体験時にみる光と同じ種類の物だよ
154 :
偽イルミナティ:2011/09/06(火) 23:12:55.12 ID:GEJdfr5O
947 : 偽イルミナティ [sage] 2011/09/03(土) 23:03:26.24 ID:YHywnt+Q
この世の全ての生命はその存在の消滅によって全て光りに取り込まれ光になる
あらゆる全ての生き物は0と等しくなって悟りを開くよ
自身の存在を保った状態で悟るのはレアケースだと思うけど
別にそれで何か偉い訳でも特別な意味がある訳でもないよ
ただ悟る事を至上の事だと認識してる人がいるなら
ほうっておいてもその時は必ず来るよ
155 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 23:21:21.21 ID:MYXWZM14
仏教とキリスト教の中途半端な混合のような非常に観念的な思想に見えます。
もうそういうのはお腹一杯。
156 :
偽イルミナティ:2011/09/06(火) 23:22:11.78 ID:GEJdfr5O
科学的にもそのうち立証されるよ
157 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 23:22:29.60 ID:WcilnjU5
世の矛盾を一言で言うと?
158 :
偽イルミナティ:2011/09/06(火) 23:25:55.10 ID:GEJdfr5O
この世の中に消えない物はないよね
この星も同様にいつか消える宿命だよ
地球がくだけ散った空間に、あなたの言うこの世の矛盾が残ってると思う?
仏陀という個人の悟りが残ってると思う?
159 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 23:28:57.13 ID:MYXWZM14
私は声聞だけどそれを恥じない。なぜならちゃんと教学を学ばないと「へんてこ神秘体験」を悟りだと勘違いする危険性がある。
1さんが「悟った」のは悟りの知識があったからだと思います。
160 :
偽イルミナティ:2011/09/06(火) 23:51:13.36 ID:GEJdfr5O
仏陀はどうやって真理を真理と悟ったんだろうね
161 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 23:59:30.43 ID:WcilnjU5
真理を簡潔に説明してください
162 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 00:07:07.65 ID:apE6AF+1
仏陀は真理という漠としたものを求めた訳ではなく「苦を滅却する方法」を求めた訳で、もし瞑想中に「20何世紀に次元が移り変わり‥」とかいうトンデモ思想が去来しても「それは苦を齎す道やな」と一蹴したと思われる。
163 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 00:08:45.66 ID:Z4CZfDSz
苦の定義は
164 :
小林白蓮:2011/09/07(水) 00:30:06.10 ID:+m3UQG0E
※釈迦の出家の理由は主として三つありました。
@第一の理由は、内なるささやき、心の内のうずきです。生来の資質、
天命の予感と言ってもよいでしょう。
A第二の理由は、宮中の他の人々は、出家者たちの話に非常に心を打たれ、
心を動かされていたのですが、ゴータマだけは、彼らの
話だけではどうしても納得がいかず、「彼らがやっている
ことは、実際、何なのか。ほんとうの悟りとは何なのか」
ということに対して、強い哲学的衝動を持ったのです。
これが、出家の根本の理由です。
B第三の理由は、「ひとりになって自分を見つめたい」という気持ちが
強かったことです。
以上、「釈迦の本心」経典書籍大川隆法著より一部抜粋しました。
上記の@からBまでの出家の主な動機の理由があって、「本当の悟りとは
何なのか」納得し、腑に落ちるまで、悟りの真理を妥協なく追い求めた結果、
納得のできる悟りを開いて、仏陀の悟りを得たと思います。
165 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 00:30:56.95 ID:apE6AF+1
定義はその時代によって変わると思う。
釈迦以降仏教徒の間では苦とは十二因縁による依存現象であり、私ならばある種の観念や出来事に対する苦痛を伴う生理反応とでもするかな
166 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 00:42:05.37 ID:Z4CZfDSz
悟りの定義は
167 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 00:47:36.87 ID:apE6AF+1
知らなかった法則に気づくということではないでしょうか。
168 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 00:56:43.89 ID:Z4CZfDSz
知らなかった法則って何
169 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 01:02:19.32 ID:apE6AF+1
物事の道理。秩序。
170 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 01:03:24.55 ID:Z4CZfDSz
物事の道理とは
171 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 01:05:46.68 ID:apE6AF+1
ある物事が成立する原因由来のこと
172 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 01:11:39.72 ID:Z4CZfDSz
なぜ釈迦は悟りたかったのか
173 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 01:21:40.86 ID:apE6AF+1
そりゃ本人に聞けよw
174 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 11:29:43.41 ID:aaPOguAe
このスレの問題点はスレ主が、たまにしか来ないことだな。
175 :
138:2011/09/07(水) 12:16:09.73 ID:cVU/3MxI
>>146 そうそう、そういやその先にあともう一個前提がある
それは146の回答と同じっちゃ同じなんだけど
考える、てことね 思考 のこと
これは146の成り立ちとおなじなわけだから、
146分かったらその流れに乗ってその先行きゃ分かると思う
176 :
138:2011/09/07(水) 12:23:44.30 ID:cVU/3MxI
その先というか146の理解の根底 か
177 :
138:2011/09/07(水) 12:30:21.12 ID:cVU/3MxI
つまり 自我の正体 ね
ほんで悟りっつのはその理解があれば、まあスパーンとくるというか
あ、なあんだ、と
でそのあとは1みたいに見た感じ割りと普通に生きてるんだが、
この理解を経た人というのは生きるといううえで根底に自我がこない
(というかこの理解のせいでどうしても持ってこれなくなっちまう)ので、
根本的なところですんげえ楽に生きれる っつーこと
179 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 14:32:46.81 ID:aaPOguAe
>>177 思考よりも意識の方が最後に来ると思うよ。
その、意識が存在していないことに早く気付いたほうがイイよ。
180 :
138:2011/09/07(水) 15:06:13.06 ID:cVU/3MxI
>>179 なんにせよ一番初めの前提 が自我ってやるのはどうなのかなって
その前にじゃあ自我を成立させたものはなんだったっけ、のとこやらないと、と思ってかいた
それは意識(意識したと分かっているなら主体が伴うもの)
思考(そもそも主体がなければ不可能で、主体こそ、そもそも思考の産物でもある)
とかのこと まあなんでもいいんだけど要するに発端になってる発動地点にあるようなそういうもののこと
181 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 15:25:21.58 ID:aaPOguAe
>>180 なるほど、そういう事でしたか。
>発端になってる発動地点にあるようなそういうもののこと
これは「自分」って感覚じゃないでしょうか。
182 :
138:2011/09/07(水) 15:37:00.08 ID:cVU/3MxI
ちとまって、連続規制でかけなかった分ね
そんで そういう主体を持って認識するのをやめて、ただ、みる
みる側に「見ている側の何か」がない状態で、みる
(というか、これは そうしようとして はできない
なぜならそのときは「そうしようとしているもの」(主体)があるから)
よって、「図らずも」「不意に」、それをすることが(してしまった)できたとき、これがわかる
(ただし分かるのはそのときではない なぜならそのとき「分かるもの(主体)はいないから」)
これがどういうもんか 例えば
>>71にある1のレスによってかかれている
そこには、ただ ある だけだった という
183 :
138:2011/09/07(水) 15:59:45.20 ID:cVU/3MxI
>>181 >これは「自分」って感覚じゃないでしょうか。
そうなんだけど、その「自分」って、どうやって出来上がっていったんだったっけ?のとこをみてった
すると、意識とか思考とか、はじめんとこらへんが臭うなあ、と
はじめがおかしいから、あと全部おかしくなってるんじゃねえのかな、と
みる でいうなら、みるのやり方を間違うと、自我ができてしまう
そんでその間違ったやり方で出来上がっちゃった「自我」が、
なんぼ「考えて(それ(自我)が出来上がるときにとられた間違ったやり方 それと同じ手法)」
を使って解決したろう とあがいても、そもそもその図がもうおかしいんでないかい?
ということ
184 :
138:2011/09/07(水) 16:04:00.26 ID:cVU/3MxI
ありとあらゆる認識を何度も何度も間違い続けて、どんどん強力に 仮想の存在「自分」を形成していってた
そんで、まずはじめに仮想の存在「自分」という、主体、見る側 を存在させて、
それから「それ」が 見る、考える(とかその他の認識とか)をやっていた、と気がつく
だからどうしたらちゃんとものがわかるんだろう、てとこになって「みる」でいうなら、、、
正しい?(完全な、問題のない)ものの見方は、、、
>>71・・・というところになっていく
185 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 16:19:56.00 ID:aaPOguAe
>>183 自分って感覚は五感と皮膚感覚を元に作られているように感じます。
この五感と皮膚感覚がなければ知覚は意識だけになり
世界と自分の境界がなくなるでしょう。
はたして意識だけになった時、それでも自分って感覚は残るのでしょうか?
186 :
ama:2011/09/07(水) 20:15:33.01 ID:+NLAuH2I
>>117 輪廻転生自体が幻想であるというのは、
目で見て手で触れるものが幻想であるのと同じ意味です。
187 :
ama:2011/09/07(水) 20:16:51.05 ID:+NLAuH2I
>>122 悟りという体験はあくまで私という個体に起こる体験なので、
主語を抜くことはできません。
ところがそれが起こってしまうと、私がいないことに気づくのです。
はじめから私はいなかったのですが、
それに気づくのは私なのです。
この状況を無理やり言葉であらわすと、
「私はいて、同時にいない」
ということになります。
188 :
ama:2011/09/07(水) 20:19:16.11 ID:+NLAuH2I
>>122 悟ると、私があるから世界があることが分かります。
その意味で世界と私は同義であることが分かります。
私しかないのでそもそも私がいなかったことが分かります。
すると、悟りの体験をしているのはいったい誰なのか?
と考えたりもしますが、そのように考えるのは私なんですね。
つまり、考えるのは私であり、体験するのも私なのですが、
同時に私はいないのです。
混乱させてしまったらすみません。
189 :
ama:2011/09/07(水) 20:21:36.02 ID:+NLAuH2I
>>139 寺に入門したことはありません。
普通に生活をしていて悟りました。
190 :
ama:2011/09/07(水) 20:23:21.21 ID:+NLAuH2I
>>142 私は修行にならないものはないと思っています。
生活のすべてが修行だと思います。
どのようなことであれ、そこから何を見出すか?何に気づくのか?です。
191 :
ama:2011/09/07(水) 20:24:51.68 ID:+NLAuH2I
>>142 おっしゃる通り、存在という概念すら取り払ってしまうと、
缶ジュースのビンの本当の姿が見えます。
すると、それはもはや、「それ」としか言いようがありません。
それが未知のものであったことに気づくわけです。
私がそれを既知のものたらしめているということに気づくのですね。
もっと言うと、存在すらしていないわけですから、
いかんとも表現しがたいわけです。
何も無いしすべてがある、
まさに、色即是空であり空即是色なわけです。
192 :
ama:2011/09/07(水) 20:26:39.09 ID:+NLAuH2I
>>142 > すなわち空の思想ですよね。私は空の思想を概念としては理解していますが、このことは、悟りの世界を体験する妨げになるでしょうか。
その概念にしがみつくと妨げになりますが、
しがみつかなければ妨げにはなりません。
193 :
ama:2011/09/07(水) 20:28:39.41 ID:+NLAuH2I
>>142 おっしゃる通り、知識として知っているということと、
体験して知っているということは別なんですよね。
知識はそれに接近するのに役立ちますが、
それを体験するには、一旦手放す必要があります。
向こう岸に渡るのに舟は役に立ちますが、
渡るそのときは舟から降りなければなりません。
そんな感じです。
194 :
ama:2011/09/07(水) 20:30:38.79 ID:+NLAuH2I
>>142 リンゴを食べたことのない人がその味をイメージしても、
それはリンゴの味を味わうこととは別のモノです。
リンゴの味をイメージすること自体は問題ないのですが、
そのイメージにしがみついてしまい、
リンゴの味はこうであるに違いないと決め付け、
実際にリンゴを食べていても、
これはリンゴではないと決め付け続けると、
永遠にリンゴの味が分からないということが起こったりします。
195 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 21:12:20.20 ID:rjcpUSaV
>>1さん
悟るためには具体的にどのような方法を取ればいいのでしょうか
天台仏教に止観瞑想と言うのがあります。
「あらゆる思考を止めて、目の前のものを観察する」瞑想です。
これで十分でしょうか?
196 :
ama:2011/09/07(水) 21:20:11.16 ID:+NLAuH2I
>>144 存在する、という前提です。
あと、悟りのイメージもなかなか根深いですね。
>>157 たとえばどのような矛盾でしょうか?
>>160 真理を悟ったからだと思います。
197 :
ama:2011/09/07(水) 21:22:51.30 ID:+NLAuH2I
>>161 すべては私の創作物。
人は見たいものを見る。
別の言い方をすると作用・反作用と言えます。
「それ」があるから「それ以外」があるわけで、
中心があるから、中心以外があるわけです。
これらは同じことを言葉を変えて言っただけです。
また別の言い方では「色即是空、空即是色」となります。
今日はこのへんで。
ではでは。
198 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 21:39:10.45 ID:LYpPkCPh
悟りたい。
>1さん
三人の美女に同時に告白されてるんだが
残り二人を傷付けたくなくて誰も選べないという事が人生で三回くらいあるんですが
悟れば解決しますか?
199 :
偽イルミナティ:2011/09/07(水) 21:51:20.81 ID:J44qoPDR
見た事すら怪しいな
人間としての因果は応報すると思うよ
200 :
神も仏も名無しさん:2011/09/08(木) 11:29:39.61 ID:AxlsMoSa
「ネットで悟れるか」と言う意見があるが仏典によると釈迦が悟った後、昔の知り合い五人にその話しをしたら「そのうちの一人コンダンニャという男が悟り次第に全員悟ってしまった」とある
ならば1さんの話しを聞いているうちに全員悟ってしまうということもありえるだろう
201 :
小林白蓮:2011/09/08(木) 11:29:40.62 ID:uYLLfTZK
>>108 :amaさん
>自他の区別が無くなる、宇宙と一体になる、ということは、
>「私」という個体が消えるということですよね。
>つまり、死ぬということです。
※ 肉体の「私」という固体が消えて、意識が宇宙に拡大してますります。
実際に、この世の肉体は消えるということではなく、自己の意識に肉体があるという
認識は無くなっている、あるいは肉体と思っている意識も消えるということです。
肉体の認識下にある私の個の意識は、幽体離脱して、この世に個の意識がないので、
死んでいるという表現となると思います。
>「私」という現象が終わるということです。
>「私」が宇宙全体に広がってしまったらぜんぶが「私」です。
>すると、それはもはや「私」と呼べません。
>「私」は、「私以外」があってはじめて「私」なのですから。
※「握一点開無限」のように、肉体の乗り物に乗っている自己から自己拡大
することは、宇宙に拡大した自己の意識は宇宙と一体になってまいります。
宇宙と一体になったら肉体を乗り物とした私という三次元的意識は無いけど、
また、「開無限」から「握一点」に戻る時は、肉体の乗り物の自己の認識に戻り
宇宙と一体となった状態は、記憶として残り、純粋で透明なクオリティーの
高い心境によっては、再度、宇宙即我を体験することは可能であります。
202 :
小林白蓮:2011/09/08(木) 11:36:36.88 ID:uYLLfTZK
>>201 続きます。
宇宙と一体となることは仏とも一体となれるということでもあります。
宇宙と一体となる宇宙即我となれば、肉体をまとった自己の認識の「私」
以外の宇宙と一体となる霊的自己の意識と別のように感じられますが、
宇宙と一体となる拡大した霊的自己の意識はあっても、地球は捜せども
見えず、自己の霊体の内と外に銀河の群れが満ちています。
この世に肉体を持って生きている場合は、肉体と霊体は別のように見えて、
肉体と霊体は一本の霊子線(シルバーコード)で繋がっています。
宇宙即我の悟りは、大川先生に御指導いただいて悟りを開くことができました。
大川隆法著「釈迦の本心」・「沈黙の仏陀」・「悟りの極地とは何か」の経典書籍
に「宇宙即我」の悟りの発展段階と「宇宙即我」について記載されています。
世界の教師である大川先生は、大悟されて、お釈迦様の本体・本仏として地球の
危機や人類の危機の救済の使命を知り、世界人類の魂の救済とし日本を中心と
して幸福の科学を創り、世界的に大活躍なされいます。
203 :
神も仏も名無しさん:2011/09/08(木) 11:40:23.43 ID:AxlsMoSa
小林さん
ちなみに貴方は大川さんに直接指導をしてもらったの?
それとも単に本を読んだだけですか?
204 :
神も仏も名無しさん:2011/09/08(木) 11:53:42.70 ID:AxlsMoSa
小林白蓮さん話しは悟りというより洗脳の可能性が高いな
205 :
神も仏も名無しさん:2011/09/08(木) 12:13:14.72 ID:B8Rt0WGH
新興宗教なんて真剣に祈ってるの?かわいそうに
206 :
神も仏も名無しさん:2011/09/08(木) 13:37:53.91 ID:AA1X5sTR
207 :
小林白蓮:2011/09/08(木) 16:28:58.87 ID:/F2qky2c
>>203 >ちなみに貴方は大川さんに直接指導をしてもらったの?
※直接指導ではなく、大きな会場で参加される皆さんと一緒に、
大川先生の御法話の拝聴をしていました。
>それとも単に本を読んだだけですか?
※大川先生の経典書籍とか、ビデオとかCDとかDVD等の拝読拝聴拝観と
なります。
総本山とか、地方正心館で研修を受けたり、仏道成就祈願とか出世祈願等や
総本山とか、地方正心館の礼拝堂で瞑想したりしていました。
208 :
神も仏も名無しさん:2011/09/08(木) 16:40:30.62 ID:AxlsMoSa
小林さん
このスレでは
人の話しを聞いたり本を読んだ受け売りではなく
直接体験を問題にしている訳です
なので貴方も本を置いて、現象のあるがままを「観る」ことからはじめて下さい。
209 :
神も仏も名無しさん:2011/09/08(木) 18:40:36.35 ID:w2lK1w4p
>>201 大川先生の悟りに興味があるんでいくつか質問してもイイですか?
>実際に、この世の肉体は消えるということではなく、自己の意識に肉体があるという
>認識は無くなっている、あるいは肉体と思っている意識も消えるということです。
>肉体の認識下にある私の個の意識は、幽体離脱して、この世に個の意識がないので、
>死んでいるという表現となると思います。
この場合、残った肉体はどうなるの?
>また、「開無限」から「握一点」に戻る時は、肉体の乗り物の自己の認識に戻り
>宇宙と一体となった状態は、記憶として残り
結局、最終的には元の状態に戻ってしまうの?
210 :
神も仏も名無しさん:2011/09/08(木) 19:02:39.68 ID:AxlsMoSa
幸福の科学信者
自作自演で質問するなよ
そこまで堕ちたか
他人のスレに割り込んでまで信者を増やそうとする真似はやめてくれ
さらに評判が悪くなるぞ
さとりを求めるのに新興宗教なんて普通の人の感覚ならあり得ないよ
ふつうの寺にでも行ってぷち修業でもしたらどうなの?
212 :
小林白蓮:2011/09/08(木) 22:59:40.07 ID:YHueR5XE
>>209 >大川先生の悟りに興味があるんでいくつか質問してもイイですか?
※大川先生の大悟による仏陀としてエル・カンターレの本仏としての悟りですから、
私は、大川先生の大悟した悟りは経験がないので、大悟の実感を得ていないので、
説明する任にはありません。
私が悟りを開いた経験までは、悟りの実感があるので、大川先生の大悟には、
はるかに及ばない悟りでありますので、私の宇宙即我の悟りの体験の分かる
所まではお伝えできます。
>この場合、残った肉体はどうなるの?
※置いて来た肉体は地上にあります。
肉体ごと宇宙即我の体験をすることはありません。
降魔成道して宇宙即我の悟りの境地が開く前の瞑想の状態のスタイルであります。
>結局、最終的には元の状態に戻ってしまうの?
※西暦2000年7月20日の夕方に、背後の力もあって、予定していなかったのですが、
降魔成道をクリアして、地球が眼下に観えるようになって、光の壁を通過したら、
いきなり、宇宙へ放り出されたような飛び出す感じで、みるみる地球が小さくなり点
となって宇宙の細胞の一部みたいになった地球を見失ってしまいました。
宇宙即我の悟りを体験をして、地球に帰還する方法は知らないままでしたので、
本当に地球に帰還し地上の肉体に帰還できるかの心配があり、少し心細い感じは
しました。
213 :
小林白蓮:2011/09/08(木) 23:13:58.82 ID:YHueR5XE
>>212 続きます。
それが、心細い気持ちも手伝ってか、地球に置いて来た地上の肉体に帰還する念
いを持つことで、一瞬に魂自体の霊的意識が地上の肉体に入り帰還してしまいま
した。
そうすると、金色のオーラに包まれて、純粋な金色の光がキラキラとあたりに
直径約2m以上に渡ってオーラが光っていて、至福の悦びと静寂があたりを包
んでいるようにしばらく沈思していました。
◇辞世の句
「 沈思して 心の内を 眺めれば 宇宙に開く 三千銀河 」
しばらくして上記の「辞世の句」が出来上がりました。
正しき心の探究として大川先生の仏法真理の学びと、仏法真理の利自即利他
の実践とエル・カンターレ信仰を立てて、土台から柱への土台づくりの基礎か
らやって、仏道修行の努力精進のはてに、悟りを開くということであります。
ですから、自己流や特別な人間になろうとして、欲心を出して、宇宙即我
の悟りを求めると大変危険であり、間違った方向にそれて行くことになり、
霊障になったり、精神異常をきたしたり、廃人になったり、大きな罪を作る
ことにもなります。
大川先生のエル・カンターレ信仰のもとに悟りの修行を行なうようにして、
くれぐれも注意してください。
韓国人、人間をひき殺すも無罪
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011082901000833.html 【ソウル共同】韓国検察当局は29日、交通死亡事故を起こしたとして
書類送検されていた韓国の5人組男性アイドルグループ「BIGBANG
(ビッグバン)」のメンバー、テソンさん(22)=日本での活動名はD―LITE
(ディライト)=について、不起訴処分にしたと明らかにした。聯合ニュースが伝えた。
BIGBANGは日本でも人気が高い。
聯合ニュースによると、テソンさんは5月31日未明、ソウル市内で乗用車を
運転中、路上で倒れていた男性をひき、その後、男性の死亡が確認された。
警察当局は事故時点で男性は生きていたと判断、テソンさんを交通事故処
理特例法違反の疑いで書類送検した。
215 :
小林白蓮:2011/09/08(木) 23:28:58.33 ID:YHueR5XE
>>211 ※普通の寺でプチ修業したら、体力と精神力はつくと思いますが、ぷち
だけに、悟りの「さ」の字もいかないね。
インドの時代のお釈迦様も最初の釈迦教団は新興宗教からはじまった
ことを忘れていませんか?
>>215 新興宗教に悟りを求める方が(ブラマヨ吉田敬)どうかしてるぜ
>>215 最高ですかとかいう宗教だろ、あのやり方は集団催眠じゃないか
大川隆法は何故わざわざ新興宗教を開いたんですか?既存のものでいいのあるでしょ
普通の寺が一番いいね
まあ、催眠術が掛かってたらそんな事分からないだろうけど。幸福の科学が世間から
どう思われているのかは気がついといた方がいい。
218 :
神も仏も名無しさん:2011/09/09(金) 00:53:36.56 ID:xKTc4P8U
最高ですかは福永法源だろ
大川は「これでいいノダー」だろ
相手するなよ
カルトの連中は相手してもしなくても関係なしに書いてくるんじゃないかい?
222 :
138:2011/09/09(金) 12:23:45.36 ID:i1mP6Kvc
ブッダとか1とかがいってんのは、人口構造物(思考の作り上げたもの)のことではない
ブッダとか1とかを 金粉現象やら神秘体験なんぞによって 満足させることは不可能なんだって
建物とか本とかお経とか師匠とか経験とか知識とか、あらゆる人口構造物(思考の作り上げたもの)
を全て廃棄ゴミにしてるスーパークレーマーというか不満の塊みたいな連中を、
一瞬にして黙らせ、「完全に満足させたもの」 の話なわけよ
223 :
138:2011/09/09(金) 12:29:53.00 ID:i1mP6Kvc
いや、満足も不満もなにもないか
下手なたとえ話なんかするもんじゃないわな
224 :
神も仏も名無しさん:2011/09/09(金) 12:50:41.17 ID:JGqYGlMa
>>222 何を言っているのか全然分からない。
ここまでの書き込みで1を悟った人だと断定するのは難しい。
みんな、どこかで聞いたような話だからね。
>>224 1が悟ったかどうか
悟ってるなら話を聞く、悟ってないなら聞かない
だからその前に、本当に悟ってるかどうか確認してからにする というのはどうなんだろか
そういうのは、まず自分が持ってる「悟り像」と照らし合わせてそれにそぐうものであるかどうか とやってる
じゃあそのとき指標として既に自分が持ってる「悟り像」とはなんだろか
その指標 が 正解肢たる真の悟り? と、どうしていえるのか、、、
>>223 おっしゃりたいことはよく分かりますが、根本的な部分を理解出来ていない人には、例えになっていることすら分からない文章ですね。
最初から読んでいて、腑に落ちない点。
・ama氏がここまでの境地に達しておきながら、何故「死に対する恐怖=生に対する執着」があるのか。
・生命は死んだら終わりと言い切る根拠。
この部分だけ私と真逆だったので、よければ説いていただきたい。
自分が持ってる答え が正しいから 相手が出すもの がそれにあってるかどうか?
仮に相手が 何も持ってない ならば、その方法でどうやって 真 を確認できる?
方法自体に欠陥がある場合は、方法Aが正しいかどうか確認する方法B が必要だ
しかし 方法Bが問題ない はどうやって確証を得られる?
ならばそもそも、とある 方法 を取って得られるものかどうか ということも疑問になるのでは?
228 :
神も仏も名無しさん:2011/09/09(金) 14:35:31.71 ID:RwKc8gW6
1さんは言語表現が得意ではなさそうなので私が推測して答えますと
「死」は幻想だと悟りを開いた1さんは当然知っている訳です。
なので子供がジェットコースターで楽しむように
悟りを開いた1さんは幻想にすぎない死の恐怖を楽しんでおられるのではないでしょうか
悟ったヤツなどいない
なに勘違いしてんだか
悟る悟らぬは言語上の仮の表現
悟ったら、それは悟っていない証拠である
悟りの条件は「本人をまじかに見て」納得する以外方法はない
悟った人に出会えば、即、だれでも阿羅漢果をえたり
不可思議な神通力を見たり
無上のこの上ない悟りを求める不退転菩薩の境地が「パッ」とあらわれるはず
修行させるようなグルや宗教指導者は二流、三流もいいとこで
超A級スナイパーゴルゴ13のような
超一流のサッドグルは、出逢っただけで「悟り」を伝授できる
スレ主もそうゆう人なのでしょう
「悟り」という言葉にとらわれているから難しくなるんじゃないでしょうか。
そのせいで、悟るには何か決まり事があるかのように錯覚してしまうと思います。
人間の数だけ悟りがあり、それは他と比較するものではないのでは。
自分自身のこと、どれだけ知っていますか。
「自分のことは自分が一番よく分かる」なんてよく言いますが、本当に理解出来ている人がどれぐらいいるでしょう。
自分のことすら理解出来ずに、他の何を理解出来ましょうか。
悟りを外に求めているようでは、いつまで経っても手に入りません。
まずは己を知る。
自分の内側に広がる広大な宇宙を探検してみてください。
そこに貴方が求める悟りがあると思います。
231 :
神も仏も名無しさん:2011/09/09(金) 14:56:14.44 ID:RwKc8gW6
1さんの悟りの内容がどこかで聞いたような話しだからこそ信用できるとも言えます。
それは悟りを開いた先人たちの言葉に叶う悟りであるということだからです。
そしてその中の第一人者である釈迦も、悟りがそんなに難しい事だとは言っていないように思います。
ミカンを意識を集中して食えとか歩く時歩いている事を意識しろとか
要は余計な観念を挟まず今、この瞬間の現実を意識して生きろと言っているように思います。
そしてそれがダイナミックで空なる宇宙の実相を悟る唯一の方法という事なのでしょう
我々は知識としては華厳経を読んだりして知ってる訳だが
そろそろ現実の宇宙を悟りの目で見るという実習期間に入る訳だ
そして1さんはある種、悟り学校の卒業生であり教官みたいな存在だろう。
と勝手に私は位置付けさせて頂いてます(笑)
>>226 なんで 既に自分が手持ちを持ってるつーこと に対して なぞめき をもたんの?
徹底的に 相手 と 自分の手持ち をバトルさせるより
徹底的に なぜかもってる「自分の手持ち」の襟首掴んで詰問しつくす をした方がいいんでないの?
>>232 単純に、彼がその心境に至った経緯を知りたかったのですが、そうですね、愚問でした。
234 :
神も仏も名無しさん:2011/09/09(金) 15:26:22.41 ID:RwKc8gW6
認知科学者の苫米地さんは潜在的な情報量が最高度の認識を「空」だと言っているのだが
要は1さんが悟った時の意識状態だと思うんだな
「スコトーマ」が完全に無くなっている状態ね
という訳でかつて悟った1さんが今も悟りの中に居るのかというと少し疑問がある
それは王さんが今もプロで五十五本ホームランを打っているかという問題でもある
1さんの悟りはスレタイにもあるように「過去形」である
勿論、過去三冠王を取った事がある人は凄いしその経験の価値には変わりないが
最終的には人類は常に悟りの境地にいるように進化するのではないか
また、1さんに聞きたいのですが、いったん悟りの境地に入った1さんは
今もその気になれば悟りに入れるのでしょうか
それとも野球選手みたいに気力体力精神力が充実した一時期だけの特殊な経験になるのでしょうか
出来るにしてもよっぽど準備しないと無理とか
或は今も精進を重ね十年前よりもさらに深い瞑想が出来るようになったのでしょうか
例えば山とか行って大自然あるとする
そんでそれに対して「どうやったらこれを大自然にできるか」
ってブルドーザーに乗ってブオブオふかしながら考え込んじゃってるわけ
おい、おりろよ、と
もうおまえがどうこう考える前に(というかそういうあれこれしなければ)
目の前にパーフェクトのそれがあるで?と
236 :
神も仏も名無しさん:2011/09/09(金) 16:15:13.04 ID:RwKc8gW6
その転倒して考え込まない為の方法論が瞑想なんだと思うよ。
リハビリトレーニングだな。
237 :
神も仏も名無しさん:2011/09/09(金) 16:31:15.85 ID:RwKc8gW6
そしてその場合は降りろよと言う人が悟ってることが条件で
ブルドーザーから降りても意識が転倒していることは変わらないから
転倒したことをやりはじめる
その辺の事情はショーペンハウエルの『意志と表象としての世界』という古い哲学書に分析されている。一読して見るとよいと思う。
つまり我々の生存意志が世界を転倒して解釈しているということなんだよ
だから生のままの無邪気な人間性に戻れば悟れるというのは違う
空海なども言うようにトンジンチの塊である無邪気な子供の世界が一番転倒しているのである
238 :
神も仏も名無しさん:2011/09/09(金) 16:44:50.30 ID:RwKc8gW6
俺は悟ってないけど悟ってない世界の分析については1さんより詳しいということは有り得ると思う。
ブルドーザーから降りる、というのは 局面においての思考というツールとのお別れ をさす
局面において 思考、および思考により構築された物理的精神的構造物
これらに依っていない という状態での 理解とか認識 をさした
この 主体(これは思考による精神的構造物)のない認識 において得た理解 を経た以降、
当事者が「生存意志が世界を転倒して解釈」することは、理解 の中に十分に含まれておりそれは重大な問題とはならない
安心して 年齢相応、社会相応、環境相応の 適切な?トンジンチに身を浸して喜怒哀楽しながら
究極的にはノープロブレム で生きる
240 :
神も仏も名無しさん:2011/09/09(金) 20:40:11.10 ID:b5VNjqbg
>>225 >1が悟ったかどうか
>悟ってるなら話を聞く、悟ってないなら聞かない
>だからその前に、本当に悟ってるかどうか確認してからにする というのはどうなんだろか
誰もそんな事書いてないだろ。
これだけの書き込みで悟っているかどうか判断するのは難しいって言ってるだけで。
自称悟り人はいっぱい見てきたが
書き込みが増えれば増えるほどボロが出てきたりするからね。
自分で悟ってるっていう人は確率的にとても胡散臭い。
241 :
神も仏も名無しさん:2011/09/09(金) 20:45:46.70 ID:b5VNjqbg
ここにいるのは俺以外
もしかして、みんな自作自演なのか?
242 :
神も仏も名無しさん:2011/09/09(金) 21:02:24.43 ID:RwKc8gW6
悟ったか悟ってないかは
こっちも知識があるからある程度わかるのよ
いわば悟り業界の”目利き”みたいなもんだよ
「悟っているかどうか判断する」という視点は、おかしい
徹底的に問う において 「ここは問わない」という聖域(自分の考える「悟り像」とかの自分なりの正解肢)
というものを握ってスタート となってるから
今までにえた、知識も経験も礼儀やら態度やら常識やら、ぜーんぶ不要
ぜーんぶ徹底的に洗う っつー作業すっときに、この一個だけは洗わなくても良い は一切なし! なのよ
答え を持ってる奴ができるのは 探求 じゃなくて 答え合わせ なんですわ
245 :
神も仏も名無しさん:2011/09/09(金) 21:33:37.12 ID:RwKc8gW6
いざ悟ろうと言う場合はそうだろうが
ある人が釈迦伝来のいわゆる悟りを得ているかどうかを第三者が判断するには
判定者に釈迦伝来の悟りの知識が無ければ判断出来る訳がない。
万が一相手の悟りが釈迦を越えた悟りである場合も判定者が最低でも釈迦の悟りを知らなくては判定が出来ない
じゃ一番初めの釈迦はなんで 「釈迦の悟り」を知らない のに あなたにおいて 釈迦は悟った となれてんの
釈迦は 「釈迦伝来の悟り」を悟ったわけではないんじゃないの
釈迦がいつぞやにおいて悟ったことは何だったのか
その何か が
「釈迦の悟り以降にできて積み上げられていったもののこと」とかなら それで良いと思うけど
「その前からずっとそうで、そして今もある何かのこと」 だったときは 局面においては釈迦すら無関係 なんじゃないの?
247 :
神も仏も名無しさん:2011/09/10(土) 01:02:58.30 ID:dsWuVihT
>>243 >「悟っているかどうか判断する」という視点は、おかしい
>徹底的に問う において 「ここは問わない」という聖域(自分の考える「悟り像」とかの自分なりの正解肢)
>というものを握ってスタート となってるから
判りにくい文章だな。
「悟っているかどうか判断する」ことと
「聖域というものを握ってスタート」ことと、どう繋がるんだ?
そもそも何で君は1が悟ってるって思うんだい?
もしかして君の考えと1の考えが同じだったからかい?
248 :
ama:2011/09/10(土) 08:49:12.93 ID:SYDyNs24
>>185 私も五感、特に皮膚感覚が
自我(中心)を存在せしめている根源だと思っていました。
ところがこの皮膚感覚をよく見てみると分かるのですが、
皮膚感覚はただの皮膚感覚です。
それは、ただ、それ、だけ、のことなのですね。
問題は、その皮膚感覚を自我として関連付けている思考にあります。
皮膚感覚を境に内と外に分け、
内を自分、外を世界、と勝手に決め付けているのは誰なのか?
ということです。
249 :
ama:2011/09/10(土) 08:50:54.97 ID:SYDyNs24
>>185 そしてこのことに気づくためには、言葉やイメージ無しに、
それを、ただ、見てみる必要があります。
「誰なのか?」と書きましたが、「誰なのか?」と考えたのでは分かりません。
ただ、「誰なのか?」のような姿勢は必要です。
一切の前提を一旦脇に置いておいて確かめてみるということです。
「私には何も分からない」という姿勢で始めるということです。
>>248-249 どうも
おれも185どう答えようかなあって思いながら忘れてた
>>247 >そもそも何で君は1が悟ってるって思うんだい?
いろいろあるだろうけど 差し当たり、少なくとも問うにあたり聖域持ってないから かなあ
これをみて安易に じゃあ聖域持たない=悟ってる なのかよ とはならない
なぜならそういう人は「聖域持たない」を持ってるから
何も持たない は 何も持たない も 持たない
文字も言葉も思考も、目的も努力も意思も知識も ありとあらゆる何もかも を 持たない
>「悟っているかどうか判断する」ことと「聖域というものを握ってスタート」ことと、どう繋がるんだ?
繋がるかどうかしらんけどどっちも見えない前提を握ってる
変な前提2つ
1 そもそもこの問いがどういうものなのか分からない時点において その誰かが「判断できる」というものである としている点
2 それをその当事者が、既に発動地点において握り締めていながらも意識ができていない点
(自分自身の判断は正しい という根拠はないのに、暗にそこはセーフゾーンになってる)
繋がるといえば 悟る と同義に 今を認識する というのがあると思う
悟るというのは今の認識 のことかなあ と
今 をどうやって認識するか、できるか、ということ
生きる において 常に、そして今後も、今 しかない という中において
だから 今 を認識するということは =生きる とは何か、今を生きるとは ということにも繋がると思う
253 :
神も仏も名無しさん:2011/09/10(土) 15:41:35.00 ID:dsWuVihT
>>252 認識って何だい?
五感や皮膚感覚が刺激をただ感じているだけなのに
その刺激から何を認識すればイイの?
>>253 >その刺激から何を認識すればイイの?
「五感や皮膚感覚が刺激をただ感じているだけ」なのに
それ以外のもの(感じている「私」)が、もう既に(問わずの場所に)あるのはなぜだろう
それはなんだろう、それは本当にあるのか、あるとすればそればなんでそういえるのか
それはなんであるとされているのだろう、いつ、どのようにして出来上がっていったのだろう
それらはどのような特性を持つのか、それらの作用とはどういうものか
どのような影響があるのか、と
そして、こんなあれこれを「考えている」のは 「何」なのか
「考えているもの」が「考える」、「対象としているもの」は、
「考えているもの」とは別のものとしているが、それは「別のもの」といえるのか と
つまり手をつけてしまったこの 問い に対しての対処方法として
向き合った瞬間、無言で即、既にはじめから「問わず」に用いていたツール 「思考」
これに対して、問いに対しての接触→レスポンス(即思考) を根本的に見直すことを求められる
それはそもそも、この問いへの向き合い方として正しかったのか、と
そもそも「思考」(および思考により構築された物理的精神的構造物)
によって(をもって)太刀打ちできる類の問いだったのか と
257 :
神も仏も名無しさん:2011/09/10(土) 16:58:15.27 ID:dsWuVihT
>>254 >それ以外のもの(感じている「私」)が、もう既に(問わずの場所に)あるのはなぜだろう
そこまで考えてて、どうして「ある」って信じられるんだろう。
まあなんていうか「ある」とも「ない」ともせず
この状況は一体どういうことなのか とみてみる
>そこまで考えてて、どうして「ある」って信じられるんだろう。
「考えて」しまったら「考えているもの」が既にそこに「ある」から、
それはなんだろう、と(考えてみる→?)←このへんが
>>254-255のとこ
259 :
中益マン:2011/09/10(土) 17:23:51.48 ID:aQZpHKB8
アポロンは人望がなさすぎて革命家にはむいとらん。
本多正信みたいな参謀だったら力を発揮するタイプだろう
260 :
神も仏も名無しさん:2011/09/10(土) 17:24:32.68 ID:aQZpHKB8
間違えた。失礼
261 :
ama:2011/09/10(土) 21:23:14.62 ID:SYDyNs24
>>195 観察する対象は目の前のものに限定しない方が良いと思います。
262 :
ama:2011/09/10(土) 21:24:16.97 ID:SYDyNs24
263 :
ama:2011/09/10(土) 21:25:29.85 ID:SYDyNs24
>>226 > ・ama氏がここまでの境地に達しておきながら、何故「死に対する恐怖=生に対する執着」があるのか。
死に方によります。
痛いのとか苦しいのとかは嫌ですね。
その意味で死に対する恐怖というよりも、
痛みや苦しみに対する恐怖といった方が正しいでしょう。
そして、今のところ、
痛みや苦しみに対する恐怖は色々役に立っています。
264 :
ama:2011/09/10(土) 21:26:56.41 ID:SYDyNs24
>>226 > ・生命は死んだら終わりと言い切る根拠。
すべては私の創造物ですから、
私が消えたらすべてが消えます。
脳が無くなれば、私が存在するという思考がなくなりますので、
世界もなくなります。
そもそも私達が現在認識しているこの世界すら実際には存在していないのに、
死んだら世界が存在するようになるというのもおかしな話ですよね。
265 :
神も仏も名無しさん:2011/09/10(土) 21:34:55.39 ID:dsWuVihT
>>264 脳が無くても、意識や思考がなくても
存在は残るんじゃないの?
まあ、いずれ存在も世界に溶けるんだけど・・・
266 :
ZERO:2011/09/11(日) 00:39:00.19 ID:PCAq5Vts
こんにちは。1さんいつも丁寧にお答えいただきありがとうご座います。
さて、今、歩行禅を意識して一時間ほど外を散歩してまいりました。
しかし、本当に歩行に意識が行ったのはせいぜい15分程度で、何かの拍子にすぐに
観念イメージが生まれ、そのイメージを操作し、さならる観念を生み出し・・・何かの拍子で観念していることに
気がつき、また歩行に意識を戻す。と言うような感じです。
その間、車のライトなどが、道の看板とかに当たり、ピカッと光るのですが、その瞬間がなぜか人間が横切るように見えたりします。
それは幻想なのですが、一瞬人に見える訳です。途中に寺があり、寺の境内で水を飲み、帰ってきたのですが、墓場を横切ると、人が墓場の横に立っており
じっとこっちを見ているようなイメージをしているわけです。もちろんイメージですが、脳はある条件に対してそれに対応したイメージを自然に作り出します。
と言うようなことを考えて、また、歩行から意識がずれて、それに気がつき、歩行に意識を戻します。
これは歩行とは関係ない私の感想です。
歩行の感想の方が多くなくてはならない気がしますが、歩行を始めると観念は何故起こるのかと言うことをつい観念的に考えてしまうようです。
この場合、歩行そのものに意識を集中するべきでしょうか。
「歩行に意識を集中するにはどうすればいいか」とか「何故、観念は生まれるのだろう」と言うような思考も無い方がいいわけですか?
267 :
ZERO:2011/09/11(日) 00:50:29.58 ID:PCAq5Vts
歩行をしていると、その単純なリズムゆえに、変成意識状態になり、幻想世界に入り込みやすくなる。
歩行に意識が集中できないのは、まず、歩行そのものに意識を抽象世界に持っていくような作用があるからだと思う。
それと、観念が生まれて行く過程も観察した。
観念は、まず、自我意識が縁となって生まれる。
例えば、ふと、明日のことを思う、明日の自分を思う。すると他人との関係が思い浮かぶ、その関係に対処している自分が思い浮かぶ。
と言うような形で、幻想世界へといざなわれていく。
自分を意識すると、それに応じた幻想世界が生じる。
「2ちゃんねる」のあるスレの書き込んだ自分を意識すると、それに応じて世界が想起される。
つまり、「自我を意識したときに観念が生まれる」
歩行を意識すれば意識は足先などにある。
しかし、自我を意識すればそれに応じた観念世界が発生してくる。
そういう関係にあることがわかりました。
つまり、自我を意識しなければ、観念は生じないと言うことになります。
自我を意識しなければ「部長」もいなければ「近所の知り合い」も存在しません。
つま先だけ意識していれば、つま先が意識されています。
しかし自我を意識すると、2ちゃんねるが現れたり、同僚の顔が浮かんだり、友達の顔が浮かんだりするわけです。
268 :
ama:2011/09/11(日) 07:05:35.26 ID:ryfF9iYb
>>234 思考モードに入っているとき以外は悟っています。
観ることをやめて考え始めたとたんに悟りから遠ざかります。
鋭敏に観ている瞬間瞬間だけ悟っています。
悟りは、ある意味とても困難であり、
ある意味とて簡単なことだったりします。
分析したり、比較したり、分類したり、
などのようなことを始めると、
それはすぐに遠ざかってしまいますが、
ただ、シンプルに生きるだけで、
それはやってきます。
私の瞑想は普通の生活の中でただ観ることなのですが、
最近は、より鮮明に観えます。
269 :
ama:2011/09/11(日) 08:22:16.61 ID:ryfF9iYb
>>254 > 「五感や皮膚感覚が刺激をただ感じているだけ」なのに
> それ以外のもの(感じている「私」)が、もう既に(問わずの場所に)あるのはなぜだろう
長年の垢のようなものです。
何度も何度も繰り返し慢性的に、
それが自分であると自分に言い聞かせてきたわけですから、
ある日、私はいないと思い込んだところで、
どうしたって自動的に自分があるという結論が出てくるのですね。
普段気づいていない透明な思考のなせる業です。
ama様初めまして。
質問させてください。
無我を体感するためにどんな洞察?瞑想?手法がいいですか?
