953 :
神も仏も名無しさん:2010/09/09(木) 18:44:03 ID:ORwf9rBo
人の子は、大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来られる。
獣とその像を拝む者は、神の怒りにふれ、火と硫黄で苦しめられる。
この意味のわかる人は、ここには誰もいません。
955 :
神も仏も名無しさん:2010/09/09(木) 18:47:17 ID:ORwf9rBo
>>953 貴方は主の御心が解らないのですか?
絶対的な愛です。
まちこさん、リンゴさんに謝罪して和解しました。
317 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2010/09/09(木) 18:33:21 ID:gf1pz/8y0 [12/13]
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku/1279976165/67-68 リンゴ、貴方は正しいクリスチャンです。ユダより謝罪致します。
318 名前:リンゴ ◆oPXbhrKCUQ [age] 投稿日:2010/09/09(木) 18:40:17 ID:YWtqmG6T0 [8/8]
>>317 おっ、ありがとう。
319 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2010/09/09(木) 18:45:36 ID:gf1pz/8y0 [13/13]
すいませんでしたリンゴさん、ユダ・ルシェール改めユダ・トマスです。
>>954 あなたはイエス・キリストを受け入れましたか?
受け入れていたならば、愛を持っています。
人はアダムの罪により、神から離れて、愛を失いました。
イエス・キリストを受け入れると、あなたの中に愛が生まれます。
第二ヨハネ6
愛とは神の命令を守ることです。
☆アダムが神の命令を背いた時、愛が離れた。
ユダさん、良かったね。
いつか、オフ会しましょうね。
>>959 キリストを受け入れなければ
誰も愛を知らないで人生を終えるわけですか?
あなたがたを守ってつまずかない者とし、
また、その栄光の前に傷なき者として、
喜びのうちに立てさせて下さるかた、
すなわち、わたしたちの救主なる唯一の神に、
栄光、大能、力、権威が、わたしたちの主イエス・キリストによって、
世々の初めにも、今も、また、世々限りなく、あるように、アァメン。
ユダの手紙
>>961 そうです。
あなたは、今、自分に愛がありますか?
神の世界は、時間と空間を越えた世界です。
2000年前のイエス・キリストの十字架の意味がわかります。
ヨハネ3:16
神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。
966 :
神も仏も名無しさん:2010/09/09(木) 19:15:49 ID:ORwf9rBo
>>959 人がアダムの罪により、神から離れて、神の寵愛を失うことはありません。
なぜなら、神の愛は絶対だからです。神が人を、ご自分の愛から切り離されることなどありえません。
それは、地上の生き物の(生命)を育んでいる太陽の熱や光から、恩恵を奪われる
ことと同じです。
アダムが神から離れたのは、神から導かれるより、自分自身から導かれたい、
願望が神によって、かなえられたからです。
自分自身を導くの、自己愛の(エゴ)でしかありません。
これが、「善悪と知識の木の実からとって食べた」という意味なのです。
>>890 洗礼受けるとは、在家になって労働してお布施するってことだ
969 :
神も仏も名無しさん:2010/09/09(木) 19:36:50 ID:ORwf9rBo
>>957 愛の本質は(いのち)であり、結び付けです。
生きものにとって、共通の愛はこの世の太陽の熱と光です。
太陽の熱は、共通の(いのち)のようです。
春になって日が高く昇ると、あらゆる植物が知から姿をあらわし、
葉を広げ、花を咲かせ、実を結びます。
秋や冬になって熱が減ってくると、それなりに生命のある装いを
失い、しおれいきます。
人間にある愛も同じです。愛の本質は霊的熱です。愛は人を温めるものです。
神がご本質である愛を失われるということは、その神性を失われるということです。
天におられるイエスは、この世の(いのち)の太陽です。主は、その神聖な愛と
英知をかぎりなく、地上の生命に与えられます。
その神が、ご自分からご寵愛を切り離されるということはありません。
主の愛を切り離すのは、いつも人間の側からです。
愛とは寛容であり全てを抱きしめる神の手のようなものです。
971 :
神も仏も名無しさん:2010/09/09(木) 19:39:51 ID:ORwf9rBo
書きなおし
春になって日が高く昇ると、あらゆる植物が地から姿をあらわし、
葉を広げ、花を咲かせ、実を結びます。
秋や冬になって熱が減ってくると、それなりに生命のある装いを
失い、しおれていきます。
愛は気がつけばそこにあるものです
974 :
神も仏も名無しさん:2010/09/09(木) 19:47:57 ID:ORwf9rBo
>>970 愛には、善い愛と悪い愛があるのですよ。
善い愛というのは、神に向かう愛、隣人に対する愛のこと。
悪い愛というのは、自分だけによかれと思う、自己愛(エゴ)
それに、財産など物質的なもにたいする物欲です。
愛は、人と人、人とモノに、なんでも結びついていく
性質があります。
これが人間の(いのち)を、つくっているのです。
>>974 その通りだと思います。
主への信仰は黄金の愚者になることです。
黄金の愚者とは自分の物を何も求めない者です。
ネット宗教家って
何でも引き出しに入ってるんだ
