仏教議論スレッド 6

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★ p196.l16 (心経を用いた訓読練習のくだり)
『(9)「即是」はいわゆる繋辞(copulas)であり、主語と客語を結びつける、イコールに当たる動詞。
英語のbe動詞に相当するものと考えてよい。文言(漢文)においては、この繋辞は用いないのが、
主語=客語の文の本来の形である。
 項羽、楚王。(項羽は楚王なり) [改行]劉備、天下梟雄。(劉備は天下の梟雄なり) [改行]の類である。
さてこの「是」という言葉であるが、これがいつ頃から、繋辞として用いられるようになったかということについては、
なかなか異説が多い。先に述べたように、漢文では本来A=Bの文で、「である」とか「is」にあたる動詞は使用しない。
現代の中国語では、いうまでもなく「是」という繋辞が用いられる。「わたしは学生である」という時、
「我是学生」と言い、「我学生」とは言わない。[原文改行無]
この「是」は元来は、「この」「これ」という指示代名詞で、「……それは……」と、
主語をもう一度代名詞で言い直したものが、繋辞として転化したという意見が有力である(高名凱『漢語語法論』)。
この繋辞の「是」は古代からあったとする高名凱氏の主張や、本邦の吉川幸次郎博士のように
六朝において見られるようになったという論(『世説新語の文章』)もある。しかし、『史記』の中にも、
「客人不知其是商君也」(商君列伝)のような例がいくつかあるので、「是」が繋辞として用いられている例もある。
太田辰夫博士は、漢代から次第にその用法が現れ、頻用されるようになったのは、魏晋以後であろうと
推定されている(『中国語歴史文法』)。仏典にはかなりその例が見られる。
 「我是一切知者。」(鳩摩羅什訳・・妙法蓮華経・巻三・薬草喩品第五)
 「諸君、当知、此是我子。」(同右巻二・信解品第四)
 「彼即是汝身。」(同右巻二・譬喩品第三)
もっとも仏典漢訳の年代は必ずしも各経典によって正確でない点があるから、一概に何時からとは
いえないが、大体漢代以後、次第にこの繋辞の用法は増加して来たと見てよいようである。』★