水が水の中で水に水を説明している
>>269 ども
>何度も何度も繰り返し慢性的に、それが自分であると自分に言い聞かせてきた
そうですね
そのミスりかた(どのように間違うか)は
>>184で記してみました
まずはじめに 即(問わずの場所に)、仮想の存在「自分」という、主体、見る側 を存在させ て、
それから「それ」が 見る、考える(とかその他の認識とか)とやってく ので 中々見えにくい
273 :
神も仏も名無しさん:2011/09/11(日) 11:29:31.31 ID:G0P8R4v1
1さんへ
1さんも悟りの境地を犠牲にして時には「考える」訳ですが、どんなときに考えるのでしょうか
そしてそれは精神機能の堕落としての価値しかないのでしょうか
それとも社会が正見、正思と言ってるように
正しく考える事は有意義な事だと言えますか?
また、正しく考えるとはどういう事をいいますか?
274 :
神も仏も名無しさん:2011/09/11(日) 11:30:13.01 ID:G0P8R4v1
社会が→釈迦が
275 :
神も仏も名無しさん:2011/09/11(日) 18:01:25.17 ID:PCAq5Vts
日常生活で、観察をするというのは、動作をいったん停止する必要がありますか?
それとも日常生活の動作を観察すればいいでしょうか?
掃除をしている場合など、ゴミを観察していれば掃除になりませんが、具体的にどのように観察していますか?
276 :
ama:2011/09/11(日) 19:04:00.08 ID:ryfF9iYb
>>265 物質を体験するためには体が必要ですよね。
何かが存在しているという認識自体が、
思考の産物なのです。
277 :
神も仏も名無しさん:2011/09/11(日) 19:08:13.86 ID:G0P8R4v1
意識抜きに存在はありえないということは科学的にも証明されてるからね
278 :
ama:2011/09/11(日) 19:17:24.17 ID:ryfF9iYb
>>266 歩行そのものに意識を集中すべきです。
どのような思考も邪魔になりますので、
無い方が良いです。
といっても無理に消す必要はありません。
ほおって置くと(気づくだけで)、
自然に消えますので。
歩行に対する観念、つまり解釈やイメージ、判断や結論といったものがあると、
その体験は実際のものとは別のものになってしまいます。
純粋にそれを行為するためには一切の思考が邪魔になります。
279 :
ama:2011/09/11(日) 19:19:32.31 ID:ryfF9iYb
コツは、瞬間瞬間を観ることです。
持続させてはいけません。
時間の経過は思考の得意とするところです。
一瞬一瞬の中に本当のものがあります。
一方、歩行にこだわるとこれまたいけません。
私は、悟るために、座って瞑想するとか、
わざわざ歩きに出かけるとか、
といった作為的な行為はあまりお勧めしません。
悟ることを目的としない行為の中でこそ悟れたりします。
得意先に行くために歩く、
買い物に行くために歩く、
といった生活に密着した行為の方が
悟りにはよっぽど役に立ったりします。
280 :
ama:2011/09/11(日) 19:21:06.81 ID:ryfF9iYb
悟るための方法があると、
それに引っ張られてしまい自由を失います。
私が自由であるときに悟りは訪れます。
ちなみに、悟りの中にあるときは、
悟りという概念も観念もありません。
悟りというもの自体意識していません。
ただシンプルに生きているだけです。
281 :
神も仏も名無しさん:2011/09/11(日) 19:24:08.80 ID:PCAq5Vts
では、それはただ生きているだけと何が違うのでしょうか?
普通に生活すること=悟りだとすると、9割方の人は悟っていることになります。
おれもさっきメシ後の皿洗いしながら思ってたんだけど
この悟りというのは、一周まわったらもともとの初めの地点に戻ってくる
それで悟ってないかというと、やっぱりそいつは悟ってる
んで悟ったやつと、悟ってない奴と、外面的に、行動的にどう違うんだ? ということだが、特に違いはないと思う
ただ、片方は、根本的なところで 迷ってない ということなのだ
だから悟った奴は超人的な力を持つとか、神通力を手に入れる、などというやつは何か勘違いしている
悟った奴だって、間違うし、解けない問題があるし、貧乏だったりもするし、ギャンブルやったり、女のケツ追っかけてビンタされたりもする
大いに普通の人間だ
283 :
偽イルミナティ:2011/09/11(日) 20:35:21.37 ID:YSgMa9J9
問題はamaって人に明確な体験が伴っていない
もしくは体験そのものを語れていない所にある
肝心な部分を自分自身でもぼかしながらしか話せていない
すんごく詐欺師っぽい
284 :
神も仏も名無しさん:2011/09/11(日) 20:44:01.69 ID:K1UdWRZA
>>276 >何かが存在しているという認識自体が、
>思考の産物なのです。
「存在」が残ると書いたのは
それ以外に書きようがなかったためで、
認識とは違います。
あなたが語れば語るほど、遠ざかって行くようで
とても残念です。
自分の理解や認識に合わないと
拒絶反応を示す人がチラホラ出てくるものですね
まず自分が持ってる「悟り像」と照らし合わせてそれにそぐうものであるかどうか とやってる
じゃあそのとき指標として既に自分が持ってる「悟り像」とはなんだろか
その指標 が 正解肢たる真の悟り? と、どうしていえるのか、、、(
>>227)
なんで 既に自分が手持ちを持ってるつーこと に対して なぞめき をもたんの?
徹底的に 相手 と 自分の手持ち をバトルさせるより
徹底的に なぜかもってる「自分の手持ち」の襟首掴んで詰問しつくす をした方がいいんでないの?(
>>232)
287 :
神も仏も名無しさん:2011/09/11(日) 21:08:02.11 ID:K1UdWRZA
>>286 >まず自分が持ってる「悟り像」と照らし合わせてそれにそぐうものであるかどうか とやってる
>じゃあそのとき指標として既に自分が持ってる「悟り像」とはなんだろか
>その指標 が 正解肢たる真の悟り? と、どうしていえるのか、、、
これって、そのままあなたの事だろ。
自分の「悟り像」と合っていたから、そこまで擁護するんだろ。
合わせる ためには あらなければならない
ない というもの に あわせられない
あわせられるなら、それは ある ものだ
ある というものは ない というものではない
ない というものに よっている というのは
何かに よっている とも よっていない ともいえる(
>>282)
290 :
偽イルミナティ:2011/09/12(月) 00:00:47.98 ID:YSgMa9J9
説明にならない説明じゃ説明じゃない
東電の対応にも似た悟り観だな
291 :
小林白蓮:2011/09/12(月) 00:04:08.80 ID:D9bJ+1gs
※悟りを開くには、そもそも「お釈迦様のように悟りたい」という高邁な高い志が
必要なのです。
「悟りたい」という志のない人は、悟ることは難しかろうと思います。
292 :
小林白蓮:2011/09/12(月) 00:29:31.88 ID:Q4RP9aV3
※大川先生の教えのお陰で悟りを開くことができたということであります。
悟りを開くとは、心の解放とは自由自在な心であって、限りなく純粋に
透明な心の無我なる心境の質を高めてゆくなかに、能動的な心から受動
的な心で瞬間瞬間の水鏡の純粋で透明な平静なる心の持続の中に至福な
永遠の今を感じてゆくことになります。
努力精進の果てに予期せぬときに、悟りを開くことになります。
降魔成道の魔と配下との水鏡の心の武器で耐え忍んでいるとき、魔や
配下は消え去り、段々と魂が上昇と自己拡大の中に、今までに味わった
ことのない感覚をもって宇宙大となったとき、長年「お釈迦様のように
悟りたい」という高い志が成就した瞬間の悦びでありました。
293 :
神も仏も名無しさん:2011/09/12(月) 00:35:06.60 ID:yaeLYWHY
ところでお釈迦さんだったらこう言うオカルト系マニアやカルト系信者が来ても論理的に諭して非を自ずから悟らせたようだが
こう言う芸当は1は余り得意じゃないのかね
294 :
神も仏も名無しさん:2011/09/12(月) 00:48:05.56 ID:OHq0gMDZ
>>293 本当に悟っていれば、自分の見ている世界や感覚をそのまま伝えることが
反論や諭しになるはずだけどね。
説明にならない悟りが悟りって話もある。
至高の体験をして、沈黙を守る。
悟りとはこうだって、前提的な状態を提示すればその観念に囚われる可能性もあります。
だから、釈尊は無記をつらぬいた・・・のかもしれない。
296 :
小林白蓮:2011/09/12(月) 11:05:08.61 ID:C9KDfFc6
※大川先生の教えでは、お釈尊様は、一生涯の間に、八万四千の悟りの法門を弟子
達に直説金口で説かれています。
お釈尊様入滅後、口伝の伝承によって弟子から後代の弟子へと伝えていった歴史
があります。
「無記」は、修行を放り投げ、心を欲望の自由で怠惰に錆びつかせていた方が、
お釈迦様に対して質問した内容が「宇宙について」のような質問で、質問した
相手の心を見れば、光なく穢れていたことを六大通力で瞬時に見抜き、自らの
仏道修行を放り投げている者に、悟りの奥義は教えるわけにいかないので、
毒矢の例えとも絡みますが、質問者自らの心を正すのが先であるという意味
で、お釈迦様はその質問者に対して何も言わなかったということです。
それが、お釈迦様入滅後、後代の弟子から弟子へ口伝伝承していましたが、
その後、古代の仏典に「「無記」と書き込まれたように推察いたします。
ちなみに、大川先生は、経典書籍を700冊以上を超えて、質的な内容にあって
は、お釈迦様の八万四千の悟りの法門を超えているという推察いたします。
テスト
299 :
294:2011/09/12(月) 13:00:43.31 ID:N+CMgCi8
「そういうもんだ」=
>本当に悟っていれば、○○になるはずだ
301 :
本当にあった怖い名無し:2011/09/12(月) 18:54:22.13 ID:RCbCHS8s
>1さんへ
・人生で、あらゆる感情は捨てて理性だけで判断し行動すべきだと思いますか?
・悟ると「何が」終わりだと思いますか?
・世の中の苦しみを、自分の内面に常に顧みてしまいますか?
その場合、対処されますか? やはりただ観るだけですか?
・悟りを説くことで他人が悟ることは可能だと思いますか?
・悟りの体験の前に非常な「苦痛」はありましたか?
・悟りはある意味危険であったと思いますか?
いっぱい質問してすみません。
基本的になんもないことをなんかあるように説明しろといわれても難しいわな
303 :
ama:2011/09/12(月) 20:33:54.40 ID:vSj/2rRu
>>270 生活の中でありとあらゆるものを観ることです。
自分の思考に気づくことです。
自分の体を感じてみることです。
視覚や触覚などの五感を一切の思考無しに
ただただ感じてみることです。
そためには、鋭敏である必要があります。
瞬間瞬間に意識を向け、とどまらないことです。
一方、手法にこだわらないことも大切です。
鋭敏であれば手法にこだわることもありません。
無我という観念に気づいてみることも役に立ちます。
自分が無我というものにどのようなイメージを持っているかに気づき、
それを手放します。
304 :
ama:2011/09/12(月) 20:47:20.37 ID:vSj/2rRu
>>273 生活をするためには色々考えなければなりませんよね。
「洗剤を買っておかなきゃ」という思考はとても役に立ちます。
その意味で、計画を立てたり物事を比較・分類したりする必要のあるときや、
特に仕事をしているときなどは、たくさん考えます。
また、このスレのようなやり取りでは、
言葉にならないことを無理に言葉で表現しようとするわけですから、
出来るだけ正確に誤解の無いようにと弱い頭を悩ませております。
思考を道具として使う分には精神衛生上の問題はありません。
価値判断などによってその思考に引っ張られ自由を奪われることが問題です。
305 :
ama:2011/09/12(月) 20:48:33.44 ID:vSj/2rRu
自分を楽にする思考は有意義だと思いますし、
それは正しい思考と言えるでしょう。
たとえば、マイナス思考の人がプラス思考に切り替えることに成功して、
見違えるように生き生きし出したとか、
プラス思考でもダメなときに、
ゼロ思考に切り替えて肩の力が抜けたとか、
とかとか・・・。
思考を道具として使いこなせているか、
その思考に引っ張られていないか、など、
つまりは役に立っているか立っていないかが
判断のしどころだと思います。
思考による、精神の開放は、
限界はありますが一定の効果もあります。
そしてこの限界を超えることを
悟りとか覚醒とか言ったりするんですよね。
306 :
ama:2011/09/12(月) 20:54:08.93 ID:vSj/2rRu
>>275 動作をいったん停止する必要はありません。
日常生活の中での動作や思考を観察します。
観察は一瞬です。
ゴミを見つめているときは、ボーっとしているか、
考えているかのどちらかではありませんか?
どちらも観察ではありません。
私の申し上げている観察というのは、
初めて見るような姿勢で言葉無しにイメージ無しに、
一切の前提無しに、それを観るということです。
そして、ゴミを、前提無しに観ると、
とんでもないことに気づいたりします。
ただし、何かを得ようとして観察すると、
得たいものは得られなかったりもします。
307 :
ama:2011/09/12(月) 20:55:56.74 ID:vSj/2rRu
>>281 悟ると生きるのがとても楽になります。
9割の方がそうなら、こんなに素晴らしいことはないと思いますよ。
308 :
神も仏も名無しさん:2011/09/12(月) 21:41:12.15 ID:yaeLYWHY
じゃあ「悟り」よりも場合によっては「思考」の方が凄いというケースもありえる訳ですね
思考には「原子爆弾」を開発したり「宇宙の起源」を突き止めたりすることも可能な訳ですから
すると「悟り」だけではなくて「思考」も同じ位「偉い」のではないか
悟りと思考は同格でありそれぞれを伸ばして行く必要があると
アインシュタインと釈迦どっちが偉いかみたいな話で、どっちも偉いという結論になるわけです
309 :
神も仏も名無しさん:2011/09/12(月) 21:51:17.97 ID:yaeLYWHY
思考の超人アインシュタインと悟りの超人釈迦を兼ね備えた人物が居たら、さらなるスーパー超人ということになりますね
ユングがタイプ論という性格分析の著作を残してますが、それによると釈迦は直観の達人
アインシュタインは直観−思考タイプだと思います。
アインシュタインが釈迦ばりの直観力を持ってたら量子論を超えるような新理論を完成させていたかも知れないし
釈迦がアインシュタインばりの思考力があれば
あの時点で原子爆弾や原子炉が開発され、電気文明が成立していたかもしれない
310 :
神も仏も名無しさん:2011/09/12(月) 22:08:49.45 ID:OHq0gMDZ
>>306 ゴミは前提無しに見ると、そのまんまのゴミじゃないの?
311 :
神も仏も名無しさん:2011/09/12(月) 23:01:21.82 ID:yaeLYWHY
ゴミって観念だよ
経済的効用があるかないかで区別されるんだから
例えばよく2ちゃんねるで「おれってカスだな」「死ね屑」とか言ってるが、経済的効用を自分に当て嵌める事に慣れすぎてるんだよ
前提(社会的洗脳)無しに見たら、屑どころか宝石だったということは有り得る訳です
312 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 00:37:53.49 ID:DOmmnVJE
>>311 ゴミは観念だって分かってるけど、
観念抜きで表現するときは何て言えばイイ?
もちろん宝石も観念だよね。
313 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 00:39:58.07 ID:+CXWe88O
「空」だね。
宝石も沢山あれば石ころだしゴミだからね
314 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 00:41:19.92 ID:DOmmnVJE
「偉いかどうか」ではなく「思考には思考のポジションがある」 それだけのこと
むしろ なぜ既に「どっちが上か」という尺度をもってたのか、をみてみては?
316 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 02:25:02.68 ID:SDyXf2Nv
偉いってあくまでも便宜上の表現ですよ。
悟りの方が偉いと言う価値観を批判する為にそう書いている訳
317 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 09:50:54.46 ID:6aj5rXXm
>>1 痛みも幻想と分かってるのに何故それを嫌がるの?
悟りにはレベルがあり、まだ浅いってこと?
仏陀→悟りを開いた、空海→悟りを開いた、この両者とも悟りを開いた後もただの凡人で有る事は
有りえないと思うしただ自分の気持ちを満たせただけだとは思わない。天満宮で願掛けができたり、
寺では護摩での祈祷が出来たりする事から考えると、悟れば寺などで使う何かしらの力が手に入ると
思ってる、それが悟りだろう。
1さんはまだどんな力も持ってはいないようだから、悟りにはやはりレベルがあるんだと思う。
天満宮や寺に行きときに願掛けをする事があるような人であるならわかるだろう。本物の悟りは寺や
天満宮など祈るところにある。
319 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 11:42:30.52 ID:ozrQ7lTE
結局、意識上の悟りなんだよなあ。
320 :
小林白蓮:2011/09/13(火) 11:52:42.55 ID:rooOP7YY
>>319 >結局、意識上の悟りなんだよなあ。
※形而上の悟りですね。
321 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 13:21:38.36 ID:+CXWe88O
意識上じゃない悟りってどんなんよ
催眠術や夢を見て悟った神秘体験だと言っても
それは催眠術であり夢に過ぎないよ
322 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 16:13:51.92 ID:ozrQ7lTE
>>321 自己は意識の有る無しに関係なく存在する。
意識の無い状態でも自己は「ある」のです。
分かりにくいのでアンカー付けて下さい。
323 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 16:24:20.78 ID:ozrQ7lTE
>>320 形而上の悟りについては書き込んでないよ。
324 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 16:25:59.50 ID:+CXWe88O
意識のない状態の自己をどうやって認識したんだよ
もし体験したというならそれも意識があるからだろよ
325 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 16:27:06.58 ID:+CXWe88O
形而上の意味がわかってないんじゃないの小林は
326 :
小林白蓮:2011/09/13(火) 16:35:31.10 ID:VvvDqlbJ
>>321 ※大川先生によれば、肉体にまつわる自己の意識ではなく、霊的認識に
立つ意識であります。
多くの悟りを求める方々は、肉体にまつわる自己の意識にとらわれるから
見当違いになるのです。
肉体の五感が伴うところの自分という意識ではなく、神仏やあの世や霊を
実在と直視する霊的認識に立った高次な意識が悟りということです。
ですから、この世のみに価値観をおいている考え方を捨てなければなら
ないということです。
白紙の心で大川先生の教えである仏法真理を学び、仏法真理の実践を
積み重ねつつ、過去に成した過ちの反省と、未来へ新生する誓いでも
あります。
それが、悟りを探究し努力精進する前提となります。
327 :
小林白蓮:2011/09/13(火) 16:38:18.94 ID:VvvDqlbJ
>>325 ※あなた様のお考えの形而上の意味とは何でしょうか?
328 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 17:04:21.49 ID:ozrQ7lTE
>>324 >意識のない状態の自己をどうやって認識したんだよ
認識は意識や思考がするもので、意識のない状態では認識は無いでしょう。
ここで質問なのですが、あなたは自分の存在を自分の認識によって確認しているのですか?
自分の存在は認識しなくても確認できるでしょ。
329 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 17:26:21.30 ID:+CXWe88O
いや確認出来ないでしょ
確認という作業がそもそも認識能力を前提しているのだから
330 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 17:33:30.11 ID:ozrQ7lTE
>>329 >いや確認出来ないでしょ
自分の存在が分からないってのは、ちょっと問題ですねえ。
331 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 17:41:01.00 ID:+CXWe88O
わからない人もいるのさ。それを自己を見ない人。つまり認識を無視する人だな。
332 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 17:43:03.00 ID:ozrQ7lTE
333 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 17:45:25.55 ID:+CXWe88O
じゃあ君は自己の存在をどうやって確認したの?
334 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 17:46:40.90 ID:6vPXwI4L
特に質問は無い
335 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 17:49:24.08 ID:ozrQ7lTE
>>333 確認するも何も、ここに「いる」じゃないですか。
336 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 17:53:25.90 ID:+CXWe88O
それは貴方が意識するから「いる」んでしょう
337 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 17:56:24.23 ID:ozrQ7lTE
>>336 それが不思議な事に意識しなくても、ここに「いる」んですよ。
338 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 17:56:59.09 ID:+CXWe88O
意識してるじゃんw
339 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 18:04:26.41 ID:ozrQ7lTE
>>338 なんだ、それだけかよ。
センス無いなあ・・・・・・
340 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 18:08:31.50 ID:+CXWe88O
それだけかよって君全然論破出来てないじゃん
「すいません。私が間違ってました。おっしゃる通り意識抜きに存在はありません」と言えばいいだけの話しだよ
そうじゃないというなら反論を出しなさい。
341 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 18:14:04.74 ID:+CXWe88O
もし君が人間の意識と無関係に存在者が存在する事を証明出来たら仏教論理も量子力学も崩壊するし
今年のノーベル賞受賞は間違いないだろう
自己がどうのという議論が続いているみたいだが、ただ単に、
1.意識+無意識=自己
とするか、
2.意識=自己
の違いでしょ。意識を「生きている間」、無意識を「死んだ後」に置き換えてもいい。
どっちが正しいかなんてわかるはすがないよ。
というかおそらく、見方によってはどっちも正しいし、
間違いでもあるってだけのことだろう。
悟りってのは「いつでも死ねる状態にある」というのを言うんじゃないの?
全てを見通せる力(智慧)を持つとか、幸せの状態にあることを言うんじゃないと思うよ。
実は俺もちょっぴり悟ったような気はしてるんだが、たぶん間違いではないと思う。
俺が悟ったんじゃねぇかって思ったのは、骨壺にオヤジの遺骨と遺品を納めたときだな。
ああ、死んだらなんも残らねぇんだなあと。
その瞬間、夢や希望、それに絶望なども全部消え失せたよ。
これがいわゆる空という状態なんじゃね?
いつ死んでもいいという状態になると、基本的に恐怖っつーもんがなくなる。
誰かに殺されようが、あるいは誰かを殺そうがどうでもよくなるんだよね。
ただし、ここで誤解しないでほしいのは、恐怖と苦痛は違うってこと。
恐怖はなくても、誰だって敵に捕まって、自殺できない状態で拷問を受けるようなことになったら、
そりゃー嫌だろうよ。
344 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 19:10:22.43 ID:DOmmnVJE
>>340 論破しなきゃならない理由がないからなあ。
君の理解が正しかろうと間違っていようと俺には関係ないしね。
君の理解が正しければ君は悟るだろうし
君の理解が間違えていれば君は悟れない。
どっちに転んでも俺には関係の無い話だからね・・・
345 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 19:35:47.77 ID:MeH3YCQ7
346 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 19:41:50.26 ID:DOmmnVJE
>>341 >もし君が人間の意識と無関係に存在者が存在する事を証明出来たら仏教論理も量子力学も崩壊するし
>今年のノーベル賞受賞は間違いないだろう
その前に、意識が存在することを証明する方が先じゃない?
量子力学は専門外なので知りませんが
仏教理論はヒンズー教によってすでに
崩壊しています
ヴェーダーンタ派の余裕の勝利宣言です
釈迦も竜樹も過去の人です
348 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 20:11:41.59 ID:+CXWe88O
つか何で根拠を言わないで勝利宣言だけするんだろうな
ちなみにベータンダ哲学の何が仏教に勝利したの?
根拠は私の信仰ですというのは無しな
>>345 いや、鬱状態とは完全に違うよ。
別に、悲観してるわけでも死にたいわけでもないし。
望みなんてなくなるんで、望みが叶えられないからといって悲観する必要もないし。
鬱の場合ならセロトニンだかノルアドレナリンなどの不足が原因らしいから、
悟りを開くよりも病院に行ったほうがいいだろうけどね。
空の状態になったからといって、楽しいことが楽しくなくなるわけじゃないよ。
美味しいものを食べたら美味しいと感じるのはごく自然なこと。
とにかくこの感覚はなってみないとわからんと思うよ。
勉強したり、修行をしたからといって得られるもんじゃない。
逆に、何もしてないのに、いきなり「悟る」ことはあるだろうね。
意図的に悟りたいのなら、いつでも死ねる状態を作ればいいんじゃないのかな。
所有物や趣味のこだわりをなくす(つまり捨てる)とか。
ヴェーダーンタ派の見解を自分で学びましょう
他人に依存はダメです
351 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 20:54:05.86 ID:+CXWe88O
じゃあ君は仏教を学びなさい。その上で論評しなさい。
352 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 20:57:35.38 ID:+CXWe88O
どうせシャンカラだの二流の哲学者を持ち出してアートマンは永遠だの低レベルなオカルトを述べるのだろうが
それはもう仏教に完全に論破されている
353 :
ama:2011/09/13(火) 21:36:58.44 ID:3Ea0e2C2
>>301 > ・人生で、あらゆる感情は捨てて理性だけで判断し行動すべきだと思いますか?
まったく思いません。
> ・悟ると「何が」終わりだと思いますか?
古い自分が終わります。
> ・世の中の苦しみを、自分の内面に常に顧みてしまいますか?
常にではありませんが、
世の中の苦しみの原因を自分の中に見つけることはあります。
> その場合、対処されますか? やはりただ観るだけですか?
自分に出来ることは行動に移します。
> ・悟りを説くことで他人が悟ることは可能だと思いますか?
悟りの説法を聞くこと自体で悟りを得ることは出来ませんが、
それがきっかけになるという意味では可能だと思います。
> ・悟りの体験の前に非常な「苦痛」はありましたか?
精神的な苦痛は通過しました。
> ・悟りはある意味危険であったと思いますか?
特に危険は無いと思います。
355 :
本当にあった怖い名無し:2011/09/13(火) 21:56:40.77 ID:vCYfjiaJ
自分の時計だけは正確だと思ってるのがうじゃうじゃいるね
ここもだめだな
釈迦も竜樹も三流弁士だよ
そんなヤツラのたわごとはもう論破されてる
学ぶ気もせんな
ここもだめだな
ここもだめだな(ケラケラ)
史ね
357 :
ama:2011/09/13(火) 22:23:37.76 ID:3Ea0e2C2
>310
前提とは「○○である」のような結論のことを言っています。
つまり過去に得た情報ですね。
ゴミの記憶無しにゴミを見たとき、
それは未知のものですよね。
ということは・・・
たとえば記憶の無い赤ん坊が世界を見たとき、
どのように見えるのでしょう?
物の存在を認識することは出来るでしょうか?
奥行きを認識することは出来るでしょうか?
そしてこのことから私には何が分かるのでしょう?
>>349 すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。
つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度(強さのニヒリズム、能動的ニヒリズム)。
虚無主義?
360 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 22:33:25.30 ID:DOmmnVJE
くだらんな
ブッダ、竜樹、キリスト、マルクス
なんとみごとな糞のかたまりよ・・・
いつまでこんな前世期の遺物から甘い汁を吸おうとしてるやら
全員逝ってよし
こんな俗物どもをいっさい相手としない漢はいないのか?
やはり日本人は死んだほうがよい
>>343 >悟りってのは「いつでも死ねる状態にある」というのを言う
ちがう
>実は俺もちょっぴり悟ったような気はしてるんだが、たぶん間違いではないと思う。
まちがい
>意図的に悟りたいのなら、いつでも死ねる状態を作ればいいんじゃないのかな。
やくざ
>所有物や趣味のこだわりをなくす(つまり捨てる)とか。
しなくていい
>>361 それで師とする人は見つかったのかい?麻原彰晃とか言うんじゃないのか
元オウム信者とか
>>361 こんな俗物どもをいっさい相手としない漢はいないのか?
やはり日本人は死んだほうがよい
なんで日本人は死んだ方がよいという答えに至るのか唐突すぎてその思考がわからん
良くはわからないけれど
自分への嫌悪感をここにいる人に求めてるんじゃないかな?
>>365 自分への嫌悪感をここにいる人に求めてるんじゃないかな?
よくわからないけど、嫌ってあげればいいの?
367 :
270:2011/09/13(火) 23:31:30.33 ID:5W1oZOr1
ama様、ご回答ありがとうございました。
>>357についてですが、赤ちゃんが世界を認識するとき男女の区別とか自分と母の
区別とかしない。
例えば、分娩室で目を開けた赤ちゃんはその部屋の印象を名前で区別せずに一枚の絵の
ように認識する。その風景画には自分も溶け込んでいる・・・
そんな感じのことを仰ってるのですか?
>>366 ごめんなさい なんだか訳のわからない文になっていますね。
>>361は
かまってもらいたがっている、そしてかまってもらった人を否定することで、自己を保とうとしている。
とまぁ書き込んでみましたが、なんだかどうでもよくなったのでおいとまします。
>>367 >記憶の無い赤ん坊が世界を見た
これは 今すでに全員そうだ といってる
(270、今あなたも記憶の無い赤ん坊と同じだ、と)
記憶とは何か
記憶とは過去だ、過去とは何か
過去 とは 思考の産物である自我 の「思考」の中にしか存在しないものだ
では今とは何か、今とは常にあって、これからもそれしかないものだ
では今 を 過去の産物である自我 が認識できるか できない
過去の産物である自我 ができるのは 常に 過去(記憶=自我)を介した地点からのアプローチだけだ
では 今 を認識するにはどうしたらいいか
過去の産物である自我 を介すな ということ
記憶の無い赤ん坊 とは 今を認識する人 のこと
今 の中に 過去というフィルターを介さずに ただ 出会ってみたらどうか といってる
そうやってそれを見てみたらどうか と
そのときは、過去を背負ってアプローチしていないので全てが新しい(当たり前)
そういうとき、過去の蓄積である自我 が存在していない
ゆえに、自我が持つ「ツール」であり、「生みの親」だった「思考」もない
ということは、「思考」の作り上げたありとあらゆる精神的構造物(主義、悟り像、記憶、経典、修行、理想、、、)
これらは一切何もない
さかのぼって
>>343 >悟りってのは「いつでも死ねる状態にある」というのを言うんじゃないの?
よってこれは間違ってる
「死ぬもの」が ない ので 死ねない
372 :
270:2011/09/14(水) 00:10:24.99 ID:9YXqfksR
>>370 そこらへんは理解しています。
でも、ありがとう。
373 :
270:2011/09/14(水) 00:18:14.33 ID:9YXqfksR
>>371 でも、いつでも死ねる状態であって、マイナス思考がなければ、悟りに近いと思いますよ。
あとは、自分が「誕生した」って誤った見解を打ち破れば預流果には至れるような気がします。
374 :
神も仏も名無しさん:2011/09/14(水) 00:26:40.57 ID:pjSROAIn
論理的な思考をこねクリ回しても悟りには届かないよ。
「いつでも死ねる状態のもの」 とはなんだろうか
なんで そこ に それ があるんだろう
>>374 これこれこういう方法だと届く、という「正解肢」があると?
その先で得られるのは、「その正解肢に到るために作り出されたもの」
がいざなった「とある一定の形式により導き出されたもの」では?
それは、「悟りが何なのか分からない人」が、「これが悟りです」といわれて、
なぜか(その「分からない人」が)「そうだその通り、それが悟りだ(「悟りが何なのか分からない人」が答えを決めた)」となり
「その悟り」をより深く知識・体験として構築、「学習」をしている図 では?
(「なぜ」そんなことを自分がしているのか(求めているのか)突き詰めて考えてみるといい、と思う)
しかし、悟りとは何なのか「探求」する場合、そうはならない
なぜなら「悟りが何なのか分からない人」は「分からない」から
377 :
神も仏も名無しさん:2011/09/14(水) 01:42:30.37 ID:pjSROAIn
>>376 悟りを探求している時点で道を間違えているよ。
>>377 いわれてみると確かに・・・なんつったらいいのかな?
>>375 「いつでも死ねる状態」ってのは、希望・願望や絶望のない状態、つまり、
「やりたいことをすべてやり終えた状態」と一緒でしょ。
ただし、いつでも死ねる状態だからといって、死にたくなるわけじゃないし、
死のうとも思わないよ。
じゃあ、なんで生きてるのかといえば、それは「自分を求める人がいる」、
あるいは「自分を求める人がいるかもしれない」から。
生きているというより生かされてるという表現のほうがいいかもね。
結局、悟りを開いた人の行き着く先は、衆生が求める存在、
つまり神や仏のような存在になるんだよ。
381 :
神も仏も名無しさん:2011/09/14(水) 09:23:39.41 ID:20ERBfNV
>>380 正しい道っていうモノは無いよ。
そもそも、悟りがどこから起こるのかも含めて、
悟りが何かみんな良く分かってないからね。
でも、ヒントとして・・・
自分の外に有るもの(世界・観念・概念・言葉等)の中には自己は無いよ。
自分の中に有るもの(思考・感情・意識・想念等)の中に自己は無いよ。
全てを味わい尽したら、もう戻る意味も無くなる。
不毛な争いも必要なくなる、飽きるまで味わえばいいよ。
誤爆しました。
>>379 「いつでも死ねる状態とは何なのか、どのような状態のことか」
という質問ではなく
いつでも死ねる状態 「のもの」 が暗に認められているが
なんで そこ に それ があるのか てことね
「自分を求める人がいるから生きてる」?
何かに「求められている」というのは、「求められている」というだけ なのに
それが「だから死なない」とか「生きる理由」 などに変換されているのはなぜだろう?
「他人からの評価やニーズの重要度」を不自然に高めているのはなんでだろう?
人から一切求められていないということは、生きる価値がない ということなのだろうか?
なぜそういう考え方をするような、とある価値観の尺度 を自分は握り締めているのだろうか?
この尺度に基づいた先にある、悟りや神や仏?などは、
やはり、それらを最高潮に成し遂げているスーパースターとして描かれている、、、
それが、「その尺度が描き出す」、「その尺度による答え」となっている
ところでそれはともかく「なぜ」そんなことを自分がしているのか(求めているのか)
突き詰めて考えてみるほうがいい、と思う
「きみが持っている価値観の尺度」を否定している、という話ではなくて
どうして、自分はこれをもっているんだろう、と考えてみませんか?ということね
それにより導き出されたものが、間違っているかどうか、ということについては
「その尺度で測れば、間違っていない」し、「別の尺度で測れば間違っている」になる、となる(当たり前にそうなる)
だから1000も2000も価値観の精度を比較しあうことに意味はない
持ち寄った価値観、尺度 の精度がどれだけ高いか、ではなく
なぜ、自分が、とある価値観の尺度を持っているのか?ということに注目していく
そうあること、それを肯定したるものはなにか、なぜそれはそうしているか と
>>384-385 そういうくだらないことは考えるだけ時間の無駄。
ま、知ることが悟りだと思ってるんなら、死ぬまで考え続けたらいいんじゃないすかね。
その手の答えは絶対に出ないけどね(あるいは既に出てる)。
哲学的な問いみたいなのは嫌いなんだよね。知の限界を知ろうとしない。
数学や物理などは、本質的に証明できないあるいは確定できないことを認めたからこそ、
飛躍的な進歩を遂げたわけで。
限界を知らない限り、先はないよ。
387 :
ama:2011/09/14(水) 23:50:03.63 ID:FlscDUEZ
>>317 痛みを避けることは体を守るために役に立つからです。
もちろん必要以上に恐れることは役に立ちません。
そこに葛藤があるかどうか、
自分を苦しめるかどうかで分かれます。
388 :
ama:2011/09/14(水) 23:52:14.83 ID:FlscDUEZ
私が申し上げている幻想というのは、
私が創り出している、という意味です。
私がいるからこそ、その痛みはあるのだ、という意味です。
私は、存在しておらず、同時に存在していますので、
痛みは、幻想であり、同時に現実なのです。
悟りは、観るか観ないかですから、
そこにはレベルはありません。
ただ、選択だけがあります。
気づいていない人は気づきたくないだけなのです。
389 :
ama:2011/09/14(水) 23:58:43.00 ID:FlscDUEZ
>>367 はい、赤ん坊には、自分/自分以外、という区別がないと思われます。
動きとか変化といったものが認識できず、一瞬だけを認識していると思われます。
ですからおっしゃる通り、見えるものは1枚の絵のように見えていることでしょう。
名前も持っていませんので輪郭で区切ることもしておらず、
その絵は意味不明の抽象的なものであると思われます。
390 :
ama:2011/09/15(木) 00:01:14.56 ID:FlscDUEZ
そもそも自分という観念を持っていませんので、
絵の中に溶け込んでいるとも言えるでしょう。
そして、もし、私が、世界をそのように観るなら、
面白いことに気づいたりします。
>>386 「そこは問うてはならない」が ない という設定は苦手?
圧倒的にバーリトゥードゥよ?
392 :
神も仏も名無しさん:2011/09/15(木) 00:20:57.59 ID:svlxUL9E
>>389 これって想像で書いてるんだよね?
無意味じゃない?
393 :
270:2011/09/15(木) 00:31:11.28 ID:4jRfUIdY
>>390 もしかしたら、世界が世界を見てる?ですか?
394 :
神も仏も名無しさん:2011/09/15(木) 01:23:30.07 ID:svlxUL9E
自分なんていない
そのことを理解すれば、自分なんて向こうからやってくるっす
>>388 質問なのですが、
悟った後でもテレビを見たり小説を読んだりするんですか?
あるいは、趣味がなくなるようなことはあるんですか?
普段の生活はどのようなことをなさっているのでしょうか。
教えていただけるとありがたいです。
397 :
神も仏も名無しさん:2011/09/15(木) 08:19:26.23 ID:mRvERCnz
解放された気分です
398 :
神も仏も名無しさん:2011/09/15(木) 11:00:12.08 ID:CpTHl1YV
>>1 多くの人が悟れないのは、
悟ることにより個を超えた大きな苦しみが見えてしまうから
だと思うんだけど、どう思いますか?
399 :
神も仏も名無しさん:2011/09/15(木) 11:14:07.99 ID:ZC+SCyP2
>>398 自分の殻を打ち破るのが難しいからだと思うよ。
>>398 >個を超えた大きな苦しみが見えてしまうから
「個を超えた大きな苦しみ」を「見ている」のは(そうしている主体とは)、過去が構築した自我
今(悟り) において、過去が構築したもの は存在しない
>>398 むしろ、個を無くすことを、苦しみとして感じてしまうからではないでしょうか
ほんとうは個が無くなれば、苦しみも消える
個の意識が苦しみを作り出すからです
例えば、寝ているときは、苦しみはないでしょう?
要するに、自分で作り出した苦しみに苦しんでいるのが、人間です
それを、理解するのが、見性
それが理解できると、苦しみは苦しみではなく、成長の糧となっていることがわかる
そうやって、理解が進むと、それは、向こうからやってくる
だから、まずは、自分を知ることです
402 :
神も仏も名無しさん:2011/09/15(木) 13:30:41.97 ID:ZC+SCyP2
>>401 >だから、まずは、自分を知ることです
あなたにとって「自分」とは何ですか?
>>401 >苦しみは苦しみではなく、成長の糧となっていることがわかる
苦しみは苦しみ 成長の糧ではない
もし苦しみが苦しみではなく、成長の糧だというなら
その2つの間に 変換を行っている何者かの介在 があることになる
その 介在にとって は、苦しみは成長の糧 となっているのだろうと思う
では、そこに存在している その変換を行った介在 とはなんだろう
また、なぜそれはそこでそんなことを行っているんだろうか
>>402 ここで、いう自分は、思考かね
>>403 例えば、苦しみを苦しみとして認識しなければ、乗り越える必要はないよね
苦しみを感じるからこそ、生きる知恵を知る
全て自分で、作り出した苦しみ
その働きは一般的には、自我と呼ばれるものかな?
>>404 >苦しみを苦しみとして認識しなければ、乗り越える必要はない
苦しみを苦しみとして認識 「したとしても」 「乗り越える必要」 が ある のだろうか
なんで 「苦しみ=乗り越えるもの」 という設定がそこにあるのだろう
403でも質問したけど答えてもらってないのが、なんで「そのままのもの(今回は「苦しみ」)」に何か手を入れようとするものがあるのか
そこに存在している その変換を行った介在(手を入れているもの) とはなんだろう
また、なぜそれはそこでそんなことを行っているんだろうか
406 :
神も仏も名無しさん:2011/09/15(木) 15:07:28.35 ID:1q4bokTg
悟りを開くと何が変わるのでしょうか
>>405 そうだね、苦しみは乗り越える必要はない
なぜなら、生み出した本人が苦しんでいるのだから
それに気づかなければ、乗り越えたとしても、また、新たな苦しみを作り出す
それは、一生つづく
だから、その設定が、苦しみの元とも言えるね
では、なぜ、そういう仕組みが働くのか?
それは、しらん
もっと、知ってる人に聞いとくれ
その仕組みの名前は、我だと思うが
>苦しみは乗り越える必要はない
そうではなく、苦しみに対しての判断が「いかなるものであろうとも」、
「事象a(今回は苦しみ)」 に対し ある何かが、手持ちの尺度を用いて何らかのジャッジを下す、という構造
判断をx、結果をb(成長の糧)とすると ax=b この 構造自体そのもの に対しての疑問だった
a=a では?と そこにおいての介在(判断x)とは何か と
>>409 a=aの場合苦しみは生じない
例えば、貧乏=貧乏という認識は、苦しみの入る余地はない
貧乏は、貧乏であって苦しみではない
では、なぜ貧乏=苦しみが成立するのか、と言うと、そこに、自分が介在するから
貧乏×自分=苦しみ
となる
だから、自分というものを知れば、結果は自由自在ということ
成長の糧にするのも、苦しみにするのも、自分しだいってことだ
さらに、その自分というものが、何なのかを見抜けば・・・
おっと、誰か来たようだ。。
>結果は自由自在ということ
しかしこれはあくまで 結果は自由自在ということだ ということに「することができるよ」としている わけで
もとにあるものは 貧乏=貧乏 であること に変わりはない
「貧乏」は、やはり一歩も動かずそこにそのままある
「貧乏」に対し、別の異なる解釈の「介在」を入れてネガをポジに捉える が可能だ ということではなく(ちなみに可能と思う)
そんでその結果が良いか悪いか ということではなく、「そのような構造から出された結果のいかなるものにも疑問」 という場合
その人は、その根本構造 をまな板にのせる のではないだろうか
これは一体全体まとめてひっくるめてどういうことだ、一体なにをしているんだ と
>>411 その通りだよ
どうにもできないことがわかったら、
自分をまな板の上にのっけて、食べてしまえばいい
413 :
神も仏も名無しさん:2011/09/15(木) 17:52:46.46 ID:PhFqD6Ys
スレ主は凄いと思います。
感情や思考などの概念による混乱を脱しておられますから。
ですが
>>226 > ・生命は死んだら終わりと言い切る根拠。
すべては私の創造物ですから、
私が消えたらすべてが消えます。
このあたりに、思考や感情に巻き込まれないのは、もう単純に体にだけ巻き込まれ、
体によって自我というものが形つくられているからではないかと思います。
どちらにせよ大部分の混乱から脱せられ、悩みなくこの世に対処してゆく知恵をユーモアたっぷりに伝えるスレ主の
存在は大変に、美味しいです。心地よいです。
体によって作られた自我というものが無ければ、私に始まりも終わりもないでしょう。
あえて自殺行為しないのは当然ですが、もし死が訪れたなら私のない存在であったなら苦しむ人が不在なのでそこには何もないでしょう。
(これは私の手に余ることなので推論ですが、私がないのに、痛がる怖がる主体がないのに痛みと恐怖があるのはおかしい)
ある大きな束縛が死んだ。私の大部分が死んだ。
でもまだ私が残っているということはある。
更なる気付きにくい前提が残っているということはある。
こんな感じではないでしょうか。
そもそも悟りがあったりなくなったりという正直なお話があるので悟りではあっても
話に聞く光明とは別のものであり、それは完全な自由ではない。
完全ではなくてもすごく自由であるのは確か。
ps私は生きる知恵があんまりないのでいろいろ教えてくださいね。
414 :
神も仏も名無しさん:2011/09/15(木) 20:39:32.92 ID:MZlJyHwY
死んだら終わりなわけないじゃん、終わりならお盆も信じないで先祖供養もしないし
墓参りだって行かない。命日だってなにもする必要ないし、肉親の3回忌だろうが10回忌だろうが
なにもしなくていいのかい
そういう信仰をもつ奴はすればいい。
無い奴はしない。
むしろそういう信仰は一部だと知れ。
416 :
神も仏も名無しさん:2011/09/15(木) 21:00:33.98 ID:MZlJyHwY
>>415 神も仏も信じてないお前のような奴が宗教板では一部だと知れじゃないの
417 :
神も仏も名無しさん:2011/09/15(木) 21:04:32.00 ID:MZlJyHwY
>>415 お盆に先祖供養をする人や自分の親や子の命日に仏壇に祈る人は国民全体でいえば
お前が考えるに一部だと知れになるのね。国民の何割位に相当するのが一部と称されるのか
教えてくれ
>>414 よく読んでいけば
>>1が「死んだら終わり」と言っている意味がわかるのではないかと。
>>415-417 チベット死者の書だと49日間だけだし
日本仏教(全宗派かどうかはしらんが)は50年くらい供養しろと言うし
大阪のおばちゃんで「死んだら終わりやで」っていう人を見たことあるし
まぁ色々あるってことで
神なぞ信じてない。
神という実在を信仰する人がいることと、神と名付けたくなるようなものがあるのだろうということは認める。
仏とは仏陀=目覚めたもの、のこと。
>>417 知るか。w
日本人だけが人間じゃない。
421 :
413:2011/09/16(金) 00:56:35.29 ID:r2357Qfg
>>226 > ・生命は死んだら終わりと言い切る根拠。
すべては私の創造物ですから、
私が消えたらすべてが消えます。
さて、ここは面白いのでさらに突っ込んで検証してみます。
まず、生命=私という前提があるように思うのですが、生命=私という確実な証拠はありません。
生命と私が別個である可能性はあります。
ブッダ達は別個だと仰いますが、私は実際に別個だと見極めたわけではないのでよくわかりません。
@体が死んでも私は死なない
これは過去生の記憶を持っている人やブッダが証言できる
A体が死んだらどうなるかわからない
これも非常に誠実であり知性的な人間なら発せられる声明です
しかし
B体が死んだら私と私の作った世界は消える
という声明は不可能なのです。
死んだことないのにそれについて論じるのは不誠実ですし、もしこれがその通りなら死んだら帰ってこれないので
実体験した後でこの声明を出すのも不可能なのです。
経験した上での声明ということでしたら@とAの声明しか出すことは不可能なのです。
ゆえにこの声明Bは実体験の伴わない思い込みであるほかないのでは。
422 :
神も仏も名無しさん:2011/09/16(金) 01:20:39.67 ID:nP5ifS/y
>>421 所詮は机上の空論。
全てが根拠のない憶測に過ぎない。
神がいるとするのなら、神でないものが生まれる
この世一切が神であるとするなら、神はいるのであろうか?
