幸福の科学総合スレッドPART374

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279亭白
>正語
>自分は正しく語ったか。自分の良心に恥じることは語らなかったか(真実語)。
>言葉で他人を傷つけなかったか(悪口「あっく」)。過ぎたお世辞を言って
>他人を迷わし、うぬぼれさせたり(綺語「きご」)、人を仲違いさせる言葉(両舌「りょう>ぜつ」)を言わなかったか。
☆正語は、正しい信仰心あっての正見と正思からの正しく語ることであり、正しさ
 は、仏法真理であり、仏法真理の正しい価値基準に従って語って行くことであり、
 良心に恥じることのないように語ることで、心の想念帯に曇りをつくることなく、
 精妙で平静なる清らかな心に神仏の光が通り、神仏の光に護られていることを意
 味します。
 縦軸の公平的視点として、守護霊の立場・指導霊の立場で正しく語る、言葉の創化
 力として、まわりに良き感化力・影響力を与え、まわりを幸せにしてゆくことも可
 能であります。
 また、横軸の未来への時間軸としての数百年、数千年の未来から逆照射した立場で、
 今現在語るべき内容を正しく語ることであります。「真実語」

 人が傷つくのは、多くはなにげない言葉によって傷つくものであります。
 言葉は人を傷つける剣にもなれば、人を幸せにする愛の光にもなります。
 そして、言葉は一人歩きをして次から次へと伝染してまいります。
 言葉は、不幸をつくることもできるけど、幸福もつくることはできます。
 ですから、言葉に自己責任が伴ってまいります。
 それゆえに客観的に、他の人を思いやる安全弁が必要であります。
 言論の自由は、人を傷つけて不幸の再生産をすることではありません。
 言論の自由にも責任が伴います。