仏教議論スレッド 07

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611神も仏も名無しさん:2010/11/02(火) 20:42:31 ID:D+LyFKrb
604
開き直ってドグマをリピートするのはやめようや。
612蛇足2 3/6:2010/11/02(火) 21:05:30 ID:iBZYKRBS
>>420
> 1 鬱病患者は、健常者が感じることのない、または感じる必要のない苦を、極端に感じる。
> これは、脳内神経伝達物質の異常によるものであり、精神医学による治療の対象となる。
確かに、その側面はあります。
しかし、貴方が常常力説するように、それをどう次へ(未来へ)繋げていくかは別問題でしょう?
貴方は、「苦」を「力(バネ、忍耐力の形成、等)」へと転化し、また「楽」や「幸」の輝きの爲、
利用し、存在を許容するのではありませんでしたか?
その線引きは、具体的に可能なんですか?貴方はいつも『「平均的」幅からの逸脱』を言いますが、
その幅に収まる収まらないの線引きは具体的にどうなるのでしょう?(>>608
個々の医師によって、線引きがマチマチな事例は山ほどありますよ。
ある病院では「もう大丈夫、普通に生活できます。学校に行ってもいいですよ」、
ある病院では「もう少し回復を待ちましょう。うつる可能性が無いわけじゃありませんので」、等。
話が逸れました。
仏教は、「きっかけ」として利用したということです。
きっかけとして利用することにより、その負の連鎖を断ち、負のベクトルを逆転させているわけです。
(貴方の言う「利用、活用、役立ち」の範疇にも収まるわけです。)(さすがに「機能」とは言いませんが・・w)
問題となっているのは、《仏教に於ける「苦」の強調》が、
貴方が指摘するような、「平均的度合いの感受を超え」、「この世(の全て)を悲観する、負の思想」と化し、
「触れた者が皆、悲観的になり、ポジティブな思考を捨て、マイナス思考になっている」のかどうか、
ということです。 この問い自体は、常に設定され続けても良いものです。
しかし、貴方は、初手として、その「負の要素」を指摘していますが、
【それが、どれほどの強さ・広さで人々に受容され、影響を与えているのか】
【その影響の具体的事例は何か】については示し得ていません。
それほどの大規模な影響であるにも関わらず、です。 議論の進展に寄与しないのです。
上記(>>610末尾)で触れたように、精神科の方々の分析・考察は大いにあって良いと思います。
613蛇足2 4/6:2010/11/02(火) 21:10:51 ID:iBZYKRBS
>>612補足: >>420「 >または感じる必要のない 」
 この線引き・判断に於いて、「個人差を越え得るのか」という点も、聊か疑問のあるところです。)

> 2 病気や怪我による肉体的な苦は、「五蘊の仮和合」などの自己欺瞞によって除去できるものではない。
勿論、その通りです。そうした(肉体的)「痛苦」の緩和、除去は医学的領域の話(仕事)です。
仏教は、それらを治す・除去することを目的とはしていません。(尤も、禅定等により、多少の緩和は可能でしょうが。)
ただ、それ(肉体的痛苦)に付随する「心理的苦」に関しては、可能性を見るわけです。
だから、四苦八苦の中に「通常の苦」の一つとして組み入れられ、解決可能なものとされるのです。
具体的痛苦は、様々な手段で緩和・除去すればよいのです。
それでも尚消去できない「(心理的)苦」の解決法(の一つ)を提示しているわけです。
★参:【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】8
   http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/452
   ttp://mimizun.com/log/2ch/psy/psy/1233367815/452

> 釈迦が麻酔無しで手術を受ければ、彼は狂いまわるだろう。釈迦の「我(アートマン)」にモロに響く。
ここが倒錯なわけですw  「医者にかかるな」などと言っているわけではありませんw
医者にかかり、きちんと手を尽くして尚、「懼れ、惑い、嘆き、苛立ち、苦悩する」時、
心理面での、(その途上も勿論ですが)その解決にこそ意味があるわけです。
(病気や怪我は医療で治しましょうw)