424 :
神も仏も名無しさん:2011/09/16(金) 01:52:00.16 ID:le/s94fc
仏陀が生命と己が別個だと言ったなんて聞いたことないけど
425 :
神も仏も名無しさん:2011/09/16(金) 01:56:20.94 ID:le/s94fc
過去世の記憶を持っている人間がいる=過去世の証明になる訳ないじゃん
過去世体験者の体験が夢や思い込みでないなどと言う保証はないのだから
426 :
神も仏も名無しさん:2011/09/16(金) 01:57:13.73 ID:kTDX+H/Q
仏陀さんこんばんわ。 カップラーメンでは何が好きですか?
ちきんらーめん
428 :
神も仏も名無しさん:2011/09/16(金) 02:01:27.94 ID:le/s94fc
何故1が死んだら世界も消えると断言するかというと、我々が見ている世界とは幻想だからなんだよ
世界とは私があるから存在する
これは死ななくてもわかる。
我々の世界とは記憶や思考などで成り立っているのだから
記憶や思考をしている私が消えればその世界も消える
これは当たり前の事
瞑想というのは記憶や思考を捨てる事でもあるので、ある意味では死=世界崩壊の体験なんだよ
私もまた、世界があるから存在するのだけどね
私が記憶である、とするなら、
私はあなたでもあり、あの娘でもあり、神でもあり、宇宙人でもあり、放射能でもあり、くっさいおならでもあり、あれでもあり、それでもあり、これでもあり、ということか・・・
記憶される前、たった今には、私はいないということになる
そこにあるのは、、、縁?
432 :
ama:2011/09/16(金) 06:52:03.08 ID:PG8hUdOt
>>392 はい、これは想像で書いています。
無意味かどうかはそれが役に立つかどうかで分かれます。
433 :
ama:2011/09/16(金) 06:53:32.72 ID:PG8hUdOt
>>390 私が世界ですから、おっしゃる通り世界が世界を見ているとも言えます。
434 :
ama:2011/09/16(金) 07:00:46.56 ID:PG8hUdOt
>>394 私がいて同時にいないということや、
世界が私であるということです。
たとえば「色即是空」であり同時に「空即是色」である、
などということは論理的に破綻しており、
それまでは意味不明だったのですが、
「ああこのことを言っているんだ」と分かったときは、
とても面白かったです。
論理自体がはじめから壊れていたんですね。
435 :
ama:2011/09/16(金) 07:16:04.81 ID:PG8hUdOt
>>396 人それぞれだと思います。
私は、テレビはほとんど見ませんが、
映画や本や漫画やアニメは好きです。
悟って趣味がなくなることはありません。
悟る前と同じ生活をしています。
ただ、悟ると、わざわざ自分を苦しめる選択はしなくなります。
葛藤や薄ら寒さをあえて選びません。
436 :
神も仏も名無しさん:2011/09/16(金) 08:27:31.66 ID:bUJNQa1E
>>432 悟りに関する限り、
想像が役に立つことなど無いと思いますが?
437 :
神も仏も名無しさん:2011/09/16(金) 08:30:09.59 ID:bUJNQa1E
>>435 >ただ、悟ると、わざわざ自分を苦しめる選択はしなくなります。
悟ったのに、まだ選択をしているの?
438 :
396:2011/09/16(金) 09:52:10.51 ID:qEpfwgAp
>>435 ご返信どうもありがとう。
予想通りというか、どうやらあなたは「空」を悟ったわけではないみたいね。
一応、言っておきますけど、「色即是空 空即是色」は間違ってませんよ。
このように二つ並べるってことは、色(ある)と空(ない)が、表と裏の関係にあることを言っているんですよ。
「表は裏である」と同時に「裏は表である」。
要するに、表は、表から見れば表だけど、裏から見れば裏となるってこと。
「表は(裏から見れば)裏である」「裏は(表から見れば)表である」
絶望(苦しみ)があるのは希望があるから。希望があるのは絶望があるから。
望みを叶えることが不可能となれば、希望が絶望に変わる。
絶望の中に光を見い出すことができたら、絶望が希望に変わる。
苦しみをなくすためには、希望や絶望を生む原因となっている煩悩(欲)を捨てるしかない。
欲を捨てたら人生がつまらなくなる(鬱状態のようになる)、と誤解する人もいるようだが、それは正しくない。
欲というのは捨てても、あとからあとから涌いて出てくるものなんだよね。
食欲と一緒。しかし、無欲の状態であれば、粗食ですらありがたいと思うようになるんだよ。
439 :
396:2011/09/16(金) 10:08:04.73 ID:qEpfwgAp
訂正
誤:「表は(裏から見れば)裏である」「裏は(表から見れば)表である」
正:「表は(裏から見れば)裏である」「裏は(裏から見れば)表である」
「表は表から見れば表」
「裏は裏から見れば表」
「表は裏から見れば裏」
「裏は表から見れば裏」
440 :
神も仏も名無しさん:2011/09/16(金) 11:58:19.96 ID:bUJNQa1E
>>438 >予想通りというか、どうやらあなたは「空」を悟ったわけではないみたいね
「空」は悟るものじゃないよ。
悟ると「空」に見えるんだよ。
>>438 「悟る=無欲になる」という「尺度」を握り締めているように伺える
「無欲」というものを持つには、「その反対のもの(貪欲)」がなければならなくなる それは同じものだ
無欲も貪欲も、「尺度」を用いたから発生したものであり、「尺度がない」という理解の下に、いずれも存在しない
>粗食ですらありがたいと思うようになるんだよ。
粗食は粗食 そこに「ありがたい」などない
粗食をありがたがる ためには 「粗食をありがたがるために用いる尺度」 が必要となる
それは、思考の介在 を意味している と思う
これまでもこれからも 今 しかなく、今 の中には、過去(思考)が入り込む余地はない
過去のフィルター(思考、自我など)を介在させて出会うありとあらゆるもの は、フィクション である
それが 良いものであっても 悪いものであっても、「介在があってのもの」ならば、そこに一切の差は ない
というのも、良いも悪いも 介在 が定めたもの(これもまたフィクション)に過ぎないから
「無欲に生きる」ということは、常に「無欲」という「精神的構造物(製作者:過去)」を介して生きることではないだろうか
それは 今に生きている ということではないのでは
より居心地の良さそうなフィクションへの乗り換え、、、
さあどのフィクションで生きようかな、ということ
最良のフィクションを追い求めること これらが 生きる ということだろうか
仏が存在することの無い悟りはこれだから
堂々巡り頑張って
禁煙ってのは喫煙することの代わりに禁煙を持続することじゃなくて
喫煙・禁煙という問題自体がなくなること。
有無の無。
フィクションですら無いとしたら、どうだろう?
446 :
神も仏も名無しさん:2011/09/16(金) 14:36:26.10 ID:r2357Qfg
>>1 413 422はあなた宛ての力作なのでお相手してくださいな。
レスしていただいた方は答えは既にあるか意味を読み違えているかのどちらかなので
もう一度読まれるのもいいかと。
447 :
神も仏も名無しさん:2011/09/16(金) 14:44:25.72 ID:r2357Qfg
413 421
でも、難しくてよく意味が頭に入らないということならそういうお答えでもいいです。
448 :
神も仏も名無しさん:2011/09/16(金) 15:56:01.61 ID:bUJNQa1E
>>446 意味が判った上で答えているんだが・・・・・
根拠のない推論をいくら続けても、
結論にはたどり着かないよ。
ノンフィクションドラマって、ほんとは、フィクションなんだって知ってた?
脚本作って、役者集めて、撮影する
全ては、作られた世界
ノンフィクションというフィクション
全ては、ドラマ
>>446 たまにだらだらした長文でああだこうだと書いてるのは私で、私は1とは別の人間です
1が書いたレスについての質問は、1が答えてくれると思います
451 :
神も仏も名無しさん:2011/09/16(金) 16:48:26.06 ID:r2357Qfg
≫根拠のない推論をいくら続けても、
結論にはたどり着かないよ。
413は自身の体験の話ですし、421では一切の推論をしていないですよね。
徹頭徹尾推論や実体験の伴わない信念にしがみつくことを否定するような内容になっています。
虚偽から離れるための分析をしているところにいただく言葉としては筋が通りません。
≫根拠のない推論をいくら続けても、
結論にはたどり着かないよ。
そう思っているうちは推論は止まないでしょう。
やめるのであれば結論のためでもなく、推論への反発でもなく、ただやめることです。
推論は否定されるものではなく、自分が行っているそれを理解してゆかねばなりません。
あなたは本来不在である推論と敵対してしまっている。
すると相手の書き込みに対応しないオウムのような批判を繰り返すことになる。
452 :
神も仏も名無しさん:2011/09/16(金) 17:00:38.85 ID:bUJNQa1E
>>451 批判じゃなくてアドバイスのつもりなんだけど。
453 :
神も仏も名無しさん:2011/09/16(金) 17:50:40.03 ID:r2357Qfg
≫根拠のない推論をいくら続けても、
結論にはたどり着かないよ。
これは実体験からくる、そして他者の書き込みに感応したスートラではなく、
単なる知的結論なので知的結論の弊害しかないんですよ。
たとえあなたが実体験していたとしても、この文章は害になります。
実体験してたらこんなこと言わないでしょうし。
百害あって一利なしです。あなたにも、周りにも。
実際の思考の観察、実際にとらわれている思考を看過しそれから自身や他者を解放する働きが大切です。
≫批判
人は目覚めない限り、自分自身の中にある悪い部分やまた仮想の悪を他人に擦り付け、
他者を批判したり、助けようとしたりします。
攻撃的な場合も多いのですが主観として他者を助けてあげたいと思っているケースも多いのですよね。
ちなみに人はそのアドバイスが的確でなければまず批判という印象を持ちますし、
的確だった場合は一部のの誠実な人を除いてもっと批判的にとらえ反撃することでその指摘を
吟味しないようにします。
ありがとう。そうだよね。
一見批判と思われるものの結構な割合は善意のアドバイスなんですよね。
虚偽の2元性という精神の構造としては批判も善意のアドバイスも同じなのだけど。
こちらを理解しないでしかも単品でみても有害な言葉を受けた際普通人はそれを非難と受け取る。
しかし、私に理解があり自我から自由であれば、他者の迷いからくる親切があるだけだ。
私までそれを批判として受け取る必然性はない。
しかしどこでも述べていないことに対して反論やアドバイスを受けるね。
451は批判ではなく助言に書き直します。
そして受け取る側は批判として認識するのでご注意ください。
(まともな人は外れたアドバイスを非難と受け止めますし、普通の人は的確なアドバイスほど批判だと認識します)
454 :
神も仏も名無しさん:2011/09/16(金) 18:14:07.63 ID:gd9WpVLk
今の人間は厳しい受験戦争の末
学問を究めるというよりいかに狡く究めるかの方面に逢着しており
群衆を集めれば人の足を引っ張ることには事欠かない。
未知のものを、既知の領域で説明するのには、限界があるのでしょう
宇宙の果ての事は誰も正確には、説明できない
もし、あなたが、宇宙の果てを見てきて、説明したとしても、それは、宇宙の果てそのものではない
言葉には、限界がある
言葉は、実体に張ったラベルの様なもので、それそのものとは、性質が違う
バナナに張ってある、小さくフィリピンbananaと書いてあるシールは、
バナナを表すがバナナそのものとは違う、食べられない
456 :
a:2011/09/16(金) 21:01:28.97 ID:3VClRxED
阿含経の止息法と「深秘法」 北澤米吉著と
金剛頂ユガ中略出念誦経第三 一切成就三摩耶契の関係の秘密を世界に公開する男
457 :
ama:2011/09/17(土) 06:27:05.14 ID:6wCyD69i
>>398 多くの人は悟れないのではなく、
悟らない、つまり悟りたくないのです。
悟りとは別のものを追い求めているのです。
458 :
ama:2011/09/17(土) 06:37:00.06 ID:6wCyD69i
>>406 精神的な自由を得て、生きることが楽になります。
自分という中心がはじめから存在していなかったことが分かります。
459 :
ama:2011/09/17(土) 06:40:59.71 ID:6wCyD69i
>>421 言葉が足りませんでした。
もう少し正確に申し上げると、
「死んだら終わり」ではなく、
「死んでも変わらない」です。
ただ、そのように申し上げると、
なんだか死んだ後に自分が存在するようにも受け取れるので、
「終わり」と申し上げました。
私は、はじめからいないのですから、
死んだ後も私はいないのです。
その意味で、「私は死んだらどうなる?」の答えは、
正確には「何も変わらない」となります。
460 :
絶対神:2011/09/17(土) 06:44:49.45 ID:L79NeAqH
>>459 「じゃあ、今、この掲示板に書き込んでいるのは誰?」ww
『仏教って一瞬で突き崩されてしまう下らないものだと思うね』(大笑)
「存在もしないものは「書き込めない」よ、当たり前だけどね」
461 :
絶対神:2011/09/17(土) 06:45:53.32 ID:L79NeAqH
「で、変わらないのなら」
『死んだあとも2chに書き込めるんだよね』
「お前は」(大笑)
「小学生も騙せない、嘘いうんじゃないよ、馬鹿!!」
462 :
絶対神:2011/09/17(土) 06:49:12.55 ID:L79NeAqH
「神のごとき絶対的自己がないというだけの話であって」
『自己そのものはあるに決まってんだろ』w
「私、ホントに仏教って下らない宗教だと思う」
争いや憎しみを否定したところからは、何も生まれないと思うよ
何も出来ないし、何も動かない
『現実を否定してもしょうがないんだよ』
463 :
ama:2011/09/17(土) 06:54:06.05 ID:6wCyD69i
>>436 おっしゃる通り、悟る瞬間は極めて体験的な瞬間であり、
確認的な瞬間ですから、一切の想像は役に立ちません。
一方、そこに至る寸前までは、
ありとあらゆる思考を道具として役立てることが出来ると思います。
何が役立つかは人それぞれで、
それが哲学することだったり、祈ることだったり、
議論することだったり、神秘体験をすることだったり、
まあいろいろですね。
464 :
ama:2011/09/17(土) 06:56:37.95 ID:6wCyD69i
465 :
ama:2011/09/17(土) 06:59:59.28 ID:6wCyD69i
>>446 はい、どの部分にお相手すればよろしいでしょうか?
466 :
絶対神:2011/09/17(土) 07:59:48.53 ID:L79NeAqH
「つまりねえ」
『仏教には、「現実」を「現実」と認識できる「深刻さ」がないの』
「オウムも「この世は幻」っていう仏教の教説を真に受けてあんな事をやった訳」
『幻じゃないの、現実としてあるの、一度やっちゃったら』
「取り返しがつかないの」
仏教ってどこまでいっても、「学芸会」というか「お遊戯」的な要素が抜けきらない
宗教だと思う
『永遠に取り返しのつかない事はこの世界にはあるのよ』
この世を幻なんてうそぶいてよい資格があるのは、「神様」だけだと思うよ
>>459 「言葉が足りませんでした」じゃなくて「間違ってました」でしょ。
「死んだら終わり」「終わり(がある)」といっておきながら、
そこを突っ込まれると今度は「はじめからいない」「終わり(はない)」。
言ってることが完全に矛盾してますよ。
「悟りを開いた」とかいっておきながら、結局「悟りなんてない」んでしょ?
「私はいない」のであれば「悟りもない」ってならなきゃおかしいでしょ。
それなのに「悟りを開いた(悟りはある)」ってどういうことなの?
俺はいままで「いつでも死ねる状態」が「悟り」だと思っていたんだが、
もしかしてそれとは別の「悟り」があるんじゃないかって思い始めた。
「絶望をなくすには希望をなくすしかない」「絶望と希望の両方がなくなれば空になれる」
というのは間違ってないと思う。こちらは、いうなれば「無の悟り」であろう。
それと対に成るのはおそらく「有の悟り」。望みがすべて叶うということだ。
「現実の世界」ですべての望みを叶えるのは不可能だが、「夢の世界」ではそれが可能となる。
夢を現実化することができれば、無上の幸せを得ることができるだろう。
それを行うのが、夢見術や瞑想といった類のもの。
つーことで、これからは夢のコントロールに励むことにするわ。
チャネリングもやってみっかな。
469 :
神も仏も名無しさん:2011/09/17(土) 13:34:29.10 ID:WbevEfXN
>>467 おもしろいね。
amaさんがどう答えるか俺も知りたい。
正直に答えるかな、それとも誤魔化すかな。
何もない ということ理解するのがそんなに難しいんかの?
言ってることがあまりにも単純すぎるから、逆に分かりにくいのかな
少し難しい位の方がよく理解できることってあるのは分かるけど
1、今 しかない
2、今に何もない
これがどう分からない?
472 :
神も仏も名無しさん:2011/09/17(土) 14:52:16.00 ID:WbevEfXN
473 :
神も仏も名無しさん:2011/09/17(土) 15:34:37.50 ID:4t+X9zpV
>>459 ふーむ。
ただ違和感としましては、終わりがないなら始まりがないことに言及すべきで、
あなたは終わりがないと言っておきながら始まりがあるような前提を持っているように見えます。
刻々の始まりと生まれの瞬間に目覚めることによって始まりがないということを刻々と体験しているなら
それを言い忘れたりニュアンスに含め忘れたりするだろうか。
始まりもなく終わりもないと祖師は言うので、とりあえず私は始まりと終わりを見逃さないよう努めています。
うーん。スレ主さんの実際の力量は相当のものでそれが伝わってくる流れにも持っていきたいのですが、
どうも自分が得ているものを拡大解釈している気がしてそちらを突っ込んでしまいますねえ。
474 :
神も仏も名無しさん:2011/09/17(土) 15:42:46.50 ID:4t+X9zpV
これは私自身の体験でもなければ、私のタイプに起こる体験でも道のりでもないのですが、
スレ主の過去と未来を指し示しているように感じたのでOSHOのTAO永遠の大河4巻から要約してお伝えいたします。
以下の内容があなたの過去に似ていたり、もしくはここで書いてある次におこることまであなたに起きていたのであれば
あなたなりの言葉でそれについて語っていただけないでしょうか。
ここで描かれている達成と最後の束縛は私のタイプと違うのであんまり詳しく語れません。
どうみてもあなたは目覚めた波動、自我に深刻でない知性とユーモアがあっても、光明の人にある不可思議な響きはない。
無理して以下の内容をを理解しようとしないで道の挑戦として受け取りに光明まで駆け上がってほしい。
死が起こりその中で目覚めを失わなかった。
今までにない目覚めの質とともにあり、また生命エネルギーは滞りなく流れる。
あなたはまったく自由だ。
しかしここにも2つの可能性がある。
人は快楽に、生に同化してしまうのかもしれないのだ。
あなたは家の近くまで来たがもう達成したと思い込む。
最後の瞬間にあなたは生と同化してしまった。
だれが死などと同化したがるだろう。
幸せに満ちた生を送れるかもしれないが至福は起こらない。
至福は原因のない幸福のことだ。
生に同化せず、
生が起こる瞬間に目を見張っていられたならば、人は生をも超越するだろう。
そうしたところに至福はある。原因もなく何の要因もない至福が。
あなたに至福が起こるのではなくそれがあなた自体なのだ。
475 :
神も仏も名無しさん:2011/09/17(土) 16:05:08.60 ID:fJaLHKRH
批判よりどうやったら悟れるか聞いた方がいいよ
せっかく悟った人がいるのだから
476 :
神も仏も名無しさん:2011/09/17(土) 16:22:08.73 ID:WbevEfXN
みんなamaさんが悟っている事は認めているんだね?
477 :
神も仏も名無しさん:2011/09/17(土) 16:29:01.46 ID:fJaLHKRH
1さんへ
質問です。
歩行禅をする場合、歩行のみに意識を集中させるべきですか?
景色とかは他の感覚には気を取られない方がいいですか?
釈迦も修業者に歩く事を進めましたが、そもそも何故歩く事を観る事が悟りに繋がると思われますか?
479 :
神も仏も名無しさん:2011/09/17(土) 17:20:29.52 ID:fJaLHKRH
黒澤明が自分の映画の事を「写真」って言うんだよね
「いい写真が取れた」と。
一瞬の美を追い求める黒澤監督と悟りの境地とはは何か関係があるような気がするね
画家も何の変哲もない街角や植物の一瞬の美を描いたりしてるじゃん
我々は画家の作品によって「朝顔とはこんな美しかったのか」とか気付くのだが
これも悟りの目と関係があるような気がする
我々は一旦記憶すると、同じ対象を二度と見ないという。
つまり朝顔を見てるつもりでも見てない。
画家や悟った人は「記憶」から自由になっていると言えるのかもしれない
>>476 俺は認めてないよ。
本人は悟ったと思い込んでるみたいだけど、おそらく偽りの悟りだろうね。
>>434-435、の書き込みでほぼ確定したよ。
481 :
神も仏も名無しさん:2011/09/17(土) 17:28:56.10 ID:fJaLHKRH
21世紀初頭のこの風景も三十年後にスタジオジブリとかがアニメ化したらえもいえぬ風情のある風景なんだろうな
目の前を横切って行く自動車や買い物帰りのおばちゃんやこの夕焼けなども皆、神懸かって美しいのだろう
しかし我々は見慣れ過ぎて美しいと思わなくなっている。
考えてみれば我々一人一人が映画の中の登場人物の如く、この美しくはかない世界の中で今まさに生きているというのに
482 :
神も仏も名無しさん:2011/09/17(土) 17:35:58.77 ID:fJaLHKRH
北野たけしの映画って
例えば「ダンカン」とかが売店の前でしゃがんで
アイスとかを食ってる風景をただ何となしに取ってたりするじゃん
それが何故かフィルムで見ると癒されるんだよね
しかしそれってどこにでもありそうな風景じゃん
しかし映画として見ると凄く面白い。
日常をまさに映画を見るように味わって生きる事が出来たら最高だと思うよね
アイス食ってるだけのダンカンにすら、我々観客は限りない愛情を注ぐ事が出来る訳で、だったら日常生活の全てが楽しくて仕方がないはず
街角でただアイスを食ってるだけで限りない幸せを感じてもおかしくないんだよな
483 :
神も仏も名無しさん:2011/09/17(土) 17:45:01.20 ID:fJaLHKRH
とか書いていると烏が「カァカァカァ‥」と鳴きながら西の空に飛び去って行ったが、こんなシーンも映画で見ると、美しいんだろうな
映画を見ている時は我々は映画そのものを楽しもうとしているが
日常生活では我々はビジネスの事とか家事や育児などを考えて、必要な情報だけを見ている。
つまり烏の存在などどうでもいい訳だ
しかし映画を見ている時は育児や仕事の事を忘れてその映像に没頭している。
だから「アイスを食ってるダンカンってなんて美しいんだろう‥」と思える訳だ
要は悟りとは、日常生活を全て丸ごと味わって楽しむ事じゃないでしょうか
省略せずに
1さんはどう思われます?
全然関係ないですか?
484 :
神も仏も名無しさん:2011/09/17(土) 22:01:19.69 ID:fJaLHKRH
この世が幻想であることについて1さん語って下さい。
485 :
ama:2011/09/18(日) 09:26:33.92 ID:WsBY1zJ4
>>460 > 「じゃあ、今、この掲示板に書き込んでいるのは誰?」ww
私です。
>>485 悟りを開いてなにか所謂霊能力の様な物は手に入ったの?
487 :
ama:2011/09/18(日) 10:10:02.17 ID:WsBY1zJ4
>>467 >>187と
>>188で、
「私はいて、同時にいない」と申し上げていますが、
これが矛盾しているというご指摘でしょうか?
死んだら私が終わりますが、
実は生きているときから私は終わっている(つまりいない)のです。
いないものは終われないのですが、
実は、いないからこそ、死によって終われるのです。
もし、私が、存在していれば、死んでも終わることは出来ません。
初めから私はいないのに、
それが終わるというのが奇妙に思えるかもしれませんが、
それが幻想の幻想たるゆえんです。
死んだら幻想である私は終わりますが、
そもそもそれは幻想なわけですから、
死んでも何も変わらないのです。
「私はいて、同時にいない」とはそのような意味です。
488 :
ama:2011/09/18(日) 10:12:11.16 ID:WsBY1zJ4
>>467 > 「悟りを開いた」とかいっておきながら、結局「悟りなんてない」んでしょ?
> 「私はいない」のであれば「悟りもない」ってならなきゃおかしいでしょ。
> それなのに「悟りを開いた(悟りはある)」ってどういうことなの?
私がいないことに気づくことを、悟りと言っています。
489 :
ama:2011/09/18(日) 10:15:52.69 ID:WsBY1zJ4
490 :
473:2011/09/18(日) 11:15:25.46 ID:68gQmhpx
>>489 申し訳ないですが正直質問の方向性や質が異なるのでこれは質問の内容に対応して
お答えいただかなければ答えになりません。
473 続き
≫私は、はじめからいないのですから、
≫死んだ後も私はいないのです。
≫その意味で、「私は死んだらどうなる?」の答えは、
≫正確には「何も変わらない」となります。
はじめからいないのであれば
「死んだらどうなるという質問」には
生まれていないので死ぬこともない
という答え以外ありません。
「死んでも何も変わらない」
って、生まれていないはずなのに何が死ぬんですか。
無意識で活動している自我があるから死ぬという観念を持てるのではないでしょうか。
≫実は生きているときから私は終わっている(つまりいない)のです。
「終わる」とはなんですか。
始まっていなければ終わることはできません。
私はないと口では言いつつ、無意識では私の始まりを意識しており深いところでは私があるということを知っているからでないと
終わるとおっしゃることは不可能です。
491 :
473:2011/09/18(日) 11:16:04.48 ID:68gQmhpx
結局無意識では自分は生まれている自分はあるという思考の活動が進んでおり、
表面意識で自分はいないと思い込んでいるからこういったずれが起きるのです。
(理解しているが、理解したつもりの人がやってしまいがちな間違いをしたという可能性もあるのですが)
不生不滅、ブッダはかつて存在したことがない。
知識の上でもこれは有名な言説です。もちろんこれは実際には違うというのはいいですが、
悟りと言っておきながらブッダに反しておいてそれに言及しないのも変な話。
≫「私はいて、同時にいない」とはそのような意味です。
もうやめませんか。
あなたは事実としてで生きているはなく、「そういう意味をあるがままの世界に与えている」
ということを白状してしまっています。
それは意味を超越した類の事柄です。
思考も私も超越したことにおいての意味を伝えることは害悪でしかありません。
言葉を通じてあるがままの無形なる真理を伝達するならともかく、「意味」
などという個人、私の迷いを伝えてどうするのですか。
492 :
473:2011/09/18(日) 11:19:06.88 ID:68gQmhpx
また知的な解説に終始していてとても口のうまい印象。(完全な論理的な誤謬をつかれてますが)
我々は存在しない
ということは森にある葉っぱの数があるぐらいの側面から解説できますし、またそれを語る際に気を付かねばならぬ
理論的非理論的なチェックポイントも無数にあります。
わたしたちは歩き方も息の仕方も習わなかった。
思想も意味もなしで我々は生を始めた。
ただ生を信頼するだけで物事はあるべきところに収まる。
493 :
473:2011/09/18(日) 11:22:17.09 ID:68gQmhpx
後は474のOSHOの言葉をご自身の体験から解説していただけると嬉しく思います。
似たようなことが起きたかもしれませんし、別の事が起きたかもしれません。
ただ、基本的に474にあることはすべて起きましたか?
それともこの文章が彼のいたずらで嘘が書いてあるのでしょうか。
494 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 12:21:22.78 ID:xQO/VPz4
1さんは、生や死は観念作用だと言ってる訳でしょ
観念なのでないといえばない。
悟るとそれがわかると
A、肉体の死
B、自我の死(1が
>>487でいう「幻想である私」のことで、元々ない(これに死はない→始まりもない)とするもの)
>>487の訳
死んだら私が終わり(A、肉体の死)ますが、
実は生きているときから私は終わっている(B、自我の死)のです。
いないもの(自我)は終われないのですが、(自我「ないもの」は死ねない)
実は、いない(自我)からこそ、死(A、肉体の死)によって終われるのです。
もし、私(自我)が、存在していれば、死んでも(A、肉体の死)終わることは出来ません。(自我が)
初めから私(自我)はいない(自我「ないもの」は死ねない)のに、
それが終わる(B、自我の死)というのが奇妙に思えるかもしれませんが、
それが幻想(自我「ないもの」は死ねない)の幻想たるゆえんです。
死んだら幻想である私は終わり(B、自我の死)ますが、
そもそもそれ(自我「ないもの」)は幻想(ない)なわけですから、
死んでも何も変わらない(自我「ないもの」は死ねない)のです。
「私(肉体)はいて、同時にいない(自我はない)」とはそのような意味です。
どうでしょうか
496 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 12:38:06.78 ID:wYaG5INR
ブッキョうでは死は終わりではない
そしてそう自分に思い込ませるのを悟りという
自我がないと言っているのは、自我じゃないのか?
498 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 13:07:16.95 ID:xQO/VPz4
自我はないと言っているのは自我=言語的主体であって
言語的主体が言語によって言語の限界について語ってる訳でしょ
数学の限界を数学的に示した不完全性定理の如く
自己言及のパラドックスみたいになってしまうが
それが則ち言語の限界を示している。
「私」というのは言葉にすぎないとも言えるんじゃないの
南とか東というのは人間が生活の必要性から生み出した観念で、本来宇宙に南も東もない
しかし観念としては存在している。
自我もそういったものではないでしょうか
499 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 13:13:48.81 ID:GKX081Bz
>>498 良いこと言うね。
中観的だね。
世間において無我とは何かを知りたい方は
まず、我(アートマン)とは何か知るといいよ。
その否定が無我だから、仮説だけど。
500 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 13:16:08.99 ID:GKX081Bz
仮説 ×
仮設 ○
>>497 そうだよ
なんせこれを説明してるときは自我ありあり なもんで
ただ、これを実体験、わが身で実証するとき(
>>71)は、何もない ってことをいってる
だから身をもって経験した奴というのは 根本土台の最終的なところ に 自我 がこなく(これなく)なってしまう
この仮想の自我は、実際は本当にはないんだが、
「人間が生きる日常生活上、とりあえずこういう風にして使うと便利なもの」程度のものだ、ということになる
おれの車、おれのPC、おれの家、、、ね、便利でしょう
でも究極的に探すと、無い
だから便利ツール
自我【便利ツール(存在しない)】が、考えた、「私とはこうあるべきだ」
なんかによって散々苦しめられた挙句に、そうならないと自殺したり、人を殺したりすることもある
これを解決するのに、自我が作った物理的精神的構造物を使って、単に右から左に動かしてみたり、ね
502 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 13:49:00.50 ID:xQO/VPz4
自我とは方便である。
ということは知識としては散々勉強したし
実際に方便だと思うと執着もなくなる
しかし1さんのような強烈な悟りの実体験をした人は少ないのではなかろうか。
脳機能科学者の苫米地さんの言葉で言うなら「一切のスコトーマが外れた状態」
世界のありのままが見えた状態
我々はあらゆるものが仮の存在である事を知っている
しかし虚空なる世界の全体構造までは見えてないだろ?
1さんは直観的にそれがパッと一瞬で見えてしまったのだろうと思う
503 :
473:2011/09/18(日) 13:49:11.93 ID:68gQmhpx
491の続きになります。
>>495 >>1 まず、自我は肉体への執着から構成される部分もありますが純粋に精神的なものでもありますので
ここでは肉体と自我を別のものとしているようです。
自我が初めからないというのであれば、肉体が生きているうちからないし死んでもありません。
というより肉体の生死と自我との同化の有無は別個の事柄なのに妙に混乱している。
別に肉体が死ぬ前から幻想の私はすでに死んでるんでしょう?
幻想の私はすでに死んでおり誰のものでもない肉体だけが生きているということなら筋は通るのに矛盾だらけ。
「肉体が死んだ時に死ぬのは肉体だけでそもそも存在しない私は全く関係ないでしょう」
なんでこういう混乱が起こるかという考察が490‐492。
504 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 13:54:26.38 ID:xQO/VPz4
だって「肉体」も観念なんだから
「肉体」も本来はない訳ですよ
遺伝情報に従って構成された素粒子の連合体として仮に成立しているだけで、無常。
それを日常意識では「肉体と言われるようなものがある」と思うだけで
本来は「肉体」もない。
505 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 13:59:34.10 ID:xQO/VPz4
しかし悟った人が「いやー肉体なんてものは無いんですよ」
といって女風呂に入っていかれても困る訳で
便宜上「肉体はある」ということで社会生活は成り立っている
幻想だが幻想の上に社会は成立しているのだから仕方がない訳です
悟ったとしても社会上の決まり事は守りましょうというのが中観なのではないか?
506 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 14:04:06.02 ID:xQO/VPz4
ルールを超越した視点からルールを守っている人は自分の意思でそれを選択しているという意味でルールから自由だが
ルールだから守らねばと思ってルールを守っている人はルールに縛られている。
悟りというのは社会や自然、宗教をも越えた究極のメタ視点を持つ事とも言えるかもしれない
>>503 「なぜ1にその混乱が起こっているか(混乱が起こっていないなら、なぜそのような表現をしたか)」については1が答えるかもしれません
個人的感想では、1は特に混乱してるようには見えないです(「表現間違った」はあると思います
>>282)
>>495はたぶん1はこういうことを言ってるんじゃないかな、ということと
食い違いは、AとBの死の使い分けを行っていない点にあるかな、と思いレスしてみました
>>504-506 >「肉体」も本来はない
質問なのですが、なぜ
「遺伝情報に従って構成された素粒子の連合体」は その実在を認め
「遺伝情報に従って構成された素粒子の連合体」が 「仮に成立させたもの(肉体)」というものになると ない となるのですか?
508 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 14:36:22.84 ID:wYaG5INR
社会や自然、宗教をも越えた究極のメタ視点を持つ事
はいいことかもしれないが
それを悟りと名づけるのはどうか
この語彙を使うだけで 仏教を意識せざるを得ない
509 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 14:36:49.47 ID:lr1phVay
510 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 14:38:24.87 ID:xQO/VPz4
素粒子の連合体も実在しないですよ
遺伝子も空です。
仮に成立しているだけです。
遺伝子が絶対的実在なら進化はありえない
素粒子も分析していくと更なる微細な粒子が一時的に集まって出来たもので空でしょう
511 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 14:40:29.64 ID:wYaG5INR
何でも仏教に結びつけるのは
やめたほうがいい
思考が一元過ぎる
512 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 14:41:53.19 ID:xQO/VPz4
そもそも素粒子というのはその実在を確認しようとすると姿を変えたり
観測器から消えたりするもので、存在するとも存在しないとも言えない
よくわからないものであるらしい
我々が意識するとそこにあるが意識しないと消えてしまうということが
実験的に証明されてもいるようです<二重スリット実験
超ミクロの世界も空な訳です
513 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 14:53:20.91 ID:wYaG5INR
未来に解明されるかめ知れない
>>512 >「肉体」も観念なんだから「肉体」も本来はない
このあたりが妙な印象なんですが、
「肉体も観念」と した(している) のは何でしょうか
もしその認識を遡及していきその最終的な基礎土台のところに「思考」があるのならば、なぜ、
その先にその「思考ベース」において存在した(「肉体」も観念なんだから「肉体」も本来はない)という地点において、
唐突にその意見にOKの太鼓判が押されたのか が分からないのですが
【差し当たり「肉体」として指し示すしかない「思考による認識によらない肉体」】と
思考によって描き出された【「肉体」という「観念」】とを 混同されていませんか
自我がないとなるのは、純粋観照者から見た場合のみなんじゃないの?
自我を持ってして、自我がないってのは、
言葉でこれは、言葉じゃないって書いてる様なもん
自我ってのは、記憶によって作られるんだけど、じゃあ、記憶も無いのかってなる
ここの、主さんも、その悟ったと言う記憶を、語ってると思うんだけど、どうだろう?
もし、自分の記憶は、特別で、自我ではないって言うなら、それもまた自我なんではないかな?
516 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 15:51:58.99 ID:xQO/VPz4
514
混同してない。
ある観念を否定するときに別の観念をもってくる必要があるが
その観念も本来は否定しなくてはならないが
その辺はわかってる人が多いと思うので省略した。
要するに言いたいことは貴方が指摘している事と同じである
517 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 15:58:21.70 ID:xQO/VPz4
515
我々が今このスレでやってる事は饅頭(悟り)の批評会みたいなもので、それは饅頭じゃないといえばその通りだが
批評会なのでまぁいいんじゃないかということではなかろうか
批評を通して、饅頭とはこういうものだったのか
と饅頭の認識が深まる事もあろう
しかし食べなきゃ饅頭の味もわからないのも事実
しかし単に食べただけでは饅頭ではなくて
饅頭の観念を食べている事もありえる
饅頭批評を通して、真の饅頭の味わい方を学んでいると考えたらどうか
多くの覚者が言う様に、悟ったと思ったら、それを、捨てなければならない
なぜなら、それを大事に持ち続ける事は、
悟りという観念を持つということに他ならない
結局、それは、他のくだらない観念と変わらず、くだらない
519 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 17:17:50.54 ID:wYaG5INR
どこかに これ以上ない
どんな苦しみもなくしてくれる体験があるとする
それを世界中に探しに行く
そのうち 何のために旅をしているのかわからなくなる
520 :
神も仏も名無しさん:2011/09/18(日) 17:27:36.81 ID:xQO/VPz4
518
それも観念ではないか?
悟りというのはどこかにあるのではなく
今、目の前の現実をよく見る事だとすると
どこか遠くに行く必要はない
目の前の現実をよく見ればいいだけの事だからだ
>>520 ところで結局あなたは何をしているの?
あなたには「悟った人 というのは OSHOや苫米地の言葉の通りでなければならない」という何らかの理由があり
1のレスに、前述の二人の提示した型にそぐわない箇所があると納得いかなくなる傾向があるようだが、、、
OSHOの言葉 というものに相当の固執があると見受けられるが
あなたの提示する制約にパスした人というのが 悟っている人 となる?
あなたにとってOSHOは悟っている人?
だとすればなぜそういえる?
>>1さんにお聞きします
小悟に関しては「自我を捨てる」ということで納得しています
問題はその後の中悟、大悟、光明、解脱の違いについてだと思います
この部分をきちんと説明していただけないでしょうか
それと子供の頃からの宇宙や存在に対する疑問はどの程度のものだったのでしょうか
>>520 思うになぜかはじめに
「OSHOは悟った」という公理があり、そこから「悟っているならOSHOと同じ」が引き出されていませんか
「OSHOが悟っているかどうか」はさておき、確認したいのは「それを判断したのは何か」です
というのも、そもそも「その何か」が成立するのは間違いないとできるもの がなければ、
「その何か」含む、「それが生み出した、以降のもの全て」、つまり「何か自体」and「その何かの思考一切」
今回の例→ 公理「OSHOは悟った」を敷いたもの、又それにより基づかれたもの(「悟っているならOSHOと同じ」等、以降すべて)
は成立する根拠をもてない と思いますがどうでしょうか
要するに、「問いの発生」を成立させたもとになっていると思われるもの自体 の根拠が無いように思われるのですが
つまりまず 公理を敷いた「その何か」が成立するのは間違いないかどうか
間違いないなら根拠を、間違っているなら以降に問いが発生していく構造とはどういうものなのか
を確認してみてはいかがでしょうか
525 :
神も仏も名無しさん:2011/09/19(月) 12:16:48.33 ID:9f/UffFG
OSHOは悟っていない、口のうまいタダのペテン師。
526 :
473:2011/09/19(月) 14:11:03.75 ID:/jET1oDD
少なくともOSHO、ラマナマハリシ、ラーマクリシュナ、グルジェフ
順に、放射線で体全体と歯の持病でひどい苦痛、癌、のど癌、交通事故の後遺症やとてつもない量の腹水
と4者ともものすごい体の苦痛があったわけですが、それに巻き込まれていなかったようです。
520さんはOSHOについて最初に出した私とは別人です。
そもそも悟りという概念自体基本的に仏教のものであり、仏陀がペテン師でない保障はありません。
474でOSHOが述べたことがであるなら真実自分の体験から説明できるし、
偽りだった場合でもやはりの自分体験から真実と偽りの微妙な差を説明できます。
また起こっていない、かつこれがだと無意味いえるような体験が自分に起きているわけでないなら素直にわからないといえばいいだけのこと。
結局これをもとに1さん自身と対話しようとしているだけです。
私は抽象的な話はしません。自分と1さんに実際に起きていることに興味があります。
また523さんは鋭いのですが、瞑想が起こるまでの修行の段階と、瞑想が起こってからの無技法の段階はまったく別のものであり、
今自分がどこにいるか理解して到達したと思い込まずまた、自分にはまだ意味のないことを試みようとしないのが大切です。
このあたりはやはりOSHOが便利なのです。あれだけ語っていれば今の自分にあった個所というものが見つかりますから。
474は1さんにイメージがあっていた。が、まあ光明を得ない限り他者の主観を当てるのは不可能でこのあたりは当たるも八卦。
527 :
ama:2011/09/19(月) 14:53:35.88 ID:9q4VyyD+
>>474 それでは、私なりの言葉で、私の体験を書いてみますね。
ただ、もう10年以上前のことも含まれるので、
あやふやだったり前後したりすることはご勘弁ください。
> 死が起こりその中で目覚めを失わなかった。
> 今までにない目覚めの質とともにあり、また生命エネルギーは滞りなく流れる。
> あなたはまったく自由だ。
目を覚ますと私はいませんでした。
そして、目を覚ましているときだけ完全な自由でいられることが分かりました。
> しかしここにも2つの可能性がある。
> 人は快楽に、生に同化してしまうのかもしれないのだ。
私は人生に幸福を求め、それによって葛藤します。
そしてこれを終わらせるかどうかを選ぶことが出来ることに気づきました。
一方、私は、人生に起こるドラマが好きで、そちらを選びました。
まあ大して意識的な選択ではなかったかもしれませんが・・・。
528 :
ama:2011/09/19(月) 14:58:11.34 ID:9q4VyyD+
> あなたは家の近くまで来たがもう達成したと思い込む。
> 最後の瞬間にあなたは生と同化してしまった。
> だれが死などと同化したがるだろう。
そのころたしか、自分がいないという感覚に色んな意味付けとか判断といったものをしていたと思います。
それがまた私を混乱させていたのでしょう。
その感覚によって幸せになれると思い、それを追い求めました。
ところが追いかければ追いかけるほどそれは手に入りませんでした。
そのころの私にとってそれは、面白い感覚、程度のものでした。
数年後、道を歩いていて、その感覚の中にいながらも、意味付けや判断を行わず、ただ未知の中にい続けたとき、
それまで疑問に思っていたことが、突然、分かってしまいました。
知識としてではなく、体験的に、です。
それは、まったく目の前にありました。
「なんでこんなに当たり前のことに気づかなかったんだろう?」
とそんな感じでした。
「なんだなんだ?そんなことかよ!?」
と思わず声に出して叫んでしまったのを今でも覚えています。
それまで悟りや自分や世界などについて仕入れていた情報は、間違ってはいないけど、正確でもなく、
「ああ、確かにそのように表現するしかないなあ」
というのが素朴な感想でした。
そのときの私の気づきは、どのようにがんばっても正確な言葉で表現することはできないものでした。
同時に言葉自体が初めから壊れていることにも気づきました。
「色即是空であり同時に空即是色であるとは、そういうことだったのか」
「私が世界であるとは、そういうことだったのか」
「宇宙とひとつになるとは、そういうことだったのか」
「前世や死後や神や○○や××やetc・・・、何もかもが私の(私達の)創造物であり、ドラマだったんだ」
頭の悪い私でも、それらを信じている人に、全部幻想だよ、などと言ってみたところで反感を買うだけであることは分かりました。
「みんなドラマを楽しんでいる」
「いいじゃないか」
そんな感じ。
529 :
ama:2011/09/19(月) 14:59:53.56 ID:9q4VyyD+
一方、私は、これらに気づいて安心し、OK、もういいや、と思いました。
でも、自分の生活に起こるドラマには無頓着でした。
思考に引っ張られることに対して、
「別にいいじゃないか」という開き直りのようなものがありました。
もちろんいいのですが、開き直る必要は無かったわけで、
開き直りを必要とする思考に引っ張られていることには気づいていなかったのですね。
いや、正確には薄々気づきながらも、見てみぬふりをしていたような、
そんな感じです。
OSHOが言っている最後の瞬間というのは、
思考が湧き出たときの瞬間のことを言っているのでしょう。
確かに、それをただ監視することは、死ぬことと言えます。
私が死んだとき、つまり、ただ気づいているときに、
思考は消えてゆきます。
530 :
ama:2011/09/19(月) 15:02:55.36 ID:9q4VyyD+
> 幸せに満ちた生を送れるかもしれないが至福は起こらない。
> 至福は原因のない幸福のことだ。
(至福という言葉を使いますか・・・)
幸せは不幸と表裏一体です。
それは快楽ですね。
> 生に同化せず、
> 生が起こる瞬間に目を見張っていられたならば、人は生をも超越するだろう。
> そうしたところに至福はある。原因もなく何の要因もない至福が。
> あなたに至福が起こるのではなくそれがあなた自体なのだ。
ただ観るとき、それは未知の体験です。
全ては「それ」です。
ただ、ただ、それ、です。
私は、おらず同時におり、世界は、なくて同時にあります。
そこでは、論理は崩壊し、因果律も崩壊しています。
始まりも終わりもありません。
よって、至福は、とても静かです。
そして、至福は死です。
それゆえに最強です。
これが、最近の私の体験です。
一方、幸せは、それを追い求めなければ特に害はありません。
幸せは、去来します。
来るもの拒まず、去るもの追わず。
そんなところでしょうか。
>>526 個人的には悟り=TAOだと思ってるんですよ
悟った人や悟っていなくてもいつか悟る人は感覚的に解る
素質のある人はその人の中にTAOっていうものを感じる
みんな独特の雰囲気があるというか毒性が強い人が多い
でも1さんにはなぜかそれを感じない
自我を(一時的に?)捨ててほんわかしてるだけっていう雰囲気がする
悟りって自我を捨てるだけで終わりじゃないって理解してるから
そこの部分でどうも納得がいかない
だから523の質問に答えられるのか知りたかったのです
1さんが本物なら最終的な部分までは到達していなくても絶対に答えられる
単なる神秘体験を悟りや覚醒だと思ったら絶対に人生全部崩壊すると思う
ほとんどの人がそこの罠にはまって失敗してる気がする
532 :
神も仏も名無しさん:2011/09/19(月) 15:17:46.15 ID:XDBvLg6z
533 :
神も仏も名無しさん:2011/09/19(月) 15:25:00.55 ID:uSV+yQjc
悟りなんかない
534 :
神も仏も名無しさん:2011/09/19(月) 15:51:53.38 ID:XDBvLg6z
>>533 有りますがな、そんなつまらない事言うんじゃないの
535 :
473:2011/09/19(月) 16:01:06.67 ID:/jET1oDD
>>531 でも私の質問は目覚め(中悟?)と全体性(大悟?)についての質問なのである意味それについての
答弁になっているかとは思います。あとは寂滅(光明)があるのみ。
(第5段階への到達と第六段階にとけ去るということについてでもあります)
しかし全体性と寂滅はそんなに違いがないらしいです。目覚めと全体性の隔たりが大きい。
目覚めとは自我の束縛に気付く自我でない意識の目覚めにすぎないので始まりなのです。
目覚めると自我が確立するのです。
他者の影響を一時的に受けるものの基本的に他者から影響を受けない完全な自我の自立があり、
それゆえに何もかもを自我によって理解した気になる危険があります。
≫528
どうにも知的な感想で占められている。
自我が死につつあるとき、それを自我が解説しだして結局自我が玉座に座る。
別に何も起きてはいない。起きていると認識するのが自我であり精神です。
(自分にも同じことが起きたからよくわかる)
鏡のような精神ってご存知ですか?
