キリスト教@質問箱237

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117前世は一在家
>>100
私も対話の主題が人の神格化(テオシス)から三位一体へ移動しました
ことを深く反省して、元に戻ります。

(トマス伝 50)
「もしも彼らがあなた方に、「あなた方はどこから来たのか」と言う
ならば、「私たちは光から来た、光が自ら生じた場所から。そこで
光は彼らの像において現れ出た。」と言いなさい。」と。
(トマス伝 51)
弟子達がイエスに言った、「どの日に死者の復活があり、どの日に
新しい世が来るのでしょうか。」
イエスが彼らに言った、「あなた方が待っているものは既に来た。
しかし、あなた方はそれを知らない。」

死海文書の宗規要覧にも全人類に神の光(神性)が宿っていることが説かれて
おります。
「神の計画(二つの道があり、光の道と闇の道、善の道と闇の道がある。(中略)
どの人間にも光の部分と闇の部分がある。たとえ光の子らの一人であっても、
誰もが罪人なのである。」

また法華経の最高真理「全ての人に仏性あり、やがて仏になり得る」とも
よく一致しております。原始仏教では仏は神々(多伸)以上の存在です。

ヨハネ伝より前に存在したトマス伝とマリア伝は、「異端反駁」の中でも
コメントされることはなく、ただ「四つだ!」宣言に入らなかったので
幻の福音書となったという経緯も調べております。