十十十 カトリック+188 十十十

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311神も仏も名無しさん
神の完全性と真理の普遍性1/4

我々が認識できる現世と来世という世界は、以下のように記述できる。
創造主と被造物が在り、
天国の福楽と、地獄の罰と、煉獄での清め、が有り、
試練の場としての物質界が在る。

我々の世界を、異なる価値観を持つ別の存在者が
外側から観測したと仮定して、善悪の基準や真理の尺度は、
観測者の目にも同じように映るような共感を及ぼすのだろうか?

「私の目から視た永遠の地獄は悪です。」
「同様に試練の場である物質界も悪です。」
「それにより、創造主の主観的な嗜好による相対的な真理の押し付けです。」
「創造主であるあなたは、暴君のような邪神・悪神です。」
と断罪される可能性を有しています。

このような評価では、我々の創造主である神の完全性が欠如してしまいます。
どのような観測者の視線にも堪えうる真理に基づく必要性が生じます。
よって、絶対的な尺度という基準を持つ、ルールブックのような、
普遍性のある不変の真理という価値観がある、という結論を導き出します。

しかし、この結論は、次のような問題点が噴出します。
因果律の発生です。

※ここで示す因果律の定義とは、
神の意思決定をも左右しかねない絶対的な真理に基づく、
ルールブックに従うような規則的な判断を意味する。

※因果律は、神の意思決定へ影響を及ぼすのか、という懸念である。
312神も仏も名無しさん:2010/11/10(水) 19:08:08 ID:mqlUMCB3
神の完全性と真理の普遍性2/4

「神は、普遍性のある価値観のルールブックに従って
判断を下すという従属的な意思決定なのか?」
「ルールブックという真理による尺度の基準のほうが、
神よりも超越的な普遍性を帯びる結果に陥らないか?」

という従属性への懸念は、
最高の存在であるべきはずの超越者を貶めてしまいます。

この結論もまた、神の完全性を欠如してしまうという問題点が噴出します。

旧約聖書 ヨブ記
「全能者が法を曲げるだろうか。」

そこで以下のように結論付けます。

絶対的な価値観と尺度による
不変の基準である普遍的な真理が在ることを認めつつ、
神の完全性を維持する結論を次のように著述いたします。

・どのような観測者の視線にも堪えうる絶対的な真理は在る。
・神は真理に基づいて判断を下すという意思決定を行っている。
・神と真理は従属的な別個の関係ではなく、神は真理そのものである。

・神と真理は同義だが、相対的な真理ではない。
・すなわち、神の感性による主観的な嗜好の押し付けではない。
・神の完全性/超越性と、真理の普遍性/絶対性は一致している。
313神も仏も名無しさん:2010/11/10(水) 19:09:22 ID:mqlUMCB3
神の完全性と真理の普遍性3/4

新約聖書 聖福音書
「私(主)は、道であり真理である。」
新約聖書 ヨハネ黙示録
「主よ、あなたの裁きは正しい。」

以上の論旨は、「天主が絶対的な真理に反するような業(わざ)を
独断で成したとしても、それが真の善なのか?」という問いなのだが、
もしも、真理というルールブックに反するような決断を、
天主が下したとしても、その決断は絶対的な真理を相対的な真理へとは貶めない。

大きな枠組みの尺度で量ると誤りのように見えるけど、
小さな善意のような状況ってあるだろう?
法律をマニュアル通り忠実に実行すると、
かえって無慈悲なように見えるような状況だ。

「未熟な若輩者だし、法で裁くよりも、
お説教ていどで済ませてあげれば?」という論理です。
「中学生による初犯の万引き程度なら、
お説教だけで赦してあげましょう。」と同様の論理です。

絶対的な真理という尺度のルールブックに基づいて
天主は、判断を下されているように見えるが、
天主の独断が、真理に反するように見えても、
より良い善が引き出されるならば、それは義である。
314神も仏も名無しさん:2010/11/10(水) 19:12:43 ID:mqlUMCB3
神の完全性と真理の普遍性4/4

すなわち、絶対的な真理による規則性という大まかな流れが在りつつ、
天主の独断が混じったとしても、それは真理に反しない。
なぜなら、天主の判断によって、
さらなる善が引き出されるという御計画に基づいているのだから。
絶対性のある真理を、相対的な真理へと、貶めることにもなりません。

天主の独断が、真理を相対的な善悪の価値観へと貶めるように見えたとしても、
より良い善が引き出されるならば、かえって、その決断による善い結果は、
結局のところ、絶対的な価値観による善悪の基準という真理へと帰結する。

天主の判断は必ず、絶対的な真理へと結ばれます。
神は独断だけの暴君ではないし、相対的な真理でもありません。

もしも、天国だけの、罪が無い完全な世界を創り出したとしても、
その世界は、潔癖なだけで完璧ではない。
天国、煉獄、地獄、物質界、これらが在る我々の世界のほうが完全だと思う。
なぜなら、苦楽は、より良い善を引き出せるからだ。