仏教議論スレッド 6

このエントリーをはてなブックマークに追加
7791/2
>>408
> 小学館発行の・・・・・・言わないことです

(何箇所かへの、私個人の所感や、疑義(≒ツッコミw)・異論は一先ず措いて引用のみ。)

「仏教漢文の読み方」(春秋選書/金岡照光/昭和53年第1刷・平成6年新装第8刷)
p97.l3
『この「如是」という言葉は別に仏典独特の表現ではなく、古くから中国の文に見られるものである。
中国の古典の中の「如是」の例を見てみると、』

p124.l8 (甚麼の諸説まとめ)
『(1)「甚麼」は「是物」からおこったものであり、古代においては「是」という指示代名詞が、
疑問の意義に転じたものであろう。 [改行](2)「甚麼」は「是没」からきたもので、「没」というのが、
疑問の言葉で、それに指示代名詞の「是」が付いたものである。』

p132.l13
『「不是心」云々の読み方は、やはり「是れ心にあらず。是れ仏にあらず。是れ物にあらず」と
読んだほうがよい。「是」はすでに前に述べたことがあるように、指示代名詞から転じた
いわゆる繋辞(Copulas)である。』

p164.l7 (禅の典籍・語録の口語的性格についての流れ)
『そもそも「是」も「為」も、ともに中国の言語においては、いわゆる繋辞(Copulas)として
使用されているものである。もっとも「為」は現代の中国語では、あまり用いられないが、
この繋辞を並列して疑問を表すという方法は、純粋な文語、すなわちオーソドックスな漢文には
あまり見られぬところであって、やはり口語的な構造の一つと考えてよいようである。』