目覚めた人間は現実そっくりの夢を見ることが可能でそれを真実と混同するのです。
≫よって、至福は、とても静かです。
そして、至福は死です。
それゆえに最強です。
これが、最近の私の体験です。
いや、幸せは体験でありはかないものですが、
至福は体験ではなくそれそのものであることとそもそも定義としてあったのに、
「至福が私の体験」ですか?
結局体験者である自我が体験しているだけとまた白状してますよ。
でも、まあそれの何が悪いというわけではないのですよね。
536 :
473:2011/09/19(月) 16:04:45.85 ID:/jET1oDD
当人は幸せでかつ他者に悪意を振りまいているわけでなし。
この点光明に近づくほど苦しむタイプの人と違い、光明に近づくほど喜びにあふれるタイプの人は
何回も同じ地点を繰り返す。
まあ、悪いことでもなんでもない。
ただはっきりそれは光明や悟りとは別物であり、わかる人にはわかるので、
悟りという言葉を使うと不評を買うでしょう。
近い概念ではあるので便利なのですがこういった議論になる言葉は避けもっと単純にあなたの事実を表す言葉でよいのではないでしょうか。
あなたはそれで十分に感じます。
もっと単純な事実として日々幸せに、人と衝突なく生きるさまを分かち合ってゆけると素晴らしいですね。
537 :
神も仏も名無しさん:2011/09/19(月) 16:12:21.30 ID:XDBvLg6z
>>473 532で云うと貴方はどこら辺まで悟りが進んでいるんですか?
538 :
473:2011/09/19(月) 16:15:08.51 ID:/jET1oDD
そう、OSHOの引用で何が言いたかったかといいますと
あるタイプの人は幸せな自我を道の途中で実現するのです。
あんまり物事深く考えないタイプです。
責めようのない完全な自我というのはそういうタイプの成長において存在するのです。
逆にあまりに多くの事を知っていたり懸念していたりする精神は、意識が増すほどにその懸念を同時にすべて知覚するので
その膨大な精神全体を支えきれないで深い混乱の闇に堕ちます。
今度はこれについて相談させてください。
539 :
神も仏も名無しさん:2011/09/19(月) 16:18:16.96 ID:XDBvLg6z
悟って不のイメージ(マイナス思考)が出てくるのは悟りの道を間違えて進んでる状況だと聞いたことあるが
540 :
神も仏も名無しさん:2011/09/19(月) 16:44:17.13 ID:XDBvLg6z
541 :
473:2011/09/19(月) 18:00:53.09 ID:/jET1oDD
自分以上のレベルを理解することは決してできません。
今の自分の理解できることだけを理解すればよく、わからないことはわからないままにすることが大切です。
悟らなければ他者が悟っているかどうかはわかりません。
また1さんが光明を得ていないように感じるとして、言葉に矛盾があったり、理論と語感に矛盾があったり、
エゴのトリックを具体的に看過できるのでしたらそれをすればいいですが、
彼の実体が見えないのであれば彼は先を行っているのであり、口出しする筋合いのものではありません。
>>473 たしかにこの辺でもうやめておいた方がいい
あなた可哀相なくらいまるで相手になってない
>>540 ざっと読んでみたが、リンク先の記事は素晴らしいね。
ama氏がどの段階なのかはちょっと判断が難しいが、おそらく煩悩を捨て切れていないという意味で、
初期段階なのだろうとは思う。
いまだに煩悩(欲)を捨て切れてはいないだろう、という推察は
>>435の書き込みから。
「〜は好き」「趣味がなくなることは(楽しいことがなくなることは)ありません」と
述べている時点で欲を捨てられない(欲を求めている)状態であることがわかる。
煩悩が消滅した者ならこういった返答はまずしないだろう。
煩悩がない状態の者の予想される返答は「好きなものや趣味は『ある』といえばあるが特定はでき『ない』」。
ただし、初期段階に到達したということは、修行を積むことで最終段階に到達する可能性は充分に有り得るだろう。
問題は、ama氏がそれ以上の段階に進もうとしていないように見られる点。
俺の考えでは、悟りは二種類あると思ってる。「無(空)の悟り」と「有(色)の悟り」。
無の悟りってのは、煩悩が消滅する悟り、希望も絶望も自我もなくなる悟り。
この悟りは、瞬間的に得ることのできる悟りでもある。なんらかのキッカケで、突然全てが消滅する。
こちらは俺も体験したことがあるのでわかる。
こういう状態になると、恐怖もなくなるので死は怖くなくなるし、趣味の意味もなくなる。
ただし、この状態を維持するのは非常に難しい。
欲が消えるとはいうものの、それは内なる欲が消えるのであって、
外から飛び込んでくる欲(の発生源)については、普通に生活している限りなくならない。
旨いものを食べたいという欲が消えたとしても、目の前に旨いものが差し出されたら、
誰であろうとヨダレを垂らしてしまうだろう。性欲に関しても同じ。
だからこそ仏教の多くでは出家をすすめ、肉食妻帯を禁止するわけだ。
本来、無を悟った者は、極力持ち物や趣味を減らそうと努力するだろう。理想は何も持たないこと。
なぜなら、それが欲の発生源となるから。だからこそ捨てまくる。
546 :
神も仏も名無しさん:2011/09/19(月) 20:05:03.30 ID:Feg7bSFb
相談があります
悟りはどこまで開くことをいうのですか?
入門はしてませんが法と瞑想で
高次元へ行くことができ
ついに如来の存在を見ました
私が見てる事を気付いてくれました
難しい会話はまだ出来ません
悟りはまだ先ですか?
一方、俺がいままで気付かなかったのは「有(色)の悟り」のほう。
悟りというのは一つしかないものと勘違いしてたために、こちらの悟りは全く無視していた。
この悟りは、俺はまだ殆ど体験したことがないため、想像でしか語れない。
簡単に言えば、想像(イメージ)で幸せを極限まで高めること。
想像上の幸せを現実化する(現実の幸せに変える)ということでもある。
これは、瞑想やチャネリング、夢見(明晰夢)の最終段階において得られるものだと思う。
想像の力というものは、極限まで高めると現実とかわらなくなる。
想像の力で(過去に負った)火傷すら再現できるし、全くの健康な者に糖尿病であると暗示をかけて成功すると、
検査上においては糖尿病患者の結果と全く変わらなくなる、ということもわかっている
(糖尿病のことについては詳しく本に書かれていなかったが、おそらくこれも火傷と同様に、
過去に発病した人でなければ再現しないのではないかと思われる)。
要するに、外側から得られたすべての情報は、内側から作り出すことができるということ。
想像力によって幸せをつくることはできるが、それを高めるためには訓練が必要になる。
まぁ、人によっては楽につくることもできる者もいるだろうが、普通なら、
スポーツと同じように訓練しなければならないだろう。それが修行というもの。
548 :
神も仏も名無しさん:2011/09/19(月) 20:15:09.62 ID:QlYA/kW2
光明がどうとかヒンズー教くさい悟りイメージで悟りを語っている人がいるがそれは自分の固定観念で相手をはかっているだけの自己満足に過ぎないよ
夢見術などと呼ばれる明晰夢をつくりだす方法がある。
夢見をやっている人に言わせると、夢の中ではあらゆることが可能になるという。
スバリ、異性との性交もできる。しかも、現実のそれよりもはるかに強烈らしい。
現実の性交が馬鹿馬鹿しくなるくらいだ、と書いてあった。
最終段階に到達すると、自分を含めた全ての存在が光の存在に変わり、
無上の状態(幸せの極限)になるという。これがいわゆる光明化という現象であろう。
夢見ではなくとも、瞑想やチャネリングの極限状態も、おそらく一緒のはず。
で、結局何が言いたいのかというと、覚醒時(現実に生きている時)においては「無の悟り」を得、
非覚醒時(夢に生きている時)は「有の悟り」を得るのがよい、ということだ。
欲を捨てることと欲を得ることを同時にする、ということは一見矛盾しているように思われるかもしれないが、
おそらくそれが理想の状態と思われる。
問題
自分が何をしてるか分からない
何が分からないのか分からない
分かってないことが分からない
解決方法
解決したことにする
自分が納得できる形で理解する
頭が良い妄想に取り憑かれる
見下す
551 :
神も仏も名無しさん:2011/09/19(月) 21:35:12.29 ID:Feg7bSFb
>>550 自己を打破せず妥協で落ち着く人だよね
大問題と思う
>>546 俺も実は仏に会ったが事ある
>>難しい会話はまだ出来ません
簡単な会話であるなら出来るなら話をする回数をふやすことだよ
そこから仏による教えが始まる。
ただ相手が本当の仏であるかを知る為にも寺によく行くようにするといい(名の知れた大きな寺がいいよ
「無の悟り」のほうは、瞬時に悟ることが可能=修行する必要はない、
「有の悟り」のほうは、瞬時に悟ることは不可能=修行する必要がある、ってことだね。
そもそも、無は得るものじゃなくて捨てるものなわけだから、修行して得られるわけがない。
人によっては無の境地を得るために瞑想や修行をしている者がいるように思う。
おそらくこれは完全に間違った行為だろう。
瞑想という行為は何かを得るためにするもの。
無の境地に達したいのなら、何も持たず、何もしなければいいだけのこと。
瞑想するときは、幸せを想像し、それを極限まで高めること。これに尽きる。
まあ、人によっては何故、現実の欲は捨てて、非現実の欲を得るのか?
矛盾してるのではないか?と思う人もいるだろうが、これはもう、知るよりほかない。
片方が欠けた場合、たとえば、現実・非現実を問わずすべての欲を捨てるということは、
生きている意味がなくなる、最終的には自分をも捨てる、死を選ぶということに繋がる。
一方、現実の欲(快楽)を捨てない限り、それを超える想像上の欲(快楽)は得られなくなる。
現実が足かせになってしまうというわけだ。
>>553 お前、悟ったのかよ
悟ったのならお前のスレ、立てて良いぞ
俺個人的には許す
555 :
神も仏も名無しさん:2011/09/19(月) 22:20:59.10 ID:Feg7bSFb
>>552 ありがとうございます
さいわい近畿なので、行ってみます
行ったら何をすればいいですか?
大きな寺行ったら靴脱いで上がって静かに手を合わせて祈ればいいだけです
寺に行った後は「入門はしてませんが法と瞑想で 高次元へ行くことができ ついに如来の存在を見ました」
これを家に帰ってからやって、お寺に行った後の方がつながりやすくなる
560 :
神も仏も名無しさん:2011/09/19(月) 22:38:57.35 ID:Feg7bSFb
>>558 ありがとうございます
先が分からなかったのですが
前に進めそうです
561 :
神も仏も名無しさん:2011/09/19(月) 23:02:05.74 ID:Feg7bSFb
562 :
神も仏も名無しさん:2011/09/19(月) 23:04:30.57 ID:9f/UffFG
悟りも俗に流れるのだろうか。
識の中に悟りを見つけても、それは幻想だろう。
564 :
473:2011/09/20(火) 00:41:57.33 ID:dW5GXHrt
病気を感じる人は病気ですが
健康を感じる人もまだ病気です。
病気無くしてどうやって健康を感じるのでしょう。
健康な人は病気ゆえに健康を感じられるのであり、病気は積極面から消極面に引っ込んだだけなのです。
(それはそれでよいことではありますが)
だから多分本当に健康な人は健康を感じることはないのでしょう。
これは自我のお話にもそのまま当てはまります。
ps
1さんを信頼しているなら自分自身の実生活の悩みを相談されてはいかがでしょう。
抽象的な質問は質問事態が無意味で間違ってる可能性があるのですが、実生活の問題はあまりその心配がありません。
566 :
473:2011/09/20(火) 03:05:31.66 ID:dW5GXHrt
>>535続き
どうも落ち着きがないけれど、根本的な認識の違いがあると話が進まない。
無条件の至福が起き、あらゆる体験の儚さを認識し、それそのものであるような瞑想が起きる。
けれどそういうスペースから結局帰ってきてしまうわけです。
あなたはそれを正直におっしゃってましたね。
結局元に戻ってそれを体験として記憶するのです。
そのスペースにいるときだけがあなたなのではありません。
体験を超えたものもあなたですが、体験しているのもそれを説明してしまおうとしたり、
意味を共有したいと望むのもまたあなたなのです。その全体において自分を理解せねば自己欺瞞に陥ります。
それもあなたの一部ですが、24時間だか1週間だかそれを合計してのあなたです。
誰だって一番いいところだけ抜き取ればいくらでも良く見せられます。
あなたは自分の宝物を分かち合いたいのでしょう。
その気持ちはわかりますが。あなたの本当の持ち物はあなた全体なのです。
宝物だけあげる訳にはいかないのです。実存の譲渡においてはあなたはあなた全部を上げるしかありません。
≫私が死んでいるときに思考が消えていきます
ここであなたの言う私、は私ではなく一片の思考にすぎません。
一片の思考との同化が無くなると、目に見える言葉で把握できる思考は静まります。鎮めることができます。
しかしその状態において本当の意味での私、目に見えない思考の集合体は相変わらず機能しているのです。
そしてこの無意識の言葉にならない思考全てが静まった時、私は消えるのだと思います。
私が消えたら思考が消えるというのは順序が逆でしょう。
私が消えたら思考が消えるという言明は、
思考の同化が消えて目覚めが起きて、無意識の集合体である統一された自己が生まれるプロセスを示しています。
他者の影響に過ぎない偽りの自己が消え、あなたの本質が核である統一された自己の誕生です。
そして思考が静まればそれすら消えるのでしょう。
567 :
473:2011/09/20(火) 03:14:29.21 ID:dW5GXHrt
表面上の瞑想しようという欲望、達成の欲望、動機が消えることと、
無意識の関連しない数千数万いや数億の欲望の群れの構造全てが静まることはまた別次元の事。
そしてこの2つの間にあらゆる素晴らしい体験や、体験を超えたという認識やとてつもない英知や至福があるから
気を付けるように言われている。
568 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 04:42:37.71 ID:DxiecMpB
お前らが低レベルな話してるから1さん来なくなっちゃったぞ
いい加減オカルトスレに帰れよ
569 :
ama:2011/09/20(火) 06:54:05.17 ID:MTXl/J9f
>>477 歩くことに限らず、生活全般の中で、どんなことでも丁寧に観ることをお勧めします。
思い込みを捨て、ひとつひとつ確かめるのがその目的です。
ですから、景色とか他の感覚であっても、それに意識を集中して観るなら、
悟りに繋がります。
歩くことがいいのは、それが単調な繰り返しだからです。
実は、単調な繰り返しのように思えるのは、思い込みに過ぎず、
本当は、1歩1歩がまったく新しいのです。
そして、このことに気づくためには、繰り返しの動作が役に立つのです。
570 :
ama:2011/09/20(火) 07:18:00.03 ID:MTXl/J9f
>>483 おっしゃるとおり、それも悟りの一面だと思います。
世界は美しさに満ち溢れており、それに気づくかどうかは、
見る者にかかっています。
一方、美しい、という感想をも超越した世界も、
これまた美しいものです
571 :
ama:2011/09/20(火) 07:51:40.57 ID:MTXl/J9f
>>484 私がいないことに気づくのは私ですが、悟り自体は未知のものです。
既知たらしめるのは、どこまでも思考であり記憶です。
思考は必ず遅れてやってきますので、
今という瞬間に思考は存在しえません。
このことに気づくと、思考が創り上げている世界や私といったものが
実は存在していなかったことが分かります。
私が知っているもの、判断できるもの、意味を見出せるものすべては、
私の創作物だったわけです。
この世が幻想であるとはそのような意味です。
>>571 このことに気づくと、思考が創り上げている世界や私といったものが
実は存在していなかったことが分かります。
私が知っているもの、判断できるもの、意味を見出せるものすべては、
私の創作物だったわけです
自分の作ったバーチャルリアリティって言ってるの?
573 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 12:18:14.00 ID:hWvY0DJN
なんださとってないんだ
574 :
473:2011/09/20(火) 12:42:57.91 ID:dW5GXHrt
>>491 >>535 >>566 の回答をお待ちしております。
自我がなければ対話ではなく融合と創造が起きえます。
それはできないとしても少なくとも誠実に対話することはできるはずです。
今あなたのしていることは煩わしいものから目を背けて美しい夢にこもっているだけ。
対話にすらなっていません。
私たちを見てください。
あなたの言いたいことを言うための道具として我々を利用するのではなく我々と対話してください。
それを融合や創造だと自分をごまかすと、幸せに生きていけますね、、。
575 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 15:00:09.48 ID:DxiecMpB
君は対話をしたいのではなくて1を否定したいだけではないの?
1さんのスタンスからすると437の体験は幻想ということになると思う。
ただ幻想もまた一つの現実なのでそれはそれでいいんじゃないですか?
というような解答でしょう。
ナワトビ持ってる子供がそれに絡まっていた
1 「どうすっかいろいろ考えてたんだけどナワトビから手ェ離したら一瞬で解けたワロタwww」
473 「本当か?じゃあおれにも「ナワトビを使って解く方法」を教えてくれ」
1 「え?」
473 「対話にすらなっていません。私たちを見てください。
1 「いや、ナワトビを・・・」
473 「あなたの言いたいことを言うための道具として我々を利用するのではなく我々と対話してください。
それを融合や創造だと自分をごまかすと、幸せに生きていけますね、、。」
1 「・・・」
577 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 16:47:08.88 ID:INzKXOgJ
悟りを開かれた方々に聞きたい
今年に入ってから日本では、地震、津波、放射能、そして、台風と、近年稀に見る大災害が多発しています
これらも、全て幻想なのでしょうか?
579 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 17:50:45.03 ID:DxiecMpB
全部幻想だからこそ、全部等価とも言える訳で
神秘体験を追い求める人は屡々目の前の現実を下らないものだと思ったりする
しかし観察すると神秘体験も幻想だし目の前の現実も幻想なので神秘体験が大事なら目の前の現実だって大事なんだよ
釈迦や1さんの瞑想は神秘体験も目の前の現実もちゃんと意識しているのでより完成度の高い瞑想だと思うよ
580 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 18:01:22.70 ID:DxiecMpB
趣味でギターをやってるんだが
ある曲を先生の前で弾くと「楽譜通りになってないよ」
と注意される
自分では楽譜通りのつもりでも全然楽譜と違う弾き方をしてるんだよね
つまり「見てない」んだ。
記憶の世界に生きてるんだよね
記憶の世界に生きている限り、進歩はありえない
「見る」というのは本当に難しい。
自我に捕われず「見る」事ができれば「見落とす」事はないはずだが
難しい。
1さんは、正しく見る為には何が必要だと思いますか?
>>579 ということは、それらの災害も、
自分が作り出した幻想ということで
よろしいんでしょうか?
582 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 18:23:21.66 ID:DxiecMpB
自分がいなければ「災害」もないじゃん
台風だって生物一般からみたら「恵みの雨」かもしれんぞ
583 :
473:2011/09/20(火) 18:32:09.63 ID:dW5GXHrt
>>575 体験を誇った覚えはありません。
体験はすべからくすべて幻想です。
なにか私が否定をしたでしょうか。
私は1さんの述べたことの矛盾であったり、彼の自我の働きをそのまま捕まえてそれを指摘しています。
彼の自我の働きをすら否定はせずただ指摘しているだけです。
彼は瞑想について借り物の言葉だ語ることはできても、自分の事をしゃべったり他者と対話をするとすぐぼろが出ます。
ぼろが出るからいいのです。
完全無欠な演技が身についていたら手遅れですから。
彼の美しい話に幻惑されないように。
ある程度修行すれば、場合によっては殆ど修行しなくても自分に対する誠実さがなければ彼のように
話をすることは可能です。
こういう美しい話は心地よいですが私やあなたの実際の成長に役には立ちません。
それに本を読めばいつでも読めるようなことです。
584 :
473:2011/09/20(火) 18:35:17.32 ID:dW5GXHrt
もし自分が宇宙そのものだったら台風や地震の事をどう感じるだろうか。
このあたりに幻想を理解するヒントがあるかもしれません。
>>473 結局あなたは何がしたいの?
あなたが1の矛盾点を見つけてそれを示したいのはわかったけど、
だからそれを示して、どうしたいの?
586 :
473:2011/09/20(火) 19:09:36.27 ID:dW5GXHrt
一つは誰もに共通の事です。
他者との関係は自分を知るために役に立つのです。
私は私らしくあるだけです。
光明を得ないまま自分を知るため以外の目的で他者と関わるのは求道者とはいえないと思います。
また1さんが私を見抜いて私の精神の働き指摘でき、その克服を示唆できるのならそれも素晴らしいことです。
もう一つはいつか人類に還ってくることです。
目覚めた人間にはいつかボーティーサットヴァになってもらいたいという願いです。
今あるところにとどまらず、また光明を得るにしても阿羅漢ではなく菩薩であって欲しい。
こちらもただそうしてしまうだけです。
587 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 19:26:09.76 ID:DxiecMpB
1さん、別に美しい話などしてないだろw
588 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 19:32:05.38 ID:DxiecMpB
473には何の光明も感じないし、文書に知性の輝きもない、ただ「悟り」と言うコンプレックスがあって、
誰かが悟ったとか言うと嫉妬でもいてもたっても居られないタイプではなかろうか
>>586 上下2つの段は論外だが、真ん中の一行はどうなることやら
ボディーサーファー?、、、うーんやれやれ
ama氏って、他人の話を聞いているようで全く聞いてないよね。
間違いを指摘されても、全く聞く耳を持たないみたいだし。
ていうか、他人の考えが理解できない人なんじゃね?
精神科に行ったらアスペルガーって診断が下されそうだな。
そういう性格じゃ、社会で生きるのは大変だったろうなあって思うよ。
その苦しみから逃れるために、すべては幻想、
幻想だから悩む必要もないと片付けるようになったのだろう。
だいたい、現実が幻想だからどうだっていうの?
たとえば、悪夢でうなされている人に、悪夢は幻想だから苦しむ必要はない、
といったところで何の意味もないじゃん。
同じように、現実で苦しんでいる人に、幻想だから苦しむ必要はない、
といったところで何の意味もないんだよ。
591 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 19:42:02.70 ID:DxiecMpB
悪夢を見てる人がそれを夢だと気付いたら苦しまないどころか自由に操れるだろ
悟りにも種類や段階があるらしいし、
amaさんも仏陀とか阿羅漢とか名乗ってる訳じゃないんだから問題ないじゃない。
473さんは他人を通して自分の信念を強化しようとしてるように見える。
>>590 言葉というツール自体が万能ではないから齟齬が生まれてるようにしか
自分には思えなかった。
共通の体験や語彙を持ってないと特に観念的なことは難しいというか…。
同じ「現実」や「幻覚」という言葉を使っても、体感しているものは全く違うと予想される。
予想だけど。
593 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 19:49:14.31 ID:DxiecMpB
473は幸福の科学とかGLAみたいなそっち系のカルト信者じゃないかな
594 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 19:54:59.13 ID:vU8uPYcM
光明って、昔は光の戦士じゃなかったっけ?
>>592 だいたい、ama氏は自分が得た幸福感みたいなのを延々語ってるだけだよね。
他人を救う(悟りを開かせる)といった心が全く見られない。
菩薩や如来といった仏ってのは、衆生救済が目的なわけでしょ?
ama氏みたいな偽りの覚者は、なぜ、悟りを得たものが衆生を救済しようとしているのか、
という、その本当の意味すらわかってないんだろう。
阿弥陀様みたいに人を救うための誓願を立てて悟った人もいれば、
肝心のお釈迦様みたいに悟ったけど一人でそのまま死のうとして
梵天様から「皆に教えてやれよ!」って言われてる人もいるよ。
597 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 20:04:20.70 ID:DxiecMpB
悟りは個人的な体験なんだからしょうがないじゃん
オリンピックで金メダルを取りたかったら自分で泳ぐ練習しなきゃだめじゃん
1がいくら練習しても、その人が泳げるようになる訳じゃないんだから
悟リンピック
599 :
小林 白蓮:2011/09/20(火) 22:13:43.43 ID:1/xYtyx4
>>166 ※「悟りの定義」は普遍的仏法真理を学び、心の法則を知り、心を調律し、水鏡の
平静なる心境を維持して、透明で純粋な心の内の水底の般若の智慧を得ること
であります。
悟ることで、この世ならざる神仏や霊やあの世を実在として霊的に直視すること
です。
1の話は
「なんでこんなに当たり前のことに気づかなかったんだろう?」
「なんだなんだ?そんなことかよ!?」
というような、むしろあまりにもあっけないものらしい(
>>528)けどこれ分かる?
1の話は
「そのときの私の気づきは、どのようにがんばっても正確な言葉で表現することはできないもの」
らしいので、1をもってしても言葉で詳しく解説し切れないらしい
ということはこういうことだ、これはつまり「悟らないと分からない」
だが「むしろあまりにもあっけないもの」らしいのでよかった
難しい話ではなさそうなのだ
そこでこうしたらどうだろう
1、まずさっさと1の言ってることを経験してしまう
2、本当の悟りの世界とは何なのか教える
603 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 22:40:33.27 ID:DxiecMpB
そうね。だから1さんは例えば幸福の科学というドラマを楽しんでいる人には邪魔をしないようにレスをしなかったんじゃないですかね
ドラマを楽しんでいるときに「それってドラマで作り話だよ」といったら白けるからね
604 :
473:2011/09/20(火) 22:55:13.95 ID:dW5GXHrt
>>592様
≫悟りにも種類や段階があるらしいし、
amaさんも仏陀とか阿羅漢とか名乗ってる訳じゃないんだから問題ないじゃない。
悟った人の中でも阿羅漢は一人消えてゆく人、菩薩は教える人という区分です。
彼自身は段階の中での悟りという意味でなく仏陀の悟りという意味で使っているので物議を醸しております。
≫473さんは他人を通して自分の信念を強化しようとしてるように見える。
全くその通りでした。
人様の前に出るときはこの上なく意識的であるべきなのですが、ただいま意識的であればあるほどとんで
もないものと対峙しなければいけない状況でここでは思うことをしゃべりっぱなしにしていました。
とにかく賑やかで見苦しい語り口でした。自我の騒音です。
特に私は賑やかでしたが、あなたのおっしゃったことは人間の誰にも当てはまる永遠の命題です。
人は自分の過去の行動を記憶し、それを繰り返したい保持したいと望み、信念が形成され、
他者を通じてそれを共有したり議論したりしてそれを強めます。
自分の信念に全く毒されていない新しい生をここに書き出せるだろうか。
今はできない。
605 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 22:58:12.30 ID:DxiecMpB
>悟った人の中でも阿羅漢は一人消えてゆく人、菩薩は教える人という区分です。
だからそれは誰が決めたの?
606 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 23:10:09.90 ID:DxiecMpB
473
君の得意な「対話」の機会ですよ
自我が無ければ融合と創造が可能なんでしょ
君は対話者を選んでいる訳で君の定義だとそれは君の自我が大きく作用している事になるよ
607 :
小林 白蓮:2011/09/20(火) 23:11:03.31 ID:1/xYtyx4
>>118 ※「悟るための方法について」
@高い志として「仏の悟りを開きたいと」日々決意することです。
A一日を一生として日々新しく生きることを、日々新生を誓うことです。
B幸福の科学の仏・法・僧の三宝を帰依することです。
日々、お祈りをすることです。
C大川隆法著の著作の普遍的真理の仏法真理を学び、智慧として腑に落とすこと
です。そして、心にストックしてゆくことです。
D反省の習慣化です。心の想念帯は日々チリやホコリが穢れとなり、悟りの妨げ
になりますので、日々、一瞬一瞬に心の想念帯の穢れを発見したら反省するこ
とです。
反省できれば、心が湯上がりのように軽くなります。
E反省しながら、心の引っ掛かりが無くなって、安らいだ心で瞑想禅定すること。
気分が悪くなったり、集中できないときは、瞑想を解きます。
私の場合は、仕事の帰りや休暇の時に、平静なる心で集中できる場合は、数時間
瞑想禅定をします。義務感ではしません。
608 :
偽イルミナティ:2011/09/20(火) 23:15:19.88 ID:YBAZ2yAF
amaって人が誰かを悟らせたり出来るんなら意味もあるんだろうけど、
それどころか、悟りそのものを説明さえできないんでしょ
スネオ的な悟りとでも言えば良いのか
様は自慢だよね、これ
609 :
小林 白蓮:2011/09/20(火) 23:15:45.10 ID:1/xYtyx4
>>607 続きます。
F一時間経ちますと、心の内の上澄みの透明で純粋な部分が見えてきたら、透明で
純粋な部分だけを観て、平静なる心の持続をして行くことになります。
G凪いだ心の湖面から水鏡の心の湖面になって、心の湖面の底も透き通って
ゆらぎの無い心境を維持し、心の湖面の底を観てまいります。
H水鏡の平静なる心の内に光が射して来るのが分かってまいります。
I心の内の底の奥から、小さな点のような光が射してきて、継続の日々の中で、
小さな点のような光が、やがて大きな光が射して心の内が真っ暗だったのが
明るい光に満たされて、指月の教えのごとく、心の内に満月が観えてきますと、
それが悟りを開いたことになります。
Jそして、霊天上界からの指導が入り、水鏡の透明で揺るがない純粋な無我の
心境の質が高まれば、心の内の水鏡の底からコンコンと般若の智慧が泉のよう
にわいてきて、霊天上界の守護霊からインスピレーションが入り、高級霊か
らの指導が入るようになります。
K菩薩の登竜門の阿羅漢の悟りを開いたことになります。
上求菩提の悟りを開いたら、下化衆生の救済にあたります。
阿羅漢の悟りまでは、誰でもなることが可能です。
610 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 23:31:03.73 ID:DxiecMpB
1を批判する人の殆どがカルト信者である事が見えてくるな。
カルトは神秘体験による悟りの序列を付ける
信者に「あっけなく悟っ」てしまわれるとビジネスとして成り立たないからだ。
611 :
神も仏も名無しさん:2011/09/20(火) 23:59:35.05 ID:DxiecMpB
1さんの方法は神秘体験というファンタジーを追い求める人に取ってはある意味冷や水を浴びせるような所があるかもしれない。
神秘体験もよく観察し
目の前の現実もよく観察してみなさい
それは全て自分の心が生み出しているものである事に気がつくであろう
そう自覚するのがおそらく1さんや仏陀の言う悟りであるからだ
そう、そして「そう気がつくもの」も自分の心が生み出しているもの
だから「思考(とそれが作り出す全て)」が消えて、ただ みた とき
>>71、分かる
613 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 00:18:15.54 ID:mPIhvTA9
>>608 悟った人が「悟った」というのは自慢以外の何があるの?
悟ってるんなら、悟ってるって言わなくても
人を導く方法くらい知ってるでしょ。
614 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 00:18:43.69 ID:tjqi+IVv
今、この世界の中でいかに自由に生きるか
神秘体験を求める人は、現実が生きずらかったり苦しいと感じる人が多いのかもしれない
なので「ここではないどこか」を求めるのであろう。
しかし、結局、我々はこの世界で生きて行くしかない。
(もしくは山奥で一生座禅を組んでいきていくかであろう)
だから目の前の世界を知る事は非常に大事なのだ。
勿論、目に見えない世界を知る事も大事であろう
神秘体験も多いに結構だ。
しかし「この世」が見えず、「あの世」しか見えないのであれば
その人は「この世」に置いて盲目である
なのでまず「この世」を見る事が大事。
そしてどちらも幻想であると知るならば
そのような人は自由であろう
カルトの中にはあの世は実在だがこの世は幻と説く場合が多い
そして教祖はあの世を支配する神なのだというような事を言う
そうなると信者は完全に支配されてしまうだろう
しかしそれも心が生み出した幻想なのである
その根拠は信者や教祖がそう思い込んでいる事以外にないからだ
615 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 00:28:05.13 ID:mPIhvTA9
世界を幻想だと見極めたところで
幻想を断ち切らなければ、ずっと幻想の中だ。
課題は、どうやって幻想を打ち破るかだよ。
616 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 00:37:53.44 ID:tjqi+IVv
612
確かに、思考のない世界では、「苦しい」ということがないんだよね
「楽しい」もないけどさ
『案ずるより産むが安し』と言う言葉があるけど
苦悩とは、それがやって来た時にはない。
痛いんだろうなと考えている時は苦悩があるが
痛みを感じている時は痛みがあるだけで
観念化しない限りはそこに苦悩はない
その一瞬、その一瞬の現実の中には苦悩というものはない。
これは竜樹も『中論』の中で強調していたと思う。
「あの人にどう思われただろうか」と思うとき苦悩は生じる
つまり苦悩の正体は自分の「思い」なのである。
ならば心をコントロールすることが出来れば苦悩も消す事が出来る。
ついでに「あの人は俺の事が好きに違いない」と思うと「幸福」を感じるかもしれないが
この幸福感の正体も思考である。
だから思考が変わって「あの人はやっぱり俺が嫌いなんだ」と思うと「苦悩」に変化する可能性がある。
釈迦が「愛は苦痛である」と言うのはこういう事であろう
つまり思考を捨てるならば、苦悩も快楽も消える訳である
そこにあるのは「平安」という境地かもしれない
617 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 00:42:21.07 ID:tjqi+IVv
615
まさにそこなんですよね。
理屈からすると思考を捨てれば幻想は消えます。
幻想が消えると快楽や苦悩も消えるでしょう
するとそもそもどうやったら思考を捨てられるのかという話しになる
618 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 00:47:42.82 ID:mPIhvTA9
>>617 まずは思考の前提となる抽象的概念から捨てたらどうでしょう。
619 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 00:54:05.29 ID:tjqi+IVv
森の中で瞑想に耽っている人は、楽しい事ばかり考えているのだから
ある意味「天国」にいると言える。
しかしその天国は思考が生み出したものである。
思考が生み出したものだから何かの拍子に地獄に変わる事もあるだろう
ただ、人の影響を受けない分、好き勝手な幻想に耽られるので、ある意味では幸せなのかもしれない。
我々は山奥に住んでいるわけではないので
その思考は激流のように変化する、地獄や天国を行ったり来たりしているのが現実だろう
根本的な事を言えば、思考が全てを生み出しているのだから
思考が止まるならば、地獄も天国も超越出来る訳である。
この技術を天台仏教では「止観」と言った。
「一切の思考を止めて観る」という瞑想行である
620 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 01:06:47.28 ID:0nM6nWxt
クリシュナムルティは本物?
621 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 01:07:32.59 ID:tjqi+IVv
618
ここまで書いてなんだけど、やはり思考と妄想は区別した方がいいような気がする
だって今俺が書いている事も「思考」じゃん
一切の思考が無益だとすると無益な事をしていることになる
実際は思考によって
考えを整理して生活に役立てる事も出来る訳だ
釈迦が菩提樹で瞑想をして悟ったのも
思考といえば思考である
また、一切の知識を捨ててしまえば日常生活は営めないだろう
622 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 01:18:43.33 ID:tjqi+IVv
釈迦は「正しく見て正しく思考しなさい」と言い八正道を示したが
思考をやめて目の前の事を見る。(正見)
目の前の物事の縁起を考える(正思)
事自体は否定していないと思う。
1さんの「気づき」も
正しく見た結果、正しく思考され、真実が見えたという事ではないかと思う。
決して思考がない訳ではなく、思考はあったが
それはあるがままを見てあるがままに思考したという事ではなかったかと思う。
実際、全ての思考を停止したら生活が成り立たない。
あくまで妄想観念から生じた思考を否定したのであって
正しく思考するならば
恐らくそれは有益なのだ
その思考は苦も楽も齎さない。
知恵と呼ばれるものだろう
>どうやって幻想を打ち破るか
>どうやったら思考を捨てられるのか
そう考えているのもまた「思考」
「正しく思考」と仰るが、「正しいかどうか判断するもの」が「思考」であるならば、
その正しさの確実性とはどのようなものとなるだろうか
624 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 01:33:44.58 ID:tjqi+IVv
町の中に住んで自由を得る方法
私が知りたいのはそれなんだ
別に仏教徒でも>1教徒でもない。
単にその方法を知りたいだけだ。
そしてたまたま1さんや仏陀の悟りがそれと関連していると思われるので
興味がある訳です。
我々の心は幻想の激流の中で地獄を作り出したり天国を作り出したりする。
午前中に課長に褒められて有頂天でも午後、部長に「きみぃ。これなってないよ」と言われたら、奈落。というような事がある訳だ。
一つには、思考をコントロールしてポジティブシンキングを続ける。
もう一つは、思考しないで、部長も課長も単なる「情報」として受け取る。すると褒められても嬉しくないし叱られても落ち込まない。平安の境地だろう。
そして為すべき事を淡々とやり続ける
625 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 01:37:03.98 ID:tjqi+IVv
623
仏教徒の場合だと悟りに関係ある思考はOKだけど関係ない思考は喝!を入れられることになる。
基準は悟りに関係があるかどうか
関係がない事は妄想。
626 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 01:39:45.75 ID:tjqi+IVv
悟った人じゃないと悟りに関係があるかどうかを
そもそも判定出来ない訳です。
だから師匠について判定してもらう
白隠は「これが悟りですか」と何十回も師匠に尋ねて何十回も殴られたと言うw
>町の中に住んで自由を得る方法
1の示す理解の下においてはどこに住んでも自由ではないですかね
「こうでなければならない自分」を持つなら山奥に一人でも不自由ではないですか
628 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 01:48:26.43 ID:mPIhvTA9
自らの思考の輪の中で
グルグル回り続けて疲れませんか?
629 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 01:57:02.33 ID:mPIhvTA9
>>627 確かに自らの思考や観念からは自由だけど
縁起の法には縛られるよ。
630 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 01:59:20.75 ID:tjqi+IVv
「観念を止めてあらゆる物事を観る」
妄想が生じたら「妄想が生じた」と観察する
妄想が生じる事も精神のありのままの姿なのですから、それもよく観察する。
とにかく全て観察すること
ただ瞑想だけしている訳にも行かないから
人生の目標は決めなくては行けない。
その目標は悟りにネガティブになるものであってはならない
私の場合、悟るという事が一つの目標なので
生活全体を悟りを得る為のものに少しずつ改良していっている所です
沙門果経によると釈迦は「世俗に居ると悟りの妨げになるし
生活で悟りの修業をすると生活の妨げになるので、悟りを得たかったら出家しなさい」と進めたらしいが
現代の仏陀である1さんによると在家でも悟る事は出来るらしいので出来る限りやってみる
631 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 02:12:05.58 ID:tjqi+IVv
627
要はどこに居ても自由でありたい訳です
もっとも心の原理からすれば、俺はどこにいても自由だと思えば自由なんですけどね
ただ、自由でも、仏陀になる自由というのもあると思うんですよ
「全ての物が見えて、あらゆる事がわかり、なりたいものに自由自在になれる」そういう存在になることが私の自由なのです。
それは縛られているのではないですか?
ええ、そうです。仏陀になることに私は「縛られたい」のです。
>>630 >「観念を止めてあらゆる物事を観る」
「そのときそのようにして観ている」のは「観念により作られたもの」
(「観念により作られたもの」が「観念を止めてあらゆる物事を観」ようとしている)
>妄想が生じたら「妄想が生じた」と観察する
「妄想が生じた」と気がついているものは「妄想により作られたもの」
>妄想が生じる事も精神のありのままの姿なのですから、それもよく観察する。
「というようによく観察しているもの」は「妄想により作られたもの」
>とにかく全て観察すること
「をしているもの」は「観察対象」と同じ素材(思考により作られたもの)では?
634 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 02:31:32.10 ID:tjqi+IVv
「なりたいものになる方法」
心が一切を生み出しているとすると
心に働きかければ成りたいものになることは可能です。
古来から真言や座禅など色んな方法がありますが
これらは心が全てを作り出していると言う原理に基づいています。
上杉謙信は真言宗の熱心な信者で「俺は毘沙門天の生まれ変わりだ」と信じ護摩を焚きマントラを唱えていたそうですが
実際に当時の人に軍神とも言われるほど神がかった武将として活躍しました。
心が全てを生み出しているのですからこれは不思議ではありません
毘沙門天に成りたい、なりたい所か俺は毘沙門天だと強く思った謙信は実際に毘沙門天になった訳です。
仏陀に成りたいと思うなら仏陀になるでしょう
最澄は「仏陀になりたいと人が発心した時、もう仏陀になっているのだ」といいました。
ですからまず仏陀になりたいと思うこと
この「思い」だけは仏教でも尊いとされる訳です。
結論出ました。
仏教になりたいという思考だけが善い思考な訳です。この場合ね。
あと余計な事は考えなくていい。
仏教になりたいと考えていれば人は幸せになれるのです
仏教になりたいと思うからこそ1さんとも縁が生まれたりする訳ですからね
>>631 >要はどこに居ても自由でありたい訳です
>ええ、そうです。仏陀になることに私は「縛られたい」のです。
自由であることは縛られることではないし
縛られることは自由であることではない
>>634 >結論出ました。
そうですね
あなたは混乱そのもので「混乱そのものが選んだ解決方法」を採択している
「混乱そのもの」の世界において採択されたあらゆる選択肢が混乱の下にある
636 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 02:39:59.15 ID:tjqi+IVv
633
仏陀=物事を自由に見て自在に生きられる人になりたいと思って
物事を見るならば
それは結局、仏陀になることに繋がるはずです
2ちゃんねるを見ても仏陀になりたいと思っている私は1さんを発見しましたが、そうでない人は発見していません
結局、我々は、思考を通じてしか物事を見られません
そもそも思考しないことも思考の作用です。
「あ、妄想しているな」と気づく事はそもそも思考の作用です。
仏陀になる為の思考はOKなのです。
637 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 02:41:41.62 ID:tjqi+IVv
635
しかしそれも思考ではありませんか?