> 3 生活必需品の不足(例えば、家族に食べさせる食べ物がない)による苦は、
> その物資の供給がなければ、無くなることはない。
その通りです。
が、仏教が「物資の供給」をするわけではありません。
それは「社会」(≒行政、市民力)の担当領域です。不足が解消されるよう、努力は講じられ、続けられねばなりません。
そして、上記医療と同様に、八方手を尽くして尚、「不足し、不便を感じ、不安を感じ、危機を感じる」時、
心理面での、その解決・緩和にこそ意味があるわけです。
614蛇足2 5/6:2010/11/02(火) 21:11:52 ID:iBZYKRBS
> 4 純粋に精神的な苦は、自己中心主義から生じる場合が殆どである。
そうですね。まさにそのように仏教では説いてますねw
> 我執を去り、
その通りですね。

> 身近な他者に心を移すことにより、軽減・除去される。
それは、寄りかかる壁を変えただけで、「解決」にはなっていませんね。
目を逸らして、視界から外しただけですね。
今度は、新たに寄りかかった壁に対して、「十分かどうか」「もっと強度が、寄りかかり易さが欲しい」とか、
或いは「壁の喪失を懼れたり、不安になったり」「壁無しではいられなくなったり」
「その壁の喪失で再び苦悩、不安に逆戻りしたり」、また「新たな壁に対して、注文を付けたくなるかもしれません」。
一時凌ぎであり、自分の足で立つことの放棄であることには変わりありませんね。
いずれにしろ、「自我の欲求は消えてません」ね。それによる苦は生じ続けますね。
いたちごっこですね。

> 贅沢三昧、我侭な生活をしてきたものは、忍耐力がなく、
> 物事がちょっとでも上手く行かないと、苦を感じることが多い。これを「贅沢病」「我侭病」と称する。
そうですね。その通りの事例は、そこかしこに溢れてますね。
ただ、釈迦国の状況(隣国等との情勢)が「ちょっとしたこと」だったかどうか、
アノーマー河を渡った動機が、「ちょっとしたこと」だったかどうか、判りませんよね?w
結局、2500年後の【結果】(2500年間の伝承の歴史)に、【その「昇華」を見るしか】ありませんねw
>>610>>612末尾のように、(私個人は)、開祖の精神的傾向と、、
説話・伝承及び後代への残滓は研究されてしかるべきだと思いますよ。
その作業、成果により、説かれた内容の『意義』を探ることが、更に楽しいものとなると思いますよw
615蛇足2 6/6:2010/11/02(火) 21:45:07 ID:iBZYKRBS
> 贅沢三昧に暮らしてきた釈迦が、どのような苦を体験したのか、定かではない。
> 「純粋に精神的な苦」であることは確かだろう。
はい。その通りでしょうね。
語弊を恐れず大胆に言えば、
だから、釈尊在世当時に於いても、インテリや富裕層に受けがよかったわけです。
ブイブイ言わせて充実した生・仕事の間隙の空白・不安に怯える者が、噂をもとに訪れるわけですw
(勿論、そうした者達だけではありませんがw)

> 圧倒的大多数の生活者は、王子様である釈迦よりもはるかに強い苦を経験したであろうが、
勿論、感受・経験する苦も人それぞれでしょう。その度合いも大小軽重様々でしょう。
しかし、だからこそ、それら全てに通底する原因、縁の探求が、仏教に於いては爲されたわけです。
だから、最大カテゴリでもあるのです。

> それを生活の中で乗り越え、楽に転化させている。
そして、日常生活を送る上で、緩和・軽減の為の、日々をこなしてゆく上で、
「視線のズラし」「保留、脇へ措く」「同量の楽で中和する」「代償としての楽を常に用意する」等、
一時凌ぎ自体はあっても良いのです。(勿論それらも、別の苦の縁となってゆくわけですが・・。)
ただ、そうした回避で尚処理できない時、「縁起」と「無我」が活きてくるのです。
616蛇足3:2010/11/02(火) 21:55:42 ID:iBZYKRBS
>>397
> 「一切皆苦」「釈迦は常に正しい」。
だからwww
「○○が言ったから正しい」なんて誰も言ってないのw
(確認した上で)「内容が正しい」と言ってるだけなのw
たまたま最初に説いたのがお釈迦さんだっただけなのw


>>322
> 五蘊も縁起なら、五蘊から生じる「苦」も「空」であり、
その通りですねw

> 気にすることはないですね。
貴方が、「苦しいままで良い」という考え方の人だというのはよくわかりました。
つか、冗談はともかく、2chに蔓延している「空教」、野狐禅ならぬ「野狐空」に感染しないようにw
(「心頭滅却すれば火もまた涼し」を言葉通りに、単なる「熱くない」と読むようなもんです。)
「気にしない」というのは、「気にした上で、気にしない」ということです。

