聖書@質問箱

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612神も仏も名無しさん
知っているかい?

ペトロから数えて4代目か、5代目の教皇の時代にヨハネが黙示録を書き送った後に執筆した手紙が、ヨハネの福音書
それでマタイ、マルコ、ルカの福音書の後に、4番目の福音書として新約聖書の最後に掲載されているわけ
しかも黙示録が書かれたのは西暦1世紀末、その後にヨハネの福音書は必要があって司教宛てに送られた書簡
初代聖ペトロ( 〜67年)から  2 聖リノ( 68〜79) 3 聖アナクレト( 80〜92) 4 聖クレメンス一世( 92〜99) 5 聖エヴァリスト (99〜108)
と引き継がれているから、聖クレメンス一世か、 聖エヴァリストが教皇の時代、それは使徒ヨハネの晩年にあたるだろう 
因みに聖ペトロの後継者が教皇と呼ばれるのは後々で、はじめのころは教父と呼ばれていた
今では教皇に親しみを込めてカトリック信者はパパと呼びかける

ところで、使徒ヨハネが福音書を執筆した目的は、早くも一世紀末にはカトリック教会以外の信仰集団が出てきたから、
ペトロから引き継いだ聖座のあるカトリック教会以外は、一切教会ではないと教えその保証を与えるため
それでヨハネの福音書、つまりその手紙の最後の章に、ペトロをカトリック教会の牧者としたキリストの言葉を記し
人間側にどのような理由があろうと、キリストがおおせられたみ言葉は絶対的であることを使徒としてヨハネは示したわけ
だからヨハネの福音書の内容は他のマタイ、マルコ、ルカの3つの福音書とは異なり、特にカトリック教会だけの特質を全体的に記す
613神も仏も名無しさん:2014/03/23(日) 15:18:47.38 ID:04RcFDAJ
例えば、キリストは「私は道であり、真理であり、いのちである」とおおせられているが、他の3つの福音書と違い
「いのちがあるのはカトリック教会のみ」であることを証明するために、多くの紙面を割いているのがヨハネの福音書
キリストの「いのち」とは、要するに「かしらがキリストである唯一のカトリック教会に於けるいのち」だから それを知って得る方法は1つ
それは言うまでもないが、ヨハネが保証したカトリック教会に所属することによって、「キリストのいのち」に与づかることができるのだ

要するに、自称教会と名のるプロテスタント、信仰集団の門をくぐっても、キリストのおおせられる「いのち」は無いわけ
そもそも神とイスラエルの民の救いの契約が成就したことによって、新たにキリストによって神とカトリック教会との
新しい救いの契約が示された書ゆえに、新約聖書と呼ばれてきたわけだから、それを保証して綴じられたカトリック教会の
新約聖書をプロテスタント(教会)で読んでいること事態が矛盾するだろう