勿論、2500年前のインドに於いて、現代のような詳細が知られていたわけもなく、
同様の考察は「四大(地水火風)」として考えられていたわけですが。そして、貴方が希求するような原動力としては、
大きく《「火」(→熱、温度(→象徴的に“アグニ”“アグニ神”へ。))によるもの》と
《「風(≒息)」(→空気、息(→象徴的に“ヴァーユ”“ヴァーユ神”へ。))(【→→動き・変化】)によるもの》との
二派となるわけです。どちらも、「生命の(→生あることの、生きていることの)根源・源泉・力」と見做されます。
当然仏教では、この【四大(全て)が揃う】ことを条件とします。
*(だから今でも、体調不良による欠席の旨知らせる手紙等では「四大不調により云々」と使用されます。)
だから、隠居サイドに百歩譲ればw、仏教では『生命』ではなく『四大』を、「生」の「原動力」としていると
ギリギリ言えないこともありませんw
いずれにしろ、どこにも《【貴方の言う】『生命』》という根源を持ち出す必要はないのです。
また、貴方のこの二つの問いは、いずれも「外縁起」についてのみのことなのです。
五蘊について問うているように見えながら、実は「色」についてのみの問いにしかなっていないのです。
*(そして、余談的に少し補足すれば、「内縁起」として「心」を見るとき、その時、「無明」が根源となるのです。)
> 五蘊を統合する主体がなければ、五蘊はばらばらのままであり、人間は崩壊する。「精神の分裂」である。
> 統合失調症(精神分裂病)とは、この統合力が欠如した状態である。
「 > ばらばら 」とはどういうことを言っているのでしょうか?
まさか、ブロックが散らばるような「ばらばら」ではないと信じますがw、
上で述べたように、五蘊が、「色」を紐として結ばれる如きものなれば、
その上で、【互いに結ばれた上で】、【その連携に於いて「ばらばら」に】ということならば、あり得るでしょう。