> 宗教者が、生命をわざわざ「いのち」などと表記し、
「本気」と書いて「マジ」、「強敵」と書いて「友」と読むくらいです。別にどうということはないでしょう?w

> 生物的生命とは異なるものに変容させようとしている恐れがあるから
wwwww
いったいぜんたい、「どこの誰が」「 > 生物的生命とは異なるものに変容させようとしている 」のでしょう?w
また、見えない敵と戦っちゃいましたか?www


>>553
自分の思考に反する思考」を「精神病」呼ばわりしている貴方が何を仰いますやら・・w

見ることも触ることも聞くことも、考察の対象ともなし得ない『生命』を夢想し、
専ら「観念の遊戯」にふける貴方こそ、「精神病」なのではありませんかw
617神も仏も名無しさん:2010/11/02(火) 23:13:09 ID:tv7NZpOb
>>616
>見ることも触ることも聞くことも、考察の対象ともなし得ない『生命』を夢想し、

「考察の対象ともなしえない『生命』を『夢想』する」とは、言語矛盾です。
「対象化できない生命」は「夢想」の対象にもなりません。

それでは、生命を「生命現象を現す肉体」と言い換えましょう。これなら対象化
できますね。そして、そして宗教者がさかんに対象化する「見ることも触るこ
とも聞くことも出来ない」心や苦は、「夢想」ということになります。
618神も仏も名無しさん:2010/11/02(火) 23:29:29 ID:D+LyFKrb
死者への哀惜を存在証明に使おうとして失敗することは、
観測できないはずの存在がいつ現れいつ消えるかを断言することは、
十二分に考察です。

言語矛盾はそもそも隠居側に発している。
言葉の意味を踏まえず
論理的に考えることをせずとりあえず
積み木式に文章生成してきた。その結果がこれだ。
6191/4:2010/11/02(火) 23:52:37 ID:iBZYKRBS
あまりにも、無知による単純短絡な誤解、妄想なのでスルーしてましたが、
礼に背かぬようw、軽く答弁しておきます。
(幾つかは、議論スレに於いて詳説した部分もありますが、リンク等は貼っていません。)

【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/435
> 釈迦(原始仏教、小乗仏教、釈迦佛教)の矛盾と誤謬:
> 1 己の「我」を以って「無我」を説く
貴方の、「我」の解釈の誤りによるものです。アートマンスレを読み直してくださいw
強いて言えば、〈「ゴータマ・シッダッタと称される」「五蘊」〉が法を説いているのですw

> 2 己の「生」を持って、生の原動力、証(あかし)である「煩悩」を「排除すべきもの」と決め付ける。
確かに、『パワー』『活力』ともなりますが、『苦の因、縁』でもあるわけです。
だから(弊害が大きいから)、(薬的に言えば「副作用がキツイから」)、別のものを利用しましょうということです。

> 3 「五蘊」は「我」「生命」から発して
完全に間違ってますね。そんなことはあり得ません。(おそらく現代科学の知見に於いてもねw)
また、発生源の希求による倒錯です。(説明済み)

> 4 生を苦としながら、「来世」まで追い求めるという「生への執着」。
当時のインドの一般的考え方ですね。
仏教は、「より善き来世もいいけれど、『今、苦の滅を目指してみませんか?』」という助言です。

> 5 生を苦としながら、生を以って「涅槃」という「楽」を追い求める。
いやいやw 「生」が「苦なるもの」だから、「涅槃という楽」へ転換させるのです。
6202/4:2010/11/02(火) 23:56:52 ID:iBZYKRBS
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/435
> 6 煩悩を排除しながら、「解脱」「悟り」「涅槃」への欲望という「最大の煩悩」に執着する。
> 7 「苦楽」は一如であることに思い至っていない。「苦を去る」ことは、「楽を求める」という煩悩。
一般的に二番目にポピュラーな疑問ですね。(一番目は勿論、「なぜ「苦」が主題となっているのか?」でしょう。)
「悟りを求める」「安楽を求める」というのも「欲」ではないのか?と。
「悪しき果を生むベクトル」でなく「善を増進するベクトル」だから、「苦果へ繋ぐ縁」ではなく「楽果へ繋ぐ縁」だから、
「善き志向性」として扱われるのです。勿論、その方法が社会的にも善であるべきなのは言うまでもありません。
各種善行と全く同じです。