「神様は人をかたより見ないかたで、 神様を礼拝し、また良い行ないをしている人はどの国民でも
受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
あなたがたは、神様がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音をのべたものです。
神様はナザレのイエス様に聖霊と御力とを注がれました。このイエス様は、神様が共におられるので、
よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエス様がこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエス様を木にかけて殺したのです。
しかし神様はイエス様を三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として
あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエス様が死人の中からよみがえり復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエス様ご自身が生者と死者との審判者として神様に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神様はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエス様を信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がご降臨された。(使徒10:34-44)
あなたがたを守ってつまずかない者とし、
また、その栄光の前に傷なき者として、
喜びのうちに立てさせて下さるかた、
すなわち、わたしたちの救主なる唯一の神に、
栄光、大能、力、権威が、わたしたちの主イエス・キリストによって、
世々の初めにも、今も、また、世々限りなく、あるように、アァメン。
ユダの手紙
979 :
神も仏も名無しさん:2010/09/09(木) 20:36:36 ID:ORwf9rBo
神は永遠からのものであり、人間は有限なものからです。
存在の上位の段階にあるものが、下位の段階に流れ入ってくるのは、秩序の法則です。
人の思考の第一次起源は神からであり、脳は思考の二次的な要因であると考えることは、
妄想からくるものではありません。これは、聖書的な洞察からです。
このことを受け入れる人は、物質的な生命活動は、肉体から起こっているけれども、
精神的な生命活動は、神に起因することを認めます。
主はこう言われました。
「わたしは、復活であり、命である」(ヨハネ11.25)
「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14.6)
「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。
・・・わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」(ヨハネ14.4-5)
>>979 素晴らしい叡智です。わたしは愚かなのでこの言葉しか口に出来ません。
貴方が私、私が貴方、故に両者は一つである。だから愛そう。
全てを受け入れ己の糧とせよ、この世に無駄な経験などない。
何もしなければ何も起こらない、変わらない、学べない。
981 :
神も仏も名無しさん:2010/09/09(木) 20:55:38 ID:ORwf9rBo
人の霊とは人の精神、心のことです。この精神が神の霊である神性を受ける器なのです。
もっと具体的に言えば、人の精神とは、人に備わっている意志(意図)と理性(合理性)の
ことです。意志は神の愛を受ける器官です。理性は神の真理を受け入れる器官です。
神の霊がどのようなものか、(みことば)からたくさん引用できます。
「ウリの子ベツァルエルは、知恵と知識の霊に満たされた」(出エジプト記31.2-3)
「ダニエルには特別な霊の力があって、知識と才能に富み・・・神々の霊を宿して
いて、すばらしい才能と特別な知恵を持っていた」(ダニエル5.12、17)
「ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちていた」(申命記34.9)
「わたしは、へりくだる霊の人に命をえさせ 打ち砕かれた心の人に命を得させる」(イザヤ57.16)
このように(みことば)から、人の霊は、理性で考え意志で行うとあります。だから、肉体はみずからの力ではなく、
霊の力で働いています。したがって人間の霊とは、人間の理知のこと、愛がもつ情愛のことで、すべては
そこから出て、そこから作用していることが分かります。
また、霊は心働きでもありますから、以下の場合の「霊」は曲がった邪悪な心の性格を示します。
「主なる神はこう言われる。災いだ、何も示されることなく、自分の霊に赴くままに歩む愚かな
預言者たちは」(エゼキエル13.3)
「枯れ草をはらみ、わらを産め 火のような霊がお前たちをなめ尽くす。もろもろの民は、
焼かれて石灰となり 切られた茨が、火に燃やされる」(イザヤ33.11-12)
982 :
ラピスラズリ-:2010/09/09(木) 20:56:45 ID:D6/wFRhK
>>959 >人はアダムの罪により、神から離れて、愛を失いました。
確かにエデンの園の話は聖書に出ているが、その話が2000年後の私たちにまで
「原罪」という形で影響を与え続けているとは、信じられない。
現実に日本にはアダムとイブは居ない。アダムとイブは日本人の祖先ではないのであるから、
日本人にまで「原罪」の教義を押しつけるのは間違いではありませんか?
