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794見玉尼
今日 法然の思想的真意や歴史的事象に関して いまだ判明しない事柄が多いため 法然の遺文に関する具体的な
問題点を指摘して 文献学的考証の再度の必要性が提示されています
法然の歴史的研究は 他宗に比べ現存する真筆類が皆無に等しく 伝来する遺文類の信憑性についても曖昧であるとの
見方が一般的です

まず「確実に法然上人の遺文である」といえるものは
@自筆の原本が残っているもの
・廬山寺本『選択集』冒頭の二十一文字
・一心院蔵「一行一筆『阿弥陀経』」の「佛子源空」の一行
・二尊院蔵『七箇条起請文』の中の「源空」の署名と花押
・清涼寺蔵『熊谷直実宛書状(五月二日付)』
・興善寺蔵『正行房宛書状』断簡三通
・金戒光明寺蔵『一枚起請文』

A『選択集』のようにその当時から一般に認められていた文献

のみということとなり それ以外の大半の遺文は多かれ少なかれ偽撰の可能性があることになります
法然上人の遺文を取り扱う場合は 真撰か偽撰を判断することが 非常に大切になってきます

これには、絶対的な基準はありませんが 一応次のような二点が比較的有効な基準として一般に認められているようです