952 :
神も仏も名無しさん:2010/09/21(火) 23:26:18 ID:jGGjBgu6
本門正宗の信者数ってどれくらいいますか?
日蓮の皇統説を説いていますよね?
>>950 円教としての立場から、一閻浮提総与の妙法の脇師として、書き込まれたと思います。
それで題目の根拠を法華経から明確に答えられる人いないの?
955 :
神も仏も名無しさん:2010/09/22(水) 00:31:20 ID:ohY5mvN+
956 :
神も仏も名無しさん:2010/09/22(水) 00:35:17 ID:ohY5mvN+
>>951 建長六年に日蓮は密教の修行をしていたの?
日蓮が「日蓮」と名乗り始めたのは立宗の頃からであって、修行中は日蓮とは名乗っていないのでは?
不思議だねえ?
人によっては日蓮は密教僧日蓮と法華行者日蓮の
二人の僧侶がいたとか言い出す人もいるな
958 :
神も仏も名無しさん:2010/09/22(水) 00:53:52 ID:ohY5mvN+
>>953 天台を密教化したといって円仁を批判しておきながら、密教経典にしか登場しない愛染明王を本尊に書くこと自体、大いなる矛盾。
ご都合主義と言っても良い。
日蓮大聖人こそが末法の衆生を救う仏ですよ。
960 :
神も仏も名無しさん:2010/09/22(水) 06:23:36 ID:ohY5mvN+
>>959 日蓮本仏論は法華経の久遠実成の教えを否定する邪義。
ついでに言えば、日蓮自身も自分のことを上行菩薩の迹(仮の姿)としか
言っていない(出典は日蓮が代筆したとされる「頼基陳状」)ので、本仏論は日蓮をも冒涜している。
961 :
大乗非仏説:2010/09/22(水) 06:26:16 ID:EZgitISL
>>959 >日蓮大聖人こそが末法の衆生を救う仏ですよ。
法華経や、御書のどこに記載されていますでしょうか?
ご教示下さい。
■法華最大一
智ギ当時の中国では、仏教徒は漠然とした大小乗の様々な経典を全て仏説、金口直説として受け止めた。
これを原因として、後に矛盾対立する様々な思想を整理統合しながら、経典を価値的に序列付ける教相判釈、教判が発達した。
つまり、歴史という縦の時間軸に沿って、異なる思想を整理するのではなく、釈尊という個人の生涯の内部において異なる思想を整理しょうとしたのである。
その代表的なものの一つがほかならぬ智ギの五時八教の教判である。
この、五時八教の教判においては、従来の教判を厳しく批判しながら「法華経」を釈尊の出世の本懐の経典とする立場を確立した。
■久遠元初の自受用身とは、三世十方の諸仏の能生である本源の法を体現した本仏のこと。
久遠元初は久遠五百塵点劫の当初(そのかみ)をいい、生命に本来備わる無作常住の真理である南無妙法蓮華経に帰した姿をさす。
自受用身は他受用身に対する語で、御義口伝巻下に「自受用身(ほしいままにうけもちいるみ)とは一念三千なり、伝教云く「一念三千即自受用身」とあり、人即法、法即人として南無妙法蓮華経を一身に具した仏をいう。
百六箇抄に「本地自受用報身の垂ジャク上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」とあり、末法今時では日蓮大聖人のことである。
また、この久遠元初の自受用身に対して応仏昇進の自受用身があり、五百塵点劫一番成道(久遠実成)釈尊をいう。
■久遠元初とは
久遠実成の当初「そのかみ(以前)」のこと。
久遠は遠い昔、元初の元は根本。初は初まりをいう。即ち一応、生命と宇宙の始まりの時を表しているのが、久遠元初であり、久遠(五百塵点劫)に成道した釈迦の本因の時である。
しかし、御義口伝巻下に「久遠とははたらかさず、つくろわず、もとの儘という義なり」とあるように、長遠の時間を超越してた、生命の究極の状態、生命に本来そなわる無作常住の仏性を覚知した姿を久遠元初という。
衆生の生命は、過去・現在の行為、外界からの影響によって様々な業をまとっているが、その業の深奥に生命本来の清浄の本体がある。、この本来の生命の姿を久遠元初といい、また南無妙法蓮華経という。
>>956 「不動・愛染感見記」が千葉県保田にある妙本寺所蔵のこの文書も、日蓮宗総本山久遠寺より発行された『昭和定本 日蓮聖人遺文』に載せられている。編年体で編纂された第一巻の三番目。
この「御書」とやらは、日蓮大聖人が不動明王を見たという一紙と、愛染明王を見たという一紙に分かれている。書かれている内容は以下のとおり。
「生身愛染明王拜見
正月一日日蝕之時 (梵字略)
(絵)
自大日如來至日蓮廿三代嫡々相承
建長六年六月廿五日
正法を立てる事によって、外道の書も流通分として生かしていけるということ。
経典には、社会との繋がりを示す文が多々ある。
生命を解き明かす妙法は円教、故に一分も欠けることがない。
つまり、一切法を包含しているのである。
968 :
915だよ:2010/09/22(水) 14:46:35 ID:zChxDa9I