> 8 「縁起・中道」は、「実体としての因と両極端」を前提とするから、「空」には至れない。
完全なる誤り。というか、貴方の考え方(考察)が筋道だっていない証拠です。
>「実体としての因と両極端」などあり得ませんw (貴方のスルーで中断中なので説明略w)

> 9 ヒンドゥー教の「輪廻転生」をきちんと否定し得ていない。何のための「ヒンドゥー教改革」だったのか。
改革ではなく、「別手段の提示」です。また、世間の論理や世間の価値観はそれとして認めつつ、
もう一段上の視線が提示されているわけです。

> そのため、神智学や真光やキリスト教などのカルトが群がり、利用して、大きな弊害をもたらしている。
これは、(仏教に限らず)「輪廻(転生)」という考え方自体が必然的に内包する要素なので、
都度都度否定修正するか、「輪廻」という考え方を封印するか、二つに一つしかありません。
そして、伝統的には、前者の方法が取られてきたわけです。
ここに関して新たな道を模索することを、(私個人はw)悪しきこととして批判はしません。
621神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 00:00:11 ID:7+EpmYdv
>>618
宗教者の方は、見えないもの(神・霊・心・苦)などが大変お嫌いなようだからw、
途中から「生命」を「生命現象を現す肉体」と定義変えしてますよ。どちらか
好きなほうの定義を使えばよいだけですw。
6223/4:2010/11/03(水) 00:06:32 ID:pGaQbqKj
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/435
> 10 生まれたばかりのわが子を捨てて家出した釈迦には、道徳や善を語る資格はない。
世俗的倫理道徳観、一般的価値観に於いて、この批判を不当だとは言いません。
ただ、当時に於いては、「出家求道」は一つの選択肢として社会に許容されていた点は留意されて良いものです。
今で言えば、家業を継がず、別の仕事を選ぶ一人息子のようなものです。
現在の価値観でさえ、息子の行為は非難されます。
が、その(「当時の行為自体」は責めを負い続けるとしても)、大成して評価称賛されることはあるわけです。
その意味で、それまでにない比類なき「教え」を「実践し、説き、体現してみせた」点に於いて、
評価称賛されているわけです。(二諦、聖俗、ダブルスタンダードと関連)
「子を置いて出家が可能だった環境のせい」も勿論ありますが、
(「運」という言い方は仏教的ではないですがwそうしたニュアンスでwww)、それもまた「縁」であるわけです。

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/436
> 11 要するに、釈迦は、その鬱病ゆえの厭世観の塊であり、
塊かどうかは判りませんがw、厭世観としての傾向は、生母の不在から始まり、
成育過程の中に色濃くあったと思いますよ。(弁明済み)

> また、頭が非常に悪く、論理矛盾だらけで、竜樹の卓越した頭脳にははるかに及ばない。
貴方の理解力不足・倒錯でしょう?w (今更なので説明略w)

> 12 世界が佛教に期待するのは、竜樹の頭脳から生まれた「相互依存性・関係性」という
はい。全くの誤解ですね。(今更なので説明略w)

> 「時代を問わず万人・万物に適用しうる普遍の原理であり、
あちこちに見られる在り様の一つだとは思いますが、「原理」とまで言ってしまうのはどうなんでしょうか・・?w

> 釈迦の精神病の症状としての厭世観や
(説明・弁明済み)
623神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 00:08:07 ID:vTbFasho
言い換えはいいが何の意味があるんだ?
原動力としての「生命」を嵌め込んでる限り、
隠居のそのアイデアが妄想であることが変わることは無いんだが。

霊魂を肉体に入れて総体ということにする程度の意味しかない。
精神活動・心の有り様も魂と呼ぶが、
霊魂という意味で使ってたのを、こちらの意味に言い換えたり合体させてみても
意味が無い。

せいぜい論点ずらしの言葉遊びでしかない。
6244a/4:2010/11/03(水) 00:13:55 ID:pGaQbqKj
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/436
> 「あるがままのすべての人間の衆生心(真如)の否定」などではない。
いやいやw 否定なんぞされていません。『盲目的現状肯定』が否定されるだけです。
当然、「真如」にしろ「仏性」にしろ「衆生心」にしろ、貴方の理解するような、
単純な「あるがまま」(→努力も懺悔も向上心もなくていい)「お手軽な無為自然」ではないことは明らかです。