638 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 02:47:17.08 ID:tjqi+IVv
仏陀になりたい→あ、こんな馬鹿な事を考えてる場合じゃないな修行しよう→仏陀になる
という因果関係がある訳で、仏陀になりたいという思考が全ての大本です。
仏陀になりたいという思考が無ければ仏陀にはなれません
これはあらゆる重要な仏典の中で主張されてる事でもありますね
仏陀になりたいと発心することが仏陀になる種であると
>>634 >「なりたいものになる方法」
「なりたいものになる」には条件が必要だ
その条件とは 「なりたいものではない」ということ だ
あなたは条件を満たしている
「なりたいものではないあなた」は、以降そこから一歩も動かずそこにそのままある(
>>411)
「なりたいものになる方法」により「なりたいものになった」のは「なりたいものではないあなた」だ
「なりたいものになる方法」は「なりたいものではないあなた」により編み出された
それは「混乱そのもの」の世界において「混乱そのものが選んだ解決方法」により採択された選択肢である
640 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 03:04:13.51 ID:tjqi+IVv
1さんも仏陀になりたいがまずあったのです
その結果、止観瞑想で悟ったので
その逆ではない。
兎飛びを毎日していたからオリンピックで金メダルを取れた訳ではなく
オリンピックで金メダルを取りたいと思うからトレーニングをする訳です
思考はただ一点「仏陀になりたい」だけ
仏陀になりたいのであればそれ以外の思考は一切無駄ということになります。
私は仏陀になりたいと思っている人なので
要は仏教で言う所のボーディサットバですな
これは菩薩の言葉ですから、ゆめゆめ疑う事なかれ(笑)
1さんと俺は時空を越えれば同じなんだわ
仏陀になりたいと思っている私はいつでも仏陀になれるんだよ
ただ菩薩である俺の方が、1さんより解りやすいでしょ?
悟り切ってないからこそ
仏陀の悟りを言語レベルで大衆に伝える事が出来る。
1さんのように悟ってしまうと語る事がなくなってしまう。
「悟って」としかいいようが無くなってしまう訳だ。
俺も完全に悟ったらこんなふうにペラペラしゃべったりしないと思うもん
どうせ言葉じゃ伝わらないと思うので黙ってると思うぞ
誰もあなたが悟るなと言ってない
むしろこういってる(
>>600-602)
1、まずさっさと1の言ってることを経験してしまう
2、本当の悟りの世界とは何なのか教える
どうぞ悟ってくださいな
642 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 03:18:46.18 ID:tjqi+IVv
なるほどなるほど「仏陀になりたい」と思っている私は仏陀ではない
その通り!
仏陀だったら「仏陀になりたい」って思わないからね。
プールに飛び込みたいと思っている人はプールに飛び込んでない人だからね
しかし飛び込もうと思えば飛び込める人でもある訳よ
プールに飛び込みたいと思わない人はプールに飛び込む可能性がないからね
643 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 03:26:06.40 ID:tjqi+IVv
要は仏陀になろうかなどうしようかなとモジモジしている人なんだな
いわば、悟った1さんに、悟りの味を聞いて満足しているような状態だね
海外旅行に行った友人に
どうだった海外は!?
と聞いて、いいなーいきたいなーと言って空想している状態だな
644 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 04:01:56.20 ID:tjqi+IVv
1さんと話しをしたりすることが実は心に働きかけている事なんだよ
海外に行くまえに行った人の話しを聞いたり旅行雑誌を読んで旅行に行きたいという気持ちが熟してくる訳だ
機縁が熟してはじめて旅行に行ける訳です
だから一見無駄な事をやってるように見えても無駄じゃないのね
心に種を蒔いてる訳です
645 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 04:08:42.27 ID:tjqi+IVv
謙信の例で言うと「毘沙門天になりたい」と思っている時点では毘沙門天じゃないんだけど
彫刻の前で祈ったり、仏典を読んだり、マントラを唱える事で心に種を蒔いてる訳です。
そして機縁が熟すると本物の軍神、毘沙門天になる訳です。
因が縁を作りだし果を生じている訳です
現実は妄想であり、また、妄想は現実である
多くの人は、現実は妄想であると、解くが
しかし、妄想もまた現実なのである
それは、妄想が現実になるかもってことでは無くて、
妄想している状態が現実であるということ
私が見ている現実は妄想であるが、
妄想を見ている状態は現実である、といえる
すなわち、色即是空 空即是色である
この世界なんて、妄想だから、無意味だ、なんてのは、全くのくだらん考えで
妄想し続けている状態は、現実なのである
だから、悟ったなんてのは、妄想だけど、
その妄想している状態は、現実なんですよ
647 :
ama:2011/09/21(水) 08:21:34.92 ID:BX+k/q9t
648 :
ama:2011/09/21(水) 08:26:28.39 ID:BX+k/q9t
>>490 > ≫私は、はじめからいないのですから、
> ≫死んだ後も私はいないのです。
> ≫その意味で、「私は死んだらどうなる?」の答えは、
> ≫正確には「何も変わらない」となります。
>
> はじめからいないのであれば
> 「死んだらどうなるという質問」には
> 生まれていないので死ぬこともない
> という答え以外ありません。
はい、おっしゃるとおり、私は生まれていないので、死ぬこともありません。
そして、生まれていないのに、生まれ存在しているように見えています。
649 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 08:26:55.69 ID:UJInd6qU
努力で仏陀になれるならば、皆仏陀になっている。
では、どうしてなれないのだろうか?
650 :
ama:2011/09/21(水) 08:27:44.57 ID:BX+k/q9t
>>490 > 「死んでも何も変わらない」
> って、生まれていないはずなのに何が死ぬんですか。
> 無意識で活動している自我があるから死ぬという観念を持てるのではないでしょうか。
>
>
自分が存在しているという思い込みが死にます。
おっしゃるとおり、自我が、死ぬという観念を持っています。
651 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 08:31:49.86 ID:UJInd6qU
>>650 >自分が存在しているという思い込みが死にます。
失礼ですが、まだ死にきっていないように見受けられますが?
652 :
ama:2011/09/21(水) 08:32:41.32 ID:BX+k/q9t
>>490 > ≫実は生きているときから私は終わっている(つまりいない)のです。
>
> 「終わる」とはなんですか。
> 始まっていなければ終わることはできません。
> 私はないと口では言いつつ、無意識では私の始まりを意識しており深いところでは私があるということ> を知っているからでないと
> 終わるとおっしゃることは不可能です。
おっしゃるとおり、私は始まっていません。
ですから、終わることもありません。
初めから私はいないのです。
653 :
ama:2011/09/21(水) 08:38:52.74 ID:BX+k/q9t
>>491 はい、私は、「私はいて、同時にいない」という意味をあるがままの世界に与えています。
そして、この表現の仕方は、私なりです。
それを観た別の方は、また別の言葉で表現するかもしれません。
654 :
ama:2011/09/21(水) 08:42:49.29 ID:BX+k/q9t
>>493 > 似たようなことが起きたかもしれませんし、別の事が起きたかもしれません。
> ただ、基本的に474にあることはすべて起きましたか?
> それともこの文章が彼のいたずらで嘘が書いてあるのでしょうか。
私なりに書いてみましたので読んでみてください。
さて、私も質問してみます。
彼がいたずらや嘘で書いたかどうかを知る方法はあると思われますか?
あるとすればそれはどのような方法だと思われますか?
655 :
小林 白蓮:2011/09/21(水) 10:36:15.01 ID:LeBVkl4c
>>613 >悟った人が「悟った」というのは自慢以外の何があるの?
※大川先生の教えでは、インド時代のお釈迦様は大悟し仏陀となりました。
そして、お釈迦様は『「無師独悟」で私は悟りを開いた』と過去の修行仲間に
悟りの悦びを伝えたところ、過去の修行仲間から、「師がいなくてどうして悟
ることができるのだ」「自惚れるのも大概にしなさい」と嘲笑されてしまうの
であります。
誰もお釈迦様が仏陀になったことを信ぜず、仏陀と認めることができないという
ことは、悟りを開いた者は自己申告をしないと、「誰も悟っていなかった」で終
わってしまうのです。
ですから、周りから、自慢と勘違いされて嘲笑されても、悟りを開いた人は悟りを
開いた自己申告が必要であります。
656 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 11:18:59.26 ID:UJInd6qU
>>655 >ことは、悟りを開いた者は自己申告をしないと、
>「誰も悟っていなかった」で終わってしまうのです。
そこで終わって何が問題なの?
657 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 11:21:11.87 ID:UJInd6qU
>>655 そもそも釈迦はどうして自分が悟ったことを
他人に伝えなければならなかったの?
658 :
小林 白蓮:2011/09/21(水) 11:56:18.67 ID:LeBVkl4c
>>546 >相談があります
>悟りはどこまで開くことをいうのですか?
※阿羅漢の悟りは、菩薩界の1年生となります。
人間的修行は如来界までになります。
>入門はしてませんが法と瞑想で
>高次元へ行くことができついに如来の存在を見ました
>私が見てる事を気付いてくれました
※あなた様の如来の存在の姿はどのようなものでしたか?
>難しい会話はまだ出来ません
>悟りはまだ先ですか?
※中には、如来の存在を勘違いしていますので、具体的な内容が分かれば
ある程度分かると思います。
あなた様の修行方法も具体性がありませんので、何処かの師について
修行を積まれているのでしょうか?
659 :
小林 白蓮:2011/09/21(水) 12:19:25.03 ID:LeBVkl4c
>>656 >そこで終わって何が問題なの?
※仏陀の自己申告無いままでは、お釈迦様は仏陀であることが、分からない
と、仏陀としての使命は果たせないのであります。
>>657 >そもそも釈迦はどうして自分が悟ったことを
>他人に伝えなければならなかったの?
※上求菩提・下化衆生で悟りを開いた者は、衆生救済に当たることに
なりますから、ニセモノの仏陀も出ますので、本物の仏陀が自己申告
することで、ニセモノの仏陀が多数出て、衆生を堕地獄の教えの道
に行かせないためでもあります。
660 :
473:2011/09/21(水) 12:31:14.62 ID:756GdDIA
>>648-653 べき論の言葉遊びをしているのではありません。
今現在働いているあなたの自我を指摘したのに対して、あなたは自己イメージ、
理論的な自己認識によってつじつまを合わせようとしている。
あなたと同じように語ることなら私にもできるが、自分が体験していないことを語るような無意味なことはしません。
もしあなたが最上の悟りを得ているにかかわらず
>>491 >>535 >>566 で指摘されるような表層で悟ったつもりでも無意識で自我が働いているひとにありがちなと表現をしてしまった場合もあるのですが、
もしそういったミスをした場合は、その釈明はそんな表面的で論理的なものではなく、
もっと深く広がりのある、表層で悟ったつもりでも無意識に自我が残っている段階とその克服についての論述
でしかありえません。
実に薄っぺらな回答です。
で、今回は理論だけで本人の自我が見えないので特に指摘のしようがありません。
ですが、文章全体が死んでいて何も新しいものが無いということ自体が、全編自我といわれても仕方ありません。
正直回答を受けたと認識していません。本から出てきたありがちな言葉であり、あなたの言葉でないから。
661 :
473:2011/09/21(水) 12:40:20.09 ID:756GdDIA
>彼がいたずらや嘘で書いたかどうかを知る方法はあると思われますか?
これは悟った人が、弟子が経典を丸暗記して悟ったふりをした時に
それが嘘の悟りだと見抜くために、体験ならざるものについても道の途上の
体験についても実際に起こることと細部を変えて経典を作る。
というニュアンスの事ですが、それについてのご質問ということでよろしいのでしょうか。
662 :
473:2011/09/21(水) 12:44:52.62 ID:756GdDIA
>>648-653 べき論の言葉遊びをしているのではありません。
あなたの無意識全体、あなたの自我全体による回答ではなく、
あなたの表層の瞑想理論担当マインド個人の回答にすぎません。
663 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 12:58:35.48 ID:UJInd6qU
エゴまる出しの文章で質問されると
答える方も大変だろうね。
1が「そのときの私の気づきは、どのようにがんばっても正確な言葉で表現することはできないもの」
といってるのだから、ここでの1との対話というのは元々正確性の限界がある
それなのに473の要求は、不完全なパーツで完全なものを作って見せてくれと延々いってるようなもん
じゃあそういうようなことをやって何がしたいのかというのか聞いてみると
>>586とのこと
665 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 15:24:22.70 ID:UJInd6qU
>>664 おそらく彼は、自分の中に正しい答えがあって
その答え通りに1が回答してくれるのを期待してるんだろう。
彼の答えが正しいことを証明するために・・・・・
ID:tjqi+IVv が「仏陀になる為の思考はOKなのです。」と言ってたが
473にも同じように自己根幹と言うか、大本の土台基礎についての注意深さの欠如がある
>私は私らしくあるだけです。
「私らしくある」には「私が必要」
「私は私らしくあるだけだ」とする前に、それが「あるのか」
又「それがないならそもそも可能なことなのか」確認したのか
恐らくしていない、なぜならこうだから
>光明を得ないまま 自分を知るため 以外 の目的で 他者と関わるのは求道者とはいえないと思います。
ということから逆に「自分を知るため」という名目においてならば
「求道者としてなら強烈な自我を保持しつつ他者と関わるのはOK」としている ことが伺える
(「仏陀になる為の思考はOK」として 自我の生き残る聖域 を残すケースと同じ)
>また1さんが私を見抜いて私の精神の働き指摘でき、その克服を示唆できるのならそれも素晴らしいことです。
相手が「あなたが考えた悟り像」に適合するかどうか「判断しているもの」がある
だが本人にはそうしているものがあること を疑問点として認識できない
なぜならその前に前提があるから
「求道者としてなら強烈な自我を保持しつつ他者と関わるのはOK」
>>473 473さんは光明というものが悟りを得たときに言葉の格言ではなく本当に身に着くものであるとまで
知っているような気がします。ある程度473氏も悟りが進んでいるんじゃないかと思いますので473氏も
悟りの途中の段階まででいいのでその悟りまで導くスレを立ててみてはいかがでしょうか?
道が合ってるのか間違ってるのか分からないけど僕も1さんの悟りは最終的に光明を得て菩薩に至るまでの
途中の道しるべや入門編として読ませていただいています。
473さんの悟りの段階は預流果、一来果、不還果、阿羅漢果で云うとどの辺にあたりますか?
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html
>もう一つはいつか人類に還ってくることです。
>目覚めた人間にはいつかボーティーサットヴァになってもらいたいという願いです。
>今あるところにとどまらず、また光明を得るにしても阿羅漢ではなく菩薩であって欲しい。
>こちらもただそうしてしまうだけです。
「ゆくゆくは人類救済」か何かをしたい?ように見受けられるが
「救済できる」なんてのはまさに「混乱している人にしかできない発想」ではないか
(オウムのポアは「救済」だったなあ)
案の定これらの考え方は、その前に敷いた前提(求道者としてなら自我保持OK)
に残った自我から発せられているように思える
「人にこれこれこういうものになって欲しい」などと考える前に、日々の生活をしたらどうです
その方が少なくともあなたにボディサーファーになって欲しいと思われてしまう人が減って平和だ
あなたも「こうあるべきだ」の荷物が減って楽だ
そう思うがね
預流果、一来果、不還果、阿羅漢果、、、
果ばかりあるから果実食いたくなっちゃった
夏も終わり、果実のおいしい季節だよ
>>666 668
俺の書き込みが素敵な挟まれ方をしたなww
俺は預流果、一来果、不還果、阿羅漢果→菩薩という悟りの段階を信じているよ
まぁ馬鹿にする人もいるのかもしれないが、473氏は悟りに対して真剣で有るがゆえだとは思う。
671 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 16:52:58.77 ID:tjqi+IVv
真剣というか洗脳されてるだけじゃないか?
672 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 16:57:08.60 ID:UJInd6qU
>>670 俺も473は悟りに対して真剣なんだと思うよ。
だからこそ473には悟って欲しいし、
その為に、彼にとっては聞きたくない事も書き込むよ。
>>671 洗脳って新興宗教にか?473氏が小林 白蓮みたいに新興宗教に入っているなら洗脳でもいいけど。
小林 白蓮みたいなのが居るから、それで中途半端に本当の事書きながら、大川の話が出てくるから大変困る。
674 :
小林 白蓮:2011/09/21(水) 17:06:23.77 ID:kYyrRvwm
※大川先生の教えによれば、インドの時代のお釈迦様は釈迦弟子達に悟りの階梯で
教えたことは、菩薩の下段階の1年生までの悟りとして、阿羅漢の悟りとしたの
です。
プロの菩薩から如来、如来から仏陀への悟りは、阿羅漢の悟りではありません。
別段、馬鹿にはしていないけど、釈迦弟子達のレベルに合わせた悟りの階梯であっ
たということです。
だから、阿羅漢の悟りが、菩薩から如来を省略して、いきなり、仏としたのです。
仏にも段階的な使われ方があって、根本仏としての仏と九次元の宇宙界の仏陀
としての仏と、6次元光明界を卒業して七次元菩薩の下段階の阿羅漢果として
の仏の方便的使われ方をしています。
>>674 呼んでないよww
俺新興宗教大っ嫌いなんだよね
676 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 17:22:31.27 ID:tjqi+IVv
大別すると悟りに関する言説は
1、梵我一如説
2、空観派
3、中観派
1の梵我一如説は悟りの目的は神と合一とする
ヒンズー教や、神知学、スピリチュアリズムと親和性が高い
空を説く場合もあるが、この世が空であり、あの世は実在とする場合が多い。
グルイズム(いわゆるバクティヨーガ)と結びつきやすい。
しばしばあの世の神であり有人神である教祖が崇拝されている
仏教はヒンズー教の一部とする立場
悟りの基準として神秘体験を重要視する
2はいわゆるヒンズー教と差異化をはかる立場
原始仏教や禅宗などに特徴的
あの世や神秘主義、霊魂神の実在などに批判的な立場を取る
3中観派
密教、大乗仏教の諸派がこれに当たる
あの世や神を全否定はしないが肯定もしない
方便として認める立場
一部方便が逆転して本尊になっているケースもある。浄土系など
1さんは2と3の中間かな
批判派は梵我一如派が多いと思われる
677 :
473:2011/09/21(水) 19:02:33.45 ID:756GdDIA
>>667 そういったことはあまり申告したくないのです。
と申しますのも、私の段階まで来ていない人にそれを言ってもその人はそれを確認するすべがありません。
むしろ自分の達していない段階について先入観を持ってしまいます。
そして、それが理解できる私と同等かもしくは他のタイプで同等以上(他のタイプの判断は同等では無理です)
の人にはあえて言わなくても私の状況は筒抜けです。
私が穏やかに書き込んでも怒りと混乱は筒抜けですし、怒りを書いても穏やかさも筒抜けです。
つまり表出した精神ではなく精神全体の理解がなされてゆくのです。
4つの段階について読んで驚きました。
学者のたわごとかと先入観がありましたが、読んでみると不思議なほどの正確さで瞑想の習熟と実体験について記述されていました。
伝統が見事に保存されています。道の途中で旅を終わりにしないような仕掛けができています。
なるほどテーラワーダさんなんですね。ほとんど同様の内容をOSHOの講和で読みました。(奇跡の探求第2巻)
そしてこの4つの段階は、人間の成長の段階ではなく、悟りの成長の段階なものですから1番目から相当のものです。
それでもなお、煩悩のほとんどは残っている。どんな体験しても、体験は体験にすぎぬと知る無我の光がさしても、自我はほとんどそのまんま。
むしろそこからようやく思考ではなく、自我全体に向かう準備ができたと言えるのです。
その事実を突き付けているあたりが生きた経典だと感じます。
678 :
473:2011/09/21(水) 19:04:03.05 ID:756GdDIA
自分はどこか?
今は怒りについて学んでいたところでした。
油断すると相手の立場を考えず間違いや虚偽に怒りをあらわにするのですが、
自分の虚偽に精通するにつれ相手の立場に立つことができ始めます。
みんな主観では優しくて利他主義で公正なんです。
そのあたり「ゆっくり怒りが減り始めます」という記述にびっくりしました。
怒らないふりと怒りが減ることは全く別の事です。
ですが、たとえ怒りが内にあってもそれを表現しないのは礼儀というもので、
それを怠った私が起こられるのは当然です。
内にに怒りがあれば表層の礼儀などその人の実存にとって意味はなく悟りにおいて意味はありませんが、
内に怒りがあることを知ってなおそれを表現しないのは行であると思います。
穏やかに振舞おうとして自分の怒りがないと思い込むのは誤った道です。
預流果の人ではこの迷いに入ってしまうでしょう。
これを克服したのが不還果なのでありましょう。
そこにたどり着くまでは生徒であり弟子なのです。
自分と他者では自我の構造が、経験が思想が夢が世界が何もかも違うので今の自分では教えることなどできず、
あくまでかかわりの中で己の夢の構造を学んでゆくしかないのだと悟り始めるのが一来果かもしれません。
教えることで自らを損なわないのは不還果からだと思います。これはわからないことですけれど。
679 :
473:2011/09/21(水) 19:44:52.39 ID:756GdDIA
>>654 >彼がいたずらや嘘で書いたかどうかを知る方法はあると思われますか?
前述のような正しい道を進んでいる際にある人には起こるであろう体験に嘘が混じっているという意味でしたら、
その体験をした際細部が違えばそれがわかると思います。
悟りについての言明とは、悟りの障害である人々の人生や悟りについての観念を破壊するようなものの事ではないでしょうか。
故に祖師は時代とともに正反対の表現をかわるがわる行いました。
思考という束縛からの解放について言葉で語るいたづら者のブッダ達。
人の信念を強めるような、あらかじめある気体に合致するような言明は悟りの言明ではありえないのです。
それは場にふさわしくありません。
しかも他者の信念に反して気分を害するだけでは済まない、真理と愛の響きが祖師にはあります。
こちらは私にはありませんし、無い物ねだりになります。
自我で話すほかありません。自我によらないで話そうと思えば、先に光明を得ることになります。
無我との接触と無我のままでの他者との接触はいささか次元が異なるのではないでしょうか。
680 :
667 :2011/09/21(水) 20:13:23.99 ID:agkalPht
>>677>>678 そうですか、本当は分かる所まで教えて欲しかったんですけど、話どうもありがとうございました。
悟りの修業頑張ってください
681 :
小林 白蓮:2011/09/21(水) 20:23:57.91 ID:dS323dj5
> ID:agkalPhtさん
※あなた様は私をつかまえて、洗脳呼ばわりしているけど、あなた様も洗脳
されている事に気づいていただかないと。
釈迦教団も最初は、新興宗教だってことを忘れてはいけないね。
新興宗教が洗脳するから大嫌いということは、新興宗教の釈迦教団も
嫌いということになります。
大川先生は、お釈迦様の本体・本仏でありますから、本仏の大川先生が
嫌いだとお釈迦様も嫌いということになりますね。
悟りの探究者としては如何なものでしょうか?
682 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 20:32:41.39 ID:agkalPht
>>釈迦教団も最初は、新興宗教だってことを忘れてはいけないね。
釈迦は宗教が余りで回ってなかった時に仏教を作ったでしょ。
今は新しく宗教を作らなくても既存のものでいい宗教、宗派見つかるはずなので新しく宗教作る必要がない。
新しい宗教を作るのは金設けと有名になりたい、とこんなところが理由だ。
>>新興宗教が洗脳するから大嫌いということは、新興宗教の釈迦教団も 嫌いということになります。
新興宗教は嫌いだけど釈迦教団が仏教の事を云うなら好きだけど
>>大川先生は、お釈迦様の本体・本仏でありますから、本仏の大川先生が 嫌いだとお釈迦様も嫌いということになりますね。
大川先生はお釈迦様の本体でも本仏でもありません。これが洗脳というものですよ〜
>>悟りの探究者としては如何なものでしょうか?
如何もなにもあなた、幸福の科学に洗脳されちゃってますよww
683 :
小林 白蓮:2011/09/21(水) 21:46:22.39 ID:dS323dj5
>>682 >釈迦は宗教が余りで回ってなかった時に仏教を作ったでしょ。
※それは、新興宗教釈迦教団で弟子たちを仏の教えで洗脳しています。
>今は新しく宗教を作らなくても既存のものでいい宗教、宗派見つかるはずなので
>新しく宗教作る必要がない。
※大川先生の教えは、既存の宗教は、末法の宗教ですから、悟れる教えが玉石混交で
は悟ることも悟れません。
檀家で集まってワイワイ楽しくやる分にはよいのかも知れません。
悟りを求める場合は限りなく難しいものになります。
>新しい宗教を作るのは金設けと有名になりたい、とこんなところが理由だ。
※あなたは、ゴシップ・マスコミ洗脳されて、思考停止しています。
八正道の正見・正思・正語ができていないようですね。
>新興宗教は嫌いだけど釈迦教団が仏教の事を云うなら好きだけど
※矛盾していますね。
684 :
小林 白蓮:2011/09/21(水) 21:47:46.51 ID:dS323dj5
>>683 続きます。
>大川先生はお釈迦様の本体でも本仏でもありません。これが洗脳というものですよ〜
※あなた様もまちがった偏見による洗脳で、猜疑心で本仏の大川先生を否定する
ことは、お釈迦様を否定することになり、自らを否定することになります。
仏陀再誕としてインドやネパールでは、ウエルカム波動で四万人が会場に来て、
僧侶も沢山お見えになり、インド中がテレビ生中継で御法話され、仏陀再誕と
して迎え入れてくれています。
本仏の大川先生をニセモノ呼ばわりしますと、無知無明の大罪となりますので、
注意をしてください。
>如何もなにもあなた、幸福の科学に洗脳されちゃってますよww
※アジャンタ石窟寺院にある過去七仏と未来仏がありますが、未来仏は金の王冠を
かぶって、金の腕輪をしています。未来仏こそ1億5千万年ごとに地上に再誕する
本仏こそ大川先生です。
正法の時代を創る本仏の大川先生の仏法真理は善悪を分つ判断力となる正しい価値
基準は素晴らしい仏の教えであり、大いに洗脳されてください。
本仏の大川先生を信じたほうが200%間違いありません。
本仏の大川先生を信じたほうが、あなた様が永遠の後悔をせずにすみます。
685 :
通行人さん@無名タレント:2011/09/21(水) 22:10:37.23 ID:5rjWz04R
自灯明・法灯明という言葉は修行者なら大変な助けになります。
仏性は、自分以外の外側には見つけられない気がします。
しかし外側は、内側を見つける「きっかけ」になり得ます。
そのきっかけは、人それぞれで、もしかしたら日常にもあります。
でももし答えを見つけようとするならば、
時間と空間がある限り、答え自体は外側にはありません。
686 :
神も仏も名無しさん:2011/09/21(水) 22:32:25.81 ID:agkalPht
>>683 >>684 小林 白蓮さん
人柄は良さそうな人なのに可哀想です。あと日本中で大川 隆法を仏陀だと思ってる人は幸福の科学の信者だけですよ人口の1%もいません
洗脳とはかくも怖ろしいものかとただ唖然とするばかりであります。小林 白蓮さんが教団の命令による犯罪で道を踏み外さないようにただ祈るばかりです。
あと小林 白蓮さんに言える事は日本で幸福の科学が社会での信用を得る事ですね、それが出来なければ幸福の科学は否定され続けるだけでしょう。
でも大川 隆法が仏陀だとか教え込まれるんですか・・・これはひどい
みんな言いたいこと言い終わったかね?
688 :
神も仏も名無しさん:2011/09/22(木) 00:28:59.93 ID:WV/KAQm/
小林白蓮も473も自分の信じるものに
疑念を持たない点では一緒だなあ。
まったくだ
自分の考えで、他を見ているのがわからんのかね
全部自分だろうが
頭の悪い私でも、それらを信じている人に、全部幻想だよ、などと言ってみたところで反感を買うだけであることは分かりました。
「みんなドラマを楽しんでいる」
「いいじゃないか」
一方、私は、これらに気づいて安心し、OK、もういいや、と思いました。
来るもの拒まず、去るもの追わず。
そんなところでしょうか。
(
>>528-530)
人は、自分の思考を使ってしか、世界を知ることができないからね
どんだけ、他人が間違っているなんて言っても、それは、全部自分の思考なんだから、どうしようもない
それだけの、ことだよ
692 :
神も仏も名無しさん:2011/09/22(木) 01:25:58.39 ID:WV/KAQm/
>>690 現実や見えている世界が「幻想」だと言っても
言われた人が「幻想」だと思えないから拒絶反応が出てるだけで
決して悪気があっての事じゃないよ。
できれば、幻想を打ち破る方法を教えてあげて
その人の幻想を打ち破れれば納得してくれる人も増えるよ。
693 :
神も仏も名無しさん:2011/09/22(木) 01:29:16.56 ID:npgDoAXb
判断停止して物事を観察することです。
694 :
神も仏も名無しさん:2011/09/22(木) 01:35:27.58 ID:WV/KAQm/
>>693 言葉にすると簡単だけど
実際にはどうすれば良いのか分からない事ってあるよね。
「判断停止して物事を観察すること」も、そのひとつ。
>>694 そうだね
判断しないという判断、をしてしまう事もあるからね
1は何歳ぐらいからこういうものを考え始めて
何歳くらいのときに悟ったんだろう
wikiによると釈迦は29歳で出家、35歳で悟り80で死んだらしい
意外と長生きしてるなこの爺さん
697 :
473:2011/09/22(木) 02:23:58.16 ID:j4m4vurC
全編自我の弁明にしか聞こえないのは同じことを語る祖師と比べれば明らかですがもう一点
頭の悪い私でも、それらを信じている人に、全部幻想だよ、などと言ってみたところで反感を買うだけであることは分かりました。
「みんなドラマを楽しんでいる」
「いいじゃないか」
一方、私は、これらに気づいて安心し、OK、もういいや、と思いました。
来るもの拒まず、去るもの追わず。
そんなところでしょうか。
(
>>528-530)
悟りの一瞥を得て初めて自我を持てる。
それまでは自我などなく思考の群れがあるだけだ。
そして自我を持っている人だけが自我を失える。
失うと全体性があると聞いている。
1さんは自我を得た際に自我に閉じこもることを選択してしまったようです。
自らを失い他者や世界すべてと融合しそして消えてゆくような自我の方向性ではなく、
世界から隔絶しただ一人幸せであるような自我の方向性に。
oshoの言葉を別の角度で表現するとこうなります。
自分がないのではなくそれは自分しかないのではあるまいか。
自分がなく全体であるということと、自分しかなく他者とのかかわりを捨てるということは一見似た認識をもたらす。
別に悪いことではない。誰も迷惑は受けない。
だけど光明ではない。ありふれた自我で知性的な人間であれば飽きる。
>>697 自分がないことと、自分しかないことは、同じことですぞ
699 :
神も仏も名無しさん:2011/09/22(木) 03:49:22.65 ID:npgDoAXb
473は対話能力がゼロだな。
>>699 まあ、この様な場所の対話は、形式のみ
自分自身との、対話ができるなら、気づきが訪れるだろう
全てを自分の思考として、それを理解することだよ
1「よく見たらあなたが世界を救済する救世主、仏陀そのものでした」
全員「今までごめんなさい 私と世界を救ってください」
みたいな展開を待ってるのだろうか
702 :
ama:2011/09/22(木) 07:24:48.25 ID:YWh3jnK4
>>523 すみません、私は、そういった概念を学んだことがないので分かりません。
また、知りたいとも思いません。
> それと子供の頃からの宇宙や存在に対する疑問はどの程度のものだったのでしょうか
子供のころはSF大好き少年で、空想の世界で遊ぶのが好きでした。
よく、宇宙はどうして存在するのだろう、と考えていました。
果てはあるのだろうか、とかとか。
そもそも存在するって何?みたいな。
そして、絶対なにか答えがあるはずだと強く信じていました。
今思い出すと面白いなあと思うのですが、答えが無いなら無いなりの答えがあるはずだ、
のように考えていました。
あと、目が見えることがとても不思議でした。
見える世界には広大なスペースがあって、その中に人や家や海や山などが入っているのに、
そんな巨大ものが、こんなに小さくて白くて、外から見てもただの白い塊の中に
入ってしまっていることが不思議でしょうがなかったのを覚えています。
>>701 俺も何でこんなところに尼さんが?とは思うが
たぶん2chが負の感情が集まる腐った掲示板だ、ということを知らんのだろう。
そのうち嫌気がさしていなくなるに5ペリカ。
704 :
神も仏も名無しさん:2011/09/22(木) 08:27:16.40 ID:QTkBUo6e
>>697 そもそも自我って自分の力で、どうにか出来るモノなの?
705 :
小林白蓮:2011/09/22(木) 11:00:45.34 ID:ys85s7oy
>>668 ※現代において、世界人類の魂を救済をするのは本仏の大川先生であります。
私たちは、本仏への感謝報恩の心で、救済のお手伝いをしていますが、自我
の発露ではなく、救済のお手伝いをしている心境は無我で、実践は無私なる
心です。
大川先生の教えでは、無我なる心の質の高さが、無私の心の質の高さと連動し
て、救済力としてのよき感化力は大きなものになります。
あなた様の「(オウムのポアは「救済」だったなあ)」と認識している考え
方は、正しい価値基準としての善悪の判断力がない人によくある考え方です。
オウム教の教えにも正しさの一端はあるのかもしれないけど、ポア思想は煩悩
は肉体が死んでしまえば無くなるから救済の一環と勘違いした悪しき思想と悪
しき行為であります。
※使命感として「世人を照らす光となれ」ということで、無私・無我で、本仏で
ある大川先生の人類の魂の救済のお手伝いをしています。
※「こうあるべきだ」と言われて、参考になさる人もいますし、荷物を背負って
いる負担感の人は不愉快に思って欲望の自由に走る方もられます。
それは、選択の自由ではありますが、自己責任が伴います。
>>703 ama氏って男じゃないの?尼のamaとは違うだろ。
子供のころはSF大好き少年、だったって言ってるし。
名前から女と勘違いして鼻の下を延ばしてる奴が多そうだな。
おっと延ばすじゃなくて伸ばすだったか。
708 :
473:2011/09/22(木) 16:35:42.46 ID:j4m4vurC
自分の経験によってでなく、相手の立場にも立ってみようと、
互いの立場を混ぜ込んでゆこうとすると、自分の見識を捨てようとすると
たまらなく怖い。訳が分からなくなる。
人前でなくてもこの恐怖がわかるのなら、、。
>>697さん
本人にとっては似たようなことですが全く質の違うことですし
なにより我々他人から見ればその違いは明らかです。
自分がないということは全宇宙であることでしょうし、
自分しかないということは自分の殻に閉じこもり他者の影響をシャットアウトすることです。
瞑想が起こると他者の思考を鎮めることが可能になります。
しかしここでシャットアウトの方向に行くのが、瞑想が起きた人の落ち込む罠です。
これをさんざん語られていた人は堕ちたくても落ちれない。
いや、さんざん語られていても最初は有頂天になって自分の小悟を大悟だと思い込もうとするんだよなあ。
7回ぐらい生まれ変わるのが平均って仏陀は仰ってるのでしたっけ。
そういう意味では10年なんてまだまだ飽きないだろうなあ。
>>708 さて、他者の思考とはなんでしょう
自分の脳の中に、他者の思考が存在するのでしょうか?
それは、他者と思っている、自分の思考ではないでしょうか?
あなたは、わたしの文章を、読んで、わたしの思考と思うかもしれないが、
それは、あなたの脳で変換されます
そこらへんを追求すれば
自分がいないことと、自分しかいないことがどういうものか、わかるかもしれません
710 :
神も仏も名無しさん:2011/09/22(木) 17:19:23.80 ID:npgDoAXb
473
「仏陀の言葉」なんて後世の人が編集したのかもしれないし
それを真に受けるのは危険ですよ
一切空というのは仏陀も空ということで
仏陀なるものを盲目的に信じるのも迷いという事になるでしょう
そういう訳で、貴方も目の前のことをまず「観る」事から始めたらどうでしょうか
他人や世界のすべては自分のつくりだしたもの、と思ってる奴ならば、
わざわざこんなところに書き込みをして他人から返事をもらおうとするわけがない。
自分の力では制御できないもの、こそが他人や現実の世界なんだよ。
それとも何か?すべては幻影と思っている奴は、
他人や世界を自分の力ですべてコントロールできると考えているおめでたい奴なのか?
本当に悟った奴にとって、この世が幻想であろうとそうでなかろうとどうでもいいこと。
希望もなければ絶望もないわけだから、過去も現在も未来も、どうでもいいことなんだよ。
幻想に囚われている奴ってのは、幻想ということにしなければ精神を保てないってこと。
幻想を理由にして苦しみから逃れようとしている偽の覚者。
「空」を「哲学的な無」と勘違いしてる奴は、物理学を勉強しろよ。特に量子論。
真空とは何を意味しているのか、偶然とは何を意味してるのか、
答えを知れば自ずとわかるだろうよ。
713 :
473:2011/09/22(木) 18:00:24.73 ID:j4m4vurC
>>709 他者の思考についての言明ではありません。
思考というものは特に誰のものでもなく出したり入ったりします。
ここで述べたのは全ての経験からくる価値観や情動や世界観やそういうものの事です。
思考単品でしたら当たり前のようにやり取りがあります。
それをどう認識しどういう立場を与えるかは全ての経験からくる価値観や情動や世界観=自我
が関わります。
>>710 先ほどテーラワーダ仏教の悟りの段階についてレスしたのですが、
そのうちの前半が驚くほど自分の経験に合致していたし、良い意味でとても厳しいものでもあり、
ブッダは自分よりは信頼できる方なので、生まれ変わりを知りもしないのに使ってみました。
真に受けていないように冗談として語っています。
知ってたら自分の認識から自分の言葉で書くのですけど。
>>712 仰ることには大変同意できます。
幻想という言葉を他人のために自然なタイミングで使うのはおかしなことではありませんが、
自分のためのタイミングで頻繁に使うのだとしたらあなたのおっしゃる動機が働いているとみるのが自然でしょう。
それ故に解放は自他という区別が存在しない状態でしかありえないと祖師は語るようです。
他人と自分という分断を作り出しました。
自分がある以上、世界の残りの部分は他人でしかありえません。
全体性か自他の関係かではないでしょうか。
全体性というアナロジーか空というアナロジーを使うかは祖師の好みにより、
また弟子も向いた方に落ち着くかと思います。
714 :
473:2011/09/22(木) 18:35:25.92 ID:j4m4vurC
>>709 でもやっちゃってました。
「他者の思考」という言明は瞑想のものではありません。
仰る通り思考は思考です。
瞑想が起きただけでは全ての経験からくる価値観や情動や世界観=自我
からは自由になれませんが、自分のものも他人のものもなく思考からは自由になれます。
故に思考との同化、自分の思考=思想信念というものは無くなります。
瞑想が失われれば寝ぼけて信念に同化してしまいますが、自発的にその影響から逃れられます。で、また瞑想が失われて、、。
何を言いたいのか分からない
分かる人いますか
716 :
神も仏も名無しさん:2011/09/23(金) 00:42:00.98 ID:frCMMTyZ
>>715 言葉の意味は判るけど
何を言いたいのかが良く解らない。
つくづく言葉の限界を感じる。
自分の脳みその中にいる他人は、他人そのものではなくて他人の像だってことでしょ
でも、普通に生きてると、それが他人そのものだと思ってしまう
要するに、他人がどのように見えたとしても、自分の思考でしかない
逆をいうと、自分の思考を他人に投影していると言える
もし、それを理解できたら、
乗り越えられるんじゃないかな
>>715 473の言っていることは俺もよくわからん。
ま、わかる部分だけ読めばいいんでないの。
719 :
神も仏も名無しさん:2011/09/23(金) 02:14:24.31 ID:kt8e8BqJ
瞑想状態が持続しないで通常意識になっちゃうということでしょう
あとさあ、いい加減、他人や現実は幻想だから、
自分がつくりだしたものだからどうのとか言うのやめて欲しいですわ。
たとえば、自分が一生懸命、時間とお金をかけてつくった家が災害で全壊したとする。
その家はもちろん自分のものだ。自分のものだからといって喜べるのか?
あるいは、自分のからだに悪性腫瘍ができたとする。
その腫瘍は自分のもの(あるいは自分が作り出したもの)でしょ?
自分のものだからといって喜べるのか?
あるいはまた、愛する人が死んだとする。
幻想だからといって喜べるのか?悲しみも感じなくなるのか?
そんな非人間的で感情を殺した奴が、悟った、と言ったところで、
何の意味もないし、馬鹿か、としか言いようがない。
自分のものだろうが他人のものだろうが、嫌なものは嫌なだけ。
現実が幻想とわかれば苦しみは消える、なんてことは有り得ない話だね。
苦しみを消すには、その大元になる存在を消すしかない。
だからこそ、悟りを得た者は愛着のある物や趣味、愛する人を捨てるんだよ。
721 :
神も仏も名無しさん:2011/09/23(金) 03:25:20.01 ID:frCMMTyZ
>>720 悟ると全ての執着が消えて何かどうでもよくなるよ。
執着する対象が無くなるって言ったほうが近いかな。
>たとえば、自分が一生懸命、時間とお金をかけてつくった家が災害で全壊したとする。
>その家はもちろん自分のものだ。自分のものだからといって喜べるのか?
こんな時も喜びはしないが、全てを受け入れて起こったことはしょうがない
と自然に思えるようになるよ。
>だからこそ、悟りを得た者は愛着のある物や趣味、愛する人を捨てるんだよ。
捨てるわけじゃないが、どうでもよくなるんだ。
722 :
ama:2011/09/23(金) 10:20:22.71 ID:imA4BWje
>>535 > 自我が死につつあるとき、それを自我が解説しだして結局自我が玉座に座る。
これは起こりがちですね。
そして、解説せずに、そこにい続けると、完全な静寂があるんですよね。
(ちろん「完全な静寂」も解説です。)
> 別に何も起きてはいない。起きていると認識するのが自我であり精神です。
まったくです。
また「何も起きていない」というのがポイントだったりしますよね。
> 鏡のような精神ってご存知ですか?
いえ、存じません。
> 目覚めた人間は現実そっくりの夢を見ることが可能でそれを真実と混同するのです。
>
>
夢は現実とそっくりだったり、非現実的だったりします。
夢とはそんなものじゃないのですか?
現実そっくりだったりしても、目が覚めると夢だったと分かりますから、混同することはありませんが・・・。
723 :
ama:2011/09/23(金) 10:21:58.13 ID:imA4BWje
>>535 >> よって、至福は、とても静かです。
>> そして、至福は死です。
>> それゆえに最強です。
>> これが、最近の私の体験です。
>
> いや、幸せは体験でありはかないものですが、
> 至福は体験ではなくそれそのものであることとそもそも定義としてあったのに、
> 「至福が私の体験」ですか?
> 結局体験者である自我が体験しているだけとまた白状してますよ。
至福、という言葉は少しだけ違和感があって、私的には、静寂、と言った方がしっくりとくるのですが、
まあ、とりあえず至福としておきます。
で、
それそのものを誰かにお伝えするには、解説するしかないですよね。
そこにいるとき、体験者はいないのですが、それを解説するとき、
「至福だった」といわざるを得ず、あるいは、「静かだった」などといわざるを得ないわけです。
ご指摘の通り、解説するのは自我です。
では、そこにい続けるとき、至福や静寂があるのか?
ということですよね。
そこにい続けるとき、「私はその中にいる」とか、「その中にい続けよう」とか、「思考を観よう」とか、「思考が起こった」とかとか、
などのようなモノがあるのか?ということを確かめたいと思うわけです。
(もちろん思考が起こっているようには見えますが。)
おっしゃる通り、至福(静寂)は、体験ではありません。
それそのものです。
ですから、至福(静寂)自体は、私でもありませんし、それそのものですらありません。
それは、私の知っているものでしょうか?
表現できる言葉があるのでしょうか?
473さんの観たもの(体験したもの、気づいたもの、まあなんでもいいのですが)は、
やっぱり、私、だったのでしょうか?
いえ、それを、「私」と呼ぶなら、それは、もちろん私です。
表現の仕方は自由ですから・・・。
ですよね?
724 :
神も仏も名無しさん:2011/09/23(金) 10:42:04.30 ID:kt8e8BqJ
1さん
自分がやってるビジネスが計画通り行かなくて凹んでるんですが
悟ればそれも楽しめる心境になるものでしょうか
725 :
ama:2011/09/23(金) 10:56:32.11 ID:imA4BWje
726 :
神も仏も名無しさん:2011/09/23(金) 11:16:01.95 ID:kt8e8BqJ
わからないというと?
727 :
神も仏も名無しさん:2011/09/23(金) 11:18:17.60 ID:kt8e8BqJ
1さんは悟れば人生が楽しくなるとおっしゃってましたが
728 :
神も仏も名無しさん:2011/09/23(金) 11:30:54.64 ID:t8Erb5sR
真我の位置はどこらへん?後ろ?のどこ
729 :
神も仏も名無しさん:2011/09/23(金) 11:59:48.46 ID:kt8e8BqJ
商売で成功する方法を教えて欲しいわけではなく
どんな状況であろうと、客観的に物事を捉えられ判断する方法を求めていますが
1さんの悟りは特にそういう事とは関係ないのでしょうか?
