>>279 続きます。
愚痴・不平不満の悪口には、正しい見方「正見」ができていないからであり
ます。 自らの言葉を口から突いて出る前に、仏法真理の正しい物指しの
フイルターを通して、人を傷つける悪口を戒めて反省することであります。
そのための戒として不悪口を守る戒律があります。(悪口)から(不悪口)へ
過ぎたお世辞を言って他人を迷わし、うぬぼれさせたりということの根底
には欲心が働いていることがあります。
他の人への過ぎたお世辞は、他の人の平常な心をぐらつかせ、高下駄のよう
に地に足のつかない偽物の高いプライドを持たせることで、人間関係の苦し
みを味わい、怠け心の慢心が、転落人生に拍車をかけることもあります。
それは、結局、他の人を迷わす罪となってしまうので、欲心を離れること
であります。
ガッカリしている人にその人の本当に素晴らしい所を見えていない人に教
える意味で、褒めることは綺語の罪にはなりません。
相手を利用する欲心の心を正して、不綺語の戒を守り、取ってつけたよう
なお世辞は言わないと心に言い聞かせることであります。
(綺語)から(不綺語)へ
人を仲違いさせる言葉は良く会社の職場の人間関係に起きてまいります。
同僚や部下が上司の悪口とかを秘密にする約束だったものが、いつのまに
か、上司の耳に入って、上司のイジメに会うとか、同僚や部下が、上司を仲
たがいさせるように、上司の悪口言っていないにも関わらず、「誰々さんが
上司の悪口を話していました」とか、業務上のミスはしていないのに、他
の同僚が、自分のミスを棚に上げ、上司に他の同僚の人のミスをしたことを
報告して、ミスしていない同僚が上司に怒られるハメになることで、仲た
がいさせたりする二枚舌の罪があります。それを両舌といいます。