> 13 原始仏教(釈迦佛教、小乗仏教)は、開祖と原始仏典の盲信・狂信というカルト佛教に過ぎない。
新興宗教であったことは事実ですし、初期勃興期の扱い・評判に於いて、
「扱い・世間の目」としての、今で言う「カルト扱い」を受けたことも想像に難くありません。
しかしながら、今現在のカルトの基準にも当て嵌りません。あなたの不勉強・世間知らず故でしょう?w

> そのカルトに自ら嵌った一部の宗教学者が、教壇の上から、また多数の書物によって、
はい、貴方のカルト定義が誤っているだけですね。もっと勉強しましょうw
> カルトを布教し、多くの人間の心を狂わせている。人間にとって、害悪以外の何物でもない。
見えない敵と戦うのはおやめなさいwww
そのような事実はありません。(中沢新一や島田裕巳を言ってるのかもしれませんが、
彼らを少し擁護するなら、およそあらゆる新興宗教に共通する
「新規性」「純粋性」「伝統との異端性」「原点回帰運動」等を、『素朴な宗教ムーブメント』として見、
「それのみを」(学問的に・研究素材的に)評価したということです。
(もっとも、中沢新一の仏教理解が仏教的かどうかは、(よく知らないのでw)疑問に感じますが・・w)
オウムも、初期の「ヨガスクールに毛の生えた程度」で収まっていれば、
珍妙な集団という奇異の視線を浴びるだけで済んだかもしれません。
が、貴方のようにw、誤読妄想を拡大させた倒錯の極みが、あの結果なわけですw
(尤も、出家(この場合は「家族との隔絶」)の問題は生じていたでしょうが・・。)
6254b終/4:2010/11/03(水) 00:14:50 ID:pGaQbqKj
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/436
> 14 「食あたり」で死んだ釈迦には、「神通力」など皆無であった。
「神通」に関して、私は発言する資格はありませんがwww、
少なくとも、「食あたりを(病を)治す神通」は無いんじゃないですかね・・。

> 15 釈迦に、現代人が「尊敬すべき要素」「信じるべき要素」は皆無である。
貴方が、見えていない・理解していないだけで、応用範囲の広さは他宗教の群を抜いてますよ?w
(「苦」というラベリングの効能として説明済み)

> 原始仏教のファン(fanatic、狂信者)の代表として、
貴方の妄想盲信ぶりには敵いませんよwww


> セブン氏が「世俗の言葉」で反論してくれ。世俗を離れた勝義など、根拠皆無な妄想。
如何でしたか? 勝義的謂いを避けたつもりではありますが、お気に召したでしょうか?w
(勝義については説明済み)
626神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 00:15:31 ID:qH2L1PSI
>>621 
>途中から「生命」を「生命現象を現す肉体」と定義変えしてますよ

バカか?お前はwwww
お前は今まで、散々、「原動力とかの妄想生命」と「通常の使用における生命」
とを自分の都合によって、勝手に使い分けてただろうが?ww
「これ以後『肉体』を生命とするなら」
まず、お前が今まで喚いていたこと→「肉体を形作り、生命現象を表す『原動力
としての生命』   こんなものは妄想で、ありませんでした。」と今までの
言動を訂正しな。 話はそれからだ。
どうする?   今まで喚いていたことは全て妄想と認めるか?www

627神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 00:18:02 ID:7+EpmYdv
>>628
ならば、神、霊魂、心、苦、罪などを常に口走る宗教を何故批判できない?

肉体は、完全に知覚できるぞ。
628神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 00:22:16 ID:pGaQbqKj
>>627
貴方は、(その理念や論立てから)、『所謂「肉体」』と『生命』を同一視してはならないのです。
前にも一度言いましたよね?w
「もし私が生命教徒なら、そんな考えは『異端』として断固排斥の対象だ」、とw
629神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 00:25:04 ID:7+EpmYdv
>>628
ちっとも異端じゃないw。生命は、肉体によってしか認識できないからだ。
630【総括】:2010/11/03(水) 00:25:35 ID:pGaQbqKj
さて・・。
隠居相手の長丁場も、どうやら区切りが付きそうだ。

