仏教 議論スレッド その4

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49神も仏も名無しさん
>>21
いずれにしろ、
≪そこに名称がある時、人はそこに、【そのように名指される】『もの』『何ものか』がある≫と考える。
それ自体は悪いことではないし、当然の思考なわけだが、
条件の吟味無き「存在認定」には注意深くあっていい。
そして、宝珠の思考の志向は、まさにこの方向だから、(場所的という側面を用いてだが)指摘をした。
「涅槃」にしても「高次の意識・ニルヴァーナ意識」にしても、
《「名前が付いてるから」『ある』》ではなく、「どのようなものが、どのようにしてあるのか」が吟味されねばならない。

そして、「宝珠が言うようなものとしては無い」、少なくとも「涅槃」と称されるものは
《「そのようなものとして」『ある』》と言われているのではない、ということだ。
名前(【があること】)に引き摺られるから、
(特に「特別な名称」があり、且つ「特別な説明」がされているので已む無しとはいえ)、
≪「ウダーナ8:3の【字句通りの】」【何ものか】が『ある』≫、そしてまた、
≪『それ』を知覚する者(もの)が【同じ領域に】『ある(居る)』筈≫だ、
となる。以降は、まとめたリンク先一覧の通りだ。


※歴史ある新興宗教は別として、新宗教・新新宗教系は、
 「まず名前ありき」な所があるかもしれない・・。
※その意味(>>@@前半のような)で、イスラムの神やイスラエルの神、キリストの神等は
 実に興味深い側面を見せてくれていると思う。
 (日本は勿論、インドやギリシャ・ローマ或いは北欧神話等も。)