仏教議論スレッド 07

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369神も仏も名無しさん
>>316
> つまり、「関係性(縁起)」という「抽象概念」には、「生起」「時間」という概念の入る余地はない。
だからw  考察の出発点がそもそも間違ってるのw

《「関係性」(相対性・相互依存性)が「縁起」》
 →《「関係性」は「時間性」「時間的因果」を持たない》
  →《「縁起」は「時間性」「時間的因果」を含まない》
こう考えてるから「 > つまり 」と繋ぐw
で、一行目がそもそも間違いなのw
「○○が縁起」と○○を先に立てるから、それに合わせたものとなる。
考察の順序が、いきなり逆なんですよ。

しかしながら、その原義(≒初手)から見ても、また歴史的に見ても、以下が縁起なんですよw
《「縁起」は「時間性」「時間的因果」において見出された》
 →《また、諸法の「相互にも関係し合う」側面にも言い得ることであった》
  →《「縁起」は「時間性」と「相互の関係性」とを含意する》
とね。

>>320
> 「相互依存的」「相対的」であれば、「可逆的」であるのは当然。
考察順序が逆ですw
可逆的であれば、縁起ではないのです。 「縁起」とはそういうものなのです。
上で触れたように、貴方は、
≪【或る意味】(たとえば「相対性」たとえば「相互依存」たとえば「可逆性」)を【先に立て】、
 【それに「縁起」というラベルを貼っている】≫のです。
そうではなく、まず「縁起」が何を意味しているか?からスタートしなければ話になりません。
そして、その時に、≪「時間的因果」の側面に於いて見られた縁起は、
 また、「相対的」であり「相互依存的」である側面【も】有している≫、という順序でなければなりません。

しかも、「可逆的」であっては龍樹の縁起にも抵触しませんか?w
時間性を排除してるんですよね?
(付加逆性は時間性と同質と見做すとしても)、可逆性を導入しちゃっていいんですか?w