730 :
473:2011/09/23(金) 14:26:02.48 ID:D7fvEkuM
≫ご指摘の通り、解説するのは自我です。
私はそういう意味で自我を指摘したのではなく、全くあなたは自我にとらわれて、知性に経験にとらわれて
しゃべっているという指摘をしたのです。
別に誰もがそうなのですが、自分は自我を脱しているというつもりになっていると問題です。
便宜的な人格を使うということと、自我にとらわれているということは当然別の話であり、別に私でなくても、
比較的知性的な書き込みをした人は「対話能力がない」「アスペルガー」と批判するでもなく分析していたでしょう。
自分が自我にとらわれているとわかっていれば、わかっているなりの事を語ればいいのです。
それに気付かずに究極に達したと思って語ることは自己欺瞞です。
そのあたりお話が通じていないので申し訳ないですがご返答になっておりません。
また「ということ」
ということにこだわるということは全く知的な理解にこだわっていることの現れに見えます。
素直に言うのはいいことです。突っ込まれないようにテクニックが発達したらおしまいです。
まだあなたは自我についてよくわかっていないのではないでしょうか。
自我を得ても自我と同化しているうちは自我を把握することはできません。
単体の思考と、感情と記憶と経験の集合体であり価値観と信念と夢と幻想の世界を織りなす自我はという構造は別のことです。
光明を得た人は思考を使うでしょうが、自我はないでしょう。自我は錯覚と迷いの構造です。それを使う必要性などないのではないでしょうか。
自我がないからこそ後述する適切な思考の使い方が初めて可能になるのではないでしょうか。
これについても先ほどまで多くを語りました。
731 :
473:2011/09/23(金) 14:27:09.19 ID:D7fvEkuM
≫表現できる言葉があるのでしょうか?
光明どころか瞑想についても語ることは不可能で、それについて語るのは冗談程度のものでしょう。
言葉で瞑想は表現できませんし、もちろん伝えることもできません。
あれは道に人を誘うための冗談のようなもの。言葉で表せないものを言葉にするのだから。
むしろ言葉は、虚偽を、信念を混乱させ緩やかに解体するようなロジックとして使われるべきではないでしょうか。
そうすることによってのみ実際に他者は彼自身の意識で瞑想に至るのです。
そして光明にしろ瞑想にしろそれを伝えるのは、この場合は自らを証明するのはロジックではなく響きになります。
響きと「すでにある固定観念を破壊するもの、相手に感応している、ロジックより響き、新しい、融合様々な形。」
というその人の総合的な実存のレベルです。自分の場合、響きより後者の人間の総合的な理解方で表現しています。
あなたは瞑想の部分だけ自分から抜き出したいようですが人間は総合的にみるほかありません。
また、ロジックではなく体験を重視して語るなら、私、ではなく彼が、全体がすべて行うという表現を本物のそちらのタイプの人は使います。
光明を得たマスターも、小悟を得た人も、、。
全体性をいなくても認識していなくても、「私」が全体性に比してちっぽけだと感じる祈りの道の小悟のひとは私、ではなく「彼」を使うでしょう。
ただこれは、いわゆる仏教の道ではなく祈りのスーフィーの道ですので安易に鞍替えするものでもないかと思います。
そして
>>697がこの話に言いうるもっと具体的な形です。でも一連のレスで非常に多くの角度から語っており、あまり言い残した感はありません。
732 :
473:2011/09/23(金) 14:32:36.36 ID:D7fvEkuM
>>717 私たちは利己的な、嘘をつく他者を邪悪だと思うことがありますが、当の邪悪だと思われている人は、
「みんなやってるんだから」「しかたない」「本当はやりたくないんだ」「無自覚」「これが常識」
という主観であり、善良な一般市民のつもりで生きています。
するとその人への評価とその人自身の自己評価に大きなずれが生じます。(話が通じない)
邪悪な行為をあえてやる人はおらず、それは弱さであり、常識であり、無意識なのです。
しかし、こういったことを理解することは不可能です。こういったことを考えても何も変わらないのです。
他者の主観をいくら考えようとしても、奇跡の探求を何回も読んでも全く理解は進まないのです。
(グルジェフもあえて多くを語らずただワークをさせました。)
理解するためには思索ではなく自己の根本的な変化が必要なのです。
私たちが理解しなければならないことは私たち自身が、
思考、感情、感覚という分裂、あらゆる欲望と記憶の分裂を内に秘めており、
他人との争いがどうこうというより、私たち自身の内側で主導権争いが絶えず行われているということです。
自分の中で戦争が起きている限り、他者とも戦争するほかありません。
私の中で主導権争いに勝った思考や感覚が一時的に私を名乗り、負けた思考は敵役として他者に投影されます。
かくして他者は自分の抑圧した欲望をあてはめられて邪悪と認識され批判されるのです。
また主導権に勝った思考や感覚がそれを自分の意志だと思っている限り、他人にも意志があると勘違いしてしまいます。
話せばわかると思ってしまうのです。
いえ、他者に意志はなくすべて無意識と常識でしかたなく起こっており変化の余地はありません。
これも起こっていることの一端に過ぎずとにかく自分の内部分裂の理解がカギになります。
733 :
473:2011/09/23(金) 14:34:27.00 ID:D7fvEkuM
>>720 そもそも人は死んでしまいます。
変化、変化こそが宇宙の本性であり、停滞や安定はほんの例外にすぎません。
長持ちする、永遠に続くものがあると思い込むのが悲劇の始まりで、人類は
集団でその間違いを美化して共有するものだから悲劇は増す一方です。
人は死ぬ。50年後の死を受け入れるのも明日の死を受け入れるのも大した違いはないと思いませんか?
死を受け入れると感情の働き方が全く違ってきます。
死を受け入れないことが迷いであり、実際にある死を実際に単にあるものとみているのが明晰な意識です。
このあるものをあると受け入れるというだけの事に、それも一瞬でも受け入れるということに相当の修業を要します。
一時的なものでもそれは人生観を変えます。
734 :
473:2011/09/23(金) 14:40:19.52 ID:D7fvEkuM
ロジックではなく体験を重視して語るなら
ではなく
人間の総合的な理解という方向性ではなく
瞑想の体験そのもので何かを伝えたいなら、
いや、ひとの観念を緩やかに解体し鎮め、人々に瞑想に目覚めるように誘導するなら
彼という表現が出るような実存でもって、彼という主体を使うのが適していると思います。
正しい実存で使われた彼という表現は人の自我を、思考を鎮めます。
実は1さんにはそれが向いているのかもしれません。
735 :
小林白蓮:2011/09/23(金) 16:27:21.49 ID:dANHig7u
>>728 >真我の位置はどこらへん?後ろ?のどこ
※それはある意味、心はどこらへん?後ろ?のどこと述べているのと一緒であります。
大川先生の教えでは、私たちの心の場所は、胸元の中央にあり、心臓の横にあり
ます。
私たちは、仏から分かれた仏の子であります。
仏の子人間に限らず、仏性として仏と同じような性質が心の奥に宿っています。
仏性こそ真我であります。
真我の仏性を磨きをかけることこそ、悟りに到る仏道修行の本義であります。
OSHOってバグワン・シュリ・ラジニーシのこと?
473のいう「祖師」ってこの人のことかな
悟りは自身が感じるモノで、開いたり閉じたりするモノではない
738 :
ama:2011/09/24(土) 13:31:46.06 ID:WXXxA0oo
>>546 私が申し上げている悟りは、葛藤なく自由に楽に生きることです。
私も入門をしたことはありません。
高次元へは行ったことがありませんし、
如来の存在を見たこともありません。
私も難しい会話は苦手です。(苦笑)
悟りは今ここにありますので、先に行く必要はありません。
逆に、まったくのゼロに戻ってみるといいかもしれません。
739 :
ama:2011/09/24(土) 13:33:20.88 ID:WXXxA0oo
>>566 > 無条件の至福が起き、あらゆる体験の儚さを認識し、それそのものであるような瞑想が起きる。
> けれどそういうスペースから結局帰ってきてしまうわけです。
> あなたはそれを正直におっしゃってましたね。
> 結局元に戻ってそれを体験として記憶するのです。
おっしゃるとおりです。
> そのスペースにいるときだけがあなたなのではありません。
いえ、そのスペースにいるときは、私はいないと申し上げています。
> 体験を超えたものもあなたですが、体験しているのもそれを説明してしまおうとしたり、
> 意味を共有したいと望むのもまたあなたなのです。その全体において自分を理解せねば自己欺瞞に陥ります。
同感です。
自分を理解するというのは大きなテーマですね。
理解とは価値判断とは違うわけですが、
どのようにすれば、本当の意味での理解が出来ると思われますか?
> それもあなたの一部ですが、24時間だか1週間だかそれを合計してのあなたです。
記憶にあるもの全ては私ですね。
740 :
ama:2011/09/24(土) 13:35:00.61 ID:WXXxA0oo
>>566 > 誰だって一番いいところだけ抜き取ればいくらでも良く見せられます。
> あなたは自分の宝物を分かち合いたいのでしょう。
> その気持ちはわかりますが。あなたの本当の持ち物はあなた全体なのです。
> 宝物だけあげる訳にはいかないのです。実存の譲渡においてはあなたはあなた全部を上げるしかありません。
私は大した宝物を持っていません。
悟りも悟りの体験も宝物ではありません。
言うまでもないことだと思いますが、
そんなものは捨ててしまった方が、よっぽど役にたったりしますよね。
つまり、悟ったことなどないものとして、常に新しく確かめてみないと、そこにはいられないわけです。
ただ、みなさんにとって、悟りの方向に進むもしくは最後の局面を飛び越えるもしくはすでに飛び越えていることに気づくもしくは戻っていることに気づくきっかけになるようなことがお話できればとは思います。(成功しているかどうかは分かりませんが・・・(苦笑))
あるいは、人によっては悟りなどというものは、忘れてしまった方が良い場合もあります。
釈迦であれOSHOであれ誰であれ、悟った(といわれている)人が語ったことは宝物のように扱われます。
これは諸刃の剣で、役に立つ面もあるのですが、それによって悟りから遠ざかったりもします。
その意味で、私の話などは、ゴミ箱にでも捨てた方が、その行為をもってして悟れたりするかもしれません。
> ≫私が死んでいるときに思考が消えていきます
>
> ここであなたの言う私、は私ではなく一片の思考にすぎません。
おっしゃるとおり私が申し上げている「私」とは、一片の思考です。
あるいは、その他諸々の思考です。
あるいは、その思考に意味をつけたり判断したりしている者です。
あるいは、「この思考はどこから生まれてくるのだろう」とか「見えない思考があるはずだからもっと見てやろう」のように、ただ気づいている状態から出てしまっている(戻ってしまっている)思考です。
もっと言えばそれを「思考」だとか「記憶」だとか「あった」とか「見えた」とか「ん?」とか「あっ!」などのように考えている思考です。
741 :
ama:2011/09/24(土) 13:42:25.37 ID:WXXxA0oo
>>566 > 一片の思考との同化が無くなると、目に見える言葉で把握できる思考は静まります。鎮めることができます。
おっしゃっている同化とは、それに引っ張られ、それを自分と思い込み、自分であるかのようにその思考を採用することですね。
> しかしその状態において本当の意味での私、目に見えない思考の集合体は相変わらず機能しているのです。
目に見えない思考の集合体とは、記憶(思い出せないことも含めて)と言い換えてもよろしいでしょうか?
> そしてこの無意識の言葉にならない思考全てが静まった時、私は消えるのだと思います。
おっしゃるとおり、無意識の言葉にならない思考(記憶)が全て静まったとき私は消えます。
ところが、そのときに私が存在するかどうかを確認すると私は存在します。
思考が動くわけです。(人は見たいものを見る。)
ですから、その中にいるそのときは、私が存在するかどうかを確認することができません。
そして、それが、私が存在しないということなのです。
あと、確認ですが、無意識の言葉にならない思考全てが静まるといっても、記憶がなくなってしまうわけではないですから、
無意識の言葉にならない思考全ては、出てこないだけであいかわらず存在はしていますよね。
742 :
ama:2011/09/24(土) 13:44:28.65 ID:WXXxA0oo
>>566 > 私が消えたら思考が消えるというのは順序が逆でしょう。
まあ、私も思考も同じものですから、順序を問題にしてもしょうがないのかもしれません。
ここで申し上げたかったのは、私が力を与えなければ思考は消えていくという意味です。
解説したり、判断したりすると、その思考は思考として強まりますよね。
でも、ただひたすらにそのスペースにい続けるとき、思考自体ありません。
ないのです。
なにもない。
で、473さんは、そのスペースをやっぱり私(私そのもの?もしくは体験しない私?)と呼ぶのでしょうか?
申し上げるまでもなく、大切なことは、それをどのように呼ぶかではなく、
本当はどうなのかを確かめることですよね。
とはいえ、確かめると確かめている人はいなくなってしまいますし、
いない状態で確かめようとすると確かめる人が出現するのですが・・・。
そして、このことをもってして確かめることが出来たりするわけです。
> 私が消えたら思考が消えるという言明は、
> 思考の同化が消えて目覚めが起きて、無意識の集合体である統一された自己が生まれるプロセスを示しています。
「思考の同化が消えて目覚めが起きて」というのは、
それがどのような思考(私のように見えるもの)であってもそれを判断せずに観ること、
つまり、それと自分を同一視せず、切り離し、過ぎ去らせることですね。
ただ、無意識の集合体である統一された自己の出現というプロセスは、誰にでも起こることではなさそうです。
単に、どのような自分であっても全てを認める、というプロセスのことなら、誰にでも起こると思います。
743 :
ama:2011/09/24(土) 13:48:14.63 ID:WXXxA0oo
>>566 > 他者の影響に過ぎない偽りの自己が消え、あなたの本質が核である統一された自己の誕生です。
> そして思考が静まればそれすら消えるのでしょう。
他者の影響に過ぎない偽りの自己というのは、生まれてから後天的に刷り込まれた思考、
つまり、親や教師やマスコミなどから植えつけられた思考のことですね。
私の本質が核である統一された自己というのは、上記で言うところのスペースでしょうか?
もし、違うとおっしゃるなら、そのようなものは出現させなくても悟れます。
少なくとも私には必要ありませんでした。
あるいは、どのような自分であっても全てを認める、というプロセスのことなら、私にも起こりました。
744 :
小林白蓮:2011/09/24(土) 14:12:22.65 ID:UgJk1IXe
※悟っているかどうかは、降魔成道をして宇宙即我の悟りの体験をしていることです。
降魔成道無くして、宇宙即我の悟りの体験をすることはありません。
大川先生の教えのように、この世からあの世に移行するとき、肉体は死んでも霊
として新たな生の始まりであり、この世とあの世を越えた神仏の働きや高級霊の
背後を直視して、高級霊のインスピレーションを受けれるかであります。
そして、反省を突き詰めた姿として、心の内に満月のような仏性を直視できるか
であります。
この1の絶対的安心に基づいてる感触
なんでそうなのかというと、何もない からだ
何もない んだから失う心配もない(失うには失うものが必要)
脅される不安もない(脅される対象がないのでされようがない)
それに比べて473よ
何をそんなに怖がっているのさ
>>708 >自分の経験によってでなく、相手の立場にも立ってみようと、
>互いの立場を混ぜ込んでゆこうとすると、自分の見識を捨てようとすると
>たまらなく怖い。訳が分からなくなる。
>人前でなくてもこの恐怖がわかるのなら、、。
仏陀は、誰某は、、ああいったこういった、、、
そうやって積み上げていった自分の見識を捨てようとすると
>たまらなく怖い。訳が分からなくなる。
だからもっとしっかりとした見識を、経験を、もっともっと高く積み上げていく
それを捨てようとすると起こる恐怖と一緒に
747 :
473:2011/09/24(土) 14:54:34.63 ID:PduxhH8e
≫で、473さんは、そのスペースをやっぱり私(私そのもの?もしくは体験しない私?)と呼ぶのでしょうか?
そこから始まるのでって、それを呼ぶ理由はありません。
肉体として社会生活をする私を私と呼ぶだけで足ります。
一つの冗談として存在するわけでもなく存在しないわけでもない無上の悟りなどと、
維摩経のヴィルマルキールティは語っておりました。
> ここであなたの言う私、は私ではなく一片の思考にすぎません。
≫おっしゃるとおり私が申し上げている「私」とは、一片の思考です。
いえ、話が通ってません。
複数の思考と記憶と夢の構造である無意識の集大成である自我=私
表層で一時的に主人になってる思考=私
後者から目覚めて初めて前者に取り掛かる準備ができるということです。
ちょっと過去レスを読み直してみてください。
どうもやはりご自身のペースでしゃべりたいことをしゃべっているだけで私の述べていることを把握できていません。
≫ただ、無意識の集合体である統一された自己の出現というプロセスは、誰にでも起こることではなさそうです。
単に、どのような自分であっても全てを認める、というプロセスのことなら、誰にでも起こると思います。
表層的な自己認識と同化していると、無意識の自分を知らないし受け入れられません。
自分の全てを受け入れるということは無意識を受け入れられる、無意識を知っている、表層意識が主人ではないということになります。
(瞑想が失われると表層意識が主人になってしまうがまあ自由に取り戻せる)
これは方向を変えただけで同じことを意味していると思います。
≫> それもあなたの一部ですが、24時間だか1週間だかそれを合計してのあなたです。
悟りは現れたり失われたりだとか、映画なども見るとおっしゃられていたはずですが。
無論私もそうなのですけど。
748 :
473:2011/09/24(土) 15:05:46.98 ID:PduxhH8e
ああ、真ん中あたりまちがったかも。
話が通ってるのか。
間違いを指摘したのに、
「はいそういう意味です」ですか。
なんと調子のいい。しかも言葉の間違いではなく知っている人なら間違えないであろう人間の精神の事実関係の間違いなのに。
まったくそんな意味であなたは語ってない。逆の意味や明らかに異なる意味で語っていた。
もう何言っても、自分の自我に都合のいいように解釈して持論がより隙がないよう磨かれてゆくだけか。
まあそれもよい。
持論を信じ込む人間に恐怖はない。
持論があれば、無明があれば恐怖がある。
無明が消えるまで恐怖は友だ。
749 :
473:2011/09/24(土) 15:11:15.43 ID:PduxhH8e
私が提示しました
私の本質が核である統一された自己というのは
(でも、ただひたすらにそのスペースにい続けるとき、思考自体ありません。)
というようなスペースによって(意識によって)ばらばらだった無意識がつながって一個の自我になるという意味合いです。
一個になったときその人のタイプによって統一の現れ方はずいぶん異なります。
そもそも多くの知識があるかどうかで統一された際の矛盾の激しさは異なりますから。
そういう人は物事を信じ込むという時間の無駄をしないのが美点ではありますが。
750 :
473:2011/09/24(土) 15:20:26.02 ID:PduxhH8e
何かがおかしい。
≫おっしゃるとおり私が申し上げている「私」とは、一片の思考です。
うん?自我をつかってしゃべるほかないということにおけるレスですかこれは。
それとも
私がないとき悟りがある悟りがあるとき私はないという話においての私ですか。
前者だったらさんざん一片の思考としてではなく、自己閉鎖的な自我としてあらゆる人があらゆる角度で指摘してて、
あなたは自分の言明がそういう印象を与えることに気づいてすらいないようですが。
例え悟っていてもまわり無視のテープレコーダーに意味があるかな。
それならせいぜい質の良いテープが(本が)いくらでもあります。
751 :
神も仏も名無しさん:2011/09/24(土) 15:43:24.11 ID:1ausCk87
まあ要は今を生きなさいということだ。
別に1は偉くもないし
普通の人間だよ
悟りを普通ならぬものに持ち上げるのはオカルト
何かがおかしい473
473の思考が、理解不能な悟りを怖がってしまい
体系づけてどうにか自我の思考の範疇で飼い慣らそうとしてる
754 :
神も仏も名無しさん:2011/09/24(土) 21:44:58.59 ID:1ausCk87
1の悟りは要するに今この現実を認識するというもので、オカルトでも超能力でもない
俺らは物事を過去の記憶を投影して見ているものだからな
つまり過去に生きている。
目の前のものをよく見るというのは現在を見るという事で
現在に生きるということでもある
全く読まずにレス
>>1 全方位からの視点でも手に入れた?
余計な情報が入りすぎて気持ち悪くならない?
多分、「悟りっていわれるものがどうということもないものだった」
とすると非常にまずいことになる理由 が、473にはあるんだろうと思う
そういうわけで473は、1より、その理由と向き合ったほうが良いのではないかな
その理由とひとまず向き合わずにすむからと、延々と1を批判し続けても仕方ないよ
まあここまであれこれ説明できるんだから本人も自分がどうしてこんなことをしてるのか多少自覚はあるんだろうけどね
757 :
神も仏も名無しさん:2011/09/25(日) 00:40:19.39 ID:W7PqIhIF
正直1も473も、そろそろ違った視点から悟りを語ってくれないかな。
同じ所を繰り返されるのは飽きた。
758 :
神も仏も名無しさん:2011/09/25(日) 01:36:43.38 ID:6LfAOIyP
ただ1に関しても、一度自我が解体した経験があるというだけで
とりわけ優れた才能があったり知性が高かったりという人ではないようである
釈迦が凄いのは単に悟っただけでなくて
それを説明する能力があり、高いカリスマや知識、知能、教養などが備わっていたという所にあるんじゃないだろうか
説明する能力、高いカリスマや知識、知能、教養 か、、、
それらを乗せる土台がどういうものかで、カルト教祖、独裁者、にもなる
分かりやすく上に乗せられたものより、その下、何に基づいてるのか かな
そして「それがすごいと思うことができる基礎」がこちら側に無いと、そう思うことも不可能だったわけだから
なぜ自分がその部分をすごいと感嘆するように既にセッティングされているのか を考えてみたりするなあ
760 :
神も仏も名無しさん:2011/09/25(日) 02:53:10.96 ID:6LfAOIyP
じゃあ凄いじゃなくていいよ
違いがあるということね
違いが分かる男の、ゴールドブレンド
762 :
神も仏も名無しさん:2011/09/25(日) 09:43:21.66 ID:TeK1SOAZ
悟るとは、自分は無価値でただの肉の塊に過ぎないって認めることでしょ
763 :
473:2011/09/25(日) 12:03:59.79 ID:3Cx5Jt7F
悟りなんか道の第一歩目でしかない。
だけど究極について説明する力だけ生えるから危険だ。
今までの大まかな流れは1さんに対しては、
それを盲信して他者を批判するような人がシンパだった。
そして知性的に物事を見て特に誰も盲信もしないし批判もしないような人は
対話能力のなさを指摘していた。
みんな彼の悟り云々ではなく自我、それも対話能力が他者のレスの内容を理解しない未成熟な自我を指摘していただけ。
悟り云々の問題ではなかった。
(まあその未成熟な自我と悟りという光明への第一歩は矛盾しないと述べていたわけだし、テーラワーダのリンクは素晴らしかった。貼った人感謝)
ただそれだけのこと。
悟った人はただ当たり前の人であります。悟りなんかに全く構わずただ普通にしゃべるだけでその
当り前さが出てきて、わかる人にはわかります。
ただ当たり前の人であるということはどんなとてつもないこともできるかと思います。
私も自分の悟りではなく自分の自我を気にはしています。
正面から相手取るとむしろ強化されてしまうのでのんびりしていればいいのですが、
目覚めている≫自我を気にする≫≫ボーっとしてとらわれる という順ですね。
また、みんなと仲良くする人間関係、嘘をつかないつかせないルールの人間関係、
宗教において真理を婉曲に描写し、虚偽を解体してゆく人間関係
これらのルールが矛盾するので内部で混乱と恐怖が起こります。
そして私の通常の生活では、この3つのうちの一つが主導権を取って行動するので、
いつも「行動が極端に」なってしまいます。これが人間の姿かとおもいます。
1さんも最初の頃の自分自身の現状の暴露と瞑想についての言明が全く別人みたいでしょ。
でもこれは私の場合とまた違いますね。人によっていまカギとなってる内部対立は異なりますから。
764 :
473:2011/09/25(日) 12:24:30.91 ID:3Cx5Jt7F
そしてこの深層の混乱が収まれば、うまくやっていけるというより、自分の中がすっきりするというより
他人という対象そのもの自分という主観そのものが無くなってるでしょう。
(それに触れたことぐらいはあります。)
ほぼそれはそのまま光明かもしれない。
そこまで至っていないしそもそも語ることもできない悟りや光明を描写するより、
それへの妨げについて論じるほうが実効性があるように思う。
実際各時代の祖師もその時代の人の社会固定観念、光明への固定観念を解体すべくその時代の常識の逆をついてしゃべったのであり、
実は今私がやっていることと方向性は似ていたのです。
より私の方が複雑なのは、現代人が複雑で情報過多になっているからです。
だからもっと1さんに今の自分における具体的な質問をしたらどうかなと。
そうしたら私がないからということ以外で答えるほかないでしょう。
それが皆さんにとっても有益でしょうし。
1さんの実体としての本当のいいところ(と悪いところも)が出ると思います。
765 :
神も仏も名無しさん:2011/09/25(日) 13:15:14.85 ID:6LfAOIyP
悟ると心理的に平安になり、平安だからIQも上がり、色んな事に冷静に対処出来るということはあると思うが
それ以上でも以下でもないな。
要は悟って何をするかだよね
766 :
神も仏も名無しさん:2011/09/25(日) 14:25:02.35 ID:prYOeQ5P
悟って何をするか?
ただ生きるだけだよ
何か大層な物語でも描いてるのか?人を救うとかなんたらかんたら
767 :
神も仏も名無しさん:2011/09/25(日) 14:57:00.55 ID:yYbnNLF1
1をあれこれつついても普通の人と何も変わらんぜ
>それが皆さんにとっても有益
「473にとって」では?
>1さんの実体としての本当のいいところ(と悪いところも)が出ると思います。
あなたには、「事象a(1さん)」に対し、ある何かが手持ちの尺度を用いて何らかのジャッジを下すという構造
判断をx、結果をb(良い、悪い)の ax=b という構造がある
ありのままに見れば、なんのことはない a=a(1さん=1さん)だ
だがそこにおいての介在(判断x)とは何か 思考、自我では?(
>>409-411)
そもそもそれが良いとか悪いとかいう話ではない
単に、自我の働きとはそういうものだということだ
ただそれを自覚してない(できない?)とややこしいものになる
自覚がない理由は前に書いた あなたには自ら吐露した前提がある
「求道者としてなら強烈な自我を保持しつつ他者と関わるのはOK」(
>>666)
なぜこれを持ってるか については人に聞くより自分に聞いたほうがいいかと
困ってます!
助けてください!
セックスしたくてたまらないですがどうしたらいいですか!?
769 :
473:2011/09/25(日) 16:34:06.50 ID:3Cx5Jt7F
借りてきた言葉で別人のふりをしたりしない。
見せかけのおだやかさで怒りを抑圧したりはしない。
だからといって怒りを表出させるべきでもなかった。
なんてレスを返した記憶があります。
強烈な自我ということなら1さんや765さんだよね。
考え方が違うからってそれを投影されても、、、、いつものこと。
770 :
473:2011/09/25(日) 17:22:36.17 ID:3Cx5Jt7F
「実体としての本当の」いいところとは
意識によって働き始める自由闊達な生きた知恵。
なのだから、
わるいところ
というのは、無意識によって働いてしまう固定観念や執着や恐怖
をただ指しているだけとなります。
またどうも1さんは最近格好つけたがりなので彼自身が自分の普段の姿を悪いことととらえて封印してる節があるなあ、と。
文脈から読めばこんな感じの意味になると思います。
言葉そのものを買ってしまう人は少ないと思いますが念のため。
ただ自分のありのままの姿を隠して美化しようとすることも別に悪いことではないんですよね。
それこそ自我の働きです。
771 :
神も仏も名無しさん:2011/09/25(日) 18:02:31.74 ID:Rk43h9nZ
>>766 お寺で仏が実在すると考える人にとっては「人を救うとかなんたらかんたら」
は考えてもいいんじゃないか?仏が実在して人を助ける事なんか無いと思ってる人には考えもよらない事だろうけど。
ここで語られてる悟りが浅すぎて人を救うという事が全くもって想像できないからそんな疑問を持つんじゃないのかな。
772 :
神も仏も名無しさん:2011/09/25(日) 19:01:31.19 ID:ezxyCcT1
悟りに浅いも深いもないがな
それがあると思うもの があなたにあったとしてもね
>>770 >意識によって働き始める自由闊達な生きた知恵。なのだから
なのだから・・・じゃなくてさあ
「悟った人とは、意識によって働き始める自由闊達な生きた知恵を持つ」が、なんでまず無言でいきなりそこにありきなの?
でそれは完全盲目に全く問わず、次
「ということ、なのだから」という展開が始まっちゃってる
1どうのこうのの前に、あなたが作り上げた 自己完結してる固定観念や執着が まさに1以前にあるじゃないですか
それが、「と、いうことなのだから」、もし「1がそうでなかったら」という恐怖を生み続けてますよ、
あなたの敷いた前提が、1=1じゃなく、1=恐怖の対象にしてるんじゃないですか という話ですよ、と
>>772悟りに浅いも深いもないがな
それがあると思うもの があなたにあったとしてもね
悟りには小悟と大悟がある「小悟 大悟」で検索すれば出てくる
小悟は数知れずと、1の人は小悟だと推測する。大悟なんて2chでお目
に掛かる事なんて期待できないかもしれない
774 :
773:2011/09/25(日) 19:19:46.57 ID:Rk43h9nZ
776 :
神も仏も名無しさん:2011/09/25(日) 21:02:47.37 ID:ilrLd4fp
>悟りには小悟と大悟がある「小悟 大悟」で検索すれば出てくる
前も書かれてましたよ「人は見たいものを見る」とね
「悟りには小悟と大悟がある」と信じる人のために作られた「小悟大悟で検索すれば出てくるページ」があり
案の定それを信じるあなたが、小悟大悟で検索、結果それを発見した、とまあそういうことです
ありました?そうですねありましたね、という感想ですかね、、、
「オーカーリューホー」で検索してみますか?ありますよ?
473もそうですが、どうして何はともあれと真っ先に外に向かうのか
向かうべきはまず自分ではないでしょうか
自分が何をしてるのか分からないまま、あちこちから引っ張り出してきて次々と並べ立てても仕方ないわけです
777 :
神も仏も名無しさん:2011/09/25(日) 21:07:05.21 ID:W7PqIhIF
悟りを前にして、悟りを理解しようとするのは愚の骨頂。
橋を前にして橋の材質や構造を知ろうとするのと同じ。
そんな事を知る前に、とっとと橋を渡れ。
778 :
773:2011/09/25(日) 23:15:26.46 ID:Rk43h9nZ
>>776 悟りには小悟と大悟があるっていうのは禅宗において共通しての定義のようなものだと思っていたが違うの?
日本の禅宗全体がそう考えていることであるというなら、素人の776氏がいう事よりも信用できる事なのではないかと思うが。
あと大川隆法は小林白蓮氏が言っている事なので禅宗が言っている事と一緒にしないで欲しい。
あと776氏は774のurlについてはどんな考え方をしています?
779 :
773:2011/09/25(日) 23:34:16.96 ID:Rk43h9nZ
780 :
773:2011/09/25(日) 23:40:50.54 ID:Rk43h9nZ
>>776 「悟りには小悟と大悟がある」と信じる人のために作られた「小悟大悟で検索すれば出てくるページ」があり
案の定それを信じるあなたが、小悟大悟で検索、結果それを発見した、とまあそういうことです
ありました?そうですねありましたね、という感想ですかね、、、
779を読めばお釈迦様と白隠禅師の教えに出てくる言葉ですが、そのような答えになりますかね?
781 :
ama:2011/09/25(日) 23:47:02.13 ID:8iq0aujA
>>572 たとえるならそのようにも言えると思います。
782 :
ama:2011/09/25(日) 23:48:34.15 ID:8iq0aujA
>>574 自分をごまかすと幸せに生きていくことは難しいと思います。
783 :
ama:2011/09/25(日) 23:49:50.64 ID:8iq0aujA
>>578 はい、幻想です。
そして、私達も幻想の中で生きていますから、当然、被害をこうむります。
784 :
ama:2011/09/25(日) 23:52:06.12 ID:8iq0aujA
>>580 正しく見るために必要なことは、たった今、新しく見ることだと思います。
自分は何も知らないものとして、初めて見るようにして、
こうであるはずだという前提を一旦脇に置いておいて見るのですね。
785 :
ama:2011/09/25(日) 23:53:01.92 ID:8iq0aujA
>>620 分かりません。
私の一番のお勧めは、自分で確かめてみることです。
これが何よりです。
786 :
ama:2011/09/25(日) 23:58:23.87 ID:8iq0aujA
>>651 > 失礼ですが、まだ死にきっていないように見受けられますが?
はい、私は死にきっていません。
死にきることは無いと思います。
問題は、それ(私)によって私が苦しむかどうかですね。
787 :
ama:2011/09/25(日) 23:59:51.81 ID:8iq0aujA
>>660 473さんのご質問の趣旨が、私は今ひとつ分かっていないようです。
現在働いている私の自我の何を指摘されたいのでしょう?
>>amaさんご苦労様
このスレ、主のamaさんが居ないとね
789 :
ama:2011/09/26(月) 00:02:44.33 ID:8iq0aujA
>>661 すみません、おっしゃっていることが分からないです。
単純に、悟った(と言われている)人がいて、その人の話を聞いて、
悟るとこういうことが起こる、悟る方法はこうである、その途中にこのような段階を経る、
このようなことが起きた場合その原因はこうだからこうすればよい、
などのような話に感銘を受けたとして、そして、どうされますか?という質問です。
質問の仕方を変えるなら、もし、悟った(と言われている)人がいなかったら、
あるいは、彼からの情報が何一つ得られなかったとしたら、どうされますか?
とそんな感じです。
790 :
神も仏も名無しさん:2011/09/26(月) 00:04:52.92 ID:ilrLd4fp
>>778 >違うの?
そーなの?
>日本の禅宗全体がそう考えていることであるというなら、素人の776氏がいう事よりも信用できる
じゃあ信用しましょう 次なに信用しましょうか? 最終的には悟りを信用しますかね?
>url
見たいもの(自己肯定?)が見れてよかったですね と
791 :
神も仏も名無しさん:2011/09/26(月) 00:15:27.55 ID:65/JIBuZ
>>789 前者の質問はその質問を何故したのか聞きたいです。
この質問は私に関してのものではなくあなたに関してのものではないでしょうか。
私は悟りの段階とか感銘などの話ではなく、自己知や訓戒、自我のトリックについて語っていましたし、
リンク先の内容もそうでした。
ですからこんなつながりのない質問をすること自体あなたが相当悟りという概念にのめりこんでいることを
しめしているかもしれません。それは自覚不可能なほど無意識に刷り込まれているのかもしれません。
792 :
神も仏も名無しさん:2011/09/26(月) 00:32:15.38 ID:65/JIBuZ
>>789 後者の質問は質問自体があまりに素晴らしい。
この質問に出会えたこと自体を本当に感謝したい。
これは一つの解放ではないですか。
人は師との束縛、宗教と社会の内的葛藤を断ち切らなければいけない。
しかし、あくまで宗教があったからこそここまでこれたし自分に意識が向いたのです。
もし彼らからの情報がなかったとしたら今の私はありません。
それこそ生まれ変わりがなければ私には何のチャンスもないでしょう。
宗教の助け無く一から気づいてゆくには時間が足りなさすぎるのです。
忘れることは大切なことですが、それを覚えたからこそなしえたことがどれだけあるか忘れる訳にもいかぬでしょう。
どうにもそれは恩知らずですね。
自分は無意識であり、それを気づかせてくれた何かがあって今の自分がある。
ありがとう。これが普通です。
未だ無意識な人はつまり過去とあまり変わっていない人はそれを感謝する理由もないのではないでしょうか。
最高のスートラではありますが、質問としてはこれもブーメランです。
私の場合悟りという概念には頼らずとも過去束縛していた思考、今束縛している思考、
無意識の思考の葛藤である自我、こういった今自分を束縛しているものを語るだけで足ります。
しかしあなたこそ悟りという言葉やその他の言葉やロジックをを相当借り受けているように見えますけれど。
793 :
神も仏も名無しさん:2011/09/26(月) 00:39:24.79 ID:65/JIBuZ
1さんは「目標」や「どうする」ということと戦ってるだけかな。
争いというのはいろいろな微妙な形をとる。
ずっと私は、既存の観念を解体するために祖師は語っていた、
ショックを与え無思考にするために語ったといい続けているのにそれを読み取れていない。
言った通りやるようになり、真に受けるようになったら逆を言うだけのことなんだけどね。
794 :
神も仏も名無しさん:2011/09/26(月) 00:44:14.84 ID:r4RAFV3h
>>780 テレビでそういってたもん
先生がそういってたもん
本にそう書いてあったんだもーん
そうですか と
795 :
神も仏も名無しさん:2011/09/26(月) 00:54:29.45 ID:ZIFlrPoP
訳の分からない質問に、訳の分からない回答がつき
さらに訳の分からない質問が続く。
誰かamaさんと473さんの質疑応答を判りやすく解説して下さい。
796 :
神も仏も名無しさん:2011/09/26(月) 01:04:23.22 ID:/06BNudF
>>795 amaさんは悟った世界からの話で、
473さんは悟っていない世界からの話
amaさんは本質を捉えているから無数に表現できるが、
473さんは字や知識からamaさんを捕捉するしかなくて、
amaさんを捕らえかねている。
個々の質疑応答はその成れの果てといった感じがする。
>>796 おお、全部目を通してはいないが、amaさんの評価高いね
>>797 いくつかのレスをみたけど、amaさんは悟っているよ。
書物や聞きかじりの知識ではなく悟りの境地・体験からの
表現を普通にできているから。
しかし、このスレタイで建てるとは恐れ入ったw
799 :
神も仏も名無しさん:2011/09/26(月) 01:49:14.33 ID:ZIFlrPoP
>>798 amaさんは世界が実在しないと分かっているし、世界をそう見てる。
amaさんは自分が実在しないと分かっているが、まだ完全にはそうなっていない。
あと、もう少しだと思うよ。
800get
801 :
473:2011/09/26(月) 19:51:25.86 ID:65/JIBuZ
≫このようなことが起きた場合その原因はこうだからこうすればよい
正しく経典を読んだ場合は、知的な理解によってエゴが強まるというより、
どうしようもないということを得心してゆくような仕掛けになっております。
ああやればこうやればということはある段階を超えると書いてあるものではありません。
エゴを理解していく過程でエゴを知的に理解してゆけばエゴは強まるばかりですね。
ただ達成に酔ったり、方法に希望を持つよりはましなのでそれらに同化することをやめ、
最後にその知的な理解が消えるのかもしれません。
802 :
神も仏も名無しさん:2011/09/26(月) 20:15:39.77 ID:PKq63nkp
>>1 悟っても退屈を感じるか?
退屈を紛らわす為に、特定の現象刺激を必要とするか?
慢性的な退屈感 空虚感 虚無感に苛まれているのだが、
悟るとそれも無くなるのか?
>>799 言葉の問題かもしれないが、ここで言う「完全」ってなんぞ?
意味は分かってもらえると思うけど、無限なら完全?
私はamaさんに無限を感じ、一切の顛倒夢想を離れた境地は
得てはいると思う。
ただ、それの境地を生きてはいないのも感じる。
しかし、それはamaさん自身の次の課題であり、
悟りを修したか否かでいうならば、Yesでいいかと。
804 :
神も仏も名無しさん:2011/09/26(月) 21:12:28.56 ID:+9Tekx3+
799の話って面白そう
もう少し詳しく語って欲しい
聞きたいことは同じく、自分が完全に実在しないということについて
805 :
神も仏も名無しさん:2011/09/26(月) 21:21:17.77 ID:ZIFlrPoP
>>803 >言葉の問題かもしれないが、ここで言う「完全」ってなんぞ?
上手く説明できるか分からないけど
意識では「自分は実在しない」って分かってるけど
無意識では、まだ「自分は実在しない」って分かってないってこと。
だから、自分の存在が有るような無いような感じになってる。
でも、これは俺にはそう見えるってだけで、amaさん的には問題無いのかもしれない。
806 :
神も仏も名無しさん:2011/09/26(月) 21:42:37.21 ID:ZIFlrPoP
悟りについては濁して書かないと
無用な敵を作るからな、用心、用心。
>>805 他人の悟りって実は見れないよね。
私は自分の悟りとその人の言動をいくつか付き合せて、
同じものを持っているからこの人は大丈夫そうだ、ってなる。
私は
>>71-72とか全体的にパーッと眺めて、大丈夫そうと思った。
あとはamaさん的な問題の有無はamaさんのレスを待つとしても、
あなたの悟りでは、表層意識の下まで意識できて、そこで「自分は
実在しない」といったところまで行ったのです?
>>806 用心するなら、まずageないほうがいいんじゃ・・・
809 :
神も仏も名無しさん:2011/09/26(月) 21:55:26.12 ID:ZIFlrPoP
>>807 >あなたの悟りでは、表層意識の下まで意識できて、そこで「自分は
>実在しない」といったところまで行ったのです?
さあ、どうでしょう。ご想像におまかせします。
810 :
偽イルミナティ:2011/09/27(火) 00:31:43.38 ID:VmQoZTF0
自身の中で体験している世界が他者と共有できない
個人体験に過ぎないという認識のどこが悟りなの
認識と体験は根本が異なる
体験は語れるはずなんだがね
811 :
神も仏も名無しさん:2011/09/27(火) 00:53:56.27 ID:aPuc8XUr
>>810 自己満足や自己顕示以外で体験を語る理由って有ると思う?
812 :
偽イルミナティ:2011/09/27(火) 01:15:14.38 ID:VmQoZTF0
海外旅行した人と外国の話で盛り上がるとかそういうのは理解できる
でも海外旅行した事ない人や出来ない人相手に外国の話を聞かせるというなら
それは自己満足や自己顕示を感じる
813 :
神も仏も名無しさん:2011/09/27(火) 02:00:10.94 ID:aPuc8XUr
>>812 悟りについて体験を語るのも同じような物だと思わない?
814 :
ama:2011/09/27(火) 07:17:51.23 ID:Qz9JVUC9
>>662 私もこうあるべきということをお話しているのではありません。
こうだったというお話をしています。
無意識は回答しません(できません)。
顕在意識(顕在している思考)がご回答しています。
815 :
ama:2011/09/27(火) 07:18:50.55 ID:Qz9JVUC9
816 :
ama:2011/09/27(火) 07:20:41.46 ID:Qz9JVUC9
>>726 失礼、間違えました。
私がお見受けする限りでは、悟りはもっと素晴らしいもの、もっと大変なもの、というお考えをお持ちなのかもしれません。
あるいは、私はまだこうだから(このプロセスが起きていないから)これは悟りではない、のようなお考えもお持ちなのかもしれません。
○○しなければ悟れない、という考えにしがみつくと悟りは遠ざかります。
あるいは、真の自我(?)というものの開発(開拓)に腐心していらっしゃるのかもしれません。
でも、自我は自我、なんですよね。
自我を高めよう、削ろう、増やそう、など、自我について何とかしようとすると、迷路にはまり込みます。
それをやっているのも自我ですので、一人相撲になってしまいます。
悟りは、自我のやることではありませんので、悟るためには自我を手放すしかありません。
そして、もちろんこれは、誰にでも言えることです。
817 :
ama:2011/09/27(火) 07:24:42.93 ID:Qz9JVUC9
>>727 楽になる、の方がもう少し正確かもしれません。
818 :
473:2011/09/27(火) 12:23:10.56 ID:i0GNjuTK
780からのレスと、最初のほうのレスを読んでさすがに得心が行きました。まったくいいお答えをいただいていると思います。
私の疑いはピントがずれていたようです。
「こんなことをいうやつは悪人だ。」
「ある程度物が解っているのにこういうことをいうということは自己欺瞞にはまっている。」
というのは大体の場合当たるのだが、
物が解っているが事情には疎い善意の人がいたら、そしてそうと知らずに偽善者と認定されるような発言をしていてそれに気づいていなかったらどうする。
相手が自分が知っていることを知っているという前提で相手の言うことを聞くと冤罪が量産される。
相手は知識として何を知ってるのか、相手はどんなつもりでどんな意味を込めてしゃべっているのか。
思い切り見落としてしまった。
みんながどんな本を読んでいるか、そしてこれらの書き込みにどんな印象を持つかわかってないと無意味なことですれ違う。
これは悟り云々ではなく現代日本人の宗教知識を理解しておかないと会話ができない、自分にとってはなんてことない描写が
とんでもない冒涜や思い上がりや無知として受け取られる恐れがある。というよりそれがお生きている。
何と指摘するのも今更大変ですが普通なら偽善者でしかありえない書き込みがけっこうあり、かといって本人自身の言葉があまりに優れているので、
本人自身の言葉が優れていればすぐれているほどこいつはとんでもない偽善者だと決めつけてしまった。
優れているがゆえにこんな発言するはずがない、するとしたら自己欺瞞にはまった愚か者だという決めつけが起きたのですが、
優れているけどあまり近代宗教や偽の指導者の特徴に詳しくなくそのあたりまったく気にしなかったとしたらという方向の可能性を
まったく考えていなかった。(近代宗教をかじった人なら同じように感じる人は多いと思う、というか多かった)
まあ、普通だったらすぐ怒るはずがまったく揺らがないのでいい加減違和感がありましたし、しまいには780からのレスで切って落とされて感動。
819 :
473:2011/09/27(火) 13:01:19.33 ID:i0GNjuTK
グルジェフや和尚に親しんでいればありえない微細な表現のミスがありましたし、私のそのミスの指摘は理解できないようでした。
それはグルジェフや和尚で、偽の教師やある程度進んで堕落した人がどのようにふるまうのかということを知っていないとぴんとこなかったかもしれません。
また、クリシュナムルティーも加えた近代宗教のロジックを考慮して微妙な表現に気を使って当然だと私は思い込んでおりましたし、
そう思い込んでいる人は多そうです。1さんがその流儀に参加していないことに気づかなかったのはあなたの力量が優れていたからです。
それに目がくらんだ。
また、近代のマスターだけでなく、ブッダや、老子や、キリスト、スーフィーマスターなどあらゆる祖師と比べて、
物腰が普通の自我に近く、悟りの言明も彼らよりスケールが小さく、他者理解も薄い。
あらゆる意味で彼らより見劣りする書き込みをしていながら、「悟った」と言明すると私や、近代古代のマスターに親しんでいる人にとっては
ものすごい違和感になります。
なんでその違いを無視して同列の悟りという表現をするのか?と考えだすと1さんがどんな自己欺瞞をしてるのかと想像してしまいます。
(本人はあまり気にしてないのでしょうけど)
1さんはそのあたりの差異や比較を多分あまり気にされていないのでしょうが、これを気にしないということが、真摯で物の違いの分かる
探究者には想像もつかず、結果1さんを偽善者と決めつけざるを得なかったかと思います。
820 :
473:2011/09/27(火) 13:05:26.42 ID:i0GNjuTK
マスターが弟子をかき乱すために普段なら言わないようなことをいう、期待に反したことをするというのを計算してやるのはありですが、
最初から偽善者認定されて信頼を失うようなことをするのは論外でしょう。
まっとうな実存と不用意な言葉による混乱と誤解、そういう無意味なものを誘発したくなく、近代宗教及び古典に良くも悪くも世話になっている
人たちを解放してゆくのであれば彼らの束縛と
「彼らがあなたの悟りという言明にについてどういう印象を持つか」について学ぶ必要があると思います。あなたはよくても周りは困りますよ、ほんと。
悟り関連の言明がなければ私も素直に接していたと思いますので。
マンスールは自分は神であり、また人と神の間に預言者は必要ないといいましたが、これは人々の精神にとってあんまりな暴力に映ったのでしょう。
ひどい仕返しをされました。
学ばなくてもあなたは困らないのでしょうけど、どうせこういうスレッドを建てるなら、、。
他者を解放してゆくということは個人の悟りではなく、スクールの知識、あらゆるタイプがどんな束縛にあるかの体系的な理解が必要です。
それでも私に付き合っていただき780からのようなお答えをいただくとなんというかとてもすっきり解放されました。
そして、悟りと知識が関係ないということを、生と知識が関係ないということを本当の意味でできた実感ことに無量の感謝を感じます。
ここまで他者を悪しざまに見たのは近年まれにみることでこの体験は自分の倒錯を明らかにしてくれました。
821 :
神も仏も名無しさん:2011/09/27(火) 13:25:31.12 ID:j5Zp/897
とうとう敗北宣言かよ。
期待してたのに。
822 :
神も仏も名無しさん:2011/09/27(火) 14:48:47.87 ID:qyqWy761
何かよく分からないけど怒ってるのね
823 :
神も仏も名無しさん:2011/09/27(火) 15:56:40.74 ID:j5Zp/897
>>822 怒ってないですよ。
amaさんと473さんの噛み合わないやりとりが好きだったんで
これで終わるのが残念に思ったんですよ。
824 :
473:2011/09/27(火) 18:39:39.25 ID:i0GNjuTK
≫無意識全体、あなたの自我全体による回答ではなく
に
≫無意識は回答しません(できません)。
顕在意識(顕在している思考)がご回答しています。
ですか。
何で私の言う普通の意味での無意識(意識的な行動と無意識な行動の無意識)
と無意識の構造である自我という言葉を、
あなたは完全に無意識を克服し思考との同化を表層からも識意下からも完全に克服した人間の
表出しない単純な記憶としての思考ということに置き換えて返答するのですか?