ちなみに日本人の祖先はイザナギイザナミの命です。
なんで世俗人がイエス・キリストにそこまで拘るんだろうな
ヨハネ福音書の立ち去った多くの弟子にも金持ちの青年にも
安息日にだけ集るような現在のキリスト教のような世俗的な救いは提示もしてないし
無理に呼び止めてもいないのに
我こそクリスチャンを主張するなら生涯独身、ギリシャ正教やカトリックのように修道生活が基本だろ
>>982 原罪と言う物を私はこう理解しています、
聖霊なる神の肉体がこの大地と生き物であると。
貴方方は毎日神の肉を食べているのです。
ですから食事の前に祈りを捧げるのです。
985 :
神も仏も名無しさん:2010/09/09(木) 21:03:54 ID:ORwf9rBo
また、人の霊は心の働きでもありますから、以下の場合の「霊」は曲がった邪悪な心の性格を示します。
邪悪な霊とは、人間に与えられた自由意志と理性をつかって、悪を働くことから起こります。
このように悪の起源は、神からではなく、常に人間の側に起因します。
神から人間には、善や愛、真理や英知しか流れてきません。
>>983 それでは産めよ増やせよ、はどうなのですか?
クリスチャンは人類撲滅主義だといいたいのですか?
イエス・キリストは別に新しい宗教を作ろうとしたわけじゃないからな
ユダヤ教のメシアとして
上位互換的なユダヤ教の良いとこどりをしたような教えを
メシアとして残したかっただけだからな
だからエッセネ派のように修道生活は基本のユダヤ教徒の中でも
出来の良いエリート学校を創設したかったんだろうと思う
だから世俗人は別にキリスト教で無くてもいいんだよ、安息日にシナゴーク行くだけのユダヤ教でいい
>>986 イエスは結婚を否定していませんし
真の弟子は十二使徒だけです。
弟子は多かったのですが
普通の生活を捨てて従ったのは
十二使徒と一部の弟子だけです。
991 :
ラピスラズリ-:2010/09/09(木) 21:14:30 ID:D6/wFRhK
>>984 >原罪と言う物を私はこう理解しています、
聖霊なる神の肉体がこの大地と生き物であると。
貴方方は毎日神の肉を食べているのです。
ですから食事の前に祈りを捧げるのです。
ユダのこの説明では「原罪」の理解が出来ていない事になる。
これでは“誰それさんに謝罪する云々”どころの話ではなくて、
キリスト教の入門コースに入る事こそが必要とされている。
>>988 それはメシアとして色々と人種差別とか無くして
ユダヤ教を開かれたものにしたかったんだろ
それでも完全に救われたい者には出家を推進しているし
それが本来の意味での洗礼を受けたクリスチャンだよ
993 :
神も仏も名無しさん:2010/09/09(木) 21:21:00 ID:ORwf9rBo
>>987 それは違います。
神は人間性をとられ、イエス・キリストとなりこの世に、お降りになられましたが、
不信仰なユダヤ人たちは、イエスを神メシアと信じなかったばかりではなく、主を十字架に架けました。
かれらは、自分たちを聖都エルサレムに帰させるメシアの出現を、いまでも信じています。
>>993 2−3世紀でかなりの人間がユダヤ教からキリスト教に改宗してるよ
もっとも改宗といっても
イエスをメシアとしたユダヤ教徒なわけだけど
次ぎスレヨロピク ・ノ
イエス・キリストもパウロも
そもそもユダヤ教徒だったんだよ
>>987 実は、キリストは日本人です。
キリストにしてもマホメットにしても、釈迦にしても、日本で修行して、
日本で秘伝の儀式を受けて承認されて、世界の宗教マスターになった。
ユダヤのもともとの発祥の地は四国です。この土地からは知ったら驚くような史跡、
伝承、地名や名前などに刻印された証拠がいっぱい出てきます。
神道界でも知っている方は知っている。タブーとして言わないだけです。
本来のキリスト教、古代キリスト教は古神道とまるっきり同じなのです。
>>997 真光みたいなこと言うな、もしかして信者の人?
999 :
ラピスラズリ-:2010/09/09(木) 21:29:42 ID:D6/wFRhK
>>993 質問します。
Q1:イエス様、もしくはイエスキリストは救い主ですか?それとも贖罪主ですか?
Q2:イエスがメシヤであるとは、聖書のどの部分に書かれていますか?
あるいは、それに関しては全く何も書かれていないのですか?
どうでもいいな
糞イエスの侵略宗教などと、言いたくもなる
日本とイエスは関係など無い
関連づけされると不愉快だ
愛だ愛だと騒ぎながら、金を巻き上げて歩く連中を大量に世にはなった
1001 :
1001:
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