>>542 >衆生済度&菩薩
この言葉は在家主義大乗の差別化のための戦略的スローガンであり、
菩薩的『救済』目的主義は仏教の普遍的本質だとはいえない。
仏教の本質は三(四)法印×四聖諦であって、菩薩的『救済』目的主義ではない。
そもそもゴータマ・シッダールダの出家目的は自己のもつ人間の実存苦もしくは有限性の不安の
根源的解決という極めて哲学的ないし思想的色彩を帯びたものだった。
その課題は菩提樹のもとの成道で達せられ、梵天勧請による伝道決意によって
“結果的に”衆生済度機能となったにすぎない。
ゴータマ・ブッダが宗教としての「仏教」を始めたのではないのだ。
菩薩的『救済』目的主義の仏教本質化は、ブッダの動機目的と機能結果を逆倒させているのである。
在家主義的ご都合主義との批判を免れないだろう。
そうでなければ、成道後のブッダの困惑逡巡を理解できないだろう。
実を言うと俺は仏教逸話のなかで人間ブッダとしてこの場面が一番好きなのだ。
俺に作曲能力があれば『マタイ受難曲』ならぬ『仏陀成道曲』を書きたいぐらいだ。