私は自我という言葉と並べて無意識を使っているので、この無意識は(意識的な行動と無意識な行動の無意識)
という意味以外で取りようがないですよ。
あなたが悟っているのならこれへの答えは、私には無意識はないということを何らかの形で表現するしかないでしょう。
表層の意識の下にある深層意識の、無意識な複数との思考との同化が自我でしょう?
無意識があるなら悟っているのではなく多かれ少なかれ自動人形であり、そしてその動きはその人の本性にも
世界にも合致しないゆえに災難は避けられません。また生と死という観念も避けられないでしょう。
まあ私の書き込みと一般通念を無視して
「表層に表れないそして同化していない記憶としての思考」を無意識という意味で語るなら一応つじつまは合うのですけどね。
無意識は意識とも瞑想とも悟りとも対極の状態として使われるのが普通ですよ。
そもそも無意識は表層の行動にも逐一影響を与えます。
そうでなければ誰もが自由に表層の意識通りに行動できます。
あなた無意識の思考があるという事実そのものを頑なに避けていませんか。
自分が不自由であるという事実を理解したことがあるのですか。
(まあそういう意味で無意識を使ってないとかそういう落ちのような気がしますがね)
825 :
神も仏も名無しさん:2011/09/27(火) 18:54:45.27 ID:aPuc8XUr
やっぱり、473さんはこうじゃなくちゃ。
826 :
神も仏も名無しさん:2011/09/27(火) 20:53:42.22 ID:8jtuAsZC
何か言いたいことがあるらしいが面白いほど分かりにくい
827 :
824続き:2011/09/27(火) 21:48:41.71 ID:i0GNjuTK
>>814 ≫私もこうあるべきということをお話しているのではありません。
こうだったというお話をしています。
1さんは寝ているときも含めて、
もしくは少なくとも起きているときはずっと悟っているのですか?
24時間のうち目的を追ったり、意識を失って無意識に物事に熱中したりということは全く無いのですか?
私は素直な話そういう時間は普通にありますから、悟りの方より悟っていない時間と、悟ってない時間の原因である
自分にとって未知である無意識にうごめく思考の方を話題にします。
悟っていない時間があり、その原因を無意識の深層にに抱えているのなら悟りについてばかり語るのは
「こうあるべき」姿へのこだわりではないでしょうか。
という意味の質問になります。
828 :
824続き:2011/09/27(火) 21:55:59.62 ID:i0GNjuTK
「だった」ことは無意味です。「だった」?どうしてこんな言葉を使うのだろう。
習慣の差かな。やっぱり。この文脈でだったとかいうのは地雷すぎる。
今どうかということが大事です。
しかし今の時点でどうかでもまだ無意味です。一時的なことであることがほとんどです。
時間はなく、永遠ですか?
無意識って悟りの体験とは関係ないから悟りの人でも、意識を研究して
きた人でもないと答えられないと思う。
ニルヴァーナの意識状態を聞くのなら、いくらでも答えられると思うが。
830 :
神も仏も名無しさん:2011/09/27(火) 22:17:56.29 ID:8jtuAsZC
とりあえず1と473はトリップを付けてくれ
831 :
473:2011/09/27(火) 22:24:50.87 ID:i0GNjuTK
無意識が意識下に照らされていないと、無意識が勝手に動き出して大変なことになるのです。
そういう意味での無意識の撲滅が悟りです。
そういう意味で無意識が存在したら絶えず無意識VS 無意識 無意識vs表層の思考
ということになって大変です。
また無意識とは「無意識に働いている思考」のことなので無意識の思考がある以上は物事をありのまま見ることも不可能です。
無意識の思考がなくすべての思考が意識に照らされている時が二ルヴァーナの意識状態かもしれませんし、さらにその先かもしれません。
少なくとも無意識の思考が夢であり我々の作る幻想というより世界そのものです。
それがあっちゃあどうしようもありません。普通の人です。
「しゃべれる思考は一つだけ」
だけど
「意識はすべての思考を照らしており今言葉のために使ってるは当然としてそれ以外のどの思考とも同化がなくまたそれに覚醒し気づいている」
という無意識がなく意識しか存在しない全ての思考に覚醒している状態かと思われます。
これは意識では無理ですね。覚醒でなければ。
そうでなければ普通の人間と変わりがありません。
>>831 えっとね、「無意識の撲滅が悟り」と定義しちゃうと、それ以外は
悟りではなくなってしまうよね?
でも悟りは、「ありのままにして、何も定義しないこと」なんだ。
思考を止めることとも、感覚を全てなくすことととも違う。
それはただ、価値判断や比較することを止めた状態なんだ。
意識の下で何が起こっているかは正直わからないんだ。
ただ、不意に価値判断が止まってしまったら、悟りがきちゃった、
というのが普通の悟り人なんだ。
833 :
473:2011/09/27(火) 23:15:07.25 ID:i0GNjuTK
無意識が勝手に定義し続けます。
定義が思考の本質であり、無意識が残っているとそれが無意識「に」起こり続ける。
無意識の「思考」が動き続けているなら価値判断も動き続けているのだ。
834 :
473:2011/09/27(火) 23:19:03.29 ID:i0GNjuTK
申し訳ない。
これは知ったかぶって論争するようなことではなく、
自らの不自由と無知を痛感しつつ生きるという性質のものであった。
これを知っているという自分の自我は始末に負えない。
835 :
ama:2011/09/28(水) 07:18:54.43 ID:J9KBOC/D
>>728 真我というのが、静寂、あるいは、私(思考)ではないもの、のことであれば、
それはどこにもないと言えますし、目の前、つまり、今ここにあるとも言えます。
836 :
ama:2011/09/28(水) 07:21:32.41 ID:J9KBOC/D
>>729 私の申し上げている悟りは、必ずしも物事を客観的に捉え判断する方法ではありません。
結果的にそのような私(自我)になる可能性はありますが、それを目的とはしていません。
そのような能力は、まあ、おまけくらいにとらえています。
837 :
通行人さん@無名タレント:2011/09/28(水) 09:20:42.54 ID:jptNhcNw
無意識の撲滅って、カルマを作らない、ってことと同じじゃない?
どこかに傾こうとしたときバランスをとるのがカルマなら、
例えば人はみんな自分と全く同じ考えをしなきゃいけないって思考は、
無意識を働かせるカルマになるって思うんだけど。
だって、自分以外が或るから自分が存在する理由になるでしょ?
人や動物や物体や・・・全て自分と全く同じなら、自分が存在する理由がなくなるじゃん。
存在するうちは、存在してていいんじゃないの?
此岸も彼岸もほっといて、今を生きれば楽やん、って思うんだけど。
838 :
神も仏も名無しさん:2011/09/28(水) 11:03:07.44 ID:KM/Hg2F+
>>1 今さらなんだけど、amaさんはどうしてこのスレを立てようと思ったの?
自分の悟りを世に知らせるため?
自分の悟りに共感してくれる人を探すため?
ただの自己満足?
自己顕示欲を満たすため?
839 :
神も仏も名無しさん:2011/09/28(水) 11:35:53.54 ID:jptNhcNw
>>838 他人の推測だけど、
一人でも苦しみを減らすことが出来るきっかけを作れるかもって思ったんだと思う。
それって出来るかもしれないけど、出来ないかもしれない。
例えば親鸞という人は、それを一生かけてそれをやって
「結局は出来なかった、真理は自分だけのものだった」
って言ったらしいよね。実際はどうとかじゃなくて、
自分では確認できないものなんだと思う。
それを>1さんが手放してるんなら自己満足でも顕示欲でもないんじゃない?
840 :
偽イルミナティ:2011/09/28(水) 12:10:57.88 ID:tfmLJlmB
悟らずとも、花の美しさは人にとって根源的な物で誰しもが感じる事が出来る
その瞬間は誰しもが本質や真理とコネクトしてるのと同義だ
悟りの証明なんて個人的な体験に過ぎないんだから、信じる必要なんて全くない
必要な価値観でさえない、所属を生み出し結果として差別や諍いの切っ掛けになるくらいなら
悟らずとも楽しく生きる事が出来る方が素晴らしいし、カッコイイ
そういう人生哲学としての自己の信念を持った人の方が、
悟りを開いた人間なんかよりよっぽど素晴らしく思う
amaさんがなんで悟りについて語っているのかは理解できないが、悪意があるとは思ってない
ただそれらの価値観が因果として「あなたは足りていない」という静かな呪いに繋がるならば
全ての宗教と同様に否定せざるを得ない
841 :
神も仏も名無しさん:2011/09/28(水) 12:40:21.82 ID:vkPGou1O
花って美しいか?
842 :
偽イルミナティ:2011/09/28(水) 12:43:44.82 ID:tfmLJlmB
たとえだよ
野生にあるもの全ては悟りという概念関係なしに
本質や真理と共にあるという事が言いたかったんだよ
843 :
神も仏も名無しさん:2011/09/28(水) 12:51:28.92 ID:vkPGou1O
そうか了解
極論の返しとして
覚せい剤うちながら生きてる人はどうだろう
覚せい剤が足りてる限りは、暴れなくて静かなの
覚せい剤うってても、真理と共にある
薬のない生活が良いという証明なんて個人的な体験に過ぎないんだから、信じる必要なんて全くない
必要な価値観でさえない、所属を生み出し結果として差別や諍いの切っ掛けになるくらいなら
覚せい剤うって楽しく生きる事が出来る方が素晴らしいし、カッコイイ
そういう人生哲学としての自己の信念を持った人の方が、
薬なしの人間なんかよりよっぽど素晴らしく思う
同じ?
844 :
偽イルミナティ:2011/09/28(水) 13:01:33.01 ID:tfmLJlmB
違うと思うよ
そんな人やばいだけじゃない?
普通の社会に属しているならば
普通の感覚で語らなきゃ
超越してれば良いなんて事はないでしょ
845 :
神も仏も名無しさん:2011/09/28(水) 13:08:01.54 ID:+A/s/XmF
たらればの話をする人の心が落ち着くということはない。
846 :
神も仏も名無しさん:2011/09/28(水) 13:14:46.06 ID:vkPGou1O
悟りが超越した話かどうかは分からないから語ってない
ただ覚せい剤の話と君の話は条件は似てると思うんだけど
悟らなくても、薬を絶たずとも、本人が幸せで問題がなければ良いという点で
ああ、あと本人がそれで良いんだ構わないという信念がある点もか
847 :
神も仏も名無しさん:2011/09/28(水) 13:18:44.48 ID:vkPGou1O
薬漬けの彼によれば
その瞬間はどうしていようが結局誰しもが本質や真理とコネクトしてるのと同義なのだから
そこでどう生きていようが、押し付けがましく差別や諍いの切っ掛けになるようなものを持ち出してこないで欲しい
という点で同じ?
848 :
神も仏も名無しさん:2011/09/28(水) 13:22:06.65 ID:vkPGou1O
せっかく日常の根底に潜むややこしそうな話から目を背けられるとてもイイ薬を手に入れたのに
amaさんがなんで悟りについて語っているのかは理解できないが、とりあえず悪意があるとは思ってない
ただそれらの価値観が因果として「あなたは足りていない」という静かな呪いに繋がるならば
否定せざるを得ない
こういう風にしたら構造的にどう違うのか分からなかった
849 :
偽イルミナティ:2011/09/28(水) 14:13:55.05 ID:tfmLJlmB
そんな事いってないんだけど、、、
超越していれば全てが足りるなんてのは
烏滸がましすぎじゃない?
悟りよりも日常を大事に生きるべきだって話だよ
850 :
神も仏も名無しさん:2011/09/28(水) 14:36:04.48 ID:vkPGou1O
いや悟りが何なのか分かりませんけどね、それはまあどうであってもいいんですが
要は悟りよりも日常を大事に生きるべきだって話のところで
そういう話であれば、薬漬けであっても彼は彼なりに日常を大事に生きてるなら、何も問題ないということになりますよね?
ということなんですよ
851 :
神も仏も名無しさん:2011/09/28(水) 14:42:10.88 ID:vkPGou1O
彼が悟りの不要を主張するとき
薬漬けの彼が、君と同じ構造で上記のように君に主張してきたら
そのときどう考えますか?ということです
852 :
神も仏も名無しさん:2011/09/28(水) 14:42:54.01 ID:vkPGou1O
あ、ミス
君が、悟りの不要を主張するとき
薬漬けの彼が、君と同じ構造で上記のように君に主張してきたら
そのときどう考えますか?ということです
853 :
神も仏も名無しさん:2011/09/28(水) 14:44:36.47 ID:KM/Hg2F+
「烏滸がまし」って何かと思って調べたら
「おこがましい」か、難しい漢字知ってるね。
854 :
神も仏も名無しさん:2011/09/28(水) 16:48:38.48 ID:jptNhcNw
薬漬けの話、マトリックス思い出したw
悟った人にかける言葉と、そうでない人にかける言葉って
もしかして逆になったりするもんじゃないかな。
無に還れ⇔無から創造しろ、みたいな。
855 :
♯syankara:2011/09/28(水) 17:40:55.51 ID:w8JZd+9c
悟りが何かと対立するようなものならそれは社会とは別の体験にすぎないし、
また麻薬と何ら変わりのないものだろうね。
悟りは体験ではないし、体験ではないというものでもない。
体験ではないという発想は体験からくる。
体験ではないし、体験ではないものでもない。
体験ではないという言明なら表層の思考との同化から目覚めれば自然と出てくる。
856 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/09/28(水) 17:50:30.91 ID:w8JZd+9c
トリップってこうかな
857 :
v・。・V わん♪ ◆WhiteFoxEM :2011/09/28(水) 18:17:44.95 ID:asS40c4J
KasapagjQ2 <= #セBワZ9rI]
BikuniK.pM <= #M|%Ha=op
nmOmn/Gf0. <= #-フ2X-2w4
GasyuuaCRM <= #IZYz?2|!
Orie//j0rs <= #&MHQpC=X
/Binta/4xo <= #+)ルf)#Q3
./Rita//Qs <= #iヘチシhlPa
ZigokuoURg <= #9U-~ZDH:
ZirikiGieg <= #EYgZ#?sh
RiyakuQeWg <= #0メ%D0LiV
Asyurad1kk <= #AミkkP:B「
AnandauZQc <= #hTZWW/jS
Zazen/5wKs <= #c+nBYXWT
Mujyou4gAU <= #;jR,du,セ
Agon//9ByE <= #Kオ=nSGhU
Binta/sJCI <= #&DLb=2v-
Waratakeb2 <= #e%`IV@1X
DarumaG9Fo <= #'Nt+\d?T
BikuniNg3o <= #ep4y*V*n
Uchuu/coyc <= #-6aY?kZ*
30bou/KeDw <= #AS゚4&@1p
Yasya/m6jk <= #Bホチ-;J4;
Ango//PStg <= #j!:3X-/a
ggrks/UC6A <= #PラhVdWCb
Arasi/HTMI <= #u`ZS9gVa
Tarikihh3c <= #シム~~_1;$
Inga//cTIY <= #ooi[NYsE
WarataxhjU <= #AムタS8+MR
ZigokujxMg <= #0&ンzYD~P
SyakyaFRhw <= #nxi#x&bセ
Zange/C8OY <= #Eヘモu4K[c
858 :
偽イルミナティ:2011/09/28(水) 20:21:12.47 ID:tfmLJlmB
日常を大事に生きている人が薬に逃げるとは思わない
そういう部分を無意味に複雑に捉えないかな
例外の様な人物もいるのだとは思うよ
ボブマーレーなんかは確かにかっこいいし
859 :
神も仏も名無しさん:2011/09/28(水) 23:42:39.58 ID:YQxW86Fm
>>855 悟りに対してのそれぞれの解釈が対立してるというだけだね確かに
860 :
神も仏も名無しさん:2011/09/29(木) 02:04:26.40 ID:CM1oGJ6K
861 :
ama:2011/09/29(木) 07:55:03.90 ID:18+OpGKX
>>730 > 私はそういう意味で自我を指摘したのではなく、全くあなたは自我にとらわれて、知性に経験にとらわれて
> しゃべっているという指摘をしたのです。
???
そうなんですか?
そんな主旨のご質問ではなかったと思うのですが・・・。
まあ、いいです。
私は、あまり頭の回転がよろしくありませんので、
その意味では知性に囚われているかもしれません。
また、経験には大いにに囚われています。
自分自身で確かめることが何よりも大切だと思っていますので。
私の好きな言葉にクリシュナムルティの
「もし一冊の本もなく、一人のグルもいなかったら、どうしますか?」
というのがあります。
問題は、その囚われ(条件付け)が自分を苦しめるかどうかですよね。
そして、それは時間が大いに関係しているようです。
1日囚われるのか、1時間囚われるのか、1分なのか、1秒なのか、一瞬なのか。
究極は一瞬がいいですが、まあ、1秒でも1分でも、
要はその囚われに根ざした(その囚われから出発した)思考や行動を起こさなければいいわけですね。
違います?
862 :
◆xIpfQokPjM :2011/09/29(木) 09:40:11.50 ID:Ig8iUn47
(昔の話のレスから順にやると話が混乱するけどな)
囚われていれば行動や表層の思考以前に、その世界そのものがその囚われになっているでしょう。
その時点でもうどうしようもありません。
「そこまで」の宗教と、「そこから」の宗教は全く異質なものです。
対処療法と根本的な開放は異質なものです。
それが直近のレスの無意識の話につながってきます。
「また苦しみが存在しない」ことと「苦しみを感じないという体験」は別のものです。
苦しくないということは大切なことですか?前者のためには苦しみと直面する必要があります。
後者の場合はうまく苦しみを感じないような幻想を持てばいいだけで、瞑想は表層の混乱を鎮めそれの役に足ったりもします。
(できればとりあえず直近のレスまで来てほしいけれど)
863 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/09/29(木) 09:44:58.41 ID:Ig8iUn47
経験に囚われているということとクリシュナムルティのいうあるがままは全く逆の事でしょう。
それで悟りとおっしゃいますか。
右手のやっていることを左手は知らない。無意識の分裂とはそんなものか。
全く人のことは言えないので自分の1日の行動も見直します。
864 :
神も仏も名無しさん:2011/09/30(金) 00:16:28.33 ID:8oVzw2XU
1は悟りの瞬間、この世界とか自分とか、何がどうなっているのかを体感して理解した
だが、その理解したものの中に今も居続けていると分かってはいるが、その理解をし続けている事はできていない
ってことじゃね?
865 :
神も仏も名無しさん:2011/09/30(金) 00:33:33.33 ID:8oVzw2XU
>要はその囚われに根ざした(その囚われから出発した)思考や行動を起こさなければいいわけですね。
違います?
囚われに根ざした思考や行動を起こさなければいい、という囚われ は?
これが473の問いかけか
>>824-823
866 :
神も仏も名無しさん:2011/09/30(金) 00:34:20.84 ID:8oVzw2XU
867 :
神も仏も名無しさん:2011/09/30(金) 00:49:34.14 ID:8oVzw2XU
てことは473のいいたいことは
1はこの悟りの只中で、垣間見てきてしまった真理を、経験として残してしまっていて
その経験に囚われており、その囚われに囚われないように生きるということは、完全に生きるということではないのではないか
ということ?
経験に囚われない、という思考が無意識の中に刷り込まれてしまったら
それを取り除くのも一苦労しそうだ
ではどのように生きたら完全に生きることができるのか
その場その場にあらゆる思考を挿まず、完全にそれそのものになって対応していく?
ただそれには一回あの経験をして、分かっておかなければならないし
その経験と理解により、つまりこうなってるから、という大きな納得?のようなものが必要か
その後、安心して一生懸命に生き切っていけばいいのかな
868 :
神も仏も名無しさん:2011/09/30(金) 08:40:26.92 ID:IUTKIgnD
>>1 >>861 囚われに基づく行動を控えようって言うのは、生き方のハウツーの話ですよね。
生きているうちはどうしても苦しみを感じてしまうけど、悟りで見えた「法」への方向、
つまり「方法」があるって知っていれば、どんな本もグルさえ必要ない。
だって自分自身を信じればいいだけだから。本とかグルの言葉を使用するのは
自己確認作業や、他人への説得の道具でしかない。でもそれが逆に誤解を招く。
なんだあんたは知識だけじゃないか、・・と。
「苦」の種類として「言葉」も含まれるけど、『囚われ』という言葉ひとつにしても
人によって捉え方は同じじゃないよね。それが、分裂を生み、対立を生むんじゃないかな。
869 :
神も仏も名無しさん:2011/09/30(金) 08:46:44.89 ID:IUTKIgnD
>>868 つまり言いたいことは、言葉で悟りを説明するのは、本当に難しいんじゃないかな。
可能かもしれないけど、不可能かもしれない。
たとえ自分は悟った、と認識している者同士でさえ、意見は違う風に見えたり、
更に昨日の自分、今の自分、明日の自分すら、違っていると思う。
870 :
神も仏も名無しさん:2011/09/30(金) 09:54:19.25 ID:nqIo0fvS
そのような不完全な言葉で
あまねく全ての真理が何世紀も伝播可能だと思う?
amaさんがこのスレで
誰かに悟りを施す事が出来ると思う?
amaさんにも答えてほしいな
871 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/09/30(金) 10:09:09.90 ID:P9Im425G
囚われがあって初めて、無意識の執着の働きがあって初めて、
「どうすれば」という迷いが生まれます。
どうすればいいかわかっているのは単純思考の愚か者ですし、
迷いがないというのもまた無意識の葛藤から逃れ単純な思考にはまっているだけの事です。
しかしそれは表面的にではあるが病んでいないだけ素晴らしいことでそれは悟りの一瞥の恩恵でしょう。
自我がなければ自由がある。
迷いはないし迷いがないということすらない原初の自由。最初で最後の自由。
根源的開放。
真実と接触するまでにあらゆる修行が必要ではあります。
修行が不要であるという事実と直面するために信じられないほどの修業が。
究極の努力と絶望の後、一瞬でも自我が止みリアリティーと接触する。
そしてその瞬間にまた自我がそれを定義づけする。
私はない。体験はない。幸福と不幸は一つだ。
こうやって自我は帰ってくる。
自我が止むことによる一瞬のリアリティーとの接触と自我の構造が永遠に止むこと、無意識の思考が完全に意識に照らされることはまた別です。
自我が止むというその時のそのありようと、それを記憶していて語る自我とは全く次元の違う現象なのです。
自我はそれを同じだと勘違いします。自我は非体験が中心であったあれを体験の次元に焼き直してしまうのです。
その時の自我の復権のありようはその人なりにです。私は単純な自我の復権は許しませんでしたが複雑な自我がさも真理を解っているかのように錯覚しています。
872 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/09/30(金) 10:11:10.05 ID:P9Im425G
≫経験に囚われない、という思考が無意識の中に刷り込まれてしまったら
それを取り除くのも一苦労しそうだ
完全な覚醒がありでもしない限り経験には囚われているのです。
経験にとらわれまいとすることは事態をより混乱させるだけで、対象無く目覚めることが根本的な解放です。
「究極の努力と絶望の後、一瞬でも自我が止みリアリティーと接触する。」
あの自我の死よもう一度。
≫つまりこうなってるから、という大きな納得?
分かっておいてはならないのです。
わかるという機能、わかるという主体が死んでいれば一回目のリアリティーとの接触ですべて終わるでしょう。
納得するということや「そうか」という感覚は、過去の記憶や経験が感じるものであり、
過去の囚われが過去の囚われからくる古い自分という土台はそのまま、悟りの体験という甘美な重荷を背負うことになります。
意識に統括された知識ではなく、好き勝手に動く無意識の葛藤と矛盾の集合体である自我、主体。
「どのように」ということもそういうことなのです。「どのように」か生きる主体は、自分の過去の全てを夢の世界の執着の全てを運び続けます。
しかしそれもいいのです。
人生の重荷だけは下せませんが全ての重荷を一度に降ろす可能性ならあるのではないでしょうか。
安心に生きるというより不安を降ろせば、不安はありませんし安心もありませんし不安がないということもないでしょう。
私たちは一切の敵なく世界のすべてを自由に愛するべく生まれた存在です。
一個の人間として、家族の一員として便利に生きようとするならば、結局家族の一員であることに縛られて苦しみ続けることになります。
持った物に持たれてしまう。マスターの一人であるミルダッドはおっしゃいます。
ご参考になれば。
873 :
神も仏も名無しさん:2011/09/30(金) 10:14:36.57 ID:IUTKIgnD
>>870 以前した質問に、
>>353でamaさんが答えてくれたのあるよ。
誰かにとってきっかけとしてはあるかもしれないね。
874 :
神も仏も名無しさん:2011/09/30(金) 10:47:38.79 ID:IUTKIgnD
>>473 常に「どのように」じゃなく、常に「どうあるか」って選択はあってもいい?
そしたら「どのように」は自然とついてくる。
875 :
神も仏も名無しさん:2011/09/30(金) 11:28:38.33 ID:488XMpC7
>>874 「どうでもイイ」って選択も含めて欲しいよ。
「どうでもイイ」って思えたら
「どのように」も「どうあるか」も全部どうでもよくなる。
876 :
神も仏も名無しさん:2011/09/30(金) 18:26:41.27 ID:IUTKIgnD
877 :
神も仏も名無しさん:2011/09/30(金) 21:34:44.76 ID:XzMCZTcB
>>872 >「どのように」ということもそういうことなのです。
>「どのように」か生きる主体は、自分の過去の全てを夢の世界の執着の全てを運び続けます。
ここのところから
次の流れに行くのは
>人生の重荷だけは下せませんが全ての重荷を一度に降ろす可能性ならあるのではないでしょうか。
>安心に生きるというより不安を降ろせば、不安はありませんし安心もありませんし不安がないということもないでしょう。
どうかと思う
つまり右も左もダメだから全部捨てる、というような若干粗雑な印象というか
>一度に降ろす可能性
一気に安心も不安も取り除いてしまうというのはどういうことなのか
非人間的なものになることを推奨しているような印象もある
精神病患者には不安も安心も執着もない者がいるだろうが、彼らを目指せというのか
そういうことではなく
私しかいない、私しかいなかった、私というものすらなかった、分けるものがなかった
分けられない一つが様々な形をして現れているだけに過ぎなかった
そのことに安心して、その理解を背負わず、つまり一生懸命に瞬間瞬間に完全に身を投じて生き切る
そうして今を全うし続けて常に満タンに生きる、そういうことなのだろうかと思った
んでちなみにマスターとかは知らない
878 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/09/30(金) 21:48:51.65 ID:P9Im425G
そのように生きることができれば素晴らしい体験にたくさん出会われることでしょう。
そういった生の経験を積めば荷を降ろせば降ろすほどそれが自然とわき出ることに、畢竟いかにうまく生きるかより
いかに自分自身がその障害でしかないかということも解ってきます。
そしてその何もないところからこそあなたが知っているもしくはまだ知らないかもしれない素敵な生が湧き出てきます。
安心と不安を降ろすことは安心も不安もなく安心も不安がないということもないという理解であり、
またそういう理解も理解する人も存在しないということです。
879 :
神も仏も名無しさん:2011/09/30(金) 21:52:04.04 ID:XzMCZTcB
イメージとしては溶接工
溶接部?の火花のところが目の前の仕事や物事や感情など
目の前の物事(溶接部火花)に完全に集中一体化しているとき、自我や過去や悟りとは〜つまり思考の入り込む余地はない
彼自体はそこにいるが、物事と完全に一体化しているので過去が形成した彼というものはいない、そこに教えも何もない状態
だがこうやって生きる前に、一度見ておかなければ、分かり切れないのではないかと思った
何もないを分かり、だからこそ安心してその理解すら捨てて生き切る、ができるのでは、と思った
逃避で忘我ならそれこそ薬でも宗教でも何でもあるので
880 :
神も仏も名無しさん:2011/09/30(金) 21:56:56.92 ID:XzMCZTcB
>>878 そっかやっぱそうなんだ
んじゃ禅でもしてちょっくらどうなのか見てくっかなあ
ところでじゃあ473はこんなところで何をしてるの?っと
881 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/09/30(金) 22:20:40.40 ID:P9Im425G
日々迷っています。
なぜか今はここでやり取りをしているみたいです。
自分がはまってしまっているときはどうすればいいのかわからないのに、
人がはまっているのを見ると案外どうすればいいのか解る、、いや思い出すのです。
そしてそれがほかならぬ自分のためになります。
きっと何か不思議なものが自分とみなさんを助けてくれるのです。
というときもあれば、自分ができもしないことをできるつもりになって得意に他人にやり方をとうとうと語ることもあるかもしれません。
≫いちどみておかなければ
宗教の修業をすれば強烈な体験があなたをまっているし、その先に、いやその元にその一度見て一度理解することがあります。
自分に合った修行と日々の留意の2つがあれば、2つが調和すれば。あとは起こるままに。
882 :
神も仏も名無しさん:2011/09/30(金) 23:55:03.83 ID:5hcQgFs1
>>878 >そしてその何もないところからこそあなたが知っているもしくはまだ知らないかもしれない素敵な生が湧き出てきます。
「生」に素敵は無くてもイイんじゃないの?
ただの「生」のどこがいけないの?
883 :
神も仏も名無しさん:2011/10/01(土) 00:01:46.67 ID:52xA+Bll
>>881 自分にただ起こる様々な出来事を「体験」と名付け
あたかも自分の為に用意されていると感じるのは
エゴを喜ばしているに過ぎないと受け取りなさい。
884 :
ama:2011/10/01(土) 08:47:24.49 ID:L402hn8X
>>730 > 自分が自我にとらわれているとわかっていれば、わかっているなりの事を語ればいいのです。
> それに気付かずに究極に達したと思って語ることは自己欺瞞です。
このスレで書いているときは、かなりの自我モードですので、
自我の色んな色がが出ていると思います。
おっしゃるとおり、たとえば「私はいて私はいない」という考えに囚われていると、
究極に達することは出来ません。
この状態で、私は今究極に達していると思うなら、それは自己欺瞞ですね。
> まだあなたは自我についてよくわかっていないのではないでしょうか。
たしかに、私が私(自我)について分かっていることは、そんなに多くありません。
> 自我を得ても自我と同化しているうちは自我を把握することはできません。
> 単体の思考と、感情と記憶と経験の集合体であり価値観と信念と夢と幻想の世界を織りなす自我はとい> う構造は別のことです。
なるほど、私(自我)の全体像を把握することと、ひとつひとつの思考に気づいていることとは、別のことということですね。
私(自我)にはさまざまな一面がありますが、ひとつひとつ単体で観るのではなく、総合的に把握する必要がある、ということでよろしいでしょうか?
要は、簡単に言うと、1個や2個ではなくもっともっとたくさんあるのだから、
その全部を観て把握しないと、真の悟りはない、つまり、真の自由は無く、葛藤からの開放も無い、
ということでよろしいでしょうか?
私も、ひとつひとつ観ていくことは大切だと思います。
地道にひとつひとつ観ていくしかないわけです。
そして、それは、他者との関係において、人生に起こるさまざまな出来事との関係において、
見えてくるんですよね。
885 :
ama:2011/10/01(土) 11:56:10.31 ID:L402hn8X
>>731 > ≫表現できる言葉があるのでしょうか?
> 光明どころか瞑想についても語ることは不可能で、それについて語るのは冗談程度のものでしょう。
> 言葉で瞑想は表現できませんし、もちろん伝えることもできません。
> あれは道に人を誘うための冗談のようなもの。言葉で表せないものを言葉にするのだから。
> むしろ言葉は、虚偽を、信念を混乱させ緩やかに解体するようなロジックとして使われるべきではないでしょうか。
> そうすることによってのみ実際に他者は彼自身の意識で瞑想に至るのです。
同感です。
> あなたは瞑想の部分だけ自分から抜き出したいようですが人間は総合的にみるほかありません。
総合的に観るとは、過去に生きることではありませんよね?
まあ、お掃除は必要でしょうが、お掃除が生きる目的でもありませんでしょうし・・・。
886 :
ama:2011/10/01(土) 11:57:40.62 ID:L402hn8X
>>747 > > ここであなたの言う私、は私ではなく一片の思考にすぎません。
>
> ≫おっしゃるとおり私が申し上げている「私」とは、一片の思考です。
>
> いえ、話が通ってません。
> 複数の思考と記憶と夢の構造である無意識の集大成である自我=私
> 表層で一時的に主人になってる思考=私
> 後者から目覚めて初めて前者に取り掛かる準備ができるということです。
なるほど、理解しました。
> ちょっと過去レスを読み直してみてください。
> どうもやはりご自身のペースでしゃべりたいことをしゃべっているだけで私の述べていることを把握できていません。
申し訳ないです。
通訳が欲しいです。(哀)
887 :
ama:2011/10/01(土) 12:09:02.68 ID:L402hn8X
>>750 > ≫おっしゃるとおり私が申し上げている「私」とは、一片の思考です。
> うん?自我をつかってしゃべるほかないということにおけるレスですかこれは。
> それとも
> 私がないとき悟りがある悟りがあるとき私はないという話においての私ですか。
瞑想状態において、消えていくモノのことを言っています。
888 :
ama:2011/10/01(土) 12:10:57.89 ID:L402hn8X
>>755 > 全方位からの視点でも手に入れた?
> 余計な情報が入りすぎて気持ち悪くならない?
いえ、そのようなものは手に入れていません。
889 :
ama:2011/10/01(土) 12:11:47.59 ID:L402hn8X
>>768 > セックスしたくてたまらないですがどうしたらいいですか!?
セックスしてください。
890 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/01(土) 12:16:37.27 ID:+aJPMo/K
>>882-885 宗教には3つの次元があり、そこで直面することも求められるものも全く異質なものです。
人間は平等です。
私が過去に、もしくは過去生で行ったとてつもない修行や、幾度となく苦しみに目覚めること。
そして幸福に染まらないよう耐えること。
そういったことを同量やらないでそれを行った人と同じものが見えたら逆に不平等ではありませんか。
まず、社会の次元です。
ここで、大成功したが故の空しさ、もしくは自分自身にあまりに振り回されすぎ自分自身に心底うんざりしていること、
もしくは愛と良い意味での責任に満ちた充実した人生でありその先を希求するハートが高鳴る。
など社会において宗教に入る条件を満たしておく必要があります。
第一の次元
その条件を満たしてこそ、とてつもない修行と日々の留意が可能になります。
日々の留意は社会から見れば狂気です。これをするほどの動機が自分の中にあるでしょうか。
その修行と留意の中でとてつもない体験を何度も得て、そしてそれを体験すればするほど繰り返しを求める
ようになりそれに苦しんでいく中で、ある日ふと体験とは夢に過ぎないものであるという真実の一瞥を得ます。
瞑想が起きるのです。
891 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/01(土) 12:31:00.30 ID:+aJPMo/K
第一の次元の修業はなんでもいいです。
既存の真っ当な宗教組織のもと掃除を繰り返したり、oshoのダイナミック瞑想でもいいです。
oshoの指導者、組織は死んでいるが技法は生きています。得やすいものほど価値があるのが真実の世界の法則です。
第2の次元
表層の思考と同化しないことがある程度自らの意志でできるようになります。
この時点でほとんどの修業は意味をなさなくなります。
それが瞑想でも「何かをする何か意図を持つ」ということはこの次元の人にとっては
同じことだからです。
今までばらばらだった自分の無意識を調整して、目覚めたのはいいですが相変わらず眠りやすい自分を
一つ一つ理解してゆく局面です。
たしかに思考を一つ一つ理解してゆくしかありません。
しかし今主人になってしまった表層の欲望に対してではなく、無意識の一つの欲望に取り掛かる事も可能です。
892 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/01(土) 12:35:20.47 ID:+aJPMo/K
第3の次元
これは言葉を超えています。
数千数万数億のあらゆる思考や感情の記憶全てを意識の光で照らす覚醒。
どうしても思考は相対するもう一つの思考しか見れません。
瞑想が起きた人の思考は「2元対立の夢」にはまらず「一つずつ別の思考を順番に吟味してゆくこと」はできるでしょう
どうしても数億の思考を同時に照らす何かが必要なのです。
もしこれがなければ私は私のままチャンスがありません。
表層の思考、夢にとらわれなければ無意識の総体である自我の働きをようやく利用できます。
これですら表層の思考に同化するより大分真っ当であり、また欲望に振り回され欠乏に悲しむこともなく、
また他者に救いを求めることもなく良くも悪くも自己の総体に落ち着くことができます。
そうあってこそ無意識の総体とそれがつくるあらゆる世界、自分、いやあらゆる認識が、
主体と客体の束縛がなかったし、無かったということもなかったのでしょう。
宗教には社会での準備も含めて4つの段階があり、各々全く別の事です。
真実において光明を得た人において段階はないのですが、実際人間の精神の特性からかこれらの段階を
踏むことが「多い」 かと思います。
今自分がいる段階以以上の話題は全く理解できないし、理解できないことこそ賢明さ、誠実さです。
多くの場合理解を超えたことを自分の経験で定義してしまい歩みが止まってしまいます。
今現在この人はどの段階にいてそしてどの段階の事を語っているかということを理解しなければ
無意味な言葉の争いになってしまいます。
(本当はその人にふさわしいこと以外混乱するから語ってはいけないのですがoshoは混乱させるためにそうしていたし
匿名掲示板なんだからそうするほかないし、それらの混乱は私の理性も研ぎ澄まされる)
893 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/01(土) 12:39:37.41 ID:+aJPMo/K
≫総合的に観るとは、過去に生きることではありませんよね?
今現在私は時間に生きています。
今無意識を直接すべて見ることができればいいのですがそれはできません。
しかし直近192時間の行動というより直近192時間の喜びや苦しみや希望や失望を
思い返せばそれは自分の無意識の状態を図るチャンスになれます。
最終的には「今」全ての無意識をとらえる覚醒がいるのですが、
現時点では無意識を把握するため過去の自分の動向を参考にしています。
894 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/01(土) 12:51:26.35 ID:+aJPMo/K
無意識を把握することは不可能なのだと感じます。
無意識が私であり、無意識が世界を作っています。
無意識を認識することは認識者を認識することであり、それは認識者とあらゆる認識の死です。
しかしその死からこそ生があふれていると祖師は説きました。
895 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/01(土) 13:37:00.16 ID:+aJPMo/K
>>768 > セックスしたくてたまらないですがどうしたらいいですか!?
セックスをしたいという自分にとどまってなにもしないでいてそこで自分に起こっていることを感じてください。
そういった蓄積があればいざセックスをした時セックスと自分自身への深い理解も生まれると思います。
セックスを敵視する理由は何もありません。
欲望がある時は、なにもせず欲望にとどまり、またあるときにはそれを行い楽しみ理解も深まると思います。
たった一つの極端な答えがあるわけではありません。
セックスの欲望、男女の愛はよくて2人の、基本的には一人の閉鎖した欲望です。
万人に向かう愛と閉鎖した欲望の帰結が全く異なることは意識は知っているはずなのです。
意識はそちらに向かうし、思考はいつも閉鎖的な欲望を追い家族や社会や世界からの報いを受けるのです。
896 :
神も仏も名無しさん:2011/10/01(土) 13:57:34.33 ID:SbiBcNK7
>>886 >通訳が欲しいです。(哀)
やっぱりamaさんでも、そう思うんだ・・・
実は俺もずっと前からそう思ってた!!
897 :
ama:2011/10/01(土) 14:48:32.25 ID:L402hn8X
>>788 >>amaさんご苦労様
> このスレ、主のamaさんが居ないとね
恐れ入ります。
898 :
ama:2011/10/01(土) 14:49:24.13 ID:L402hn8X
>>791 > 前者の質問はその質問を何故したのか聞きたいです。
> この質問は私に関してのものではなくあなたに関してのものではないでしょうか。
はい、まったくもって私に対する問いです。
この2つの問いは、同じことを私に問うています。
本や話などで悟りやその方法などについて聞いたとしても、
結局私は何も無いところから始めるしかないことに気づかせてくれます。
私は無力であることに気づかせてくれるわけです。
そして、そこにこそ、悟りへの入り口があったわけです。
899 :
ama:2011/10/01(土) 14:50:29.75 ID:L402hn8X
>>792 私の場合は、悟り自体やそのプロセスや方法論などに関するいろんな言葉で頭がいっぱいになっているときに、この言葉が気づかせてくれました。
今、という瞬間には悟りもプロセスも方法も何も無い、ということに。
900 :
ama:2011/10/01(土) 15:03:13.30 ID:L402hn8X
901 :
ama:2011/10/01(土) 15:07:35.23 ID:L402hn8X
>>802 まったく退屈しません。
悟りの達成ゲームもこれまたスリリング&エキサイティングです。
ただ、悟ってしまうと特定の現象刺激は必要としません。
(「必要な自分」というものを選択することは出来ます。)
必要とはしませんが、向こうから勝手にやってきます。
そして、去っていきます。
来るもの拒まず去るもの追わずです。
執着し、もう一度味わいたいと思ったときに、苦しみが生まれます。
悟ると、慢性的な退屈感 空虚感 虚無感は無くなります。
それを望まない限りは・・・。
902 :
v・。・V わん♪ ◆WhiteFoxEM :2011/10/01(土) 16:17:09.82 ID:5EhJe1tZ
903 :
神も仏も名無しさん:2011/10/01(土) 16:52:04.62 ID:SbiBcNK7
>>1 悟ってしまうと、悟りについて思ったり
悟りを人に伝えようとか、悟りについて答えようとか
なんかもうどうでもよくなりませんか?
904 :
ama:2011/10/02(日) 16:02:18.46 ID:HmHNOCdF
>>824 たしかに私は無意識からの影響を受けていると思われますので、
その意味では無意識が語っているとも言えるのでしょう。
私に分かるのはその程度です。
あまりそういうことを意識して書いていません。
ただ、私らしく語る、自然に語る、リラックスして語る、それだけです。
それが、無意識なのか、そうでないのかと聞かれると、正直よく分かりませんし、どちらでもいいです。
もちろん、無意識の思考があり、その中には私の自由を奪うものがあることは理解しています。
問題となるのは、無意識の役に立たない思考であって、無意識の思考すべてではないですよね?
