>>337-338 ,
>>382-383浄土真宗の死生観について続けて説明する
霊魂があっても妥当性があり、霊魂が無くても妥当性のある、そのような範囲で死を考えよう。
誕生は始まりでなく、死は決して終わりではない。今、私における様々な迷い(問題)は、始め無き始
めからから終わりなき終わりに向かう中で無限に繰り返される迷い(問題)である。生・死・生・死を繰り
返しながら、無限の過去から無限の未来に向け、人は天から地獄の世界まで、六道を巡る。
浄土真宗は後生の一大事というテーマを立てる。後生とは後世ともいう。死後の世界だ。人が死んだらど
うなるか。死後の世界を考えるなら、それは前世つまり生まれる前の問題と別ではない。
2008年6月8日だった。東京・秋葉原の歩行者天国に小型トラックが突入、通行人5人をはねた後、
犯人は通行人ら12人をナイフで次々と襲った。死者7名、負傷者10名という白昼の大惨事が起きた。犯
人の加藤智大は、自動車工場の元派遣社員だったという。彼の世代の多くが、現代では非常に困窮している。
1980年代、日本中が土地バブルに踊った。その後、日本経済は長い不況トンネルの中に入った。土地
バブルの狂乱経済と秋葉原での殺人事件とは関係がないというかもしれない。しかし、当時の人々が国の舵
取りを間違えなければあのような狂乱時代はなかったろう。土地バブル狂乱経済は当時の日本経済、日本社
会が起こした人災であり、あれがなければ、日本経済のこれほどの落ち込みはなく、秋葉原の殺人事件もな
かったろう。現代の多くの悲劇的事件の遠因は、土地バブルの狂乱経済そのものではなかったか。
現代の我々の多くが今経験している再起・挫折・再起・挫折は、過去無数の人々が経験してきた再起・挫
折・再起・挫折と本質的にはいささかの相違もない。今後、無数の人々が経験していく再起・挫折・再起・
挫折と本質的にいささかの相違もない。土地バブルを起こした愚かさと、無差別殺人を起こす愚かさとは同
一であると言えば言い過ぎか。本当のことが何一つ見えない闇の中では、全てが真っ黒である。愚かさは暗
黒をその本質とする。