967 君の言ってることの中心は、全部日蓮以後の坊さんが創作した理論建て。
五時八教が通用しない現代佛教学の現場で、君の発表場所は無い。
道理が誤りと理解しながら保持し行動していると抑圧意識で狂人になります。
>>968 アンタは、否定するだけで、その根拠となる出典を明かさない。
後の僧が創作というが、法華経を始めとする経典や御書の展開から導きだしたもの。
別に創作でもなんでもないよ。読みきれないアンタの問題です。
で、アナタ、何宗の坊さんですかな?w
そもそも、仏教は竜樹・天親を始め、後世に生まれた人達によって、
その教義が整えられてきたのであって、それを
>>986のように、後世の坊さん云々は、
お門違いの話。
そんなこと言えば、念仏も真言も存在しないと言ってるのと同じですな。
>>968 智ギの五時八教の教判については
>>962で見解を述べました。
つまり、歴史という縦の時間軸に沿って、異なる思想を整理するのではなく、釈尊という個人の生涯の内部において異なる思想を整理しょうとしたのである。
と、いうことです。
972 :
大乗非仏説:2010/09/22(水) 18:40:32 ID:EZgitISL
>>969 五時八教というのは歴史的事実ではないですよ
それぐらいは、仏教の一般的な解説を読んでくださいね。
それとも釈尊は法華経を直接説いたとお考えですか?
>>972 >五時八教というのは歴史的事実ではないですよ
どういうこと?
ちゃんと
>>971も含めて内容を理解しているの?
歴史と言う縦の時間軸で述べているものではないですよと言ってるのだけどね。
974 :
大乗非仏説:2010/09/22(水) 19:06:50 ID:EZgitISL
>>971 >つまり、歴史という縦の時間軸に沿って、異なる思想を整理するのではなく、釈尊という個人
>の生涯の内部において異なる思想を整理しょうとしたのである。
そんなことはないと思いますよ。少なくとも智や日蓮上人はそう信じていたでしょう。
天台大師や日蓮上人の文書のどこに
「釈尊という個人の生涯の内部において異なる思想を整理しょうとしたのである。」
なんてことが書いてありますか?
創価学会だって、昔は五時八教を言っていたではないですか?
最初に華厳を説いたら誰もわからないので、次に阿含を説いて、それで順次高度な
教えを説いたって。
975 :
神も仏も名無しさん:2010/09/22(水) 19:42:07 ID:ohY5mvN+
>>966 >>962-964を読むと、ますます日蓮が本仏でないことが分かります。
日蓮が法華経の行者であることさえ疑わしく、僭聖増上慢であることはさておき、
お示しいただいた文証でさえ、上行菩薩の垂迹即ち修行中でまだ悟ってもいない者の迹であると言っている。
つまり、本仏はおろか迹仏であることさえ真っ向から自分で否定している訳だ。
しかも久遠原初から悟っていて常住の釈尊が、日蓮として生まれ変わり、しかも死んでいくことは論理的にあり得ない。
しかも、日蓮自身が「過去に法華行者を殺した報いを今受けている」と告白しているのに、日蓮が本仏だとすると、
久遠の本仏が法華行者を殺したことになり、明らかに論理が破綻する。
そもそもゴータマでさえ迹仏であるのに、病死した日蓮が本仏など、法華経のあなた方の好きな寿量品の否定でしかない。
976 :
915だよ:2010/09/22(水) 20:17:28 ID:zChxDa9I
>>969 昔の坊さんたちの論の立て方は、先師の論や経文の抜粋を会釈し
並べ替えして自らの論を建てた。
詰まり全く独創的な文章や言葉を使うわけには行かない約束事だった。
道元禅師の法華経解釈書なんぞは、御自分が感動した文章をそっくり並べて
「いいわ、いいわ、此処が痺れるのよ」と言っている様な著書がある。
他人の論を上手く引用してるわけだ。
坊さんは権威が常に過去にあるのでその辺を十分に踏まえて論を申したわけ。
このような事は五時八教も阿弥陀信仰も含めて、明治維新以後の佛教研究の成果
により「完全に権威失墜した」わけである(日本の各宗門は情報を隠蔽したまま口を拭っている)
もう一つ権威が失せた物に 須弥山図がある、それは佛教世界地図である。
大海に亀が浮かびその背中に象が何頭かいて、その上に我々が住む世界がある
と絵図で解き明かすのである。
この絵は維新とともに寺の蔵の奥にしまわれたか、迷信と認識されて遺棄されてもう寺院では
見ることが出来ない。
私観であるが愉快な須弥山図も法華経解説も大同小異、賞味期限切れの品なのだ。
因みに私は在家の人である。
>>975 君の感想はそういうことね。
仏教学の研究は出典や遺跡など、事実の上に積み重ねられて証明されていくもの。
915氏もそうだが、好き嫌いの基準が判断材料になっている感がある。
それは議論ではなく、言葉遊びにすぎない。
978 :
神も仏も名無しさん:2010/09/22(水) 22:54:26 ID:ohY5mvN+
>>977 出典の中で矛盾があるのを看過していませんか?