役に立たない思考の真っ只中にいて、それに気づいていないときは、私は自由を奪われます。
まるで眠っているような状態です。
そして、何かが起きてそれに気づかせてくれます。
おっしゃっている無意識とは、その無意識のことでよろしいですね?
私が自分に役に立たない思考を持っていて、それに気づかないで生活していると、
必ずそれを気づかせてくれる何か出来事が起こります。
役に立たない思考は、ほとんどの場合、価値判断であり、後天的に刷り込まれたものです。
その根本は自己否定のようです。
欠乏感からくる恐怖ですね。
簡単に言うと「何かが足りない」感のようなもの。
そりゃ苦しいに決まってます。
なぜ、そんな役に立たない考えを、私は後生大事に持ち続けているのでしょう?
何かがおかしいのです。
本来、私達は足りないところなど無いはずですよね。
なのに足りないと思っている。
ここは、笑うところです。
笑うしかありません。(笑)
905 :
ama:2011/10/02(日) 16:04:15.98 ID:HmHNOCdF
>>824 で、473さんは、そのような思考を抱えたままでは悟りは起こらない、
とおっしゃっているようにお見受けしました。
(違ったらすみません。)
私が申し上げている悟りは、
深い瞑想状態において起こる「それ」、もしくは、
目を覚ましているときに起こる「それ」、もしくは、
今を生きているときに起こる「それ」を指してします。
私がそこにいるとき、生き生きとしていますし、色んなものがよく観えます。
もちろん、無意識から出てきた役に立たない思考もよく観えます。
役に立たない思考は、それに気づいて手放せば一瞬で消えてしまいますし、
もうそれを選ばないでいいのだということも分かります。
答えが自分の中にあることも分かりますので、方向性がブレることもありません。
思考を前もってテストして、それを採用するかどうかを決めることも出来ます。
とても静かで、しなければならないことは無いことも良く分かります。
まあ、とにかく色々と特典が満載です。(笑)
自由に生きようとするとき、私に出来ることはないので、
私のいないそのスペースは唯一の私のよりどころです。
お掃除する場合も、苦しいと能率も悪いし、おざなりになってしまいますが、
お掃除自体が楽しいなら、能率もグンと上がりますし、とってもきれいになったりします。
あるいは、RPGのようなものでしょうか。
すべてのコインを取りきってからクリアするのと、
コインを残してとりあえずクリアしておき、後でコインを取りに戻る。
(あまり良いたとえではないですね。(苦笑))
906 :
ama:2011/10/02(日) 16:29:46.20 ID:HmHNOCdF
>>827 > 1さんは寝ているときも含めて、
> もしくは少なくとも起きているときはずっと悟っているのですか?
いえ、そんなことはありません。
> 24時間のうち目的を追ったり、意識を失って無意識に物事に熱中したりということは全く無いのですか?
いえいえ、よくあります。
> 私は素直な話そういう時間は普通にありますから、悟りの方より悟っていない時間と、悟ってない時間の原因である
> 自分にとって未知である無意識にうごめく思考の方を話題にします。
分かります。
ただ、そのためにも、悟っていることが、目を覚ましていることが、大切なのではないですか?
> 悟っていない時間があり、その原因を無意識の深層にに抱えているのなら悟りについてばかり語るのは
> 「こうあるべき」姿へのこだわりではないでしょうか。
> という意味の質問になります。
そこにいないとちゃんと観えないので、こだわっていると言えばこだわっているのかもしれませんが、
でもこだわるとそこにいれないので、やっぱりこだわってはいないと思います。
無意識から湧き出てくる役に立たない思考と同化せずにちゃんと観るには、そこにいないと観えなくないですか?
907 :
ama:2011/10/02(日) 16:44:12.05 ID:HmHNOCdF
>>828 あまり深い意味は無いです。
「こうあるべき」と言いたいのではなく、その方が楽だったから、これからもそうするつもり、
くらいの意味です。
おっしゃるとおり、今、どうかが大切ですね。
一瞬、一瞬です。
908 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/02(日) 16:51:49.16 ID:HmHNOCdF
amaさんに質問です。
仏教では、悟りを啓いた人は俗世間を離れて出家者の生活に入ってしまうように説かれていますが、
amaさんは今どのような生活をされていますか?
もし悟りを啓いても通常の生活が行えるなら、それは悟りが完全ではないからか、
完全な悟りを得ても常に悟っていられるわけではないからか、
それか今の時代が当時とは違い、悟りを啓いても殺生など不必要な事をせずに生きられる時代だからか、
あるいは何か他に思い当たることがありますか?
910 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/02(日) 20:11:34.99 ID:HmHNOCdF
>>838 最初はニュース記事かなにかで「○○だけど質問ある?」というのを見かけて
面白そうだと思ったのがきっかけです。
「悟り」でこれをやるとどうなるのだろう?と思ったわけです。
ですから興味本位です。
911 :
神も仏も名無しさん:2011/10/02(日) 20:19:34.74 ID:OcDMv/Pu
>>910 これで納得しました。
言葉で伝わらないものを、どうして答える気になったのか疑問だったので。
912 :
神も仏も名無しさん:2011/10/02(日) 22:04:44.67 ID:KNfyySkk
言葉で伝わらないものを伝えることができたら不十分だと思うが
「人からの話では分からないものだ」と伝えられたなら十分だ
913 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/02(日) 22:09:45.42 ID:HmHNOCdF
>>862 > (昔の話のレスから順にやると話が混乱するけどな)
ちゃんと答えろという指令が下っておりますので。(苦笑)
> 囚われていれば行動や表層の思考以前に、その世界そのものがその囚われになっているでしょう。
> その時点でもうどうしようもありません。
おっしゃっている囚われというのは、梅干を見て唾液が出たり、
ボールが飛んできたときに体が勝手に動いたりするのも含まれるのでしょうか?
あるいは、漫才の掛け合いのように、条件反射的にああいえばこういう、というのは含まれるでしょうか?
> 「また苦しみが存在しない」ことと「苦しみを感じないという体験」は別のものです。
> 苦しくないということは大切なことですか?前者のためには苦しみと直面する必要があります。
> 後者の場合はうまく苦しみを感じないような幻想を持てばいいだけで、瞑想は表層の混乱を鎮めそれの役に足ったりもします。
私も苦しみをしっかりと感じ味わいつくすことは大切だと思います。
おっしゃるとおり、「苦しみが存在しない」ことと「苦しみを感じないという体験」は別です。
原因となる思考が無ければ苦しみは生まれませんもんね。
ここで申し上げているのは、囚われに気づかないでいると、囚われている時間が長くなり、
表層の思考がそれに引っ張られて混乱し、行動もおかしくなってしまうということです。
あと、囚われていることにも囚われないようにしたいものです。
914 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/02(日) 22:20:11.94 ID:HmHNOCdF
915 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/02(日) 22:24:27.36 ID:HmHNOCdF
>>903 おっしゃるとおり、どうでもよくなります。
916 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/02(日) 23:07:46.88 ID:HmHNOCdF
>>909 > 仏教では、悟りを啓いた人は俗世間を離れて出家者の生活に入ってしまうように説かれていますが、
> amaさんは今どのような生活をされていますか?
一般的な普通の生活をしています。
ただ、朝食は食べません。
動物もめったに食べません。
その方が体調が良いので。
ビールは飲みます。
テレビは見ません。
(ありません。)
でも動画サイトでデスノートは見ます。
(あまり理解できていません。(哀))
> もし悟りを啓いても通常の生活が行えるなら、それは悟りが完全ではないからか、
> 完全な悟りを得ても常に悟っていられるわけではないからか、
> それか今の時代が当時とは違い、悟りを啓いても殺生など不必要な事をせずに生きられる時代だからか、>
> あるいは何か他に思い当たることがありますか?
悟っても生活は極めて普通です。
逆に普通でなくなる理由が思い当たりません。
ある意味普通でないのはその内面です。
住むところを奪われても笑っていられたりしますので、
これは普通ではありません。
>>916 悟ったら「生きる」ということにも執着しなくなるのでしょうか。
918 :
神も仏も名無しさん:2011/10/02(日) 23:32:07.06 ID:KNfyySkk
追いつきワロタw
919 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/02(日) 23:42:25.77 ID:k2IMqrHW
目覚めたのなら目覚めについて語る必要はなく目覚めを遠ざけてしまうでしょう。
目覚めた人間はいかに目覚めるか、また目覚めとは何かもう語る必要はない。
むしろそれはせっかくの目覚めを損なう。
目覚めなければ語りようのないことを語り、目覚めについてではなく自他を揺り動かし眠りから覚ますようなことを語る。
これはいかにしてということない気づきに目覚めた人たちにふさわしい語り方のように思う。
もう目覚めの定義は必要なく、目覚めなければ語りようのないことを目覚めて語る。
≫世間
我々の中にある世間性が災いの種かと思います。
これさえなければ世間の煩わしさもトイレに行く手間も違いが無くなってしまうでしょう。
そしてまた悟りが個人的なものであるゆえんでしょう。
920 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/02(日) 23:57:53.33 ID:k2IMqrHW
つまり相手によりけり。
目覚めについて語ることが適切な相手、もはや無意味な相手と、そもそもまだ語ることが早い相手がおり、また時と場合も影響します。
まだ早い相手に語ると壮大に誤解し本人にも周りにも悪影響が出ます。
(これはこのスレッドを最初から読んでみるとamaさんの言葉がどういう人にどういう形で賛同されており、
それがその人にも周りにも災難であったかがわかるでしょう)
また、もはや無意味な相手に語ってもそれは適切でないしあなたもその相手も目覚めという夢にいざなってしまう危険があるだけです。
適切な相手に適切に語る時だけそれは意味を持ちます。
921 :
神も仏も名無しさん:2011/10/03(月) 01:05:25.34 ID:rUS2gKmb
>>1 このスレもレス900超えたけど、
悟りを上手く伝えられたと思う?
次もスレ立てる?
メンドクサイ人も多いからもう止める?
922 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/03(月) 01:34:51.52 ID:U+Xo6STL
≫おっしゃっている囚われというのは、梅干を見て唾液が出たり、
ボールが飛んできたときに体が勝手に動いたりするのも含まれるのでしょうか?
完全な覚醒そのものである人はこれにとらわれていないでしょうが、我々無意識が残っている存在はこういったことの記憶が
観念として無意識で活動しており、生命への体への、人間存在への執着を作り出しています。
完全な覚醒である人はただその状況である時体の知恵でもって反射します。
しかし我々はそれについての観念で自己を縛り、生に執着してしまってはいないでしょうか。
起こる前から無意識に、無意識で身構えてしまっているのです。
923 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/03(月) 01:41:21.05 ID:U+Xo6STL
ヨーガの教えで、仏教の教えでもありますが、
体は心の中にあり、心は体より大きいという基本的な真実を説きます。
全ては心次第であり体がどうなろうと心は何の影響も受けないというのが心の本来の姿であり、
心が体の影響を受けるというのは心自体が望まなければ、執着しなければ起きえないことらしいのです。
しかし我々は未だに体に影響された心を持っており、それが迷いであるようなのです。
自我が自己逃避の必要から何らかの希望を持つ必要性にとらわれていなければ、甘いものも酒も必要ありませんし、
動画で他者の人生で他者が持つ希望を疑似体験する必要もないのです。
924 :
神も仏も名無しさん:2011/10/03(月) 16:51:07.54 ID:1WE0bfRA
>>923 心ってあるように感じるけど本当にあるの?
ただの思い込みじゃない?
925 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/03(月) 17:17:46.59 ID:U+Xo6STL
心に束縛されていることを認識した後に心の存在を疑うことは素晴らしい。
自らが心に束縛されているとこに気づかぬ人間にも、その束縛が存在しないブッダにとっても心は存在しない。
しかしそれは全く別の事です。
心によって心の束縛から逃れようとすることをやめれば確かに心の存在そのものが疑わしい。
926 :
909:2011/10/03(月) 19:15:37.82 ID:AsCIKl3L
>>916 お答えありがとうございました。
私は仏教が好きなのですが、素直なところ
もし悟れても民間で働きたいと思っていたので、
amaさんのような方もいて安心しました。
927 :
v・。・V わん♪ ◆WhiteFoxEM :2011/10/03(月) 22:10:39.03 ID:+RRYKb2y
928 :
神も仏も名無しさん:2011/10/04(火) 03:16:20.06 ID:uYR6rcB/
>>1 どういう職業に就いたらいいのか知りたい
全く分からない
929 :
神も仏も名無しさん:2011/10/04(火) 03:46:15.97 ID:uYR6rcB/
生活するにはある程度の金が要る
金を稼ぐには、当たり前だが所属している会社などに最も利益が受けられるように考えなければならない
自分の会社や自分を実体として認め、それらへ自己投影することなどが求められる
例えば、会社の利益=自分の利益などのように
働く以上どこも同じような仕組みだ
自分や自社の確立を前提に、いかにそれら以外を犠牲にして自己利益を上げられるか
そういった諸々の自己利潤追求が求められている
これらは今まで話されてきた悟りの内容と相反するものだ
1や473はこれらについてどう思う?
そして今現在あなた方はこういうことに関して現実にそれぞれどう対応している?
930 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/04(火) 08:54:59.52 ID:z0tU7CkC
931 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/04(火) 08:57:18.14 ID:z0tU7CkC
>>921 > このスレもレス900超えたけど、
> 悟りを上手く伝えられたと思う?
まったく思いません。
> 次もスレ立てる?
いえ、これにて終了です。
> メンドクサイ人も多いからもう止める?
いえ、いろんな意味でメンドクサイ人が多い方が逆に続ける意義があるのかもしれません。
932 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/04(火) 08:59:48.55 ID:z0tU7CkC
>>928 やりたいことがあるなら、単純にやりたいことをすればいいと思います。
無ければ、無理に職業に就く必要はありません。
無いけど、生活のために必要ということなら、やりたいことを探しましょう。
いろいろやってみることで、今までは思いもしなかったことが自分に向いていることを発見したりもします。
いろんな問題が絡み合っていると、混乱したりします。
職業の問題ではなく、自分の中にある恐れの問題だったりもします。
>>931 続けてほしいと思っていますが
次スレを立てたら続けてレスしてもらえないのでしょうか
>>901 >悟ると、慢性的な退屈感 空虚感 虚無感は無くなります
これほんとにそうだと思う。
見てる限りama氏ってそんなに外れてないと思う。
般若心経や証道歌とか無門関等の公案とかわかるんじゃない?
935 :
神も仏も名無しさん:2011/10/04(火) 22:34:32.67 ID:6HOtVjcA
amaさんに聞きたいのですが、念戒定って修められてます?
自我の育成(飼い慣らし)ってどうされています?
一日、何時間ぐらいニルヴァーナの状態に戻れますか?
あるいは、最後に戻ったのは何年前ですか?
悟りを開くことよりも、悟りを保ち続けることのほうが難しいですよね。
937 :
神も仏も名無しさん:2011/10/05(水) 01:49:45.55 ID:DF7fMelV
>>936 横レスごめんなさい。
気になったので質問させて下さい。
悟りって1度悟ったらそのままじゃないの?
悟りの状態がずっと続いてるっていうのはおかしいの?
俺ずっと続いてるんだけど、どうしよう。
938 :
v・。・V わん♪ ◆WhiteFoxEM :2011/10/05(水) 01:51:24.95 ID:/dhQlet3
>>937 >悟りの状態がずっと続いてるっていうのはおかしいの?
世尊キタコレ!あなたはきっと偉大な魂だ。
それは非常に素晴らしい状態だから、そのまま保って。
そしてその喜びを身体と精神と魂に巡らせ、三位一体の
状態の心の力を使って、肉体の本当の力を呼び起こし、
伝説の虹の体を手に入れてくれ。
死の影を破り、輪廻を超え、人類で数人しか到達していない
偉大な領域に是非にも旅立ってくれ。
私は仮の宿としての自我に戻ってきて日常を過ごしているんだ。
この自我は強固な要塞みたいなものだから、特に不便はしないし、
慣れた揺りかごなんだ。
狭いし、窮屈だし、不自由だけどね!
外の世界は広くて自由で温かくて花開く素晴らしい世界だけど、
春になっても布団にもぐるのみたいなんだ。
春眠、暁を覚えずだぉ
なので、悟りの状態がずっと続いている状態にしたいんだ。
940 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/05(水) 08:31:40.72 ID:4m2xIw8k
>>929 真の自己利益というのは、自由に葛藤無く生きることですが、
それが必ずしも会社の方向性と違うとは限りません。
お客さんを喜ばせることに心血を注ぐ営業マンが、営業成績をあげることはよくあることで、
その場合は、それが彼の開花であり結実です。
もちろん、反社会的な企業もあるでしょう。
嫌なら離れるしかありません。
職業というものは、自由な精神で見てみると、驚くほどたくさんの選択肢があることに気づきます。
必ずしも、私にはこの会社しかない、わけではないのですね。
私は、どのような会社にいても、自分の花を咲かせ、自分の歌を歌うことは出来ると思います。
ただ、自分の歌を歌っているつもりで、実は恐怖に根ざした行動であることはままありますので、よくよく観てみることが大切だと思います。
お答えになっていますでしょうか?
現在、私は一生懸命会社の仕事をしています。
そしてそれは会社の利益と一致しています。
そして、私が一生懸命仕事をすることは、今を生きることであり、自分の歌を歌うことでもあります。
また、自分の中の恐怖と向き合い、余計な思考に気づくのにも役立っています。
会社が利潤を追求する以上は必ず目標があります。
ところが、目標があっても無くても目の前のことに集中することに変わりはありません。
であるなら、目標は一旦脇においておいたほうが、実は、完成度の高い仕事が出来たりします。
941 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/05(水) 08:34:57.21 ID:4m2xIw8k
>>933 了解しました。
それでは、その2を立てます。
942 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/05(水) 08:35:37.54 ID:4m2xIw8k
>>934 般若心経しか知りません。
といっても、日本語訳を理解しているのが、「色即是空・空即是色」だけです。
943 :
神も仏も名無しさん:2011/10/05(水) 08:42:47.60 ID:QDrtJjaL
>>939 荒唐無稽な話に聞こえるだろうけど
悟りについて必要な項目は
「世界は実在しない」と「私は実在しない」の2つだけ。
無意識の領域にある自我のプログラム(ルール)の中で
この2項目が変更されれば時間は掛かるが自動的に悟りは起きる。
944 :
933:2011/10/05(水) 10:40:47.03 ID:53mA+8UP
945 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/05(水) 15:00:27.02 ID:SJUtxC9c
目が覚めると様々なことが見えてきます。
自己逃避のための贅沢にあまりに多くのエネルギーが無駄にされ、あらゆる無駄なものが作られる。
人はそれに逃避し快楽を得るが、人間の意識の成長という観点からはマイナスの存在で
そういったものや食べ物をつくることと自分の利害が一致したことなどないです。
純粋に生計を立てるために仕事をすればいいかもしれません。
仏教であれば自分一人しかいない感覚で、異邦人の感覚で淡々と生計を立てるために仕事をすればよいでしょうし、
それはヴァガバットギーターでクリシュナがアルジュナに戦争の中でもひとは究極に達すると導いた道にもつながるでしょう。
もしくは淡々と自らの愛情を仕事に注げるのでしたらただ愛が道です。
いかに仕事に愛情を注げるか、家族に愛情を注げるかだけしか目に入らないような方でしたらただその導きに従えば
最終的に自分の仕事の影響や社会の産業の実態を客観的に見つつそれと葛藤しないで付き合えるという次元に到達するでしょう。
946 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/05(水) 15:09:04.21 ID:SJUtxC9c
家族を捨てて農産物を作っても、その仕事をやろうと思ってた誰かを世俗の仕事に追いやって自分がその仕事をするだけの事です。
労働力は余っており、そもそも無駄なものばかり作る世の中ですから、生活保護を受ける人の方が働く人より人間社会全体には貢献しています。
生活必需品を作るための労働力が不足すればその限りではありませんが、それに必要な労働力は非常に限られています。
正直、自分の労働もしくは非労働において人間社会がどうなろうと関係の無いことです。
彼らは彼らの論理でただ破滅にひた走ります。
我々は地球とかかわりを持つべきですが、人類とまともに付き合うべきではありません。
ほっておけばよいのです。
947 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/05(水) 15:21:08.16 ID:SJUtxC9c
生きなければいけないから、死ぬのは苦痛だから仕事をするのは仕方ない。
いかに仕事をするかが大切だ。
という前提を私も持ちがちではありました。
死ぬのは痛いというのも無条件の前提ではなく思考にすぎないのです。
これを単純に思考としてみなければ人は体への執着、飢えへの恐怖から逃れるべく何らかの目的に
逃避せざるを得ないでしょう。
体への執着があるということは、人間社会に貢献したいという理性や正義や愛という執着も同時に無意識に抱えることになります。
するとお金稼ぎと真の意味での社会的道義は必ず対立します。
対立しない人間は社会に流通している考え方に染まっておりその点無意識であるというだけの事です。
意識的であれば社会で正しいといわれるあらゆる考え方が人類にとって破壊的であることに気づかないことは不可能です。
それは物質的資源的にも精神的にも全くもってそうなのです。
948 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/05(水) 15:25:01.19 ID:SJUtxC9c
故に体への執着痛みへの恐怖を前提としてしまったところからの思考は社会の通念と本人の意識、良心などの執着も同時に
抱えざるを得ず必然的にそれ同士の葛藤を避けられないのです。
社会で葛藤なく生きる方法は2つしかなく、
無意識に世の中の考え方に染まるか、(自分の仕事が物質的に精神的に人間にどんな影響があるかは直視しないしできない)
覚醒して社会の通念も体への執着も意識と良心からくる真のの社会的道義すらも
まとめて捨ててしまうかしかありません。
また覚醒は捨てる思考を選べません。覚えてしまったこと見てしまったことは部分的に忘れることは不可能なのです。
部分的に忘れるためにはそれを選択するマインドが必要なのですが、マインドはマインドと対立するだけで消すことはできません。
故に無選択、無差別に全ての執着を消し去るか、全く無意識に個々の観念に同化するかどちらかしかないのです。
そして中間的段階として意識的に自己内部の矛盾を見るという悟っても光明を得ていない人間の段階があるのです。
故に仕事や仕事と対立する良心ではなく、問題の根本である死という思考からだという思考を見守ることが始まりとして必要なのです。
949 :
v・。・V わん♪ ◆WhiteFoxEM :2011/10/05(水) 17:39:20.32 ID:DXm81aPb
どんだけ怪しい集団に成り下がってんだよこのスレは
そしてどんだけの人数が悟り開いた気になってんだよ、、、
951 :
安堂:2011/10/05(水) 18:49:45.26 ID:ybDxfbol
>>950 すばらしいスレです。
473はまさに奇跡です。
知ることのない者が知ることはない。
952 :
神も仏も名無しさん:2011/10/05(水) 21:56:06.88 ID:DF7fMelV
>>950 このスレは1と473とその他だから、たいして人数いないと思うよ。
同じ言葉を使っていながら人と人とは分かり合えないって事が
よく分かる良いスレだと思うよ。
953 :
神も仏も名無しさん:2011/10/05(水) 22:23:45.56 ID:547N6ZRQ
>同じ言葉を使っていながら人と人とは分かり合えないって事が
>よく分かる良いスレだと思うよ。
wwwwww 確かに
>>943 荒唐無稽どころかそれが世界の実相だよね。
その世界は行ったことあるからわかるよ。
そして無意識っていわれる意味がようやくわかった気がする。
我に実体(他に拠らずに独立して生起するもの)はない
といわれても、頭では理解できるけど、自身の存在全体で
理解できていない状態を「無意識の領域では・・・」といって
いるのね。
955 :
神も仏も名無しさん:2011/10/05(水) 23:38:40.78 ID:Hz6lrP+G
なんでみんな「裏ホラー」とかをヤラセ扱いするのだろう。
結論から言えばヤラセですね。
ってそのポーカーフェイスな断定が自己防衛に思える。
少なくとも無感動に言ってるわけじゃないだろう。
956 :
神も仏も名無しさん:2011/10/06(木) 00:19:49.97 ID:Bv+XeiaO
ぺたぺたぺた
957 :
神も仏も名無しさん:2011/10/06(木) 00:38:34.83 ID:azU5cUpa
ここにも来てるのか。すげーな。ゴキブリ野郎
958 :
神も仏も名無しさん:2011/10/06(木) 01:10:36.09 ID:Bv+XeiaO
草履虫ぺたが、喚いてるぺたwwwwww
959 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/06(木) 08:44:35.67 ID:J73IGiI2
>>935 今思えばホントに眠っていたんだなあ、というのが素朴な感想です。
毎日が葛藤の連続でした。
全然役に立っていないのに、その思考を採用し、引っ張られ、自由を失っていました。
考えることで、問題を解決しようとしていましたし、解決できると思っていました。
960 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/06(木) 09:10:50.10 ID:fwZrQ5Bb
>>935 本が好きで、いろんな本から情報を仕入れていました。
これこそ真理だと傾倒した書物もいくつかありました。
知識欲は満たされ、真理を理解した気になり、自分が偉くなったような気分になっていました。
外部からの情報を得て、自我が「分かった」と言って静かになることと、「分からない」と言って問題を放棄して静かになることとは、
結局同じことであることに気づいてからは、外部からの情報に重きを置かなくなりました。(前者のほうがちょっとたちが悪いかもしれませんが・・・)
何かを理解することで精神が開放されるわけではなかったのですね。
これは、私にとって、天と地がひっくり返るくらいの気づきでした。
ターニングポイントだったかもしれません。
いろんなことを知っている私から、何も知らない私に切り替わりました。
一気に楽になりました。
「OK、もう、自分は大丈夫だ」と思いました。
でも全然大丈夫ではありませんでした。
あいかわらず、思考は私を苦しめていました。
観ることをやめた途端に私は自由を失い、混乱します。
だいたい「OK、もう、自分は大丈夫だ」と思って大丈夫だったためしがありません。(苦笑)
観ること、気づいていることは、義務であり、しなければならないことでした。
そして、どこまでも、それは、ノウハウであり、役に立つ道具であり、宝物でした。
私は道を手に入れた、と思い、それで満足してしまったのですが、問題は抱えたままでした。
知識を得て満たされるのも、ノウハウを得て満たされるのも、同じことですね。
それは、実際にそうである時にだけ有効であったわけです。
気づいているときだけ、私は開放されているのです。
そして、このような↑結論すら必要ないことに気づきます。
961 :
神も仏も名無しさん:2011/10/06(木) 11:38:24.32 ID:R2MfUdY0
>>960 何か考える時に、まだ「言語を使った思考」は使ってるの?
言語を使わない思考に切り替わった?
それとも思考を使わずにヒラメキと気付きで対処してる?
962 :
神も仏も名無しさん:2011/10/06(木) 16:32:44.73 ID:sluiFj0J
>>1 悟りって、分かる、分かるんだが、それらの話は
自我がないと分かって、全て一つだった、と分かった
で、それでそれから先は?
普通に会社で一生懸命生きてます、とかいうそういうところ側の話ではなくて
全て一つの側のこと
その先はどうなってるの?
全て一つのその一つのは、何がどうなってそうなってるの?
963 :
神も仏も名無しさん:2011/10/06(木) 21:35:41.74 ID:2j3+lin7
>>962 純粋な意識だけ持って、全てマルっと元通り。
964 :
v・。・V わん♪ ◆WhiteFoxEM :2011/10/06(木) 21:59:23.22 ID:+99dIEUD
965 :
神も仏も名無しさん:2011/10/08(土) 11:10:10.68 ID:NCJx2USp
amaさんの言うようにただ「観る」だけで人々が悟りを啓けたら
大いに困る人達が世の中には沢山いるだろうな 現在の政治商業組織宗教体制は間違い無く崩壊する
現在の社会の大部分は人々の不安の上に基礎を置いてるからね
でもamaさんや今後増加の一途をたどる覚者達を止めることは不可能だ
ただ「観る」だけの人々をどうやって止める?
実に愉快だ
どれ、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズでも読み耽るとするか
967 :
v・。・V わん♪ ◆WhiteFoxEM :2011/10/08(土) 18:45:26.86 ID:mPc0J/Lg
968 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/08(土) 22:17:03.10 ID:3WyQeARp
>>936 > amaさんに聞きたいのですが、念戒定って修められてます?
> 自我の育成(飼い慣らし)ってどうされています?
仏教についてあまり詳しくないので用語などは分かりません。
「念戒定」というのは分かりません。
「自我の育成(飼い慣らし)」というのは、役に立たない思考に引っ張られないようにすることのように受け取れます。
これは、実にシンプルで、役に立たない思考に気づきそして手放す、これだけです。
役に立つ思考を選ぶには、役に立たない思考を手放す必要があります。
思考が相反するとき両方を採用することは出来ないのですね。
私がやっていることは、今というこの瞬間をいつも新しく生きること、です。
目を覚ましていると、役に立たない思考が良く見えます。
そして、役に立たない思考を、自分で何とかしようとしないことです。
何ともできないことに気づくことです。
これがまた出来ないときはホントに出来ない。(苦笑)
その意味では、逆に何とかしようと四苦八苦することも役に立ちます。
人の話を無条件に採用するのではなく、自分で実際にやってみることが私にはとても役立ちました。
考えうるありとあらゆることをやってみて、それでもどうすることも出来なかったとき、
やっと自我(私)はあきらめました。
そして、そのような過程を通じて、私は私でないものに問題を明け渡すことに成功したのです。
このように書いてみると「自我の育成」とは違うような気もしてきました。(苦笑)
私に分かることは、今という瞬間瞬間を新しく生きると、さまざまな思い込みから解放され、精神は自由に活動するということくらいです。
断言が無いときだけ、私は自由です。
(この↑断言も含めて)
969 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/08(土) 22:19:30.94 ID:3WyQeARp
>>936 > 一日、何時間ぐらいニルヴァーナの状態に戻れますか?
> あるいは、最後に戻ったのは何年前ですか?
ニルヴァーナというのがこれまたよく分かりませんが、悟りと同じ意味だとして。
計ったことがありませんので正確には分かりませんが、
その日その日でかなりバラツキがあると思います。
どうでしょう・・・1日のうちで5〜8割程度でしょうか・・・。
970 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/08(土) 22:21:22.42 ID:3WyQeARp
>>936 > 悟りを開くことよりも、悟りを保ち続けることのほうが難しいですよね。
おっしゃるとおり、悟りを保ち続けることは至難の業です。
なぜなら、保ち続けられるものではないからです。
私(自我)は、保ち続けられないものを保ち続けようとするのです。
当然それは徒労に終わります。
「悟りを開くことよりも、悟りを保ち続けることのほうが難しいですよね。」
という表現は言い得て妙です。
実に深いです。
私に出来ることは、悟りを開くことだけだからです。
それは、具体的には、私でないものに私を明け渡すことです。
私でないものに私を明け渡しておきながら、同時に(直後に?)、明け渡すのを拒みます。
私が悟りを継続しようとするということは、そういうことです。
私が主人でいたいのです。
完全に矛盾しています。
分裂しています。
悟りは、1回ぽっきりのものです。
2回目はありません。
ましてや、継続などありえないのです。
前にも悟ったことがある、とか、悟り続けている、と言っているのは私(自我)です。
もし、悟り続けていると思えるなら、私は過去を生きていることになります。
今という瞬間にはあまりにも何も無い。
もちろん時間も無い。
971 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/08(土) 22:24:52.31 ID:3WyQeARp
>>970の続き
別の観点から観てみます。
私(自我)は、悟りを拒みます。
よく観てみると、どうも恐怖が原因のようです。
人は未知のものを恐れます。
悟りは私の知らないものだから怖いのです。
そして、それは、私(自我)の死でもあります。
怖いのは当然です。
知っているところに、既知の領域に、私はいようとします。
それは、過去ですね。
ですから、今という瞬間から離れ、過去に戻るのでしょう。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とはよく言ったものです。
飛び込んでしまえば、未知の領域には、私を縛り付けるもの(断言)が無いので、
とても心地よいことが分かります。
悟ることは、その寸前までが最も難しく、一旦飛び込んでしまうとあまりにも簡単なことなのですね。
972 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/08(土) 22:32:49.53 ID:3WyQeARp
>>971の続き
継続は力なり、という言葉がありますが、悟りの継続にこれは当てはまりません。
継続させようとする思考が覚醒を邪魔します。
そもそも悟り自体が継続できるようなしろものではないのです。
継続は過去の繰り返しであり、思考はそれを持って来ようとしますが、悟りは今という一瞬一瞬にしかありません。
悟りは、努力や根性で得たり継続したりするものではないのですね。
精神(自我)がそこは怖くないという結論を出し、継続と言う観念から自由になったとき、今と言う永遠を生きることが出来ます。
私は、いつでも初めて悟ります。
973 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/08(土) 22:36:36.11 ID:3WyQeARp
974 :
v・。・V わん♪ ◆WhiteFoxEM :2011/10/09(日) 00:48:17.96 ID:9MNPZV/M
975 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/09(日) 02:12:02.21 ID:90N3Fbrz
>>973 どんなものもこんなものもないよ。
あなたが特殊な定義で悟りという究極を示す言葉を使うものだから、便宜的にその上位概念として
光明を持ってきただけで、このスレッドだけ、あなたと私の間でだけその時定義したのが光明ということばであって、
他の人が他の状況で定義した光明とは全く関係がありません。
普通悟りと光明は同じ意味で使われるのですが、瞑想や覚醒や一瞥に値するものを悟りという言葉で通すものだからややこしくなるのですね。
言葉ではなく中身の、認識のやり取りができないということはどういうことか。
言葉を自分の定義でしか使えないで肝心の意思の疎通ができないのは言葉の夢の中に浸りきっていることの証か。
私とてその不自然と不自由にもがいている。
>>969-970 主体と客体があるならそれが俗であっても悟りであっても変わりのないものです。
また無時間無主体無客体の時間が半分以上で(まあ無時間なので外にしか時間はないですが)、主体がある時間が半分以下
というのは素晴らしいペースですね。
976 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/09(日) 02:31:33.63 ID:90N3Fbrz
>>970 悟りは体験ではないですよ。
保ち続けようとすると保てなくなるのは瞑想体験であって、
悟り(私の言う瞑想)は保とうとする表層意識はすでに静まっていてそういう心配はないです。
悟ったときに起きる瞑想体験への執着が無くても、深層心理から主権を奪い返そうとする思考が
無限に湧き出てくるのでそちらに知らぬ間に主導権を取られることが問題です。
悟りは体験ではないのでそれに執着する心配はありません。
悟りの状態の時に副産物として起きる体験への執着は苦しみをもたらします。
しかし、そもそも質問者は瞑想体験の次元にいるのであり、体験を脱して悟りそのものに一瞬でも触れた(ように見える)あなたとは
別の次元にいるのですよ。
あなたが悟りについてではなく瞑想について969970で語っているならそういうものだし、質問者に答えてもいますが、
それが悟りというのは嘘だし、悟りにそういう特性と障害があるというのも嘘です。
それは悟りでもなく瞑想でもなく瞑想的体験ですから。
というより今のあなたにとって悟りとは体験にすぎないのではないでしょうか。
(体験ならざる次元の一瞥はしているように見えるけど、これは結構一度きりでもう一度までが長い。人のこと言えないかもしれない。参考文献このスレのテーラワーダのリンク)
どうもこの質問者の次元と調子があっている。
970の「私」もそんなのは表層意識にすぎないのでありそこから言葉にならない数百数万の記憶と思考の集合体が熔けてゆくか主導権を奪い返すかの
言葉も形もない成り行きが始まるのです。主体と客体の関係が消えるか残るかの、、。
977 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/09(日) 02:33:21.51 ID:90N3Fbrz
悟りの状態の時に副産物として起きる体験への執着は苦しみをもたらします。 )
この文は不要ですし、そもそも中身が変です。
978 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/09(日) 02:35:17.00 ID:90N3Fbrz
瞑想について
訂正
瞑想体験への執着を脱し瞑想そのものの一瞥(あなたの言う悟りの一瞥)
を得るためのヒントとして
>>972 レスありがとうございます。お話よくわかりました。
私も悟りは一度開いています。
過去現在未来の時間も無いことなのもわかります。
無条件の至福も、全てが統一された状態もわかります。
ただ、自我の認識の上では、それらは過去の悟りの経験から
導き出している状態で、現在進行形の状態ではないのです。
そこで、頻度について教えてください。
悟りは一度だけしかなれないものですか?
それとも、行ったり戻ったりできるものですか?
ついでにamaさんの日常的な頻度について教えてください。
amaさんは毎回毎回、初めて悟りを開くことを毎日してますか?
毎日するなら朝1回夕1回とか風邪薬みたいな間隔ですか?
次が無いと言われても、結局は他にどうしようもないので、
再び悟りに至ることになるんでしょうけど、体を持ち、仕事をする
生きた人間としての日常の中でどうされているのかを知りたくて。
980 :
神も仏も名無しさん:2011/10/09(日) 14:28:57.17 ID:Xn6n22jC
なかなかいい質問だよねえ
981 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/09(日) 22:27:47.86 ID:rLcsbIPO
>>961 考えるときは言葉で考えたり、イメージで考えたりしています。
また、ヒラメキも気づきもあります。
982 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/09(日) 22:29:39.84 ID:rLcsbIPO
>>962 私がいます。
それはとりもなおさず私はいないということです。
単純明快です。
その先はどうにもなっていません。
すべてがひとつは、ひとつがひとつとしてあるだけです。
私達は問題を複雑にするのが好きです。
それは、裏を返せば、世界がシンプルだからこそ、真っ白だからこそ、
いろんな絵を描くことが出来る、つまり、問題を創造し、更には複雑にすることが出来るということです。
983 :
神も仏も名無しさん:2011/10/09(日) 22:39:21.97 ID:UG3YJLmw
>>982 そのひとつは、いつ、どのように、何から始まって、これからどうなるの?
私らは生きて死んで、それで?
984 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/09(日) 22:54:18.64 ID:rLcsbIPO
>>975 > どんなものもこんなものもないよ。
> あなたが特殊な定義で悟りという究極を示す言葉を使うものだから、便宜的にその上位概念として
> 光明を持ってきただけで、このスレッドだけ、あなたと私の間でだけその時定義したのが光明ということばであって、
> 他の人が他の状況で定義した光明とは全く関係がありません。
そうなんですか?
OSHOの話を持ち出していらっしゃったので、てっきりOSHOの言う光明かと。
985 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/09(日) 22:56:28.20 ID:rLcsbIPO
>>975 > 普通悟りと光明は同じ意味で使われるのですが、瞑想や覚醒や一瞥に値するものを悟りという言葉で通すものだからややこしくなるのですね。
そうですか・・・。
まあ言葉の定義は二の次ですからこの際何でもいいのですが、でも、一般から大きく外れるとこれは厄介ですね。(対話が成立しない。)
たしかに、怒りや恐怖が全く起こらない状態を悟りというなら、私のは、悟りではありません。
そこで、どの言葉を使うかですが、
心がパカッと開かれている状態、
頭がスコーンと突き抜けている状態、
ボーっとしていない状態、
色んな思考の動きが観えていて引っ張られていない(囚われていない)状態、
自分の中の恐怖がよく観える状態、
一切の前提無く観ている状態、
断言を持ったままではそこに至ることが出来ないそこの状態、
このような状態はなんと呼ぶのがふさわしいでしょうか?
瞑想?覚醒?
986 :
神も仏も名無しさん:2011/10/10(月) 09:24:51.88 ID:VycGMaKO
>1
悟るって、自分の心が消える事ではないですか?
悟りを開いたとして、仏との接触について書かれてる人が居ないけど
仏と会わずして悟りを得たと思ってるのでしょうかね? ナンセンス
988 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/10(月) 13:00:31.55 ID:SdJ0FcHP
>>985 言葉はどうでもいいですが、定義は対話において非常に重要です。
悟りや光明の定義?
はいくらか覚者の本があればわかりそうです。
寝ているときでも意識が途切れない。
体への執着がない宇宙全体そのものでありまた更に無である。
主体と客体の関係がない。
過去生への完全な覚醒。
覚者たちの語り方。
こういうもの、また各覚者さんたちと比べて遜色のない存在であれば悟りという言葉に
違和感はないかもしれません。
実は状態そのものを重視した覚者はあまりいません。
それらの状態は私たちの日頃の執着や日頃の苦しみという背景があってこそそのコントラストとして
頭がスコーンと突き抜けている状態、
ボーっとしていない状態、
色んな思考の動きが観えていて引っ張られていない(囚われていない)状態、
自分の中の恐怖がよく観える状態、
一切の前提無く観ている状態、
断言を持ったままではそこに至ることが出来ないそこの状態、
があるのであり、状態自体はそれが苦しみでも快楽でも無でも幻想に変わりはありません。
しかし静かな幸福、無をもたらすところのその無条件の中心をいかに見出すかについて覚者は語りました。
中心、原因である無条件のものではなく起きたことについて語ると、また起こることが難しくなります。
またそれへの執着が起き他の体験、社会的生活と対立もするでしょう。
989 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/10(月) 13:16:06.08 ID:SdJ0FcHP
また起こることがある程度コントロールできるレベルもまたあります。
これは表層意識の動機を静めて瞑想に至った(あなたのおっしゃる悟り)人であれば
そういったことをある程度自由に起こせるでしょう。
しかし、肝心なのは、その瞑想的な状態その自由のような感じの前提としてある、我々の無意識の活動であり、
また主体客体の2元性が作り出す不可避の悲喜劇の克服なのです。
この次元にいる人もいる人で状態にかまうより他に見出すべきことが残っているように思います。
≫このような状態はなんと呼ぶのがふさわしいでしょうか?
瞑想体験であり、また体験は幻想であるからこだわらないようにと説きます。
日々気づきと意識を研ぎ澄まし起こったことはこだわらないようにと説きます。
そして状態や体験を超えた記憶も表現もできない出来事の中心が起き、物事の認識や瞑想への在り方が全く変わったとき、
それを瞑想するではなく瞑想が起きたといいますし、また瞑想するという言葉以上光明以下という文脈で覚醒という言葉も使います。
しかし、なんにせよ文脈です、言葉は相手の定義への対応や、自分の文脈の中でどの言葉同士どの定義同士の対比で使うかによって意味は変わります。
言葉は相対的なものです、悟りを下位概念として使うことも上位概念として使うことも文脈と他の言葉の定義次第かと思います。
悟ったという言葉は自分が仏陀やoshoと同格と宣言しているようなものであり言葉の用法として乱暴だし、どうにも謙虚さというか怖いもの知らずだ。
文体も語る内容も明らかに彼らよりスケールが小さい。
とりあえず和尚グルジェフクリシュナムルティや他の宗教の文献をあさって、彼らには及ばない自分の位置を正確に言葉で表すにはどうすればいいか
研究しとくのが普通。
そしてそうすることで自分の現在の位置も解り、旅を続けられる。
もうここが終点だと思いたいかもしれないけれど。(でなければ悟ったとか言うかな)
>とりあえず和尚グルジェフクリシュナムルティや他の宗教の文献をあさって、
>彼らには及ばない自分の位置を正確に言葉で表すにはどうすればいいか
>研究とくのが普通。
研究しすぎちゃって、トラワレちゃうヒトもいるよねw。
「がんじがらめ」って自分じゃ気づけないのかなあ。
だからがんじがらめって言うのかもしれないけど。なんか気の毒になってきた。
991 :
v・。・V わん♪ ◆WhiteFoxEM :2011/10/10(月) 15:34:10.41 ID:0b++5UNU
992 :
神も仏も名無しさん:2011/10/10(月) 15:46:12.37 ID:cRjxlGZ4
>>987 >仏と会わずして悟りを得たと思ってるのでしょうかね? ナンセンス
何故?
993 :
神も仏も名無しさん:2011/10/10(月) 16:06:02.53 ID:SOLpJH2j
>>987 悟っても仏には会わないよ。
だって私が仏そのものだからね。
995 :
473 ◆xIpfQokPjM :2011/10/10(月) 17:22:21.30 ID:SdJ0FcHP
悟りに研究は不要ですが、過去の人とまた現在の人々がどのような定義で言葉を使っているかは研究しないと
意志の疎通が困難です。
またその定義の違いこそ異なる構造を持つ自我と自我の対立でありその関係性から多くの事を学ぶことができます。
996 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/10(月) 21:07:28.38 ID:m3J7CC5t
>> 976
> 悟りは体験ではないですよ。
それは自ら確認されたということでしょうか?
> 保ち続けようとすると保てなくなるのは瞑想体験であって、
> 悟り(私の言う瞑想)は保とうとする表層意識はすでに静まっていてそういう心配はないです。
473さんは、瞑想から出ることがないということでしょうか?
> 悟ったときに起きる瞑想体験への執着が無くても、深層心理から主権を奪い返そうとする思考が
> 無限に湧き出てくるのでそちらに知らぬ間に主導権を取られることが問題です。
473さんのおっしゃる瞑想体験とはどのようなことを指して言ってらっしゃるのでしょう?
瞑想との違いは?
473さんの瞑想は、悟りとほぼ同義ですか?
997 :
ama ◆BmUbLWewsM :2011/10/10(月) 21:14:17.21 ID:m3J7CC5t
998 :
神も仏も名無しさん:2011/10/10(月) 21:20:28.85 ID:uIN6Spm8
梅
松竹梅
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。