仏教議論スレッド 6

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777神も仏も名無しさん
>>408
> プレゼンの「音声」やビデオ映像は、知覚できるから、実体物である。
ほうw  「音声」が実体となwww 「映像に映っている諸々」が実体となwww
映像メディアの進歩は目まぐるしいが、それとは別に、貴方の言ってるのは、
「似顔絵があった時、そこに描かれている田中さんが実体である」
「浮世絵の富士山が“富士山という”実体である」
「北斗の拳なら、ラオウは実体である」と言ってるようなもんだぞ。いいのか?それで。
(さて、単行本一冊の中に、いったい何人のラオウが“実体として”存在するんでしょうね・・・w)

> 「あれ」「これ」という指示代名詞は、本来は実体物について使われるものであったが
> 実体物に関する抽象語についても使われるようになった。
ほうw それはどこまで信頼できる言語学的見地なんでしょうね・・w
是非出典をお願いしたい。(いや勿論、原始の言葉としては“そこ”がスタートであったかもしれません。)
(もっとも、(特に今回のようなケースで)最初期の、言語誕生に近い時節まで
語源を辿ることに、どれほどの意義が見出せるのかも聊か疑問ですが・・・w)

ちなみに、一般的漢和辞典(参照したのは旺文社第五版)の「是」の項の〔語法〕から幾つか引用しときますね。
(墨括弧は引用者が挿入)
『@「これ」(ア)【事】物を示す代名詞。以下略
 A「この」と読み、近いものを指す代名詞。「是心足以王矣」(【この心】を以って王たるに足れり)
 B「ここ」(ア)場所を示す。〈例文略〉/(イ)「於是」は「ここにおいて」と読み、「【このとき】に、そこで」の意。〈例文略〉
  (ウ)「是以」は「ここをもって」と読み、「【こういう】わけで」の意。〈例文略〉。なお「以是」は「これをもって」と読み、
  「これによって」の意で、「是」には代名詞としての働きがある。 C如是なので略。』

あと、(少し長いが)或る記述を引用してみるから、忌憚なき御意見を聞かせてね♥
(一部、貴方への援護射撃にもなりますが、反応するなら、そこ以外に反応してくださいねw)

あ、そうそう。
>一般人が使えば奇異な感じを与え
馬鹿ですかwwwwwwwwww
誰が日常での使用を前提としているんですか?w 見えない敵と戦うのは大概にしてくださいw