979 :
915だよ:2010/09/22(水) 23:06:02 ID:zChxDa9I
977 好き嫌いなんてェもんじゃない。
それはね喩えるとさ
活きがすっかり無くなってしまった寿司ネタを毎日
食わさせてから お勘定させようって太い野郎が生きているって事に
むかっ腹が立ってるわけさ。
>>974>>976 >五時八教
智ギ゙の五時八教の教判・判釈は正しい。
問題はその視点・観点であって、「歴史と言う縦の時間軸」で見た場合に矛盾があることが判明している。
そこで、最近の仏教学では、釈尊という個人の生涯の内部において異なる思想を整理しょうとした、とする解釈をもちいている。
982 :
神も仏も名無しさん:2010/09/22(水) 23:37:34 ID:ohY5mvN+
>>980 智ギの五時八経では、華厳が仏陀の悟りそのものとされていますよね?
983 :
915だよ:2010/09/23(木) 00:23:42 ID:Qgz7C4FN
天台チギ大師は天才である。
佛教を学ぶ過程で必ず学ぶべき対象である。
然し間違った袋小路に入り込み理論構成を成し遂げた
誤謬の天才であった、その誤謬は明治維新以後の仏教学で
明確に指摘されている。
中国にもたらされた経典は全部、如是我聞とある故に是を時代分けした
チギは度胸が好いといおうか大変な秀才頭脳であった。
曰く五時教判、これは釈迦一代の教説を明快に区分けしたもの。
こんな説明は不要なのだが一応した。
だが彼の五時論は「仮定」に留めておくべきものであったわけで、現在は誤りである。
985 :
神も仏も名無しさん:2010/09/23(木) 00:42:41 ID:jCd2eEHX
986 :
神も仏も名無しさん:2010/09/23(木) 00:49:30 ID:jCd2eEHX
あと、智ギの一念三千、十界互具は、華厳経の初発心菩薩功徳品から持ってきたんだよね。
987 :
大乗非仏説:2010/09/23(木) 07:31:58 ID:M/xvWyxx
>智ギ゙の五時八教の教判・判釈は正しい。
五時八教は、すべての経典が釈尊によってとかれたという
前提ですよね?
また、華厳経を最初にといて、最後は法華経、涅槃経を説
いたというのでしょう?
現在は、ほとんどの経典は釈尊によって説かれていないこ
と、とりわけ主要な大乗経典は釈尊滅後に数百年後に成立
したことが明白になっています。
どこが「正しい」のですか?
宗派というより日蓮教に近いな。
>>982 ■天台の法門を盗み入れた華厳宗
大聖人は、華厳宗の法義について、
「華厳宗に十界互具一念三千を立つること澄観(ちょうかん)の疏(しょ)に之有り」(御書517頁)
「華厳宗の義に云はく、華厳経には二乗作仏・久遠実成之を明かす。天台宗は之を許さず」(御書310頁)
と御教示されているように、華厳宗には教義のなかに十界互具・一念三千・二乗作仏・久遠実成という法華経のみに説かれているはずの法義が存するという。
彼らがこのように主張する根拠について推察すると、『衆生身心御書』に、
「則天皇后は尼にてをはせしが内外典にこざかしき人なり。慢心たか(高)くして天台宗をさげ(下)をぼ(思)してありしなり」(御書1214頁)
と示されるように、法蔵・澄観のときに帰依した則天皇后という人は、たいへん慢心が強かったことから、自らが帰依した華厳宗を諸教のなかで最勝の教えに位置づけたかったのであろう。そして、その策として彼らが行ったことは、
「華厳宗は澄観(ちょうかん)が時、華厳経の心(しん)如(にょ)工(く)画(え)師(し)の文に天台の一念三千の法門を偸(ぬす)み入れたり、人これをしらず」(御書528頁)
とあるように、華厳宗の澄観は天台の深義である一念三千の法門を自宗に盗み入れ、教義の骨目としたのである。
990 :
神も仏も名無しさん:2010/09/23(木) 08:36:00 ID:+2QsQNnV
自分の仲間で語り合いしなよ。真っ暗いな。
一念三千って鳩摩羅什の訳以外では根拠になる一文の内容が違うんでなかったか?