・ループ1 -宗教否定に始まり宗教否定に還る-
  → 〈生命教と言われる理由:構造編〉及び〈否定というアイデンティティ〉に見る、過去の宗教被害疑惑へ
・(特に精神的)病症の健常・異常の判断 -その平均的健常性とは-
・ループ2 -苦を巡って-
  → 〈最大カテゴリとしての「苦」批判〉へ
      *但し、「苦」というラベリング自体への疑義は『常識的疑義』として残されて良い
      **常識的生き方の許容も認められて良い …(→〈隠居発言の一部擁護〉へ)
  → 〈その他若干の「苦」を巡る応答 -ラベリングの意義、必然性- 〉へ
・ループ3 -原典・文献学・原語無視の俺様基準- &権威主義
  → 〈vyavahAra , vohAra解釈及び直訳か意訳か〉へ
・大乗と小乗/無明=生命 -レッテル貼りと(日本の)現状の誤認、及び基礎知識の不備-
  → その他術語の根本的誤解と知識不足、短絡的盲進を含
・縁起の時間性(因果)排除と相互依存 -主に中論を利用して-
  …(刹那に於ける「停止・静止」と「実体・実在」/ヒトの認識システムの限界との絡み有)
・「○○即××」という単純イコール(〈○○の機能という飛躍〉と同位相)
・「○○の機能」という飛躍 -その文学的言辞-
・生命教と言われる理由:構造編 …そのアニミズム的性格
・生命教と言われる理由:動機編 …〈根源性、発生源の希求〉
・生命教と言われる理由:未確認不可知編
               …〈『生命』の存否確認は何によるか -現象確認でどこまで辿れるのか-〉
・生命論概説

今後、相手が代替わりしていこうとも、
その応答(≒論点)は、凡そ、上記のような形で網羅されるだろう。
(なんとなく、過去のリンク先URLの表題とは異なったものとなったw)
>>606中のもの、及び他若干のレスのURL化もしておいた方が良いのかもしれないが、
これで本当に一段落かもしれない・・。 (ホントか?w ワシの我執も相当だからな・・・w(自嘲))
長い戦いだった・・・w
631神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 00:26:27 ID:vTbFasho
原動力としての「生命」なんて誰にも知覚できないんだが
なぜ気にならない?

いきなり生命体を組み立てるような存在が
無から何の前触れもなく現れる、と言ってるのに、
なぜそのご都合主義が気にならない?
物理法則ガン無視が気にならない?

なぜ宗教との本質的共通点が気にならない?
632神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 00:43:31 ID:7+EpmYdv
>>631
原動力の無い現象などないよw。現象を見て、その原動力を推定しない者が
いるか。

「すべての人間の生きた『肉体』」を基準としているところが、宗教とは全く
異なる。そんな宗教がどこにあるかね。
633神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 00:52:13 ID:7+EpmYdv
>>630
>隠居相手の長丁場も、どうやら区切りが付きそうだ。

まとめ、多謝。そして、仏教の布教、ご苦労様でした。今度は、信者
ではなく仏教学者として、日本の仏教である大乗の立場も論じてください。
縁起(空)における貴方の「相依性の否定」は大問題だと思うが。
大乗の立場からもそうですか?

大乗信者(浄土真宗を除く)の方のご意見が少ないようですな。「空」を
悟っているからかな。
634神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 00:53:36 ID:vTbFasho
632
その原動力が「生命」でなければならないという必然性は無い、ということは
前にも説明されたよな?子供が生まれる際は設計図としては遺伝子があり母体から既に栄養供給がなされる。
生まれた後は前に行った生命活動から出来たエネルギーを基に
同じようにして自転車操業を行う。

再度たずねるが、自然界の法則に反するものが存在すると
本気で考えているのか?そこで自分の考察に疑問を感じなかったのか?
635神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 01:00:35 ID:vTbFasho
物理法則を超越(無視)した存在を支持すること、
「誰にも認識できないが実在するもの」を認めることが
同時に何を意味するかわかっているのか?

法則に反していること、誰も認識していない、
という理由では、他の神や精霊やらの存在を否定できない、ということだ。

やろうとすれば、宗教批判ではなく、異教批判でしかなくなる。
636神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 01:04:19 ID:7+EpmYdv
>>634
肉体こそ、最大の自然界の法則ではないのかね。そして、「生きた肉体」と
「死体」との区別くらいは分る?「自然界の法則」を認識できるのは、「生きた
肉体」のみ。

「生命」という言葉がよほどお嫌いなようだが、それでは、「生きた肉体」と
「死体」との区別はどう表現する?君自身や家族の生死は、どう表現するお積りか。
637神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 01:10:30 ID:vTbFasho
636
素朴な疑問なんだが、誰にも知覚・認識できない代物が、
どうやって「生死」の判別に役立つんだ?
638神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 01:11:52 ID:7+EpmYdv
>>635
物理法則を認識できるのは、生きた肉体によってのみ。死体には不可能。
そして、法則が認識できなければ、物理法則などという言葉は使えない。

