仏教議論スレッド 07

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>>226
> 3 釈迦は、己の教えの「根源性」を何に認めているのか。
「 > 教えの「根源性」 」とは何でしょうか?
泉の如く、「湧き出てきた(発生し来たった)源」という意味でしょうか?
それとも、「〈「教え」を「教え」足らしめる本質、不可欠であり主軸となる要素(部分)〉」ということでしょうか?
 (これは、「教義、教理」「全ての教示に通底する基本的考え、理念」ということになります。)
それとも、「依って立つ「根拠」「正当性」」といったものでしょうか?(ならば、語は「根拠」で十分ですが・・。
>何に認めているのか。
三つ目ならば、「諸事象(諸相、諸法)の観察により見出されたものだから」(妄想・想像ではないから)となります。
二つ目ならば、「縁起」以外にはありません。
一つ目ならば、二つの質があります。
 一つは「きっかけは何か?」という意味での根源(発生源)として。
 一つは「文字通り“湧き出てきた、発生し来たった源”は何か?」という問いとして。
 前者ならば、「「苦はなぜ生じるのか(≒感受されるのか)」「その苦は滅する(生じさせない)ことができるのか」
 という探求」となります。
 後者ならば、「そのような源泉は無い。なぜなら、各種「おしえ」もまた、諸条件の或る成立の仕方によって
 (→因により縁によって)、見出され、説かれたもの」であるからです。

*(ちなみに、この問いも、《貴方が『生命の根源性』を言いたいが為》に、
 『根源(性)』という語を強引に当てはめただけで、語の使用法としては聊か無理があるものなのですw)