> 「因果関係」は「相対性」とは似て非なるもの。
どのような理由によって、そのように考えますか?
貴方の発言からは、「相対性」とは、【時間性・時間的先後が捨象されたもの】というように読めますが、
そういうことですか?
*(ここで「捨象されている」というのは、【それを問わない】ということです。
そのことによって【(相対しているという意味が)左右されない】ということです。(上の広辞苑の通りですw)
だから、「貴方の言う」「相互依存・相対性」は「時間的先後」を含みますか?
「同時性」を含みますか?「可逆性」を有しますか?と何度も問うているのです。)
「 > 似て非なるもの 」という貴方の言い回しに見えるように、まさに、上の*部分こそが
貴方によって「非なる理由」として強調され、「釈尊(初期仏教)と龍樹(中論)の違い」とされてきたのではありませんか?
貴方が 《これ(相対性・相互依存は『先後があってはならないのか』『同時性なのか』『可逆性を持つのか』)》 に
答えてくださらない限り、水掛け論は続きます。(貴方は【「因果」(時間性)を排除】しているのですから!)
そして、貴方以外の者は、
《「縁起」に於いては、「因果(時間的先後)の側面」と「相互に依存する(同時的)側面」とがある》
と見ているわけです。
(そして、私(及び初期仏教)は「前者をこそ【主軸とし】、【後者のみであることなどありえない】」としているわけです。)
*(これは、ヒトの認識システムともリンクします。)