そもそも、言葉を使えるのは「生きた肉体」のみ。「死体」とは大違い。
639神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 01:18:59 ID:7+EpmYdv
>>637
肉体の状況から、判別は容易。医師は常時判別を行っている。

生きている君の肉体は腐敗しないのに、死ねば腐敗するのは何故か。細菌はうじゃうじゃいるのに。
640神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 01:25:13 ID:vTbFasho
一般的な説明なら、肉体とその発生は自然の法則に沿っており、体現してると言える。

では生命教における説明ではどうなるか。
純粋にそうとは言えないだろう。
なぜなら超自然の存在が関与しているから。
これでも自然ならイエスの処女降誕すら自然ということになってしまう。
精子もなしに子供が生まれるか、そもそも神なんて存在できるのか、
そんな問いは無意味だ。確認できまいが法則に反しようが
それはあるし起こる。「生命」だってそうなんだからいいじゃない。

「生命」を支持する限り、宗教をダブスタなしで本質的批判はできない。
俺にはできても隠居には無理。

オレが自然の法則に反してる、といってる対象は
「生命」であって実在する肉体や一般的な意味での生命じゃないから。
そこは外さないでほしいね。
641神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 01:25:58 ID:7+EpmYdv
「生きた肉体」を軽視・否定する者が、必然的に宗教に嵌る。
642神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 01:29:44 ID:vTbFasho
638
アンカーつけるなら内容を対応させよう。

ちゃんと人の文章を読もう。
相手が何を問題としているのかきちんと把握しよう。
せめてその努力はしよう。
639
そ、「生命」なんて出る幕も無いわけ。
643神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 01:31:16 ID:7+EpmYdv
>>640
生きた肉体は、超自然の対極にあるもの。

「生命」という言葉を使わないで、「生きた肉体」と「死体」とをどう
表現する積もりかね。ちょっとやって見せてくれw。
644神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 01:34:30 ID:vTbFasho
643
表現上の言葉や概念が、生命体を組み立てちゃうなんて話じゃないだろ。

つまらない逃げの一手なんて打たないで
話を先に進めよう。
645神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 01:35:37 ID:7+EpmYdv
宗教者たちが「生命」という言葉をひどく恐れるのは、「すべての人間
の生きた肉体」を根源とすれば、すべての宗教が吹っ飛ぶからだ。
646神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 01:37:47 ID:vTbFasho
一般的な説明なら、肉体は自然そのもの、としているのに
一体全体どこを見てるのだろう・・・
647神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 01:38:06 ID:7+EpmYdv
>>644
ならば、何故「生命」という「言葉」にそれほど敏感に反応し、恐れるのか。
648神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 01:42:36 ID:7+EpmYdv
宗教がやたらと人を殺す理由が、如実に証明されているスレだな。
649神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 01:42:42 ID:vTbFasho
647
「生命」と名付けられただけの妄想の内容が
おかしい、と言ってるだけなんだが・・・

反応してるのは、内容であり、議論のやり方に現れてる隠居の人間性に対してだよ。
650神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 01:55:03 ID:7+EpmYdv
しかし、すべての人間の肉体(生命)に最大の価値を認めて困る「人間」は
誰なのかね。肉体以外の、目に見えないものを崇拝する宗教者だけだろ。
651神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 01:59:09 ID:7+EpmYdv
>>649
すべての人間は、「生命」という妄想によって生きているのだから、それはも
はや妄想ではなく、「唯一の現実」である。
652神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 02:08:39 ID:vTbFasho
650
肉体なら結構。それはそれでかまわない。
原動力としての「生命」ですら
それが信仰に過ぎないという自覚を持ち、
空気を読むのならそれはそれでかまわない。
651
妄想はただのアイデアであり、
それ自体で何か現象を起こしたり
実際の世界に干渉することはできない。
よって隠居の妄想としての「生命」によって生まれ、生きている生命体は
一つとしてない。それは隠居も例外ではない。
「生命」と名付けられただけの妄想は現実ではない。
名前が同じなだけで現実になれるわけがない。
653神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 02:18:24 ID:7+EpmYdv
>>652
それなら、目に見えないものを信じる宗教を徹底的に叩け。何故それが
出来ない?

