仏教議論スレッド 07

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> 彼の生物的生命がなければ、いかなる教えも不可能であることには、思い至っているのか。
だからw 何度も、「五蘊があるでしょう?w」と言っているのです。(五蘊の項参照)
「 > 生物的生命 」とは、貴方がいつも言う『生命』のことですか?同じものなのですか?
一般的な意味での「生命」は、仏教に於いても認められていますし尊重されています。
慈悲や、戒めの多くはそこに依っています。

下記(5-1)に述べるように、各種「生理的働き」によって五蘊は維持されているわけです。
(当時ならば「四大によって」と解されていたでしょうが・・。)
十分でしょう? これ以上何が必要なのでしょうか?

ちなみに、各種辞書の語義でも挙げておきましょうか?w

 せい‐めい【生命】 大辞泉(Yahoo辞書)
  1 生物が生物でありつづける根源。いのち。「―の危険を冒す」「尊い―を犠牲にする」
  2 ある方面で活躍しつづけることができる根源。「政治―」
  3 人や物事がよりどころとするもの、また、それなしには価値がなくなるもの。いのち。「車の―はエンジンにある」
 せい‐めい【生命】 大辞林(Yahoo辞書)
  [1] 生物を、無生物ではなく生物として存在させる本源。
    生命を物質の一形態として発生的にとらえる機械論的考え方と、これを実体として見る生気論的考え方とが
    伝統的に対立する。いのち。
  [2] ある分野で活動していく上での原動力。活動の根源となるもの。また、その活動期間。
    政治―  選手―
  [3] 物事の存在を支える一番大切なもの。いのち。
    信用は銀行の―だ
 せい‐めい【生命】 広辞苑(昭和48年8月第2版第7刷)
  @生物が生物として存在し得るゆえんの本源的属性として、
    感覚・運動・生長・増殖のような生活現象から抽出される一般的概念。いのち。
  A物事の存立にかかわるような大切な点。