992 :
915だよ:2010/09/23(木) 13:26:03 ID:Qgz7C4FN
以前知人に 法華経は釈迦直説に非ずと明確に話したことがあった。
彼は話の途中から「思考停止、そんなことはない、ソンナ事無い」状態になった。
彼自身に今まで影響を与えて来た立派な人たちがソンナ事は言っていないと言い出す
始末である。
是はびっくり洗脳された人物と話をしていたのよワタシ!であった。
世の中の法華経信者の多くの人に見られる通弊になる原因を考えると以下。
虚偽を含んで成立させられた教義を無理に信者に布教させたために、結果世間一般人とは
長年月を経過するほど狂いが生じる。
判りやすくいうと、誤れる変なことを信じて変になってしまった のだ。
結論 これは正法ではない。
>>992 前にも言ったが、個人の感想と、仏教学的教判・判釈は次元がちがう。
仏教学的にどうよ
994 :
神も仏も名無しさん:2010/09/23(木) 14:33:59 ID:jCd2eEHX
>>989 結局は日蓮の我見でしょ。
あなたはまず、日蓮の説を挙げる前に、華厳経そのものを読んでみることでしょう。
「日蓮上人がこういったから真実なんだよ〜」
レベルのことを教学と呼ばれてもねぇ…
とりあえず「題目」ってのは釈迦が一体どこで説いたものなのか教えてくれ、
流石に日蓮が考えたオリジナルとは言わんでくれよ。
996 :
915だよ:2010/09/23(木) 17:23:29 ID:Qgz7C4FN
993 仏教学的に法華経の地位は、「 五時八教 疎の様な思考様式を
した人が過去に居たのです 仮説を実説と読み間違ったケースとして
学びましょう。
当時は参考資料が余りにも不足した時代ですから仕方ありませんでした。」
小生と某国立大学印度東洋哲学科の某氏との一致点でした。
この処でつまずく生徒は、国立大学の印哲科では及第しません。
仏教学的にどうよ?は上のような簡明な答えです。
是は絶対に嘘とお考えなら、人生上の一大事ゆえ 是非お確かめ下ださい。
997 :
神も仏も名無しさん:2010/09/23(木) 17:42:08 ID:hUIy3H6C
妙法蓮華“経”はおかしいのです。
妙法蓮華“説”と略さないといけなかったのでわ、と思うのですが。
随喜功徳品の五十展転のくだりに矛盾が感じられます。
作者の気持ちの中にも、なにか混同するものがあったかもしれませんね。
この経の内容は、すべて一人一人の意識の中を表し語りでしょうね。
南無する処は自分自身であるかも、と思います。
釈迦説法は五時に分たのではなく、目の前の人、聞き手の機根、能力に
分けた説法だと思います。
小学生に大学の教材を与えて、“南無”しなさい!とは釈迦はいわないでしょう。
私達は仏教だけでなく、学ばなければならない事がまだまだいっぱいあります。(笑
僧侶も今の時代では職業なのでしょうから、新製品の開発を期待したいと思います。
998 :
神も仏も名無しさん:2010/09/23(木) 17:43:13 ID:jCd2eEHX
>>989 君は狂信的で論理的な考え方が全くできないの?
君らの教判の中で、華厳は釈迦の悟りそのもので、難しすぎたから阿含から順次説いていったと主張しているんでしょ。
なら当然、華厳はその後の教えのすべてを含んでいなければならず、
法華がどんなに高い地点に到達しても、
華厳>=法華
にしかなり得ないでしょ。
それとも、華厳は釈迦の純粋な悟りそのものではなかったの?
なら、君らの教判は間違っていることになるよね。
999 :
神も仏も名無しさん:2010/09/23(木) 17:48:07 ID:jCd2eEHX
>>989 そもそも五時八経は教判の一つに過ぎず、智ギの出した見解でしかない。
君らの言葉を借りれば、
「釈迦がそう言ったわけではない」
こういうと、無量義経を持ち出してくるんだろうけど、そこには
法華経の前に華厳や般若を説いたとも書かれておらず、法華の後に華厳や般若を説いたとも書いていない。
1000 :
神も仏も名無しさん:2010/09/23(木) 17:49:40 ID:UgUfSr9d
法華最大一
1001 :
1001:
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