君は、原動力のない現象を信じるのか。それこそ妄想であろう。
654神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 02:32:43 ID:7+EpmYdv
>>652
>それが信仰に過ぎないという自覚を持ち、
>空気を読むのならそれはそれでかまわない

ほほう。君は「信仰」は認めるのか。なのに「生命教」などとして必死で
反発するのは、全く矛盾してるな。君は、宗教擁護の黒幕。最も悪質で
ある。

「すべての人間の生きた肉体」を信仰の対象としたら何故困るのか。
少なくとも「人を殺す」ことはなくなる。君が擁護する「人殺し」宗教が
吹っ飛ぶからだろ。

空気読む宗教の開祖・教祖がいるかw。
655神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 02:43:19 ID:7+EpmYdv
>蛇足氏へ

あなたの仏教布教は、「否定しながら、肯定し」「肯定しながら、否定し」、
その底には「絶対」への強力は執着がある。カルトの布教そのものです。
656神も仏も名無しさん:2010/11/03(水) 02:45:27 ID:7+EpmYdv
>>655の訂正
×強力は
○強力な
657不説 ◆AnATTa/dJc :2010/11/03(水) 02:53:15 ID:4GXLJ4N7
>>581
そこは人工無能向けのコメントなので、かなり適当でした。厳密な語法についてはご容赦を。
存在論的な意味では、五蘊とかの方が適切だろうと思います。要するに、名色の問題ですね。
名>色……心霊主義
色>名……唯物主義
名⇔色……仏教(中道)
658当スレ内アンカーまとめ:2010/11/03(水) 07:09:02 ID:pGaQbqKj
>>633
「時間性(≒因果)」と「相依性」との両義を含むと言っているだけです。
《「相依性」しかない》という意見を、可逆性を認めることを批判しているだけですw

>大問題だと思うが
はいw  多くの学者が、(或いは仏教者が)、意見を述べ合っております。
仏教(学)界に於ける最重要テーマの一角ですw

>>655
貴方の発言で、
「肯定される部分」は、「貴方でなくとも有する」妥当な疑義」、
「否定される部分」は、「貴方の」「無知、世間知らず、独善と妄想による誤読・誤解」
にそれぞれ該当しますw 勿論、その殆どが、(仏教・宗教関係無しに)、
「論旨」「論法」「根拠の求め方」等に於ける無知と独善と混沌ぶりにあることは言うまでもありませんw


・(>11)、>15、(>20)>23>25、>27(>28)>29(>30)>31、
 >41(>48)>50(>51)>52>53、>56、>481>482>483、(>485) …根源性、現象の観察、死による消失
・>67(>78)>82>83、(>91)>103>245、>598 …○○の機能
・>409>410>412 …根源性、諸々の発生はどこから
・>287>288>293(>345) …否定がアイデンティティ
・まとめ >630

 ※レス番630追加。


>>657
了解。
659当スレ内アンカーまとめ(改訂:2010/11/03(水) 07:16:15 ID:pGaQbqKj

・(>11)、>15、(>20)>23>25、>27(>28)>29(>30)>31、
 >41(>48)>50(>51)>52>53、>56、>481>482>483、(>485) …根源性、現象の観察、死による消失
・>67(>78)>82>83、(>91)>103>245、>598 …○○の機能
・>409>410>412 …根源性、諸々の発生はどこから
・>287>288>293(>345、>544) …否定がアイデンティティ
・生命論概説 >542>543
・まとめ >630
660神も仏も名無しさん
>>658
>「貴方の」「無知、世間知らず、独善と妄想による誤読・誤解」

「どこかの誰かの『本』に書いてない」ということでしょ。「(開祖を含め)
他人からの借り物の見解」を振り回すことこそ、「思考停止」「執着」の典型
です。「執着」を批判するのなら、まず、あなたの「釈迦」や「経典」、「宗教」
への執着から離脱すべきでしょう。その離脱は、全く出来ていない。

「世間知らず」とは、一般に、「宗教者」「学者」「教師」について言われる
ことです。「出世間」を目的にしているのではないのですか。

「本に書いてある他人の見解」がそれほど重要なのなら、私の見解は、前レスで
どなたかが挙げた「梶山先生(?)」の見解と全く同じですがw。

「因果関係」でどうして「空」が成立しうるのかご説明ください。「因」と「果」
という「実体」が前提とされていますが。「中道」も「道の両端」という実体を
前提としています。「諸行無常」も「常である行」の概念を前提としていると
思うが。「他人からの借り物」でない、あなた独自の見解でお願いします。